2006年1月上旬
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● 1月1日(日)

謹 賀 新 年

 あけましておめでとうございます。

 年のはじめのためしとて、サイトのオーバーホールに着手しました。とくにこのページ左肩のロゴの下、いくつかならべたコンテンツのリンクがばかになっており、OSの種類によってはこのページにアクセスするだけでフリーズするという事例も報告されていたのですが、以前のようなスタイルを踏襲することができず(ようするに方法を忘れてしまっているわけです。マニュアル眺めても頭が痛くなるばかり)、より簡略な方式のリンクに変更して設定しなおしました。オーバーホール、いまだ継続中。

 さて、年のはじめのためしとて、さっそく名張市におけるなべての愚かしさについて語ろうかというその前に、旧臘(という言葉もまるで見かけないようになりましたが)28日付の朝日新聞名古屋本社版夕刊学芸面に掲載された「東海の文芸 05年回顧」から、ふたりならんだ筆者のうち清水良典さんの文章をご紹介します。

 タイトルは「商業的成功とは別の価値確立を」。東海地方では愛知万博が大きな話題となったけれど、「文学的な交流がほとんど見られなかったのは残念だった」、「商業的な成功や名声とは別の、文学的価値や情熱の在りかを問いただし確立することができなければ、地域の文学はますます孤独になるばかりである」という、お正月にご紹介するにはふさわしくないような暗澹たる現状認識が綴られた文章なのですが、文学のみにはとどまりません、地方の現状なんてまちがいなく暗澹としているのですから、お正月だからといって遠慮することもないでしょう。

 もっともこの記事では、暗澹たる地方に見いだされた光明のような事業の例として、三重県の官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」で発行された『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』がとりあげられています。えへん、と咳払いしながら引用しておきましょう。ちなみにこの記事のことは、愛知県にお住まいのほりごたつさんからご教示いただきました。

 代わりに記念となる出版物を挙げるなら、小酒井不木と江戸川乱歩の往復書簡集『子不語の夢』(皓星社)だろう。三重県出身の乱歩、そして愛知県蟹江町出身の不木は、大正時代末期の探偵小説黎明期に互いに励ましあい議論を重ねた盟友だった。二人の出身地の文化事業の連携企画として昨冬刊行された本書は、一級の研究者が贅沢に工夫を盛り込んだ結果、学術的な資料としても理想に近い出来栄えとなった。活字や CD-ROM に収録された図版から、若い二人の意気込みや苦悩が生々しく浮かび上がった。

 文中に「昨冬」とあるように、『子不語の夢』の刊行は2004年11月のことでしたから、厳密にいえば2005年を回顧する記事の対象外となるのですが、暗澹たる日本の地方でここまで有意義で画期的な「文化事業」が実現されることはめったになく、いやもう空前絶後といってもいいかもしれません(絶後では困るのですが)、とにかく稀有な事例として、『子不語の夢』の出版はすでにして伝説のように語り継がれはじめているというわけでしょう。

 この記事をうけて名張まちなか再生プランに話を進め、地方の不毛と貧困をまんま露呈したような歴史資料館をつくってどうする、あるいは、乱歩文学館における「文学的価値や情熱の在りか」はいかに、みたいな展開にもっていってもいいのですが、その前にずっと先送りをつづけていた『子不語の夢』の事業報告をすませておきたいと思います。

 どうして先送りになったのかというと、この本のことを報告しようとするとどうにも憂鬱というかうっとうしいというかそれこそ暗澹たるというか、あまり清明な気分にはなれなかった、それが大きな理由だったのですが、お正月を機会にかたづけておくことにしました。あすにつづきます。

 話柄は転じて、以下、新企画。

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 ▼2006年1月

 乱歩、大阪を去る 芦辺拓

 大阪都市協会発行の月刊誌「大阪人」に連載された芦辺拓さんの「近代大阪の人物誌 都市伝説江戸川乱歩」は、1月号掲載の第七回で大団円。大阪という都市への愛着とそれゆえの憎悪、いや憎悪といってはいいすぎか、とにかく芦辺さんならではの視点から綴られた「大阪の乱歩」考です。結びに近い部分をどうぞ。

たとえ現在の大阪人が、誇るべき文化と街々に満ちていた知性の息吹を忘れ去り、阪神タイガースやタコ焼き、吉本のお笑いその他もろもろで一切合切を塗りつぶそうとしても、江戸川乱歩の作品が読み継がれる限り、輝かしい歴史の一齣を抹殺することはできないのである。

 いずれ単行本になるのかもしれませんが(この連載だけでは単行本一冊の分量として少なすぎるようですが)、乱歩ファンは「大阪人」の2005年7月号から2006年1月号まで、ちゃんとおさえておかれたし。

 それでは本日はこのへんで。本年もよろしくお願いいたします。


● 1月2日(月)

 新年も二日目となりました。

 昨日頂戴した賀状には、印刷された慶祝の文言に、

 ──名張も“乱歩”に本気に取組み始めたと思います。よろしくご指導ください。

 と添え書きされたものがありました。名張市内にお住まいの方からいただいたもので、おもに新聞によって地域情報を得ている一般市民のみなさんには、名張市の乱歩関連事業がそんなふうに映っているということでしょう。むろん当方、「ご指導」に努めるにやぶさかではないのですが、聴く耳もたぬという手合いが多いみたいですからいかがなりますか。

