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姫と彦の相聞

大来皇女

大津皇子

資料集

番犬敬白 2001年2月3日

 名張市域のほぼ中央、夏見と呼ばれる在所には、夏見廃寺という古代寺院跡が残されております。かつて昌福寺なる寺院が建てられていた地でございますが、この昌福寺は、一組の高貴な姉弟の悲劇を秘めた御寺でございました。
 姉は、大来皇女。
 弟は、大津皇子。
 天武天皇の皇女と皇子にございます。姉は斎王として伊勢神宮に身を捧げ、弟は謀叛の罪で処刑されるに至ったこの姫と彦が、古代の政争の陰で密かにくりひろげた清らかであえかな相聞こそ、時代を越えていまも人の心をうつものと申せましょう。
 昌福寺は、大来皇女の発願によって造営された寺院でございます。建立は父・天武天皇追福のためと記録が残りますものの、じつは非業の死を遂げた弟・大津皇子の冥福を祈る願いがこめられていたとも説かれており、真実は古代の帳に厚く包まれている次第ではございますが、姉弟が残した詩歌や夏見廃寺にまつわる関連資料、この「姫彦の影 ひめひこのかげ」に寄せ集めたい所存でございますので、よろしくおつきあいのほどお願い申しあげます。
 なお、夏見廃寺跡は1990年に国史跡の指定を受け、一帯は写真のごとく整備されまして、伽藍配置や礎石をご覧いただけます。1995年には夏見廃寺展示館が開設され、大来皇女の万葉歌碑も建立を見るに至りました。歌碑には、

礒の上に生ふる馬酔木を
手折らめど見すべき君が
在りといはなくに

 との絶唱が刻まれ、姫と彦の相聞をいまに伝えております。


掲載 2001年2月3日  最終更新 2002年 9月 19日 (木)