2006年9月上旬
1日 夏休み古書通信 『喜多村緑郎日記』
2日 フロイト博士の影を追う 深層心理の猟人・水上呂理
3日 あぼーんの気配、糸冬了の予感 「蠢く触手」の影武者・岡戸武平
4日 遥けくも来ちゃったけれどどうなるの 錯覚のペインター・葛山二郎
5日 もうやめちゃったらどうよ、という結論 暗闇に灯ともす人・吉野賛十
6日 なぞがたりなばり講演会の謎 乱歩の才を継ぐ異端の人・平井蒼太
7日 さあみんな、たまにゃ頭もつかおうぜ 『不木・乱歩・私』
8日 シビアなのにゆるゆる 名張出身の江戸川乱歩にちなみ、ミステリー講演
9日 うわっつらシュニッツラー、意味不明 『おいらん』 伝・平井蒼太
10日 伊賀市のみなさんよろしくね 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集
 ■ 9月1日(金)
夏休み古書通信

 月が変わりました。9月です。にもかかわらずきのうにひきつづき夏休み中に届いた古書の話題。

  本日のアップデート

 ▼1962年5月

 『喜多村緑郎日記』 編=喜多村九寿子

 タイトルからも知られるとおり、新派に革新をもたらした名優の日記です。大正12年から昭和4年までを収録。一周忌を期して刊行されました。

 『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』に収録された村上裕徳さんの脚註で粉本としておおいに利用引用されておりましたので、そうかこれは読んでおかないとなとは思いましたものの、当時の私はインターネットを利用して古書を購入することなど思いもつかぬ人間でしたゆえに果たせず、先日ふと思いついて「日本の古本屋」で一冊お買いあげ。気になるお値段は二千五百円でした。

 乱歩との初対面が記された大正15年9月10日の日記から。

九月十日  晴。江戸川乱歩を訪ふ、会ふ、少時話す。痩せて神経質であるやうに思つた予想は裏切られて、肥つたまあ好い男だが、やゝむくんでゐるやうな血色の少し悪いやうに思はせられる。──徳永栄山を訪ふ不在。

 どうして乱歩を訪ねることになったのか、前後を読んでも残念ながらそのあたりの経緯は不明です。

 この日記にはじめて乱歩の名が登場するのは大正15年7月18日のこと。

 ──「半七捕物帳」と、乱歩の「心理試験」とを、かたみがはりに読む、両様の差が、ありありとみえておもしろい。

 とあるのがそれです。ことほどさように緑郎は探偵小説ファンであったらしく、大正14年7月14日には「この頃切りとホームスをよむ」(「切りと」は緑郎独特の用字で「しきりと」と読みます)とあり、昭和3年5月31日には、

 ──終日、読書に耽つた。新青年も、探偵小説で、ゆきづまつて来た。さうして、その一つで「精神分析」といふのが、とにかくいゝとおもつた。

 と記されているのもなかなか貴重な証言。これが当時の探偵小説ファンの忌憚ない感想であったのだとすれば、この年夏から秋にかけての「陰獣」は探偵小説のゆきづまりを打開する作品としてファンに受け容れられたということになるのかもしれません。

 「精神分析」というのは「新青年」6月号に掲載された水上呂理作品。この日記にもとづいて判断すれば探偵小説ファンには好評をもって迎えられたようで、これはフロイディズムの通俗的受容という観点からも重要な作品であると判断される次第なのですが、乱歩がこの小説を完全に黙殺しているのが不可解といえば不可解。

 本日は時間がありませんのでこのへんで。しっかし9月か、新学期か、まーた学校かよ。まあ面白いからいいけど。


 ■ 9月2日(土)
フロイト博士の影を追う

 きのうのつづきとなります。水上呂理の「精神分析」を乱歩が『探偵小説四十年』で黙殺しているのは不可解といえば不可解、というところのつづきです。【2006年9月5日追記】掲示板「人外境だより」の9月4日付投稿で松村武@「乱歩の世界」丁稚さんから「乱歩は、昭和10年執筆の随筆「日本の探偵小説」(「鬼の言葉」収録)の「心理的探偵小説」の項において、水上呂理「精神分析」「蹠の衝動」の2作品について、ほんの2、3行程度ですが言及している」とのご指摘を頂戴しました。それはまさしくそのとおり。迂闊なことでお詫び申しあげます。上記のとおり「『探偵小説四十年』で」という限定を加えました。どうも失礼いたしました。

 しかし不可解でないといえば全然不可解ではありません。乱歩は水上呂理とは面識がなく、しかも水上作品は数がごく少ない。「新青年」昭和3年6月号の「精神分析」のあとは昭和8年から9年にかけて四作品が発表されただけでしたから、乱歩が『探偵小説四十年』その他で水上呂理に言及する機会を得なかったのも当然といえば当然のことでしょう。黙殺と表現すべきことなんかではないのかもしれません。【2006年9月5日追記】こちらも松村武@「乱歩の世界」丁稚さんのご指摘にしたがい、上記のとおり「その他」という文言を削除しました。ほんとにどうも失礼いたしました。ご叱正をたまわった松村さんにお礼を申しあげます。

 とはいうものの、こういったあたりが『探偵小説四十年』を日本探偵小説史として見た場合の不備なのであると指摘することも可能でしょう。乱歩との関係性の濃淡、つきあいの親疎によって探偵作家それぞれの取り扱いに偏頗が生じている。うーむ。わが『江戸川乱歩年譜集成』においてはそうした不備をフォローしておくべきなのかな、というのが私のひそかな悩みなのであって、なんとも不遜なことを考えているわけではあるのですが、うーむ。

 この「精神分析」という短篇を例にとるならば、これは精神分析なるものが日本で一般化しはじめたときそれをいち早く探偵小説の題材として採用した作品なのですから、生涯を通じてフロイディズムに傾倒していたというかほとんど囚われてしまっていたとも見える乱歩にとって、本来であればあっさり見過ごしにはできない小説なのではなかったか。

  本日のフラグメント

 ▼1985年10月

 深層心理の猟人・水上呂 鮎川哲也

 私は鮎川哲也作品の熱心な読者ではまるでなく、高名な「黒いトランク」でさえ数年前に文庫本で読んで風俗描写が面白かったな、という感想をまず抱いたような人間ですから鮎川ファン探偵小説ファンに袋だたきにされてもしかたねーだろーな、わっはっはと思っておるのであるとはいえ、さはさりながらこれだけはガチ。『幻の探偵作家を求めて』は涙ぐましいような名著であると信じて疑いません。

 探偵小説シーンにその名を刻みながらいつか忘れられ、『探偵小説四十年』には名前を見つけることのできない作家さえいるマイナー探偵作家を訪ね歩いたこの探訪記では、それまでまぼろしだった水上呂理も鮎川哲也によって素顔を取材されており、夕映えのごとくおだやかな晩年を送っていたらしいことがわかって胸をなでおろしたいような気分になります。

 水上呂理と精神分析との出会いが語られたあたりを引いておきましょう。初出は「幻影城」1975年7月号。

 「訊き忘れましたが、作品に精神分析を用いられたのはどうしたわけですか」

 「時事新報時代のことなんです。新聞社には沢山の寄贈本がきます。それを編集部員でわけるのですが、たまたまわたしの手に入ったのがフロイトの二冊の著書でした。それを読んで精神分析に興味を持ったからですよ」

 世の中ほんとに便利になったもので、インターネットを検索することで昭和3年までに日本で刊行されたフロイトの著作がある程度は判明してしまいます。

 国立国会図書館の蔵書によればアルスから大正15年と昭和3年の二度、いずれも上下二冊本の『精神分析入門』が安田徳太郎訳で出版されているようです。ただし大正15年版のほうは上巻しか所蔵されておらず、昭和3年版が大正15年版の新装版ないしは改訂版なのかどうかも不明なのですが、水上呂理が手にした「フロイトの二冊の著書」というのはたぶんこのあたりの本のことでしょう。

 むろん乱歩はこれより早く、大正14年9月から10月にかけての「疑惑」において「フロイドのアンコンシャス」をトリックに使用していますから、その意味で乱歩は水上呂理の直系の先達であるということになります。

 しかし、と私は思ってしまった。乱歩はいったいどの本でフロイトのアンコンシャス説を知ったのか。

 そこで立教大学図書館の蔵書を検索してみました。著者名「フロイト」でまず検索し、それを乱歩の蔵書で絞りこみます。ありゃりゃおかしいな。フロイトの著作は三百二十四件、そのうちの乱歩の蔵書はわずか四件という結果になってしまいました。検索の手順に誤りがあったのかもしれないのですが、この結果にもとづいて判断するならば、乱歩が死去するまで蔵していたフロイトの著作のうちもっとも古いのは昭和6年に春陽堂から出たフロイド精神分析学全集『社会・宗教・文明』であるようです。

 なんだか袋小路に入ってしまったような気がしないでもありません。喜多村緑郎の日記からこんな方向に話題がスライドしてしまうとは思ってもみませんでしたが、ついでですから手近なところで確認してみることにして、小此木啓吾の『フロイト』(講談社学術文庫)にはわが国におけるフロイディズムの受容にかんしてこんな記述があります。

 わが国に、フロイトおよび精神分析が輸入されたのは、大正末期(大正十二・一九二三年)、泌尿器科医安田徳太郎が『完全なる結婚』(ヴァンデ・ベルデ)と一緒に、一つの性科学(sexology)としてフロイトの性欲論を翻訳、紹介した時からである。それ以来少なくとも第二次大戦後までは、フロイト即汎性欲主義という社会通念が一般化し、一つの偏見をつくり上げた。

 本邦におけるフロイディズムの受容が大正12年、すなわち乱歩がデビューした年にはじまっていたというのはまことに興味深い暗合ではありますが、そんなことはさておき乱歩はここに記された安田徳太郎の翻訳紹介によってフロイディズムを知ったのでしょうか。

 ふたたび立教大学図書館の検索ページに舞い戻り、ふと思いついて著者名を「フロイト」ではなく「フロイド」にしてみたところ、該当件数は二百件。乱歩の蔵書で絞りこんだらば二十三件ありました。今度は著者名「安田徳太郎」。該当件数は三十七件で、うち乱歩蔵書は四件。そのうちの安田訳によるフロイトの著作はアルスから出たフロイド精神分析大系の『ヒステリー』と『精神分析入門』の二件。昭和5年から6年にかけて出版されたものですから、乱歩が安田徳太郎による翻訳紹介でフロイトを知ったのかどうか、結局のところはとんとわからぬ。

