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2006年4月中旬
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まずはお知らせ。「番犬情報」に「海野十三忌2006」の案内を掲載いたしました。どうぞご覧ください。 つづいて宣言。よーし、いっちょやったるか。予告篇は掲示板「人外境だより」をどうぞ。 |
本日もお知らせからです。甲影会が発行する「別冊シャレード」の九十三号《天城一読本》が出ました。 編集は飯城勇三さん。アンケートあり主要作品考察あり評論ありエッセイあり、むろん天城作品も読むことができる盛りだくさんな内容は甲影会オフィシャルサイトのこのページでご確認ください。気になるお値段は千と七百円。天城ファンは迷わずご購入を。 それでは率爾ながら、軽くドンパチかましてみましょう。うすらばかども叱り飛ばしてやる。まずは掲示板「人外境だより」からの転載です。
じつにありがたい投稿を頂戴したものです。叱咤の笞、大喝の杖(しったのしもと、だいかつのつえ、とお読みいただければ幸甚です)。中田三男さんがどこのどなたなのかは存じませんけれどこのご投稿、文体がどうの自己愛がこうのと愚にもつかぬことを自閉的に書き散らしている最近の私にすっかり業を煮やし、そんなことゆうとる場合か、ちっとはしっかりしなさいよばか、えーい、これでも喰らえと振りおろされた痛棒でなくていったい何だというのでしょう。私は反省し、次のごとき決意表明を投稿いたしましたッ。
さーあ、かますぞー。うすらばかはどっちだ。いやしかし、よく考えてみたらうすらばかなんてそこらじゅうにごろごろしているではありませんか。どこから手をつければいいのやら、ちょっと考えてみることにいたします。 順番としては、やはりここからはじめるべきでしょうか。 上に掲げましたのは毎度おなじみ名張市役所のオフィシャルサイト。で、お次はこのあたりになりましょうか。 これは三重大学のオフィシャルサイト。そのあと、ついでですからこっちも行っとくことにしましょうか。 これは名張商工会議所青年部のオフィシャルサイトです。のれんの写真の下には、 ──この写真は、三重県名張市新町にある旧家「細川邸」の暖簾です。隠と書いて【なばり】と読みます。 と記されているのですが、隠と書いてなばりと読みます、というのはなんだか、蛍の子と書いてけいこと読みます、みたいでかっこいいと思います。 といった次第で、ドンパチのお相手として思いついたのはとりあえず以上のようなところなのですが、中田三男さん、はたしていかがなものでしょう。ひきつづき掲示板「人外境だより」でよろしくご指導をいただければと思います。ご投稿をお待ちしております。 ここでみなさんにお知らせしておきますと、「人外境だより」にご投稿いただいた方にはもれなくこんなうれしいページをご覧いただくことになっております。中田三男さんをはじめみなさんふるってご投稿くださいね。
さるにても、この文章を拝読するだけで監修作業のたいへんさが如実にしのばれ(なにしろ同じ作品を少なくとも三回、多いときには五回六回と読まなければならず、異本照合のために作品を朗読することもしばしばであったとのことです。いやはや)、新保さんにも山前さんにも、それからついでにといってはあれなんですが註釈を担当された平山雄一さんにも、あらためて深甚なる敬意と謝意を表しておきたいと思います。 |
おかしい。どうもおかしい。中田三男さんからその後ご連絡がいただけないではありませんか。これはいったいどうしたことか。中田三男さん、お忙しいのでしょうか。それとも私のほうに何かしらの問題があって、中田三男さんのご勘気をこうむっているということなのでしょうか。
