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2007年3月上旬
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1日 ▼3月だからさっさとお答えくだされの巻 ▼毒舌を懐しむ
2日 ▼3月議会は無問題でござるの巻 ▼クリスティー雑感 3日 ▼雛祭りゆえ休みでござるの巻 ▼通俗であればこそ肌身にそくそくと 4日 ▼収拾つかずにしゅらしゅしゅしゅの巻 ▼屋台ひいた推理小説の父 5日 ▼名張市だんまり委員会でござるの巻 ▼とりとめのない話 6日 ▼驚きのエピグラフ ▼表題「子不語随筆」に就いて 7日 ▼はじまりは深い霧のなか ▼呪いの塔 8日 ▼ござるかござらぬかでござるの巻 ▼やるせないラブロマンス 9日 ▼「恐ろしき復讐」というタイトル ▼五 江戸川乱歩の世界 10日 ▼正史はどうしてこんなことを ▼空気男(八〇枚) 江戸川乱歩 |
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3月でござる。弥生でござる。月が替わってもあいかわらず時間がなくて眼を通せぬ乱歩関連書籍に敬称略で原達郎『ラーメンひと図鑑』を追加でござる。 さて、 ──いいかこら教育次長だかなんだか知らんがろくに経緯や事情もわきまえぬ人間が横からしゃしゃり出てきて人に偉そうな説教かましてんじゃねーぞたこ。 の件にござるが、けさは二の矢を放ったでござる。名張市教育委員会に教育次長宛のかくのごときメールを送信したでござる。
ニンニン。
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さて、 ──いいかこら教育次長だかなんだか知らんがろくに経緯や事情もわきまえぬ人間が横からしゃしゃり出てきて人に偉そうな説教かましてんじゃねーぞたこ。 の件でござるが、早くも三の矢となり申した。昔から、 ──仏の顔も三度笠。 と申すでござるが、いやはや教育次長殿も大変でござる。
ニンニン。
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時間がなくていまだ眼を通すことあたわぬ乱歩関連書籍に戸板康二『團十郎切腹事件』を追加でござる。 さて、 ──いいかこら教育次長だかなんだか知らんが…… いやいや、お役所が休みの日はこの件も休みとしておくでござる。きょうは雛祭りでもござるし。しかしお役所は休みでも拙者の片づけものは年中無休でござる。それについ先日のことでござるが、コピーのたぐいは執筆者別ではなく掲載誌別に整理したほうが合理的ではないのかと気がつき、思案に暮れ、整理の手をとめて思い惑っている次第でござる。まことに頭の痛いことでござる。 話は変わり申すが、立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センターの館報が創刊されたでござる。くわしくは「番犬情報」をお読みくだされ。ニンニン。
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いよいよ収拾がつかなくなってきたでござる。片づけものの範囲が山を越え谷を越え、どんどんひろがってしまったでござる。拙者、手許のコピーのたぐいは執筆者別ではなく掲載誌別に整理したほうがいいのでは、と思案しておった。ちなみになぜ整理するのかというと、どこに何があるのかさっぱりわからず、参照したいときに参照できぬからでござる。 しかし、どこに何があるかわからぬのはコピーだけではござらぬ。雑誌も同様でござる。それならばこの機会に、雑誌の整理もしてしまおうと考えて、これは昨日のことにござるが、書棚に並べたり乱雑に積みあげたりしてあった雑誌のたぐい、手近なところから整理しつつリストをつくってみたとお思いくだされ。リストの一枚目はこんな感じでござる。 便利なリストでござる。しかし、コピーを整理してリスト化することも終わっておらぬのに、こんな作業に手を出してしまってはいよいよ収拾がつかなくなるばかりなのでござった。拙者、日曜の朝から茫然としてしまい、どんぐりまなこがくるくるまなこになってしまいそうでござる。 さるにても、こうしたリストは本来であれば名張市立図書館のサイトに掲載されておらねばならず、そんなことは無理らしいゆえそれならば名張市立図書館ミステリ分室をつくってそのサイトに、と乾坤一擲の秘策をパブリックコメントとして提出するも名張市役所の職員にはそれを理解することあたわず、名張まちなか再生委員会が現在検討しているミステリー文庫とやらは子供だましの学級文庫ゆえ何も期待はできず、ほんに嘆かわしいことでござる。
