2006年6月中旬
11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日 18日 19日 20日
 ■ 6月11日(日)
乱歩宛不木書簡公開のお知らせ

 そんなこんなで『江戸川乱歩年譜集成』のための悪戦苦闘を重ねておるわけですが、やればやるほど前途遼遠という気がしてきます。生きてるあいだに終わるのかしら。なにしろ『探偵小説四十年』をデータ化するというか年表化するというか、とっかかりの作業がまず遅々としてはかどらず、あとに控えた作業のことを考えるとたちまち眩暈に襲われます。

 なんてこといってるあいだに小酒井不木研究サイト「奈落の井戸」では「小酒井不木より江戸川乱歩への書簡 全」が披露されました。ご存じ『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』収録の不木書簡全点をインターネット上に公開したもので、もぐらもちさんのお骨折りに敬意と謝意を表しつつ、ご閲覧の諸兄姉にお知らせ申しあげる次第です。

 私も眩暈なんかに負けてはいられません。しっかりしなくちゃ。

  本日のアップデート

 ▼1994年11月

 着色写真の夢──都市伝説としての「押絵と旅する男」 小川直美

 同志社大学国文学会の「同志社国文学」に掲載されました。

 『探偵小説四十年』では「生きるとは妥協すること」との表題がつけられた昭和4年という年に、乱歩は「押絵と旅する男」を発表した。すでに失われていた浅草十二階を舞台としたこの物語では、関東大震災やそれに伴う十二階の崩壊についてはいっさい語られていない。作中の「男」が語る押絵の来歴には、その外側に「語られない」物語が秘められているのである。

 といった視点から、筆者は「押絵と旅する男」で語られなかったものの意味にアプローチしてゆきます。結びのあたりから引用を。

 十二階の末路を誰もが知っていながら、しかもそれが余りにも陰惨であるため、それだからこそあえて十二階の末路を語らないことで、物語の外側に繰り広げられる惨劇のイメージが一層作品世界の闇を深め、読者に「語られたこと」以上に陰惨なイメージを作り出すことさえ可能であったと考えられる。乱歩によって「押絵と旅する男」で「語られなかったもの」には、実はしたたかな計算が働いていたのではないか。

 さらにいえば、その計算は十二階の惨劇に留まるものだったのだろうか。

 「押絵と旅する男」には「当時は珍しかった」「何とも言えない、毒々しい、血みどろの」「戦争の油絵」が十二階の壁にかかっていたことが記されている。そこで示される戦争絵画は、日清戦争という過去の出来事であると同時に、当時の読者にとっては、中国大陸で進められる戦いの暗い近未来の姿ではなかっただろうか。助川徳是氏が指摘するように、「絵と現実とを自在に往復するドッペルゲンガーの夢が、この幻想と恐怖の柱になっている」とすれば、それは「男」の身の上に留まらない、さらに大きな惨劇の予感として考えられる。そういった世間一般に広がる不安のイメージを乱歩はいち早く作品に取り込んだのではないだろうか。

 そしてそれはやがてやってくる時代への人々の予感に結び付くものであると同時に、更に言えば時代の中での乱歩自身の身の処し方に係わってくるものでもあった。

 乱歩の休筆と「生きるとは妥協すること」という一九二九年の自分に対して与えたタイトルについて考えれば、「語られなかったもの」は十二階という過去の伝説には留まらないのではないだろうか。「書いてはまずいこと」を書かない作家として生きていくことになる自分自身に対して、その時代との係わり方を乱歩はあえて「妥協」と評したのではないか。一九二九年という時代の中で、乱歩自身の感じていた、そして語られないまま誰もが感じていた不安がその言葉に込められているように思える。

 乱歩が語ろうとしなかったこと──。これはまことに興味深い、というか私にとってはきわめて切実なテーマであって、乱歩もまたカート・ヴォネガットのいう炭坑のカナリアの一羽であったとする筆者の視点からは少なからず教えられるところがありました。

 これに関連して想起されるのは、乱歩賞を受賞して池袋の乱歩邸を訪問したところ、国家に反逆するような小説を書いてはいけませんよ、と乱歩未亡人から忠告されたという小林久三さんのエピソードです。いずれ『江戸川乱歩年譜集成』のためのフラグメントとしてひろうことになるはずですが、乱歩が語ろうとしなかったことをじわじわあぶり出してゆく作業、気が遠くなるほど前途遼遠な感じです。眩暈がしそうでなりません。


 ■ 6月12日(月)
生歿年月日の霧のなかで

 まずはそういった次第であって、『探偵小説四十年』をデータ化する作業は昭和20年と21年を終えてから劈頭に立ち戻り、「自序」「処女作発表まで」「余技時代」といったぐあいに順を追って進めているのですが、これがなにゆえに遅々として進まないのかといいますと、むろんいくつか理由はあるのですが、いつかもお知らせしましたとおり出てきた人名その他をすべてメモしていることも大きな要因です。

 人名をメモするといったって、ただに人の名前を控えておくだけではありません。その生歿の年月日を調べ、年表に落としてゆく作業も進めなければなりません。たとえば巌谷小波の名前が出てくる。ふむふむ、明治3年6月6日生まれか、と明治3年の年表に書き入れて、出身地と本名を書き添える。廃藩置県以前の出身地は旧国名によることにしておりますので、たとえば同じ明治3年に生まれた菊池幽芳の出身地は常陸国と記してあるのですが、江戸が東京と改称されたのは慶応4年のことであるから巌谷小波は東京に生まれたということでいいであろう、みたいなことも考えつつ、ふむふむ、死去したのは昭和8年9月5日か、年齢はすべて満年齢を基本としていますから、するってえと小波の享年はちょうど六十か、と電卓を叩いて計算する。

 しかしまだいい。日本人作家はまだいい。生歿の年月日をつきとめるのは比較的容易です。私が常用している『新潮日本文学辞典』にはちゃんと生歿の年月日まで明記されておりますし、それにこれ──

 私はこの JapanKnowledge という有償サイトのサービスを受けているのですが(気になるお値段は税込みで月額千と五百七十五円なり)、このサイトの「日本人名大辞典」もありがたいことに年月日まで押さえてありますから助かります。

 しかし外国人作家の場合はそうはまいりません。『新潮世界文学辞典』にも『世界ミステリ作家事典』にも『海外ミステリー事典』にも生歿年しか書かれてはおりませんから、これにはほとほと困ってしまいます。ただまあこれ──

 この Wikipedia というネット上の百科事典には和洋の別なく人名には生歿年月日が記載されておりますゆえ(ネット上の情報というのはどこか信を置きがたい気がしてならぬのですが)、著名な作家の場合にはそれでことが足ります。ことが足りるケースはごくわずか、というのが難点ではあるのですが。

 だいたいが私は生来疑り深く、生歿年なども複数の典拠で確認したいというのが正直なところなのですが、案の定データに異同が見られる場合もあって、たとえばアーサー・モリスンの生年は『海外ミステリー事典』では1863年、『世界ミステリ作家事典』では1865年となっていて、記述内容から見ると「従来わが国に伝えられていた」情報に修正を加えている後者のほうがより正確かとも思われるのですが、現時点では両論併記ということにしておかざるをえません。

