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2005年12月下旬
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●12月21日(水) 名張市教育委員会なんてとても信用できるものではありません、などと申しあげていたらほんとにそうだなと思わざるを得ないような不祥事が発覚してしまいました。引用するのもあほらしい気がいたしますので、「伊賀タウン情報YOU」に昨日掲載された「時間外手当水増し 不正に約10万円 名張市公民館の男性事務職員」をご覧いただきたいと思います。ただし、私が名張市教育委員会なんてとても信用できるものではないと申しますのは、こんなちまちまとした不正に手を染める職員が存在するからではありません。とにかくもう莫迦なの。ひどく莫迦なの。目先のお金をちょろまかすなんて枝葉末節のシーンにおいてではなく、職務の本分において手ひどく莫迦なの。 しかしこうなりますとそろそろかく申しますこの私、「勤務時間を水増し10万円近い時間外勤務手当てを不正に受け取っていたことが市民の告発で明らかにな」ったという職員同様に、名張市の市民から、あるいは名張市の職員から、どちらにしてもまあいじいじとひたぶるにいじましいみなさんから告発されるころなのかもしれません。と申しますか、私のことを快く思っていらっしゃらないみなさんは、この際ぜひそうなさるべきでしょう。とくにそこらのなんとか委員会だのかんとか委員会だののみなさん、あーた方は率先して私を告発すべきではないのかな。そろそろ私を叩きつぶしておかないと、あーた方どうにも具合が悪いことになりまっせ。なにしろ私はあーた方を徹底的に告発しているわけですから、 ちなみに私が鋭意展開中の告発はどんなものかと申しますと、名張市においてインチキが普通にまかり通っているのはいかがなものかという点に関わるものです。たとえば名張まちなか再生プランなどというインチキをいい加減でお開きにしてしまわないことには、名張市なんていつまでもいい笑いものではないか。私は名張市民のひとりとして僭越ながらそのように考え、小さな胸を痛めつづけている次第ではあって、それならばその告発の対象はいったいどのような人たちなのかとお思いのみなさんには、手っ取り早く名簿をご覧いただくことにしましょうか。 えーっと、この名簿を公開することに何か問題がありますでしょうか。何の問題もないはずなのですが、もしも問題があるとお考えの方がいらっしゃるのでしたら、ぜひその旨をお知らせくださいますように。覚悟してかかってらっしゃい。 それから名張市教育委員会のみなさんにお願いしておきますが、12月定例会もきのうで終了いたしましたので、定例会開会中につき、という言い逃れは通用しなくなりました。いつでもお呼び立てください。私も例の職員同様、三か月間十分の一の減給という懲戒処分を受けるのかもしれないなと覚悟はしております。しかしこんな処分を受けた日には、指折り数えてトータルで二万四千円もの減給ではないか。年が越せんぞ実際。 |
●12月22日(木) じっと待ってても誰も告発してくれそうにありませんので、きのう名張市役所に足を運んできました。いやもう職員諸君の白い目がこの身に痛いこと痛いこと。 んなこたどうでもいいのですが、庁舎一階の生活環境部では、いつもかけ違ってなかなかお目にかかれなかった部長さんにお会いすることができましたので、あらためてお願いを申しあげてまいりました。用件はと申しますと、以前メールでお願いしたことの重ねてのお願い。
このメールにもありますとおり、生活環境部長に対して「投稿者が同会のメンバーであったのか、そうではなかったのか、それを明らかにしたうえで、前者後者いずれの場合でも、必要と思われる措置」をお願いした次第です。ご快諾をいただきました。 つづきまして庁舎四階、建設部都市計画室に置かれた名張まちなか再生委員会事務局では、まず12月7日付朝日新聞に掲載された次の記事に関して質問しました。
私の質問は、ここに記された「ミステリー文庫」は名張まちなか再生プランの一環として整備されるのかというものでした。答えはイエスでしたが、いまだ具体的な検討には入っていないとのことでした。そのあと名張まちなか再生委員会の委員長に提出した次の文書に関して、そろそろ回答を頂戴できんかねと催促をいたしました。
たまたまきのうの夜に委員会の役員会が開かれるとのことでしたので(10月下旬か11月上旬に開かれる予定だったのが12月21日にずれ込んでしまったそうで、私はこの委員会、もしかしたら「役立たずフォーッ!」とか叫んで解散してしまったのではないかと心配していたのですが、無事に存続していたようです)、その席で委員長さんに確認していただくようにお願いを申しあげておきました。 そのあと庁舎三階の教育委員会を訪れてやろうかとも思ったのですが、閉庁時間が近づいておりましたので、いずれまた呼び出しがあるだろうと考え、きのうのところはスルーしておいてやりました。惻隠の情ってやつですか。この伝言板を読んで胸をきやきやさせていらっしゃる教育委員会職員のみなさんは、自分が何をすればいいのかを自分の頭で考えて行動するように。 |
