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2006年1月上旬
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謹 賀 新 年
あけましておめでとうございます。 年のはじめのためしとて、サイトのオーバーホールに着手しました。とくにこのページ左肩のロゴの下、いくつかならべたコンテンツのリンクがばかになっており、OSの種類によってはこのページにアクセスするだけでフリーズするという事例も報告されていたのですが、以前のようなスタイルを踏襲することができず(ようするに方法を忘れてしまっているわけです。マニュアル眺めても頭が痛くなるばかり)、より簡略な方式のリンクに変更して設定しなおしました。オーバーホール、いまだ継続中。 さて、年のはじめのためしとて、さっそく名張市におけるなべての愚かしさについて語ろうかというその前に、旧臘(という言葉もまるで見かけないようになりましたが)28日付の朝日新聞名古屋本社版夕刊学芸面に掲載された「東海の文芸 05年回顧」から、ふたりならんだ筆者のうち清水良典さんの文章をご紹介します。 タイトルは「商業的成功とは別の価値確立を」。東海地方では愛知万博が大きな話題となったけれど、「文学的な交流がほとんど見られなかったのは残念だった」、「商業的な成功や名声とは別の、文学的価値や情熱の在りかを問いただし確立することができなければ、地域の文学はますます孤独になるばかりである」という、お正月にご紹介するにはふさわしくないような暗澹たる現状認識が綴られた文章なのですが、文学のみにはとどまりません、地方の現状なんてまちがいなく暗澹としているのですから、お正月だからといって遠慮することもないでしょう。 もっともこの記事では、暗澹たる地方に見いだされた光明のような事業の例として、三重県の官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」で発行された『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』がとりあげられています。えへん、と咳払いしながら引用しておきましょう。ちなみにこの記事のことは、愛知県にお住まいのほりごたつさんからご教示いただきました。
文中に「昨冬」とあるように、『子不語の夢』の刊行は2004年11月のことでしたから、厳密にいえば2005年を回顧する記事の対象外となるのですが、暗澹たる日本の地方でここまで有意義で画期的な「文化事業」が実現されることはめったになく、いやもう空前絶後といってもいいかもしれません(絶後では困るのですが)、とにかく稀有な事例として、『子不語の夢』の出版はすでにして伝説のように語り継がれはじめているというわけでしょう。 この記事をうけて名張まちなか再生プランに話を進め、地方の不毛と貧困をまんま露呈したような歴史資料館をつくってどうする、あるいは、乱歩文学館における「文学的価値や情熱の在りか」はいかに、みたいな展開にもっていってもいいのですが、その前にずっと先送りをつづけていた『子不語の夢』の事業報告をすませておきたいと思います。 どうして先送りになったのかというと、この本のことを報告しようとするとどうにも憂鬱というかうっとうしいというかそれこそ暗澹たるというか、あまり清明な気分にはなれなかった、それが大きな理由だったのですが、お正月を機会にかたづけておくことにしました。あすにつづきます。 話柄は転じて、以下、新企画。
それでは本日はこのへんで。本年もよろしくお願いいたします。 |
新年も二日目となりました。 昨日頂戴した賀状には、印刷された慶祝の文言に、 ──名張も“乱歩”に本気に取組み始めたと思います。よろしくご指導ください。 と添え書きされたものがありました。名張市内にお住まいの方からいただいたもので、おもに新聞によって地域情報を得ている一般市民のみなさんには、名張市の乱歩関連事業がそんなふうに映っているということでしょう。むろん当方、「ご指導」に努めるにやぶさかではないのですが、聴く耳もたぬという手合いが多いみたいですからいかがなりますか。 ──探偵小説の図書館が出来るとのこと、楽しみにしております。 と、これは名張市内ではないけれど三重県内の方から。「ミステリー文庫」構想を扱った朝日新聞のコラム「青鉛筆」をお読みになられたのでしょう。名張市立図書館が『乱歩文献データブック』をつくったとき、編纂開始を報じてもらった朝日新聞三重版の記事をご覧になって、そういうことならと昭和21年創刊の月刊誌「宝石」全冊を名張市立図書館に寄贈してくださったのがこの方で、むろん年季の入った探偵小説ファン。