2006年1月下旬
21日 22日 23日 24日 25日 26日 27日 28日 29日 30日 31日

● 1月21日(土)

 まずお知らせです。

 一昨年11月に名張市で初演された新作狂言「押絵と旅する男」が1月29日、乱歩ゆかりの大阪府守口市で公演されます。上演はたぶん二回目。新年を機に心を入れ替え、全国紙のオフィシャルサイトをこまめに検索していた甲斐があって、朝日新聞の20日付記事を首尾よく身柄確保することができました。

乱歩の幻想世界 狂言に 29日に守口で
 推理小説の巨匠、江戸川乱歩は大正期、守口市に住んだ。その乱歩の短編小説「押絵(おしえ)と旅する男」を題材にした狂言の上演会が、29日に同市で開かれる。乱歩の生誕地・三重県名張市の依頼で、能楽笛方の帆足正規さんが2年前に書き下ろした脚本を、大蔵流狂言師の茂山一門が演じる。守口文化センター(エナジーホール)開館20周年の記念イベント。

 1月10日付伝言にも記しましたとおり、狂言なのに笑いがないという点が私には少なからず不満なのですが、伝統芸の奥深さをたっぷり堪能できる舞台です。関西方面にお住まいの乱歩ファンの方はぜひどうぞ。

 さて本題。掲示板「人外境だより」を舞台に演じられた「エジプトの怪人たち」騒動の続報です。私は昨日、名張市役所生活環境部で部長さんからお話をお聞きしてきました。この部長さんには昨年12月21日、お目にかかってお願いの儀をお伝えしたのですが、翌22日付伝言から引くならば──

生活環境部長に対して「投稿者が同会のメンバーであったのか、そうではなかったのか、それを明らかにしたうえで、前者後者いずれの場合でも、必要と思われる措置」をお願いした次第です。ご快諾をいただきました。

 おとといのことになりますが、写したくなる町名張をつくる会の代表の方とご面談いただいた旨、部長さんから電話連絡を頂戴しましたので、きのうご報告をうかがいに参上した次第です。

 より具体的に記しておきますと、昨年12月21日、私は部長さんに対して、写したくなる町名張をつくる会に次の点を確認していただきたい、それが市民公益活動実践事業を担当している行政当局の責務ではないかとお願いいたしました。

 一)一連の投稿を行ったのは、写したくなる町名張をつくる会の会員および関係者であったのか、そうではなかったのか。

 かりに会員および関係者であったとしても、あなたなのかと尋ねられてはいそうですと正直に答える人間はいないでしょうけれど、話の順番としてはこの質問から入るしかありません。で、相手はきっと否と答えるであろうから、そのあとはこんなことを確認してほしい。

 二)名張のまちにエジプトの絵やニューヨークの写真を掲げることに、いったいどんな効果や公益が期待できるのか、このさいだから説明をうけたまわりたい。

 もとより名張市民にも、「え? なんでエジプトなん?」といった素朴な疑問を抱き、それを私に告げてくれた人も少なからず(いや、数が少ないことは少ないですけど)存在しておりますし、私は私で7月22日付伝言に記した次のような感想に微塵も変化はありません。

 名張とエジプトをこのように手もなく難なく脈絡もなく結びつけてしまう背景には、おそらくは木村鷹太郎的な狂人の論理が要請されることでありましょう。すなわち、これぞまさしく気違い沙汰。細川邸の関係者のなかには少なくともひとり、とんでもない気違いが素知らぬ顔をして紛れ込んでいるようです。いやまあ、気違いというやつはいつも素知らぬ顔をしていることでしょうけれど。

 しかしまあ、写したくなる町名張をつくる会から懇切に説明していただければ、認識を改めねばならぬ点も出てくるかもしれません。

 三)この事業によってどんな成果がもたらされたのか。

 四)怪人二十面相を事業のシンボルキャラクターとして使用しつづければよかったのに、最初のエジプトの絵だけでひっこめてしまったのはなぜ?

 以上四点です。

 それにいたしましても、伝言録を読み返していて思わず感心してしまったのですが、昨年8月8日付伝言に記した「真珠郎」のもじりは、横溝正史ファンからはお叱りを受けてしまうことでしょうけれど、われながらよくできていて面白いと思います。引いておきましょう。

 19面相はどこにいる。

 あの阿呆らしい痴愚の陋劣を身にまとい、如法闇夜よりもまっくろな無知の翼にうちまたがり、突如として掲示板「人外境だより」に躍りだしたかと思うと最初は「覚悟を決めて貴様を糾弾してやるので首を洗って待っていろ。自慰野郎」と宣言し、そしてその次には「勘違い馬鹿のお方、いずれ近いうちに会うたるで。連絡したるからまっとれ」と断言して、世にも微笑ましい痴の戦慄を描き出した奇怪な糾弾予告者。いったい、あいつは、どこへ消えてしまったのだろう。

 蒙昧というものは時によると、もっとも人眼につき易い看板みたいなものである。殊に19面相の場合はそうであった。彼の特徴のある蒙昧は「写したくなる町名張をつくる会」の名とともに掲げられ、あらゆる閲覧者の口から口へと喧伝された。そういう眼に見えぬ網の目を潜って完全に世間から隠れおおせるということは、それ自身がひとつの奇蹟みたいなものだった。しかも19面相は見事にその奇蹟を演じおおせたのだ。

 なんか懐かしい気さえいたしますが、ついでですからその前日、8月7日付伝言のもどきもどうぞ。

 では以下に、「怪人二十面相」の「トランクとエレベーター」から、怪人二十面相と明智小五郎との会話を擬いてみることにしましょう。

 「だが、君も不思議な男じゃないか。そうまでしてこの俺を逃がしたいのか」

 「ウン、今易々と捕らえるのは、少し惜しい気がするのさ。いずれ君を捕らえる時には、名張エジプト化事件も、君が関係しているほかの事件も、すっかり一網に解決してしまうつもりだよ。少し慾ばり過ぎているだろうかねえ。ハハハ……」

 ここに記されておりますとおり、名張エジプト化事件はもっと大きな陰謀のひとつの側面にすぎないというのが私の認識です。もっと大きな陰謀というのは、いうまでもなく名張まちなか再生事件。新町の旧家細川邸を中心として企まれ、ルールも手続きもいっさい無視して進められている陰謀のことです。

 ここで思い出しましたから記しておきますと、名張まちなか再生委員会の委員長さんから拝眉の機を頂戴したいのだがと事務局にお願いしてありました件、二日か三日ほど前に事務局から連絡をいただきました。1月27日に名張市役所でお会いできるよう手配をたまわったとのことで、ちょっくら参上してまいります。

 この件はきょうはここまで。

  本日のアップデート

 ▼2006年1月

 芥川・直木賞:選考経過を振り返る 重里徹也、内藤麻里子

 1月19日付毎日新聞夕刊の記事。乱歩の名前が出てきます。といっても、「容疑者Xの献身」で直木賞を受賞した東野圭吾さんは過去に乱歩賞を受賞しており、みたいな話ではありません。内藤麻里子記者の記事から引用。

芥川・直木賞:選考経過を振り返る
 『容疑者Xの献身』は数学者、石神が恋心を寄せる靖子が犯した殺人を隠蔽(いんぺい)するためのトリックがさえる本格ミステリー。死体の処理を申し出た石神だが、やがて死体が見つかり、靖子への捜査が始まる。ところが靖子には完全なアリバイがあった。石神はどうやってアリバイを作り上げたのか−−。

 トリック中心の謎解きミステリーが直木賞に選ばれるのはとても珍しい。選考委員の阿刀田高さんによると、この点をめぐって選考委員会で興味深い議論があった。

 一方では「かなり特徴的なトリックを上手に扱い90点を超える」という評価。その一方で「人間が描かれているのか。簡単にある登場人物が殺されてしまうが、ヒューマニズムの観点はどうなるのか。小説はそれを書くものではないか」という意見が出された。阿刀田さんは「推理小説にそこを過度に求めると、トリック中心の推理小説は成り立たない。直木賞がここをどう評価するかだった」と振り返る。

 議論は1936年に木々高太郎と甲賀三郎の間で闘わされた「探偵小説芸術論」を思い出させるものだったという。探偵小説を芸術にまで高めるべきだという木々に対し、甲賀は謎解きを重視する立場だった。後に江戸川乱歩が、基本は謎と論理だが例外的に芸術まで高まるものもあるとした論争だ。東野作品では、数学者、石神が靖子に加担する動機は純愛に突き動かされたと描かれているが、選考では偏執的人間とも受け取れると指摘された。また、「靖子の魅力をもう少し描いてほしかった」との意見も出た。

 黴が生えたような議論、とはこのことか。あるいは、永遠の難問、と呼ぶべきか。はたまた、歴史はくりかえす、と利いた風な口をきいておくのがいいのかな。

 記事に見える「探偵小説芸術論」は、光文社文庫版全集『探偵小説四十年(上)』のおしまいのほう、「甲賀、木々論争【昭和十一・十二年度】」の章で知ることができます。論争の帰結を引いておきましょう。

 結局、一方が他方を説き伏せたという形にならないで終ったが、それがむしろ当然で、この問題はいくら議論をしても、どちらかが承服するという結びにはならないのであろう。

 甲賀、木々両君は、「ぷろふいる」誌以外でも、おのおの自説を主張していたと思うが、論争の本舞台はやはり「ぷろふいる」であった。漠然たる印象では、この論争はもっと華々しく戦われたように感じていたが、当時の「ぷろふいる」をくって見ると、先に引用した両者の文章に尽きている。印象づけられていたよりも貧弱であった。

 結構地味だったみたいです。そんな地味な論争がいまに語り継がれ、直木賞の選考会にたぐえられたりしているのは、ひとえに乱歩が「華々しく戦われたよう」な印象で「探偵小説四十年」に書き記していたからにほかならないでしょう。「探偵小説四十年」という名の日本探偵小説史は、われわれにとってはある種のバイアスとして存在しているのかもしれません。

 ついでですから「容疑者Xの献身」の話題に転じますと、選考会では「靖子の魅力をもう少し描いてほしかった」という指摘がなされたとのことですが、靖子が魅力的である必要はまったくなく、むしろさして魅力的でなくなんだか所帯やつれしたような女性であったほうが主人公の孤独がより際立つのだという道理が、この発言者にはどうもよくわかっておらんようです。魅力的どころかいっそもう、第三者の客観的な眼には、

