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2006年3月中旬
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『江戸川乱歩年譜集成』編纂作業の第一段階を無事にクリアできた、つまり『探偵小説四十年』の記載事項をきれいに年表化できたとしてみましょう。そのあとの第二段階では、きのうも記しましたとおり『探偵小説四十年』以外の乱歩の文章と他人によって書き残された乱歩の記録とを年表にとりこんでゆく作業を進めなければなりません。 乱歩の文章はまだいいとして、乱歩以外の人間が書いた文章を博捜するのは結構骨の折れる作業でしょう。むろん私には『乱歩文献データブック』を編纂した輝かしい実績があるのですが、そして編纂直後であれば頭のなかには乱歩文献のデータが、つまり乱歩に関して誰がいつどこにどんなことを書いていたかみたいなことは整然と明瞭に奇蹟のごとく記憶されていたのですが、編纂が終わってからはや九年(もう九年もたつのか。指折りかぞえて確認してもやはり九年が経過したことになります。いやはや)、いまや記憶はひとえに風の前の塵に同じ、すっかり散じはてて前世のそれのような曖昧さでしかありません。 しかしその問題もクリアできたとしましょう。乱歩が書いたものであれそうでないものであれ、世にある文章のなかから乱歩について書かれたものをすべて洗い出し(そんなことはもちろん不可能なのですが)、それを年表の形に体系化することができた。ここで気になるのが典拠を示す方法です。記載事項のそれぞれがどんな資料に拠っているのか、それを示さない年表なんて屁でもありません。 私が常用している年表のひとつが平凡社の『年表日本歴史』なのですが、本文には原則としてすべて出典が明記されています。古代であれば記載事項につづけて、 (薬師寺縁起) みたいな感じで資料名があげられているのですが、近現代となると典拠が膨大になりますから本文にいちいち記しているわけにはゆかず、依拠資料に番号をつけて本文ではその番号を示すという手法が採用されています。 三重県の無能と怠慢とを満天下に知らしめた官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」でどぶに捨てられた血税三億円のうちの五百五十万円のまたそのうちの、いやそんなお金の出どころの話はどうでもいいのですけれど、そして『江戸川乱歩年譜集成』編纂のための不可欠のツールということでもないのですけれど、なんかモチベーションが高まるかも、とか思ってふらふら購入してしまった岩波書店の『近代日本総合年表』第四版でも、典拠文献の記載にはかなりの工夫が見られますものの、本文では番号で出典を示しておいて巻末の「典拠文献」に資料名を列挙するというのが基本的なスタイルです。 ついでですから、この『近代日本総合年表』に出てくる乱歩の名前をチェックしておきましょう。索引には「江戸川アパート」と「江戸狂歌書目」にはさまれて乱歩の名があり、記載は四件。
大正12年に記された「2185」が依拠資料の番号で、巻末の「典拠文献」にあたるとこうあります。
一般的な年表における典拠の明示方法がこういうものであるのだとしても、ただ数字を書いておくだけではあまりにも曲がなさすぎる。とはいえ本文に資料名をだらだら附記していったのでは、なんだか野暮であるうえ無駄な紙幅も要してしまいます。たとえば普通の論文のごとく、本文のあとに、 [中島河太郎 一九九三] と人名と発表年を入れていって巻末に依拠資料の一覧を掲げるという手もあるのですが、もっとおしゃれなスタイルはないものかしら。 『江戸川乱歩年譜集成』を実際に編集するのは遠い未来、気が遠くなるほど先の話になりそうなのですから、いまごろからこんな思案を重ねる必要なんかはまるでなく、そんなひまがあったらとっとと第一段階の作業を進めるべきだということは百も承知の二百も合点ではあるのですが、なんですか妙に気になって気になって。
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ああなんだか世界がぼーっとしている。本日は手抜きといたします。
