2006年4月下旬
21日 22日 23日 24日 25日 26日 27日 28日 29日 30日
 ■ 4月21日(金)
名張市職員のための図書館危機講座 休

 すまんな名張市役所のみなさん。連続講座は都合によりお休みじゃ。またあしたからばんばんかまします。すまんなどうも。

  本日のアップデート

 ▼2006年4月

 『ブラックウッド』誌流の作品の書き方/ある苦境 エドガー・アラン・ポオ

 あーら不思議、その名を早口で十回となえるとたちどころに江戸川乱歩が現れると三重県立名張高等学校のごくごく一部の生徒のあいだで話題沸騰中なのが米国人作家エドガー・アラン・ポーなのですが、そのポーの短篇「『ブラックウッド』誌流の作品の書き方/ある苦境」が気軽に読めるようになりました。岩波文庫の4月の新刊『黄金虫・アッシャー家の崩壊 他九篇』に収録されたからです。

 この作品が乱歩の「魔術師」における時計塔の殺人に火種を提供したいわゆる元ネタであるということは(名張高校の女子生徒たちならば歯に衣を着せず「パクリ」という表現を用いることでしょうが)、昨年でしたか掲示板「人外境だより」で藤原編集室の藤原義也さんから教えていただきました。詳細は「本棚の中の骸骨:藤原編集室通信」の「エドガー・アラン・ポオ 「ブラックウッド風の記事を書く作法」」でどうぞ。

 読んでみますとなかなか面白い作品で、小説作法の指南と実践の二部構成。その実践篇である「ある苦境」に時計塔のギロチンが登場してくるわけですが、古典的な笑劇のパターンを踏襲したファルスでありながらいっそフランスのシュールレアリスム派を髣髴とさせもする黒いユーモアに充ちた一篇となっております。

 一人称の女主人公「あたくし」は、ポンピーという下僕とダイアナというプードルとをひきつれて大伽藍の尖塔にある大時計の内部に侵入し、巨大な文字盤にあけられた穴から首を突き出して下界を眺めやるのですが──

 この口論がおわってから三十分ほどしてからのことだった。眼下の天上的な風景に陶然として忘我の境にいたとき、何かひどく冷たいものがうなじをそっと圧すのを感じて、ハッと我に返った。あたくしがひどく驚愕したことは言うまでもない。ポンピーはあたくしの足もとにいる。ダイアナはあたくしの命令にしたがって、部屋のいちばん遠い片隅できちんとお坐りをしている。それがわかっているだけに、気味がわるい。いったい何が触れたのだろうか? ああ! 正体はすぐわかった。頭を片側にそっとひねって、慄然として見てとったのは、あの巨大な、キラキラ光る、偃月刀のような時計の長針が、一時間かけて一周するその途中で、いまやあたくしのうなじに落ちかかろうとしていることだった。もう一瞬の猶予もない。あたくしは身を引いた──が、すでに遅すぎた。かくも見事にあたくしの頭を捕らえてしまった恐るべき罠の口から頭を抜き取る可能性は千に一つもなかった。それどころか、開口部は考えるのも恐ろしい速度で狭まってゆく。その瞬間の恐怖は想像を絶していた。あたくしは両手をさしのべ、あらんかぎりの力を振りしぼって、その重々しい鉄の棒を押しあげようとしてみたが、それは伽藍そのものを持ちあげようとするのと同様に無益だった。下へ、下へと、それはじりじり迫ってきた。ポンピーに助けを求めた。だがポンピーは「無学な老いぼれの藪にらみめ」〔an ignorant old squint-eye〕とあたくしに言われたことで気分を害していると答えただけだった。ダイアナにもわめいてみたが、「ワン、ワン、ワン」と鳴き、「どんなことがあっても、その場から動いてはだめ」と言ったのはどなた? と口答えをするありさま。かくして、あたくしはすべての仲間に裏切られたのだった。

 以下、大時計の針によってついに切断された頭が尖塔の斜面を転がり道路に落下するさまを当の女主人公が目撃する、という乱歩にはとてもできなかったはずの反合理主義的な展開が読者を楽しませてくれます。

 ところで乱歩は、このシーンをいったいどんなぐあいに換骨奪胎したのか(女子高生なら血も涙もなく「パクったのか」と表現することでしょうが)。ちょっと引いてみましょう。

魔術師 断頭台
 ところが、そうしている間に、嘗つて聞いたこともない滑稽な、併し同時に身の毛もよだつ程恐ろしい事柄が起った。

 一郎は少し前から頸のうしろに、妙な圧迫を感じていたが、屋根に気をとられて、それが何であるかを考える余裕がなかった。だが、その圧迫感は、やがて、ジリジリと、不気味な鈍痛に変り、はては、耐え難き痛みとなった。

 最初は何が何だか訳が分らなかった。怪物が上の方から彼の油断を襲ったのではないかと、一時はギョッとしたが、頸を圧えているものは、何かしら非人間的な、機械的な物体であることが感じられた。

 彼は申す迄もなく、首を引込めようとした。だが、もう遅かった。見えぬ物体の為に圧迫され、頸が穴の縁につかえて、どうもがいても、首を引出すことは出来なかった。

 頸の痛みは刻一刻増すばかりだ。その時、やっと、彼を苦しめている物体が何物であるかということが分った。彼は笑い出した。真底からおかし相に笑い出した。世の中にこんな滑稽なことがあるだろうか。彼の首を押えていたのは、大時計の針であった。

 針といっても、長さ一間、巾一尺もある鋼鉄製の剣だ。その楔形の鋭くなった一端が、彼の頸の肉にジリジリと喰い入っているのだ。

 彼は頸に力を入れて、その針を押上げようとした。だが、大ゼンマイの力は、存外強かった。針はビクとも動かぬ。力を入れれば入れる程、頸の肉がちぎれる様に痛むばかりだ。

 吹き出し度い程馬鹿馬鹿しい出来事だった。しかし、哀れな人間の力には、この巨大なる機械力を、どう喰い止めるすべもないのだ。

 余りの不様さ恥しさに、助けを求めることを躊躇している間に、大振子の一振り毎に、針は遠慮なく下って来た。最早や耐え難い痛みだ。

 恐怖と背中あわせになった馬鹿馬鹿しいほどの滑稽──。乱歩はポーのファルスから、大時計の針による殺人という設定のほかに、質はやや異なりますものの笑いの要素もまたひそかに借用したのだと私には見える次第であるのですが、読者諸兄姉はいかがお考えでしょうか。