 ──命まで賭けた女てこれかいな

 という川柳を地でゆくような存在であったってかまわない。ちなみにこの川柳、作者あるいは出典は不明です。田辺聖子さんのエッセイ集『大阪弁ちゃらんぽらん』で知り、大笑いいたしました。

 「献身」という言葉に惑わされてしまいがちですが、実際は「実験」としたほうが正確でしょう。すなわち「容疑者Xの実験」。主人公による、

 ──こんな自分に愛は可能か。

 という実験。

 数学者である主人公が科学者らしい実験精神を見事に体現しおおせたというのがこのストーリーの骨格なのであって、してみれば愛の対象は触媒のようなものでさえあればそれでよろしく、献身の対象が靖子だったのかその娘であったのかといったこともまたいわば些末事。主人公はきわめて冷酷にそしてエゴイスティックに、みずからを材料にした実験を遂行した。しかし、完璧に遂行されたはずの実験にただひとつ想定外の因子、他者の愛が自身に向けられるという不測の事態がまぎれ込んできてしまったせいで、最後の最後に慟哭しなければならぬ羽目におちいるわけですが。

 もうひとつ附記しておきますと、この作品がなんとも巧妙なのは主人公を数学者として設定したという点でしょう。普通であればこんな犯罪者、大木こだま師匠ばりに、

 「そんなやつおらんやろー」

 とつっこまれてしまえばそれでおしまいのはずなのですが、天才的な数学者ならばありかもしれないなと読者に思わせてしまうところが心憎い。「僧正殺人事件」がある種のバイアスとして機能しているということでしょうか。

 あー、だらだらと長くなってしまった。おつきあいありがとうございました。あしたもよろしくお願いします。


● 1月22日(日)

 掲示板「人外境だより」を舞台に演じられた「エジプトの怪人たち」騒動の続報です。名張市役所生活環境部長からお知らせいただいた写したくなる町名張をつくる会代表との面談内容を確認しておきます。

 まず一点目。掲示板「人外境だより」に一連の投稿を行った新怪人二十面相、怪人22面相、怪人19面相を名乗る投稿者は、写したくなる町名張をつくる会の会員なのかどうか。

 会員ではない、というのが代表のお答えだったそうです。面談のあとで会員に問い合わせ、その結果を生活環境部長に電話で伝える労までおとりいただいたそうですが、一連の投稿を行った会員はひとりたりとも存在しないことが判明したとのことでした。

 ふりかえっておきましょう。一連の投稿の第一弾、新怪人二十面相による投稿です。

新 怪人二十面相   2005年 8月 2日(火) 14時20分  [219.106.180.232]

ようこそ
からくりの町 なばりへ
僕の計画は、非日常世界をここにつくることです。
スフィンクスも怪人二十面相も、これから出てくるものも
非日常世界です。
君がこの掲示板で他人を名指しで、傷つけ遊んでいますが
僕は、そういう弱いものイジメなる遊びはしない。
これからも、からくりの町 なばりを
楽しみにしておき給え。
           新 怪人二十面相

 これに対する私の投稿から、必要部分を抜粋します。

サンデー先生   2005年 8月 3日(水) 9時28分  [220.215.60.99]
http://www.e-net.or.jp/user/stako/

 新怪人二十面相様
 
(略)ご投稿の内容から判断いたしますに、あなたは「写したくなる町名張をつくる会」に近しい方でいらっしゃるようですが、だとすればあなたの投稿の幼稚さが「写したくなる町名張をつくる会」そのもののイメージをさらに劣悪なものにしているのだという事実に、あなたは早くお気づきになるべきだと思います。援護射撃のつもりで足を引っ張ってるわけですな、あなたてえ人は。(略)

 つまりこの時点では、写したくなる町名張をつくる会に「近しい方」である新怪人二十面相が「援護射撃」のつもりでこの投稿を行った、と私には判断されたわけです。少なくとも、写したくなる町名張をつくる会の代表が投稿したなんてことはありえないだろうし、それならば代表ではなく会員の誰かか、いや、会員ではないが何らかの関係者という線が濃厚か。さすがにそこまで見極めることはできませんでしたが、私はとりあえずこの幼稚きわまりないことしか書けない新怪人二十面相を子供に擬して、

 ──もう少し他者とのコミュニケーションに意を用いてみることを、今年の夏休みの課題とされてはいかがでしょうか。さもないとあなたには、あなたの周囲にごろごろしているらしい愚劣な大人の仲間入りをするしか道がなくなってしまうのではないかと案じております。

 と投稿に記した次第でした。こちらが子供のいたずらという扱いをして大目に見てやっているのだから、これ以上わけのわかならないこといって笑いものになるのじゃありません、という武士の情けなわけだったのですが、怪人22面相だの怪人19面相だのといったお連れさまがあいついでお見えになられましたのはご存じのとおりです。

 で、この時点では記さなかった判断というものもありました。昨年12月30日付伝言に記した次のような判断です。

 この投稿者ももう少し気をつけなければいけません。何に気をつけるのかというと、「からくりの町なばり」なんて持ち出してしまうからお里が知れる。そんなものはごくごく一部の名張市民が何の根拠もなしに唱えているお題目に過ぎず、名張がからくりのまちであるという認識が市民権を獲得しているとはお世辞にもいえないわけなんですから、こんなこと口走るやつはいずれからくりのまち名張実行委員会の関係者であることは一目瞭然。であるならば、この委員会と名張エジプト化計画でおなじみの写したくなる町名張をつくる会は同じ穴の狢なのだなということくらいすぐに察しがつきましょう。

 ちなみに私はつい先日、1月19日のことでしたが、写したくなる町名張をつくる会と同様に名張市の市民公益活動実践事業に名を連ねている創作ファンタジー「ひめみこ物語」語り手養成講座の講師に招かれてたらたら喋ってきたのですが、そのおりまず地域社会の歴史を正しく理解することの大切さを力説し、

 「ろくに地域社会の歴史を知らない人間というのは名張はからくりのまちであるなどと気のふれたようなことをいいだします」

 と述べましたところ、会場には日なたにほこりの舞うような失笑がひろがっておりました。名張市民一般におけるからくりのまちの認識は、まあざっとそんなものであろうと思われます。

 閑話休題。エジプトの怪人たちによる最初の投稿の時点でも、上に引いた程度のプロファイリングはいくらでも可能だったわけなのですが、二日後には怪人19面相を名乗る超弩級のすっとこどっこいがこんな投稿を寄せてくれました。

怪人19面相   2005年 8月 4日(木) 0時23分  [220.215.2.92]

猟奇作家ファンの方々には、はたまたSM小説をこよいなく愛される諸兄もよくお聞きください。中さんに忠告です。私はアナタにキチガイ呼ばわりされた一人です
まずあなたにその非礼に対する謝罪を求めます。
差別発言により個人を中傷し侮辱した貴様を絶対許しません。法的処置も辞しません、サイバーテロリストの貴様に屈することは致しませんので覚悟の程よろしくお願いいたしましてまずは、挨拶とさせていただきます。
また幼稚な書き込みとか云々申されてるお方様、中氏の言動行動をわかられて申されているのでしょうか?議員を冒涜し個人を誹謗し差別し、自らを肯定するためならば手段を選ばない彼の行動は異常なのですよ!いっときますがその書き込みは私ではございませんので誤解なされぬように。
不快な思いをしているのは私たちなのですよ、今まで黙っていましたが、新怪人20面相なる方の書き込みを見て黙っていられなくなりました。
馬鹿はほっとくつもりで見過ごしていましたがもう我慢なりません、、、、、、
『覚悟を決めて貴様を糾弾してやるので首を洗って待っていろ。自慰野郎』

 なんというばかか。

 ──私はアナタにキチガイ呼ばわりされた一人です

 という表明は、私は写したくなる町名張をつくる会の会員ですという告白にほかなりません。ばーか。死ぬほどのばーか。

 本日はここいらまでとしておきましょう。

  本日のアップデート

 ▼2006年2月

 自殺サイト三人連続殺人 「窒息魔」の異常すぎる性癖 新井省吾

 雑誌の上ではもう2月です。「新潮45」2月号に掲載された自殺サイト連続殺人事件のレポート。案の定、乱歩の名前が出てきます。

 前上の欲望の萌芽が、小学5年生の時に読んだ、江戸川乱歩の推理小説にあったのはすでに報道されている通りで、冒頭陳述にもこうある。

 〈推理小説の窒息場面を読んだりするうち、人が窒息して苦しむ姿を想像して、これに性的興奮を覚え、自慰行為をするようになった〉

 爾来、自慰行為を通じて、窒息妄想と性的快感がほぼ一対になっていったことは容易に察せられる。

 昨年12月2日に大阪地裁で行われた初公判のことは、この伝言板でも昨年末に「週刊現代」12月31日号の記事を引いてお知らせいたしましたが、そのときも記しましたとおり、この冒頭陳述には信を置きかねると私は思います。しつこいようなれど、12月28日付伝言から引いておきましょう。

 どうも嘘くさいな、と私は思います。挿絵があればまだいい。乱歩の本に女性または子供が窒息悶絶する場面の挿絵が収録されていて、被告がそれにいたく興奮を覚えたというのであれば話はまだわかりますが、ただ「読んだりするうち」に「性的興奮」やまして「自慰行為」に至るものかどうか。新聞報道に「女性を窒息させる場面を描いた小説の挿絵」(読売)、「快楽殺人をテーマにした江戸川乱歩の小説の挿絵」(毎日)とあるとおり、捜査段階では挿絵が重要な手がかりと目されていたことは間違いのないところなのですから、冒頭陳述が挿絵というディテールにまったく触れていない点には疑問が残ります。

 よりくわしいところは12月25日から28日にかけての伝言でどうぞ。

 さてしかし、こうなると、なんかちょっとまずいな。この「新潮45」の記事から明らかにわかることは、自殺サイト連続殺人事件の犯人は乱歩の影響で尋常ならざる欲望を発現させた、乱歩はこの犯罪者に影響を及ぼした、そういう「事実」がいまやすっかり社会に受け容れられているということです。事件における乱歩の影響は、メディアで「報道」され、裁判で「陳述」された「事実」なのである、と。

 乱歩とは何か。

 ランポとは何か。

 たぶん、おまじないのようなものでしょう。呪言、マントラ、その他いろいろ。京極夏彦さんのファンの方には、妖怪の名前であると申しあげればおわかりいただけるか。

 眼の前になんだかわけのわからないもの、意味不明なもの、了解不能なものが出現して心に不安を感じたとき、人はそれを無理やりにでも理解して不安を解消しようとつとめます。その理解のためのとっておきのおまじないが、すなわちランポだということです。

 ──どうしてこんなことをはじめたんだ。

 ──それが、自分にもよくわからないんです。

 ──そんなはずはないじゃないか。

 ──でも、子供のころのことですし……

 ──何もおぼえていないのか。

 ──あ。

 ──どうした。

 ──しいていえば、あのせいかも……

 ──あのせい?

