2006年4月中旬
11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日 18日 19日 20日
 ■ 4月11日(火)
ドンパチ宣言

 まずはお知らせ。「番犬情報」に「海野十三忌2006」の案内を掲載いたしました。どうぞご覧ください。

 つづいて宣言。よーし、いっちょやったるか。予告篇は掲示板「人外境だより」をどうぞ。

  本日のアップデート

 ▼2005年10月

 第八章 江戸川乱歩『芋虫』──ジットリ粘りつく悪夢 許光俊

 光文社新書『世界最高の日本文学』に収められました。難しそうな文学理論などはさておいて、近代文学のおいしそうなところを軽くガイドする一冊です。

 昔は新書といえば岩波とか中公とか、あるいは講談社現代新書とか、ブランドが極端に限られていたものでしたが、いつのまにこんなに増えてしまったのでしょう、本屋さんにはなんとか新書かんとか新書が氾濫していてとても追っかけきれません。この『世界最高の日本文学』も昨年秋に出たものなれど、新刊書店で遭遇したのはついきのうのことでした。

 「芋虫」以外のラインアップはと見てみると、岡本かの子「鮨」、森鴎外「牛鍋」、三島由紀夫「憂国」、泉鏡花「外科室」、武者小路実篤「お目出たき人」、川端康成「眠れる美女」、谷崎潤一郎「少年」、嘉村礒多「業苦」、夢野久作「少女地獄」、小林多喜二「党生活者」、岡本かの子「老妓抄」、で全十二篇。

 あ、西村賢太さんの『どうで死ぬ身の一踊り』がらみで嘉村礒多にふれておけばよかったかと思いつつ、「芋虫」における時子の心理を考察したパートから引きましょう。

 だが、乱歩が書いたのが、単純な反戦小説などではないのは明らかだ。もし彼が、状況に追いつめられた時子が起こした惨劇としてこの物語を終わらせていたら、それはそれで十分深刻で、衝撃のある作品になったことだろう。しかし、乱歩は書いている。時子の、「心の奥の奥には、もっと違った、もっと恐ろしい考えが存在していなかったであろうか。彼女は、彼女の夫をほんとうの生きた屍にしてしまいたかったのではないか」。

 これは戦争とは何の関係もない人間の心理である。ただでさえ無力な夫を完全に支配しようという恐ろしい意志である。時子が夫の目をつぶすのは、絶望ゆえではないということだ。そうではなくて、まだ自分の意志を持っている人間から、それを表現する手段を奪い、完全に彼女の〈物〉とするためだということだ。空恐ろしいような支配欲、所有欲、そう呼んでも間違いではあるまい。

 このとき、時子はただの犠牲者、不幸な女ではなくなる。悲惨な境遇にあえぐ彼女もまた、圧倒的、暴力的な専制君主に他ならない。おそらく人間にはあまねく支配欲があり、権力への意志があるだろうが、そこがこの作品の後味の悪さであり、重たさである。


 ■ 4月12日(水)
ドンパチことはじめ

 本日もお知らせからです。甲影会が発行する「別冊シャレード」の九十三号《天城一読本》が出ました。

 編集は飯城勇三さん。アンケートあり主要作品考察あり評論ありエッセイあり、むろん天城作品も読むことができる盛りだくさんな内容は甲影会オフィシャルサイトのこのページでご確認ください。気になるお値段は千と七百円。天城ファンは迷わずご購入を。

 それでは率爾ながら、軽くドンパチかましてみましょう。うすらばかども叱り飛ばしてやる。まずは掲示板「人外境だより」からの転載です。

中田 三男   2006年 4月10日(月) 17時21分  [219.54.8.81]

雨風便りをひとつ。某市立図書館には、お二人の嘱託員がおられたとか。お一人は言うまでもなく。もうお一方は郷土資料担当だったとのこと。本年度からの嘱託定員数は1名・・・迷わず、郷土資料担当嘱託員が消されたというのは、おもしろいおはなし。嘘でも本当でもどうでもいいが。

 じつにありがたい投稿を頂戴したものです。叱咤の笞、大喝の杖(しったのしもと、だいかつのつえ、とお読みいただければ幸甚です)。中田三男さんがどこのどなたなのかは存じませんけれどこのご投稿、文体がどうの自己愛がこうのと愚にもつかぬことを自閉的に書き散らしている最近の私にすっかり業を煮やし、そんなことゆうとる場合か、ちっとはしっかりしなさいよばか、えーい、これでも喰らえと振りおろされた痛棒でなくていったい何だというのでしょう。私は反省し、次のごとき決意表明を投稿いたしましたッ。

サンデー先生   2006年 4月11日(火) 10時20分  [220.215.61.249]
http://www.e-net.or.jp/user/stako/

 中田三男様
 ようこそおいでくださいました。中田三男さんとおっしゃるお名前には心当たりがないのですけれど、ひとつ文字を入れ替えるだけで名張市立図書館における私の上司の名前になってしまいます。なんという奇遇なのでしょう。よろしくお願いいたします。
 さるにても、普通の人間が気にもとめないお役所の嘱託職員や臨時職員の配置にまでちゃんと目配りしていただいて、じつにありがたいことだと感じ入っております。普通の人間が気にもとめない、というよりは、お役所そのものが気にもとめない、といったほうがいいのかもしれません。といいますのも、お役所にとって嘱託職員だの臨時職員だのは要するに単なる使い捨て要員、半年単位の契約でいいようにつかったあげくお役所の都合であっさりクビを切ることのできる存在でしかないからです。正職員にはきわめて手厚く、そうでない職員には掌を返したように冷酷であるというこの非人間的システムは、しかしおそらくは全国の公立図書館を支える屋台骨のようなものなのであって、将来に何の保証もないまま黙々と日々の業務に精励している臨時職員の存在なしにすらすら運営できる公立図書館なんて、もしかしたら日本のどこにもないのではないかと私は思っているのですが、そこへもってきて難儀なのが指定管理者制度、要するに官から民へという世の中の表層の流れです。
 官から民へ、といったって問題の本質は要するにお金がないということにほかならず、まさにそうした理由によって名張市立図書館の嘱託職員がふたりからひとりに減員され、市立図書館そのものも民営化一直線のレールを突っ走らされているのが現状です。しかしいったい何をしておるのか、と私はいいたいわけです。いいたかったわけです。名張市立図書館の乱歩コーナーと郷土資料室を比較してみなさい。郷土資料の充実ぶりはとても乱歩資料の比ではありません。あれはもう何年前のことになりますか、豊島区の学芸員の方おふたりが乱歩のことで名張市立図書館へ視察に来てくださったときのことなのですが、いっぽうの学芸員の方が「いやすごいなこの郷土資料室は。こんなものまで揃えてる」と一冊の本を手にして驚いていらっしゃいましたのでその理由をお訊きしてみたところ、その学芸員の方が若き日に執筆された論文を収録した学術書までちゃんと揃っているとのことでした。
 ことほどさように(というか、いうまでもないことながら)名張市立図書館の郷土資料は名張市の貴重な財産のひとつであるのですが、それを管理する嘱託がいなくなったというのはいったいどういうことか。こら名張市。何を考えておる。それでなくても名張市には地元の歴史を知らないばかが少なからず棲息しておるのだ。名張はからくりのまちであるだの名張はエジプトであるだのと気のふれたようなことを好きなだけいいつのり、あげくのはてはろくな歴史資料もないというのに歴史資料館を整備しましょうなどと税金の無駄づかいをそそのかす。何なんだこのばかどもは。名張というのがいったいどういう土地であるのか、この土地にどのような歴史が刻まれてきたのか、そういった地域社会のアイデンティティのよりどころを相当なばかにでもわかるようにお示ししてさしあげるのが公立図書館の重要な役目であるということがわからんのか。わからんのであろうな。世の中のことは効率や採算だけで割り切れるものではないということすらわからんのであろうな。よーし。わかった。わからせてやる。郷土資料室の嘱託をクビにするいっぽうで歴史資料館を整備するなどという不合理きわまりないことがまかり通っていいものかどうか、それをたっぷりとわからせてやる。覚悟しておけ。
 いや中田三男さん、ほんとにどうもありがとうございました。じつに得がたいご鞭撻をいただきました。一時は不肖カリスマ、紅旗征戎わがことにあらず、ばかの相手はほんとにうんざりだからおれはもう図書館嘱託として乱歩のことだけやってればいいや、『江戸川乱歩年譜集成』の公刊を第一の目標として地域社会のことからは一歩も二歩も身を引いて生きてゆこうなどと情けないことを考えていたのですが、おかげさまで眼が醒めました。名張市立図書館嘱託という立場にある人間として、やるべきことはやはりやっておかなければなりません。坂口安吾ではないけれど、あっちこっち命がけ、ってやつでないと人生どうにも面白くありません。今後ともよろしくご指導をたまわりますよう、伏してお願い申しあげます。

