2006年3月中旬
11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日 18日 19日 20日
 ■ 3月11日(土)
年譜王の憤怒

 ことここにいたってようやく私にも、自分がやろうとしていることの本質が呑みこめてきました。どうやら私は、『探偵小説四十年』という一箇の完結した小宇宙に関する百科事典をつくろうとしているようです。一冊の本に出てくる人名や事項をすべてリストアップして解説を附してゆけば、それはどうしたって百科事典になってしまわざるを得ない道理です。そんな面倒な作業は願いさげだとは思いますものの、『江戸川乱歩年譜集成』を編纂するにはこうした作業を同時進行させるほうがむしろ効率的であるという気もします。

 しかし万一、いや万一といってはいけませんが、『探偵小説四十年』を劈頭から大尾まで首尾よく年表に再編し、同時進行で百科事典みたいなデータベースをまとめることができたとしても、編纂作業全体から見ればようよう第一段階が終わったところというにすぎません。第二段階として『探偵小説四十年』以外の乱歩の文章と他人によって書き残された乱歩の記録とを年表にとりこんでゆく作業が待ち受けていますし、さらにそのあとには日本の近現代史そのものを年表に反映させる第三段階も必要でしょう。それだけのデータをそろえたそのあとで、『江戸川乱歩年譜集成』の具体的な編集作業がいよいよスタートすることになります。考えるだけで粛然としてしまうほどの艱難辛苦。

 しかしここまで考えてきますと、ほんとにこんなことをしなければならないのかという気にもなってきます。というか、していいものかどうか。私自身は何年かかろうと『江戸川乱歩年譜集成』のために一身を挺する覚悟はできているのですが、名張市はいったいどうなのかな。何の覚悟もないということは知れているのだが、そもそも官民ともにつくづくばかなのであるから、はたしてこんな名張市が『江戸川乱歩年譜集成』などというだいそれたリファレンスブックをつくっていいものかどうか。私にはとみにその点が疑問に感じられてならぬ次第です、

 はっきりいって私は、名張市にはもう徹頭徹尾裏切られておるのだ。名張市立図書館が乱歩に関して何をしていいかわからないから教えてくれと頼まれて、私は市立図書館の嘱託になったのである。こんなことやればいいんだよということを瞭然と示すために江戸川乱歩リファレンスブック全三巻をつくったのである。だからあとはおまえらがちゃんとやっていけといっても何もしようとしない。本気でやるのなら専門職員をおいてみろといっても予算がないからおけないという。それはそうであろう。何の役にもたたぬぼんくら職員をあれだけ大量に抱えておっては金などいくらあっても足りぬであろう。

 しかしそれでは話がちがうではないか。何をすればいいのか教えてくれと頼まれたから、おれはこれしかないという方向性を明確に指し示してやったのだ。ところがそれに対して、方向性は認めるけれどそんなことはとてもできませんといいやがる。それはおれに対する明らかな裏切り行為である。そんなことなら最初から何もするな。民間にはできないことを地道にこつこつ積みあげてゆくのが公立図書館の任務ではないか。しかしそんな気はさらさらなく、上っ面のことだけやって全国紙地方版のニュースにでもなればそれで満足だというのであれば、えーい、わざわざおれにすがったりするんじゃねーやばか。愚劣なことはばかがやれ。名張市の官民双方においてばかは多士済々、死ぬほどごろごろしておるではないか。よりどりみどりの取り放題ではないか。しかしこらばか。乱歩にかこつけてくだらないことに税金つかうのはよろしくないということくらいおまえらばかでもわかるであろう。あ。ごめんごめん。わかんないだろうね。なにしろおまえら名張エジプト化計画のレベルだからね。ろくな歴史資料もなくそのうえ名張市史を出せないほどお金もないというのに歴史資料館つくっちゃうんだもんねという程度なんだもんね。いやまいった。なんかもう話が通じねーや。しかしばかだから何をやっても許されるってもんじゃねーんだばか。さーあ、だんだん腹がたってきたからフルスロットルで官民双方のばかども叱り飛ばしてやる。泣くなよばかども。

 いや、いやいや、いやいやいやいや、こんなことではいかんではないか。私は『江戸川乱歩年譜集成』を完成させるために身を慎んで精励恪勤することを誓ったのではないか。ばかからかって喜んでるひまがあったらお仕事お仕事。

  本日のアップデート

 ▼2005年2月

 妖怪博士 江戸川乱歩

 文庫版「少年探偵・江戸川乱歩」第三巻です。中島河太郎先生の巻末解説をどうぞ。

変装の名人同士のはげしい対決
 私の少年時代はテレビもラジオもパソコンもなかったから、書物や雑誌を読むことがいちばんの楽しみでした。雑誌では「少年倶楽部」がもっとも魅力的で、くり返し読んだものです。

 吉川英治、大仏次郎、佐藤紅緑、佐々木邦といった当時一流の作家たちも、少年向けの小説とあなどらずに、力をこめて後年に残るようなすぐれた作品を書いているのです。

 江戸川乱歩もそのひとりでした。乱歩は日本人としてはじめて探偵小説の面白さを知らせた功労者でした。乱歩が少年向けの作品を書いたのが、昭和十一年に「少年倶楽部」に連載した『怪人二十面相』です。それがたいへんな評判をよんだので、翌年は『少年探偵団』を、さらに十三年には『妖怪博士』を連載しました。

