2007年1月上旬
1日 謹賀新年あるいは細川邸原論 江戸川乱歩全集2
2日 迎春あるいはミステリ分室概論 フリークス
3日 賀正あるいはへろへろ総論 ステーションの奥の奥
5日 まだちょっとへろへろ ステーションの奥の奥
6日 さあ名張市はどうするの 乱歩と探偵文壇
7日 強風に負けるなカリスマここにあり 陰獣の静子
8日 図書館の本分ってなによ 作者を走らす名探偵
9日 どの口で乱歩顕彰なんてほざいてやがる 探偵小説について
10日 うわっつら自治体を批判する たたり
 ■1月1日(月)
謹賀新年あるいは細川邸原論 

 あけましておめでとうございます。どのような新年をお迎えでしょうか、などと大きなお世話はやめにしてさっそくまいりましょう。

 といったってきょうはきのうの翌日ですから降って湧いたみたいに新しい話題が出てくるわけでもなく、年があけてもまずこのスレッド。

 最新のレス五件を引いてみますと──

904 :名無しさん@七周年:2007/01/01(月) 01:19:30 ID:I2PkobAW0

次の最高裁の判断が出るのは何年後だ?
死ぬのを待っているのか?
本当に法治国家なのかよ!


905 :名無しさん@七周年:2007/01/01(月) 01:22:32 ID:nVh0Eyn60

>>904
捜査の過ちを意地でも認めない検察に
検察に都合の悪い証拠は全て無視した上に、原告側に悪魔の証明を要求する司法

日本は中国のことを笑えない人治国家です


906 :名無しさん@七周年:2007/01/01(月) 03:14:17 ID:z1CxysdN0

あらためて控訴審の判決文を見たが、これは酷いね。
ハナから奥西勝=有罪を前提に、被告人にとって不利な証言、証拠だけを取り上げて、
有罪説を阻害する証言、証拠については、理由もなく排除している。
そのために生ずる矛盾も無視。
この暴走っぷりは、雪を見て「黒色」と判断を下しそうな勢いだ。

控訴審の裁判官、上田孝造・斎藤寿・藤本忠雄の3名の、裁判官としての資質を疑わざるをえない。
彼らは、本来、裁判官になるべき人間じゃなかったのかもしれない。

2ちゃんねらーの方が、ずっとまともに裁判官が務まると思う。
だからこその裁判員制度なのかね。


907 :名無しさん@七周年:2007/01/01(月) 03:28:19 ID:z1CxysdN0

>>873
奥西勝が犯人ではないとすると、消去法で・・・(´Д`;)
まさかとは思うが。


908 :名無しさん@七周年:2007/01/01(月) 03:46:09 ID:z1CxysdN0

奥西死刑囚の母

 奥西死刑囚の母の死が伝えられた記事を目にした。
 そこには、彼女が受けた仕打ちが書いてあった。

 事件後、家のガラスを割られ、土足で家に上がられ、頭を蹴飛ばされ、庭で土下座をさせられたそうだ。
 こんな状態では住んでいられないので、事件の翌年には市内の別の場所に引っ越し、67年に落ち着くまで4回の引っ越しを余儀なくされたそうだ。
 そんな苦しい目に遭っても、毎日のように息子に面会に行ったそうだ。だが彼女は、当時の再審が大詰めを迎えつつあった88年、84歳の生涯を終えた。
 どんな気持ちで亡くなっていったのだろうか・・

新年早々、ふつふつと湧き上がる怒り。
奥西勝が犯人かどうかは別として、
地区住民がやった行為は、人間として許されない。

 揣摩憶測もネタが尽き、スレの流れとしては名張毒ぶどう酒事件における死刑判決の不当性が共通認識になりつつあるといったところでしょうか。当然のことだと思われますが、そんな当然のことにほっかむりしてしまう関係者よりはたしかに 2 ちゃんねらーのみなさんのほうが全然まともだというしかありません。

 といったところで 12 24 日付伝言からひきつづく話題に移ります。

 ──名張にとって乱歩とは何か、ですとか、名張市は乱歩にかんして何をしてきたのか、ですとか、そういったことを確認考察してきた次第なのですが、名張まちなか再生プランに関連して私が見つけたわずかな光明もすでに消えてしまった 2006 年の末つ方、それでもなおしつこくももう少し、おなじテーマでつづりたいと考えております。ただしこのあとは消えてしまった光明に主眼を置くことになるでしょう。

 と記したそのつづきです。

 考えてみればこの名張まちなか再生プランというやつもその不当性がすっかり明らかになっているにもかかわらず関係者がそれをいっさい認めようとしないという点で名張毒ぶどう酒事件に似たようなところがあるのですが、つまりプラン策定のプロセスにもプランの内容にも、それからプランを具体化してゆくうえでのルールや手続きにもとても見すごしにはできない大きな問題があり、なによりプランの目玉であった細川邸の利用策がこの期におよんでまーだ明確に示されていない点こそがプランの不当性を雄弁に物語っているわけなのですが、関係者のみなさんはそんなことにはほっかむりして 2007 年も猪突猛進をつづけてくれるのかな。

