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2006年1月下旬
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まずお知らせです。 一昨年11月に名張市で初演された新作狂言「押絵と旅する男」が1月29日、乱歩ゆかりの大阪府守口市で公演されます。上演はたぶん二回目。新年を機に心を入れ替え、全国紙のオフィシャルサイトをこまめに検索していた甲斐があって、朝日新聞の20日付記事を首尾よく身柄確保することができました。
1月10日付伝言にも記しましたとおり、狂言なのに笑いがないという点が私には少なからず不満なのですが、伝統芸の奥深さをたっぷり堪能できる舞台です。関西方面にお住まいの乱歩ファンの方はぜひどうぞ。 さて本題。掲示板「人外境だより」を舞台に演じられた「エジプトの怪人たち」騒動の続報です。私は昨日、名張市役所生活環境部で部長さんからお話をお聞きしてきました。この部長さんには昨年12月21日、お目にかかってお願いの儀をお伝えしたのですが、翌22日付伝言から引くならば──
おとといのことになりますが、写したくなる町名張をつくる会の代表の方とご面談いただいた旨、部長さんから電話連絡を頂戴しましたので、きのうご報告をうかがいに参上した次第です。 より具体的に記しておきますと、昨年12月21日、私は部長さんに対して、写したくなる町名張をつくる会に次の点を確認していただきたい、それが市民公益活動実践事業を担当している行政当局の責務ではないかとお願いいたしました。 一)一連の投稿を行ったのは、写したくなる町名張をつくる会の会員および関係者であったのか、そうではなかったのか。 かりに会員および関係者であったとしても、あなたなのかと尋ねられてはいそうですと正直に答える人間はいないでしょうけれど、話の順番としてはこの質問から入るしかありません。で、相手はきっと否と答えるであろうから、そのあとはこんなことを確認してほしい。 二)名張のまちにエジプトの絵やニューヨークの写真を掲げることに、いったいどんな効果や公益が期待できるのか、このさいだから説明をうけたまわりたい。 もとより名張市民にも、「え? なんでエジプトなん?」といった素朴な疑問を抱き、それを私に告げてくれた人も少なからず(いや、数が少ないことは少ないですけど)存在しておりますし、私は私で7月22日付伝言に記した次のような感想に微塵も変化はありません。
しかしまあ、写したくなる町名張をつくる会から懇切に説明していただければ、認識を改めねばならぬ点も出てくるかもしれません。 三)この事業によってどんな成果がもたらされたのか。 四)怪人二十面相を事業のシンボルキャラクターとして使用しつづければよかったのに、最初のエジプトの絵だけでひっこめてしまったのはなぜ? 以上四点です。 それにいたしましても、伝言録を読み返していて思わず感心してしまったのですが、昨年8月8日付伝言に記した「真珠郎」のもじりは、横溝正史ファンからはお叱りを受けてしまうことでしょうけれど、われながらよくできていて面白いと思います。引いておきましょう。
なんか懐かしい気さえいたしますが、ついでですからその前日、8月7日付伝言のもどきもどうぞ。
ここに記されておりますとおり、名張エジプト化事件はもっと大きな陰謀のひとつの側面にすぎないというのが私の認識です。もっと大きな陰謀というのは、いうまでもなく名張まちなか再生事件。新町の旧家細川邸を中心として企まれ、ルールも手続きもいっさい無視して進められている陰謀のことです。 ここで思い出しましたから記しておきますと、名張まちなか再生委員会の委員長さんから拝眉の機を頂戴したいのだがと事務局にお願いしてありました件、二日か三日ほど前に事務局から連絡をいただきました。1月27日に名張市役所でお会いできるよう手配をたまわったとのことで、ちょっくら参上してまいります。 この件はきょうはここまで。
あー、だらだらと長くなってしまった。おつきあいありがとうございました。あしたもよろしくお願いします。 |
掲示板「人外境だより」を舞台に演じられた「エジプトの怪人たち」騒動の続報です。名張市役所生活環境部長からお知らせいただいた写したくなる町名張をつくる会代表との面談内容を確認しておきます。 まず一点目。掲示板「人外境だより」に一連の投稿を行った新怪人二十面相、怪人22面相、怪人19面相を名乗る投稿者は、写したくなる町名張をつくる会の会員なのかどうか。 会員ではない、というのが代表のお答えだったそうです。面談のあとで会員に問い合わせ、その結果を生活環境部長に電話で伝える労までおとりいただいたそうですが、一連の投稿を行った会員はひとりたりとも存在しないことが判明したとのことでした。 ふりかえっておきましょう。一連の投稿の第一弾、新怪人二十面相による投稿です。
これに対する私の投稿から、必要部分を抜粋します。
