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2006年4月下旬
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すまんな名張市役所のみなさん。連続講座は都合によりお休みじゃ。またあしたからばんばんかまします。すまんなどうも。
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名張市役所のみなさん。いやまいった。ほんとにまいった。今度こそまいった。死ぬほどまいった。何がまいったかといって、おれはじつは名張市役所のみなさんのことを見くだしていた。見くびっていた。ばかだと思っていた。だってばかにしか見えなかったんだもん。 いやいや、べつに卑下することはありません名張市役所のみなさん。世間をざーっと見渡してごらんなさい。お役所の人間は全員ばかなのだと頭から決めつけて怪しまぬばかなんて普通にごろっちゃらしています。その程度のことでめげてどうするへこんでどうする。とはいえ、私はほとんど名張市役所の例しか知らないのですけれど、あえていえば三重県職員のことなら多少の知識がないこともなく、しかし三重県職員なんてのはやっぱりずいぶんなばかだったぞ。かつて三重県の「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」なる官民合同事業に骨身を惜しまず協力したときのことであるが、おれはすっかり驚いてしまった。出てくる県職員がみんなばかだったからだ。まさかそんなあなたと、とてもにわかには信じられぬようなことを彼らは平気で口にした。最初のうちはこいつら冗談をいっているのかなと私は疑い、そのあと何かの必要があってばかのふりをしているのだろうと思い直し、最終的にはこいつら真性のばかなのだと納得した。それくらいばかであった。むろん頭は悪い。生まれつき頭が不自由なのである。しかもそのばかに磨きがかかっている。お役所の内部でしか通用しない理屈にどっしりあぐらをかいてみずから疑うことをせず、責任のせの字も知りませんという顔をしながら地域住民に不合理や理不尽をえらそうに押しつける。そんなことばっかやってるからどんどん磨きがかかってしまうのである。なんかもうぴっかぴかである。ぴっかぴかのばかである。お役所はばかにとっての磨き砂、サンドペーパーやワックスのたぐいであると知るべきか。そもそも何も説明ができない。どうしてこんなことをしているのか。どうしてこれをしないのか。何を尋ねてもまともに説明できたためしがなかった。ばーか。何やってんだ税金泥棒。 そして私は、名張市役所のみなさんも三重県職員と同レベルであろうと高をくくっていた。どころか、県職員よりさらにひどいかとさえ考えぬでもなかった。なにしろお役人の世界には、国のかた、県のひと、市町村のやつ、という三層構造が存在しており、鰻丼でいえば松竹梅、国家公務員は松であり、地方公務員のうちでも都道府県職員は竹であり、市町村職員は梅であるという冷徹な認識がお役所には内在しているのである。なんだ、てめーら梅かよ。鶯は元気か、ほーほけきょ。 しかし私は間違っておりました。それをわからせてくれたのが中田三男さんのこの投稿でした。
私は驚きました。名張市立図書館の嘱託の人事という些末な情報をご存じのこの方は、おそらくは名張市職員であろうと判断するのがもっとも自然な考え方でしょう。むろん名張市職員が私の開設している掲示板に投稿したなんて、そんなことが露顕したら先日も記しましたとおり石抱きの刑はまぬかれません。ですから中田三男さんは、名張市立図書館における私の上司と一字違いの名前を名乗り、一見いやがらせのようなふうを装って、しかし名張市立図書館が直面しようとしている危機にひそかな警鐘を乱打するというアクロバティックな行動に打って出てくれたわけです。ばかにはとてもできぬ相談。名張市役所のみなさん。みなさんのことを見くだしていてすまんかった。見くびっていて失礼をした。私はここにお詫びを申しあげる次第である。 それでまあ賢明なる私はですね、この中田三男さんの投稿から読みとるべきすべてのことを読みとり、 ──蹶起セヨ。 