●12月23日(金) 小学館の『精選版日本国語大辞典』第一巻を購入したところ、有料検索サイト「ジャパンナレッジ」を三か月間ただで利用できる特典がついていました。さっそく申し込みました。折り返し会員IDとパスワードがメールで通知されてきましたので、来年の3月31日までこのサイトの検索サービスが無料でつかえることになりました。 いの一番にどんな項目を検索してみたのかと申しますと、お察しのとおり「江戸川乱歩」です。サイトに搭載された各種辞書事典のたぐいから『日本大百科全書』『デジタル大辞泉』『日本人名大辞典』『Encyclopedia of Japan』の四件がヒットしました。『日本大百科全書』の項目を見てみると、厚木淳さんによる本文の横に関連サイトの欄が添えられていました。紹介されているサイトは次のとおり。
大乱歩がこうならば大谷崎はどうよ、と思いついて検索してみると、辞書事典は『imidas』が増えて五件ヒットし、関連サイトは次のとおり。
文章量は谷崎のほうがはるかに多いのですが、関連サイトは乱歩のほうが数が多い。乱歩という作家の圧倒的なポピュラリティが示されているといえましょう。とはいえ、乱歩の関連サイトに「名張人外境」とあるところには本来であれば「名張市立図書館」が入っているべきで、そのほうが名張市のPRにもなって名張市民は鼻高々、ということになるのではないかと思われます。名張市教育委員会が私の提案を容れていればそうなっていたものを、みたいなことはともかくとして、そのあと思いつきましたのが横溝正史。
さらには小酒井不木。
ごく順当な選択でしょうが、なんとなく嬉しい。 ほかには漱石が八サイト、鴎外が三サイト、鏡花が五サイト、もう少し近いところで太宰が八、三島が二といったところですから、乱歩の九サイトは作家としてはかなり多い部類ではないかと推測されます。 ところでふとカレンダーに目をやれば、今年はきょうを入れてもあと九日。九サイト、九日、と九かさなりの九九ですから、もうひとつ重ねれば九九九、オバケのQ。九を三つ連ねてみることを天啓のごとく思いつきましたので、時節柄でもあり、きょうから大晦日まで一日ひとつずつ、本年の九大ニュースをまとめてみたいと思います。 順不同でまいりますが──
まずこれが来るでしょう。いやびっくりした。自己破産しちめーやした。面目次第もごぜーやせん。 とはいえこのニュース、ネタとしてはいっこうに面白いものではありませんでした。ひとつには弁護士がきわめてビジネスライクにさっさと手続きを進めてくれるため、破産の当事者であるこちらには状況がほとんど伝わってこず、郵便物が名張郵便局からいったん管財人のもとに転送されるのがなんとも不便だなと思っているうちに、気がついたらもう免責が降りていたという塩梅。もうひとつ、他人のプライバシーがからむ問題なのであまりずけずけと内情を公表できないという事情もありましたので、ネタとしてまったく盛りあげられなかったことを遺憾といたします。 ネタとしてなら、東京で置き引きに遭った体験のほうがはるかに上物でした。いずれ置き引き事件も九大ニュースに入ってくるのかもしれませんが、こうして年の瀬につらつら振り返ってみると、今年はほんとにろくなことがなかったなという気がいたします。 |
●12月24日(土) すっかりおなじみになりました本年の九大ニュース。今年はまったくろくなことがなかったなという気分で振り返ると、やはり悲しいニュースばかりが相次いで想起されてまいります。
雄松堂書店が勧進元を務める第四回ゲスナー賞は11月11日に発表されました。しくしく。名張市立図書館の『江戸川乱歩著書目録』は余裕で入賞するだろうと皮算用をしておりましたところ、何のこたーない入選どまりとなってしまいました。しくしくしく。目録・索引部門で申しますと、ちょっと土俵が違うのではないかと思われる入賞作品もあったのですが、少なくとも『南方熊楠邸蔵書目録』と『南方熊楠邸資料目録』のタッグ、すなわち朝青龍と琴欧州が腕組みをして不敵な笑みを浮かべながら仁王立ちしているみたいな強力なライバルが存在していたのですから、こちらはせいぜい高見盛でしょうか、結構人気はあるのですが、肝腎の賜杯に手が届かなかったのは致し方のないところでしょう。しくしくしくしく。 泣いてばかりもいられません。熊楠目録二巻の版元である南方熊楠資料研究会のオフィシャルサイトを閲覧してみたところ、「サイト更新履歴」のページで授賞式の模様が報告されておりました。
わざわざ『江戸川乱歩著書目録』にも花を持たせていただいて、まことにありがたいかぎりです。発表当初には落選のショックで受賞作品の出版地にまでは気が回らなかったのですが、たしかに紀田順一郎さんのご指摘どおり、長崎市、山口県周南市、和歌山県田辺市、それからどさくさまぎれの雑魚のとと混じりで付け加えていただけるならば三重県名張市と、それぞれの地方で営々孜々として積み重ねられてきた業績が一気に花を咲かせている観があります。 「国土の均衡ある発展」という金科玉条が見事なほどに通用しなくなり、「地方の主体性を生かす」などという聞こえだけはいいお題目の陰で政府がいいように地方をいじめつづけ、都市と地方とのあいだは申すまでもなくひとつの地方と別の地方のあいだにも亀裂のような格差が深まり、地方のフェイタルな疲弊が日に日に目に見えて進行しているいまのような時代にあっても、全国各地にそれぞれの立場で黙々と本分を尽くしている人間が確実に存在するのだということが実感されて心強さを覚える次第ですし、三重県名張市がそこに名を連ねることができていれば市民のひとりとして嬉しくも誇らしくもあるわけなのですが、残念ながらそんなこたーない。もっとも、名張市の現状についてはいずれ九大ニュースのひとつとして大々的に取りあげるつもりでおりますので、本日のところはここまでとしておきましょう。 『南方熊楠邸蔵書目録』と『南方熊楠邸資料目録』のゲスナー賞受賞には、ここであらためて祝意を表しておきたいと思います。