 江戸川乱歩の年譜をまとめるためにはフロイディズムの受容史を概観しておく必要があるのですが、ちょっと首をつっこんだだけでもうこのざま。なんだかうんざりしてしまうなあ。フロイト博士の影を追うのもなかなかしんどいことみたいです。


 ■ 9月3日(日)
あぼーんの気配、糸冬了の予感

 いやまいった。とうとう出ました。出てしまいました。きのうの中日新聞に出ておりました。伊東浩一記者の記事をどうぞ。

【伊賀】 名張市が08年度に赤字団体の危機 来年度、大幅な歳出削減を検討
 深刻な財政難にひんしている名張市は、従来の収支のペースを続けていけば、2008年度にも赤字団体に陥る危険性があることが分かった。回避するため、職員給与や事務事業費カットなど、大胆な歳出削減策の来年度着手を検討している。

 同市は平成の大合併で単独自立の道を選んだことや、国と地方財政の三位一体改革などの影響で、一般会計の歳入は地方交付税が04年度は01年度と比べ6億円余り減り、約32億4000万円となった。

 歳入が減った一方、歳出は増大。皇学館大や総合福祉センターの整備のほか、バブル崩壊後に景気浮揚策も兼ねて着手した公共事業の借金返済などで、公債費は03年度に35億円となり、1998年度との比較で約10億円も膨らんだ。

 これまで財源不足を、市の貯金に当たるふるさと振興基金や公共施設基金などの各種基金を年数億ずつ取り崩して補ってきた。04年度も基金を約6億2000万円崩して財源に充てたため、実質収支は4億5196万円の黒字を維持できた。

 しかし各種基金の合計残高も約8億円(9月補正後見込み)まで減少。このまま収入増や歳出カット策を講じなければ、07年度までは残りの基金を充てて実質収支の黒字は保てる見込みだが、08年度以降は赤字に転落する可能性がある。

 まいった。ほんとにまいった。名張市の財政難は市民にはひろく認識されており(そうでもないのかもしれませんが)、名張市役所内部ではかなり具体的な話も囁かれていて、ですから私は8月29日付伝言にも記しましたように名張市議会議員選挙の選挙公報を見て「脳天気なお題目をあれこれ掲げていただくのは結構だけれども、名張市の財政事情に鑑みるならばそんなこといってられる場合かよ」と思わざるをえなかった次第なのですが、しかしこうして新聞記事のかたちで突きつけられるとやはり現実味というものが増してしまいます。

 なにしろこのままで行けば名張市は2008年度、つまりもう再来年のことなのですが、再来年には赤字団体に転落してしまうというのですからまいってしまう。むろんいまだ仮定の話ではあるのですが、この記事にあるような「職員給与や事務事業費カットなど、大胆な歳出削減策」を来年度に講じてみたとしても、そのあたりの予算はすでに切りつめられるだけ切りつめてきているはずなのですから、効果のほどはいかほどなものか。夕張市につづいて名張市も、などと冗談かましてる場合ではありませんぞ実際。

 先輩の夕張市ではこの9月1日から市長の基本給が50%、助役が40%、職員が15%減額されると報じられており、この中日の記事によれば名張市でも「市民生活に迷惑をかけることから、痛みを共有する意味で職員の給与カットも検討している」とあるのですが、わが名張市の場合は市議会議員の報酬も50%カットでいいのではないか。とくに古参議員は前市長がぱっぱかぱっぱかいいように税金無駄づかいするのをぼーっと見ておるだけであったのだから無能であったことのペナルティとして報酬はゼロということにしてはどうか。いやいやそんなことはともかく、夕張市というのはちょっと極端にすぎる事例かもしれませんけれど、それでもこれから財政破綻に陥る自治体は少なからず出てくるのではないか。

 ちょっと検索してみたら読売新聞のオフィシャルサイトに「全国の財政難の市ワースト23」というのが掲載されておりました。昨年11月9日の記事です。ワーストワンはやはり夕張市、つづいて高石市、山田市、泉佐野市、守口市がベストファイブ。まあごらんください。

 ワースト自治体の選出基準は経常収支比率というやつで(この記事にあるとおり「人件費や公債費などの義務的経費が地方税や国からの交付税といった財源に占める割合」のことです)、一般的にはこの数字が80%を超えると財政の硬直化が進んでいるということになり、あぼーんの気配がそこはかとなく漂ってくるわけなのですが、これらワーストの二十三自治体は2003年度いずれも見事に100%超ですからはっきりいって糸冬了の予感。

 ならば気になる名張市の経常収支比率はと見てみますと、三重県のオフィシャルサイトに「財政(市町村ごとの財政)」という表がありました。

 これによりますと名張市の2004年度の経常収支比率は94.4%。市町村合併がからんでいささかややこしいのですが、尾鷲市の97.5%につづいて県内十四市中ワーストツーにつけているようです。尾鷲市といえば2ちゃんねるニュース速報+板で現在ただいま日本一の人気を誇る自治体であり、お暇な方は「【医療】「三千万なら大学病院の助教授が来る。報酬高すぎ」 産科医消滅の危機、実は中傷が原因…三重・尾鷲★6」をごらんいただきたいと思いますが、そんなところと肩を並べたくはないものだ。

 しかしまいった。ほんとにまいった。情けないことにまいったことはもうひとつあって、つづきはあしたの話題といたしますが、やはりきのうの中日新聞に出ていた「【伊賀】 現実は3億円予算規模 名張市旧市街地の「再生プラン」」、これを読んで私はまいった。誰でもいいからそこらのうすらばかをぼこぼこにしてやらなけれぱ気がすまんなという気がしてきた。

  本日のフラグメント

 ▼1976年3月

 「蠢く触手」の影武者・岡戸武平 鮎川哲也

 ついでですから「幻影城」連載の名エッセイ「幻の探偵作家を求めて」からもう一篇。1976年3月号に掲載された第八回を見てみましょう。

 名古屋に住んでいた岡戸武平が登場し、小酒井不木が乱歩に送った「子不語」の額の書き損じが武平宅に飾られていたというちょっとしたトリビア、不木の葬儀や渡辺温の死去にまつわる興味深いエピソードがつぎつぎに語られるのですが、ここにはやはり「蠢く触手」の話題を引いておきましょう。底本は晶文社の『幻の探偵作家を求めて』。

 「すでに『探偵小説四十年』のなかで代作ざんげとして書かれているのですから、遠慮なさる必要はないと思いますがね」

 そう口説くと、氏はようやくのことで渋々と口を開かれた。右の「探偵小説四十年」を読まれた人には説明不要のことだけれど、昭和七年に新潮社が書きおろしの長篇探偵小説全集を企画したものの、執筆期間が短いのと多忙であったため、江戸川氏は代作を条件に参加を承諾されたのであった。

 「あれはね、思いつきだけのトリックで書いたんだが、大下宇陀児さんが『あれ面白えじゃねえか』といった話を乱歩さんから聞きました。乱歩さんも、チャブ屋の茶ノ間の情景なんかなかなかいいぞなんて褒めてくれました。まあ、お恥しい作品で……」

 これは謙遜である。作中のチャブ屋の描写というのは、渡辺温氏や岡田時彦と食事をしに行ったときの記憶によったものであろうか。

 「例の『探偵小説四十年』をみますと、代作とはいえプロットについて岡戸君と再三相談をした……ということが書いてありますが」

 「これから先をキミどうするんだ、わたしはこう考えておる、それならよかろうというふうにやっていたです。それが三度ぐらいありましたかね。あれは六百枚でした。まだ博文館にいた頃のことだから忙しかったね」

 「乱歩さんは印税をとらなかったのですか」

 と編集長。

 「ええ、とらなかったです。わたしに全部くれました。わたしのほうは結婚当初から女房にだいぶ借金があったんです。だから印税をもらったときには女房に借金の額を計算させて、パーッと払って帳消しにしましたよ、ハハ」

 『探偵小説四十年』によれば新潮社の新作探偵小説全集では乱歩の「闇に蠢く」以外にも代作があったそうなのですが、鮎川哲也からどの作品が代作だったのかを尋ねられた岡戸武平は、

 「……聞いたことないねえ」

 と答えています。ほんとに聞いたことがないのか、それとも知らぬふりをしたのか。「これ以上追及するのは失礼になるだろう」として鮎川哲也は話柄を転じています。

 以前、悪の結社畸人郷の先達にお訊きしてみたところでも「蠢く触手」以外に代作はなかったのではないかとのことでしたから、代作者を立てたのは実際には乱歩ひとりであり、編集部が乱歩を乗せるためにほかにも代作の先生がいらっしゃいますからみたいな嘘をついたのかとも考えられるのですが、『探偵小説四十年』を確認してみたところ、

 ──あとになって聞いて見ると、代作は私一人だけでもなかったようだし、

 とありますからそうでもないのか。うーむ。とんとわからぬ。


 ■ 9月4日(月)
遥けくも来ちゃったけれどどうなるの

 9月2日付中日新聞の「【伊賀】 現実は3億円予算規模 名張市旧市街地の「再生プラン」」にもとづいて名張まちなか再生プランとかいうインチキプランのインチキ関係者を徹底的に罵倒してやるのは都合によりあしたのことにいたしまして、本日は新刊のご案内です。

 芦辺拓さんの短篇集『探偵と怪人のいるホテル』が出ました。まずは書影をどうぞ。画像をクリックしていただくと版元である実業之日本社の新刊紹介ページが開け胡麻。

 表紙の装画は野川徹さん、装幀は盛川和洋さん。ダークな色調がいかにも渋くて好ましいのですが、装幀家の盛川さんは以前、などと個人情報的なことを記してもいいのか、まあいいか、以前は光文社にお勤めで、『江戸川乱歩著書目録』をつくるときえらくお世話になりました。光文社には本社ビル内に資料室があるのですが(ミステリー文学資料館のことではありません)、それとは別に本社の近くに資料庫みたいな施設があり、そこに潜りこんで調べものをさせてもらったときずっとつきあってくださったのが盛川さんで、そういえば近所の蕎麦屋でお昼もご馳走になりましたっけ。退職して装幀の仕事をはじめられたと風のうわさで聞き及び、ご自宅の住所は存じあげませんでしたから『江戸川乱歩著書目録』をお送りするときにはたしか芦辺さんからところ番地を教えていただいたのだと記憶いたします。装幀のお仕事も順調なようでまずはご同慶のいたり。さるにても、遥けくも来つるものかな。

 さてその芦辺さんの新刊の件ですが、版元のオフィシャルサイトでも仔細には紹介されていないようですから収録作品のタイトルをお知らせしておきましょう。発表年月もあわせて記しておきます。