 さーあ、かますぞー。うすらばかはどっちだ。いやしかし、よく考えてみたらうすらばかなんてそこらじゅうにごろごろしているではありませんか。どこから手をつければいいのやら、ちょっと考えてみることにいたします。

 順番としては、やはりここからはじめるべきでしょうか。

 上に掲げましたのは毎度おなじみ名張市役所のオフィシャルサイト。で、お次はこのあたりになりましょうか。

 これは三重大学のオフィシャルサイト。そのあと、ついでですからこっちも行っとくことにしましょうか。

 これは名張商工会議所青年部のオフィシャルサイトです。のれんの写真の下には、

 ──この写真は、三重県名張市新町にある旧家「細川邸」の暖簾です。隠と書いて【なばり】と読みます。

 と記されているのですが、隠と書いてなばりと読みます、というのはなんだか、蛍の子と書いてけいこと読みます、みたいでかっこいいと思います。

 といった次第で、ドンパチのお相手として思いついたのはとりあえず以上のようなところなのですが、中田三男さん、はたしていかがなものでしょう。ひきつづき掲示板「人外境だより」でよろしくご指導をいただければと思います。ご投稿をお待ちしております。

 ここでみなさんにお知らせしておきますと、「人外境だより」にご投稿いただいた方にはもれなくこんなうれしいページをご覧いただくことになっております。中田三男さんをはじめみなさんふるってご投稿くださいね。

  本日のアップデート

 ▼2006年3月

 乱歩、その二面性全集30巻、監修を終えて大衆作家らしいおおざっぱさと 学究的なきちょうめんさと 新保博久

 3月1日付北海道新聞に掲載されました。山前譲さんとともに光文社文庫版乱歩全集の監修という大役を果たされた新保博久さんが、その舞台裏をちょこっと明かしていらっしゃいます。

 本来であれば乱歩ファンには全文をお読みいただきたいところなれど、著作権の問題がありますから底本や用字に関する打ち明け話を二段落ばかり。

 乱歩は晩年、生前最後の全集となった桃源社版で大人向き全作品を校訂しており、その前に出ていた春陽堂版全集に基づく春陽文庫版以外、没後刊行の全集、文庫などは大半がこの桃源社版を底本にしている。ところが乱歩には、学究的なきちょうめんさと、大衆作家らしい大ざっぱさが同居しており、桃源社版全集にもその二面性が出ている。「孤島の鬼」のように、校訂によってさらに風味が増した長編傑作もあるが、むしろ改悪になっている作品も多いのではないか。たとえば「黒蜥蜴」を本文では「黒トカゲ」と改めてしまうような感覚には賛成しがたい。

 そこで光文社文庫版全集では、「黒蜥蜴」をはじめ戦前作品は、新字新かな遣いに改めるものの戦前のテキストに従う方針をとった(さらに短編「蟲」のように文字の視覚的効果まで考慮されている場合には、新字の「虫」とせず旧字を用いた)。少年ものも戦前に発表された四作については、たとえば第二作「少年探偵団」で気球で逃げた二十面相を追跡するのに戦後版ではヘリコプターが出動しているが、戦前日本にはなかったものなので、もとどおり普通の飛行機に戻した。乱歩いま在れど、小林少年の伝書バトを携帯電話に書き換えはしないだろう。

 さるにても、この文章を拝読するだけで監修作業のたいへんさが如実にしのばれ(なにしろ同じ作品を少なくとも三回、多いときには五回六回と読まなければならず、異本照合のために作品を朗読することもしばしばであったとのことです。いやはや)、新保さんにも山前さんにも、それからついでにといってはあれなんですが註釈を担当された平山雄一さんにも、あらためて深甚なる敬意と謝意を表しておきたいと思います。


 ■ 4月13日(木)
ドンパチプロジェクトX

 おかしい。どうもおかしい。中田三男さんからその後ご連絡がいただけないではありませんか。これはいったいどうしたことか。中田三男さん、お忙しいのでしょうか。それとも私のほうに何かしらの問題があって、中田三男さんのご勘気をこうむっているということなのでしょうか。

中田 三男   2006年 4月10日(月) 17時21分  [219.54.8.81]

雨風便りをひとつ。某市立図書館には、お二人の嘱託員がおられたとか。お一人は言うまでもなく。もうお一方は郷土資料担当だったとのこと。本年度からの嘱託定員数は1名・・・迷わず、郷土資料担当嘱託員が消されたというのは、おもしろいおはなし。嘘でも本当でもどうでもいいが。

 中田三男さんのこの短い投稿から、私は読みとるべきすべてのことを読みとりました。私はなんてったって公立図書館で嘱託を務めているくらいの人間なんですから、そこら歩いてる牛や馬なんかよりよほど読解力に恵まれております。そんな私がこの投稿から鋭く読みとった最大のメッセージは何であったか。

 ──蹶起セヨ。

 これどす。これでおます。これ以外にどんなメッセージが読みとれるというのでしょう。だからこそ私は、「地域社会のことからは一歩も二歩も身を引いて生きてゆこうなどと情けないことを考えていた」自分を反省し、「名張市立図書館嘱託という立場にある人間として、やるべきことはやはりやっておかなければなりません」と決意を新たにし、ヒロポンこそ服用しておりませんけれどあっちこっち命がけのドンパチにこの身を挺するほぞを固めたっていうのにさ。中田三男さーん、どこ行っちゃったんですかあー。

 ここで整理をしておきましょう。中田三男さんの投稿は名張市立図書館の嘱託が減員されたという事実を伝えるもので、しかしそれじたいはじつに些細な事実であるというしかありません。減員の理由はもとより財政難、つまり名張市立図書館の郷土資料担当嘱託はあっさりリストラされてしまったというわけです。ただそれだけの話ではあるのですが、このリストラ劇は名張市立図書館が迎えようとしている危機を端的に物語るものでもあり、そんな事態に直面しているというのに何が文体か何が自己愛か、太平楽なことばっかほざいてんじゃねーぞこのすっとこどっこい、というお腹立ちが中田三男さんの投稿には澱のように沈んでいると見えました。

 名張市の財政難はいまにはじまったことではありません。名張市のみならず全国の地方自治体が同様の財政事情で苦しんでいるのもまたたしかなことなのですが、名張市個別の事情としては前名張市長がいいだけ見栄をはって税金いいようにつかいまくってくれたのが痛かった、おかげで名張市はすっからかんのからっけつ、たとえば私にしたところで江戸川乱歩リファレンスブックの内容をネット上で公開することを提案し、そのたんびにお金がないからと却下されてきたわけなんですから、財政難なんて珍しくもなんともねーや、むしろなれっこいじめっこ、いまさら図書館嘱託がリストラされたからって驚いてやるもんか、と思ってしまうまで鈍感になっていたというのがいつわらざるところであったのですが、そんな私におまえはそこまで堕落してしまったのかと憐れみのこもった叱咤大喝を与えてくださったのが中田三男さんの投稿でした。