資料調査など二十年近い準備を経て来年4月にいよいよ開館するという南方熊楠顕彰館にとっても、この受賞は何よりのはなむけとなることでしょう。名張市の歴史資料館とか乱歩文学館とかとはえらい違いで、私はひたすら恥ずかしく思うのですが、名張市の現状については以下同文。 さて、われらが高見盛たる『江戸川乱歩著書目録』の件。年末を迎えてさすがに書斎のお片付けに着手せざるを得なくなり、おかげさまで整理整頓がかなり進みました。室内のあっちこっちにあった書籍や雑誌や書類の堆積物をなし崩しに崩してゆき、必要なものは「RAMPO Up-To-Date」をはじめとしたページに記載するという日々を重ねているわけなのですが、こうした作業をせっせせっせとつづけておりますと、こういうのはやはり誰かが手がけておかなければならぬことであろうなという気にはなってきて、それで先日も掲示板「人外境だより」でノーネームさんへのご挨拶に、 「なんか面倒だからもういいか、みたいな気分になってしまうこともないではないのですが、これは誰かがやっておかなければならないことだろう、と気を取り直し取り直しして今日に至っているような次第です」 と決意のほどを記したのですが、そういえば中島河太郎先生が同じようなことをおっしゃっていたなと思って調べてみたところ、「乱歩文献打明け話」の第十回「中島河太郎先生追悼」に、正宗白鳥研究家でもいらっしゃった中島先生のこんな科白がありました。
日の目を見る機会はないかもしれないが「やっておかなくちゃいけない仕事」、というのはたしかにあるでしょう。日の目を見ることや名前を売ることにのみ汲々とし、一知半解の知識もなくただの思いつきで歴史資料がどうの乱歩がこうのと口走って恬として恥じるところのないみなさんのことやなんか、そのあたりの名張市の現状については例によって以下同文といたしましょう。いずれ叱り飛ばしてやるからおとなしく待ってろというのだあんぽんたん。 で、こうした作業をつづけていると脳味噌のなかの書誌作成担当領野が活性化されてくるようで、それが証拠に私は『江戸川乱歩著書目録』に関して新たな発見をしてしまいました。いや発見といったって、要するにただこっ恥ずかしいだけの記載漏れ。とても胸を張ってお知らせできることではないのですが、とにかく発見には変わりありません。 しかもこれがきわめて口惜しい発見で、たとえばつい先日の17日、「江戸川乱歩著書目録」 の「昭和39年●1964」に『百人百剣』という本のことを追記しました。乱歩が「上総介藤原兼重」という稿を寄せていることをある方からご教示いただいたのですが、わたしはこの本の存在をまったく知りませんでしたから、こうした場合は口惜しい感じはあまりいたしません。口惜しいのは本の存在を知っていながらうっかり見過ごしていたケースで、今回の発見というのがまさにそれなの。早川書房から出た世界ミステリ全集の『37の短篇』、私はうっかり見逃しておったではないか。 海外ミステリだからというのでそのまま想定の範囲外に押しやってしまったのだろうと推測される次第なのですが、じつはこの巻にはカーター・ディクスンの「魔の森の家」が収録されてるわけです。むろん乱歩の翻訳で。いやまいったな。いまだ現物を確認したわけではないのですが、インターネットを検索し、たとえば「翻訳作品集成」の「全集」と「ジョン・ディクスン・カー」に依拠してデータを整理するとこんな具合になります。
これが漏れてるわけです。われらが高見盛からは。どうした高見盛。巻末に収録された座談会「短篇の魅力について」では「魔の森の家」に下訳があったという事実が語られておりますので(だったと思います)、『乱歩文献データブック』にはこの座談会を乱歩文献としてちゃんと拾ってあったと申すのに、えーいなんたる失態か。穴があったら入りたいぞまったく。 しかしまあ、こうした不備をフォローしてゆく作業も含め、「やっておかなくちゃいけない仕事」というのはやはり誰かがやっておかなくちゃいけないのであると、年末の気ぜわしいときに思いがけず天国の中島河太郎先生からインスパイアしていただいたような気分になれたことを喜ばしく思います。 ところでここでお願いですが、世界ミステリ全集の『37の短篇』、ご所蔵の方はご連絡をいただけないでしょうか。 |
●12月25日(日) 夢まぼろしのごとくなり、といった感じでしょうか。過ぐる一年を回顧するとまさしくそんな印象です。 ちょうど一年前、昨年の12月25日といえば、毎度おなじみ池袋の蔵之助で『子不語の夢』刊行記念大宴会東京篇が開催された日でした。なにしろ関係者全員、『子不語の夢』の日本推理作家協会賞受賞を固く信じていた、信じて疑わなかった、そんな幸福な時期でしたから、私も大宴会に顔を出してご出席のみなさんにお礼を述べ、受賞の前祝いも兼ねておおいに盛りあがらねばならぬところであったのですが、名張でちょっとした不幸に見舞われておりましたので(と書くと思わせぶりでしょうか。要するに自己破産がらみの話なんですが)不本意ながら欠席する結果となってしまいました。 上京を見送って名張で何をやっておったのかと申しますと、12月25日土曜の夜、私はサンタさんの恰好をしてふらふらしておりました。その流れで今年も昨24日土曜の夜にはサンタさんに扮することを余儀なくされたわけなのですが、それにしても乳幼児というのはどうしてサンタさんを見ると泣き出すのか。子供に泣かれた日にゃサンタさんの立場がないではないか。われながら情けねーなーまったく。トナカイさんはいないし。 さて、中島河太郎先生にインスパイアしていただいた翌日も、本年の九大ニュースの回顧とまいります。