 ──探偵小説の図書館が出来るとのこと、楽しみにしております。

 と、これは名張市内ではないけれど三重県内の方から。「ミステリー文庫」構想を扱った朝日新聞のコラム「青鉛筆」をお読みになられたのでしょう。名張市立図書館が『乱歩文献データブック』をつくったとき、編纂開始を報じてもらった朝日新聞三重版の記事をご覧になって、そういうことならと昭和21年創刊の月刊誌「宝石」全冊を名張市立図書館に寄贈してくださったのがこの方で、むろん年季の入った探偵小説ファン。名張市に市立図書館ミステリ分室が開設されれば、さぞやお喜びいただけることでしょうし、ごくわずかでもご恩返しができるというものでしょうけれど、さーてどうなることかしら。

 さるにても、新年早々パソコンにへばりついてサイトのオーバーホールに精を出す図というのは、これはもういっそ酔狂なものなのかもしれませんというのはたぶん痩せ我慢なのですが、手をつけてみるとやらなければいけないこと、気になることがいくらでも出てくるからやんなります。さらにそのうえ『子不語の夢』の報告もしなければなりません。

 しかしやはり気が重い。絶えてアクセスすることのなかった「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業紹介【001−2】」を開いて報告をちょっとだけ書きつらねたのですが、

 ──ごみ大爆発の三重県と合併大分裂の伊賀七市町村がなあなあ感覚でお贈りするなんちゃってイベント

 ──ええよござんしょ、血税三億円かけて伊賀を必ずメジャーにしてみせますとも、と伊賀びとは誓った

 ──2004年は伊賀が熱いぜ

 などといった秀逸なコピーを眼にするにつけ、なんかもう無力感というか無常感というか、とにかくむなしい気分でいっぱいになりました。ほんとにくだらなくて無益で官民合同だの協働だのの貧しい内実をじつによく示してくれた事業であったなあ、伊賀の蔵びらきというのは。

 そういえば、きのう届いた賀状には、

 ──芭蕉360年すぎたら力が抜けてしまいました。

 と記されたものもあって、一般の地域住民にはすっかり忘却されている「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」という脱力イベントも、それに直接たずさわった関係者にはぬぐいがたい疲労感や徒労感を残していることが知れました。

 いやいや、ただ三億円をどぶに捨てたというだけの話なのですから、この脱力事業はまだまだましだというべきでしょう。事業を契機にうじゃうじゃとわいて出た芭蕉さんの子供たちは、今度は名張まちなか再生プランに参画して、名張のまちに形のあるものをつくろうというのですからたちが悪い。税金をどぶに流してそれでおしまいというのではなく、妙なものを形にして残そうというのだから悪質である。

 芭蕉さんの子供たちとはそも何者、とおっしゃる方のために昨年9月15日付伝言から引用しておきます。

 ──二〇〇四年、三重県が伊賀地域で実施した官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」を契機として発生した市民層。中心をなすのは事業に直接携わった地域住民で、閉鎖性と排他性を特徴とし、独創性や先進性には乏しく、責任の所在を極力曖昧にしながら、公共概念にはまったく無縁なプランに公金を費消するために活動する。事業終了後も伊賀地域各地に散らばり、事業の悪弊を持続させる潜勢力となった。……

 そんなこんなで「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業紹介【001−2】」にほそぼそと報告を綴りつつ、名張市におけるなべての愚かしいものの代表である名張まちなか再生プラン、そろそろ本気で叩きにかかろうかと思います。

 ──今年もお元気で、おきばりください。

 と、これは長く京都にお住まいだった名張市民の方から頂戴した賀状の一筆。きばらにゃなるまいて。

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 ▼2005年6月

 ドクターGの島 高階良子

 「孤島の鬼」を原作とした少女漫画がぶんか社のホラーMコミック文庫に入りました。一昨年から昨年にかけて月刊誌「ホラーM」に再録もされたようです。諸戸と箕浦のコンビは前者が男性、後者が女性ということになっていて、洞窟のめんない千鳥はこんなあんばい。

諸戸道雄「おねがいだ 小夜ちゃん 地上でのことは 何もかも わすれて」「ぼくだけの 小夜ちゃんに なってくれ」

美杉小夜子「いや」「いやあ 健二さん」

諸戸道雄「小夜 ちゃん」

美杉小夜子「あ あたしはいや こんなとこで 死ぬのは」

 原作の箕浦は「こんなところで死ぬのはいやだ」と、そこまでつれないことはいってなかったはずですけど、まったく女というやつは。ちなみに「健二さん」というのは例の双生児の片割れで、小夜ちゃんと慕いあう仲になっているという寸法。つまり原作にくらべるとキャラクターが逆転していて、男の子が美にして善、女の子が醜にして悪なとりあわせになっております。

 初出など書誌データの確認では「高階良子の部屋」のお世話になりました。謝意を表します。


● 1月3日(火)

 新年三日目。さっそくまいろう。

 昨年12月21日、毎日新聞伊賀版に掲載された熊谷豪記者の記事から引きます。わずか二段落の短い記事ですが、二段落目の一部を割愛しました。全文まるっと転載して著作権を侵害しているのではなく、あくまでも引用なのであるとお思いください。かなり苦しいいいわけですけど。

旧家・細川邸:歴史資料館へ、家屋解体始まる−−名張 /三重
 名張市新町にある旧家・細川邸を歴史資料館「初瀬ものがたり館(仮称)」に整備する計画で、市は母屋と蔵2棟を残し、老朽化した家屋の解体工事を始めた。来年度には母屋の改修に取り掛かり、07年度オープンを目指す。

 約800平方メートルの敷地に家屋が数棟あったが、一部は老朽化していたため市が550万円かけて解体を始めた。残された母屋や蔵を利用し、具体的にどのような施設にするかは検討中で、「町屋風情を生かした交流施設」という構想が上がっている。

