2007年1月下旬
21日 便器の工事はじまります 江戸川乱歩と日本探偵作家クラブの賑やかな酒宴
22日 まだまだ出てくる 田村隆一ミステリーの料理事典
23日 「名張まちなかナビ」は本日発行です 江戸川乱歩が描いた幻影の銀座
24日 はっきりいって大好評です 【伊賀】 乱歩の視点でまち散策して
25日 さて先生のおうちでは 絵がコワくて触れない講談社版江戸川乱歩
26日 先生のお言葉 仮面の恐怖王
27日 先生は落ち着かない 日本のミステリー史と、「本格」発想の意義
29日 便器が部屋にやってきた 江戸川乱歩
30日 高校生がやってるお店めでたく開店 名張まちなかナビ
31日 総会資料をいまごろ見てみた 解説
 ■1月21日(日)
便器の工事はじまります 

 連絡というのはたてつづけに舞い込むもののようで、名張まちなか再生委員会のあと今度は大工さんからの連絡が入りました。去年のうちに終わっている予定だったのに延び延びになっていた便器設置工事、あしたスタートだそうです。なんか急な話である。

 現在の状況はこんなぐあいで──

 これが書斎に隣接する元暗室の内部です。この整理棚だの段ボール箱だのが置いてあるところに便器が据えつけられることになります。

 さあお片づけしなくっちゃ。

  本日のアップデート

 ▼2004年10月

 江戸川乱歩と日本探偵作家クラブの賑やかな酒宴

 「醸界春秋」という雑誌に掲載されました。いわゆる業界誌です。業界の人以外にはあまり眼にする機会もないものですが、関連業界の方からコピーをお送りいただきました。そのままどこかに埋もれていたのが資料整理で出てまいりましたので、遅ればせながら「RAMPO Up-To-Date」に記載いたしました。

 「酒」という雑誌の編集長だった佐々木久子さんのインタビューをまとめた「佐々木久子の冥界文壇酒話」の第九回。この年8月に開かれた「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」や乱歩の業績などが紹介されたあと──

 ──江戸川乱歩は本名・平井太郎。明治二四年十月二十一日に三重県名張市で生まれていますね。〔引用者註:乱歩の生年は明治27年です〕

 佐々木久子「生きていたら、今年には何歳になるのかしら?」

 ──百十歳ですね。乱歩先生との思い出は?

 「そうねぇ、江戸川乱歩さんの思い出は…。そうこれ、昭和三一年の『酒徒番付』があるでしょう。これが『酒徒番付』の一番最初なんですね。江戸川乱歩さんは、これよ! 勝負検査役です」

 ──勝負検査役というのは?

 「作家がどの店で飲んでいるか。どんな飲み方をしているか。女の子に囲まれて飲むのが好きか、『女』と『酒』ですね。それとも一人でお酒だけを飲んでいるのが好きか見届ける役なわけですよ、検査役は」

 ──すると、そうとう酒場に行っていますね。

 「とにかく純文学の作家は貧乏だったのよ。それにひきかえ探偵小説、いまの推理小説の作家はみんなお金持ちでしたね。だから『日本探偵作家クラブ』の面々、江戸川乱歩、横溝正史、高木彬光、角田喜久雄、大下宇陀児などは、とにかく仲が良くて、銀座で『土曜会』をしていましたから、よく酒場に顔を出していました。『土曜会』が発展して『日本探偵作家クラブ』になり、昭和三八年に『日本推理作家協会』になったんです」

 ──銀座では、どういうお店に?

 「当時の一流の店『おそめ』と『エスポワール』でしたね。トヨタの重役の方が亡くなられ、その奥さんが経営していた『げん』とか。

 江戸川乱歩さんは、先代の中村勘三郎さんのすごいご贔屓だったんです。松竹の切符をたくさん買って上げていましたからね。私達にも切符をくれるんです。そうとうな枚数でした。その勘三郎さんの奥さんが銀座でバーを開いていました。いまの女優・波乃久里子さんのお母さんです。六代目菊五郎の娘さんですね。乱歩先生は昭和三〇年代ですが、大勢引き連れてその店へ毎月顔を出していました。そうとうお金を使ったでしょう。歌舞伎界の人は、みなさんが思うほどお金はないのです。襲名披露など莫大なお金が掛かりますから、松竹が肩代わりして払いますが、交際費がすごく掛かるんです」


 ■1月22日(月)
まだまだ出てくる 

 まいった。お片づけしていたらいままで陰になって見えなかったところからまたコピーの山が(山といってしまってはおおげさですが)出てきました。「探偵倶楽部」に掲載された乱歩の随筆のコピーとか、「話の特集」の乱歩特集のコピーとか、東宝ミュージカル「パノラマ島奇談」パンフレットのコピーとか、珍しいところでは桝田医院第二病棟に建つ江戸川乱歩生誕地碑に刻まれた「幻影城」という文字の拓本のコピーとか、それからまたあんな人こんな人によるさまざまな乱歩文献のコピーとか。

 いやほんとまいったなあ。茫然としてしまう。

  本日のフラグメント

 ▼1984年7月

 田村隆一ミステリーの料理事典 田村隆一

 これもまいった。資料整理で出てきたコピーをなんとなく読んでおりましたところ、『田村隆一ミステリーの料理事典』という本に乱歩のことが書かれていて、カーの「魔の森の家」を乱歩が翻訳したとき作者名より訳者名のほうを小さく掲載したので編集者だった田村隆一は乱歩から叱られた、みたいなこともわかって面白い、といったことが記されておりましたのでさっそく新春購入古書第三弾と洒落込みました。

 届きましたので「乱歩文献データブック」を増補しようと1984年のページを開いてみたら、『田村隆一ミステリーの料理事典』のことがちゃんと書かれているではありませんか。それはそうでしょう。いくら不備の多い目録であるとはいえ、さすがにこの本を見落とすような失態を私が演じていたはずはないのである。しかしすっかり忘れていたのですからばか。私ってばか。

 それでいまあらためて、『乱歩文献データブック』ではなく『江戸川乱歩年譜集成』の編纂者として第一章の「3 江戸川乱歩先生のこと」に眼を通してみますと、おッ、と思わず声を出してしまうような箇所が発見されます。「シェフの料理日記(昭和二九年)」というコラムふうの短い記載があって、そこにこんなことが書かれている。