 ──ランポです。小さいころに江戸川乱歩の小説を読んで、それでひどく心を動かされたことがあって。

 ──そうか。ランポか。なるほどな。それならわかる。江戸川乱歩の小説なら、そういうことがあっても不思議じゃないだろう。

 ──ええ。

 ──よし。決まりだ。おまえは小学五年生のとき、江戸川乱歩の小説を読んで、人が窒息する姿に性的な興奮をおぼえるようになったと、そういうわけだな。

 なんとなく理解できた気になる。腑に落ちた感じがする。妖怪に名前をつけられたように思えてくる。世界が不安から解き放たれる。ランポというおまじないはそのために機能しているはずです。黄金仮面なら開けセザーム、ひみつのアッコちゃんならテクマクマヤコン、しかし異常な犯罪の関係者ならば犯人も刑事も断然ランポ。そのおまじないをとなえるだけで、世界はふたたび安定した姿をとりもどすという寸法です。

 あるいは、おまじないや呪言やマントラといった表現がアルカイックにすぎるようであれば、ひとつコードと呼んでみることにしましょうか。「二銭銅貨」の作者にふさわしい呼称であるかもしれません。

 しかし、しかしこうなると、ほんとになんかちょっとまずいな。自殺サイト連続殺人事件における乱歩の影響が自明の前提として定着してしまうのは、ほんとにかなりまずいことではあるのですが、かといってどうしようもないことではあり、私にはこうして自身のサイトにみずから考えるところを書き記しておくことしかなすすべがない次第です。


● 1月23日(月)

 光陰矢のごとくにして行きかう年もまた旅人なり。現実の進行が早くて伝言板での報告がそれに追いつきかね、しかも記憶は滔々と流れる忘却の河をすばらしい速度で日々流れ去ってゆきますから、ものごとがなかなか思い出せないうえに思い出してもまちがっている。なんかもう無茶苦茶です。

 きのう大阪で開かれたちょっとした大宴会におきましても、私はそんなことを経験いたしました。ある俳句のことが話題になり、ほら、あれ、あれですよ、あの蛇の、ほれ音楽が、蛇がほら、といったもどかしさが席を支配して、しかし私は乾坤一擲、誇らしいことにその句を見事想起して場に光明をもたらしたのですが、一夜明けてさっき調べてみたら微妙にちがっておりました。正しくは、

 ──音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢え

 赤尾兜子の句です。こうした場合、すなわち一句をまるごと引いた場合、著作権の問題はいったいどうなるのであろうか、と思いつつ「エジプトの怪人たち」騒動の続報に入りたいところなれど、ある方からメールでご質問をいただき、なかにはメールで個人的にお答えするよりこの伝言板でアナウンスしたほうがいいだろうと思われることもありますので、名張市役所生活環境部長からお知らせいただいた写したくなる町名張をつくる会代表との面談内容よりもそちらを優先することに決めたのですが、じつはきのうのお酒が残っていてまだぼーっとしておりますゆえ、つづきはあしたといたします。

  本日のアップデート

 ▼2006年1月

 「秘めごと」礼賛 坂崎重盛

 文春新書の新刊。版元のオフィシャルサイトではこんなぐあいに紹介されているのですが、「いま『LEON』という雑誌が大人の男の間で密かなブームです。そのカギは『ちょいワル』」などという紹介文を読んで肌に粟が生じないような人間とは仲良くしたくねえなと私は思います。どうでもいいようなことですが。

 では、乱歩がとりあげられた「PART3 『うつし世はゆめ よるの夢こそまこと』の人」から引きましょう。

 谷崎や荷風、そして乱歩と、あきらかに「失踪趣味」また「秘めごと」「お忍び」志向のある作家の姿を紹介してきたが、彼等にあっては極端な現われ方をしているとはいえ、じつは人の心の奥には多かれ少なかれ誰もが抱いている願望なのではないだろうか。

 自分の中の、非社会的、非日常的な欲求を抑圧する力が強く、あるいは抑制が習い性になって、そういう欲求があることすら忘れてしまったような人でも、その心の奥底には、日々の現実世界からの「失踪願望」や人知れず欲望や快楽を求めようとする「秘めごと願望」があるのではないか。たとえそれが、現実にはとうていなしえない単なる夢想や妄想であったとしても。

 乱歩作品からはお察しのとおり、「群集の中のロビンソン」が引用されております。

 ただまあ、この一冊に「秘めごと」として暴き出されているのは畢竟「いろごと」にほかならず、斎藤茂吉など「PART7 ふさ子さん!ふさ子さんは なぜこんなにいい女体なのですか」と書簡に記したあられもないたわごとをまんま章題につかわれていて不憫の絶巓をきわめているのですが、本朝近代文学者いろごと列伝とも称すべきこの本を読んで気がつくのは、乱歩の秘めごとのみが完璧なまでにいろごとと無縁であるということでしょう。乱歩を扱った章だけがなにやら真空地帯のごとき観を呈していて、これは乱歩の作家的本質のあらわれであるかとも見受けられる次第です。

 以上、ぼーっとしながら駈け足で記しました。こういう日もあるのだとご承知おきください。


● 1月24日(火)

 いけませんいけません。ゆうべ遅くまでウイスキー飲みながらライブドア事件関連のテレビニュースを眺めていたせいで、けさはすっかり寝過ごしてしまいました。飲み過ぎでぼーっとしてもおりますし。昨日予告した件はまたあしたということにいたします。

  本日のアップデート

 ▼2005年6月

 屋根裏の散歩者

 學藝書林の「全集 現代文学の発見」第十六巻『物語の饗宴』新装版に収録。旧版は昭和44年、西暦でいえば1969年の刊行で、最近とみに懐古的になっている身にはじつに懐かしい。新装版の月報では池内紀さんと堀切直人さんがともどもに旧版の思い出を綴っていらっしゃいますが、私は当時高校生。この全集を購入できるようなお金はありませんでしたので、本屋さんでぱらぱら立ち読みしてみるしかなかったのですが、目次を眺めるだけでわくわくしてきたことを思い出します。

 芸のない話ではありますが、収録作品をあげておきましょう。

物語の饗宴
蘆刈 谷崎潤一郎
第二の巌窟 白井喬二
屋根裏の散歩者 江戸川乱歩
あやかしの鼓 夢野久作
完全犯罪 小栗虫太郎
舞踏会事件 貴司山治
鍵屋の辻 直木三十五
名月記 子母澤寛
喪神 五味康祐
おお、大砲 司馬遼太郎
母子像 久生十蘭
鍵 星新一
御先祖様万歳 小松左京
幻の女 五木寛之
浣腸とマリア 野坂昭如
越後つついし親不知 水上勉
姨捨 井上靖
女の中の悪魔 由起しげ子

 いわゆる大衆文学(エンターテインメントというべきでしょうか)を集めた一巻。高校生当時の私は大衆文学にはそれほど興味がなく、いちばん好きな作家は安部公房で、将来の夢は尾崎一雄になることでした。その後しばらくして、秋田実になろうと路線を変更したわけですが。乱歩作品はというと、文庫本の『江戸川乱歩傑作選』と『探偵小説の「謎」』を読んだだけ。講談社版乱歩全集には無縁なままでした。

 いけませんいけません。甲斐のない昔ばなしにふけってしまいました。なんだかとても恥ずかしい。ではまたあした。


● 1月25日(水)

 おとといきのうは頭がぼーっとしていたのですが、けさは比較的すっきりしております。さっそくまいりましょう。メールでお問い合わせいただいた件にこの伝言板でお答えする件です。

 1月2日の伝言で、私はある方から頂戴した年賀状を話題にして、

 ──名張市立図書館が『乱歩文献データブック』をつくったとき、編纂開始を報じてもらった朝日新聞三重版の記事をご覧になって、そういうことならと昭和21年創刊の月刊誌「宝石」全冊を名張市立図書館に寄贈してくださったのがこの方で、むろん年季の入った探偵小説ファン。

 と記しました。

 ところが、名張市立図書館のオフィシャルサイトで蔵書検索を試みても、「宝石」のほの字もひっかかってこないではないか。昨年末に掲示板「人外境だより」で話題になっていた横溝正史の謹呈署名入り『真珠郎』も、やはり検索することができないではないか。これはいったいどういうことか、というメールを頂戴した次第です。

 お答えいたします。とはいえ、私は名張市立図書館にその人ありとうたわれたカリスマではあるのですが、実際にはただの嘱託にすぎませんから、図書館の運営そのものにはまったくタッチしておりませんし、運営に関する意見を求められることもありません。蔵書検索についてもそもそもシステムさえとんとわからず、とてもお答えできる立場にないといえばないのですが、思量できるところをお答えするならば、名張市立図書館の蔵書は乱歩に関係があるものとそれ以外のものに分類されていて、前者は検索の対象になっていないということではないでしょうか。

 それがなぜなのか、やはり私にはよくわかりません。まるでばかみたいになんにもわかりません。しかしむろん望ましいことではなく、というより乱歩に関していうならば、名張市立図書館のオフィシャルサイトでは一般的な蔵書検索よりもさらに高度な検索ができるようにしたいものだと私はつねづね考えているのですが、いまだ実現できてはおりません。これはあきらかに私の力不足のせいでありますゆえ、とりあえずお詫びを申しあげておく次第です。

 ここでちょっと振り返っておきますと、あれは名張市立図書館が江戸川乱歩リファレンスブック2『江戸川乱歩執筆年譜』を刊行したあとのことですから1998年。インターネットがかなり普及してきましたので、名張市立図書館もこれまでに出した『乱歩文献データブック』と『江戸川乱歩執筆年譜』のデータをネット上で公開するサービスに着手すべきだろうと考え、私は名張市教育委員会にそのための予算を要求したのですが、提案は採用されるにいたりませんでした。理由はたぶん、予算に余裕がないということであったと判断されます。