中田三男さんのこの短い投稿から、私は読みとるべきすべてのことを読みとりました。私はなんてったって公立図書館で嘱託を務めているくらいの人間なんですから、そこら歩いてる牛や馬なんかよりよほど読解力に恵まれております。そんな私がこの投稿から鋭く読みとった最大のメッセージは何であったか。 ──蹶起セヨ。 これどす。これでおます。これ以外にどんなメッセージが読みとれるというのでしょう。だからこそ私は、「地域社会のことからは一歩も二歩も身を引いて生きてゆこうなどと情けないことを考えていた」自分を反省し、「名張市立図書館嘱託という立場にある人間として、やるべきことはやはりやっておかなければなりません」と決意を新たにし、ヒロポンこそ服用しておりませんけれどあっちこっち命がけのドンパチにこの身を挺するほぞを固めたっていうのにさ。中田三男さーん、どこ行っちゃったんですかあー。 ここで整理をしておきましょう。中田三男さんの投稿は名張市立図書館の嘱託が減員されたという事実を伝えるもので、しかしそれじたいはじつに些細な事実であるというしかありません。減員の理由はもとより財政難、つまり名張市立図書館の郷土資料担当嘱託はあっさりリストラされてしまったというわけです。ただそれだけの話ではあるのですが、このリストラ劇は名張市立図書館が迎えようとしている危機を端的に物語るものでもあり、そんな事態に直面しているというのに何が文体か何が自己愛か、太平楽なことばっかほざいてんじゃねーぞこのすっとこどっこい、というお腹立ちが中田三男さんの投稿には澱のように沈んでいると見えました。 名張市の財政難はいまにはじまったことではありません。名張市のみならず全国の地方自治体が同様の財政事情で苦しんでいるのもまたたしかなことなのですが、名張市個別の事情としては前名張市長がいいだけ見栄をはって税金いいようにつかいまくってくれたのが痛かった、おかげで名張市はすっからかんのからっけつ、たとえば私にしたところで江戸川乱歩リファレンスブックの内容をネット上で公開することを提案し、そのたんびにお金がないからと却下されてきたわけなんですから、財政難なんて珍しくもなんともねーや、むしろなれっこいじめっこ、いまさら図書館嘱託がリストラされたからって驚いてやるもんか、と思ってしまうまで鈍感になっていたというのがいつわらざるところであったのですが、そんな私におまえはそこまで堕落してしまったのかと憐れみのこもった叱咤大喝を与えてくださったのが中田三男さんの投稿でした。 中田三男さんは「嘘でも本当でもどうでもいいが」とミスティフィケーションかましていらっしゃいますけども、もちろん中田三男さんの投稿には「嘘」ならぬ「本当」が記されており(とはいえ、図書館嘱託を減員するにあたって「迷わず、郷土資料担当嘱託員が消された」というのが真実かどうか、そんなことまで私にはわかりません。私にはあくまでも減員に関する検討の結果のみが伝えられただけでした)、だとすれば「どうでもいい」という文言もけっして額面どおりに受けとるべきではないでしょう。この言葉の裏に秘められたメッセージをこそ、私は感得しなければならぬでしょう。それがすなわち、 ──蹶起セヨ。 というメッセージです。 ──了解。 と私は返事をしました。よーし。君と世界の闘いでは世界に支援せよ、か。ドンパチ上等。うすらばかども覚悟しておけ。かっかっか。みたいな感じでせっかくほぞを固めたっていうのにさ。中田三男さんほんとにどこ行っちゃったんですかあー。 いやまいったな。しかしこうなったらいたしかたありません。しばらくは中田三男さんからのご連絡をお待ちすることにして、ここで蹶起の手順を確認しておきます。きのうも記しましたそのとおり、ドンパチ第一陣はやっぱりここを舞台にしたいと思います。 名張市役所のオフィシャルサイトです。ドンパチプロジェクトのXはここで展開いたしましょう。 それにしても中田三男さーん、いったいどうしちゃったんですかあー。
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うーん。中田三男さんからはまだ音沙汰がありません。いったいどうなさったのかしらと案じつつ、プロジェクトの話を進めましょう。 そもそも私は、名張市役所という名のヒエラルキーにおいてどんな権限も有してはおりません。見事に無力です。したがいまして名張市立図書館の職員配置にも容喙なんてできる道理がなく、それどころか私自身、とりあえず半年間勤務して、その勤務期間の終わりころになって図書館側からまた半年お願いしますと伝えられ、はあはあ、あと半年クビがつながったのかと胸をなでおろす、いや胸をなでおろすといってしまってはいささかオーバーですけれど、とにかくそんなあんばい、じつに不安定な雇用状況であって、フランスならばまずまちがいなく暴動ものでしょう。 