 悠久の宇宙の歴史から見てわずか二年の差がなにほどのものか、とも思うのですが、こういう異同はとても気になります。いやいや、私にはもっと気になることがあって、それはすなわちモリスンっていったい誰よ? という根源的な疑問です。なにしろ私はモリスンの小説など読んだことがなく、これではなんだか相当にまずいのではあるまいか。

  本日のフラグメント

 ▼1929年4月

 戸崎町だより 一記者

 昭和4年の「新青年」4月増大号に掲載されました。巻末奥付ページのいわゆる編集後記です。

 ◇三月号に江戸川乱歩氏の「空気男」を予告した。同氏はそのためわざわざ和歌山県勝浦の淋しく不便な温泉に俗塵を避けて精進してくれたのであるが、そして編輯局は出来るだけ〆切を延して力作の出来上るのを待つたのであるが、遂に間に合はず、読者諸君に対して違約するの已むなきに至つたことを、ここに謝する次第である。

 ◇乱歩氏はたとひどんなに苦しくても、間に合せものは書きたくないと云つてゐる。その真剣な態度に対しても、どうか御寛恕を得たい。──これは頼まれたのでないが、乱歩氏の代弁である。

 ◇その代り、来月こそはどうしてもすばらしい力作を誌上に飾りたいものである。実は同氏には「空気男」「押絵と旅する男」ほか二三の腹案があるのだが、それが十分発酵しないため、筆にのらないでゐるのであるから。


 ■ 6月13日(火)
本日はおねむなり

 よんどころない事情から寝過ごしてしまいましたので、本日はこれにて失礼いたします。ではまたあした。

  本日のフラグメント

 ▼1929年5月

 戸崎町だより 一記者

 昨日にひきつづく「新青年」5月号の編集後記です。乱歩作品はまたしても掲載されませんでした。

 ◇予想といへば、来月号は臨時増大号として華々しく打つて出る。その大体は別項予告の通りであるが、江戸川乱歩氏も今度は必ず書けると言つてゐるし、鈴木岡田の両優も非常な意気込であるから、期待されたい。

 ■ 6月14日(水)
名無しさんのご叱声にお答えして

 じつは本日もおねむなり、とか思いながら起き出してきたところ掲示板「人外境だより」に厳しいご叱声が投稿されておりましたので、この伝言板で急遽あたふたといいわけを展開することにいたしました。

名無し   2006年 6月13日(火) 9時10分  [220.215.60.60]

中さんの行政批評は的を得て非常に興味があったのですが最近辛口批評はありませんね。体制に迎合したのか、はたまたヨイショナデナデか。とにかく今後も期待してます。うわっつら、大衆受けねらい行政に立ち向かって頑張ってください

 どうもありがとうございます、と名無しさんにひとことお礼を申しあげてからいいわけに移りますと、おはなしは5月23日にさかのぼります。私はこの日、名張市役所で建設部の部長さんをはじめとした名張まちなか再生プランの関係各位にお目にかかり、5月25日付伝言にも記しましたとおり、

 ──名張まちなか再生プランに名張市みずからが変更を加えるためのもっとも合理的な手法を考える。それを名張市サイドの宿題にしていただいて、おとといの会見はつつがなく終了した。

 との帰結を見ました。現在ただいまは行政サイドでその宿題を鋭意検討していただいている最中で、いちいちこの伝言板でお知らせはしておりませんがこれまでに二度、担当職員の方から「もう少しお待ちください」との電話連絡を頂戴しております。きのうもきのうで──といった説明をはじめると長くなってしまうか、いやまあいいか、ということでさらにつづけますと、きのうもきのうでその旨のお知らせを直接いただきました。

 直接いただきましたというのはどういうことかといいますと、きのうはおりしも火曜日で、火曜といえば私にとってサンデーを先生と呼ぶ子らがいる三重県立名張高校でマスコミ論の教壇に立つ日であるのですが、きのうは校外学習、すなわち名張市役所を訪れて名張のまちのことを勉強しようという一席でした。つまり今年度、三重県教育委員会はこんなぐあいの「元気な三重を創る高校生育成事業」を展開しており──

 それに応じて私は「地域との絆を育む高校生支援事業」とがっぷり四つ、名張高校の教え子と名張のまちとの「絆」をとりもつ役目を果たさなければならなくて、それには生徒たちが名張のまちのことを勉強する必要がありますから行政の最前線に立つ名張市職員の方からおはなしをお聴きするのも有益であろうと、じつは5月23日に建設部長さんから拝眉の機を頂戴したおりなんとか協力していただけませんかとお願いしてみましたところ、即座にご快諾をいただき、

 「なんでしたらこちらから学校のほうへ職員を派遣して説明させましょうか」

 とのお申し出もいただいたのですが、いや、いやいや、生徒は校外に出るのを楽しみにしておりますのでその儀ばかりは、と名張市役所三〇六会議室でのレクチャーを手配していただき、都市計画と商工観光を担当するふたつのセクションから職員の方にお出ましいただいて種々ご説明いただいたのがきのうのことでした。ご参考までに、用意していただいてあった事項書を写しておきましょう。

「名張のまち」について
1. まちづくりの方針と取り組みについて
 ・ 名張市の現状
 ・ まちづくりの基本的な方向
 ・ まちづくりの実現に向けて
2. 中心市街地(旧町)商業について
 1 商店街振興事業 商工団体共同&共同施設設置
 2 空き店舗対策事業
 3 エコポイント事業
 4 インターネットビジネス「名張ばりばりモール」事業
3. 名張まち歩きについて
4. その他

 資料も何点かいただきました。そのうちの観光パンフレットはこんな感じで──

 この画像には名張市観光協会オフィシャルサイトへのリンクを設定してありますので、名張観光をご計画のみなさんはぜひご閲覧くださいますよう。

 ただしまあ、名張市役所で一時間ほど説明を受けたところで名張のまちの何がわかるか、との批判は当然あるでしょうし、それはまったくそのとおりではあるのですけれど、そんなものはむしろ二次的な問題でしかないと私は思います。きのうの授業にはもっと大切なテーマがあって、それはいったいどんなことかというと、わからないこと知りたいことがあるのならその道の専門家に教えを乞えということである。こちらから足を運び、礼を尽くして教えてもらってこい。それが人として踏むべき道である。しかるに世間にはそんなことさえできない大人というのがごろごろしていて、たとえば名張まちなか再生委員会なんぞと来た日には、人に教えを乞うどころか乱歩のことを教えて進ぜようという他者からの申し出に対して、

 ──現段階では乱歩に関して外部の人間の話を聴く考えはない。

 なんてこといってるからばかだというのだ。まぬけだというのだ。おまえら名張高校でおれの授業を受けてみるか。

 いや、いやいや、話が変なほうに流れていってしまいましたけど、とにかく昨日、私は教え子ともども名張市役所で校外学習の機会を頂戴し、懇切丁寧なご指導ご教示をたまわってきたわけなのですが、そのレクチャーが終わったあと都市計画担当セクションの、ということは名張まちなか再生プランを担当しているセクションの職員の方から、5月23日に宿題となった件については「もう少しお待ちください」とお伝えいただいたというのが、かなり上に記しました「きのうもきのうでその旨のお知らせを直接いただきました」という文章の意味です。

