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いま蘇る田中善助
いま蘇る田中善助 講演要旨
いま蘇る田中善助改め 田中善助と地続きの思想
『田中善助伝記』総目次
鉄城翁の道:『田中善助伝記』編集委員会

番犬敬白 1999年10月21日

 田中善助、幼名竹内覚次郎。安政5年(1858)、伊賀上野城下相生町生まれ。のち新町の田中家に入り、養父善助死去に伴いその名を襲う。金物商金善の主人にして実業家。その手がけたところは開墾、金融、発電、鉄道、窯業など多岐に亘り、還暦を過ぎて下水道整備のため上野町長に就任、喜寿を迎えてなお名湯榊原温泉の復興に精魂を傾けた。かたわら書画陶芸にも稟質を示し、鉄城と号して風雅に遊んだ。昭和21年(1946)、自死。享年八十九。戒名浄徳院法誉貞寿鉄城居士。みずから中興に尽力した寺町大超寺に眠る。
 といったことを、主人はまったく存じませんでしたが、平成10年(1998)、上野市の財団法人前田教育会が刊行した『田中善助伝記』の監修役をおおせつかったのが縁となり、いまでは「世界でただ一人の田中善助評論家」を自認しております。
 ここに「鉄城の主 てつじょうのあるじ」と題してお送りいたしますのは、主人が田中善助を主題として執筆した文章その他でございます。いずれ善助翁の年譜なども掲載したいとは申しておりますが、長い目でご覧いただければと存じます。


掲載 1999年10月21日  最終更新 2002年 9月 19日 (木)