2007年3月上旬
1日 3月だからさっさとお答えくだされの巻 毒舌を懐しむ
2日 3月議会は無問題でござるの巻 クリスティー雑感
3日 雛祭りゆえ休みでござるの巻 通俗であればこそ肌身にそくそくと
4日 収拾つかずにしゅらしゅしゅしゅの巻 屋台ひいた推理小説の父
5日 名張市だんまり委員会でござるの巻 とりとめのない話
6日 驚きのエピグラフ 表題「子不語随筆」に就いて
7日 はじまりは深い霧のなか 呪いの塔
8日 ござるかござらぬかでござるの巻 やるせないラブロマンス
9日 「恐ろしき復讐」というタイトル 五 江戸川乱歩の世界
10日 正史はどうしてこんなことを 空気男(八〇枚) 江戸川乱歩
 ■3月1日(木)
3月だからさっさとお答えくだされの巻 

 3月でござる。弥生でござる。月が替わってもあいかわらず時間がなくて眼を通せぬ乱歩関連書籍に敬称略で原達郎『ラーメンひと図鑑』を追加でござる。

 さて、

 ──いいかこら教育次長だかなんだか知らんがろくに経緯や事情もわきまえぬ人間が横からしゃしゃり出てきて人に偉そうな説教かましてんじゃねーぞたこ。

 の件にござるが、けさは二の矢を放ったでござる。名張市教育委員会に教育次長宛のかくのごときメールを送信したでござる。

 昨日は不躾にメールをお送りして失礼いたしました。勝手ながらご返事をお待ちしております。

 きのうの質問の補足として、私の考えを申し述べます。結論から記します。名張市立図書館は乱歩コーナーを閉鎖し、乱歩という作家から手を引くべきであると考えます。

 むろんきのうも記しましたとおり、私は名張市立図書館が収集資料にもとづき、乱歩に関して全国を対象に質の高いサービスを提供してゆくことを希望しております。五年、十年という長いスパンで将来を見通し、日本でただひとつ乱歩の関連資料を専門的に収集してきた図書館として、それにふさわしい運営をつづけてゆくことが望ましいと考えております。

 しかしながら、名張市の財政状況を別にして考えても、名張市立図書館にも名張市教育委員会にも、どうやらそんなつもりはないらしいというのが私の判断です。これは単なる実感で、具体的な根拠を明確に示すことはできかねるのですが、この判断はそれほど的はずれなものではないと確信いたします。しいていえば、お役所特有の責任回避体質がおのずからしからしむるところ、といったことになるでしょうか。

 もしも私の示した方向性が否定されてしまうのであれば、名張市立図書館はどうなるのか。私が嘱託を拝命する以前の、収集資料の活用を考える能力もなく、乱歩に関する専門知識をもったスタッフなどひとりも存在せず、したがって乱歩に関して何をすればいいのかすら判断できない図書館に逆戻りするだけです。そんなことになるくらいなら、いっそきれいに手を引いたほうが図書館自身が楽になることでしょう。

 私は2003年の10月22日、当時の教育長にお目にかかる機会を得ましたので、それは市長、教育委員長、図書館長もご同席の場でしたが、市立図書館が乱歩コーナーを閉鎖して乱歩とは無縁な図書館になるべきだと進言いたしましたところ、教育長からは「またあらためてみんなで検討してみましょう」とのお答えをいただきました。それ以降、検討の場などただの一度も設けられなかったことはいうまでもありませんが、一度でいいから本気になって乱歩のことを考えていただきたいというのが名張市教育委員会に対する私の願いです。

 そんな願いはとても聞き届けられぬものとは思いますが、せめて昨日のメールでお訊きしたこと──

 名張市教育委員会は市立図書館の運営における江戸川乱歩の扱いについて、構想や方向性のようなものをおもちなのでしょうか。おもちなのであれば、それを示していただきたく思います。また、これからお考えになるというのであればその時期はいつごろなのか、構想や方向性は存在しないというのであればその旨をお知らせいただきたく思います。

 この程度の質問ならばお答えをいただけるであろうと期待しております。勝手ながらご返事をお待ちしております。よろしくお願いいたします。

2007/03/01

 ニンニン。

  本日のアップデート

 ▼1956年11月

 毒舌を懐しむ 江戸川乱歩

 日本探偵作家クラブ関西支部の会報「KB of MWJ」に掲載された。乱歩の自作目録からは洩れていて、むろん単行本にも全集にも未収録。見つけてコピーをお送りくださった方があった。

 関西支部発足十周年の記念号。乱歩の文章は巻頭に収められている。

 初期の関西会報は毒舌をもつて鳴つていた。会長の西田君は毒舌家ではなくて、皮肉屋程度だが、お弟子さんに藍よりも濃い毒舌家がいて、東京方面でも物議をかもしたようである。私は余り悪口を云われなかつたためばかりではなく、大変面白かつた。昔京都に「猟奇」という同人雑誌があつて、「新青年」を目のかたきにして毒舌をふるい、私などもずいぶん被害者だつたが、それでも、やはり面白かつた。毒舌のない関西会報なんて、およそ意味がないとさえ感じている。関西の作家諸君も、だんだん世に出てくると、毒舌がふるえなくなつたのか、このごろはまじめな会報になつた。まじめならまじめでよろしいが、それなら、大いに研究的にやつていたゞきたい。最近編集者が変つたようだが、大いに期待している。

 以上、全部で六段落あるうちの二番目の段落を引いた。

 この号には「今昔アンケート」と題したアンケートも掲載されている。「探偵趣味」の昭和2年5月号に載った「今から三十年後の探偵小説は?」なるアンケートから三十年が経過したのを機に、昭和31年の時点で三十年後の探偵小説を占ってみようという趣向。

 乱歩の回答のうち、三十年後の探偵小説について。

一、作家はその時の社会の潮流から生れるけれども、生れた作家の個人力が、今度は作品の風潮を支配すると思う。三十年後の探偵小説はその時にそういう大きな作家が生れているかどうかによつて又、その作家の個性いかんによつて、左右されると思う。わたし個人としては偉大なる新本格派の生れることを望ましく思う。

 昭和31年の三十年後は昭和61年、西暦でいえば1986年。乱歩の予想にあてはめて考えるなら、1981年に「占星術殺人事件」でデビューした島田荘司さんが「大きな作家」となって1987年の「十角館の殺人」以降の「偉大なる新本格派」の「作品の風潮」を決定づけた、といったことになるのだろうか。ミステリファンというわけではない私にはよくわからないのだが、乱歩の予言はかなり正鵠を射ていたように見受けられる。読者諸兄姉はどのようにお考えだろうか。