つまりこの時点では、写したくなる町名張をつくる会に「近しい方」である新怪人二十面相が「援護射撃」のつもりでこの投稿を行った、と私には判断されたわけです。少なくとも、写したくなる町名張をつくる会の代表が投稿したなんてことはありえないだろうし、それならば代表ではなく会員の誰かか、いや、会員ではないが何らかの関係者という線が濃厚か。さすがにそこまで見極めることはできませんでしたが、私はとりあえずこの幼稚きわまりないことしか書けない新怪人二十面相を子供に擬して、 ──もう少し他者とのコミュニケーションに意を用いてみることを、今年の夏休みの課題とされてはいかがでしょうか。さもないとあなたには、あなたの周囲にごろごろしているらしい愚劣な大人の仲間入りをするしか道がなくなってしまうのではないかと案じております。 と投稿に記した次第でした。こちらが子供のいたずらという扱いをして大目に見てやっているのだから、これ以上わけのわかならないこといって笑いものになるのじゃありません、という武士の情けなわけだったのですが、怪人22面相だの怪人19面相だのといったお連れさまがあいついでお見えになられましたのはご存じのとおりです。 で、この時点では記さなかった判断というものもありました。昨年12月30日付伝言に記した次のような判断です。
ちなみに私はつい先日、1月19日のことでしたが、写したくなる町名張をつくる会と同様に名張市の市民公益活動実践事業に名を連ねている創作ファンタジー「ひめみこ物語」語り手養成講座の講師に招かれてたらたら喋ってきたのですが、そのおりまず地域社会の歴史を正しく理解することの大切さを力説し、 「ろくに地域社会の歴史を知らない人間というのは名張はからくりのまちであるなどと気のふれたようなことをいいだします」 と述べましたところ、会場には日なたにほこりの舞うような失笑がひろがっておりました。名張市民一般におけるからくりのまちの認識は、まあざっとそんなものであろうと思われます。 閑話休題。エジプトの怪人たちによる最初の投稿の時点でも、上に引いた程度のプロファイリングはいくらでも可能だったわけなのですが、二日後には怪人19面相を名乗る超弩級のすっとこどっこいがこんな投稿を寄せてくれました。
なんというばかか。 ──私はアナタにキチガイ呼ばわりされた一人です という表明は、私は写したくなる町名張をつくる会の会員ですという告白にほかなりません。ばーか。死ぬほどのばーか。 本日はここいらまでとしておきましょう。 |
光陰矢のごとくにして行きかう年もまた旅人なり。現実の進行が早くて伝言板での報告がそれに追いつきかね、しかも記憶は滔々と流れる忘却の河をすばらしい速度で日々流れ去ってゆきますから、ものごとがなかなか思い出せないうえに思い出してもまちがっている。なんかもう無茶苦茶です。 きのう大阪で開かれたちょっとした大宴会におきましても、私はそんなことを経験いたしました。ある俳句のことが話題になり、ほら、あれ、あれですよ、あの蛇の、ほれ音楽が、蛇がほら、といったもどかしさが席を支配して、しかし私は乾坤一擲、誇らしいことにその句を見事想起して場に光明をもたらしたのですが、一夜明けてさっき調べてみたら微妙にちがっておりました。正しくは、 ──音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢え 赤尾兜子の句です。こうした場合、すなわち一句をまるごと引いた場合、著作権の問題はいったいどうなるのであろうか、と思いつつ「エジプトの怪人たち」騒動の続報に入りたいところなれど、ある方からメールでご質問をいただき、なかにはメールで個人的にお答えするよりこの伝言板でアナウンスしたほうがいいだろうと思われることもありますので、名張市役所生活環境部長からお知らせいただいた写したくなる町名張をつくる会代表との面談内容よりもそちらを優先することに決めたのですが、じつはきのうのお酒が残っていてまだぼーっとしておりますゆえ、つづきはあしたといたします。
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いけませんいけません。ゆうべ遅くまでウイスキー飲みながらライブドア事件関連のテレビニュースを眺めていたせいで、けさはすっかり寝過ごしてしまいました。飲み過ぎでぼーっとしてもおりますし。昨日予告した件はまたあしたということにいたします。
いけませんいけません。甲斐のない昔ばなしにふけってしまいました。なんだかとても恥ずかしい。ではまたあした。 |
おとといきのうは頭がぼーっとしていたのですが、けさは比較的すっきりしております。さっそくまいりましょう。メールでお問い合わせいただいた件にこの伝言板でお答えする件です。 1月2日の伝言で、私はある方から頂戴した年賀状を話題にして、 ──名張市立図書館が『乱歩文献データブック』をつくったとき、編纂開始を報じてもらった朝日新聞三重版の記事をご覧になって、そういうことならと昭和21年創刊の月刊誌「宝石」全冊を名張市立図書館に寄贈してくださったのがこの方で、むろん年季の入った探偵小説ファン。 と記しました。 ところが、名張市立図書館のオフィシャルサイトで蔵書検索を試みても、「宝石」のほの字もひっかかってこないではないか。昨年末に掲示板「人外境だより」で話題になっていた横溝正史の謹呈署名入り『真珠郎』も、やはり検索することができないではないか。これはいったいどういうことか、というメールを頂戴した次第です。 お答えいたします。とはいえ、私は名張市立図書館にその人ありとうたわれたカリスマではあるのですが、実際にはただの嘱託にすぎませんから、図書館の運営そのものにはまったくタッチしておりませんし、運営に関する意見を求められることもありません。