 ところで、「本棚の中の骸骨:藤原編集室通信」に真田啓介さんの「犯罪と探偵──「陰獣」論」が掲載されておりましたので、ポー作品とは無縁なことながらここでお知らせしておきます。初出は1985年2月刊の個人誌「書斎の屍体」第二号、執筆者名義は那柴研夫。当サイト「乱歩文献データブック」にさっそくリンクを記載しておかねば。


 ■ 4月22日(土)
名張市職員のための図書館危機講座 松

 名張市役所のみなさん。いやまいった。ほんとにまいった。今度こそまいった。死ぬほどまいった。何がまいったかといって、おれはじつは名張市役所のみなさんのことを見くだしていた。見くびっていた。ばかだと思っていた。だってばかにしか見えなかったんだもん。

 いやいや、べつに卑下することはありません名張市役所のみなさん。世間をざーっと見渡してごらんなさい。お役所の人間は全員ばかなのだと頭から決めつけて怪しまぬばかなんて普通にごろっちゃらしています。その程度のことでめげてどうするへこんでどうする。とはいえ、私はほとんど名張市役所の例しか知らないのですけれど、あえていえば三重県職員のことなら多少の知識がないこともなく、しかし三重県職員なんてのはやっぱりずいぶんなばかだったぞ。かつて三重県の「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」なる官民合同事業に骨身を惜しまず協力したときのことであるが、おれはすっかり驚いてしまった。出てくる県職員がみんなばかだったからだ。まさかそんなあなたと、とてもにわかには信じられぬようなことを彼らは平気で口にした。最初のうちはこいつら冗談をいっているのかなと私は疑い、そのあと何かの必要があってばかのふりをしているのだろうと思い直し、最終的にはこいつら真性のばかなのだと納得した。それくらいばかであった。むろん頭は悪い。生まれつき頭が不自由なのである。しかもそのばかに磨きがかかっている。お役所の内部でしか通用しない理屈にどっしりあぐらをかいてみずから疑うことをせず、責任のせの字も知りませんという顔をしながら地域住民に不合理や理不尽をえらそうに押しつける。そんなことばっかやってるからどんどん磨きがかかってしまうのである。なんかもうぴっかぴかである。ぴっかぴかのばかである。お役所はばかにとっての磨き砂、サンドペーパーやワックスのたぐいであると知るべきか。そもそも何も説明ができない。どうしてこんなことをしているのか。どうしてこれをしないのか。何を尋ねてもまともに説明できたためしがなかった。ばーか。何やってんだ税金泥棒。

 そして私は、名張市役所のみなさんも三重県職員と同レベルであろうと高をくくっていた。どころか、県職員よりさらにひどいかとさえ考えぬでもなかった。なにしろお役人の世界には、国のかた、県のひと、市町村のやつ、という三層構造が存在しており、鰻丼でいえば松竹梅、国家公務員は松であり、地方公務員のうちでも都道府県職員は竹であり、市町村職員は梅であるという冷徹な認識がお役所には内在しているのである。なんだ、てめーら梅かよ。鶯は元気か、ほーほけきょ。

 しかし私は間違っておりました。それをわからせてくれたのが中田三男さんのこの投稿でした。

中田 三男   2006年 4月10日(月) 17時21分  [219.54.8.81]

雨風便りをひとつ。某市立図書館には、お二人の嘱託員がおられたとか。お一人は言うまでもなく。もうお一方は郷土資料担当だったとのこと。本年度からの嘱託定員数は1名・・・迷わず、郷土資料担当嘱託員が消されたというのは、おもしろいおはなし。嘘でも本当でもどうでもいいが。

 私は驚きました。名張市立図書館の嘱託の人事という些末な情報をご存じのこの方は、おそらくは名張市職員であろうと判断するのがもっとも自然な考え方でしょう。むろん名張市職員が私の開設している掲示板に投稿したなんて、そんなことが露顕したら先日も記しましたとおり石抱きの刑はまぬかれません。ですから中田三男さんは、名張市立図書館における私の上司と一字違いの名前を名乗り、一見いやがらせのようなふうを装って、しかし名張市立図書館が直面しようとしている危機にひそかな警鐘を乱打するというアクロバティックな行動に打って出てくれたわけです。ばかにはとてもできぬ相談。名張市役所のみなさん。みなさんのことを見くだしていてすまんかった。見くびっていて失礼をした。私はここにお詫びを申しあげる次第である。

 それでまあ賢明なる私はですね、この中田三男さんの投稿から読みとるべきすべてのことを読みとり、

 ──蹶起セヨ。

 というメッセージを正当にがっちり真正面からキャッチして、4月15日付伝言にも記しましたそのとおり、

 ──おそるべし名張市役所。私の知らぬところに思いもよらぬ俊秀がひそんでいようとは。

 との感慨を胸に抱きもしたわけでした。読者諸兄姉よ、ばかの巣窟だのまぬけの牙城だの、名張市役所のことをもうそんなふうにはいわせない。いわせてたまるか。おれが許さん。それはたしかに私とて、名張市はもうだめかもわからんねと思ったことはありました。名張市役所のみならず名張市という場そのものが、これはもうどう見てもおしまいです、ほんとうにありがとうございましたと頭をさげてしまいたくなることがないでもなかった。そのピークはといえば昨年の、そうさな例の怪人19面相が大活躍してくれていた当時、名張エジプト化事件のさなかのあたりででもあったかしら。

 ついでですからここでお知らせしておきましょう。名張エジプト化事件ですっかり名を馳せた名張市の市民公益活動実践事業は、4月17日から5月16日までの期間で平成18年度事業を募集しています。怪人19面相君、君は今年も応募してくれるのかな。結構結構。今年はどんな事業を展開してわれわれをびっくりさせてくれるのか、心から楽しみにしているよ。詳細は名張市オフィシャルサイトのこのページでどうぞ。

 いやいや、そんなことはどうだってよろしい。要するに私はまいってしまったのである。その話をしていたのである。なぜまいったのか。話はきのうのことにさかのぼります。

 きのうの午後、私は名張市立図書館で平成18年度の契約書に調印しました。嘱託として雇ってもらうための契約です。で、その契約書を見て私は驚いた。なぜなら、私は、新年度から、つまり今年の4月1日からですね、

 ──乱歩資料と郷土資料の担当嘱託

 ということになっていたからです。要するに自慢じゃないけどこの私、乱歩資料の担当嘱託から、乱歩資料と郷土資料の双方を担当する嘱託に出世していたわけなんです。おれは思わず故郷に錦を飾ってやろうかと思ったよ。ご近所に鯛の尾頭つき配ろうかと思ったよ。鎮守の神様である春日神社の屋根にのぼって祝いの餅をまいてやろうかとも思った。