 そういった次第ですから名無しさん、いまは行政サイドの回答をお待ちしている状態で、それに先方だっていくら担当セクションとはいえ名張まちなか再生プランを専門に手がけているというわけではなく(げんに私の教え子のお相手をしていただくなどというお仕事が飛び込んでいるわけですし)、こちらとしてはことごとしく催促をするでもなくおとなしくお答えをお待ちしているところなのですから、この伝言板にこのところ「行政批評」が登場しないのも当然のことであるとお考えいただければと思います。そのように考えることはできないとおっしゃるのであれば、当方としては名無しさんから頂戴したご叱声こそは名無しさんがお嫌いなはずの「うわっつら」のものであると断ぜざるをえなくなるかもしれません。

 「体制に迎合したのか、はたまたヨイショナデナデか」とのご心配までたまわって恐縮至極ではあるのですが、私の場合はこちらから迎合しようとしてもたぶん体制側から「あ、君はいいから」と拒まれてしまうのではないかと推測される次第ですし、逆に懐柔籠絡の線も望みはかなり薄そうです。私はこう見えても飲ませる抱かせる握らせるみたいなことにはいたって弱く、とはいっても何も森永マミーを飲ませてほしいわけではなく、安田美沙子ちゃんの抱き枕を抱かせてほしいわけでもなく(抱いて寝るにやぶさかではなけれど)、もちろんカラオケのマイクを握らせてほしいというわけでもけっしてないのですが、そこは魚心あれば水心、飲ませるべきものを飲ませ抱かせるべきものを抱かせ握らせるべきものを握らせて懐柔籠絡にこれ努めていただければたぶん先様のご希望に余裕でお応えできるのではないかしらとみずから顧みて思っているわけなのですけれど、いまのところ嬉々として達磨になれそうなそうした話はまったくもたらされておりませんからどうぞご心配なく。

 まだ言葉が足りないような気もいたしますが、記すべきことがあればまたあしたにでも記しましょう。とりあえず本日はこのへんで。名無しさん、今後ともよろしくお願いいたします。

  本日のフラグメント

 ▼1929年6月

 戸崎町だより 一記者

 昨日にひきつづく「新青年」6月増大号の編集後記です。冒頭では4月1日の小酒井不木の逝去が報じられ──

 ◇顧みれば氏が初めて本誌に執筆されたのが第三巻第三号であるから、大正十一年二月、以来八年間、犯罪研究に創作に飜訳に、はたまた後進の指導に、氏が探偵小説界のためつくされた功績は量り知れざるものがある〔。〕斯界の前途いよいよ多事ならんとする今、四十歳の若さで永眠されたことは、天も無情か、転た痛惜にたへない次第である。茲に謹んで限りなき哀悼の意を表する。

×  ×  ×

 ◇本誌の売行はますます素晴しい。東京市内の某書店では毎号発売後旬日ならずして千部近い部数を売りつくす程である。その他至るところで本誌が話題にされてゐるのを耳にするし、また意外の方面に愛読者のあるのを発見するのは、なんとも感謝にたへない次第である。ますますよいものを拵へて、諸君の期待に背かないつもりでゐる。

 ◇そこで、本号は差当り五百頁の増大号とした。しばしば予告しながら、いつも諸君を失望せしめてゐた乱歩氏の力作をはじめとして創作十三篇、飜訳十七篇〔、〕折角好天気の日曜をも棒に振つて、諸〔君〕に一日の籠城を強ひることになりはしまいかと、記者は私かに恐れをなすほどである。


 ■ 6月15日(木)
すべからく、したっけねー

 いまや名張市における行政批判の急先鋒であるとごく一部では目されていないでもないような私でありますが、そしてその批判が的を得ているというか的を射ているというか、とにかく過たず正鵠を射抜いているとやはりごく一部では目されていないでもないような私でもあるのですが、ここで読者諸兄姉の誤解なきを期していささかの贅言をつらねておきますならば(もとより私のいってることなんかすべからく贅言なのであって、「いささかの贅言」なんてのは贅言の見本みたいな文辞ではあるのですが)、私は重箱のすみをつっついているわけではまったくなく、むしろ大目に見ることが可能であれば最大限大目に見ることを旨としております。

 ですから日本語の誤用なんかも気にはさわりますけどできるだけ大目に見ることにはしていて、たとえば掲示板「人外境だより」の6月13日21時43分付投稿で何の何某(ぢつわ大熊)さんがあえて誤用していらっしゃった「すべからく」なんていうのも、気にはなるけどここまで誤用が一般化してしまったのであればもういいだろうと思われぬでもありません。

 ここで試みに──

 この JapanKnowledge というサイトで「すべからく」を全文検索してみましたところ、「現代用語の基礎知識」の「2003年版若者用語:口ぐせ」というのがひっかかってきて──

◆〜から

…の金額で(お釣りくれ)。「1000円からコーヒー頼む」「500円から渡しとく」。本来は、店員などがお金を受け取るときと渡すときに使う。「1000円からお預かりします」「454円からのお返しです」。


◆…の方

…は。「試験の方はやりますか」。コンビニ用語の「お箸の方はおつけしますか」などから。


◆マジっすか?

信じられない、困ったどうしようというとき相手に助けを求める表現。

 みたいな言葉がリストアップされていて(槍玉にあげられていて、というべきか)、そのなかにはちゃんと──

◆すべからく

意味はわからずに、使っている。「とにかく」「いずれにせよ」に近い。

 というのも登場しています。もっとも、上掲の語釈もちょっとニュアンスがちがうのではないかという気がしないでもないのですがそんなことはさておき、「すべからく」の誤用はいまや若い世代のみにとどまる現象ではないようですからいずれ「もとより私のいってることなんかすべからく贅言なのであって」みたいな用法が正当なものであると認められる時代がやってくるのかもしれません。

 すべからく私は些細なことなら大目に見るようにしているわけなのであって、たとえばけさもけさとて「乱歩」をキーワードにあっちこっちのニュースサイトを検索いたしましたその結果、Google の検索でこんなページがひっかかってまいりました。

 すなわち日本商工会議所のオフィシャルサイトに6月14日、

 ──◆江戸川乱歩作品「幻影城」に触れる文学館を整備(鳥羽商工会議所)

 というタイトルの記事が掲載されたわけなのですけれど、私にはこれがどうも気になる。非常に気になる。「幻影城」にふれる文学館とはどういうことか。私は近年「幻影城」なる言葉が誤用とまではいわぬまでもじつに不用意に使用されていることに唖然暗然としている人間のひとりではあるのですが、しかしまあ、まあいいでしょう。大目に見ることにいたしましょう。鳥羽商工会議所に対して、みなさんのおっしゃる幻影城ってどうよ? などと申し入れたりすることはやめておきましょう。

 ちなみに JapanKnowledge の「2003年版若者用語:口ぐせ」によれば──

◆どうよ?