ではまたあした。 |
私は引用が大好きですから、『江戸川乱歩年譜集成』においてもおおいに引用しまくりたいと考えております。乱歩の文章から、あるいは乱歩のことが記された文章から、かぞえきれぬほどのフラグメントを寄せ集めてきて一幅のタペストリーを織りなしてみたいなと念じている次第です。 牧野雅彦さんの平凡社新書『マックス・ウェーバー入門』は、購入しただけでまだ中身は読んでいないのですが、「あとがき」にはこんなことが記されています。
いやまったく、「書かれたテキストがどんなに正確に読まれていないか」というのは、とくに当節のインターネットにおいてすこぶる顕著な傾向でしょう。少し前にも話題にしたとおり、反語や逆説が通用しないのはいわずもがな、できるだけ誤解が生じないよう平明簡潔に記したつもりの文章から書いた本人の思いもかけない解釈がひきだされ(それをしも「解釈」と呼ぶべきか)、いくら正確を期した文章でもコピー&ペーストによって劣化をともないながら少しずつ変質させられてしまう。すべてのテキストは読者の誤読にむかってのみ開かれている、というヴァレリーの箴言がいまさらのごとく頭に浮かぶ次第ですが、文章ってのはなんかもう絶望的に無力なのではないか。 いやいや、私は何をぼやいているのであろうか。こんなことぼやいてしまうのはおそらく「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の後遺症であって、ろくに文章を読む習慣もないような地元のばかを相手にしたおかげで唖然茫然憤然愕然、私は文章によって意思疎通を図ることの限界を痛感いたしましたし、ばかというのはじつにじつにたいしたもので、人の言論を平気で封殺したり弾圧したりしてしまえる。野呂昭彦さんとかおっしゃる三重県知事にしてからが自身に向けられた正当な批判を「雑音」だと切って捨ててしまうわ、二〇〇四伊賀びと委員会による言論封殺をあっさり普通にこともなく容認してしまうわで、ばかってのはじつに見あげたものだ、こーりゃ逆立ちしても勝てんわ、と観念してしまうことをくりかえしくりかえし経験すると、人は結局のところみずからの無力に逢着してしまうしかないということのようです。 いや、そんなことはどうでもよろしい。私は引用の問題について語っているのであって、牧野さんが「ウェーバーのテキストを丁寧に引用するようにしている」とおっしゃるのと同じ意味で、すなわち作者と読者の双方に対する誠実さの表明として的確で丁寧な引用を旨とし、できれば引用のみによって『江戸川乱歩年譜集成』をつくりあげてしまいたいというのが私の念願なのですが、そんなことは実際には不可能でしょう。『江戸川乱歩年譜集成』一巻においては、当然のことながら引用よりも「できるだけかみくだいて自分の言葉で紹介する」私自身の文章のほうがはるかに多くなるであろうと推測されます。これがなんだか悩ましい。
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『探偵小説四十年』を一巻の日本探偵小説史としてながめた場合、そこに偏向や欠落を指摘するのはむしろ容易なことでしょう。そのひとつが、いわゆる外地への視線。たとえば「探偵作家の従軍」と題された章においても、「私の手元には全く資料が残っていないので」と従軍経験者に情報提供を依頼して稿をまとめているようなあんばいで、国策に進んで協力はしたけれどしょせん紅旗征戎わがことにあらず、乱歩にとって戦争はあくまでもうつし世のわずらいでしかなかったはずですから、正史たるべき記録にもどうしたって欠落が生じてしまう道理です。 藤田知浩さんの編でこのほど上梓された『外地探偵小説集 上海篇』(せらび書房、本体2400円)は、松本泰から生島治郎まで、外地なるものがリアルであった時代を知る作家が東洋と西洋の混淆する魔都を舞台に描いた探偵小説八篇を収録。なかには初めて眼にする作家もあって、資料収集の労苦がしのばれますとともに、自身の知識の欠落を思い知らされたりもいたしました。 これは異色のアンソロジーというにとどまらず、巨人乱歩の手が届かなかった領域に光をあて、乱歩版正史に修正を迫る一冊でもあることはいうまでもありません。2003年11月に出た満洲篇につづく第二弾となりますが、この悠揚迫らぬ刊行ペースこそは大陸的おおらかさそのものであろうと申しあげておきましょう。第三弾では南方がとりあげられるとのこと。大陸的のどかさで気長に待たれたし。 『外地探偵小説集 上海篇』の詳細はこちらでどうぞ。