というメッセージを正当にがっちり真正面からキャッチして、4月15日付伝言にも記しましたそのとおり、 ──おそるべし名張市役所。私の知らぬところに思いもよらぬ俊秀がひそんでいようとは。 との感慨を胸に抱きもしたわけでした。読者諸兄姉よ、ばかの巣窟だのまぬけの牙城だの、名張市役所のことをもうそんなふうにはいわせない。いわせてたまるか。おれが許さん。それはたしかに私とて、名張市はもうだめかもわからんねと思ったことはありました。名張市役所のみならず名張市という場そのものが、これはもうどう見てもおしまいです、ほんとうにありがとうございましたと頭をさげてしまいたくなることがないでもなかった。そのピークはといえば昨年の、そうさな例の怪人19面相が大活躍してくれていた当時、名張エジプト化事件のさなかのあたりででもあったかしら。 ついでですからここでお知らせしておきましょう。名張エジプト化事件ですっかり名を馳せた名張市の市民公益活動実践事業は、4月17日から5月16日までの期間で平成18年度事業を募集しています。怪人19面相君、君は今年も応募してくれるのかな。結構結構。今年はどんな事業を展開してわれわれをびっくりさせてくれるのか、心から楽しみにしているよ。詳細は名張市オフィシャルサイトのこのページでどうぞ。 いやいや、そんなことはどうだってよろしい。要するに私はまいってしまったのである。その話をしていたのである。なぜまいったのか。話はきのうのことにさかのぼります。 きのうの午後、私は名張市立図書館で平成18年度の契約書に調印しました。嘱託として雇ってもらうための契約です。で、その契約書を見て私は驚いた。なぜなら、私は、新年度から、つまり今年の4月1日からですね、 ──乱歩資料と郷土資料の担当嘱託 ということになっていたからです。要するに自慢じゃないけどこの私、乱歩資料の担当嘱託から、乱歩資料と郷土資料の双方を担当する嘱託に出世していたわけなんです。おれは思わず故郷に錦を飾ってやろうかと思ったよ。ご近所に鯛の尾頭つき配ろうかと思ったよ。鎮守の神様である春日神社の屋根にのぼって祝いの餅をまいてやろうかとも思った。 それにいたしましてもしかしさすがに私としても、こればっかりは見事に全然読めませんでした。とても想定できませんでした。私は中田三男さんの投稿と同じ程度のこと、すなわち、 「某市立図書館には、お二人の嘱託員がおられたとか。お一人は言うまでもなく。もうお一方は郷土資料担当だったとのこと。本年度からの嘱託定員数は1名・・・迷わず、郷土資料担当嘱託員が消されたというのは、おもしろいおはなし」 といった程度のことは聞き及んでいて、中田さんがご指摘のとおり「郷土資料担当嘱託員が消された」のだと思っておりました。しかしちがったのね。消えてなかったのね。おれが一人二役で務めることになってたわけなのね。 なんともひどい話である。弥縫もここにきわまれり。よく恥ずかしげもなくここまでの弥縫策に出られたものだ。もとより私とて名張市の台所事情の苦しさは承知しておる。私のような非正規職員の身の上は春の日のはかない命、スプリングエフェメラルのごときものだとは重々承知しておる。名張市における徹底した人件費削減の流れからいえば嘱託でいつづけられるのが不思議なくらいであろう。そんなことはよくよくわかっておるのであるが、それにしたってねえあなた、と思ったその瞬間、私は雷に撲たれたような衝撃をおぼえました。あるメッセージが天啓のごとくもたらされたのを知ったからです。 ──蹶起セヨ。 それはたしかにそう告げていました。この人事に秘められたある意図は、たしかに私の蹶起をうながしていました。 ──おそるべし名張市役所。 どう見てもその場しのぎの弥縫策でしかありません、ほんとうにありがとうございましたと頭をさげたくなるこの人事には、しかし恐ろしい秘密が隠されているのでした。そして私は残りなくそれを見抜き、神の意志を知ったジャンヌ・ダルクのように、あることをあらためて心に誓ったのでした。 ああ、まいった。ほんとにまいった。今度こそまいった。死ぬほどまいった。あすにつづきます。 |