 このシリーズが大歓迎を得たのは、名探偵明智小五郎と変装の名人である二十面相という怪盗との手に汗を握る闘争を描いたからでした。


 ■ 3月12日(日)
典拠の問題

 『江戸川乱歩年譜集成』編纂作業の第一段階を無事にクリアできた、つまり『探偵小説四十年』の記載事項をきれいに年表化できたとしてみましょう。そのあとの第二段階では、きのうも記しましたとおり『探偵小説四十年』以外の乱歩の文章と他人によって書き残された乱歩の記録とを年表にとりこんでゆく作業を進めなければなりません。

 乱歩の文章はまだいいとして、乱歩以外の人間が書いた文章を博捜するのは結構骨の折れる作業でしょう。むろん私には『乱歩文献データブック』を編纂した輝かしい実績があるのですが、そして編纂直後であれば頭のなかには乱歩文献のデータが、つまり乱歩に関して誰がいつどこにどんなことを書いていたかみたいなことは整然と明瞭に奇蹟のごとく記憶されていたのですが、編纂が終わってからはや九年(もう九年もたつのか。指折りかぞえて確認してもやはり九年が経過したことになります。いやはや)、いまや記憶はひとえに風の前の塵に同じ、すっかり散じはてて前世のそれのような曖昧さでしかありません。

 しかしその問題もクリアできたとしましょう。乱歩が書いたものであれそうでないものであれ、世にある文章のなかから乱歩について書かれたものをすべて洗い出し(そんなことはもちろん不可能なのですが)、それを年表の形に体系化することができた。ここで気になるのが典拠を示す方法です。記載事項のそれぞれがどんな資料に拠っているのか、それを示さない年表なんて屁でもありません。

 私が常用している年表のひとつが平凡社の『年表日本歴史』なのですが、本文には原則としてすべて出典が明記されています。古代であれば記載事項につづけて、

 (薬師寺縁起)

 みたいな感じで資料名があげられているのですが、近現代となると典拠が膨大になりますから本文にいちいち記しているわけにはゆかず、依拠資料に番号をつけて本文ではその番号を示すという手法が採用されています。

 三重県の無能と怠慢とを満天下に知らしめた官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」でどぶに捨てられた血税三億円のうちの五百五十万円のまたそのうちの、いやそんなお金の出どころの話はどうでもいいのですけれど、そして『江戸川乱歩年譜集成』編纂のための不可欠のツールということでもないのですけれど、なんかモチベーションが高まるかも、とか思ってふらふら購入してしまった岩波書店の『近代日本総合年表』第四版でも、典拠文献の記載にはかなりの工夫が見られますものの、本文では番号で出典を示しておいて巻末の「典拠文献」に資料名を列挙するというのが基本的なスタイルです。

 ついでですから、この『近代日本総合年表』に出てくる乱歩の名前をチェックしておきましょう。索引には「江戸川アパート」と「江戸狂歌書目」にはさまれて乱歩の名があり、記載は四件。

1923(大正12)4. −
江戸川乱歩〈二銭銅貨〉(《新青年》). 2185
1926(大正15−昭和1)12. 8
江戸川乱歩〈一寸法師〉(《朝日》〜'27. 2. 20).
1935(昭和10)1. −
高垣眸〈怪傑黒頭巾〉,《少年倶楽部》に連載('36年1月, 江戸川乱歩〈怪人二十面相〉掲載).
1965(昭和40)7. 28
江戸川乱歩没(1894生, 70歳).

 大正12年に記された「2185」が依拠資料の番号で、巻末の「典拠文献」にあたるとこうあります。

2185
日本推理小説史 1(中島河太郎)

 一般的な年表における典拠の明示方法がこういうものであるのだとしても、ただ数字を書いておくだけではあまりにも曲がなさすぎる。とはいえ本文に資料名をだらだら附記していったのでは、なんだか野暮であるうえ無駄な紙幅も要してしまいます。たとえば普通の論文のごとく、本文のあとに、

 [中島河太郎 一九九三]

 と人名と発表年を入れていって巻末に依拠資料の一覧を掲げるという手もあるのですが、もっとおしゃれなスタイルはないものかしら。

 『江戸川乱歩年譜集成』を実際に編集するのは遠い未来、気が遠くなるほど先の話になりそうなのですから、いまごろからこんな思案を重ねる必要なんかはまるでなく、そんなひまがあったらとっとと第一段階の作業を進めるべきだということは百も承知の二百も合点ではあるのですが、なんですか妙に気になって気になって。

  本日のアップデート

 ▼2006年2月

 遠い記憶として 高原英理

 伝説のアンダーグラウンド雑誌「アドニス」を特集した「彷書月刊」3月号に掲載されました。巻頭におかれた堂本正樹さんのインタビューには、

 ──じつは、ぼくも乱歩さんに身体を触られたことがあるんです。

 みたいな告白もあってどきりとさせられますが、ここでは高原英理さんが男性同性愛という幻影を「遠い記憶」としてたどりつつ自己形成の過程(高原英理のできるまで、と申しますか)を語ったエッセイから、といっても出たばかりの雑誌からながながと引用するのは慎むべき行為でしょうから、ごく一部だけご紹介いたします。

 ただし私は、江戸川乱歩が『少年探偵団』で垣間見せる少年愛的視線に逸早く気づくような繊細さを持たず、彼の『乱歩打明け話』で「自分はかつて少年愛によって恋愛のすべてを消尽してしまった」という告白を読んでようやく、そのあたりの経緯が確認できたぼんくら者である。とはいえ、ほのめかしには鈍感な私だったが、乱歩が、ネガティブな装いながらストレートに男性同性愛を描いた唯一の小説である『孤島の鬼』の「可能性の中心」を見出すのは過たなかった自負がある。