ですから私には、中田三男さんの投稿を受けて眼前の現実に直接的にコミットし、名張市立図書館が迎えようとしている危機を未然に回避するような真似はとても不可能です。せいぜいが図書館長に自分の主張見解を伝えてみる程度のことで、しかしそうしてみたところで何かがどうにかなるという保証はどこにもありません。いやいやどうにもなるものか、という諦念が先に立ってしまう始末です。しかし、名張市立図書館から郷土資料担当嘱託が消えてしまったという眼前の事実にもとづいて遠くない将来を予測することならば、私にだって充分に可能です。そしてその予測を自身のサイトで発表することもまたしかり。 ですからそれを試みましょう。このままの状態で推移すれば、名張市立図書館の未来に想定されるのは郷土資料の死です。郷土資料室の郷土資料がなしくずしに死んでしまう。そんな将来が予測されます。それはもとより図書館の死でもあり、いやいや、図書館の死といってしまってはこれもまたオーバーに過ぎましょうけれど、公立図書館が担っている重要な役目のひとつが機能不全に陥ってしまうことは火を見るよりも明らか、いうならば図書館の壊死という現実にやがて立ち至ってしまうであろうことは容易に想像されるところです。 てめーら図書館殺す気かよ、と私は名張市役所でぼんやり職務についていらっしゃるみなさんにお訊きしてみたいわけなのですが、はたして名張市の職員のなかに、中田三男さんのごとく職員配置のごくささやかな異変からやがて訪れるであろう重大な危機を敏感に察知し、私が開設している掲示板への投稿というかたちで警鐘をうち鳴らせるような明敏さをそなえた人材がどれくらいいるというのであろうか。私はなんとも悲観的にならざるを得ません。だって名張市の職員のみなさんと来た日には…… いやいや、そんな弱気なこといってたら中田三男さんから叱られてしまうことでしょう。よろしい。ここはひとつ名張市職員のみなさんのために、名張市立図書館が迎えつつある危機のことをわかりやすくご説明申しあげることにいたしましょう。いくらばかだといったって、名張市役所の職員のみなさんはいちおう試験をパスして職員におなりになったはずですから(コネでお入りになった方の場合はよくわかりませんけれど)、最低限の読み書きくらいはおできになることでしょう。私があしたこの伝言板に記すところをよくお読みください。ご同僚にもその旨お伝えいただければ幸甚です。 しかしこうなると、上に掲げました名張市オフィシャルサイトを舞台としたプロジェクトXの話題が足踏みしたままになってしまうわけなのですが、要するにこのサイトあてにメールを送信し、名張まちなか再生プラン担当セクションのボスでいらっしゃる建設部長との面談を要請する、部長さんからOKが出る、名張市役所を訪れる、部長さんからいろいろお話をうかがう、こととしだいによっては部長さんを叱り飛ばす、そのゆくたてをこの伝言板で発表する、といったところがプロジェクトXの一連の流れとなります。プロジェクトYでは三重大学、プロジェクトZでは名張商工会議所青年部がメインステージとなるわけですが、そのあたりのお話はいずれまたおいおい、ということでお願いいたします。 それにしても中田三男さんには名張市立図書館が迎えようとしている危機のことで種々ご心配をおかけしておりまして、あらためてお礼を申しあげる次第です。中田三男さーん、どうもありがとー。お元気ですかあー。
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がーん。 これはしたり。 がーん。がーん。 私はある恐ろしい可能性に気がついてしまいました。 がーん。がーん。がーん。 気がついたというよりは、その可能性にいままでどうして思い至らなかったのか、私にはそれが不思議です。 がーん。がーん。がーん。がーん。 掲示板「人外境だより」にわざわざ投稿してくださった中田三男さんのご正体、それをめぐる恐ろしい可能性に私はようやく思いあたりました。 がーん。がーん。がーん。がーん。がーん。 