あー頭がくらくらする。眼がちかちかする。読売新聞のオフィシャルサイトで「別の少年に心変わり、被害者がブログで告白」という記事を眼にしたものですからさっそく2ちゃんねるのニュース速報スレッドだとか被害者のブログだとか、中津川中二少女殺害事件の関連ページをずーっと読んでいったら頭がくらくらするわ眼がちかちかするわ、ろくなことがありません。この事件がマスコミとインターネットの双方でどのように扱われているのかを確認し、高校の授業で教材として利用できるかどうかを考えてみようという崇高な職業意識から検索&閲覧をつづけてみたのですが、なんかもうどうでもよくなってきた。どいつもこいつも好きにしろ、という気になってきた。 それにそんなことをしている場合か。お役所の都合でいいように右往左往させられる非正規職員の悲哀をただよわせつつ名張市立図書館の危機について考察しなければならぬ身であるこの私。天下晴れて名張市立図書館の郷土資料担当嘱託ということになったのですから、ここはひとつ名張をテーマにしたブログのひとつも開設し、名張に関する情報を収集し記録し紹介してゆくことも考えなければならんのではないか、名張市の官民双方に対する徹底批判にもさらに磨きをかけてじゃな、ドンパチ上等、ブログの炎上も望むところじゃ、どっからでもかかってこい、わーっはっは、などと妄想しながら中津川中二少女殺害事件の関連ページを眺めておったわけなのですが、実際にはとてもそんなことしている時間がないだろうな。いまでも時間が足りないんだから。 考えれば考えるほどなんだか暗澹としてまいりますので、本日はここらでお開きといたします。
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危篤状態の知人を見舞う日曜日、というのが二週間つづきました。知人といっても同世代ではなく、いわゆる老人の部類に入る知人なのですが、16日には名張市に隣接する伊賀市の、昨23日には橿原神宮が鎮座する奈良県橿原市の病院に足を運びました。さすがにあまり嬉しいものではありません。病人が昏睡しているベッドの横でつきそいの親族から万一のときには弔辞をお願いしますなどと頼まれるのは、どう考えても嬉しいものではないぞまったく。おれもいつまでもばかなことばっかやってられんなとも思いますし。 えーい。またあしただ。
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さて名張市役所のみなさん、名張市立図書館の危機について考察してみたいと思います。とはいうものの、人件費削減の名のもとに郷土資料担当嘱託と乱歩資料担当嘱託とを合体させて「2−1=1」、嘱託の人件費がひとりぶん浮きましたなどと子供だましもいいとこな弥縫策に走っているかぎり、名張市そのものの未来にも重大な危機が待ち受けていることは論をまたぬというべきかもしれません。だいたいが正職員のなかには結構な役立たずがごろごろしておるのであるからして、人件費を削減するのならその手のばかを一掃することからはじめやがれと私など思わぬわけでもないのですが、ばかをきれいに一掃してみたら名張市役所から職員が消えてしまった、みたいなことになってもぐあいはよろしくないでしょう。世の中なかなかに難しい。 しかしながら、こういった危機的状況は名張市立図書館のみならず全国の公立図書館が直面しているものでもあり、それを端的に示すのが図書館運営の民間委託という問題です。2003年に地方自治法の一部が改められ(改正され、とはいってやらない)、公の施設の管理方法に変更が加えられました。いわゆる指定管理者制度の誕生です。「指定管理者制度」を Google 検索してみましょう。トップでひっかかってくるのは日本自治体労働組合総連合、通称自治労連のこのページで、いうまでもなく指定管理者制度に対して批判的な論調が展開されています。ふたつめは指定管理者制度にもとづいて公共施設の管理運営を手がける業者のページ。三番手から五番手までは横浜市、北海道、長野市のオフィシャルサイトで、これらのページでは指定管理者制度のいいところがPRされています。長野市のこのページから引いておきましょう。
ここで図書館業界に眼を転じますと、公立図書館の民間委託に正面から反対する関係者が多い、といっていいように思います。「委託の図書館は公共図書館と言えない」という立場から記された前川恒雄さんと石井敦さんの『新版 図書館の発見』(NHKブックス)から、いささかを引用してみましょう。