 ──一月十四日、早川書房出社。十二時、光雄君大塚に来り、二人で乱歩氏訪問。氏、胃腸を害し、面会出来ず。

 昭和29年1月14日、乱歩はお腹をこわしていた。これは貴重な証言であると思われます。

 それでせっかく買ったのですから『田村隆一ミステリーの料理事典』からフラグメントを引いておくことにして、きのうからのつながりでこういったあたりを。

──“パンのため”にお世話になった方の一人として江戸川乱歩さんは忘れられませんね。

田村 江戸川先生は懐かしい方です。本名は平井太郎と言いましてね。

 江戸川先生のお宅は池袋で、ぼくは大塚ですから、場所も近い。我々若い者をあちこちへ連れて歩いてくれました。「田村君、これから池之端へ行こう!」なんて調子でね。それから、よく銀座まで足を伸ばしましたよ。ちょうど、「おそめ」とか「エスポワール」なんて店が全盛の時代でしてね。いろいろ勉強させてもらいました。

 ぼくは独身だからよかったけど、江戸川先生は大変でしたよ。帰宅が遅れて、午前二時過ぎると、奥様に朝になるまで正座を命じられる。ありゃ、先生もつらかったでしょう。

 こういう伝説はたしかにあったようです。乱歩は門限を破ると奥さんから正座を命じられるそうな、みたいな。田村隆一は「朝になるまで」としていますけれど、ほかには門限をオーバーした時間だけ正座させられる、つまり二時間オーバーなら二時間正座、といった説もまことしやかに囁かれていたと記憶します。

 それであれはおととしのことでしたか、たまたま機会がありましたので関係者の方(平井憲太郎さんですけど)にそのあたりのことをお訊きしてみましたところ(なに失礼なことお訊きしてんだか)、そりゃうそですよ、と言下に否定していらっしゃいました。たしかに恐妻家ではありましたけどね、とのことで、こういったたぐいの乱歩をめぐる都市伝説(なんと大仰な)とその真実、みたいなことも『江戸川乱歩年譜集成』にはできるだけ盛り込みたいと考えているのですが、いったいいつのことになるのかな。


 ■1月23日(火)
「名張まちなかナビ」は本日発行です 

 三重県立名張高等学校の「名張まちなかナビ」はいよいよ本日、おかげさまでどーんと発行日を迎えました。これがそれ。

 名張高校のオフィシャルサイトでは動きのある画像で表裏両面をごらんいただけます。アクセスしてみてくださいな。

 「名張まちなかナビ」は A4サイズ三つ折りで三千部を発行。名張市内ではまず市役所一階ロビーに五十部ほど置いてもらうべく、きのう市役所四階の総務部管財室にお邪魔してその旨お願いしてまいりました。そのほか関連がありそうなセクションをまわってご注文を承ってまいりましたところ、企画財政部総合企画政策室、生活環境部まちづくり推進室、産業部商工観光室、都市環境部市街地整備推進室からご要望をたまわりましたので、それぞれ十部ないしは二十部をお持ちすることになっております。

 あとまた本屋さんではブックスアルデの本店と近鉄店とリバーナ店、さらには別所書店のカウンターでも配付していただくよう、きのうブックスアルデ本店と別所書店の店長さんにお願いしてご快諾をいただいてまいりました。

 そのほか本日の授業で名張まちなかを生徒とともにうろうろし、乱歩関連商品を販売していらっしゃる商店や伊賀まちかど博物館などに置いてもらってくることにしております。

 あとはえーっと、市内十四の公民館でも配付できるよう手配中です。

 もうひとつ忘れてはいけないのがありました。1月29日から31日まで松崎町のギャラリー楽で名張高校の生徒がオープンする「高校生がやってるお店〜どろっぷ〜」でも、ご希望の方は「名張まちなかナビ」をお持ち帰りいただけます。アンケート用紙に記入するためのテーブルに置いてもらうことになっております。ちなみにこの店はベンチャー企業論を受講する二年生十二人が去年の春から準備を進めて堂々の出店。お近くの方はぜひお立ち寄りください。名張高校のサイトの案内ページはこちらになっております。

 それにしてもなんか知らんが忙しい。ていうかずいぶんとローカル色豊かな話題で恐縮しております。本日はこのへんで。

 さあ2006年度最後の授業に行ってこよう。

  本日のアップデート

 ▼2006年12月

 江戸川乱歩が描いた幻影の銀座 江久里ばん(文)、堀江礼一(写真)

 「歓びと感動と情熱の人生を謳歌するアクティブシニアのための総合映像誌」というふれこみの「グレートエイジ いまこそ」に掲載されました。

 映像誌というだけあってメインはむしろ巻末に添えられた DVD。雑誌本体は DVD のカバーないしはジャケットであり同時に DVD の内容紹介である、みたいな感じだといえばおわかりいただけるでしょうか。

 脚本家の市川森一さんと女優の柴田美保子さんがあちらこちらに足を運んでその土地ゆかりの名作を紹介する「旅ときどき名作」という連載を担当していらっしゃいまして、今回は銀座、ならば乱歩、という寸法です。

 ちなみに柴田さんのプロフィルには「NHK の連続ドラマ『チコちゃん日記』の主演を務め、芸能界にデビューした」とあり、そういえば子供のころにこのドラマを見ていたなという記憶がおぼろによみがえってきました。当時の私はどうやら柴田さんのことが好きだったのではないかという気もしてきました。のちに加藤泰監督の「緋牡丹博徒 花札勝負」でやくざの娘役を演じていらっしゃるのを見て、なんだか懐かしいような気分になったものでしたっけ。

 みたいなことを思い出させてくれる「アクティブシニアのための総合映像誌」なのですが、とりあえず雑誌本体の記事から引用してみましょう。乱歩は関東大震災後の「新しく生まれ変わる東京と共に活躍した」との説明があって──

 中でも銀座は事件の発端には欠かせない場所であった。怪人は銀座の高級宝石店を狙い、お金持ちのお嬢様は銀座の街角で待ち合わせをする。高級店が建ち並び、ショーウィンドウには珍しい舶来品が飾られ、難しい横文字の洋食を出すしゃれたレストラン、更には巨大百貨店など、当時の庶民にとって銀座は近寄りがたい神秘的な街だった。今のように誰もが気軽に歩ける街ではなかった。そこに乱歩は目をつけた。だからこそ、乱歩はこの街を選び、謎の事件を想像した。しかも、さりげなくあっさりと銀座を登場させている。

 それで DVD を見てみますと、市川さんと柴田さんが銀座をぶらぶら歩いてまわり、むろん乱歩の紹介もあって、さらには市川さんによる「緑衣の鬼」と「人間豹」の朗読が──

 しかし銀座の雑沓にたたずみ、なぜか角川文庫(だと思います)で「人間豹」を朗読するアクティブシニアってのは、どう考えてもなんだか変。まあいいけど。

 興味を惹かれたアクティブシニアの方はぜひどうぞ。「シニアスポーツ最前線」だの「ハツラツ生涯スポーツ」だの「岡田勝の だから健康ダイエット」だのといった記事も満載です。気になるお値段は本体千二百三十八円。