 好きにしやがれというしかないわけではありますが、私が 12 24 日に記した「光明」ってのはいったいなんだったのかといいますと、ほかでもありません名張市新町の細川邸のことでした。 2003 年の時点では、昨年の 12 月 17 日付伝言にも引きましたとおり、私は細川邸の活用策としてこんなことを考えておりました。

 前文略。先日はありがとうございました。いつもお邪魔してばかりのうえに、おみやげまでいただいて恐縮しております。

 さっそくですが、お申しつけの施設名の件、「名張の町家(まちや)」ではいかがでしょうか。今回のプランの基本は、名張に残る旧家の文化財的な価値を認め、それを保存することにあると思われますので、施設名にもそうした価値判断を反映させることが必要であると愚考いたします。ただし、資料館や展示館といった堅苦しい名称は避け、市民にも観光客にも親しんでもらえる名前を採用するべきだと考えます。

 もうひとつ、施設名に乱歩、歴史、文化、民俗といった言葉を使用して施設内容を限定してしまうのは、このプランに限っていえば得策ではありません。「名張の町家」と命名することで、施設運営の自由さが保証されるのではないでしょうか。

 また、施設内で飲食ができるかどうかは、人を集める大きなポイントになると判断されますので、開設当初から名張の「食」を提供する態勢が整っていることが望ましいと思われます。

 なお、インターネットで「町家」を検索すると、町家の利用や再生などさまざまな事例を知ることができます。一度ご覧になることをお勧めいたします。

 取り急ぎ用件のみ記しました。今後ともよろしくお願いいたします。

草々

  二〇〇三年十月十五日

 考えておりましたというか、たいしたことは考えておりませんでしたというか。細川邸だけをどうこうしたからといって名張のまちににぎわいが戻るなんてことはありゃせんぞというのが私の考えなのですが、もしも細川邸を活用するのであれば乱歩記念館とか歴史資料館とかいった自縄自縛でしかない限定はなにももうけず、もっと自由につかいまわしたほうが賢明であろうということです。町家の再生なんて事例はそこらにいくらでも転がってますからそれを参考にしながら名張の独自性を追求してゆけばいいのだし、人を集めるというのならとりあえず食がポイントじゃん、といったごくありふれた提言しかできなかったのだとお思いください。

 それが 2005 年のきさらぎ 2 月、名張まちなか再生プランの素案を読むにいたって私は翻意しました。プランには細川邸を歴史資料館として整備するなどというインチキが記されており、そんなのは当時流行のリフォーム詐欺と呼ぶしかないものであることは明々白々でありましたものの、ならば代替案は? と思案した私はたちまち答えに到達しました。いつかも記したことですけれど、細川邸の活用策なんてせいぜい五分もあれば考えつけることでしょう。ただし考えるために必要な知識や見識がなく、それ以前にものごとを深く考える習慣のない人間(これはいうまでもなく名張地区既成市街地再生計画策定委員会や名張まちなか再生委員会のみなさんのことをさしております。ていうかそこらの関係者全員のことである)には、そんなことははなから無理な相談であったにちがいありません。げんに無理であったからこそ細川邸の活用策がいまだ明確にされていないという異常事態に立ちいたっておるわけである。

 私の代替案はいうまでもなく、細川邸を名張市立図書館ミステリ分室として整備するという構想です。2003 年の時点でも、つまり細川邸を「名張の町家」として活用するというアイディアにも、市立図書館の乱歩コーナーにある乱歩の遺品や著書は細川邸に展示し、乱歩コーナーは閉鎖、市立図書館は乱歩から手を引くという構想がこっそり秘められていたわけなのですが、私はそれをひるがえし、最初から考え直してもう一度だけ、名張市立図書館が乱歩にかんして質の高いサービスを提供するための方途を提案してみることにしたわけでした。

 しっかし年があけてもおんなじことばかりいってる私はいったいなに? という疑問にさいなまれつつあすにつづきます。

  本日のアップデート

 ▼2006年12月

 江戸川乱歩全集2

 新年のことはじめは乱歩の著書でまいります。

 とはいうものの桃源社版全集の復刻版。新たに附された解説のたぐいなどまるでありませんから、ここに引くべきこともなし。そこでこの巻に収録された「孤島の鬼」のおはなしです。

 2 ちゃんねるミステリー板乱歩スレッド「【大暗室】 江戸川乱歩 第十夜」に昨年末、こんな質問が投稿されました。

129 :名無しのオプ:2006/12/28(木) 02:15:29 ID:u+3XOZut

自分の本では秀ちゃんがムカムカするという吉ちゃんの行動が伏字になってるんですが
あれが伏字でない本もあるんですか?行動は何となく分かるんだけど。
うまく埋められる人いる?なんて書いてあるのでしょう?

 以降の関連レスは次のとおり。

135 :名無しのオプ:2006/12/28(木) 20:05:48 ID:iLwcWGAZ

>>129
伏字のない本持ってるけど、どこの部分が伏字になってるの?