探偵と怪人のいるホテル
探偵と怪人のいるホテル 1999年2月
仮面と幻夢の躍る街角 2002年1月
少年と怪魔の駆ける遊園 2004年4月
異類五種 1986年11月
疫病草紙 1979年9月
黒死病館の蛍 2005年8月
F男爵とE博士のための晩餐会 1998年4月
天幕と銀幕の見える場所 2000年1月
屋根裏の乱歩者 1994年10月
伽羅荘事件 2003年7月
探偵と怪人のいたホテル 2002年9月
あとがき

 いまはなき「幻想文学」の乱歩特集号に発表された「屋根裏の乱歩者」など乱歩へのリスペクトを表明した作品も多く収録されており、乱歩ファンのみなさんにはぜひご購入ご精読をとお願い申しあげる次第です。

 こうして収録作品を眺めているだけで、私はなんだかひたぶるに懐かしい感じがいたします。描かれた作品世界そのものの懐かしさもさることながら、「異類五種」によるデビューが1986年というのですからもう二十年が過ぎたのか、という感慨も抑えることができなくて、その過ぎたとしつきがまた得もいえず懐かしい。そんなこんなをぼんやり考え合わせておりますと、デビュー以前の作品まで収録されたこのラインアップからは芦辺拓という作家の意外なタフネス、ねばり強さ、芯の強さみたいなものが伝わってくるように思われ、私には芦辺さんにおべっかをつかうつもりはさらさらないのですが、これまでたどってこられた作家としての路程の延長上にさらなるご健筆をとお祈り申しあげずにはいられません。さるにても、遥けくも来つるものかな。

 いかんな。遥けくも、などとどうも感傷的になってしまっていけません。きのうお知らせした中日新聞の記事「【伊賀】 名張市が08年度に赤字団体の危機 来年度、大幅な歳出削減を検討」にありましたとおり、このまま推移すれば名張市は2008年度に赤字団体に転落してしまうわけなのですが、再来年という具体的な日程が報道されてようやく思い浮かんだのは、かりに名張市が赤字再建に乗り出すということになれば私が心血を注いで鋭意編纂中の『江戸川乱歩年譜集成』にはまず予算なんかつかないであろうな、という一事でした。上に記しました盛川さんや芦辺さんのみならず私は乱歩のことでずいぶんたくさんの方からお世話になっており、これは乱歩生誕地の名張市がそれらのみなさんのご厚意ご協力をかたじけなくしたということにほかならないのですが、その恩義にお報いするためにもいっちょ『江戸川乱歩年譜集成』をばちーんとかましてやらなければならんなと考えていた私としては、新聞報道で2008年という具体的な日程を知らされて未来が不意に閉ざされてしまったような気分に陥り、これまでに受けた恩義の数々が頭のなかで走馬燈のようにぐーるぐる、みたいなことを現在ただいま体験している最中なのであって、そのせいでなんだか感傷的な気分になってしまっているのですけれど、いかんな。いかんぞ。こんなことではいかんぞ。

 とはいうものの、名張市においては来年度に大幅な歳出削減が実施されるはずですから、その煽りで私などいの一番にリストラされるのであろうなといまから覚悟しておくことも必要でしょう。おれをクビにしたいやつなんて名張市役所にはごろごろしていることであろうし。しかしまあ、たとえリストラされても『江戸川乱歩年譜集成』だけはなんとかして世に送り出さねばならぬであろうな。しかし、しかしなあ。

  本日のアップデート

 ▼1976年7月

 錯覚のペインター・葛山二郎 鮎川哲也

 本日も「幻の探偵作家を求めて」の一篇。「幻影城」1976年7月号に掲載されました。

 乱歩にかんする言及が断片的であったため「乱歩文献データブック」には記載しておらなんだのですが、やっぱとりあげておくべきかと考えて遅ればせながら増補いたしました。

 乱歩が出てくるのはこんなところです。底本は晶文社の『幻の探偵作家を求めて』。

 終戦後、技術者ということで中国側に徴用された葛山二郎氏は、一般人よりも二年遅れて内地の土を踏む。そして品川のお寺の寮に押し込められていたときに書いたのが、《花堂氏の再起》ほかの短篇であった。花堂氏とは氏の戦前からのシリーズキャラクターで、弁護士という設定になっている。

 「帰国するとまず水谷さんをお訪ねして、水谷さんから江戸川さんに電話をかけて貰って、江戸川さんにお会いしました。大下さん、横溝さん、城さんなどとは、戦前に面識があったのです」

 江戸川氏は《赤いペンキを買った女》を高く評価していた人だが、葛山二郎の顔を見ると、「キミは続篇を書くつもりだろう」といったそうである。

 「じつはその気でいたのです。この作品が未完であることを見抜いたのは後にも先にも江戸川さんただ一人で、偉いものだと感服しました。しかし、プロ作家となるのは止したほうがいいのじゃないかといわれたときは、ギャフンとなったものです」

 フラグメントといえばまさしくフラグメントなのですが、こういった断片の蓄積が『江戸川乱歩年譜集成』を充実したものにしてくれることはまちがいありません。しかし、しかしなあ。


 ■ 9月5日(火)
もうやめちゃったらどうよ、という結論

 それでは名張まちなか再生プランの話題に入ります。

 最初に結論を記しておきましょう。9月2日付中日新聞に掲載された二本の記事、すなわち「【伊賀】 名張市が08年度に赤字団体の危機 来年度、大幅な歳出削減を検討」と「【伊賀】 現実は3億円予算規模 名張市旧市街地の「再生プラン」」によって結論はすでに暗示されているようなものですが、名張市は財政難だから名張まちなか再生プランを実施に移さないことにする。これでよござんしょ。これが私の結論であり、どう考えてもこれ以上の名案はありません。

 ここで掲示板「人外境だより」から転載。

愛読者   2006年 9月 3日(日) 10時25分  [220.102.186.56]

中さんのコメントにまちなか再生委員会の事がよくでてきますがこれはどういう方々で構成され、代表はだれで、どういう考えでされているのですか。また国や県のお金ならまだしもなぜ市のお金を特定の場所に支出するのですか。馬鹿ばかりで税金の無駄づかいの様に言われてますが、行政に聞けばいいのでしょうが、情報公開はお題目で本当の事はわかりません、是非教えてください、中さんの言う事が本当ならそんな委員会の責任もさることながら、そんな委員会をつくった行政責任、また新聞で読みましたがまちなか再生をうちあげた市長責任ですね

 「中さんのコメントにまちなか再生委員会の事がよくでてきます」という点について補足説明しておきます。私はたしかに名張まちなか再生委員会のことをよく話題にいたします。なぜかというと私はもう十年以上、名張市立図書館の嘱託として名張市民のみなさんの税金から月々八万円のお手当を頂戴してきた人間であるからです。名張まちなか再生プランの素案が公開され、そこに、

 ──初瀬街道沿いの最もまとまりのある町並みの中にある細川邸を改修して歴史資料館とします。

 ──市民に何ども足を運んでもらえる歴史資料館とするために、江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示するほか、市民が関われる利用方法を工夫します。

 と記されていた以上、私はこのプランに無縁ではありえない。つまり名張市が何かしら乱歩に関係のある構想をまとめるのであれば自分はそれに無縁ではいられない、というのが私の考えなわけなのですが、これはお役所の常識に反することでもあります。

 なぜか。お役所というのは徹底した縦割り社会であるからです。そこには横の連絡なんてほとんどといっていいほど見られません。これは名張市役所のみならず日本の(海外のことは知りませんけど)お役所のよくないところのひとつとして、一般国民にもひろく認識されているところであると思われます。だから市立図書館の人間である私が名張まちなか再生プランにかかわろうとしたりなんかすると、どうしておまえが口出しするの? と思ってしまうのがお役所の人たちの普通の反応だということになります。

 しかし私は、知ったことかばーか、と思うわけです。お役所の内部でしか通用しないお役所の常識なんて私の知ったことではない。これは明らかに私の責務である。乱歩のことをよろしくやれと市民から月々八万円のお手当をいただいている人間が、かりにも乱歩の関連資料を展示するという歴史資料館の建設構想に無縁でいられるわけがない。無縁でいられると思うのであればそう思う人間の頭がおかしいのである。

 といった次第であって、私は名張まちなか再生プランにかんして発言をつづけてまいりましたが、それがプランのなかの乱歩に関連のあるパートだけに限定した発言であったことはいうまでもありません。ただし細川邸の整備がプランの目玉として前提的に位置づけられていたことはまぎれもない事実であり、その細川邸の整備構想が情けないことにリフォーム詐欺としかいいようのないお粗末なものでしたから、私はプランそのものをインチキであると主張して現在にいたっております。この主張に変更を加えるつもりはありません。以上、何度もくり返してきたことですが念のために記しました。

 で、名張まちなか再生委員会が「どういう方々で構成され、代表はだれで、どういう考えでされているのですか」という点。まず構成のことですが、きのうお約束した委員会名簿のスキャン画像がこれです。画像をクリックしていただければ大きな画像が開け胡麻。

 この名簿は昨年度のものです。今年6月に開かれた新年度総会で役員改選があったようですが、昨日「人外境だより」に記しましたとおり私にはもうあんなインチキ委員会をまともに相手にする気はありませんので、事務局を訪れて総会の資料を入手するようなことはいっさいしておりません。したがって今年度の委員会構成は知るところではなく、昨年度の名簿をごらんいただくしかないことをお断りしておきます。ちなみにあれは去年のいつでしたか、

 ──現段階では乱歩に関して外部の人間の話を聴く考えはない。

 と悶絶するほど閉鎖性排他性を全開にした名言を吐いてくださったのは、この委員会のなかの歴史拠点整備プロジェクトのみなさんでした。

 それにしても田舎者というのはどうしてここまで見苦しいのか。それはまあご町内感覚となあなあ体質に凝りかたまって生きているのですからしかたないといえばしかたないのでしょうが、ちょっと突っつかれただけでどうしてここまで感情的になってしまい、閉鎖性や排他性を全開にしてしまうのか。

 ──そもそも江戸川乱歩みたいなものどうでもええねん。20面相のキャラで又スフインクスのナンチャッテ写真で公益活動を実践しているのだから貴様につべこべ言われる筋合いとちがうねん!