 ■3月2日(金)
3月議会は無問題でござるの巻 

 さて、

 ──いいかこら教育次長だかなんだか知らんがろくに経緯や事情もわきまえぬ人間が横からしゃしゃり出てきて人に偉そうな説教かましてんじゃねーぞたこ。

 の件でござるが、早くも三の矢となり申した。昔から、

 ──仏の顔も三度笠。

 と申すでござるが、いやはや教育次長殿も大変でござる。

 連日のメールで失礼いたします。勝手ながらご返事をお待ちしております。

 年度末のうえ3月定例会が開会中とご多忙でいらっしゃることは承知しておりますが、私の質問はごく単純なもので、ほとんど即座にお答えいただける内容となっております。よろしくお願いいたします。

 私は一昨日のメールで──

 名張市教育委員会は市立図書館の運営における江戸川乱歩の扱いについて、構想や方向性のようなものをおもちなのでしょうか。おもちなのであれば、それを示していただきたく思います。また、これからお考えになるというのであればその時期はいつごろなのか、構想や方向性は存在しないというのであればその旨をお知らせいただきたく思います。

 とお訊きした次第ですが、少なくとも私の理解しているかぎりでは、名張市教育委員会には乱歩に関する構想や方向性のようなものなどかけらほども存在していないはずです。

 私は1995年の秋、名張市立図書館の嘱託を拝命したおり、当時の教育長に文書を提出し、図書館が乱歩に関して何をすればいいとお考えなのかをお訊きしました。お答えはいただけませんでした。名張市教育委員会は乱歩のことなど何も考えていないのだ、考えるための知識もなければ能力もないのだ、と私は結論いたしました。この認識にはいまも変化がありません。

 したがいまして、わざわざ貴職に質問のメールをお送りしてお手数をおかけする必要などないといえばないのですが、一昨日のメールにも記しましたとおり、2月1日に開かれた名張まちなか再生委員会の第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会の席上、私がこれまでに示してきた方向性を100%受け容れるかそうでないか、それはこれから考えることであると貴職がご発言なさいましたので、もしかしたら乱歩に関して何かを考えていただけるのかもしれないなと思い、質問のメールをお送りした次第です。

 先述いたしましたとおり、ごく簡単にお答えいただける質問です。ご多用中恐縮ではありますが、ご返事をお待ちしております。よろしくお願いいたします。

2007/03/02 

 ニンニン。

  本日のアップデート

 ▼1953年7月

 クリスティー雑感 江戸川乱歩

 きのうの「毒舌を懐しむ」と同様、これも乱歩の自作目録から洩れている一篇。コピーをお送りいただいた。

 掲載誌は「探偵趣味」。和歌山市の探偵小説ファンが編集兼発行人を務めていた同人誌で、発行所は探偵小説趣味の会。

 プロの作家や評論家にも臆することなく原稿を依頼していたようで、巻頭には中島河太郎先生の「探偵小説の限界」を配し、ほかにも魔子鬼一、宮原竜雄、楠田匡介、山沢晴雄、土屋隆夫、香山滋、それから慶應義塾大学推理小説同好会 OB 会の村山徳五郎さんといった錚々たるメンバーが稿を寄せている。

 乱歩が寄稿したのは、黒沼健の名も見えるクリスティ特集。クリスティについては昭和26年の「クリスティーに脱帽」にくわしく書いており、あれに新しく加えることはほとんどないと前置きして、あの作品は近く刊行される評論集に収録すると『続・幻影城』の宣伝も軽くまじえつつ、短いながらも律儀にクリスティを論じている。

 結びの一段落。

 しかし ここに注意しておきたいことは 後期の作につけ加えられた普通小説の手法の人間描写が優れていると云っても 純文学のリアリズムにまで徹しているわけではなく やはり巧みなメロドラマを出でないので 若し一方に謎構成の面白みがなかったら 文学として論ずるに足るほどのものではないということである。謎構成などは第二として 人間関係の描写がクリスティーほどに出来れば それだけで立派な小説だなどと考えてはいけないということである。人間関係の描写では 古来普通文学の方に 優れたものが山ほどある。クリスティーのは探偵小説なればこそ そういう描写力も光って見えるので 描写力だけを切離して考えたら 文学としてはやはり第二流 第三流たるを免れないということである。やはり彼女の特質は探偵作家たるところにあり それを計る尺度は普通小説とは別個のものなのである。

 誌面は手書きの謄写版刷り。読点の代わりに一字アキを使用している。


 ■3月3日(土)
雛祭りゆえ休みでござるの巻 

 時間がなくていまだ眼を通すことあたわぬ乱歩関連書籍に戸板康二『團十郎切腹事件』を追加でござる。

 さて、

 ──いいかこら教育次長だかなんだか知らんが……

 いやいや、お役所が休みの日はこの件も休みとしておくでござる。きょうは雛祭りでもござるし。しかしお役所は休みでも拙者の片づけものは年中無休でござる。それについ先日のことでござるが、コピーのたぐいは執筆者別ではなく掲載誌別に整理したほうが合理的ではないのかと気がつき、思案に暮れ、整理の手をとめて思い惑っている次第でござる。まことに頭の痛いことでござる。

 話は変わり申すが、立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センターの館報が創刊されたでござる。くわしくは「番犬情報」をお読みくだされ。ニンニン。

  本日のアップデート

 ▼2007年1月

 通俗であればこそ肌身にそくそくと 山村修

 文春新書『書評家〈狐〉の読書遺産』に収録。「文學界」に連載された「文庫本を求めて」の一篇。

 連載一回で文庫本二冊を俎上に載せる。乱歩の場合は光文社文庫『パノラマ島綺譚』が河出文庫のバタイユ『空の青み』と抱き合わせ。ただし乱歩とバタイユの関連が説かれているというわけではない。

 松浦寿輝さんの「半島」が「パノラマ島綺譚」の「パスティーシュとも読める長篇小説である」と指摘するあたりが興味深いが、ここには冒頭三段落を引いておく。

 光文社文庫版「江戸川乱歩全集」(全三十巻)が出色である。

 なによりも本文校訂がしっかりしている。一つ一つの作品につき、初出紙誌・初刊本はもとより、各種の刊本を比較のうえ採用テキスト(いわゆる底本)を決め、その底本と初出ないし主要刊本との異同を、巻末に校異表のかたちでこまかく記述している。

 えらいものだ。これまで底本はおろか、初出についても記さず、つまりいつごろの作品なのか(大正なのか昭和なのか、戦前なのか戦後なのか)、まるで触れずに平気で出されていた文庫版の乱歩全集などとくらべれば、力のそそぎかたがちがう。志がちがう。

 三段落目にある「文庫版の乱歩全集」は春陽文庫のことだろう。それはともかく、私はこれを読んでまるで自分が褒められでもしたかのように嬉しくなった。「志」という言葉にずいぶんひさしぶりで接したような気がして、そのことも嬉しかった。


