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2006年7月上旬
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それでは昨日、掲示板「人外境だより」でお約束申しあげた件につきまして。すなわち──
名無しさんから上掲のようなご投稿をいただいたわけです。相当に手厳しい名張市批判が記されておりますが、批判はむろん全然OK。名張市政に対して市民サイドから何らかの批判が寄せられるのは当然のことであり、市民から寄せられた正当な批判こそ名張市にとってしるべの杖となるものでしょう。とはいえなかにゃとんでもないほどばかな市民もげんにいて、じつに見当はずれな市政批判を展開するケースが少なからずあることも事実です。そうした場合、その手のばかにものの道理というものをきっちり教えてさしあげるのも行政の役目であると私は確信しているのですが、お役所の人がばかな市民をつかまえてこらばかと批判するのは現実にはかなり難しいことのようです。 そうかと思うとまったく逆のタイプのばかもおり、これは三重県の官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」において実際に目撃した事例なのですが、おかみを批判することはそのまま悪であると心得ている人もすこやかに命脈を保っていらっしゃるみたい。てめーは江戸時代かばーか、と私は驚きを隠せないまま心のなかで叫んだものでしたが、その方は伊賀市、というか市町村合併以前の名称でいえば旧上野市の方でしたから、旧上野市というのはご存じのとおりときの流れが近世のままでストップしており、いまだ近代を経験していない土地なのでありますゆえに士農工商五人組、前近代性がじつに鮮明だからいっそ見事な話であるなと妙に感じ入ってしまった次第です。 そんなことはともかく、私も名張まちなか再生プランに対して正当で健全な批判を寄せ、批判を寄せるどころかあんなプランとは比較にならぬほどよくできた代案も提出してはみたのですが、結局何かを伝えることや何かを変えることはいっさいかなわずさじを投げてしまいました。名無しさんのご投稿にある「ミステリー某の構想」にしても、もとはといえば私が「僕のパブリックコメント」で提案した名張市立図書館ミステリ分室構想がそもそもの火種であり、はっきりいってこんな構想はそこらの市職員や市民、それどころか無知な人間をうまくだましてぼったくることをなりわいとしているらしいコンサルタントたらいう業者からも絶対に出てくるものではないのである。しかも私の構想がすぐれているのは、名無しさんが心配していらっしゃる「民営化や指定管理者制度」のゆくすえをとっくに見切り、あくまでも市立図書館の分室として設置することを明言している点にあります。つまり何がどう転がっても、名張市立図書館ミステリ分室は名張市の手で運営されるべきなのだということです。それが名張市の責任というものでしょう。 ですから私がいま懸念しているのは、名張市のことを心から案じつつパブリックコメントとして提出し、しかしなぜか(なぜか、ととぼけることもないでしょうか。名張市の無能と怠慢と無責任のせいで)まったく採用されなかった「僕のパブリックコメント」が妙なぐあいに利用され、私の構想とはちがったかたちで「ミステリー某の構想」が実現されてしまうのではないかという一事です。私の構想には明確な理念があり、もちろん名張市が乱歩をどうすればいいのかというビジョンもあって(名張市は乱歩から手を引け、というのが私の変わらぬ主張ではあるのですが、もしも名張市が本気で乱歩のことを考えたいというのであれば、その場合にはこのようなビジョンを掲げることが望ましかろうと思われます、みたいなことを考えようと思えば私にはいくらだって考えられるわけです)、そうした理念なりビジョンなりと緊密に照応したプランとして提示したのが「僕のパブリックコメント」であったわけなのですから、目先のことしか見えずうわっつらのことしか考えられぬ名張まちなか再生委員会のみなさんに思いつきで適当なことしてもらっては困るのである。理念やビジョンをはなから無視し、妙な運営主体をでっちあげて「ミステリー某の構想」を実現されたりした日にはほんとに困るのである。 いやはや。何をいってもむなしくなるばかりですからいけませんが、とにかく私は名無しさんに対し、昨日このようにお答えいたしました。
かくのごとく勢いこんではみましたものの、一夜明ければやはりあほらしさが先に立つ。実際あほらしいことこのうえないのですけれど、とりあえずきのう話題にしたサッカーワールドカップドイツ大会のことを手がかりとすることにして、ジーコ監督(正式には前監督か)のオフィシャルサイトからこのページをどうぞ。 6月22日付の「ジーコジャパンレポート」。日本代表チームの敗退を受けたジーコ監督の会見内容が掲載されています。私がもっとも興味深く思ったのは次のくだりです。
「フィジカル的な強さ」や「自分が足りないと思う技術な部分」を指摘したあと(どうでもいいことではありますが、ここは「フィジカルな強さ」「自分が足りないと思う技術的な部分」とするのが本来でしょう)、ジーコ監督は「日本の文化」に言及しています。「お互い厳しく付き合っていかないと。仲良しチームではW杯ではなかなか成功は難しい」(どうでもいいことではありますが、この引用のなかの「。」は「、」でいいでしょう)と苦言を呈しています。これすなわち、私の語彙をもちいるならば日本代表チームの根っこのところに存在していたご町内感覚となあなあ体質に対するストレートな批判にほかならず、ジーコ監督がそれを日本の文化かも、と認識し、そんな仲良しチームじゃ世界へ出ていっても成功なんてできねーぞ、と切歯扼腕しているらしいことに私はいたく興味をおぼえました。そして、なーるほど、ご町内感覚となあなあ体質は日本の文化か、それなら勝ち目はまったくねーじゃん、と納得しながら思い知ったのであった。 おはなしが妙な方向に流れていってしまいそうだな、と曖昧な危惧を抱きつつあすにつづきます。