 という怪人19面相の名言もそうでしたけど、ぽん、と軽く肩を叩かれた程度の批判でどうしてここまでぼろぼろになってしまうのか。しかもご丁寧なことに秘しておくべき本音を問わず語りにぽろぽろ洩らしてしまっておるし。笑うなといわれても笑わずにはおれん。

 案じますに、彼らには正当な批判を冷静に応酬する訓練が全然できておらんということでしょう。とにかく批判を嫌うわけです。お役所の人たちはその典型ですけれど、なんかもう自分が批判されるのを異常にいやがるわけです。他者から寄せられた正当な批判こそ自身の支えとなるものである、という認識がどこにもないのであろうな。だから彼らは、陰口はいいだけわめき散らすにしても、あるいはそこらのネット掲示板に匿名で投稿する程度のことはできるにしても、表だって人の批判をすることは絶対にしない。なぜならば、他人を批判することは自分を批判の対象としてさらすことでもあるからだ。

 まして、つねにそれを心がけているべき冷徹な自己批判なんて彼らには逆立ちしたってできないでしょう。だからご町内感覚となあなあ体質に守られなければ生きてゆけないわけなのであって、この伊賀地域にはその手のうすらばかがなんだか気が遠くなるほどごろごろしているということを三重県が三億円をどぶに捨てた官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」で私はいやというほど思い知らされたものでしたが、伊賀の蔵びらき関係者の諸君、お元気ですか。あいかわらずあほですか。それぞれにお住まいの地域でまーたよからぬことを企んでいらっしゃるのかな。呵々。

 つづきまして名張まちなか再生委員会が「どういう考え」でいるのかという点ですが、私の見るところどんな考えもないようです。そうとしか思えません。そもそも彼らにはものを考えるうえで不可欠な知識や見識というやつがあるのかどうか。ねーんじゃねーのかそんなものは、というのが私の所見です。それほど的はずれな見解でもないと思うのですが。

 中日新聞の記事の話題に入るまでに時間切れとなってしまいましたが、財政難なんだから名張まちなか再生プランなんてやめてしまおう、というのが私の結論であって、ほんとのところはプラン関係者にとっても財政難という口実が見つかったのはもっけの幸い、渡りに船、いっそ天の配剤と呼ぶべきことではないのかしらとさえ私には思われる次第なのですが、つづきはまたあしたとなります。

  本日のアップデート

 ▼1976年8月

 暗闇に灯ともす人・吉野賛十 鮎川哲也

 本日も「幻の探偵作家を求めて」です。きょうのもきわめて断片的な言及なのですが、乱歩の一面が伝えられておりますので「乱歩文献データブック」に増補いたしました。

 「幻影城」1976年8月号に掲載された吉野賛十篇は本人逝去後のこととて遺族からの取材となり、未亡人の回想に乱歩が出てきます。底本は晶文社の『幻の探偵作家を求めて』。

 「その無口の主人でしたけど、江戸川さんに原稿をみて頂いたときは、帰って来てめずらしく『今日はさんざん叱られたよ』と申しました。キミの小説にはどこにも推理がないじゃないかといわれたそうで……」

 江戸川乱歩氏にとって吉野氏は同学の後輩にあたる。だから遠慮することなくピシピシと批評したのだろう。

 「でも、小説のことを離れますと優しく親切な方だと申しておりました」


 ■ 9月6日(水)
なぞがたりなばり講演会の謎

 本日はイベントのお知らせから。二件あります。

 一件目。残り会期は十日を切っておりますが、東京は銀座のクリエイションギャラリー G8で「ミステリーワールド展 名探偵、怪盗、女スパイ……と150人のイラストレーター」が開催中です。東京イラストレーターズ・ソサエティ恒例の展示会。今年はミステリーがテーマに選ばれ、乱歩作品をモチーフにした作品もちらほら出展されているそうです。詳細はこちらでどうぞ。

 二件目。綾辻行人さんを講師にお迎えする第十六回なぞがたりなばり講演会の詳細が名張市オフィシャルサイトで発表されました。ときは10月28日土曜日、ところは8月にオープンしたばかりの名張市武道交流館いきいき。くわしいことはこちらでどうぞ。

 名張市が日本推理作家協会の協力を得て開いている恒例の講演会ですが、単なる推測をすらすら書きつけておくならば、もしかしたら開催はこれが最後になるかもしれません。理由はむろん財政難。名張市は来年度に大幅な歳出削減を進めることになりますので、いくらお役所が前例墨守の封建的社会であるといってもこの講演会がひきつづきすんなり催されるとは考えにくい。

 そういえば先輩の夕張市はどうなったのか。ゆうばり国際ファンタスティック映画祭も今年度は中止と決まり、来年度以降の開催も無理っぽい雲行きらしいしな、とふと気になって検索してみたところ、きのうの朝日新聞にこんな記事が掲載されておりました。

【夕張ショック】市職員半減も視野
 財政再建団体への移行を決めた夕張市は4日、来年2月にも国に提出する予定の財政再建計画を定める方針となる「財政再建の基本的な考え方」を発表した。半減も視野に入れた市職員の大幅削減や、多額の赤字を抱える観光事業や病院事業の見直しなどが柱だ。住民税の増税や手数料なども引き上げる。今月20日に開会予定の市議会までに削減数や引き上げ率など具体的な数字を詰める。

 「考え方」の冒頭では、多額の一時借入金や会計・年度間のお金のやりとりといった会計手法について、「不適切な財政運営を深く反省」し、「不退転の決意で財政再建に取り組む」と表明。基本姿勢として、行財政運営を根本的に変革し、「市民の理解と協力を得ながら財政再建を成し遂げる」としている。

 中でも総人件費、観光事業、病院事業を重点分野と位置づけた。現在301人いる市職員を、半減も視野に大幅に減らす。観光事業では、不採算事業を実施しないことや、業務委託先の見直し、施設の売却などがあげられたほか、市による第三セクターの赤字の穴埋めをやめることにした。市立総合病院は、地方公営企業法上の再建団体とする。

 また、事務事業は必要最小限のものを除いて中止・縮小する。市民負担に関しては、市税・使用料・手数料などを見直す。市税は、現在は道内の他の市町村と同じ程度の税率を、市条例を改正して上げるとみられる。

 気のせいでしょうか。最近では「夕張」という文字がなぜか「名張」に見えてしまい、「夕張ショック」は「名張ショック」と読めてしまう。ほんとにショックだ。そんなことはともかく市職員半減というのはずいぶん無茶苦茶な話です。生身の人間がこんな極端なダイエットに挑戦したらたぶん死んでしまうことでしょうけれど、自治体の場合もまちがいなく機能不全に陥ってしまうのではないか。かりに職員を半減してなお機能が維持できてたりなんかした日には、それはそれでこれまでは余剰人員を大量に抱えて税金を無駄づかいしていたのかということになってしまうわけなのですが。

 名張市の場合ここまで過激な荒療治が必要とされることはないでしょうけれど、それでも「事務事業は必要最小限のものを除いて中止・縮小する」といったことはあらためて必要でしょう。あらためて、というのはそうしたダイエットがこれまでにも進められてきているからで、たとえばなぞがたりなばり講演会もずーっと入場無料だったのが財政難に伴う見直しでいまは有料、今年も金千円を頂戴することになっているわけなのですが、これをさらに見直すとなると講演会そのものの廃止も視野に入ってくるにちがいありません。

 というか、いい機会だからやめてしまえばいいだろうと私は思います。こんなことをいうのは毎年ご協力をいただいている日本推理作家協会やこれまで名張市においでいただいた講師のみなさん、講演を聴くために足を運んでくださったみなさんや毎年の開催を楽しみにしてくださっているみなさん、さらには講演会のために汗を流してくださった名張市職員のみなさんに対してまことに失礼な話であり申しわけないことでもあるのですが、しかしもうすっぱりやめてしまってはどうか。この期におよんでまだ見栄を張る必要などはどこにもない。なにしろお金がないのだから。

 実際こんなものは名張市の前市長が張りまくった単なる見栄のひとつにしかすぎません。前市長最大の見栄はいうまでもなく大学誘致であって、私は誘致されてきた皇學館大学を悪くいうつもりはまったくないのですが、大学は地方都市のステータスシンボルであり誘致すれば地方都市としてのグレードがアップするとか、伊賀地域に唯一の大学を名張市に誘致して旧上野市の鼻をあかしてやりたいとか、そんなくだらない見栄のためにぱっぱかぱっぱか税金をつかわれてはたまったものではないのである。いまごろいっても遅いけど。ていうか、大学誘致騒動のときに市民がこんなこといったって大半の市議会議員が議員の使命は市長にしっぽを振りつづけることでございますと心得ていた名張市議会において大学誘致が認められたのですからどうしようもなかったわけですけど。しかしあまりにもやり方がひどいからってんで市長のリコール騒ぎにまで発展したわけですけど。

 ことほどさようになぞがたりなばり講演会ももともとはうわっつらだけを飾って見栄を張るためのイベントだったのであって、名張ゆかりの観阿弥にちなんで名張薪能を、乱歩にちなんでなぞがたりなばり講演会を、というのが前市長の時代のうわっつら見栄っ張り路線であることはまぎれもない事実であるのですが、そんなものはもういい加減にあぼーんしてしまってはどうか。絵に描いたように月並みで血の通わない消化試合的イベントを毎年開催するのも、それはまあお金があるうちはよしとすることができたかもしれんが、名張市が再来年には赤字団体に転落するかもという瀬戸際までいまや来ているわけですから、いくらなんでももういいだろう。ただの見栄のためにこれ以上税金つかうのはいただけません。むろん薪能や講演会をやめてしまったところで実質的にはたいした歳出削減にはならぬであろうが、財政難をむしろ奇貨としてくそくだらないハコモノ崇拝主義とイベント尊重思想に別れを告げることには大きな意義が見いだせるだろうと私は思います。

 というところでようやく中日新聞の9月2日付記事にたどりつきました。うわっつらを飾ることしか考えていない名張まちなか再生プランについてあらためて検討したいと思います。ああ腕が鳴る腕が鳴る。インチキ許すまじの気概でまいりましょう。合言葉はさしずめ、なあみんな、税金つかう前にちっとは頭をつかおうな、みたいなことかしら。

【伊賀】 現実は3億円予算規模 名張市旧市街地の「再生プラン」
 名張市旧名張町地域の既成市街地再生計画「まちなか再生プラン」について、2008年度までに最大で9億円近くが使える国の交付金事業の採択を受けていた市は、市の台所事情などを踏まえ、実際には08年度までに3億円程度の予算規模でプランを推進する方針であることが分かった。

 市は、再生プランに盛り込んだ事業の財源として、04年度から08年度の5年間に最大8億9000万円が使える国のまちづくり交付金事業の採択を04年度に受けた。

 しかし交付金といっても国費で賄われるのは4割、残りの6割は市費を充てなければならない。財政難などを考慮し、現実には3億円程度のまちづくり交付金を受けて事業展開することに落ち着いた。