 ■3月4日(日)
収拾つかずにしゅらしゅしゅしゅの巻 

 いよいよ収拾がつかなくなってきたでござる。片づけものの範囲が山を越え谷を越え、どんどんひろがってしまったでござる。拙者、手許のコピーのたぐいは執筆者別ではなく掲載誌別に整理したほうがいいのでは、と思案しておった。ちなみになぜ整理するのかというと、どこに何があるのかさっぱりわからず、参照したいときに参照できぬからでござる。

 しかし、どこに何があるかわからぬのはコピーだけではござらぬ。雑誌も同様でござる。それならばこの機会に、雑誌の整理もしてしまおうと考えて、これは昨日のことにござるが、書棚に並べたり乱雑に積みあげたりしてあった雑誌のたぐい、手近なところから整理しつつリストをつくってみたとお思いくだされ。リストの一枚目はこんな感じでござる。

 便利なリストでござる。しかし、コピーを整理してリスト化することも終わっておらぬのに、こんな作業に手を出してしまってはいよいよ収拾がつかなくなるばかりなのでござった。拙者、日曜の朝から茫然としてしまい、どんぐりまなこがくるくるまなこになってしまいそうでござる。

 さるにても、こうしたリストは本来であれば名張市立図書館のサイトに掲載されておらねばならず、そんなことは無理らしいゆえそれならば名張市立図書館ミステリ分室をつくってそのサイトに、と乾坤一擲の秘策をパブリックコメントとして提出するも名張市役所の職員にはそれを理解することあたわず、名張まちなか再生委員会が現在検討しているミステリー文庫とやらは子供だましの学級文庫ゆえ何も期待はできず、ほんに嘆かわしいことでござる。

  本日のアップデート

 ▼2007年2月

 江戸川乱歩 屋台ひいた推理小説の父 原達郎

 各界著名人とラーメンとのかかわりを列伝ふうにまとめた『ラーメンひと図鑑』の一篇。

 大学卒業後、数々の仕事を転々としながら執筆活動を続け、一九一九(大正八)年、二五歳のとき二人の弟と古本屋を開き、漫画雑誌『東京パック』編集長を務めるものの生活に困窮。近所の食べもの屋には借金がたまってツケもきかなくなり、三日間も炒り豆だけで過ごしたあげく、ラーメン屋台をひくことを決意する。このラーメンは当時の東京のことなので、むろん鶏ガラスープの醤油ラーメンに違いない。

 乱歩自身が描いた屋台のスケッチを見ると、今の博多の屋台のような固定式ではなく、夜鳴きソバのような移動式で、ノレンが下がり、提灯がわりの行灯までついた本格的なもの。チャルメラを吹いて冬の深夜、寒風のなかを売り歩き、なかなかの稼ぎがあったという。

 乱歩の商いしたラーメンが鶏ガラスープの醤油ラーメンであったと推定した例は、けだしこれを嚆矢とするであろう。


 ■3月5日(月)
名張市だんまり委員会でござるの巻 

 あとからあとからいくらでも出てくるでござる。そんな雑誌があったことをすっかり忘れていたような雑誌まで湧いてくるでござる。まるで忍法みたいでござる。

 などと嘆いていてもはじまらない。時間を見つけて作業を進めるしかあるまい。雑誌のあとには新聞記事の整理が控えている。新聞となるといよいよ始末が悪くて、かりにきちんと整理できたとしても探し出すのに苦労する。だからパソコンにデータとして、乱歩ふうにいえば「貼雑」しておくと便利かもしれない。

 こういうものを公開するのは厳密にいえば違法行為だろうが、確信犯的に掲載してしまおう。新聞記事の例、乱歩の訃報だ。画像をクリックすると PDF ファイルが開く。

 こんなぐあいにデータ化して、アクセスするための索引をつくっておけば重宝するにちがいない。片々たる雑誌記事も同様で、これはもう明らかに違法行為なのだが、やはり確信犯としてここに公開してみる。

 私は名張市立図書館ミステリ分室を開設して、こうしたデータベースづくりを進めたかった。ネット上に公開することはできないが、とにかくミステリ分室のパソコンにはこうしたデータが蓄積されていて、いつでもアクセスできる。ネット上には乱歩の作品や著書や関連文献をはじめ乱歩と探偵小説にかかわりのあるさまざまなデータが公開されており、乱歩の著作権が切れたら作品のテキストも公開されて、それらを自由自在に検索することが可能である。

 日本にひとつくらいはそういう場が必要だろう。しかしいくらせっついても、名張市立図書館は江戸川乱歩リファレンスブックの内容をネット上で公開することさえできない。それならミステリ分室という場を新しくつくってそこを拠点に、と考えたのだが、いやいまでも考えてはいるのだが、名張市にはそんなことをするつもりもなければ予算もないことははっきりしている。

 上に PDF ファイルを掲載した中島河太郎先生の文章は、1987年に名張市立図書館が移転し、乱歩コーナーが開設されたことを伝える内容だ。一部を引いてみる。

 さすがに十五年前とは面目を一新して、最新設備を誇る図書館に生まれ変っていた。乱歩コーナーには机、スタンド、洋服、帽子などの遺品の他に、「蜘蛛男」「黄金仮面」「鬼の言葉」などの原稿、名張の人に宛てた書翰、「宙を歩く白衣婦人や冬の月」というコリンズに因んだ句を書いた色紙など、それに乱歩賞受賞者の著書や色紙が陳列されて、資料収集に尽力された高野館長らの関係者の苦労が窺われた。

 竣工式には市長をはじめ、乱歩と縁故のある川崎代議士も顔を見せ、市をあげて乱歩の顕彰にとり組んでいる厚意が察せられた。

 乱歩にとってはほんの僅かな因縁にすぎなかったが、没後二十年余を経て、なお郷党の人々の寄せる志は嬉しかった。

 結局、こんな程度のことでよかったのだろう。市立図書館の一角に乱歩コーナーを開設し、乱歩ゆかりの品を並べてそれが乱歩顕彰だといっていれば充分だったのだ。関係者はそれで満足なのだ。図書館の収集資料にもとづいて質の高いサービスを提供する、などということを考える関係者などひとりもいなかったのだ。

 だったらおれを巻き込むな、といまの私は考える。おまえらばかはばか同士、うわべだけのことやって乱歩顕彰でございます万々歳でございますと身内で喜び合っていればよかったのではないか。おれを市立図書館の嘱託にする必要なんかこれっぽっちもなかったではないか。おれはうわっつらだけちまちま飾ることなんかには興味がないから、市立図書館が乱歩に関して何をすればいいのかがわからないと打ち明けられれば、収集資料にもとづいてサービスを進めるのが本来だろうと即座に返答する。そうした仕事をやってくれないかと頼まれれば、さすがに即答はできなかったが結局は引き受けて、めいっぱいのことをしてきたではないか。