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私が目の敵にしているご町内感覚というのは、たとえば三重県の官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」がそれによって支配されていたところの閉鎖的で排他的な考えのことです。身内や仲間うちの価値観のみにもとづいてすべてを判断し決定しようとする態度のことです。そうした考えや態度の人たちがいくら「伊賀の魅力を全国発信!」などといったお題目を唱えてみたところで、結局のところご町内の親睦行事を寄せ集めることしかできなかったのはけだし当然。なにしろ彼らには外部というものが存在しないのですから、全国発信なんていうしゃれた行為は絶対に成立しないという寸法です。 名張まちなか再生委員会にかんしていえば、 ──現段階では乱歩に関して外部の人間の話を聴く考えはない。 という発言が彼らのご町内感覚を端的すぎるほど端的に示しております。こういう人たちが何をやったってしょせんご町内にとどまるものでしかないことは明白なのですから、まかりまちがっても全国発信なんてことは夢にも考えないようにしたほうがいいでしょう。 いっぽうのなあなあ体質というのは、これもどこにだって普通に転がっているものですけれど、たとえば「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」でいいますと三億円もの税金をどぶに捨てるにさいして予算の明細をいっさい開示しなかった。これがなあなあ体質のあらわれです。うわべだけの委員会をふたつつくって、いっぽうが予算を組む、いっぽうがそれを承認する、しかしその予算書には明細がまったく記されていなかった、なんて普通なら絶対ありえないようなことだって、ふたつの委員会がなあなあ体質で通じあってさえいればつーとかー、朝飯前のこんこんちきなのさ。 名張まちなか再生委員会にかんしていえば、名張まちなか再生プランにひとことも記されていなかった桝田医院第二病棟の整備計画を勝手に自分たちの検討事項にしてしまったあたりがなあなあ体質の最たるもの。検討するのならプランに盛りこむのが先決であろうと指摘してみても甲斐はなく、いやそもそも何年何月までにこの計画を決定して公表いたします、みたいなことは── こんな感じで名張市のオフィシャルサイトに名張まちなか再生委員会の2005年度事業計画が発表されており、たとえば歴史拠点整備プロジェクトの基本計画は昨年10月までに作成、むろん市民にも計画を公表するといっておきながらいっさいそれをせず、どさくさまぎれとしかいいようのない手順でいきなり6月議会にプラン関連の予算を計上してしまったのはいただけません。一般市民が初瀬ものがたり交流館だの乱歩文学館だのといった愚かしい構想のことを知ったのは名張まちなか再生委員会の新年度総会を報じる新聞記事によってなのですからいただけません。しかも名張市のオフィシャルサイトでは委員会の2006年度事業計画がこれこのとおり── きれいに白紙の状態なんですからほんとにいただけません。なあなあにも限界があるということでしょう。 とにかく頭からやりなおす以外に手はないのではないか、と私は考えているのですが、もうさじを投げてしまった身ですから何もいわず何も語らず(結構語ってはおりますが)、ご町内感覚となあなあ体質を両輪とした横車なんて最初から道を踏みはずしているわけなんだから、いずれ見事にひっくり返ってしまうのではないかしらとの予測を記すだけにとどめます。 それにしてもご町内感覚となあなあ体質というやつはいたるところにごろごろしているもので、最近のローカルニュースから事例をひとつひろっておきましょう。毎日新聞オフィシャルサイトの6月29日付記事を引用。
なんかもうびっくりしてしまいます。こんなものが「顕彰」なんかであるはずがありません。見出しには「戦略的あいまいさ」という言葉が揶揄っぽく使用されておりますけれど、もっとはっきりいってしまえばこれはもうご町内感覚となあなあ体質にもとづく痴呆的なまでの思考停止という事態でしょう。 芭蕉の生誕地には旧上野市説と旧伊賀町説の二説があって、両市町はそれぞれにうちこそが生誕地なりと主張していた。ところが市町村合併で両市町は消滅し、伊賀市という新しい自治体が誕生した。だから芭蕉の生誕地は伊賀市ということにして、それ以上くわしいことには踏みこまないことにしましょうや、ということが決定されたそうなのですが、この芭蕉翁顕彰事業調整会議たらいう会議は基本的なところでたいへんな心得ちがいをしているとしかいいようがありません。もしもどこかから芭蕉の生誕地について問い合わせがあった場合、伊賀市の芭蕉関連施設では今後、 「芭蕉の生誕地は伊賀市でございます。それ以上くわしいことは追究しないことになっております。あしからずご了承ください」 などと返答するのでしょうか。いやはや。ご町内だけが世界であると考えている人たちはこれだから困ります。くだらないなあなあ体質を維持するためにこんなぐあいに事実ををぼやかし隠蔽してしまうというのですから、よその自治体のことなれどおまえらほんとにそれでいいのかと私はいいたい。 さるにても、旧上野市で芭蕉研究の第一線に立たれ、長く芭蕉翁記念館の館長もお務めになった山本茂貴さんが八十二歳でお亡くなりになったのは、たしか6月16日のことでしたか。天国の山本さんは下界におけるかくもばかげた取り決めをごらんになっておおいに嘆いていらっしゃるのではないか。ていうか、まるで山本さんのご逝去を待ち受けていたみたいなタイミングでこんな方針が明るみに出るのっていったいどうよ。 私が伊賀市民であったならこの芭蕉翁顕彰事業調整会議、座長さんは権蛇さんとおっしゃいますか、伊賀市の助役さんでいらっしゃいますか、なんともまがまがしい感じのお名前でいらっしゃいますけど、伊賀市のオフィシャルサイトにこの方あてのメールを送りつけ、なーにやってんだと文句のひとつもつけているところだと思われます。むろん名張市民が文句をつけたっていいのですけれど、その場合むこうからはこんなお答えが返ってくるのではないかしら。 ──現段階では芭蕉に関して外部の人間の話を聴く考えはない。 ありゃりゃッ。