 こっちもかなり苦しいようです。気が遠くなるほど、いやもう死ぬほど苦しい展開ではないか。

 どういうことか。名張まちなか再生プランでおなじみの細川邸で、老朽部分を解体する工事がはじまりました。「具体的にどのような施設にするかは検討中」であるにもかかわらず、まるで犯罪のようにすみやかに、リフォーム工事が進められているわけです。

 それでどうなるのか。どうもよくわかりません。この記事によれば、細川邸は、

 歴史資料館であり、

 初瀬ものがたり館(仮称)であり、

 町屋風情を生かした交流施設でもある、

 そんな場として生まれ変わるらしいのですが、どうも分裂混乱した印象で、話がとにかくややこしい。名張のまちのアイデンティティをくっきり鮮明にわかりやすく示す施設であるべきなのに、むしろアイデンティティの分裂や混乱、さらには喪失が露呈されることになるのではないかしらん。そんな危惧さえおぼえさせます。

 どうしてこんなことになっているのでしょう。名張まちなか再生プランでは、細川邸は歴史資料館として整備されることになっていました。しかし、

 ──ろくな歴史資料もないのに歴史資料館をつくるのはリフォーム詐欺である。

 という市民の声が発せられました。それなら歴史資料館をつくるのは中止しよう、展示施設ではなく交流施設でどうか、と委員会で話がまとまったのかどうか、それは私にはわかりませんが、それらしい動きがあったとは仄聞され、しかしそうなればそうなったで、

 ──名張まちなか再生委員会には名張まちなか再生プランに改変を加える権限はない。

 という市民の声が発せられました。それならばやはり歴史資料館ということにしておいて、初瀬街道にテーマをしぼり、いっぽうで交流面にも比重をおいてなんとかごちゃごちゃごまかすか、といった検討が進められたのかどうか、これも私には不明なのですが、毎日新聞の記事からはそういった迷走の跡を読み取れないでもないでしょう。

 しかしそれ以前に、名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクトによる細川邸ならびに桝田医院第二病棟の整備計画は、どう考えたって無効ではないか。わずか十人ばかりの人間がこそこそノーチェックでまとめた計画に、いったいどの程度の正当性があるのかな、と委員会の委員長に文書でお訊きしてから二か月あまり。いつまで待っても回答がないのはいくらなんでもあんまりだ、と考えた私は、ついさっき名張市役所建設部都市計画室の委員会事務局にこんなメールを送りつけてしまいました。

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 さっそくですが、昨年10月22日、貴事務局に委員長宛の文書をメールでお送りし、ご回答をお願いしております。委員長にご一読いただいたことまではお聞きしているものの、お答えはいまだに頂戴できておりません。

 あるいは、ご多用のためになかなかご回答のペンをおとりいただけないのかとも拝察されますので、委員長から拝眉の機を頂戴し、お考えを直接お聞かせいただきたいと考えるにいたりました。

 つきましては、そのご手配をお願いできないでしょうか。とりあえず委員長のご都合にしたがって、お目にかかれる日時と場所をご指定いただければと思います。

 新年早々お手数をおかけいたしますが、よろしくお願い申しあげます。

2006/01/03

 年があらたまっても代わりばえのしない話題がつづきますが、ことの本質は「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」と同様同質。あのようなイベントであれこのようなハコモノであれ、内実は無視して上っ面だけつじつまをあわせればそれでいいという官民合同の偽装体質には、くどくどとしつこいようですが執拗に迫ることしか市民のひとりとして打つ手はないと思われます。

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 ▼1993年1月

 衰退する浅草への鎮魂 押絵と旅する男 狐

 北海道新聞に連載された「再読百遍」というコラムの一篇。コードネーム「狐」さんによる記事です。『乱歩文献データブック』を出したあと(1997年のことである)、これが漏れているとコピーをお送りいただいたもので、ようやく当サイトに記載の運びとなりました。結びの段落をどうぞ。

 もう一つだけ教えてあげよう。この作品は、背筋も凍る夢野久作「押絵の奇蹟」(一九二九年)へのアンサー・ソングだということ。ほら、君も「遠目がね」をさかさに覗いてごらん。

 押絵つながりのインスパイア因縁譚、ありそうな話かもしれません。


● 1月4日(水)

 あっというまに仕事はじめの日を迎えました。予告どおりの二日酔いですが、たいしたことはありません。

 では、新年の新企画第二弾。

  きのう買った本

 時代小説盛衰史 大村彦次郎
筑摩書房 2005年11月10日第一刷 2005年12月20日第二刷 本体2900円

 対話の回路 小熊英二対談集 小熊英二
新曜社 2005年7月29日初版第一刷 本体2800円

 潤一郎ラビリンス 7 怪奇幻想倶楽部 谷崎潤一郎 千葉俊二編
中央公論社 中公文庫 1998年11月18日 本体838円

 きのう本屋さんの袋をがさごそさせていたら(どこでの話であったのか、酔っぱらっていたので詳細は思い出せません。たぶん宴席だと思うのですが)、そばにいた人から「何を買ったの」と尋ねられ、「ほらこれ」「あ。それいま読んでるとこ」みたいな会話がつづきましたので、たしかに人がどんな本を買ったのかは気になるものだと思いあたり、それならばと上のような新企画を思いついた次第なのですが、自分が買った本を逐一報告するというのは人前で裸になるようなものだということに気がつきましたので、この新企画は一度だけでボツといたします。

 では好評の新企画。

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 ▼1974年12月

 解説 植草甚一

 池波正太郎の鬼平犯科帳シリーズ第一巻、その文庫本の解説です。鬼平と剣客商売、これらふたつのシリーズをまとめて読んだのは三年か四年ほど前のことですが、植草甚一の解説に乱歩が出てきたときには、

