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2006年6月中旬
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そんなこんなで『江戸川乱歩年譜集成』のための悪戦苦闘を重ねておるわけですが、やればやるほど前途遼遠という気がしてきます。生きてるあいだに終わるのかしら。なにしろ『探偵小説四十年』をデータ化するというか年表化するというか、とっかかりの作業がまず遅々としてはかどらず、あとに控えた作業のことを考えるとたちまち眩暈に襲われます。 なんてこといってるあいだに小酒井不木研究サイト「奈落の井戸」では「小酒井不木より江戸川乱歩への書簡 全」が披露されました。ご存じ『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』収録の不木書簡全点をインターネット上に公開したもので、もぐらもちさんのお骨折りに敬意と謝意を表しつつ、ご閲覧の諸兄姉にお知らせ申しあげる次第です。 私も眩暈なんかに負けてはいられません。しっかりしなくちゃ。
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よんどころない事情から寝過ごしてしまいましたので、本日はこれにて失礼いたします。ではまたあした。
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じつは本日もおねむなり、とか思いながら起き出してきたところ掲示板「人外境だより」に厳しいご叱声が投稿されておりましたので、この伝言板で急遽あたふたといいわけを展開することにいたしました。
どうもありがとうございます、と名無しさんにひとことお礼を申しあげてからいいわけに移りますと、おはなしは5月23日にさかのぼります。私はこの日、名張市役所で建設部の部長さんをはじめとした名張まちなか再生プランの関係各位にお目にかかり、5月25日付伝言にも記しましたとおり、 ──名張まちなか再生プランに名張市みずからが変更を加えるためのもっとも合理的な手法を考える。それを名張市サイドの宿題にしていただいて、おとといの会見はつつがなく終了した。 との帰結を見ました。現在ただいまは行政サイドでその宿題を鋭意検討していただいている最中で、いちいちこの伝言板でお知らせはしておりませんがこれまでに二度、担当職員の方から「もう少しお待ちください」との電話連絡を頂戴しております。きのうもきのうで──といった説明をはじめると長くなってしまうか、いやまあいいか、ということでさらにつづけますと、きのうもきのうでその旨のお知らせを直接いただきました。 直接いただきましたというのはどういうことかといいますと、きのうはおりしも火曜日で、火曜といえば私にとってサンデーを先生と呼ぶ子らがいる三重県立名張高校でマスコミ論の教壇に立つ日であるのですが、きのうは校外学習、すなわち名張市役所を訪れて名張のまちのことを勉強しようという一席でした。つまり今年度、三重県教育委員会はこんなぐあいの「元気な三重を創る高校生育成事業」を展開しており── それに応じて私は「地域との絆を育む高校生支援事業」とがっぷり四つ、名張高校の教え子と名張のまちとの「絆」をとりもつ役目を果たさなければならなくて、それには生徒たちが名張のまちのことを勉強する必要がありますから行政の最前線に立つ名張市職員の方からおはなしをお聴きするのも有益であろうと、じつは5月23日に建設部長さんから拝眉の機を頂戴したおりなんとか協力していただけませんかとお願いしてみましたところ、即座にご快諾をいただき、 「なんでしたらこちらから学校のほうへ職員を派遣して説明させましょうか」 とのお申し出もいただいたのですが、いや、いやいや、生徒は校外に出るのを楽しみにしておりますのでその儀ばかりは、と名張市役所三〇六会議室でのレクチャーを手配していただき、都市計画と商工観光を担当するふたつのセクションから職員の方にお出ましいただいて種々ご説明いただいたのがきのうのことでした。ご参考までに、用意していただいてあった事項書を写しておきましょう。