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ことほどさようにご町内感覚となあなあ体質はどこにでも転がっているもので、それが日本の文化だといわれてみればそうかもしれないと納得もされ、だったら勝ち目はないではないかと諦観する気分にもなろうというものです。げんに私はさじを投げてしまいました。名張まちなか再生委員会のご町内感覚となあなあ体質は、どんな名医も薬石もはだしで逃げだしてしまうほどに本質的な問題なのであるというべきでしょうか。 おとなりの伊賀市でも事情は似たようなものらしく、きのう話題にした伊賀市の芭蕉翁顕彰事業調整会議の話がまたなんともひどい。旧上野市の芭蕉翁顕彰会と旧伊賀町のいがまち芭蕉翁顕彰会を一本化するためにこの会議がやっていることは、わかりやすくいえばやくざの手打ち式以上のものではありません。すなわち自分たちの利害得失の調整、ただそれだけです。芭蕉顕彰のことなんて会議メンバーの頭のなかにはこれっぱかりもないのではないか。芭蕉をどう利用するか、自分たちのためにあるいは伊賀市の自己宣伝のために芭蕉をどう利用するか、そんなことしか考えていないように見受けられます。 そもそもこのふたつの顕彰会のなかに、芭蕉の人と作品に親炙している会員がどれくらいいるというのか。たとえば芭蕉の句を十句二十句すらすら暗誦できる会員が何人くらいいるのか。私はこのふたつの会のことなどまったく知りはしないのですが、それでもあんまり多くはないのであろうなとは推測されますので、このさい芭蕉の「顕彰」などという高望みはあっさりあきらめて、ふたつの顕彰会を一本化して伊賀市芭蕉翁利用会という組織にリニューアルするのがいいのではないかと提案しておきたいと思います。もうひとつ、当節の検定ブームに遅れることなく棹さして、会員を対象とした芭蕉検定を実施するのもいいでしょう。 人のふり見てわがふり直せといいますか、他山の石といいますか、となりの市の愚劣を知ることで自身のそれを知る、なんてことはしかし名張まちなか再生委員会のみなさんには無理な相談か。おれのいってることはとても伝わらんか。掲示板「人外境だより」への7月1日付投稿に「少なくともどこからわいて出たのかもわからぬ乱歩文学館構想や、いつのまにかそうした構想が盛りこまれたことになっている名張まちなか再生プランにかんして、あんたらご町内感覚となあなあ体質を両輪とした横車を押して無茶苦茶やっておるけれどこれはこうだからいかんのだ、ということをはっきりさせておくのはやはり私の責務であるのかもしれません」とは記しましたものの、何をいっても伝わらぬというのはやはりむなしいことであり、どうにも意気があがりません。 なんてこといってたら中田英寿選手が引退だそうです。ピッチから完全に去るそうです。ご町内感覚となあなあ体質に支配された共同体には結局何も伝わらない、と見切りをつけた感じかなと私には推量される次第なのですが、毎日新聞オフィシャルサイトには中田選手のオフィシャルサイト(アクセスが殺到しているのか全然つながりません)で発表されたメッセージが全文掲載されており、ヒデはそのなかで「人生とは旅であり、旅とは人生である」なんてまるで芭蕉みたいなこといってるわけですけど、気になったところをちょっと引用してみましょう。
私ははっきりいってすぐに「みんな」という言葉を口にしたがる人間が大嫌いなのですが(だってその言葉こそがご町内感覚となあなあ体質のあらわれなんだもん)、この場合はしかたないか。共同体から疎外された人間は外部の「みんな」に語りかけることしかできないか。とにかくジーコ前監督がお互い厳しくやっていかないと仲良しチームじゃ成功はできないと指摘し、中田英寿選手がメンバーを励ましたり怒鳴ったり怒らせたりしても伝わらないことがあったと結論したのは、名張まちなか再生委員会や芭蕉翁顕彰事業調整会議にとって傾聴に値する言であるとは思われるのですが、ま、何をいっても寝耳に水か、ではなかった馬の耳に念仏か。 ともあれ、私も名張まちなか再生プランと名張まちなか再生委員会にはきっちり見切りをつけたわけであり、「これはこうだからいかんのだ」というのは要するに彼らのご町内感覚となあなあ体質がいかんのだということにほかならず、ひとことでいえばだめなものはだめなのだというしかない次第なのですから、もうこれくらいでいいとしようか。いやはやどうにも遅疑逡巡。
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びっくりしました。朝起きてみたら北朝鮮がミサイルを発射しておりました。何を血迷うておるのか。さすが北朝鮮ともなると血迷い方のスケールがちがうわけですが、ネット上でもっとも早い段階から大騒ぎしていたのはやはり2ちゃんねらーのみなさんで、新聞社通信社系サイトでの速報は共同通信がトップだったでしょうか。サッカーワールドカップドイツ大会準決勝のドイツ vs イタリア戦もどっかへ行ってしまい、 「安倍さんキター」 とか2ちゃんねるで教えられてあわてて官房長官の緊急記者会見をテレビで視聴、そのあともテレビ各局のニュースをチェックし、またパソコンの前に戻りと、不謹慎なことなれど正直に打ち明けてしまうとわくわくしながら時間を過ごしてしまいましたので、本日の伝言はこれくらいでおしまいといたします。
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北朝鮮のミサイル騒動でふっとんでしまいましたけど、おとといの遅疑逡巡はどこまでも飛びつづけるミサイルのようにいまだ尾を引いております。名張まちなか再生プランがどーたら名張まちなか再生委員会がこーたらという遅疑逡巡です。この件にかんしてメールをくださった方もあり、どうせ乱歩文学館なるものがつくられてしまうのならその文学館が少しでもましなものになるよう努めるのがおまえの役目ではないのか、とのご忠言を頂戴した次第なのですが、そうした考えも理解できぬではないけれどしかしあんなインチキに左袒して悪の道に引きずりこまれるのはまっぴらごめんですからね。それに乱歩文学館なんてたぶんできないだろうと私は思っておりますし。いやまいった。遅れついでにもう一日、じっくり遅疑逡巡してみたいと思います。