名張市に市立図書館ミステリ分室が開設されれば、さぞやお喜びいただけることでしょうし、ごくわずかでもご恩返しができるというものでしょうけれど、さーてどうなることかしら。 さるにても、新年早々パソコンにへばりついてサイトのオーバーホールに精を出す図というのは、これはもういっそ酔狂なものなのかもしれませんというのはたぶん痩せ我慢なのですが、手をつけてみるとやらなければいけないこと、気になることがいくらでも出てくるからやんなります。さらにそのうえ『子不語の夢』の報告もしなければなりません。 しかしやはり気が重い。絶えてアクセスすることのなかった「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業紹介【001−2】」を開いて報告をちょっとだけ書きつらねたのですが、 ──ごみ大爆発の三重県と合併大分裂の伊賀七市町村がなあなあ感覚でお贈りするなんちゃってイベント ──ええよござんしょ、血税三億円かけて伊賀を必ずメジャーにしてみせますとも、と伊賀びとは誓った ──2004年は伊賀が熱いぜ などといった秀逸なコピーを眼にするにつけ、なんかもう無力感というか無常感というか、とにかくむなしい気分でいっぱいになりました。ほんとにくだらなくて無益で官民合同だの協働だのの貧しい内実をじつによく示してくれた事業であったなあ、伊賀の蔵びらきというのは。 そういえば、きのう届いた賀状には、 ──芭蕉360年すぎたら力が抜けてしまいました。 と記されたものもあって、一般の地域住民にはすっかり忘却されている「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」という脱力イベントも、それに直接たずさわった関係者にはぬぐいがたい疲労感や徒労感を残していることが知れました。 いやいや、ただ三億円をどぶに捨てたというだけの話なのですから、この脱力事業はまだまだましだというべきでしょう。事業を契機にうじゃうじゃとわいて出た芭蕉さんの子供たちは、今度は名張まちなか再生プランに参画して、名張のまちに形のあるものをつくろうというのですからたちが悪い。税金をどぶに流してそれでおしまいというのではなく、妙なものを形にして残そうというのだから悪質である。 芭蕉さんの子供たちとはそも何者、とおっしゃる方のために昨年9月15日付伝言から引用しておきます。
そんなこんなで「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき事業紹介【001−2】」にほそぼそと報告を綴りつつ、名張市におけるなべての愚かしいものの代表である名張まちなか再生プラン、そろそろ本気で叩きにかかろうかと思います。 ──今年もお元気で、おきばりください。 と、これは長く京都にお住まいだった名張市民の方から頂戴した賀状の一筆。きばらにゃなるまいて。
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新年三日目。さっそくまいろう。 昨年12月21日、毎日新聞伊賀版に掲載された熊谷豪記者の記事から引きます。わずか二段落の短い記事ですが、二段落目の一部を割愛しました。全文まるっと転載して著作権を侵害しているのではなく、あくまでも引用なのであるとお思いください。かなり苦しいいいわけですけど。
こっちもかなり苦しいようです。気が遠くなるほど、いやもう死ぬほど苦しい展開ではないか。 どういうことか。名張まちなか再生プランでおなじみの細川邸で、老朽部分を解体する工事がはじまりました。「具体的にどのような施設にするかは検討中」であるにもかかわらず、まるで犯罪のようにすみやかに、リフォーム工事が進められているわけです。 それでどうなるのか。どうもよくわかりません。この記事によれば、細川邸は、 歴史資料館であり、 初瀬ものがたり館(仮称)であり、 町屋風情を生かした交流施設でもある、 そんな場として生まれ変わるらしいのですが、どうも分裂混乱した印象で、話がとにかくややこしい。名張のまちのアイデンティティをくっきり鮮明にわかりやすく示す施設であるべきなのに、むしろアイデンティティの分裂や混乱、さらには喪失が露呈されることになるのではないかしらん。そんな危惧さえおぼえさせます。 どうしてこんなことになっているのでしょう。名張まちなか再生プランでは、細川邸は歴史資料館として整備されることになっていました。しかし、 ──ろくな歴史資料もないのに歴史資料館をつくるのはリフォーム詐欺である。 という市民の声が発せられました。