2007年4月中旬
11日 2005年と2006年のプロセスの問題 ニッポン硬貨の謎
12日 まったくどうよこのプロセス 戦慄やあい!
13日 公文書公開請求書を書いてみた 続鎌倉病床記
14日 ちょっとしたトラブルで 人間椅子
15日 これが名張の七不思議 旧桝田医院の第二病棟跡地
16日 人外境も揺れました 観客引き込む妖艶な黒蜥蜴
17日 住民監査請求一直線 二十面相の呪い
18日 てなもんや住民監査請求 涙香に還れ
19日 不当要求行為ではありません 空飛ぶ二十面相
20日 おかげさまで十周年 序 江戸川乱歩先生と名張市立図書館
 ■4月11日(水)
2005年と2006年のプロセスの問題 

 要するにプロセスの問題である。名張まちなか再生プランを具体化するプロセスが住民監査請求の対象となるのかどうか。私にはそれが判断できなかった。だから4月5日、名張市役所の監査委員・公平委員会事務局で質問した。

 具体的な例をあげよう。これは事務局でも例示したことだ。あとで確認したら事実誤認だらけの例であったのだが、ざっと記すとこんなぐあいだ。

 名張まちなか再生委員会に顧問というポストがあって、市議会議員あたりがその任に就いている。こんな役職は有名無実を絵に描いたようなものだ。平たくいえば委員会に箔をつけるためだけのお飾りにすぎない。顧問は委員会の協議に加わることさえないであろうと想像される。かりにこの顧問にひとりあたり年間一万円の謝礼が支払われていたとしよう。それはまったくの無駄金である。

 名張まちなか再生プランを具体化するプロセスにおいて、2005年6月26日の委員会発足当初には存在していなかった顧問という役職が新たに設けられた。それは見事に機能していない。単なるアクセサリーなのである。顧問という役職が増えたことによって何かしら具体的な効果や成果が見られたのか。そんなものは何もない。名張まちなか再生委員会は細川邸をどんな施設として整備するのか、いまだにそれすら決定できずにいるのだ。かりに顧問が協議に加わっていたのだとしたら、顧問など何の役にも立たなかったということになるだろう。それでも彼ら顧問には年間一万円かける人数分の謝礼が支出されているのである。さあ、連中に支払われている税金を住民監査請求の対象にしてやるぞこら。これが要するにプロセスの問題である。

 こら、とばかりに住民監査請求をしてみたとしよう。結論からいって、年間一万円という謝礼の金額が妥当正当なものであるのかどうか、その点の監査が行われる可能性はあるという。しかし私はそんなことを問題にしているのではない。謝礼が一万円であれ百万円であれ、ありがたそうにそんな役職を設けてしまう悪しき慣習、明文なき制度、いったん委員会なるものをつくるとなればオートマティックに発動してしまうムラ社会的手法、そういったものが問題なのである。そうした根本的な問題がもたらした当然の結果として、顧問への謝礼がどぶに捨てられてしまうことになるのである。無駄金になってしまうのである。

 だが、住民監査請求はそうした問題をカバーすることができない。どうもそういうことであるようだ。顧問への謝礼は完全に無駄金で、ごく些細な額ではあるけれど名張市の財産的損害であると考えられるところなのであるけれど、そしてこれは一般的な市民感覚に照らしても首肯しうるところの認識なのであろうけれども、住民監査請求という制度はこうした問題を居眠りしている監視人のようにあっさりとスルーしてしまうのである。

 ではここで事実誤認を訂正しておこう。まずひとつめ。名張まちなか再生委員会に顧問という役職は存在していなかった。名張市のオフィシャルサイトに掲載されている「平成18年度名張まちなか再生委員会総会資料」(PDF ファイル)から当サイト「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」に転載した役職一覧はこうである。

参与
山村博亮
柳生大輔
梶田淑子
永岡禎
多田昭太郎
委員長
田畑純也
副委員長
亀井喜久雄
浦山益郎
木津義明
再生整備プロジェクトチーフ
北村嘉孝
小野彰則
中森久夫
田畑純也
市橋多聞

 私はここにある参与と顧問を混同していたらしい。どうもご無礼つかまつった。

 事実誤認ふたつめ。参与であれ何であれ、名張まちなか再生委員会の役員には謝礼や報酬はいっさい支払われていないとのことである。重ねてご無礼つかまつった。

 だから私が例としてあげたのは存在しない役職の存在しない謝礼であったわけなのだが、あくまでも例なのだから問題はない。住民監査請求という制度の本質はこの例によってわかりやすく照らし出されているだろう。そして私は、何も顧問への謝礼を問題にしているわけではないのである。

 では何が問題なのか。私は監査委員・公平委員会事務局で、名張市オフィシャルサイトの「平成18年度名張まちなか再生委員会総会資料」(PDF ファイル)からダウンロードしてプリントした二枚の書類を提示した。一枚は「[議事1関連資料]平成17年度事業経過報告」、もう一枚は「[議事5関連資料]平成18年度事業計画(案)について」。まさしくこれまでのプロセスを、2005年から2006年にかけてのプロセスを、私は問題にしているのである。さあどうなるのかな。

  本日のアップデート

 ▼2005年6月

 ニッポン硬貨の謎 エラリー・クイーン最後の事件 北村薫

 北村薫さん二連投。

 もうかなり以前、掲示板「人外境だより」で閑人亭さんから教えていただいた小説です。きのうの『ミステリ十二か月』と仲よく並んでいるのを見かけて購入してきた次第。

 1977年、ミステリ作家でもある名探偵、エラリー・クイーンが出版社の招きで来日し、公式日程をこなすかたわら東京に発生していた幼児連続殺害事件に興味を持つ、というのはカバー折り返しに印刷されたあらすじですが、興味を惹かれた方にはぜひ作品をお読みいただくことにして、いきなり乱歩の登場シーンへとまいります。

 とはいえ、没後十二年を経過したころのおはなしですから、むろん乱歩その人は登場せず、とあるパーティの席上、ミステリ関係者によって偉大な先達として語られます。

 ジュースの置かれたテーブルを前に、クイーン氏は質問を受け付ける教師のように坐っていた。翻訳家や作家が、次々と現れては、子供のような純真さで、彼と彼の作品への思い入れを語ってくれた。

 眼鏡をかけた温厚な紳士が進み出た。この国を代表する推理作家であった。本格ミステリと声楽に精通しているという。

 「江戸川乱歩先生と、歓談なさるお姿を拝見出来れば、幸せでしたが──」

 と、飾り気のない、しかし真摯な口調で語った。

 江戸川乱歩──繰り返し、その名を唱えれば我々も知っている作家の名前が忽然として浮かんで来る。探偵にして作家、そしてミステリの研究家でもあるエラリーが、初めてこの名を聞いた時、即座に浮かんだ疑問があった、ある日本人に聞いてみた。──紛らわしくないのですか。その日本人は胸を張って答えた。──クイーンさん、そんな心配は全くありません。日本では乱歩の方が『黒猫』の作者の百倍も有名ですから。

 日本のポオは、アメリカのポオと同じ立場にいる作家だった。即ち、ミステリの始祖である。

 不幸な戦争が終わった後、エラリーは乱歩氏から手紙を貰い、返書もしたためたことがある。

 「──ぼくも、そう思います」

 「我々は皆、乱歩先生の子供のようなものです。我々を通して、先生ともお会い下さい」

 先達への敬愛の言葉は、聞いて胸の温かくなるものだった。エラリーは、アメリカにも日本にも、連綿と続くであろうミステリの絆のことを考えつつ、相手の手を握った。がっちりとした肉厚の、包み込むような手だった。

 挨拶をしようという人々の列は、長く続いた。クイーン氏は、過保護の父親のことを思ったものである。──こんなところを、お父さんに見せたら、何というかな。

 いうまでもない。きっとリチャード老も、この国が好きになることであろう。

 ろくに作品を読むこともなく、もとより敬愛の念などかけらもなく、ただ自治体の自己宣伝に乱歩を利用することしか考えようとしない。そしてあさはかな思いつきは、ことごとく滑ってばかりいる。こんなまちを、リチャード老に見せたら、何というかな。

 いうまでもない。てやんでえべらぼうめ。おととい来やがれすっとこどっこい。


 ■4月12日(木)
まったくどうよこのプロセス 

 さて、わが積年の悲願にして地域住民にとっては伝家の宝刀、住民監査請求はいったいどうなってしまうのか。

 4月5日、私は名張市役所の監査委員・公平委員会事務局で二枚の書類を示した。昨年6月18日に開かれた名張まちなか再生委員会2006年度総会の資料の一部だ。詳細は名張市オフィシャルサイトの「平成18年度名張まちなか再生委員会総会資料」(PDF ファイル)をご覧いただくことにして、以下に必要なところだけを抜粋する。

 一枚目。「[議事1関連資料]平成17年度事業経過報告」から。

□平成17年度活動概要
 
H16年度〜H17年度実績
全体
──
歴史拠点整備プロジェクト
約1千9百万円
水辺整備プロジェクト
約7百万円
交流拠点整備プロジェクト
約8百万円
生活拠点整備プロジェクト
歩行者空間整備プロジェクト
約1千6百万円

 「H16年度〜H17年度実績」というのはいったい何か。2004年度から2005年度にかけて、委員会の五つのプロジェクトはこれだけの予算をつかいましたという報告なのか。どうもよくわからない。

 二枚目。「[議事5関連資料]平成18年度事業計画(案)について」から。

□平成18年度名張まちなか再生委員会事業計画(案)
〔参考〕概算予算枠
(仮)初瀬ものがたり交流館整備事業
約60,000千円
(仮)乱歩文学館整備
 ・解体
 ・基本計画
約17,000千円
サイン整備実施計画
約2,500千円
まちづくり活動支援
約1,500千円
事務費ほか
約4,000千円

 「〔参考〕概算予算枠」というのはいったい何か。2006年度にはこれらの事業に概算でこれだけの予算をつかいますという説明なのか。どうもよくわからない。

 さてお立ち会い。当サイト「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」で振り返ってみると、過去のプロセスのおおまかな流れはこうなる。

  2004年6月23日、第一回名張地区既成市街地再生計画策定委員会が開かれた。つまり名張まちなか再生プランの策定がスタートした。

 2005年1月20日、名張地区既成市街地再生計画策定委員会が名張市長に「名張地区既成市街地再生計画『(仮称)まちなか再生プラン』(素案)」を提出した。細川邸を歴史資料館として整備する構想を盛り込んだこの素案はそのまま決定されることになる。

  2005年6月26日、名張まちなか再生委員会の設立総会が開かれた。歴史資料館整備事業の実施設計は2005年6月から10月までの期間で行われることになっていた。

 そして現在、歴史資料館になるはずだった細川邸は初瀬ものがたり交流館(仮称)として整備されるらしいと聞き及ぶが、整備の具体的な方向性はまったく決まっていないとも伝えられる。2004年6月以来の名張地区既成市街地再生計画策定委員会ならびに名張まちなか再生委員会による協議検討は、少なくとも細川邸を歴史資料館として整備するという当初の構想に関していえば、迷走したままどのような結論にもいたっていないのである。これまでのプロセスはまったくの無駄であった。時間の無駄であり経費の無駄であったというしかあるまい。いまやそのように結論すべきときなのである。いつまでも先送り決め込んでんじゃねーぞばーか、てなもんなのである。さて、この経費の無駄が住民監査請求の対象になるのかどうか。