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遅疑逡巡に遅疑逡巡を重ねてもいっこうに結論が出ない七夕の朝ぼらけかな。 思わず破調で詠じてしまいましたが、またもメールでご忠言をいただきました。すなわち、乱歩文学館が結局は実現しないであろうというのであればそのように判断する根拠を述べてみてはどうか、との仰せを頂戴したわけなのですが、理由は大きくいってふたつあります。理由そのいち、名張市にはお金がない。理由そのに、名張市には人材がいない。以上です。いやそれよりもっと大きな理由として、乱歩文学館なんてそもそも名張市には必要ないのである、というのが私の一貫した考えなのですが。 とはいえ、名張まちなか再生委員会がもう少し情報開示に努めてくれていたら話はべつなのでしょうけれど、現時点では完全な密室のなかでこそこそと検討が進められているばかり。どんな施設にしようというのか一般市民には何も知らされておりませんから、乱歩文学館構想の問題点を具体的に指摘することができないのが困ったところです。困った困じた途方に暮れた。 しかも驚くべし。7月3日付伝言でお知らせしました名張市オフィシャルサイトの名張まちなか再生委員会2006年度事業計画、つまり準備中ですとアナウンスされていたこれなのですが── 新年度の計画がそろそろアップデートされたころかしらと見てみたところ、なんとこんなことになっておりました。 ありゃりゃ。事業計画のページが消えとるがな。おかしいな、たしか建設部都市計画室のページからリンクされていたのだが、と思ってこの「各室のページ」を調べてみました。 ありゃりゃ。都市計画室まで消えとるがな。建設部にあった都市計画室がたしかに消えております。名張まちなか再生委員会の事務局が置かれていた都市計画室が姿を消してしまっております。忍者か。ていうか、おれは名張市のオフィシャルサイトにおちょくられておるのか。狐につままれたような気分でしばし茫然としていたのですが、ああ機構改革かと思いいたって狐の影を払拭しました。 掲示板「人外境だより」において7月2日、名無しさんが「新聞に市職員の移動がでてました。その内容のわかりにくい事、いったい何をする室や部なのか」と批判していらっしゃった名張市の組織変更のその結果、都市計画室ははかなく消えてなくなったということでしょう。いろいろお世話になりました。合掌。 しかしそれならそれで名張まちなか再生委員会の事務局はどこが担当することになるのかな、と上掲の「各室のページ」を一覧し、どうやら都市環境部の市街地整備推進室というのがそれらしい、と目星をつけてさっそくそのセクションの名前をクリックしてみたところ── ごらんのとおり準備作業中とのことです。ほんとに人をおちょくっておるのか。 しかしまあ、都市計画室の後継セクションがどこになろうとも、乱歩にかんして何かがどうにかなるということだけは絶対にないでしょう。これは6月29日付伝言に記したことなのですが、6月26日に名張まちなか再生委員会の事務局とおはなしをしたとき、私は次のようにお伝えしてまいりました。 ──名張市がこのうえまーだ乱歩をどうこういうのであれば、文学館のことなんかよりいったい乱歩をどうしたいのか、それを明確にすることが必要である。庁舎内の乱歩関連セクションに密接な横のつながりをつくって、そのうえでじっくり考えてみなさい。 ──名張市が悔い改めて乱歩のことを本気で考えたいというのであれば、そのための助言やアドバイスを惜しむつもりは毛頭ない。いつでも訪ねてこられよ。あらあらかしこ。 こんなことを委員会の事務局に申し出るのはお門違いというものなのですが、ほかに申し出るべきところもありませんゆえとりあえずお伝えしてきた次第です。ところがその申し出た窓口が消滅してしまったというのですから、名張まちなか再生委員会の事務局を通じて名張市が乱歩のことに特化したフォーメーションを編成するように働きかけた私のもくろみもあっさりぱーというものでしょう。それならそれでいい。もともと無理を承知の申し出ではあったのだ。 冒頭に戻りましょう。理由そのいち、名張市にはお金がない。理由そのに、名張市には人材がいない。これは厳然たる事実です。だから乱歩文学館なんてつくらないというのは、じつにまっとうな見識です。 名張まちなか再生委員会がどんな構想をおもちなのかは知るよしもありませんが、かりに乱歩文学館ができたとしても開館以降のランニングコストはどうするのかな。早い話、文学館と名がつくのであれば最低でもひとりは学芸員が必要になってくるはずなのですが、そのサラリーはいったいどうやって工面するのかな。私のように月八万円のお手当で滅私奉公する人間なんてざらには転がっておらんであろう。金のわらじ履いたって見つからんのではないかしら。はたまた、展示資料を充実させてゆくための購入費用のあてはあるのかな。そこらのばかはハコモノつくったらそれでおしまいだと考えているのかもしれんが、むしろおはなしはそれからなのである。乱歩文学館を建設するお金のことも心配ではありますが、オープン以降のお金のことはいったいどうよ。 人材となると名張市にはお金以上に存在しておりません。乱歩文学館をつくるために奔走している人間がひとりでもいるのか。名張まちなか再生委員会には内発的なものがどこにもないではないか。人の尻馬に乗ったり人のふんどしで相撲を取ったりすることしかできぬ連中が、なんや予算がつくみたいやさかい乱歩文学館でもつくっときまひょか、初瀬ものがたり交流館でもつくっときまひょか(それにしても初瀬ものがたり交流館とはおそれいる。詳細の説明がなくても内容の陳腐陋劣をみずから主張しているようなネーミングだというしかないぞ)、そんな程度のことでしかないではないか。名張市にどうしても乱歩文学館が必要だとの揺らぎない信念をもち、そのために私利私欲を離れ身を挺して準備を進めている有能な人材がひとりでもいるのか。おらんではないか。それってどうよ。 ほんとにいったい何をやっておるのか。また猛烈に腹が立ってきましたので本日のところはここまでといたしますが、きょうは七夕ですから最後にささやかな願いごとを書きつけておきたいと思います。 ──名張まちなか再生プランの乱歩文学館構想と初瀬ものがたり交流館構想が一日も早くぶっつぶれてしまいますように。 これではいささか剣呑にすぎるか。だったらこれでどうよ。 ──名張まちなか再生委員会の人たちが一日も早く真人間になってくれますように。