 それにいたしましてもしかしさすがに私としても、こればっかりは見事に全然読めませんでした。とても想定できませんでした。私は中田三男さんの投稿と同じ程度のこと、すなわち、

 「某市立図書館には、お二人の嘱託員がおられたとか。お一人は言うまでもなく。もうお一方は郷土資料担当だったとのこと。本年度からの嘱託定員数は1名・・・迷わず、郷土資料担当嘱託員が消されたというのは、おもしろいおはなし」

 といった程度のことは聞き及んでいて、中田さんがご指摘のとおり「郷土資料担当嘱託員が消された」のだと思っておりました。しかしちがったのね。消えてなかったのね。おれが一人二役で務めることになってたわけなのね。

 なんともひどい話である。弥縫もここにきわまれり。よく恥ずかしげもなくここまでの弥縫策に出られたものだ。もとより私とて名張市の台所事情の苦しさは承知しておる。私のような非正規職員の身の上は春の日のはかない命、スプリングエフェメラルのごときものだとは重々承知しておる。名張市における徹底した人件費削減の流れからいえば嘱託でいつづけられるのが不思議なくらいであろう。そんなことはよくよくわかっておるのであるが、それにしたってねえあなた、と思ったその瞬間、私は雷に撲たれたような衝撃をおぼえました。あるメッセージが天啓のごとくもたらされたのを知ったからです。

 ──蹶起セヨ。

 それはたしかにそう告げていました。この人事に秘められたある意図は、たしかに私の蹶起をうながしていました。

 ──おそるべし名張市役所。

 どう見てもその場しのぎの弥縫策でしかありません、ほんとうにありがとうございましたと頭をさげたくなるこの人事には、しかし恐ろしい秘密が隠されているのでした。そして私は残りなくそれを見抜き、神の意志を知ったジャンヌ・ダルクのように、あることをあらためて心に誓ったのでした。

 ああ、まいった。ほんとにまいった。今度こそまいった。死ぬほどまいった。あすにつづきます。

  本日のアップデート

 ▼2006年3月

 乱歩励ました額 故郷に/推理小説草分け 不木の書、蟹江町展示へ

 本日は二本立てです。一本目は3月22日付朝日新聞名古屋本社版夕刊の記事。

 日本の推理小説の草分け的存在である小酒井不木が江戸川乱歩に贈った書入りの額=写真=が、不木の故郷の愛知県蟹江町に帰ってきた。乱歩の孫で雑誌「とれいん」編集長、平井憲太郎さん(55)が同町に寄贈した。町では、歴史民俗資料館の小酒井不木資料室に説明文などの準備をして、4月中旬にも展示する。

 この額は、「子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集」の中にも出てくる。不木が1928(昭和3)年7月3日付で出したはがきに「額面二枚、とにも角にも御送り致しました」と書かれたうちの1枚。論語の「子不語怪力乱神」からとった「子不語」の3文字が力強く端正な筆致で書かれている。

 とくに説明の要はないと思います。

 蟹江町出身作家 小酒井不木の書/江戸川乱歩の孫が寄贈/平井さん 町歴史民俗資料館に 上田寿行

 つづいて二本目。3月23日付中日新聞尾張版の記事です。

 不木から贈られた「子不語」の額は、乱歩が亡くなるまで自宅の応接間に飾られていたという。

 孫の平井さんの好意で同資料館へ寄贈されることになり、学芸員の伊藤和孝さんが東京都内の平井さん宅を訪ね、不木研究家の阿部崇さんの立ち会いの下、額を受け取った。

 乱歩宅の応接間に長く飾ってあったため、額には、出入りしていた友人や知人、編集者らのたばこのヤニが染み付いているが、資料館では、その汚れにも歴史的価値があるとして、あえて洗浄しないことにした。

 これらの新聞記事に関しては、蟹江町歴史民俗資料館主任学芸員の伊藤和孝さん、小酒井不木研究家にして平井家公認立会人の阿部崇さん、とくにこれといった肩書を存じあげていないのが心苦しいほりごたつさんのお三方にお世話をおかけしました。お礼を申しあげます。


 ■ 4月23日(日)
名張市職員のための図書館危機講座 竹

 あー頭がくらくらする。眼がちかちかする。読売新聞のオフィシャルサイトで「別の少年に心変わり、被害者がブログで告白」という記事を眼にしたものですからさっそく2ちゃんねるのニュース速報スレッドだとか被害者のブログだとか、中津川中二少女殺害事件の関連ページをずーっと読んでいったら頭がくらくらするわ眼がちかちかするわ、ろくなことがありません。この事件がマスコミとインターネットの双方でどのように扱われているのかを確認し、高校の授業で教材として利用できるかどうかを考えてみようという崇高な職業意識から検索&閲覧をつづけてみたのですが、なんかもうどうでもよくなってきた。どいつもこいつも好きにしろ、という気になってきた。

 それにそんなことをしている場合か。お役所の都合でいいように右往左往させられる非正規職員の悲哀をただよわせつつ名張市立図書館の危機について考察しなければならぬ身であるこの私。天下晴れて名張市立図書館の郷土資料担当嘱託ということになったのですから、ここはひとつ名張をテーマにしたブログのひとつも開設し、名張に関する情報を収集し記録し紹介してゆくことも考えなければならんのではないか、名張市の官民双方に対する徹底批判にもさらに磨きをかけてじゃな、ドンパチ上等、ブログの炎上も望むところじゃ、どっからでもかかってこい、わーっはっは、などと妄想しながら中津川中二少女殺害事件の関連ページを眺めておったわけなのですが、実際にはとてもそんなことしている時間がないだろうな。いまでも時間が足りないんだから。

 考えれば考えるほどなんだか暗澹としてまいりますので、本日はここらでお開きといたします。

  本日のアップデート

 ▼1977年4月

 空襲のあと 色川武大

 『怪しい来客簿』に収録された短篇です。

 焼け跡はもうどこにもなくて、あのおびただしい灰も地層の下に沈んでいるので、若い人にその感じを伝えるのが容易でない。

 戦後の焼跡時代には、たとえば上野の山から東を見ると、浅草六区の興業街まで何もなく、牛込の私の生家附近から国会議事堂の頭が直接見えた。

 その頃、一部の人の間で語られた話に、江戸川乱歩さんの怪談というのがある。乱歩氏の経験談だそうだが、私は乱歩さんにパーティの席上などでチラとお目にかかったきり、一度も親しく口をきいていただいたことはない。で、この話は、当時の推理作家か、その周辺の人からきいたのだと思う。