 中田三男さんは「嘘でも本当でもどうでもいいが」とミスティフィケーションかましていらっしゃいますけども、もちろん中田三男さんの投稿には「嘘」ならぬ「本当」が記されており(とはいえ、図書館嘱託を減員するにあたって「迷わず、郷土資料担当嘱託員が消された」というのが真実かどうか、そんなことまで私にはわかりません。私にはあくまでも減員に関する検討の結果のみが伝えられただけでした)、だとすれば「どうでもいい」という文言もけっして額面どおりに受けとるべきではないでしょう。この言葉の裏に秘められたメッセージをこそ、私は感得しなければならぬでしょう。それがすなわち、

 ──蹶起セヨ。

 というメッセージです。

 ──了解。

 と私は返事をしました。よーし。君と世界の闘いでは世界に支援せよ、か。ドンパチ上等。うすらばかども覚悟しておけ。かっかっか。みたいな感じでせっかくほぞを固めたっていうのにさ。中田三男さんほんとにどこ行っちゃったんですかあー。

 いやまいったな。しかしこうなったらいたしかたありません。しばらくは中田三男さんからのご連絡をお待ちすることにして、ここで蹶起の手順を確認しておきます。きのうも記しましたそのとおり、ドンパチ第一陣はやっぱりここを舞台にしたいと思います。

 名張市役所のオフィシャルサイトです。ドンパチプロジェクトのXはここで展開いたしましょう。

 それにしても中田三男さーん、いったいどうしちゃったんですかあー。

  本日のアップデート

 ▼1947年10月

 主催者の言葉 江戸川乱歩

 昭和22年10月21日火曜日、東京は有楽町の毎日ホールで催された「物故探偵作家慰霊祭 講演と探偵劇の会」のプログラムに掲載されました。主催は探偵作家クラブ。主催者代表として乱歩が開催の趣旨などを説いています。

 明治期飜訳時代の黒岩涙香等は別として、大正末期日本探偵小説の発足以来二十四年、その間に我々は多くの僚友を失つてゐる。昭和四年病歿された小酒井不木氏から最近の大阪圭吉君まで、主なる作家だけでも上欄に記した十二人を数へる。その中には戦争の犠牲者も数名ある。

 戦後推理小説復興の機運を見るにつけても、これら有力な諸作家を失つたことは推理小説界のため、又友情に於て、遺憾この上もないことであつた。これらの物故僚友の霊を慰めるため何かの催しをしたいといふことは、以前から我々の懸案となつてゐたが、今その念願を果す時が来た。

 慰霊祭の主役というべき「上欄に記した十二人」は、探偵小説ファンにはいまさらご紹介の要もないことながら、念のために記しておきますと、小酒井不木、渡辺温、平林初之輔、牧逸馬、浜尾四郎、夢野久作、蘭郁二郎、甲賀三郎、田中早苗、井上良夫、小栗虫太郎、大阪圭吉、ということになります。

 それから、「大正末期日本探偵小説の発足以来二十四年」とありますところ、「二十四年」は「二十余年」の誤植ではないかとお疑いの向きもおありかもしれませんが、乱歩はやはりこのとおり「二十四年」と原稿に書きつけたのではないでしょうか。

 昭和22年すなわち西暦1947年から24年を引き算すると1923年すなわち大正12年、つまりは乱歩デビューの年となります。自身の世に出た年がそのまま日本探偵小説発足の年であると、乱歩はそのように考えていたのだと推測されます。いやたいしたものです。


 ■ 4月14日(金)
図書館の壊死を予測する

 うーん。中田三男さんからはまだ音沙汰がありません。いったいどうなさったのかしらと案じつつ、プロジェクトの話を進めましょう。

 そもそも私は、名張市役所という名のヒエラルキーにおいてどんな権限も有してはおりません。見事に無力です。したがいまして名張市立図書館の職員配置にも容喙なんてできる道理がなく、それどころか私自身、とりあえず半年間勤務して、その勤務期間の終わりころになって図書館側からまた半年お願いしますと伝えられ、はあはあ、あと半年クビがつながったのかと胸をなでおろす、いや胸をなでおろすといってしまってはいささかオーバーですけれど、とにかくそんなあんばい、じつに不安定な雇用状況であって、フランスならばまずまちがいなく暴動ものでしょう。

 ですから私には、中田三男さんの投稿を受けて眼前の現実に直接的にコミットし、名張市立図書館が迎えようとしている危機を未然に回避するような真似はとても不可能です。せいぜいが図書館長に自分の主張見解を伝えてみる程度のことで、しかしそうしてみたところで何かがどうにかなるという保証はどこにもありません。いやいやどうにもなるものか、という諦念が先に立ってしまう始末です。しかし、名張市立図書館から郷土資料担当嘱託が消えてしまったという眼前の事実にもとづいて遠くない将来を予測することならば、私にだって充分に可能です。そしてその予測を自身のサイトで発表することもまたしかり。

 ですからそれを試みましょう。このままの状態で推移すれば、名張市立図書館の未来に想定されるのは郷土資料の死です。郷土資料室の郷土資料がなしくずしに死んでしまう。そんな将来が予測されます。それはもとより図書館の死でもあり、いやいや、図書館の死といってしまってはこれもまたオーバーに過ぎましょうけれど、公立図書館が担っている重要な役目のひとつが機能不全に陥ってしまうことは火を見るよりも明らか、いうならば図書館の壊死という現実にやがて立ち至ってしまうであろうことは容易に想像されるところです。

 てめーら図書館殺す気かよ、と私は名張市役所でぼんやり職務についていらっしゃるみなさんにお訊きしてみたいわけなのですが、はたして名張市の職員のなかに、中田三男さんのごとく職員配置のごくささやかな異変からやがて訪れるであろう重大な危機を敏感に察知し、私が開設している掲示板への投稿というかたちで警鐘をうち鳴らせるような明敏さをそなえた人材がどれくらいいるというのであろうか。私はなんとも悲観的にならざるを得ません。だって名張市の職員のみなさんと来た日には……

 いやいや、そんな弱気なこといってたら中田三男さんから叱られてしまうことでしょう。よろしい。ここはひとつ名張市職員のみなさんのために、名張市立図書館が迎えつつある危機のことをわかりやすくご説明申しあげることにいたしましょう。いくらばかだといったって、名張市役所の職員のみなさんはいちおう試験をパスして職員におなりになったはずですから(コネでお入りになった方の場合はよくわかりませんけれど)、最低限の読み書きくらいはおできになることでしょう。私があしたこの伝言板に記すところをよくお読みください。ご同僚にもその旨お伝えいただければ幸甚です。

 しかしこうなると、上に掲げました名張市オフィシャルサイトを舞台としたプロジェクトXの話題が足踏みしたままになってしまうわけなのですが、要するにこのサイトあてにメールを送信し、名張まちなか再生プラン担当セクションのボスでいらっしゃる建設部長との面談を要請する、部長さんからOKが出る、名張市役所を訪れる、部長さんからいろいろお話をうかがう、こととしだいによっては部長さんを叱り飛ばす、そのゆくたてをこの伝言板で発表する、といったところがプロジェクトXの一連の流れとなります。プロジェクトYでは三重大学、プロジェクトZでは名張商工会議所青年部がメインステージとなるわけですが、そのあたりのお話はいずれまたおいおい、ということでお願いいたします。

 それにしても中田三男さんには名張市立図書館が迎えようとしている危機のことで種々ご心配をおかけしておりまして、あらためてお礼を申しあげる次第です。中田三男さーん、どうもありがとー。お元気ですかあー。

  本日のアップデート

 ▼2005年1月

 12 越路君の証言──一九五六〜七 田村隆一

 詩の森文庫という新書サイズのシリーズの一冊『自伝からはじまる70章』に収録されました。月刊誌「エグゼクティブ」に連載されたエッセイをまとめたもので、著者の死によって終わるまで連載は七十回におよんだといいます。