 そんなことすらわからん愚劣な人間がごちゃごちゃ偉そうなことをぬかしておると拙者とっても腹立たしいでござる。そこで、

 ──いいかこら教育次長だかなんだか知らんがろくに経緯や事情もわきまえぬ人間が横からしゃしゃり出てきて人に偉そうな説教かましてんじゃねーぞたこ。

 の件にござるが、三の矢まで放ったもののいまだ回答が届かぬでござる。教育次長殿はいかがなされたのでござろうか。これでは名張市教育委員会ではなくて名張市だんまり委員会ではござらぬか。公務中のご発言に関してお訊きしておると申すのに、お忙しいせいか全然お答えくださらぬでござる。それともあるいは、人から何か質問されても絶対に答えちゃだめよ、というのがあの委員会の鉄の掟なのでござろうか。ニンニン。

  本日のアップデート

 ▼2007年2月

 とりとめのない話 秋田稔

 秋田稔さんが発行する個人誌「探偵随想」に掲載。不定期刊で第九十三号。創刊以来四十四年が経過した。滋味掬すべき随筆が並ぶ。

 「探偵小説と犯罪」という一篇から。

 ところで、昨年のことだが、インターネットで自殺志願者を誘い出し、男女三人の口を塞いで殺すという、なんともいえぬ事件があった。殺人で最高の快楽を得たのだという。

 三十代後半のこの男、中学時代に乱歩の探偵小説の挿絵を見て興奮したと、新聞や週刊誌は報じている。

 乱歩が生きていたら、不愉快を通り越し、さぞ嘆いたことであろう。

(平18・9・20)


 ■3月6日(火)
驚きのエピグラフ 

 東京創元社から1月に刊行された石上三登志さんの『名探偵たちのユートピア 黄金期・探偵小説の役割』は、サブタイトルどおり黄金期の探偵小説を再読し再評価しようという一冊です。とはいえ私は、いまだ全十五章のうち十三章と十四章にしか眼を通していません。たとえばクロフツ作品なんてわずかに「クロイドン発12時30分」を読んだだけの人間が、「『樽』には何が入っていたのか」だの「『樽』はどこへ行ったのか」だのといった章に興味をおぼえるわけがない、といった事情もあるのでしょうが、とりあえず日本人作家が扱われたふたつの章を読み、なんとなくそれっきりになっているというのが正直なところです。

 第十三章「エドガワ・ランポの謎」のページを開いて、ふたつ置かれたエピグラフにまず驚かされました。ひとつは乱歩の「探偵趣味」からの引用。それにつづくのがこれでした。

 「乱歩は日本探偵小説の生みの親と見られて注目され、高い評価を受けた。その奇抜なテーマと粘着的な文体が注目され、彼に追随する作家が現れたが比肩するものはなかった。乱歩ははじめから第一人者という定評に固定されてしまった。

中島河太郎「江戸川乱歩評判記」/『乱歩文献データブック』収録

 いや驚いた驚いた。こんなところで『乱歩文献データブック』からの引用に出会おうとは。

 この「江戸川乱歩評判記」の原稿も、このところの資料整理の作業中に出てきました。コピーのたぐいは大判封筒またはクリアファイルに入れて保存してあったのですが、クリアファイルには書簡もいっしょに入れてありました。つまりどなたかからコピーをお送りいただいた場合、こんな資料を見つけましたのでコピーをお送りいたします、というおたよりと当該コピーとをいっしょに保管してあったのですが、時間がたつと何がどこにあるのかがわからなくなってしまいます。そこでコピーや書簡はクリアファイルからいったんすべて出してしまい、新たな体系性にもとづいて整理し直しているわけなのですが、同時に古い書簡は大半を捨ててしまうことにしました。たとえば二十年前の年賀状なんてのも残っていて、というよりは捨てる機会がなくてそのままになっていたのですが、この際だから処分してしまいました。あんなもの、残しておいても場所ふさぎなだけである。

 「江戸川乱歩評判記」の原稿もクリアファイルに入れてあったのですが、さすがに中島先生から頂戴したおたよりは処分できませんので、原稿と封書ならびに葉書をひとまとめにして保存することにしました。しかしそんなことはあまり関係がありません。私が『名探偵たちのユートピア』の第十三章「エドガワ・ランポの謎」と第十四章「横溝正史の不思議な生活──続エドガワ・ランポの謎」を急いで読んだのは、第十四章に横溝正史の「呪いの塔」のことが記されていると知ったからでした。

 2月10日付伝言から引きますと──

 ちなみにいま読みつつあるのは横溝正史の『呪いの塔』で、去年の11月に出た徳間文庫だ。このあいだ何気なく立ち読みしてみたらありゃりゃッ、これって完全に乱歩小説じゃん、とか思ってあわてて買い込んだ。たぶん乱歩はこの作品に一度も言及していないはずで、ということは自身をモデルにしたことが明白なこの作品に、乱歩は不快をおぼえていたのかもしれない。まだ最初の殺人が起きたところまでしか読んでいないのだが、かりに乱歩の不興を招いたのだとしたらそれはどんな描写や設定なのか、みたいなことばかりが気にかかる。

 この時点で『名探偵たちのユートピア』は、購入したもののまだ眼を通していない乱歩関連書籍の一冊でした。それで徳間文庫の『呪いの塔』を読み終え、これは「乱歩文献データブック」に記載しなければならんなと考えた私は、初刊および出版履歴に関するデータを正史にくわしい方にメールでお訊きしました。折り返し返信が届いて、そこには『名探偵たちのユートピア』に「呪いの塔」のことが出てくると附記されていました。えッ、とあわてて第十三章「エドガワ・ランポの謎」と第十四章「横溝正史の不思議な生活──続エドガワ・ランポの謎」を読んでみることにした私は、そこで思いがけず「江戸川乱歩評判記」からの引用に出会ったという寸法でした。

  本日のアップデート

 ▼1947年6月

 表題「子不語随筆」に就いて 編輯部

 最近こんなことばかり記しているような気がするが、「新探偵小説」のコピーが出てきた。昭和22年から23年にかけて名古屋で発行され、八号で廃刊となった雑誌である。

 『幻影城』の「探偵小説雑誌目録」によれば「半ば同人雑誌半ば営業雑誌」で、乱歩は「この雑誌には大いに好意を寄せ、毎号『子不語随筆』というものを書いた」というが、「子不語随筆」は実際には三回掲載されただけだった。

 連載第一回「『密室派』」は「ホームズ(H・H)」と改題して昭和32年の『海外探偵小説作家と作品』に、第二回「涙香の創作『無惨』について」は昭和26年の『幻影城』に、第三回「推理交友録」は昭和62年の『うつし世は夢』に収録された。「子不語随筆」というのは連載タイトルで、そんな題名の随筆が存在するわけではない。

 「新探偵小説」全八冊をご所蔵の方から拝借し、コピーを取らせてもらったのは『乱歩文献データブック』を編纂していたときのことである。戦後まもないころの雑誌なので、コピー機にかけて上から押さえたりすると一気に傷みが出そうに思われた。名張市の市史編纂室には本や雑誌を普通に開いたままの状態でコピーできる特殊なコピー機があると聞き及んでいたので、そこに「新探偵小説」をもちこんで臨時職員の女の子にコピーしてもらったのだが、彼女はいまごろどこでどうしているのだろう。