 国電田端駅は、一方に上野の山が迫り、崖及び土手になっている。他の一方は、千住、浅草まで通ずる下町で、当時は見渡す限りの焼跡だった。

 ある夜、乱歩さんは田端駅を山側の方に出て、知人の家へ行くために線路伝いの土手の細道を登った。国電はかなり下を通っており、切りたった崖になっていて、おりおり飛びこみがあるところだ。

 むろん暗い。その細道に女の人が線路を見おろすようにして佇んでいる。乱歩さんは何の気なしに歩いていって、その女の人すれすれに歩きすぎた。

 水を浴びたような心持ちがして、少し行ってから振りかえった。佇んでいる女の人をシルエットにして、その向こうに下町の焼跡の夜景が拡がって見える。

 浅草の国際劇場の屋上にあった廻転サーチライトの細長い光の帯が、徐々にこちらに廻ってくる。

 その光の帯がこちらに廻ってきて、女の人の身体で遮ぎられず、黒いシルエットを透すようにし動いていくのが見えた──。

 当時の夜景や国際劇場の光の筋をご存じの向きにはなつかしいような話ではあるまいか。


 ■ 4月24日(月)
名張市職員のための図書館危機講座 休

 危篤状態の知人を見舞う日曜日、というのが二週間つづきました。知人といっても同世代ではなく、いわゆる老人の部類に入る知人なのですが、16日には名張市に隣接する伊賀市の、昨23日には橿原神宮が鎮座する奈良県橿原市の病院に足を運びました。さすがにあまり嬉しいものではありません。病人が昏睡しているベッドの横でつきそいの親族から万一のときには弔辞をお願いしますなどと頼まれるのは、どう考えても嬉しいものではないぞまったく。おれもいつまでもばかなことばっかやってられんなとも思いますし。

 えーい。またあしただ。

  本日のアップデート

 ▼2005年2月

 怪奇四十面相 江戸川乱歩

 中島河太郎先生の解説から引いておきます。

解説 ユーモラスで奇抜な変装術
 もともと、二十面相と呼ばれたのは、イギリスの作家トーマス・ハンショーの『四十面相のクリーク』という作品の義賊の名から、著者が思いついてつけたものだと思います。それにヒントを得たのですが、日本でせっかくなじみになったのに、わざわざ改名する必要はなかったのです。四十面相になったからといって、これまでの二十面相と変わったわけではないのですから、これは、著者の失敗だったと思います。

 その証拠に、昭和三十三年に「ふしぎな人」という作品を「たのしい二年生」に連載し、翌年「たのしい三年生」に続けて載せましたが、題名を「名たんていと二十めんそう」と改題したとき、こんな言いわけをしているのです。

 「かいじん四十めんそうのもとの名はかいじん二十めんそうです。あるとき、自分は、二十どころではなく四十ものちがった人人に化けることができるというので、四十めんそうと名まえをかえたのですが、世間には、二十めんそうのほうが、よく知られていますので、このお話では、二十めんそうとよぶことにしましょう」

と、わざわざことわっているのです。


 ■ 4月25日(火)
名張市職員のための図書館危機講座 梅

 さて名張市役所のみなさん、名張市立図書館の危機について考察してみたいと思います。とはいうものの、人件費削減の名のもとに郷土資料担当嘱託と乱歩資料担当嘱託とを合体させて「2−1=1」、嘱託の人件費がひとりぶん浮きましたなどと子供だましもいいとこな弥縫策に走っているかぎり、名張市そのものの未来にも重大な危機が待ち受けていることは論をまたぬというべきかもしれません。だいたいが正職員のなかには結構な役立たずがごろごろしておるのであるからして、人件費を削減するのならその手のばかを一掃することからはじめやがれと私など思わぬわけでもないのですが、ばかをきれいに一掃してみたら名張市役所から職員が消えてしまった、みたいなことになってもぐあいはよろしくないでしょう。世の中なかなかに難しい。

 しかしながら、こういった危機的状況は名張市立図書館のみならず全国の公立図書館が直面しているものでもあり、それを端的に示すのが図書館運営の民間委託という問題です。2003年に地方自治法の一部が改められ(改正され、とはいってやらない)、公の施設の管理方法に変更が加えられました。いわゆる指定管理者制度の誕生です。「指定管理者制度」を Google 検索してみましょう。トップでひっかかってくるのは日本自治体労働組合総連合、通称自治労連のこのページで、いうまでもなく指定管理者制度に対して批判的な論調が展開されています。ふたつめは指定管理者制度にもとづいて公共施設の管理運営を手がける業者のページ。三番手から五番手までは横浜市、北海道、長野市のオフィシャルサイトで、これらのページでは指定管理者制度のいいところがPRされています。長野市のこのページから引いておきましょう。

 平成15年9月2日に地方自治法の一部が改正され、「公の施設」(スポーツ施設、都市公園、文化施設、社会福祉施設など住民の福祉を増進する目的で、大勢の市民の皆さんに利用していただくために設置された施設)の管理方法が「管理委託制度」から「指定管理者制度」に移行されました。

 「公の施設」の管理運営については、これまで市の出資法人((財)長野市体育協会、(社)長野市開発公社、(株)エムウエーブ等)、公共団体(一部事務組合、財産区等)及び公共的団体((社福)社会福祉協議会、(社福)社会事業協会等)だけにしか委託することができませんでした。

 しかし、指定管理者制度の導入により、今後は民間の事業者、NPO法人、ボランティア団体なども含めて広く公募し、費用、企画などの提案内容から判断して、よりふさわしい施設の管理者を決めていくことになりました。(ただし、学校、道路、河川など個別の法によるものは、この指定管理者制度の対象とはなりません。)

 近年ではスポーツジムなどの体育施設、集会施設、美術館、福祉施設等の運営において、民間事業者によって十分なサービスの提供が行われており、民間の効果的・効率的な手法を「公の施設」にも活用することが有効と考えられ、経費削減や利用者に対するサービスの向上などが期待できます。

 ここで図書館業界に眼を転じますと、公立図書館の民間委託に正面から反対する関係者が多い、といっていいように思います。「委託の図書館は公共図書館と言えない」という立場から記された前川恒雄さんと石井敦さんの『新版 図書館の発見』(NHKブックス)から、いささかを引用してみましょう。

 委託という組織は二重構造になる。まるまる委託する場合はもちろん、役所から派遣職員が送り込まれ、実務をこなす委託職員をコントロールする場合でも同様である。運営の決定と責任がどこにあるのか市民には見えにくい組織になる。議会などで図書館の問題が取り上げられたときも、市民が直接意見を言ったときも、誰が答弁するのか、どこまで責任ある答弁になるのか。