いつまでがんがんいっててもしかたありませんからとっとと話を進めますと、もしかしたら中田三男さんは名張市の職員でいらっしゃるのではないかしら。いまや私はそのように推測している次第です。うかつな話です。名張市という名のヒエラルキーにおける誰も気にとめないような人事配置を仔細に知ることができる人物、となるとまず頭に浮かんでくるべきは名張市職員にほかならないでしょう。しかし私の頭にはそれが浮かんできませんでした。昨日の伝言からもご理解いただけるであろうそのとおり、私は名張市の職員諸君のおつむの程度というやつを相当低く見積もっておりますから、中田三男さんのような明敏な方が名張市職員にいるはずがないと初手から決めつけてしまったもののようです。しかし冷静に判断してみるならば、中田三男さんが名張市職員であると考えるのがむしろ自然ではないでしょうか。 おそるべし名張市役所。私の知らぬところに思いもよらぬ俊秀がひそんでいようとは。 しかし中田三男さーん、大丈夫ですかあー。あなたいくら匿名とはいえ、私の掲示板に投稿なんかして、もしもそれがばれたらどんなことになるのかわかってんですかあー。名張市職員がひそかに私と通じて私の蹶起を使嗾していたなんてことがばれてしまってごらんなさーい。最低でも石抱きの刑ですよー。中田三男さーん、そんなことになってもいいんですかあー。 中田三男さんの身がいよいよ案じられるきのうきょうですが、中田三男さんが名張市職員であるという可能性に思い至ったいまとなっては、中田三男さんのお志を無にはできぬとあらためてほぞを固めるしかありません。市職員として市立図書館の危機に命がけの警鐘を鳴らしてくださった中田三男さん、ほんとにどうもありがとう。あなたこそ名張市職員の鑑です。 さて、中田三男さんをはじめとしたすべての名張市職員諸兄姉にお贈りする名張市立図書館危機講座ですが、あいにくと本日は時間がなくなってしまいましたのでまたあした。
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名張市役所のみなさん、さっそくはじめましょう。しかしきょうは日曜か。お休みなのにご苦労さまです。休みなんだからほっといてくれとおっしゃる方は、またあす月曜にでもお読みください。私のサイトを閲覧するのも名張市職員にとって重要な職務です。勤務時間中に堂々とお読みいただいても何らさしつかえはありません。 さて、図書館の話です。公立図書館にはいくつかの役目がありますが、最大のものはさまざまな本を取りそろえて住民の閲覧に供することでしょう。しかしそれだけではありません。全国の公立図書館は、それぞれの地域に関係のある書籍や雑誌や新聞などの資料を収集し、管理し、住民のニーズに応えて閲覧に供するというサービスもつづけています。のみならず、地域のことを知りたい、調べたい、学びたい、と思って足を運んだ住民にさまざまなサービスを提供するのも図書館の役目です。 名張に関して何かしら調べたいことがあって、あなたが名張市立図書館を訪れたと仮定してみましょう。あなたは郷土資料室に入り、開架にならべられた資料を丹念に見てゆく。しかしどんな本をひもとけば求める情報にたどりつけるのか、本の背を眺めているだけではなかなかわからない。そんなときには、図書館のスタッフに質問してみてください。あなたが必要としているであろう資料に見当をつけてはいこれですと指し示すことなど朝飯前、求めている知識や情報にどんなふうにアプローチすればいいのかという発想法のようなものまで、図書館のスタッフは的確にアドバイスしてくれることでしょう。 そうしたアドバイスを適切に行うためには、それなりの知識と経験が必要です。図書館に集められた膨大な地域資料がすべてその人に集中し、その人をいわば媒体として知識や情報がよどみなく提供されてくる扇のかなめのようなエキスパート、そうした存在なくしては、せっかくの地域資料も充分には活用されず、ただ死蔵されているだけということにさえなりかねません。しかし残念ながら、お役所のシステムにおいてエキスパートを養成するのは至難のことです。職員たちはさまよえるユダヤ人のごとく、はたまた回遊するカジキマグロのごとく、あちらこちらの部署を経めぐりつづけて公務員生活を送ります。