資料も何点かいただきました。そのうちの観光パンフレットはこんな感じで── この画像には名張市観光協会オフィシャルサイトへのリンクを設定してありますので、名張観光をご計画のみなさんはぜひご閲覧くださいますよう。 ただしまあ、名張市役所で一時間ほど説明を受けたところで名張のまちの何がわかるか、との批判は当然あるでしょうし、それはまったくそのとおりではあるのですけれど、そんなものはむしろ二次的な問題でしかないと私は思います。きのうの授業にはもっと大切なテーマがあって、それはいったいどんなことかというと、わからないこと知りたいことがあるのならその道の専門家に教えを乞えということである。こちらから足を運び、礼を尽くして教えてもらってこい。それが人として踏むべき道である。しかるに世間にはそんなことさえできない大人というのがごろごろしていて、たとえば名張まちなか再生委員会なんぞと来た日には、人に教えを乞うどころか乱歩のことを教えて進ぜようという他者からの申し出に対して、 ──現段階では乱歩に関して外部の人間の話を聴く考えはない。 なんてこといってるからばかだというのだ。まぬけだというのだ。おまえら名張高校でおれの授業を受けてみるか。 いや、いやいや、話が変なほうに流れていってしまいましたけど、とにかく昨日、私は教え子ともども名張市役所で校外学習の機会を頂戴し、懇切丁寧なご指導ご教示をたまわってきたわけなのですが、そのレクチャーが終わったあと都市計画担当セクションの、ということは名張まちなか再生プランを担当しているセクションの職員の方から、5月23日に宿題となった件については「もう少しお待ちください」とお伝えいただいたというのが、かなり上に記しました「きのうもきのうでその旨のお知らせを直接いただきました」という文章の意味です。 そういった次第ですから名無しさん、いまは行政サイドの回答をお待ちしている状態で、それに先方だっていくら担当セクションとはいえ名張まちなか再生プランを専門に手がけているというわけではなく(げんに私の教え子のお相手をしていただくなどというお仕事が飛び込んでいるわけですし)、こちらとしてはことごとしく催促をするでもなくおとなしくお答えをお待ちしているところなのですから、この伝言板にこのところ「行政批評」が登場しないのも当然のことであるとお考えいただければと思います。そのように考えることはできないとおっしゃるのであれば、当方としては名無しさんから頂戴したご叱声こそは名無しさんがお嫌いなはずの「うわっつら」のものであると断ぜざるをえなくなるかもしれません。 「体制に迎合したのか、はたまたヨイショナデナデか」とのご心配までたまわって恐縮至極ではあるのですが、私の場合はこちらから迎合しようとしてもたぶん体制側から「あ、君はいいから」と拒まれてしまうのではないかと推測される次第ですし、逆に懐柔籠絡の線も望みはかなり薄そうです。私はこう見えても飲ませる抱かせる握らせるみたいなことにはいたって弱く、とはいっても何も森永マミーを飲ませてほしいわけではなく、安田美沙子ちゃんの抱き枕を抱かせてほしいわけでもなく(抱いて寝るにやぶさかではなけれど)、もちろんカラオケのマイクを握らせてほしいというわけでもけっしてないのですが、そこは魚心あれば水心、飲ませるべきものを飲ませ抱かせるべきものを抱かせ握らせるべきものを握らせて懐柔籠絡にこれ努めていただければたぶん先様のご希望に余裕でお応えできるのではないかしらとみずから顧みて思っているわけなのですけれど、いまのところ嬉々として達磨になれそうなそうした話はまったくもたらされておりませんからどうぞご心配なく。 まだ言葉が足りないような気もいたしますが、記すべきことがあればまたあしたにでも記しましょう。とりあえず本日はこのへんで。名無しさん、今後ともよろしくお願いいたします。
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いまや名張市における行政批判の急先鋒であるとごく一部では目されていないでもないような私でありますが、そしてその批判が的を得ているというか的を射ているというか、とにかく過たず正鵠を射抜いているとやはりごく一部では目されていないでもないような私でもあるのですが、ここで読者諸兄姉の誤解なきを期していささかの贅言をつらねておきますならば(もとより私のいってることなんかすべからく贅言なのであって、「いささかの贅言」なんてのは贅言の見本みたいな文辞ではあるのですが)、私は重箱のすみをつっついているわけではまったくなく、むしろ大目に見ることが可能であれば最大限大目に見ることを旨としております。 ですから日本語の誤用なんかも気にはさわりますけどできるだけ大目に見ることにはしていて、たとえば掲示板「人外境だより」の6月13日21時43分付投稿で何の何某(ぢつわ大熊)さんがあえて誤用していらっしゃった「すべからく」なんていうのも、気にはなるけどここまで誤用が一般化してしまったのであればもういいだろうと思われぬでもありません。 ここで試みに── この JapanKnowledge というサイトで「すべからく」を全文検索してみましたところ、「現代用語の基礎知識」の「2003年版若者用語:口ぐせ」というのがひっかかってきて──