 一五〇年前から、図書館は、市民の税金で設立され、市民に替わって運営の実務をするべき職員を公務員として雇って運営された。実務の中でも最も重要な公平・中立の立場を貫くのは、全体の奉仕者としての公務員でなければならないし、彼らは、カウンター、とくに貸出しカウンターに出て、市民に接し、市民の求めるもの、市民の苦情を直接日常的にくみ取って、それを企画運営に生かせる者でなければならない。

 委託の場合は、実務と企画が別の立場に立つ者によって行われ、市民に接する者と方針を決める者との間に断絶がある。これは、実務担当者のやる気を失わせるだけではなく、市民の意向を運営に反映させるには大きな壁をつくる組織である。役所にとっては都合がいいが、基本的に市民と遊離するシステムが委託である。委託は、市民にとって、安物買いの銭失いの典型である。

 なんとも手厳しい。しかしながらこれらの問題は、じつのところ公立図書館がこれまで長く内在させてきたものなのであるというべきでしょう。時間がなくなりましたのでまたあした。

  本日のアップデート

 ▼1990年10月

 解説 柄谷行人

 新潮文庫の『彼岸過迄』が改版されるに際し、新たに附載された巻末解説です。漱石と乱歩のそれぞれの「探偵」を対比するくだりがあります。

 日本で初めて探偵(明智小五郎)が書かれたのは、大正十四年、エドガー・アラン・ポーの名をもじった江戸川乱歩の「D坂の殺人事件」においてである。それ以後、日本では「探偵小説」が自明のパターンとなる。しかし、「探偵」がもつ意味はそれとともに消えてしまった。明治末に探偵を志願する青年を書いた漱石の方が、その意味をとらえているというべきである。注意すべきことは、第一にデュパンもホームズも明智小五郎も、ベンヤミンのいう「遊民」だということである。松本が自分や須永が「遊民」であることを敬太郎に語る場面があるが、実は敬太郎も遊民なのである。のみならず、漱石の小説の人物たちの多くは、都市の新たなタイプの遊民である。

 ほんとはもう少し引用したほうがいいのですが、時間がありませんのでこれだけで。興味がおありの方は本屋さんで立ち読みをどうぞ。


 ■ 4月26日(水)
名張市職員のための図書館危機講座 斧

 なんのかんのとあわただしくっていやになりますけど、きのうは三重県立名張高等学校における新年度授業の第二回目、「新聞の読み方」と題して片づけてまいりました。中津川中二少女殺害事件のことも話題にしてみたのですが、卒業の記念にジャージをやりとりする風習は当地には存在しないことがわかりました。似たようなことはやっておるようですけれど。連休の谷間となる来週は「小説版マスコミ論」と題し、筒井康隆さんの「おれに関する噂」を読むことになっております。

 さて、きのうのつづきです。

 前川恒雄さんと石井敦さんの『新版 図書館の発見』(NHKブックス)で図書館運営の民間委託に関して指摘されている問題点は、じつは公立図書館に長く内在してきたものでもあるのだというあたりにひきつづいて述べますと、まず委託すれば「組織は二重構造」になって「運営の決定と責任がどこにあるのか市民には見えにくい組織になる」という点、それはたしかにそのとおりでありましょうけれど、なにしろお役所です。責任回避が第一義です。決定と責任が市民にはなんとも見えにくいのがお役所というところです。

 ですからお役所においては組織の二重構造なんざ朝飯前、ていうかデフォルト。わかりやすい例をあげるならば、さーて、三重県民の税金三億円をどぶに捨てるぞー、となればなんとか委員会とかんとか委員会というふたつの組織をつくってまさしく二重構造、決定と責任を市民に見えにくくしてしまうのがお役所ですし、さーて、名張のまちなかでリフォーム詐欺ぶちかますぞー、となればなんとか委員会とかんとか委員会というふたつの委員会をつくってまさしく二重構造、決定と責任を市民に見えにくくしてしまうのもお役所です。それこそがお役所の体質というやつなんですから、民間委託がどうのこうのという以前に問題はすぐそこに存在しているのだというべきでしょう。

 あるいは、公立図書館のスタッフは「全体の奉仕者としての公務員でなければならない」のもあったりまえの話ではあるのですが、それならば名張市役所のみなさんや、胸に手をあててみずからを省みていただきたいのですけれど、みなさんは自分が「全体の奉仕者」であるという自覚と誇りと責任とをもって日々の職務にご精励でしょうか。かなりあやしい感じだぜ。少なくとも私の見るところ、地域住民には完全に背を向けてほとんど盲目的にお役所というシステムに奉仕している奉仕者、みたいな人も少なからず存在していらっしゃるようです。ちなみにひるがえりましてこの私など、自慢ではありませんが乱歩を愛するすべての人のための奉仕者であると自認し、及ばずながら微力を尽くしている毎日なんですから、いってみれば公務員の鑑か。名張市役所のみなさんや、私のものでよろしければ爪の垢くらいいつだって進ぜますから。

 さらにまた、民間委託によって「市民に接する者と方針を決める者との間に断絶」が生じるとされる点、これもまた現状においてすでに断絶が見られるというのが正直なところではないでしょうか。いやそれ以前に、そもそも図書館運営に関する確固たる方針などというものが存在しているのかどうか。これもずいぶんあやしいものだぜ。私の場合でいいますと、名張市立図書館にもはたまた名張市教育委員会にも、乱歩に関する方針なんてなーんにも存在しておりません。私は乱歩資料担当嘱託を拝命したあと当時の教育長に、えー、名張市教育委員会のかしこきあたりにおかれましては乱歩のことをどうお考え? とお伺いを立ててみもしたのですけれど、なーんにも回答がなくって以来そのまんま、というのが実情です。ですから断絶も何も、乱歩を愛するすべての人に直接接する奉仕者である私がすなわち方針をも定めているといっても過言ではありません。

 したがいまして『新版 図書館の発見』から昨日引用したところに関していいますと、そこに記された問題は公立図書館にすでにして長く根深く存在しているものであり、むろん委託によってそれが深刻化することはあるでしょうけれど、民間委託にともなう決定的な差異と見るには無理があるように思われます。

 『新版 図書館の発見』からもう少し引いてみましょう。

 委託の効用としてどこでも言われるのは、人件費の節約である。人件費を安くするために、短期間で職員が回転する派遣職員、あるいはアルバイト等の雇用で、委託引受業者は臨むであろう。将来の保障のない労働をしている人に、使命感ややる気を求めることは最初から無理である。このことは、図書館の運営全般にわたって質が落ちることになるだろう。サービスを高めることはもちろんできず、委託を引き受けた会社は、委託契約の内容の範囲内で、できるだけもうかるように安く仕事をこなすことになるだろう。それすら、図書館の実務がわからない者の誰が評価できるのだろうか。