地域資料の専門家になるのはかなりの難事というべきでしょう。 しかしながら、とくに名張市立図書館の場合、地域資料の専門家がより必要であることは論をまちません。なぜならば、名張市には関西圏から転居してきた、それゆえ名張のことをよくご存じない市民が少なからず存在しているからです。市民が地域のことを気軽に知ることができる場を提供するという意味において、地域資料の保管庫であり地域情報の発信基地である図書館の役目はより重要なものになってきます。いや、いやいや、いやいやいやいや、名張に転居してきた市民どころかあなた、名張に生まれ育った市民にしてからが名張の歴史をまるで知らないのはいったいどうしたことでしょうか。名張はからくりのまちであるだの名張はエジプトであるだのと気のふれたようなことを好きなだけいいつのるすっとこどっこい市民がでかい顔して幅を利かせているのはいったいどうしたことなのでしょうか。 いや、いやいや、いやいやいやいや、そんなことはいまはどうでもよろしい。図書館のお話です。とにかく名張市立図書館には地域資料のエキスパートが必要なのであって、これまでは郷土資料担当嘱託というスタッフが配置され、一般職員ではカバーしきれない職務を担当しておりました。しかーし、中田三男さんが鋭くも指摘してくださったそのとおり、いまや名張市立図書館に郷土資料担当嘱託は存在しておりません。図書館の地域資料は扇のかなめを失ってしまいました。名張市職員のみなさん、これすなわち市立図書館の危機でなくて何だというのでしょうか。図書館の果たすべき重要な役目のひとつが機能不全に陥りつつあるわけです。まさに危機です。危機じゃ危機じゃモンパルナスじゃ。名張市立図書館がえらいことじゃというわけです。
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さて名張市役所のみなさん、ここで問題です。名張市立図書館に郷土資料と乱歩資料をそれぞれに担当するふたりの嘱託がいるとして、これをどうしてもひとりにしなければならない。みなさんはどちらの嘱託を残すべきだとお考えでしょうか。正解は、いうまでもなく郷土資料担当嘱託です。乱歩資料なんて名張市民の生活には直接関係がありませんし、名張市立図書館以外にだってたとえば立教大学にもごろごろしているわけなのですが、名張市の地域資料は名張市立図書館にしか収蔵されておらず、それが市民生活に密接なかかわりを有していることはいうまでもありません。貴重な地域資料を存分に活用するための郷土資料担当嘱託は、名張市にはどうしても必要な存在です。乱歩資料担当嘱託との二者択一を迫られれば、答えはおのずと明らかでしょう。だいたいが乱歩資料担当嘱託なんて私が初代なんですから、ポストとしてもずいぶんと後発なわけですし。 もちろん乱歩資料担当嘱託である私といたしましては、唐突にクビをいいわたされたりなんかした日には激怒するしかありません。だいたいが私は名張市教育委員会にだまされたという気がしている。詐欺にあったような気がしている。名張市立図書館が乱歩に関して何をしたらいいのかわからないからと三顧の礼で嘱託に迎えられ、こちらとしては犠牲にできるものをすべて犠牲にして身を粉にした滅私奉公、こんなことをすればいいんですよと江戸川乱歩リファレンスブック全三巻(補巻一巻追加予定)をつくって乱歩を愛するすべての人にサービスを提供するための方向性を具体的に指し示し、こういう時代ですからインターネットも活用してはいかがでしょうかと提案したにもかかわらずただ予算がないからという理由であっさり蹴りやがったのはどこのどいつだ、そんなこともできないのなら図書館の乱歩コーナーなんか閉鎖して乱歩からいっさい手を引いてしまえと提案してみればいやそれはもごもごもごと口ごもるしかない低能はどこのどいつだ、みたいな怒り憤りは私の胸中深く燠のごとくに燃えているわけなんですから、これ以上理不尽なことがあったら私はたぶん手がつけられぬくらいに激怒してしまうことでしょう。名張市職員のみなさんは存分に注意するように。 さて、ばかのみなさん。日々のお仕事ご苦労さまです。