 経費としてはどのようなものがあげられるのか。たとえば、すでに工事が行われた細川邸の一部解体除却には応分の費用がかかっているはずである。あるいはこれまでのプロセスで、委員会がコンサルタントと称する業者に発注して図面を引かせたり模型をつくらせたりということもあったであろうと推測される。それはむろん OK である。当然必要とされる作業だろう。さらには、コンサルタントが提出したプランを委員会側が何らかの理由で採用しなかったという場合も想定されるだろう。というよりも、いまだに何も決まっていないというのであれば、コンサルタントによって提示されたプランはことごとく不採用だったと見るしかあるまい。むろんその場合にも、業務としてプランを示したコンサルタントへの対価は支払われているものと推察される。

 もとより私は試行錯誤を否定しているわけではない。誰かがひとつのプランを案出する。それが協議の結果否定され、別のプランが採用される。そしてそのプランもまた不採用となり、より高度に練りあげられ考え抜かれたプランが最終的に決定される。それはひとつの決定にいたるプロセスでふつうに見られることである。途中で否定されてしまったプランは無駄ではない。無意味なものでもない。協議検討や試行錯誤の過程においてぜひとも必要なものであったといえるだろう。だがそれは、あくまでもひとつの決定にいたったときの話だ。

 名張まちなか再生プランの場合は大きく話がちがっている。なーんにも決まっていないのである。2004年6月にプランの策定が開始され、2005年6月にはプランを具体化するための委員会が発足して、その時点では細川邸の実施設計は遅くとも2005年10月には行われているはずであった。それが2007年4月現在、いまだに白紙の状態である。なーんにも決まっていないと伝えられる。あーでもないこーでもないと下手な考え並べたあげく、いったいどうよこのざまは。なーにやってんだこのすっとこどっこいのこんこんちきのスーダラ連中どもめが、と私は思う。

 だーから最初っからいってんじゃん。官であれ民であれ、そこらのうすらばか何十人あつめてきたって何の役にも立たんのだ。ばかがばか同士で増幅しあって死ぬほどうるさくなるだけなのだ。もういい加減にしてくれ。こんなのは構造的には「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」とまったくおんなじことではないか。要するに内発的なものがどこにもない。見事にない。何ひとつない。何があったか。金である。予算である。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」においては北川正恭さんとかおっしゃる前知事が絵図を引いたばらまき路線、すなわち街道フェスタから東紀州フェスタへ、そして伊賀地域へという県政において日ごろあまり恵まれておらぬと目されるエリアで点数稼ぐためのばらまき予算の絨毯爆撃があったのであり、名張まちなか再生プランにおいては国のまちづくり交付金があったのであって、こんな交付金制度も畢竟するに政府の点数稼ぎでしかないであろう。

 それでどうなったか。私は「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」がスタートする一年以上も前に事業の帰趨を見通し、「乱歩文献打明け話」の第二十五回「芭蕉さんは行くのか」にこう書いた。

「ですから『生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき』事業もきちんと一から見直さなあかんわけです」
「税金の使途として適正かどうかをもういっぺん見直してみましょうと」
「いまからでも遅くはないんですから武器を捨てて出てきなさい」
「いや別に誰も罪を犯して籠城してるわけやないんですから」
「でも見直しは必要やと思いますよ」
「そしたらその実施計画ゆうのはいったい誰が決めるんですか」
「官民合同の二〇〇四伊賀びと委員会が地域住民から寄せられた事業案も勘案して最終的に決定するわけですけどね」
「それやったら住民の知恵を結集した素晴らしい実施計画ができあがる可能性もあるわけやないですか」
「しかし住民の知恵ゆうのがどの程度のもんかゆう問題もありますしね」
「それはわかりませんがな」
「そしたらたとえばここに一人の地域住民がいて地域振興に寄与できる素晴らしいプランをもってたとしましょうか」
「ほなそれをこの事業でとりあげて実現したらええのとちがうんですか」
「とりあげへんかったらどうします」
「とりあげへんかったらとは」
「つまりほんまに素晴らしい地域振興プランを思いついた人間やったらそれを実現するために行政に働きかけたり事業化したりそれぞれの立場でみずから進んで動いてるはずなんです」
「それはそうかもわかりませんね」
「県が予算くれるのやったらやりますけどとりあげてもらえへんのやったらやりませんみたいな根性の人間はその根性自体がすでにアウトなんとちゃいますか」
「アウトゆうこともないでしょうけど」
「テレビの『マネーの虎』に出たかてそんな人間は美空ひばりのご養子さんにこんこんと説教されておしまいですよ」
「テレビのことはどうでもええがな」
「それにしてもあのご養子さんはどうしてあんなに品がないんですかね」
「人のことほっとけませんか」
「品のなさでゆうたら自民党の古賀前幹事長とええ勝負してますからね」
「いちいち実名を出すなゆうねん」
「やっぱり人間の品格はお金では買えないゆうことなんでしょうね」
「そんなこと知りませんがなもう」

 要するに伊賀地域住民はばかなのであると書いてある。ばかのやることなど知れておると書いてある。伊賀地域住民全員が全員ばかであるとも思われぬけれど、やれ協働であるほれなんたらかんたらの公であるなどというお題目に踊らされてへこへこしゃしゃり出てくる住民のレベルなら知れておる。ひとことでいえば乞食である。おのれの趣味や道楽の延長線上に一円でも多くの税金を抱え込もうとする乞食どもである。げんにそのとおりであったではないか。内発的なものなどどこにもなく、むろん理念やビジョンの共有などは考えたこともなく、ただ目先の金に眼の色を変えた乞食連中が三億円のばらまきにてんでんばらばらに群がり寄ったというのが「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の実態だったではないか。そうであろうが乞食どもめが。

 いやまあそんなことはどうだってよろしい。とにかく問題はプロセスである。細川邸をどうするのかという結論を先送りしつづけてこのありさまなのである。これまでのプロセスは完全に無駄であったと見るしかないのである。そしてそのプロセスには、上に抜粋した二枚の書類からもうかがい知れるとおり税金が投入されているのである。それにだいたいがこれはいったい何なんだ。名張市オフィシャルサイトの「平成18年度名張まちなか再生委員会総会資料」には決算の報告も予算の説明もどこにもない。ただ上に引いた「H16年度〜H17年度実績」と「〔参考〕概算予算枠」とが申しわけ程度に記されているだけなのである。

 なんたることであることか。これはもうわが積年の悲願にして地域住民にとっては伝家の宝刀、住民監査請求の出番であろう。決定の先送り状態はいまもつづいているようなれど、2006年度が終わった時点で過去のプロセスを住民監査請求の餌食にしなくてどうする。伝家の宝刀を抜かなくてどうする。積年の悲願を達成しなくてどうする。私はそう考え、名張市役所の監査委員・公平委員会事務局を訪れて質問したのであった。その返答はいかに。

 あすにつづきます。

  本日のアップデート

 ▼2007年2月

 戦慄やあい!──一読者の探偵作家に対する注文 西尾正

 2月に論創社から出た『西尾正探偵小説選1』のことを「RAMPO Up-To-Date」に記載するのが4月になってしまいました。

 それにしてもこの論創ミステリ叢書、いったいいつまで出つづけるのか。どこまで行ってしまうのか。少し前には中村美与子などという見たことも聞いたこともない作家の巻まで出てましたけど、とにかくこういった本が出ることは私にはまことにありがたい。草深い土地に住んでいるせいで国立国会図書館とかミステリー文学資料館とかへちょっと調べものに、といったことがなかなかできない私には、この論創ミステリ叢書はじつにありがたく頼もしいシリーズである。にしても、いつまで出るのか。どこまで行くのか。

 西尾正は乱歩のファンだったようで、この巻に収められた評論や随筆のたぐいでも乱歩のスランプを心配し「石榴」を高く評価し、さらに「再び『芸術品の気品』について他」では横溝正史が「悪霊」の中絶をめぐって「新青年」誌上で乱歩に浴びせた悪罵について、

 ──新青年四月マイクロフォンの横溝正史氏の乱歩氏に対する批難は、乱歩氏の作家的素質を全然無視し、しかも経済生活にまで言を弄しているのは、いささかヒステリックであり、乱歩氏に直接口を以て言うべきであって、発表すべき内容ではないと思った)

 としごく穏当な感想を述べています。

 それでは引用。甲賀三郎、小栗虫太郎、水谷準といった愛読する探偵作家を順に論じた評論から乱歩のパートをどうぞ。

 江戸川乱歩──乱歩ほどパアソナリティの強い作家は二人とあるまい。甲賀三郎の常識モラリズムに乱歩の特異な神経──病的と言ってもいい──が対立していて二人の大家を画然と区別している。実に屋根裏を這って下の部屋に寝ている蓄膿症を病む男を殺すなどということを空想した人間は、平林初之輔の言い草ではないが、世界広しといえども二人とあるまい。乱歩のよさは本格的プロットに加えるに、「異様」な雰囲気を以てした作風である。これらは修練や勉強で得たというよりも、一に乱歩の特異な人間性から出たものであるから、如何なるエピゴオネンの存在をも許さない。乱歩は自分でも書いている通り非常にほてり易く、むしろ稚気さえも感じられるほどのテレリストらしいが(実際生活は知らず)「赤い部屋」や「人間椅子」や「陰獣」などの結末の、全部が出鱈目だったというドンデン返しも彼の照れリズムに由来するものであると思う。つまり最後の手前まで書いて、さて考え直してみるに、あまりにも現実に有りそうもない事件なので、持ったが病のテレ性でテレ臭くなり、いっそのこと嘘にしちゃえ!──ということになるのではないかしら?(間違っていたら失敬)乱歩の欠点は、己が夢を語り過ぎて饒舌になり過ぎることであると思う。旧作「パノラマ島綺譚」などその弊の最も甚だしいもので、新青年が広告文にまで用いた最近の「悪霊」の屍体の描写のごときもあまりに饒舌に過ぎて読者の想像を許さず、何となく迫真力が弱まる感じがする。作者は、現実にありそうもない場面を描写する場合には、できるだけ筆をつつしみ簡潔な文章を以てすべきであると思う。■〔女+尾=くど〕く書けば書くほどその場面は一層嘘らしくなる。疑う者はポオの「アッシャア館の崩壊」の余韻嫋々たるラスト・シーンを見よ。メリメエの簡潔にして力強き短篇を見よ。乱歩に対しては特に注文はない。ただ最近の「妖虫」とか「黒蜥蜴」とかのチャンバラ物を書くことはすっぱり止めて、大事な精力を失ってもらいたくないとの一点である。

 こういった同時代評とでもいうべき文章を丹念に発掘してもらうことは、いつの日にか刊行されるはずの『江戸川乱歩年譜集成』にいっそうの充実をもたらすものであり、論創ミステリ叢書には心からなるエールを送りたい気分ではあるのですが、それにしてもいつまで出るのか。どこまで行くのか。