 名張市教育委員会をあてにしてぼーっと待ってても仕方ないなと判断し、みずからサイトを開設して『乱歩文献データブック』と『江戸川乱歩執筆年譜』のデータを掲載しはじめたのが1999年のこと。編纂中だった『江戸川乱歩著書目録』の内容も公開して、その『江戸川乱歩著書目録』が完成したのが2003年。その時点で私は再度、江戸川乱歩リファレンスブック全三巻のデータを図書館のサイトに掲載することを名張市教育委員会に提案したのですが、またしてもあっさり蹴られてしまいました。このときにははっきりと、予算がないからという説明がありました。

 私の構想は、単に目録三巻の内容をアップロードすることにとどまるものではありませんでした(すでにして過去形で語っているわけですが)。乱歩に関するさまざまなデータも掲載して、なかんずく圧巻というべきは乱歩の著作権が消滅する日に照準を合わせ、全作品の初出テキストを一挙に公開することまで視野に入れていたのではありましたが(過去形です)、その端緒となるべきリファレンスブック三巻の掲載すら実現できないのですから情けない。無力感にうちひしがれるばかりです。

 ですから結論といたしましては、

 ──名張市にはお金がありませんので乱歩の著作や関連文献などのデータをネット上で公開することができません。

 ということになります。なんか嘘みたいな話ですけど、つまりいくら財政難でもそれくらいの予算はいくらでも捻出できるのではないかと私には思われるのですが、これまでの経緯をたどってみるとそういうことになってしまいます。なんか変だな。

 あすにつづきます。

  本日のアップデート

 ▼2005年1月

 妖美と反逆 竹中英太郎の謎を追う 鈴木義昭

 東海大学にかかわりが深いらしい月刊誌「望星」の昨年1月号に掲載。三回連載の「中」にあたります。掲示板「人外境だより」で古畑拓三郎さんが話題にしていらっしゃいましたので、その連載には乱歩の名前が出てくるのかとお訊きしてみたところ、古畑さんは連載全ページのコピーをどーんと送ってきてくださいました。

 じつにじつにありがたいことであり、古畑さんに深甚なる謝意を表しつつ、「乱歩・久作・横溝とともに」という小見出しのあるあたりから引用。

 数多くの作家の作品に挿絵を描いた英太郎だが、やはり乱歩、久作、横溝は英太郎にとって特別な作家と言っていいだろう。

 特に江戸川乱歩とは昭和三年の『陰獣』以来「名コンビ」と持て囃され、乱歩のそれ以後の主要な作品の挿絵は英太郎が描くことになる。『悪夢』『押絵と旅する男』など『新青年』に発表された乱歩作品のほとんどは、英太郎の手によるものだった。『新青年』と同じ博文館の『朝日』に連載した『盲獣』も話題を呼んだ。そんな乱歩と英太郎の間に、いつ頃からか不和が生じる。英太郎は乱歩の作品を書きながら、乱歩に対する不満を募らせたのだ。それは、流行作家の処世とそれに加担する自己嫌悪のようなものだろう。そして、とうとうすべての不満を吐き出すかのようにして、「かくあるべき挿絵」とも言うべき作品となる『大江春泥作品画譜』(昭和十年)を描いて、乱歩と訣別する。同時にこれは、画壇への「遺書」ともなる。

 古畑さんからは、「太陽」の1988年1月号に掲載された竹中英太郎のインタビュー記事のコピーもあわせて頂戴いたしました。「モボ・モガの時代」という連載の一篇です。英太郎の逝去はこの年4月8日のことで、古畑さんによればこのインタビューが「最後の肉声」。

 「『新青年』に颯爽とデビュー」という小見出しのあるあたりから引きましょう。「新青年」の編集長だった横溝正史から挿絵の依頼を受け、英太郎が手渡されたのは乱歩の「陰獣」の原稿であった。

 ところが私はね、大衆文学を軽蔑してましてね。身すぎ世すぎのために書いてはいるけれども、こんなものは一時の腰かけであって、本業にする気は全然ないんだと。で、何が江戸川乱歩だと。二一、二の生意気盛りですものね。ましてや三年筆を絶っていた乱歩の再起作だなんていうことはわからんですからね、横溝さんも冒険ですよね。

 ついでですから、インタビューの最後の段落も引いておきます。

 何か新しいものを求めようとする意欲は今もあるんです。私がものごころついた時分の教えというのは体当たり。右も左もそうでしたね。体をぶつければ本望だと。何かぶっつけたい、そして死にたいという気持ちは今もあります。だから、こいつを殺せば世の中が良くなるとか何百人が助かるということがあればね、そういう悪い奴が目の前にいれば、ふっ飛ばされるかもしれんが、八一歳、体をぶっつけてもいいという気持ちは今も持っているんです。

 ひたすら恐れ入るしかありません。こういう心意気のことを、人は気骨と呼ぶのでしょう。いくらかでもあやかりたいものですがとてもとても。

 あすにつづきます。


● 1月26日(木)

 きのうのつづきです。

 とにかく結論としては、名張市にはお金がありません。それが証拠に、昨日付伊勢新聞にはこんな記事が掲載されておりました。

5年間で職員7.8%削減 定員適正化計画示す 名張市
【名張】名張市は二十四日、市職員数を平成二十二年度までに7・8%削減する「市定員適正化計画案」を、市議会総務企画委員会で示した。五年間で人件費約十億円を抑制できると試算。現在八百二十一人の職員を六十四人減らし、七百五十七人にする。

 職員の減少による住民サービス低下を避けつつ、人件費を抑えるため、民間委託業者を利用して対応する。十八年度以降、図書館窓口、市役所の証明書発行窓口などの業務を民間委託する予定という。

 しかし実際のところをいえば、お金よりもまず必要なのは覚悟でしょう。竹中英太郎の言をかりるなら、「体をぶっつけてもいいという気持ち」。そんな覚悟を決めなければ、乱歩に関してろくなことなどできますまい。しかもそのうえ、お役所というところはろくなことをしたいと思っているわけではまったくなく、上っ面だけ整えてくれればそれでOK、つまりは腹を据えたり覚悟を決めたり、何か前例のないことを決定して責任が生じたりすることを何より忌み嫌う世界なのですから、私の提案などたぶん目障りで仕方がない。

 たとえば乱歩の著書目録を刊行するといったことであれば、これはまだいい。適当な年度に事業化して予算をつければそれで話はすむわけですが、名張市立図書館がインターネットを利用して乱歩に関する書誌データなどの情報を広く提供するサービスをつづけるとなれば、話は単年度ではすまなくなります。未来永劫、といってしまうとおおげさですが、とにかく将来を見越した持続的なサービスにつとめなければなりません。となると、軽々に予算をつけることをためらってしまうのが公務員の習い性というものではないのか。

 げんに私は、これではとても無理だろうと判断して、乱歩の全著作をネット上で公開することまで視野に入れた名張市立図書館の「江戸川乱歩アーカイブ」構想、とっくにあきらめておりますし、といったところでふたたびあすにつづきます。

  本日のアップデート

 ▼1974年5月

 怪奇絵のなかの青春・竹中英太郎推論 藤川治水

 これもまた古畑拓三郎さんにご教示いただいた一篇。「思想の科学」1974年5月号に掲載されました。

 竹中英太郎が乱歩について綴り語ったところであれば、われわれはなんとかそれを知ることができます。たとえば昨日引用した「太陽」のインタビューには、

 ──何が江戸川乱歩だと。

 という英太郎「二一、二の生意気盛り」のみぎりの鼻息が回顧されておりました。ちなみに附言しておけば、これは乱歩個人というよりは誰であれ時を得顔に見える人間、なべての通俗なるものに対する潔癖な反撥と見るべきものであって、むしろほほえましい。

 ひるがえって乱歩はというと、先日掲示板「人外境だより」にも記したことですけれど、あの長大浩瀚な自伝「探偵小説四十年」に英太郎の名前はただ一箇所、平凡社版全集附録雑誌「探偵趣味」の表紙画担当者として登場するだけで、いかにもそっけない感じです。黙殺に近いあつかいである。何か含むところがあってのことか。なんか変だぞ、と勘ぐってしまうのは当然のことで、この藤川治水の英太郎論も、

 ──江戸川乱歩は意識的に、昭和初期の人気さし絵家・竹中英太郎を軽視しようとした。あるいは、それを黙殺しようとした、ともいえる。

 という文章ではじまっています。

 それはなぜであったのか。

 こうした英太郎との機縁があるにもかかわらず、なぜ乱歩は意識的に彼を遠ざけようとしたか。

 まず考えられることは、乱歩自身が刺戟的なエロ・グロ作家へと変転しながら、実生活では常識人たろうとしたことである。かつては探偵小説を知的で論理的な小説として、新しい小説ジャンルを確立することを夢み、それゆえに講談社文化にひざまずくことを潔しとしなかった乱歩が、その誇りを捨てて講談社の軍門に降っていく。それがエロ・グロの窮陰小説と化す契機となるのだが、それは同時に乱歩の人間的性格をさえ変化させる。厭人癖や非社交的性格が消滅し、探偵小説界の大御所的人物へと変わっていく。

 そうした作品と裏腹な世話役となっていく乱歩が、竹中英太郎を煙たがるのは、彼の作品にある陰気さをあまりに巧みにさし絵化し、そのさし絵に宿るやさしさの中の怨みを日常生活にも堅持している英太郎に、一種の危険さを覚えたからではあるまいか。いわば“ウイリアム・ウィルソン”的恐怖に、乱歩は襲われたともいえよう。

 〈乱歩氏の好みからいうと、竹中君の絵はあまりにもユニークだったのではないでしょうか。それに乱歩氏はエロ・グロという言葉をひどく嫌いました。……そういう同氏の眼からみれば、竹中君の絵はエロ・グロそのものに見えたのではありませんか。それにもうひとつ、竹中君の画家歴についてはつい聞きもらしましたが、同君は本式に画家として修業したわけではなく、持ちまえの器用さにまかせて描いたのではないでしょうか。……その画風は当時、岩田君(注・岩田専太郎)にさえ影響を及ぼしたのですが、そういうところがオーソドックス好みの乱歩氏にとってあきたらなかったのではないでしょうか〉