 全文は「彷書月刊」3月号をお買い求めのうえお読みください。オフィシャルサイトはこちらになっておりますす。


 ■ 3月13日(月)
手抜きのお知らせ

 ああなんだか世界がぼーっとしている。本日は手抜きといたします。

  本日のアップデート

 ▼2005年2月

 大金塊 江戸川乱歩

 例のものです。出だしをどうぞ。

 小学校六年生の宮瀬不二夫君は、たったひとり、広いおうちにるす番をしていました。

 ではまたあした。


 ■ 3月14日(火)
引用の問題

 私は引用が大好きですから、『江戸川乱歩年譜集成』においてもおおいに引用しまくりたいと考えております。乱歩の文章から、あるいは乱歩のことが記された文章から、かぞえきれぬほどのフラグメントを寄せ集めてきて一幅のタペストリーを織りなしてみたいなと念じている次第です。

 牧野雅彦さんの平凡社新書『マックス・ウェーバー入門』は、購入しただけでまだ中身は読んでいないのですが、「あとがき」にはこんなことが記されています。

 ウェーバーのものに限らず、書かれたテキストがどんなに正確に読まれていないか、また正確に読むことがどんなに難しいことであるかを日頃から痛感していることもあって、論文などではウェーバーのテキストを丁寧に引用するようにしている。それで引用が長すぎると注文をつけられることもよくあるのだが、今回は新書ということもあり、思い切って引用は一切やめ、できるだけかみくだいて自分の言葉で紹介することにした。

 いやまったく、「書かれたテキストがどんなに正確に読まれていないか」というのは、とくに当節のインターネットにおいてすこぶる顕著な傾向でしょう。少し前にも話題にしたとおり、反語や逆説が通用しないのはいわずもがな、できるだけ誤解が生じないよう平明簡潔に記したつもりの文章から書いた本人の思いもかけない解釈がひきだされ(それをしも「解釈」と呼ぶべきか)、いくら正確を期した文章でもコピー&ペーストによって劣化をともないながら少しずつ変質させられてしまう。すべてのテキストは読者の誤読にむかってのみ開かれている、というヴァレリーの箴言がいまさらのごとく頭に浮かぶ次第ですが、文章ってのはなんかもう絶望的に無力なのではないか。

 いやいや、私は何をぼやいているのであろうか。こんなことぼやいてしまうのはおそらく「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の後遺症であって、ろくに文章を読む習慣もないような地元のばかを相手にしたおかげで唖然茫然憤然愕然、私は文章によって意思疎通を図ることの限界を痛感いたしましたし、ばかというのはじつにじつにたいしたもので、人の言論を平気で封殺したり弾圧したりしてしまえる。野呂昭彦さんとかおっしゃる三重県知事にしてからが自身に向けられた正当な批判を「雑音」だと切って捨ててしまうわ、二〇〇四伊賀びと委員会による言論封殺をあっさり普通にこともなく容認してしまうわで、ばかってのはじつに見あげたものだ、こーりゃ逆立ちしても勝てんわ、と観念してしまうことをくりかえしくりかえし経験すると、人は結局のところみずからの無力に逢着してしまうしかないということのようです。

 いや、そんなことはどうでもよろしい。私は引用の問題について語っているのであって、牧野さんが「ウェーバーのテキストを丁寧に引用するようにしている」とおっしゃるのと同じ意味で、すなわち作者と読者の双方に対する誠実さの表明として的確で丁寧な引用を旨とし、できれば引用のみによって『江戸川乱歩年譜集成』をつくりあげてしまいたいというのが私の念願なのですが、そんなことは実際には不可能でしょう。『江戸川乱歩年譜集成』一巻においては、当然のことながら引用よりも「できるだけかみくだいて自分の言葉で紹介する」私自身の文章のほうがはるかに多くなるであろうと推測されます。これがなんだか悩ましい。

  本日のアップデート

 ▼2004年9月

 ゴシックハート 高原英理

 えー、うっかり者でございます。あんぽんたんでございます。世間様にまともに顔向けのできぬいかれぽんちでございます。わんわん鳴けば犬も同然。「RAMPO Up-To-Date」に高原英理さんの『ゴシックハート』を記載するのを失念しておりました。まことにどうもあいすみません。

 刊行の時期がちょうどまあ、何といえばいいのか私のモチベーションがいちじるしく低下していたころのこととて、ついついうっかりしてしまい、当然記載してあるはずだと思いこんでおりましたのですが、ふと胸騒ぎをおぼえてあわてて確認してみましたところ、あろうことかあるまいことか、あにはからんや、あかんがなこれでは。

 いやお恥ずかしい。私にとっては日本推理作家協会賞評論その他の部門で『子不語の夢』ともども枕を並べて討ち死にしたという点でも印象深い本なのですが、おととい記しました「高原英理のできるまで」というフレーズの帰結ないしは達成、あるいは現状報告がこの一巻であるとお知らせしておきましょう。

 一巻のなかでは小説、絵画、音楽、漫画など多岐にわたるジャンルがいとも軽快に横断されているのですが、乱歩という作家は著者の視線がくりかえしそこに立ち戻ってゆく特権的な場を占めているらしく、随所にその名がちりばめられています。

 人外、残酷、猟奇といった視点はあえてはずして、人形を扱った章から乱歩の現代性、でなければ普遍性、いやもういっそ永遠性と呼んでもいいか、とにかくそのあたりについて述べられた一節をどうぞ。