相手に感想を求める言い方。

 しかし私は鳥羽商工会議所の感想が訊きたいわけではさらさらなく、私が一朝「幻影城ってどうよ?」と口走るやそれはもうてめーら一知半解のやからが幻影城幻影城とやかましくほざくんじゃねーぞこら、みたいな意味になってしまわざるをえないのですが、そういうことはいたしません。大目に見てさしあげることにいたしましょう。よかったよかった。

 すべからく私はじつに寛大寛容な人間なのでありますから、そうした人間がひとたび行政批判を展開するとなればこれはもう行政の根幹にかかわる問題しか俎上に載せないのであるとご承知おきいただきましょう。すなわちお役所の役目というのは地域住民になりかわって地域住民の税金のつかいみちを決めることなのですから、そのつかいみちが変であったら行政はしっかりみっちり批判されるべきなのであり、つかいみちを決めてゆく手順に問題があるというのであればやはり批判は避けられますまい。

  本日のフラグメント

 ▼1929年6月

 押絵と旅する男 江戸川乱歩

 昨日の「戸崎町だより」でふれられていた「乱歩氏の力作」です。「新青年」6月増大号に掲載されました。作品の末尾、例の老人が闇に溶けこむように消えていったあと、行空けもなく本文と同じ体裁で乱歩のいいわけが掲載されています。

 (附記)前号予告のものが出来なかつた。だか、さうさう違約することは許されぬので、旧稿を書きついで責をふさいだ。読者諒せよ。

 この附記は光文社版全集第五巻『押絵と旅する男』の解題にも採録されていますから珍しいものではなく、それならばここに見えている「前号予告」、すなわち「蟲」という字をずらずらならべてタイポグラフィックな面白さを追求したあの予告のコピーをスキャンしてお目にかけようと探してみたところ、どこにまぎれたのか肝腎のコピーが出てきません。よくあることではありますが。

 しかたありませんから目次に附された「押絵と旅する男」の紹介文を引いておきましょう。

ブラヴオ! 一作をものする毎に体量一貫匁を減ずると嘆じたる乱歩氏、「新青年」への約を果さぬうちは、断じて他へ執筆せずと意気込みたる乱歩氏の力作を読まれよ。押絵と旅する男とは何者か? 妖艶水の滴る如き町娘お七をかき抱く天鵞絨服の男が、如何に奇しくも胸をどる宿命を生みつけられてゐるか?

 べつにどうということもない文章で、ただし「宿命を生みつけられてゐる」という日本語がなんか変、モリアオガエルの産卵シーンが連想されたりしてとても変、という気はいたしますが、そんなことよりむしろ、

 ──「新青年」への約を果さぬうちは、断じて他へ執筆せずと意気込みたる乱歩氏

 とあるのが気にかかります。「他」というのは何なのか。前後の事情から判断いたしますに、おそらくは講談社の雑誌、はっきりいってしまえば「講談倶楽部」のことではないのか。ならば「約」とは何か。「新青年」に一作書くまでは「講談倶楽部」には絶対書かない、みたいなことを乱歩が約束していたのか。ただしその一作を書いたらもうおさらばだもんね、みたいな。

 うーむ。乱歩の附記はもとより雑誌の編集後記みたいな片々たるフラグメントにも貴重な情報がまぎれこんでいることは疑いようもないのだが、フラグメントを集めれば集めるほどわからないことが増えてくるのをいかにせん。

 ちなみに JapanKnowledge の「2003年版若者用語:口ぐせ」によれば──

◆いかんせん

どのようにしても。

 それでは本日はこのへんで、したっけねー。

◆したっけねー

じゃあね。さようなら。


 ■ 6月16日(金)
たわむれに批判はすまじ

 たわむれに批判はすまじ、とはまた時代がかったタイトルだなとわれながら思うのですけれど、ここでこの手の反語的表現にお強くないみなさんのためにあえて贅言を費やしておきますならば、批判なんてのはたわむれやいたずらやつれづれなるままにするものではないということです。人を批判するのなら腹を据えてかかれということです。自身の安全を完璧に確保したうえで何にどう文句をつけてみたところで、そんなものにどれほどの意味があるというのか。批判対象からはゼロと見なされておしまいだということです。

 近い例をあげるならば昨年の11月12日午前1時22分48秒、2ちゃんねるのニュース速報+板に「【地方自治】永住外国人を含む18歳以上に請求・投票権 三重・名張市が住民投票条例案  1月施行目指す」というスレッドが立てられました。残骸がこれです。

 それでごくごく短い期間ではあったのですが、あまり頭のおよろしくないみなさんがこのスレッドにおいてここを先途と大騒ぎをしてくださった。なかにゃこの名張市のオフィシャルサイト──

 はたまた条例を担当した名張市議会総務企画委員会の委員長さんのオフィシャルサイト──

 こういったあたりにメールを送付して条例に関する抗議を申し入れてやったぜとの報告も投稿され、さらにはあまり頭のおよろしくない名張市民が登場してわけもわからず右往左往するシーンが展開されるにいたっては、ばかにゃつきあいきれねーなまったくとつくづく思わされた次第ではあったのですけれど、2ちゃんねるに投稿しようが名張市のサイトにメールを送付しようが、そんなことで何かがどうにかなったのかばか。

 何もどうなりもしなかったではないかばか。抗議のメールに対して名張市職員のみなさんや名張市議会議員の先生から返信があったのかどうか、そんなことまで私にはわかりませんけれど、おそらくどんなリアクションもなかったのであろうなと推測はされ、そもそもどこの馬の骨とも素性を明かさぬ人間からの匿名のメールにいちいち応えねばならぬ筋合いもない。だから抗議のメールなんて何の意味もないというのである。

 しかしまあ、2ちゃんねるで名張市のことを話題にされ、話題にされというか無責任な放言を書き散らかされ、それも行政が直接関係していることに無根拠な誹謗中傷の十字砲火が浴びせられておるわけですから私も名張市民のひとりとしてスルーはできず、いやべつにスルーしたっていいのですけれど2ちゃんねるの虚妄を真に受けて周章狼狽する名張市民がこのサイトを覗いてくれる可能性もないではありませんでしたから、あっちこっちのサイトから必要なデータを集めつつ名張市の住民投票条例案について所見を記したわけであったのですが、もしも私自身がこの条例に重大な疑義を抱いていたらどうしたか。

 知れたことです。当然批判していた。あたりまえのことである。自身のサイトで条例案を批判するだけにはとどまらず、名張市の担当セクションにメールを送りつけて疑問点を問いただし、その回答もまた自身のサイトで公表する。回答にさらに疑問があった場合には再度メールを送信する。回答があればまたそれを、といったぐあいの徒労といえば徒労、不毛といえばまさしく不毛でしかない行為をえんえんとつづけていたことであろう。ただしこれだって成果の見こめることではなく、労力や場合によってはお金までむなしく費消してそれでおしまいになっていただけの話でしょう。

 早い話が三重県の官民合同あんぽんたん事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」において、私は事業の概要が公表された当初からそこに重大な疑義を見いだしておりましたので、今年4月にこんなふうなことになってしまったのですけれど──

 この伊賀県民センターの前身である三重県伊賀県民局のオフィシャルサイトにメールを送信して徒労といえば徒労、不毛といえばまさしく不毛でしかない行為をえんえんとつづけたそのあげく、事業はこともなく開始されて終了し、私はいよいよ嫌われ者となり、伊賀地域ではどちらへお邪魔いたしましても土地土地のお兄さんお姉さんおじさんおばさんお爺さんお婆さんから判で押したように白い眼で見られる人間になりはててしまってさあ大変。それでも自身の批判をインターネット上で公開し、批判対象である三重県なり伊賀地域なりの関係者がどうしようもないばかであるということを証明できたことには、少なくとも匿名の抗議メールを送りつけること以上の意味を見いだせるのではないかと考えてみずからを慰めております。