みたいな言葉がリストアップされていて(槍玉にあげられていて、というべきか)、そのなかにはちゃんと──
というのも登場しています。もっとも、上掲の語釈もちょっとニュアンスがちがうのではないかという気がしないでもないのですがそんなことはさておき、「すべからく」の誤用はいまや若い世代のみにとどまる現象ではないようですからいずれ「もとより私のいってることなんかすべからく贅言なのであって」みたいな用法が正当なものであると認められる時代がやってくるのかもしれません。 すべからく私は些細なことなら大目に見るようにしているわけなのであって、たとえばけさもけさとて「乱歩」をキーワードにあっちこっちのニュースサイトを検索いたしましたその結果、Google の検索でこんなページがひっかかってまいりました。 すなわち日本商工会議所のオフィシャルサイトに6月14日、 ──◆江戸川乱歩作品「幻影城」に触れる文学館を整備(鳥羽商工会議所) というタイトルの記事が掲載されたわけなのですけれど、私にはこれがどうも気になる。非常に気になる。「幻影城」にふれる文学館とはどういうことか。私は近年「幻影城」なる言葉が誤用とまではいわぬまでもじつに不用意に使用されていることに唖然暗然としている人間のひとりではあるのですが、しかしまあ、まあいいでしょう。大目に見ることにいたしましょう。鳥羽商工会議所に対して、みなさんのおっしゃる幻影城ってどうよ? などと申し入れたりすることはやめておきましょう。 ちなみに JapanKnowledge の「2003年版若者用語:口ぐせ」によれば──
しかし私は鳥羽商工会議所の感想が訊きたいわけではさらさらなく、私が一朝「幻影城ってどうよ?」と口走るやそれはもうてめーら一知半解のやからが幻影城幻影城とやかましくほざくんじゃねーぞこら、みたいな意味になってしまわざるをえないのですが、そういうことはいたしません。大目に見てさしあげることにいたしましょう。よかったよかった。 すべからく私はじつに寛大寛容な人間なのでありますから、そうした人間がひとたび行政批判を展開するとなればこれはもう行政の根幹にかかわる問題しか俎上に載せないのであるとご承知おきいただきましょう。すなわちお役所の役目というのは地域住民になりかわって地域住民の税金のつかいみちを決めることなのですから、そのつかいみちが変であったら行政はしっかりみっちり批判されるべきなのであり、つかいみちを決めてゆく手順に問題があるというのであればやはり批判は避けられますまい。
それでは本日はこのへんで、したっけねー。
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たわむれに批判はすまじ、とはまた時代がかったタイトルだなとわれながら思うのですけれど、ここでこの手の反語的表現にお強くないみなさんのためにあえて贅言を費やしておきますならば、批判なんてのはたわむれやいたずらやつれづれなるままにするものではないということです。人を批判するのなら腹を据えてかかれということです。自身の安全を完璧に確保したうえで何にどう文句をつけてみたところで、そんなものにどれほどの意味があるというのか。批判対象からはゼロと見なされておしまいだということです。 近い例をあげるならば昨年の11月12日午前1時22分48秒、2ちゃんねるのニュース速報+板に「【地方自治】永住外国人を含む18歳以上に請求・投票権 三重・名張市が住民投票条例案 1月施行目指す」というスレッドが立てられました。残骸がこれです。 それでごくごく短い期間ではあったのですが、あまり頭のおよろしくないみなさんがこのスレッドにおいてここを先途と大騒ぎをしてくださった。