2006年11月下旬
21日 そういうものに私はなりたくない “へんな本” 初版はあるのか?
22日 名張市役所のみなさん失礼しました 装釘考
23日 駐車場のがっくりと来館者のがっかり 9 秘密を盗み見る快楽
24日 書誌系サイトの国枝史郎 「怪人二十面相」解説
25日 おきつもの名張市役所へ行ってきた 解説
26日 横溝正史がらみの乱歩トピックス二件 土蔵で練った推理小説
27日 あまり出来のよろしくないみなさんや 私が選ぶベスト乱歩
28日 あれも委員会これも委員会 五代の黒蜥蜴
29日 乱歩生誕地碑の横に新しい碑を 著作権の保護期間
30日 締切の朝を迎えて結論を出す 巨匠の挿絵故郷に残そう
 ■11月21日(火)
そういうものに私はなりたくない 

 きのうはご心配をおかけしました。おかげさまでメールを無事送信することができました。

 問題は名張市役所オフィシャルサイトのこのページなのであって──

 このページには市街地整備推進室のメールアドレスが「shigaichi@city.nabari.mie.jp」と記されております。それをクリックするとメールソフトが開かれるのですが、その送信先のアドレスはきのう朝の時点ではなぜか「city-plan@city.nabari.mie.jp」となっておりました。それはほらこれこのとおり。

---------- STAROFFICE MESSAGE FOLLOWS ----------

Mail Delivery Error
 Message: User unknown in StarOffice21.(Unknown MAILNO or USERID)
 Code: 01
 Address: <city-plan@city.nabari.mie.jp>

 ところがきょうは「shigaichi@city.nabari.mie.jp」をクリックするとメールソフトには「shigaichi@city.nabari.mie.jp</A,」というアドレスが表示され、これでもまだおかしいですから「</A,」を削除して「shigaichi@city.nabari.mie.jp」に送信いたしましたところ、今度は送り返されてくることはありませんでした。めでたしめでたし。

 メールの文面はきのうとまったくおなじなのですが、末尾の日付をきょうのものに改めました。

 お世話さまです。市立図書館の中です。11月7日朝、ミステリー文庫の担当室の件で質問のメールをお送りしたのですが、まだお答えを頂戴できておりません。ご多用中と拝察し、質問は撤回いたします。そのかわり、このメールに添付したファイルをミステリー文庫担当室にご転送いただきたく、お忙しいところお手数をおかけしてまことに恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

2006/11/21

 添付ファイルも同様で、末尾の日付だけを変更しました。

ミステリー文庫について
 名張市立図書館の中と申します。とりいそぎお教えいただきたいことがあり、メールで失礼ではありますが以下に申し述べます。仔細はまたそちらにお邪魔して、あるいは市立図書館においでいただいて、ということになると思います。

 まずこちらの状況をお伝えいたします。先月、市立図書館が所蔵している蔵書のうち、全国のミステリファンの方から寄贈を受けた図書をミステリー文庫に収蔵するための選書を進めるよう、市立図書館に指示がありました。選書の作業は私が担当することになっております。

 このミステリー文庫にかんしてお訊きしたいことがあります。おおざっぱにいえば、私の質問は次の二点です。

 1)ミステリー文庫の運営主体はどこになるのでしょうか。

 2)ミステリー文庫はどのような施設として運営されるのでしょうか。

 ここで私が疑問に思う点を記しておきます。ミステリー文庫の整備構想が名張まちなか再生プランの一環なのであれば、その検討は名張まちなか再生委員会によって進められているものと判断されます。その仮定に立って話を進めます。

 名張まちなか再生委員会によるこの申し出はあまりにも理不尽なものです。もしも図書館の協力が得たいのであれば、まずミステリー文庫の構想を細部まで説明することが必要でしょう。何の説明もなしにいきなり図書の提供を要請するのは、私には追いはぎ同然の行為であるとしか思えません。

 もっとも、今回の指示は名張まちなか再生委員会から直接もたらされたものではないようです。それは当然のことで、あの委員会はそんなことのできる立場にはありません。仔細はわかりませんものの、名張市役所の市長部局から指示があったものと私は認識しております。これも不可解で筋の通らない話ではあるのですが、要するに名張まちなか再生委員会と名張市とが癒着しているということでしょう。

 私は少なくとも来年の3月末までは図書館の嘱託を務めておりますので、ミステリー文庫のための選書という指示を受けた以上、その作業を進めなければなりません。それには上に記した質問にお答えいただくことが不可欠です。かりにミステリー文庫の運営主体がNPOなどであった場合には、その組織が信を置くに足るかどうかの判断も求められることでしょう。結果として名張市立図書館がミステリー文庫への図書提供をお断りする場合もあるとお含みおきください。

 ともあれ、貴セクションの職員の方であれ、あるいは名張まちなか再生委員会の委員の方であれ、どなたかから詳細のご説明をうけたまわりたく、こちらからお邪魔してもよろしいのですが、図書館の蔵書をごらんいただく必要もありましょうから、どなたか責任ある立場の方に図書館までご足労いただくようお願いしたいと考えます。日時をご指定いただければお待ちしております。選書の期限は11月いっぱいとなっておりますので、勝手ながら早急にご連絡をいただきたいと思います。

 なお来月、名張市立図書館がいつもお世話になっているミステリー愛好団体のみなさんが図書館にお立ち寄りくださることになっておりますので、今回のお願いの件とは別に、そのおりにも図書館においでいただければ、ミステリー文庫構想にかんしてミステリーファンの方から有益なアドバイスを頂戴できるものと思われます。ご一考いただければ幸甚です。

 最後に申し添えますと、名張まちなか再生委員会によって検討されている初瀬ものがたり交流館と乱歩文学館、そして今回のミステリー文庫の三つの施設は、いずれも名張まちなか再生プランには片言隻句も記されておらず、名張まちなか再生委員会の手によってまったく恣意的に具体化されようとしているもので、私はこうした異常な事態を放置し、のみならずそれに加担さえしている行政の責任はきわめて重大であると考えているのですが、今回の選書の件では当面そのことを不問に付しております。

 ご多用中恐縮ですが、よろしくお願い申しあげます。

2006/11/21

 まるでいやがらせみたいに添付ファイルの文面を再掲してみた次第ですが、一日も早くご連絡を頂戴したいものです。このままだと私はお仕事が進まなくて職務怠慢ということになってしまいます。職務怠慢となればリストラの口実にはうってつけではありましょうけど。ていうかその気になればリストラの口実なんていくらでも見つかりましょうけれど。

 さてお立ち会い。ここで念のために申しあげておきましょう。上の文書に私はかくのごとく記しました。

 ──当面そのことを不問に付しております。

 しつこくもくり返しておきますと、初瀬ものがたり交流館、乱歩文学館、ミステリー文庫という三つの施設のことは名張まちなか再生プランのどこにも記されておりません。これは厳然たる事実です。

 それらが名張まちなか再生委員会の手によってまったく恣意的に具体化されようとしているというのも、やはり事実であるといわざるをえないでしょう。プランそのものは市議会のチェックや市民のパブリックコメントといった一定の手続きを経て決定されましたが、プランに書かれていない構想はそうしたバリアを、ではなかったハードルをクリアしていないからです。

 ただしさらに念のために記しておきますと、名張まちなか再生プランの2006年度実施事業にあげられている「(仮称)初瀬ものがたり交流館改修工事」と「(仮称)乱歩文学館基本計画策定」には2006年度の予算がつけられ、それは名張市議会の承認も得ておりますから、これもまあおかしいというかひどいというか、古いやつだとお思いでしょうが筋の通らぬことばかり。

 名張市議会のみなさんやーい。たまにはしっかりしましょうねー。揃いもそろってばかですかー。

 いやいかんいかん。こんなことを口走っておってはいかんぞ。これは撤回しておこう。

 上に記しました文章のうち「揃いもそろってばかですかー」という発言は撤回いたします。そのうえで名張市議会議員のみなさんにお詫びを申しあげます。

 お詫びのしるしに名張市のサイトにある市議会議員名簿のページをご紹介申しあげておきましょう。

 どうもご無礼つかまつった。

 そんなことはともかく名張まちなか再生プランの話ですけれど、私はこうした異常な事態を放置し、のみならずそれに加担さえしている行政の責任はきわめて重大であり、市議会議員のみなさんもいったいどこに眼をつけてやがんだばーか、と考えてはいるのですが、しかしそれでも、

 ──当面そのことを不問に付しております。

 わかりやすくいいますと、私はこの件にかんしては名張まちなか再生委員会のみなさんを怒ったりいたしませんし批判もいたしません、ということです。私はミステリー文学館とやらの構想を知りたい。ただそれだけです。虚心坦懐にそう考えているだけです。そうしないとお仕事が進みません。ですから安んじて構想をお知らせいただきたい。

 お訊きしたいことはいろいろとあるのですが、最大の問題はやはり乱歩の扱いでしょう。ミステリー文庫という施設において乱歩はどのように位置づけられているのか。それをぜひとも知りたいな。知りたいなったら知りたいな。

 私がいくら優秀じゃとて、名張まちなか再生委員会が検討している(との仮定で話を進めているわけですが)ミステリー文庫のことを私が勝手に決めるわけにはまいりません。私は名張まちなか再生委員会の自主性や主体性を尊重しております。名張まちなか再生委員会は名張地区既成市街地再生計画策定委員会の自主性や主体性を無視して名張まちなか再生プランをいいように変更してしまいましたが、私はそういったことはいたしません。そういう人間に私はなりたくないのである。

 それはまあ、自分たちの自主性や主体性を明確にするとそれなりの責任なんてものが生じてしまいますからそんなものはできるだけ曖昧に、いっそないものと考えることが責任回避の第一義であり、名張市役所のみなさんはたぶん日々そんなことに憂き身をやつしていらっしゃるのでありましょうけれどこのこんこんちき、そういった責任回避体質は名張まちなか再生プランにも策定の当初から現在まで濃厚ににじみ出ているから気をつけなければいかんぞ。みずからの自主性や主体性をつねに明確にし、他人の自主性や主体性を重んじることが必要である。

 名張まちなか再生プラン関係者のみなさんやーい。ちっとは気をつけましょうねー。

  本日のアップデート

 ▼2006年11月

 “へんな本” 初版はあるのか?