 ■1月24日(水)
はっきりいって大好評です 

 おかげさまで三重県立名張高等学校の「名張まちなかナビ」、はっきりいって大好評です。おなじまちなかでもいつまでたってもなにも決められない名張まちなか再生委員会とはえらいちがいだ、と口の悪いことをおっしゃる市民の方もいらっしゃいました。

 きのうの授業で手分けしてあっちこっち配ってまわったのですけれど、17日から21日にかけて日刊各紙地方版でタイミングよく報道していただいたおかげで、「あ。新聞で見ました」というまちなかの人の声が多く聞かれました。

 そうかと思うときのうの授業の取材に駆けつけてくださった地元メディアもあり、こんなあんばいで報じていただきました。

 この記事ではサブタイトルまで記載されており、ああそっちのほうがいいなと気がつきましたので、当サイトでもこれからは「名張まちなかナビ──ナビゲーターは江戸川乱歩 o(^∇^)o」と記すことにいたします。

 動画のニュースはこちらです。

 しかし授業時間内にはとてもまわりきれず、しかたありませんから私ひとりで夕方までかけて配布ポイントを踏破してまいりました。踏破ったって自動車でですけど。

 配布ポイントは次のとおりです。

公共施設みたいなところ
市役所一階市民ロビー 市内各地区公民館 市立図書館 市観光協会 皇學館大学まちなか研究室
伊賀まちかど博物館
宇流冨志祢神社 文人ゆかりの館清風亭 栗羊かん博物館大和屋 高砂地酒博物館 はなびし庵 旭金時地酒・地ビール館
乱歩関連商品を扱っている商店など
御菓子司星安 名張シティホテル 休処おきつも 山本松寿堂 ジャスコ新名張店リバーナ一階サービスカウンター 御菓子司さわ田
本屋さん
ブックスアルデ本店・近鉄店・リバーナ店 別所書店

 名張市内の公民館は全館に置いてもらうことになっておりますが、きのうの時点では名張公民館と国津公民館のみ。あとはおいおいということになります。文人ゆかりの館清風亭、休処おきつも、御菓子司さわ田はきのうお休みでしたので、本日またまわってみなければ。

 「名張まちなかナビ──ナビゲーターは江戸川乱歩 o(^∇^)o」は名張高校でもお渡ししております。

  本日のアップデート

 ▼2007年1月

 【伊賀】 乱歩の視点でまち散策して 名張高生がリーフレット作製 伊東浩一

 「名張まちなかナビ──ナビゲーターは江戸川乱歩 o(^∇^)o」の記事は日刊各紙(五紙あります)地方版に掲載していただいたのですが、ネット上でお読みいただけるのは毎日新聞1月17日付「リーフレット:旧市街地紹介、名張高生が作製 /三重」と中日新聞18日付「【伊賀】 乱歩の視点でまち散策して 名張高生がリーフレット作製」。

 ここには生徒の写真が掲載されている中日新聞オフィシャルサイトの記事をどうぞ。

 一部引用。

【伊賀】 乱歩の視点でまち散策して 名張高生がリーフレット作製
 名張市の名張高校総合学科の選択科目「マスコミ論」を受講する3年生男女8人が、市内の旧名張町地域のまち歩き用リーフレット「名張まちなかナビ」を作った。50年前に同地域を巡った名張出身の小説家・江戸川乱歩の視点で散策スポットをまとめている。

 懐かしい風景が残る旧名張町地域や、名張と乱歩の関係を多くの人に知ってもらおうと作製に当たった。

 ついでですから毎日新聞オフィシャルサイトの記事からも。

リーフレット:旧市街地紹介、名張高生が作製 /三重
 「ナビ」は観光ガイドブックとしても使えるよう「乱歩生誕地碑」などの史跡を網羅した地図や写真を添え、乱歩にちなんだ商品を販売しているお店も紹介。取材、編集をした仲野美保さん(18)は「私も名張に住んでいるけど、初めて訪れるところばかりで新たな発見があった。ウオーキングに使って」と話している。

 それでまあ名張まちなかの人たちの声を現時点で総合してみますと、官民双方の精鋭を集めた名張まちなか再生委員会なんかより名張高校の生徒のほうがよっぽど役に立つではないか、といったことになるでしょうか。はっきりいって高校生の超圧勝? みたいな。


 ■1月25日(木)
さて先生のおうちでは 

 「名張まちなかナビ──ナビゲーターは江戸川乱歩 o(^∇^)o」の配布ポイント、きのうもまわってまいりました。休処おきつもはまたしてもお休みだったのですが(だから休処なのか)、それ以外のところにはすべて置いていただくことができました。ただし公民館の割り当て分は中央公民館に一括して運び込み、あとは公民館同士の連携プレーでそれぞれの地域の公民館にもってってもらうようにお願いしてありますので、まだ届いていない館もあるかもしれません。

公共施設みたいなところ
市役所一階市民ロビー 市内各地区公民館 市立図書館 市観光協会 皇學館大学まちなか研究室
伊賀まちかど博物館
宇流冨志祢神社 文人ゆかりの館清風亭 栗羊かん博物館大和屋 高砂地酒博物館 はなびし庵 旭金時地酒・地ビール館
乱歩関連商品を扱っている商店など
御菓子司星安 名張シティホテル 休処おきつも 山本松寿堂 ジャスコ新名張店リバーナ一階サービスカウンター 御菓子司さわ田
本屋さん
ブックスアルデ本店・近鉄店・リバーナ店 別所書店