なかにゃこの名張市のオフィシャルサイト── はたまた条例を担当した名張市議会総務企画委員会の委員長さんのオフィシャルサイト── こういったあたりにメールを送付して条例に関する抗議を申し入れてやったぜとの報告も投稿され、さらにはあまり頭のおよろしくない名張市民が登場してわけもわからず右往左往するシーンが展開されるにいたっては、ばかにゃつきあいきれねーなまったくとつくづく思わされた次第ではあったのですけれど、2ちゃんねるに投稿しようが名張市のサイトにメールを送付しようが、そんなことで何かがどうにかなったのかばか。 何もどうなりもしなかったではないかばか。抗議のメールに対して名張市職員のみなさんや名張市議会議員の先生から返信があったのかどうか、そんなことまで私にはわかりませんけれど、おそらくどんなリアクションもなかったのであろうなと推測はされ、そもそもどこの馬の骨とも素性を明かさぬ人間からの匿名のメールにいちいち応えねばならぬ筋合いもない。だから抗議のメールなんて何の意味もないというのである。 しかしまあ、2ちゃんねるで名張市のことを話題にされ、話題にされというか無責任な放言を書き散らかされ、それも行政が直接関係していることに無根拠な誹謗中傷の十字砲火が浴びせられておるわけですから私も名張市民のひとりとしてスルーはできず、いやべつにスルーしたっていいのですけれど2ちゃんねるの虚妄を真に受けて周章狼狽する名張市民がこのサイトを覗いてくれる可能性もないではありませんでしたから、あっちこっちのサイトから必要なデータを集めつつ名張市の住民投票条例案について所見を記したわけであったのですが、もしも私自身がこの条例に重大な疑義を抱いていたらどうしたか。 知れたことです。当然批判していた。あたりまえのことである。自身のサイトで条例案を批判するだけにはとどまらず、名張市の担当セクションにメールを送りつけて疑問点を問いただし、その回答もまた自身のサイトで公表する。回答にさらに疑問があった場合には再度メールを送信する。回答があればまたそれを、といったぐあいの徒労といえば徒労、不毛といえばまさしく不毛でしかない行為をえんえんとつづけていたことであろう。ただしこれだって成果の見こめることではなく、労力や場合によってはお金までむなしく費消してそれでおしまいになっていただけの話でしょう。 早い話が三重県の官民合同あんぽんたん事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」において、私は事業の概要が公表された当初からそこに重大な疑義を見いだしておりましたので、今年4月にこんなふうなことになってしまったのですけれど── この伊賀県民センターの前身である三重県伊賀県民局のオフィシャルサイトにメールを送信して徒労といえば徒労、不毛といえばまさしく不毛でしかない行為をえんえんとつづけたそのあげく、事業はこともなく開始されて終了し、私はいよいよ嫌われ者となり、伊賀地域ではどちらへお邪魔いたしましても土地土地のお兄さんお姉さんおじさんおばさんお爺さんお婆さんから判で押したように白い眼で見られる人間になりはててしまってさあ大変。それでも自身の批判をインターネット上で公開し、批判対象である三重県なり伊賀地域なりの関係者がどうしようもないばかであるということを証明できたことには、少なくとも匿名の抗議メールを送りつけること以上の意味を見いだせるのではないかと考えてみずからを慰めております。 とはいうものの、事業を批判するために費やした労力や時間や金銭(地域雑誌「伊賀百筆」に事業批判の稿を寄せるだけで掲載料は軽く十万円を突破し、いまや自己破産した身としてはまるで夢のような話であったと思い返される次第なのですが)、さらにはばかを相手にすることによって放射性廃棄物のごとく蓄積されてゆくストレスといったものを考えあわせましたら「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の批判なんていかにも徒労でまさしく不毛、なんともばかなことであったといわざるをえないのですが、この手のばかがいたほうが地域社会が面白くなるだろうという自負もありますゆえ、今後もそれが必要であると認められた場合には、徒労であっても不毛であってもたわむれでもいたずらでもつれづれなるままでもない正当な批判をくりひろげなければしかたあるまいな、と観念し覚悟している私です。 以上、三日間にわたって名無しさんのご投稿へのお答えとそれに関係する所信の一端とをつらつらへらへら書きつけてきた次第ではありますが、私にはいささかも他意はなく、まちがっても今年8月に実施される名張市議会議員選挙に立候補するようなことはありませんから関係各位はご安心めされよ。 あすはまた乱歩の話題に戻りたいと思います。