 まず笑えるのは見出しにある「現実は」という文言でしょう。見出しの言外には「机上の空論においては大風呂敷がひろげられたものであったが」といったニュアンスが読みとれます。にもかかわらず結局のところ「現実には3億円程度のまちづくり交付金を受けて事業展開することに落ち着いた」という次第なのですが、そんなところに落ち着く必要はもはやないであろう。プラン自体がどうしようもないインチキなんだし、名張市にはお金もないのであるからして、プランは実施に移さないという結論にこそ勇気をもって落ち着くべきだと私は思う。あすにつづく。

  本日のフラグメント

 ▼1983年5月

 乱歩の才を継ぐ異端の人・平井蒼太 鮎川哲也

 本日は「幻影城」ではなくて「問題小説」に掲載された一篇。『幻の探偵作家を求めて』収録に際して「乱歩の陰に咲いた異端の人・平井蒼太」と改題されました。

 平井蒼太はすでに死去しており、埼玉県に住んでいた乱歩の実弟、本堂敏男を尋ねてインタビューが行われました。ちなみに記せば、平井三兄弟は長男が太郎(乱歩)、三男が通(蒼太)、四男が敏男(母方である本堂家の養子となる)。次男は早世しております。

 ともすると乱歩のことに話題が傾きがちだったというインタビューから引きます。底本は晶文社の『幻の探偵作家を求めて』。

 インタビューは本堂家のこざっぱりとした明かるい和室で行われた。敏男氏は長兄の乱歩氏に比べるとずっと小柄で、その点は通氏も似たようなものだったそうで、乱歩氏だけが大柄であったという。

 このときも、ともすると話は江戸川氏のほうにそれてしまう。われわれのことは岩田氏から電話連絡があったらしく、敏男氏は最初から打ちとけた態度で、蒼太、乱歩両氏のことを腹蔵なく語って下さった。

 「名古屋で父が事業をやっていた頃のことです。兄が探偵小説の雑誌をつくりまして、わたしは電柱にポスターを貼る役目でした。なかなか好評で、読者から会社に頻々と電話がかかってきます。これで父が雑誌のことを知りまして、兄は目玉がとびでるほど叱られてました。ハハ」

 乱歩氏の「探偵小説四十年」には、少年時代の氏が活字に魅力を感じて、しまいには活字を買い集めて印刷の真似事をした話が描かれている。しかしお父さんに叱られたことは省筆されているので、今回はじめて知ったのだった。

 「平井家は父が事業に失敗したため、忽ち貧乏になり兄(乱歩氏)は大学に入って苦労をしました。いまのアルバイト学生のような気楽なものではなくて、ちびた下駄をはいて真っ黒になって働いていたものです」

 こうしたことも「探偵小説四十年」には出てこない。

 「団子坂で三人書房をやっていたときに兄は《D坂の殺人事件》を書き上げたのですが、『新青年』に送ったのに編集部からは何ともいってこない。そこで取り返して名古屋の小酒井不木さんに読んで貰い、それがきっかけで世に出られたのですから、小酒井さんの恩を忘れたことはなかったですね」

 この三人書房は、乱歩氏が創作に熱中したため、経営を通、敏男両氏にまかされた。

 「兄(蒼太氏)とわたしで相談をして、銀座に夜店をだしたら売れるだろうということになりました。店を開いたのはいいのですが兄弟喧嘩を始めまして、怒ったわたしは兄を残して電車で帰ってしまいました。兄が古本を積んだ重たい大八車を引いて、ふうふういいながら真夜中に帰ってきたことを覚えています」

 『探偵小説四十年』に出てこないエピソードが語られているのはありがたいのですが、三人書房時代に「D坂の殺人事件」を書いたとか、それを「新青年」編集部に送ったとか、取り戻して小酒井不木に読んでもらったとか、事実誤認が少なからず見受けられるようです(このあたりには著者なり編集者なりが話者に確認したうえで訂正を加えるべきだったと思われますが)。乱歩が少年時代につくった雑誌を「探偵小説の」と規定してしまうことにも問題がありましょう。注意いたさねばなりません。ていうか、人の記憶ってほんとにあてにならないものなのね。


 ■ 9月7日(木)
さあみんな、たまにゃ頭もつかおうぜ

 なあみんな、税金つかう前にちっとは頭をつかおうな、との合言葉のもとさっそく行きましょう。

【伊賀】 現実は3億円予算規模 名張市旧市街地の「再生プラン」
 具体的には08年度までに、旧家細川邸改修や江戸川乱歩生家関連施設の建設など歴史拠点整備(予算規模1億から1億3000万円)▽城下川沿いの水辺整備(7000万円から9000万円)▽案内看板や散策道整備(5000万円から7000万円)−などの実施を予定する。

 3億円程度の予算では再生プランの全事業を実施することはできず、やり残した事業は09年度以降に持ち越す。

 (伊東浩一)

 具体的な予算額が出てきたところで、掲示板「人外境だより」への愛読者さんのご投稿にあった「なぜ市のお金を特定の場所に支出するのですか」というお尋ねにお答えしておきましょうか(私は本来こうした質問に答えるべき立場の人間ではないのですが)。「人外境だより」には、

 ──旧市街地再生のために市の予算を投じるのは不合理なことではないと私は判断いたします。

 と記しただけでしたが、もう少し説明を加えますと「市のお金を特定の場所に支出する」のはごくあたりまえのことです。説明の要もないことながら、たとえば名張市内各地域に公民館という施設がありますが、あれはそれぞれの地域という「特定の場所」に税金を支出して建設されたものです。もしかしたら「特定の場所」という言葉を私が誤解しているのかなとも思われるのですが、税金というものの具体的な使途はすべて特定の場が対象なのであると表現することさえ可能でしょう。具体的な場、個々の場といってもいい。たとえばごく狭小な特定の地域の利便のためにコミュニティバスを運行させることそれ自体は、税金の使途として不合理でも不自然でもありません。

 名張まちなか再生プランだって、その意味では税金の使途として非のうちどころはありません。私が知っているかぎりでももう二十数年、名張旧町地区の再生(昔は商業振興とかいわれてましたけど)は名張市の課題でありつづけており(すなわち有効な手だてが何ひとつ講じられてこなかったということでもありますが)、名張市がまちなか再生に挑戦するのは正当に評価されるべきことであろうと私は思います。

 しかし遺憾なことながら、もしかしたらこれは成算なき挑戦であると考えるべきなのかもしれません。市街地再生なんてのは全国にごろごろしている問題であり、かつて繁華を誇ったメインストリートがシャッターストリートやパーキングストリートに姿を変えているのはいまや常態、にもかかわらずこれといった対策打開策は見つかっていないのが現状です(そんなものはおそらく存在しないのではないか)。名張市だけが再生に成功できるというのは虫のよすぎる皮算用でしょう。

 話が横道にそれますが、市街地再生にかんしてこんなことが報じられておりました。9月5日付中日新聞の共同通信配信記事。

市街地再生で基本方針了解 政府の本部が初会合
 政府は5日、中心市街地活性化本部(本部長・小泉純一郎首相)の初会合を官邸で開き、空洞化が進む地方都市中心部の再生に向けた計画の策定や認定手続きについての基本方針を了解した。8日の閣議で決定する。

 会議で、小泉首相は「さびれた所も(工夫次第で)プラスになる。知恵を発揮する人がやりやすい環境整備が大事だ」と語り、市町村の自主的努力を、政府として後押しする姿勢を強調した。

 先月施行された改正中心市街地活性化法にかんする続報ですが、いわゆる大店法の施行からもう三十年ほどがたつのかしら、とにかく政府はやれ規制緩和だまた規制だとふらふらふらふら場当たり的なことしかしてきませんでしたから、それも見過ごしにできない一因となって全国の中心街はもうぼろぼろなわけです。「さびれた所も(工夫次第で)プラスになる」などと無根拠な能書きを並べられても腹が立つばかり。「知恵を発揮する人がやりやすい環境整備が大事だ」などとこんなせりふはいったいどこを見て口走れるのか。知恵のある人間が地方にいるのか。有能な人材がそこらに普通に存在しているのか。むろん地方にだって有能な人材はいくらでも生まれているはずなのですが、地方にはその有能さを発揮できる場がありませんからみんな大都市へ流出してしまう。それが地方の実態である。だからたとえば名張まちなか再生委員会なんてのをつくってみたところで、そんなもの単なる烏合の衆でしかないわけよ。あの委員会に「知恵を発揮する人」なんてのがひとりでもいるのか。

 いやいや、話をもとに戻しましょう。名張市がまちなか再生に乗り出すのは結構なことであるとして、しかし第一歩目でいきなりまちがってしまったわけなのね。よーいどん、どたっ、てなもんよ。名張地区既成市街地再生計画策定委員会なんてのを発足させ、旧態依然たる発想手法にもとづいて委員の人選を進めてしまった。ここにまずまちがいがあったわけです。そんな委員会を組織することがほんとに有効なのか。トップには大学の先生をお招きし、あとは各種団体の代表を委員に据えてはいおしまい、なんていう安易な人選がほんとに望ましいのか。といったような疑問は名張市役所の内部に微塵も存在していなかったことでしょう。

 「人外境だより」の愛読者さんへのお答えに、

 ──こうした人選はお役所におけるじつに旧態依然とした発想と手法にもとづいてきわめてオートマティックに進められているはずなのですが、そうしたお役所にとっていわば自明のことをこそまず疑ってかかれと、お役所に対してそんなようなことを粘り強く訴えてゆくことが必要であると私は考えます。

 と私は記しましたが、お役所の人たちには自分たちの常識がほんとに常識と呼べるものかどうか、それを徹底的に検証していただきたい。しかしそんなことはとてもできまい。だから私はこうやってお役所の外からお役所の人たちに、かなり迂遠な方法ではあるけれど粘り強く訴えつづけているわけです。ありがたくお思いなさい。

 で、名張市は財政も硬直化しておりますが職員の頭も負けず劣らず硬直化しておりまして、その見本がこれでございますみたいな発想と手法で組織された名張地区既成市街地再生計画策定委員会は結局どうよ。どうだったのよ。無茶苦茶なプランをまとめあげ、責任回避を第一義とするお役所の常識に守られてとっとと解散してしまいました。だからプランを具体化するべく組織された名張まちなか再生委員会は困ってしまった。プランに盛りこまれた歴史資料館なんて、そもそも歴史資料が存在しないのだから整備できるはずもない。とんだプランを押しつけられたものだ。えーい、プランを勝手に変更してやれ。みたいなことがあったのかどうか、仔細はいっさいわかりませんが(事務局で訊いても教えてくれませんでしたから)、プランにあった歴史資料館なる言葉がいつのまにか消えてしまい、初瀬ものがたり交流館とかいうまーたわけのわかんない施設名がいつのまにか浮上してきたのはまぎれもない事実です。