 七十か月といえば六年近くということになりますが、詩人の晩年にこの連載の原稿料が毎月ちゃんちゃんもたらされたと考えるとなんとなく心温まるような気もしてきますものの、やっぱ相当に食えない爺さんであったかと思わされるところも随所に散見され、この第十二章などまさにそれ。

 田村隆一らしいといえばいかにもそうなのですが、なんとこの章、生島治郎が自身の若いころを題材として「小説現代」に連載していた「浪漫疾風録」から、田村隆一が登場するシーンをまるっと引用して連載一回分にあてている荒武者ぶり。つまり他人の原稿を丸写しして原稿料を稼いだわけで、なんかもう、お見事ッ。

 描かれているのは早川書房勤務時代の田村隆一で、となると当然乱歩も出てきて、いまや伝説と化している連夜の豪遊、作中では越路という名前になっている新人編集者の生島治郎は、先輩編集者の田村隆一とともに乱歩のおともをして銀座へくりだします。

 『お染』を出て、さらに三軒ばかり梯子をするうちに、さすがの大人数(各社の編集者)も一人消え二人消え、終いには田村と越路だけになってしまった。

 「もう帰るよ」

 さすがに乱歩もくたびれた様子だった。

 「呑みすぎたようだ」

 「もう一軒行きましょう」

 と田村が乱歩の袖をひっぱった。

 「これぐらいなんです」

 乱歩は田村の手をふりきると、あわてて通りすがりのタクシイに乗った。タクシイが走りだすのをめがけて田村が怒鳴った。

 「乱歩、待てェ!」

 でもなんか変。やっぱ田村隆一自身の文章も引いておきたいところです。エッセイ集『ぼくのピクニック』(1988年4月20日、朝日新聞社発行)に収められた一篇からどうぞ。

金銭出納簿
 そのころぼくは大塚に住んでいた。池袋の江戸川先生のお宅へ、週に一度ぐらいお邪魔しては、ハヤカワ・ミステリの企画について強力なご教示を仰いだ。古風なお屋敷で、立教大学の馬場と隣接していた。先生の書斎は、奥の方にあって、ぼくは棟方志功の板画がかかっている八畳間で、先生がお出ましになるまで、塀越しの馬場の方に目をやって、女子学生が馬を乗りまわしているところを空想したりしていた。やがて、奥の方で大きな咳ばらいがし、途中の廊下にある厠に先生が入る音がきこえ、それからセカセカと海坊主のような先生が八畳間にご入来になる。たいてい、手には分厚い金銭出納簿があって、この出納簿こそ、先生が戦後読まれた英米探偵小説の傑作の宝庫なのである。たとえば、この出納簿には、つぎのように記入されている──「ウイリアム・アイリッシュ『幻の女』──昭和二十一年二月二十日読了、新らしき探偵小説現われたり。世界十傑に値す。直に訳すべし。不可解性、サスペンス、スリル、意外性、申分なし」

 そして、先生の金銭出納簿から、ジョセフィン・ティ『時の娘』、ニコラス・ブレイク『野獣死すべし』、カーター・ディクスン『ユダの窓』、ジュリアン・サイモンズ『二月三十一日』、レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』、エドワード・アタイヤ『細い線』、アガサ・クリスティー『予告殺人』などの第二次世界大戦後の傑作がとびだして、ハヤカワ・ポケット・ミステリの輝かしき支柱となったのである。

 昼間の乱歩先生は、探偵小説へのあくことのない情熱の権化、精力的な学究(その強靱な知力と鋭利な分析力)、そして先生の行動力は、戦後の本格的なミステリ・ブームの展開と持続、新しい時代の才能を鞭撻し、その開花を促進するのである。

 夜は、銀座と下谷で、先生はよくお遊びになった。じつにおおらかで、愉しかった。まさに文明人の「時間」だった。「夜の蝶」という言葉が流行しだした時代で、銀座はまだ大企業の社用族に独占されていなかった。下谷の料亭から大塚の安待合まで、ぼくは先生のお供をしてあるいた。深夜になるにつれて、若造の「お供」は調子に乗り出し、「殿様」は悲鳴をあげてタクシーで遁走する。そして、朝、先生は、分厚い金銭出納簿を持って、大きな咳払いをしながら、ぼくが待っている八畳間に、ご入来となる。


 ■ 4月15日(土)
中田三男さんの正体を推測する

 がーん。

 これはしたり。

 がーん。がーん。

 私はある恐ろしい可能性に気がついてしまいました。

 がーん。がーん。がーん。

 気がついたというよりは、その可能性にいままでどうして思い至らなかったのか、私にはそれが不思議です。

 がーん。がーん。がーん。がーん。

 掲示板「人外境だより」にわざわざ投稿してくださった中田三男さんのご正体、それをめぐる恐ろしい可能性に私はようやく思いあたりました。

 がーん。がーん。がーん。がーん。がーん。

 いつまでがんがんいっててもしかたありませんからとっとと話を進めますと、もしかしたら中田三男さんは名張市の職員でいらっしゃるのではないかしら。いまや私はそのように推測している次第です。うかつな話です。名張市という名のヒエラルキーにおける誰も気にとめないような人事配置を仔細に知ることができる人物、となるとまず頭に浮かんでくるべきは名張市職員にほかならないでしょう。しかし私の頭にはそれが浮かんできませんでした。昨日の伝言からもご理解いただけるであろうそのとおり、私は名張市の職員諸君のおつむの程度というやつを相当低く見積もっておりますから、中田三男さんのような明敏な方が名張市職員にいるはずがないと初手から決めつけてしまったもののようです。しかし冷静に判断してみるならば、中田三男さんが名張市職員であると考えるのがむしろ自然ではないでしょうか。

 おそるべし名張市役所。私の知らぬところに思いもよらぬ俊秀がひそんでいようとは。

 しかし中田三男さーん、大丈夫ですかあー。あなたいくら匿名とはいえ、私の掲示板に投稿なんかして、もしもそれがばれたらどんなことになるのかわかってんですかあー。名張市職員がひそかに私と通じて私の蹶起を使嗾していたなんてことがばれてしまってごらんなさーい。最低でも石抱きの刑ですよー。中田三男さーん、そんなことになってもいいんですかあー。

 中田三男さんの身がいよいよ案じられるきのうきょうですが、中田三男さんが名張市職員であるという可能性に思い至ったいまとなっては、中田三男さんのお志を無にはできぬとあらためてほぞを固めるしかありません。市職員として市立図書館の危機に命がけの警鐘を鳴らしてくださった中田三男さん、ほんとにどうもありがとう。あなたこそ名張市職員の鑑です。

 さて、中田三男さんをはじめとしたすべての名張市職員諸兄姉にお贈りする名張市立図書館危機講座ですが、あいにくと本日は時間がなくなってしまいましたのでまたあした。

  本日のアップデート

 ▼1958年12月

 貸本屋のための探偵小説解剖(3) 考葦生

 全国貸本組合連合会の「全国貸本新聞」十六号に掲載されました。貸本屋さんもいろいろと勉強していたようです。

 この翌年、すなわち昭和34年1月に発行された十七号では、貸本業界のお正月の成績は「期待を裏切って芳しくなかった」ことが報じられ、映画界の観客動員数が前年比一割減という事実も紹介しながら、その原因として「テレビの普及」「週刊誌の流行」「娯楽、行楽の激増」があげられるとの分析がなされています。

 「その四 日本探偵作家研究」から乱歩のパートを引きましょう。引用文中にゲタ(〓)で示した一行は製本したノドに近いためコピーできてなくて判読不能、あしからずご了承ください。