140 :129:2006/12/28(木) 23:07:05 ID:4M3DyNel

>>135
教えて頂ける?
秀ちゃんの手紙の場面の「恐ろしき恋」という章の所なんですが、
「吉ちゃんはこのごろ毎日ぐらい×××××××くせになりました。見るのがムカムカするくらいですから
見ぬようにしておりますが〜」
・・・とまあ自分の持つ本ではこうなっております。×の部分にどんな言葉が入るのですか?
吉ちゃんの「むちゃくちゃな動き方」で何となく行動は分かるのですが
実際どういう言葉で埋まっているのか知りたいなーと。
スレにも孤島から変なのが流れて着いてますが、気にせずお願いします。


141 :名無しのオプ:2006/12/28(木) 23:56:51 ID:rCJ2jreR

×××××××
股間を弄るのが


142 :名無しのオプ:2006/12/29(金) 00:58:29 ID:5R7nns0Q

>>135のは伏字のない本というより
伏字近辺の文章がカットされた本なのでは


143 :135:2006/12/29(金) 06:15:14 ID:MGP61JKw

>>140
ごめん、>>142の言うとおりでした。期待させといて申し訳ないです。


144 :名無しのオプ:2006/12/29(金) 18:47:54 ID:k9oJLkl4

>>143・えぇ〜!?そんな・・・。でもカットされてるバージョンがあるのですね。
ってことは××の部分は、もう乱歩しか分からんのかな。にしても今時カットや伏字って
一体誰が得するんだろうか。朗読テープの「芋虫」はノーカットなのに。
そっちの方が身障者が聴く事もあるだろうし、マズイと思うのだがなー。
×××××××には何が入るのだろうと考えた結果>>141の「弄る」は秀ちゃんは言いそうに
ないので「股をこするのが」と言った事で強引に決定しようと思います。(どうでもいいか・スイマセン)
ちなみに自分はリア厨の時、利き腕を骨折してしまい変にテンポが狂ってしまい
むちゃくちゃな動き方をしてしまった覚えがあります。

それと秀ちゃんを見習って、見るのがムカムカする自慰(自演)などは見ぬようにするのが一番でしょう。


145 :名無しのオプ:2006/12/29(金) 19:55:46 ID:2JoyfbWe

もともとなにか原文があって、それを伏字にしたんじゃなくて、
適当な文字数分「×」を書き込んだだけじゃないかな。
読者の想像力を刺激するためのテクニック。


146 :名無しのオプ:2006/12/29(金) 20:47:29 ID:QvSTEpxd

昭和58年の角川文庫だと秀ちゃんの日記のところ(中略)が多い
>>140 の所のちょっと前に
〈註.この不具者は羞恥を知らないので露骨な記事かおおいので削除した〉ってある。
こういった中略と削除は乱歩が演出上入れたようにも見えるけど
それとも戦前の発表だったから検閲で消された様にも見えるね。


147 :名無しのオプ:2006/12/29(金) 21:09:49 ID:efLmaaqD

テキストにこだわってる光文社文庫版全集でも×××・・・なんで「元からない」ってのが
至当か(註もないし)


148 :書斎魔神 ◆qGkOQLdVas :2006/12/29(金) 22:23:06 ID:2WODD31v

「孤島の鬼」の「恐ろしき恋」の章の伏字部分は定本どおり。
時代性への配慮もあるだろうが、伏字ゆえにかえって読者の想像力を喚起する効果を
上げているのが面白く、大乱歩は伏字さえ効果的に利用しているやに見える。


149 :名無しのオプ:2006/12/29(金) 22:43:54 ID:pZTY6khm

>>145
そうでしょうね。
ズバリと書かれるよりも、伏字にされたほうがエロい。


150 :144:2006/12/29(金) 23:30:00 ID:/SRfcsYD

そうですか。もともと意図的に伏字にしたパターンだったんですね。
でも伏字じゃないバージョンがあるのではと気になってしまった。
「AVのモザイクを消せ」と似てるよね!(似てない似てない)。
たしか日本の某バンドも「ピー」が入りまくってて過激でカッコ良かったものなー。
入ってないバージョンよりも。皆さんいろいろ情報ありがとー。

 じつに勉強になりました。「孤島の鬼」の伏せ字について、そういえば私は深く考えてみたことがありませんでした。このスレで結論が出されたとおり、原稿の段階で「……」となっていたものとみるべきでしょう。

 ちなみにこのやりとりに出てきた「伏字近辺の文章がカットされた本」というのは、いま確認してみましたところお察しのとおり春陽文庫の『孤島の鬼』です。

 さらにちなみに初出誌の「朝日」昭和4年7月号では、二か所の伏せ字はこんなあんばい。

 これが桃源社版全集では乱歩によってこのようにあらためられております。

秀ちゃんのほうは色がしろくて、手や足がやわらかいし、二つの丸い乳がふくらんでいるし。それから………

 最後のリーダーは三文字分。

 ここは桃源社版では──

吉ちゃんはこのごろ毎日ぐらい…………………くせになりました。

 リーダーは七文字分。

 ちなみにおなじ年のおなじ月、「改造」に連載された「虫」第二回の検閲による伏せ字はこんなぐあいです。

 伏せ字を逆手にとって読者の想像力を刺戟するといえば、筒井康隆さんの「観音様」という作品がそうであったと記憶いたしますが(近年の「魚籃観音記」ではなくてもっと古い作品なのですが、手許にないため確認できません)、乱歩はその先蹤であったといってもいいのかもしれません。

