大正12・1923年

2月
2月1日 木曜日
「新青年」二月号(第四巻第三号)の発行日。「探偵小説を募集す──隠れたる作家の創作を慫慂す」が掲載された。新青年「探偵小説を募集す──隠れたる作家の創作を慫慂す」Fragment

3月
3月1日 木曜日
「新青年」三月号(第四巻第四号)の発行日。四月号(春季増大号)の予告ページで「二銭銅貨」が紹介された。新青年「春季増大号予告」Fragment新青年「編輯局から」Fragment

4月
4月1日 日曜日
「新青年」四月春季増大号(第四巻第五号)の発行日。発売は三月中旬。「二銭銅貨」が掲載された。不木生(小酒井不木)「『二銭銅貨』を読む」を併載。新青年「編輯局から」Fragment
原稿料は一枚一円で、新人としてはそれほど安くなかった。探偵小説四十年「二年間に五篇」
探偵小説を書いて生活できるとは考えていなかったので、勤めは辞めなかった。貼雑年譜「大橋弁護士事務所手伝」]

5月
5月
隆子が腹膜炎で大阪赤十字病院に入院した。探偵小説四十年「大正十二年度の主な出来事」]
隆子の入院費用は繁男の貯金約六百円の全額を充て、大阪毎日新聞社広告部に入ってから返済した。病院の付き添いとして隆子の母に鳥羽から来てもらった。夕食後、隆太郎を抱いて近所の原っぱを散歩し、唱歌を歌って寝かしつけた。貼雑年譜「大橋弁護士事務所手伝」]

6月
6月21日 木曜日
隆子が退院。それを機に守口町の繁男の家を出、隆子、隆太郎と女中との四人で門真村に住んだ。探偵小説四十年「大正十二年度の主な出来事」
住所は大阪府北河内郡門真村一番地。家賃十五円。六月二十一日から翌年四月までこの家に住んだ。貼雑年譜「大阪毎日新聞営業部員」]
6月
「恐ろしき錯誤」を脱稿、森下雨村に送った。「恐ろしき錯誤」の腹案は入院中の隆子のベッドの枕元で下書きした。探偵小説四十年「大正十二年度の主な出来事」「二年間に五篇」]
6月末
大橋弁護士事務所を辞めた。貼雑年譜「大橋弁護士事務所手伝」]

7月
7月1日 日曜日
「新青年」七月号(第四巻第八号)の発行日。「一枚の切符」が掲載された。
大阪毎日新聞社広告部に入社した。月給八十円、ほかに広告の歩合収入があり、平均月収は五、六百円になった。探偵小説四十年「大正十二年度の主な出来事」
繁男が名古屋時代に店員として雇っていた大口政夫が広告部の古顔だったので、その紹介で大阪毎日新聞社に入った。貼雑年譜「大阪毎日新聞営業部員」]
隆子の退院はこの日だったともいう。貼雑年譜「大橋弁護士事務所手伝」]
小酒井不木に初めて手紙を出し、「新青年」四月春季増大号の「『二銭銅貨』を読む」の礼を述べた。子不語の夢]
7月3日 火曜日
小酒井不木が乱歩に返信、才能を認め、激励した。子不語の夢]

9月
9月1日 土曜日
関東大震災。大阪市内の床屋から出たときに揺れを感じた。数時間後に出た号外で東京の地震を知った。探偵小説四十年「大正十二年度の主な出来事」

11月
11月1日 木曜日
「新青年」十一月帝都復興号(第四巻第十三号)の発行日。「恐ろしき錯誤」が掲載された。

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