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2007年4月中旬
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要するにプロセスの問題である。名張まちなか再生プランを具体化するプロセスが住民監査請求の対象となるのかどうか。私にはそれが判断できなかった。だから4月5日、名張市役所の監査委員・公平委員会事務局で質問した。 具体的な例をあげよう。これは事務局でも例示したことだ。あとで確認したら事実誤認だらけの例であったのだが、ざっと記すとこんなぐあいだ。 名張まちなか再生委員会に顧問というポストがあって、市議会議員あたりがその任に就いている。こんな役職は有名無実を絵に描いたようなものだ。平たくいえば委員会に箔をつけるためだけのお飾りにすぎない。顧問は委員会の協議に加わることさえないであろうと想像される。かりにこの顧問にひとりあたり年間一万円の謝礼が支払われていたとしよう。それはまったくの無駄金である。 名張まちなか再生プランを具体化するプロセスにおいて、2005年6月26日の委員会発足当初には存在していなかった顧問という役職が新たに設けられた。それは見事に機能していない。単なるアクセサリーなのである。顧問という役職が増えたことによって何かしら具体的な効果や成果が見られたのか。そんなものは何もない。名張まちなか再生委員会は細川邸をどんな施設として整備するのか、いまだにそれすら決定できずにいるのだ。かりに顧問が協議に加わっていたのだとしたら、顧問など何の役にも立たなかったということになるだろう。それでも彼ら顧問には年間一万円かける人数分の謝礼が支出されているのである。さあ、連中に支払われている税金を住民監査請求の対象にしてやるぞこら。これが要するにプロセスの問題である。 こら、とばかりに住民監査請求をしてみたとしよう。結論からいって、年間一万円という謝礼の金額が妥当正当なものであるのかどうか、その点の監査が行われる可能性はあるという。しかし私はそんなことを問題にしているのではない。謝礼が一万円であれ百万円であれ、ありがたそうにそんな役職を設けてしまう悪しき慣習、明文なき制度、いったん委員会なるものをつくるとなればオートマティックに発動してしまうムラ社会的手法、そういったものが問題なのである。そうした根本的な問題がもたらした当然の結果として、顧問への謝礼がどぶに捨てられてしまうことになるのである。無駄金になってしまうのである。 だが、住民監査請求はそうした問題をカバーすることができない。どうもそういうことであるようだ。顧問への謝礼は完全に無駄金で、ごく些細な額ではあるけれど名張市の財産的損害であると考えられるところなのであるけれど、そしてこれは一般的な市民感覚に照らしても首肯しうるところの認識なのであろうけれども、住民監査請求という制度はこうした問題を居眠りしている監視人のようにあっさりとスルーしてしまうのである。 ではここで事実誤認を訂正しておこう。まずひとつめ。名張まちなか再生委員会に顧問という役職は存在していなかった。名張市のオフィシャルサイトに掲載されている「平成18年度名張まちなか再生委員会総会資料」(PDF ファイル)から当サイト「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」に転載した役職一覧はこうである。
私はここにある参与と顧問を混同していたらしい。どうもご無礼つかまつった。 事実誤認ふたつめ。参与であれ何であれ、名張まちなか再生委員会の役員には謝礼や報酬はいっさい支払われていないとのことである。重ねてご無礼つかまつった。 だから私が例としてあげたのは存在しない役職の存在しない謝礼であったわけなのだが、あくまでも例なのだから問題はない。住民監査請求という制度の本質はこの例によってわかりやすく照らし出されているだろう。そして私は、何も顧問への謝礼を問題にしているわけではないのである。 では何が問題なのか。私は監査委員・公平委員会事務局で、名張市オフィシャルサイトの「平成18年度名張まちなか再生委員会総会資料」(PDF ファイル)からダウンロードしてプリントした二枚の書類を提示した。一枚は「[議事1関連資料]平成17年度事業経過報告」、もう一枚は「[議事5関連資料]平成18年度事業計画(案)について」。まさしくこれまでのプロセスを、2005年から2006年にかけてのプロセスを、私は問題にしているのである。さあどうなるのかな。
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さて、わが積年の悲願にして地域住民にとっては伝家の宝刀、住民監査請求はいったいどうなってしまうのか。 4月5日、私は名張市役所の監査委員・公平委員会事務局で二枚の書類を示した。昨年6月18日に開かれた名張まちなか再生委員会2006年度総会の資料の一部だ。詳細は名張市オフィシャルサイトの「平成18年度名張まちなか再生委員会総会資料」(PDF ファイル)をご覧いただくことにして、以下に必要なところだけを抜粋する。 一枚目。「[議事1関連資料]平成17年度事業経過報告」から。
「H16年度〜H17年度実績」というのはいったい何か。2004年度から2005年度にかけて、委員会の五つのプロジェクトはこれだけの予算をつかいましたという報告なのか。どうもよくわからない。 二枚目。「[議事5関連資料]平成18年度事業計画(案)について」から。
「〔参考〕概算予算枠」というのはいったい何か。2006年度にはこれらの事業に概算でこれだけの予算をつかいますという説明なのか。どうもよくわからない。 さてお立ち会い。当サイト「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」で振り返ってみると、過去のプロセスのおおまかな流れはこうなる。 2004年6月23日、第一回名張地区既成市街地再生計画策定委員会が開かれた。つまり名張まちなか再生プランの策定がスタートした。 2005年1月20日、名張地区既成市街地再生計画策定委員会が名張市長に「名張地区既成市街地再生計画『(仮称)まちなか再生プラン』(素案)」を提出した。細川邸を歴史資料館として整備する構想を盛り込んだこの素案はそのまま決定されることになる。 2005年6月26日、名張まちなか再生委員会の設立総会が開かれた。歴史資料館整備事業の実施設計は2005年6月から10月までの期間で行われることになっていた。 そして現在、歴史資料館になるはずだった細川邸は初瀬ものがたり交流館(仮称)として整備されるらしいと聞き及ぶが、整備の具体的な方向性はまったく決まっていないとも伝えられる。