 以上、「名張まちなかナビ──ナビゲーターは江戸川乱歩 o(^∇^)o」の配布ポイントです。

 もう少しこの話題をつづけることにして、本日は日刊各紙に掲載された生徒たちのコメントをご紹介。

 まず1月17日付産経新聞。

生徒たち「市民が乱歩のふるさとを再認識できるような地図にしあげました」

女子生徒「乱歩がふるさとに立ち寄った約50年前と現在とを比べて、旧市街地の面影は変わっていないと、地域の人たちから聞いて新鮮な驚きでした」

男子生徒「地図作りで、乱歩の生誕地碑があることをはじめて知りました。地図を見て乱歩作品に興味を持つ人が増えればいいですね」

 同日付毎日新聞。

生徒たち「名張の町を知らない人に魅力を紹介しよう」

女子生徒「私も名張に住んでいるけど、初めて訪れるところばかりで新たな発見があった。ウオーキングに使って」

 1月18日付中日新聞。

女子生徒「名張のまちの人はいい人ばかりで、取材を通じて人情味のあるまちだと実感した」

 1月20日付朝日新聞。

生徒たち「古い街なみの魅力を、幅広く感じてもらうきっかけになれば」

女子生徒「この授業をするまで、旧町はほとんど知らなかった。実際に行くと、人のやさしさがあり、親しみ深い所でした。魅力を多くの人に伝えたい」

 1月21日付読売新聞。

生徒たち「今も乱歩が訪ねた場所が残っていることに驚いた。乱歩のふるさとを再発見してほしい」

男子生徒「名張に住んでいるが、行ったことがなかった。ナビを片手に名張のまちを散策してほしい」

 みんなしっかり答えていて、先生はなんだか晴れがましい。

 さてその先生のおうちでは便所の工事がいよいよ急ピッチです。先生の住まいいたします草深い在所もようやく公共下水道の恩恵に浴することになり、先生のおうちの便所はこれまでは簡易水洗、つまり水で流したあとは地中に埋設したタンクに溜めておき、タンクがいっぱいになりかけたらバキュームカーのお世話になる形式のものだったのですが、これを本物の水洗式トイレに入れ替える必要が生じたという寸法です。きょうはいよいよ一階玄関横便所の便器を壊す作業がはじまるとのことで、先生のおうちのお庭にはきのう屋外イベントなんかで臨時に設置される仮設トイレが据えつけられ、先生はきのうの夜からそこで用を足しております。そして一階の工事が終了したらば今度は先生の書斎の横の元暗室に便器を新設する段取りになっておりますので、先生はそのあいだ作業の邪魔にならないようにどこかに行ってなければならないのかもしれません。

 ──ぼーくの便器はぴーかぴかッ。

 とかなんとか夢見るように歌いながら。

  本日のアップデート

 ▼2007年1月

 絵がコワくて触れない講談社版江戸川乱歩 北原尚彦

 ちくま文庫の新刊『発掘! 子どもの古本』に収録された一篇。

 名うての古本マニアが「児童書の中でも入手が難しい『稀覯本』や、あまり知られていない『珍品』をご紹介しよう」(はじめに)と書きおろした文庫オリジナルの一冊で、探偵小説や SF から企業絵本だの公的機関の出版物だの、はっきりいって聞いたこともない児童書が次から次へとくり出されてきて飽きることがないのですが、われらが乱歩はさすがなもの、堂々と開巻劈頭を飾っております。

 出たばかりの本ですから引用も控えめに、導入の一段落だけといたします。

 わたしが小学生の頃(一九七〇年代)、子どもたちの間ではポプラ社の探偵小説が大人気だった。中でもわたしが夢中になって読んだのは、江戸川乱歩のシリーズ。

 しかし当時、江戸川乱歩の少年向け叢書は、講談社からも出ていた。それが「少年版江戸川乱歩選集」全六巻である。だが、わたしはこちらのシリーズは手に取らなかった。それには、理由がある。というのは……函に描かれている絵が、あまりにもコワ過ぎたのである! 大人になってから、ミステリ好き仲間と昔話をすると、「あれは表紙が怖かった」「トラウマになった」「怖すぎて触れなかった」と、みんなそうだったことが判明(持っていた人も含めて、である)。

 一段落だけでは導入にもなりませんので、勝手ながら二段落の引用といたしました。

 このあと少年版江戸川乱歩選集の装幀と挿絵が語られ、講談社版とポプラ社版のリライト作品の比較検討なども綴られているのですが、興味を惹かれた方はお買い求めのうえじっくりどうぞ。探偵小説では高木彬光作品や定番のホームズとルパンも登場し、気になるお値段は本体八百四十円となっております。


 ■1月26日(金)
先生のお言葉 

 あーふらふらする。二日酔いだばーか。まあ毎日が二日酔いっちゃ二日酔いなんですけど、けさはまたきついなあ。

 きのうのつづきということにして、日刊各紙に掲載された「名張まちなかナビ──ナビゲーターは江戸川乱歩 o(^∇^)o」の記事には私のコメントが登場しているものもありますので、その先生のお言葉をひろってお茶を濁すことにいたします。

 まず1月20日付朝日新聞。

「若い人たちが旧町に興味を持っただけでも、今回の冊子作りは意義深い」

 21日付読売新聞。

「かつて乱歩が歩いたまちを、そのまま見ることができるのが魅力」

 なーんか先生よりも生徒のほうがしっかりしたこといってんじゃねーの、と先生は思うぞ。

  本日のアップデート

 ▼2005年2月

 仮面の恐怖王 江戸川乱歩

 ポプラ社の文庫版「少年探偵・江戸川乱歩」も数えて第二十二巻です。例によって巻末解説からどうぞ。

解説 怪人二十面相はいまもどこかに
西本鶏介
 子どもたちの爆発的な人気を得たのに、わずか四冊で戦争のため中断させられたくやしさを忘れず、一九四九(昭和二十四)年、五十五歳の時、『青銅の魔人』によって二十面相をよみがえらせ、ついには不朽の少年探偵小説の名作として、子どもばかりか、大人にも広く読まれるようになったのです。

 その変装ぶりや行動はますますエスカレートして、ヘリコプターを小さくした機械でスーパーマンのように空高く飛ぶことができても、人を殺したり、傷つけたりせず、盗むのもお金でなく美術品や宝石という二十面相の性格に変わりがありません。

 一九三七(昭和十二)年、日中戦争が始まり、日本がいよいよ軍国主義に変わっていっても、そして一九四五(昭和二十)年、戦争に敗れ、東京が焼野原になっても、二十面相が変わるのは外側だけで、その心は同じです。ルパンから借りた性格といっても、この姿勢に乱歩の孤独なまでの反骨精神を見ることができます。時代や環境に左右されず、読者の心をとらえてみせるという自負と、いかなる権力にも屈せず、自分の生み出した人物を守り続けようとする作家的情熱を忘れなかったからです。


 ■1月27日(土)
先生は落ち着かない 

 いまやすっかり閉塞感にとざされてしまった観のある名張まちなかに不意に射し込んできた明るい陽光のような「名張まちなかナビ──ナビゲーターは江戸川乱歩 o(^∇^)o」の話題はまだいくらでもつづけられるのですが、2006年度の授業を無事に終えた先生は高校生たちに別れを告げて名張まちなか再生プランというインチキに対峙しなければなりません。

 いやもうじつはどうだっていいのですけれど、先日もお知らせしましたとおり2月1日に名張市役所で開かれる名張まちなか再生委員会の桝田医院第二病棟検討会議に顔を出すことにいたしましたので、ならばどうしたってあのインチキなプランそのものに正対することになるわけです。それだものですからそれに先がけてつくっておりますいわゆるまとめサイトみたいなページであるところの「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」、けさは2005年の7月1日に先生がはじめて名張まちなか再生委員会の事務局を訪れるまでを書き加えました。