 とはいうものの、事業を批判するために費やした労力や時間や金銭(地域雑誌「伊賀百筆」に事業批判の稿を寄せるだけで掲載料は軽く十万円を突破し、いまや自己破産した身としてはまるで夢のような話であったと思い返される次第なのですが)、さらにはばかを相手にすることによって放射性廃棄物のごとく蓄積されてゆくストレスといったものを考えあわせましたら「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の批判なんていかにも徒労でまさしく不毛、なんともばかなことであったといわざるをえないのですが、この手のばかがいたほうが地域社会が面白くなるだろうという自負もありますゆえ、今後もそれが必要であると認められた場合には、徒労であっても不毛であってもたわむれでもいたずらでもつれづれなるままでもない正当な批判をくりひろげなければしかたあるまいな、と観念し覚悟している私です。

 以上、三日間にわたって名無しさんのご投稿へのお答えとそれに関係する所信の一端とをつらつらへらへら書きつけてきた次第ではありますが、私にはいささかも他意はなく、まちがっても今年8月に実施される名張市議会議員選挙に立候補するようなことはありませんから関係各位はご安心めされよ。

 あすはまた乱歩の話題に戻りたいと思います。

  本日のアップデート

 ▼1929年8月

 推薦文 江戸川乱歩

 「押絵と旅する男」が掲載された号の次の次の号の「新青年」に掲載されました。自慢ではありませんがとっくの昔からコピーはもっていたのですが、ほんとに自慢ではなけれど刊本『江戸川乱歩執筆年譜』に記載するのを忘れておりました。あいすみませぬ。

 博文館版世界探偵小説全集の広告が見開きに掲載され、乱歩をはじめ馬場孤蝶、大下宇陀児、加藤武雄の四人が推薦の弁を寄せています。

 出なければならないものが出た。しかも探偵物の本家新青年の責任編纂である。あらゆる意味において最善を期待し得ると信ずる。尚本全集中に日本探偵作家として、私一人が加へられたことは何とも光栄の至りである。

 とはいえ、この文章がほんとに乱歩の手になるものかどうか、はっきりいって確認のしようがありません。しいて判断するならば、乱歩ではなくて編集部が記したものではないでしょうか。「尚」という接続詞がなんとなく乱歩らしくない、というじつにあやふやな理由にもとづく印象なのですが。


 ■ 6月17日(土)
初出の霧のなかで

 6月12日付伝言のつづきとなります。『探偵小説四十年』に出てくる人名の生歿年を調べるのもなかなかに大変な作業なのであって、だいたいがモリスンっていったい誰よ? という話のつづきなのですが、人名以外に作品の問題もあります。小説であれ随筆であれ、文中で言及されている文芸作品はすべて年表に初出を明示したいと考えておりますので、ふむふむ、巌谷小波の『世界お伽噺』は明治32年から41年にかけて出版か、といったことも記載してゆくことになります。

 あるいは、幸田露伴の「対髑髏」は明治23年1月の「日本之文華」、泉鏡花の「夜行巡査」は明治28年4月の「文芸倶楽部」、田山花袋の「蒲団」は明治40年9月の「新小説」、谷崎潤一郎の「刺青」は明治43年11月、「麒麟」は同年12月の「新思潮」か、ふむふむ、といったあんばいなのですが、なかにはへんてこりんな記述もあって、

 ──中学時代新聞の連載で漱石を二つ三つ読みつづけ、それが機縁となって漱石のものは可なり読んでいたし、

 などとあるとやはり漱石のことも調べねばならず、漱石が朝日新聞に入社した明治40年4月は乱歩が愛知県立第五中学に入学したときでもあって、漱石はこの年に「虞美人草」、翌41年に「坑夫」「夢十夜」「三四郎」、42年に「それから」、43年に「門」の連載を終えたあとでいわゆる修善寺の大患、44年には胃潰瘍が再発し痔も併発、45年3月に乱歩が中学を卒業したときには「彼岸過迄」を連載していた、ということがわかります。

 このうち「新聞の連載で漱石を二つ三つ読みつづけ」というのはどの作品なのか。さしずめ「夢十夜」「三四郎」「それから」といったところか、みたいなことを想像するのは存外愉しいことではあるのですが、乱歩が作品名を明記していないのですからこれらの漱石作品をそのまま年表に落としてゆくのはいかがなものか。文芸作品を年表に記載する場合には乱歩による言及の有無が明示されているべきなのではないか、などと悩ましい問題も新たに発生してきます。

 しかし私がさきほど「なかにはへんてこりんな記述もあって」と記したのは漱石作品に関する記述ではなく、さっきの引用をさらにつづけますと、

 ──中学時代新聞の連載で漱石を二つ三つ読みつづけ、それが機縁となって漱石のものは可なり読んでいたし、紅葉、露伴、鏡花などの古いものや(露伴の「対髑髏」や鏡花の「夜行巡査」などには、子供ながら、深く感銘した記憶がある。柳浪はまだ読んでいなかった)花袋の「蒲団」に始まる日本自然主義文学は、いろいろ読んでいたが、

 ということになるのですが、「柳浪はまだ読んでいなかった」っていうのがなんだかへんてこりん。こんなこといわれても困ってしまうではありませんか。索引によれば『探偵小説四十年』に広津柳浪が登場するのはわずかに二か所、しかも残り一か所は刊行時の埋め草として収録された「活字との密約」なのですから、実質的には一度しか出てきません。その一度が、

 ──柳浪はまだ読んでいなかった

 とはなにごとか。読んだときのことを書いてくれればいいではないか。しかし乱歩が柳浪作品を愛読したのはたしかなことのようですから、だとすればたとえば明治28年の年表に「変目伝」や「黒蜥蜴」や「亀さん」のことを記しておいたほうがいいのではないか。しかしかりに記載するにしても手許の事典類ではこの三作品が明治28年に発表されたということしか判明しませんから、それは私の希求を満足させるものではまったくありません。私はあくまでも何という雑誌の何年の何月号に掲載されたのかということまで調べたいわけで、いよいよもって悩ましい。

 しかしまだいい。日本人作家の作品はまだいい。初出をつきとめるのは比較的容易なことでしょう。ところが海外作品の初出となると、これはもうほとんど絶望的だといってもいいのではないか。たとえば「新青年」の増刊号をとりあげて乱歩は、

 ──第三回増刊にはモリスンの長篇「十一の瓶」(延原謙訳)を全部のせたほか、短篇が二十ほど並んでいるが、そのうちの目ぼしいものを拾って見ると、ポー「盗まれた手紙」マッカレー「サムの魚釣」フリーマン「謎の犯人」ビーストン「死者の手紙」ルブラン「真紅の封蝋」ハンショウ「六本の指」ドイル「ソア橋事件」ウイントン「二つの部屋」などで、

 などとずらずら作品を列挙しているわけですが、こんなものとても調べはつかぬであろう。ポーやドイルはともかくとして、ハンショウの「六本の指」だと? ウイントンの「二つの部屋」だと? それにだいたい、モリスンって誰よ? ほんとに誰よこの人。

  本日のフラグメント

 ▼1929年8月

 戸崎町より

 昨日とおなじ「新青年」8月号に掲載されました。あまりにも断片的なものゆえ「乱歩文献データブック」にも記載していないのですが、ついでですからひろっておきます。

 ◇「新青年版」世界探偵小説全集は予想の如く俄然他を圧して比肩するものなき盛況である。本誌のフワンたるもの、まさかこの全集の読者でない人はあるまい。

 ◇と共に、「新青年叢書」は第二回の刊行として、小酒井不木江戸川乱歩両雄の快適本を贈つた。あゝ、諸君の書架の何と賑かなることよ。

 読者の書架をいよいよにぎやかならしめんと贈られた新青年叢書二冊は、この年6月に出た『小酒井不木傑作選集』と『悪人志願』でした。


 ■ 6月18日(日)
悪の結社で教えを乞う

 ──モリスンって誰よ?