2004年6月以来の名張地区既成市街地再生計画策定委員会ならびに名張まちなか再生委員会による協議検討は、少なくとも細川邸を歴史資料館として整備するという当初の構想に関していえば、迷走したままどのような結論にもいたっていないのである。これまでのプロセスはまったくの無駄であった。時間の無駄であり経費の無駄であったというしかあるまい。いまやそのように結論すべきときなのである。いつまでも先送り決め込んでんじゃねーぞばーか、てなもんなのである。さて、この経費の無駄が住民監査請求の対象になるのかどうか。 経費としてはどのようなものがあげられるのか。たとえば、すでに工事が行われた細川邸の一部解体除却には応分の費用がかかっているはずである。あるいはこれまでのプロセスで、委員会がコンサルタントと称する業者に発注して図面を引かせたり模型をつくらせたりということもあったであろうと推測される。それはむろん OK である。当然必要とされる作業だろう。さらには、コンサルタントが提出したプランを委員会側が何らかの理由で採用しなかったという場合も想定されるだろう。というよりも、いまだに何も決まっていないというのであれば、コンサルタントによって提示されたプランはことごとく不採用だったと見るしかあるまい。むろんその場合にも、業務としてプランを示したコンサルタントへの対価は支払われているものと推察される。 もとより私は試行錯誤を否定しているわけではない。誰かがひとつのプランを案出する。それが協議の結果否定され、別のプランが採用される。そしてそのプランもまた不採用となり、より高度に練りあげられ考え抜かれたプランが最終的に決定される。それはひとつの決定にいたるプロセスでふつうに見られることである。途中で否定されてしまったプランは無駄ではない。無意味なものでもない。協議検討や試行錯誤の過程においてぜひとも必要なものであったといえるだろう。だがそれは、あくまでもひとつの決定にいたったときの話だ。 名張まちなか再生プランの場合は大きく話がちがっている。なーんにも決まっていないのである。2004年6月にプランの策定が開始され、2005年6月にはプランを具体化するための委員会が発足して、その時点では細川邸の実施設計は遅くとも2005年10月には行われているはずであった。それが2007年4月現在、いまだに白紙の状態である。なーんにも決まっていないと伝えられる。あーでもないこーでもないと下手な考え並べたあげく、いったいどうよこのざまは。なーにやってんだこのすっとこどっこいのこんこんちきのスーダラ連中どもめが、と私は思う。 だーから最初っからいってんじゃん。官であれ民であれ、そこらのうすらばか何十人あつめてきたって何の役にも立たんのだ。ばかがばか同士で増幅しあって死ぬほどうるさくなるだけなのだ。もういい加減にしてくれ。こんなのは構造的には「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」とまったくおんなじことではないか。要するに内発的なものがどこにもない。見事にない。何ひとつない。何があったか。金である。予算である。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」においては北川正恭さんとかおっしゃる前知事が絵図を引いたばらまき路線、すなわち街道フェスタから東紀州フェスタへ、そして伊賀地域へという県政において日ごろあまり恵まれておらぬと目されるエリアで点数稼ぐためのばらまき予算の絨毯爆撃があったのであり、名張まちなか再生プランにおいては国のまちづくり交付金があったのであって、こんな交付金制度も畢竟するに政府の点数稼ぎでしかないであろう。 それでどうなったか。私は「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」がスタートする一年以上も前に事業の帰趨を見通し、「乱歩文献打明け話」の第二十五回「芭蕉さんは行くのか」にこう書いた。
要するに伊賀地域住民はばかなのであると書いてある。ばかのやることなど知れておると書いてある。伊賀地域住民全員が全員ばかであるとも思われぬけれど、やれ協働であるほれなんたらかんたらの公であるなどというお題目に踊らされてへこへこしゃしゃり出てくる住民のレベルなら知れておる。ひとことでいえば乞食である。おのれの趣味や道楽の延長線上に一円でも多くの税金を抱え込もうとする乞食どもである。げんにそのとおりであったではないか。内発的なものなどどこにもなく、むろん理念やビジョンの共有などは考えたこともなく、ただ目先の金に眼の色を変えた乞食連中が三億円のばらまきにてんでんばらばらに群がり寄ったというのが「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の実態だったではないか。そうであろうが乞食どもめが。 いやまあそんなことはどうだってよろしい。とにかく問題はプロセスである。細川邸をどうするのかという結論を先送りしつづけてこのありさまなのである。これまでのプロセスは完全に無駄であったと見るしかないのである。そしてそのプロセスには、上に抜粋した二枚の書類からもうかがい知れるとおり税金が投入されているのである。それにだいたいがこれはいったい何なんだ。名張市オフィシャルサイトの「平成18年度名張まちなか再生委員会総会資料」には決算の報告も予算の説明もどこにもない。ただ上に引いた「H16年度〜H17年度実績」と「〔参考〕概算予算枠」とが申しわけ程度に記されているだけなのである。 なんたることであることか。これはもうわが積年の悲願にして地域住民にとっては伝家の宝刀、住民監査請求の出番であろう。決定の先送り状態はいまもつづいているようなれど、2006年度が終わった時点で過去のプロセスを住民監査請求の餌食にしなくてどうする。伝家の宝刀を抜かなくてどうする。積年の悲願を達成しなくてどうする。私はそう考え、名張市役所の監査委員・公平委員会事務局を訪れて質問したのであった。その返答はいかに。 あすにつづきます。