 もし、乱歩が英太郎を遠ざけようとした気配があるなら……という仮定での横溝正史の指摘の前半部に、賛意を示したい。

 文中、「窮陰小説」の語義は不明。一般に窮陰といえば陰気も窮まる冬の末、陰暦12月のことをさすのですが、窮陰小説となると陰惨ここにきわまれりみたいな小説のこととでも解釈するべきでしょうか。

 もうひとつ、横溝正史の談話らしきものの出典も不明なのですが、これは正史から直接取材したものかもしれません。やや誘導尋問気味の取材ではありますけれど。

 ともあれ、英太郎に関する乱歩の沈黙はちょっとただごとではないなという印象を読者に与えますし、しかもそこには「何が江戸川乱歩だと」といったような軒昂たる意気とは正反対の気配が漂ってもいるのですが、いくら推測を重ねたところで乱歩の内面は曖昧なまま、「竹中英太郎推論」ならぬ「江戸川乱歩推論」にとどまるしかないでしょう。英太郎が描いた「陰獣」の挿絵にも似て、とてもぼんやりとした輪郭の。

 英太郎は今年の12月8日に生誕百年を迎えますが、古畑拓三郎さんの「人外境だより」へのご投稿によれば、「その頃までには、こちらのBBSにも、また新しいお知らせが出来ますよう、現在関係各位で鋭意頑張っております」とのこと。おおいに期待することにして、竹中英太郎の話題はひとまずこのへんで。


● 1月27日(金)

 きのうのつづきです。

 つづきというかなんというか、毎度おんなじことばかりぺらぺら述べ立てているという印象がぬぐえない次第なのですが、こうなったらもういいだろうと私は考えたわけです。『江戸川乱歩著書目録』を編纂しているあいだに立教大学が乱歩の遺産を継承してくれましたので、これさいわいと名張市は乱歩から手を引けるではないか、こうなったらたとえば乱歩の著書目録だって立教大学が刊行するのが筋というものだし、それでなくてもお金のない名張市が乱歩のためにあえて税金をつかわねばならぬ必要などどこにもなく、名張市立図書館がインターネットを利用した「江戸川乱歩アーカイブ」をつくらなくたって立教大学が乱歩関連資料のデータをネット上で公開してくれるのを待っていればそれでいいではないか、よーし、撤収だ、と考えたわけです。

 その後、『江戸川乱歩著書目録』が出て、立教大学が「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」を開き、みたいな動きはいろいろとあったのですが、名張市は乱歩から手を引くべきであろうという私の信念は変わらず、ですから2004年の夏、立教の乱歩展が終わったあたりから、あとは諸事万端みーんな立教大学におまかせすればいいではないかみたいな気持ちになったのか、サイトの更新もなんとなくおろそかになってしまった駄目な私。そして、当時の停滞を挽回するべく、日々これ朝っぱらから鬼神の形相でサイトの更新に精を出しているいまの私。われながら利口じゃねーなーまったく、と思います。

 何の話をしているのかというと、名張市立図書館が架蔵する乱歩の著書や関連文献のデータをネット上で検索できるようになるのかどうか、という話なのですが、もとよりそれは望ましいところですから、『江戸川乱歩著書目録』が出たあと、名張市は乱歩から手を引くべきだという考えは依然として私の心のなかにうずくまってはいたのですが、完結した目録三巻のデータをインターネットで公開するよう名張市教育委員会に提案し、しかし財政難のせいで実現するにいたらなかったというゆくたては1月25日付伝言に記したとおりです。私の心のなかで、名張市は乱歩から手を引くべきだという考えが獰猛な獣のように身を起こしました。

 いつまでもだらだらしていて恐縮ですが、またしてもあすにつづきます。

  本日のアップデート

 ▼2002年7月

 「一寸法師」のスキャンダル 乱歩と新聞小説 成田大典

 北海道大学国語国文学会の「国語国文研究」百二十一号に掲載。成田大典さんは同大学大学院修士課程に在籍(当時)、現在はたぶん博士課程だと思います。

 私はアカデミズムにはまったく縁がありませんので、ごくおおざっぱな印象を述べるしかないのですが、近年は大学で乱歩が論じられるのもそれほど珍しいことではなくなったようです。

 乱歩の生前にはむろんそんなことはなく、卒論に探偵小説をとりあげた学生がいるというだけで乱歩は無邪気に喜んでおりました。そのあたりの事情は「『不可能派作家の研究』──前田隆一郎君の広島大学修士論文」(昭和31年)というエッセイで知ることができますが、乱歩はよほど嬉しかったのか、当時のルーティンワークだった「探偵小説三十五年」の連載でも、連載の本文とはまったく関係なしに「前田君の修士論文通過」という小見出しを立て、嬉々として続報を綴っています。

 それがいまや乱歩自身の作品が大学院での研究対象になっているというのですから、天国の乱歩は子供のように喜んでいることでしょう。

 ではその一篇、乱歩の「一寸法師」を素材として、新聞の紙面で現実とフィクションがスリリングに対立し呼応するさまを考察した熱のこもった論考から、結びの二段落をどうぞ。

 以上今まで見てきたように探偵、犯罪、死、殺人、あるいは淫婦といったテーマを新聞小説の中で扱うことにより、同じ新聞の社会面の記事や広告との間に往還現象が引き起こされる。新聞内の小説と新聞記事の扇情的・猟奇的要素の共犯性〔リンク〕が読者の欲望と適合し、喚起したことが「一寸法師」を成功に導いた大きな要因であったと思われる。

 この作品が連載されていた時期における、最大の社会的な事件が大正天皇の死であったこともそこに関係してくる。「一寸法師」の連載開始は大正一五年の一二月八日、天皇の崩御と改元がその僅か半月ほど後の二五日である。また天皇の喪儀が翌昭和二年二月七、八日に行なわれており、その十日程後の二〇日に「一寸法師」の連載が終了している。すなわちちょうど大正から昭和への移行を挟む形で「一寸法師」は連載されていたということになる。もちろんそれは偶然の産物に過ぎないであろう。だが天皇の死の直後に掲載された回は、夜のデパートで一寸法師が徘徊し、被害者の手首がマネキンとすり替えられ衆人の目に晒されるという最も猟奇的でスキャンダラスな場面であった。また翌年の二月七日は、その日挙行される大正天皇の喪儀に関する記事一色で染められているのだが、まさにその同日、作品内では一寸法師が逃走に失敗して墜落し、瀕死の重傷を負う。〈聖〉に位置づけられた者と〈賤〉に位置づけられた者、両者の死が現実の内と外で一致するという偶然、そしてそれが同一紙面上で出会うことによって生まれてくるスキャンダラスな効果も、新聞小説ならではのものだと言うことが出来よう。

 ジャーナリスティックなセンスに恵まれ、周到な戦略家でもあった乱歩の作品を考察するうえで、同時代におけるメディアの発達という視点はおそらく欠かせないものでしょう。アカデミズムの内部でこうした論考がげんに書かれつつあるということを、天国の乱歩とともに喜びたいと思います。


● 1月28日(土)

 きのうのつづきです。

 きのうのつづきではあるのですが、なんだかこんがらがってきてしまいました。

 私はもともと、1月20日のことを綴っておりました。名張市役所の生活環境部に足を運び、部長さんから名張エジプト化事件に関するお話をお聞きしてきた、その報告です。

 ところが、当サイト閲覧者の方から名張市立図書館の蔵書検索に関する質問のメールをいただきましたので、同様の疑問を抱いていらっしゃる方はほかにもおいでだろうと判断し、回答をこの伝言板で公開することにいたしました。名張エジプト化事件の話題は先送りして、回答はなお継続中という状態です。

 そこへもってきて、私はきのうふたたび名張市役所を訪れ、名張まちなか再生委員会の委員長さんにお目にかかってまいりました。名張まちなか再生事件に関して話し合いを行ってまいりました。市役所三階の会議室で、午前10時から正午までずーっと喋りつづけてまいりました。

 本来であればけさはその報告を記さねばならぬところなのですが、名張エジプト化事件の話も名張市立図書館蔵書検索疑惑の話も先送りしてしまい、あらたな話題として名張まちなか再生事件のことをもちだしてしまっていいものかどうか。

 読者諸兄姉が混乱してしまうのではないか。それ以前に、私の頭のほうは大丈夫か。いや、私の頭ならまずまちがいなく大丈夫ではないのだが。

 みたいな逡巡をいつまで書きつけていても仕方ありません。要点のみ簡潔に記しましょう。

 私は昨年10月22日、事務局を通じて名張まちなか再生委員会の委員長に文書を提出しました。貴委員会が検討を進めている細川邸と桝田医院第二病棟の整備計画はともに無効であると判断されるが、貴職の見解はどうか、という内容です。

 待てど暮らせど回答がいただけません。うんともすんとも音沙汰がありません。私はしびれを切らし、業を煮やし、正月早々えーいくそったれがとひどくすさんだ気分になって、1月3日に事務局へメールを送信いたしました。文書で回答を頂戴できないのであれば、委員長に直接お会いしたい。

 で昨日、それがようやく実現したというわけです。私は自身の考えるところを委員長さんに述べました。

 非は名張まちなか再生プランを策定した名張地区既成市街地再生計画策定委員会にある。それはあきらかなことである。彼らのつくったプランにはもっとも重要な箇所に致命的な不備がある。ろくな歴史資料もないのに細川邸を歴史資料館にするなどというのはリフォーム詐欺である。名張市が寄贈を受けた桝田医院第二病棟のことに片言隻語も触れていないのは決定的な落ち度である。この二点の不備のせいで、そもそもプランの策定を担当する組織ではない名張まちなか再生委員会がああでもないこうでもないと無効な協議を重ねているのである。そんな協議には根本的な無理がある。インチキである。詐欺である。でたらめである。名張地区既成市街地再生計画策定委員会を再招集してもういちど協議させろ。それが私の考えである。だいたい連中はまともに協議したのか。歴史資料がどうの乱歩資料がこうのというのであれば、何はともあれ名張市立図書館に足を運んで協議に必要な知識を身につけるのが先決ではないか。歴史にしろ乱歩にしろ、名張市における拠点は市立図書館なのである。それがどうだ連中は。市立図書館にはいっさい顔を出さず、つまりは歴史資料や乱歩資料に関する一知半解の知識すらなしに歴史資料館がああだこうだと適当なプランをつくりおっただけの話ではないのか。いやもうそうに決まっておるのだ。だいたいがおかしいではないか。組織のあり方じたいがおかしいではないか。プランをつくった委員会の責任を追及しようとしてもとっくに解散しているから矛先の向けようがない。いくらお役所の名物であるとはいえ、こんなあからさまな責任回避があっていいものか。とにかく連中はまともに協議しなければならぬことをまともに協議しなかったのである。自分たちが果たさねばならぬ責任を果たさなかったのである。だから名張地区既成市街地再生計画策定委員会を再招集しろというのだ。再招集してもっと真剣に協議させろというのだ。

