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市民文化のあゆみ

図説伊賀の歴史 昭和戦後

21世紀に残したいふるさとの風景:菊田実、石原弘子
折々の記:中貞夫

 【 番犬敬白 1999年10月21日

 名張市は三重県の西部に位置し、上野盆地の西南部を占めます。東西10.6キロ、南北13.1キロ、面積129.76平方キロの小さなまちでございます。
 名張は記紀万葉にも登場する古い土地で、大化の改新によって畿内の東端と定められました。すなわち伊勢と大和を結ぶ交通上の要地にありました。古代から中世にかけては東大寺の荘園が形成され、のち織田信長の伊賀攻めによって全土焦土と化しましたが、江戸期には伊勢参宮の宿場町として、また名張藤堂家膝下の城下町として存続いたしました。
 名張市の発足は昭和29年(1954)3月31日のことです。近鉄大阪線によって大阪、名古屋と結ばれ、近年は大阪のベッドタウンとして大規模な宅地開発が進んでおります。市制施行当時3万人だった人口は、1999年現在で8万5000人を数えるに至りましたが、主人は以前から「人口増とは要するに無教養で身勝手な馬鹿が数を増すことに過ぎない」と公言しておりまして、名張市内各所で袋叩き同然な目に遭っております。
 さて、ここに「名張雑纂 なばりざっさん」と題して集めましたのは、主人があちこちに書き散らしました名張現代史の断片その他でございます。新稿も随時書き加えてゆくと申してはおりますが、お慰みまでにご高覧に供する次第でございます。

 【2001年1月22日追記】 主人の駄文以外にも、名張に関する文章や画像を、著作権者の方のご承諾を頂戴して掲載させていただくことにいたしました。


掲載 1999年10月21日  最終更新 2002年 9月 19日 (木)