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さあ住民監査請求です。無力きわまりない地域住民にとっての伝家の宝刀です。もしもめでたく請求書を提出することができて監査が行われ、その監査結果に不服があった場合はいよいよ住民訴訟に突入することになります。住民訴訟となればこれはもう伝家の宝刀どころか貧者の核爆弾というかワーキングプアのリーサルウェポンというか、とにかく相当なものなのですが、しかしほんとにできるのか。 4月5日、名張市役所の監査委員・公平委員会事務局でスタッフから懇切な助言を受けたその結論は、まず名張市に対して情報開示を請求すべしということでした。名張まちなか再生委員会がこれまでのプロセスでどれだけの公金を費消したのか、それを明らかにすることからはじめよとのことです。むろんその程度のことなら私にも察しはついていて、しかも事前に住民監査請求について調べてみたところ、「注意点」として、 「住民監査請求は、60日という短期間の内に監査委員が判断をしなければならないことから、違法不当な財務会計上の行為は、請求人の方で個別的、具体的に特定していただくことが必要です」 と明記している自治体もあって(長崎県オフィシャルサイトのこのページ)、こーりゃなんだか面倒そうだなと思われましたそのゆえに、過去のプロセス(といっても過去一年以内に限るという規定があるのですが)を監査してくれといったおおざっぱな請求が OK なのかどうか、それを事務局で確認した次第であったのですが、しかしどうやら無理っぽい。 それで私は監査委員・公平委員会事務局のスタッフに礼を述べ、名張市役所の四階から一階へ向かいました。情報開示請求を行うには一階総合案内窓口の奥にある市民情報相談センターを訪れよと教えられたからです。そのセンターで事情を説明すると、担当職員と直接話したほうがいいだろうとセンタースタッフが名張まちなか再生委員会事務局に電話を入れて事務局の職員ふたりを呼び出してくれました。私は事務局職員にも事情を話し、センターで手渡された「公文書公開請求書」という用紙に必要事項を記入していったのですが、「公文書の名称その他公文書を特定するために必要な事項」という欄には、 ──平成17・18両年度における名張まちなか再生事業の予算執行内容 と書くしかありませんでした。ずいぶんとおおざっぱです。こんなことでいいのかなと思案していると、どんな公文書が存在するのか調べてリストアップしてみましょう、と事務局職員が提案してくれましたのでその助け船に乗ることにして、書きかけの「公文書公開請求書」は提出せずに名張市役所をあとにしました。それが4月5日の木曜のこと。 そしてきのう、12日木曜の午後のこと。一週間ほど待ってみても名張まちなか再生委員会事務局から連絡がありませんでしたので、どうなってるのかと思いながら私は名張市役所の市民情報相談センターに再度足を運び、再度「公文書公開請求書」に記入しました。きのうもまたセンタースタッフが名張まちなか再生委員会事務局の職員ふたりを呼んでくれましたので、聞いてみると公文書のリストアップがようやく終わったところだから、あすにでもごらんいただきたいとのことでした。 あすというのはきょう13日のことなのですが、13日はちょっと時間が取れそうにありません。それで週明けにお願いすることにして、16日の月曜日は三重県立名張高等学校の先生稼業もいよいよ三年目、その第一歩をしるす日にあたっているのですけれど、授業を終えてから市役所まですっ飛んで公文書のリストに眼を通すことにいたしました。つまりきのう書いた「公文書公開請求書」もまた提出せずじまい。そのまま名張市役所をあとにした次第です。 さあこのあとはいったいどうなるのか。次の報告は17日火曜日以降ということになります。
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ちょっとまいった。さあきょうも楽しく更新だ、まーったくどーしよーもねーなー名張市は、みたいなところから入るか、きのうの午後もまた三重県立図書館であった、といったあたりにひとまず進むか、どっちっらっにっしようかなっとか思いながらサイト構築ソフト Adobe GoLive を起動したらこのページ、この人外境主人伝言なんかが掲載されているページがずいぶん変なことになっていて、その修復にすっかり時間を取られてしまった。ちょっとしたトラブル、原因不明。なんとか旧に復したのだが(まだおかしなところが残っているかもしれない)、そんなこんなできょうはこれだけまたあした。
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まーったくどーしよーもねーなー名張市は、というおはなしである。 まずは新聞記事である。先日も記したことなれど、このところおとなりの伊賀市では腹から笑えるたとえばこんなニュース(4月14日付伊勢新聞)がよく報じられているというのに(議会改革とやらでかっこつけてみたところでしょせん実態はこんな程度か。やーいこの田舎者がばーか)、当地名張市にはろくなニュースが見あたらぬ。花が咲いた、ただそれだけのことで人の心がなごんでくる、そんな程度のニュースでいいからと眼を皿のようにして探してみたってそんなものはどこにも見つからぬ。ほんとにどうよこの閉塞感。おらもうほんとに知らねーぞ。ともあれ記事の話である。
それではどこが不思議なのか、名張の七不思議を検証してみましょう。 名張の七不思議その一。 名張まちなか再生委員会の謎。 えーっとまず、名張まちなか再生委員会ってのはどういうものだったのでしょうか。あいつら桝田医院第二病棟の活用策を勝手に検討してたじゃん。あれはいったい何だったの。 もとよりそれは正当なことではなかった。名張まちなか再生プランには桝田医院第二病棟のことなどひとことも記されていなかったのだから、プランを具体化するために組織された委員会が桝田医院第二病棟について検討するのは明らかに不当なことであった。だから私は名張まちなか再生委員会の事務局に何度も足を運び、おまえら桝田医院第二病棟のことを検討するのであれば名張地区既成市街地再生計画策定委員会を再招集して名張まちなか再生プランの練り直しをさせろ、それが筋ってものだろうが、と迫ってみたのだがそれはできないとの返答が返ってきた。 あげくのはてに連中は、2006年度の総会で「時点更新」などという意味不明の制度を設けて自分たちの行為を正当化してしまいやがった。といったって身内だけに通用する勝手な理屈をこねただけ、実際のところは正当化などまったくできていないのであるが、なにしろご町内感覚である。ご町内だけまーるく収まればそれでいいのである。何いわれたって「乱歩に関して外部の人間の話を聴く考えはない」などと平気で口走ることができる堅忍不抜のご町内感覚なのである。筋だの道理だのフェアネスだのジャスティスだの、そんなこたどーだっていーんだよな実際。 名張の七不思議その二。 生家復元の謎。 ここへ来て乱歩の生家を復元するって話が出てきたのはどうよ。しかも「〇六年度に病棟解体費七百万円と跡地利用の実施設計費二百五十万円を一般会計予算に盛った」とある。