なんとも手厳しい。しかしながらこれらの問題は、じつのところ公立図書館がこれまで長く内在させてきたものなのであるというべきでしょう。時間がなくなりましたのでまたあした。
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なんのかんのとあわただしくっていやになりますけど、きのうは三重県立名張高等学校における新年度授業の第二回目、「新聞の読み方」と題して片づけてまいりました。中津川中二少女殺害事件のことも話題にしてみたのですが、卒業の記念にジャージをやりとりする風習は当地には存在しないことがわかりました。似たようなことはやっておるようですけれど。連休の谷間となる来週は「小説版マスコミ論」と題し、筒井康隆さんの「おれに関する噂」を読むことになっております。 さて、きのうのつづきです。 前川恒雄さんと石井敦さんの『新版 図書館の発見』(NHKブックス)で図書館運営の民間委託に関して指摘されている問題点は、じつは公立図書館に長く内在してきたものでもあるのだというあたりにひきつづいて述べますと、まず委託すれば「組織は二重構造」になって「運営の決定と責任がどこにあるのか市民には見えにくい組織になる」という点、それはたしかにそのとおりでありましょうけれど、なにしろお役所です。責任回避が第一義です。決定と責任が市民にはなんとも見えにくいのがお役所というところです。 ですからお役所においては組織の二重構造なんざ朝飯前、ていうかデフォルト。わかりやすい例をあげるならば、さーて、三重県民の税金三億円をどぶに捨てるぞー、となればなんとか委員会とかんとか委員会というふたつの組織をつくってまさしく二重構造、決定と責任を市民に見えにくくしてしまうのがお役所ですし、さーて、名張のまちなかでリフォーム詐欺ぶちかますぞー、となればなんとか委員会とかんとか委員会というふたつの委員会をつくってまさしく二重構造、決定と責任を市民に見えにくくしてしまうのもお役所です。それこそがお役所の体質というやつなんですから、民間委託がどうのこうのという以前に問題はすぐそこに存在しているのだというべきでしょう。 あるいは、公立図書館のスタッフは「全体の奉仕者としての公務員でなければならない」のもあったりまえの話ではあるのですが、それならば名張市役所のみなさんや、胸に手をあててみずからを省みていただきたいのですけれど、みなさんは自分が「全体の奉仕者」であるという自覚と誇りと責任とをもって日々の職務にご精励でしょうか。かなりあやしい感じだぜ。少なくとも私の見るところ、地域住民には完全に背を向けてほとんど盲目的にお役所というシステムに奉仕している奉仕者、みたいな人も少なからず存在していらっしゃるようです。ちなみにひるがえりましてこの私など、自慢ではありませんが乱歩を愛するすべての人のための奉仕者であると自認し、及ばずながら微力を尽くしている毎日なんですから、いってみれば公務員の鑑か。名張市役所のみなさんや、私のものでよろしければ爪の垢くらいいつだって進ぜますから。 さらにまた、民間委託によって「市民に接する者と方針を決める者との間に断絶」が生じるとされる点、これもまた現状においてすでに断絶が見られるというのが正直なところではないでしょうか。いやそれ以前に、そもそも図書館運営に関する確固たる方針などというものが存在しているのかどうか。これもずいぶんあやしいものだぜ。私の場合でいいますと、名張市立図書館にもはたまた名張市教育委員会にも、乱歩に関する方針なんてなーんにも存在しておりません。私は乱歩資料担当嘱託を拝命したあと当時の教育長に、えー、名張市教育委員会のかしこきあたりにおかれましては乱歩のことをどうお考え? とお伺いを立ててみもしたのですけれど、なーんにも回答がなくって以来そのまんま、というのが実情です。ですから断絶も何も、乱歩を愛するすべての人に直接接する奉仕者である私がすなわち方針をも定めているといっても過言ではありません。 したがいまして『新版 図書館の発見』から昨日引用したところに関していいますと、そこに記された問題は公立図書館にすでにして長く根深く存在しているものであり、むろん委託によってそれが深刻化することはあるでしょうけれど、民間委託にともなう決定的な差異と見るには無理があるように思われます。 『新版 図書館の発見』からもう少し引いてみましょう。