みなさんもお仕事を通じてお気づきのことでしょうが、名張市という地域社会における地域資料の大切さ、それを活用することの重要性はここへ来ていよいよ深く認識されております。認識していらっしゃらない方もおありかもしれませんからわかりやすくご説明申しあげましょう。 みなさんは官と民との協働とおっしゃる。あるいは住民主体の地域づくりとおっしゃる。結構なことだと思います。お役所まかせのおまかせ民主主義から、地域社会のために地域住民みずからが汗を流す真の民主主義へ。名張市の地域づくりは名張市民自身の手で進めましょう。ほんとに結構なことだと思います。しかしそのためにはいくつか大きな前提があって、そのひとつは住民が地域社会に愛着を抱いているということです。自分の住んでいる土地は自分にとってかけがえのない大切な土地であるという住民自身の愛着がなかりせば、みずから進んで地域づくりに汗を流そうという発想なんてけっして生まれてはこないでしょう。私はそのように考えます。 地域社会を大切なものと見なす感情は人の内面におのずと生まれてくるはずのものですから、強制的に押しつけようとしたところで意味も効果もないことでしょう。たとえば当節話題の教育基本法改正論議にはみなさんも公務員として当然興味をおもちのことでしょうけれど、あの論議がどうにもうさんくさく思われますのは、愛国心であろうが祖国愛であろうが郷土愛であろうが、あるいはナショナリズムであろうがパトリオティズムであろうが、おのずから生まれてくるべき原初的感情をあたかも鯛焼きのごとく鋳型をつくって無理やり生じさせようとしているからではないかと私には思われます。 私の見るところ、こういったたぐいの原初的感情に関しては古代的アプローチが有効なのかもしれません。古事記下巻允恭天皇条に記された軽太子と軽大郎女のエピソード、三島由紀夫がそれにもとづいて「軽王子と衣通姫」を書いた禁断の悲恋のエピソードですけれど、そこには軽太子のこんな歌が記録されていて参考になります。 ──隠り国の 泊瀬の河の 上つ瀬に 斎杙を打ち 下つ瀬に 真杙を打ち 斎杙には 鏡を懸け 真杙には 真玉を懸け 真玉如す 吾が思ふ妹 鏡如す 吾が思ふ妻 ありと言はばこそに 家にも行かめ 国をも偲はめ 石川淳の「新釈古事記」に見られる現代語訳をば。 ──泊瀬の川の、上の瀬に祓の杙を打ち、下の瀬にもきよめの杙を打ち、かなたの杙には鏡をかけ、こなたの杙には玉をかけ、その玉のごときわが思う妹よ、その鏡にも似たるわが思う妻よ、そなたがそこに在りといえばこそ、家にも行きたく、国をしのびもしよう。ここに、そなたをまぢかに見るうえは、なにしに家国をしたおうぞと、おもいきったる歌。 結局のところ家だの国だのなんて(軽太子のいう国というのはむろん伊賀の国や大和の国などという場合の国であって、日本という国家のことではありません。国家を示す国なんて言葉はごくごく後発、たかが近代の産物でしかなく、愛国心や祖国愛なんて言葉がうさんくさいのはそのあたりにも理由がありそうです)、人間にとって二次的なものでしかないということでしょう。愛する人間がそこにいるならば、その土地もまた慕わしい。あなたのお知り合いがどこか遠くの土地にお住まいで、それでもときおり名張のことを思い起こし、懐かしく慕わしくしのんでくれていらっしゃるのだとしたら、それは名張という土地にあなたが住んでいらっしゃるからにほかなりません。あなたのいない名張になんて行きたくもない、とその方は思っていらっしゃることでしょう。 ですから名張という土地があなたにとってほんとに大切な土地であるためには、あなたにとってかけがえのない人が名張に住んでいることが必要となります。しかしそれはあなたご自身の問題であって、そんなことまで名張市立図書館は面倒をよう見ません。けれどもあなたが名張という地域のことをよく知りたいとおっしゃるのであれば、そのお手伝いは市立図書館がしっかりきちんと果たさねばなりません。話が横道にそれているように見えるかもしれませんがさにあらず。愛国心や祖国愛を押しつけるのと同様に郷土愛を押しつけることもまたいいだけ愚劣なことであるのだが、住民主体の地域づくりをというのであれば住民が自身の住んでいる土地へのおのずからな愛着を芽生えさせることがその前提となるのは論をまたぬ。そのために何より重要な施設は図書館である。