それなら歴史資料館をつくるのは中止しよう、展示施設ではなく交流施設でどうか、と委員会で話がまとまったのかどうか、それは私にはわかりませんが、それらしい動きがあったとは仄聞され、しかしそうなればそうなったで、 ──名張まちなか再生委員会には名張まちなか再生プランに改変を加える権限はない。 という市民の声が発せられました。それならばやはり歴史資料館ということにしておいて、初瀬街道にテーマをしぼり、いっぽうで交流面にも比重をおいてなんとかごちゃごちゃごまかすか、といった検討が進められたのかどうか、これも私には不明なのですが、毎日新聞の記事からはそういった迷走の跡を読み取れないでもないでしょう。 しかしそれ以前に、名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクトによる細川邸ならびに桝田医院第二病棟の整備計画は、どう考えたって無効ではないか。わずか十人ばかりの人間がこそこそノーチェックでまとめた計画に、いったいどの程度の正当性があるのかな、と委員会の委員長に文書でお訊きしてから二か月あまり。いつまで待っても回答がないのはいくらなんでもあんまりだ、と考えた私は、ついさっき名張市役所建設部都市計画室の委員会事務局にこんなメールを送りつけてしまいました。
年があらたまっても代わりばえのしない話題がつづきますが、ことの本質は「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」と同様同質。あのようなイベントであれこのようなハコモノであれ、内実は無視して上っ面だけつじつまをあわせればそれでいいという官民合同の偽装体質には、くどくどとしつこいようですが執拗に迫ることしか市民のひとりとして打つ手はないと思われます。
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あっというまに仕事はじめの日を迎えました。予告どおりの二日酔いですが、たいしたことはありません。 では、新年の新企画第二弾。
きのう本屋さんの袋をがさごそさせていたら(どこでの話であったのか、酔っぱらっていたので詳細は思い出せません。たぶん宴席だと思うのですが)、そばにいた人から「何を買ったの」と尋ねられ、「ほらこれ」「あ。それいま読んでるとこ」みたいな会話がつづきましたので、たしかに人がどんな本を買ったのかは気になるものだと思いあたり、それならばと上のような新企画を思いついた次第なのですが、自分が買った本を逐一報告するというのは人前で裸になるようなものだということに気がつきましたので、この新企画は一度だけでボツといたします。 では好評の新企画。
いつまでもお正月気分ではいられませんけど。 |
おろかなことをしてしまいました。本年最初のドジをふんでしまいました。昨日付伝言の「きのう買った本」にあげた『潤一郎ラビリンス 7 怪奇幻想倶楽部』、私は所蔵しておりました。この本の解説に乱歩のことが書かれていると教えてもらい(むろんその相手も場所もいまや鮮明に思い出せるわけですが)、あわてて本屋さんに走ったものであったのですが、それをころっと忘れておりました。 このシリーズ、私は気をつけて買うようにしていたのですが、そのうち自分がどの巻をもっているのかがわからなくなり、あれよあれよというまに当地の書店からふっつりと姿を消してしまいましたので、おととい大阪の書店で眼にして、あ、解説に乱歩が出てくる、と迷わず買い求めた次第でした。全冊そろってはいないにもかかわらずダブりが生じて、潤一郎ラビリンスは私の書棚で無惨な陣容をさらしております。こんな経験は一昨年の夏、光文社文庫版乱歩全集の『十字路』を二冊買い求めて以来のことですが、今年もやっぱりドジを重ねることになるのか。 なんだかやけになって、きょう一日だけの新企画をくりひろげます。
『南方熊楠英文論考』は「南方熊楠資料研究会」で刊行が予告されており、新聞広告も出ましたので名張市内の本屋さんでさがしてみたのですが、当地にまではまわってこない本のようです。大阪の書店で手にとってみたのですが、荷物が重くなるからまたいつか、と思ったのかどうか、買い求めることはしませんでした。 いっぽうの『紙つぶて』は、こんな最終版が出ていたとはつゆ知らず。この本には乱歩文献三篇が収められており、しかし私はPHP文庫の『紙つぶて【完全版】』を所有しておりますから購入する必要はなく、とはいえ最終版のデータはちゃんと記録しておかねばなりません。わずか三篇のために五千円かよ、と本屋さんの店頭では思わず引いてしまったのですが、じつに悩ましい話です。 新年早々、景気のよろしくない話ばかりで困ったものです。 |