 それはそれとして先生のおうちではあいかわらず便所の工事が進行中で、先生はなんだか落ち着きません。結構たいへんな工事のようで、むろん先生が工事するわけではないのですが、お部屋のお片づけその他に手を取られますのでとりあえずあした一日、勝手ながらこの伝言もお休みすることにいたします。

 お休みといえば「名張まちなかナビ──ナビゲーターは江戸川乱歩 o(^∇^)o」配布ポイントのひとつ、休処おきつもはいつ訪ねてもまさしく休みつづき。ご入手にはほかのポイントをご利用ください。

公共施設みたいなところ
市役所一階市民ロビー 市内各地区公民館 市立図書館 市観光協会 皇學館大学まちなか研究室
伊賀まちかど博物館
宇流冨志祢神社 文人ゆかりの館清風亭 栗羊かん博物館大和屋 高砂地酒博物館 はなびし庵 旭金時地酒・地ビール館
乱歩関連商品を扱っている商店など
御菓子司星安 名張シティホテル 休処おきつも 山本松寿堂 ジャスコ新名張店リバーナ一階サービスカウンター 御菓子司さわ田
本屋さん
ブックスアルデ本店・近鉄店・リバーナ店 別所書店

 以上、「名張まちなかナビ──ナビゲーターは江戸川乱歩 o(^∇^)o」の配布ポイントでした。

  本日のアップデート

 ▼2007年1月

 日本のミステリー史と、「本格」発想の意義 島田荘司

 南雲堂から出た1月の新刊『島田荘司のミステリー教室』に収められた講演録です。

 「日本のミステリー史 1」のうち「江戸人、乱歩の出現」と題されたパートから引きます。

 江戸には、盛り場やお祭りで、奇形的な人を観せてお金を取る「見せ物小屋」というものが建ちました。ここで観せられたものが一寸法師とか、カッパとか、大女とか牛女とか、ろくろ首、蛇女、こういうものであったわけですね。これらに対する興味は、恐いもの見たさであって、不健全なものとも言えますが、獄門台の上の晒し首に対する興味と、どこかで通底するものがあったわけです。つまり為政者側が、民のこういう趣味を誘導し、しっかりと育ててしまったところがありました。

 こういう江戸人としての体質は、時代が明治、大正と移り変わっても、なかなか変化するものではありませんで、乱歩さんの時代になると見せ物小屋は、「衛生博覧会」というかたちに姿を変えて存続していきます。つまり畸形や病変した人体は見せるのだが、興行者はそれ自体が目的ではなくて、こういう恐ろしい病変をもたらす病を防ぐための、予防法を民に啓蒙する、という建前にしたわけです。

 この博覧会は、民の啓蒙に一定の成果をあげたとは思いますが、実のところ大衆は、恐ろしい奇形や、病変標本、それ自体を観にいったわけです。江戸以降の日本人が、一時期いかにこういう奇怪なものを好んでいたかが、ここからも解るわけです。乱歩さんは、西欧に理知的な先行作品が少なかった時代、参考作品に窮して、自分の内部にあったこういう江戸趣味、それから続く衛生博覧会的な趣味を苦しまぎれに露出させてしまった。ところがこれが大いに受けたので、引き返すことがなくなって、以降の創作に、遺憾なくこの通俗趣味を発揮していったと、そういうふうに推察ができるわけです。


 ■1月29日(月)
便器が部屋にやってきた 

 じゃーん。おかげさまで書斎横の元暗室に便器を設置する工事が終了いたしました。

 これが1月21日に掲載いたしましたビフォアの写真。

 そしてこれがアフターだ。じゃーん。

 ぼーくの便器はぴーかぴかッ。

 まだ洗面台(と呼べるほど大きくはなく、せいぜい手が洗える程度のものなのですが)の設置が済んでおらず、完全に竣工というわけではないのですけれど、この新しい便器でもう用だって足せるんだもん。そんでもって男の風上にも置けないやつらだと思っていたウエスタンスタイルの便器に腰かけておしっこをする男、なんてものになりさがってしまったんだもん。

 そうかと思うと名張まちなか再生プランの件、名張まちなか再生委員会事務局から1月26日付の文書が郵送で届きました。標題は「第1回乱歩関連施設整備事業検討委員会(仮称)の開催について」。それにしてもこの委員会はほんとに「仮称」という言葉がお好きなようです。

 要件を抜き書きしておきましょう。

 さて、平成18年6月18日に開催されました「平成18年度名張まちなか再生委員会総会」におきまして、平成18年度事業計画として『乱歩関連施設の整備に向けた専門的検討組織の設置及び計画及び維持管理・運営方針の検討』につきまして、確認・承認を頂いているところであります。

 つきましては、これまでの経過・整備事業に対する考え方などを報告し、今後の事業計画等につきましてご協議賜りたく、標記の委員会を、下記のとおり開催させて頂きますので、ご出席賜りますようお願い申し上げます。

【日時・場所】
平成19年2月1日(木)10 : 00〜15 : 00(予定)
※12 : 00〜13 : 00は、「お昼休憩」とさせて頂きます。
※昼食につきましては、事務局より準備されませんので、あらかじめ御理解・御了解頂きますようお願い申し上げます。
※会場の都合によりまして、午前・午後で開催場所が異なりますので、ご留意願います。
 10 : 00〜 名張市役所 3階 303会議室
 13 : 00〜 名張市役所 3階 306会議室
【事項】
1.検討委員会開催の趣旨
2.経過報告、整備事業に対する考え方
3.討議
4.その他

 江戸川乱歩生誕地碑の建つ桝田医院第二病棟が名張市に寄贈されたのは2004年11月、名張まちなか再生委員会が発足したのは2005年6月、そして2007年の2月になってようやく乱歩関連施設整備事業検討委員会とやらがはじめて開催される運びになったというのですから、この一事だけをとっても名張まちなか再生委員会の無能力は誰にも否定のできないところでしょう。