 本年もよろしくお願いいたします。


 ■1月2日(火)
迎春あるいはミステリ分室概論 

 新年も二日目となりました。ぼーっとしてますけどきのうのつづきです。

 名張まちなか再生ブランに対して提出したパブリックコメントを引きながらおはなしを進めます。

 その前に確認しておきましょうか。名張市は乱歩にかんしてずっとずーっと無策無能でありつづけた。これは疑いようのない事実です。それをあらためて浮き彫りにしたのが 2004 年に実施された「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」でした。ろくに乱歩作品も読んだことのない官民双方のあれなみなさんが乱歩を素材にどんなことをやらかしてくれたのか。あらためて指摘する必要もないでしょう。結局これといったことはなーんにもできませんでした。その事実から推測いたしますに、名張市は乱歩にかんしてこれから先もずっとずーっと無策無能でありつづけることでしょう。

 だがしかし、もしもそれが可能なのであれば、名張市立図書館には乱歩にかんする質の高いサービスを提供しつづけてもらいたいというのが私の願いです。希望であり願望です。方向性はすでに明確で、江戸川乱歩リファレンスブックが指し示している方向にまっすぐ前進すればどんぴしゃりでまちがいはないはずです。だからとりあえずはインターネットを利用してその内容を公開することからはじるべきだと思われる次第なのですが、それができないと名張市はいいます。そんなことすらできんのならとっとと乱歩から手を引いてしまえこのとんちき。

 みたいなことを考えていたところへ出てきたのが名張まちなか再生プランであり、細川邸を歴史資料館にするというリフォーム詐欺みたいなインチキでした。いくらなんでもこんなばかなプランがよくもまとめられたものだ、とうっかり感心してしまいながら私はパブリックコメントを提出しました。内容はこのページでもお読みいただけます。

 それで私の名張市立図書館ミステリ分室構想とはいったいどういうものであったのか。パブリックコメントから引きましょう。

「そもそも乱歩が生まれたのは新町なんですから乱歩の遺品や著作が新町に展示されるのは当たり前のことなんです」
「そしたら細川邸は乱歩関連資料の展示施設になるわけですか」
「それが全然違いますねん」
「どうゆうことですねん」
「資料の展示とかそんな眠たいことゆうてたかて人は相手にしてくれません」
「けど乱歩の資料を展示するのと違うんですか」
「一部には乱歩関連資料も展示しますけどほかにもいろいろ運び込みます」
「何を運び込みますねん」
「本ですね」
「乱歩の本ですか」
「探偵小説です。いまふうにゆうたらミステリ小説」
「本を運び込んでどないしますねん」
「ミステリ専門の図書室にします」
「なんですねんそれ」

 細川邸を名張市立図書館の分室とし、乱歩にかんして質の高いサービスを提供する拠点にしてしまうのが私のもくろみでした。コメントには──

「ミステリ分室の蔵書はインターネット上ですべて公開しましてね」
「どんな本があるのかが全国のどこにいても即座にわかると」

 こんな一節もあったのですが、これぞまさしく深謀遠慮。蔵書をインターネットで公開することはそのまま江戸川乱歩リファレンスブックの内容や乱歩にかんするさまざまなデータを公開することにつながり、さらには高度な検索機能を附与することにも結びつきます。それがいちばんのねらいでした。

 私としてはなんといいますか、まあ要するに名張市立図書館から依頼を受けたわけです。乱歩にかんしてなにをすればいいのかわからないから教えてくれと頼まれたわけです。だから所蔵資料をこんなぐあいに活用してサービスを提供すればいいでしょうと具体的に示したのが江戸川乱歩リファレンスブックなのであって、これだけインターネットが普及したのですからネットを利用したサービスのことにも私は道筋をつけておきたかった。むろんやる気になればやるべきことはまだまだあって、たとえば乱歩の著作権が切れるのを待って全作品のテキストをネット上で公開するなんてことも考えてはいたのですが、それにはまず突破口を開かなければならない。その突破口が細川邸を活用した名張市立図書館ミステリ分室構想だったというわけです。

 むろん乱歩はあくまでも核であり、その周囲にはいろんなプランが考えられます。

「乱歩の地元ゆうことで名張市立図書館はあっちこっちからミステリ小説の寄贈を受けてるんですけどね」
「それは初耳ですね」
「慶應義塾大学推理小説同好会OB会のみなさんをはじめ奇特なミステリファンがたくさんいらっしゃいまして」
「ありがたいことですがな」
「ただし開架が限られてますから寄贈図書は地下書庫に押し込んだままでして」
「ちゃんと活用できてないのは寄贈してくれた人に申し訳のないことですがな」
「ですから寄贈されたミステリをすべて細川邸で閲覧可能にするわけです」
「そんなこと簡単にできるんですか」
「名張市立図書館は業務の民間委託を検討してる最中ですからついでに検討したら充分可能やと思います」
「けど寄贈された本だけで図書室なんかつくれるんですか」
「とりあえず現在あるだけの本でスタートしたらええんです」
「新刊も購入せなあきませんがな」
「それは当面考えておりません」
「お金がないからですか」
「それもありますけど旧町の再生を考えるわけですからすでにあるものをいかに再生するかゆうことが大切でして」
「細川邸も桝田医院第二病棟も古い施設を再利用するわけですしね」
「寄贈していただいた古い本をちゃんと再利用するゆうのは再生というテーマにいかにもふさわしいことなんです」
「新しいものだけに価値があるのではないゆうことですか」
「そのとおり。名張のまちは古いものをただ古いというだけの理由で排除することは絶対にない。それを確認することが再生の第一のポイントなんです」
「きょうは君えらい気合いですね」