 とぼやいていたら親切な方からモリスンに関してメールでご教示をたまわりました。「新青年」の大正11年8月増刊号に掲載された「十一の瓶」は「The Green Eye of Goona」(1904)の邦訳で、戦後になって出た世界大ロマン全集にも「新青年」とおなじく延原謙の訳で収められているようです。

 この方のメールには、こんなことも書かれてありました。

 ──新青年の翻訳の初出調査は、泥沼です。

 がーん。

 しかも驚くべきことに、「新青年」のおなじ号に掲載されたウイントン「二つの部屋」は、

 ──横溝正史の創作らしいですし。

 がーん。がーん。

 横溝というのは実際どこまではた迷惑な男なのか。べつに横溝正史から迷惑をかけられたおぼえはなけれども、思わずそんなことを考えてしまうほどにいまの私は困惑しているということでしょう。

 もちろん私とて、ただ漫然と坐してばかりもいられません。きのうはたまたま悪の結社とその名も高いミステリファンサークル畸人郷の例会の日でしたから、ふと思いついて雨のなか大阪に足を運び、その道の先達からいろいろと教えを受けてまいりました。

 海外の作家や作品を調べるには、私が使用している『世界ミステリ作家事典』と『海外ミステリー事典』のほかにもう一冊、中島河太郎先生の『推理小説展望』があることも教えてもらいました。東都書房から出た世界推理小説大系の別巻で、なかに「海外推理作家事典」が収録されているとのことでしたので、それならば双葉文庫版(日本推理作家協会賞受賞作全集の第二十巻)を私は所蔵しております。帰宅してさっそく調べてみたところ、なるほど『推理小説展望』という本は四分の三ほどが「海外推理作家事典」で占められていて、初刊は1965年ですからデータが古いといえば古いのですが、古いことを調べるにはそのほうがかえって好都合でしょう。

 これで海外作品の調査に関しては、いわゆる三種の神器が揃ったことになります。と思ったらまだひとつ抜けていて、じつをいうと私は『世界ミステリ作家事典』は本格派篇しか購入しておらず、もう一冊のハードボイルド・警察小説・サスペンス篇のほうは所有しておりませんでした。本格派篇も辞書として使用することは絶えてなく、ここへ来てようやく頻繁にひもとくようになってきたのですけれど、あれ、と思わされたのはたとえばルブランの項目が見当たらないことでした。

 調べてみると本格派篇ではなくてハードボイルド・警察小説・サスペンス篇のほうにルブランが記載されていて(細目は「本棚の中の骸骨」のこのページでどうぞ)、仔細に見てゆくと本格派篇よりはむしろこちらのほうに私好みの作家が多いような気もします。乱歩が定義した「奇妙な味」を感じさせる作家も、あえて分類すればハードボイルド・警察小説・サスペンス篇に属するようですし。

 それでこっちのほうも買っとかなければならんなと、きのう雨の大阪で新刊書店を覗いてみたのですけれど店頭には見あたりませんでした。当地の本屋さんに取り寄せてもらわねばならんようです。なんか何かと物入りである。なかなかほんとに大変である。

  本日のフラグメント

 ▼1970年9月

 編集後記 吉行淳之介

 きのうまでの流れとはまったく関係なく、吉行淳之介の名アンソロジー『奇妙な味の小説』から巻末解説を引きます。

 刊行までの経緯はいっさい不明なのですが、吉行淳之介の『ヴェニス 光と影』という新刊が出ていて、篠山紀信さんのカラー写真も美しく、ひさかたぶりで吉行淳之介の文章を読み終えたばかりのところにさっき記した「奇妙な味」という言葉がみごとにシンクロした結果、三十六年も前に発行された『奇妙な味の小説』をば書棚からひっぱり出してきたという寸法です。

 アンソロジー編纂の依頼を受けた吉行淳之介は、乱歩のいう「奇妙な味」をテーマにした編集を思いつきます。「編集後記」では、

 ──私の編集の狙いはこの言葉の範囲をいささか拡大することに置いたが、まず乱歩の解釈を途中の文章を省略しながら引用させてもらう。

 として「宝石」昭和25年4月号の「幻影城通信」から「奇妙な味」に関するくだりが引かれ、そのあとはこのようにつづきます(この引用ではダンセイニ「二瓶の調味料」の真相というか結末というか、とにかくネタが明かされております。未読の方はご注意めされよ)。

 長い引用であり、おまけに省略部分があるので、乱歩ファン(私もその一人だから、申し訳けないとおもっている)に怒られそうだが、お許しを乞う。

 この中に出てくる「二瓶の調味料」という作品は、私の大好きな短篇だが、荒筋についての乱歩の紹介がすこし間違っているので、あらためて書いてみる(ますます、申し訳けない)。

 森の中の一軒家に訪れた人間が消えてしまう。名探偵が登場して、訪問者が食べられてしまったという証拠を掴むが、どうしても解けぬ謎が残る。訪問者が消えた日から、一軒家の住人が一日に一本ずつ傍の林の木を伐り倒し薪をつくる。その薪の膨大な量がピラミッド型になって残っている。なぜそんなことをしたか、さしもの名探偵にも分からない。とうとう犯人に直接訊ねてみると、

 「食欲増進のためでさあ」

 と、こともなげに答える。

 奇妙な怖しさが底に漂っている、このユーモラスな味が、私は好きなのである。

 乱歩による定義からあえて逸脱もしながら集められたピースは次のとおり。

奇妙な味の小説
暑さ 星新一
秘密 安岡章太郎
さかだち 柴田錬三郎
うまい話 結城昌治
召集令状 小松左京
思いがけない話 河野多恵子
わが愛しの妻よ 山田風太郎
スパニエル幻想 阿川弘之
勝負師 近藤啓太郎
暗い海暗い声 生島治郎
二重壁 開高健
手品師 吉行淳之介
脱出 筒井康隆
黒猫ジュリエットの話 森茉莉
白夜の終り 五木寛之
夢の中での日常 島尾敏雄

 天国の乱歩が見たらいったいどこが「奇妙な味」かとたまげてしまうようなラインアップかもしれませんが、たとえばこういったぐあいに乱歩による定義があとの世代に継承されてゆく過程もまた、『江戸川乱歩年譜集成』で跡づけてゆかなければならんわけです私は。なかなかほんとに大変である。


 ■ 6月19日(月)
インチキの馬の脚

 さ。ここらでひとつあほたれのみなさんを軽く叱り飛ばしておきましょうか。本日付中日新聞の伊東浩一記者の記事をどうぞ。

市街地再生へNPO 名張の委員会 来年度の設立確認
 名張市の既存市街地再生事業の立案に取り組む官民共同組織「名張まちなか再生委員会」の本年度総会が十八日、市役所であった。市街地再生の“実動部隊”となる民間非営利団体「NPOなばり」(仮称)を来年度設立することを確認した。