 私の主張をお聞きになった委員長さんからは、事務局に対して、

 「名張地区既成市街地再生計画策定委員会の再招集を早急に検討するように」

 との指示を出していただくことができました。委員長の多田昭太郎さん、どうもありがとうございました。感謝しております。

 やっぱりあすにつづきます。

  本日のアップデート

 ▼1995年4月

 オペラ 黒蜥蜴 青島広志

 楽譜です。

 先日来、竹中英太郎の『百怪、我ガ腸ニ入ル』を探しているのですが、どこにまぎれたか出てきません。大判の書籍が並んでいるあたりでごそごそしていたら、この楽譜が出てきました。刊本『乱歩文献データブック』からは漏れていたデータです。

 青島広志さんは作曲家。オフィシャルサイトはこちら。ときどきテレビ番組でお見かけします。きのうの夜もお酒を飲みながらNHKテレビのモーツァルト特番を視聴しておりましたところ、画面に登場した青島さんがいきなり「青島だぁ!」──みたいなギャグもごく一部の世代にしか通用しなくなっているのであろうな。なかにゃ「踊る大捜査線」の話かと勘違いする向きもあるのであろうし。で結局、ゆうべの特番で青島さんがモーツァルトについてどんなことをお話しになっていらっしゃったのか、私にはさっぱり思い出すことができません。やはり私の頭というやつは、まずまちがいなく大丈夫ではないようです。

 オペラ「黒蜥蜴」の初演データを引いておきます。

黒蜥蜴 全二幕
東京オペラ・プロデュース 第22回定期公演
場所 日本都市センターホール
日時 1984年9月11日(火)12日(水)2回公演
原作 江戸川乱歩
 三島由紀夫
作曲 青島広志
指揮 三石精一
演出 出口典雄
緑川夫人(じつは黒蜥蜴) 中村邦子/本宮寛子
岩瀬庄兵衛 高橋修一/白幡武
岩瀬早苗 加納純子/坂口茉里
明智小五郎 山村民也/工藤博
雨宮潤一 近藤伸政/佐藤光政
老家政婦ひな 毛利準/北村幸子
演奏 コレギウム・TOP・ムジコルムス

● 1月29日(日)

 きのうのつづきです。

 きのうの伝言は、名張まちなか再生委員会の委員長から事務局に対して、名張地区既成市街地再生計画策定委員会の再招集を早急に検討するよう指示していただいた、というところまででした。

 むろん実際に再招集するかどうか、いやそれ以前に再招集を検討するかどうか、それは事務局の判断にゆだねられているのですが、再招集はたぶん無理ではないかと私は思います。名張地区既成市街地再生計画策定委員会にとって、再招集というのはあまりにも理不尽な要請だからです。かりに私が委員会のメンバーであったとしたら、烈火のごとく怒りながら事務局に対してこんなふうな批判を展開するであろうな。

 そんなことおっしゃっても、いまさら再招集に応じるわけにはいきません。名張まちなか再生プランに文句がおありなら、プランを提出した時点でそういっていただかなければ困ります。それをそのまま受け取っておいて、市民からパブリックコメントも募集して、そのうえで一字一句の訂正もなしにプランにゴーサインを出したのは行政当局じゃないですか。なのにいまごろになってなんだっていうんですか。中さんだかばかさんだか知りませんけど、札つきで鼻つまみのクレーマーにちょっとばかりクレームをつけられたからって、そのままあたしたちにお鉢をまわしてくるのはお門ちがいというものです。あたしはごめんです。おことわりです。プランを最終的に決定した行政の責任はいったいどうなるんですか。

 こうなると私の出番か。とても公務員の手には負えまい。そこで私はこんなぐあいに委員会メンバーの説得に努めることになるであろうな。

 まあまあそういわずに、のう、わしとしても申しわけないとは思っておるのじゃ。再招集はまことに申しわけないことである。しかし、名張まちなか再生プランに致命的な不備があるのはたしかなことなのじゃ。そしてその不備は、名張地区既成市街地再生計画策定委員会の手で改めてもらうのがいちばん合理的なのじゃ。相撲取りではないのじゃから、自分の尻くらいいつでも自分でふけるじゃろう。ふぉっふぉっふぉ。現在のところでは、その不備を名張まちなか再生委員会が補っておるわけなのじゃが、残念ながらあれはプランの策定を進めるための委員会ではないのでのう。組織の役割からいっても無理な話じゃし、面子的にもほれ、のう、ふぉっふぉっふぉ。じゃからまあ、そう片意地を張らず、素直に再招集に応じてやってはどうじゃ。

 だーかーらー、あなたみたいになんでもかんでもいちゃもんをつけて喜んでいるクレーマーの言葉に従う必要は認めないといってるんです。行政の足をひっぱるのがそれほど面白いんですか。それはたしかにあたしだって、行政のやってることに疑問を感じるときがないわけじゃありません。でもみんな一生懸命やってるじゃありませんか。それをあなたみたいに頭ごなしに他人を否定して、すべての人間を間抜け扱いしていたら、少しずつでも前進している話だって完全にストップしてしまいます。そんなことやっていったい誰が得をするんですか。片意地を張っているのはあなたのほうです。もう少し柔軟になったらいかがですか。

 はて、柔軟性が必要なのはどちらのほうかのう。ふぉっふぉっふぉ。それにしても、ずいぶんと強情なことよ。まあよい。そうやって本気で怒った顔が、またなんともいえぬわい。ささ、もそっと近う。苦しゅうない。ほれ。おお、おお、可愛いおててじゃ。ふぉっふぉっふぉ。

 いやいや、一人芝居で遊んでる場合ではありません。自分がどうして狒々爺みたいなキャラクター設定に甘んじなければならないのか、納得いかないものも感じますし。

 ともあれこれで当面は、名張地区既成市街地再生計画策定委員会の再招集が首尾よく実現するのかどうか、楽しみにして推移を見守ることになりました。もしも実現しなかった場合には、委員会の委員長をお務めだった三重大学の先生にお目にかかって、どうしてこんなインチキなプランができあがってしまったのか、じっくりお聞きしてみなければならないのかなとも考えているのですが、それもまた後日のお楽しみ。

 さてそういった次第で、名張地区既成市街地再生計画策定委員会の再招集は、名張まちなか再生委員会の委員長からもそれを検討することへのお口添えをいただいた結果になったのですが、より具体的に記しますと、二時間にわたった面談の終盤、委員長さんから事務局に対して、

 「いま中さんのゆうた二件、早急に検討するように」

 との指示があったわけです。私は「二件」の意味がわからず、むろん一件は委員会再招集のことなのですが、あとの一件はいったい何なのか。見当がつきませんでしたので委員長さんにお訊きしたところ、私が提出したパブリックコメントのことでした。私は席上、問われるままにパブリックコメントの概要を委員長さんにご説明申しあげたのですが、それもあわせて検討するようにというのが「二件」の意味でした。

 私は委員長さんのお口添えをありがたく拝聴していたのですが、しかし実際のところをいえば、これはきわめておかしな話です。私のパブリックコメントというのは、ご存じのとおりの「僕のパブリックコメント」。しかしプランを最終的に決定する段階で、細川邸と桝田医院第二病棟の整備に関する私の提案はきれいに否定されてしまいました。プランは名張地区既成市街地再生計画策定委員会がつくった原案どおり、一箇所の修正もなしに決定されてしまいました。私はプランの修正を迫ったが、それは容れられることがなかったのである。

 で、これはそもそも不問に付しておいたことなのですが、事務局から言及がありましたゆえ、なんだかめんどくさいことではあるけれど、ここであえて問題にしておきたいと思います。

 名張市のオフィシャルサイトを見てみましょう。「まちなか再生プラン(案)に関するご意見の募集結果」というページが公開されていて(これに関して私は「人外境主人伝言録」の昨年5月7日から11日あたりにかけて徹底批判を展開しているのですが)、そのなかの「5. 意見の概要と市の考え方」という項で、桝田医院第二病棟に関する私の提案は「参考」、つまり「素案に盛り込めないが、今後の参考とするもの」として扱われています。名張市側のコメントを一部引用しておきます。

なお、昨年、寄附を受けました桝田医院第2病棟跡の土地、建物の活用方法につきましては、細川邸の詳細な利用計画を作成する際に、細川邸との相互機能補完を基本とし、一体的に歴史文化的な空間を創出することにより回遊性を高め時の流れを歩いて楽しむことのできる整備、活用方法について検討を行ないます。

 で、昨年の徹底批判でも不問に付しておいたことというのは、「まちなか再生プラン(案)に関するご意見の募集結果」における根本的な自家撞着です。すなわち、私の提案を否定してプランを修正しなかったにもかかわらず、「5. 意見の概要と市の考え方」には「なお、昨年、寄附を受けました桝田医院第2病棟跡の土地、建物の活用方法につきましては」などとこそこそ書きつけてある。これが自家撞着だというのである。桝田医院第二病棟を整備する気があるのなら、それをきっちりプランに盛り込んでおけというのだ。それを促すために私はパブリックコメントを提出したのではないか。

 そして、おとといの話し合いで判明したところでは、事務局はこの自家撞着を自家撞着と気づいておらず、この文言がなにごとかを担保しているとでもいった口ぶりであったから私はかちんと来た。やや語気を荒げて事務局を批判した。