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あとからあとからいくらでも出てくるでござる。そんな雑誌があったことをすっかり忘れていたような雑誌まで湧いてくるでござる。まるで忍法みたいでござる。 などと嘆いていてもはじまらない。時間を見つけて作業を進めるしかあるまい。雑誌のあとには新聞記事の整理が控えている。新聞となるといよいよ始末が悪くて、かりにきちんと整理できたとしても探し出すのに苦労する。だからパソコンにデータとして、乱歩ふうにいえば「貼雑」しておくと便利かもしれない。 こういうものを公開するのは厳密にいえば違法行為だろうが、確信犯的に掲載してしまおう。新聞記事の例、乱歩の訃報だ。画像をクリックすると PDF ファイルが開く。 こんなぐあいにデータ化して、アクセスするための索引をつくっておけば重宝するにちがいない。片々たる雑誌記事も同様で、これはもう明らかに違法行為なのだが、やはり確信犯としてここに公開してみる。 私は名張市立図書館ミステリ分室を開設して、こうしたデータベースづくりを進めたかった。ネット上に公開することはできないが、とにかくミステリ分室のパソコンにはこうしたデータが蓄積されていて、いつでもアクセスできる。ネット上には乱歩の作品や著書や関連文献をはじめ乱歩と探偵小説にかかわりのあるさまざまなデータが公開されており、乱歩の著作権が切れたら作品のテキストも公開されて、それらを自由自在に検索することが可能である。 日本にひとつくらいはそういう場が必要だろう。しかしいくらせっついても、名張市立図書館は江戸川乱歩リファレンスブックの内容をネット上で公開することさえできない。それならミステリ分室という場を新しくつくってそこを拠点に、と考えたのだが、いやいまでも考えてはいるのだが、名張市にはそんなことをするつもりもなければ予算もないことははっきりしている。 上に PDF ファイルを掲載した中島河太郎先生の文章は、1987年に名張市立図書館が移転し、乱歩コーナーが開設されたことを伝える内容だ。一部を引いてみる。
結局、こんな程度のことでよかったのだろう。市立図書館の一角に乱歩コーナーを開設し、乱歩ゆかりの品を並べてそれが乱歩顕彰だといっていれば充分だったのだ。関係者はそれで満足なのだ。図書館の収集資料にもとづいて質の高いサービスを提供する、などということを考える関係者などひとりもいなかったのだ。 だったらおれを巻き込むな、といまの私は考える。おまえらばかはばか同士、うわべだけのことやって乱歩顕彰でございます万々歳でございますと身内で喜び合っていればよかったのではないか。おれを市立図書館の嘱託にする必要なんかこれっぽっちもなかったではないか。おれはうわっつらだけちまちま飾ることなんかには興味がないから、市立図書館が乱歩に関して何をすればいいのかがわからないと打ち明けられれば、収集資料にもとづいてサービスを進めるのが本来だろうと即座に返答する。そうした仕事をやってくれないかと頼まれれば、さすがに即答はできなかったが結局は引き受けて、めいっぱいのことをしてきたではないか。 そんなことすらわからん愚劣な人間がごちゃごちゃ偉そうなことをぬかしておると拙者とっても腹立たしいでござる。そこで、 ──いいかこら教育次長だかなんだか知らんがろくに経緯や事情もわきまえぬ人間が横からしゃしゃり出てきて人に偉そうな説教かましてんじゃねーぞたこ。 の件にござるが、三の矢まで放ったもののいまだ回答が届かぬでござる。教育次長殿はいかがなされたのでござろうか。これでは名張市教育委員会ではなくて名張市だんまり委員会ではござらぬか。公務中のご発言に関してお訊きしておると申すのに、お忙しいせいか全然お答えくださらぬでござる。それともあるいは、人から何か質問されても絶対に答えちゃだめよ、というのがあの委員会の鉄の掟なのでござろうか。ニンニン。
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東京創元社から1月に刊行された石上三登志さんの『名探偵たちのユートピア 黄金期・探偵小説の役割』は、サブタイトルどおり黄金期の探偵小説を再読し再評価しようという一冊です。とはいえ私は、いまだ全十五章のうち十三章と十四章にしか眼を通していません。たとえばクロフツ作品なんてわずかに「クロイドン発12時30分」を読んだだけの人間が、「『樽』には何が入っていたのか」だの「『樽』はどこへ行ったのか」だのといった章に興味をおぼえるわけがない、といった事情もあるのでしょうが、とりあえず日本人作家が扱われたふたつの章を読み、なんとなくそれっきりになっているというのが正直なところです。 第十三章「エドガワ・ランポの謎」のページを開いて、ふたつ置かれたエピグラフにまず驚かされました。ひとつは乱歩の「探偵趣味」からの引用。それにつづくのがこれでした。