 ■4月13日(金)
公文書公開請求書を書いてみた 

 さあ住民監査請求です。無力きわまりない地域住民にとっての伝家の宝刀です。もしもめでたく請求書を提出することができて監査が行われ、その監査結果に不服があった場合はいよいよ住民訴訟に突入することになります。住民訴訟となればこれはもう伝家の宝刀どころか貧者の核爆弾というかワーキングプアのリーサルウェポンというか、とにかく相当なものなのですが、しかしほんとにできるのか。

 4月5日、名張市役所の監査委員・公平委員会事務局でスタッフから懇切な助言を受けたその結論は、まず名張市に対して情報開示を請求すべしということでした。名張まちなか再生委員会がこれまでのプロセスでどれだけの公金を費消したのか、それを明らかにすることからはじめよとのことです。むろんその程度のことなら私にも察しはついていて、しかも事前に住民監査請求について調べてみたところ、「注意点」として、

 「住民監査請求は、60日という短期間の内に監査委員が判断をしなければならないことから、違法不当な財務会計上の行為は、請求人の方で個別的、具体的に特定していただくことが必要です」

 と明記している自治体もあって(長崎県オフィシャルサイトのこのページ)、こーりゃなんだか面倒そうだなと思われましたそのゆえに、過去のプロセス(といっても過去一年以内に限るという規定があるのですが)を監査してくれといったおおざっぱな請求が OK なのかどうか、それを事務局で確認した次第であったのですが、しかしどうやら無理っぽい。

 それで私は監査委員・公平委員会事務局のスタッフに礼を述べ、名張市役所の四階から一階へ向かいました。情報開示請求を行うには一階総合案内窓口の奥にある市民情報相談センターを訪れよと教えられたからです。そのセンターで事情を説明すると、担当職員と直接話したほうがいいだろうとセンタースタッフが名張まちなか再生委員会事務局に電話を入れて事務局の職員ふたりを呼び出してくれました。私は事務局職員にも事情を話し、センターで手渡された「公文書公開請求書」という用紙に必要事項を記入していったのですが、「公文書の名称その他公文書を特定するために必要な事項」という欄には、

 ──平成17・18両年度における名張まちなか再生事業の予算執行内容

 と書くしかありませんでした。ずいぶんとおおざっぱです。こんなことでいいのかなと思案していると、どんな公文書が存在するのか調べてリストアップしてみましょう、と事務局職員が提案してくれましたのでその助け船に乗ることにして、書きかけの「公文書公開請求書」は提出せずに名張市役所をあとにしました。それが4月5日の木曜のこと。

 そしてきのう、12日木曜の午後のこと。一週間ほど待ってみても名張まちなか再生委員会事務局から連絡がありませんでしたので、どうなってるのかと思いながら私は名張市役所の市民情報相談センターに再度足を運び、再度「公文書公開請求書」に記入しました。きのうもまたセンタースタッフが名張まちなか再生委員会事務局の職員ふたりを呼んでくれましたので、聞いてみると公文書のリストアップがようやく終わったところだから、あすにでもごらんいただきたいとのことでした。

 あすというのはきょう13日のことなのですが、13日はちょっと時間が取れそうにありません。それで週明けにお願いすることにして、16日の月曜日は三重県立名張高等学校の先生稼業もいよいよ三年目、その第一歩をしるす日にあたっているのですけれど、授業を終えてから市役所まですっ飛んで公文書のリストに眼を通すことにいたしました。つまりきのう書いた「公文書公開請求書」もまた提出せずじまい。そのまま名張市役所をあとにした次第です。

 さあこのあとはいったいどうなるのか。次の報告は17日火曜日以降ということになります。

  本日のアップデート

 ▼2007年3月

 続鎌倉病床記 西尾正

 きのうにつづいて西尾正。きょうは3月に出た『西尾正探偵小説選2』から。

 東京創元社版の『貼雑年譜』を精読というか精査してみると、乱歩の収集癖(蒐集癖と書くべきか)があらためて身に迫ってくる。それはもうやはりたいへんなものであって、むろん例によって飽きっぽい人のことだからそれゆえの手抜きが見られることも事実なのだが、基本的には自分の名前が出てくるものはどんな片々たるものでも集めたいと念じていたのではないか。ちなみにお知らせしておくと、乱歩の収集癖に関しては三浦俊彦さんの『のぞき学原論』が示唆に富んでいる。読み終えたらこのコーナーで紹介したい。

 『貼雑年譜』には「大衆文芸」に掲載された読者評の切り抜きがいくつも貼りつけられたページがあり、いずれもせいぜい十数行。なかに名柄みどりという女性の文章があって、確信犯的に著作権を無視して(もう消滅しているのかもしれないが、いずれにしても確認のしようがない)全文を引いてみる。文中、「宇野浩式」「華さ」は原文のまま。

 小酒井さんは学者で芸術家ではないのですからあたしはそのつもりで読んでゐます。たとへ文章は宇野浩式に冗漫でも(尤もずつと華さはあるけれど)江戸川さんは小説家ですから主観が燃えてゐます感情が旋律となつてうづまきます。江戸川さんのはよんで考へさせられますが小酒井さんのは感じがうけ入れられません。

 「某艦の爆沈」は本当にいゝと思ひましたが「偶然の一致」は困りました。それから久山秀子さんは女の方ぢやないでせう。

 たったこれだけの素人の批評でも、乱歩は見逃さずにスクラップしている。ちなみに私はこの文章の初出をつきとめたいと考え、なかに出てくる作品名を手がかりに調べてみたところ、「新青年」の大正15年2月号に「某艦の爆沈」が、3月号に「偶然の一致」が掲載されていた。いずれも川田功の作品であるが、どうして「大衆文芸」の読者評に「新青年」の掲載作品が登場するのか。そこで大正15年の「新青年」の復刻版を血まなこでチェックしてみた結果、この名柄みどりの文章は「大衆文芸」ではなく「新青年」の大正15年7月号に掲載されていることがわかった。世に並びなき乱歩の収集癖ではあるけれど、まあ適当っちゃ適当なところもあったのである。

 ともあれ『貼雑年譜』に横溢している比類なき収集癖に鑑みて、『西尾正探偵小説選2』からは乱歩に関するわずかな言及しかない「『日常性について』その他」も録しておくことにした。これは「探偵作家クラブ会報」に発表された文章で、柏書房から出た復刻版『探偵作家クラブ会報(第1号〜第50号)』で読むことができる。だから私は刊本『乱歩文献データブック』を編纂したとき復刻版で眼にしていたはずなのだが、乱歩への言及があまりにも断片的だったからだろう、乱歩文献としてひろうことはしなかった。『西尾正探偵小説選2』で気軽に読めるようになったこともあるので、考えを改めて「乱歩文献データブック」にも記載した次第である。

 それでは、戦後復刊された「ぷろふいる」に発表された西尾正の文章から、丸括弧でくくられた最後の段落を。

 (さき頃「石榴」を読み返してみたが、この作が読めば読むほど、意外に探偵小説精神の執拗な、濃厚な作品であることが判って来る。篇中サディズムの臭味と自然描写などを除ってしまうと、乱歩氏の作の中では一番純粋な探偵小説であると思う)

 ■4月14日(土)
ちょっとしたトラブルで 

 ちょっとまいった。さあきょうも楽しく更新だ、まーったくどーしよーもねーなー名張市は、みたいなところから入るか、きのうの午後もまた三重県立図書館であった、といったあたりにひとまず進むか、どっちっらっにっしようかなっとか思いながらサイト構築ソフト Adobe GoLive を起動したらこのページ、この人外境主人伝言なんかが掲載されているページがずいぶん変なことになっていて、その修復にすっかり時間を取られてしまった。ちょっとしたトラブル、原因不明。なんとか旧に復したのだが(まだおかしなところが残っているかもしれない)、そんなこんなできょうはこれだけまたあした。

  本日のアップデート

 ▼2007年5月

 人間椅子 伊藤潤二

 「ビッグコミックオリジナル」5月増刊号に掲載されました。

 ネタを割ることは憚られますので、あっと驚く乱歩版「人間椅子」の後日談、みたいなストーリーであるとのみお知らせしておきましょう。かなり気の利いたひねり方がしてありますので、乱歩ファンのみなさんはぜひご一読を。

 それでは人間椅子に抱かれる閨秀作家の図をどうぞ。なお、これはけっして無断転載ではなく、あくまでも引用の範囲内にとどまるものであるとご理解ください。

 伊藤潤二さんの「人間椅子」が発表されるということは2ちゃんねるミステリー板の乱歩スレ「【大暗室】 江戸川乱歩 第十夜」で教えられたのですが、あともうひとつ、やはり同じスレッドで見かけたように記憶しているのが学研 M 文庫の4月の新刊で『黒蜥蜴』が出るという情報。内容はよくわかりませんが、乱歩「黒蜥蜴」と三島「黒蜥蜴」のカップリングではないかと想像しております。本屋さんで探しても見つからなかったので店員のお姉さんに版元へ確認してもらったところ、刊行は6月以降に延期、タイトルも『黒蜥蜴』になるかどうか未定であるとのことでした。乱歩ファンのみなさんはしばらくお待ちを。それから2ちゃんねる乱歩スレのみなさん、どうもありがとうございました。


 ■4月15日(日)
これが名張の七不思議 

 まーったくどーしよーもねーなー名張市は、というおはなしである。

 まずは新聞記事である。先日も記したことなれど、このところおとなりの伊賀市では腹から笑えるたとえばこんなニュース(4月14日付伊勢新聞)がよく報じられているというのに(議会改革とやらでかっこつけてみたところでしょせん実態はこんな程度か。やーいこの田舎者がばーか)、当地名張市にはろくなニュースが見あたらぬ。花が咲いた、ただそれだけのことで人の心がなごんでくる、そんな程度のニュースでいいからと眼を皿のようにして探してみたってそんなものはどこにも見つからぬ。ほんとにどうよこの閉塞感。おらもうほんとに知らねーぞ。ともあれ記事の話である。

  本日のアップデート

 ▼2007年4月

 旧桝田医院の第二病棟跡地/名張市の整備協議が難航/乱歩の生家復元に慎重/財政難 維持管理費が多大/市担当者「公園程度なら」/乱歩顕彰グループ「大きな市財産」 伊東浩一

 中日新聞の記事である。中日のオフィシャルサイトにこの記事が掲載されるやいなや三重県よろずやさんから掲示板「人外境だより」に速攻でお知らせをいただいたのだが、これがどういうことなのかというと、名張市民以外の三重県民にもこの件に関心をおもちの方がいらっしゃるということであろう。というか、私のサイトを継続的にごらんいただいている乱歩ファンのみなさんなら、大なり小なり関心を寄せてくださっていることであろう。肝心の関係者は視点を外在化させることができない悲しさ、圧倒的なご町内感覚でしかものごとを考えられぬ連中ばかりだからそれがどうしたとお思いなのであろうけれども、それがどうしたのかここでお教えしておくならば、名張市ってのはつくづくばかだなということがインターネットによって世界に発信されているということである。まーったくどーしよーもねーなー名張市は、と名張市が笑いものになっているということである。しかし関係者にはどうってことないだろう。なにしろご町内感覚である。ついでにいっておけば責任回避である。主体性放棄である。思考停止である。どうってことねーやな実際。