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検索エンジン Google に「ローカル」というカテゴリが新設されていて、「江戸川乱歩」を検索するとこんな画面が出てきます。全二百九十八件中のトップは、おかげさまで名張市立図書館ということになっております。第八位は二銭銅貨煎餅でおなじみの山本松寿堂で、名張市内からふたつのスポットがトップテン入りを果たしました。「江戸川乱歩 名張市」で検索した結果はこんなあんばい、好事の向きが名張を散策する際の道案内にもなってくれるかもしれません。 さて、『江戸川乱歩年譜集成』の話題です。他人の文章の引用と自分の文章とをこきまぜて年譜の本文を綴ってゆくためには、年譜用の文体というものをひとつ発明しなければなりません。しかし、そんなことが私に可能か。 思い出されるのは、脚註王村上裕徳さんの「脚註王の執筆日記【完全版】」における結びの文章です。そこには、 ──もしかしたら、もとの文体に戻れんかもしれません。 という不安が表明されておりました。脚註王によれば「硬い文章で書くのも実のところシンドイです。平岡正明さんが言うように、話すように書くというのが、イチバン楽な書き方になってしまったせいです。アタマの中では話し言葉で書いているため、ついつい饒舌になってしまいます」というのが脚註王の文体の秘密。しかしこの文体を自家薬籠中のものにしてしまうと、 ──腹筋に力入れんで文章かくと、実にダジャクな作文にしかならんのがヨウわかりました。もしかしたら、もとの文体に戻れんかもしれません。 ということになってしまうそうです。 そしてこの脚註王の不安はそのまま、かつては実証狂でありただいまは年譜王である私のそれに重なってしまいます。いやまったく、毎朝毎朝こんなぐあいに、どこにも力を入れずにへらへらへらへら認知症の老人が口走るうわごとみたいな文章を垂れ流しているいまの私に、背筋を伸ばして年譜用の文体を編み出すなどという芸当が可能なのかどうか。 ──もしかしたら、もとの文体に戻れんかもしれません。 と自身の内的独白を文章化してみても、脚註王のそれと寸分たがわぬ文章になってしまっていることが私には恐ろしい。
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3月1日付伝言でお知らせいたしました「RESPECT 田中徳三」、田中徳三さんの監督作品三十二本を一挙上映するロングラン映画祭の記事が朝日新聞オフィシャルサイトに掲載されました。
詳細は「シネ・ヌーヴォ」のオフィシャルサイトでどうぞ。 さて、『江戸川乱歩年譜集成』の話題です。文体の問題にも関連してやはり悩ましいのは、いってみれば人称の問題です。人称代名詞の問題というべきでしょうか。つまり、引用ではない地の文に「私」を登場させることが可能かどうか。 地の文となればいずれ執筆者の主観にもとづいて記されるわけですから、ときに「私」が、むろんそれは「筆者」であっても「編集子」であっても「ぼく」「あたい」「やつがれ」「おいどん」、どんな言葉であってもいいのですが、とにかく登場しなければならない局面が出てくるのではないか。むろん「私」という言葉を一度も使用せずに地の文を記すのはさして困難なことでもなく、たとえば『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』の脚註だって、あれだけ執筆者自身の主観が色濃く反映されていたにもかかわらず、脚註のどこにも「私」という言葉は出てこなかったと記憶します。 しかし私は、はっきりいって「私」という言葉をつかってみたいわけです。登場させたくてうずうずしている。地の文に「私」が堂々と顔を出し、しかも読者にはわずかな違和感も与えない。そんな文章で年譜を綴ってみたいというのが私の念願なのですが、あまり「私」がでしゃばってしまうと年譜ではなくて評伝になってしまいます。じつに悩ましい話です。