 現在貸本屋の本棚にあって、活躍している作家の中で重要なものの傾向を調べてみよう。

(1)江戸川乱歩

この作家は云はずもがな、大正期における偉大な新人であり、昭和前期における偉大なる大衆作家であり、そして戦后における偉大なる評論家である。

作品の大半には、おなじみ名探偵明智小五郎が登場しいつも髪の毛を長くのばし、服装にはかまわぬ方で、話をしたり考えたりするとき、髪の毛をモジヤモジヤひっかき廻す、といった風の天才探偵である。

◎D坂の殺人事件

◎心理試験

など初期の作品では見るものが多いが、長篇物では殆んど、異妖な雰囲気の中に、変態性慾的な人物を配し、エロ・グロの怪奇小説とでも言うべき作品が多く、世人に探偵小説を誤解させるものとして探偵文壇から非難の声があがった程である。

しかし、所謂大衆向きとして、貸本屋を利用する程の客であれば一度は読む本である。

◎蜘蛛男

◎魔術師

◎孤島の鬼

などが代表作、戦后は、

◎三角館の恐怖

◎化人幻戯

など本格物を創作したが、あまり評判にはならなかった様だ。それよりも現在は、雑誌宝石の〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓ダーとしての活躍、ひいては

◎幻影城(正・続)

などの評論、随筆に貴重なものがあろう。

 このあと横溝正史、高木彬光、島田一男が「現在の売れっ子」として紹介され、「ちょっと変った所」としてあげられているのが木々高太郎と香山滋です。

 「全国貸本新聞」のことは、貸本といえばこの方、『貸本小説』の末永昭二さんからご教示いただきました。5月には新しい著書を上梓される予定でいらっしゃるとも聞き及びます。期待してお待ちすることにいたしましょう。


 ■ 4月16日(日)
名張市職員のための図書館危機講座 上

 名張市役所のみなさん、さっそくはじめましょう。しかしきょうは日曜か。お休みなのにご苦労さまです。休みなんだからほっといてくれとおっしゃる方は、またあす月曜にでもお読みください。私のサイトを閲覧するのも名張市職員にとって重要な職務です。勤務時間中に堂々とお読みいただいても何らさしつかえはありません。

 さて、図書館の話です。公立図書館にはいくつかの役目がありますが、最大のものはさまざまな本を取りそろえて住民の閲覧に供することでしょう。しかしそれだけではありません。全国の公立図書館は、それぞれの地域に関係のある書籍や雑誌や新聞などの資料を収集し、管理し、住民のニーズに応えて閲覧に供するというサービスもつづけています。のみならず、地域のことを知りたい、調べたい、学びたい、と思って足を運んだ住民にさまざまなサービスを提供するのも図書館の役目です。

 名張に関して何かしら調べたいことがあって、あなたが名張市立図書館を訪れたと仮定してみましょう。あなたは郷土資料室に入り、開架にならべられた資料を丹念に見てゆく。しかしどんな本をひもとけば求める情報にたどりつけるのか、本の背を眺めているだけではなかなかわからない。そんなときには、図書館のスタッフに質問してみてください。あなたが必要としているであろう資料に見当をつけてはいこれですと指し示すことなど朝飯前、求めている知識や情報にどんなふうにアプローチすればいいのかという発想法のようなものまで、図書館のスタッフは的確にアドバイスしてくれることでしょう。

 そうしたアドバイスを適切に行うためには、それなりの知識と経験が必要です。図書館に集められた膨大な地域資料がすべてその人に集中し、その人をいわば媒体として知識や情報がよどみなく提供されてくる扇のかなめのようなエキスパート、そうした存在なくしては、せっかくの地域資料も充分には活用されず、ただ死蔵されているだけということにさえなりかねません。しかし残念ながら、お役所のシステムにおいてエキスパートを養成するのは至難のことです。職員たちはさまよえるユダヤ人のごとく、はたまた回遊するカジキマグロのごとく、あちらこちらの部署を経めぐりつづけて公務員生活を送ります。地域資料の専門家になるのはかなりの難事というべきでしょう。

 しかしながら、とくに名張市立図書館の場合、地域資料の専門家がより必要であることは論をまちません。なぜならば、名張市には関西圏から転居してきた、それゆえ名張のことをよくご存じない市民が少なからず存在しているからです。市民が地域のことを気軽に知ることができる場を提供するという意味において、地域資料の保管庫であり地域情報の発信基地である図書館の役目はより重要なものになってきます。いや、いやいや、いやいやいやいや、名張に転居してきた市民どころかあなた、名張に生まれ育った市民にしてからが名張の歴史をまるで知らないのはいったいどうしたことでしょうか。名張はからくりのまちであるだの名張はエジプトであるだのと気のふれたようなことを好きなだけいいつのるすっとこどっこい市民がでかい顔して幅を利かせているのはいったいどうしたことなのでしょうか。

 いや、いやいや、いやいやいやいや、そんなことはいまはどうでもよろしい。図書館のお話です。とにかく名張市立図書館には地域資料のエキスパートが必要なのであって、これまでは郷土資料担当嘱託というスタッフが配置され、一般職員ではカバーしきれない職務を担当しておりました。しかーし、中田三男さんが鋭くも指摘してくださったそのとおり、いまや名張市立図書館に郷土資料担当嘱託は存在しておりません。図書館の地域資料は扇のかなめを失ってしまいました。名張市職員のみなさん、これすなわち市立図書館の危機でなくて何だというのでしょうか。図書館の果たすべき重要な役目のひとつが機能不全に陥りつつあるわけです。まさに危機です。危機じゃ危機じゃモンパルナスじゃ。名張市立図書館がえらいことじゃというわけです。

  本日のアップデート

 ▼1962年6月

 不可能派の魅惑 江戸川乱歩

 「ヒッチコックマガジン」の昭和37年6月号に掲載された座談会「ディクスン・カーの魅力」に附載されました。出席者は横溝正史、中島河太郎、大内茂男の三人。横溝正史が、

 ──カーが売れれば、オレも売れるんだけどな。(笑)

 と歎じたことで知られる座談会です。

 この座談会には私も出席することになっていたのだが、当日になって急にからだの調子が悪く欠席してしまったので、ここに私の感想を書いて座談速記に添えることにした。

 私は終戦直後から四、五年のあいだ、むやみに英文の探偵小説を読んだが、その中で何を一番たくさん読んだかというと、クイーンよりも、クリスティーよりも、カーであった。インポシブル派で、アンリアルなカーの作風が、私の性格に合っていたからであろう。したがって、作家紹介の文章もカーについて最も多く書いている。その中で一番長く書いたのが「続幻影城」(早川書房版)にはいっている「カー問答」である。カーについてはこの随筆に語りつくしているので、結局くりかえしになるのだが、私が今いちばん言いたいのは、カーがチェスタトン型の作家だということである。

 ほんとに乱歩は終戦直後、渇をいやすがごとくにして英米の探偵小説をむさぼり読んでいます。『江戸川乱歩年譜集成』のために『探偵小説四十年』からデータを抜き書きしているとそのことがじつによくわかり、面白い発見もいろいろとあるのですが、そのあたりのご紹介はまたいずれ、ということにいたします。


 ■ 4月17日(月)
名張市職員のための図書館危機講座 中

 さて名張市役所のみなさん、ここで問題です。名張市立図書館に郷土資料と乱歩資料をそれぞれに担当するふたりの嘱託がいるとして、これをどうしてもひとりにしなければならない。みなさんはどちらの嘱託を残すべきだとお考えでしょうか。正解は、いうまでもなく郷土資料担当嘱託です。乱歩資料なんて名張市民の生活には直接関係がありませんし、名張市立図書館以外にだってたとえば立教大学にもごろごろしているわけなのですが、名張市の地域資料は名張市立図書館にしか収蔵されておらず、それが市民生活に密接なかかわりを有していることはいうまでもありません。貴重な地域資料を存分に活用するための郷土資料担当嘱託は、名張市にはどうしても必要な存在です。乱歩資料担当嘱託との二者択一を迫られれば、答えはおのずと明らかでしょう。だいたいが乱歩資料担当嘱託なんて私が初代なんですから、ポストとしてもずいぶんと後発なわけですし。