最初に訂正をしておきます。「人外境主人伝言」の「2005年8月中旬」。8月18日付伝言で私は、まず8月11日付読売新聞のこんな記事を引用しました。
そのあと、「ほぼ同じ時刻、毎日新聞もこんな具合に報じました」として次の記事を引用しました。
しかしこの毎日の記事、日付を確認してみると11日ではなく13日の掲載です。たしかにこの件では読売が一歩リードし、毎日がそれを追っておりました。双方の取材を受けた私が申しあげるのですから間違いありません。ですから「ほぼ同じ時刻」としたのは私の明らかな間違いで(どうしてこんな間違いを犯したのか。てゆーか、間違いばかりの人生だという気もしますけど)、「ほぼ二日遅れ」とでもするのが正しいでしょう。で、そのように訂正しておきました。読者諸兄姉には重々お詫びを申しあげます。 さてこの自殺サイト連続殺人事件、「乱歩の影響」に関しては8月18日付伝言にも記しましたとおり、 ──容疑者と目されている人物が「乱歩の影響」を自供したとしても、それは記憶の錯誤ないしは歪曲作用、平たく申せば思い込みとか勘違いとかに基づくものではないかと愚考いたします。 というのが私の結論で、詳細は伝言のほうをお読みいただきたいと思います。結論に至ったプロセスは8月11日付伝言に記してあるのですが、一部を引用しておきましょうか。
つまり、その恐怖の記憶によって無惨な殺人イコール乱歩作品という思い込みが生じてしまったのではないか。そしてみずからの尋常ならざる性癖、他人に恐怖を与えついには殺人にたどりついてしまわざるを得ない性癖を説明するに際し、それが発現するに至った具体的な契機を明らかにする必要に迫られて、「やっぱり乱歩かな」と別に嘘をつくつもりはなく思い込みどおりに自供してしまったのではないか。まあそういったことではないのかと私は推測しております。 12月2日、大阪地方裁判所でこの事件の初公判が開かれました。マスコミは生きのいいネタを追いかけるのに忙しいのか、一時はあれだけ大騒ぎした日刊各紙も初公判の扱いは嘘のように小さく、私の確認した範囲では乱歩の影響に言及した報道はありませんでした。 週刊誌に目を転じますと、ソフトバンクホークスの和田毅投手と電撃入籍したという仲根かすみ嬢が表紙を飾る「週刊現代」12月31日号に、「異常事件の闇」と題する二本立ての記事が掲載されています。一本は京都の学習塾で起きた例の事件、もう一本が「大阪自殺サイト殺人事件『窒息鬼』歪んだ性欲」と題されたジャーナリストの中尾幸司さんによる記事で、読んでゆくと乱歩の名前が登場します。「性的興奮を覚えた江戸川乱歩の小説」という小見出しが立てられたあたりから引いておきましょう。
新聞報道では、 「中学生のころ、女性を窒息させる場面を描いた小説の挿絵に興奮した」 「快楽殺人をテーマにした江戸川乱歩の小説の挿絵をみて興奮を覚え」 とされていたものが、冒頭陳述では、 「小学5年生のころ、推理小説で窒息場面(江戸川乱歩の少年探偵団シリーズ)を読んだりするうち、人が窒息して苦しむ姿を想像して、これに性的興奮を覚え」 と微妙に変化しているのがわかります。新聞記事における「乱歩の影響」はおそらく大阪府警のリークに基づくもので、そこでは挿絵が重要なポイントになっていたはずなのですが、検察側の陳述では挿絵が消え、あくまでも小説における「窒息場面」が性的興奮の引き金になったとされています。しかも、陳述内容がそこはかとなく変ではないか。 「推理小説で窒息場面(江戸川乱歩の少年探偵団シリーズ)を読んだりするうち」 読んだりするうち、ってのはいかにも妙な感じでしょう。読んだりしてたら性的興奮に火がついちゃってさあ、っておまえなあ。 年末とあっていささかあわただしく、途中ですけど本日はこれまで。 |
●12月28日(水) いわゆる年末進行でふうふう申しておりましたせいで、伝言も二日つづけてお休みする仕儀となってしまいました。ブランクをものともせずに進めます。 さて、解散総選挙に沸く炎熱の日本列島につかのま衝撃をもたらし、たちまち忘れられてしまった自殺サイト連続殺人事件。12月2日、大阪地裁で初公判が行われ、冒頭陳述では「小学5年生のころ、推理小説で窒息場面(江戸川乱歩の少年探偵団シリーズ)を読んだりするうち、人が窒息して苦しむ姿を想像して、これに性的興奮を覚え、自慰行為をするようになった」と被告の「ヰタ・セクスアリス」が報告された、そのつづきです。 どうも嘘くさいな、と私は思います。挿絵があればまだいい。乱歩の本に女性または子供が窒息悶絶する場面の挿絵が収録されていて、被告がそれにいたく興奮を覚えたというのであれば話はまだわかりますが、ただ「読んだりするうち」に「性的興奮」やまして「自慰行為」に至るものかどうか。新聞報道に「女性を窒息させる場面を描いた小説の挿絵」(読売)、「快楽殺人をテーマにした江戸川乱歩の小説の挿絵」(毎日)とあるとおり、捜査段階では挿絵が重要な手がかりと目されていたことは間違いのないところなのですから、冒頭陳述が挿絵というディテールにまったく触れていない点には疑問が残ります。 思いつくままに、乱歩の「吸血鬼」から女性と子供の窒息悶絶シーンを引用してみましょう。
これに似たシーンが乱歩の少年ものにかりに描かれていたとしてもだな、はたしてこんなもので抜けるのであろうか、と私は思います。小学生の幼い想像力が目一杯フル回転して活字を肉づけしてみたところで、そんなものは一枚の絵によってもたらされる刺戟の比ではないのではないか。たとえば三島由紀夫の「仮面の告白」における「聖セバスチャン」のごとき一枚の絵こそが、未成熟な官能を外皮を破るようにして刺戟しうるのではないか。