いや驚いた驚いた。こんなところで『乱歩文献データブック』からの引用に出会おうとは。 この「江戸川乱歩評判記」の原稿も、このところの資料整理の作業中に出てきました。コピーのたぐいは大判封筒またはクリアファイルに入れて保存してあったのですが、クリアファイルには書簡もいっしょに入れてありました。つまりどなたかからコピーをお送りいただいた場合、こんな資料を見つけましたのでコピーをお送りいたします、というおたよりと当該コピーとをいっしょに保管してあったのですが、時間がたつと何がどこにあるのかがわからなくなってしまいます。そこでコピーや書簡はクリアファイルからいったんすべて出してしまい、新たな体系性にもとづいて整理し直しているわけなのですが、同時に古い書簡は大半を捨ててしまうことにしました。たとえば二十年前の年賀状なんてのも残っていて、というよりは捨てる機会がなくてそのままになっていたのですが、この際だから処分してしまいました。あんなもの、残しておいても場所ふさぎなだけである。 「江戸川乱歩評判記」の原稿もクリアファイルに入れてあったのですが、さすがに中島先生から頂戴したおたよりは処分できませんので、原稿と封書ならびに葉書をひとまとめにして保存することにしました。しかしそんなことはあまり関係がありません。私が『名探偵たちのユートピア』の第十三章「エドガワ・ランポの謎」と第十四章「横溝正史の不思議な生活──続エドガワ・ランポの謎」を急いで読んだのは、第十四章に横溝正史の「呪いの塔」のことが記されていると知ったからでした。 2月10日付伝言から引きますと──
この時点で『名探偵たちのユートピア』は、購入したもののまだ眼を通していない乱歩関連書籍の一冊でした。それで徳間文庫の『呪いの塔』を読み終え、これは「乱歩文献データブック」に記載しなければならんなと考えた私は、初刊および出版履歴に関するデータを正史にくわしい方にメールでお訊きしました。折り返し返信が届いて、そこには『名探偵たちのユートピア』に「呪いの塔」のことが出てくると附記されていました。えッ、とあわてて第十三章「エドガワ・ランポの謎」と第十四章「横溝正史の不思議な生活──続エドガワ・ランポの謎」を読んでみることにした私は、そこで思いがけず「江戸川乱歩評判記」からの引用に出会ったという寸法でした。
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横溝正史に「呪いの塔」という長篇があることを、私はほとんど知りませんでした。ほとんど知らない、というのも妙な表現ですが、もちろんタイトルくらいは眼にしていて、とはいえなんだかとっても前近代、おそらくはどろどろの草双紙趣味ででもあろうか、みたいな印象で、読んでみたいと思ったことはありませんでした。去年の11月に徳間文庫版が出たのですが、本屋さんで手に取ってみたのは今年のことでした。 目次を眺めてやや気を惹かれました。
「屋根裏の奇人」というタイトルは乱歩を意識したものであろう、くらいの察しはすぐにつきました。それで本文をぱらぱらと読んでみていささかびっくり。大江黒潮という小説家が登場してくるではありませんか。細谷正充さんの「解説」を走り読みするとこんなことが書かれてあります。
これは読んでみなければなりません。さっそくその一冊だけが平積みされていた『呪いの塔』を購入し、読みはじめました。主人公が東京から軽井沢に赴き、駅から出て深い霧に包まれるあたりの描写は導入としてなかなかのものであると感じました。
正史一流の静かなる名調子、と呼んでも差し支えはないでしょう。この導入に予告されたとおり「恐ろしい数々の事件」が発生することになるのですが、私にはうまく要約することができません。2月10日付伝言にも記したことですが、この作品が「かりに乱歩の不興を招いたのだとしたらそれはどんな描写や設定なのか、みたいなことばかりが気にかか」ってしまったからです。 それにだいたいが私は探偵小説を読むことが巧みではなく、なぜかというとたらたらした描写なんてさーっとすっ飛ばして読んでしまう。とにかく駈け足で読んでしまう。この時刻に登場人物AはどこにいてBはどこにいて、なんてことをいちいち確認したりはしない。だから手がかりや伏線に気がつかないということなのでしょう。海外ミステリのやたら分厚い文庫本などはその際たるもので、たとえばP・D・ジェイムズなんてこの作家は省略という技法を知らんのではないかと腹立たしさをおぼえつつ読んでいたような記憶があります。 横溝正史はどこかに、探偵小説は二度読むべきであるという意味のことを書いていました。最初はどうしても急いで読んでしまうから、結末を知ったうえであらためて読み返すと作者のこまかい計算がわかってより楽しめる、といったことであったと記憶しますが、私の場合は急ぎ方が半端ではない。