 そんなことはどうでもいいとして、その後『江戸川乱歩執筆年譜』をつくったときにも参照してそれからちょうど十年ほど、いまやトイレ兼書庫となっている元暗室の片隅で眠っていたコピーをひさしぶりに眺めていると、市史編纂室の女の子のことが思い出されてきたそのいっぽうで、「子不語随筆」第一回の末尾に置かれた編集部の註記が気にかかってきた。刊本『乱歩文献データブック』には拾わなかったのだが、これは記載しておくべきだろうといまは判断されるゆえ、当サイト「乱歩文献データブック」を増補した次第である。

 全文を引いておく。

 「子不語」は、支那の怪奇談を集めた本の表題で、孔子の、子は怪力乱神を語らずといふ言葉から取つたもので、逆に聖人の語らない怪力乱神を語るの書といふ意味。

 乱歩氏はこの「子不語」という語を、故小酒井不木博士に書かせ額にして、珍重してゐられるが、名古屋の雑誌、小酒井さんと聯想してこの語を選ばれたものと思はれる。


 ■3月7日(水)
はじまりは深い霧のなか 

 横溝正史に「呪いの塔」という長篇があることを、私はほとんど知りませんでした。ほとんど知らない、というのも妙な表現ですが、もちろんタイトルくらいは眼にしていて、とはいえなんだかとっても前近代、おそらくはどろどろの草双紙趣味ででもあろうか、みたいな印象で、読んでみたいと思ったことはありませんでした。去年の11月に徳間文庫版が出たのですが、本屋さんで手に取ってみたのは今年のことでした。

 目次を眺めてやや気を惹かれました。

第一部 霧の高原

 第一章 仮想探偵劇

 第二章 バベルの塔

第二部 魔の都

 第一章 屋根裏の奇人

 第二章 憑かれた人々

 「屋根裏の奇人」というタイトルは乱歩を意識したものであろう、くらいの察しはすぐにつきました。それで本文をぱらぱらと読んでみていささかびっくり。大江黒潮という小説家が登場してくるではありませんか。細谷正充さんの「解説」を走り読みするとこんなことが書かれてあります。

 ミステリー・ファンならば、本書を読んですぐに思い出すのが、江戸川乱歩の中篇「陰獣」であろう。「新青年」の昭和三年八月増刊号から九・十月号と、三回に分けて掲載された傑作である。その「陰獣」で重要な役割を果たす探偵作家・大江春泥を踏まえて創作されたのが、本書に登場する人気探偵作家・大江黒潮なのである。また、黒潮にまつわる秘密も、「陰獣」を意識したものになっている。

 これは読んでみなければなりません。さっそくその一冊だけが平積みされていた『呪いの塔』を購入し、読みはじめました。主人公が東京から軽井沢に赴き、駅から出て深い霧に包まれるあたりの描写は導入としてなかなかのものであると感じました。

 車夫の姿はすぐ霧の中に見えなくなったが、間もなく人力車の梶棒をひいてこちらへ近づいて来るのがみえた。

 「お待ち遠さま。つい、時間をまちがえたものですから」

 そう言いながら車夫が梶棒を下ろした。その車夫の顔を見分けることもできないほど深い霧だった。

 「とても、大変な霧だね。いつもこうなのかね?」

 「そうですね。今年は特別に霧が深うございますね」

 やがて、由比耕作を乗せた人力車は、湿った土のうえに、ゴム輪を軽く弾ませながら静かに走り出した。

 耕作はその幌のあいだから、広いこの高原のうえに流れている霧を眺めながら、思わずぶるぶるっと冷たく身震いして肩をすくめた。

 そのとき彼は、この霧の中であんなに恐ろしい数々の事件に遭遇しようとは夢にも思わなかったのだけれど。──

 正史一流の静かなる名調子、と呼んでも差し支えはないでしょう。この導入に予告されたとおり「恐ろしい数々の事件」が発生することになるのですが、私にはうまく要約することができません。2月10日付伝言にも記したことですが、この作品が「かりに乱歩の不興を招いたのだとしたらそれはどんな描写や設定なのか、みたいなことばかりが気にかか」ってしまったからです。

 それにだいたいが私は探偵小説を読むことが巧みではなく、なぜかというとたらたらした描写なんてさーっとすっ飛ばして読んでしまう。とにかく駈け足で読んでしまう。この時刻に登場人物AはどこにいてBはどこにいて、なんてことをいちいち確認したりはしない。だから手がかりや伏線に気がつかないということなのでしょう。海外ミステリのやたら分厚い文庫本などはその際たるもので、たとえばP・D・ジェイムズなんてこの作家は省略という技法を知らんのではないかと腹立たしさをおぼえつつ読んでいたような記憶があります。

 横溝正史はどこかに、探偵小説は二度読むべきであるという意味のことを書いていました。最初はどうしても急いで読んでしまうから、結末を知ったうえであらためて読み返すと作者のこまかい計算がわかってより楽しめる、といったことであったと記憶しますが、私の場合は急ぎ方が半端ではない。近い例をあげると、近いといってもおととしの作品ですが、東野圭吾さんの「容疑者Xの献身」についてさるミステリマニアの方と話していたとき、ホームレスの数を数えた、という話になりました。主人公がホームレスのいる区域を通過する。ホームレスたちの描写がある。別の日にまた通りかかる。ふたたびホームレスたちが描かれる。このとき前のシーンに立ち戻り、それぞれの場面でホームレスが何人いたかを数えてみる。これがミステリマニアの読書法というものであるらしいとそのときの会話で私は知ったのですが、私はそんなことにはおかまいなし、このホームレスの描写には何かありそうだなと勘づきながらもそのまま読み進んでしまいました。やはり探偵小説を読むことが得手ではないのでしょう。向いてないというべきかもしれません。

 しかし「呪いの塔」に関しては、意外に骨格のしっかりした本格長篇であるという感想を抱き、正史の本格長篇は戦後の本陣から、という認識を改める結果になりました。「呪いの塔」を「本格長篇」と称していいものかどうか、私にはじつはよくわからないのですけれど。

 これがどういった作品なのか、細谷さんの「解説」から再度引きましょう。

 作者が博文館を辞めた“昭和七年夏”は、まさに本書が刊行された時期であった。それこそ本書が、「陰獣」のリスペクトであり、なおかつ現実のパロディになっている理由ではないのか。作者は編集者を辞めるにあたり、編集者冥利を味わわせてくれた「陰獣」に、感謝を込めて別れの歌を捧げた。しかし一方で、この傑作を自分の作品に取り込みながら、独自の事件を構築することで、探偵作家としての気概を示したのである。また、乱歩と自分を戯画化することで、当時の気持ちや、探偵小説に対する想いを、赤裸々に表明したようにも受け取れる。作家業に専念する直前の、複雑な心情を叩きつけたような物語に、興味は尽きないのである。