ともあれ、初公判の冒頭陳述で挿絵に関する言及がなかったということは(念のために申し添えておきますと、私は「週刊現代」に掲載された中尾幸司さんの「大阪自殺サイト殺人事件『窒息鬼』歪んだ性欲」に基づいてこの伝言を執筆しており、冒頭陳述を直接耳にしたわけではありません)、要するに乱歩作品の挿絵にそれらしきものは発見できなかったということでしょう(警察や検察が実際にそれを調べたのか、あるいはたとえばインターネットを検索して私の伝言を読むだけで済ませたのか、そのあたりのことは不明ですが)。であるならば、乱歩作品の影響で、なんて話にもさしたる信は置けぬであろうと判断するしかありません。 だったらもう「推理小説で窒息場面(江戸川乱歩の少年探偵団シリーズ)を読んだりするうち」などと、いずれ迂遠曖昧なものでしかない影響関係の実証はやめておいたほうがいいであろう。そんな実証は不可能である、と私は思うわけなのであって、そのあたりのことは8月18日付伝言から引いておきましょう。
最後に、「大阪自殺サイト殺人事件『窒息鬼』歪んだ性欲」から結びの段落を引いておきます。
さて、私は以上のように考察する次第で、乱歩はこの事件にはまったくの無関係であると愚考しているのですが、ごく一般的な認識としては、自殺サイト連続殺人事件の犯人は江戸川乱歩の影響を受けて犯罪を犯した、ということになってしまうのでしょう。なにしろ裁判でそのように報告されたのですから。 むろん乱歩にインスパイアされた犯罪者、みたいな図式は乱歩生前から存在しており、奇しくも自殺サイト連続殺人事件が喧伝される直前、8月8日に開かれた「名張市議会議員の先生方のための乱歩講座」でも、私はそのあたりの事情を「盲獣」を例にあげて説明しておきました。8月17日付引用をどうぞ。
さあ、どうなんでしょうか。名張市における官民双方の乱歩関係者のみなさん、市民から「名張市はどうして犯罪を誘発するような作品を書いたエログロ作家である乱歩のことに税金をつかうんですか」と質問あるいは詰問が寄せられた場合、みなさんはいったいどのようにお答えになるのでしょう。もしも答えに窮したら、いつでも私をお呼びなさい。SOSの合図としては、とりあえず笛でも吹いてもらいましょうか。笛吹かば現れん──Oh Whistle and I'll Come to You, My Lad──ってやつですか。笛の音が聞こえたら、私はただちに参上いたしましょう。ただし笛は一回でよろしい。三回吹いたらマグマ大使が来ちゃいますから。 二日お休みしたおかげで九大ニュースが七大ニュースになってしまいましたが、本日も例のものにまいりましょう。深い意味もなく思いついたままに──
これにも驚きました。妙なきっかけから、ちょうど五十年前に乱歩が講演を行った三重県立名張高等学校で先生を務めることになり、無事に職務を果たしております。むろん私は以前から先生と呼ばれる身ではあり、たとえば名張市立図書館の女子職員のみなさんからは一様に先生として奉られているのですが、かてて加えて名張高校の生徒や先生からも「先生」と呼ばれて敬われることとなったわけです。 ちなみに当地の言葉はおおむね関西弁であると思っていただければよろしく、それゆえ「先生」も「センセイ」ではなく「センセ」と発音される次第ですが、私は名張高校の生徒たちからたとえばこんな具合に呼びかけられております。 「センセ、煙草はやめたほうがええっすよ」 「センセ、自己破産したこと自分から嬉しそうに喋らんほうがええっすよ」 「センセ、何もそこまで悩まんかて」 「センセ、これ、センセの似顔絵」 どうもろくな先生ではないようです。 |
●12月29日(木) 先生勤めもなかなか楽しいもので、面白いネタならいくらでも転がっているのですが、いずれも生徒諸君のプライバシーに属することですから、この伝言板で公表するのは差し控えることにしております。 とはいえそういってしまっては、愛想というものがあまりにもなさすぎるかもしれません。そこでひとつだけ、日刊各紙の伊賀版(産経新聞はどーんと大阪本社版社会面)で取りあげていただいた話題をお伝えしておきたいと思います。まずは10月14日付産経新聞社会面の記事を引用します。
影絵のタイトルは「乱歩誕生」。台本はむろん私が書いたもので、声の出演は名張高校の生徒を対象に出演者を募集して、応じてくれた四人の生徒に担当してもらいました。内訳は三年生二人に二年生二人、男女別では男子一、女子三。 台本の地の文、つまりナレーションの部分は老婆の昔語りのイメージで書いたのですが、実際には男子高校生に読んでもらうことになり、狙っていたのとは違う効果が出せました。 冒頭を引用してみますと──
この名張のまちに、乱歩の父親である平井繁男が越してきます。登場人物は、繁男が住んだ借家のオーナーだった横山家の夫人、それから近所の娘が二人。この三人を女子高生に演じてもらいました。 なにしろ「乱歩誕生」なんですから、乱歩の出産シーンを引用しておきましょう。母親きくの出産に際しては、産婆が間に合わなかったために大家夫人が手助けをしてくれた、というのは乱歩が記しているところなのですが、ここに近所の娘二人がからんでストーリーが進行します。人物の出し入れはコントの常套を踏襲して──
こうして見てみますと、最後の科白ふたつは話者が逆であったか。まあそんなことはいいとして、母親きくならぴに太郎の声の出演は、元女子アナだという名張高校の先生に一人二役でお願いいたしました。 ついでですからもう少し行っときましょう。平井一家はやがて名張から亀山へと引っ越してしまい──