 古書芳林文庫の目録第十八号に掲載されました。「へんな本」が特集されているのですが、初版の有無をテーマにしたこのパートでは『陰獣』と『空中紳士』、それからエドガー・ウォーレスの『黄水仙事件』の三冊がとりあげられています。

 『陰獣』のくだりから引きましょう。

当店目録No.15の最終頁で“江戸川乱歩『陰獣』の初版は有るのか?”と問て見た。

反応はいまいちだった。

通常『陰獣』の“初版”の発行日は昭和3年11月4日とされている。

(新保博久・山前譲編『乱歩・下』('94)、名張市立図書館『江戸川乱歩著書目録』(H15)ほか)

しかし今までに何冊か扱ってきたが“初版”に巡り合ったことが無い。

現在5・7・11・13・20版を所持しているが奥付に以下の様な異同が見られる。

“初版”の印刷日及び発行日について各版の奥付には次のように記している。

【5版】昭和3年11月1日印刷、昭和3年11月4日発行

【7版】昭和3年11月5日印刷、昭和3年11月8日発行

【11版】昭和3年11月5日印刷、昭和3年11月8日発行

【13版】昭和3年11月5日印刷、昭和3年11月8日発行

【20版】昭和3年11月5日印刷、昭和3年11月9日発行

 これはたしかにそうみたいで、試みに当サイト「江戸川乱歩著書目録」から『陰獣』のデータを引いてみましょう。

陰獣
008
昭和三年十一月四日 博文館
四六判 函 三七六頁 一円五〇銭
陰獣/A Tell Tale Film/お勢登場/双生児/犯罪を猟る男/夢遊病者の死/角男/一人二役/百面相役者
十三版(昭和4年4月30日。初版発行を昭和3年11月8日とする) A・B・C

 「十三版」とあるのは名張市立図書館所蔵の『陰獣』が十三版であることを意味しています。「」は参照した先行目録を示すもので、Aは乱歩が作成した手描きの著書目録、Bは『探偵小説四十年』巻末の著書目録を中島河太郎先生が増補したもの、Cは新保博久さんと山前譲さんの編による目録で講談社『乱歩 下』に収録。名張市立図書館の蔵書では初版発行日が昭和3年11月8日となっているのであるけれど、先行目録を参照して11月4日にいたしましたという寸法です。

 ついでですから『空中紳士』も引いておきましょう。

空中紳士
共著
昭和四年二月二十日 博文館
四六判 函 三三二頁 四丁 一円五〇銭
共著:土師清二、長谷川伸、国枝史郎、小酒井不木 著:耽綺社
空中紳士土師清二、長谷川伸、国枝史郎、小酒井不木、江戸川乱歩
三版(昭和4年3月10日) A・B

 これもまた、

 ──『陰獣』同様今までに“初版”に巡り合ったことが無い。扱った『空中紳士』は全て三版である。

 とのことで、名張市立図書館の蔵書もやはり三版です。

 とはいえこれはいわゆる悪魔の証明で、存在しないものを存在しないと証明するのはどだい不可能な相談でしょう。

 というところで時間切れです。あすは関連の話題をもう少々。

 さあ学校へ行ってこよう。といったってきょうも楽しい校外学習。本日は名張郵便局の前にある皇學館大学まちなか研究室事務室にどやどやお邪魔することになっております。

 ああそうだ。授業が終わったらその足で名張市役所に押しかけることにしようかな。

 名張市役所のみなさんやーい。よろしくお願いいたしまーす。


 ■11月22日(水)
名張市役所のみなさん失礼しました 

 名張市役所のみなさん。きのうはどうも失礼いたしました。

 ──ああそうだ。授業が終わったらその足で名張市役所に押しかけることにしようかな。

 とかなんとか申しあげておきながら、きのうは名張市役所に立ち寄ることができませんでした。どうも申しわけありません。

 私も行こうとはしたんです。きのうは名張郵便局前にある皇學館大学まちなか研究室事務室で校外学習があったのですが、まずこの件について説明しておきますと、あれは十日ほど前のことになるでしょうか、私は所用があってこの事務室にはじめてお邪魔したのですが、たまたま皇學館大学の先生にお目にかかりましたので、初対面でこんな厚かましいことをお願いするのもあれなのだが、とは思いながら、自分は週に一度名張高校の先生をしているものであるが、この事務室でまちなか研究の成果を私の教え子にレクチャーしてやってはいただけませぬか、と切り出してみましたところご快諾をいただき、ただしその先生は日程の都合で無理だからと別の先生をご紹介いただいてきのうの授業となりました。

 プロジェクターを利用して名張の古い写真などもたっぷり見ることができ、じつに面白くてわかりやすい授業でした。さすがにプロの先生はちがうものだなとアマの先生としていたく感服しながら生徒とともに栄町の皇學館大学まちなか研究室事務室をあとにし、それから生徒とは別れて自動車を停めてあった丸之内の市営駐車場に行ってみましたところ、駐車料金が三百円と表示されておりました。

 百円玉をみっつ投入しなければなりません。ところが財布のなかには百円玉が一枚もありませんでした。ありゃ困ったなと思って駐車場の横にある御菓子司さわ田の店内に入ってみたもののこれといって購入したい商品もなく、店頭で販売している粒あん入りの回転焼き(東京のほうでは今川焼きと呼ばれるあれのことですが)が眼につきましたのでそれをふたつ買って小銭をつくり、駐車場の料金を支払って自動車に乗り込みました。

 その時点ではまっすぐ名張市役所に行くつもりだったのですが、つづきはまたあしたつづります。

  本日のフラグメント

 ▼2000年4月

 装釘考 西野嘉章

 『陰獣』に初版はあるのか。

 「芳林文庫古書目録」十八号の「へんな本」特集からスライドして、乱歩には縁もゆかりもない本から引きます。本の内容を当サイト「江戸川乱歩著書目録」のフォーマットに準じて記しておきましょう。

装釘考
平成十二年四月十五日 玄風舎(発行) 青木書店(発売)
A5判 函・カバー 二九一頁 本体五八〇〇円
著:西野嘉章
造本:浅井潔 校正:田宮宣保
近代造本史略──序にかえて
活字/南京綴じ/和装/改題御届/背文字/稀密画/合巻/異装/新装/小口/絵表紙/総クロース装/墨ベタ/軟表紙/軽装/色/三六判/線/装画/袋紙/菊判/見返し/図様/盛装/二度刷り/外函/銀箔/金版/袖珍本/裏絵/包紙/図案/発行日/革装/込み物/作字/誤植/定価/用紙/横文字/クラフト紙/絵文字/仮綴じ/三方アンカット/ノンブル/遊び紙/継ぎ表紙/メタル装/普及版
歴史の文字──記載・活字・活版
参考文献抄録
あとがき
初版

 こんなぐあいにデータを並べただけではおわかりにならないでしょうけれど、内容はもとより造本や組版の細部にいたるまで、趣味に淫するとはこういうことかと納得されるほど趣味に淫した見事な一冊です。

 「発行日」の章では大正13年に刊行された竹久夢二の『恋愛秘語』という本が紹介されています。『陰獣』の初版について考察するうえで参考となるであろうフラグメントとして引用しておきます。漢字はすべて正字が用いられているのですが、この引用では新字といたします。

 なお、『恋愛秘語』の出版歴は、その奥附によると「大正十三年九月十日初版、同九月十五日再版、同九月二十日三版」であるが、初版と再版について発行の実績がない。第三版が事実上の初版に相当したということである。こうした作為は、当時、珍しいことでなかった。たとえば、春陽堂から大正十三年十二月に出された会津八一の処女歌集『南京新唱』がそうである。東光閣から大正十二年に出版された永井荷風著『二人妻』もまた三版即初版本であった。前者は出版社が初刷八百部の売れ行きに自信を欠いていた為と言われるが、その多くは後者のように出版法に絡む発禁を虞てのこと。発行実績を楯に、それを逃れようとしたのだ。夢二の本も、案の定、最後の挿絵は赤裸な「ヌード」であった。

 「三版即初版本」なるものが存在していたとのことです。しかも「当時、珍しいことでなかった」といいます。この「当時」には『陰獣』が出版された昭和3年を含めることが可能でしょう。

 ですからまあ理由はともあれ、というか私は当時の発禁がどういう基準にもとづいていたのかを知りませんので確たることはいえないのですが、『陰獣』が発禁になりそうだからそれを逃れるため三版即初版本として発行実績を偽装した、とは考えにくいと思われ、ですからまあ理由はともあれ、何かしらの必要があって『陰獣』が三版即初版本にされたということであったのかもしれません。

 私は以前、『陰獣』の初版について平井隆太郎先生にお訊きしてみたことがあります。初版があったのかどうかは先生もご存じありませんでしたが、乱歩は初版にはさほど重きを置いていなかったと教えていただきました。乱歩にとって重要だったのは、その本がいったいどれだけ版を重ねたのかということだったそうです。乱歩にしてみれば初版よりは最後の版のほうにより大きな意味があったわけです。なるほどそういうものかと私は得心いたしました。


 ■11月23日(木)
駐車場のがっくりと来館者のがっかり 

 きのうのつづきです。

 おととい、御菓子司さわ田のあれは何店というのか、鍛冶町の本店ではない丸之内の支店で回転焼きふたつを購入してそのおつりで市営駐車場の料金を支払い、自動車をスタートさせながら私は、

 ──あ。

 と思いました。

 ──見本がなくなったではないか。

 何の見本なのか。画像でごらんいただきましょうか。まだ完成しておりませんのでごくアバウトなところになりますが、版下の PDF 画像を GIF 画像にしてみました。クリックしても大きな画像が開かれることはありません。

 「名張まちなかナビ」というタイトルくらいはかろうじて判読可能か。A4サイズ両面四色の印刷物の片面なのですが、名張高校の授業で現在こういうのをつくってるわけです。私の授業は三重県教育委員会から2006年度「元気な三重を創る高校生育成事業」のなかの「地域との絆を育む高校生支援事業」としてご指名を受けており、ですから私は教え子ひきつれて名張のまちの校外学習、あっちこっち歩きまわって地域とのきずなを深めている最中なのですが、県教委からは五万円の予算を頂戴できるとのことですからしめしめ、そのお金で名張のまちをガイドする「名張まちなかナビ」を発行することにしております。わずかA4一枚のチラシというかリーフレットというか、まあそういったものなのですが、これがなかなかのものであると思っておいていただきましょう。

 それで私はおとといのこと、名張市役所に足を運んだついでに商工観光室にもお邪魔して、この「名張まちなかナビ」の配付にかんして職員の方のアドバイスを仰いでこようと考え、モノクロで印刷した見本を携えて家を出たのではありましたが、皇學館大学まちなか研究室事務室でお世話になった先生にその見本をお渡ししてしまいました。「名張まちなかナビ」には皇學館大学のことも出てきますので、ほかの先生にもごらんいただくため大学にお持ち帰りいただいた次第です。

 見本を二セット用意して家を出ればよかったのですが、それに気がつかなかったのが身の不運。ていうかばか、うーん、ばか。ゆえに私は自動車をスタートさせながら、

 ──あ。見本がなくなったではないか。

 と気がついてがっくりし、じつはちょっとしたことでも大学受験に失敗した高校生のような挫折感をおぼえてしまう人間である私はああもうきょうはだめだ、きょう一日の段取りは無茶苦茶になってしまった、もう市役所へは行けない、どっかそこらでお茶でも飲むか、とてんでやる気のない営業マンみたいに市役所行きを諦めてしまいました。

 名張市役所のみなさん。おとといはどうも失礼いたしました。まことに申しわけありません。

 しかしまあきょうあたりは、と考えてもみたのですが本日は勤労感謝の日でお休みか。ああもうきょうもだめだ。きょう一日の段取りはすでにして無茶苦茶である。

 気分転換のため伊賀市の話題にでも移りましょうか。昨日付毎日新聞の記事をどうぞ。

芭蕉翁記念館:移転候補地、答申8年間棚ざらし 伊賀市「合併で中断」 /三重
 老朽化と狭あい化が進み、建て替えが急務となっている伊賀市上野丸之内の芭蕉翁記念館の移転問題が宙に浮いている。旧上野市時代の98年、今岡睦之市長の諮問機関「芭蕉翁記念館建設検討委員会」(関田庄司・委員長)が移転候補地として同市上野丸之内の桃青中学校を「最適」と答申したにもかかわらず、その後の市町村合併などもあって中断し、正式な移転先も決まっていない。同記念館の指定管理者の芭蕉翁顕彰会幹部は「移転先がどこであれ、早く進めてほしい」と気をもんでいる。【渕脇直樹】

 同記念館は鉄筋コンクリート平屋(床面積424平方メートル)建て。芭蕉直筆の俳句や書簡などの文化財や研究文献など約4000点を所蔵・展示し、国内外から年間約1万数千人が訪れている。

 まあしかたないか。芭蕉さんがゆくだの伊賀の蔵びらきだのとうわっつらだけのちゃらいことは税金どぶに捨てながらいくらでもできるようだが、肝心なことは何も決められず結局ほったらかしにしておくしかないということか。あーこれこれ伊賀市のみなさんや。みなさんはまるで名張市のみなさんのようである。

 そんなことはともかくとして、私はこの記事にある、

 ──同記念館は「コンピューターや動画を活用した視聴覚コーナーを設置したいが、スペースがない。(展示に)がっかりして帰る来館者もいる」と話す。

 というくだりを読んで大袈裟にいえば胸ふたがる気分になり、なんとも暗然としてしまいました。

 がっかりして帰る来館者もいる。

 これはそのまま名張市の乱歩文学館だかミステリー文庫だかにもあてはまる言葉でしょう。乱歩にしろミステリーにしろいかようにも面白く加工できる一級品の素材ではあるのですが、乱歩のらの字もミステリーのみの字も知らぬうすらばかがプランニングしているというのですから話にはならぬ。きょうびはやりの言葉でいえばじつにもったいない。もったいないことこのうえない。