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いつまでごちゃごちゃいっててもしかたありません。名張まちなか再生プランとも名張まちなか再生委員会ともいっさいの縁を切った私ではありますが、あのプランがここまでひどい失敗を見るにいたった原因はいったいどこにあったのか、それを分析しておけばあるいは名張市の今後に何かしら裨益するところもあるのではないのかしらと考えて、いささかを書きつけることにいたしました。結論としては、失敗にいたったのは必然の結果であったということになるだろうと思いますけど。 諸悪の根源は名張まちなか再生プランです。それにはまちがいありません。問題点はふたつ。ひとつはろくな歴史資料もないのに歴史資料館をつくることが望ましいなどというインチキを盛りこんだこと。もうひとつは名張市に寄贈された桝田医院第二病棟の活用について片言隻句も盛りこまなかったこと。このふたつの問題点は多少なりとも事情に通じている人間ならばたちどころに看取できるはずのものであって(「事情」といったってごくわかりやすいもので、名張市における歴史資料の概略とか、桝田医院第二病棟が寄贈された事実とか、そんな程度の事情のことです)、げんに私はこの二点を鋭く厳しく面白く指摘するパブリックコメントを提出いたしました。 しかしせんかたはなかった。私のパブリックコメントは採用されるにいたらず、名張地区既成市街地再生計画策定委員会によって策定されたいい加減なプランを名張市はそのまま正式決定してしまいました。致命的な失態であったというしかありません。そうした失態を可能ならしめたのは(この「失態」には、プランを正式決定したという失態のみならず、そもそもあんなインチキなプランを恥ずかしげもなく策定してしまったという失態も含まれているとお考えください)、私の語彙をもちいるならば関係者全員がどっぷり首までつかっているご町内感覚となあなあ体質にほかなりません。 諸悪の根源にもさらに根源があります。それは名張市新町に残る細川邸という民家です。乱歩ファンのみなさんのために乱歩生誕地碑を基準に説明いたしますと、生誕地碑の建っているのは桝田医院という開業医の中庭なのですが、中庭から正面にまわって新町の通りに出ると、通りをはさんで斜め前に位置しているのが細川邸です。つまりこれ。 この細川邸がいつかしら、一部の市民のあいだで無根拠な盲信の中心となってしまいました。細川邸を整備すれば名張地区既成市街地、いわゆる名張まちなかが再生できる。そんな盲信です。私の耳にも数年以上前からそんな話は届いていたのですが、たしか2003年の夏になって、名張商工会議所がこの細川邸を乱歩記念館にしたいというとんでもない構想をば打ち出してくれましたので、私は商工会議所会頭のお宅に二度ほどお邪魔してその構想の愚を説き非を戒め、ついに引っこめていただくにいたったのはこの伝言板でも再三にわたってお伝えしたとおりです。 しかし細川邸シンドロームそのものは根絶されたわけではなく、細川邸を活用することによって名張のまちににぎわいが戻ってくる、みたいな夢物語はむしろ名張まちなかの衰退が顕著になればなるほど真剣さを帯びて語られるようになりました。もとよりそんな単純な話ではないでしょう。かつての中心商店街の空洞化は全国どこにでも見られる傾向であり、効果的な対策はいまだに見つかっておりません。ていうか、そんな特効薬はどこにも存在しません。シャッターストリート化が進むかつての商店街のどこか一画に何らかの施設を整備すればまちが復興する、なんて話が可能なのであれば全国各地でそれが進められていることでしょう。 6月26日に名張まちなか再生委員会事務局のスタッフとおはなししたときにも、名張まちなか再生プランの策定をはじめるにあたっては細川邸を活用してほしいという名張商工会議所から寄せられた要望も勘案した、ということをお聞かせいただいたのですが、それはそれで全然OKです。ただしそれを受けた名張地区既成市街地再生計画策定委員会の協議がぐだぐだでした。細川邸を歴史資料館にするなどというでたらめな結論しか出せないありさまでした。この歴史資料館整備構想がいかにでたらめであったかは、名張まちなか再生委員会が歴史資料館構想を初瀬ものがたり交流館構想に差し替えてしまったという一事に如実端的に示されているでしょう(初瀬ものがたり交流館構想もぐだぐだなものではあるのですが)。 深い考えもなく、それどころか名張市内にどんな歴史資料があるのかを確認することさえせず、ただ単に歴史資料館をつくればいいと思いまーすとかなんとかまったく本気かよ、なんとも適当でいい加減で無責任なことを決めた名張地区既成市街地再生計画策定委員会の罪は万死に値する、とまでは私は考えませんが、この委員会が人選といわず協議方法といわず何から何まで適当でいい加減で無責任であったことは論をまたないわけなのですから、その点は名張市におおきに反省してほしいところです。掲示板「人外境だより」に先日来ご投稿くださった名無しさんの語彙をお借りするならば、「うわっつら」「大衆受けねらい」「中身のない」「付け焼刃的」「ネーミングに自己陶酔」「場当たり的」「ええかっこのための思いつき」「受け売り」「にせもの」といった罵詈讒謗がぴったり当てはまる感じです。 