お寒うございます。当地はきのう雪でした。昼すぎにはやみましたので、思い立って市中見回りに出てみました。老朽部分の解体がはじまったという新町の細川邸にも立ち寄りました。 裏側から、つまり名張川のほうから撮影した写真で、画面左に見えるのが細川邸の母屋。そのむこうが新町の通りになります。名張市内のみならず当サイトご閲覧の各位にも少なからぬ衝撃をもたらしたあのエジプトの絵は、いつのまにか姿を消しておりました。では惜別の意をこめて。 この写真の左奥に白壁を覗かせている蔵が、上の写真では右側に位置しています。解体工事にともなって、この絵も撤去されてしまったようです。あるいは、ほかの場所に移動されたのか。 ともあれご覧のとおり、細川邸そのものはただの古い民家で、もとより文化財的価値など認められぬ建物なのですが、なじかは知らねどこれをどうしても活用しなければならぬということになっているらしく、いろいろ陰謀が渦巻いているわけです。 いや、陰謀といってしまっては語弊がありますが、ジャスティスやフェアネスからはほど遠い協議検討が進められているのは事実ですから、そんなものが有効かどうか、名張まちなか再生委員会の委員長にお会いしてお考えをお聞きしたい、と委員会事務局に申し入れたのが1月3日のこと。あの話はどうなったのかな。ま、もうしばらくお待ちしてみましょうか。 しかしお待ちはしてみますけど、もしも私の質問に回答する要を認めないというのであれば不誠実、回答できないというのであれば無能力、いずれにしても現在の委員長は適任ではないということになりましょうから、かりに回答もいただけず拝眉の機も得られないとなったときにはどうすればいいのか。次の一手を算段しながら次に進みます。
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本日はいきなりこちら。
そうか、と私は思いました。1996年、毎日のように『探偵小説四十年』をひっくりかえして、名張市立図書館の『乱歩文献データブック』を編集していたときのことです。エディター乱歩、あるいはブックメーカー乱歩は、余白をえらく気にしているな。よし、負けないぞと、別に勝ち負けの問題ではないのですが、私はそう決意しました。 ですから『乱歩文献データブック』には、わずか一行の余白もありません。どのページにも「活字で埋め尽くしたい」という妄執が息苦しいばかりに充満しています。しいていえば索引の最後に余白があるのですが、その中央にはアステリスクが刻印のように配され、余白をいたく気にかけていることが宣言されているのですから、まあ大目に見るように。あまりにも完璧なものは死神のように不吉である、とお思いいただきましょうか。 すなわち私は、乱歩の願望にまで思いはおよびませんでしたものの、『乱歩文献データブック』において「この本を活字で埋め尽くしたい」という乱歩の願望をあやつり人形のように体現していたことになり、こうなるといっそ乱歩に憑依されていたといっても過言ではないでしょう。なんかおそろしい。 |
昨日付「本日のアップロード」でとりあげた「日本推理作家協会会報」1月号は、年明け早々に天城一さんからお送りいただいたものです。 と、こんなプライベートなことを書き記していいものかとも思われるのですが、天城さんのことを気にかけていらっしゃる方もおありかもしれないと勝手に思いなおして、さらにつづけることにいたしますと、去年の暮れ、天城さんから思いがけず歳暮を届けていただきました。高島屋だかどこだかの包装紙をあけると、ワインが二本。 去年の5月、『天城一の密室犯罪学教程』が本格ミステリ大賞を受賞したとき、私は乱歩の生誕地から乱歩になりかわったつもりで木屋正酒造謹製の、大吟醸であったか純米吟醸であったかは失念してしまいましたが、とにかくお酒を一本お送りして祝意を表しておきました。それでかえって気をつかっていただく結果になったのはもとより本意ではないのですが、これはもうありがたく頂戴しておくことにして、天城さんへの礼状をあわただしくしたためるうち、過ぐる一年にうちつづいた不幸の数々が一気にまざまざとよみがえり、天城さんにはそれ以前から本格ミステリ大賞と日本推理作家協会賞のダブル落選のことであれこれと慰めていただいていたのですが、よみがえった不幸にあられもなく半狂乱となった私は、 ──今度はゲッ、ゲスナー賞に落っこちましたあッ。 と出来のわるい受験生みたいな報告を記してしまいました。 天城さんからはおりかえし慰めの書状をいただき、私は返信として葉書をお出ししたのですが、あられもない半狂乱を恥じ入る気持ちもありましたので、できるだけ平静を装って、 ──まあゲスナー賞の場合、乱歩の著書目録のライバルが南方熊楠の目録だったのですから、天国の乱歩も三舎を避けていることでしょう。