 このあたりも現実に即して考えるならば、人件費節約のため臨時職員に頼っているのが全国の公立図書館の現状ではないかと推測されます。で、全国の臨時職員は結構まじめにやっているのではないかしら。中田三男さんの投稿への返信として掲示板「人外境だより」に記したところから抜粋しておきますと──

 「さるにても、普通の人間が気にもとめないお役所の嘱託職員や臨時職員の配置にまでちゃんと目配りしていただいて、じつにありがたいことだと感じ入っております。普通の人間が気にもとめない、というよりは、お役所そのものが気にもとめない、といったほうがいいのかもしれません。といいますのも、お役所にとって嘱託職員だの臨時職員だのは要するに単なる使い捨て要員、半年単位の契約でいいようにつかったあげくお役所の都合であっさりクビを切ることのできる存在でしかないからです。正職員にはきわめて手厚く、そうでない職員には掌を返したように冷酷であるというこの非人間的システムは、しかしおそらくは全国の公立図書館を支える屋台骨のようなものなのであって、将来に何の保証もないまま黙々と日々の業務に精励している臨時職員の存在なしにすらすら運営できる公立図書館なんて、もしかしたら日本のどこにもないのではないかと私は思っているのですが、そこへもってきて難儀なのが指定管理者制度、要するに官から民へという世の中の表層の流れです」

 したがいまして、公立図書館には「将来の保障のない労働をしている人」の問題もまた以前から確実に存在していたのである、といってしまっていいのではないかと私には思われます。

  本日のアップデート

 ▼2006年4月

 みすてりあす・こうべ(1) 野村恒彦

 悪の結社とその名も高い畸人郷の会誌「Quijinkyo」最新号に掲載されました。最新号といっても五年ぶりの発行で、内容はほとんど「野村恒彦一人雑誌」の様相を呈しておりますが、何はともあれ発行を喜びたいと思います。

 次号がいつ出るのかは不明ですが、神戸に生まれ住む筆者が神戸ゆかりの探偵作家を総まくりする連載がスタートしました。連載がはじまったからにはあまりにも長いインターバルは禁物、順調な発行を期待しましょう。

 戦前からの探偵小説周辺のことを書こうとするには、江戸川乱歩の『探偵小説四十年』を頼りにすることになる。その中で最初に神戸が登場するのは、大正十一年(頃?)である。そのころ乱歩は大阪の守口に住んでいたが、馬場孤蝶が探偵小説の講演を行うというので、神戸の図書館講堂まで来ている。その頃は図書館は現在ある大倉山にはなく、相生町(JR神戸駅の近く)にあったはずである。乱歩の記述によれば、当日は横溝正史や西田政治も会場に来ていたと言うからおそらくニアミスもあったはずだ。

 次に登場するのが、大正十四年である。乱歩の『探偵小説四十年』では、乱歩は大正十四年四月十一日に神戸に横溝、西田の二人を訪ねている。ところが、江戸川乱歩と小酒井不木の書簡集『子不語の夢』の註では、この日は第一回「探偵趣味の会」の開催日と同日であり、その日付の矛盾について指摘している。このあたりのことは『子不語の夢』に詳しいのでここでは繰り返さないが、この日付は乱歩の記憶違いと思われる。

 さて、『探偵小説四十年』には当時の西田の住所が記されているが、それは西柳原となっている。そこは現在の兵庫区西柳原町と推察される。と言うのは、西田政治の子息である西田稔から聞いた話と一致するからである。西柳原町は近くに柳原蛭子神社があり、近くに住んでいた関係上神社と親しい間柄であったと思われ、戦後関西探偵作家クラブの例会が柳原蛭子神社の社務所で行われていたことを考えれば間違いはない。また「離れた家」で知られる山沢晴雄は初めて参加した関西探偵作家クラブの例会は昭和二七年四月の第四日曜であり、神戸の柳原蛭子神社の社務所で例会が行われたことを記憶している。そうして西田の家で乱歩、正史、政治の三人が顔をあわせたわけだが、これが探偵小説史上の大きな出来事であることはここに書くまでもないだろう。

 「Quijinkyo」に関する問い合わせは畸人郷ホームページへどうぞ。


 ■ 4月27日(木)
名張市職員のための図書館危機講座 琴

 上中下ではとても終わらず、松竹梅を追加してなお収まらず、とうとう斧琴菊の三連戦に突入してしまいましたが、本日もつづけましょう。

 前川恒雄さんと石井敦さんの『新版 図書館の発見』(NHKブックス)からもう少し引いてみましょう。

 図書館の仕事は長年にわたる積み重ねで成り立っている。今現在の仕事が、図書選択にせよ、サービスの内容にせよ、何十年にわたる業務の蓄積の上にあり、その蓄積を理解していなければ、現在の仕事ができない。また、本一冊買うにも、将来の利用者のことを考えずには、何も決定できない。図書館は息の長い仕事で、一時マスコミにもてはやされるような線香花火のような仕事ではない。これをするのに二、三年で職員が替わっていては、現在の仕事が満足にできないだけではなく、過去の遺産を台無しにしてしまうことにもなる。残念ながら、このことは、図書館の外からは非常に見えにくいし、結果があらわれるには何年もかかる。知性と使命感と経験とを求められる司書が、安上がりを第一にする委託の中で育つことはまず無理である。

 ここに指摘されているのは民間委託によってもたらされるであろう問題なのですが、はっきりいっていま現在の公立図書館が抱えている問題でもあります。お役所というシステムからの当然の要請として職員はころころ替わらざるを得ませんし、財政難にあえぐ全国の地方自治体にとって「安上がりを第一にする」のはいまや至上命令だといってよろしかろう。だからこそ名張市立図書館においても運営に不可欠であるはずの郷土資料担当嘱託がクビになり、と思っていたら私が郷土資料担当嘱託と乱歩資料担当嘱託とを兼務するというほとんどイリュージョンみたいな弥縫策が堂々と展開されることになったわけです。

 つづくところは──

 委託の効用としての宣伝の一つは、民間の方が公務員より親切、あるいは効率が悪いということである。市民に接する態度を言えば、公務員も最近格段に良くなってきているし、図書館は一九七〇年代から大きくそのサービスと体質を変え、公務員の態度がよくなる先駆けであったと言える。業務の効率化についても、かつての役所風な作業を、多くの困難を乗り切って改革してきたのも図書館の現場である。このことはたくさんの利用者が実体験でわかってくれていることだと思う。