 歴史資料館だか初瀬ものがたり交流館だか乱歩文学館だかミステリー文庫だか、何がなんだか私にはさっぱりわからぬのであるけれど、とにかくたしかなのはこれらの施設整備を検討しているのが官民問わず不勉強無教養不見識無責任なうすらばかばかりだということであり、もうひとつ確実なのは、

 ──がっかりして帰る来館者もいる。

 という将来の姿でしょう。ていうか、がっかりして帰る人ばかりではないのか。

  本日のアップデート

 ▼2006年11月

 9 秘密を盗み見る快楽──江戸川乱歩『屋根裏の散歩者』 高橋敏夫

 こんなのが出てるぞとメールで教えてくださった方がありましたので、さっそく購入してきました。中経出版から出た『この小説の輝き!』という文庫本です。

 表紙に「20の名作の名場面で読む『人間』の一生」とあるとおり、名場面をクローズアップして読むことで人間の生というものを際立たせてみようという一冊。人間のライフサイクルに準じて全四章で構成され、「屋根裏の散歩者」は青年期に配されております。

 わたしが、郷田三郎について興味深く思うのは、素人探偵明智小五郎の話を聞き、探偵小説を読みあさりながら、郷田三郎がなぜ「探偵」にではなく、「犯人」とその「犯罪」に魅せられたのか、ということである。

 おそらく郷田三郎は、犯罪に安定しているが退屈な秩序をやぶるなにかを見ていたのだろう。探偵はそれを見つつ犯罪を秩序の安定のほうへとたぐりよせる。探偵は結局のところ郷田三郎の厭う退屈に仕える者といってよい。

 郷田三郎にとり「犯罪」は、退屈な現状への否認行為であった。「犯罪」というゆがんだ方向にしか、退屈さと居心地の悪さを解消する途を見いだしえなくなった者の快楽的行為であった。

 大衆社会が成立し、世の中が面白くないと感じる青年が誕生した。郷田三郎はそうした青年のひとりであり、また現代の青年の原型のひとつでもあるとして、こんなふうな指摘もなされています。

 ──長くて一年、短いのはひと月ぐらい、職業から職業へと転々とする郷田三郎と、現代のフリーターとが、わたしにはかさなって見える。

 この本にとりあげられている二十作を列記しておきましょう。

第1章 子どもたちの感情体験
01 狐 新美南吉
02 銀河鉄道の夜 宮沢賢治
03 鮨 岡本かの子
04 野菊の墓 伊藤左千夫
05 風琴と魚の町 林芙美子
06 自叙伝 大杉栄
第2章 それぞれの青春
07 こころ 夏目漱石
08 野薔薇 小川未明
09 屋根裏の散歩者 江戸川乱歩
10 屋根の上のサワン 井伏鱒二
第3章 ねばりづよく生きる
11 村の家 中野重治
12 猫町 萩原朔太郎
13 鱧の皮 上司小剣
14 黒髪 近松秋江
第4章 晩年の風景
15 死に親しむ 徳田秋声
16 或る「小倉日記」伝 松本清張
17 浮雲 林芙美子
18 老妓抄 岡本かの子
19 六の宮の姫君 芥川龍之介
20 文学のふるさと 坂口安吾

 結構オーソドックスな選択だといえるでしょう。気になるお値段は本体五百五十二円。


 ■11月24日(金)
書誌系サイトの国枝史郎 

 出ました。

 いきなり出ました、なんていうと時季遅れの幽霊みたいな感じになってしまいますが、作品社から『国枝史郎伝奇短篇小説集成』が出ました。えらいボリュームの全二巻。

 未知谷の『国枝史郎伝奇全集』第五巻と第六巻、作品社の『国枝史郎探偵小説全集』と『国枝史郎歴史小説傑作選』、そこにこの『国枝史郎伝奇短篇小説集成』全二巻を加えれば国枝史郎の短篇小説の全貌がほぼ把握できるというしろものです。

 それにしても書きも書いたり。作品の多さにまず圧倒され、いやおれは乱歩でよかったと安堵の吐息のふたつみつ。長く埋もれていた作品をこの二巻のために発掘する労に思いを馳せるにつけても、いやほんとに乱歩でよかった助かったと胸をなでおろすような気分になります。

 第一巻に収録された末國善己さんの「編者解説」に乱歩の名前が見えるのですが、きのうの「本日のアップデート」に登場した高橋敏夫さんの郷田三郎論にも関連しておりますので引いておきましょう。大正10年8月の「講談倶楽部」に発表された「最後の曲芸」の解説です。

 お力は劇場に来ていた美貌の青年に恋をするが、突然、青年が消えたことに衝撃を受ける。ある日、お力は町で青年と再会するが、青年はお力の芸に刺激がなくなったから見に行かなくなったと告げる。すべてに退屈し、強い刺激を受けた瞬間だけ生きていることが実感できるという青年は、江戸川乱歩「屋根裏の散歩者」(「新青年」一九二五年八月)の主人公・郷田を思い起こさせる。こうした退廃的な青年像が生み出されたのには、急速な都市化と大量消費社会がもたらした個の喪失や感覚の変容も関係していたのではないだろうか。

 さてさて、こういった本を前にすると書誌系サイトの血が騒ぐ、ってやつですか。この名張人外境がいつ書誌系サイトになったのかは知らねども、全二巻の収録作品をすべて列挙しておくことにいたしましょう。と考えて版元のサイトを見てみたら全二巻百八篇のタイトルが紹介されているではないか。よーし。負けない。誰に負けないんだか何が負けないんだかよくわかりませんが、うちはもう初出誌紙まで載せちゃう。何を考えておるのか。

 それでは全二巻の内容をどうぞ。画像をクリックすると作品社オフィシャルサイトの紹介ページが開きます。

国枝史郎伝奇短篇小説集成[第一巻]大正十年〜昭和二年
著:国枝史郎 編:末國善己
最後の曲芸 講談倶楽部 1921年8月
種ケ島の由来 サンデー毎日 1924年1月1日「小説と講談」号
つれづれ草 サンデー毎日 1924年1月1日「小説と講談」号
お六櫛由来 現代 1924年1月
天竺徳兵衛 新青年 1924年1月
権太梟 ポケット 1924年2月
鄭成功の恋 ポケット 1924年4月
自来也冒険譚 新青年 1924年4月
辻斬の志道軒 サンデー毎日 1924年4月1日「小説と講談」号
仏師悲願 文芸倶楽部 1924年5月
運命屋敷 ポケット 1924年5月
名画 サンデー毎日 1924年5月11日
駕籠の怪 ポケット 1924年6月
芭蕉と幽霊 サンデー毎日 1924年7月1日「小説と講談」号
大和屋文魚 苦楽 1924年7月
森の神々 ポケット 1924年7月
汪彩 猟人 1924年7月
玉菊灯籠 ポケット 1924年8月
りや女と其角 ポケット 1924年8月
お仙と蜀山人 ポケット 1924年8月
稚子法師 文芸倶楽部 1924年8月
真剣二幅対 ポケット 1924年9月
異説 高尾斬り ポケット 1924年9月
北斎の達磨 ポケット 1924年9月
刺青 サンデー毎日 1924年10月1日「小説と講談」号
天一坊外伝 ポケット 1924年11月
問わず語り ポケット 1924年12月
浅草寺境内 苦楽 1924年12月
瑞軒の智嚢 新青年 1925年1月
天草四郎の妖術 ポケット 1925年1月
南北と四谷怪談 週刊朝日 1925年4月1日
原の笹山一騎討 ポケット 1925年4月
卍の秘密 新小説 1925年4月
前慶安記 サンデー毎日 1925年7月1日「小説と講談」号
草履うち サンデー毎日 1925年10月1日
一茶語る 新小説 1925年11月
五右衛門と新左 大衆文芸 1926年1月
トランプ伝来 サンデー毎日 1926年1月1日「小説と講談」号
宗俊と蛇使の女 ポケット 1926年1月
笑えぬ光秀 改造 1926年2月
山窩の恋 大衆文芸 1926年2月
道真と時平 大衆文芸 1926年3月
鵞湖仙人 ポケット 1926年3月
木曾のすね者 サンデー毎日 1926年4月1日「小説と講談」号
気の毒な蔵人頭 女性 1926年4月
隠亡堀 大衆文芸 1926年6月
お伽噺一つ 週刊朝日 1926年7月1日
物語二つ 大衆文芸 1926年9月
手 大衆文芸 1926年10月
妾宅 文藝春秋 1927年1月
投げられた碁石 サンデー毎日 1927年1月16日
蜜蜂 大衆文芸 1927年3月
首頂戴 週刊朝日 1927年3月15日
平安朝の賊 サンデー毎日 1927年4月1日「小説と講談」号
郡上の八幡 大衆文芸 1927年4月
蜂飼の進四郎 週刊朝日 1927年9月1日
かたな サンデー毎日 1927年9月15日「小説と講談」号
李白 「帝国新読本」第九巻 冨山房 1927年9月
同じ日の二つの仇討 雄弁 1927年12月

 はっきりいって書誌系サイトってのもこれでなかなか大変です。

国枝史郎伝奇短篇小説集成[第二巻]昭和三年〜十二年
著:国枝史郎 編:末國善己
死の花嫁 講談雑誌 1928年1月
出世! 出世! 文芸倶楽部 1928年2月
手紙 サンデー毎日 1928年3月15日
闘鶏師 キング 1928年6月
靄深き夜を サンデー毎日 1928年6月15日
六十年の謎 平凡 1928年11月
真間の手古奈 サンデー毎日 1929年1月1日
志摩様の屋敷 文芸倶楽部 1929年7月
高定の追腹 『修養全集』第七巻 講談社 1929年7月
競争 サンデー毎日 1929年9月10日
新舞子の杜甫 文学時代 1930年1月
夜嵐お絹と福沢諭吉 名古屋新聞 1931年1月11日
懸想人 文学時代 1931年2月
岩淵のお石 キング 1931年3月
長篠の戦 祖国 1931年3月
広重と遊女 文芸倶楽部 1931年4月
討つ人と討たれる人 大衆文芸 1931年5月、7月
女房騒動 文学時代 1931年8月
活ける人形 家庭朝日 1931年11月
高札くらべ キング 1931年12月
若衆悪党 文芸倶楽部 1932年1月
女性がとりもつ 文学時代 1932年3月
修験者荒道中 キング 1932年3月
ムッソリニ 祖国 1932年4月、5月
犬松の生きる道 文学時代 1932年6月
浮世さまざま サンデー毎日 1932年7月1日
水戸街道仁侠剣 キング 1932年9月
封建女性風景 婦人公論 1932年10月
雌雄隠密比べ 講談倶楽部 1933年1月
源五右衛門の小柄 モダン日本 1933年1月
戦国のやくざ サンデー毎日 1933年3月10日
忠僕 祖国 1933年5月
信濃後南朝記 オール讀物 1933年9月
心中木曾街道 講談倶楽部 1933年9月
仇討追分節 富士 1933年9月
清水次郎長 モダン日本 1933年10月
新説八百八狸 キング 1933年12月
戦国禍福綺譚 大衆倶楽部 1934年1月
一刀斎の早技 日の出 1934年10月
薫る南風 維新 1934年12月
赤坂城の謀略 日の出 1935年6月
蚊帳 サンデー毎日 1935年9月10日
加藤四郎左衛門 報国 1935年10月
任侠道場破り 富士 1935年10月増刊号
山林王 新青年 1936年3月
祭の小次郎 ホームライン 1936年3月
悟りから建設へ 浄土 1936年9月1日
お聖人庄助 ひとのみち婦人 1936年11月
天保傘綺談 講談倶楽部 1937年8月