 もちろん乱歩資料担当嘱託である私といたしましては、唐突にクビをいいわたされたりなんかした日には激怒するしかありません。だいたいが私は名張市教育委員会にだまされたという気がしている。詐欺にあったような気がしている。名張市立図書館が乱歩に関して何をしたらいいのかわからないからと三顧の礼で嘱託に迎えられ、こちらとしては犠牲にできるものをすべて犠牲にして身を粉にした滅私奉公、こんなことをすればいいんですよと江戸川乱歩リファレンスブック全三巻(補巻一巻追加予定)をつくって乱歩を愛するすべての人にサービスを提供するための方向性を具体的に指し示し、こういう時代ですからインターネットも活用してはいかがでしょうかと提案したにもかかわらずただ予算がないからという理由であっさり蹴りやがったのはどこのどいつだ、そんなこともできないのなら図書館の乱歩コーナーなんか閉鎖して乱歩からいっさい手を引いてしまえと提案してみればいやそれはもごもごもごと口ごもるしかない低能はどこのどいつだ、みたいな怒り憤りは私の胸中深く燠のごとくに燃えているわけなんですから、これ以上理不尽なことがあったら私はたぶん手がつけられぬくらいに激怒してしまうことでしょう。名張市職員のみなさんは存分に注意するように。

 さて、ばかのみなさん。日々のお仕事ご苦労さまです。みなさんもお仕事を通じてお気づきのことでしょうが、名張市という地域社会における地域資料の大切さ、それを活用することの重要性はここへ来ていよいよ深く認識されております。認識していらっしゃらない方もおありかもしれませんからわかりやすくご説明申しあげましょう。

 みなさんは官と民との協働とおっしゃる。あるいは住民主体の地域づくりとおっしゃる。結構なことだと思います。お役所まかせのおまかせ民主主義から、地域社会のために地域住民みずからが汗を流す真の民主主義へ。名張市の地域づくりは名張市民自身の手で進めましょう。ほんとに結構なことだと思います。しかしそのためにはいくつか大きな前提があって、そのひとつは住民が地域社会に愛着を抱いているということです。自分の住んでいる土地は自分にとってかけがえのない大切な土地であるという住民自身の愛着がなかりせば、みずから進んで地域づくりに汗を流そうという発想なんてけっして生まれてはこないでしょう。私はそのように考えます。

 地域社会を大切なものと見なす感情は人の内面におのずと生まれてくるはずのものですから、強制的に押しつけようとしたところで意味も効果もないことでしょう。たとえば当節話題の教育基本法改正論議にはみなさんも公務員として当然興味をおもちのことでしょうけれど、あの論議がどうにもうさんくさく思われますのは、愛国心であろうが祖国愛であろうが郷土愛であろうが、あるいはナショナリズムであろうがパトリオティズムであろうが、おのずから生まれてくるべき原初的感情をあたかも鯛焼きのごとく鋳型をつくって無理やり生じさせようとしているからではないかと私には思われます。

 私の見るところ、こういったたぐいの原初的感情に関しては古代的アプローチが有効なのかもしれません。古事記下巻允恭天皇条に記された軽太子と軽大郎女のエピソード、三島由紀夫がそれにもとづいて「軽王子と衣通姫」を書いた禁断の悲恋のエピソードですけれど、そこには軽太子のこんな歌が記録されていて参考になります。

 ──隠り国の 泊瀬の河の 上つ瀬に 斎杙を打ち 下つ瀬に 真杙を打ち 斎杙には 鏡を懸け 真杙には 真玉を懸け 真玉如す 吾が思ふ妹 鏡如す 吾が思ふ妻 ありと言はばこそに 家にも行かめ 国をも偲はめ

 石川淳の「新釈古事記」に見られる現代語訳をば。

 ──泊瀬の川の、上の瀬に祓の杙を打ち、下の瀬にもきよめの杙を打ち、かなたの杙には鏡をかけ、こなたの杙には玉をかけ、その玉のごときわが思う妹よ、その鏡にも似たるわが思う妻よ、そなたがそこに在りといえばこそ、家にも行きたく、国をしのびもしよう。ここに、そなたをまぢかに見るうえは、なにしに家国をしたおうぞと、おもいきったる歌。 

 結局のところ家だの国だのなんて(軽太子のいう国というのはむろん伊賀の国や大和の国などという場合の国であって、日本という国家のことではありません。国家を示す国なんて言葉はごくごく後発、たかが近代の産物でしかなく、愛国心や祖国愛なんて言葉がうさんくさいのはそのあたりにも理由がありそうです)、人間にとって二次的なものでしかないということでしょう。愛する人間がそこにいるならば、その土地もまた慕わしい。あなたのお知り合いがどこか遠くの土地にお住まいで、それでもときおり名張のことを思い起こし、懐かしく慕わしくしのんでくれていらっしゃるのだとしたら、それは名張という土地にあなたが住んでいらっしゃるからにほかなりません。あなたのいない名張になんて行きたくもない、とその方は思っていらっしゃることでしょう。

 ですから名張という土地があなたにとってほんとに大切な土地であるためには、あなたにとってかけがえのない人が名張に住んでいることが必要となります。しかしそれはあなたご自身の問題であって、そんなことまで名張市立図書館は面倒をよう見ません。けれどもあなたが名張という地域のことをよく知りたいとおっしゃるのであれば、そのお手伝いは市立図書館がしっかりきちんと果たさねばなりません。話が横道にそれているように見えるかもしれませんがさにあらず。愛国心や祖国愛を押しつけるのと同様に郷土愛を押しつけることもまたいいだけ愚劣なことであるのだが、住民主体の地域づくりをというのであれば住民が自身の住んでいる土地へのおのずからな愛着を芽生えさせることがその前提となるのは論をまたぬ。そのために何より重要な施設は図書館である。図書館の地域資料こそは重要な資産である。名張市立図書館は市民がその気になればいくらでも名張のことを知ることができる場でなければならぬのである。

 ところがどうしたことでしょう。あーん。名張市立図書館からは郷土資料担当嘱託が姿を消し、お役所の縦割り感覚でいえば図書館とは直接関係のないことなれど、最新のデータにもとづいて名張の歴史をくわしく記した名張市史の刊行が遅延しているというではないか。しかのみならず、そのいっぽうでは歴史のれの字も乱歩のらの字も知らぬうすらばかどもがろくな歴史資料もないというのに名張のまちに歴史資料館とやらをつくろうとしておるのである。いったいどうなっておるのか。あーん。

  本日のアップデート

 ▼2005年2月

 透明怪人 江戸川乱歩

 ポプラ社の「文庫版・少年探偵」第七巻。平井隆太郎先生の解説から引きます。

解説 理屈に合った「不思議な話」
 今から八十年以上前の大正二(一九一三)年のころ、父は「帝国少年新聞」という少年むけの新聞を計画しました。父は大学にはいったばかりで十八歳でした。新聞といっても毎月三回出すだけのものでしたが、お金が不足で宣伝のパンフレットを出しただけで失敗におわりました。そのパンフに内容の案内が出ています。それには学術談話、少年小説などの予告があります。

 学術談話は「宇宙天体の研究から動植物の観察にいたるまでをとりあつかった」ものだとあります。父は数学などは不得手だったようですが、自然科学には晩年まで興味をもっていました。科学的な理屈に合わないことは大きらいでした。いまでも昔あつめた科学雑誌のバックナンバーを製本したものが蔵書のなかに残っています。オウム真理教のいうような、人間が空中に浮かぶといったインチキなど、父が生きていたらまっさきに否定していたでしょう。