 しかしそんなことはあらかじめ予見できたことである。げんに私なんかプランを一読しただけであーこりゃだめだとびっくりし、プランにおける最大の不備二点を指摘したうえでちゃんと対案まで提示するという市民の鑑とも呼ばれるべき行為をルールにのっとって粛々と実施に移したわけでしたが、何を考えたのかこれをあっさり無視したのが名張市のまちがいその二でした。あとはもうとめどがありません。いわゆるどつぼってやつですか。計画決定はどんどん先送りされ、委員会の協議内容はまったく公開されず、ここへ来てようやく新聞報道によって三億円という予算規模が明らかにされたという始末なわけです。つまり予算の大枠も決定していない状態でなんとか館がどうのかんとか館がこうのという協議検討が進められていたということです。いったい何をやっていたのか。それにいっといてやるけど三億というのはとても不吉な数字だぜ。見るも無惨な失敗に終わった伊賀の蔵びらき事業の予算規模が三億円、おれが自己破産するときに抱えていた借金も三億円。あえて地雷を踏むような予算額だとおれは思う。

 でもって、しかもなおかつほんとにどうよ。9月2日付の中日新聞の記事には、

 ──旧家細川邸改修や江戸川乱歩生家関連施設の建設など歴史拠点整備(予算規模1億から1億3000万円)

 とあるだけでなんとか館だのかんとか館だのの具体的な名称はいっさい出てきません。記事を読むかぎりではプランの詳細はこれから決定されるかのようです。去年6月に発足して以来の委員会の動きはまったく見えてこない。いったいどうなっておるのかな。

 だから勇気をもってやめてしまえと私はいうのである。むろんお役所の常識には反していることであろう。中日新聞の記事では写真のキャプションとして「まちなか再生プランで2008年度までに実施される事業に位置付けられ、既に一部解体工事などが終わった旧家細川邸=名張市新町で」とも報じられていますから、すでに予算を投じている以上あと戻りはできないというのがお役所の主張なんでしょうけど(いわゆる行政の無謬性ってやつですか)、そんなことは全然ないと私は思います。下世話にも過ちを改むるになんとかかんとかというくらいで、なんといっても財政難ではあり、しかも名張のまちなかを歩いてみたって私の知るかぎり、

 「名張まちなか再生プランに期待してます」

 なんていってる人間はひとりもいない。すなわちまちなかの空気が冷え切っているのですから、名張まちなか再生プラン関係者のみなさんももうちょい頭を冷やしてみられてはいかがなものでしょう。頭は冷やしてからつかいましょう。

  本日のフラグメント

 ▼1974年7月

 『不木・乱歩・私』 岡戸武平

 『幻の探偵作家を求めて』のチェックはひとまず終了。本日は同書収録「『蠢く触手』の影武者・岡戸武平」からスライドして岡戸武平の著書に眼を転じます。名古屋豆本という出版社から出た豆本で、サイズは縦が十センチ、横が七センチといった見当。

 不木の葬儀が描かれたあたりから引きますが、人の記憶というのはたしかにあてにならないもので、この『不木・乱歩・私』には、

 ──その日(昭和四年四月一日)の夕刻には江戸川乱歩、長谷川伸、平山芦江の一行や、森下雨村をはじめ横溝正史、水谷準などの博文館勢もかけつけて通夜をするといった順調さであった。

 とあります。四月一日というのは不木逝去の日です。しかし『探偵小説四十年』によれば乱歩が名古屋に到着したのは二日の夕刻で、通夜は二日、葬儀は三日のこととされています。つらつらと案じますに、この場合は乱歩による記録のほうが正確であると判断するべきでしょう。

 葬儀は不木の助手だった武平がいっさいをとりしきり、それもつつがなく終わって、さて東京勢が東京へ帰る途中で──

 「あの葬式の世話をしていた男は、一体どういう男かね。なかなか手際よくやったじゃないか」

 そういったのは森下雨村である。そこで江戸川乱歩が大阪時事新報時代に同輩であったことから、小酒井氏の文筆助手をしているものであることを説明した。

 「では先生が亡くなって生活に困るだろう」

 「そう思うね。だから小酒井全集が出ることになったら、あの男を呼んで編集に当たらせたらいいと思うのだ。だが全集はそう長く続くわけでもないから、うかつに呼ぶわけにもいかないしね」

 「あの男なら博文館で使ってもいいよ」

 そんな話も車中で出たのではないかと、コレハ私の推測である。その後小酒井不木全集は、春陽堂と改造社のセリ合いとなって、条件がよかったものか改造社と決定した。──と同時に私のところへ、五十円の電報為替と、

 「ハナシアルスグコイ」(という意味)

 の電報が江戸川乱歩から届いた。その用件はすぐ推測された。女房に話すと行先き不安だったわれわれの生活が安定することであるし、これを機会に私は東京へ移住し、作家として立とうと心ひそかに考えていた時だったので、勇躍!(まさに勇躍)当時「緑館」という下宿(戸塚町源兵衛)を経営──といっても奥さん任せの乱歩邸を訪れた。

 神戸にいた横溝正史が乱歩から「トモカクスグコイ」という電報を受け取り、勇躍して上京したことを思い出させるエピソードではあります。


 ■ 9月8日(金)
シビアなのにゆるゆる

 とはいうものの、名張市は財政難だから名張まちなか再生プランを実施に移さないってことにすればいいじゃん、みたいなことを主張してみたところで誰も聞く耳はもっておらんのであろうなと私は思う。これまでの経験からしてそう思う。しかしつらつら忖度いたしますに、誰よりも名張まちなか再生委員会のみなさん自身がこんなプランなんてもう投げ出してしまいたいと泣きそうになっていらっしゃるのではないか。ろくに乱歩作品を読んだこともない連中が何十人集まってみたところで乱歩記念館だか乱歩文学館だか、そんなものがおいそれとつくれる道理がない。投げ出すしかないではないか。だったらさっさと投げ出して楽になればいいのに。

 先日も記したことですが、名張まちなか再生プランにとって名張市の財政難はもっけの幸い、渡りに船、いっそ天の配剤でさえあるだろう。お金がないのだからできません、といってしまえばいいのである。ただし名張旧町地区の再生は長きにわたる課題なのであるから、名張市の身の丈や身の程に応じたプランをじっくりみっしり練り直すことにして、プランの策定方法も旧来の発想や手法は捨てて新たに検討いたします、といったことにしてしまえばいいのである。

 プラン策定に際してばかのひとつおぼえみたいになんたら委員会とやらを発足させ、肩書だけで適当に委員を選任するなどという愚かしい前例墨守とはきっぱり縁を切って、もっと有効な手だてがないのかどうかたまには頭をつかって考えてみればいい。いくらでもあるだろう。しかしなーんにも考えつきませんでした、みたいな結論になってしまうのかな。それならそれでしかたあるまい。旧態依然たる委員会をつくるしか手がない、ばかを集めるしか手がないというのであればそれでもかまわん。いっこうにかまわん。上等である。ばかしかおらんというのであればしかたがないではないか。それが名張市のレベルであろうアベレージであろう。

 ただし、ばかならばかでいいとはしても、ばかはばかなりに誠実になれ。謙虚になれ。と書いただけではばかにはわからんだろうからもう少し丁寧に説明してやると、たとえば名張市内にどんな歴史資料が存在しているのかを知らず、知ろうともせず、手前どもはうわっつらのことしか考えておりませーんみたいな軽薄さで、

 ──初瀬街道沿いの最もまとまりのある町並みの中にある細川邸を改修して歴史資料館とします。

 などと適当なことをほざくな。そんな無責任なことを口走るな。市民を愚弄するな。市民を裏切るな。歴史資料館がどうのこうのとほざくのであればせめて名張市立図書館の郷土資料コーナーに足を運び、職員からレクチャーを受けることからはじめろというのだ。もっと誠実になって自身の責務に正面から向き合え。

 それから謙虚さである。もっと謙虚になって人の進言忠言に素直に耳を傾けろというのである。「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」歴史資料館を整備するというのであるから、乱歩にかんしてかけらほどの知識もないおまえらにおれが基本的なところだけでも教えてやろうという外部からの働きかけに対して、

 ──現段階では乱歩に関して外部の人間の話を聴く考えはない。

 などと眠たいこと抜かしてんじゃねえぞこら。もっと謙虚になって自身の責務に正面から向き合え。

 ですからまあ誠実さと謙虚ささえあればですね、名張地区既成市街地再生計画策定委員会にしろ名張まちなか再生委員会にしろここまでのばか呼ばわりを一身に引き受けてしまうことはなかったはずなのですが、ことここにいたってはすでに手遅れ。あとに残されたのは財政難を奇貨とし、誠実さと謙虚さを身につけて仕切り直しを図る道しかないであろうと私は思う。要するに名張まちなか再生プランそのものを再生することが必要であろう。

 もうひとつつけ加えておきましょうか。名張まちなかの再生(以前から主張しておりますとおりあくまでも生活の場として再生することが必要だと私は考えているわけですが)のために予算を投じるというのであれば、それは小林信彦さんの言をかりるなら「〈過去〉の延長としての現在に投資する」(『物情騒然。』)といったことでなければ嘘だろうと私は思う。そのためにはどうしたって名張のまちの過去、すなわち歴史を知ることが必要になるであろう。

 そうしないと名張はからくりのまちでございますだのエジプトでございますだのと人を卒倒させるようなちゃらちゃらした話が出てきかねないわけなのであって(げんに出ておるわけですが)、しかも短期間のイベントや看板一枚の話であればまだご愛敬なのですけれど、名張のまちなかに何かしらかたちのあるものをつくってしまおうという話なのであるからもう少し慎重になってしかるべきであろう。一度つくってしまったらもう取り返しがつかんのだからな。

 しかしそれにしたって、このままで行けば2008年度には名張市が赤字団体になってしまうというまさにその2008年度までに、名張まちなか再生プランというインチキプランにもとづいて三億円をつかいますというのはどう考えたって不合理なことなのではあるまいか。それでなくたって地方財政はいずこもおなじ火の車。日刊各紙の社説をさーっと眺めわたしても、たとえば9月6日付中日新聞はこんなあんばい。

「ゼロベース」の覚悟で
 自治体も改革に手をこまねいてきたわけではない。二〇〇五年には、国家公務員と比べた給与指数を平均九八・〇に抑え、職員数も一九九五年から計二十四万人減らした。