 ごまかすな。いいのがれをするな。桝田医院第二病棟の整備が必要だと考えるのであればプランに明記しろ。それがあったりまえ、ごく当然の筋というものではないか。実効性の保証などどこにもない附帯的文言をいくら連ねてもそんなものはゼロである。もしもそんなインチキが通用するのなら、プランに盛り込まれていないことをいくらでもあとからつけ加えられるというのなら、プランの意味など吹っ飛んでしまうではないか。かりに百歩譲って「5. 意見の概要と市の考え方」の正当性を認めるとしても、「整備、活用方法について検討を行ないます」という言葉にどんな意味があるのか。いったい検討は誰が行うのか。名張地区既成市街地再生計画策定委員会か、名張市の建設部か、それがさっぱりわからぬではないか。主体性というものがきわめて曖昧ではないか。検討の主体さえ曖昧なこんな文言が何を担保しているというのか。もうインチキは重ねるな。こんないい加減なことばかりやってると、パブリックコメント制度なんて完全に無意味なものになってしまうぞ。

 以上、不問に付していた問題をあえて明らかにいたしました。なんだかインチキばかりで困ってしまいますが。

 それでまあ結局のところ、なんといってもおかしいわけです。プランの修正を求めた私のパブリックコメントを名張市は採用しなかった。それをいまになって、否定した提案を一年ちかくも経ってからあらためて検討するくらいなら、どうしてそれがパブリックコメントとして提出された時点で、私の提案から汲むべきところを汲んでおかなかったのか。それをいっさいせず、きわめて有益だったはずの私の提案をプランにまったく反映させなかったくせに、この期に及んで検討のどうのといいだすのは、いくらお役所のやることとはいえとてもおかしな話であるわけです。

 とはいえ、とっくの昔に解散した委員会をいまになって再招集しろなどとしずやしず、昔をいまになすよしもがななことを主張している身としては、このさい私のパブリックコメントも昔をいまに戻してみたいとおっしゃるのであれば、それはそれでやぶさかではないなという感じであるのかな、と申しあげておきましょうか。

 ここでお知らせ。名張まちなか再生委員会の平成17年度事業計画は、昨年6月の発足時には次のように定められておりました。

事業名
事業内容
実施予定日
歴史資料館の整備事業 ・細川邸を活用するにあたっての基本計画を作成する。 平成17年6月〜平成17年10月
・細川邸の活用にむけた基本計画をふまえ、整備にあたって実施設計を行う。
・細川邸整備後の、施設管理運営体制や、施設運営方針の検討を行う。
・細川邸の一部除却解体。
平成17年10月〜平成18年3月
桝田医院別館第2病棟跡地活用事業 ・桝田医院別館第2病棟跡地を活用するにあたっての基本計画を作成する。 平成17年6月〜平成17年10月

 しかし昨年10月には基本計画がまとまりませんでした。昨年末に事務局で確認したところでは、まあ今年の3月末にはなんとかという話だったのですが、どうやら3月末にもまとまる気配がありません。ずるずるずるずるずれ込んでいるみたいです。

 いっそもうやめてしまってはどうかしら。昔をいまに戻してしまい、もういちど最初から、今度はインチキなしでプランづくりを進めたほうが手っ取り早いのではないかしら。益もなければ甲斐もないしずのおだまきをくりかえしているそれよりも。

 といったところで名張まちなか再生プランに関する報告を終え、インチキつながりということになりましょうか、あすは写したくなる町名張をつくる会の話題に復します。同会関係者のみなさんは、お読みになったら胃に鈍痛を覚える可能性がありますので、ご閲覧になられぬのが賢明かもしれません。

 さーあ、あしたもばんばんかますぞー。

  本日のアップデート

 ▼2006年1月

 谷崎潤一郎=渡辺千萬子往復書簡 谷崎潤一郎、渡辺千萬子

 2001年2月に出た単行本が中公文庫に入りました。単行本に関しましては「人外境主人伝言録」の2001年5月16日から29日あたりにかけてよしなしごとを記しておりますゆえ(さーっと走り読みしてみたのですが、掛け値なしのよしなしごとでした)、よしなしごとをさらに重ねる愚は避けて、さっそく引用へとまいります。

   六四 昭和三三年一一月二四日

武者小路氏の歌とゞきました。潺湲亭のもつゞいてお願します それから松本清張の「線と点〔ママ〕」ともう一冊そちらに置いて来ましたのを至急御返送下さい 江戸川乱歩と対談することになりあれが必要になりました 参考になる君の意見もきかして下さい

   9 昭和33年11月27日

お葉書拝見しました。本は早速別便でお送りしました。小まめさんのもありましたので送りました。もうついてゐることと思ひます。

伯父様と乱歩氏との対談はきっと面白いことでせう。

 私は日本のミステリイは全然読まずぎらひなので何も言ふことがありません。松本清張氏のはこの頃は大へん評判ですが、あゝいふタイプのものならばクロフツやアンブラーの方が 私にはよみごたへがあります。もっとも「眼の壁」一つしかよんでゐないので余り大きな口をきけたものでもないのですが…。乱歩氏のは初期の「心理試験」などは好きですが後の方のすごく怪奇的なのはあんまり好きではありません。

今度の対談は「宝石」にでも出るのですか たのしみにしてゐます。

たをりは元気にしてゐます。ピアノの会 すごくのんびりと落着いてひきました。

さよなら□□□

千萬子拝

 あまりにも断片的な言及ですから、単行本が出たときにはその必要がないと判断したのか、「RAMPO Up-Tp-Date」には『谷崎潤一郎=渡辺千萬子往復書簡』を録してなかったのですが、やはり拾っておくべきかと考え直し、2001年のページをついでに増補いたしました。


● 1月30日(月)

 名張まちなか再生事件の話題から名張エジプト化事件の話題に復しますが、ひとつだけ附言しておきましょう。名張まちなか再生委員会の委員長との話し合いの件です。面談の席上、私は委員長さんから委員会への協力を要請されたのですが、僭越ながらお断り申しあげました。

 むろん私とて協力するにやぶさかではありません。それに看過しがたいプランの不備を的確に指摘するのは何よりの協力にほかならぬでしょうから、その意味で協力していないわけでもないのですが、私はかつて名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトから協力の申し出を拒絶されております。おまえら歴史のれの字も乱歩のらの字も知らない連中ばかりだからおれがいろいろ教えてやろうと、私が名張市立図書館嘱託としての高潔高邁な職業的倫理をフルスロットルにして申し出たにもかかわらず、彼らは、

 「現段階では乱歩に関して外部の人間の話を聴く考えはない」

 とお答えになった。みたいなことを委員長さんにお話ししておりますと、横から事務局が「あれはあくまでも現段階ではという話でしたから」と横槍を入れてきたから私はかちんと来た。かちんと来たとも。

 だからその段階が重要なのではないか。さあ検討を始めようという段階で歴史拠点整備プロジェクトのメンバーには何の知識もない。こんなことでは検討もくそもないからせめて基本的な知識だけでも教えてやろうと私は申し出たのではないか。その時点で人の話を聴かなくていったいいつ聴くというのだあのばかどもは。

 ともあれ私は委員長さんに対して、

 「協力する気はいっさいありませんし、むしろ徹底的に批判をつづけてやろうと考えております」

 と申しあげておきました。むろん、あくまでも「現時点では」という留保のついた話ではあるのですが。

 お世話になった委員長さんと事務局スタッフにあらためてお礼を申しあげ、名張エジプト化事件へとまいります。

 1月20日、名張市役所生活環境部の部長さんからうけたまわってきたお話の報告をつづけましょう。

 一)一連の投稿を行ったのは、写したくなる町名張をつくる会の会員および関係者であったのか、そうではなかったのか。

 この質問に対する写したくなる町名張をつくる会の回答は、まったく身におぼえがないというものでした。どっかのインチキIT企業の前社長の言のようにも聞こえますが、しかし身におぼえがないといったって、掲示板「人外境だより」の過去ログ集「エジプトの怪人たち」にしっかり記録されているとおり、怪人19面相を名乗った間抜けは昨年8月4日付の投稿ではっきりと、

 ──私はアナタにキチガイ呼ばわりされた一人です

 と明言しているではないか。これはそのまま自分が写したくなる町名張をつくる会の会員であることの表明ではないか。ばーか。死ぬほどのばーか。

 といったところまでを1月22日付伝言に記した次第であったのですが、実際のところこの手のことは本人が口を割らないかぎり真実は明らかになりません。懐かしのアレクセイこと田中幸一君の一人二役疑惑と同断です。ですから、へー、そーなんやー、と女子高生みたいに単純に納得しておくことにいたしましょう。

 もう少し怪人19面相を追及してはどうかとお考えの方もいらっしゃることでしょうが、もしも怪人19面相の正体が明らかになり、その結果たとえば名張まちなか再生プランに影響が出るようなことになってしまったら、それでなくてもてんやわんやの名張まちなか再生委員会はさらに無茶苦茶なことになってしまうでしょう。私はそれを望まない。

 いや、いやいや、もちろんそんなはずはないのですが、これはあくまでもたとえ話としてお聞きいただきたいのですけれど、なにしろ名張というのは狭いまちであって人の数もたかが知れておりますから、怪人19面相がじつは名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトのメンバーであったりする可能性が完全にゼロだというわけでもありません。もしもそんな事実が判明した日には、プロジェクトメンバーとしての資格に重大な疑義が生まれてこざるをえないでしょう。つまり、あそこまで尋常一様ではないばかが協議に加わっていいものか、ということになってしまうわけなのですが、まさかそんなはずはないでしょうからご休心ください。

 それから、ついでですからここで怪人19面相君に老婆心ながらお伝えしておきますと、君はほんとに頭が悪くて余計なことをぺらぺらしゃべり、そのせいで出さなくてもいいぼろを手品師みたいに次から次へとくり出しているのであるからして、

 ──いくらあほでも黙っておれば
 さして目立ちはせぬものを
 はーちょいなちょいな

 という俗謡は私がいまつくったものですが、くれぐれも自重してくれれば私は嬉しく思います。

 二)名張のまちにエジプトの絵やニューヨークの写真を掲げることに、いったいどんな効果や公益が期待できるのか、このさいだから説明をうけたまわりたい。

 この点に関しては、生活環境部の部長さんが写したくなる町名張をつくる会の代表の方からお聞きになられたところを文章にまとめてくださってありましたので、それを引き写して報告といたします。

 携帯電話を使った情報発信力を活用して、市内のまち中や観光地を舞台に、市民や名張市を訪れた方々が思わず写したくなる背景の設置により、「名張」の知名度を向上させるとともに、名張のよさや魅力を紹介し、観光客の誘致にもつなげたい。