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6月12日付伝言のつづきとなります。『探偵小説四十年』に出てくる人名の生歿年を調べるのもなかなかに大変な作業なのであって、だいたいがモリスンっていったい誰よ? という話のつづきなのですが、人名以外に作品の問題もあります。小説であれ随筆であれ、文中で言及されている文芸作品はすべて年表に初出を明示したいと考えておりますので、ふむふむ、巌谷小波の『世界お伽噺』は明治32年から41年にかけて出版か、といったことも記載してゆくことになります。 あるいは、幸田露伴の「対髑髏」は明治23年1月の「日本之文華」、泉鏡花の「夜行巡査」は明治28年4月の「文芸倶楽部」、田山花袋の「蒲団」は明治40年9月の「新小説」、谷崎潤一郎の「刺青」は明治43年11月、「麒麟」は同年12月の「新思潮」か、ふむふむ、といったあんばいなのですが、なかにはへんてこりんな記述もあって、 ──中学時代新聞の連載で漱石を二つ三つ読みつづけ、それが機縁となって漱石のものは可なり読んでいたし、 などとあるとやはり漱石のことも調べねばならず、漱石が朝日新聞に入社した明治40年4月は乱歩が愛知県立第五中学に入学したときでもあって、漱石はこの年に「虞美人草」、翌41年に「坑夫」「夢十夜」「三四郎」、42年に「それから」、43年に「門」の連載を終えたあとでいわゆる修善寺の大患、44年には胃潰瘍が再発し痔も併発、45年3月に乱歩が中学を卒業したときには「彼岸過迄」を連載していた、ということがわかります。 このうち「新聞の連載で漱石を二つ三つ読みつづけ」というのはどの作品なのか。さしずめ「夢十夜」「三四郎」「それから」といったところか、みたいなことを想像するのは存外愉しいことではあるのですが、乱歩が作品名を明記していないのですからこれらの漱石作品をそのまま年表に落としてゆくのはいかがなものか。文芸作品を年表に記載する場合には乱歩による言及の有無が明示されているべきなのではないか、などと悩ましい問題も新たに発生してきます。 しかし私がさきほど「なかにはへんてこりんな記述もあって」と記したのは漱石作品に関する記述ではなく、さっきの引用をさらにつづけますと、 ──中学時代新聞の連載で漱石を二つ三つ読みつづけ、それが機縁となって漱石のものは可なり読んでいたし、紅葉、露伴、鏡花などの古いものや(露伴の「対髑髏」や鏡花の「夜行巡査」などには、子供ながら、深く感銘した記憶がある。柳浪はまだ読んでいなかった)花袋の「蒲団」に始まる日本自然主義文学は、いろいろ読んでいたが、 ということになるのですが、「柳浪はまだ読んでいなかった」っていうのがなんだかへんてこりん。こんなこといわれても困ってしまうではありませんか。索引によれば『探偵小説四十年』に広津柳浪が登場するのはわずかに二か所、しかも残り一か所は刊行時の埋め草として収録された「活字との密約」なのですから、実質的には一度しか出てきません。その一度が、 ──柳浪はまだ読んでいなかった とはなにごとか。読んだときのことを書いてくれればいいではないか。しかし乱歩が柳浪作品を愛読したのはたしかなことのようですから、だとすればたとえば明治28年の年表に「変目伝」や「黒蜥蜴」や「亀さん」のことを記しておいたほうがいいのではないか。しかしかりに記載するにしても手許の事典類ではこの三作品が明治28年に発表されたということしか判明しませんから、それは私の希求を満足させるものではまったくありません。私はあくまでも何という雑誌の何年の何月号に掲載されたのかということまで調べたいわけで、いよいよもって悩ましい。 しかしまだいい。日本人作家の作品はまだいい。初出をつきとめるのは比較的容易なことでしょう。ところが海外作品の初出となると、これはもうほとんど絶望的だといってもいいのではないか。たとえば「新青年」の増刊号をとりあげて乱歩は、 ──第三回増刊にはモリスンの長篇「十一の瓶」(延原謙訳)を全部のせたほか、短篇が二十ほど並んでいるが、そのうちの目ぼしいものを拾って見ると、ポー「盗まれた手紙」マッカレー「サムの魚釣」フリーマン「謎の犯人」ビーストン「死者の手紙」ルブラン「真紅の封蝋」ハンショウ「六本の指」ドイル「ソア橋事件」ウイントン「二つの部屋」などで、 などとずらずら作品を列挙しているわけですが、こんなものとても調べはつかぬであろう。ポーやドイルはともかくとして、ハンショウの「六本の指」だと? ウイントンの「二つの部屋」だと? それにだいたい、モリスンって誰よ? ほんとに誰よこの人。