 ごらんのとおり発表順に収録されておりますので、第一巻から収録順に読んでゆくならばこれまであまり注目されることのなかった(と思われます)国枝史郎の短篇作法がどう変化していったのか、そんなこともつぶさに知ることができるはずです。気になるお値段は第一巻も第二巻も本体六千八百円。いずれも限定千部。

  本日のアップデート

 ▼2002年8月

 「怪人二十面相」解説 齋藤孝

 ベストセラーの聞こえも高い『声に出して読みたい日本語2』に「怪人二十面相」が収録されています。ていうか、収録されていました。四年前に出た本です。

 先日、2ちゃんねるミステリー板の「【黒蜥蜴】 江戸川乱歩 第九夜」を閲覧し、「名張市観光協会の乱歩紹介、英語が変」と書かれた投稿706(これです)を発見したことはお知らせいたしましたが、そのあとまたのぞいてみたらば投稿711(これです)でこの本のことが話題にされておりました。「怪人二十面相の台詞が載ってたね」と。

 本屋さんに立ち寄ったときそれを思い出したので立ち読みしてみましたところ、たしかに「怪人二十面相」がとりあげられております。泣く泣く、いやべつに泣きもしませなんだが、一冊購入してまいりました。ベストセラーのはずなのに店頭にあったのは第一刷でした。

 しかしおかしいな。この手の本が出たときには乱歩作品の収録を確認しておくことにしているのですが、『声に出して読みたい日本語』にかぎって私はそれを怠ったのであったか。乱歩作品を声に出して読んでどうする、とでも思ったのかもしれません。

 声に出して読みたいパートとして引かれているのは、光文社文庫版全集第十巻『大暗室』でいえば p.127の

 ──明智は安楽椅子のクッションに深々と身を沈め、

 から p.128の、

 ──僕は生きていてよかったと思う位ですよ」

 まで。「巨人と怪人」の章、明智小五郎と怪人二十面相が鉄道ホテルであいまみえるシーンです。

 ちなみに私の場合は、曲のない話ではありますがやはり声に出して読みたいパートとなれば、

 ──その頃、東京中の町という町、家という家では、二人以上の人が顔を合わせさえすれば、

 にはじまる冒頭の数段落をあげておきたいと思います。

 それでは乱歩スレの2ちゃんねらーの方に謝意を表しつつ、「怪人二十面相」に附された解説から。

 乱歩は、怪しさと妖しさを混ぜ込んだ「あやし」の作家だ。乱歩には、『屋根裏の散歩者』『陰獣』『人間椅子』『芋虫』『押絵と旅する男』など、タイトルからしてあやしげな(内容はもっとあやしい)ものが多い。屋根裏を歩きまわってのぞき見をする男、椅子に入り込む男など、どうにもならない人間が引き起こす事件は、読者ののぞき見趣味をくすぐって飽きさせない。声に出して読むのははばかられる作品も多いが、ハマると楽しい。

 ■11月25日(土)
おきつもの名張市役所へ行ってきた 

 行ってまいりました。

 昨24日金曜日、私は名張市役所に行ってまいりました。

 まず四階の産業部商工観光室にお邪魔して──

 名張高校が編集発行するこの「名張まちなかナビ」についてアドバイスを仰いでまいりました。これは観光案内のパンフレットみたいなものだと思っていただいて結構なのですが、できあがったらとにかくあっちこっちにばらまきたい。三重県教育委員会から、ということは三重県民の税金から五万円をいただいて発行するのですから、「名張まちなかナビ」は税金の使途としてできるだけ有効でありたい。

 名張市が観光パンフレットをつくった場合、市外や県外にはどういうルートで配付しているのであろうか。私はそれを教えていただくべく商工観光室に足を運んだのですが、実際にはそうしたルートみたいなものは存在していないようで、市外では三重県観光連盟(津市にあります)、三重県大阪事務所(大阪駅前第四ビル八階にあります)といったところ、市内では名張市観光協会、日本サンショウウオセンター、やまゆり食堂、伊賀地域内ということであれば名阪国道の伊賀ドライブイン、そんなようなあたりに「名張まちなかナビ」を置いてもらってはどうかとのご助言を頂戴いたしました。

 配付ルートについてはもう少し考えてみたいと思います。それに市外県外もいいけれど、まずもって名張高校の生徒全員とか教職員全員とか、あるいは名張市職員全員とか、そのあたりを視野に入れてかかる必要があるのかもしれません。しかしそうなるとずいぶんたくさん印刷しなければならず、だいたいが五万円しかないのだからと印刷屋さんにはかなり強引に泣いてもらうことになっておりますので、このうえ部数を増やすなどというのは不可能か。いっそ身銭を切って増刷するか。いやなんとも悩ましい話である。頭が痛くなってきた。

 そのあと私は、おなじく市役所四階にある都市環境部市街地整備推進室にお邪魔しました。名張まちなか再生プランの担当室です。

 この「名張まちなかナビ」には名張まちなかの地図を掲載し、細川邸の紹介も記入することにしております。内容はこんな感じ。

細川邸(新町)古い町屋ですが、もうじき「初瀬ものがたり交流館」になるそうです。

 「名張まちなかナビ」には2007年1月23日という発行日も記載しますから、あくまでもその時点での紹介としてこれでいいのかどうか。それを確認していただいたところ、まあいいのではないかとのお答えを頂戴しました。

 そのあと問題のミステリー文庫の話題に入ったのですが、何が何やらよくわからない状態になっているみたいです。

 ここでお知らせをはさんでおきましょう。名張市民のみなさんは上本町にある「休処(やすみどころ、と読むのだと思います)おきつも」をご存じでしょうか。11月4日、ということは例のコミュニティイベント隠街道市の初日にオープンしたサロンです。「名張まちなかナビ」にはこうあります。

休処おきつも(上本町)皇學館大学の学生さんが町屋をサロンにしました。メニューは珈琲、紅茶、たると。

 私はきのうはじめてお邪魔したのですが、町屋の一階がサロンとして開放され、畳の座敷にソファやテーブルが置かれたごく普通の空間。皇學館大学の学生さんがコーヒーや紅茶を出してくれるのですが、よし、ここにしよう、と私はきのう決めてきました。何を決めたのかというと授業を決めてきたわけで、12月の校外学習はこのサロンにのたくりこんで大学生のお兄さんお姉さんと高校生が名張まちなかについて語り合う、といったことになります。できるだけたくさん学生さんに集まってもらうようお願いしてきましたので、なんだか私も楽しみである。

 名張市民のみなさんもぜひ一度、この休処おきつもにお立ち寄りください。上本町といってもアーケード街ではなく、アーケードから出て名張駅に向かう道路の右側にあります。コーヒーは一杯二百五十円でした。

 ちなみに「おきつも」とは何か。「名張まちなかナビ」の「まちなかプチ情報」から引いておきましょう。

万葉集 日本最古の歌集。「わが背子はいづく行くらむおきつもの名張の山を今日か越ゆらむ」という歌を収録。「おきつもの」は「名張」の枕ことば。

 これだけではわからんか。ならば三省堂の大辞林ネット版から。

おきつもの 【沖つ藻の】
((枕詞))

[1] 沖つ藻が波に靡(なび)くさまから、「靡く」にかかる。

 ・─靡きし妹は〔出典:万葉 207〕

[2] 沖つ藻が隠れて見えないことから、「隠(なば)り」と同音の地名「名張」にかかる。

 ・─名張の山を今日か越ゆらむ〔出典:万葉 43〕

 〔補説〕「おくつもの」とする説もある

 以上、お知らせでした。ミステリー文庫の話題はまたあすにでも。

  本日のアップデート

 ▼2006年11月

 解説 山前譲

 山前譲さんの編による集英社文庫のアンソロジー『文豪の探偵小説』に収められています。

 乱歩作品は収録されておりませんが、いわゆる文豪の書いた探偵小説について解説で述べるとなれば、それはもう当然のことながら乱歩の業績が紹介され所説が援用されることになります。

 ここには結びの段落を。

 『吾輩は猫である』の終盤、迷亭が苦沙弥らに、「この間ある雑誌をよんだら、こういう詐欺師の小説があった」とある小説の筋を披露している。その小説がロバート・バーの「放心家組合」(あるいは「健忘症連盟」)だと初めて指摘したのは、奇想溢れる小説で読者を魅了した山田風太郎だった。江戸川乱歩が古今の推理小説ベストテンにも選んだ作品である。探偵を非難しつつも、漱石もやはり探偵小説に惹かれるところがあったのだろう。いや、それは漱石に限らない。小説を書くものは誰しも探偵趣味をもち、人間にたいして探偵的興味を抱くに違いない。本書に収録した文豪の探偵小説が、そのひとつの証明である。

 こちら書誌系サイトなれば収録作品も列記しておくなり。

文豪の探偵小説
途上 谷崎潤一郎
オカアサン 佐藤春夫
外科室 泉鏡花
復讐 三島由紀夫
報恩記 芥川龍之介
死体紹介人 川端康成
犯人 太宰治
范の犯罪 志賀直哉
高瀬舟 森鴎外

 気になるお値段は本体五百七十一円なり。

 最後にもうひとつお知らせ。きょうは横溝正史生誕地碑の建立二周年記念イベントの日です。詳細は「番犬情報」でどうぞ。


 ■11月26日(日)
横溝正史がらみの乱歩トピックス二件 

 いよいよもって奇々怪々なのが名張市のミステリー文庫構想なのですが、その話題に入る前にきのう神戸で催されました横溝正史生誕地碑の建立二周年記念イベントにかんする報告をごく簡単に。

 新開地にある神戸アートビレッジセンター三階で神戸探偵小説愛好会の野村恒彦さんによる発表「横溝正史の作品と挿絵──『新青年』を中心に」が行われました。乱歩関連のトピックスをふたつ。

 横溝正史が「新青年」昭和4年2月増刊号に発表した「双生児」は、タイトルの左にこう記されていたそうです。

Asequl to the story of same subject by Rampo

 いわゆるサブタイトルのような扱いらしいのですが、「Asequl」とは何か。発表を終えた野村さんにお願いしてホワイトボードにこの英文を書き出していただき、それを眺めながらふたりで首をひねっておりましたところ、参加者のおひとり(どなたなのかは存じませんが、やや年配でいかにも先生という印象の方でした)から最初の「A」は冠詞ではないか、つまり「A sequl」ではないかとの助言を頂戴しました。なるほどそれなら体裁は整います。ならば「sequl」って何? やっぱり意味がわからない。

 さっき調べてみましたところ、「sequl」は「sequel」の誤植であることが判明しました。「sequel」には「(文学作品などの)続編((to, of ...))」との意味があるといいます(小学館のプログレッシブ英和中辞典ネット版の語釈によります。現物はこちらでどうぞ)。

 ですから「双生児」のタイトルに添えられていた英文は正しくはこうなります。

A sequel to the story of same subject by Rampo

 名張市観光協会御用達(などといつまでも意地の悪いこといってちゃいけませんけど)、Yahoo! 翻訳で和訳してみると──

Rampo による同じ主題の物語の続き

 要するに乱歩が大正13年10月におなじく「新青年」に発表した「双生児」の続篇である、ということでしょう。この英文は正史自身がタイトルに書き添えたものと見るのが妥当なはずで、だとすればここにこめられていたのは乱歩への敬愛であったのか、あるいは敵愾心のようなものであったのか。敵愾心といってしまうと大仰にすぎましょうけれど、正史の本心を勘ぐってみたくなるのは事実です。そういえば、きのうの横溝正史生誕地碑建立二周年記念イベント記念大宴会でも乱歩と正史の複雑な関係性がひとしきり話題になっておりましたっけ。

 トピックスその二。発表の会場では野村さんの蔵書が回覧されたのですが、そのなかに正史の『鬼火』がありました。昭和10年9月10日に出た本で、発行は春秋社、発売は松柏館。巻末には何ページにもわたって書籍の広告が収録されており、なかに乱歩の『人間豹』が見つかりました。昭和10年5月まで連載され、10月に刊行された作品。広告の惹句が面白かったので書き写してきました。

日本探偵小説界の

元老が久し振りに

幾萬の亂歩フアン

の渇望を醫する近

来の名篇 ! !