 ここで確認いたしておきますと、こんなのは以前からしつこく記しておりますことなれど、名張まちなか再生委員会による桝田医院第二病棟整備計画の検討は無効である、どうしてあのばかどもは名張まちなか再生プランにひとことも記されていない桝田医院第二病棟の整備のことを勝手に検討しておるのか、いやいや検討する能力など全然ないからこの期におよんで第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会(仮称)などというものを開いているていたらくなのであって、名張まちなか再生委員会なんてうすらばかばかりなんだからもう解散してしまえというのだ、解散して最初っから出直せ、それができないというのであればこれは完全に行政と一部住民との癒着と呼ぶしかない事態である、いつまでたってもなーんにも決められない委員会をどうしてちんたらちんたら存続させつづけるのか、裏になにかあるのか、私利私欲まみれでプランに一枚噛んできて無能なくせに面子がどうの体面がこうのとそういうことばかりにこだわってぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ大騒ぎして話を前に進めようとしないやつ、そんなやつがいるのかどうかおれは知らん、いっさい知らんがそんなやつがいるのかもしれんなとかどうやら裏になにかあるらしいなとか、いまや市民からそんなふうに疑われてもしかたのない事態にまで立ちいたっておるのである、とにかくばかは切ってしまえ、プランは白紙に戻してしまえ、まともな人間が集中して考えたら新しいプランなんて一か月もあれば余裕でまとめられるだろうが、とはいえ名張市は財政難、金がねーんだよ金が、職員の退職金さえまともに払えないから借金するしかありませんみたいなとこまで来ちまってるじゃねーか、あんなばかと呼ぶしかない無能力職員どものためにわざわざ借金して退職金を支払ってやるというのである、泥棒に追銭とはこのことか、ちょっとちがうか、とにかく知恵もない金もないというのが名張市の実情なのであるからして、桝田医院第二病棟にはこんな碑でもつくって建てておけというのだばかども。

 以上が私の結論なのであって、いまさら検討だの協議だのにタッチする気はさらさらないのですけれど、話くらいは聴いてやらんでもないと以前から公言してはおりましたので、とりあえず2月1日には名張市役所にお邪魔して第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会(仮称)とやらに顔を出してまいります。

 しかし2月に入る前、きょう1月29日から31日までの三日間、名張市松崎町に三重県立名張高等学校の生徒による「高校生がやってるお店〜どろっぷ〜」がオープンいたしますので、お近くの方はどうぞお運びくださいな。名張高校オフィシャルサイトの案内ページはこちらです。

 店内には「名張まちなかナビ──ナビゲーターは江戸川乱歩 o(^∇^)o」も用意してご来店をお待ちしております。

  本日のアップデート

 ▼2004年10月

 江戸川乱歩 高田榮一

 「原子力文化」というおそろしげな雑誌に掲載されました。表紙の裏、目次の上のスペースを利用したコラムの一篇。

 筆者は歌人にして動物研究家、しかも乱歩原作のテレビドラマ「赤いさそりの美女」(1979)と「化粧台の美女」(1982)の協力者でもいらっしゃるそうなのですが、ご本人も忘れていたそんな過去をインターネット検索で発見したと友人から知らされ、ドラマの内容紹介も教えられて──

 さて、何をどう協力したのか、ずいぶんまえのことで思い出せない。そこで筋書きを読んでいくと、『妖虫博士と呼ばれる怪人が秘密の研究室にこもっている』くだりがあった。

 「そうだ、その時分、ヘビやトカゲのほかに、サソリもタランチュラも飼っていた」

 私の動物温室が、妖虫博士の研究所として撮されたことを思い出した。

 テレビ局からロケの依頼がきたとき、やっぱり来たと、乱歩と自分の美意識の共感を確かめた思いになった。乱歩も蜥蜴や蜘蛛、蠍など、声なく這いまわるものに執着して、小説に書いている。これを妖しさというなら、飼っている私はもっと妖しいことになる。大作家も遠い人ではないのだ。


 ■1月30日(火)
高校生がやってるお店めでたく開店 

 三重県立名張高等学校で「ベンチャー企業論」を学ぶ二年生十二人が去年の春から準備を進めてきた「高校生がやってるお店〜どろっぷ〜」がきのうオープンいたしました。場所は名張市松崎町のギャラリー楽。名張高校オフィシャルサイトの案内ページでご確認ください。

 私は開店前に飛び込んで「名張まちなかナビ──ナビゲーターは江戸川乱歩 o(^∇^)o」を配布するためのセッティングを担当。こんな感じに仕上げてまいりました。画像をクリックすると大きな画像が開きます。

 日刊各紙に掲載していただいた記事をそこらにあった段ボールに貼りつけて持ち込んだのですが、所定の位置に立てかけると店の外からガラス越しに段ボールの裏が見えてしまう。段ボールというのはもとをたどれば便器が入っていた箱の切れっ端ですから、裏にはシャワートイレなんとかかんとかみたいな文字が印刷されている。こりゃなんか不細工だなといささか困惑していたらそばにいた女子生徒が、

 「裏にチラシを貼りましょう」

 と提案してくれ、これがまたえらく気働きのある女の子で、上の写真の下のほうに覗いている「高校生がやってるお店〜どろっぷ〜」のチラシを四枚、段ボールの裏に両面テープで器用に貼りつけてくれました。段ボールのむこうに白くはみ出して見えるのがいわゆるチラシの裏ということになります。

 彼女の作業を見守っているだけでセッティングが終わってしまいましたので、あとは開店まで暇つぶし。店から外に出て誰にともなく、

 「いくら開店してもこれだけ人通りがないのではなあ」

 とかなんとかぼやいていると店の隣のお宅のご主人、もう七十年配の方だったのですが、わざわざ近づいてきてくれまして、昔はあそこに洋服屋がありここには肉屋があり、と町の説明をはじめてくれました。だから日常の買い回り品はすべてこの松崎町の町内で手に入ったのだが、いまやみんな廃業してしまって店にはシャッターが降りている、町の商店会というのもかたちだけ残っているのだが通りに立つ街路灯の保守を担当しているばかり、昼日中なのに人も自動車もまったく通らないという時間帯さえ少なからずあって、この町はもうさびれきってしまってなあ、などといろいろ教えていただきました。

 えらいもので NHK の津放送局から駆けつけてくれた取材クルーの姿も見え、お訊きしてみると放送はきょう30日、総合テレビ(津局発)の「ほっとイブニングみえ」という番組。午後6時30分から7時までのあいだに「ぐるっとみえ」のコーナーで「名張高校の起業体験」と題して「高校生がやってるお店〜どろっぷ〜」が紹介されます。視聴可能地域にお住まいの方はどうぞごらんください。

 そうこうしているうち店の前には開店前から行列ができました。行列ったって妙齢のご婦人がおふたりだけだったのですが、たまたま横に立っていらっしゃった NHK 津放送局の男性アナウンサーの方と立ち話。私はもうテレビは NHK しか見ないんです、とかおっしゃってなるほど津放送局の男性アナの名前なんてのもすらすら出てくる。私は横から、

 「そしたらおおみそかには紅白歌合戦ごらんになりましたか。DJ OZMA たらゆうのがえらいことやらかしたみたいですけど」

 横からアナウンサーの方の大笑いが聞こえてくるのですが、しかしその妙齢のご婦人は、

 「ああ、あれ、NHK に苦情がいっぱい来たそうやけど、私は平気でした。あんなんちょっとも気になりません」

 と平然たるもので、やがて開店時間。店内では高校生たちが円陣を組んでなにやら叫び、店を開けるとご婦人おふたりのほか名張高校の生徒たちも三三五五やってきて、私は店内風景をカメラに収めてから帰途につきました。