近い例をあげると、近いといってもおととしの作品ですが、東野圭吾さんの「容疑者Xの献身」についてさるミステリマニアの方と話していたとき、ホームレスの数を数えた、という話になりました。主人公がホームレスのいる区域を通過する。ホームレスたちの描写がある。別の日にまた通りかかる。ふたたびホームレスたちが描かれる。このとき前のシーンに立ち戻り、それぞれの場面でホームレスが何人いたかを数えてみる。これがミステリマニアの読書法というものであるらしいとそのときの会話で私は知ったのですが、私はそんなことにはおかまいなし、このホームレスの描写には何かありそうだなと勘づきながらもそのまま読み進んでしまいました。やはり探偵小説を読むことが得手ではないのでしょう。向いてないというべきかもしれません。 しかし「呪いの塔」に関しては、意外に骨格のしっかりした本格長篇であるという感想を抱き、正史の本格長篇は戦後の本陣から、という認識を改める結果になりました。「呪いの塔」を「本格長篇」と称していいものかどうか、私にはじつはよくわからないのですけれど。 これがどういった作品なのか、細谷さんの「解説」から再度引きましょう。
文庫本の解説という性格から、筆が抑えられているのかもしれません。「複雑な心情を叩きつけた」「興味は尽きない」物語ではあるのですが、「呪いの塔」を一読した読者がまず感じるのは、乱歩に対する正史のリスペクトではなく端的な悪意であろうと思われます。少なくとも私はそう感じましたし、石上三登志さんの『名探偵たちのユートピア』にも、この作品にこめられた正史の「乱歩憎悪」を指摘する記述があります。
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ところで、 ──いいかこら教育次長だかなんだか知らんがろくに経緯や事情もわきまえぬ人間が横からしゃしゃり出てきて人に偉そうな説教かましてんじゃねーぞたこ。 の件にござるが、一の矢を放ったのは2月28日のことにて、すでにまるまる一週間が経過したにもかかわらず、名張市だんまり委員会、ではござらぬ、名張市教育委員会の教育次長殿からはいまだご返事をいただけぬでござる。 名張市ではただいま3月定例会開会中にて、今週は月曜から金曜まで休みなしに本会議と予算特別委員会とが開かれており申すゆえ、教育次長殿がご多忙なのは拙者重々承知でござるが、拙者がメールでお送りした質問は正直で誠実な人間ならば即座に回答できるものでござった。定例会に伴う公務繁多を理由に回答を先送りすることには、かなりの無理がござるのではござらぬか。それともござるのでござるのかな。やっぱりござるではござらぬのかな。ござるでござらぬかござるでござるか。ござるでござるのかござらぬでござるのか。ござるかござらぬかござるのかござらぬのかええもうそのようなことはどうでもいいのでござるでござるが、ただひとこと申しあげるとすれば返事くらいさっさと寄越さんかこのたこ、ということなのでござる。 あるいは、拙者のメールが何かの手違いで教育次長殿のもとに届いておらぬということも考えられるでござる。しかし、名張市だんまり委員会、ではござらぬ、名張市教育委員会には拙者のサイトをチェックすることを日々のルーティンワークとしている職員が複数存在していると聞き及ぶでござる。ご苦労にござる。たとえばおととしのことでござるが、拙者が名張市内にかつて存在していた在日韓国朝鮮人集落のことをこのサイトに記した日の暮れ方、名張市教育委員会に複数存在する当サイトチェック要員の意をば受けた名張市立図書館長が拙者の家にすっ飛んできたでござる。話を聞いて拙者このように申したでござる。 「はて面妖な。名張市教育委員会におかれては地域社会に刻まれた在日韓国朝鮮人集落の歴史を抹殺してしまいたいとお考えか。それもみずからの保身のためだけに。なんとも解しかねる話でござるゆえ、拙者あすにも名張市教育委員会に参上してとくとご存念を承ってまいるでござる」 いやいや、こんなことを記しておっても詮方はござるまい。とにかくかりに拙者のメールが届いていない場合にも名張市差別委員会、ではござらぬ、名張市教育委員会の当サイトチェック要員がしかるべく活躍してくれるものと拙者は期待しておるのでござる。まことご苦労にござるが、たまには公務にも励まれよ。 といった次第なのでござるが、拙者さきほどしつこくもまた失礼にも教育次長殿に催促のメールをお出ししたでござる。
さて、「呪いの塔」の話です。 「呪いの塔」に登場する人気探偵作家、大江黒潮には「恐ろしき復讐」という作品があります。作中でこんなぐあいに語られている作品です。