 文庫本の解説という性格から、筆が抑えられているのかもしれません。「複雑な心情を叩きつけた」「興味は尽きない」物語ではあるのですが、「呪いの塔」を一読した読者がまず感じるのは、乱歩に対する正史のリスペクトではなく端的な悪意であろうと思われます。少なくとも私はそう感じましたし、石上三登志さんの『名探偵たちのユートピア』にも、この作品にこめられた正史の「乱歩憎悪」を指摘する記述があります。

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 ▼2006年11月

 呪いの塔 横溝正史

 乱歩をモデルにしたことが明白な作中人物、大江黒潮の人物像を引いておこう。

 数年前、ある探偵小説の専門雑誌に、特異な作品を発表してより大江黒潮の名は一躍有名になった。以来、寡作だ、寡作だといわれながら、彼は今までかなりの分量の作品を発表していたが、その作風のずば抜けて特異な点において、この作家は世間の注目と賞讃をよんでいた。どの小説もどの小説も、彼の書くものはことごとく不思議な猜疑と、燃えたたぬ陰火のような邪推に満ちていた。

 あるものは犯罪者の夢のように血みどろであり、あるものは嫉妬ぶかい女の妄想のように、ねちねちと、執念深い悪巧みだった。そしてそのことごとくに、精神異常者の呪いと、歪められた性欲の匂いがあった。

 この作家にはおよそ世間の道徳だの常識だの、人情だのということはまったく興味がないらしい。彼の描くところはことごとく裏の世界だった。明るい太陽に背を向けた、じめじめとした陰の世界に発酵する悪と汚辱の生活だった。そしてそれが一度この作家の筆になると、まるでのぞき機械をのぞいているように、おどろおどろしく浮き上がってくるのだった。

 こういう作品を通して、読者はいったいこの作家はどんな異様な生活の持ち主であろう、そしてどんな奇怪な性欲生活をしているのだろうと想像していた。そしてそれについては、いかにもまことしやかな噂が世間に伝えられていた。

 しかし、実際に会った大江黒潮は、まるきりその作品とはうらはらの、いたって温厚な、常識にとんだ、どちらかというと平凡でさえあり過ぎる一人の社会人でしかなかった。そして彼の作品では、いちばん排斥されているかにみえる人情家でさえあった。

 作家の日常がその作品と似ても似つかぬ例は、しかし、そう大して珍しいことではなかった。だが、大江黒潮のばあいはそれがあまり極端なので、彼を最もよく知っているはずの由比耕作でさえ、ときには不思議に思うこともあった。そしてあるときは、深い疑惑を感じるばあいさえあった。

 「これははたして、あの男の書いた小説だろうか。一見、平凡な何の変哲もない常識家の彼の、いったいどこにこんな恐ろしい空想がかくされているのだろう」

 こういうばあい、耕作の頭にはいつも大江黒潮のもう一人の友人のことが思い浮かぶのだった。

 その男とは、由比耕作がまだ知らないころからの、大江黒潮の古い友達で、この男こそ、大江黒潮の小説を実地に生活しているように見えるのだった。

 「大江黒潮の思想は、あの男に多分に影響されているのではなかろうか」

 耕作はいつもそう考えるのだった。

 ここで紹介された大江黒潮の作風は、乱歩その人よりも大江春泥のそれにいっそう酷似しているというべきかもしれない。

 ともあれここに、乱歩=大江黒潮、正史=由比耕作という見立てが成立する。引用の最後に登場する「あの男」は白井三郎と命名されているが、これが乱歩の本名をもじった名前であることはいうまでもない。

 ついでにいえば、黒潮夫人の名前は折江とされている。乱歩夫人の名は隆、つまりお隆さんだったから、オリエとオリュウ、ここにもあからさまなもじりが見てとれる。


 ■3月8日(木)
ござるかござらぬかでござるの巻 

 ところで、

 ──いいかこら教育次長だかなんだか知らんがろくに経緯や事情もわきまえぬ人間が横からしゃしゃり出てきて人に偉そうな説教かましてんじゃねーぞたこ。

 の件にござるが、一の矢を放ったのは2月28日のことにて、すでにまるまる一週間が経過したにもかかわらず、名張市だんまり委員会、ではござらぬ、名張市教育委員会の教育次長殿からはいまだご返事をいただけぬでござる。

 名張市ではただいま3月定例会開会中にて、今週は月曜から金曜まで休みなしに本会議と予算特別委員会とが開かれており申すゆえ、教育次長殿がご多忙なのは拙者重々承知でござるが、拙者がメールでお送りした質問は正直で誠実な人間ならば即座に回答できるものでござった。定例会に伴う公務繁多を理由に回答を先送りすることには、かなりの無理がござるのではござらぬか。それともござるのでござるのかな。やっぱりござるではござらぬのかな。ござるでござらぬかござるでござるか。ござるでござるのかござらぬでござるのか。ござるかござらぬかござるのかござらぬのかええもうそのようなことはどうでもいいのでござるでござるが、ただひとこと申しあげるとすれば返事くらいさっさと寄越さんかこのたこ、ということなのでござる。

 あるいは、拙者のメールが何かの手違いで教育次長殿のもとに届いておらぬということも考えられるでござる。しかし、名張市だんまり委員会、ではござらぬ、名張市教育委員会には拙者のサイトをチェックすることを日々のルーティンワークとしている職員が複数存在していると聞き及ぶでござる。ご苦労にござる。たとえばおととしのことでござるが、拙者が名張市内にかつて存在していた在日韓国朝鮮人集落のことをこのサイトに記した日の暮れ方、名張市教育委員会に複数存在する当サイトチェック要員の意をば受けた名張市立図書館長が拙者の家にすっ飛んできたでござる。話を聞いて拙者このように申したでござる。

 「はて面妖な。名張市教育委員会におかれては地域社会に刻まれた在日韓国朝鮮人集落の歴史を抹殺してしまいたいとお考えか。それもみずからの保身のためだけに。なんとも解しかねる話でござるゆえ、拙者あすにも名張市教育委員会に参上してとくとご存念を承ってまいるでござる」

 いやいや、こんなことを記しておっても詮方はござるまい。とにかくかりに拙者のメールが届いていない場合にも名張市差別委員会、ではござらぬ、名張市教育委員会の当サイトチェック要員がしかるべく活躍してくれるものと拙者は期待しておるのでござる。まことご苦労にござるが、たまには公務にも励まれよ。

 といった次第なのでござるが、拙者さきほどしつこくもまた失礼にも教育次長殿に催促のメールをお出ししたでござる。

 ご多用のところ、何度もメールをさしあげて恐縮しております。恐縮してはいるのですが、2月28日付メールでお訊きしたこと──

 名張市教育委員会は市立図書館の運営における江戸川乱歩の扱いについて、構想や方向性のようなものをおもちなのでしょうか。おもちなのであれば、それを示していただきたく思います。また、これからお考えになるというのであればその時期はいつごろなのか、構想や方向性は存在しないというのであればその旨をお知らせいただきたく思います。