盛ったけれども結局は何もできなくて「07年度に繰り越された」とある。このあたりの具体的な予算の動きはいずれ住民監査請求、いやそれ以前の公文書公開請求によって明らかになるはずであるけれど、にしてもこれはどういうことか。 名張まちなか再生委員会は桝田医院第二病棟の活用策をたしかに検討していた。げんに今年の2月1日、私は名張市役所で開かれた名張まちなか再生委員会の第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会に出席している。これは要するに桝田医院第二病棟の活用策を検討する委員会であった。だから私はこんな検討は完全に不当である、協力などいっさいしないからそのように心得よと宣してきたのであるけれど、あッ、あッ、あの委員会の席に端を発した、 ──いいかこら教育次長だかなんだか知らんがろくに経緯や事情もわきまえぬ人間が横からしゃしゃり出てきて人に偉そうな説教かましてんじゃねーぞたこ。 の件を住民監査請求だの公文書公開請求だの「新青年」復刻版だの『貼雑年譜』だの三重県立名張高等学校新年度だのにとりまぎれてすっかり忘れておったではないか。いかんいかん。こんなことではいかんのであるが生家復元の話をつづけると、いったいどうよこのぐだぐだは。 要するにこうである。名張市の2006年度予算には桝田医院第二病棟に乱歩生家を復元するための予算が盛り込まれていた。中日新聞の伝えるところによれば、病棟解体費七百万円と実施設計費二百五十万円である。ところがそのいっぽうで名張まちなか再生委員会は2006年度、桝田医院第二病棟の活用策として乱歩文学館がどうのこうのとない知恵をしぼっていたのである。なーにばかなことやってんの。つか、こーゆーふたまたってあんまよくねーんじゃね? とはいうものの話の流れとしては理解できないものでもない。名張まちなか再生プランには桝田医院第二病棟のことが盛り込まれていなかった。だから名張市は独自に生家復元というプランを提示し、その実現に向けた予算を組んだのであるということだったのであれば話の流れはすんなり理解できる。曲がりなりにも筋が通っている。ただしその場合には、名張市が名張まちなか再生委員会に対して桝田医院第二病棟のことはこっちで考えっから、あんたがたはもうええから、暇があったら牛小屋の掃除でもしててくれっちゃ、と明確に伝えておく必要がある。それをすることなく名張まちなか再生委員会に検討を委ねたふりをしておきながら、いまごろになってじつは2006年度予算には生家復元の予算がどうのこうのといいだしてるようでは話にならない。名張まちなか再生委員会が怒り出してしまうことであろう。 ここで乱歩の生家復元について振り返っておく。人外境主人伝言2004年12月前半に引用した朝日新聞の記事を転載する。
ついでに毎日新聞。
お読みいただいたとおりである。桝田敏明先生のご遺族から寄贈のお申し出をいただいたのは私である。2004年9月5日のことであった。所有権移転の手続きが終わったのは11月24日のことであった。新聞で報道されたのは12月8日のことであった。11月24日のことを12月7日まで、名張市はどうして隠蔽していたのかな。都合の悪いことでもあったのかな。まあそんなことはどうだってよろしい。お役所の隠蔽体質にいまさら驚く必要はあるまい。 さて2004年の9月、私は桝田先生のご遺族から承った寄贈の話を市長に伝え、桝田医院第二病棟の活用策はひろく意見を募って決めればいいのであるけれど(ひろく、ってのは名張市民以外からも、って意味なのね。ご町内感覚で凝りかたまってる人たちにはとても理解できんかもしれんけど。とはいえ、名張市民以外からも、ってのはそこらの大学の御用学者の先生から、って意味ではまったくないのよね。肩書ばかりをありがたがってる人たちにはまったく理解できんかもしれんけど)、丸投げしてしまうのは望ましくないゆえ名張市としての腹案はもっているべきであると考えて、上の新聞記事にあるように乱歩の生家を復元するというプランを提案したのである。 とにかくもう乱歩と聞けばたちどころに記念館だの文学館だの、脊髄反射的に反応してしまうばかのみなさんご一同はなんとかならんものか。2003年の夏にも名張商工会議所が細川邸を乱歩なんとか館として整備したいなどという構想をぶちあげたものであったが、そんなのつくってどうするの。つくるだけはつくれてもあとの管理運営はどうするの。お金もかかるし人材も必要なのである。そんなことなーんにも考えずすべて他人任せにしてただ乱歩文学館だ乱歩記念館だと口走るばかはごちゃごちゃいってないで牛小屋の掃除でもしてろっちゃ、とか思った私はせいぜい乱歩の生家を復元するくらいでいいだろうと、細川邸の敷地の一角に生家を復元しておけばよかろうと、それでも名張にしかつくれない施設ではあるしやれ企画展だそれ館報だと頭をつかう必要もないのだしと、そのようにアドバイスして細川邸を乱歩なんとか館にしてしまうという構想には待ったをかけることができたのである。しっかしまあどいつもこいつも。 名張の七不思議その三。 再精査の謎。 中日新聞の記事にはこうも書かれている。
何が「再精査」か。名張市はいったいいつ最初の精査をしたというのか。どこのどなたがこんなコメントかましたのかは知らねども、大嘘ぶっこいてんじゃねーぞこの唐変木。 私の経験したところによれば公務員にはおかしな習性があって、いやそれはもう彼らにはおかしな点なら死ぬほどあるのだが、これはその一例、何か新しいことをはじめるように要求してみたとしよう。彼らは決まって、それができない理由を並べ立てることからはじめるのである。不可能性を責任回避の盾とするのである。だからいまごろになってあれがあれだしこれがこれだしとこんなこといいだしてるわけなのであるが、いいかこら、再精査も何もこんな「懸念材料」とやらは最初から知れていることではないか。いまさらこんなご託を並べているということは、いままでなーんにも考えてませんでしたとみずから暴露しているようなものではないか。しっかりしたまえ。 まあよかろう。公文書公開請求書がもう一枚必要になったということである。「公文書の名称その他公文書を特定するために必要な事項」の欄には、 ──4月13日付中日新聞伊賀版の記事「旧桝田医院の第二病棟跡地 名張市の整備協議が難航」に記された乱歩の生家復元についての「再精査」に関する記録 とでも書いておくか。 名張の七不思議その四。 名張まちなか再生委員会の謎リターンズ。 記事にはこんなことも書かれている。
