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2009年5月7日(木)

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4月29日 朝日新聞社
4月26日付読書面掲載 〈漂流 本から本へ〉第4回
鉄仮面 [著]ボアゴベ 筒井康隆
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鉄仮面 [著]ボアゴベ

[掲載]2009年4月26日
[筆者]筒井康隆(作家)

原稿はパソコンで。左手にマウスを持ち、右手でキーを打つ=東京の自宅書斎、撮影・郭允

■軍歌の時代、乱歩に耽る

 これも高松英雄君の部屋の本棚にあった、講談社の児童向けハードカバーで、世界名作物語シリーズの一冊である。『鐵假面(てっかめん)』といえば当然デュマなのであろうが、ぼくはこのボアゴベの方が強く記憶に残っている。あの『怪人二十面相』や『少年探偵團(だん)』をすでに読んでいてお馴染(なじ)みだった江戸川亂歩(らんぽ)が訳していたので、飛びつくように読んだからでもあろう。

 そしてこの本も怖かった。鉄仮面を取り、なかば髑髏(どくろ)のような顔になった男を、森の中でヒロインが目撃する衝撃のシーンは、これまた梁川剛一の怖い見開きの挿絵であり、この挿絵と、この男の正体の意外性こそがこの本をいつまでも記憶していた理由だ。あんな怖い怖い絵をよく子供に見せたものだ。トラウマになる子もいたのではあるまいか。

    ◇

 十九世紀末のフランスの探偵作家といえばルコック探偵もののガボリオが有名だが、このフォルチュネ・デュ・ボアゴベもそれと同時代の人。日本では明治時代以後、黒岩涙香がたくさん翻案、翻訳をしている。中学生時代から涙香を愛読していた江戸川亂歩は、当然涙香翻案の『鐵假面』も読んでいたであろう。児童向けにリライトしたこの『鐵假面』も、どうやら涙香版が下敷きらしい。ところがこの時期、亂歩はほとんどの翻訳やリライトを代訳者、代作者にやらせていたらしいのである。当時そんなことを知らなかったぼくだが、しかしこの『鐵假面』ばかりは、今でも涙香を敬愛していた亂歩が自身でリライトしたのだと信じたい気持(きもち)でいる。挿絵の怖さも手伝って、子供の恐怖心に訴えかけるあの怖い文章は、亂歩以外の誰のものでもなかった筈(はず)と思いたいのだ。

 なぜそんなに怖い亂歩が好きだったのだろう。大東亜戦争が始まって子供がみな軍歌を歌っている時代、血湧(わ)き肉躍る物語よりも、亂歩が好きだったとは。難しい字が読めるようになるとぼくは、そうとは知らず、すでに多くが発禁になっていた筈の、亂歩の大人ものの小説に手を出していた。

 薬学博士だった伯父の大きな家が天王寺の椎寺町にあり、ここには従兄姉(いとこ)が六人もいたのでよく遊びに行った。その北村家には押入(おしい)れの中に大人ものの亂歩の短篇(たんぺん)集が何冊かあり、これを引っぱり出してきて、座敷の真ん中に寝そべって読み耽(ふけ)った。子供が読むには相応(ふさわ)しくない「屋根裏の散歩者」だの「陰獣」だの「蟲(むし)」だの「パノラマ島奇談」だの「人間椅子(いす)」だのであって、これを見た従兄(いとこ)のひとりが驚いて「おーい。やっちゃんが亂歩なんか読んどるでー。大丈夫かあ」などと叫んでいたものだ。

    ◇

 それほど敬愛していた江戸川亂歩、いや、乱歩さんに見出(みいだ)され、新人作家として、「宝石」編集長の大坪直行の案内で、豊島区にある乱歩邸にお邪魔をし、その後もパーティなどでお目にかかって親しくお話しすることになろうなどとは、その頃まだ、夢にも思っていない。

    ◇

 江戸川乱歩訳・梁川剛一絵は古書店で。新刊では長島良三訳の講談社文芸文庫が上下巻で。

 
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