蔵書検索についてもそもそもシステムさえとんとわからず、とてもお答えできる立場にないといえばないのですが、思量できるところをお答えするならば、名張市立図書館の蔵書は乱歩に関係があるものとそれ以外のものに分類されていて、前者は検索の対象になっていないということではないでしょうか。 それがなぜなのか、やはり私にはよくわかりません。まるでばかみたいになんにもわかりません。しかしむろん望ましいことではなく、というより乱歩に関していうならば、名張市立図書館のオフィシャルサイトでは一般的な蔵書検索よりもさらに高度な検索ができるようにしたいものだと私はつねづね考えているのですが、いまだ実現できてはおりません。これはあきらかに私の力不足のせいでありますゆえ、とりあえずお詫びを申しあげておく次第です。 ここでちょっと振り返っておきますと、あれは名張市立図書館が江戸川乱歩リファレンスブック2『江戸川乱歩執筆年譜』を刊行したあとのことですから1998年。インターネットがかなり普及してきましたので、名張市立図書館もこれまでに出した『乱歩文献データブック』と『江戸川乱歩執筆年譜』のデータをネット上で公開するサービスに着手すべきだろうと考え、私は名張市教育委員会にそのための予算を要求したのですが、提案は採用されるにいたりませんでした。理由はたぶん、予算に余裕がないということであったと判断されます。 名張市教育委員会をあてにしてぼーっと待ってても仕方ないなと判断し、みずからサイトを開設して『乱歩文献データブック』と『江戸川乱歩執筆年譜』のデータを掲載しはじめたのが1999年のこと。編纂中だった『江戸川乱歩著書目録』の内容も公開して、その『江戸川乱歩著書目録』が完成したのが2003年。その時点で私は再度、江戸川乱歩リファレンスブック全三巻のデータを図書館のサイトに掲載することを名張市教育委員会に提案したのですが、またしてもあっさり蹴られてしまいました。このときにははっきりと、予算がないからという説明がありました。 私の構想は、単に目録三巻の内容をアップロードすることにとどまるものではありませんでした(すでにして過去形で語っているわけですが)。乱歩に関するさまざまなデータも掲載して、なかんずく圧巻というべきは乱歩の著作権が消滅する日に照準を合わせ、全作品の初出テキストを一挙に公開することまで視野に入れていたのではありましたが(過去形です)、その端緒となるべきリファレンスブック三巻の掲載すら実現できないのですから情けない。無力感にうちひしがれるばかりです。 ですから結論といたしましては、 ──名張市にはお金がありませんので乱歩の著作や関連文献などのデータをネット上で公開することができません。 ということになります。なんか嘘みたいな話ですけど、つまりいくら財政難でもそれくらいの予算はいくらでも捻出できるのではないかと私には思われるのですが、これまでの経緯をたどってみるとそういうことになってしまいます。なんか変だな。 あすにつづきます。
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きのうのつづきです。 とにかく結論としては、名張市にはお金がありません。それが証拠に、昨日付伊勢新聞にはこんな記事が掲載されておりました。
しかし実際のところをいえば、お金よりもまず必要なのは覚悟でしょう。竹中英太郎の言をかりるなら、「体をぶっつけてもいいという気持ち」。そんな覚悟を決めなければ、乱歩に関してろくなことなどできますまい。しかもそのうえ、お役所というところはろくなことをしたいと思っているわけではまったくなく、上っ面だけ整えてくれればそれでOK、つまりは腹を据えたり覚悟を決めたり、何か前例のないことを決定して責任が生じたりすることを何より忌み嫌う世界なのですから、私の提案などたぶん目障りで仕方がない。 たとえば乱歩の著書目録を刊行するといったことであれば、これはまだいい。適当な年度に事業化して予算をつければそれで話はすむわけですが、名張市立図書館がインターネットを利用して乱歩に関する書誌データなどの情報を広く提供するサービスをつづけるとなれば、話は単年度ではすまなくなります。未来永劫、といってしまうとおおげさですが、とにかく将来を見越した持続的なサービスにつとめなければなりません。となると、軽々に予算をつけることをためらってしまうのが公務員の習い性というものではないのか。 げんに私は、これではとても無理だろうと判断して、乱歩の全著作をネット上で公開することまで視野に入れた名張市立図書館の「江戸川乱歩アーカイブ」構想、とっくにあきらめておりますし、といったところでふたたびあすにつづきます。