 それにしても人通りのない松崎町の通りに立って地元の方のおはなしをお聞きしておりますと、地域住民自身が名張まちなかの再生なんて言葉をまったく信用していないという事実を身にしみて理解することができます。細川邸を歴史資料館になどというインチキなプランをでっちあげ、これでまちなかの再生が進むのだなどと本気で考えていた人間がいたのだとしたらばかというしかないでしょう。いやもうプランの関係者なんてみんなばかなのであると断定してしまって差し支えはないのですけれど。

 そうしたばかの歩みを跡づける「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」、本日はなんとか2005年が終わるまでを書き加えました。ひとつには名張まちなか再生プランの問題を整理し、ひとつには問題を記録し、そうすることで二度とこんなインチキがまかり通らぬようにとの警鐘の意味をこめつつも、さらにひとつには2月1日に開催される名張まちなか再生委員会の第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会(仮称)とやらの参考資料ともいたすべく、ふうふういいながら「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」をつくっているのですけれど、かりに後世の人間がこのページを読んだとしたら、たとえば2005年の7月には名張市は軽く発狂していたのではないかとの疑いを抱くかもしれません。

 すなわち、名張市の市民公益活動実践事業のひとつとして市民団体「写したくなる町名張をつくる会」が細川邸の裏にスフィンクスとピラミッドの絵を掲げたのが2005年の7月なら、名張市観光協会の「なばり夏の観光キャンペーン」の一環として怪人二十面相に扮した名張市議会議員二十人が大阪・道頓堀に立ったのも2005年の7月。そして名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの第二回会合が名張市役所で開かれ、

 「現段階では乱歩に関して外部の人間の話を聴く考えはない」

 との結論が出されたのも2005年7月のことでした。

 その外部の人間が名張まちなか再生委員会の第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会(仮称)とやらにお招きをいただいたのですから、いやもうなんだか隔世の感、ていうかほとんど意味不明。いったいどんなことになってしまうのか、私には予想もつきません。

  本日のアップデート

 ▼2007年1月

 名張まちなかナビ 三重県立名張高等学校

 1月23日の最後の授業以来ご無沙汰だった名張高校にきのう顔を出してみましたところ、「名張まちなかナビ──ナビゲーターは江戸川乱歩 o(^∇^)o」をお送りしたみなさんからの礼状がたくさん届けられておりました。メールも頂戴しているそうです。時間がありませんでしたので一通も眼を通すことはできなかったのですが、またあらためて拝読いたします。おたよりをお寄せくださったみなさんにお礼を申しあげます。おかげをもちまして生きた授業にできました。

 「名張まちなかナビ──ナビゲーターは江戸川乱歩 o(^∇^)o」の「あなたも名張へ 名張高校生からのメッセージ」のコーナーから生徒たちの声を引いておきます。

 ▼まちなかにはジャスコ新名張店リバーナがあります。最近改装されたばかりで、今までより若い子たちのお客さんも増えています。とくに三階には結構いいお店があります。(ゆみこ)

 ▼まちなかの商店では人と人とのつながりを重視していて、立ち寄ると、何かホッとするものが感じられます。いろいろなお店が名張のまちを盛りあげようと頑張っています。まちなかを歩いてみてください。(みか)

 ▼城下町の風情が感じられます。夕方なんかにまちなかを歩くと、いい具合に夕焼けて、ノンビリとした美しい風景を眺めることができます。(よしのり)

 ▼名張市には年三回、大きな祭りがあります。2月には蛭子神社のえびす祭り、7月には名張バリバリ祭り、10月には宇流冨志祢神社の秋祭り。一番面白くて人出が多いのは花火大会があるバリバリ祭りです。(ゆか)

 ▼赤目四十八滝はよく知られた観光地で、約四キロの回遊路があり、四季おりおりの風景と滝が楽しめます。森には独特の香りがただよい、まるごと天然のアロマセラピー空間。(まい)

 ▼名張市には自然が多く、赤目滝のほかに香落渓も有名です。秋になると美しい紅葉が観光客を集めています。青蓮寺ではブドウやイチゴの観光農園で自然を満喫できます。(さとみ)

 ▼伊賀まちかど博物館では、商店や個人の家の一角でコレクションや伝統の技などを見ることができ、館長さんの語りもあります。名張市にはまちなか以外にもたくさんの博物館がありますから、ぜひどうぞ。(みほ)

 ▼知っていましたか? 名張が江戸川乱歩の生誕地だったことを。名張市にはほかにもいろいろな魅力があります。インターネット検索で調べて気軽にお立ち寄りください。(やすのり)


 ■1月31日(水)
総会資料をいまごろ見てみた 

 1月もきょうでおしまい、あす2月1日には名張まちなか再生委員会の第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会(仮称)とやらが開かれるというのに、その参考資料となるべきページ「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」がまだ完成しておりません。ひいひい。しかたありませんから未完成のまま提出することにして、下に掲げておきますから関係各位はプリントアウトしてご持参いただければ幸甚です。

 参考資料一点目、「僕のパブリックコメント」(pdf)。

 参考資料二点目、「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」。

 しかし関係各位といったっていったいどなたにお集まりいただけるのか、私にはさっぱりわからないのですけれど、「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」に2006年のあれこれを書き加えている最中、名張市のオフィシャルサイトに「平成18年度名張まちなか再生委員会総会資料」(pdf)が掲載されているのを発見いたしましたので、必要と思われる名簿などのデータを「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」に引いておきました。一部をこちらにも転載してみましょう。

 まず2006年度役員の名簿がこちら。

参与
山村博亮
柳生大輔
梶田淑子
永岡禎
多田昭太郎
委員長
田畑純也
副委員長
亀井喜久雄
浦山益郎
木津義明
再生整備プロジェクトチーフ
北村嘉孝
小野彰則
中森久夫
田畑純也
市橋多聞

 あれ? おっかしいなあ。名張まちなか再生委員会に参与なんて役職は存在しなかったはずなのだが、と思って「平成18年度名張まちなか再生委員会総会資料」(pdf)をよく読んでみると、「規約改正(案)について」でこんな条項が追加されていることがわかりました。