 昭和10年の9月といえば乱歩は満四十歳(10月で四十一歳ですけど)。四十歳で「元老」なんですからたいしたものだといえばいいのか、なんだかずいぶんな老人扱いだといえばいいのか。現代の感覚からは大きくずれていますが、当時は四十で元老であっても違和感はなかったのかもしれません。夢野久作なんてまだ若いのに「老生」という一人称をつかっていたと記憶しますし。にしても、「久し振りに」という言葉からは乱歩がすでに探偵小説の書き手としては過去の人であったみたいなニュアンスが感じられてしまうのですが、読者諸兄姉はいかがお考えでしょうか。

 さて、きのうの大宴会でもちょっと話題にするだけで大笑いされてしまった名張市のミステリー文庫、その奇々怪々な構想についてはまたあすにでもつづりましょう。

  本日のアップデート

 ▼2006年11月

 土蔵で練った推理小説/江戸川乱歩の世界 南正時

 このところ日本経済新聞夕刊の掲載記事でお世話になりっぱなしの Peter-Rabbit さんからまたしてもお知らせいただきました。「懐かしの風景」というコラムで旧乱歩邸がとりあげられています。

 むろん伝説の土蔵も紹介されていますが、それが「幻影城」と呼ばれたなどというガセネタはいっさい記されておりません。よろしい。じつによろしい。なんだかすがすがしい気分です。

 「実際の祖父は、和風好みで冬はこたつの中に、夏は座いす、時々は布団の中で執筆していました。昼と夜が逆でしたから、一緒に食事することも少なかったが、初孫とあって、とてもかわいがってくれました」と語るのは、案内してくれた孫の平井憲太郎さん。

 土蔵の書庫に入ると、そこは乱歩の世界が広がっていた。私と憲太郎さんとは旧知の間柄なのだが、本棚から蔵書を取り出すそのしぐさに、乱歩先生がその場にいるような錯覚に見舞われた。年とともにますます祖父に似てきた憲太郎さんに、乱歩の面影を見たのだった。

 平井憲太郎さんが乱歩に肖ていらっしゃることは、人形+写真の石塚公昭さんもどこかで指摘しておいででした。石塚さんは乱歩の人形をつくるためにいやというほど乱歩の顔写真をごらんになったはずですから、これは肯綮にあたる指摘でしょう。じつは私も同意見。乱歩というのは面長の二枚目で眼の下が長く、当代の著名人でいえば阪神タイガースの藤川球児投手もおなじタイプの面貌と見えます。


 ■11月27日(月)
あまり出来のよろしくないみなさんや 

 なッ、なんてことをするんだッ。

 思わずのけぞってしまいました。

 横溝正史生誕地碑建立二周年記念イベント記念大宴会で話題になっていたのに失念してしまい、さっき思い出してあわてて検索してみたところやはり出版されているではありませんか。こんな本が。

 またしても乱歩全集です。版元は沖積舎。昭和36年から38年にかけて刊行された桃源社版乱歩全集全十八巻の復刻版で、函とカバーがついておるそうな。

 なッ、なんてことをするんだッ。

 光文社文庫版乱歩全集全三十巻が今年2月に完結したと思ったら、今度は全十八巻の復刻版全集か。本体三千円かよ。どうあっても購入しなければならぬところではあろうけれども、いまさら桃源社版全集を復刻されてもなあ。どうしてこういうことするかなあ。まあいいか。光文社文庫版全集とともに座右に備えておけば桃源社版全集で乱歩がどのような斧鉞を加えたのか、それを手軽に照合することができるであろうしなとでも考えておくことにいたしましょう。くわしいことは第一回配本の『パノラマ島奇談』を入手してからまたいずれ。

 なッ、なにをやっておるのだッ。

 思わずのけぞってしまいました。

 ミステリー文庫の話題です。ほんとに驚いてしまいますから心してお読みください。

 何から記していいのやら、なんだか途方に暮れてしまいそうな感じもありますので、結論から書いておきましょう。私が名張市役所を訪れ、名張まちなか再生プランの担当セクションである都市環境部市街地整備推進室にお邪魔したのは11月24日金曜午後のことでしたが、私はそのおり、庁舎内部でミステリー文庫を検討しているみなさんからおはなしをお訊きしたい、できれば市立図書館においでいただきたい、日程が決まったらご連絡をいただきたい、とお願いして市街地整備推進室をあとにしました。

 庁舎内部での検討とはいったい何か。

 いや、その前に乱歩文学館のことに触れておきましょう。今年7月に出た「広報なばり」で今年度中に「(仮称)乱歩文学館基本計画策定」を行うとされていたあの施設のことですが、市街地整備推進室で乱歩文学館の話はまだ生きているのかとお訊きしてみたところ、どうもややこしいことになっているようです。乱歩文学館の構想はまだ生きているという見方もあれば、乱歩文学館からスタートした協議がミステリー文庫に落ち着いたとの認識もあるようで、要するにとっても曖昧、五里霧中、なんとも奇々怪々なことになっているとしかいいようがありません。

 そしてそのミステリー文庫にかんして現在、なんと庁舎内部で検討が進められているとのことなのである。庁舎内部でというのは名張市役所の職員によってということです。

 なッ、なにをやっておるのだッ。

 ミステリー文庫とやらは名張まちなか再生プランの一環として名張まちなか再生委員会が検討しているのではなかったのか。どうしてまた庁舎内部で検討されたりなんかしているのかしら。質してみますと、名張まちなか再生委員会から名張市に対し、乱歩文学館というかミステリー文庫というか、あるいは桝田医院第二病棟の活用策というか、とにかくそういった問題にかんして大略こんなようなことが伝えられたそうです。

 ──名張市が方針なり方向性なりを示してくれなければ自分たちは何も決められない。

 ばーか。まったくばーかとしかいいようのない申し出ではあれど、とにかくこれを受けて名張市教育委員会あたりが庁舎内部での検討とやらを進めているという寸法であるらしい。それにしてもいまごろになっていったい、

 ──なッ、なにをやっておるのだッ。

 と私は思います。

 あーこれこれ名張まちなか再生委員会のみなさんや。そういうご託は最初に並べろ。手前どもはきわめて不勉強無教養不見識無責任な人間でございますので施設整備の検討などというだいそれた真似はとてもできかねます、と最初にいえ。この期におよんで泣きごと並べてんじゃねーぞこのとんちき。

 いいかこら名張まちなか再生委員会のみなさんや。あんたらのおつむの程度なんてこちとら最初からお見通しである。論より証拠。昨年7月5日付伝言から引きましょう。7月1日に名張市役所を訪れ、名張まちなか再生委員会についてあれこれお訊きしてきたときの報告です。

六月の賢人会議
 協働という、あまり美しくない日本語がある。

 共同でも協同でもない。協力の協に働くと書く協働だ。この言葉がいつごろからつかわれてきたのか、俺にはよくわからない。和辻哲郎の「古寺巡礼」か何かに使用例が見えると聞いたこともあるが、確認する気は起きない。昔読んだ岩波文庫の細かい活字を読み返すのは、いまの俺にはかなりの苦行だ。

 だが、この言葉がこれほどまでに幅を利かせ始めた時期を特定するとなれば、おそらく十年も遡る必要はないにちがいない。官民あげて拝金主義にうつつを抜かしたうたかたの日々が去り、あとには長い不況が席を占めつづけた。そして金融政策と不良銀行処理の誤りがこの国の零落を決定的に方向づけたころ、気がつけばこの言葉は悪質なウイルスのように日本中に蔓延していたのだ。

 全国の地方自治体は抵抗力のない老人のように感染した。住民の参画と協働の推進。参加と協働による地域づくり。市民協働によるまちづくり。そんなフレーズがいまや全国いたるところの自治体でコピーアンドペーストされている。行政と住民が目的と情報と責任とを共有し、望ましい地域社会を構築してゆく。それが協働という言葉の意味であるとすれば、それは非の打ちどころのない正論だろう。

 だが、全国の地方自治体がこぞって協働というお題目を唱え始めたのは、お役所が正論の正当性に目覚めたからでは決してない。協働なる言葉の爆発的な感染は超弩級の財政難によって推進されていた。分配能力を失ってしまった政府は市町村合併という名のリストラ策を打ち出し、地方は協働という言葉を無責任で向こう見ずなアウトソーシングとして現実化する道を選んだ。いい例が指定管理者制度だろう。民間の手法を公の施設に活用することで経費削減やサービス向上が期待できます。そんな甘言の裏側で、公立図書館をはじめとした公共施設が公の名にそぐわないものになろうとしているのだ。

 協働なる言葉について長々と論じている余裕はないが、この言葉が全国のお役所に蔓延した結果として、お役所の人間の責任回避と思考放棄が裏打ちされたことは見逃せない。彼らはこれまで、まともにものを考えるということをしてこなかった。封建時代さながらに前例を墨守し、国の管理に唯々諾々と従い、みずから率先して個を圧殺することでお役所という特殊な空間を維持してきた。

 責任回避と思考放棄が体質と化している彼らにとって、協働という言葉は渡りに船の金科玉条だった。まちづくりの主役は住民自身です。そういって頭を下げておけば、彼らはいつまでも責任を回避し思考を放棄していられる。そして主役のはずの地域住民も、残念ながら事情は同断だ。みずからの利得に関してだけは強慾なまでに敏感だが、地域社会全体のことはすべてお役所に一任して涼しい顔をしてきた人間には、いきなり主役だと持ちあげられたところで戸惑うか勘違いするかのどちらかしかできないだろう。

 協働という言葉の貧しい内実は、伊賀の蔵びらき事件が雄弁に物語っているところでもある。芭蕉生誕三百六十年にあたった昨年、協働という言葉が具体化されるはずだった三重県の官民合同事業が暴き出したのは、関係者が目的も情報も責任も共有できないという事実だった。協働という言葉が絵空事に過ぎないという冷厳な事実を、彼らは身をもって示してくれたのだ。しかし教訓は生かされない。彼らと同じ轍をいま、名張まちなか再生委員会が踏もうとしているのだ。

 名張まちなか再生委員会の規約には、第三条としてこんなことが定められている。

 「委員会は、名張地区まちづくり推進協議会委員、名張商工会議所会員、まちづくり関係団体の構成員及び名張市の職員の中から推薦された者、学識経験者、その他委員会の活動目的を理解し、役員会で認められた者で構成し組織する」

 その委員名簿を目にして、俺は笑いをかみ殺すのに苦労した。まず何より、伊賀の蔵びらき事件の関係者が名を連ねていたからだ。しかもそのなかに、いつか俺の前で細川邸の裏を見世物小屋にしてリピーターを増やすという素敵もないアイディアを披露してくれた男が混じっていたからだ。

 ──この顔ぶれなら無理もない。

 俺はそう思った。存在していない歴史資料のための施設を整備する。そんな不合理な事業計画が、この委員たちによる六月二十六日の会合で手もなく承認されたのだ。何と素晴らしい賢人会議だろう。むろん歴史資料館の整備は名張まちなか再生プランに盛り込まれたひとつの案件に過ぎない。しかし早急に着手されるべき重要課題のひとつと位置づけられているはずだ。

 げんに俺が目にした新聞記事では、細川邸の歴史資料館化は委員会が手がけるべき事業のトップにあげられていた。つまりこの委員会は、欺瞞のうえに砂上の楼閣を建てようとしているのだ。そういえば、その新聞記事にはこんな文章も見られた。

 「委員会は改修・整備内容や運営方針などを市からゲタを預けられた形で具体的に決めていく」

 「ゲタを預けられた」というこの表現に、かすかながら協働という言葉に対する冷ややかな揶揄のニュアンスを嗅ぎあててしまうのは、俺の読解力が鋭敏に過ぎるせいなのだろうか。