 ここにも記してありますとおり、名張市立図書館は慶應義塾大学推理小説同好会 OB 会をはじめとしたミステリファンのみなさんから蔵書を頂戴しているのですが、現在はいわゆる死蔵の状態です。図書館の地下書庫に保管しているだけの話で、私はこのことも長く気にかかっておりました。寄贈図書のみならず乱歩関係の書籍や雑誌の保管場所にも困っていると打ち明けておきましょうか。とにかく細川邸を活用すれば、寄贈図書の問題にも突破口が開かれるのではないか。

「なんちゅうたかて名張は乱歩が生まれたまちなんですから」
「それは紛れもない事実ですね」
「乱歩が生涯をかけて愛した探偵小説を大事にするまちであっても少しもおかしいことはないんです」
「そんなまちは日本中探してもほかにないでしょうし」
「乱歩の生家もミステリ分室も名張だけのユニークな施設になります」
「名張という古いまちでは古いものをここまで大切にして活用してますということをわかりやすく示すと同時に名張のまちを象徴する施設にもなりますね」
「ですから分室のスタッフも男女を問わず仕事や子育ての第一線からリタイアした地域住民のみなさんに役に立っていただけるようにするべきですし」
「地域住民が施設を支えるわけですね」
「名張という古いまちでは古い人にしっかり仕事していただいておりますと」
「古い人ゆうたら怒られますがな」
「土地の古い人から小学生が話を聞くような催しをやってもええわけです」
「市民の側からミステリ分室をいろいろつかい回すゆうわけですね」
「このプランに書いてある細川邸の『市民が関われる利用方法』はそのままミステリ分室にも通用しますからね」
「市民にとっても歴史資料館は敷居が高い印象ですけどミステリ分室やったら全然親しみやすい感じになりますし」
「歴史資料館みたいな堅苦しい施設やないんですからバッタモンのからくりコンテスト展示作品でもOKです」
「けどミステリ分室を運営するのは結構難しいことと違うんですか」
「ミステリに詳しい人間がたぶん一人もいませんからね」
「それではあきませんがな」
「いやご心配なく。日本全国のミステリファンから指導協力を仰ぎながら運営をスタートさせたらええんです」
「そんなことできるんですか」
「つまり名張市立図書館はここ十年ほどのあいだに乱歩を媒介としたミステリファンのネットワークをささやかながら形成しておりますので」
「そのネットワークがミステリ分室に生かされるわけですか」

 とにかく歴史資料館などという月並みな、ていうかそれ以前にインチキな施設よりは図書館の分室のほうがはるかに有意義で市民に親しまれるものになるのではないか。私はそのように考えて現在にいたっております。

 本日はここまでとしておきましょう。

  本日のアップデート

 ▼2000年3月

 フリークス 綾辻行人

 昨年末、二日酔いでふうふういってるときに眼を通しました。光文社文庫です。

 昨年の 10 29 日付伝言で私は、前日に名張市で催された綾辻行人さんの講演にかんしてこのように記しました。

 ──講演では講師の綾辻行人さんが乱歩へのリスペクトを捧げた自作として「フリークス」と「暗黒館の殺人」とをあげていらっしゃいました。私はどちらも未読なれど、前者に登場する「J・M」は「孤島の鬼」の諸戸丈五郎のイニシャルをそのまま使用したものだそうです。

 それでとりあえず「フリークス」を読んでみた次第なのですが、乱歩の名前も「孤島の鬼」というタイトル名も作中にちゃんと登場しておりました。

 「たとえばね、被害者である男の名前に当てられている『J・M』というイニシャルだけどね」

 自信たっぷりな声で、彼は云った。

 「きっとこの作者は、江戸川乱歩を愛読していたんだろうなと想像できる」

 「乱歩?」

 いきなり持ち出された大作家の名に、私は首を捻る。

 「『孤島の鬼』だよ」

 と、彼は答えた。

 「君も確か、好きな作品だよねえ」

 「ああ、それは」

 「だったら憶えているだろう。あの物語の中に出てくるあの男──己のあまりの醜さゆえに、他にももっと醜い者どもを造り出そうという狂気に取り憑かれた男だ。その男、名前を諸戸丈五郎という」

 「諸戸、丈五郎……J・M?」

 「そう。偶然の一致だと思うかな」

 「…………」 

 「作者はきっとこの小説を書くにあたり、どこまで意識的にかは知らないが、乱歩の『孤島の鬼』からその名前を引っ張ってきて、J・Mなるイニシャルを作ったんだろうと推察されるわけだね」

 興味を惹かれた方はどうぞご一読を。気になるお値段は本体五百五十二円です。


 ■1月3日(水)
賀正あるいはへろへろ総論 

 新春三日目。毎晩ずるずるお酒を飲んで次の日の朝には飽きもせずへろへろになってふうふういってるのはばかの証拠に相違ないという気がしてきました。

 ふうふういいながらあっちこっち閲覧しておりましたところ、2 ちゃんねるにおける名張毒ぶどう酒事件の話題、ニュース速報+板からニュース議論板に舞台を移して新しいスレッドが立てられているのを発見いたしました。