 また、少年小説のほうは「希望」という題名で「希望に向かってつきすすむ少年が或は悪者につかまり或は化物屋敷に生活しあるいは空中の人となりあるときは地下の人となる」千変万化の小説と解説してありました。もちろん計画だけでしたが、なんとなく『透明怪人』の小林少年たちに似ていますね。

 父はたくさんの少年推理小説をのこしましたが、おおもとは大学生のころにできあがっていたようです。そのころ、知りあいの代議士さんに頼まれて親戚の子どもさんの家庭教師のアルバイトをしていましたが、小さい子どもさんたちだったので、お伽話を自分でつくって聞かせたと言っていました。おそらく『透明怪人』やそのほかの小説のような物語もあったのでしょうね。


 ■ 4月18日(火)
名張市職員のための図書館危機講座 休

 中田三男さんからはあいかわらずご連絡をいただけません。いかがお過ごしなのでしょうか。名張市の将来を心から案じていらっしゃる憂国ならぬ憂市の士、中田三男さんの叱咤鞭撻を天啓のごときものと受けとめてお届けしております連続講座、どのようなことがあろうと中田三男さんのお志だけは無にできぬと固い決意のもとに本日も綴りたいところなのですが、きょうはお休みということでご勘弁ください。

 2005年度一年間だけのつもりで引きうけました三重県立名張高等学校の非常勤講師、なぜか今年もあいつとめる仕儀となりました。きょうが最初の授業です。にもかかわらず授業の準備がまだ終わってはおらず、どうしてもっと早めにすませておかなかったのかとこうした場合にいつも感じる腹立たしさを抑えつつお別れいたします。ではまたあした。

  本日のアップデート

 ▼2004年7月

 オリエント急行十五時四十分の謎 松尾由美

 創元推理文庫『バルーン・タウンの手品師』に収録されました。

 大学のミステリー研究会に籍をおいていた友永さよりは、特に江戸川乱歩の愛読者というわけではなかったが、有名ないくつかの作品については自分で読んだり、友達から話を聞いたりしていた。壁や天井に乳房だのお尻だのを埋めこんだ部屋については、たしか人から聞かされたはず。にもかかわらずそのイメージは脳裏に生々しく刻まれていたのだが──

 今現在、通路の入口寄りの端で、黒く塗られた手づくりの壁からはみ出してライトに照らされているのは、なまめかしい乳房ではなかった。妊婦のお腹だったのである。壁に楕円形に開いた穴を埋め、こちらに向かって盛りあがっている。

 宮澤善永さんから掲示板「人外境だより」でご教示いただきました。引用文も宮澤さんのご投稿をそのまま流用いたしました。お礼を申しあげます。


 ■ 4月19日(水)
名張市職員のための図書館危機講座 下

 昨日はおかげさまで三重県立名張高等学校におけるマスコミ論の最初の授業、「メディアリテラシーとは何か?」と題して無事に終えることができました。今年の受講生は八人で、女子高生率はなんと75%。去年はちょうど50%でしたから、わがクラスの女子高生率は大幅なアップです。天にものぼる気分で快調に飛ばしてまいりました。これから一年、あまりでれでれすることなく先生稼業にも精を出したいと思います。

 考えてみれば名張高校での授業のほかにも、私には単発的に依頼を受けてあちらこちらでおはなしをする機会というのがあります。昨年など四百万年にわたる名張の歴史を二十分ほどで概説するという無謀な試みにチャレンジし、伊賀盆地に古琵琶湖が形成された地質時代から桔梗が丘ニュータウンの入居が始まった1965年までをたたたたたーっとたどろうとしたのですけれど、さすがに無謀すぎて頓挫しました。

 このときのお客さんは乱歩の父親の大学の後輩でありつつ名張市民でもいらっしゃるというみなさんだったのですが、

 「みなさんは乱歩が生まれた名張のまちの市民であると同時に、乱歩の父親が出た大学の後輩でもあるわけですから、江戸川乱歩という作家と二重の縁で結ばれていることになります。それがどないしてんといわれてしまえばそれまでの話ではあるのですが、最近はこうした些末な知識をトリビアと称して珍重する向きもあるようですから、きょうはぜひそのことを憶えて帰ってください」

 などと結局は何がなんだかじつにとりとめのない内容になってしまったのですけれど、お座敷がかかれば拙いおはなしのひとつふたつ、いやみっつでもよっつでも未熟を承知で高座をあいつとめることにしておりますのも、やはり職業倫理にもとづいた行為であるということになると思います名張市役所のみなさん。

 むろん私は厳密にいえば名張市立図書館において乱歩資料を担当する嘱託なのですが、名張市民のみなさんに乱歩のことを知ってもらいたいなどとは全然考えておりません。げんに一般的な名張市民は乱歩のことをほとんどご存じないというのが私の印象で、それはそれで全然OK、たとえばきのうも名張高校の教室で乱歩のことをおはなししておりましたところ、

 「えーッ。江戸川乱歩って人の名前やったんんんッ?」

 などと驚いている生徒がいる。「乱歩ってゆう名前、なんか変」とかいう声もあがりましたので、私はホワイトボードに、

 ──Edgar Allan Poe

 と大書し、その下に「エドガー・アラン・ポー」と書き添えて、アメリカにこんな名前の作家がいたのだということを説明してから、

 「はいこの名前、早口で十回ゆうてみ。ちゃんと江戸川乱歩になりますから」

 すると女子高生というのはじつにどうも汚れなく純真なものでして、一回二回と折ってゆく指先を真剣なまなざしで見つめながら、

 「エドガーアランポー、エドガーアランポー、エドガーアランポー、えどがーあらんぽー、えどがーあらんぽー、えどがーあらんぽー、えどがあらんぽ、えどがあらんぽ、えどがわらんぽ、江戸川乱歩。あ。ほんまや」

 と驚きまじりに得心しておりました。「なんや、パクリやん」「きゃはは。パクリやパクリや」「きゃはは」という歓声もあがったのですけれど、それはまあ、パクリといえばパクリであろう。

 閑話休題。とにかく名張市民が乱歩に親しもうが親しむまいがそんなことは市民の勝手で個人の自由、名張市立図書館が容喙すべきことではまったくありません。名張市立図書館がなすべきなのは乱歩作品を読みたい乱歩のことを知りたいという市民が乱歩作品に気軽に接したり乱歩に関する知識を好きなだけ身につけたりすることのできる環境を提供することであり、もしも名張市民をして無理やり乱歩作品に親しませるなんてことをいいだしたとしたら、そんなものは愛国心だの祖国愛だの郷土愛だのを人に押しつけようとする自民党や公明党のばか連中とおんなじではないか。いいかげんにしろばか。

 いやまあばかの話はどうだっていいのですけれど、なんだかおととい記したところと同じようなことをきょうもまた記してしまいましたので、名張市職員のための図書館危機講座、予定していた上中下の三回では終わらなくなってしまいました。やれやれ。

  本日のアップデート

 ▼1970年10月

 マイナス・ゼロ 広瀬正

 この小説のこともきのうの小説とおなじく宮澤善永さんから、それはもうずーっとずーっと気が遠くなるほど以前に教えていただいていたのですが、記載するのはいまごろになってしまいました。

 広瀬正というのはいまや忘れられた作家のひとりなのでしょうか。1972年に四十七歳で急逝し、「タイムマシン搭乗者 広瀬正」と記した紙が貼られた棺で旅立った作家の処女長篇が「マイナス・ゼロ」です。内容なんてすっかり忘れていますからネット上の情報にもとづいてストーリーを記しますと、主人公の浜田俊夫はタイムマシンに乗って昭和38年から昭和9年に向かったのですが、着いたところはなぜか昭和7年でした。タイムマシンはもとの世界に戻ってしまい、俊夫はしかたなく昭和7年の東京で暮らすことになります。

 そして、その年の十二月──

 だが、年末が近いので、今年中はもう公休はないということだった。そこで、俊夫は十五日に、レイ子を新橋演舞場へつれて行った。市川小太夫の新興座の公演で、その日が初日だったが、出し物の中に、江戸川乱歩原作の「陰獣」があったのである。