だから名張まちなか再生委員会はどうなのよ。ルールや手続きを完全に無視して桝田医院第二病棟の活用策を検討していたのはあの委員会であったではないか。それが「伊賀地域の乱歩顕彰グループ「乱歩蔵びらきの会」のメンバーと市担当者の間で主に検討している」ってのはどうよ。話の筋がめっちゃ無茶苦茶。いい加減なことばっかやってんじゃねーぞこのこんこんちき。 名張の七不思議その五。 都市環境部の謎。 さらに引用。
だから都市環境部ってのはいったい何よ。名張まちなか再生委員会の事務局は都市環境部の市街地整備推進室に置かれているはずなのであるけれど、これはこらどういうつもりだ。名張まちなか再生委員会が桝田医院第二病棟の活用策を検討するという不当な行為をとんでもない理屈によって正当化しておきながら、すなわち桝田医院第二病棟に関する検討は名張まちなか再生委員会に丸投げいたしましたという態勢を整えておきながら、この期におよんで「市役所内の意見を集約し、蔵びらきの会員らと協議して方針を決める」ってのはどういうことよ。 それともあれか。名張まちなか再生委員会が降りてしまったのか。桝田医院第二病棟についてはギブアップでございますと音をあげたのか。それならわからぬこともない。「市役所内の意見を集約」することも必要であろうが、そんなぐあいに理路整然と手順を踏んで話が進められているとはとても思われぬ。例によってずぶずぶのなあなあ体質で何に顧慮することもなくルールや手続きもあらばこそ、筋も道理もフェアネスもジャスティスも無視したぱんぱかぱん一直線なのであろうが。眼もあてらんねーな実際。 名張の七不思議その六。 委員会の謎。 もしかして名張まちなか再生委員会のみならず、名張市が発足させた委員会だの審議会だのはみんなこうなのか。自立性や主体性などほんとのところはかけらほども担保されておらぬのか。ようやっとるなまったく。 名張の七不思議その七。 中途半端の謎。 最後は記事の結びである。
金があろうとなかろうと、名張市にはしょせん中途半端なことしかできないのではないか。財政に余裕さえあれば中途半端でないことができるかというと、それはおおきに疑問である。4月11日付伝言から引くならば、 ──ろくに作品を読むこともなく、もとより敬愛の念などかけらもなく、ただ自治体の自己宣伝に乱歩を利用することしか考えようとしない。そしてあさはかな思いつきは、ことごとく滑ってばかりいる。 それが名張市なのではないかしら。 以上、桝田医院第二病棟に見る名張の七不思議でした。 |
ご心配をおかけしていたかもしれません。きのうのお昼、当地が地震に見舞われました。別にどうってことはなかったのですが、電話やメールや掲示板「人外境だより」への投稿でお見舞いをお寄せくださった方もあり(書棚の本が落っこちてこなかったかとのご心配を多くいただきましたけど)、こーりゃちょっと気を利かせて地震の直後に「人外境だより」へ、 ──人外境は無事だった。 とか書き込んでおけばよかったなと反省しております。 記録しておきますと──
「防災みえ.jp」によれば、きのう午後0時19分発生の地震における伊賀地域の揺れは、伊賀市平田で震度5弱、伊賀市緑ヶ丘本町、伊賀市小田町、伊賀市上野丸之内、伊賀市下柘植、伊賀市馬場で震度4、名張市鴻之台、伊賀市島ヶ原、伊賀市阿保で震度3といったところ。午後6時34分にもまた揺れて、亀山市や津市で震度4、四日市市や鈴鹿市や松阪市や伊勢市と伊賀市小田町、伊賀市上野丸之内、伊賀市馬場、伊賀市平田で震度3、名張市鴻之台で震度2といったところでした。 被害がもっとも大きかった亀山市は乱歩が幼年時代を過ごした土地なのですが、亀山城跡の石垣が崩落し(崩落現場の写真は「三重県よろずや」の4月15日付エントリでどうぞ)、寺の墓石や神社の灯籠が倒れたりしたものの、液晶テレビでおなじみのシャープ亀山工場には被害がなかったとのことでした。 地震発生時に私が何をしていたのかというと、自宅書斎のソファに寝っ転がってさあ昼飯どうすっかなとか思いながら本を読んでいたのですが、まず最初に微弱な揺れが、そのあとしばらくして本格的な揺れがやってきました。ソファは書棚のすぐ前にありますから本の下敷きになったりしたらたいへんです。書斎に隣接するトイレ兼書庫にすみやかに避難し、満身の力をこめて便器にしがみついていたところ、本が落ちてくるようなドラマティックなことなど何ひとつ起きる気配もなく、つづく余震もないようなのでさあ昼飯どうすっかなとまた思案して、ちょっと二日酔いだからあんまり食べられないしなと日清の出前一丁をつくって昼食とした次第でした。
さあ学校へ行ってこよう。 |
おととい発生した地震の続報です。余震はいっさいありませんが、乱歩ゆかりの亀山市では「震度5強から一夜明けた亀山、新たな被害次々判明」(4月17日付産経新聞)、そうかと思うと案の定、「亀山市、参集職員は3割未満 15日の地震で態勢不備」(4月17日付中日新聞)みたいな問題が浮き彫りにされております。 ならばわれらが伊賀市、いつも腹から笑えるニュースを提供してくれる爆笑都市伊賀市はどうであったか。今回もやってくれたでござる。「三重県中部の地震、伊賀市長はゴルフ大会…終日登庁せず」(4月17日付読売新聞)とのことでござる。あっぱれあっばれ。しかもこれ、読売のサイトの「地域」ではなくて「社会」のカテゴリで扱われてますから、手裏剣対決と忍者議会につづいて伊賀市はまたまた全国区。それにしても「伊賀、名張両市の懇親目的で、今岡市長や両市議、両市幹部職員ら約30人が参加した」というゴルフ大会を狙い澄ましたように地震が発生するなんて、罰が当たってるとしか思えません。お察し申しあげましょう。 そんなこんなでいろいろご心配をおかけいたしましたが、亀山あたりの被災地域では復旧の問題が残っているにしても、地震そのものはもう大丈夫みたいです。ご厚情に謝意を表します。ありがとうございました。 さて行ってまいりました。きのう行ってまいりました。三重県立名張高等学校にも行きましたけどそのあと名張市役所へ。 でもって2005年度と2006年度における名張まちなか再生事業の予算執行内容、しっかり教えてもらってまいりました。「公文書公開請求書」を提出するまでもなく、名張まちなか再生委員会事務局がまとめてくれてあった資料でとりあえず用は足りると判断されましたので、それをもらって帰ってきました。市民情報相談センターで確認してもらったところ、請求書を出さなくても何の問題もないとのことでした。 それではさっそくまいります。昨年6月18日に開かれた名張まちなか再生委員会2006年度総会の配付資料、名張市オフィシャルサイトに「平成18年度名張まちなか再生委員会総会資料」(PDF ファイル)として掲載されているものですが、この資料が予算や決算の面でどうにも曖昧である。だから明細を知りたいと事務局に要請してありましたところ、2005年度と2006年度の予算執行内容をリスト化してくれてありました。 まず、これは4月12日付伝言に掲載したものですが、総会資料「[議事1関連資料]平成17年度事業経過報告」からの抜粋。