 江戸川乱歩は典型的な人形愛を描く小説『人でなしの恋』を書いたが、随筆にも『人形』があり、そこでは次のように始めている。
 人間に恋はできなくとも、人形には恋ができる。人間はうつし世の影、人形こそ永遠の生物。という妙な考えが、昔から私の空想世界に巣食っている。
 やや大袈裟な逆説を弄するレトリックと思われるかも知れないが、自身の恋愛観を語った随筆『乱歩打明け話』で、現実の女性との性行為を伴う恋愛を「何だか不純な、したがってほんとうの恋でないような気がするのだ」と記した作者ならではの言葉と言える。

 引用部の後、乱歩は「バクのように夢ばかりたべて生きている時代はずれな人間にはふさわしいあこがれであろう」と続けた。なるほどこの随筆が発表された一九三一年当時「時代はずれ」と感じる向きもあったかも知れない。だが、映画『イノセンス』が公開され球体関節人形展が東京都現代美術館で開催される二〇〇四年に、これは最もふさわしい言葉ではないだろうか。

 えー、記載するのがすっかり遅くなってしまいまして、高原英理さんにお詫びを申しあげる次第です。今後ともよろしくお願いいたします。

 いやー、冷や汗冷や汗。


 ■ 3月15日(水)
『外地探偵小説集 上海篇』が出ました

 『探偵小説四十年』を一巻の日本探偵小説史としてながめた場合、そこに偏向や欠落を指摘するのはむしろ容易なことでしょう。そのひとつが、いわゆる外地への視線。たとえば「探偵作家の従軍」と題された章においても、「私の手元には全く資料が残っていないので」と従軍経験者に情報提供を依頼して稿をまとめているようなあんばいで、国策に進んで協力はしたけれどしょせん紅旗征戎わがことにあらず、乱歩にとって戦争はあくまでもうつし世のわずらいでしかなかったはずですから、正史たるべき記録にもどうしたって欠落が生じてしまう道理です。

 藤田知浩さんの編でこのほど上梓された『外地探偵小説集 上海篇』(せらび書房、本体2400円)は、松本泰から生島治郎まで、外地なるものがリアルであった時代を知る作家が東洋と西洋の混淆する魔都を舞台に描いた探偵小説八篇を収録。なかには初めて眼にする作家もあって、資料収集の労苦がしのばれますとともに、自身の知識の欠落を思い知らされたりもいたしました。

 これは異色のアンソロジーというにとどまらず、巨人乱歩の手が届かなかった領域に光をあて、乱歩版正史に修正を迫る一冊でもあることはいうまでもありません。2003年11月に出た満洲篇につづく第二弾となりますが、この悠揚迫らぬ刊行ペースこそは大陸的おおらかさそのものであろうと申しあげておきましょう。第三弾では南方がとりあげられるとのこと。大陸的のどかさで気長に待たれたし。

 『外地探偵小説集 上海篇』の詳細はこちらでどうぞ。

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 ▼2006年3月

 十九、「少年探偵江戸川乱歩全集 内容紹介」 北村薫

 2003年に出た北村薫さんの『詩歌の待ち伏せ』上下巻が文春文庫に入りました。タイトルには、

 ──詩歌はつねに待ち伏せしている。発見されるのを心待ちにしている。人がそれに気づかないだけで。

 みたいな含意があるのでしょうか。見えないところで待ち伏せしていた詩歌のさまざまを紹介してゆく試みがなされ、乱歩関連では光文社版少年探偵江戸川乱歩全集の巻末に収められていた内容紹介がとりあげられています。光文社の少年ものに親しんだ世代なら、

 ──ああ、なるほどな。

 と思わず膝を打ってしまうにちがいありません。

 町の本屋さんには、このシリーズが七、八冊置いてありました。お金をためて、月一冊買うのが楽しみでした。小学校低学年の頃です。

 本屋さんにあるだけ買ってしまうと、子供ですから、注文するということを知りません。他の本が読みたくてたまりません。そこで、宝物のリストのように眺めたのが、巻末にある、全巻の内容紹介でした。

 この紹介文は、子供心をつかむという点では、掛け値なしの傑作でした。

 北村さんが「中でも、忘れ難い」としていらっしゃるのが、「宇宙怪人」に出てくるところの、

 「キミ、フルエテイルネ」

 この言葉は私も怖いと思いました。むろん子供時代の話です。

 そういえば、と思いついてちょっと検索してみたら、すぐに引っかかってきましたので引いておきます。2001年8月19日、「小林文庫の新ゲストブック」に投稿した文章です。

おもに乱歩の少年ものについて その二
 ■古本まゆ様
 光文社の少年ものに収録された巻末の作品紹介、私もよく記憶しております。
 昨年十月、名張市で北村薫さんと宮部みゆきさんの「ミステリ対談」なるイベントが催され、対談のあとご両所が名張市立図書館にお立ち寄りくださったのですが、乱歩コーナーの書棚から光文社の少年ものをすっと抜き出した北村さんは、
 「これこれ、この巻末の作品紹介が怖いんだよね」
 と宮部さんに説明して、紹介文を声に出してお読みになりました。それは『宇宙怪人』の一節でした。

 《怪人は、もう二メートルほどのところへよってきました。銅仮面の、まっ黒な三日月がたの口が耳までさけてニヤニヤと笑っていました。なんともいえない、なまぐさいにおいがただよってきました。「キミ、フルエテイルネ」人間の声ではない言葉がきこえてきました。》