 名張市の既存市街地に当たる名張地区では、新町の旧家細川邸を郷土資料展示や物販機能を備えた「初瀬ものがたり交流館」(仮称)に改修する計画や、本町の民間病棟跡地に「江戸川乱歩文学記念館」(仮称)を建設する計画などの再生事業が進んでいる。

 あーこれこれあほのみなさん、名張まちなか再生委員会のあほたれのみなさん、あんたらいったい何をお考えなのでしょうか。むろんまともにものなど考えられぬのではありましょうけれど、こうやって拝見しておりますと話が進めば進むほど責任の所在が曖昧になり、行政の主体性が稀薄になり、原理原則はすっかり見失われて、われらが名張市がインチキ自治体の名をいよいよほしいままにしてしまうのを何としょう。じたばたすればするほど馬脚を顕わしてしまうのはあほのみなさんの常ですからいたしかたなきことなれど、もう少しちゃんとできぬものかと私は思う。

 いいですかあほのみなさん、あなたがたのやっておることは無茶苦茶なの。だから私は名張市建設部の部長さんにお会いして、ちっとは原理原則を重んじてくれまへんかと、税金のつかいみちを決めるのであればルールや手続きを無視することはできまへんでと、名張まちなか再生ブランに片言隻句も記されていないことを名張まちなか再生委員会のあほのみなさんが協議検討しておるというのは、いくらあほのやることだとはいえ目にあまりまっせと、どうしても協議検討をつづけたいというのであれば名張市が主体的な判断にもとづいて名張まちなか再生プランを変更しなければあきませんがなと、声涙ともにくだらんばかりにかき口説き、わかりましたとお答えをいただいたのが5月23日のことでした。

 ですからこらあほのみなさん、名場のまちなか再生委員会のあほのみなさん、おまえら総会開いてNPOなばり(仮称)だの初瀬ものがたり交流館(仮称)だの江戸川乱歩文学記念館(仮称)だのとうわっつらのことさえずっている暇があるのなら、もう少しまともになることを考えろ。自分たちがどれほどばかなのか自省してみろ。おまえらの存立基盤は名張まちなか再生プランであるという事実にちっとは思いを致してみろ。ところがおまえらは何なのか。おまえらは考えうるかぎり最低の手法でことを進めようとしている。私にはそう見える。

 おまえらはまったく最低である。インチキやるにしてももう少し垢抜けられぬものか。拠って立つべき原理原則、遵守すべきルールや手続きなんてきれいさっぱり無視してしまい、うわべだけの既成事実を積み重ねてゆけばことが成就するとでも思うておるのであればおまえらほんとに最低である。最悪である。ばかである。まぬけである。あほである。妊娠という既成事実をジャンピングボードとして結婚になだれこむのができちゃった婚であるのなら、名張市にはこれからできちゃったNPOとかできちゃった交流館とかできちゃった記念館とかができることになるのかな。そんなことになったらこの私、名張市民のひとりとしてとっても恥ずかしく思うわけですが。

 みたいなところでいいでしょう。この伝言板で先日名無しさんにご説明申しあげましたそのとおり、私は行政サイドからの正式なお答えをお待ちしているところなのですから、怒るべきことがあればそのとき本気で怒ることにして、名張まちなか再生委員会のあほたれのみなさんを軽く叱り飛ばすのはこのへんまでとしておきましょう。私はあほたれの相手ばかりもしておれんのよ実際。すまんな、あほたれのみなさん。

  本日のアップデート

 ▼5月

 「人外」の幻想文学──乱歩・マッケン・中井英夫 真杉秀樹

 三年前の夏に終刊を迎えた「幻想文学」の後継誌のようなものとして刊行がはじまった「ナイトメア叢書」の第二号『幻想文学、近代の魔界へ』に収められました。

 ──本叢書では「幻想文学」がカバーした領域にとどまらず、広く文化現象としての「闇」への想像力に目を向け、学術的なアプローチを提供することで他雑誌メディアとの差別化を図るとともに、文学研究だけではない、隣接人文学の成果を結集する新たな場を形成することを目的としている。読者諸氏の熱い支援をお願いしたい。

 と一柳廣孝さん(「本陣殺人事件」を想起せずにはいられないお名前ではあります)の巻頭言にあります。「ナイトメア叢書」には何の関係もない人間ではありますが、私からも諸兄姉のご支援をお願いしておきたいと思います。

 いまだぱらぱらと眼を通しただけなのですが、漱石あり花袋あり正史ありとなかなかの充実ぶりで、第二章「幻想コラム」に収録されたのがこの一篇。冒頭の二段落を引きましょう。

 私が幻想文学というものを最も強烈に意識したのは、一九七〇年ごろ(昭和四十年代後半)であった。それは、私の大学入学の時期に一致していた。高校三年のとき、文学系大学に進学を決めていた私は、御多分にもれず、夏目漱石や太宰治、宮澤賢治といった文学史に輝く正系の文学者の作品や、日本文学大系にかっちり収められた純文学の作者たちの作品を精力的に読んでいた。受験勉強と並行したこれらの読書は、私に大いなる愉悦を与えた。それは、これから文学畑に踏み入ろうとする者の教養としての作業でもあった。

 しかし、そういう「表」の文学大系に対して、私は「裏」の、というより、根っからの個人的嗜好として怪奇・幻想系の文学の密かなる愉悦をもっていた。その代表が、江戸川乱歩である。乱歩の作品は、小学校時代に『蜘蛛男』などのいわゆる通俗長篇を、中学時代に「押絵と旅する男」や「屋根裏の散歩者」などの短篇秀作群を、そして高校時代には探偵小説エッセイや犯罪評論を読んでいた。その高校三年の時点で最も関心をいだいていたのが、乱歩の海外幻想文学の紹介評論であった。

 巻末の「著者略歴」によれば筆者と私はおなじ年の生まれなのですが(ただし私は早生まれ)、読書経験には天と地ほどの隔たりがあります。とくに乱歩作品となると、私が高校卒業までに読んでいたのは新潮文庫『江戸川乱歩傑作選』と現代教養文庫『探偵小説の「謎」』の二冊のみ。講談社版の歿後第一次全集は私が高校三年生のときに配本がはじまったのですが、そんなものとても買えませんでしたし。

 みずから省みて内心忸怩たるものをおぼえざるをえません。

 にしても人間、やはり若いうちに勉強しておかないとあとでうろたえることになるようです。私はそのことを最近つくづく実感しており、そのあたりのことはまたあした。


 ■ 6月20日(火)
古本初心者の弁

 人間、若いうちに勉強しておかないとあとでうろたえることになるというおはなしです。

 6月17日の雨の土曜日、悪の結社とその名も高いミステリファンサークル畸人郷の例会にお邪魔し、その道の先達のみなさんからいろいろお教えをたまわってきたことは18日付伝言に記したとおりなのですが、私は例会がはじまるまでに大阪駅周辺の古本屋さんを覗いてまいりました。何のためか。いうまでもなく『江戸川乱歩年譜集成』の資料を求めてのことである。

 べつにこれといった目当てがあったわけでもないのですが、若いうちの不勉強がいまになってたたり、『江戸川乱歩年譜集成』のためのメモをとりはじめてみたところ、私にはみずからの文学史的な素養教養のなさが泣きたくなるくらい痛感されてしまいました。ご承知のとおり『探偵小説四十年』は乱歩がおいたちに重ねて幼少期以来の読書経験を回想するところからはじまっているのですが、そして私は『江戸川乱歩年譜集成』は乱歩の読書経験を追体験する水先案内の役目をもはたす内容にしたいと考えているわけなのですが、まーあびっくりするくらい隔絶しているわけです。乱歩と私の読書経験は。あたりまえですけど。