 この点に関するお答えをお待ちしております。答えるつもりはない、とおっしゃるのでしたら、お手数ですがその旨をお知らせいただきたく思います。

 こちらから勝手にメールを送りつけておいてこんなことを申しあげる失礼は重々承知しているのですが、よろしくお願いいたします。

2007/03/08

 さて、「呪いの塔」の話です。

 「呪いの塔」に登場する人気探偵作家、大江黒潮には「恐ろしき復讐」という作品があります。作中でこんなぐあいに語られている作品です。

 「あたし先生のものは好きだから、たいてい読んでいるんですけれど」としばらくして京子がまた口を開いた。「このあいだあなたのほうの雑誌に出た『恐ろしき復讐』というのは随分凄いわね」

 「あれは近来の傑作ですね」

 耕作はやや憂鬱そうな声で言った。この男は不思議な男で、大江黒潮の書くものに大変心酔していて、人に会うごとに自分のほうから極力推賞しながら、反対に、相手のほうからそれをほめられたりすると、急に気難かしくなるのが常だった。

 「大江先生は会ってみると、なかなかあんなことを考えそうな人じゃありませんけど、やはり、あれ、みんな御自分で空想なさるのでしょうか?」

 「さあ、どうですか」と何気なしに言ったが、耕作はすぐあわててそれに付け加えた。「やはり自分で考えるのでしょう」

 黒潮作品に心酔していながら他人がそれを誉めると気難しくなる、といったあたりには乱歩作品に関して正史自身がそうであったという事実が反映されているのかもしれません。

 読み進んでゆくうち、私はあることに気がつきました。「恐ろしき復讐」というのは「陰獣」の最初のタイトルではないか。こんな作品名ひとつにも、正史は自分の周囲の現実をいちいち象嵌していたのか。そしてふと思いました。

 ──どうしておれは「陰獣」の最初のタイトルが「恐ろしき復讐」であったということを知っているのだろう。

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 ▼2007年3月

 花組「明智小五郎の事件簿─黒蜥蜴」大劇場公演評 やるせないラブロマンス 平松澄子

 宝塚版黒蜥蜴の劇評がまた出たので引いておく。

やるせないラブロマンス
名探偵・明智小五郎と女賊・黒蜥蜴の虚々実々の知恵比べを描いた、江戸川乱歩原作「黒蜥蜴」。宝塚大劇場の花組公演「明智小五郎の事件簿−黒蜥蜴」(木村信司脚本・演出)は時代を昭和33年に繰り下げ、戦争で運命を狂わされた明智と黒蜥蜴の、やるせないラブロマンスを際立たせるリメークになった。
産経新聞 ENAK 2007/03/07

 ■3月9日(金)
「恐ろしき復讐」というタイトル 

 「陰獣」の最初のタイトルがいったいどういうものであったのか、それを知ってるような気がして必死に思い出そうとしてみたのだけれど結局わかんなかったという情けない経験をしたのは、忘れもしない2004年の夏のことでした。

 ちょうど『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』の編纂が進んでいたころのことで、村上裕徳さんの脚註原稿全文をインターネットの非公開ページに掲載し、情け容赦もあらばこそ、スタッフ一同が血も涙もなくその原稿にツッコミを入れつづけていたときのことです。『子不語の夢』を開いて索引を頼りに探してみたところ、70ページから71ページにかけての「虎」の脚註に「陰獣」の最初のタイトルのことが出てきます。引いてみましょう。

もう一つ補足的な仮説だが、後の乱歩の長編(現在では中編だが、当時は長編だった)の「陰獣」の、このタイトルは女性的性格の猫を表すらしく、正史の証言によれば、原稿を貰った後で、表題を、もっとインパクトのあるものに変えるように依頼し、その題が「陰獣」であったという。前のタイトルを正史は覚えていないが、その題が「虎」である可能性もないわけではない。

 この脚註、私のツッコミにもとづいて村上さんによる加筆訂正がなされ、その結果いまお読みいただいたものになったのですけれど(村上さんは「陰獣」の最初のタイトルが「虎」であったとかなり断定的にお書きになっていたと記憶します)、村上さんの手になる原稿を読んだとき、「陰獣」の原題が「虎」であったはずはないと私には思われました。なぜならば「陰獣」の最初のタイトルを私は知っているのであるが、それがどんなタイトルであったかというと、えー、あれは何であったか、何といったか、えーっと、えーっと、とまるで突発性認知症(そんな病気はありませんけど)、どうしても思い出すことができません。するうち、自分がそんなことを知っているわけがないではないかという気にもなってきて、結局それっきりになってしまいました。

 村上さんが「前のタイトルを正史は覚えていないが」としているのは、1975年7月に出た「幻影城」増刊《江戸川乱歩の世界》に正史が寄せた「『パノラマ島奇譚』と『陰獣』が出来る話」が典拠であると思われます。それによれば昭和3年の6月、「新青年」の夏の増刊を編集していた正史は内容の貧弱さを悲観し、乱歩に手紙を出して原稿を懇願しました。すると思いがけず、ほかの雑誌のために書いている原稿を「新青年」に廻してもいいという返事が届きます。正史は欣然として乱歩の家に向かいました。

 私はそのときの情景を、いまでもかなりハッキリ記憶しているのだが、乱歩は五、六十枚の原稿を出してみせた。その原稿には短冊型に切った原稿用紙が、まるで御幣みたいに、あちこちに一枚ヒラヒラ貼りつけてあるのだった。つまりここはもう少し書き込むことだの、ここの部分にはこういうエピソードを挿入すべしだのという覚え書きだったのだろう。そして乱歩のいうのに、

 「この原稿は『改造』から頼まれて書いたのだが、枚数の件で折り合いがつかないんだ。ここにいろいろ書き込みがあるように、ぼくとしてはこの三倍、二百枚ちかく書きたいんだが、『改造』ではそれでは困るというので、君のほうへ廻してもいいと思っている。内容はこれこれこういうもので、犯人はこれこれこうなんだ。」

 私はそれを聞いて大いに驚き、ひと膝もふた膝もまえに乗り出したことである。

 「乱歩さん、内容がそれでトリックがそういうものなら、たとえ『改造』が二百枚を許容するとしても、やっぱり『新青年』に発表なすったほうがええのンとちがいますか。ぼく大々的に宣伝してみせまっさかいに。」