合計金額は約五千万円になります。でもってきのうもらってきた資料によれば、2005年度の予算執行はこんなあんばいとなっております。
四千七十万五千円の予算が執行されたということになります。いちばん金額が大きいのは「(工事)駅前トイレ改修工事」の千八十一万七千円、工事は鈴木工務店が担当していて、なんだうちの親戚じゃねーか。しかしトイレは関係ありません。 細川邸の関係はと見てみると、解体除却などの工事はひとまず措くとして、「(測試)細川邸実施設計委託料」の四百六十九万七千円が眼につきます。ところがこれまでたびたびふれてまいりましたように、名張まちなか再生委員会発足当初には2005年10月までに行われることになっていた細川邸の実施設計は先送りにつぐ先送り、したがって予算もくり越しにつぐくり越しとなっていたものとご理解ください。きのう委員会事務局から教えてもらったところでは、つい最近になってようやく実施設計が終了したとのことでした。 とはいえ、これはあくまでも実施設計が終わったというだけの話です。その細川邸をどんなぐあいに活用するのか、公的施設としてどういった機能を与えるのか、どんなふうに運営してゆくのか、そのあたりのことはいまだに決定されておらず、5月だか6月だかに名張まちなか再生委員会2007年度総会を開いてそれからぼちぼち検討するとのことでしたから、このあたりはどうなのかな。つまり私の住民監査請求はあくまでもこれまでのプロセスを問題にするものですから、二年度にわたって実施設計が先送りになっていた迷走ぶりはどうよ、そして実施設計は終わっても肝心の機能が決まっていないという跛行ぶりはどうよ、ここには明らかに財産的損害が発生しているのではないかいな、みたいなことが住民監査請求の対象となるのかどうか。しかも地方自治法第二百四十二条には「請求は、当該行為のあつた日又は終わつた日から一年を経過したときは、これをすることができない。ただし、正当な理由があるときは、この限りでない」と定められていますから、このあたりの問題も微妙なのかしら。 それともうひとつ、「(測試)名張地区既成市街地再生事業実施計画」に総額千二百三十二万千円がつかわれています。これはどういうことか。名張まちなか再生プランを実施に移すうえでいわゆるコンサルタントが暗躍、いや暗躍といってしまうとコンサルタントのみなさんから叱られてしまうでしょうから、委員会のフォロー役といいましょうか、縁の下の力持ちといいましょうか、とにかくそれなりの対価とひきかえに何かとご尽力をたまわっていたということでしょうか。具体的にどんな尽力であったのかは部外者にはわかりかねるのですが、そのあたりを何らかの資料で具体的に跡づけることは可能なのかどうか。 そういえば以前、掲示板「人外境だより」にこんな投稿をしてくださった方がありました。「策定委員会にかかわった人間」とおっしゃるのですからいろいろな内部事情ももしかしたらご存じでいらっしゃるのかもしれないのですが、どこにどうしておいでやら。
ま、どうでもいいか。 それでその「(測試)名張地区既成市街地再生事業実施計画」、内訳をもう一度ひろってみるとこんなあんばいです。
どうであろうかこのあたり。もしかしたらツッコミどころ満載なのではないかしら。「歴史資料館整備計画の作成」つったって歴史資料館構想はあっさりボツになってしまったのであるし、「『名張まちなか再生プラン』全体の執行管理」とか「『名張まちなか再生プラン』実施 PJ 総合指導」つったって名張まちなか再生プランの迷走ぶり跛行ぶりは火を見るよりも明らかじゃけん、ここにはまぎれもない財産的損害が発生しているといえるのではないか。それともいえないのか。いえるのかいえないのか。いえないのかいえるのか。赤あげるのか白さげるのか。赤あげないで白さげない。ああ悩ましい。 2006年度の予算執行内容はまたあした。
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アメリカの大学で三十二人もの死者を出す銃の乱射事件が起きたと思ったら、日本では選挙期間中の長崎市長が衆人環視のなかで暴力団員に射殺されてしまう。なんとも暗い気分になってしまいますけど、こういうときこそ爆笑都市伊賀市の出番でしょう。 4月15日に三重県中部で発生した地震にともなって発生した伊賀市長耐震ゴルフ事件、いや事件というほどのものではまったくないのですが、朝日新聞オフィシャルサイトにはきのうの午前8時40分に「三重・伊賀市長、三重地震の報告受けた後もゴルフ続行」、午後1時30分に「地震報告後もゴルフの三重・伊賀市長、「軽率だった」」が掲載されました。いずれも「マイタウン」ではなくて「社会」での扱い。連続全国区とはまためでたい。そして2ちゃんねるニュース速報+板には午前11時33分58秒、読売の「三重県中部の地震、伊賀市長はゴルフ大会…終日登庁せず」をソースとしたスレッド「【社会】伊賀市長、ゴルフ大会に出席し全ラウンドを回ってそのまま帰宅・・・三重県中部地震の当日」が立てられて、おちょくり派と批判派が大勢を占めるもののなかにゃ擁護派もちらほらと。まあ好きにさえずっててくらはい。 私の場合この件に関しましては、伊賀市長をはじめとした関係各位にただひとこと、 ──空気嫁! とのみ申しあげて次の話題に移りたいと思います。 次の話題がとても難題。住民監査請求は成立するのかしないのか。悩みながらも進めますけど、たとえばきのうとりあげました契約額四百六十九万七千円の「(測試)細川邸実施設計委託料」。この実施設計には問題があるわけです。どういう問題か。そもそも名張まちなか再生プランには細川邸を歴史資料館にするなどというリフォーム詐欺が謳われておった。ろくな歴史資料もないってのに世迷いごとほざいてんじゃねーやばーか、てなもんであったわけです。だから当然の帰結として歴史資料館構想なんざ弊履のごとく棄却され、名張まちなか再生委員会による代替案探しの長い旅がはじまりました。おかげで2005年10月には終了しているはずだった実施設計はつい最近までずれ込んでしまった。 しかも実施設計は終わったものの、代替案探しの苛酷な旅はいまだ継続中なのである。細川邸を結局どうするのかという問題は白紙の状態なのである。名称さえ決定を見ていないありさまなのである。へたすりゃ細川邸の整備そのものが水に流されてしまう可能性だってないわけではない。つまりおじゃんってやつですか。