 ハードボイルドだど。

 ついでですから翌6日付伝言からも。

悪夢のための就眠儀式
 名張まちなか再生委員会の構成は、まるで再来した悪夢のように複雑だ。役員は九人。名張まちづくり推進協議会の人間が委員長に就いている。ほかに、テーマごとに設置されたプロジェクトチームが五つ。

 歴史拠点整備プロジェクト。

 水辺整備プロジェクト。

 交流拠点整備プロジェクト。

 生活拠点整備プロジェクト。

 歩行者空間整備プロジェクト。

 合計四十一人もの委員がこのいずれかに所属し、プロジェクトごとにチーフが一人。俺は悪夢の再来をまざまざと実感した。責任の所在を曖昧にし、能力の不足を糊塗するために、必要以上に人を集めて重層化されたひとつの組織。それは理念の一致も意思の疎通もなく、無方向な繊毛運動のようにひたすら迷走しつづける。これはまさしく、いつか見た悪夢であるにちがいない。どこかで人知れず就眠儀式が執り行われ、悪夢は確実に蘇っているのだ。

 ──俺はいま、のちに名張まちなか再生事件と呼ばれることになるだろう一連の騒動の幕開けに立ち会っているらしい。

 俺が当面相手にするべきなのは、歴史資料館構想を担当する歴史拠点整備プロジェクトの連中だ。メンバーは十一人。それぞれの名前の備考欄には、彼らが帰属する組織の名称が列記されている。

 名張商工会議所、名張地区まちづくり推進協議会、からくりのまち名張実行委員会、名張市観光協会、乱歩蔵びらきの会、名張市企画財政政策室、名張市文化振興室、そして名張市都市計画室。

 俺は委員名簿から目をあげ、テーブルを隔てて坐っている担当職員二人に向き直った。メンバー表を交換した時点で勝ちを確信した監督のように、俺は意気揚々としていた。名簿に並んだ十一人の名前を指さしながら、俺はいった。

 「このあまり出来のよろしくないみなさんに一本釘を刺しておきたい。そういう場を設けてもらいたいのだが」

 「釘を刺すとはどういうことですか」

 担当職員がさすがに気色ばむ。俺は畳みかける。

 「知識の注入。ここに並んでいるのは歴史資料のれの字も知らないような連中ばかりだ。名張のまちの歴史にしろ乱歩のことにしろ、プロジェクトを推進するためには最低限必要な知識というものがある」

 十一人のメンバーを見たかぎり、そんな知識を持ち合わせた人間は見当たらない。しかし担当職員は反論した。俺の前に設立総会事項書の三ページが開かれ、職員はそこにプリントされた再生整備プロジェクト会則の第五条を示した。

 「チーフは、必要があるときは、構成員以外の者の出席を求めて意見を聴くことができる」

 専門的な知識が必要な場合は、それに応じて専門家に教えを乞えばいいというわけだ。しかし残念ながら、俺が指摘しているのは基本的な知識の必要性だ。あるいはまっとうな見識の必要性だ。むろん知識や見識が不足していようとも、人の助言や提案に耳を傾けることのできる人間なら問題はない。若い連中の語彙に準じていうならば、全然大丈夫ですというやつだ。

 だが、伊賀の蔵びらき事件の経験は、他者から寄せられた正当な批判を頑なに拒みつづける人間が少なくないことを俺に教えた。そして歴史拠点整備プロジェクトメンバーは、十一人のうち三人までが伊賀の蔵びらき事件の関係者で占められている。帰趨はすでに明白だというべきだろう。

 俺は、歴史拠点整備プロジェクトのチーフがその第五条に則り、俺という構成員以外の者の出席を求めて意見を聴いてくれることを要望しておいた。それから、市立図書館嘱託の責務として、乱歩関連資料に関する見解をふたつ伝えた。資料をこれから収集するのはかなりの難事である。市立図書館乱歩コーナーにある乱歩の遺品は、遺族の承諾を得て歴史資料館で展示することが可能であろう。以上のふたつだ。

 そのあと、奇妙なことが起こった。俺のパブリックコメントについて、職員から質問が寄せられたのだ。細川邸を、歴史資料館ではなく名張市立図書館のミステリ分室として整備する構想についてだ。乱歩の遺品と著作を展示し、全国のミステリファンから寄贈されたミステリ関連図書を公開すれば、名張市にはきわめてユニークなミステリ図書館が誕生する。

 そういった構想をあらためて説明しながら、俺は心のなかで首をひねった。俺のパブリックコメントが採用されなかった理由が説明されたのであれば、そこには何の不思議もない。あなたのコメントにはこういった面で支障があり、実現不能でしたのでプランに反映させることができませんでした。それが伝えられたのであれば不思議はないのだ。だが実際には、俺はすでに不採用と決まった構想の説明を求められていた。

 ──どういうことだ。

 俺は職員二人から視線を外し、その背後の大きな窓を眺めた。ガラスの向こうには、そのまま悪夢の世界につながってでもいそうな不吉な印象を帯びて、暗い空がどこまでも広がっていた。

 ちゃんと書いてありましょうが。私は名張まちなか再生委員会事務局で昨年の7月1日、

 「このあまり出来のよろしくないみなさんに一本釘を刺しておきたい。そういう場を設けてもらいたいのだが」

 と申し出たわけです。「このあまり出来のよろしくないみなさん」というのは名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクトのみなさんのことです。私は相手にしたくなどないのであるが、そのみなさんが「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」歴史資料館の整備を検討するとおっしゃるのですから、私は立場上からいっても委員会への協力を申し出ないわけにはまいりません。すると事務局スタッフから、

 「釘を刺すとはどういうことですか」

 との質問がありましたので、

 「知識の注入。ここに並んでいるのは歴史資料のれの字も知らないような連中ばかりだ。名張のまちの歴史にしろ乱歩のことにしろ、プロジェクトを推進するためには最低限必要な知識というものがある」

 と私はお答えいたしました。この申し出に対する回答がどんなものであったのかは、いまさら記す必要もありますまい。

 まったくなッ、なにをやっておるのだッ。

 ていうか、これはむしろ避けがたい必然であるというべきでしょう。こんな連中が何十人あつまったって何かを決めるなんてことできる道理がないと、私は最初から指摘しておったではないか。だから名張まちなか再生委員会のみなさんはまずまっさきに自分たちのおつむの程度を確認してみる必要があったわけなのですが、いまさらそんなこといったってはじまりません。あえて現段階でひとすじの光明を見つけておくならば、ようやくにして行政の主体性ってやつが問題視されてきたということでしょうか。

 乱歩をどうする、と名張市からボールを投げられた名張まちなか再生委員会のみなさんが、そんなこと丸投げされたっておれたちはばかなんだからわからんのだ、だいたいおまえたちこそ乱歩をどうする、と名張市にボールを投げ返した。これはいい傾向でしょう(それ以前にばーかとしかいいようがない事態ではあるわけですが)。上に引いた「六月の賢人会議」から再度引くならば──

 責任回避と思考放棄が体質と化している彼らにとって、協働という言葉は渡りに船の金科玉条だった。まちづくりの主役は住民自身です。そういって頭を下げておけば、彼らはいつまでも責任を回避し思考を放棄していられる。そして主役のはずの地域住民も、残念ながら事情は同断だ。みずからの利得に関してだけは強慾なまでに敏感だが、地域社会全体のことはすべてお役所に一任して涼しい顔をしてきた人間には、いきなり主役だと持ちあげられたところで戸惑うか勘違いするかのどちらかしかできないだろう。

 これが全国の自治体に蔓延している「協働」の本質なのであって、この言葉のかげに埋もれかけている行政の主体性ってやつを遅まきながら問題視できた点はなかなかよろしい。それを受けて名張市役所の内部で乱歩をどうする、みたいなことが検討されはじめたのだとしたらそれは喜ばしいことであるといいたいところではあるけれど、なにしろ検討しているのが名張市教育委員会あたりであるというのだから困ったものである。

 名張市教育委員会なんてあんなもの、実際ろくなもんじゃねーんだぞというおはなしはまたあした。

 ここでお知らせしておきましょうか。三重県が協働なる言葉を具現化するための合言葉「新しい時代の公」は県民の74%に知られていない、というアンケートの結果が報じられておりました。ご参考までに。

県民1万人アンケ:知事提唱「新しい時代の公」 「知らなかった」74%に /三重
 行政の新しい取り組みとして野呂昭彦知事が提唱する「新しい時代の公」について、「よく知っている」という県民はわずか3・9%で、「知らなかった」という県民が74・6%に上っていることが、県が実施した06年度の県民1万人アンケートで分かった。

 「新しい時代の公」の理念は、県だけでなく、県民一人一人やNPO、企業、各種団体など多様な主体が力を合わせ、より良い地域を目指す取り組み。04年度から県の総合計画「県民しあわせプラン」に盛り込み、05年度からは実践事業も実施している。

 しかし、アンケートでは、「知らなかった」が74・6%を占め、05年度調査の75・6%と比べ、わずか1ポイントしか認知度は上がっていなかった。「聞いたことはあるが、内容はよく知らない」も18・9%(05年度18・0%)あり、「よく知っている」は05年度と同じ3・9%しかなかった。

 協働ってやつもなかなか大変みたいです。

  本日のアップデート

 ▼2006年12月

 私が選ぶベスト乱歩

 「小説現代」12月号の特集です。この号は「江戸川乱歩賞作家の読切り小説特集」とのことですから、その関連企画といったところでしょう。

 乱歩作品のなかから「人気ミステリー作家七人が一作を厳選。それぞれの胸の奥に秘めた思い出を綴ります」との触れ太鼓で登場するのは西村京太郎、赤川次郎、逢坂剛、井沢元彦、藤原伊織、真保裕一、綾辻行人のみなさん。

 どなたの文章を引用しようかと考えたのですが、沖積舎版乱歩全集の第一回配本が『パノラマ島奇談』であるらしいことに鑑みましょう。西村さんがまだ小学生だった太平洋戦争当時を回想した一篇です。

空襲と『パノラマ島綺譚』
西村京太郎
 ただ、この頃、私は、ミステリーとして読んでいなかったような気がする。では、どんな感じで読んでいたかというと。ポルノ小説みたいに読んで、胸をときめかせていたのだと思う。戦争のまっただ中で、美しいものより、勇ましいものが尊ばれ、もちろん、女性のヌード写真など皆無の時代だから、思春期の少年にとって、わくわくするものがないから、乱歩のいくつかの作品が、その代わりになっていたのかも知れない。生きた人間が、椅子の中にかくれて、知らずに腰を下す人間との皮膚の感触とか、或いは、ゴム張りの部屋には、乳房やお尻の形の突起があって、触れると、ぶよんと凹んだり、ふるえたりする感覚、乱歩のそんな世界に、思春期の私は、胸をときめかせたのだ。今風にいえば、倒錯した感覚といえばいいのかも知れないが、戦争一色のあの時代は、ただ、ひたすら、こうした乱歩の世界に、のめり込んでいったのである。

 ■11月28日(火)
あれも委員会これも委員会 

 それではきのうの予告どおり、名張市教育委員会なんてろくなもんじゃねーんだぞというおはなしです。

 まず「乱歩文献打明け話」の第四回「ああ人生の大師匠」から引きましょう。1998年3月に発表した文章です。

 さて、嘱託になった私は、名張市や名張市教育委員会が乱歩についてどう考えているのかを知りたいと思った。私は私なりに、名張市立図書館が乱歩に関して何をすればいいのか、そのプランはもっていた。しかし、それが名張市や名張市教育委員会の考えと整合性をもったものかどうかは判らない。早い話が、名張市は昭和四十年代のなかばに乱歩記念館の建設構想を打ち出しているのだが、その構想が生きているのか死んでしまったのか、生きているとすればどういう形で残っているのか、そしてその構想と図書館との関係はどうあるべきなのか、そのあたりを確認しておかなければ動きようがないのである。そこで私は、教育委員会のしかるべき地位にある方に文書で質問を提出した。図書館が乱歩に関して何をすればいいとお考えか、教育委員会としての見解なり方向づけを示してほしい、といった内容の文書である。