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──モリスンって誰よ? とぼやいていたら親切な方からモリスンに関してメールでご教示をたまわりました。「新青年」の大正11年8月増刊号に掲載された「十一の瓶」は「The Green Eye of Goona」(1904)の邦訳で、戦後になって出た世界大ロマン全集にも「新青年」とおなじく延原謙の訳で収められているようです。 この方のメールには、こんなことも書かれてありました。 ──新青年の翻訳の初出調査は、泥沼です。 がーん。 しかも驚くべきことに、「新青年」のおなじ号に掲載されたウイントン「二つの部屋」は、 ──横溝正史の創作らしいですし。 がーん。がーん。 横溝というのは実際どこまではた迷惑な男なのか。べつに横溝正史から迷惑をかけられたおぼえはなけれども、思わずそんなことを考えてしまうほどにいまの私は困惑しているということでしょう。 もちろん私とて、ただ漫然と坐してばかりもいられません。きのうはたまたま悪の結社とその名も高いミステリファンサークル畸人郷の例会の日でしたから、ふと思いついて雨のなか大阪に足を運び、その道の先達からいろいろと教えを受けてまいりました。 海外の作家や作品を調べるには、私が使用している『世界ミステリ作家事典』と『海外ミステリー事典』のほかにもう一冊、中島河太郎先生の『推理小説展望』があることも教えてもらいました。東都書房から出た世界推理小説大系の別巻で、なかに「海外推理作家事典」が収録されているとのことでしたので、それならば双葉文庫版(日本推理作家協会賞受賞作全集の第二十巻)を私は所蔵しております。帰宅してさっそく調べてみたところ、なるほど『推理小説展望』という本は四分の三ほどが「海外推理作家事典」で占められていて、初刊は1965年ですからデータが古いといえば古いのですが、古いことを調べるにはそのほうがかえって好都合でしょう。 これで海外作品の調査に関しては、いわゆる三種の神器が揃ったことになります。と思ったらまだひとつ抜けていて、じつをいうと私は『世界ミステリ作家事典』は本格派篇しか購入しておらず、もう一冊のハードボイルド・警察小説・サスペンス篇のほうは所有しておりませんでした。本格派篇も辞書として使用することは絶えてなく、ここへ来てようやく頻繁にひもとくようになってきたのですけれど、あれ、と思わされたのはたとえばルブランの項目が見当たらないことでした。 調べてみると本格派篇ではなくてハードボイルド・警察小説・サスペンス篇のほうにルブランが記載されていて(細目は「本棚の中の骸骨」のこのページでどうぞ)、仔細に見てゆくと本格派篇よりはむしろこちらのほうに私好みの作家が多いような気もします。乱歩が定義した「奇妙な味」を感じさせる作家も、あえて分類すればハードボイルド・警察小説・サスペンス篇に属するようですし。 それでこっちのほうも買っとかなければならんなと、きのう雨の大阪で新刊書店を覗いてみたのですけれど店頭には見あたりませんでした。当地の本屋さんに取り寄せてもらわねばならんようです。なんか何かと物入りである。なかなかほんとに大変である。
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さ。ここらでひとつあほたれのみなさんを軽く叱り飛ばしておきましょうか。本日付中日新聞の伊東浩一記者の記事をどうぞ。