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きのうのつづきです。 つづきというかなんというか、毎度おんなじことばかりぺらぺら述べ立てているという印象がぬぐえない次第なのですが、こうなったらもういいだろうと私は考えたわけです。『江戸川乱歩著書目録』を編纂しているあいだに立教大学が乱歩の遺産を継承してくれましたので、これさいわいと名張市は乱歩から手を引けるではないか、こうなったらたとえば乱歩の著書目録だって立教大学が刊行するのが筋というものだし、それでなくてもお金のない名張市が乱歩のためにあえて税金をつかわねばならぬ必要などどこにもなく、名張市立図書館がインターネットを利用した「江戸川乱歩アーカイブ」をつくらなくたって立教大学が乱歩関連資料のデータをネット上で公開してくれるのを待っていればそれでいいではないか、よーし、撤収だ、と考えたわけです。 その後、『江戸川乱歩著書目録』が出て、立教大学が「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」を開き、みたいな動きはいろいろとあったのですが、名張市は乱歩から手を引くべきであろうという私の信念は変わらず、ですから2004年の夏、立教の乱歩展が終わったあたりから、あとは諸事万端みーんな立教大学におまかせすればいいではないかみたいな気持ちになったのか、サイトの更新もなんとなくおろそかになってしまった駄目な私。そして、当時の停滞を挽回するべく、日々これ朝っぱらから鬼神の形相でサイトの更新に精を出しているいまの私。われながら利口じゃねーなーまったく、と思います。 何の話をしているのかというと、名張市立図書館が架蔵する乱歩の著書や関連文献のデータをネット上で検索できるようになるのかどうか、という話なのですが、もとよりそれは望ましいところですから、『江戸川乱歩著書目録』が出たあと、名張市は乱歩から手を引くべきだという考えは依然として私の心のなかにうずくまってはいたのですが、完結した目録三巻のデータをインターネットで公開するよう名張市教育委員会に提案し、しかし財政難のせいで実現するにいたらなかったというゆくたては1月25日付伝言に記したとおりです。私の心のなかで、名張市は乱歩から手を引くべきだという考えが獰猛な獣のように身を起こしました。 いつまでもだらだらしていて恐縮ですが、またしてもあすにつづきます。
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きのうのつづきです。 きのうのつづきではあるのですが、なんだかこんがらがってきてしまいました。 私はもともと、1月20日のことを綴っておりました。名張市役所の生活環境部に足を運び、部長さんから名張エジプト化事件に関するお話をお聞きしてきた、その報告です。 ところが、当サイト閲覧者の方から名張市立図書館の蔵書検索に関する質問のメールをいただきましたので、同様の疑問を抱いていらっしゃる方はほかにもおいでだろうと判断し、回答をこの伝言板で公開することにいたしました。名張エジプト化事件の話題は先送りして、回答はなお継続中という状態です。 そこへもってきて、私はきのうふたたび名張市役所を訪れ、名張まちなか再生委員会の委員長さんにお目にかかってまいりました。名張まちなか再生事件に関して話し合いを行ってまいりました。市役所三階の会議室で、午前10時から正午までずーっと喋りつづけてまいりました。 本来であればけさはその報告を記さねばならぬところなのですが、名張エジプト化事件の話も名張市立図書館蔵書検索疑惑の話も先送りしてしまい、あらたな話題として名張まちなか再生事件のことをもちだしてしまっていいものかどうか。 読者諸兄姉が混乱してしまうのではないか。それ以前に、私の頭のほうは大丈夫か。いや、私の頭ならまずまちがいなく大丈夫ではないのだが。 みたいな逡巡をいつまで書きつけていても仕方ありません。要点のみ簡潔に記しましょう。 私は昨年10月22日、事務局を通じて名張まちなか再生委員会の委員長に文書を提出しました。貴委員会が検討を進めている細川邸と桝田医院第二病棟の整備計画はともに無効であると判断されるが、貴職の見解はどうか、という内容です。 待てど暮らせど回答がいただけません。うんともすんとも音沙汰がありません。私はしびれを切らし、業を煮やし、正月早々えーいくそったれがとひどくすさんだ気分になって、1月3日に事務局へメールを送信いたしました。文書で回答を頂戴できないのであれば、委員長に直接お会いしたい。 で昨日、それがようやく実現したというわけです。私は自身の考えるところを委員長さんに述べました。 非は名張まちなか再生プランを策定した名張地区既成市街地再生計画策定委員会にある。それはあきらかなことである。彼らのつくったプランにはもっとも重要な箇所に致命的な不備がある。ろくな歴史資料もないのに細川邸を歴史資料館にするなどというのはリフォーム詐欺である。名張市が寄贈を受けた桝田医院第二病棟のことに片言隻語も触れていないのは決定的な落ち度である。この二点の不備のせいで、そもそもプランの策定を担当する組織ではない名張まちなか再生委員会がああでもないこうでもないと無効な協議を重ねているのである。そんな協議には根本的な無理がある。インチキである。詐欺である。でたらめである。名張地区既成市街地再生計画策定委員会を再招集してもういちど協議させろ。それが私の考えである。だいたい連中はまともに協議したのか。歴史資料がどうの乱歩資料がこうのというのであれば、何はともあれ名張市立図書館に足を運んで協議に必要な知識を身につけるのが先決ではないか。歴史にしろ乱歩にしろ、名張市における拠点は市立図書館なのである。それがどうだ連中は。市立図書館にはいっさい顔を出さず、つまりは歴史資料や乱歩資料に関する一知半解の知識すらなしに歴史資料館がああだこうだと適当なプランをつくりおっただけの話ではないのか。いやもうそうに決まっておるのだ。だいたいがおかしいではないか。組織のあり方じたいがおかしいではないか。プランをつくった委員会の責任を追及しようとしてもとっくに解散しているから矛先の向けようがない。いくらお役所の名物であるとはいえ、こんなあからさまな責任回避があっていいものか。とにかく連中はまともに協議しなければならぬことをまともに協議しなかったのである。自分たちが果たさねばならぬ責任を果たさなかったのである。だから名張地区既成市街地再生計画策定委員会を再招集しろというのだ。再招集してもっと真剣に協議させろというのだ。 私の主張をお聞きになった委員長さんからは、事務局に対して、 「名張地区既成市街地再生計画策定委員会の再招集を早急に検討するように」 との指示を出していただくことができました。委員長の多田昭太郎さん、どうもありがとうございました。感謝しております。 やっぱりあすにつづきます。