 たとえばミステリ作品なら、ポーやドイルはべつにして、開巻まもないあたりにフリーマン「唄う白骨」、アイルズ「殺意」、クロフツ「クロイドン発十二時三十分」なんてのが出てきます。自慢ではありませんがどれも読んだことがありません。とくにクロフツなんてなんだかかったるそうだし時刻表トリックなんて見るのもいやだし、と頭から決めてかかって手にとったこともないという潔さ。しかしこんなことではまずかろうとはさすがに思い返されましたので、アイルズの『殺意』は創元推理文庫で見かけたことがありますから当地の本屋さんで探してみたのですけれど、残念ながら見つけることができませんでした。『唄う白骨』なんて本は眼にしたこともありませんし。

 ちなみに畸人郷の先達からお教えいただいたところでは、「唄う白骨」は創元推理文庫『ソーンダイク博士の事件簿(1)』に収められており(表記は「歌う白骨」みたいです。そういえば『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』の脚註には「笑う白骨」というフリーマン作品が登場していて、関係者をおおいに笑わせてくれたものですが)、『殺意』の文庫本はまだ新刊書店で入手できるのではないか、『クロイドン発十二時三十分』は近く早川書房から文庫本が出るみたい、とのことでした。しかも驚くべし。こちらがクロフツの話題をもちだしたところ先達はおもむろにバッグのジッパーを開き、一冊の洋書をとりだす。もう一冊とりだす。それは何かとお訊きしたところ、いまだ日本語に翻訳されていないクロフツ作品がこの二冊なのである、とのことでした。先達ともなればクロフツの原書の一冊や二冊、つねに携えていなければならぬようです。

 閑話休題。大阪駅周辺には古書店がならんだ阪急かっぱ横町というエリアがあります。そのほぼ全店を覗いてみたのですが、これといった資料はありませんでした。しいていえばただ一点、田中純一郎『日本映画発達史』の中公文庫版が全五冊で四千円だか五千円だか。乱歩というのはリュミエール兄弟がパリではじめて映画の有料一般公開を行った前の年に生まれ、すなわち映画の発達とともに生きた人でもあったのですから、『江戸川乱歩年譜集成』編纂のための資料として『日本映画発達史』の文庫本は手許にあったほうがいいでしょう。よし、ひとわたり近所の古本屋さんをまわってからもういちど来ることにしよう。そう思って店を出たのですが、結局そのままになってしまって購入はしませんでした。こんなことではいかんがな。

 べつの店では筑摩書房の明治文学全集を何冊か目撃しました。私はああ、こういうやつだ、と思いました。乱歩の読書体験の最初のほうには当然のことながら明治時代の翻訳文学や少年文学が出てくるのですが、辞書事典のたぐいをひもといて人名や作品名を調べてもどうにもピンと来ず、文学史的素養教養のない私には隔靴掻痒の感が否めません。だからたとえば明治文学全集なんていうのを資料として手許に置いておく必要があるわけだ、と納得してそこにならんだ端本を手にとってみたのですが、資料になりそうなものはありませんでした。

 そこで翌18日、つまり日曜のことですが、国立国会図書館の蔵書検索で明治文学全集(百巻ほどあるのですが)のタイトルと細目とを調べつくし、そのなかから必要なものをピックアップして──

 この「日本の古本屋」という古書販売サイトを通じて次の三点を注文しました。

明治飜訳文学集(第七巻)
饗庭篁村訳「西洋怪談黒猫」「ルーモルグの人殺し」、内田魯庵訳「小説罪と罰」などを収録。木村毅「日本飜訳史概観」と田熊渭津子編「明治飜訳文学年表」がなんだか頼もしい。

廣津柳浪集(第十九巻)
「今戸心中」「雨」「変目伝」「河内屋」などを収録。「黒蜥蜴」はありません。筑摩書房の「明治の文学」にも柳浪の巻があり、こちらは「残菊」「変目伝」「今戸心中」「河内屋」あたり。やはり「黒蜥蜴」はありません。ちなみに先達によればこの「明治の文学」、現在ただいまの古書価は一部千円だか千五百円だかだそうです。

明治少年文学集(第九十五巻)
巌谷小波、幸田露伴、山田美妙、宮崎三昧、原抱一庵、泉鏡花、北田薄氷、村井弦斎、森田思軒、桜井鴎村、押川春浪、久留島武彦の作品を収録。このなかには、誰よ? といいたい作家が三人もおります。

 この全集には黒岩涙香の巻もあるのですが、「日本の古本屋」には在庫が見あたりませんでした。発注先は盛岡と大分と岩手の古本屋さんで、値段が高いんだか安いんだか妥当なんだかはさっぱりわかりませんものの(畸人郷の先達のおはなしでは、ネット上で販売されている古書は店頭で買うよりやや高めだそうです)、送料も含めると気になるお値段は合計八千円ほどになり、この調子で資料を揃えていったら出費はいかほどになってしまうのか。それを考えた私は思わずくらくらしてしまいました。

 それにしてもこういった日本文学に関する体系的な素養教養というのは、やはり十代か二十代のうちに身につけておくべきものであるでしょう。ところが私はそういった素養教養にはあまり関心がなく、ていうか内心ばかにしていて、まさか自分がそういうものを必要とする人間になろうなどとは思いもよらず、夢にも思わず、読書というのはただ愉しみのためだけにあると信じてきょうまで来たものですから、そもそも蔵書を資料と見なす感覚がありません。そんな人間がいまさら資料集めのためにこれまで興味がなかった古書をあれこれ物色するなどというのは、われながらなんだか涙ぐましい話だなと思われてなりません。

 悪の結社畸人郷の例会でそういった困惑もしみじみと打ち明けてみましたところ、その道の先達はじつにあっさりこともなく、

 「まあ本ゆうのは、資料性が50%やからね」

 とおっしゃいました。私は思わずくらくらとしてしまいました。

  本日のアップデート

 ▼6月

 北米探偵小説論 野崎六助

 双葉文庫の日本推理作家協会賞受賞作全集に入りました。第三章「世界一周」から引きます。

 《あの泥棒がうらやましい》で始まる乱歩の「二銭銅貨」は、まさに日本探偵小説の処女作となったわけだが、そこに明瞭に刻印された大震災直前の小市民の閉塞的な不安を見逃すわけにはいかない。渡米して英文の探偵小説で雄飛することまで計画した大望をもちながら、乱歩は、妻子をかかえて実におびただしく数奇の転職を繰り返した慢性失業者だった。後にかれが「D坂の殺人事件」で登場させる明智小五郎ほど、ベンヤミンのいう都市の遊民にふさわしい探偵はいない。乱歩は市場にしかるべき位置を得て、大望に殉ずることもなかったが、移民の大いなる夢とそれを培養した生活上の不如意という階級性は、一時期、確実にかれのものだった。渡航の大それた夢がもし実現していたとしても、それが幾度もの転職同様に、無残に壊れただろうことは容易に想像できる。その意味で、「二銭銅貨」が日本探偵小説の一大交易地となった雑誌『新青年』に持ち込まれた頃、前田河廣一郎の「三等船客」が発表されていたことは、まことに興味深い。

 あッ。