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本日もお知らせから。 東京都港区高輪のギャラリーオキュルスで「ヘンリー・ミラー展──不埒で上等な遊び」が催されます。 I 期が3月22日から28日まで、II 期が5月8日から15日まで(の予定)。詳細はオフィシャルサイトのこのページでどうぞ。八本正幸さんの「鏡の国のヘンリー・ミラー」も掲載されております。 どうして乱歩には縁もゆかりもないヘンリー・ミラーのことなんか告知しておるのか、とお思いの方もいらっしゃるでしょうが(絶えて手にとることはないものの私自身はミラーが嫌いではなく、拙宅の書棚には『描くことは再び愛すること』もあるはずなのですが)、話は単純。ギャラリーオキュルスから(だと思うのですが)昨日、ミラー展の瀟洒なパンフレットをお送りいただいたからです。 それにしても縁というのは不思議なもので、田中徳三さんのことを記した翌日に八本正幸さんの話題が出てくる。などと書いても何のことやらおわかりにならぬでしょうが、八本さんが以前「伝奇M」という雑誌に本邦伝奇映画のガイドをお寄せになり、田中監督の「鯨神」(むろん原作は宇能鴻一郎さん)を絶讃していらっしゃいましたので、私はうれしくなってその「伝奇M」を田中さんにお送りした、というただそれだけのことを思い出したというにすぎないのですが、奇しきえにしを感じないでもありません。 私はもう何年か前、田中徳三監督にお会いしたおり、いちばんの自信作は何ですかと、こんな失礼なことがよく訊けたものだとわれながらあきれ返ってしまう質問を発したことがあるのですが、そのときの田中さんのお答えが「鯨神」でした。 その次お会いしたときには、これまたよくもこんなことがといまでも冷や汗が出てくる始末なのですが、そこらのレンタルビデオ店でさがしてみたのだけれど「鯨神」はどこにもなかった、みたいなことを報告いたしましたところ(私という人間はどこまで無神経にできているのでしょうか。ほんとに冷や汗が出てきます)、田中さんは怒りもせずに「鯨神」のビデオを貸してくださいました。 「鯨神」のビデオが見つけられなくてかわりに借りたのが「怪談雪女郎」という田中作品だったのですが、「鯨神」にも「怪談雪女郎」にも「悪名」とはちがった趣があって強く印象に残りました。25日に開幕する「RESPECT 田中徳三」のパンフレットでは田中さんが上映作品三十二本のすべてに短い自作評を寄せていらっしゃるのですが、順に読んでゆくとこの二本だけに「好きな作品の一つ」というコメントが附されています(「私としても代表作と自負している」とおっしゃるのはいうまでもなく「悪名」ですが)。それを知った私はわが意を得たような気分になり、それ以上にアルチザン田中徳三の作家的本質がかいま見えたような気にもなったものでした。まあ、どうでもいいような話ですけれど。 さて、『江戸川乱歩年譜集成』の話題です。それにしてもほんとにどうする。 ──もしかしたら、もとの文体に戻れんかもしれません。 とつぶやき返した言葉が脚註王村上裕徳さんのものなのかそれとも自分自身のものなのか、そんなことすら判然とはしなくなっているいまの私に文体とさらには人称の問題をよく克服して『江戸川乱歩年譜集成』を執筆することができるのかどうか。 腕組みしながらあすにつづきます。