などと書いてしまうと誤解が生じやすいか。上に掲げました名無しさんの評言は名張まちなか再生プランにかんする批判ではなく、あくまでも名張市政全般に対するそれであることをお断りしておきます。また、名無しさんのこれらの言葉が批判として的を射ているかどうかもいまは関係ありません。とともに、私が上掲の評言を拝借しておちょくっているのは名張地区既成市街地再生計画策定委員会であり名張まちなか再生プランであり歴史資料館構想であり、ついでのことに初瀬ものがたり交流館なのであるということも、老婆心ながらひとことお断りしておきましょうか。 さて、名張まちなか再生委員会の発足は昨年6月28日のことでした。7月1日、私は名張市役所建設部の都市計画室に置かれた委員会事務局に足を運び、委員会にかんする説明を求めました。噴飯ものでした。事業計画も噴飯ものなら委員会構成も噴飯ものでしたから、こんなことに税金つかわれちゃたまんねーな実際と、私は自身のサイトを通じてプランと委員会に対する批判をくりひろげました。歴史資料もないのに歴史資料館をつくるなんていうのは度しがたいリフォーム詐欺である、みたいな正当で誠実な批判を展開したわけです。 ある日、ふらふらと市中見回りに出てみましたところ、名張まちなか再生委員会にかんしてこんな声が聞こえてきました。 ──委員のなかにゃてめーの私利私欲に走ってる野郎がいるようですぜ。 かまわん。まったくかまわん。あきんどが利益を追求するのは当然のことである。ただし、それはあくまでも全体の利益を視野に入れたうえでの話でなければならない。私はそのように考えます。私は社会主義者ではなけれども、名張まちなかを再生しようというプロジェクトに市民として参加しようという人間が、名張まちなか全体の利益をまったく顧慮せず(この場合の「利益」が金銭的なそれだけを意味しているものでないことはいうまでもありません)ひたすら自身の私利私欲だけを追いかけるのはよろしくないなと考えるわけです。そんなやつらは引っ捕らえて打首獄門じゃ、とまではいいませんけど、百叩きのうえ所払いくらいの刑には充分相当するでしょう。それでまた、そんな程度の人間に壟断されそうになってる名張市っていったいどうよ、とか思いながらまた市中見回りに出てみたある日、今度は、 ──あいつらのやってるのは市民の税金で自分の家の庭をきれいにするようなことだ。そんな声も出てるようですぜ。 といった報告がありました。さらにべつのところからは、 ──このままじゃ伊賀の蔵びらきの二の舞じゃねえかって心配している人もいるようですぜ。 ありゃりゃ、とは私は思いませんでした。伊賀の蔵びらきというのは正式には「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」という長ったらしい名称の官民合同事業のことなのですが、その二の舞になるなどということは私には最初から知れておった。事務局で委員会のメンバー表を見せてもらったそのときから、こちとらとっくにお見通しだい。お見通しだからこそこの私、自身のサイトを通じて芭蕉さんの子供たちすなわち芭蕉チルドレンを思いきりおちょくってやったわけなのさ。 そんな7月がすぎて8月、去年の夏にいったい何が起きたのかといいますと、笑いを忘れたニートやひきこもりも四畳半のたうちまわり畳かりかりかきむしって笑い転げたあの珍事。 「新怪人二十面相」とか名乗ったばかが掲示板「人外境だより」にはじめて投稿してくれたのは、忘れもしない(ほんとは忘れてましたけど)昨年8月2日のことでした。
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つまりそういった次第なのであって、諸悪の根源は名張まちなか再生プラン、そのまた根源は新町の細川邸、そして細川邸の周辺にちらちらする不逞のやからの影、はたまた細川邸の裏に突如として掲げられたエジプトの絵、掲示板「人外境だより」にある日降臨して名張市民にはこんなすっとこどっこいがごろごろしていると満天下に知らしめてくれたばか三人、なかでも見事なまでに突き抜けたテポドン級のばかであった怪人19面相…… と書いて思い出しましたけど、名張市内にエジプトの絵とかニューヨークの写真とかを掲げる事業を名張市の市民公益活動実践事業として、つまりは税金による補助を受けながら展開してくれていたなんとかいう名前の会、あの会はいったいどうしたのでしょう。今年度の市民公益活動実践事業のなかには見あたらぬようです。あれだけ盛りあがったんだから今年も継続してくれればよかったのに、といろいろな意味で惜しまれる次第ではありますが、あの事業の関係者にして天下無双のばかであった怪人19面相のこの絶叫──
何度読んでも心から笑える投稿ではありますが、ここまでのばかはちょっといません。しかもなにしろばかなんですから尋ねられてもいないのに問わず語り、この絶叫によって自分たちの貧しい内実をすっかりさらけ出したりしております。自分たちがやっていることは、またしても名無しさんのご投稿にあった評言を踏襲するならば「うわっつら」「大衆受けねらい」「中身のない」「付け焼刃的」「ネーミングに自己陶酔」「場当たり的」「ええかっこのための思いつき」「受け売り」「にせもの」でしかないとみずから証言証明してくれてるわけです。「貴様につべこべ言われる筋合いとちがうねん!」という幼児のごとき遠吠えにいたっては、名張市民の税金をつかった公益活動とやらが実際のところご町内感覚となあなあ体質のみにもとづいて企画され実践されたものでしかなかったことを雄弁に物語るものです。大丈夫かしかし。 そしてこの絶叫は、名張まちなか再生プラン関係者全員の内心の叫びであるとも見るべきでしょう。関係者が求めたものは結局のところ「うわっつら」「大衆受けねらい」「中身のない」「付け焼刃的」「ネーミングに自己陶酔」「場当たり的」「ええかっこのための思いつき」「受け売り」「にせもの」でしかなかった。