 へー、そーなんやー、と女子高生のように納得しておくことにいたしましょう。

 もうひとつ、写したくなる町名張をつくる会が名張市の平成17年度市民公益活動実践事業に応募した際の計画書(平成17年5月9日付)というのがあって、部長さんはそのなかの「事業の概要(趣旨、企画、提案内容の特色、工夫した点など)」を抜粋しておいてくださいましたので、それも原文のまま以下に。

 かつて、名張は人であふれ、輝いた賑わいの風景があった。路地や空き地には子どもたちが遊び戯れ、そこにはお年寄りとのふれあいがあり、子ども達は数々のことを習ったが、近年、子ども達は外では遊ばない、町に出ない、夢がないように思われる。

 名張のまちなか、路地、更には、青蓮寺湖や赤目滝といった観光地も含めて、「自分を入れて写したくなる巨大絵、看板、写真」を設置し、楽しい夢のあるまちづくりを行い、多くの方に来ていただき、名張を元気にしていただきたいと考えている。さらに、携帯電話を利用した(仮称)「まちなかスポット・写したくなるまち名張」のコンテストなどの実施やアドバイザーによる市民との意見交換等により市民参加を促したい。

 いまや携帯電話は、通話だけでなく、情報の発信源となっており、設置した「自分を入れて写したくなる巨大絵、看板、写真」とともに、名張のまちが全国に情報発信されることになる。

 へー、そーなんやー、と納得したいところなのですが、この文章には論理的脈絡というものがほとんど見られませんので、いったいどうすればいいのかな。しかも、さらに、なおかつ、そのうえ、この論理とも呼べぬ論理にもとづいて名張のまちにまず登場したのがなんとエジプトの絵だったわけなのですから、これはもうとてものことに論理的脈絡などたどりようがなく、そこに論理があるとすれば「狂人の論理」でしかないであろうとした私の指摘はいよいよもって正鵠を射たものであったというほかありません。

 それにしても、名張のまちを書き割り一枚で目隠ししてしまって何が面白いのか。こんなことが何になるのか。私にはやはり納得がゆきかねます。

 しかしよく考えてみますと、この事業こそが名張市という自治体の実情を雄弁に物語っているのかもしれません。どっちを向いても官民ともに、とにかく上っ面を適当に飾り立てるだけでそれでよしとしてしまえるような、一例をあげるならろくな歴史資料もないのに歴史資料館をつくりたがるような連中ばかりで占められているという事実を、この事業はひろく全国に発信してくれたのではないかしら。ようやらはった、ようやっておくんなはったと、その点に納得して謝意を表しておくことにいたしましょうか。

 質問の三点目。

 三)この事業によってどんな成果がもたらされたのか。

 現在検討中、もうしばらく待たれたし、とのことだそうです。

 あすにつづきます。

  本日のアップデート

 ▼2004年10月

 父・江戸川乱歩の思い出 平井隆太郎

 山田貴敏さんの漫画『少年探偵団 3』巻末に収録。この本は1999年3月に刊行された『まんが江戸川乱歩シリーズ 少年探偵団 第3巻』を再構成したものだそうですから、この巻末エッセイもそちらが初出かもしれないのですが、調べが届いておりません。どうもあいすみません。

 では、「父が本当になりたかったのは作家ではなく、映画監督だった」という小見出しの立てられた冒頭から三段落ばかり。

 普段、人の悪口を言わない父が、一度だけ本気で怒ったことがあります。それは「蔵の中にたったひとりこもり、蝋燭を立てて小説を書いている」と大阪時事新報の元同僚にでまかせを書かれたときでした。そのときはさすがに「けしからん」と日記に書いていました。よっぽど腹にすえかねたのでしょう。しかし、それ以来、「蔵の中で…」というのがいろんな雑誌に出て、ミステリアスな父の像がひとり歩きしてしまったのです。

 でも、父はもう観念したのか、黙っていました。もしかしたら、その評判に乗っかった方がミステリー作家として得だと思ったのかもしれません。父は作家である以上に商売人でもありましたから。

 実際、そういう商才が父にはあったのです。大学卒業後に就職した大阪の商社ではずいぶん業績を上げたそうです。「俺はそういうことには才能あるんだよ」と、いつも自慢していました。

 こうして書き写しているだけで、あの旧乱歩邸の応接間で平井隆太郎先生からお話をうかがった日々のことが懐かしく思い出されます。平井先生から乱歩のことをいろいろ教えていただくのが、私にはまさしく無上の喜びであり、至福の時間とはあのことであったかと思い返されもする次第です。

 いまや旧乱歩邸は立教大学の所有となり、平井家も代替わりして隆太郎先生のご長男憲太郎さんが万端を取り仕切っていらっしゃいますが、平井先生が今年もよい一年をお過ごしになられるようにお祈りしたいと思います。もう1月も終わりですけど。


● 1月31日(火)

 きのうのつづきのその前に、おもに名張市民の方を対象としたお知らせを一件。

 私がつい先日まで、正確にいえば1月23日まで奉職していた三重県立名張高等学校の生徒八人が、あす2月1日から3日までの三日間、名張まちなか再生事件に揺れる名張まちなかで「高校生がやってるお店〜チーム〜」を開店いたします。どうぞお運びください。

 この生徒たちは私の教え子ではなく、ベンチャー企業論を受講している二年生。私の担当は三年生のマスコミ論だったのですが、可愛い後輩たちの出店を手助けしてやってはどうかねと、マスコミ論の時間に「高校生がやってるお店〜チーム〜」をPRするミニコミをつくることにいたしました。

 マスコミ論受講生十八人が四班にわかれて制作に励んだのですが、私もついでに参考出品といいますか、講師作品といいますか、いやもういっそ卒業制作と呼ぶべきか、「へーそーなんやー」と題したA4サイズ一枚のミニコミをつくって生徒たちとくつわを並べてみました次第。先週の後半あたりから、名張まちなか再生事件に揺れる名張まちなかの街頭で、ベンチャー企業論受講生によって手配りされているはずです。PDFファイルでどうぞ。

 サイトを開設して六年三か月になりますが、PDFファイルをアップロードするのはこれがはじめてです。ファイルがうまく開けないようでしたらご一報ください。そんな頼りないことでいいんすか先生、という生徒たちの声が聞こえてくるよなこないよな。

 
高校生がやってるお店〜チーム〜
会場
  ギャラリー楽
名張市松崎町1435 電話0595-63-2212
期間
2月1日(水)−3日(金)
営業時間
午後4時−7時
販売品目
オリジナルケーキ
オリジナル和菓子
駄菓子
リサイクル古着
手づくりミサンガ
協力
名張地区まちづくり推進協議会

 いちばん最後に記しましたとおり、このお店は名張地区まちづくり推進協議会の全面的な協力を得て開店されます。そしてこの名張地区まちづくり推進協議会の会長は、何を隠そう名張まちなか再生委員会の委員長を兼務しております。したがいまして先日、1月27日に名張市役所で名張まちなか再生委員会の委員長さんにお会いしたときにも、私はまず、

 「高校生がやってるお店では生徒たちがいろいろお世話になっておりまして」

 とご挨拶を申しあげてから本題に入ったような次第でした。狭い地域社会でいいだけとんがらかりつっぱらかりして生きておりますと、いつどこでどんな冷や汗をかく羽目になるやら知れたものではありません。気をつけたいものです。

 ともあれ、名張市民の方はどうぞお運びください。

  本日のアップデート

 ▼1997年1月

 坂口安吾の思出 江戸川乱歩

 ゆまに書房の『近代作家追悼文集成 第三十六巻』に収録されました。このシリーズ、追悼文が掲載された雑誌の誌面をそのまま復刻して一巻に編んでおりますから、たとえば乱歩のこのエッセイなど「宝石」の誌面がそのまんま。ノドに近い箇所など活字が歪んでいたりして、とにかく読みづらいことはなはだしい。

 ここまで書いてきてはたと当惑したことに、きょうはこれといって引用するべき文章がありません。これまでは乱歩以外の筆者による文章その他を適当に紹介していればよかったのですが、いまさら「坂口安吾の思出」を引用してみても、乱歩ファンには珍しくもなんともないことでしょう。

 いやまいったな。この「本日のアップデート」をスタートさせるとき、こうした事態が訪れるであろうことは想定しておりませんでした。仕方ありません。きのうが平井隆太郎先生の「父・江戸川乱歩の思い出」、きょうが乱歩の「坂口安吾の思出」という見事な平仄に免じていただいて、本日は引用なしといたします。

 なお、この『近代作家追悼文集成 第三十六巻』は名張市立図書館の『江戸川乱歩著書目録』から漏れておりましたので、不明をお詫び申しあげつつ当サイト「江戸川乱歩著書目録」に増補いたしました。

 坂口安吾は若いころの一時期、小学校の代用教員をしていたことがあって、当時の経験をもとにした小説も書いています。その一篇「風と光と二十の私と」にはこうあります。

 本当に可愛いい子供は悪い子供の中にいる。子供はみんな可愛いいものだが、本当の美しい魂は悪い子供がもっているので、あたたかい思いや郷愁をもっている。こういう子供に無理に頭の痛くなる勉強を強いることはないので、その温い心や郷愁の念を心棒に強く生きさせるような性格を育ててやる方がいい。私はそういう主義で、彼等が仮名も書けないことは意にしなかった。

 学校の先生による「子供はみんな可愛いいものだ」という認識は、私にも実感として理解できるような気がします。だんだん可愛く思えてくる、といったほうがより実感に近いか。私の場合、教壇に立ちはじめて三日目くらい、といっても私は週一回の先生でしたから三週間目くらいということになりますが、生徒たちが男女を問わず、いわゆる成績のよしあしも関係なく、なんだか可愛く見えてくるということを経験しました。あれはいったいどういうことであったのか。

 「無理に頭の痛くなる勉強を強いることはない」というのは私もまったく同感で、生徒たちは「勉強」があまり好きではないようでしたし、私自身も高校時代には「勉強」なんかいっさいしないことにしておりましたから、私の授業などとても「勉強」と呼べるものにはなっていなかったことでしょう。すなわち、かつて「美しい魂」をもった「悪い子供」であった私は、成長してもなお「美しい魂」をもちつづけている「悪い先生」なのであった、ということになるでしょうか。めでたしめでたし。