 「それで原稿料は……?」

 「そらこないだいうたとおり差し上げます。」

 「ぼくとしてはこういうものだから、一気に掲載してもらいたいんだが……」

 「それはもう……」

 と、いったものの、ここが乱歩狐と正史狸の化かし合いで、私はアタマから最後の約束だけは守る気は毛頭なかった。乱歩ひとりに千六百円持っていかれたら、「新青年」のその増刊、破産するのに決まっている。乱歩も、しかし、そのことについてはそれほど強く念も押さなかった。その代り、私のほうからひとつ条件をつけさせてもらった。じつはいまはもうすっかり失念してしまっているのが残念なのだが、乱歩のその初稿には詰まらないといっては失礼だが、非常に平凡な題がついていたのである。

 「乱歩さん、これ夏の増刊の大呼び物にするつもりだったけど、この題じゃ宣伝のしようがおまへん。なんかもっと凄みがあって、色気のある題名に変えてくださいよ。」

 「いや、それはぼくも考えているんだ。なんとか工夫してみよう。」

 と、いうわけでこの交渉は大成功だった。

 正史がそろばん片手の大阪あきんどふうに迫れば、乱歩は乱歩できっちりと原稿料の念を押す。関西出身者同士の(などと書くと関西出身者のみなさんからお叱りを受けるか)なかなか面白い対決シーンですが、たしかに正史は「いまはもうすっかり失念してしまっている」と打ち明けています。しかし「呪いの塔」を読んでいる途中、私は大江黒潮の作品とされている「恐ろしき復讐」というタイトルが「陰獣」の原題であると気がつき、それはたちまち確信に近いものになりました。そうなると、

 ──どうしておれは「陰獣」の最初のタイトルが「恐ろしき復讐」であったということを知っているのだろう。

 と気になってしかたありません。夜も眠れなくなっちゃう、ってやつですか。ですから心当たりを調べてみたところ、ごく簡単に答えが見つかりました。「新青年」昭和3年11月号に掲載された正史の「陰獣縁起」がそれです。

 この小説は実は某雑誌社から頼まれて、一旦書いて渡してあつたのだが、意に満ないところがあつたので取返へして手を入れてゐるところへ、私の手紙が行つたものである。そこで早速『新青年』の方へ廻してくれる事に決心したものらしい。私が行くと、もう一度始めからすつかり書直して渡すと言つてくれたが、その時には題は「恐ろしき復讐」となつてゐた。

 実際には「『パノラマ島奇譚』と『陰獣』が出来る話」に書かれたような経緯があったのでしょうが、正史はこまかい事情を省いて舞台裏を紹介しています。そして「陰獣」の最初のタイトルは「恐ろしき復讐」であり、それは大江黒潮が書いたとされる小説のタイトルとして「呪いの塔」に登場しているのであった。

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 ▼1994年2月

 五 江戸川乱歩の世界 横尾忠則

 『横尾少年 横尾忠則昭和少年時代』に収録。

 ぼくは、一九六八年頃に『江戸川乱歩全集』(講談社)の挿絵を描いた。物語に即した挿絵ではなく、ある意味で物語からは独立して、全然別の世界から乱歩に迫るものになっている。というのは、ぼくが読まないで挿絵を描くから結果的にそうなったのである。

 あの時は、たとえばページをパッと開いて、その右のページだけを読み、そこからイメージしたのだ。すると前後のつじつまは合っていなくて、ぼくの誤解で挿絵が描かれているということになる。

 ぼくはその方がいいと思ったのである。しかしあの挿絵にこだわる人は、「こんな絵があるけど、いったいいつこんなシーンがあるんだろう」などと思うけれど、ついにそんなシーンは出てこなかったということになる。

 結果として、あの挿絵は、乱歩の全体の雰囲気のかなり本質的な部分を突いていると思う。子供の頃読んだ乱歩的世界というものの蓄積があったから、だいたいつかめたのだろう。ぼくは、横溝正史だったらこう、谷譲次はこう、夢野久作ならこう、乱歩だったらこうだろうというのが感覚的に分かるが、この感覚が一番大事なものだと思っている。


 ■3月10日(土)
正史はどうしてこんなことを 

 そんなような次第ですから、「陰獣」の最初のタイトルは「恐ろしき復讐」であった。これでファイナルアンサーということにしておきましょう。横溝正史はそのタイトルを1975年、昭和でいえば50年7月の「『パノラマ島奇譚』と『陰獣』が出来る話」の時点では忘却していたが、新潮社の新作探偵小説全集の一巻として昭和7年8月に、つまり「陰獣」が発表されてから四年ほどあとに出版された『呪いの塔』を書いた時点では記憶していた。そういうことになります。

 正史はどうしてこんなことをしたのか。「恐ろしき復讐」というタイトルが「詰まらない」「非常に平凡な」ものであることは、正史自身が認めているところです。

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 ▼1929年2月

 空気男(八〇枚) 江戸川乱歩

 まず『探偵小説四十年』の「『陰獣』回顧」から引く。

 そのほかに、私の貼雑帳には残っていないが、私を最も喜ばせた文章を記憶している。それはやはり、どこかの頁の謳い文句の中に、外国語学校であったか、高等学校であったか、東京のある高等の学校で、英語の教師の外人が、教室に入ると、学生に向かって、「諸君は江戸川乱歩の陰獣という探偵小説を読んだか」と訊ねた。そして「外国人の私でさえ読んでいるのに、君達日本人がまだ読まないのか」といった、というような実に巧みな宣伝文であった。まさか捏造ではないであろう。それに似た事実を伝え聞いたのであろうが、この宣伝文は、読者の好奇心を捉えたことは勿論、作者である私をも大いに喜ばせた。切り抜きが保存されていなくても、いまだに忘れないほど、私の虚栄心を満足させたのである。そして、私はその筆者の横溝君を大いに徳としたのである。

 『乱歩文献データブック』をつくったときにはこの「宣伝文」をつきとめることができなかった。その後、コピーを送ってくださった方があって判明したので、遅ればせながら当サイト「乱歩文献データブック」の昭和3年に「不明」として記載してあった──

外国人教師のエピソードを紹介した「陰獣」宣伝文 (横溝正史)
新青年
探偵小説四十年〈「陰獣」回顧

 これを削除し、昭和4年の「新青年」2月号にこのように追記した。

空気男(八〇枚) 江戸川乱歩  (横溝正史)
予告
探偵小説四十年〈「陰獣」回顧

 この予告によると、昭和4年1月20日発売の新春増刊《探偵小説傑作集》に乱歩は「空気男」という八十枚の作品を発表することになっていた。しかしおそらくは編集部の、というか横溝正史によるでっちあげで、乱歩にとっても寝耳に水の予告であったに相違ない。

 その宣伝文。著作権に配慮して、全文を転載せずに寸止めとする。

「アナタ、エドガワ・ランポノ小説いんじうヲ読ミマシタカ?」

と、高等師範学校の一外人教師が生徒に向つて訊ねた。今も今とて、「陰獣」の噂をしてゐたその生徒はダアとなつて一散にその場を逃げだしたといふ。こんなエピソードを産むほど、我が偉大なる乱歩の人気は今や絶頂。