 これはいえてる。とくに名張市の場合は1960年代に大規模住宅地の開発がスタートして大阪のベッドタウン化がはじまり、関西圏からの流入人口がどっとばかりに増えつづけましたから、お役所における窓口の対応ひとつをとってみましても、都市的行政サービスに慣れたニューカマーにびしばし鍛えられたおかげさまをもちましてですね、名張市においては飛躍的に「公務員の態度がよくなる」傾向が見られたと私には思われます。少なくとも旧上野市の市役所と比較すれば、その差は歴然としていたといっていいでしょう。

 いやいや、よそのなんちゃって自治体のことなんかどうでもよろしい。問題は図書館です。

 すでに委託している図書館で、引受業者が委託によって親切になったと言われると盛んに宣伝している。もしこれが真実であるなら、その図書館は委託前によほどお粗末なサービスをしていたのであろう。図書館に配属されると左遷と見なされるような人事をし、本も図書館も好きではない職員が大部分を占めていれば、そのサービスがどんなものであるかは想像に難くない。そんな図書館にしておいて、委託のほうがましだというのは、本末転倒の議論である。

 ぶっちゃけ問題はこれなわけです。公立図書館はお役所という名のヒエラルキーに組み込まれていて、しかも職員からはあまりうれしがられないセクションである。なにしろ「図書館に配属されると左遷と見なされ」、「本も図書館も好きではない職員が大部分を占めてい」るというのが世の公立図書館なのであると、この本にはそのように書いてありますし、それはおおむね事実でもあるでしょう。つまり問題は民間委託ではなく、いま現在の図書館そのものに存在しているという寸法です。

 だから私は、図書館の運営を民間委託することの危険性みたいなものは重々承知しているつもりではいるのですが、それでも民間委託はばんばんやったれとあえて主張し、名張市立図書館の内部におきましても機会があれば民営化こそチャンスなりと説いている次第です。

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 ▼2001年11月

 江戸川乱歩傑作選 江戸川乱歩

 台湾にある華成図書出版という出版社から出版されました。同題の新潮文庫をまんま翻訳したもので、荒正人の巻末解説も収録されております。恥ずかしながら刊本『江戸川乱歩著書目録』からは洩れておりましたので、当サイト「江戸川乱歩著書目録」に増補しておきました。あいすみません。対不起。

 カバー袖の著者紹介を引いておきます。

江戸川乱歩(1894〜1965)

日本推理小説之父。畢業於早稲田大学政治経済学部。開過旧書店和中式蕎麦麺館、甚至曽推著車子、四処吹笛売麺。一九五四年、江戸川乱歩六十大寿的慶祝会上、以振興推理文学為目的、捐款給日本推理作家協会成立「江戸川乱歩奨」、在促進創作推理小説的風気上、帯来了空前的推理小説熱潮。

 漢字の字面から推測して日本語に移してみるならば、まずはこんな感じになりましょうか。

 ──日本推理小説の父。早稲田大学政治経済学部にて学業を畢わんぬ。古書店経営を経て支那蕎麦屋を営むに至り、夜の街に孤なる屋台を牽くや、嫋々たるチャルメラの音を響かせてそちこちに麺を売りたり。一九五四年、齢六十の還暦を迎えてその慶祝の席上、推理文学を振興せんとて私財を投じ日本推理作家協会の江戸川乱歩賞を創設す。いずくんぞ創作推理小説ブームの促進を見ざるや。あに空前の推理小説フィーバー到来せざるべけんや。

 無茶苦茶。対不起。謝謝。


 ■ 4月28日(金)
名張市職員のための図書館危機講座 休

 危篤状態の人間というのはやはり死なねばならぬもののようです。しかし困った。あす29日は慶事の席に招かれているのですが、弔辞を読まねばならぬ葬礼の予定が割り込んできました。日程はどうなるのか。いやほんとに困ったな。ともあれ本日はこのへんで。

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 ▼1980年9月

 『名探偵』について 佐野洋

 光文社から出た『新推理日記』に収録されました。

 佐野洋さんが月刊誌「小説推理」に気の遠くなるほどの長きにわたって「推理日記」を連載していらっしゃるという事実を私が知ったのは、比較的最近のことでした。もしも以前から知っていたのであれば、『乱歩文献データブック』を編纂するにあたって連載がまとめられた単行本にざっと眼を通すくらいのことはしていたはずなのですが、まったく知らなんだのですから眼の通しようがありません。

 この回では、

 ──もっとも、これまで、名探偵を創造した小説家が、小説形式と登場人物について、このような明確な認識をもっていたかどうかは疑わしい。

 として明智小五郎の例が引かれ、いわゆる視点の問題が語られます。

 つまり、『心理試験』では、作者は『作者』の視点(非常に奇妙な言葉だが、言い換えれば『神』の視点)ということになる。

 そして『黒手組』では『私』の視点、『屋根裏の散歩者』では『心理試験』と同じく、『作者』の視点がとられている。

 したがって、『D坂の殺人事件』と『黒手組』は、同形式の小説ではあるが、それらと、『心理試験』『屋根裏の散歩者』とは、決して同質ではない。

 「形式」というのは、あくまでも叙述の視点をどう設定するのか、その形式のことだと考えていいようです。

 『D坂……』グループ、つまり『私』の視点に立った形式こそ、明智小五郎に適したものであり、『心理試験』や『屋根裏の散歩者』の明智には実在感が稀薄で、ここには、何も明智が使われる必然性はない、ほかの探偵でも、十分に用が足りている。

 このように、江戸川乱歩にしても、探偵役と小説形式に関し、明確な意識は持っていなかったようだ。

 だからどうだというのか、このエッセイで何が問題にされているのか、私にはさっぱりわからないのであるということを正直に告白しておきたいと思います。ほんとにわかんない。


 ■ 4月29日(土)
名張市職員のための図書館危機講座 菊

 休み休みで恐縮ですが、名張市職員のための図書館危機講座、斧琴菊もいよいよ菊となります。あまりよいことはお聞きいただいてませんけど、とにもかくにも名張市立図書館の危機はそのまま全国の公立図書館の危機に通じるものでもあって、官から民へという大きな流れ、すなわち全国の公立図書館において民間委託への移行が進行しつつあるという事実にはもう抗しようがありません。あらがうすべがありません。そしてたしかに民間委託には見過ごしにできない問題が少なからず内包されているわけなのですが、そうした問題点は公立図書館に長く伏在してきたものでもあると私は思います。以上、これまでの要約。

 以前にも引きましたが、吉村昭さんの『わたしの流儀』(新潮文庫)に収録された「図書館」から引用してみますと──

 小説の資料収集に地方都市へ行くと、私は必ず図書館に足をむける。その都市の文化度は、図書館にそのままあらわれている。

 図書館に関することは自治体の選挙の票につながらぬらしく、ないがしろにされている市もある。それとは対照的に充実した図書館に入ると、その都市の為政者や市民に深い敬意をいだく。