(参与)
第4条 委員会は、必要に応じて若干名の参与を置くことができる。

 つまり参与というのは2006年度総会で新たに設けられた役職であるらしい。ちなみに総会は昨年6月18日の開催。

 しかしそれでもなんか変。どうして参与が必要なのか。参与五人のお名前を拝見いたしますに、おひとりは名張まちなか再生委員会の2005年度委員長、残る四人の方は名張旧町地区にゆかりの深い市議会議員の先生方ではありませんか。厳密にいえばうちおひとりは昨年8月の改選を機に引退なさいましたので参与の職からも身を引かれたのでしょうけど、とにかく市議会議員の先生たちが一枚噛んでいらっしゃる。

 いや知らなんだ知らなんだ。私はもう名張まちなか再生委員会に対してはばーか、好きにしろとしか思っておりませんでしたので昨年6月の総会にも興味がなく、名張市のオフィシャルサイトで総会資料を閲覧してみようとも考えませんでした。それにだいたい名張まちなか再生委員会というのは徹底した隠蔽体質を誇る密室至上主義委員会。その点ではまだ名張まちなか再生プランを策定した名張地区既成市街地再生計画策定委員会のほうが、おなじくインチキ委員会であったとはいえ「名張地区既成市街地再生計画策定委員会等の経過」だの「まちなか再生プランの素案策定に係るワークショップの検討経過」(pdf)だのを公開しておりましたから一日の長があった。名張まちなか再生委員会と来た日にはまるで悪事を働くときのごとく水も漏らさぬ秘密主義でここまで来てしまった秘密結社みたいな組織なのですから、総会の資料が公開されているなどというのは私には思いもおよばぬことであった。

 しかしどうしてだ。どうして名張市議会議員の先生方に一枚噛んでいただかなければならんのだ。うーむ。どうもようわからん。しかしそれにしてもである。市議会議員の先生方に参与になっていただいて、つまりは強い味方に加わっていただいて、それでなおかつなーんにも決められないというのだから、名張まちなか再生委員会はいったいなにをやっておったのかという話になる。参与ってのはどんなお仕事してくれたんだよという話になる。

 まあいいや。あした確認してみましょう。参与というのはなにをするための役職なのか。参与なる役職を追加したのは委員会側の意向なのか、それとも外部からの働きかけによるものなのか。参与五人は昨年6月以来この委員会に具体的にどんな関与をしてきたのか。参与はなんらかの報酬を手にすることになっているのか。いやもうあれだ。名張まちなか再生委員会はこれまでどれだけの会合を開いて協議検討を重ねてきたのか。密室のなかでどんなことが話し合われてきたのか。そんなことまであしたお訊きしてくることにしようっと。

 もちろんあした開かれるのは第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会(仮称)なんですから、参与やこれまでの経過は関係がない、そんな質問には答えられない、なんてことになるのかもしれませんけどあーこれこれ名張まちなか再生委員会のあほのみなさんや、おまえらはそんなこといって隠蔽体質に凝りかたまってるからいけないのだ。市民のみなさんから疑惑と不審の眼で見られてしまうのだ。しかもいまやおまえらには市議会議員まで加わっておるというではないか。市議会議員に疑惑と不審の眼を向けていらっしゃる市民のみなさんも少なからず存在しておるのであるからして、これで名張まちなか再生委員会は疑惑と不審の不二家洋菓子チェーンやー、なんてわけのわかんないこといわれたらどうすんの。よく考えてごらんなさい。

 お次は歴史拠点整備プロジェクトの名簿をごらんいただきましょう。

北村嘉孝
名張地区まちづくり推進協議会
長川精孝
からくりのまち名張実行委員会
辻本武久
名張地区まちづくり推進協議会
山口勝義
名張地区まちづくり推進協議会
岡村忠世
名張地区まちづくり推進協議会
福田哲明
名張商工会議所
大西武夫
名張市観光協会
的場敏訓
乱歩蔵びらきの会
山口浩司
乱歩蔵びらきの会
東川元信
名張市
山崎惠子
名張市

 天下御免のムラ社会。さのよいよい。

 どことなくインチキっぽい NPO も設立されるんだか設立されたんだか。総会資料には「(仮称)NPO なばり実行委員会設立趣旨書」というのもありましたので、ご参考までにその設立発起人名簿をどうぞ。

北村嘉孝
田畑純也
中森久夫
辻本武久
山口勝義
長川精孝
浦山益郎
木津義明
東川元信
中出文夫
山口伴尚
朝野陽助
深井克治

 以上、名張市オフィシャルサイトの「平成18年度名張まちなか再生委員会総会資料」(pdf)にもとづいてお知らせいたしました。

 ついでにお知らせしておきますと、総会資料の「平成17年度事業経過報告」によれば、歴史拠点プロジェクトの「H16年度〜H17年度実績」は「約1千9百万円」であったそうです。この数字がなにを意味しているのかは理解しにくいのですが、普通に判断すれば2004年度から2005年度にかけて千九百万円の予算をつかったということなのでしょうか。なーんにも決められなかったみなさんがいったいなにに税金をつかってくれたのかな。

 さらに「平成18年度事業計画(案)について」には、歴史拠点整備プロジェクトの「概算予算枠」は「(仮)初瀬ものがたり交流館整備事業」が約六千万円、「(仮)乱歩文学館整備」が約千七百万円とあります。2006年度にはこれらふたつの整備事業で七千七百万円がつかわれるということなのですが、いったいなににつかってくれたのかな。私にはさっぱりわかんない。さのよいよい。

  本日のアップデート

 ▼1985年7月

 解説 栗本薫

 栗本薫さんの編による集英社文庫のアンソロジー『いま、危険な愛に目覚めて』に収録されました。

 刊本『乱歩文献データブック』編纂時には見落としており、『江戸川乱歩著書目録』では拾ったのですが現物を入手できず、そのままなんとなく失念しておりましたところ、古書で見つけたからとこのアンソロジーをお送りくださった方がありました。福島県のほうを向いて手を合わせつつ。

 江戸川乱歩は私にとって「ふるさと」的存在の一人である。実は私はここには「芋虫」を収録したかったのだが、差別的表現が多出する、ということで駄目であった。なんと正しく健全な、クロロフォルムの匂いにみちた世界に私たちは生きているのだろうね。「踊る一寸法師」も「闇に蠢く」などと共に私のフェヴァリットの一ではある。こういう凄まじい小説は、現在の、一冊に何百、何千人ブチ殺す果敢な作家にはなかなか書き得ない。

 ついでですから収録作品一覧をどうぞ。

いま、危険な愛に目覚めて
片腕 川端康成
踊る一寸法師 江戸川乱歩
侏儒 栗本薫
獣林寺妖変 赤江瀑
前髪の惣三郎 司馬遼太郎
会いたい 筒井康隆
カイン 連城三紀彦
公衆便所の聖者 宇能鴻一郎
星殺し 小松左京
日曜日には僕は行かない 森茉莉