はっはっは。 みたいな感じで余裕たっぷりなことを書き綴ったところ、葉書にはいまだかなりの余白が残っていました。余白を嫌うこと乱歩のごとく、またケルト民族のごとくである私はその余白に、 ──ところで熊楠目録によれば、熊楠のもとには岩田準一宛の乱歩書簡が一通だけ保存されていたそうです。内容は不明。 みたいなこと(このことは以前この伝言板でもお知らせしましたが)を書き添え、しかし余白はまだ埋まりません。仕方ありませんから、 ──乱歩が準一を介して熊楠の色紙を入手しようとした、そのおねだりの手紙なのではないか。 みたいな推測を記して、それでようやく葉書が文字で埋まりました。その返信が年明けに届いたのですが、 ──乱歩さんが色紙を所望されたと見るのが妥当でしょうね。谷崎のときと同じ目にあわれたでしょうが。 と、天城さんも私と同じご見解でした。私には、乱歩の稚気がとてもいたわしく思われます。 そんなことはともかく、その書状に同封されていたのが「日本推理作家協会会報」の1月号で、 ──『探偵小説四十年』のことが書かれているから、これはおまえがもっていたほうがいいだろう。 とわざわざお送りくださったというわけです。まことにありがたく思いました。天城さんには今年も、よい一年をお過ごしいただきたいと念じております。 ともあれ、天城一さんがお元気で新年を迎えられたことを、ここにお知らせしておきたいと思います。
近年はまた新たな土蔵伝説が生まれているようなのですが、日をあらためて綴りましょう。 |
新たな土蔵伝説について語りたいと思います。 まずは、きのう契約したばかりの Yahoo! ニュース全国紙有料検索サービスで「乱歩 土蔵 幻影城」をチェックします。ヒットは九件。見出しと掲載紙、掲載年月日のデータを列記しましょう。
上記のデータだけなら、Yahoo! ニュースで「乱歩 土蔵 幻影城」を検索すれば無料で知ることができるのですが、有料サービスだと記事を読むことが可能です。九件のうちもっとも古い記事を見てみると──
その次に古い記事では──
ついでですからもういっちょう。
いかんがないかんがな。こんなことではいかんがな。旧乱歩邸の土蔵が幻影城であるなどと、こんなガセネタをかましてはいかんがな。 何が「二階建ての書庫兼書斎の土蔵を、乱歩は『幻影城』と呼び」か。何が「『幻影城』とも呼ばれる乱歩邸の土蔵」か。何が「『幻影城』の名で知られる自宅の一角にある土蔵」か。そんな証拠があるのならとっとともってこい。乱歩がそんなこというわけねーだろーが。 かりそめにも幻影の城主をもってみずから任じ、うつし世は夢である、夜の夢こそまことであると詠じもし、嘆じもした乱歩が、じぶんちの土蔵を幻影城なんて呼ぶわけねーだろというのだ。その日その日の生活の場に幻影の城なんかおっ建ってるわけねーだろというのだ。 Yahoo! ニュースの検索は過去二年間が対象ですから、少なくとも二年前、2004年1月の時点ですでにして、旧乱歩邸の土蔵は乱歩その人によって「幻影城」と呼ばれていた、などというとんでもない与太がマスメディアによってひろめられつつあったということになります。 いかんがなまったく。
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相当うんざりはしましたが、なんとかつぶしてやりました。Yahoo! ニュースの全国紙有料検索サービスを利用して、「乱歩」でひっかかってきた新聞記事、むろんなかには「江戸川乱歩賞を受賞した作家の○○さん」なんてのもありますから、そんなのはいちいち相手にしないで取捨選択し、とりあえず2004年分を「RAMPO Up-To-Date」に反映させました。 2004年といえば、8月に「江戸川乱歩と大衆の21世紀展」が開催され、それにあわせて旧乱歩邸の土蔵が一般公開された年です。乱歩の土蔵が街をゆく美女のごとくに注目を集めたわけですが、ファン心理の反映として土蔵を「幻影城」と呼ぶならわしも、この2004年の夏に一気に一般化したもののようです。そんなならわしは禁断である。いかんがなまったく。 いかんがなではあるのですが、ひろまってしまったものは致し方ありません。これ以上ひろまらないようにという睨みもきかせつつ、乱歩が生まれた名張の地から、乱歩が自分の家の土蔵を「幻影城」と呼んだことなど一度もなかったのだという厳然たる事実を、全国の乱歩ファン初級者やマスメディア、いやもう一般国民にお知らせしておきたいと思います。
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