 図書館は、市役所の機構の一部門となっていて、そのため新任の館長の前の職場が土木部であったり通商部であったりする。

 そうしたことから、館長がすぐれた読書家とはかぎらない。図書館経営の長であるのだからそれでもよいではないかという意見もあるだろうが、やはり館長は書物について深い愛情と造詣を持っている人でなければおかしい。

 図書館には、生き字引のような人がいる。私が求めているものを口にすると、間髪を入れずそれに関する書物を出してきて並べてくれる。このような時には、この図書館に来てよかった、と幸せな気分になる。

 ここに指摘されている問題点は、「都市の文化度」を如実に示す図書館という施設の重要性がお役所の人たちにあまり理解されていないみたいだ、ということでしょう。しかもその認識には自治体によってばらつきがあり、図書館を「ないがしろ」にしているひどい自治体もあるいっぽうで(ないがしろにされた図書館というのは、要するに民間委託によってもたらされる弊害を先取りしたような図書館であるといっていいのかもしれません)、地域資料に関するエキスパートが配置されていて「この図書館に来てよかった」と思わせてくれる図書館もある。ですから結局のところ、地域の図書館はどういう施設であるべきなのか、それをきちんと認識しているスタッフが存在していないことには、運営主体が官であろうと民であろうとだめな図書館はだめなのであるということになるのではないでしょうか。

 かるがゆえに私は、民営化こそはチャンスであると考えるものである。

 読者諸兄姉もお近くの公立図書館をじっくりとご覧になられるがよろしい。そこにはどんな図書館があるか。お役所の論理とお役人の体質にがんじがらめにされている図書館、「自治体の選挙の票につながらぬ」との理由から顧みられることが少なく、お役所というヒエラルキーのなかで重きを置かれることがまったくない図書館、「土木部であったり通商部であったり」そんなセクションから館長が赴任してくる図書館、その地域における「生き字引のような人」が親切にサービスを提供すべき施設でもあるというのに、お役所の人たちからあんなものはただの無料貸本屋であり職員の左遷先でもあると思われているらしい図書館……。

 しかし、いまや全国の公立図書館は民間委託をこそ奇貨としていっせいに蹶起すべきではないのか。お役所に叛旗をひるがえすべきではないのか。お役所のくびきをみずから解き放ち、真に地域に根ざした図書館に生まれ変わるための好機が到来しているのではないのか。私はそのように考えているわけなのですが、名張市役所のみなさん、みなさんはどうお考えなのでしょうか。ていうか、あんたらは何も考えてなどおらんのであろうな。そのことに思いいたるたび、おれはもうほんとにだれてしまう。やんなっちゃう。牛や馬を相手に喋っているような気分になってしまう。

 だからもうしゃーないのか。名張市職員のみなさんに市立図書館の危機を説き、危機こそ好機であると訴えてみたところでしゃーないのか。実際にはごくごく簡単な話で、民間委託が吉と出るか凶と出るかは関係者の知恵次第という寸法なのですけれど、みなさんに知恵を期待するのは無理な話なのか。しかしお役所に知恵がないのははなから知れたことなのですから、無理を承知でもう少しつづけるか。やれやれ。

  本日のアップデート

 ▼1990年12月

 わが懐かしの探偵たち 香川登枝緒

 ファラオ企画から出た『まあ聞いてんか 香川登枝緒です』に収録されました。

 探偵小説にまつわる読書遍歴が語られ、少年らしい潔癖さから怪盗であるルパンは嫌いだったこと、ただし訳者であった保篠竜緒の「緒」の字がいたく気に入り、登枝緒というペンネームの「緒」として採用するにいたったことなどが語られ──

 次には当然、国産の明智小五郎との出会いになる。

 江戸川乱歩氏の作品では、「押絵と旅する男」や「人間椅子」など、幻想的かつ猟奇的で探偵の現われない好短篇もあるが、人気を爆発させたのは、「黄金仮面」「蜘蛛男」「黒蜥蜴」など、名探偵対怪盗……という図式で書かれた長篇だろう。

 中でも特に「黒蜥蜴」は、三島由紀夫によって劇化され、その対立のおもしろさが、舞台俳優の名セリフによって、原作発表から約半世紀を経た現在まで、余す所なく表現されている。

 だから、われわれ世代における、最高の偶像的名探偵は、明智小五郎だといえるのだ。(ルパンと同じ理由によって、「怪人二十面相」はきらいだ!)

 『まあ聞いてんか 香川登枝緒です』のことは芦辺拓さんからご教示いただきました。お礼を申しあげます。


 ■ 4月30日(日)
大型連休二日目の弁

 気がついたら世間は連休ですから連続講座もお休みといたします。飲みすぎでしんどくもありますし。

  本日のアップデート

 ▼1987年1月

 節穴ながめ着想わく/薄暗い部屋で 名探偵が誕生/江戸川乱歩 屋根裏の散歩者(守口)

 読売新聞大阪本社版に連載「おおさか文学地図」の第五回として掲載されました。乱歩が住んでいた守口界隈を取材し、当時を知る人の証言を拾った記事です。

 文中、「広三さん」と「正さん」は守口に残る乱歩寓居跡の歴代オーナーでいずれも故人、「平井教授」は平井隆太郎先生のことです。

 広三さんの長男で産婦人科医の正さん(五五)は「書斎にしていたという部屋は、私と姉の勉強部屋だった。日があたりにくくて常に薄暗く、空想に陥りやすい雰囲気があった」という。

 平井教授は「三十四、五年ごろ、学会の途中に立ち寄ったが、父が机に向かっていた後ろ姿を思い出した。近くの坂道を通るラッキョウ売りのこともよく覚えている」と懐かしむ。

 二軒隣に住んでいた松蔭女子大名誉教授、久保重(しげ)さん(七八)(東区森ノ宮中央二)は「昼間から雨戸を閉ざし、夜中に書き物をしていると聞いていました。私の妹が乱歩さんの妹と友だちで、よく遊びに来ていた。有名になってから“あの人が”と気づきました」と話す。

 日本南画院理事長の直原玉吉さん(八三)と初代守口市議会議長、石橋繁次さん(八六)は親交を結んだ仲だ。直原さんは「まだ有名ではなかったけれど、トリックを駆使した探偵小説を書く男と文人仲間では通っていた」と語る。

 石橋さんは「よく乱歩の家に集まったが、いつも酒をすすめ、多彩な話題を口にした。ち密な論理をあやつり、煙に巻いた」と当時をしのんだ。

 この記事のことも芦辺拓さんからご教示いただきました。重ねてお礼を申しあげます。