いろいろ考えてみたけどーにもこーにも考えがまとまりゃしませんし何やってもどーしよーもないみたいだから細川邸にはもう手をつけません、みたいな結論にたどりついてしまうかもしれない。そんな状態だっていうのに実施設計だけちゃっちゃと済ませるってのはどういうことよ、なんて声が出てきたとしても少しも不思議ではありません。 つまり実施設計にはたしかに問題があるわけなのですが、だからといって「(測試)細川邸実施設計委託料」四百六十九万七千円が住民監査請求の対象となるのかどうか。ならんのではないか。名張まちなか再生プランの策定から実施設計の終了にいたるプロセスには明らかに問題がありまくりなのであるけれど、設計そのものや契約そのものには何の問題もないものと判断されるからである。かりに監査が行われたとしても、契約金額は妥当適正なものでありとかなんとかかんとか、要するに監査上の問題は何ひとつ見いだせないという結果になるのではないかしら。 この場合いちばんの問題は三重大学工学部の先生にトップをお務めいただいた名張地区既成市街地再生計画策定委員会なのであって、あいつらが細川邸を歴史資料館にしようなんていい加減な与太を飛ばすからいかんのである。しかし住民監査請求という制度ではあのうすらばかのみなさんの責任を追及することはとてもできない。まったくもって悩ましい話ではあるけれど、手許の資料にもとづいて先に進みます。まず4月12日付伝言に掲載した総会資料「[議事5関連資料]平成18年度事業計画(案)について」の抜粋がこれ。
でもって名張まちなか再生委員会事務局がまとめてくれた2006年度予算の執行内容がこれ。
はにゃ? 名張まちづくり塾? 国立大学法人三重大学? 大枚百四十九万九千円もはたいて三重大学にいったい何をしてもらったのかにゃ? さっぱりわかりませんけれど、要するに名張市は三重大学と皇學館大学にふたまたかけてるってことですか。いやそんな問題ではまったくないのか。まあいいや。まあいいのではあるけれど、それにしても名張まちづくり塾ってか。名称を眼にするだけで気恥ずかしさが先に立つよな立たぬよな。 さてそれで着目すべきはやはり契約額八百万千円の「(測試)名張地区既成市街地空間デザイン方針等検討業務委託」でしょう。わかりやすくするためにきのう同様こんな感じに。
項目ひとつめに「『桝田医院第2病棟』跡地整備実施計画等」があげられていますが、桝田医院第二病棟の活用策もまたいまだ白紙の状態ですから、実施計画は決定にいたっておりません。つまり名張まちなか名物先送りの術。4月13日付中日新聞の「旧桝田医院の第二病棟跡地 名張市の整備協議が難航」によれば名張市役所内部には「記念碑のある公園程度のもの」にするという意見もあるようで、そうなりゃことごとしく整備実施計画なんてものをつくる必要もなくなるのではないか。病棟を解体除却してあとは地面をならしてしまえばそれで OK。近所の猫や里山から訪れた狸が公衆トイレとしておおいに活用してくれることでしょう。 それはそれでめでたいことではあるのですが、それにまただいたいがこら細川邸をどうすんのかってことすら決められないくせに「季節伝統行事を活かしたまちなか再生事業の企画・検討支援」なんてことやってる場合かよ、という気もしないではないのですが、それはそれとして問題は住民監査請求なのである。現時点における手持ちのカードは以上で尽きた。はたしてこれで請求が成立するのかにゃ? てなもんでおます。
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さていまや住民監査請求の鬼と化して腕を撫している私ではあるけれど、はっきりいって五里霧中、手持ちのカードで請求が成立するのかどうかはさっぱりわかりません。そのあたりはまた近く、近くといっても来週になりましょうか、名張市役所の監査委員・公平委員会事務局に足を運んでアドバイスを仰いでこなければなりません。 どうせおなじ階にあるのだから、名張市教育委員会にも顔を出してみようかな。しかしそんなことしたら長崎市長射殺事件に端を発してメディアがいっせいにとりあげている行政への不当要求行為だと勘違いする人間も出てくるのかな。何が不当だばーか。不当なのは向こうじゃねーか。だいたいおれは行政に対して不合理なことや理不尽なことなどただの一度もいってないぞ。不合理だの理不尽だのというのはたとえば名張まちなか再生プランにこそふさわしい言葉なのであって、その不合理や理不尽を正当に指摘し批判している人間のどこが不当だ。勘違いもたいがいにしておけばーか、とか釘を刺してから行ったほうがいいのかな。 名張市教育委員会にはもちろん、 ──いいかこら教育次長だかなんだか知らんがろくに経緯や事情もわきまえぬ人間が横からしゃしゃり出てきて人に偉そうな説教かましてんじゃねーぞたこ。 の件でお邪魔するわけなのですが、話というのはごく簡単なもので、ひとことでいえば、 ──名張市は乱歩から手を引け。 ということです。だってもう、 ──ろくに作品を読むこともなく、もとより敬愛の念などかけらもなく、ただ自治体の自己宣伝に乱歩を利用することしか考えようとしない。そしてあさはかな思いつきは、ことごとく滑ってばかりいる。 みたいなことばっかやっててもしかたないですから。ちゃんとしたことやろうと思えばできるのだし、ちゃんとしたことってのがどういうことなんだか私は身をもって示してきたつもりでもいるのですが、にもかかわらずちゃんとしたことに手をつけようとせずうわっつらのことばっかやって滑りつづけているのが名張市なのである。だからもうやめとけと、乱歩コーナーなんか閉鎖して名張市立図書館は乱歩と無縁な図書館になってしまえと、私はそのように考えて名張市教育委員会の教育次長に、 ──名張市立図書館の乱歩コーナーを閉鎖し、名張市立図書館を乱歩と無縁な図書館にするためには、どういった手続きを踏めばよいのでしょうか。誰が協議し、どこが決定すれば、名張市立図書館は乱歩から手を引くことができるのでしょうか。 とメールでお訊きしておるのであるが、いっこうにお答えがいただけませんものですから教育委員会にちょこっとお邪魔して、ご多用中ではあろうけれどもお答えをちらほらお聞かせいただこうかなと思案している。これが行政への不当要求行為に相当するのかな。するわけねーだろばーか。 そもそもものごとには潮時というものがある。乱歩に関しては名張市ももう潮時であろう。先日も引いたけれども4月13日付中日新聞の記事──