図書館の地域資料こそは重要な資産である。名張市立図書館は市民がその気になればいくらでも名張のことを知ることができる場でなければならぬのである。 ところがどうしたことでしょう。あーん。名張市立図書館からは郷土資料担当嘱託が姿を消し、お役所の縦割り感覚でいえば図書館とは直接関係のないことなれど、最新のデータにもとづいて名張の歴史をくわしく記した名張市史の刊行が遅延しているというではないか。しかのみならず、そのいっぽうでは歴史のれの字も乱歩のらの字も知らぬうすらばかどもがろくな歴史資料もないというのに名張のまちに歴史資料館とやらをつくろうとしておるのである。いったいどうなっておるのか。あーん。
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中田三男さんからはあいかわらずご連絡をいただけません。いかがお過ごしなのでしょうか。名張市の将来を心から案じていらっしゃる憂国ならぬ憂市の士、中田三男さんの叱咤鞭撻を天啓のごときものと受けとめてお届けしております連続講座、どのようなことがあろうと中田三男さんのお志だけは無にできぬと固い決意のもとに本日も綴りたいところなのですが、きょうはお休みということでご勘弁ください。 2005年度一年間だけのつもりで引きうけました三重県立名張高等学校の非常勤講師、なぜか今年もあいつとめる仕儀となりました。きょうが最初の授業です。にもかかわらず授業の準備がまだ終わってはおらず、どうしてもっと早めにすませておかなかったのかとこうした場合にいつも感じる腹立たしさを抑えつつお別れいたします。ではまたあした。
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昨日はおかげさまで三重県立名張高等学校におけるマスコミ論の最初の授業、「メディアリテラシーとは何か?」と題して無事に終えることができました。今年の受講生は八人で、女子高生率はなんと75%。去年はちょうど50%でしたから、わがクラスの女子高生率は大幅なアップです。天にものぼる気分で快調に飛ばしてまいりました。これから一年、あまりでれでれすることなく先生稼業にも精を出したいと思います。 考えてみれば名張高校での授業のほかにも、私には単発的に依頼を受けてあちらこちらでおはなしをする機会というのがあります。昨年など四百万年にわたる名張の歴史を二十分ほどで概説するという無謀な試みにチャレンジし、伊賀盆地に古琵琶湖が形成された地質時代から桔梗が丘ニュータウンの入居が始まった1965年までをたたたたたーっとたどろうとしたのですけれど、さすがに無謀すぎて頓挫しました。 このときのお客さんは乱歩の父親の大学の後輩でありつつ名張市民でもいらっしゃるというみなさんだったのですが、 「みなさんは乱歩が生まれた名張のまちの市民であると同時に、乱歩の父親が出た大学の後輩でもあるわけですから、江戸川乱歩という作家と二重の縁で結ばれていることになります。それがどないしてんといわれてしまえばそれまでの話ではあるのですが、最近はこうした些末な知識をトリビアと称して珍重する向きもあるようですから、きょうはぜひそのことを憶えて帰ってください」 などと結局は何がなんだかじつにとりとめのない内容になってしまったのですけれど、お座敷がかかれば拙いおはなしのひとつふたつ、いやみっつでもよっつでも未熟を承知で高座をあいつとめることにしておりますのも、やはり職業倫理にもとづいた行為であるということになると思います名張市役所のみなさん。 むろん私は厳密にいえば名張市立図書館において乱歩資料を担当する嘱託なのですが、名張市民のみなさんに乱歩のことを知ってもらいたいなどとは全然考えておりません。げんに一般的な名張市民は乱歩のことをほとんどご存じないというのが私の印象で、それはそれで全然OK、たとえばきのうも名張高校の教室で乱歩のことをおはなししておりましたところ、 「えーッ。江戸川乱歩って人の名前やったんんんッ?」 などと驚いている生徒がいる。「乱歩ってゆう名前、なんか変」とかいう声もあがりましたので、私はホワイトボードに、 ──Edgar Allan Poe と大書し、その下に「エドガー・アラン・ポー」と書き添えて、アメリカにこんな名前の作家がいたのだということを説明してから、 「はいこの名前、早口で十回ゆうてみ。