 この「キミ、フルエテイルネ」は、乱歩の少年ものを代表する名科白です。北村さんも印象深く記憶していらっしゃったようです。もっとも北村さんは、読みあげたあとで、
 「ね、怖いでしょ。実際読んでみると、たいしたことないんだけどね」
 と身も蓋もないことをつけ加えていらっしゃいましたが。

小林文庫の新ゲストブック 2001年07月01日〜2001年12月31日

 ■ 3月16日(木)
文体の問題

 検索エンジン Google に「ローカル」というカテゴリが新設されていて、「江戸川乱歩」を検索するとこんな画面が出てきます。全二百九十八件中のトップは、おかげさまで名張市立図書館ということになっております。第八位は二銭銅貨煎餅でおなじみの山本松寿堂で、名張市内からふたつのスポットがトップテン入りを果たしました。「江戸川乱歩 名張市」で検索した結果はこんなあんばい、好事の向きが名張を散策する際の道案内にもなってくれるかもしれません。

 さて、『江戸川乱歩年譜集成』の話題です。他人の文章の引用と自分の文章とをこきまぜて年譜の本文を綴ってゆくためには、年譜用の文体というものをひとつ発明しなければなりません。しかし、そんなことが私に可能か。

 思い出されるのは、脚註王村上裕徳さんの「脚註王の執筆日記【完全版】」における結びの文章です。そこには、

 ──もしかしたら、もとの文体に戻れんかもしれません。

 という不安が表明されておりました。脚註王によれば「硬い文章で書くのも実のところシンドイです。平岡正明さんが言うように、話すように書くというのが、イチバン楽な書き方になってしまったせいです。アタマの中では話し言葉で書いているため、ついつい饒舌になってしまいます」というのが脚註王の文体の秘密。しかしこの文体を自家薬籠中のものにしてしまうと、

 ──腹筋に力入れんで文章かくと、実にダジャクな作文にしかならんのがヨウわかりました。もしかしたら、もとの文体に戻れんかもしれません。

 ということになってしまうそうです。

 そしてこの脚註王の不安はそのまま、かつては実証狂でありただいまは年譜王である私のそれに重なってしまいます。いやまったく、毎朝毎朝こんなぐあいに、どこにも力を入れずにへらへらへらへら認知症の老人が口走るうわごとみたいな文章を垂れ流しているいまの私に、背筋を伸ばして年譜用の文体を編み出すなどという芸当が可能なのかどうか。

 ──もしかしたら、もとの文体に戻れんかもしれません。

 と自身の内的独白を文章化してみても、脚註王のそれと寸分たがわぬ文章になってしまっていることが私には恐ろしい。

  本日のアップデート

 ▼1980年11月

 シャーロックホームズの決め手 實吉達郎

 本日も少年もの関連。

 動物学者としてときどきテレビ番組でもお見かけする實吉達郎さん(って誰? とおっしゃる方は實吉さんのオフィシャルサイトへどうぞ)は、じつは著名なシャーロッキアンでもいらっしゃって、その蘊蓄を傾けた一冊が『シャーロックホームズの決め手』です。

 ホームズがもたらした影響にも筆が割かれており、乱歩でいえばベイカー・ストリート・イレギュラーズとチンピラ別働隊との関連などが説かれております。少年探偵団とチンピラ別働隊の階級性の差異に関する興味深い言及もあるのですが、これは寺山修司の発言を引用してのものですから横におくことにして、小林芳雄少年に関して述べられた「スーパーボーイ小林芳雄君」から引きましょう。

 いつもホームズの探偵事務所に詰めている利口で気のきいた、勇敢なビリー。足の丈夫な、目はしのするどい、役に立つメッセンジャー・ボーイのカートライト。この二人を足して二で割ると、もっとも理想的な「名探偵の少年助手」像ができあがる。たとえば、江戸川乱歩の創始した名探偵明智小五郎における小林芳雄。

 モーリス・ルブランはアルセーヌ・ルパン物語に登場させた「ヘルロック・ショルムス」において、ワトスンを気のきかない間のぬけた助手にしてしまった。ところがわが国のシャーロック・ホームズ物語の少年版作者の中の一人は、もっとひどいことをやっている。──ワトスンを少年助手にしてしまったのである。私はもう三〇年前くらいになるが、たしかに数篇読んだ覚えがある。

 「ワトスンは女であった」(レックス・スタウト)という奇説がある。私はこれも、むかし「蝶々殺人事件」(横溝正史)や「奇蹟のボレロ」(角田喜久雄)などが発表されたころ、「宝石」か「黒猫」か、そのあたりの探偵雑誌で、ワトスン女性説という珍説の紹介記事を読んだ記憶がある。──ひとつそのむこうを張って、超珍説「ワトスンは少年であった」をでっち上げるとしようか!……

 私は江戸川乱歩がカートライトやビリーをモデルにして、明智探偵事務所の少年助手小林君を創造したとはいわない。だが小林芳雄にはたしかにカートライトやビリーのイメージがあり、それを日本風にし、さらに江戸川好みの「修身的モラリティ」(前述)で仕上げたという印象がある。

 余談と見えるところまで省かずに引用したのはほかでもありません。乱歩ファンならば先刻お察しのとおり、ここに出てくる「ワトスン女性説という珍説の紹介記事」は乱歩が「黒猫」創刊号(昭和22年4月)に寄せた「ホームズの情人」であると推測される、ということを記したかったからであって、それがどうしたといわれてしまえばお答えのしようがないのですが、ことほどさように乱歩がわが国の探偵小説ファンにもたらした影響は、ファンそれぞれが自覚していないほどにも大きいものであったということになりましょうか。