このあたりも現実に即して考えるならば、人件費節約のため臨時職員に頼っているのが全国の公立図書館の現状ではないかと推測されます。で、全国の臨時職員は結構まじめにやっているのではないかしら。中田三男さんの投稿への返信として掲示板「人外境だより」に記したところから抜粋しておきますと── 「さるにても、普通の人間が気にもとめないお役所の嘱託職員や臨時職員の配置にまでちゃんと目配りしていただいて、じつにありがたいことだと感じ入っております。普通の人間が気にもとめない、というよりは、お役所そのものが気にもとめない、といったほうがいいのかもしれません。といいますのも、お役所にとって嘱託職員だの臨時職員だのは要するに単なる使い捨て要員、半年単位の契約でいいようにつかったあげくお役所の都合であっさりクビを切ることのできる存在でしかないからです。正職員にはきわめて手厚く、そうでない職員には掌を返したように冷酷であるというこの非人間的システムは、しかしおそらくは全国の公立図書館を支える屋台骨のようなものなのであって、将来に何の保証もないまま黙々と日々の業務に精励している臨時職員の存在なしにすらすら運営できる公立図書館なんて、もしかしたら日本のどこにもないのではないかと私は思っているのですが、そこへもってきて難儀なのが指定管理者制度、要するに官から民へという世の中の表層の流れです」 したがいまして、公立図書館には「将来の保障のない労働をしている人」の問題もまた以前から確実に存在していたのである、といってしまっていいのではないかと私には思われます。
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上中下ではとても終わらず、松竹梅を追加してなお収まらず、とうとう斧琴菊の三連戦に突入してしまいましたが、本日もつづけましょう。 前川恒雄さんと石井敦さんの『新版 図書館の発見』(NHKブックス)からもう少し引いてみましょう。
ここに指摘されているのは民間委託によってもたらされるであろう問題なのですが、はっきりいっていま現在の公立図書館が抱えている問題でもあります。お役所というシステムからの当然の要請として職員はころころ替わらざるを得ませんし、財政難にあえぐ全国の地方自治体にとって「安上がりを第一にする」のはいまや至上命令だといってよろしかろう。だからこそ名張市立図書館においても運営に不可欠であるはずの郷土資料担当嘱託がクビになり、と思っていたら私が郷土資料担当嘱託と乱歩資料担当嘱託とを兼務するというほとんどイリュージョンみたいな弥縫策が堂々と展開されることになったわけです。 つづくところは──
これはいえてる。とくに名張市の場合は1960年代に大規模住宅地の開発がスタートして大阪のベッドタウン化がはじまり、関西圏からの流入人口がどっとばかりに増えつづけましたから、お役所における窓口の対応ひとつをとってみましても、都市的行政サービスに慣れたニューカマーにびしばし鍛えられたおかげさまをもちましてですね、名張市においては飛躍的に「公務員の態度がよくなる」傾向が見られたと私には思われます。少なくとも旧上野市の市役所と比較すれば、その差は歴然としていたといっていいでしょう。 いやいや、よそのなんちゃって自治体のことなんかどうでもよろしい。問題は図書館です。
ぶっちゃけ問題はこれなわけです。公立図書館はお役所という名のヒエラルキーに組み込まれていて、しかも職員からはあまりうれしがられないセクションである。なにしろ「図書館に配属されると左遷と見なされ」、「本も図書館も好きではない職員が大部分を占めてい」るというのが世の公立図書館なのであると、この本にはそのように書いてありますし、それはおおむね事実でもあるでしょう。つまり問題は民間委託ではなく、いま現在の図書館そのものに存在しているという寸法です。 だから私は、図書館の運営を民間委託することの危険性みたいなものは重々承知しているつもりではいるのですが、それでも民間委託はばんばんやったれとあえて主張し、名張市立図書館の内部におきましても機会があれば民営化こそチャンスなりと説いている次第です。