 ──こんなところにも出てくるのか。

 と舌打ちしたいような気分になったものでした。

 「余談になるけれど」と植草甚一らしく余談がはじまり、話題はヒッチコックの来日時、映画会社がお膳立てしたパーティでのこと。ある女優がヒッチコックに演技がうまくなる秘訣を尋ねました。ヒッチコックが答えに窮するふうだったので、植草甚一は「リラックス」と耳打ちして助太刀。ヒッチコックは「リラックスすることがだいじなんだ」と女優にアドバイスしたあと、こうつけ加えたといいます。「あなたを使うかどうかは、あとで考えてみよう」

 これはヒッチコック得意の毒気あるユーモアで江戸川乱歩もやられたことがあった。ついでに書いてしまうと、そのころファン雑誌「映画の友」がヒッチコックとの座談会を企画して乱歩も加わったが、風呂敷から署名入りの「幻影城」を出してヒッチコックにあげたところ、こう言われたのである。『この原作を映画化するかどうかは、ずうっと先にならないときまらないでしょう』

 なかなか面白いエピソードです。そこはかとなくおかしい。『幻影城』をとらやの羊羹みたいに風呂敷から出してくる乱歩もおかしいし、それを小説だと思いこんでジョークを飛ばしているヒッチコックの微妙なずれようもおかしい。お正月にうってつけの図のように思われます。

 いつまでもお正月気分ではいられませんけど。


● 1月5日(木)

 おろかなことをしてしまいました。本年最初のドジをふんでしまいました。昨日付伝言の「きのう買った本」にあげた『潤一郎ラビリンス 7 怪奇幻想倶楽部』、私は所蔵しておりました。この本の解説に乱歩のことが書かれていると教えてもらい(むろんその相手も場所もいまや鮮明に思い出せるわけですが)、あわてて本屋さんに走ったものであったのですが、それをころっと忘れておりました。

 このシリーズ、私は気をつけて買うようにしていたのですが、そのうち自分がどの巻をもっているのかがわからなくなり、あれよあれよというまに当地の書店からふっつりと姿を消してしまいましたので、おととい大阪の書店で眼にして、あ、解説に乱歩が出てくる、と迷わず買い求めた次第でした。全冊そろってはいないにもかかわらずダブりが生じて、潤一郎ラビリンスは私の書棚で無惨な陣容をさらしております。こんな経験は一昨年の夏、光文社文庫版乱歩全集の『十字路』を二冊買い求めて以来のことですが、今年もやっぱりドジを重ねることになるのか。

 なんだかやけになって、きょう一日だけの新企画をくりひろげます。

  おととい買わなかった本

 南方熊楠英文論考 [ネイチャー]誌篇 南方熊楠 飯倉照平監修
集英社 2005年12月 本体5600円

 紙つぶて 自作自注最終版 谷沢永一
文藝春秋 2005年12月 本体5000円

 『南方熊楠英文論考』は「南方熊楠資料研究会」で刊行が予告されており、新聞広告も出ましたので名張市内の本屋さんでさがしてみたのですが、当地にまではまわってこない本のようです。大阪の書店で手にとってみたのですが、荷物が重くなるからまたいつか、と思ったのかどうか、買い求めることはしませんでした。

 いっぽうの『紙つぶて』は、こんな最終版が出ていたとはつゆ知らず。この本には乱歩文献三篇が収められており、しかし私はPHP文庫の『紙つぶて【完全版】』を所有しておりますから購入する必要はなく、とはいえ最終版のデータはちゃんと記録しておかねばなりません。わずか三篇のために五千円かよ、と本屋さんの店頭では思わず引いてしまったのですが、じつに悩ましい話です。

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 ▼2005年10月

 超人ニコラ 江戸川乱歩

 乱歩の連載作法には独特の(乱歩独自のものかどうか、不勉強でよくわからないのですが)スタイルがあって、冒頭でそれまでのストーリーを簡略に紹介し、そうすることで読者をすんなりと新しい展開に誘いこみます。少年ものにも基本的に踏襲されているようで、『「少年」昭和37年4月号オール復刻 BOX』に見ることができる「超人ニコラ」の冒頭も、光文社文庫版全集第二十三巻『怪人と少年探偵』の解題を参照すれば、初出のテキストに乱歩がどのような斧鉞を加えたか、手にとるようにわかります。

 ここには試みに、「少年」昭和37年4月号の復刻版から、「超人ニコラ」連載本文のあとに本文より太い活字で印刷された文章を引いておきましょう。おそらく編集部の手になるもので、むろん本になるときにはきれいに削られています。

 それにしても、だれとでも、そっくりの人間を、思うままに、つくれるなんて、そんなばかばかしいことが、ほんとうにできるのでしょうか。これにはなにか、思いもよらぬ、おそろしい秘密があるのではないでしょうか。

(つづく)

 しかしこの復刻、どうして昭和37年4月号でなければならなかったのか。べつに一年遅れの昭和38年4月号でもよかったのではないか。もしもそうであれば乱歩作品は掲載されていないのだから、大枚五千円をはたいて購入する必要などなかったというのに。

 新年早々、景気のよろしくない話ばかりで困ったものです。


● 1月6日(金)

 お寒うございます。当地はきのう雪でした。昼すぎにはやみましたので、思い立って市中見回りに出てみました。老朽部分の解体がはじまったという新町の細川邸にも立ち寄りました。