 さてその記事、中日のオフィシャルサイトから引いてみる。

旧桝田医院の第二病棟跡地 名張市の整備協議が難航
 推理小説家江戸川乱歩の生誕記念碑が立つ名張市本町の旧桝田医院第二病棟の跡地利用の話が進んでいない。市が2006年度に計上した跡地利用関連予算は07年度に繰り越された。乱歩の生家復元を軸に検討されてきたが、ここにきて市は、維持管理費などの面から復元に慎重になり、先行き不透明な状況だ。

 第二病棟の土地約四百平方メートルと木造平屋の建物約二百六十平方メートルは〇四年十一月に所有者の桝田寿子さんから「まちづくりに生かして」と市に寄贈があった。

 亀井利克市長は、この土地に乱歩の生家を復元する考えを表明し、生家復元の方向で話は進展。〇六年度に病棟解体費七百万円と跡地利用の実施設計費二百五十万円を一般会計予算に盛った。

 しかし、市が〇六年十一月にまとめた〇七年度から〇九年度までの中期財政見通しで、この三年間に市財政に二十一億円の財源不足が生じることが判明。各大型事業費を見直す必要性が生じた。

 何なんだこれはいったい。まーったくどーしよーもねーなー名張市は。どーしよーもねーのはどーしよーもねーとして、それにしてもわけがわからぬ。意味不明である。不思議ふしぎ摩訶不思議。『ふしぎとぼくらは何をしたらよいかの百科事典』(カート・ヴォネガット追悼。しかしこんな百科事典がヴォネガット作品に出てきたのであろうか。私の記憶はたしかに出てきたと私に告げているのであるが、私の理性はまーた勘違いじゃね? とかいっている)でも引いてみなけりゃ理解不能である。

 それではどこが不思議なのか、名張の七不思議を検証してみましょう。

 名張の七不思議その一。

 名張まちなか再生委員会の謎。

 えーっとまず、名張まちなか再生委員会ってのはどういうものだったのでしょうか。あいつら桝田医院第二病棟の活用策を勝手に検討してたじゃん。あれはいったい何だったの。

 もとよりそれは正当なことではなかった。名張まちなか再生プランには桝田医院第二病棟のことなどひとことも記されていなかったのだから、プランを具体化するために組織された委員会が桝田医院第二病棟について検討するのは明らかに不当なことであった。だから私は名張まちなか再生委員会の事務局に何度も足を運び、おまえら桝田医院第二病棟のことを検討するのであれば名張地区既成市街地再生計画策定委員会を再招集して名張まちなか再生プランの練り直しをさせろ、それが筋ってものだろうが、と迫ってみたのだがそれはできないとの返答が返ってきた。

 あげくのはてに連中は、2006年度の総会で「時点更新」などという意味不明の制度を設けて自分たちの行為を正当化してしまいやがった。といったって身内だけに通用する勝手な理屈をこねただけ、実際のところは正当化などまったくできていないのであるが、なにしろご町内感覚である。ご町内だけまーるく収まればそれでいいのである。何いわれたって「乱歩に関して外部の人間の話を聴く考えはない」などと平気で口走ることができる堅忍不抜のご町内感覚なのである。筋だの道理だのフェアネスだのジャスティスだの、そんなこたどーだっていーんだよな実際。

 名張の七不思議その二。

 生家復元の謎。

 ここへ来て乱歩の生家を復元するって話が出てきたのはどうよ。しかも「〇六年度に病棟解体費七百万円と跡地利用の実施設計費二百五十万円を一般会計予算に盛った」とある。盛ったけれども結局は何もできなくて「07年度に繰り越された」とある。このあたりの具体的な予算の動きはいずれ住民監査請求、いやそれ以前の公文書公開請求によって明らかになるはずであるけれど、にしてもこれはどういうことか。

 名張まちなか再生委員会は桝田医院第二病棟の活用策をたしかに検討していた。げんに今年の2月1日、私は名張市役所で開かれた名張まちなか再生委員会の第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会に出席している。これは要するに桝田医院第二病棟の活用策を検討する委員会であった。だから私はこんな検討は完全に不当である、協力などいっさいしないからそのように心得よと宣してきたのであるけれど、あッ、あッ、あの委員会の席に端を発した、

 ──いいかこら教育次長だかなんだか知らんがろくに経緯や事情もわきまえぬ人間が横からしゃしゃり出てきて人に偉そうな説教かましてんじゃねーぞたこ。

 の件を住民監査請求だの公文書公開請求だの「新青年」復刻版だの『貼雑年譜』だの三重県立名張高等学校新年度だのにとりまぎれてすっかり忘れておったではないか。いかんいかん。こんなことではいかんのであるが生家復元の話をつづけると、いったいどうよこのぐだぐだは。

 要するにこうである。名張市の2006年度予算には桝田医院第二病棟に乱歩生家を復元するための予算が盛り込まれていた。中日新聞の伝えるところによれば、病棟解体費七百万円と実施設計費二百五十万円である。ところがそのいっぽうで名張まちなか再生委員会は2006年度、桝田医院第二病棟の活用策として乱歩文学館がどうのこうのとない知恵をしぼっていたのである。なーにばかなことやってんの。つか、こーゆーふたまたってあんまよくねーんじゃね?

 とはいうものの話の流れとしては理解できないものでもない。名張まちなか再生プランには桝田医院第二病棟のことが盛り込まれていなかった。だから名張市は独自に生家復元というプランを提示し、その実現に向けた予算を組んだのであるということだったのであれば話の流れはすんなり理解できる。曲がりなりにも筋が通っている。ただしその場合には、名張市が名張まちなか再生委員会に対して桝田医院第二病棟のことはこっちで考えっから、あんたがたはもうええから、暇があったら牛小屋の掃除でもしててくれっちゃ、と明確に伝えておく必要がある。それをすることなく名張まちなか再生委員会に検討を委ねたふりをしておきながら、いまごろになってじつは2006年度予算には生家復元の予算がどうのこうのといいだしてるようでは話にならない。名張まちなか再生委員会が怒り出してしまうことであろう。

 ここで乱歩の生家復元について振り返っておく。人外境主人伝言2004年12月前半に引用した朝日新聞の記事を転載する。

乱歩生誕碑ある家 活用して 名張
 名張市に生まれ、日本の推理小説の生みの親として知られる江戸川乱歩(1894〜1965)の生誕碑がある同市本町で、空き家となっている医院の施設の所有者が、乱歩に関連した活用を願って、同碑が建っている土地と建物を市に寄贈した。市は今後、活用方法を検討する。

 寄贈したのは、同市新町の桝田医院(田中成典院長)の初代院長で乱歩と交流のあった故・桝田敏明さんの妻の寿子(ひさこ)さん(81)=大阪府高槻市在住。すでに、先月24日に所有権の移転の手続きを終えたという。

 寄贈については、今年9月、寿子さんの「乱歩にちなんだことで市に活用してほしい」との思いを受けた長女の寿美さんが、名張市立図書館嘱託職員の中相作さんに電話で相談。中さんは亀井利克市長に報告するとともに「乱歩の生家を復元したらおもしろいのではないか」などと助言したという。

 亀井市長は「今後のまちづくりの大きなインパクトになる。活用方法については、住民と協議して今年中にも決め、正式に発表したい」と話している。

 ついでに毎日新聞。

「江戸川乱歩のために使って」 名張の桝田寿子さん、病棟と土地を市に寄贈 /伊賀
 ◇記念館として、整備検討

 名張市生誕の推理作家、江戸川乱歩の生誕碑がある名張市本町の桝田医院第2病棟所有者、桝田寿子さん(81)が「乱歩に関することで活用してほしい」と病棟と土地を名張市に寄贈していたことが7日、分かった。病棟は空き部屋となっており、名張市は「江戸川乱歩記念館」として整備しようと検討を始めている。【熊谷豪】

 病棟(木造平屋建て、敷地面積約380平方メートル)は築後約50年が経過し、83年から使用していない。桝田さんは「乱歩にかかわることで市に活用してほしい」と、乱歩に詳しい名張市立図書館嘱託職員の中相作さん(51)を通じて寄贈を申し出て、11月末に所有を移転したという。

 中さんは「乱歩の生資料の収集は難しいが、生家を復元したら面白い。生誕碑が出来て50周年となる来年11月3日のオープンを目指してほしい」と話している。

 お読みいただいたとおりである。桝田敏明先生のご遺族から寄贈のお申し出をいただいたのは私である。2004年9月5日のことであった。所有権移転の手続きが終わったのは11月24日のことであった。新聞で報道されたのは12月8日のことであった。11月24日のことを12月7日まで、名張市はどうして隠蔽していたのかな。都合の悪いことでもあったのかな。まあそんなことはどうだってよろしい。お役所の隠蔽体質にいまさら驚く必要はあるまい。

 さて2004年の9月、私は桝田先生のご遺族から承った寄贈の話を市長に伝え、桝田医院第二病棟の活用策はひろく意見を募って決めればいいのであるけれど(ひろく、ってのは名張市民以外からも、って意味なのね。ご町内感覚で凝りかたまってる人たちにはとても理解できんかもしれんけど。とはいえ、名張市民以外からも、ってのはそこらの大学の御用学者の先生から、って意味ではまったくないのよね。肩書ばかりをありがたがってる人たちにはまったく理解できんかもしれんけど)、丸投げしてしまうのは望ましくないゆえ名張市としての腹案はもっているべきであると考えて、上の新聞記事にあるように乱歩の生家を復元するというプランを提案したのである。

 とにかくもう乱歩と聞けばたちどころに記念館だの文学館だの、脊髄反射的に反応してしまうばかのみなさんご一同はなんとかならんものか。2003年の夏にも名張商工会議所が細川邸を乱歩なんとか館として整備したいなどという構想をぶちあげたものであったが、そんなのつくってどうするの。つくるだけはつくれてもあとの管理運営はどうするの。お金もかかるし人材も必要なのである。そんなことなーんにも考えずすべて他人任せにしてただ乱歩文学館だ乱歩記念館だと口走るばかはごちゃごちゃいってないで牛小屋の掃除でもしてろっちゃ、とか思った私はせいぜい乱歩の生家を復元するくらいでいいだろうと、細川邸の敷地の一角に生家を復元しておけばよかろうと、それでも名張にしかつくれない施設ではあるしやれ企画展だそれ館報だと頭をつかう必要もないのだしと、そのようにアドバイスして細川邸を乱歩なんとか館にしてしまうという構想には待ったをかけることができたのである。しっかしまあどいつもこいつも。

 名張の七不思議その三。

 再精査の謎。

 中日新聞の記事にはこうも書かれている。

 乱歩の生家復元についても再精査し、生家の復元費用が多大なこと▽復元後も見学者に対応するための維持管理費がかかること▽見学者が訪れ、周辺住環境に悪影響を及ぼす−などの懸念材料から、市は生家復元をためらっている。

 何が「再精査」か。名張市はいったいいつ最初の精査をしたというのか。どこのどなたがこんなコメントかましたのかは知らねども、大嘘ぶっこいてんじゃねーぞこの唐変木。

 私の経験したところによれば公務員にはおかしな習性があって、いやそれはもう彼らにはおかしな点なら死ぬほどあるのだが、これはその一例、何か新しいことをはじめるように要求してみたとしよう。彼らは決まって、それができない理由を並べ立てることからはじめるのである。不可能性を責任回避の盾とするのである。だからいまごろになってあれがあれだしこれがこれだしとこんなこといいだしてるわけなのであるが、いいかこら、再精査も何もこんな「懸念材料」とやらは最初から知れていることではないか。いまさらこんなご託を並べているということは、いままでなーんにも考えてませんでしたとみずから暴露しているようなものではないか。しっかりしたまえ。