プランにかんするすべての議論はご町内感覚となあなあ体質にもとづいたものでしかなかった。それはもう単に名張地区既成市街地再生計画策定委員会のみならず、それ以前の段階で細川邸を歴史資料館にという要望や提案をまとめていた名張地区まちづくり推進協議会と名張商工会議所をも含めた話であって、またしても名無しさんの語彙を借用するならばすべての関係者が「薄っぺらい筋肉質の頭」のもちぬしなのであったと見るしかないでしょう。ほんとに大丈夫か。 名張のまちに残る民家を活用するとなると判で押したように歴史資料館歴史資料館歴史資料館としかさえずれないような人間、歴史のれの字も知らず資料館の何たるかもわきまえぬくせに歴史資料館とさえ口走っていれば名張市が予算を都合し誰かが話を進めて歴史資料館がめでたく完成するのであろうと考えている人間、そんなのが何十人何百人集まったってろくなことなど考えられるわけがなく、事実ろくなことが考えられなかったからこそ名張まちなか再生委員会が足りない智慧をフル回転、インチキにインチキを重ねて初瀬ものがたり交流館とかいう構想をひねり出すにいたったというわけなのですが、どこまでインチキでつっぱったら気がすむのかな。おれはもう知らんけど。 ともあれ今回の手ひどい失敗の原因を分析いたしますに、諸悪の根源は名張まちなか再生プランであり、そのまた根源は新町の細川邸であり、しかし本当のところをいってしまえばすべてはジャスティスともフェアネスともまったく無縁に適当でいい加減で無責任な議論を進行させプランの策定と変更とを成立させてしまった関係者全員の頭の悪さに起因しているということになるでしょう。ひどいものである。ばーか。何をいってもせんかたはなけれど今後のためにひとこと書きつけておくならば、とにかく名張まちなか再生プランの轍だけは踏んでくれるな。ばかはばかでしょうがないけど、ふだんからもう少し頭をつかう訓練をしてみよう。少しは謙虚になってみることも必要だろう。気持ちだけでもいいから外部の世界というものをイメージすることを心がけよう。 などといっても学習能力ないからなあ。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」でも学習できず、名張まちなか再生プランでも学習できず、この先もお役所と一部の地域住民がつるんで似たようなことをくりひろげてくれるのかと思うとなにやら暗澹たるものをおぼえるなの次第ですが、読者諸兄姉におかれましてはどうぞご心配なく。名張なんてずーっとこんな感じで来てるわけなんですから、誰もいまさら驚きません。すなわち結論、名張まちなか再生プランおよび名張まちなか再生委員会の手ひどい失敗は不可避のものであり、似たようなことは将来にも何度となくくり返されるにちがいない。 したがいまして、名張市に乱歩文学館なるものがつくられてしまうのならその文学館が少しでもましなものになるよう努めてはどうか、とのご忠言には、私はやはり従いかねます。原理原則を完全に無視したプロセスを経て浮かびあがってきた構想に左袒する気にはなれませぬし、そもそも名張市には乱歩文学館を建設する必要なんかまったくないというのが私の変わらぬ主張でもあります。実際まあこれだけいってもまだわからんのか。 たとえば三年前、2003年の6月に私が発表した漫才をお読みいただくならば、それは三重県が天下に恥をさらした官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」が開幕する一年前に事業を批判しその失敗を予見する漫才であったのですが、ここに記したことはそのまま乱歩文学館構想、というよりも名張まちなか再生プランにも通用するものであることがおわかりいただけるでしょう。
美空ひばりといえば、京都は嵐山にある美空ひばり館が閉館されるというニュースが報じられております。
なにしろ美空ひばりです。お嬢です。国民栄誉賞です。不世出の天才歌手の記念館だって人を呼べなくなってるご時世に、名張にしけた乱歩文学館なんかつくっていったい何をしようというのかな。そんな必要はどこにもなく、そもそもできる道理もない、とか思っていたら岡本太郎の壁画が公開されたというニュースも報じられていました。
なにしろ岡本太郎です。傷ましい腕です。太陽の季節のワンシーンをイメージした太陽の塔です。その岡本太郎の壁画の大切な除幕式を日本テレビごときが汚しやがって、と憤っているアイドルタレントがいらっしゃいます。そのブログをごらんあれ。 いかがですか。T:158cm、B:86cm、 W:56cm、H:88cm の松嶋初音ちゃんが思いきり憤ってるわけです。日本テレビが仕切った除幕式がめちゃくちゃであった、見に行ってショックを受けたと怒ってるわけです。当日記事をごらんあれ。
はじめて名前をお見かけした女の子にかんして偉そうなことをいいますけど、この子はずいぶん立派だと私は思う。実際の除幕式がどんなものであったのかは私にはわかりませんけれど、1987年生まれの女の子が好きな芸術家を汚されたと憤っている姿に感動すらおぼえ、結局こういう気持ちだろうな、名張まちなか再生委員会に足りないのはこの子のような強くて純でストレートな気持ちだろうな、と思わざるをえませんでした。どころか、 ──その本質を見ようとしない。 ──上っ面ばかり。薄っぺらい人間が増えた。薄っぺらい中身のない人間は嫌いだ。 ──本質も知らないでなんかごちゃごちゃ言ってるのはおかしい !! なんてのはそのまま名張まちなか再生委員会に対する批判としても有効でしょう。 ──退化しているんだ。 まったくそのとおり。退化している。乱歩文学館たらいう施設の構想にかんして述べるならば、名張市本町で書店を経営していたディレッタント岡村繁次郎を中心にした有志が地域住民の浄財をかき集めて乱歩生誕地碑の建立にこぎつけた当時に比較してみますと、名張市は明らかに退化しているといっていいでしょう。名張まちなか再生委員会のみなさんは松嶋初音ちゃんの爪の垢でも煎じて飲んでみるべきだと思います。それでも効果はなかろうが。