この記事のことも先日16日、名張市役所で名張まちなか再生委員会事務局から簡単に説明してもらったのだが、要するに名張まちなか再生委員会による桝田医院第二病棟の協議検討は2月1日を最後に杜絶している。だからこの記事にあるように、 ──第二病棟の跡地利用については、伊賀地域の乱歩顕彰グループ「乱歩蔵びらきの会」のメンバーと市担当者の間で主に検討している。 といった状況になっているとのことである。しかし「生家の復元費用が多大なこと▽復元後も見学者に対応するための維持管理費がかかること▽見学者が訪れ、周辺住環境に悪影響を及ぼす」なんてことは中期財政見通しなんぞにかかわりなく最初から知れていることであり、ていうか生家の復元や維持管理に金がかかるのはあたりまえの話なのであって、そんな問題をいまごろもちだしてきてどうする。整備に必要な初期費用だけ国の交付金で段取りし、すべてを官民協働とやらの委員会に丸投げしたあげく委員会による検討が暗礁に乗りあげたら財政難を理由に話をもみ消しにかかりやがる。なーにやってんだばーか。 とにかくもういいであろう。潮時である。名張市には乱歩に関してろくなことができないということははっきりした。行政サイドもいまや明確にそれを自覚しているはずである。潮時である。 ──名張市は乱歩から手を引け。 と私はいう。これは行政に対する不当要求行為なんかではないのだぞ。
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何が十周年なのかというと名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブック1『乱歩文献データブック』。奥付の発行日はまぎれもなく1997年の3月31日となっておりますから、今年の3月31日はめでたかるべき刊行十周年のアニバーサリーであったのですが、その祝福されるべき日に私が何をやっておったのかというと、三重県立図書館へ行って「新青年」の復刻版をなめるようにチェックしておった。 いったい誰が、誰がこんな悲惨な十年後を予想できたっていうのよ。わしゃ夢にも思うておらなんだぞ。十年前には刊行されていなかった「新青年」の復刻版をひっくり返してウェブ版「乱歩文献データブック」のメンテナンスのために眼を白黒させていようとは、お釈迦さまでもご存じなかったことであろ。鬼も落涙することであろ。なんと因果なめぐりあわせであることか。 『乱歩文献データブック』には従来の書誌にない工夫がいろいろ盛り込まれているのですが、その工夫ゆえに絶えざるメンテナンスが必要です。工夫の例をウェブ版「乱歩文献データブック」の最初のページ「大正12年●1923」から引きますと──
こんなデータが掲載されております。乱歩のデビュー作「二銭銅貨」が載った「新青年」に掲載された小酒井不木の文章です。「◆」で示したのは乱歩作品のタイトルとその発表年で、乱歩が不木の「『二銭銅貨』を読む」に言及した随筆がすべてリストアップされております。『探偵小説四十年』収録の文章はその章題を示していますが、この場合は雑誌に発表された年と本になった年とのあいだに開きがあるなどの理由で、発表年は記載しておりません。 それから「■」は初出以降の収録を示していて、つまり「『二銭銅貨』を読む」を読みたいと思った人はわざわざ「新青年」の大正12年4月春季増大号を探さなくたって、これらの書籍のうちのいずれかを手に入れればいいわけです。きょうびのことですから「青空文庫」で読むことも可能です。自分でいうのもあれですが、このあたりの工夫はたいへんよく考えられています。書誌をひもとく人の立場で考えられている。図書館が提供すべきサービスの王道を邁進している。 ですから絶えざるメンテナンスが必要なわけです。「『二銭銅貨』を読む」がどこかで活字になれば、その本を入手してウェブ版「乱歩文献データブック」の「大正12年●1923」のページにそのデータを増補しなければならない。誰がやるのか。私がやるのである。しっかしこらばかこんなものは本来名張市立図書館が手がけるべきことのなのである。市立図書館のサイトに『乱歩文献データブック』のデータを掲載し、絶えざるメンテナンスを重ねてひろくサービスを提供するのは名張市立図書館の責務なのである。 それをまったくあーこれこれ名張市教育委員会のあほのみなさんや、あんたらいったい何を考えておるのか。何も考えてなどおらぬのであろうけれども、こんなあったりまえのことがなぜできぬ。図書館のサイトに江戸川乱歩リファレンスブックのデータを載せるようにというおれの提案を二度が二度ともなぜ蹴りやがった。しかもあの、 ──いいかこら教育次長だかなんだか知らんがろくに経緯や事情もわきまえぬ人間が横からしゃしゃり出てきて人に偉そうな説教かましてんじゃねーぞたこ。 でおなじみの教育次長、あの方は2月1日にいったいなんとおっしゃった。3月2日付伝言に引いた同日付教育次長宛メールから引きますと、 「2月1日に開かれた名張まちなか再生委員会の第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会の席上、私がこれまでに示してきた方向性を100%受け容れるかそうでないか、それはこれから考えることであると貴職がご発言なさいました」 といったことになります。大丈夫か公務員。ご町内感覚というかご庁内感覚に凝りかたまってばかりいるとほんっと市民から見放されるぞ。もう見放されてるのかもしれんけど。 とにかく公務員のみなさんいいですか。この期におよんで100%も50%もないわけよね。1997年3月31日に『乱歩文献データブック』が刊行されたその時点で、手前どもは開館準備の段階から江戸川乱歩先生の著書や関連書籍を収集してまいりましたと、それを活用してこんな本をつくりましたと、今後もこうしたサービスをつづけてまいりますと、名張市立図書館はそんなふうに高らかに宣言したわけなのね。 嘘だと思ったら『乱歩文献データブック』に当時の市立図書館長が記した序文を読んでごらんなさい。
おわかりですか名張市教育委員会のみなさんや。図書館が提供すべきサービスの王道を邁進するものではありましたけど、『乱歩文献データブック』はもとより不備の多い書誌ではありましたので、当時の館長が申しておりましたとおりいずれの日にか増補改訂版を刊行することも必要でしょう。しかしそれ以前になにしろきょうびのことですから、インターネットを活用して絶えざる増補改訂を重ねてゆかねばならぬのだということがあーこれこれ名張市教育委員会のあほのみなさんや、みなさんにはまったく理解できないわけなのね。 『乱歩文献データブック』刊行以来十年の歳月が流れ去り、気がつけば私は耐震ゴルフ事件でいいように叩かれてるどっかの市長さんなみに悲惨なアニバーサリーを迎えてしまいましたが、名張市教育委員会にはきょうも駘蕩たる春風が吹いているのでしょうか。やってられんなまったく。 |