 まあよかろう。公文書公開請求書がもう一枚必要になったということである。「公文書の名称その他公文書を特定するために必要な事項」の欄には、

 ──4月13日付中日新聞伊賀版の記事「旧桝田医院の第二病棟跡地 名張市の整備協議が難航」に記された乱歩の生家復元についての「再精査」に関する記録

 とでも書いておくか。

 名張の七不思議その四。

 名張まちなか再生委員会の謎リターンズ。

 記事にはこんなことも書かれている。

 現在、第二病棟の跡地利用については、伊賀地域の乱歩顕彰グループ「乱歩蔵びらきの会」のメンバーと市担当者の間で主に検討しているが、蔵びらきの会のメンバーからは「まちづくりの観点から乱歩の生家復元は必須」との声が大きく、市はすんなり生家復元を取り下げることもできない状況にある。

 だから名張まちなか再生委員会はどうなのよ。ルールや手続きを完全に無視して桝田医院第二病棟の活用策を検討していたのはあの委員会であったではないか。それが「伊賀地域の乱歩顕彰グループ「乱歩蔵びらきの会」のメンバーと市担当者の間で主に検討している」ってのはどうよ。話の筋がめっちゃ無茶苦茶。いい加減なことばっかやってんじゃねーぞこのこんこんちき。

 名張の七不思議その五。

 都市環境部の謎。

 さらに引用。

 市都市環境部担当者は「記念碑のある公園程度のものとし、維持管理費がかかるような建物は建てたくない。市役所内の意見を集約し、蔵びらきの会員らと協議して方針を決める」と説明する。

 だから都市環境部ってのはいったい何よ。名張まちなか再生委員会の事務局は都市環境部の市街地整備推進室に置かれているはずなのであるけれど、これはこらどういうつもりだ。名張まちなか再生委員会が桝田医院第二病棟の活用策を検討するという不当な行為をとんでもない理屈によって正当化しておきながら、すなわち桝田医院第二病棟に関する検討は名張まちなか再生委員会に丸投げいたしましたという態勢を整えておきながら、この期におよんで「市役所内の意見を集約し、蔵びらきの会員らと協議して方針を決める」ってのはどういうことよ。

 それともあれか。名張まちなか再生委員会が降りてしまったのか。桝田医院第二病棟についてはギブアップでございますと音をあげたのか。それならわからぬこともない。「市役所内の意見を集約」することも必要であろうが、そんなぐあいに理路整然と手順を踏んで話が進められているとはとても思われぬ。例によってずぶずぶのなあなあ体質で何に顧慮することもなくルールや手続きもあらばこそ、筋も道理もフェアネスもジャスティスも無視したぱんぱかぱん一直線なのであろうが。眼もあてらんねーな実際。

 名張の七不思議その六。

 委員会の謎。

 もしかして名張まちなか再生委員会のみならず、名張市が発足させた委員会だの審議会だのはみんなこうなのか。自立性や主体性などほんとのところはかけらほども担保されておらぬのか。ようやっとるなまったく。

 名張の七不思議その七。

 中途半端の謎。

 最後は記事の結びである。

 一方、蔵びらきの会の的場敏訓代表は「乱歩は名張の大きな財産。お金がないからといって中途半端なもので終わらせることだけはしてほしくない」と切望している。

 金があろうとなかろうと、名張市にはしょせん中途半端なことしかできないのではないか。財政に余裕さえあれば中途半端でないことができるかというと、それはおおきに疑問である。4月11日付伝言から引くならば、

 ──ろくに作品を読むこともなく、もとより敬愛の念などかけらもなく、ただ自治体の自己宣伝に乱歩を利用することしか考えようとしない。そしてあさはかな思いつきは、ことごとく滑ってばかりいる。

 それが名張市なのではないかしら。

 以上、桝田医院第二病棟に見る名張の七不思議でした。


 ■4月16日(月)
人外境も揺れました 

 ご心配をおかけしていたかもしれません。きのうのお昼、当地が地震に見舞われました。別にどうってことはなかったのですが、電話やメールや掲示板「人外境だより」への投稿でお見舞いをお寄せくださった方もあり(書棚の本が落っこちてこなかったかとのご心配を多くいただきましたけど)、こーりゃちょっと気を利かせて地震の直後に「人外境だより」へ、

 ──人外境は無事だった。

 とか書き込んでおけばよかったなと反省しております。

 記録しておきますと──

三重県亀山市で震度5強 1人重傷、11人けが
 15日午後零時19分ごろ、東海地方から近畿、北陸などにかけて広い範囲で地震があり、三重県北部の亀山市で震度5強、津、鈴鹿市などで震度5弱を記録した。家屋などが損壊し、鈴鹿市で1人が重傷を負ったほか、亀山市や名古屋市、京都府などで11人がけがをした。ほとんどが軽傷という。

 気象庁によると、震源地は三重県中部で、震源の深さは約16キロ。地震の規模はマグニチュード(M)5・4と推定される。東南海地震の発生に影響する可能性は低いとみられるが、同庁は「余震活動は活発ではないが、震度4程度の余震が起きる可能性がある」として警戒を呼び掛けている。同日午後6時34分ごろには、津、亀山市などで震度4の余震があった。

 三重県中部でM5以上の地震を記録したのは1923年の観測開始以来、初めてという。

中日新聞 CHUNICHI Web 2007/04/15/22:56

 「防災みえ.jp」によれば、きのう午後0時19分発生の地震における伊賀地域の揺れは、伊賀市平田で震度5弱、伊賀市緑ヶ丘本町、伊賀市小田町、伊賀市上野丸之内、伊賀市下柘植、伊賀市馬場で震度4、名張市鴻之台、伊賀市島ヶ原、伊賀市阿保で震度3といったところ。午後6時34分にもまた揺れて、亀山市や津市で震度4、四日市市や鈴鹿市や松阪市や伊勢市と伊賀市小田町、伊賀市上野丸之内、伊賀市馬場、伊賀市平田で震度3、名張市鴻之台で震度2といったところでした。

 被害がもっとも大きかった亀山市は乱歩が幼年時代を過ごした土地なのですが、亀山城跡の石垣が崩落し(崩落現場の写真は「三重県よろずや」の4月15日付エントリでどうぞ)、寺の墓石や神社の灯籠が倒れたりしたものの、液晶テレビでおなじみのシャープ亀山工場には被害がなかったとのことでした。

 地震発生時に私が何をしていたのかというと、自宅書斎のソファに寝っ転がってさあ昼飯どうすっかなとか思いながら本を読んでいたのですが、まず最初に微弱な揺れが、そのあとしばらくして本格的な揺れがやってきました。ソファは書棚のすぐ前にありますから本の下敷きになったりしたらたいへんです。書斎に隣接するトイレ兼書庫にすみやかに避難し、満身の力をこめて便器にしがみついていたところ、本が落ちてくるようなドラマティックなことなど何ひとつ起きる気配もなく、つづく余震もないようなのでさあ昼飯どうすっかなとまた思案して、ちょっと二日酔いだからあんまり食べられないしなと日清の出前一丁をつくって昼食とした次第でした。

  本日のアップデート

 ▼2007年4月

 観客引き込む妖艶な黒蜥蜴 花組・桜乃彩音 本庄雅之

 きょうのところはこれでも読んどいてください。宝塚花組の「明智小五郎の事件簿─黒蜥蜴」東京宝塚公演の関連記事です。

 公演のオフィシャルサイトはこちら、日本演劇協会主催の演劇フォーラム「宝塚歌劇『明智小五郎の事件簿─黒蜥蜴(トカゲ)』作品をめぐって」の案内はこちら、2ちゃんねるの花組スレはこちらとなっております。

観客引き込む妖艶な黒蜥蜴 花組・桜乃彩音
 いよいよベールを脱いだグランド・ロマンス「明智小五郎の事件簿−黒蜥蜴」。タイトル通り江戸川乱歩が作り上げた人気探偵、明智小五郎が活躍するサスペンスだ。原作を基に三島由紀夫が脚本化して美輪明宏が演じた映画「黒蜥蜴」(深作欣二監督)でも知られる。

 知性にあふれた美ぼうの持ち主にして妖艶かつ狡猾(こうかつ)な黒蜥蜴の役を託された娘役トップは、「まさか自分だとは思っていなかった」。台本を手渡されてみると、「発したことのないセリフがいっぱい」。時代が「もはや戦後ではない」と言われた昭和30年前後に置き換えられ、上流階級を思わせる言葉遣いが、かなりの難関だったようだ。

 さあ学校へ行ってこよう。


 ■4月17日(火)
住民監査請求一直線 

 おととい発生した地震の続報です。余震はいっさいありませんが、乱歩ゆかりの亀山市では「震度5強から一夜明けた亀山、新たな被害次々判明」(4月17日付産経新聞)、そうかと思うと案の定、「亀山市、参集職員は3割未満 15日の地震で態勢不備」(4月17日付中日新聞)みたいな問題が浮き彫りにされております。

 ならばわれらが伊賀市、いつも腹から笑えるニュースを提供してくれる爆笑都市伊賀市はどうであったか。今回もやってくれたでござる。「三重県中部の地震、伊賀市長はゴルフ大会…終日登庁せず」(4月17日付読売新聞)とのことでござる。あっぱれあっばれ。しかもこれ、読売のサイトの「地域」ではなくて「社会」のカテゴリで扱われてますから、手裏剣対決と忍者議会につづいて伊賀市はまたまた全国区。それにしても「伊賀、名張両市の懇親目的で、今岡市長や両市議、両市幹部職員ら約30人が参加した」というゴルフ大会を狙い澄ましたように地震が発生するなんて、罰が当たってるとしか思えません。お察し申しあげましょう。

 そんなこんなでいろいろご心配をおかけいたしましたが、亀山あたりの被災地域では復旧の問題が残っているにしても、地震そのものはもう大丈夫みたいです。ご厚情に謝意を表します。ありがとうございました。

 さて行ってまいりました。きのう行ってまいりました。三重県立名張高等学校にも行きましたけどそのあと名張市役所へ。

 でもって2005年度と2006年度における名張まちなか再生事業の予算執行内容、しっかり教えてもらってまいりました。「公文書公開請求書」を提出するまでもなく、名張まちなか再生委員会事務局がまとめてくれてあった資料でとりあえず用は足りると判断されましたので、それをもらって帰ってきました。市民情報相談センターで確認してもらったところ、請求書を出さなくても何の問題もないとのことでした。

 それではさっそくまいります。昨年6月18日に開かれた名張まちなか再生委員会2006年度総会の配付資料、名張市オフィシャルサイトに「平成18年度名張まちなか再生委員会総会資料」(PDF ファイル)として掲載されているものですが、この資料が予算や決算の面でどうにも曖昧である。だから明細を知りたいと事務局に要請してありましたところ、2005年度と2006年度の予算執行内容をリスト化してくれてありました。