 あーこれこれ名張まちなか再生委員会のみなさんや。普通はこうです。ものごとというものは普通こんなぐあいに進めます。私は名張市立図書館から要請されて乱歩資料担当嘱託になったわけなんですから、名張市や名張市教育委員会が乱歩にかんして何を考えているのか、乱歩をどうするつもりなのか、そのあたりの事情を知っておく必要があります。これはあたりまえの話です。

 ところがみなさんと来た日には、名張まちなか再生プランに片言隻句も記されていなかった桝田医院第二病棟の活用策を勝手に検討しはじめてしまいました。乱歩文学館なんだかミステリー文庫なんだか知らんけれど、しょせんは乱歩のらの字もミステリーのみの字もわきまえぬ有象無象どもめ。去年の6月から大騒ぎしたあげくがこのざまか。いまごろになって名張市の方針だの方向性だのとごちゃごちゃぬかしてんじゃねーぞこら、と私は思う。

 いっといてやる。名張市には乱歩にかんして方針もなければ方向性もない。そんなものは何もない。見事にない。あってたまるか。それは私が保証してあげよう。「乱歩文献打明け話」の第四回「ああ人生の大師匠」からふたたび引くぞえ。上の引用につづく段落ぞなもし。

 教育委員会のしかるべき地位にある方、といちいち書いていてはまどろっこしい。かりにX氏としておくが、X氏からは、しかし何の返事もなかった。やっぱりな、と私は思った。教育委員会には何の見解もないのだ。それは充分に予想されていたことなので、私は驚きもしなかった。そして、とりあえず自分なりのプランを実行するべく、『乱歩文献データブック』の予算を要求するよう手配した。平成七年十一月のことである。つまりお役所では、毎年十一月に次年度予算獲得のための動きが始まる。来年はこういう事業を進めますからこれだけの予算をいただきたいという折衝が始まるのであって、市立図書館は教育委員会に対し、『乱歩文献データブック』刊行という事業を行いたいと申し出たのである。図書館長がことあるごとに事業の必要性を説いてくれたこともあって、ゴーサインが出た。一昨年三月の市議会で、予算が正式に認められたのである。

 あーこれこれ名張まちなか再生委員会のみなさんや。普通はこうです。私は名張市なり名張市教育委員会なりの意向を知りたいと思った。だから教育委員会のしかるべき地位にある方(当時の教育長のことですけど)に文書で質問した。しかし何の返答もなかった。見解も方向づけもいっさい示されなかった。まあそんなことであろうなと私は了解し、そのうえでお役所の意向とはかかわりなくみずからの判断にもとづいて江戸川乱歩リファレンスブックのお仕事にとりかかった。

 ですからですね名張まちなか再生委員会のみなさんや。名張市に乱歩のことで何かを尋ねたって返事なんか絶対にありゃせんぞ。連中の頭はきれいにからっぽだ。名張まちなか再生委員会のみなさんとおなじようにからっぽだ。名張市教育委員会であろうが名張市であろうが、乱歩のことを本気になって考えたことなんてただの一度もないのである。もうずーっと五十年ほどそうなのである。名張まちなか再生委員会のみなさんとて同断であろう。桝田医院第二病棟の活用を検討する人間が乱歩作品を読んでなくてどうする。乱歩を知らなくてどうする。ばかかおまえら。

 とにかくもう官であれ民であれ、この名張という名の土地に住むうすらばかどもの本音は明白である。去年の8月4日にすっかり明らかになってしまったのである。

怪人19面相   2005年 8月 4日(木) 20時 6分  [220.215.61.171]

勘違い馬鹿のお方、いずれ近いうちに会うたるで。
連絡したるからまっとれ。
県民の血税を搾取なさったごとき事業をなさったオマエ、図書館嘱託のいんちきおっさん。
いろいろ返事を書いて頂いて有難う。
そもそも江戸川乱歩みたいなものどうでもええねん。20面相のキャラで又スフインクスのナンチャッテ写真で公益活動を実践しているのだから貴様につべこべ言われる筋合いとちがうねん!
回りくどい難しい言い回しでわかりにくいことくどくどゆうな、ボケ!

以上。

尚私は♂です。
商工会議所で会う理由もありません。
割と回りくどいのが嫌いな性格の人間です。
だいぶ我慢をしてメールを書いています。

推理作家の大家よくお考えあれ!!

 こらインチキ委員会(この場合の委員会というのは名張まちなか再生委員会のことを指しております)のみなさんや。みなさんのお仲間がこんなふうに宣言してくれておるではないか。

そもそも江戸川乱歩みたいなものどうでもええねん。

 何回読んでも笑えるけれど、これがみなさんの本音でしょう。名張市教育委員会だってそうである。

 こらインチキ委員会(この場合の委員会というのは名張市教育委員会のことを指しております)のみなさんや。みなさんはいったい何を検討しておいでなのか。乱歩文学館だかミステリー文庫だか、とにかく桝田医院第二病棟の活用策を検討していらっしゃると私は聞き及んでいるのですが、乱歩もミステリーも知らぬ人間がからっぽの頭あつめて何を検討しようというのかな。まったく無駄な検討だというしかないのであるけれど、それがみなさんの公務ってやつなのかな。

 しかしまあこれこれ名張市教育委員会のみなさんや。そんなこといっててもしかたありませんからお会いすることにいたしましょう。私は11月24日に名張市役所の市街地整備推進室にお邪魔して、庁舎内部でミステリー文庫を検討しているみなさんからおはなしをお訊きしたい、できれば市立図書館においでいただきたい、日程が決まったらご連絡をいただきたい、とお願いしてきたわけなのですが、現在ただいまは図書館においでいただくための日程調整におおわらわといったところでしょうか。ご多用中まことに申しわけありませんけれど、早く連絡してくださいね。

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 ▼1990年3月

 五代の黒蜥蜴 石崎勝久

 新橋演舞場で「黒蜥蜴」が上演されたおりのパンフレットに掲載されました。ある方からコピーをお送りいただきましたので、深甚なる謝意とともに「乱歩文献データブック」に記載いたしました。

 舞台は三島由紀夫二十年祭新派特別公演。演出は坂東玉三郎さんと福田逸さん。出演は松坂慶子、津嘉山正種、荻野目慶子、井上純一らのみなさん。上演は3月2日から26日まで。

 松坂慶子さんは五代目の黒蜥蜴ということになるそうですが、ここには初代黒蜥蜴について記されたくだりから引用しておきましょう。

 そもそも、三島由紀夫の『黒蜥蜴』の誕生は一九六二年(昭和37)三月の東京サンケイホールの舞台だった。いまはなくなってしまったが、当時はこのホールは、しばしば演劇興行に使われていた。東京にまだ、それほど劇場が多くなかった時代だったし、大手町という地の利もあって、独立プロデューサーはこのホールを利用していろんな意欲の舞台をつくったのである。先代松本幸四郎が、新珠三千代を相手役にシェイクスピアの『オオセロー』をつくったのも、このホールでだった。

 ついでに云っておくと、六二年という年はマリリン・モンローが死んだ年でもあり、先代の十一代目市川團十郎が四、五の二ヵ月にわたって襲名興行を行い歌舞伎座始まって以来の記録的大入りでわいた年でもある。

 『黒蜥蜴』初演の舞台で、黒蜥蜴を演じたのは水谷八重子、そして明智小五郎を演じたのは芥川比呂志。水谷八重子は当時の新派の超大物だが、まだ花柳章太郎も健在の時代とあって気に入った舞台があればよく外部出演した。そして芥川比呂志、こちらは劇団文学座のバリバリの精鋭で当時四十一歳。戦後の新劇でいまだに噂に残る『ハムレット』の好演で聞え、その芥川が相手役であることが八重子の興味をかきたてたようだ。

 ほかの配役がまた、今から思えば興味深い。雨宮に配された田宮二郎はその前年の映画『女の勲章』で評価されたとはいえまだ二十七才の新進、早苗の大空眞弓にいたってはテレビの『カミさんと私』の明るい娘役で評判の二十一歳のピチピチギャル。とにかく松浦竹夫演出の初演『黒蜥蜴』には、配役面からも“新鮮さ”があふれていた。そして圧巻だったのは八重子の黒蜥蜴でその存在感の大きさ、絢爛さは、この作品は“ただ八重子のためにある”と思わせたほどだった。さすがの芥川も、八重子の大きさの前に屈したなと思った記憶がある。岩瀬は小川虎之助、老家政婦ひなは賀原夏子だった。


 ■11月29日(水)
乱歩生誕地碑の横に新しい碑を 

 あーこれこれ名張市教育委員会のみなさんや。お返事はまだかな。私の経験からいいますとこの時期におけるみなさんの逃げ口上はただひとつ、市議会定例会が近づいておりますのでいずれまたあらためまして、ってやつなんですけど、そんなこといってる余裕はあるのかな。早くしないといかんのではないかな。

 いやいや、早くしたっておなじかもしれぬ。町村合併で発足してすでに五十年あまり、乱歩にかんしてずーっとずーっと無策無能でありつづけた名張市という自治体がいきなり乱歩文学館だのミステリー文庫だの、煎じつめれば乱歩をいったいどうするのかという難問に答えを出せるわけがない。ものごとを考える能力もなければ乱歩のこともミステリーについても何も知らない。そんな人間が何十人あつまって検討とやらを重ねてみたところで何もまとまらぬ。検討はまったく無意味である。そんな時間があるのであればそれを利用してそこらの便所掃除やってたほうがまだましである。

 あーこれこれ、などと甲斐ない呼びかけを重ねるのにも飽きてきた。われながらよくもこんなにおなじことばかりいいつづけられるものだと感心してしまいます。試みに「乱歩文献打明け話」の第三回「わが悪名」から引いてみましょう。1997年12月に書いたものです。

 あだしごとはさておき、要するに私は、江戸川乱歩という作家に関しては、もはや名張市や名張市教育委員会に何の期待もしていないのである。どんな事業をやってほしいとも思っていないのである。むろん私には、これまで乱歩関連事業に携わってきた市職員諸君を批判する気はまったくない。彼らの労苦を多とするにいささかも吝かではない。どうもご苦労さまでしたと心から申しあげたい。しかし、乱歩に対する敬愛の念や乱歩に関する知識もなしにお役所が乱歩関連事業を手がけることに対しては、やはり批判の目を向けざるを得ないのである。

 だから私は、これは前回も書いたことだが、名張市はもう乱歩から手を引いてはどうかと思っている。乱歩という郷土出身作家に本気で取り組む気がないのなら、思いつきでしかないうわべばかりの乱歩関連事業など、いくら積み重ねてもあまり意義はないのではないかと愚考している。

 いまとおなじことを私は九年前にもいってるわけです。名張市はもう乱歩から手を引けと。思いつきでうわっつらだけ飾るのはいい加減にしておけと。ほんとにうんざりしながらいってたわけです。

 それがこのうすらばかども何が乱歩文学館だミステリー文庫だいい加減にしろといっておるのがわからんのかこのこんこんちき。やるのならちゃんとしたことをやれ。できないのなら何もするな。無駄に税金をつかうな。せっかく寄贈していただいた桝田医院第二病棟ではあるけれど、活用策を見事に考えつけないのだからいたしかたあるまい。

 「幻影城」

 とか、

 「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」

 とか刻まれた乱歩生誕地碑の横にもうひとつ碑を建てて、

 「幻滅城」

 とか、

 「うつし世はばか よるの夢でもばか ねてもさめてもばか」

 とか刻んだうえ、

 ──この土地はこの地に誕生した江戸川乱歩に関連して活用することを前提に土地所有者の方からご寄贈いただきました。名張市における官民双方の精鋭を結集して鋭意だらだら検討を進めましたが、びっくりしたことに有効な活用法を何ひとつ考えつくことができませんでした。よってまことに遺憾ながら粛々とこのまま放置しておくことにいたします。いまはただ百年河清を俟つの心境でございます。あらあらかしこ。かしこくないけど。