あーこれこれあほのみなさん、名張まちなか再生委員会のあほたれのみなさん、あんたらいったい何をお考えなのでしょうか。むろんまともにものなど考えられぬのではありましょうけれど、こうやって拝見しておりますと話が進めば進むほど責任の所在が曖昧になり、行政の主体性が稀薄になり、原理原則はすっかり見失われて、われらが名張市がインチキ自治体の名をいよいよほしいままにしてしまうのを何としょう。じたばたすればするほど馬脚を顕わしてしまうのはあほのみなさんの常ですからいたしかたなきことなれど、もう少しちゃんとできぬものかと私は思う。 いいですかあほのみなさん、あなたがたのやっておることは無茶苦茶なの。だから私は名張市建設部の部長さんにお会いして、ちっとは原理原則を重んじてくれまへんかと、税金のつかいみちを決めるのであればルールや手続きを無視することはできまへんでと、名張まちなか再生ブランに片言隻句も記されていないことを名張まちなか再生委員会のあほのみなさんが協議検討しておるというのは、いくらあほのやることだとはいえ目にあまりまっせと、どうしても協議検討をつづけたいというのであれば名張市が主体的な判断にもとづいて名張まちなか再生プランを変更しなければあきませんがなと、声涙ともにくだらんばかりにかき口説き、わかりましたとお答えをいただいたのが5月23日のことでした。 ですからこらあほのみなさん、名場のまちなか再生委員会のあほのみなさん、おまえら総会開いてNPOなばり(仮称)だの初瀬ものがたり交流館(仮称)だの江戸川乱歩文学記念館(仮称)だのとうわっつらのことさえずっている暇があるのなら、もう少しまともになることを考えろ。自分たちがどれほどばかなのか自省してみろ。おまえらの存立基盤は名張まちなか再生プランであるという事実にちっとは思いを致してみろ。ところがおまえらは何なのか。おまえらは考えうるかぎり最低の手法でことを進めようとしている。私にはそう見える。 おまえらはまったく最低である。インチキやるにしてももう少し垢抜けられぬものか。拠って立つべき原理原則、遵守すべきルールや手続きなんてきれいさっぱり無視してしまい、うわべだけの既成事実を積み重ねてゆけばことが成就するとでも思うておるのであればおまえらほんとに最低である。最悪である。ばかである。まぬけである。あほである。妊娠という既成事実をジャンピングボードとして結婚になだれこむのができちゃった婚であるのなら、名張市にはこれからできちゃったNPOとかできちゃった交流館とかできちゃった記念館とかができることになるのかな。そんなことになったらこの私、名張市民のひとりとしてとっても恥ずかしく思うわけですが。 みたいなところでいいでしょう。この伝言板で先日名無しさんにご説明申しあげましたそのとおり、私は行政サイドからの正式なお答えをお待ちしているところなのですから、怒るべきことがあればそのとき本気で怒ることにして、名張まちなか再生委員会のあほたれのみなさんを軽く叱り飛ばすのはこのへんまでとしておきましょう。私はあほたれの相手ばかりもしておれんのよ実際。すまんな、あほたれのみなさん。
にしても人間、やはり若いうちに勉強しておかないとあとでうろたえることになるようです。私はそのことを最近つくづく実感しており、そのあたりのことはまたあした。 |
人間、若いうちに勉強しておかないとあとでうろたえることになるというおはなしです。 6月17日の雨の土曜日、悪の結社とその名も高いミステリファンサークル畸人郷の例会にお邪魔し、その道の先達のみなさんからいろいろお教えをたまわってきたことは18日付伝言に記したとおりなのですが、私は例会がはじまるまでに大阪駅周辺の古本屋さんを覗いてまいりました。何のためか。いうまでもなく『江戸川乱歩年譜集成』の資料を求めてのことである。 べつにこれといった目当てがあったわけでもないのですが、若いうちの不勉強がいまになってたたり、『江戸川乱歩年譜集成』のためのメモをとりはじめてみたところ、私にはみずからの文学史的な素養教養のなさが泣きたくなるくらい痛感されてしまいました。ご承知のとおり『探偵小説四十年』は乱歩がおいたちに重ねて幼少期以来の読書経験を回想するところからはじまっているのですが、そして私は『江戸川乱歩年譜集成』は乱歩の読書経験を追体験する水先案内の役目をもはたす内容にしたいと考えているわけなのですが、まーあびっくりするくらい隔絶しているわけです。乱歩と私の読書経験は。あたりまえですけど。 たとえばミステリ作品なら、ポーやドイルはべつにして、開巻まもないあたりにフリーマン「唄う白骨」、アイルズ「殺意」、クロフツ「クロイドン発十二時三十分」なんてのが出てきます。自慢ではありませんがどれも読んだことがありません。とくにクロフツなんてなんだかかったるそうだし時刻表トリックなんて見るのもいやだし、と頭から決めてかかって手にとったこともないという潔さ。しかしこんなことではまずかろうとはさすがに思い返されましたので、アイルズの『殺意』は創元推理文庫で見かけたことがありますから当地の本屋さんで探してみたのですけれど、残念ながら見つけることができませんでした。