 『シャーロックホームズの決め手』のことはもうずいぶんとはるかな昔、やはりシャーロッキアンでいらっしゃる平山雄一さんから教えていただき、實吉さんに手紙をお出しして一冊お譲りいただきました。遅ればせながら平山さんと實吉さんにお礼を申しあげる次第です。


 ■ 3月17日(金)
人称の問題

 3月1日付伝言でお知らせいたしました「RESPECT 田中徳三」、田中徳三さんの監督作品三十二本を一挙上映するロングラン映画祭の記事が朝日新聞オフィシャルサイトに掲載されました。

名張市在住 田中監督の32本上映
● 「悪名」銀幕に再び ●

 名張市在住の映画監督田中徳三さん(85)の監督作品32本が25日〜4月14日、大阪市西区の映画館「シネ・ヌーヴォ」で上映される。市川雷蔵や勝新太郎らの俳優とともに多くの映画を撮り、「悪名」シリーズなど多くの作品を残した田中監督の作品が、まとめてスクリーンで見られる機会は珍しい。

 田中さんはパンフレットを見つめながら、「どの作品も、限りない思い出があります」と懐かしそうに話す。1948年に大映京都撮影所監督部に入社。黒沢明ら巨匠監督の助監督として撮影を学んだ。衣装係に小道具、大道具係……。大映京都撮影所には数百人の職人たちが行き来していた。

 詳細は「シネ・ヌーヴォ」のオフィシャルサイトでどうぞ。

 さて、『江戸川乱歩年譜集成』の話題です。文体の問題にも関連してやはり悩ましいのは、いってみれば人称の問題です。人称代名詞の問題というべきでしょうか。つまり、引用ではない地の文に「私」を登場させることが可能かどうか。

 地の文となればいずれ執筆者の主観にもとづいて記されるわけですから、ときに「私」が、むろんそれは「筆者」であっても「編集子」であっても「ぼく」「あたい」「やつがれ」「おいどん」、どんな言葉であってもいいのですが、とにかく登場しなければならない局面が出てくるのではないか。むろん「私」という言葉を一度も使用せずに地の文を記すのはさして困難なことでもなく、たとえば『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』の脚註だって、あれだけ執筆者自身の主観が色濃く反映されていたにもかかわらず、脚註のどこにも「私」という言葉は出てこなかったと記憶します。

 しかし私は、はっきりいって「私」という言葉をつかってみたいわけです。登場させたくてうずうずしている。地の文に「私」が堂々と顔を出し、しかも読者にはわずかな違和感も与えない。そんな文章で年譜を綴ってみたいというのが私の念願なのですが、あまり「私」がでしゃばってしまうと年譜ではなくて評伝になってしまいます。じつに悩ましい話です。

  本日のアップデート

 ▼1978年7月

 解説 原作者と作品について 加納一朗

 本日も少年もの関連です。

 主婦の友社の TOMO コミックス名作ミステリー『黄金仮面』に収録されました。

 「漫画鳳凰殿」というサイトによれば、TOMO コミックス名作ミステリーは全三十巻。和洋中の傑作を厳選した陣容で、乱歩作品では「地獄の道化師」と「黄金仮面」の二作品が漫画化されていますが、ほかに日本人作家は「消えたプラチナ」の小酒井不木のみ。あとは「蜘蛛」あり「カリガリ博士」ありヴェルヌありポーありスチーブンソンあり、以下略しますのでこのページをご覧いただくことにして、なかなかのラインナップとなっております。

 『黄金仮面』は乱歩の原作を加納一朗さんが翻案し、北竜一朗さんが漫画化した一冊。むろん子供向けの本ですから解説も総ルビなのですが、ルビは省いて引用しましょう。

 江戸川乱歩の初期の作品は、トリックを主とした本格ものですが、しだいに幻想的な美を追求した作風に変わっていきました。一方、大衆雑誌に書かれた長編が、読者に熱狂的に迎えられたので、いまでもどちらかというと、そういうイメージが強いようですが、本質は、自分の内部の美を追求した耽美派(一九世紀末に盛んになった、美を最高の価値、ないし人生唯一の目的と考える文芸上の一派)の作家ということができます。

 子供を対象として乱歩という作家を説明するに際して、こんなぐあいに明確に「耽美派」と規定した例はまれなのではないでしょうか。というか、ほかにはにわかには思い浮かびません。あっぱれな解説であると思います。

 TOMO コミックス名作ミステリー『黄金仮面』に関しては長谷川泰久さんのご教示をかたじけなくしました。記して謝意を表します。


 ■ 3月18日(土)
文体と人称の問題

 本日もお知らせから。

 東京都港区高輪のギャラリーオキュルスで「ヘンリー・ミラー展──不埒で上等な遊び」が催されます。 I 期が3月22日から28日まで、II 期が5月8日から15日まで(の予定)。詳細はオフィシャルサイトこのページでどうぞ。八本正幸さんの「鏡の国のヘンリー・ミラー」も掲載されております。

 どうして乱歩には縁もゆかりもないヘンリー・ミラーのことなんか告知しておるのか、とお思いの方もいらっしゃるでしょうが(絶えて手にとることはないものの私自身はミラーが嫌いではなく、拙宅の書棚には『描くことは再び愛すること』もあるはずなのですが)、話は単純。ギャラリーオキュルスから(だと思うのですが)昨日、ミラー展の瀟洒なパンフレットをお送りいただいたからです。