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きのうのつづきです。 きのうの伝言は、名張まちなか再生委員会の委員長から事務局に対して、名張地区既成市街地再生計画策定委員会の再招集を早急に検討するよう指示していただいた、というところまででした。 むろん実際に再招集するかどうか、いやそれ以前に再招集を検討するかどうか、それは事務局の判断にゆだねられているのですが、再招集はたぶん無理ではないかと私は思います。名張地区既成市街地再生計画策定委員会にとって、再招集というのはあまりにも理不尽な要請だからです。かりに私が委員会のメンバーであったとしたら、烈火のごとく怒りながら事務局に対してこんなふうな批判を展開するであろうな。 そんなことおっしゃっても、いまさら再招集に応じるわけにはいきません。名張まちなか再生プランに文句がおありなら、プランを提出した時点でそういっていただかなければ困ります。それをそのまま受け取っておいて、市民からパブリックコメントも募集して、そのうえで一字一句の訂正もなしにプランにゴーサインを出したのは行政当局じゃないですか。なのにいまごろになってなんだっていうんですか。中さんだかばかさんだか知りませんけど、札つきで鼻つまみのクレーマーにちょっとばかりクレームをつけられたからって、そのままあたしたちにお鉢をまわしてくるのはお門ちがいというものです。あたしはごめんです。おことわりです。プランを最終的に決定した行政の責任はいったいどうなるんですか。 こうなると私の出番か。とても公務員の手には負えまい。そこで私はこんなぐあいに委員会メンバーの説得に努めることになるであろうな。 まあまあそういわずに、のう、わしとしても申しわけないとは思っておるのじゃ。再招集はまことに申しわけないことである。しかし、名張まちなか再生プランに致命的な不備があるのはたしかなことなのじゃ。そしてその不備は、名張地区既成市街地再生計画策定委員会の手で改めてもらうのがいちばん合理的なのじゃ。相撲取りではないのじゃから、自分の尻くらいいつでも自分でふけるじゃろう。ふぉっふぉっふぉ。現在のところでは、その不備を名張まちなか再生委員会が補っておるわけなのじゃが、残念ながらあれはプランの策定を進めるための委員会ではないのでのう。組織の役割からいっても無理な話じゃし、面子的にもほれ、のう、ふぉっふぉっふぉ。じゃからまあ、そう片意地を張らず、素直に再招集に応じてやってはどうじゃ。 だーかーらー、あなたみたいになんでもかんでもいちゃもんをつけて喜んでいるクレーマーの言葉に従う必要は認めないといってるんです。行政の足をひっぱるのがそれほど面白いんですか。それはたしかにあたしだって、行政のやってることに疑問を感じるときがないわけじゃありません。でもみんな一生懸命やってるじゃありませんか。それをあなたみたいに頭ごなしに他人を否定して、すべての人間を間抜け扱いしていたら、少しずつでも前進している話だって完全にストップしてしまいます。そんなことやっていったい誰が得をするんですか。片意地を張っているのはあなたのほうです。もう少し柔軟になったらいかがですか。 はて、柔軟性が必要なのはどちらのほうかのう。ふぉっふぉっふぉ。それにしても、ずいぶんと強情なことよ。まあよい。そうやって本気で怒った顔が、またなんともいえぬわい。ささ、もそっと近う。苦しゅうない。ほれ。おお、おお、可愛いおててじゃ。ふぉっふぉっふぉ。 いやいや、一人芝居で遊んでる場合ではありません。自分がどうして狒々爺みたいなキャラクター設定に甘んじなければならないのか、納得いかないものも感じますし。 ともあれこれで当面は、名張地区既成市街地再生計画策定委員会の再招集が首尾よく実現するのかどうか、楽しみにして推移を見守ることになりました。もしも実現しなかった場合には、委員会の委員長をお務めだった三重大学の先生にお目にかかって、どうしてこんなインチキなプランができあがってしまったのか、じっくりお聞きしてみなければならないのかなとも考えているのですが、それもまた後日のお楽しみ。 さてそういった次第で、名張地区既成市街地再生計画策定委員会の再招集は、名張まちなか再生委員会の委員長からもそれを検討することへのお口添えをいただいた結果になったのですが、より具体的に記しますと、二時間にわたった面談の終盤、委員長さんから事務局に対して、 「いま中さんのゆうた二件、早急に検討するように」 との指示があったわけです。私は「二件」の意味がわからず、むろん一件は委員会再招集のことなのですが、あとの一件はいったい何なのか。