 そうした中、政府は「骨太の方針2006」で、一一年度を目標に十一兆−十四兆円の歳出削減を打ち出した。そもそも何をどう削るのか、具体的なメニューを示していないため、格差拡大に悩む地方圏を中心に、住民サービスの低下につながらないか、不安を募らせる自治体も少なくない。国は全体像を分かりやすく地方に語りかけてほしい。

 ただ、国と地方合わせた長期債務は八百兆円近くにも積み上がっており、自治体としても、もう一歩の改革が必要ではないか。

 栃木県足利市ではこんな試みを始める。省エネ目的の太陽光発電機購入費補助など、公益性が認められる事業であっても、三百五十項目、年間十八億円の補助金すべてを洗い直し、最低でも一億円以上は浮かせるという。同県高根沢町では生活道路の改修を業者ではなく、地域住民に生コンクリートなどを配って舗装してもらう方式に切り替えた。わずかだが百万円単位で出費を減らした。手法は違っても市町村のほとんどが補助金削減に手をつけている。

 かつて、蔵相の諮問機関、財政制度審議会の故鈴木永二会長が、「ゼロベース予算」への転換を強調したことがある。予算項目すべてを例外なく白紙に戻し、必要な予算と必要性、緊急性の薄れた予算を見極め、あらためてゼロから積み上げることによって、無駄を省く予算編成方式だ。機械的に一律削減するような数値目標になってはならないことは当然だ。

 議員の数は多くないか、既得権益化した補助金や交付金はないか。自治体も国から自立し、ゼロベースに挑むくらいの気概が求められる。

 「自治体も改革に手をこまねいてきたわけではない」というのは名張市においてもまさにそのとおりで、市職員のみなさんはもちろん市民のみなさんにも名張市の改革がじつにシビアなものであったことは認知されているところだろうと思いますが、それでもなお財政があぼーん寸前なわけです。その改革のシビアさに比べれば何から何までゆるゆるだというしかない名張まちなか再生プランなんぞにお金を投じていいのか、心の底からそのようにお考えなのか、名張まちなか再生委員会のみなさんから正直なところをお聞かせいただきたいものだと私は思う。ほんとに早く楽になったらどうよ。

  本日のアップデート

 ▼2006年9月

 作家・綾辻行人さん:名張出身の江戸川乱歩にちなみ、ミステリー講演 /三重 渕脇直樹

 本日は第十六回なぞがたりなばり講演会のPRをば。

作家・綾辻行人さん:名張出身の江戸川乱歩にちなみ、ミステリー講演 /三重
 名張市生誕の推理小説作家、江戸川乱歩にちなんだミステリー講演会「第16回なぞがたりなばり」が10月28日、同市蔵持町里の市武道交流館いきいき1階多目的ホールで開かれる。江戸川乱歩賞選考委員で、新本格ミステリー作家の旗手の綾辻行人(ゆきと)さん(45)が「江戸川乱歩にあこがれて」と題して話す。入場券の販売は4日に始まり、先着200人。

 ふるさと振興事業として、市が日本推理作家協会の協力を得て91年から開催しており、これまでに北方謙三さん(92年)や宮部みゆきさん(00年)、高村薫さん(03年)ら日本を代表する推理作家が講演した。

 綾辻さんは京都市生まれ。京大教育学部在学中、推理小説研究会に所属し、同大学院在学中に「十角館の殺人」でデビュー。92年には「時計館の殺人」で第45回日本推理作家協会賞長編賞を受賞した。テレビドラマ「安楽椅子探偵」シリーズでは有栖川有栖さんと共に原作を担当している。


 ■ 9月9日(土)
うわっつらシュニッツラー、意味不明

 うっかり忘れておりましたが、とりいそぎ地域限定のお知らせです。

名張高等学校吹奏楽部第42回定期演奏会

日時9月10日午後1時開場□00
□□□□□000午後1時30分開演

会場名張市青少年センター

入場料500円

主催三重県立名張高等学校吹奏楽部
□□□同OB会□□□□□□□□□□

 学校の夏休み明けに吹奏楽部の女子生徒から、

 「先生、これ……」

 と封筒を手渡されましたので、

 「待ちなさい。こういう関係は君が卒業してからのことにしよう」

 と諭してやろうかなとは思ったのですが、女子高生がこんな色気のない茶封筒にラブレターを入れるか? とか考え直して封を開けてみたら演奏会の招待状が入っておりました。ははは。お近くのみなさんはよろしかったらお運びください。

 県立高校の話題のあとは県議会方面にスライドしておくか。9月6日付毎日新聞、田中功一記者の記事。

田中元県議の暴行傷害:県議会・政治倫理確立特別委の初会合 /三重
 元県議会議長の田中覚氏(48)=8月7日に県議辞職=が、傷害罪で略式命令を受けたことに伴い設置された、県議会の政治倫理確立特別委員会(橋川犂也委員長)の初会合が5日、開かれた。

 同特別委では、「三重県議の政治倫理に関する条例」の制定を目指しており、各会派がまとめた条例の素案などが示された。

 素案では、政治資金規正法や公選法、交通3悪などの違反事件に対する厳しい対応▽配偶者も資産公開の対象とする▽逮捕などで議員活動が事実上停止している期間中の報酬の減額▽口きき防止のため、議員や秘書らが行った提言、要望などの情報公開▽政治倫理基準に反する疑いのある議員が出た際の審査会の設置−− などを提案している。

 なんとも腑に落ちぬ話です。はっきりいって尋常ではない。報じられた素案をいくら読み返しても、この条例によって三重県議会議員がそこらのしゃぶしゃぶ屋で店長あるいは店員に暴行を加えることが抑止されるとはとても考えられません。旧上野市選出の元先生によるとってもお茶目なすっとこどっこい事件に端を発して設置された委員会であるというのに、なーに的はずれなことやっておるのか。ていうか最初から指摘しておりますそのとおり、世に喧伝された元先生の暴行事件なんて政治倫理とはまったく関係のない話である。人としてあほかどうかという問題である。なのに県議会の先生たちはどうしてここまでうろたえまくって幼稚な短絡に走ってしまうのか。火をつけられたばかみたいにわあわあわあわあ大騒ぎして空回りしたあげくのはて、結局はうわっつらのことだけ粉飾してればそれで機嫌がいいのかこの先生たちは。

 しっかしまあどっちを向いてもうわっつらか。ひどいものだ。中味のことに頭がまわらぬものだからうわっつらをいじくるしかないという道理はよく理解できる気がいたしますが、それにしたってもう少しなんとかならんものか。わが名張市におけるうわっつらいじりの典型が名張まちなか再生プランであることは論をまたず、しかもめくるめくほどの既視感をおぼえて私はぶっ倒れてしまいそうになるのですけど、やってることは三重県の官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」とおんなじなわけ。内発的なものがどこにもなく、行政と一部住民が結託して密室のなかで話を進め、税金をいいだけどぶに捨ててしまう。伊賀の蔵びらきも名張まちなか再生もともに予算が三億円だというのもなんだか皮肉な話ですが、両者とも構造的にはまったくおなじ問題を抱えていると私には見受けられます。

 なにしろ私なんて名張まちなか再生委員会事務局に足を運んで委員会の規約や名簿などを入手しつつ事務局スタッフからあれこれお聞かせいただいたとき、その時点ですでに賢くもプランの本質を見抜いておりました。まーた伊賀の蔵びらきとおんなじことかよ、と絶望的な気分をおぼえておりました。論より証拠、昨年7月2日付伝言から引いておきましょう。

 都市計画室は名張市役所の四階にある。名張まちなか再生委員会の事務局はここに置かれている。メールへの返事の電話でそう教えられた俺は、尋ねたいことがあるからと担当者との面談を要請した。指定された日時は七月一日午前九時。俺は八時五十五分に都市計画室に到着した。訪れるのはパブリックコメントを提出したとき以来のことだ。

 担当職員二人とテーブルに着き、俺はまず自分の立場について説明した。お役所の縦割りシステムからいえば、図書館の嘱託である俺が建設部の職掌に口を出すのは明らかな越権行為だ。だが、そんな理屈はお役所の内部でしか通用しない。名張市役所に厳然として縦割りシステムが存在しているという事実は、市民に対するエクスキューズにはならない。

 俺は江戸川乱歩という作家に関する仕事をするために、名張市民の税金から一定の報酬を得ている。図書館とは関係ない部署の事業であっても、乱歩に関するものなら俺はその事業に対して助言や協力を惜しむべきではないだろう。お役所の人間の目にはいかに奇異で非常識なものに映ろうとも、それが俺の職業倫理なのだ。

 一時間ほどいて、俺は都市計画室をあとにした。市役所の四階から一階まで階段を降りながら、俺はたまたま捲き込まれることになったある事件を思い出していた。

 ──伊賀の蔵びらき事件……。

 俺の職業倫理はあの事件と同じ匂いを嗅ぎつけている。名張まちなか再生プランがかすかな腐臭のように放っている、官民合同という名の欺瞞の匂い。三重県の行政が深く関わっていた伊賀の蔵びらき事件は結局迷宮入りとなり、一人の逮捕者も出すことはなかったが、結果として曖昧な汚名が青痣のように残った。その汚名は三重県のものなのか、あるいは俺自身に背負わされたものなのか。

 しかもおそるべし。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」が開幕する一年前から私はこの事業の本質をも見抜いておりました。三重県による予算のばらまきに地域住民が乞食のごとく群がり寄るだけの事業なんざろくなもんじゃねえぞこらと指摘し、しかしさすがに三億円という予算の明細がいっさい伏せられたままで事業が開幕するということまでは予見することができず、あほというのは底が知れんな、との感懐を胸に抱いた次第ではありましたが、三重県が伊賀地域に予算をばらまくという前提がまずあって、それがつまりはうわっつら、その中味をさあどうしようかとばかが右往左往した結果があのていたらくであったというわけです。

 それとまったく同様に、名張まちなか再生プランだってその前提発端出発点をシビアに突きつめてゆくならば、むろん名張まちなかの再生が長きにわたる課題であり、名張市がそれに乗り出すのは結構なことではあるのですが、要するに細川邸というハコすなわちうわっつらがまず厳然として存在しておった。そして再生をスタートさせるにあたって旧態依然とした発想と手法しか存在していなかった。それで結局のところそのハコをどうすればいいのかという最重要の一点で、残念なことではあるが当然のこととしてろくな知恵など出てこなかった。その結果いまやプランはすっかり暗礁に乗りあげているのではないのかな。少なくとも私にはそう見えます。