 それにしても縁というのは不思議なもので、田中徳三さんのことを記した翌日に八本正幸さんの話題が出てくる。などと書いても何のことやらおわかりにならぬでしょうが、八本さんが以前「伝奇M」という雑誌に本邦伝奇映画のガイドをお寄せになり、田中監督の「鯨神」(むろん原作は宇能鴻一郎さん)を絶讃していらっしゃいましたので、私はうれしくなってその「伝奇M」を田中さんにお送りした、というただそれだけのことを思い出したというにすぎないのですが、奇しきえにしを感じないでもありません。

 私はもう何年か前、田中徳三監督にお会いしたおり、いちばんの自信作は何ですかと、こんな失礼なことがよく訊けたものだとわれながらあきれ返ってしまう質問を発したことがあるのですが、そのときの田中さんのお答えが「鯨神」でした。

 その次お会いしたときには、これまたよくもこんなことがといまでも冷や汗が出てくる始末なのですが、そこらのレンタルビデオ店でさがしてみたのだけれど「鯨神」はどこにもなかった、みたいなことを報告いたしましたところ(私という人間はどこまで無神経にできているのでしょうか。ほんとに冷や汗が出てきます)、田中さんは怒りもせずに「鯨神」のビデオを貸してくださいました。

 「鯨神」のビデオが見つけられなくてかわりに借りたのが「怪談雪女郎」という田中作品だったのですが、「鯨神」にも「怪談雪女郎」にも「悪名」とはちがった趣があって強く印象に残りました。25日に開幕する「RESPECT 田中徳三」のパンフレットでは田中さんが上映作品三十二本のすべてに短い自作評を寄せていらっしゃるのですが、順に読んでゆくとこの二本だけに「好きな作品の一つ」というコメントが附されています(「私としても代表作と自負している」とおっしゃるのはいうまでもなく「悪名」ですが)。それを知った私はわが意を得たような気分になり、それ以上にアルチザン田中徳三の作家的本質がかいま見えたような気にもなったものでした。まあ、どうでもいいような話ですけれど。

 さて、『江戸川乱歩年譜集成』の話題です。それにしてもほんとにどうする。

 ──もしかしたら、もとの文体に戻れんかもしれません。

 とつぶやき返した言葉が脚註王村上裕徳さんのものなのかそれとも自分自身のものなのか、そんなことすら判然とはしなくなっているいまの私に文体とさらには人称の問題をよく克服して『江戸川乱歩年譜集成』を執筆することができるのかどうか。

 腕組みしながらあすにつづきます。

  本日のアップデート

 ▼2003年12月

 乱歩ファン注目! 資料集第三弾が登場 小西昌幸

 自治労、正式名称全日本自治団体労働組合の中央機関紙「じちろう」に掲載されました。乱雑に積みあげてある大判封筒やクリアファイルのたぐいをぼちぼち整理していると、どこから何が出てくるかわからないというひそかな愉しみを味わうことができます。この「じちろう」もそのひとつ。

 一面トップには「新たな戦闘を生む/自衛隊派兵に反対し/イラク人による復興支援を」という見出しが躍っていて、ちょうどあのころのことであったのか、とうたた感慨にふける愉しみもあるわけなのですが、自衛隊のイラク派遣が世情を騒然とさせていたころにひっそりと刊行された名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブック3『江戸川乱歩著書目録』をご紹介いただいた記事です。

 推理小説愛好家にとって三重県の名張市立図書館は特別な存在になっている。同館は、江戸川乱歩の書誌資料集を刊行し続けているのだ。名張は乱歩生誕の地であり、当地には生誕記念碑や、作品名にちなんだせんべいやお酒もある。

 おかげさまでわが名張市立図書館もすっかり「特別な存在」となることができ、さらにはわが名張市そのものもなんだか妙に乱歩づいてきて、ああ、と頭を抱えたくなることが増えてきている次第なのですが(たとえば名張エジプト化事件を想起されたし)、なんとかめげずに生きてゆければ。

 小西昌幸さんにお礼を申しあげます。ていうか、記載が遅くなってしまって申し訳ありませんでした。こんなことばっかいってる最近の私ですけど。


 ■ 3月19日(日)
話芸の伝統に立ちて思う

 それにしても、しつこいようですけど、

 ──もしかしたら、もとの文体に戻れんかもしれません。

 というのはじつに恐ろしい言葉で、ここには私の心中にある不安が残りなくあらわにされているといっていいでしょう。リルケ風にいえば、他人の手で記された自分の作品、そんなものをまのあたりにしたような気さえしてくるほどです。

 脚註王村上裕徳さんの筆法は「話すように書く」ことを基本としている由ですが、この伝言板においては私もまたそうであって、私はなにしろこれまでの長い人生においてみずから進んで志した唯一の職業が漫才作家だったというなさけない人間ですから、自身を話芸の伝統に位置づけるのはきわめて当然。しかも漫才作家になろうとして挫折したみじめな体験をもつ人間でもあるのですから、ついえた夢をネット上で実現しようとする人間のさもしさ浅ましさもついてまわります。

 漫才といえば、私は1月の下旬、大阪で催されたさる大宴会に出席したのですが、そのおり向かいにはひとりの女性が着席なさいました。聞けば創作サポートセンターなるところにお勤めで、何をサポートしていらっしゃるのかお訊きしてみてさあびっくり。そこは要するに小説の書き方を教えてくれるところであるらしいのですが、私がびっくりしたのはそんなことではさらさらなく、そのセンターが大阪シナリオ学校の小説講座がスピンオフしたものであるという一事でした。