 まず、これは4月12日付伝言に掲載したものですが、総会資料「[議事1関連資料]平成17年度事業経過報告」からの抜粋。

□平成17年度活動概要
 
H16年度〜H17年度実績
全体
──
歴史拠点整備プロジェクト
約1千9百万円
水辺整備プロジェクト
約7百万円
交流拠点整備プロジェクト
約8百万円
生活拠点整備プロジェクト
歩行者空間整備プロジェクト
約1千6百万円

 合計金額は約五千万円になります。でもってきのうもらってきた資料によれば、2005年度の予算執行はこんなあんばいとなっております。

議事1関連資料:平成17年度(事業計画年度別実績)
内容
契約者
契約額
(工事)細川邸等離れ解体除却工事
(株)ヤマモト
5,757千円
(測試)細川邸用地境界測量
(株)名張測量設計
552千円
(測試)細川邸耐震診断業務委託
(株)都市環境研究所
357千円
(測試)細川邸実施設計委託料
(有)尾形建築事務所
4,697千円
(工事)細川邸外構工事
(株)ホリオ
1,365千円
事務費(繰越分)  
301千円
(測試)城下川現況測量
(株)近畿測量設計
1,639千円
(工事)駅前トイレ改修工事
鈴木工務店
10,817千円
(工事)駅前トイレ給水管布設工事
スガコー建設(株)
175千円
(工事)駅前トイレ改修工事(負担金)
名張市水道事業管理者
523千円
(測試)名張地区既成市街地再生事業実施計画
・歴史資料館整備計画の作成
・細川邸解体除却設計
・水と緑のネットワーク整備計画作成
・歩行者ネットワーク等社会実験実施事業
・「名張まちなか再生プラン」全体の執行管理
・「名張まちなか再生プラン」実施 PJ 総合指導
(株)都市環境研究所
12.321千円
事務費(全体)  
2.201千円
合計
40.705千円

 四千七十万五千円の予算が執行されたということになります。いちばん金額が大きいのは「(工事)駅前トイレ改修工事」の千八十一万七千円、工事は鈴木工務店が担当していて、なんだうちの親戚じゃねーか。しかしトイレは関係ありません。

 細川邸の関係はと見てみると、解体除却などの工事はひとまず措くとして、「(測試)細川邸実施設計委託料」の四百六十九万七千円が眼につきます。ところがこれまでたびたびふれてまいりましたように、名張まちなか再生委員会発足当初には2005年10月までに行われることになっていた細川邸の実施設計は先送りにつぐ先送り、したがって予算もくり越しにつぐくり越しとなっていたものとご理解ください。きのう委員会事務局から教えてもらったところでは、つい最近になってようやく実施設計が終了したとのことでした。

 とはいえ、これはあくまでも実施設計が終わったというだけの話です。その細川邸をどんなぐあいに活用するのか、公的施設としてどういった機能を与えるのか、どんなふうに運営してゆくのか、そのあたりのことはいまだに決定されておらず、5月だか6月だかに名張まちなか再生委員会2007年度総会を開いてそれからぼちぼち検討するとのことでしたから、このあたりはどうなのかな。つまり私の住民監査請求はあくまでもこれまでのプロセスを問題にするものですから、二年度にわたって実施設計が先送りになっていた迷走ぶりはどうよ、そして実施設計は終わっても肝心の機能が決まっていないという跛行ぶりはどうよ、ここには明らかに財産的損害が発生しているのではないかいな、みたいなことが住民監査請求の対象となるのかどうか。しかも地方自治法第二百四十二条には「請求は、当該行為のあつた日又は終わつた日から一年を経過したときは、これをすることができない。ただし、正当な理由があるときは、この限りでない」と定められていますから、このあたりの問題も微妙なのかしら。

 それともうひとつ、「(測試)名張地区既成市街地再生事業実施計画」に総額千二百三十二万千円がつかわれています。これはどういうことか。名張まちなか再生プランを実施に移すうえでいわゆるコンサルタントが暗躍、いや暗躍といってしまうとコンサルタントのみなさんから叱られてしまうでしょうから、委員会のフォロー役といいましょうか、縁の下の力持ちといいましょうか、とにかくそれなりの対価とひきかえに何かとご尽力をたまわっていたということでしょうか。具体的にどんな尽力であったのかは部外者にはわかりかねるのですが、そのあたりを何らかの資料で具体的に跡づけることは可能なのかどうか。

 そういえば以前、掲示板「人外境だより」にこんな投稿をしてくださった方がありました。「策定委員会にかかわった人間」とおっしゃるのですからいろいろな内部事情ももしかしたらご存じでいらっしゃるのかもしれないのですが、どこにどうしておいでやら。

策定委員会にかかわった人間   2007年 2月 4日(日) 10時37分  [60.238.181.249]

中様 いつも、楽しく拝見していました。まちなかナビもたいへん感心し、作って戴いた事を感謝します。ただ官設民営の件ですが策定委員ではそんな言葉は聞いたこともありません。策定委員会の批判は私もいろいろありますが、議論どころか言葉もなかったと記憶します。中様の言葉に「批判対称のことを知ろうともせず〜恥をしれ」は策定委員会ででなかった事を批判する今の貴方も同じです。公設民営は突然市長行政側から言い出したと聞きました。別に擁護する義理もないのですが、三重大の教授の策定委員長も知らなかったとおもいます。浅はかで感情的な批判はよく調べてからにしてください。今後も楽しみに拝見しています。私は生粋の名張人ではないですが、もっとなばりを楽しくしましょうよ、またそうして下さい。中様の意見や力を町に生かしてください。


貝になれない、こくま@真市民   2007年 2月 9日(金) 22時46分  [60.238.181.249]

策定‘委員会‘にかかわった人間は限定されるのですから中さんのネットワークで聞き込みされたら、内容がわかるでしょう。聞いてきたらしゃべりやすいものですか。

 ま、どうでもいいか。

 それでその「(測試)名張地区既成市街地再生事業実施計画」、内訳をもう一度ひろってみるとこんなあんばいです。

(測試)名張地区既成市街地再生事業実施計画
・歴史資料館整備計画の作成
・細川邸解体除却設計
・水と緑のネットワーク整備計画作成
・歩行者ネットワーク等社会実験実施事業
・「名張まちなか再生プラン」全体の執行管理
・「名張まちなか再生プラン」実施 PJ 総合指導

 どうであろうかこのあたり。もしかしたらツッコミどころ満載なのではないかしら。「歴史資料館整備計画の作成」つったって歴史資料館構想はあっさりボツになってしまったのであるし、「『名張まちなか再生プラン』全体の執行管理」とか「『名張まちなか再生プラン』実施 PJ 総合指導」つったって名張まちなか再生プランの迷走ぶり跛行ぶりは火を見るよりも明らかじゃけん、ここにはまぎれもない財産的損害が発生しているといえるのではないか。それともいえないのか。いえるのかいえないのか。いえないのかいえるのか。赤あげるのか白さげるのか。赤あげないで白さげない。ああ悩ましい。

 2006年度の予算執行内容はまたあした。

  本日のアップデート

 ▼2005年2月

 二十面相の呪い 江戸川乱歩

 きょうはこれ行っときます。

 例によって巻末解説から。

解説 小林少年は新聞少年だった?
新保博久
 ところで「週刊少年マガジン」が一九五九(昭和三十四)年三月に創刊されたばかりのころ、週刊誌サイズの二倍の大きさで表裏二ページの新聞を作って、折り込み付録にしていました。その一号の特集が「きみも名探偵になれる」で、半ページが小林少年の紹介記事で占められています。

 「小林少年は十五才だ。東京の生まれで、うちは新聞の販売店をやっている。小学校のころ、新聞で明智探偵の活躍を読み、どうしても探偵になりたくなって、おとうさんや、おかあさんにせがんだのだ。おとうさんから、明智先生におねがいしていただいて、希望どおり、名探偵のでしになった」(「少年マガジン」一九五九年七月九日号付録)

 ああこの付録のこともいずれ調べて「乱歩文献データブック」に記載しなければ。ああ悩ましい。


 ■4月18日(水)
てなもんや住民監査請求 

 アメリカの大学で三十二人もの死者を出す銃の乱射事件が起きたと思ったら、日本では選挙期間中の長崎市長が衆人環視のなかで暴力団員に射殺されてしまう。なんとも暗い気分になってしまいますけど、こういうときこそ爆笑都市伊賀市の出番でしょう。

 4月15日に三重県中部で発生した地震にともなって発生した伊賀市長耐震ゴルフ事件、いや事件というほどのものではまったくないのですが、朝日新聞オフィシャルサイトにはきのうの午前8時40分に「三重・伊賀市長、三重地震の報告受けた後もゴルフ続行」、午後1時30分に「地震報告後もゴルフの三重・伊賀市長、「軽率だった」」が掲載されました。いずれも「マイタウン」ではなくて「社会」での扱い。連続全国区とはまためでたい。そして2ちゃんねるニュース速報+板には午前11時33分58秒、読売の「三重県中部の地震、伊賀市長はゴルフ大会…終日登庁せず」をソースとしたスレッド「【社会】伊賀市長、ゴルフ大会に出席し全ラウンドを回ってそのまま帰宅・・・三重県中部地震の当日」が立てられて、おちょくり派と批判派が大勢を占めるもののなかにゃ擁護派もちらほらと。まあ好きにさえずっててくらはい。

 私の場合この件に関しましては、伊賀市長をはじめとした関係各位にただひとこと、

 ──空気嫁!

 とのみ申しあげて次の話題に移りたいと思います。

 次の話題がとても難題。住民監査請求は成立するのかしないのか。悩みながらも進めますけど、たとえばきのうとりあげました契約額四百六十九万七千円の「(測試)細川邸実施設計委託料」。この実施設計には問題があるわけです。どういう問題か。そもそも名張まちなか再生プランには細川邸を歴史資料館にするなどというリフォーム詐欺が謳われておった。ろくな歴史資料もないってのに世迷いごとほざいてんじゃねーやばーか、てなもんであったわけです。だから当然の帰結として歴史資料館構想なんざ弊履のごとく棄却され、名張まちなか再生委員会による代替案探しの長い旅がはじまりました。おかげで2005年10月には終了しているはずだった実施設計はつい最近までずれ込んでしまった。

 しかも実施設計は終わったものの、代替案探しの苛酷な旅はいまだ継続中なのである。細川邸を結局どうするのかという問題は白紙の状態なのである。名称さえ決定を見ていないありさまなのである。へたすりゃ細川邸の整備そのものが水に流されてしまう可能性だってないわけではない。つまりおじゃんってやつですか。いろいろ考えてみたけどーにもこーにも考えがまとまりゃしませんし何やってもどーしよーもないみたいだから細川邸にはもう手をつけません、みたいな結論にたどりついてしまうかもしれない。そんな状態だっていうのに実施設計だけちゃっちゃと済ませるってのはどういうことよ、なんて声が出てきたとしても少しも不思議ではありません。

 つまり実施設計にはたしかに問題があるわけなのですが、だからといって「(測試)細川邸実施設計委託料」四百六十九万七千円が住民監査請求の対象となるのかどうか。ならんのではないか。名張まちなか再生プランの策定から実施設計の終了にいたるプロセスには明らかに問題がありまくりなのであるけれど、設計そのものや契約そのものには何の問題もないものと判断されるからである。かりに監査が行われたとしても、契約金額は妥当適正なものでありとかなんとかかんとか、要するに監査上の問題は何ひとつ見いだせないという結果になるのではないかしら。