こうして見てみますと、台本作者はこのシーンにおいて完全に、乱歩というと怪人二十面相の恰好をして高笑いするしか能のない連中を愚弄しているのだということがよくわかります。ははははははは。 何にせよよくできた台本です。10月15、16日に初演したあと、リクエストがまとまれば再演もされているようですから、名張市民のみなさんは機会があればぜひご覧ください。勧進元は中町の伊賀まちかど博物館「はなびし庵」。 さるにても、放課後になってから学校にのこのこと顔を出し、出演者四人に集まってもらって稽古を重ねた日々のことが、いまではずいぶん懐かしい。正規の授業のほうで申しますと、私の教え子は卒業を間近に控えた三年生なので、年が明ければ1月中にわずかに二日、計四時間の授業でお別れとなります。私は指名代打による一年限りの先生ですから、つまりは教員生活もあと二日。まるで発情期の牡犬みたいに(これはどうでもいいことなのですけれど、「牡」という漢字が「オス」なのか「メス」なのか、自分には瞬時に判別することができないという事実にいま気がつきました)切なくも悲しいものを感じてしまいます。 といったところで話柄を転じ、吉例によります七大ニュースはと申しますと、先生になるにあたって必要だった健康診断の結果、思いがけず知らされた驚愕の事実から──
俺は谷崎潤一郎か、と思ってしまいました。 もとより自覚症状などはありませんでしたから、高血圧であることが判明して何が変わったかというと、平生の生活にお医者さんでお薬をもらって毎日服用するという行為が加わっただけの話です。私はそもそも現在の血圧の数値さえ知らないありさまですし。こんなことでいいのか。 |
●12月30日(金) 今年もいよいよあと二日。なんだか棚卸しめきますが、中途半端なお知らせでうやむやになっていたネタを一件、遅ればせながらフォローしておきます。高血圧のお薬をもらいに行った開業医の待合室に、「週刊新潮」のバックナンバーが何冊も置かれていたので思い出しました次第。 神無き10月のことでした。夜、家でお酒を飲んでいると、「週刊新潮」の編集部から電話がかかってきました。先の衆院選で刺客候補として名を馳せた佐藤ゆかり議員の母親である佐藤みどりに『情事の部屋』という著書がある、そこに乱歩が推薦文を寄せており、貴下はその本を最近購入した、ということがインターネットを検索し、貴下のサイトを閲覧して判明した、ついてはその推薦文の内容を知りたいのだが、という用件でした。 最近購入した『情事の部屋』のありかさえにわかにはわからなくていささか焦ったのですが、それでもじきに見つけることができましたので、乱歩の推薦文が掲載されたカバーをコピーし、指定された番号にファクスしました。 で、「週刊新潮」11月10日号。特集「名声のレシピ」の一篇として、 ──「佐藤ゆかり」の母親は「傷だらけの天使」のモデルだった ?! という記事が掲載されました。「乱歩もビックリ」と題された小見出しのあたりから引いておきます。
三十年ほど前に放送され、人気を博したテレビドラマに「傷だらけの天使」があります。当時の私は人生でもっとも夜遊びに忙しい時期であったのか、このドラマをリアルタイムで視聴した記憶がほとんどないのですが、それでも夜遊びのいでたちとしてはショーケン風のバギーパンツを愛用しておりました。ジュリーの「悪魔のようなあいつ」が評判を呼び、大あわてでジュリー扮する加門良みたいなサスペンダーを買い求めたのは少しあとのことになるでしょうか。 閑話休題。あのドラマで岸田今日子さんが演じていた綾部貴子という女性探偵局長、そのモデルは佐藤ゆかりさんの母親で女探偵として知られた佐藤みどりらしい、というのが記事の骨子です。乱歩の推薦文は佐藤みどりの人物像を肉づけするために必要とされたものでした。別にどうということのない記事なのですが、とりあえず自殺サイト連続殺人事件の続報が載った「週刊現代」とこの「週刊新潮」の記事二本、「Rampo Up-To-Date」に記載しておくことにいたしました。 新潮社というのはなかなか丁寧な出版社であるらしく、掲載誌が郵送されてきたことは申すまでもありませんが、いわゆる寸志ってやつですか、少し遅れて伊勢丹だかどこだかの洋菓子の詰め合わせも送られてきました。もので転ぶのは浅ましいことだと重々承知はしているものの、こういうことをしていただくと正直嬉しく、また何かあったら「週刊新潮」のためにひと肌脱いでやらなきゃな、とついつい思ってしまいますから人間というのは可愛いものです。 さて本年の七大ニュースの時間ですが、ここで名張市の十大ニュースをお伝えしておきましょう。12月22日付毎日新聞伊賀版の「名張市:10大ニュース発表 コミュニティーバス運行開始など /三重」から引き写しておきます。
うーむ、名張まちなか再生プランの策定も入っているのか。あんないい加減なプランがよくぞ策定できたものだ、という驚きの意味をこめてのベストテン入りか。いやいやそんなことはないでしょうけれど、行政的にはこんな感じであったとしても、名張市に関係あるニュースの真のベストワンは何であったかと申しますと、日刊各紙の扱いの大きさから考えてもまず間違いなくこれでしょう。4月6日付伝言から転載いたします。