 裏側から、つまり名張川のほうから撮影した写真で、画面左に見えるのが細川邸の母屋。そのむこうが新町の通りになります。名張市内のみならず当サイトご閲覧の各位にも少なからぬ衝撃をもたらしたあのエジプトの絵は、いつのまにか姿を消しておりました。では惜別の意をこめて。

 この写真の左奥に白壁を覗かせている蔵が、上の写真では右側に位置しています。解体工事にともなって、この絵も撤去されてしまったようです。あるいは、ほかの場所に移動されたのか。

 ともあれご覧のとおり、細川邸そのものはただの古い民家で、もとより文化財的価値など認められぬ建物なのですが、なじかは知らねどこれをどうしても活用しなければならぬということになっているらしく、いろいろ陰謀が渦巻いているわけです。

 いや、陰謀といってしまっては語弊がありますが、ジャスティスやフェアネスからはほど遠い協議検討が進められているのは事実ですから、そんなものが有効かどうか、名張まちなか再生委員会の委員長にお会いしてお考えをお聞きしたい、と委員会事務局に申し入れたのが1月3日のこと。あの話はどうなったのかな。ま、もうしばらくお待ちしてみましょうか。

 しかしお待ちはしてみますけど、もしも私の質問に回答する要を認めないというのであれば不誠実、回答できないというのであれば無能力、いずれにしても現在の委員長は適任ではないということになりましょうから、かりに回答もいただけず拝眉の機も得られないとなったときにはどうすればいいのか。次の一手を算段しながら次に進みます。

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 ▼2005年11月

 時代小説盛衰史 大村彦次郎

 掲示板「人外境だより」で古畑拓三郎さんから教えていただいた一巻。著者は講談社で「小説現代」「群像」の編集長や文芸局長などを務められた方だそうで、近年は『文壇栄華物語』など大部の文壇史を精力的に執筆していらっしゃいます。

 この手の本でありがたいのは、なにより索引の存在でしょう。『時代小説盛衰史』の場合でも、巻末の「作家・画家・編集者索引」をひもとくと、時代小説のメインストリームには無縁だった乱歩の名前が十五ページにわたって登場していることがわかります。雑誌「新青年」はわが国探偵小説の開祖江戸川乱歩も輩出した、みたいなものがほとんどなのですが、ここには第四章の「『大衆文藝』の発刊」と題された節から二段落ばかり。

 この会の発足は最初、仕事の息抜きに世間話にでも興じようか、という趣旨だったが、第一回の会合日が大正十四年七月二十一日だったことから、「二十一日会」と命名された。だが、一同血気盛んであった。無駄話にもすぐ厭きが来て、折柄の大衆文芸勃興の機運に乗じ、このさい自分たちの同人雑誌を出したらどうか、ということで、衆議一決した。雑誌名は『大衆文藝』。同人には当初のメンバーに加えて、あと数人を勧誘することにした。大阪在住の江戸川乱歩、土師清二、名古屋の小酒井不木、国枝史郎の四人に案内状が出された。

 江戸川乱歩はこの年早々、森下雨村の編集する博文館の『新青年』に、探偵小説「D坂の殺人事件」、「心理試験」を発表し、ようやく職業作家として立つ自信を何とか得たところであった。いまは大阪毎日の広告部に席を置いていたが、それまでの生活はひと通りの苦労ではなく、いろんな職業を転々とした。そば屋の屋台を引き、チャルメラまで吹いた。大阪にいる横溝正史らと図って、探偵小説の同人誌『探偵趣味』を発刊した直後に、旧知の小酒井不木を通じて、「二十一日会」の同人にならないか、と誘いを受けた。

 不木が乱歩に葉書を出し、「突然ですが、こんど東京で大衆作家同盟が出来、大兄にはひつて頂きたいと、発起人の池内氏が申して来て、私にも意向をたづねてくれと申して来ました」と伝えたのは大正14年9月25日のことであった、という事実は『子不語の夢』収録の不木書簡で知られます。大村彦次郎さんにも『子不語の夢』をお送りしておけばよかった。


● 1月7日(土)

 本日はいきなりこちら。

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 ▼2006年1月

 乱歩と『探偵小説四十年』について 石井春生

 「日本推理作家協会会報」1月号に掲載された第百五十一回土曜サロンの報告。ゲストとして招かれた八木昇さんのお話がまとめられています。八木さんは桃源社勤務時代、『探偵小説四十年』の編集を担当された方。「宝石」での連載が終わったとき、「断られるかもしれない」と思いながら出版の企画をもちこんで乱歩の了解を得たこと、編集の舞台裏、出版にかける乱歩の意気込みなどが伝えられています。

 こうして本文が整いつつあった頃、ゲラを見た乱歩からまた別の注文が──。章の終わりの空白がもったいないので埋めたいという。ただでさえ三段組で活字がびっしり詰まっている感じがするので、空白があるほうが息抜きになるのではと八木さんは申し上げたが、一度は納得してくださったものの、やはりもったいないとおっしゃる。そして自ら空白の部分を測って、このスペースならこのぐらいの文章が載せられると計算されてきた。この本はできるだけ活字で埋め尽くしたいというのが乱歩の思いだったそうだ。ということで、短文が載せられそうな余白には、ご自身でお選びになられた章にふさわしいエッセーを載せることになり、これでようやく本文が決定。

 『探偵小説四十年』はご存じのとおり編年体で記述されており、年度が替わるとページも改まるというスタイルが採用されていますから、年によってはかなりの余白が出ることになります。乱歩は過去に書いた短い随筆を埋め草とすることでその余白を埋めようとした、というのは当の『探偵小説四十年』を見れば誰でもピンとくることで、余白を嫌うのは編集者としてごく当然の感覚でしょう。ですから私は、乱歩に「この本はできるだけ活字で埋め尽くしたい」という願望があったことまでは思いがおよびませんでした。