 自慢ではありませんが当サイトの 12 月下旬の伝言録も参考リンクのひとつにあげられております。社会の不公正が 2 ちゃんねらーのみなさんによって告発されつづけることを期待しております。

 インターネットを利用して告発されつづける社会の不公正といえば名張まちなか再生ブランが連想される次第なのですが、プランに対して提出したパブリックコメントが採用されるかどうかという点についていえば、そんなことはありえないだろうと私は踏んでおりました。細川邸を歴史資料館として整備するなんてのは愚の骨頂であると指摘してみたところで(その指摘が当を得ていたことは名張まちなか再生委員会の手によって歴史資料館構想がいつのまにかもみ消されていたという事実が証明してくれているわけなのですが)、プランを策定した名張地区既成市街地再生計画策定委員会のめんつをまるつぶれにしてプランに変更を加えることなど名張市にできる道理がありません。

 あまりにもへろへろなので本日はここまでといたします。

  本日のアップデート

 ▼2006年11月

 ステーションの奥の奥 山口雅也

 掲示板「人外境だより」で閑人亭さんから教えていただきました。講談社の「ミステリーランド」というシリーズの一冊。

 このシリーズを購入するのははじめてなのですが、造本組版ともになかなかいい感じ。少年少女のためのシリーズとはいえ、本文が総ルビというのも結構うれしい。

 タイトルからも知れるとおり東京駅を舞台にした小説なのですが、第七章の「名探偵明智小五郎と怪人二十面相が出会った場所」に乱歩の名前が出てきます。

 「推理小説と言えば──、」そこで夜之介がはっとして、「──確か、有名な推理小説に、ここのホテルが出てくるんじゃなかったかな? あれは、ええと……。」

 「江戸川乱歩の『怪人二十面相』でしょ。」

 あまりにもへろへろなのであすにつづきます。

 本日は大阪で開かれる大宴会に出席いたしますので、あしたの朝もまたへろへろか?


 ■1月5日(金)
まだちょっとへろへろ 

 なんとかもちなおしました。年末からのへろへろ状態がいよいよピークを迎え、きのうはほぼ一日ぶっ倒れているしかないていたらくだったのですが、へろへろはへろへろながらおかげさまでけさは相当すっきりしているみたいです。

 新年早々の当地のニュースとしては、名張毒ぶどう酒事件の再審開始決定取り消しで弁護団が最高裁に特別抗告、というのがまずいちばんに来るでしょう。共同通信の記事がこれです。

 世の中どうも変である、どんどんどんどん変である、という認識が私をへろへろにさせてしまうのかもしれませんが、たしかに変な名張まちなか再生プランの話題にまいりましょう。おなじ話題がえんえんとつづいて私自身うんざりしているのですけれど、口舌の徒としていうべきことはいっておかなければなりません。

 さてそれでおとといの伝言のつづきなのですが、いくらパブリックコメントを提出してみたところでそれが採用される見込みなどないであろうことは知れておりました。細川邸を名張市立図書館ミステリ分室として整備するという提案を受けて、名張まちなか再生プランの担当セクションが関係セクションを集めて協議検討を進めることさえないであろうとは容易に想像されました。パブリックコメント制度など形骸にすぎず、あのインチキと呼ぶしかないプランがそのまま正式決定されるであろうことはこちとら先刻ご承知ではあったのですが、そこは口舌の徒、あまりといえばあまりなインチキには釘を刺し、釘を刺したということを自分のサイトで公開しておけば、なにかしらインチキの歯止めになるのではないかと期待を抱かないでもありませんでした。

 しかし、しかしなあ、やっぱだめだろうなあ、とも私は思わざるをえなかった。名張市立図書館ミステリ分室構想、などというものが採用されるかどうか以前にはたして関係者に理解されるのかどうか。相手はなにしろ名張市役所の人たちです。図書館というのがどういうものなのか、それを正しく理解しているかどうかさえ心許ない人たちです。端的にいってしまえば、本を読まない人たちにむかってさあ本を読む場をつくりましょうと呼びかけてみたところで、理解されることなどまったく望めないのではないかしら。私にはそうした懸念もありました。ていうか、理解されないだろうなという諦念があったような気さえいまはする。

 私には本を読むことが特権的な行為であるといいつのるつもりはまったくありませんけれど、とはいえなにかを知ったりものを考えたりするためには本を読むことがどうしても必要であろうとは考えます。

 といったところでいったんこちらへどうぞ。

  本日のアップデート

 ▼2006年11月

 ステーションの奥の奥 山口雅也

 おとといのつづきです。

 この小説を私は面白く読みました。ミステリ作品としてのできはよくわかりません。ていうか、ミステリファンから高い評価は得られないのではないかしら。しかしそんなこと私にはどうだってかまわない。

 主人公は小学六年生の陽太という男の子。陽太の家には父親の弟、つまり陽太にとっての叔父さんが同居していて、屋根裏部屋に住んでいる。で、夏休みの自由研究のためにふたりが訪れた東京駅で殺人事件が発生し、やがてすべてが解決される。事件そのものはいわゆるバカミスの範疇に入るものなのかもしれませんが、私はそもそもバカミスと称されるたぐいの作品を読んだことがないのでよくわからない。ていうかそんなことどうだってかまわない。