七度目の再審請求がようやく実を結んだわけなのですが、三日後の4月8日、名古屋高等検察庁は高裁に対して異議申し立てを行いました。こんな申し立ては検察の体面や面子のためのものでしかないことは明白で、まったくもういい加減にしてやらんか。無実の死刑囚は大正15年1月14日生まれで(ちなみに三島由紀夫は大正14年1月14日生まれですが)、もうじき八十歳なのである。つまりいつはかなくなっても不思議ではない。つまらぬ意地を張ってないで、一日も早く社会に戻してやれ。来年は無理でも再来年の正月くらい、塀の外で穏やかに過ごさせてやってはくれんかね。名張市民のひとりとしてはそんなふうにお願いしたい気分です。 この事件に関しましては本年4月以降、たまに人から詳細を尋ねられることがあり、いろいろお話しすると結構面白がっていただけるみたいです。お会いする機会があったらお気軽におねだりしてください。 それはそれとして私の七大ニュース。本日はさしずめこんなところでしょうか。
これは実感です。ほんとにもううじゃうじゃと湧いてきてるぞ。 先日、半月ほども前のことになるでしょうか、夜、お酒を飲んでいるとある方から電話がかかってきて、 「いままで何もしていなかったのに、名張市ではどうして最近になってこんなに乱歩乱歩といいだしたんでしょうか」 とのお尋ねをいただきました。時間が時間ですから私はすっかり酔っぱらっており、口をきわめて東西南北上下左右、前後不覚になるまで当たるを幸いうじゃうじゃ湧いてきた人たちに関する罵倒のかぎりを尽くしたのですが、その内容をあまり記憶していないのが恐ろしいといえば恐ろしい。 乱歩をめぐる名張市の現状につきましては、朝日新聞オフィシャルサイトに掲載された2005年の回顧記事をお読みいただきましょうか。
てやんでえべらぼうめ、と私は思っているわけです。何がてやんでえなんだかは毎度毎度申しあげておりますからくり返しはいたしませんが、そういえば産経新聞にも同様の回顧記事「2005 三重この一年」が連載されていて、12月24日に掲載された第二回ではやはり名張市の乱歩イベントにスポットが当てられました。私も取材を受けて登場しております。
読者諸兄姉がご賢察のとおり、取材時における私の苦言というのはこんなにソフトでマイルドでジェントルなものではありません。それはもう口をきわめて東西南北上下左右、前後不覚になるまで以下省略。 しかしとにかく上の引用にありますとおり、私がつねづね申しあげておりますのは、名張市が自己宣伝のために乱歩の名前を利用するのはかまわない、私はそうした考え方を否定するものではない、といって与する気もないのだけれど、とにかく好きにやればいいのだ、しかしそれならそれでもう少し乱歩という作家のことを知ってくれねば困るではないか、といったことなのであって、ところが名張市うじゃうじゃ連のみなさんは人の言にいっさい耳を藉そうとしないのだから始末に負えぬ。 で、みなさんいったい何をしでかしてくれるのかと申しますと──
掲示板「人外境だより」に一時期この手の投稿が相次いだとき、私はほんとに、いやー、莫迦がうじゃうじゃ湧いてきたぞ、と実感したものでした。 この投稿者ももう少し気をつけなければいけません。何に気をつけるのかというと、「からくりの町なばり」なんて持ち出してしまうからお里が知れる。そんなものはごくごく一部の名張市民が何の根拠もなしに唱えているお題目に過ぎず、名張がからくりのまちであるという認識が市民権を獲得しているとはお世辞にもいえないわけなんですから、こんなこと口走るやつはいずれからくりのまち名張実行委員会の関係者であることは一目瞭然。であるならば、この委員会と名張エジプト化計画でおなじみの写したくなる町名張をつくる会は同じ穴の狢なのだなということくらいすぐに察しがつきましょう。 しかしまいったな。「名張市に莫迦がうじゃうじゃ」をテーマに書き綴るとなると、書いても書いても際限がないような気がしてきました。とてものことに年内には終わりそうにありません。いやまいったな。どうしようかな。 |
知らなければ知らないで済んでいたものを、知ってしまったばっかりに、ということが世の中にはよくあるものですが、光文社が創立六十周年を記念して月刊誌「少年」の「完全復刻 BOX」とやらを発行したという事実を知ってしまったばっかりに、と申しますか、復刻されたのが「少年」の昭和37年4月号であるという事実を知ってしまったばっかりに、それならばそこには当然乱歩最後の小説作品「超人ニコラ」が掲載されているわけですから、この「光文社創立60周年記念 特別企画 5,000部限定 シリアルナンバー刻印 認定カード付き 月刊漫画誌『少年』昭和37年4月号完全復刻 BOX」を購入せざるを得ない羽目となりました。気になるお値段は税込み五千五百円。 本屋さんに取り寄せてくれるよう依頼しておいたところ、きのう入荷したとの連絡がありましたので、さっそく受け取りに行ってまいりました。輸送用の段ボール箱から出したところがこんな感じ。 ボックスを開いたらこんな感じ。 いまだ内容を検めるには至っていないのですが、つらつら眺めておりますうちに、「少年」といわず「少年クラブ」といわず「冒険王」といわず「少年画報」といわず(ほかにもまだあったと思いますけど)、雑誌の発行を毎月心待ちにしていた少年時代のことがそぞろ思い出され、そういえばお正月には特大号やら増刊号やらがやたら出て、貰ったばかりのお年玉で豪儀に買ったものであった。当時の本屋といえば、本町の岡村書店、鍛冶町の平和堂、それくらいなものであったか。いや懐かしい。単に子供時代のあれこれのみならず、漫画であれ小説であれ、心待ちにしてむさぼるように読みふけった読者としての初心とでも呼ぶべきもの、いまでは心のどこを探しても見つかりそうにないそれがじつにどうも懐かしいではないか。 