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危篤状態の人間というのはやはり死なねばならぬもののようです。しかし困った。あす29日は慶事の席に招かれているのですが、弔辞を読まねばならぬ葬礼の予定が割り込んできました。日程はどうなるのか。いやほんとに困ったな。ともあれ本日はこのへんで。
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休み休みで恐縮ですが、名張市職員のための図書館危機講座、斧琴菊もいよいよ菊となります。あまりよいことはお聞きいただいてませんけど、とにもかくにも名張市立図書館の危機はそのまま全国の公立図書館の危機に通じるものでもあって、官から民へという大きな流れ、すなわち全国の公立図書館において民間委託への移行が進行しつつあるという事実にはもう抗しようがありません。あらがうすべがありません。そしてたしかに民間委託には見過ごしにできない問題が少なからず内包されているわけなのですが、そうした問題点は公立図書館に長く伏在してきたものでもあると私は思います。以上、これまでの要約。 以前にも引きましたが、吉村昭さんの『わたしの流儀』(新潮文庫)に収録された「図書館」から引用してみますと──
ここに指摘されている問題点は、「都市の文化度」を如実に示す図書館という施設の重要性がお役所の人たちにあまり理解されていないみたいだ、ということでしょう。しかもその認識には自治体によってばらつきがあり、図書館を「ないがしろ」にしているひどい自治体もあるいっぽうで(ないがしろにされた図書館というのは、要するに民間委託によってもたらされる弊害を先取りしたような図書館であるといっていいのかもしれません)、地域資料に関するエキスパートが配置されていて「この図書館に来てよかった」と思わせてくれる図書館もある。ですから結局のところ、地域の図書館はどういう施設であるべきなのか、それをきちんと認識しているスタッフが存在していないことには、運営主体が官であろうと民であろうとだめな図書館はだめなのであるということになるのではないでしょうか。 かるがゆえに私は、民営化こそはチャンスであると考えるものである。 読者諸兄姉もお近くの公立図書館をじっくりとご覧になられるがよろしい。そこにはどんな図書館があるか。お役所の論理とお役人の体質にがんじがらめにされている図書館、「自治体の選挙の票につながらぬ」との理由から顧みられることが少なく、お役所というヒエラルキーのなかで重きを置かれることがまったくない図書館、「土木部であったり通商部であったり」そんなセクションから館長が赴任してくる図書館、その地域における「生き字引のような人」が親切にサービスを提供すべき施設でもあるというのに、お役所の人たちからあんなものはただの無料貸本屋であり職員の左遷先でもあると思われているらしい図書館……。 しかし、いまや全国の公立図書館は民間委託をこそ奇貨としていっせいに蹶起すべきではないのか。お役所に叛旗をひるがえすべきではないのか。お役所のくびきをみずから解き放ち、真に地域に根ざした図書館に生まれ変わるための好機が到来しているのではないのか。私はそのように考えているわけなのですが、名張市役所のみなさん、みなさんはどうお考えなのでしょうか。ていうか、あんたらは何も考えてなどおらんのであろうな。そのことに思いいたるたび、おれはもうほんとにだれてしまう。やんなっちゃう。牛や馬を相手に喋っているような気分になってしまう。 だからもうしゃーないのか。名張市職員のみなさんに市立図書館の危機を説き、危機こそ好機であると訴えてみたところでしゃーないのか。実際にはごくごく簡単な話で、民間委託が吉と出るか凶と出るかは関係者の知恵次第という寸法なのですけれど、みなさんに知恵を期待するのは無理な話なのか。しかしお役所に知恵がないのははなから知れたことなのですから、無理を承知でもう少しつづけるか。やれやれ。
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気がついたら世間は連休ですから連続講座もお休みといたします。飲みすぎでしんどくもありますし。
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