 とでも書いておけ。それで済む話ではないか。とにかく笑えるし。

 いや済まないか。そんなことでは済まないか。あーこれこれ名張市教育委員会のみなさんや。そんなことでは済まないのかな。ならばどうする。どうするの。みなさんがいくら検討したって何も決まらない。それだけはたしかだ。

 さあどうするの名張市教育委員会のみなさんや。とにかくおはなしをうかがいたく、早く連絡してきてくださいね。してきてくんないのならこちらから名張市役所にお邪魔いたしますけど、あんまり世話を焼かせるな。

  本日のアップデート

 ▼2006年11月

 著作権の保護期間

 ネット検索でひっかかってきた読売新聞の記事。著作権保護期間の延長問題を解説する内容です。

著作権の保護期間
受講生の主婦S代さん

 「著作権の保護ってどういうことなのでしょう」

文化庁著作権課長の甲野正道さん

 「保護期間中は、著作者だけに作品の複製や展示、上映などができる権利が与えられます。他人が作品を使うには、著作者の許可を得て使用料を払わなくてはなりません。著作者に利益を与え、創作意欲を高めるためです。保護期間の終了後は他の人も自由に使えるようになります。期限があるのは、作られてから一定期間を過ぎた著作物は、社会全体の共有財産にするべきとの考えからです」

H男さん

 「延長すべきとの意見が出ているのはなぜですか」

日本音楽著作権協会管理本部副本部長の川上拓美さん

 「欧米などでは70年にする国が増え、主流となっています。50年としているのは、もともと著作者の孫の代まで財産を守るためでしたが、その後、平均寿命は延びています。各国が互いの文化を尊重するには、『日本だけは別』という考えは通用しません。このままだと今後、作品を日本では流通させたくないという作者が出る可能性もあります」

 ここに私見を述べておくならば、著作権保護期間は現行の五十年で全然OK。そもそも今回の期間延長問題の根っこにあるのはディズニーの利権ではないのか、と私は認識しております。記事にあるように、

 「欧米などでは70年にする国が増え、主流となっています」

 とかなんとかいわれたって、

 「欧米か?」

 と答えておけば済む問題なのであって、そんなものに追従する必要はどこにもない。

 記憶だけに頼って書いておくと山田風太郎は五十年だって長すぎる、みたいなことをどこかに書いていたはずです。死後五十年たってなお読まれる作家なんてごく少数ではないか、と。

 読売の記事には「今後、国内での保護期間が終わる主な著作権」の表が掲載されていますので、それも引用しておきましょう。ただしまるまる転載してしまうと著作権とかその周辺の権利関係で問題が生じるかもしれません。表のうちの「主な作品」の列は省いておきます。

今後、国内での保護期間が終わる主な著作権
終了年 著作者名 分野など
2007年
高村光太郎 詩人
宮城道雄 作曲家
会津八一 歌人
2008年 小林古径 日本画家
徳富蘇峰 評論家
2009年 横山大観 日本画家
2010年 高浜虚子 俳人
永井荷風 作家
2011年 和辻哲郎 哲学者
2012年 津田左右吉 歴史学者
2013年 室生犀星 詩人
柳田国男 民俗学者
吉川英治 作家
2014年 長谷川伸 作家
2015年 佐藤春夫 詩人
2016年 江戸川乱歩 推理作家
谷崎潤一郎 作家
山田耕筰 作曲家
※終了年は、作品が公共財として自由に使えるようになる年を指す

 もちろん乱歩は死後五十年たってもなお読まれつづけることでしょう。ほんとにたいした作家だと思います。

 そういえば、と私はぼんやり思い返すのですが、たしかに2016年は乱歩の著作権の終了年であったなあ。私は昔、乱歩作品がパブリックドメインとなった時点で全作品を名張市立図書館のオフィシャルサイトに掲載し、江戸川乱歩リファレンスブックのデータなどとあわせてインターネット上にまさしく幻影城、江戸川乱歩アーカイブをつくることを夢想したこともあったなあ。

 しかし現実には江戸川乱歩リファレンスブックのデータを名張市立図書館のサイトに掲載することさえできないのだものなあ。お金がないからできないといわれたものなあ。『江戸川乱歩執筆年譜』を出したあとと『江戸川乱歩著書目録』を出したあと、二度にわたっていわれたものなあ。

 だから私は確信犯として著作権法にあえて違反し、自分のサイトに江戸川乱歩リファレンスブックのデータを掲載しているのだからなあ。訴えられたらたしか三十万円以下だかの罰金だものなあ。三十万円なんてとても払えないなあ。しかたないから江戸川乱歩リファレンスブックの正当な対価を求めて名張市を相手に裁判でも起こすかなあ。そうすれば三十万円を払えるかもしれないなあ。

 それにしても江戸川乱歩リファレンスブックをネット上で公開するお金もないのに乱歩文学館とかミステリー文庫とかお金のかかることをいいだすんだものなあ。何なんだろうなあ。ばかなのかなあ。ばかなんだろうなあ。


 ■11月30日(木)
締切の朝を迎えて結論を出す 

 ありゃりゃ。もう11月もおしまいではないか。あーこれこれ名張市教育委員会のみなさんや。

 いやもうやめておこう。何いったって聴く耳はもたぬであろう。考えてみれば最初からそうである。名張市教育委員会にかぎった話では全然なくて、名張まちなか再生委員会の関係者は、ていうか名張まちなか再生プランの関係者は最初から聴く耳などまったくもっておらなんだのじゃ。私の進言に耳を傾けておきさえすれば、いまごろになってこれほどじたばたする必要もなかったであろうものを。

 ばーか。

 こうなったら、と私は思うのですが、名張市は名張まちなか再生プランにかんする住民説明会を開くべきではないでしょうか。細川邸はこうします桝田医院第二病棟はこうします、みたいな結論が出ていなくてもいっこうにかまいません。プランの現状がいったいどうなっているのか、それを正直に公表するだけでかまわない。ところが実際はあいもかわらぬ隠蔽体質。ごくかぎられた数の人間がかげでこそこそ密談し、市民のコンセンサスなどはなから無視したうえ名張まちなかに潜在している可能性の芽を踏みにじって、あげくのはては責任のなすりあいか。

 ばーか。

 いっといてやるけど名張まちなか再生委員会にも名張市教育委員会にも、桝田病院第二病棟を乱歩に関連してどう活用するか、なんてことを考える能力はまったくない。乱歩文学館にしたってミステリー文庫にしたって、それを検討するためには乱歩やミステリーにかんする知識が必要であることはいうまでもないし、それと同時に乱歩やミステリーへの愛着がなければならぬであろう。

 そういえば先日、11月25日に開かれた横溝正史生誕地碑建立二周年記念イベントでお目にかかったさるミステリマニアの方に、

 「もしかしたら乱歩生誕地碑のある場所にミステリー文庫とかいうのができて、へたしたらNPOが運営することになりそうです」

 と嘆いてみましたところ、こんなお答えが返ってきました。

 「うーん。そりゃよほどミステリーにくわしい会員がいるNPOでないとだめだね」

 まさしくそのとおり。しかし名張市にそんな人間がいるわけありません。いらっしゃるのはそこらのなんとか委員会みたいになんだか絶望的な人たちばかり。どこにミステリーの知識があるの。どこに乱歩への愛着があるの。何もないではないかいな。すっからかんのかーらからではないかいな、桝田医院第二病棟をどうするこうするとあーでもないこーでもないと検討していらっしゃるみなさんは、もしかしたら乱歩の生家がどこに建っていたのかさえご存じないのではないかいなと案じられる次第なのですが、しかし心配はご無用。きょうはトンボのない画像を掲載いたしますが──

 この三重県立名張高等学校謹製「名張まちなかナビ」をごらんいただけば、乱歩の生家がどこにあったか程度のことはひとめでおわかりいただけるはずです。もう少し待っててね。

 それにしてもきょうが30日だというのだから困ってしまう。ミステリー文庫とやらに提供する名張市立図書館の蔵書を選別するという私のお役目、きょうが締切なわけなのね。でもできない。ミステリー文庫がどんな施設として構想されているのか、運営主体はどこになるのか、そういったことが判明しなければ何もできない。このまま何もしなければ私は職務怠慢のそしりを免れぬのであるけれど、でも何もできない。ていうか、怠慢なのはいったい誰なのかな。

 それでとりあえず現時点における私の結論を明らかにしておくとすれば、

 ──ミステリー文庫なんかつくるな。

 むろんどんな施設になるのかさっぱりわかりませんから頭ごなしに否定するわけにもまいりませんが、名張まちなか再生委員会や名張市教育委員会などというろくでもない委員会が検討しているのですからろくなものにはなりっこない。だから結論。

 ──ミステリー文庫なんかつくるな。

 さるにてもこんなインチキ構想がいったいどこからわいて出てきたのやら。おそらく私が名張まちなか再生プランに対して提出したパブリックコメントが火種かとも想像されるのですが、私の構想はあくまでも名張市立図書館ミステリ分室をつくれというものなのであって、そのパブリックコメントを掲載しておきますから関係各位はプリントアウトしてよく読んでごらん。下記の画像をクリックすると全十枚の文書が開かれます。

 私もこの「僕のパブリックコメント」をざっと読み返してみましたが、自分はほんとにおなじことしかいってないなとあきれ返ってしまいました。よくいえば全然ぶれてないわけです。何から何までぶれまくりの名張まちなか再生プラン関係者のみなさんは、たまにゃ私を見習ったらどうよ。

  本日のアップデート

 ▼2006年11月

 巨匠の挿絵故郷に残そう 伊万里出身・古賀亜十夫さん遺作展 来月2日から

 きょうも読売新聞の記事です。乱歩とはそれほど関係がないのですが、図書館系情報でもありますので録しておくことにいたしました。

巨匠の挿絵故郷に残そう 伊万里出身・古賀亜十夫さん遺作展 来月2日から
 伊万里市出身で、児童本を中心に挿絵作家の第一人者として活躍した古賀亜十夫(あそお)(本名・千代次)さんの原画など膨大な作品が晩年を過ごした同市の自宅に残されていることが確認された。挿絵は多くの人が子どものころ目にして広く知られているもので、遺作の散逸を防ごうと、有志たちが「古賀亜十夫作品を伊万里に残そう実行委員会」を設立し、活動に乗り出した。12月2日から10日まで伊万里市民図書館ホールで遺作展を開き、理解と協力を呼びかける。

 古賀さんは1905年生まれ。画才に恵まれ、伊万里商業高の美術教師として勤務したが、夢を捨てきれず44歳で上京。苦労しながら出版社の挿絵を描いて評価を高め、「少年ケニア」などで知られる絵物語作家の山川惣治ら巨匠たちと肩を並べる地位を築いた。

 偉人傳(でん)文庫や偉人伝全集(ポプラ社)の「野口英世」「リンカーン」「二宮金次郎」「山田長政」、少年少女世界の名作集(小学館)の「ガリバー旅行記」「ドン・キホーテ」「子じか物語」などのほか、江戸川乱歩の「怪人二十面相」(講談社)など多岐にわたる挿絵を手掛け、80歳で挿絵画家を引退。伊万里市に帰郷し、2003年2月に98歳で亡くなった。

 ──江戸川乱歩の「怪人二十面相」(講談社)

 とあるのは青い鳥文庫の『怪人二十面相』のことでしょう。1983年12月10日に出た新書判の書籍です。

 乱歩の著作ではポプラ社の少年探偵江戸川乱歩全集13『天空の魔人』(1956年)、講談社の江戸川乱歩推理文庫36『灰色の巨人/魔法博士』(1988年)でも古賀亜十夫の挿絵を見ることができます。