 バカミスであろうとあるまいと、事件が終わったあとにこの作品は伝統的な少年小説の骨格を明らかにするわけです。つまり成熟と喪失ってやつですか。人はなにかを失うことによって成長してゆくのであるというお約束といえばお約束、定番といえば定番のメッセージが披露される次第なのですが、お約束や定番であるからこそきれいに決まると読者には快感がもたらされます。

 「じゃ、時間がないから叔父さんはもう行くが──。」

 「ちょっと待って。」陽太はすがるように言った。「もう、叔父さんとは逢えないの?」

 「ああ、たぶんな。」そこで夜之介は陽太の目を真剣な眼差しで見据えて、「屋根裏部屋の本やなにかは一切お前にやるよ。」と、言った。

 「え? そんなの貰っても困るよ。いらないよ。無駄だよ。叔父さんがいなくなったら、誰が面白い本を教えてくれるっていうの?」

 夜之介叔父は優しく微笑みながら、

 「俺がいなくても、お前はもう自分で面白い本を見つけられる力を充分持っている。それに留美花ちゃんという、いい読書友だちも出来たじゃないか。」

 「でも……。」陽太は今、どんなものにも代えがたいものを一つ失ってしまうような気がしていた。

 「──叔父さんが一つだけ言い残しておきたいことは、ともかく、嫌というほどたくさん本を読めということだ。本を読んで知識を増し、思考力を鍛えるんだ。お前は身体が小さいから、腕力や体力で勝負するよりも、知力で勝負しろ。他人に言われるままじゃなくて、自分自身の頭で考えられるようになれ。お前にはそれができる。知性は人間にとって、吸血鬼の超能力にも劣らない最高の武器だということを忘れるな。だから、本を読んでおけよな。」

 それだけ性急に言うと、夜之介叔父は踵を返した。その広い背中に向かって陽太が最後の声を掛ける。

 「叔父さん、ほんとに、ほんとに、もう逢えないの?」

 見事に決まってる、と私は思います。「ミステリーランド」というレーベルというかブランドというか、あるいは器といってしまえばいいのか、そういったものに身を寄せ少年小説の伝統に身を添わせながら、作者がそれこそ少年の投げるボールのようにまっすぐなメッセージを発している点に私は好感を抱きました。

 まあそういったことなのであって、お子供衆のために「本を読んで知識を増し、思考力を鍛える」環境を整えてやるのはおとなの義務であると私は考えます。そして自身の経験に照らしても読書入門にはミステリ小説がふさわしく、すなわち名張市立図書館ミステリ分室はお子供衆が本に親しむ場としても構想されていたわけです。こんなことは以前にも記したような記憶があるのですが、当サイトにおいては少し以前から Google を利用したサイト内検索がばかになってしまっており(これは相当に不便なことなのですが、まあ個人のサイトなどはしょせんこんな程度のものでしょう。だから名張市立図書館ミステリ分室が乱歩関連のデータをインターネット上に公開することを私は強く望むのですが)、適当な単語を列挙して過去の伝言をしぼりこむことができなくなっておりますので、以前の伝言を引用することができません。まあそういったことなのであると(どんなことなんだか)お思いください。

 それで早い話が名張まちなか再生プランの関係者、あのみなさんは私には「本を読んで知識を増し、思考力を鍛える」といったことに無縁であった人たちばかりであると見受けられます。だから「他人に言われるまま」になるしかなく、「自分自身の頭で考え」ることができない。まさしく考えることができない。彼らにとって考えるとは、他人の真似をすること、他人の考えたことをうわっつらだけなぞってみることを思いつく、ということにほかならない。すなわち彼らの考えというのは単なる思いつきにすぎない。ほんとうに考えなければならないことはすべて先送りしてしまう。いやもう名張市役所というのがそもそもそんなところなのであって、そんなところで責任回避と思考停止に明け暮れている人たちに名張市立図書館ミステリ分室構想なんてものを吹き込んでもとても理解ができぬのではないかと、それはもう私は思わざるをえませんでした。とはいえ、もしかしたら私のパブリックコメントにかんして訊きたいことがあると担当セクションから問い合わせがあるかもしれないな、とそこはかとなく思わないでもなかったような気もいまはする。

 しかしいったいなんなんだこの堂々めぐりは。私は新年早々なーにへろへろになって堂々めぐりばかりしておるのか。しっかりしなければなりませぬ。

 それで結局どうにもならなかったのではありますけれど、それにしてもひどいものである。見事なまでにひどい話である。まともにものを考えられないような連中ばかりが大きな顔をしているのだからなあ。名張市はこの先どうなってしまうのかなあ。


 ■1月6日(土)
さあ名張市はどうするの 

 1月も六日目を迎え、体調はほぼ本復いたしました。よかったよかった。

 本年もまたあちらこちらのみなさんから年頭のご挨拶を頂戴しておりまして(年賀状のことですけど)、まことにありがたく厚くお礼を申しあげます。私はもうすぐ2005年のお正月を迎えようというころであったでしょうか、てへへッ、これから自己破産する人間が年賀状なんか出したら先様の縁起が悪くなるのではないかしら、とか律儀にも思いあたって欠礼し(なにかと忙しくて年賀状をつくってる時間があまりなかったようにも記憶いたします)、去年も今年も欠礼しっぱなしではあるのですが、またいずれそのうちあらためて。