 この場合いちばんの問題は三重大学工学部の先生にトップをお務めいただいた名張地区既成市街地再生計画策定委員会なのであって、あいつらが細川邸を歴史資料館にしようなんていい加減な与太を飛ばすからいかんのである。しかし住民監査請求という制度ではあのうすらばかのみなさんの責任を追及することはとてもできない。まったくもって悩ましい話ではあるけれど、手許の資料にもとづいて先に進みます。まず4月12日付伝言に掲載した総会資料「[議事5関連資料]平成18年度事業計画(案)について」の抜粋がこれ。

□平成18年度名張まちなか再生委員会事業計画(案)
〔参考〕概算予算枠
(仮)初瀬ものがたり交流館整備事業
約60,000千円
(仮)乱歩文学館整備
 ・解体
 ・基本計画
約17,000千円
サイン整備実施計画
約2,500千円
まちづくり活動支援
約1,500千円
事務費ほか
約4,000千円

 でもって名張まちなか再生委員会事務局がまとめてくれた2006年度予算の執行内容がこれ。

議事5関連資料:平成18年度(執行実績)
内容
契約者
契約額
(測試)名張地区既成市街地空間デザイン方針等検討業務委託
・「桝田医院第2病棟」跡地整備実施計画等
・「桝田医院第2病棟」解体除却設計
・公共サイン実施計画等
・まちなか再生事業総括執行管理支援
・季節伝統行事を活かしたまちなか再生事業の企画・検討支援
(株)都市環境研究所
8,001千円
(測試)名張まちづくり塾
国立大学法人三重大学
1,499千円
事務費
 
160千円
合計
9.660千円

 はにゃ? 名張まちづくり塾? 国立大学法人三重大学? 大枚百四十九万九千円もはたいて三重大学にいったい何をしてもらったのかにゃ? さっぱりわかりませんけれど、要するに名張市は三重大学と皇學館大学にふたまたかけてるってことですか。いやそんな問題ではまったくないのか。まあいいや。まあいいのではあるけれど、それにしても名張まちづくり塾ってか。名称を眼にするだけで気恥ずかしさが先に立つよな立たぬよな。

 さてそれで着目すべきはやはり契約額八百万千円の「(測試)名張地区既成市街地空間デザイン方針等検討業務委託」でしょう。わかりやすくするためにきのう同様こんな感じに。

(測試)名張地区既成市街地空間デザイン方針等検討業務委託
・「桝田医院第2病棟」跡地整備実施計画等
・「桝田医院第2病棟」解体除却設計
・公共サイン実施計画等
・まちなか再生事業総括執行管理支援
・季節伝統行事を活かしたまちなか再生事業の企画・検討支援

 項目ひとつめに「『桝田医院第2病棟』跡地整備実施計画等」があげられていますが、桝田医院第二病棟の活用策もまたいまだ白紙の状態ですから、実施計画は決定にいたっておりません。つまり名張まちなか名物先送りの術。4月13日付中日新聞の「旧桝田医院の第二病棟跡地 名張市の整備協議が難航」によれば名張市役所内部には「記念碑のある公園程度のもの」にするという意見もあるようで、そうなりゃことごとしく整備実施計画なんてものをつくる必要もなくなるのではないか。病棟を解体除却してあとは地面をならしてしまえばそれで OK。近所の猫や里山から訪れた狸が公衆トイレとしておおいに活用してくれることでしょう。

 それはそれでめでたいことではあるのですが、それにまただいたいがこら細川邸をどうすんのかってことすら決められないくせに「季節伝統行事を活かしたまちなか再生事業の企画・検討支援」なんてことやってる場合かよ、という気もしないではないのですが、それはそれとして問題は住民監査請求なのである。現時点における手持ちのカードは以上で尽きた。はたしてこれで請求が成立するのかにゃ? てなもんでおます。

  本日のアップデート

 ▼2007年4月

 涙香に還れ 野村胡堂

 昭和23年11月に出た黒岩涙香『巌窟王』上巻に収録され、このほど作品社から刊行された『野村胡堂探偵小説全集』に再録されました。書影をどうぞ。画像をクリックすると版元の紹介ページが別ウインドウで開きます。

 それでは引用。冒頭の二段落です。

 江戸川乱歩氏が盛んに売り出そうとしている頃、それは確か関東大震災の翌年あたりであったと思う。報知新聞の応接間で初めて逢って、私は「面白い探偵小説を書こうとするなら黒岩涙香を研究すべきではあるまいか、今の人は涙香を忘れかけて居るが、この人の話術は古今独歩で、筋を面白く運ぶこと、人物を浮出させること、複雑な事件を書きこなして行く技倆に至っては、全く比類もないものである」と話したことがあった。

 江戸川氏もその頃既に涙香研究に着手していた相で、その前後から文壇の一隅に、涙香研究と涙香の著書蒐集が盛んになり、木村毅氏、柳田泉氏、横溝正史氏などそのうちでも有名なものであったが、一方若い探偵作家の仲間にも、涙香熱が高まり、一時「涙香の書くような悪人が書けたら」ということが、探偵作家の一つの通り言葉になった時代さえあった位である。

 胡堂と乱歩の初対面は『探偵小説四十年』によれば大正14年の秋、つまり関東大震災の翌々年のことなのですが、涙香について語り合ったとは書かれておりません。『江戸川乱歩年譜集成』には当然、この胡堂の証言を反映させることになります。

 それでは恒例によりまして(いつからの恒例か)『野村胡堂探偵小説全集』の収録作品一覧、初出データつきでお届けいたします。

創作篇 花房一郎シリーズ
呪の金剛石〔ダイヤモンド〕 文芸倶楽部 昭和3年5月
青い眼鏡 富士 昭和4年4月
死の予告 文芸倶楽部 昭和4年7月
女記者の役割 文芸倶楽部 昭和5年3月
踊る美人像 文芸倶楽部 昭和5年6月
悪魔の顔 文芸倶楽部 昭和5年10月
流行作家の死 新青年 昭和7年2月
古銭の謎 初出不詳
悪人の娘 初出不詳
古城の真昼 初出不詳
判官三郎の正体 初出不詳
音波の殺人 新青年 昭和11年12月
笑う悪魔 ロック 昭和23年12月−24年5月
創作篇 花房一郎シリーズ以外の探偵小説
死の舞踏〔ダンスマカブル〕 文芸倶楽部 昭和3年9月増刊
焔の中に歌う 文芸倶楽部 昭和3年10月
葬送行進曲〔ヒューネラル・マーチ〕 文芸倶楽部 昭和6年4月増刊 
法悦クラブ 小説の泉 昭和24年5月
創作篇 少年少女向け探偵小説
天才兄妹 少女倶楽部 昭和3年11月
眠り人形 少女倶楽部 昭和4年2月
向日葵の眼 少女倶楽部 昭和4年11月
身代りの花嫁 少女倶楽部 昭和9年1月
水中の宮殿 少女倶楽部 昭和9年6月−8月
九つの鍵 少年時代 昭和24年1月−4月
評論・エッセイ・発言篇
探偵小説と音楽 音楽之友  昭和22年10月
最近の犯罪の傾向に就て 月刊実話 昭和23年3月
涙香に還れ 黒岩涙香『巌窟王』上巻「あとがき」 愛翠書房 昭和23年11月
捕物小説について 探偵作家クラブ会報 昭和23年12月
無題(故海野十三氏追悼諸家文集) 探偵作家クラブ会報 昭和24年6月
捕物小説のむずかしさ 探偵作家クラブ会報 昭和24年11月
芸術としての探偵小説 別冊宝石 昭和25年4月
探偵小説このごろ 毎日グラフ 昭和25年4月10日
比事物 徳川時代の探偵物 財政 昭和26年1月
乱歩氏と私と 探偵作家クラブ会報 昭和29年10月
探偵小説の読者として六十年 別冊宝石 昭和29年11月

 「探偵小説このごろ」は胡堂と乱歩の対談。「比事物 徳川時代の探偵物」にも乱歩のことがちょこっと出てきますので、「涙香に還れ」ともども「乱歩文献データブック」に記載しました。「乱歩氏と私と」は乱歩の還暦を機に執筆された随筆です。

 編者は末國善己さん。巻末の「編者解説」はよく行き届いていて読みごたえもたっぷり、たいへん勉強になりました。

 限定千部の発行ですからお買い求めはお早めに。気になるお値段は本体六千八百円。高くてどうもすいません。


 ■4月19日(木)
不当要求行為ではありません 

 さていまや住民監査請求の鬼と化して腕を撫している私ではあるけれど、はっきりいって五里霧中、手持ちのカードで請求が成立するのかどうかはさっぱりわかりません。そのあたりはまた近く、近くといっても来週になりましょうか、名張市役所の監査委員・公平委員会事務局に足を運んでアドバイスを仰いでこなければなりません。

 どうせおなじ階にあるのだから、名張市教育委員会にも顔を出してみようかな。しかしそんなことしたら長崎市長射殺事件に端を発してメディアがいっせいにとりあげている行政への不当要求行為だと勘違いする人間も出てくるのかな。何が不当だばーか。不当なのは向こうじゃねーか。だいたいおれは行政に対して不合理なことや理不尽なことなどただの一度もいってないぞ。不合理だの理不尽だのというのはたとえば名張まちなか再生プランにこそふさわしい言葉なのであって、その不合理や理不尽を正当に指摘し批判している人間のどこが不当だ。勘違いもたいがいにしておけばーか、とか釘を刺してから行ったほうがいいのかな。

 名張市教育委員会にはもちろん、

 ──いいかこら教育次長だかなんだか知らんがろくに経緯や事情もわきまえぬ人間が横からしゃしゃり出てきて人に偉そうな説教かましてんじゃねーぞたこ。

 の件でお邪魔するわけなのですが、話というのはごく簡単なもので、ひとことでいえば、

 ──名張市は乱歩から手を引け。

 ということです。だってもう、

 ──ろくに作品を読むこともなく、もとより敬愛の念などかけらもなく、ただ自治体の自己宣伝に乱歩を利用することしか考えようとしない。そしてあさはかな思いつきは、ことごとく滑ってばかりいる。

 みたいなことばっかやっててもしかたないですから。ちゃんとしたことやろうと思えばできるのだし、ちゃんとしたことってのがどういうことなんだか私は身をもって示してきたつもりでもいるのですが、にもかかわらずちゃんとしたことに手をつけようとせずうわっつらのことばっかやって滑りつづけているのが名張市なのである。だからもうやめとけと、乱歩コーナーなんか閉鎖して名張市立図書館は乱歩と無縁な図書館になってしまえと、私はそのように考えて名張市教育委員会の教育次長に、

 ──名張市立図書館の乱歩コーナーを閉鎖し、名張市立図書館を乱歩と無縁な図書館にするためには、どういった手続きを踏めばよいのでしょうか。誰が協議し、どこが決定すれば、名張市立図書館は乱歩から手を引くことができるのでしょうか。

 とメールでお訊きしておるのであるが、いっこうにお答えがいただけませんものですから教育委員会にちょこっとお邪魔して、ご多用中ではあろうけれどもお答えをちらほらお聞かせいただこうかなと思案している。これが行政への不当要求行為に相当するのかな。するわけねーだろばーか。