黒潮作品に心酔していながら他人がそれを誉めると気難しくなる、といったあたりには乱歩作品に関して正史自身がそうであったという事実が反映されているのかもしれません。 読み進んでゆくうち、私はあることに気がつきました。「恐ろしき復讐」というのは「陰獣」の最初のタイトルではないか。こんな作品名ひとつにも、正史は自分の周囲の現実をいちいち象嵌していたのか。そしてふと思いました。 ──どうしておれは「陰獣」の最初のタイトルが「恐ろしき復讐」であったということを知っているのだろう。
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「陰獣」の最初のタイトルがいったいどういうものであったのか、それを知ってるような気がして必死に思い出そうとしてみたのだけれど結局わかんなかったという情けない経験をしたのは、忘れもしない2004年の夏のことでした。 ちょうど『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』の編纂が進んでいたころのことで、村上裕徳さんの脚註原稿全文をインターネットの非公開ページに掲載し、情け容赦もあらばこそ、スタッフ一同が血も涙もなくその原稿にツッコミを入れつづけていたときのことです。『子不語の夢』を開いて索引を頼りに探してみたところ、70ページから71ページにかけての「虎」の脚註に「陰獣」の最初のタイトルのことが出てきます。引いてみましょう。
この脚註、私のツッコミにもとづいて村上さんによる加筆訂正がなされ、その結果いまお読みいただいたものになったのですけれど(村上さんは「陰獣」の最初のタイトルが「虎」であったとかなり断定的にお書きになっていたと記憶します)、村上さんの手になる原稿を読んだとき、「陰獣」の原題が「虎」であったはずはないと私には思われました。なぜならば「陰獣」の最初のタイトルを私は知っているのであるが、それがどんなタイトルであったかというと、えー、あれは何であったか、何といったか、えーっと、えーっと、とまるで突発性認知症(そんな病気はありませんけど)、どうしても思い出すことができません。するうち、自分がそんなことを知っているわけがないではないかという気にもなってきて、結局それっきりになってしまいました。 村上さんが「前のタイトルを正史は覚えていないが」としているのは、1975年7月に出た「幻影城」増刊《江戸川乱歩の世界》に正史が寄せた「『パノラマ島奇譚』と『陰獣』が出来る話」が典拠であると思われます。それによれば昭和3年の6月、「新青年」の夏の増刊を編集していた正史は内容の貧弱さを悲観し、乱歩に手紙を出して原稿を懇願しました。すると思いがけず、ほかの雑誌のために書いている原稿を「新青年」に廻してもいいという返事が届きます。正史は欣然として乱歩の家に向かいました。
正史がそろばん片手の大阪あきんどふうに迫れば、乱歩は乱歩できっちりと原稿料の念を押す。関西出身者同士の(などと書くと関西出身者のみなさんからお叱りを受けるか)なかなか面白い対決シーンですが、たしかに正史は「いまはもうすっかり失念してしまっている」と打ち明けています。しかし「呪いの塔」を読んでいる途中、私は大江黒潮の作品とされている「恐ろしき復讐」というタイトルが「陰獣」の原題であると気がつき、それはたちまち確信に近いものになりました。そうなると、 ──どうしておれは「陰獣」の最初のタイトルが「恐ろしき復讐」であったということを知っているのだろう。 と気になってしかたありません。夜も眠れなくなっちゃう、ってやつですか。ですから心当たりを調べてみたところ、ごく簡単に答えが見つかりました。「新青年」昭和3年11月号に掲載された正史の「陰獣縁起」がそれです。
実際には「『パノラマ島奇譚』と『陰獣』が出来る話」に書かれたような経緯があったのでしょうが、正史はこまかい事情を省いて舞台裏を紹介しています。そして「陰獣」の最初のタイトルは「恐ろしき復讐」であり、それは大江黒潮が書いたとされる小説のタイトルとして「呪いの塔」に登場しているのであった。
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そんなような次第ですから、「陰獣」の最初のタイトルは「恐ろしき復讐」であった。これでファイナルアンサーということにしておきましょう。横溝正史はそのタイトルを1975年、昭和でいえば50年7月の「『パノラマ島奇譚』と『陰獣』が出来る話」の時点では忘却していたが、新潮社の新作探偵小説全集の一巻として昭和7年8月に、つまり「陰獣」が発表されてから四年ほどあとに出版された『呪いの塔』を書いた時点では記憶していた。そういうことになります。 正史はどうしてこんなことをしたのか。「恐ろしき復讐」というタイトルが「詰まらない」「非常に平凡な」ものであることは、正史自身が認めているところです。
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