『唄う白骨』なんて本は眼にしたこともありませんし。 ちなみに畸人郷の先達からお教えいただいたところでは、「唄う白骨」は創元推理文庫『ソーンダイク博士の事件簿(1)』に収められており(表記は「歌う白骨」みたいです。そういえば『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』の脚註には「笑う白骨」というフリーマン作品が登場していて、関係者をおおいに笑わせてくれたものですが)、『殺意』の文庫本はまだ新刊書店で入手できるのではないか、『クロイドン発十二時三十分』は近く早川書房から文庫本が出るみたい、とのことでした。しかも驚くべし。こちらがクロフツの話題をもちだしたところ先達はおもむろにバッグのジッパーを開き、一冊の洋書をとりだす。もう一冊とりだす。それは何かとお訊きしたところ、いまだ日本語に翻訳されていないクロフツ作品がこの二冊なのである、とのことでした。先達ともなればクロフツの原書の一冊や二冊、つねに携えていなければならぬようです。 閑話休題。大阪駅周辺には古書店がならんだ阪急かっぱ横町というエリアがあります。そのほぼ全店を覗いてみたのですが、これといった資料はありませんでした。しいていえばただ一点、田中純一郎『日本映画発達史』の中公文庫版が全五冊で四千円だか五千円だか。乱歩というのはリュミエール兄弟がパリではじめて映画の有料一般公開を行った前の年に生まれ、すなわち映画の発達とともに生きた人でもあったのですから、『江戸川乱歩年譜集成』編纂のための資料として『日本映画発達史』の文庫本は手許にあったほうがいいでしょう。よし、ひとわたり近所の古本屋さんをまわってからもういちど来ることにしよう。そう思って店を出たのですが、結局そのままになってしまって購入はしませんでした。こんなことではいかんがな。 べつの店では筑摩書房の明治文学全集を何冊か目撃しました。私はああ、こういうやつだ、と思いました。乱歩の読書体験の最初のほうには当然のことながら明治時代の翻訳文学や少年文学が出てくるのですが、辞書事典のたぐいをひもといて人名や作品名を調べてもどうにもピンと来ず、文学史的素養教養のない私には隔靴掻痒の感が否めません。だからたとえば明治文学全集なんていうのを資料として手許に置いておく必要があるわけだ、と納得してそこにならんだ端本を手にとってみたのですが、資料になりそうなものはありませんでした。 そこで翌18日、つまり日曜のことですが、国立国会図書館の蔵書検索で明治文学全集(百巻ほどあるのですが)のタイトルと細目とを調べつくし、そのなかから必要なものをピックアップして── この「日本の古本屋」という古書販売サイトを通じて次の三点を注文しました。
この全集には黒岩涙香の巻もあるのですが、「日本の古本屋」には在庫が見あたりませんでした。発注先は盛岡と大分と岩手の古本屋さんで、値段が高いんだか安いんだか妥当なんだかはさっぱりわかりませんものの(畸人郷の先達のおはなしでは、ネット上で販売されている古書は店頭で買うよりやや高めだそうです)、送料も含めると気になるお値段は合計八千円ほどになり、この調子で資料を揃えていったら出費はいかほどになってしまうのか。それを考えた私は思わずくらくらしてしまいました。 それにしてもこういった日本文学に関する体系的な素養教養というのは、やはり十代か二十代のうちに身につけておくべきものであるでしょう。ところが私はそういった素養教養にはあまり関心がなく、ていうか内心ばかにしていて、まさか自分がそういうものを必要とする人間になろうなどとは思いもよらず、夢にも思わず、読書というのはただ愉しみのためだけにあると信じてきょうまで来たものですから、そもそも蔵書を資料と見なす感覚がありません。そんな人間がいまさら資料集めのためにこれまで興味がなかった古書をあれこれ物色するなどというのは、われながらなんだか涙ぐましい話だなと思われてなりません。 悪の結社畸人郷の例会でそういった困惑もしみじみと打ち明けてみましたところ、その道の先達はじつにあっさりこともなく、 「まあ本ゆうのは、資料性が50%やからね」 とおっしゃいました。私は思わずくらくらとしてしまいました。
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