 二世市川猿之助の末弟市川小太夫は、元の世界でもテレビなどで活躍しているが、このときはまだ二十代、保守的な歌舞伎の世界を飛び出して新興座という劇団を結成し、活躍していた。小太夫はまた大の探偵小説好きで、去年も、江戸川乱歩の「黒手組」を小納戸容のペンネームで、みずから脚色し、上演した。それが評判がよかったので、今回は、乱歩の作品の中でも一番本格物といわれる「陰獣」にいどんだのだった。

 出し物はほかにも三つあったが、レイ子のあすの仕事を考え、「陰獣」が終わったところで演舞場を出て、アパートへ送って行くことにした。彼の車はフェートンだから、風通しがよく、レイ子には厚いショールやマスクで厳重な防寒服装をさせてあった。

 「なかなか、よかったね」と俊夫はハンドルを握りながら、批評を試みた。「あの小山田夫人になった俳優なんか、エロ味たっぷりだ」

 梅野井秀男という新派女形のことだった。ひどく女性的な男で、男性とのうわさが絶えず、これも「陰獣」の人気の一つになっていた。

 「そうね」

 レイ子は、マスクの下からもぐもぐと答えた。彼女は、女性的男性には、あまり興味はないらしかった。

 「演出も意欲的だ。浅草や何かの実写の映画を映して組み合わせたりして」

 「あたしね」レイ子はマスクをずらせて、はっきりした声を出した。「それより、いまのお芝居見ていて、へんなことに気がついたの」

 「へんな?」

 「最後の場面で、女主人公の静子が、じつは大江春泥であることが発覚するでしょう。あすこを見ていたら、急にハッと気がついたの」

 引用の底本は1977年3月15日に河出書房新社から出た『マイナス・ゼロ』。「広瀬正・小説全集」の第一巻です。当時の私は全集を全巻きれいに揃えるなんてスノビズムの極みであると固く信じておりまして、完結した全集などワンセットももっておりませんでした。しかしこの全集は、たまたま買った一巻目の「マイナス・ゼロ」が無類に面白く、和田誠さんを装幀に起用した瀟洒な造本も好ましいものでしたから、毎月の配本を待ちかねるようにして全巻購入したものでした。それにしては、内容をすっかり忘れはててしまっているのがわれながら情けのうございます。


 ■ 4月20日(木)
名張市職員のための図書館危機講座 続

 さて名張市役所のみなさん、そういった次第で、私は名張市民に乱歩のことを知ってもらいたいとはちっとも思わないのであるけれど、地元名張のことはもう少しよく知ってもらいたいものだと考えている。とくにいわゆるニューカマーのみなさんに名張のことを知っていただくための手だてを講じるのは、やや大袈裟にいうならば行政の責務ですらあると考えている。なぜか。名張市役所のみなさんが近年よく口にされる協働だの地域住民による地域づくりだのは地域への愛着を前提とするものであり、その愛着は認識という土壌にしか芽生えないものだからである。名張のことをろくに知らない人間が名張に愛着をもてるかどうか。もてるわけねーだろばーか、というのが私の考えである。だから私は、もとより人から頼まれてという範囲内のことでしかないのであるが、名張市民に名張の歴史を知ってもらうための活動をほそぼそとながらつづけているのである。郷土資料か乱歩資料か、そんなことにこだわるお役所名物の縦割り感覚などおまえに食わせるタンメン同様私にはないのである。

 ですからたとえば、とっくの昔にリンクは切れてますけど中日新聞オフィシャルサイトに掲載された2月11日付記事から引きましょう。

5作目は松明奉納 名張で角田さん夫妻が影絵劇上演
 名張市中町で「すみた酒店」を営む傍ら、店内で歴史影絵劇を披露している角田勝さん(62)、久子さん(56)夫妻が十一日から、新作「松明(たいまつ)奉納」の上演を始める。奈良・東大寺二月堂の「お水取り」にたいまつを寄進する同市赤目町一ノ井の伝統行事・松明奉納を影絵劇で紹介する。 (伊東 浩一)

 歴史影絵劇は、夫妻が郷土の歴史を多くの人に分かりやすく伝えようと一昨年から始めた。市立図書館嘱託職員の中相作さんに脚本を依頼し、同市上本町の画家小野悦子さん(72)の指導で、久子さんが人形を手作りして、これまでに四作を上演してきた。

 五作目の松明奉納は、一ノ井に約七百五十年前から伝わる行事。東大寺の僧侶聖玄が鎌倉時代、「お水取り」のたいまつの費用を賄うため、一ノ井に所有していた水田を東大寺に提供したのが起源とされる。

 ね。市立図書館嘱託職員である私が市民の依頼を受け、地域の歴史を市民にわかりやすく伝えるための活動に挺身しているわけです。名張挺身隊とでも呼ぶべきか。しかしこんなささやかなお務めなんてすぐに吹っ飛んでしまいます。なぜかというと吹っ飛ばす方向に名張市が進んでいるからです。何度も同じこと書いててまるでばかみたいなんですけど、つい先日の17日付伝言から引きますと、

 ──あーん。名張市立図書館からは郷土資料担当嘱託が姿を消し、お役所の縦割り感覚でいえば図書館とは直接関係のないことなれど、最新のデータにもとづいて名張の歴史をくわしく記した名張市史の刊行が遅延しているというではないか。しかのみならず、そのいっぽうでは歴史のれの字も乱歩のらの字も知らぬうすらばかどもがろくな歴史資料もないというのに名張のまちに歴史資料館とやらをつくろうとしておるのである。いったいどうなっておるのか。あーん。

 つまるところ名張市役所のみなさん、名張市立図書館は危機を迎えているというわけです。おわかりいただけているのでしょうか。

  本日のアップデート

 ▼2006年4月

 横溝正史の書斎、山梨市に寄贈へ 西村悠輔

 朝日新聞のオフィシャルサイトに掲載された記事です。「江戸川乱歩が1941年に送ったとされる額入りの書簡」の写真も見ることができます。

 東京都世田谷区にある横溝邸の書斎が、正史とはまったく縁のない山梨市に移築されることになりました。書斎は老朽化が進み、ために解体処分される話が出ていたらしいのですが、古書店三茶書房を営む幡野武夫さんが待ったをおかけになり、幡野さんの郷里である山梨市に働きかけて移築が決定したといいます。

横溝正史の書斎、山梨市に寄贈へ
 名探偵金田一耕助が活躍する「八つ墓村」「犬神家の一族」などの著作で知られる推理小説家、横溝正史(1902〜81年)が晩年まで書斎として使った都内の家屋が山梨市に寄贈されることになった。移築のため、来月にも解体が始まる。愛用の座卓のほか、兄貴分と慕った江戸川乱歩直筆の書簡なども贈られる。(西村悠輔)

 正史の書斎がすんでのところで命脈を保ったのは喜ぶべきことでありましょうけれど、なんでもいいのか、と私は思わないでもありません。著名人のお宝なら土地にゆかりのないものでも何でもありがたく頂戴するのか、と思ったりいたします。

 もしも私が山梨市民であったなら、行政当局に対しててめーら乞食かきちがいか、何の関係もない作家の書斎を移築して何がうれしい、筋が通らぬ道理が立たぬ、そんなことに税金つかって何を喜んでおるのかこのうすらばかども、と異議申し立てのひとつもぶちかましているのではないでしょうか。

 山梨市の中村照人市長は「横溝正史は全国にファンも多い作家。将来は市内各地でミステリーツアーなどを企画できれば面白い」とおっしゃっているそうなのですが、まずろくなことはできんであろうなと、はばかりながらその道では先輩の自治体、前市長が「江戸川乱歩にちなんだまちおこしを」などと気恥ずかしいこと口走っていたらしい名張市からアドバイスしておきたいと思います。