 そもそもものごとには潮時というものがある。乱歩に関しては名張市ももう潮時であろう。先日も引いたけれども4月13日付中日新聞の記事──

旧桝田医院の第二病棟跡地 名張市の整備協議が難航
 しかし、市が〇六年十一月にまとめた〇七年度から〇九年度までの中期財政見通しで、この三年間に市財政に二十一億円の財源不足が生じることが判明。各大型事業費を見直す必要性が生じた。

 乱歩の生家復元についても再精査し、生家の復元費用が多大なこと▽復元後も見学者に対応するための維持管理費がかかること▽見学者が訪れ、周辺住環境に悪影響を及ぼす−などの懸念材料から、市は生家復元をためらっている。

 現在、第二病棟の跡地利用については、伊賀地域の乱歩顕彰グループ「乱歩蔵びらきの会」のメンバーと市担当者の間で主に検討しているが、蔵びらきの会のメンバーからは「まちづくりの観点から乱歩の生家復元は必須」との声が大きく、市はすんなり生家復元を取り下げることもできない状況にある。

 この記事のことも先日16日、名張市役所で名張まちなか再生委員会事務局から簡単に説明してもらったのだが、要するに名張まちなか再生委員会による桝田医院第二病棟の協議検討は2月1日を最後に杜絶している。だからこの記事にあるように、

 ──第二病棟の跡地利用については、伊賀地域の乱歩顕彰グループ「乱歩蔵びらきの会」のメンバーと市担当者の間で主に検討している。

 といった状況になっているとのことである。しかし「生家の復元費用が多大なこと▽復元後も見学者に対応するための維持管理費がかかること▽見学者が訪れ、周辺住環境に悪影響を及ぼす」なんてことは中期財政見通しなんぞにかかわりなく最初から知れていることであり、ていうか生家の復元や維持管理に金がかかるのはあたりまえの話なのであって、そんな問題をいまごろもちだしてきてどうする。整備に必要な初期費用だけ国の交付金で段取りし、すべてを官民協働とやらの委員会に丸投げしたあげく委員会による検討が暗礁に乗りあげたら財政難を理由に話をもみ消しにかかりやがる。なーにやってんだばーか。

 とにかくもういいであろう。潮時である。名張市には乱歩に関してろくなことができないということははっきりした。行政サイドもいまや明確にそれを自覚しているはずである。潮時である。

 ──名張市は乱歩から手を引け。

 と私はいう。これは行政に対する不当要求行為なんかではないのだぞ。

  本日のアップデート

 ▼2005年2月

 空飛ぶ二十面相 江戸川乱歩

 おとといにつづいてきょうもこれ。ポプラ社の「文庫版少年探偵・江戸川乱歩」も全二十六巻のうち第二十五巻となりました。

 それでは巻末解説から。

解説 なぞ、トリック、そして推理
山前譲
 ですが、トリックをもちいた推理小説でいちばん大切なところは、きちんとした推理によって解決されることなのです。あてずっぽうで真相が分かることもあるでしょう。なんとなく怪しいと思った人物が犯人のときもあるかもしれません。でも作者は、小説のそこかしこに真相につながる手がかりを隠し、読者の推理をまっています。明智探偵や小林少年と同じように、手がかりを整理し、順序だてて考え、きっとこんなトリックに違いない、きっとあの人が犯人に違いないと論理的に推理していくことをぜひ楽しんでください。

 こうした推理はなにも小説の世界だけとはかぎりません。日常生活のなかでふとおかしいなと思ったことを、とことん調べて推理してみるのも面白いものです。そんな目で見ると、わたしたちのまわりにはけっこう不思議なできごとがありますよ。


 ■4月20日(金)
おかげさまで十周年 

 何が十周年なのかというと名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブック1『乱歩文献データブック』。奥付の発行日はまぎれもなく1997年の3月31日となっておりますから、今年の3月31日はめでたかるべき刊行十周年のアニバーサリーであったのですが、その祝福されるべき日に私が何をやっておったのかというと、三重県立図書館へ行って「新青年」の復刻版をなめるようにチェックしておった。

 いったい誰が、誰がこんな悲惨な十年後を予想できたっていうのよ。わしゃ夢にも思うておらなんだぞ。十年前には刊行されていなかった「新青年」の復刻版をひっくり返してウェブ版「乱歩文献データブック」のメンテナンスのために眼を白黒させていようとは、お釈迦さまでもご存じなかったことであろ。鬼も落涙することであろ。なんと因果なめぐりあわせであることか。

 『乱歩文献データブック』には従来の書誌にない工夫がいろいろ盛り込まれているのですが、その工夫ゆえに絶えざるメンテナンスが必要です。工夫の例をウェブ版「乱歩文献データブック」の最初のページ「大正12年●1923」から引きますと──

「二銭銅貨」を読む 不木生(小酒井不木)
新青年4月春季増大号(4巻5号)1日
二銭銅貨−1926/探偵小説十年〈大正十一年度〉−1932/二十代の私−1952/処女出版−1956/初ホーマーは「二銭銅貨」−1959/あとがき(江戸川乱歩全集1)−1961/探偵小説四十年〈森下雨村に認めらる〉〈小酒井不木〉
『江戸川乱歩全集1』平凡社−1931/探偵通信10 春陽堂−1955/中島河太郎編『江戸川乱歩──評論と研究』講談社−1980/『江戸川乱歩集』日本探偵小説全集2 創元推理文庫 東京創元社−1984/『江戸川乱歩』新文芸読本 河出書房新社−1992/小酒井不木『人工心臓』探偵クラブ 国書刊行会−1994/新保博久・山前譲編『乱歩上』講談社−1994/『「新青年」復刻版(大正12年合本3)』本の友社−2000/青空文庫「「二銭銅貨」を読む」−2004

 こんなデータが掲載されております。乱歩のデビュー作「二銭銅貨」が載った「新青年」に掲載された小酒井不木の文章です。「」で示したのは乱歩作品のタイトルとその発表年で、乱歩が不木の「『二銭銅貨』を読む」に言及した随筆がすべてリストアップされております。『探偵小説四十年』収録の文章はその章題を示していますが、この場合は雑誌に発表された年と本になった年とのあいだに開きがあるなどの理由で、発表年は記載しておりません。

 それから「」は初出以降の収録を示していて、つまり「『二銭銅貨』を読む」を読みたいと思った人はわざわざ「新青年」の大正12年4月春季増大号を探さなくたって、これらの書籍のうちのいずれかを手に入れればいいわけです。きょうびのことですから「青空文庫」で読むことも可能です。自分でいうのもあれですが、このあたりの工夫はたいへんよく考えられています。書誌をひもとく人の立場で考えられている。図書館が提供すべきサービスの王道を邁進している。

 ですから絶えざるメンテナンスが必要なわけです。「『二銭銅貨』を読む」がどこかで活字になれば、その本を入手してウェブ版「乱歩文献データブック」の「大正12年●1923」のページにそのデータを増補しなければならない。誰がやるのか。私がやるのである。しっかしこらばかこんなものは本来名張市立図書館が手がけるべきことのなのである。市立図書館のサイトに『乱歩文献データブック』のデータを掲載し、絶えざるメンテナンスを重ねてひろくサービスを提供するのは名張市立図書館の責務なのである。

 それをまったくあーこれこれ名張市教育委員会のあほのみなさんや、あんたらいったい何を考えておるのか。何も考えてなどおらぬのであろうけれども、こんなあったりまえのことがなぜできぬ。図書館のサイトに江戸川乱歩リファレンスブックのデータを載せるようにというおれの提案を二度が二度ともなぜ蹴りやがった。しかもあの、

 ──いいかこら教育次長だかなんだか知らんがろくに経緯や事情もわきまえぬ人間が横からしゃしゃり出てきて人に偉そうな説教かましてんじゃねーぞたこ。

 でおなじみの教育次長、あの方は2月1日にいったいなんとおっしゃった。3月2日付伝言に引いた同日付教育次長宛メールから引きますと、

 「2月1日に開かれた名張まちなか再生委員会の第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会の席上、私がこれまでに示してきた方向性を100%受け容れるかそうでないか、それはこれから考えることであると貴職がご発言なさいました」

 といったことになります。大丈夫か公務員。ご町内感覚というかご庁内感覚に凝りかたまってばかりいるとほんっと市民から見放されるぞ。もう見放されてるのかもしれんけど。

 とにかく公務員のみなさんいいですか。この期におよんで100%も50%もないわけよね。1997年3月31日に『乱歩文献データブック』が刊行されたその時点で、手前どもは開館準備の段階から江戸川乱歩先生の著書や関連書籍を収集してまいりましたと、それを活用してこんな本をつくりましたと、今後もこうしたサービスをつづけてまいりますと、名張市立図書館はそんなふうに高らかに宣言したわけなのね。

 嘘だと思ったら『乱歩文献データブック』に当時の市立図書館長が記した序文を読んでごらんなさい。

  本日のフラグメント

 ▼1997年3月

 序 江戸川乱歩先生と名張市立図書館 奥西富江

 それでは名張市立図書館が10年前に刊行いたしました『乱歩文献データブック』巻頭の序文をどうぞ。

 名張市立図書館は昭和四十四年七月に開館いたしましたが、開館準備の段階から、乱歩先生の顕彰を運営の柱のひとつと定め、資料収集に努めてまいりました。昭和四十四年といえば、乱歩先生の没後初めての全集が刊行され始めた年にあたっており、いま振り返れば、それも不思議な巡り合わせだったという気がいたします。

 昭和六十二年七月の移転改築に際しまして、館内に江戸川乱歩コーナーを開設し、これまでに収集した先生の著書、遺墨、関連図書、そして平井隆太郎先生からお預りした乱歩先生の遺品などを展示いたしておりますが、このたびの生誕百年ブームを機に、収集資料活用の一環として、乱歩先生に関する研究文献の目録を一冊にまとめ、『乱歩文献データブック』として刊行することにいたしました。

 まだまだ調査が不十分で、記載漏れも多いことでしょうし、ほかにも不行き届きな点が多々あろうかと思われますが、こうして一冊の本にして研究者やファンのみなさんにご覧いただき、ご叱正やご教示をいただきましたうえで、いずれ機会を見て増補改訂版を刊行したいと考えております。よろしくご高覧、ご高評をお願い申しあげる次第でございます。

 おわかりですか名張市教育委員会のみなさんや。図書館が提供すべきサービスの王道を邁進するものではありましたけど、『乱歩文献データブック』はもとより不備の多い書誌ではありましたので、当時の館長が申しておりましたとおりいずれの日にか増補改訂版を刊行することも必要でしょう。しかしそれ以前になにしろきょうびのことですから、インターネットを活用して絶えざる増補改訂を重ねてゆかねばならぬのだということがあーこれこれ名張市教育委員会のあほのみなさんや、みなさんにはまったく理解できないわけなのね。

 『乱歩文献データブック』刊行以来十年の歳月が流れ去り、気がつけば私は耐震ゴルフ事件でいいように叩かれてるどっかの市長さんなみに悲惨なアニバーサリーを迎えてしまいましたが、名張市教育委員会にはきょうも駘蕩たる春風が吹いているのでしょうか。やってられんなまったく。