いやはや、汚れつちまつた悲しみに、今日も小雪の降りかかる、みたいな大晦日になっちまいましたが、めそめそばかりもしていられません。本年の七大ニュースのうちの「名張市に莫迦がうじゃうじゃ」をどうするべきなのか。いやいや、どうするもこうするもないでしょう。継続案件とするしかありません。ですからあした、2006年1月1日からまたあらためて、名張市におけるなべての愚かしさを相手取った総力戦を展開したいと思います。なにしろ俺は怒っておるのだ。ぷんぷん。 めでたかるべき元朝から怒りとともに伝言を記すのは、もう四年前のことになるのか、名張市の前市長がかましてくれた乱歩に関するとんでもない大嘘に端を発し、前市長の嘘が嘘であると証言できるのは名張市教育委員会であったから、当時の教育長にそれを質してさあ大変、みたいな一戦以来のことである。「人外境主人伝言緑」の「2002年1月」を読み返してみたところ、あれから四年が経過したというのに、自分には人間的な成長というものがまるでないのだということが惻々として実感され、なんだか手ひどく情けないなという気にもなるのであるが、まあ勢いのままに2006年へとなだれ込むしか道はあるまい。 名前が出てきましたからついでに記しておきますが、大晦日にこんなこと記してもご覧いただけないのかもしれませんが、名張市教育委員会のみなさんはいかがなさったのかな。私を呼び出してはくれないのかな。なんておちょくりをいつまでつづけても仕方ないか。とにかく名張市教育委員会のみなさん、今度だけは大目に見てさしあげますから、以後充分注意して、めったなことは口走らないように。わからないことがあったら私がいつでも教育してさしあげますから。わかりましたね。 それでは七大ニュースとまいりましょう。
私は本年11月、江戸川乱歩生誕地碑建立五十周年を記念して『乱歩と名張』という本を出版するつもりでいたのですが、あいにく先送りとなってしまいました。 理由はふたつあって、ひとつはもちろん名張市が乱歩に関して迷走をつづけていることです。『乱歩と名張』は乱歩を視角とした名張のまちのガイドブックという一面を有しておりますので、たとえば名張市立図書館に展示してある乱歩の著作や遺品がどうなるのか、より具体的にいえば名張まちなか再生プランがどうなるのか、それが決定しなければガイドブックの内容もまた確定いたしません。 今年の年明けからこちら、なんだか危なっかしいなという気配は感じておりました。たとえば2月10日付伝言から2月9日付毎日新聞伊賀版の記事を転載してみましょう。名張市の文字どおりの「迷走」が報じられております。
どうせそんなことだろう。だから私は名張市に「僕のパブリックコメント」を提出し、目も当てられぬ迷走に曙光のごとき方向性を示してやったわけなのですが、何がどうなったのか知らねど迷走はやまず、それどころか名張まちなか再生委員会などという訳のわからん組織が結成されていまや完全に暴走しておるではないかくそったれ、みたいなことはまた年明けに記すことになりますからここまでといたしましょう。 この伝言板では『乱歩と名張』収録の乱歩作品は随筆十一篇とお知らせしていたかと記憶いたしますが、名張には直接ゆかりがないものの川崎克を回顧した「先生に謝す」もやはり必要であろう、それから内容としては『続・幻影城』の「探偵小説に描かれた異様な犯罪動機」と「変身願望」を読んでおけばいいようなものであるが、乱歩が名張市で、しかも現在私が奉職している三重県立名張高等学校で行った講演「探偵小説雑話」も収録するべきであろう、と熟慮を重ねた結果、ラインナップは次のとおり決定しております。
レイアウトしてみるとこれだけで六十四ページになります。「ふるさと発見記」と「生誕碑除幕式」は脚注つきで、「ふるさと発見記」の脚注つき全文十五ページ分は本年8月の「名張市議会議員の先生方のための乱歩講座」でもコピーをお配りし、とりあえずこれに目を通しておけば乱歩と名張の関係を最低限理解することができます、とお願いしておいたのですが、はたしてお読みいただけたのかどうか。 で、『乱歩と名張』が出せなかった理由のふたつめが、まさにこのお読みいただけるのかどうか、ということでした。『乱歩と名張』は乱歩を導入とした名張のまちの歴史のガイドブックという一面を有しており、名張のまちの歴史も知らずに歴史資料館の建設について検討するという無謀なことをしていらっしゃるみなさんにとって必読の一冊なのですが、私はあるとき、 ──しっかしあいつら本なんか読まんではないか。 と思い当たってしまいました。名張まちなか再生委員会のメンバーがはたして本を読むか。読まんであろう。名張のまちの住民が本を読むか。読まんであろう。むろん例外は存在するであろうが、総体において読まんであろう。 私は別に本を読むことがいいことだとか悪いことだとか、そんなことを申しあげているわけではない。これから一冊の本を発行しようと考えている人間が、まさにその本が当面対象としている層こそは本を読むことのない人間の集団なのであると、はたと気がついてしまったときの底知れぬ絶望の話をしているのである。ライターであれエディターであれパブリッシャーであれ、こんな事実に気がついてしまったらそれはもうくらくらと眩暈を覚えて倒れ伏してしまうしかないのではあるまいか。 あーくらくらするくらくらする。くらくらしながら倒れ伏しつつおいとまいたしましょう。 それでは読者諸兄姉、それから名張市におけるなべての愚かしさの元凶でいらっしゃるみなさん、どうぞよいお年をお迎えください。 |
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