 それでは、目次にも「余白に」としてタイトルがあげられている埋め草十篇、文末に記された初出のデータとともに列挙しておきましょう。

余白に
活字との密約(創元社版『わが夢と真実』より)
(「探偵春秋」昭和十二年三月号、「蔵の中から」の一節)
忘れられない文章(創元社版『わが夢と真実』より)
収集癖(創元社版『わが夢と真実』より)
村山槐多(創元社版『わが夢と真実』より抄出)
鬼の経営する病院(「探偵文学」昭和十年十月「小栗虫太郎号」)
燃え出でた焔(「探偵春秋」昭和十二年四月号「蔵の中から」の一部)
罹災直後の手紙
当時の飜訳事情
私の本棚(「読売新聞」昭和二十九年二月七日)

 「罹災直後の手紙」は昭和20年6月、福島県へ疎開している母と妻に豊島区が空襲で被災した模様を知らせた手紙の抜粋。「当時の飜訳事情」は昭和22年7月の「飜訳問題の近況報告」の再録。「村山槐多」は「抄出」とありますが、むしろ新たに執筆したもの。『江戸川乱歩執筆年譜』では、「罹災直後の手紙」と「村山槐多」を新稿として扱っております。

 そうか、と私は思いました。1996年、毎日のように『探偵小説四十年』をひっくりかえして、名張市立図書館の『乱歩文献データブック』を編集していたときのことです。エディター乱歩、あるいはブックメーカー乱歩は、余白をえらく気にしているな。よし、負けないぞと、別に勝ち負けの問題ではないのですが、私はそう決意しました。

 ですから『乱歩文献データブック』には、わずか一行の余白もありません。どのページにも「活字で埋め尽くしたい」という妄執が息苦しいばかりに充満しています。しいていえば索引の最後に余白があるのですが、その中央にはアステリスクが刻印のように配され、余白をいたく気にかけていることが宣言されているのですから、まあ大目に見るように。あまりにも完璧なものは死神のように不吉である、とお思いいただきましょうか。

 すなわち私は、乱歩の願望にまで思いはおよびませんでしたものの、『乱歩文献データブック』において「この本を活字で埋め尽くしたい」という乱歩の願望をあやつり人形のように体現していたことになり、こうなるといっそ乱歩に憑依されていたといっても過言ではないでしょう。なんかおそろしい。


● 1月8日(日)

 昨日付「本日のアップロード」でとりあげた「日本推理作家協会会報」1月号は、年明け早々に天城一さんからお送りいただいたものです。

 と、こんなプライベートなことを書き記していいものかとも思われるのですが、天城さんのことを気にかけていらっしゃる方もおありかもしれないと勝手に思いなおして、さらにつづけることにいたしますと、去年の暮れ、天城さんから思いがけず歳暮を届けていただきました。高島屋だかどこだかの包装紙をあけると、ワインが二本。

 去年の5月、『天城一の密室犯罪学教程』が本格ミステリ大賞を受賞したとき、私は乱歩の生誕地から乱歩になりかわったつもりで木屋正酒造謹製の、大吟醸であったか純米吟醸であったかは失念してしまいましたが、とにかくお酒を一本お送りして祝意を表しておきました。それでかえって気をつかっていただく結果になったのはもとより本意ではないのですが、これはもうありがたく頂戴しておくことにして、天城さんへの礼状をあわただしくしたためるうち、過ぐる一年にうちつづいた不幸の数々が一気にまざまざとよみがえり、天城さんにはそれ以前から本格ミステリ大賞と日本推理作家協会賞のダブル落選のことであれこれと慰めていただいていたのですが、よみがえった不幸にあられもなく半狂乱となった私は、

 ──今度はゲッ、ゲスナー賞に落っこちましたあッ。

 と出来のわるい受験生みたいな報告を記してしまいました。

 天城さんからはおりかえし慰めの書状をいただき、私は返信として葉書をお出ししたのですが、あられもない半狂乱を恥じ入る気持ちもありましたので、できるだけ平静を装って、

 ──まあゲスナー賞の場合、乱歩の著書目録のライバルが南方熊楠の目録だったのですから、天国の乱歩も三舎を避けていることでしょう。はっはっは。

 みたいな感じで余裕たっぷりなことを書き綴ったところ、葉書にはいまだかなりの余白が残っていました。余白を嫌うこと乱歩のごとく、またケルト民族のごとくである私はその余白に、

 ──ところで熊楠目録によれば、熊楠のもとには岩田準一宛の乱歩書簡が一通だけ保存されていたそうです。内容は不明。

 みたいなこと(このことは以前この伝言板でもお知らせしましたが)を書き添え、しかし余白はまだ埋まりません。仕方ありませんから、

 ──乱歩が準一を介して熊楠の色紙を入手しようとした、そのおねだりの手紙なのではないか。

 みたいな推測を記して、それでようやく葉書が文字で埋まりました。その返信が年明けに届いたのですが、

 ──乱歩さんが色紙を所望されたと見るのが妥当でしょうね。谷崎のときと同じ目にあわれたでしょうが。

 と、天城さんも私と同じご見解でした。私には、乱歩の稚気がとてもいたわしく思われます。

 そんなことはともかく、その書状に同封されていたのが「日本推理作家協会会報」の1月号で、

 ──『探偵小説四十年』のことが書かれているから、これはおまえがもっていたほうがいいだろう。

 とわざわざお送りくださったというわけです。まことにありがたく思いました。天城さんには今年も、よい一年をお過ごしいただきたいと念じております。

 ともあれ、天城一さんがお元気で新年を迎えられたことを、ここにお知らせしておきたいと思います。

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 ▼1999年1月

 東京探偵小説作家の蔵 荒俣宏

 初出は「太陽」の1989年11月号。『開かずの間の冒険』に収められたあと、いつのまにか平凡社ライブラリーに入っておりました。

 『江戸川乱歩著書目録』巻頭にいただいた新保博久さんのエッセー「池袋十二年」から引きます。

 ──乱歩がそこで小説も執筆したという誤伝がまことしやかに流布されたその土蔵に、改めて注目が集まったのは、荒俣宏氏が日本各地に現存する蔵を歴訪するシリーズ「開かずの間の冒険」の一回に取り上げて以来だろう(『太陽』八九年十一月号)。