ちゃんと江戸川乱歩になりますから」 すると女子高生というのはじつにどうも汚れなく純真なものでして、一回二回と折ってゆく指先を真剣なまなざしで見つめながら、 「エドガーアランポー、エドガーアランポー、エドガーアランポー、えどがーあらんぽー、えどがーあらんぽー、えどがーあらんぽー、えどがあらんぽ、えどがあらんぽ、えどがわらんぽ、江戸川乱歩。あ。ほんまや」 と驚きまじりに得心しておりました。「なんや、パクリやん」「きゃはは。パクリやパクリや」「きゃはは」という歓声もあがったのですけれど、それはまあ、パクリといえばパクリであろう。 閑話休題。とにかく名張市民が乱歩に親しもうが親しむまいがそんなことは市民の勝手で個人の自由、名張市立図書館が容喙すべきことではまったくありません。名張市立図書館がなすべきなのは乱歩作品を読みたい乱歩のことを知りたいという市民が乱歩作品に気軽に接したり乱歩に関する知識を好きなだけ身につけたりすることのできる環境を提供することであり、もしも名張市民をして無理やり乱歩作品に親しませるなんてことをいいだしたとしたら、そんなものは愛国心だの祖国愛だの郷土愛だのを人に押しつけようとする自民党や公明党のばか連中とおんなじではないか。いいかげんにしろばか。 いやまあばかの話はどうだっていいのですけれど、なんだかおととい記したところと同じようなことをきょうもまた記してしまいましたので、名張市職員のための図書館危機講座、予定していた上中下の三回では終わらなくなってしまいました。やれやれ。
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さて名張市役所のみなさん、そういった次第で、私は名張市民に乱歩のことを知ってもらいたいとはちっとも思わないのであるけれど、地元名張のことはもう少しよく知ってもらいたいものだと考えている。とくにいわゆるニューカマーのみなさんに名張のことを知っていただくための手だてを講じるのは、やや大袈裟にいうならば行政の責務ですらあると考えている。なぜか。名張市役所のみなさんが近年よく口にされる協働だの地域住民による地域づくりだのは地域への愛着を前提とするものであり、その愛着は認識という土壌にしか芽生えないものだからである。名張のことをろくに知らない人間が名張に愛着をもてるかどうか。もてるわけねーだろばーか、というのが私の考えである。だから私は、もとより人から頼まれてという範囲内のことでしかないのであるが、名張市民に名張の歴史を知ってもらうための活動をほそぼそとながらつづけているのである。郷土資料か乱歩資料か、そんなことにこだわるお役所名物の縦割り感覚などおまえに食わせるタンメン同様私にはないのである。 ですからたとえば、とっくの昔にリンクは切れてますけど中日新聞オフィシャルサイトに掲載された2月11日付記事から引きましょう。
ね。市立図書館嘱託職員である私が市民の依頼を受け、地域の歴史を市民にわかりやすく伝えるための活動に挺身しているわけです。名張挺身隊とでも呼ぶべきか。しかしこんなささやかなお務めなんてすぐに吹っ飛んでしまいます。なぜかというと吹っ飛ばす方向に名張市が進んでいるからです。何度も同じこと書いててまるでばかみたいなんですけど、つい先日の17日付伝言から引きますと、 ──あーん。名張市立図書館からは郷土資料担当嘱託が姿を消し、お役所の縦割り感覚でいえば図書館とは直接関係のないことなれど、最新のデータにもとづいて名張の歴史をくわしく記した名張市史の刊行が遅延しているというではないか。しかのみならず、そのいっぽうでは歴史のれの字も乱歩のらの字も知らぬうすらばかどもがろくな歴史資料もないというのに名張のまちに歴史資料館とやらをつくろうとしておるのである。いったいどうなっておるのか。あーん。 つまるところ名張市役所のみなさん、名張市立図書館は危機を迎えているというわけです。おわかりいただけているのでしょうか。
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