 だから仕切り直しをすればいいではないか、と私は思う。あせってうろたえて税金をつかう必要なんてまったくない。いくら国のまちづくり交付金事業の採択を受けているといったって、結局ろくな知恵が出なかったのだから事業から降りて仕切り直しをするのは当然のことではないか。制度にふりまわされるような愚かな真似はするべきではあるまい。インチキプランにもとづいて必要もない施設をがむしゃらにつくってしまう、つまりは名張まちなかに深い考えもなく何らかの改変を加えてしまうのは望ましいことでは全然ない。

 私はそのように愚考する次第なのですが、私が何をいったって名張まちなか再生プランも伊賀の蔵びらき事業みたいになりふりかまわず猪突猛進(いやもういっそ盲進か)の道をたどることになるのでしょう。ここでプランの仕切り直しを宣言することは財政難の時代における名張市の勇気や決意や方向性を示すことにもなると判断される次第なのですが、そんなことにはなるまいな。

 しかしこうなりますと、つまりあちらこちらでうわっつらだけにこだわってばかみたいに汲々としてしまう傾きをかくもくり返しまのあたりにしてしまいますと、もしかしたらこれは土地柄ってやつなのかと思われてこないでもありません。そういえば、何百年も前の本にもそんなようなことが書かれておりました。『人国記』という本なのですが。

 「人国記」という言葉は現代でもたとえば新聞の連載コラムのタイトルに使用されたりしておりますが、日本全国を国別に紹介する文章のことであって、いわゆる地誌ってやつですか。その最初のものは室町時代あたりに成立したとされており、著者は不明。どこの国の地勢はどうである気質はこうであるということが記されたこの『人国記』という本に、伊賀の国の人間はとかくうわっつらを飾りたがるという指摘が見えるわけです。

 「人国記」に記された「伊賀国」全文を引いておきましょう。底本は岩波文庫『人国記・新人国記』。

 伊賀の国の風俗、一円実を失ひ欲心深し。さるに因って、地頭は百姓を誑かし、犯し掠めんとすること日々夜々なり。百姓は地頭を掠めんことを日夜思ひ、夢にだに儀理と云ふことを知らざるが故に、武士の風俗猶以て用ひられざるなり。

 いやひでえとこだ。伊賀の国においては一円、つまりどこに行っても人間が実というものを失っている。要するに人としての誠実さがないわけですね。まことというものがない。しかも欲が深い。そのせいで地頭は百姓をどうのこうの、というあたりは土地を支配する側も支配される側も相手をたぶらかし、あるいは相手からかすめ取ることしか考えていないといったことでしょう。人は義理なんてものをまったく知らない。武士の風俗というのは武士らしいしきたりや考え方のことでしょうか、とにかくそんなものはこの国にはいっさい存在しない。要するに欲の皮のつっぱらかった連中ばかりが年がら年じゅう私利私欲だけを求めて眼を爛々と光らせているのが伊賀という国なのである。

 いやひでえとこだ。しかししてみると、伊賀の蔵びらき事業において乞食根性むきだしでわれ先に三億円に群がり寄った伊賀地域住民の欲の深さはある意味DNAレベルのものであったのか。それじゃ勝てねえ。勝てるわけがねえ。

 そんなことはともかく、伊賀の国におけるうわっつらの問題は、よく見てみたらこの『人国記』ではなくて元禄時代に刊行されたいわゆる『新人国記』のほうに説かれておりました。これも岩波文庫『人国記・新人国記』に収録されているのですが、つづきはあしたといたします。

  本日のフラグメント

 ▼1994年9月

 『おいらん』 伝・平井蒼太 城市郎

 フラグメントを引用するべくきのうの朝から岡戸武平の随筆のコピーを探しているのですが、どこに行ったのか出てきません。

 『幻の探偵作家を求めて』の「『蠢く触手』の影武者・岡戸武平」からのスライドは一段落ということにして、同書収録「乱歩の陰に咲いた異端の人・平井蒼太」方面にスライドすることにしました。

 河出文庫『性の発禁本2』に収録された一篇。平井蒼太がものしたと伝えられる(とはいえ蒼太をモデルにした小説「壺中庵異聞」の作者、富岡多恵子さんは蒼太執筆説を否定していらっしゃいますが)「おいらん」というポルノグラフィが紹介されております。

 冒頭を引用。

 本文を紹介する前に、平井蒼太とはいったいいかなる人物だったかを、略歴風に記述してみると、

 平井蒼太他別号多数(本名・通〈江戸川乱歩次弟〉)

 幻想・耽美趣向の士、風狂の果、昭和四十六年七月三日没。

 軟派文献や変態資料猟漁に徹す。戦後、池田満寿夫らの作品の豆本化に情熱を傾ける。傍ら古書通販を営む。

 終生女体愛好に没入、関連の文章をものする。『おいらん』もその一編。

 風狂の果、か……。


 ■ 9月10日(日)
伊賀市のみなさんよろしくね

 『人国記』に描かれた伊賀の国をテーマに、きのうのつづきをつづります。

 ただしわざわざ指摘するまでもなく、この本にかぎらず風土と気質、環境と心理を関連づけて論じるのはいまでも普通に見られることで、県民性たらいうものを題材にした本も出版されてはおりますが、それを全面的に真に受ける必要はまったくないでしょう。血液型による性格判断ほど無根拠ではないにせよ、まなじりを決して向き合うべきものでもないと私は思います。それに私は名張市民のひとりとして痛切に思うのですが、伊賀の国とひとくくりにして説かれることがそもそも承伏しがたい。どうして名張市が旧上野市なんぞといっしょにされねばならぬのか。先の市町村合併騒ぎにおいて(騒ぎと呼ぶしかないてんやわんやでしたけど)、名張市は住民投票を実施したうえで伊賀市の合併には加わらないと決めた。たとえおかゆをすすることになろうとも誰が旧上野市なんかといっしょになるか、てやんでえべらぼうめ、見損なうな、おととい来やがれ、うらめしや、などといろいろな理由にもとづいて結局は合併の道を選ばなかった名張市の市民にとって、伊賀の人間ってどいつもこいつも性格最悪よねー、などと十把ひとからげにしてしまわれてはたまらぬ。最悪なのは旧上野市ではないか、名張市は無実だと叫びたくなってくる。といま述べましたのはもとより私個人の所見でしかないのですが、私の知るかぎり名張市民には旧上野市あるいは伊賀市に対していい印象を抱いていない人が多いようです。嘘だとお思いならそこら歩いてる名張市民をつかまえて伊賀市の印象を尋ねてごらんなさい。返ってくる答えはたとえば、何なんだあの無駄に議員の多い自治体は、みたいなことではないでしょうか。むろん旧上野市あるいは伊賀市にだって、けっ、名張といっしょになんかされてたまるか、ばーか、おとなしくおかゆでもすすってろ、とお思いの方はたくさんいらっしゃることでしょうから、とにかく伊賀の国とひとくくりにされることには不倶戴天、ともに天をいただかぬ間柄である旧上野市と名張市がその一点において共通の認識に立ち、利害の一致を見ることになるのですからともに反対の声をあげたいところではあるのですが、しかし『人国記』というのは一国をひとくくりにまとめて述べることで成立している本なのですからいたしかたありません。伊賀市のみなさんにも名張市のみなさんにも、まあ痛み分けみたいなことでご辛抱願いましょうか。

 ここでふと思い出しましたので伊賀市のみなさんにお知らせ申しあげます。私は来月、伊賀市にお邪魔してありがたいおはなしをお聴きいただくことになっております。きのうにひきつづいて地域限定のアナウンスをどうぞ。

寺 子 屋 歴 史 講 座

大超寺に眠る先人達(第1回)

日時10月15日(日曜日)午後1時30分−3時

会場大超寺本堂(伊賀市上野寺町)

テーマ田中善助と「新しい時代の公」

講師

入場料無料

主催大超寺

 11月12日には津田三蔵、来年1月21日には藤堂玄蕃をテーマにした講座も予定されているようです。地域の歴史を知ることは地域への愛着を深めることにつながります。ろくに地域の歴史を知ろうともせずにここはからくりのまちであるエジプトであるなどと人を卒倒させるようなことを平気で口走るのは大船に乗ったつもりで名張市におまかせいただき、伊賀市のみなさんにはこうした講座を通じて地域社会の歴史に気軽に接していただければと念じております。どうして名張市民であるおまえが伊賀市で話をするわけ? とお思いの方もおいででしょうが、なんとおっしゃる旦那衆。私なんて父親の代まで旧上野市です。かつての依那古村です。悪運つきてくたばったらば伊賀四国第三十四番札所である伊賀市沖の不動寺の墓所に入ることになっております。つまり私は伊賀市とは非常に親しい。それはたしかに名張市には伊賀市のことをあしざまにいいふらす人間もいます。少なからず存在しております。しかし私はちがいます。いっしょにしないでください。私にとって伊賀市は先祖代々の故郷のようなものであり、大超寺でおはなしをするのはいってみれば故郷に錦を飾るようなものかしら。つまり伊賀市のみなさんは私にとって同胞にほかなりません。はらからです。おかしかったら腹から笑え皆の衆。くやしかったら泣きやがれ。ともあれ十万三千人の伊賀市民のみなさんに私はお願いしておきたい。どうぞ仲よくしてちょうだい。

 などと書いてるあいだに時間切れになってしまいました。あすにつづきます。

  本日のフラグメント

 ▼2004年10月

 子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集 脚註=村上裕徳

 本日も平井蒼太。『子不語の夢』の脚註から関連情報を引いておきます。大正14年3月2日付不木書簡に附された脚註です。

経歴は、明治三十三年八月五日名古屋生まれ。三人書房の後、大阪電気局に市電の車掌として勤務し、カリエスとなり、療養後、乱歩から生活の援助を受けながら風俗文献の収集と研究に努め、戦後は後楽園球場に勤めていた。晩年は壺中庵を号して、古書の通信販売をしながら、池田満寿夫の版画による豆本作りに精を出し、乱歩の「屋根裏の散歩者」や当時の池田夫人であった富岡多恵子の詩集あるいは物語を、池田の版画による限定版の豆本(厳密に言うと豆本より大型なので、壺中庵は雛絵本と称していた)で多数出版し、それが池田を国際的に認めさせる契機となった。昭和四十六年七月二日没、七十一歳。平井蒼太以外にも薔薇蒼太郎など多数の筆名を持ち、著作には『見世物女角力志』(昭和8年私家版、限定百部)、『浪速賎娼志』(昭和9年浪楓書店刊、私家版)などがある。書誌については城市郎「画業から奇書出版へ」(『別冊太陽 江戸川乱歩の時代』平成7年)などに詳しい。また日常的な平井通を知るためには、富岡多恵子の『壺中庵異聞』が最上の出来と思われる。