 ではその冒頭を。

 江戸川乱歩には「土蔵伝説」がある。乱歩はそれを蔵といわず、土蔵と呼ぶことを好んだから、そのひそみにならって、土蔵伝説と呼ぶわけだが。

 たとえば自分は戦後生まれで、乱歩の少年向け探偵小説、ことに光文社の月刊雑誌『少年』に連載されていた「少年探偵団」を読んで育った人間である。それで今も記憶しているのだが、江戸川乱歩の姿を雑誌広告ではじめて見たとき、氏の書く異様な物語に不思議と一致したそのおどろおどろしい雰囲気に、一瞬息を呑んだものであった。

 もちろん、乱歩先生ご自身のお顔が奇怪だったわけではない。自分が大好きだった先代三遊亭金馬によく似て、おつむの輝かしい親しみのある顔立ちであった。異様だったのは、たたずまいなのである。どこやら薄暗い場所にいて、原稿箋に筆を走らせている。そして、

 「乱歩先生は陽光を遮つた土蔵に蝋燭を点し、こわいお話を書かれるのです」

 と、広告文が付いていた。

 真っ暗な土蔵の中で小説を書く作家!

 してみると、乱歩の「土蔵伝説」は戦後になっても生きていたのでしょうか。

 近年はまた新たな土蔵伝説が生まれているようなのですが、日をあらためて綴りましょう。


● 1月9日(月)

 新たな土蔵伝説について語りたいと思います。

 まずは、きのう契約したばかりの Yahoo! ニュース全国紙有料検索サービスで「乱歩 土蔵 幻影城」をチェックします。ヒットは九件。見出しと掲載紙、掲載年月日のデータを列記しましょう。

乱歩 土蔵 幻影城
[東京の記憶]旧乱歩邸と土蔵 伝説生んだ「幻影城」 実際は“図書館” - 読売新聞 (1591文字)
 2005年11月14日(月)
鳥羽商工会議所「乱歩館」などを整備 国土交通省の補助を受け=三重 - 読売新聞 (478文字)
 2005年11月8日(火)
江戸川乱歩の書斎兼書庫「幻影城」へご招待 東京・池袋で古本まつり - 読売新聞 (564文字)
 2005年10月6日(木)
明智小五郎“生誕の地” 豊島できょうから「江戸川乱歩」展 - 産経新聞 (747文字)
 2004年8月19日(木)
「幻影城」蔵書ギッシリ 江戸川乱歩旧宅公開 - 産経新聞 (303文字)
 2004年7月9日(金)
江戸川乱歩の「幻影城」、来月公開/東京・豊島 - 読売新聞 (565文字)
 2004年7月9日(金)
[雑記帳]日本探偵小説の父、江戸川乱歩が書庫として使い… - 毎日新聞 (225文字)
 2004年7月9日(金)
「乱歩を共有財産に」 交流都市協定を締結−−名張市と東京・豊島区 */伊賀 - 毎日新聞 (547文字)
 2004年3月31日(水)
乱歩の「幻影城」へ…ようこそ 立教大が書庫兼書斎を今夏公開へ/東京・豊島 - 読売新聞 (729文字)
 2004年1月21日(水)

 上記のデータだけなら、Yahoo! ニュースで「乱歩 土蔵 幻影城」を検索すれば無料で知ることができるのですが、有料サービスだと記事を読むことが可能です。九件のうちもっとも古い記事を見てみると──

乱歩の「幻影城」へ…ようこそ 立教大が書庫兼書斎を今夏公開へ/東京・豊島
二階建ての書庫兼書斎の土蔵を、乱歩は「幻影城」と呼び、二万点近くの資料、蔵書を保管。
読売新聞 2004/01/21

 その次に古い記事では──

「乱歩を共有財産に」 交流都市協定を締結−−名張市と東京・豊島区 */伊賀
「幻影城」とも呼ばれる乱歩邸の土蔵には貴重な資料が収められており、昨年3月、区は重要文化財に指定した。
毎日新聞 2004/03/31

 ついでですからもういっちょう。

[雑記帳]日本探偵小説の父、江戸川乱歩が書庫として使い…
 ◇日本探偵小説の父、江戸川乱歩が書庫として使い、「幻影城」の名で知られる自宅の一角にある土蔵=写真・小出洋平=が初めて一般公開されることになった。
毎日新聞 2004/07/09

 いかんがないかんがな。こんなことではいかんがな。旧乱歩邸の土蔵が幻影城であるなどと、こんなガセネタをかましてはいかんがな。

 何が「二階建ての書庫兼書斎の土蔵を、乱歩は『幻影城』と呼び」か。何が「『幻影城』とも呼ばれる乱歩邸の土蔵」か。何が「『幻影城』の名で知られる自宅の一角にある土蔵」か。そんな証拠があるのならとっとともってこい。乱歩がそんなこというわけねーだろーが。