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それにしても、しつこいようですけど、 ──もしかしたら、もとの文体に戻れんかもしれません。 というのはじつに恐ろしい言葉で、ここには私の心中にある不安が残りなくあらわにされているといっていいでしょう。リルケ風にいえば、他人の手で記された自分の作品、そんなものをまのあたりにしたような気さえしてくるほどです。 脚註王村上裕徳さんの筆法は「話すように書く」ことを基本としている由ですが、この伝言板においては私もまたそうであって、私はなにしろこれまでの長い人生においてみずから進んで志した唯一の職業が漫才作家だったというなさけない人間ですから、自身を話芸の伝統に位置づけるのはきわめて当然。しかも漫才作家になろうとして挫折したみじめな体験をもつ人間でもあるのですから、ついえた夢をネット上で実現しようとする人間のさもしさ浅ましさもついてまわります。 漫才といえば、私は1月の下旬、大阪で催されたさる大宴会に出席したのですが、そのおり向かいにはひとりの女性が着席なさいました。聞けば創作サポートセンターなるところにお勤めで、何をサポートしていらっしゃるのかお訊きしてみてさあびっくり。そこは要するに小説の書き方を教えてくれるところであるらしいのですが、私がびっくりしたのはそんなことではさらさらなく、そのセンターが大阪シナリオ学校の小説講座がスピンオフしたものであるという一事でした。 じつは私は大阪シナリオ学校のOBでして、と打ち明けると、前の席の女性はたいそう驚いていらっしゃいました。 みたいなことを書くために創作サポートセンターのオフィシャルサイトを閲覧してみたところ、サイト内のブログを担当していらっしゃるのがその方だとわかりました。当日の記事には私も登場しておりますので、関連部分をちょこっと引きます。
ここに出てくる「Nさん」が私であるということは、よほど決定的なばかでないかぎり容易に察しがつくはずです。それにしてもただの「Nさん」でよかった。「酔っぱらいのNさん」だの「女性にだらしないNさん」だの、よけいな修飾がなくてほんとによかった。 胸をなでおろしながら説明をつづけますと、私は青雲の志を抱いて大阪シナリオ学校演芸台本科の門をくぐったのですが、いやいや、大阪シナリオ学校には校舎と名のつくものはなく、大阪市内のなんとか勤労会館とかかんとか労働会館とか、そんなような施設の一室を借りて授業が進められていたのですから門などはどこにもなかった。しかし比喩として私はその見えない門をくぐり、漫才作家への道を歩みはじめました。漫才の台本なんて人から教わらなくてもいくらでも書けるとみずから恃むところはあったのですが、いわゆる伝(この場合は「伝」と書いて「つて」とお読みいただきたい)を求める気持ちがあったわけです。 演芸台本科には先輩がおりましたから、私は第一期ではなくたぶん第二期の生徒であったと思われます。わずか一期でも期がちがうとなると先輩に会える機会はなく(きちがいじゃから仕方がない)、それでもたとえば忘年会やなんかでお会いすることはあったのでしょう、記憶の片隅には何人かの先輩の名前が残っておりましたので、前の席の女性に思いつくままその名をあげてみたところ、どの先輩も関西の放送界や演芸界でご活躍であることが知れました。 私は斜め前におすわりだったMさん(Mは「眉村」の頭文字です)に思わず、 「いやー、みなさん出世してはります。私はすっかり道を踏みはずしてしまいましたけど」 と肩を落として打ち明けましたところ、正面の女性の方は、 「いいえ、いまのほうが絶対正解だったと思います」 とやさしく慰めてくれたものでしたっけ。 閑話休題。ことほどさように私は話芸の伝統に立つ人間であり、もっと大きくいうならばそのかみの神事に発して歌謡化や芸能化の道をたどったたとえば歌祭文やでろれん祭文などと呼ばれる技芸の流れに立っているのではないかと考察されぬでもないのですが、ともあれそういう人間なのですから脚註王と同じ「話すように書く」骨法を全開にしてしまったらとどめというものがなくなります。しかもすでにしてほれこのとおり、日々ほぼ全開のありさまですし。 ──もしかしたら、もとの文体に戻れんかもしれません。 と、私はいまやもう泣きたいような気分で思い返しているわけなんです。
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本日は何もありません。精も根もつきはてております。
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