見当がつきませんでしたので委員長さんにお訊きしたところ、私が提出したパブリックコメントのことでした。私は席上、問われるままにパブリックコメントの概要を委員長さんにご説明申しあげたのですが、それもあわせて検討するようにというのが「二件」の意味でした。 私は委員長さんのお口添えをありがたく拝聴していたのですが、しかし実際のところをいえば、これはきわめておかしな話です。私のパブリックコメントというのは、ご存じのとおりの「僕のパブリックコメント」。しかしプランを最終的に決定する段階で、細川邸と桝田医院第二病棟の整備に関する私の提案はきれいに否定されてしまいました。プランは名張地区既成市街地再生計画策定委員会がつくった原案どおり、一箇所の修正もなしに決定されてしまいました。私はプランの修正を迫ったが、それは容れられることがなかったのである。 で、これはそもそも不問に付しておいたことなのですが、事務局から言及がありましたゆえ、なんだかめんどくさいことではあるけれど、ここであえて問題にしておきたいと思います。 名張市のオフィシャルサイトを見てみましょう。「まちなか再生プラン(案)に関するご意見の募集結果」というページが公開されていて(これに関して私は「人外境主人伝言録」の昨年5月7日から11日あたりにかけて徹底批判を展開しているのですが)、そのなかの「5. 意見の概要と市の考え方」という項で、桝田医院第二病棟に関する私の提案は「参考」、つまり「素案に盛り込めないが、今後の参考とするもの」として扱われています。名張市側のコメントを一部引用しておきます。
で、昨年の徹底批判でも不問に付しておいたことというのは、「まちなか再生プラン(案)に関するご意見の募集結果」における根本的な自家撞着です。すなわち、私の提案を否定してプランを修正しなかったにもかかわらず、「5. 意見の概要と市の考え方」には「なお、昨年、寄附を受けました桝田医院第2病棟跡の土地、建物の活用方法につきましては」などとこそこそ書きつけてある。これが自家撞着だというのである。桝田医院第二病棟を整備する気があるのなら、それをきっちりプランに盛り込んでおけというのだ。それを促すために私はパブリックコメントを提出したのではないか。 そして、おとといの話し合いで判明したところでは、事務局はこの自家撞着を自家撞着と気づいておらず、この文言がなにごとかを担保しているとでもいった口ぶりであったから私はかちんと来た。やや語気を荒げて事務局を批判した。 ごまかすな。いいのがれをするな。桝田医院第二病棟の整備が必要だと考えるのであればプランに明記しろ。それがあったりまえ、ごく当然の筋というものではないか。実効性の保証などどこにもない附帯的文言をいくら連ねてもそんなものはゼロである。もしもそんなインチキが通用するのなら、プランに盛り込まれていないことをいくらでもあとからつけ加えられるというのなら、プランの意味など吹っ飛んでしまうではないか。かりに百歩譲って「5. 意見の概要と市の考え方」の正当性を認めるとしても、「整備、活用方法について検討を行ないます」という言葉にどんな意味があるのか。いったい検討は誰が行うのか。名張地区既成市街地再生計画策定委員会か、名張市の建設部か、それがさっぱりわからぬではないか。主体性というものがきわめて曖昧ではないか。検討の主体さえ曖昧なこんな文言が何を担保しているというのか。もうインチキは重ねるな。こんないい加減なことばかりやってると、パブリックコメント制度なんて完全に無意味なものになってしまうぞ。 以上、不問に付していた問題をあえて明らかにいたしました。なんだかインチキばかりで困ってしまいますが。 それでまあ結局のところ、なんといってもおかしいわけです。プランの修正を求めた私のパブリックコメントを名張市は採用しなかった。それをいまになって、否定した提案を一年ちかくも経ってからあらためて検討するくらいなら、どうしてそれがパブリックコメントとして提出された時点で、私の提案から汲むべきところを汲んでおかなかったのか。それをいっさいせず、きわめて有益だったはずの私の提案をプランにまったく反映させなかったくせに、この期に及んで検討のどうのといいだすのは、いくらお役所のやることとはいえとてもおかしな話であるわけです。 とはいえ、とっくの昔に解散した委員会をいまになって再招集しろなどとしずやしず、昔をいまになすよしもがななことを主張している身としては、このさい私のパブリックコメントも昔をいまに戻してみたいとおっしゃるのであれば、それはそれでやぶさかではないなという感じであるのかな、と申しあげておきましょうか。 ここでお知らせ。名張まちなか再生委員会の平成17年度事業計画は、昨年6月の発足時には次のように定められておりました。
しかし昨年10月には基本計画がまとまりませんでした。昨年末に事務局で確認したところでは、まあ今年の3月末にはなんとかという話だったのですが、どうやら3月末にもまとまる気配がありません。ずるずるずるずるずれ込んでいるみたいです。 いっそもうやめてしまってはどうかしら。昔をいまに戻してしまい、もういちど最初から、今度はインチキなしでプランづくりを進めたほうが手っ取り早いのではないかしら。益もなければ甲斐もないしずのおだまきをくりかえしているそれよりも。 といったところで名張まちなか再生プランに関する報告を終え、インチキつながりということになりましょうか、あすは写したくなる町名張をつくる会の話題に復します。同会関係者のみなさんは、お読みになったら胃に鈍痛を覚える可能性がありますので、ご閲覧になられぬのが賢明かもしれません。 さーあ、あしたもばんばんかますぞー。
