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5月19日 朝日新聞社
5月17日付読書面掲載 〈漂流 本から本へ〉第7回
孤島の鬼 [著]江戸川乱歩 筒井康隆
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孤島の鬼 [著]江戸川乱歩

[掲載]2008年5月17日
[筆者]筒井康隆(作家)

着流しで、ぶらりと外へ=東京都内の自宅玄関、撮影・郭允

■疎開先での悔しさ今なお

 昭和十九年、日本の敗色が濃くなってきたころ、ぼくは四年生で縁故疎開をした。吹田市千里山の、母方の祖父の従兄弟(いとこ)で松山藤雄というお爺(じい)さんの家へ、家族と離れ、ひとりで疎開したのだ。なぜぼくひとりだけだったのか、よくわからない。食糧事情が悪くなってきたので、一人でも食い扶持(ぶち)を減らそうとしたのかもしれないし、空襲による一家全滅を避けようとしたのかもしれない。

 この家へ、昭和七年に春陽堂から日本小説文庫の一冊として出ていた江戸川亂歩の『孤島の鬼』を、ぼくは持っていった。恐らくはあの椎寺町の北村家にあった本だと思う。編入した千里第二国民学校では、佐井寺という農村から通学している子らにずいぶん虐(いじ)められたが、この『孤島の鬼』はそんなつらい環境を忘れさせてくれる唯一の愛読書だった。物語は知り尽(つく)しているのに、何度もくり返し読み、そのたびに感動がある。今でもこれは江戸川亂歩の最高傑作だと思っている。

    ◇

 そんなに大切にしていた本を、なんでうかうかと人に貸してしまったのだろう。あの上級生にどんないきさつで貸したのだったか、もう憶(おぼ)えていない。彼は返してくれなかった。思いあまって電車でふた駅、豊津という駅近くのその子の家まで返してもらいに出かけた。豪邸の門前に出てきた彼はしかし、かぶりを振って「ない」と冷たく言い、邸内に戻ってしまった。どれほど悔しかったことか。その悔しさはいつまでも忘れず、実は今でも恨み続けているのだ。

 それにしても『孤島の鬼』、なんと魅惑的で、恐ろしくも悲しい話だったことか。慶応年代にまで遡(さかのぼ)る伝奇的な因縁話であると同時に、とんでもないトリックの推理小説でもあり、背筋が凍るほどの恐怖譚(たん)でもある。亂歩は天才だとぼくは思った。その文章の息づかいにも魅せられた。いくつかの文節は暗記してしまったし、中に出てくる「どこから私(わた)しゃ来たのやら、いつまたどこへ帰るやら」という大正時代の蠱惑(こわく)的な流行歌も、「神と仏がおうたなら、巽(たつみ)の鬼をうちやぶり、弥陀(みだ)の利益(りやく)をさぐるべし、六道の辻に迷うなよ」という、経文のような暗号文も頭に刻みこまれた。中ほどに出てくる奇妙な手記がまた凄(すご)かった。幼い女の子の書いた文章が次第に、実は男女の畸形(きけい)の双生児いわゆるダブル・モンスターの片方が書いているとわかってくる怖さは、今で言うセンス・オブ・ワンダーそのものだ。

    ◇

 そしてこの作品、実は名探偵明智小五郎にもその傾向がほの見える同性愛を、真正面から描いていた。若く美しい主人公簔浦に恋をするのが、やはり美しい天才科学者諸戸道雄である。この魅力的な諸戸という人物を、その頃から役者志向のあったぼくは、映画で演じたいなどと夢想したものだ。むろん後年、他ならぬ江戸川乱歩原作、塚本晋也監督、本木雅弘主演の映画「双生児」にモックンの父親役、藤村志保との夫婦役で出演することになろうなどとは、この頃まだ夢にも思っていない。

    ◇

 初版は1930年、改造社刊。現在は光文社文庫、創元推理文庫(連載時の挿絵入り)などで。

 
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