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いや悩ましい。じつに悩ましい。ていうか恥ずかしい。というよりも勇気が出ない。 朝っぱらから何を煩悶しているのかといいますと、きのうのつづきになりますが、きのうの私は美空ひばりの話題で脱線して岡本太郎の壁画にたどりつき、ゆくりなくも松嶋初音ちゃんというアイドルタレントのブログに逢着いたしました。で、1987年生まれの女の子が自分の意見を臆することなく主張している姿に不覚にも感動をおぼえ、支援する意味でということにして DVD の一枚も購入してやろうかと僭越不遜あるいは色欲全開なことを考えてしまったのだとお思いください。 とりあえず You Tube を検索してみたら動画がふたつひっかかってきました。 うちひとつはあとで調べてみたらテレビ東京系列で昨年4月に放送がはじまったらしい「し〜たく」とかいう深夜版バラエティ番組の動画なのですが、ああこりゃ面白い子だなと思いながらずーっと見ておりましたらば、 「女子高生でーす」 とか、 「女子高生のおしりでーす」 とか、そんなこといってるわけです。初音ちゃんが。黒のビキニで。 まいった。去年まで女子高生であったか。しかし1987年の生まれというのであればそういう計算にはなります。わが日本国における本年度の標準的な高校三年生は1988年または89年生まれ、日本風にいえば昭和63年または平成元年生まれなのであって、三重県立名張高等学校における私の教え子がまさにこの世代。平成生まれの女の子と仲良くなることを生涯最後の宿願としている身としては大願成就も間近であろうかと心浮かれる状況ではあるのですが、松嶋初音ちゃんは今年の教え子とほぼ同世代、去年の教え子とまさに同い年であったという寸法です。 まいった。ほとほとまいった。こんなにまいったのはあれはいつであったか、海野十三関係のイベントで日下三蔵さんの講演会を拝聴するため徳島県まで足を運び、日が暮れてからJR徳島駅近くにあった居酒屋でお酒を飲みながらお店のお姉さんを口説いてみたところ、 「私まだ高校生なんです」 と打ち明けられつつ振られて以来のことではないか。 まいった。つくづくまいった。去年の教え子と同い年、そんなアイドルタレントの DVD 買ってむらむらなんかしていいものかどうか。うーむ。ここはじっくり考えねばならんぞ。これはなにしろ職業倫理の問題だからな。そんなことを思案しはじめますともう悩ましいというか恥ずかしいというか勇気が出ないというか(どんな勇気かというと DVD を注文する勇気なわけですが)、何をいうかッ、先生にだって性生活もあれば妄想生活もあるんだ。いやいやおれはいったい何をゆうておるのか。しっかしまいった。どうするほんとに。 おはなし変わってこちらお玉ヶ池の千葉道場、ではなくてあいかわらずの名張市ですが、今度は2ちゃんねるの話題となります。ときどき勉強になる投稿も見られますゆえ定期的に閲覧するようにしている乱歩のスレッド「【黒蜥蜴】 江戸川乱歩 第九夜」でつい最近(ちなみになぜ頻繁に閲覧しないのかというと、そんなことしてたらうっかり投稿してしまうかもしれないからなのですが)、こんなレスが応酬されておりました。
これは名張市に乱歩文学館を建設しようなどというしけた野望に燃えていらっしゃるみなさんにも必要な知識であろうと判断されますので、乱歩作品における差別表現についてひとこと述べておきましょう。ていうか私はとっくの昔に述べていて、1999年11月発表の「乱歩文献打ち明け話」第二回から引いておきます。
あちゃー。いかに若気のいたりとはいえ、部落解放同盟に対して文句があったらかかってこいとばかりにそこはかとなく喧嘩を売ってないでもないみたいなことを書き記していた自分が恥ずかしい。そんなことはまあどうだっていいのですが、たしかにそんな時代があったわけです。部落解放同盟による気違い沙汰としかいいようのない糾弾が常態化して、出版社雑誌社新聞社放送局などのメディアが自殺行為としかいいようのない自主規制に走った。そんな時代がありました。しかしいまや、そんな時代もあったねと笑って話せる日が来ておるのであると私は思うておりました。 いつのことであったか正確には思い出せませんが、平井隆太郎先生とおはなししていて部落解放同盟がいわゆる糾弾路線からソフト路線にシフトを変更したことを話題にしたおぼえもありますし、手近なところから証言を引くならば、部落解放同盟奈良県連合会で長く部落解放運動に身を挺され、一時は「糾弾屋」の異名で知られていたという山下力さんの『被差別部落のわが半生』(2004年11月刊の平凡社新書です)をごらんあれ。「『差別用語』の自己規制と糾弾の行き過ぎ」と題されたパートです。
ついつい長引きました。結局「『差別用語』の自己規制と糾弾の行き過ぎ」の全文を引用してしまう結果になりました。むろん著者の所見をそのままお伝えすることを意図した結果ではあるのですが、新書判で三ページ半にもおよぶ引用となるとさすがに気が引けないでもありません。お詫びのしるしというわけではなけれども、平凡社オフィシャルサイトに掲載された『被差別部落のわが半生』のページへのリンクを設定してPRに努めておきたいと思います。差別という言葉を聞くだけで思わず坐り小便をちびりまくってしまうという名張市役所のみなさん、それからご町内感覚となあなあ体質に凝りかたまって「立場の違う人同士がお互いに徹底的に話し合うこと」ができない名張まちなか再生委員会のみなさんも、この本をお読みになってどうぞお勉強なさいませ。 勝手ながらつづきはあしたといたします。なれど、「孤島の鬼」に出てくるこの一文、 ──私は以前、ある皮屋さんと話をした経験を持っているが、この不具老人の物の言い方が、なんとなくその皮屋に似ていた。 これを削除する必要はまったくないというのが私の考えなのであり、それをひとこと言明したうえであすにつづくといたします。しっかし松嶋初音ちゃんの DVD はどうしようかほんとに。
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