 じつは私は大阪シナリオ学校のOBでして、と打ち明けると、前の席の女性はたいそう驚いていらっしゃいました。

 みたいなことを書くために創作サポートセンターのオフィシャルサイトを閲覧してみたところ、サイト内のブログを担当していらっしゃるのがその方だとわかりました。当日の記事には私も登場しておりますので、関連部分をちょこっと引きます。

小説と関係がある休日(眉村先生、探偵講談)
たまたま私の席の前に座られたNさん。なんと大阪シナリオ学校の「演芸台本科」の1期生か2期生だったらしい(30年前である)。以前、知り合いのコピーライターとたまたま話をしてたら、その人も1期生だったとわかって驚いたことがある。どうも1期生は、50人ほどいたらしいのだが、放送作家としてプロになった人も多いが、いろんな分野で活躍している人も多いようだな。きっと面白そうなクラスだったのだなあ。
楽しい小説講座 2006/01/26

 ここに出てくる「Nさん」が私であるということは、よほど決定的なばかでないかぎり容易に察しがつくはずです。それにしてもただの「Nさん」でよかった。「酔っぱらいのNさん」だの「女性にだらしないNさん」だの、よけいな修飾がなくてほんとによかった。

 胸をなでおろしながら説明をつづけますと、私は青雲の志を抱いて大阪シナリオ学校演芸台本科の門をくぐったのですが、いやいや、大阪シナリオ学校には校舎と名のつくものはなく、大阪市内のなんとか勤労会館とかかんとか労働会館とか、そんなような施設の一室を借りて授業が進められていたのですから門などはどこにもなかった。しかし比喩として私はその見えない門をくぐり、漫才作家への道を歩みはじめました。漫才の台本なんて人から教わらなくてもいくらでも書けるとみずから恃むところはあったのですが、いわゆる伝(この場合は「伝」と書いて「つて」とお読みいただきたい)を求める気持ちがあったわけです。

 演芸台本科には先輩がおりましたから、私は第一期ではなくたぶん第二期の生徒であったと思われます。わずか一期でも期がちがうとなると先輩に会える機会はなく(きちがいじゃから仕方がない)、それでもたとえば忘年会やなんかでお会いすることはあったのでしょう、記憶の片隅には何人かの先輩の名前が残っておりましたので、前の席の女性に思いつくままその名をあげてみたところ、どの先輩も関西の放送界や演芸界でご活躍であることが知れました。

 私は斜め前におすわりだったMさん(Mは「眉村」の頭文字です)に思わず、

 「いやー、みなさん出世してはります。私はすっかり道を踏みはずしてしまいましたけど」

 と肩を落として打ち明けましたところ、正面の女性の方は、

 「いいえ、いまのほうが絶対正解だったと思います」

 とやさしく慰めてくれたものでしたっけ。

 閑話休題。ことほどさように私は話芸の伝統に立つ人間であり、もっと大きくいうならばそのかみの神事に発して歌謡化や芸能化の道をたどったたとえば歌祭文やでろれん祭文などと呼ばれる技芸の流れに立っているのではないかと考察されぬでもないのですが、ともあれそういう人間なのですから脚註王と同じ「話すように書く」骨法を全開にしてしまったらとどめというものがなくなります。しかもすでにしてほれこのとおり、日々ほぼ全開のありさまですし。

 ──もしかしたら、もとの文体に戻れんかもしれません。

 と、私はいまやもう泣きたいような気分で思い返しているわけなんです。

  本日のアップデート

 ▼2001年8月

 江戸川乱歩資料集 11

 私家版の冊子です。タイトルどおり乱歩の関連資料が収集されております。この手の出版物は厳密にいえば著作権の問題に抵触してしまうかもしれないのですが、マニアが手づくりした私家版であって商品として流通しているわけでもないのですから大目に見てさしあげていただければと思います。

 月曜書房版シャーロック・ホームズ全集の雑誌広告なんてものも収録されていて、そこに乱歩の推薦文を見ることができます。掲載誌は不明なのですが、当サイト「江戸川乱歩執筆年譜」では全集の配本が開始された昭和26年10月に増補しておきました。

 その推薦文を引いておきます。むろん実際に乱歩が執筆したものかどうかは不明なのですが。

江戸川乱歩氏…ドイル訳者として定評ある延原謙君の決定版を出すということは欣快にたえない。探偵作家クラブとしても、私個人としてもこの全集には出来る限りの

 あやうく全文を写してしまいそうになりましたが、著作権の問題がありますので寸止めいたしました。


 ■ 3月20日(月)
おはようございます

 本日は何もありません。精も根もつきはてております。

  本日のアップデート

 ▼2005年2月

 青銅の魔人 江戸川乱歩

 例のものです。ポプラ社です。結びです。

 名探偵明智小五郎と、少年助手小林の名声は、いよいよ高く、それにつれて、あのチンピラ別働隊の手がらも、大きく新聞にのり、十六人のチンピラどもが肩をくんで笑っている、むじゃきな写真が、どの新聞にも出たものですから、その評判はたいへんなものでした。

 そして、このチンピラ少年たちは、そのうち、明智探偵の世話で、あるものは学校にはいり、あるものは職業につき、それぞれ、幸福な身のうえになったということです。

 私も早く幸福な身のうえになりたいものだと思います。