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名張まちなか再生事件の話題から名張エジプト化事件の話題に復しますが、ひとつだけ附言しておきましょう。名張まちなか再生委員会の委員長との話し合いの件です。面談の席上、私は委員長さんから委員会への協力を要請されたのですが、僭越ながらお断り申しあげました。 むろん私とて協力するにやぶさかではありません。それに看過しがたいプランの不備を的確に指摘するのは何よりの協力にほかならぬでしょうから、その意味で協力していないわけでもないのですが、私はかつて名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトから協力の申し出を拒絶されております。おまえら歴史のれの字も乱歩のらの字も知らない連中ばかりだからおれがいろいろ教えてやろうと、私が名張市立図書館嘱託としての高潔高邁な職業的倫理をフルスロットルにして申し出たにもかかわらず、彼らは、 「現段階では乱歩に関して外部の人間の話を聴く考えはない」 とお答えになった。みたいなことを委員長さんにお話ししておりますと、横から事務局が「あれはあくまでも現段階ではという話でしたから」と横槍を入れてきたから私はかちんと来た。かちんと来たとも。 だからその段階が重要なのではないか。さあ検討を始めようという段階で歴史拠点整備プロジェクトのメンバーには何の知識もない。こんなことでは検討もくそもないからせめて基本的な知識だけでも教えてやろうと私は申し出たのではないか。その時点で人の話を聴かなくていったいいつ聴くというのだあのばかどもは。 ともあれ私は委員長さんに対して、 「協力する気はいっさいありませんし、むしろ徹底的に批判をつづけてやろうと考えております」 と申しあげておきました。むろん、あくまでも「現時点では」という留保のついた話ではあるのですが。 お世話になった委員長さんと事務局スタッフにあらためてお礼を申しあげ、名張エジプト化事件へとまいります。 1月20日、名張市役所生活環境部の部長さんからうけたまわってきたお話の報告をつづけましょう。 一)一連の投稿を行ったのは、写したくなる町名張をつくる会の会員および関係者であったのか、そうではなかったのか。 この質問に対する写したくなる町名張をつくる会の回答は、まったく身におぼえがないというものでした。どっかのインチキIT企業の前社長の言のようにも聞こえますが、しかし身におぼえがないといったって、掲示板「人外境だより」の過去ログ集「エジプトの怪人たち」にしっかり記録されているとおり、怪人19面相を名乗った間抜けは昨年8月4日付の投稿ではっきりと、 ──私はアナタにキチガイ呼ばわりされた一人です と明言しているではないか。これはそのまま自分が写したくなる町名張をつくる会の会員であることの表明ではないか。ばーか。死ぬほどのばーか。 といったところまでを1月22日付伝言に記した次第であったのですが、実際のところこの手のことは本人が口を割らないかぎり真実は明らかになりません。懐かしのアレクセイこと田中幸一君の一人二役疑惑と同断です。ですから、へー、そーなんやー、と女子高生みたいに単純に納得しておくことにいたしましょう。 もう少し怪人19面相を追及してはどうかとお考えの方もいらっしゃることでしょうが、もしも怪人19面相の正体が明らかになり、その結果たとえば名張まちなか再生プランに影響が出るようなことになってしまったら、それでなくてもてんやわんやの名張まちなか再生委員会はさらに無茶苦茶なことになってしまうでしょう。私はそれを望まない。 いや、いやいや、もちろんそんなはずはないのですが、これはあくまでもたとえ話としてお聞きいただきたいのですけれど、なにしろ名張というのは狭いまちであって人の数もたかが知れておりますから、怪人19面相がじつは名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトのメンバーであったりする可能性が完全にゼロだというわけでもありません。もしもそんな事実が判明した日には、プロジェクトメンバーとしての資格に重大な疑義が生まれてこざるをえないでしょう。つまり、あそこまで尋常一様ではないばかが協議に加わっていいものか、ということになってしまうわけなのですが、まさかそんなはずはないでしょうからご休心ください。 それから、ついでですからここで怪人19面相君に老婆心ながらお伝えしておきますと、君はほんとに頭が悪くて余計なことをぺらぺらしゃべり、そのせいで出さなくてもいいぼろを手品師みたいに次から次へとくり出しているのであるからして、 ──いくらあほでも黙っておれば という俗謡は私がいまつくったものですが、くれぐれも自重してくれれば私は嬉しく思います。 二)名張のまちにエジプトの絵やニューヨークの写真を掲げることに、いったいどんな効果や公益が期待できるのか、このさいだから説明をうけたまわりたい。 この点に関しては、生活環境部の部長さんが写したくなる町名張をつくる会の代表の方からお聞きになられたところを文章にまとめてくださってありましたので、それを引き写して報告といたします。