 かりそめにも幻影の城主をもってみずから任じ、うつし世は夢である、夜の夢こそまことであると詠じもし、嘆じもした乱歩が、じぶんちの土蔵を幻影城なんて呼ぶわけねーだろというのだ。その日その日の生活の場に幻影の城なんかおっ建ってるわけねーだろというのだ。

 Yahoo! ニュースの検索は過去二年間が対象ですから、少なくとも二年前、2004年1月の時点ですでにして、旧乱歩邸の土蔵は乱歩その人によって「幻影城」と呼ばれていた、などというとんでもない与太がマスメディアによってひろめられつつあったということになります。

 いかんがなまったく。

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 ▼1997年2月

 江戸川乱歩氏 八木福次郎

 作品社の「日本の名随筆」シリーズ『古書 2』に収録。この巻には乱歩の登場する随筆がほかにも二篇収められていて、古書マニア乱歩の面目が躍如としています。

 八木さんは日本古書通信社代表取締役。「江戸川乱歩氏」は昭和24年7月に発表されたエッセイで、戦後まもない時期の乱歩邸訪問記。こんな感じではじまります。

 立教大学の門の前を入ると、左側の焼残った一角に江戸川乱歩氏のお宅がある。落ついた日本建築で、門には平井太郎と表札が出ている。

 お訪ねしたのは四時頃であったが、夜、執筆をされるので、先程寝ざめられたばかり、浴衣にくつろいで私の問いに答えられる。

 棟つづき二階造りの土蔵が書庫であり書斎でもあるが、近頃はここで仕事はされない由、机の上には本が山のように積まれていた。周りの棚にギッシリと本がつまっている。

 国書刊行会本、群書類従、辞典類、随筆物、大正昭和の探偵小説、原書、明治初期のボール表紙本、和本類等々が処せまい迄に並んでいる。「新青年」や「探偵」、「探偵趣味」、「ぷろふいる」など昔の雑誌も揃っている。

 きのうご紹介した荒俣宏さんの「東京探偵小説作家の蔵」もそうでしたけれど、この「江戸川乱歩氏」でも、乱歩氏は自宅の土蔵を「幻影城」と呼んでいた、などとはひとことも書かれておりません。あったりまえである。「棟つづき二階造りの土蔵が書庫」だというだけの話である。幻影城が棟つづきでどうする。そんなもののどこが幻影か。


● 1月10日(火)

 相当うんざりはしましたが、なんとかつぶしてやりました。Yahoo! ニュースの全国紙有料検索サービスを利用して、「乱歩」でひっかかってきた新聞記事、むろんなかには「江戸川乱歩賞を受賞した作家の○○さん」なんてのもありますから、そんなのはいちいち相手にしないで取捨選択し、とりあえず2004年分を「RAMPO Up-To-Date」に反映させました。

 2004年といえば、8月に「江戸川乱歩と大衆の21世紀展」が開催され、それにあわせて旧乱歩邸の土蔵が一般公開された年です。乱歩の土蔵が街をゆく美女のごとくに注目を集めたわけですが、ファン心理の反映として土蔵を「幻影城」と呼ぶならわしも、この2004年の夏に一気に一般化したもののようです。そんなならわしは禁断である。いかんがなまったく。

 いかんがなではあるのですが、ひろまってしまったものは致し方ありません。これ以上ひろまらないようにという睨みもきかせつつ、乱歩が生まれた名張の地から、乱歩が自分の家の土蔵を「幻影城」と呼んだことなど一度もなかったのだという厳然たる事実を、全国の乱歩ファン初級者やマスメディア、いやもう一般国民にお知らせしておきたいと思います。

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 ▼2004年11月

 怪しくおかしく美しく江戸川乱歩の小説が狂言に

 能楽笛方にして狂言作家でもある帆足正規さんを取材した朝日新聞の記事。2004年11月14日、名張市青少年センターで初演された帆足さん作の狂言「押絵と旅する男」をメインにまとめられています。

 手がけた新作狂言は今作で7作目。これまでにオペラ「トゥーランドット」を翻案した「お虎怒涛」や、平家の武将を主人公に戦いのむなしさを描く「維盛」などを発表。最近では広島の景勝地、鞆の浦を舞台にした新作能「鞆のむろの木」も書いている。

 「押絵と旅する男」は乱歩で町おこしを企画する名張市からの依頼で書き、茂山七五三らが演じた。同じ乱歩の「屋根裏の散歩者」など他の作品も考えたが、「のぞきからくり」という懐かしい道具が登場し、絵の中の女性に恋い焦がれるロマンチックな物語にひかれた。「怪しい雰囲気と狂言の楽しさを盛り込んだ」

 記事のおしまいのほうには「作品を書くたび、どんな物語ものみ込む狂言の懐の広さを実感する」とありますが、実際に舞台を眼にした私にも伝統芸の奥深さはしたたかに実感されました。乱歩作品を原作として、つまり作中のモチーフを素材としてよくまとめられた狂言であったことはたしかなのですが、もしも私が作者であったなら、もっと笑える台本を書いていたことだろうと思われます。笑いを取ろうとしない狂言なんて、ジャンルを自壊するものでしかないのではないか。

 「乱歩で町おこしを企画」しているらしい名張市は、有名どころに丸投げしてこと足れりとするブランド志向も結構なれど、もっと地域に根ざすことを考えて、名張子ども狂言の会のよい子たちに腹をかかえて笑えるような乱歩原作の新作狂言を演じてもらうのがよろしいでしょう。台本なら私がいくらでも書いて進ぜましょう。