へー、そーなんやー、と女子高生のように納得しておくことにいたしましょう。 もうひとつ、写したくなる町名張をつくる会が名張市の平成17年度市民公益活動実践事業に応募した際の計画書(平成17年5月9日付)というのがあって、部長さんはそのなかの「事業の概要(趣旨、企画、提案内容の特色、工夫した点など)」を抜粋しておいてくださいましたので、それも原文のまま以下に。
へー、そーなんやー、と納得したいところなのですが、この文章には論理的脈絡というものがほとんど見られませんので、いったいどうすればいいのかな。しかも、さらに、なおかつ、そのうえ、この論理とも呼べぬ論理にもとづいて名張のまちにまず登場したのがなんとエジプトの絵だったわけなのですから、これはもうとてものことに論理的脈絡などたどりようがなく、そこに論理があるとすれば「狂人の論理」でしかないであろうとした私の指摘はいよいよもって正鵠を射たものであったというほかありません。 それにしても、名張のまちを書き割り一枚で目隠ししてしまって何が面白いのか。こんなことが何になるのか。私にはやはり納得がゆきかねます。 しかしよく考えてみますと、この事業こそが名張市という自治体の実情を雄弁に物語っているのかもしれません。どっちを向いても官民ともに、とにかく上っ面を適当に飾り立てるだけでそれでよしとしてしまえるような、一例をあげるならろくな歴史資料もないのに歴史資料館をつくりたがるような連中ばかりで占められているという事実を、この事業はひろく全国に発信してくれたのではないかしら。ようやらはった、ようやっておくんなはったと、その点に納得して謝意を表しておくことにいたしましょうか。 質問の三点目。 三)この事業によってどんな成果がもたらされたのか。 現在検討中、もうしばらく待たれたし、とのことだそうです。 あすにつづきます。
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きのうのつづきのその前に、おもに名張市民の方を対象としたお知らせを一件。 私がつい先日まで、正確にいえば1月23日まで奉職していた三重県立名張高等学校の生徒八人が、あす2月1日から3日までの三日間、名張まちなか再生事件に揺れる名張まちなかで「高校生がやってるお店〜チーム〜」を開店いたします。どうぞお運びください。 この生徒たちは私の教え子ではなく、ベンチャー企業論を受講している二年生。私の担当は三年生のマスコミ論だったのですが、可愛い後輩たちの出店を手助けしてやってはどうかねと、マスコミ論の時間に「高校生がやってるお店〜チーム〜」をPRするミニコミをつくることにいたしました。 マスコミ論受講生十八人が四班にわかれて制作に励んだのですが、私もついでに参考出品といいますか、講師作品といいますか、いやもういっそ卒業制作と呼ぶべきか、「へーそーなんやー」と題したA4サイズ一枚のミニコミをつくって生徒たちとくつわを並べてみました次第。先週の後半あたりから、名張まちなか再生事件に揺れる名張まちなかの街頭で、ベンチャー企業論受講生によって手配りされているはずです。PDFファイルでどうぞ。 サイトを開設して六年三か月になりますが、PDFファイルをアップロードするのはこれがはじめてです。ファイルがうまく開けないようでしたらご一報ください。そんな頼りないことでいいんすか先生、という生徒たちの声が聞こえてくるよなこないよな。
いちばん最後に記しましたとおり、このお店は名張地区まちづくり推進協議会の全面的な協力を得て開店されます。そしてこの名張地区まちづくり推進協議会の会長は、何を隠そう名張まちなか再生委員会の委員長を兼務しております。したがいまして先日、1月27日に名張市役所で名張まちなか再生委員会の委員長さんにお会いしたときにも、私はまず、 「高校生がやってるお店では生徒たちがいろいろお世話になっておりまして」 とご挨拶を申しあげてから本題に入ったような次第でした。狭い地域社会でいいだけとんがらかりつっぱらかりして生きておりますと、いつどこでどんな冷や汗をかく羽目になるやら知れたものではありません。気をつけたいものです。 ともあれ、名張市民の方はどうぞお運びください。
坂口安吾は若いころの一時期、小学校の代用教員をしていたことがあって、当時の経験をもとにした小説も書いています。その一篇「風と光と二十の私と」にはこうあります。
学校の先生による「子供はみんな可愛いいものだ」という認識は、私にも実感として理解できるような気がします。だんだん可愛く思えてくる、といったほうがより実感に近いか。私の場合、教壇に立ちはじめて三日目くらい、といっても私は週一回の先生でしたから三週間目くらいということになりますが、生徒たちが男女を問わず、いわゆる成績のよしあしも関係なく、なんだか可愛く見えてくるということを経験しました。あれはいったいどういうことであったのか。 「無理に頭の痛くなる勉強を強いることはない」というのは私もまったく同感で、生徒たちは「勉強」があまり好きではないようでしたし、私自身も高校時代には「勉強」なんかいっさいしないことにしておりましたから、私の授業などとても「勉強」と呼べるものにはなっていなかったことでしょう。すなわち、かつて「美しい魂」をもった「悪い子供」であった私は、成長してもなお「美しい魂」をもちつづけている「悪い先生」なのであった、ということになるでしょうか。めでたしめでたし。 |