 さて、どうするのか。

 乱歩をどうするのか。

 堂々めぐりと呼ぶしかない話題をつづけましょう。とにかくまあいくらなんでもそろそろ結論を出さねばならぬころではあろう。思考停止の先送りのとお役所の十八番はもう結構。結構結構こけこっこー。あ、まだ酔ってる。

 それで私の考えなのですが、細川邸をたとえば観光施設みたいなものにして集客を図ってみたところでたいした効果は望めないことでしょう。それは断言できると思う。名張まちなかの再生なんて一朝一夕に実現できるものでは全然なく、だいたいがほぼ不可能にちかいことだといってしまってもいいのではないか。そのあたりの現実から眼をそむけてうわっつらのことばっかやってみたってしかたあるまいと私は思う。だからもう市立図書館のミステリ分室にしてしまうのがいちばんいいのではありゃせんか。考えとして足が地に着いてるし、地域住民の生活に直結しているし、それでいながら全国に開かれて名張市の独自性を主張できる施設になるはずである。

 乱歩にかんしてあらためて確認しておくと、もうとても無理なわけである。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」が催された2004年と、名張市観光協会の要請を容れて名張市議会議員のみなさんが大阪におもむき怪人二十面相のいでたちで観光 PR につとめてくださった2005年。あの両年度における名張市の乱歩へのアプローチを見るかぎり、はいだめー、全然だめー、と私はいわざるをえない。名張市だめー。見事にだめー。とにかく官民双方が大騒ぎしてあの程度なのであるから、

 ──名張市は乱歩から手を引け。

 などと迫らなくてもいまや名張市はすっかり手をこまねいているように見受けられる。だからもうほっといてもいいか。このままずるずるとむこうが自滅するのを待ってればいいか。いえいえそれはなりません。結論を出さなければならない喫緊の課題がふたつあります。いずれも市民から名張市につきつけられた課題です。

 市民のひとりはかくいう私なわけですが、ちゃんとしたことをやる気がないのなら名張市立図書館は乱歩コーナーを閉鎖して乱歩と無縁な図書館になってしまえ。私はそのように考えているわけです。しかしできればちゃんとしたことをやってもらいたいとも願っている。そのためには細川邸を図書館のミステリ分室にするくらいのことを提案しなければお役所は動いてくれんだろう。とはいえきのうも記したとおり、たぶん名張市役所の人たちには私の提案を理解することすらできぬのであろうなと推測される次第ではあるのですが、それはそれとしてさあどうするの名張市。名張市立図書館はもう乱歩から手を引いたらどうなの。これが私のつきつけている課題である。

 もうひとつの課題は乱歩生誕地碑の建つ桝田医院第二病棟の旧所有者の方からもたらされたものです。病棟の土地建物を名張市に寄贈しますから乱歩に関連して活用してください。これが市民からつきつけられた課題である。寄贈を受けたのはすでに二年以上も前、2004年11月のことであったのですが、名張市はいまだに結論を出せない情けなさである。むろん名張市がずっとずーっと無策無能であることは私もよろしく了解しておりますが、官民双方の知恵を結集すればなんとかなるとばかり不勉強無教養不見識無責任なみなさんを糾合して委員会をつくってみたところで話は進まんぞ。そんなところに丸投げしたりなんかすると話がよけいややこしくなるばかりだ。ろくに乱歩のことも知らないような連中を何十人あつめたってどうにもならぬというごく単純なことがなぜわからぬのか。そんなばかなことがどうしてまかり通るのか。

 ではここで、きのうごそごそと再開した資料整理の際に見つかったプリント二枚から引きましょう。2002年2月のものです。私はこのときも怒っておりました。激怒しておりました。名張市長(当時の市長ですが)というのはまあなんという大嘘つきか、こら教育長おまえならば市長が大嘘つきであるということを証明できるはずだ、こら教育長とっとと真実を吐けこら、吐かぬかこら教育長こら、こらこら、みたいなこといって怒っておりましたところへ教育委員長の辻敬治さんが出てきてとりなしてくださったときの文書です。当サイトでは「名張市立乱歩記念館の幻」というページに掲載してあるのですが、そこからコピー&ペーストして引用いたします。

 名張人外境ご主人様     H14,2,14

辻 敬治   

 正月(1月5日付)のご主人様のご伝言(質問)に、一ヶ月半も過ぎた今頃になってコメントするのは、いかにも時機を失して旬のこけた雑煮を喰わされるようなものと、お叱りを受けるでしょうが一言させていただきます。また、教育長に対する質問に、私ごとき者がしゃしゃり出て、とやかく言うのもこれまた居酒屋でおしるこを喰わされるようなものと、辟易されると思いますがお許し下さい。

 ご主人様もご承知の如く、いま議論の的になっております乱歩記念館構想は、当初は民間人(名張市内)の有志によって起こされた構想であり運動でした。そして、多くの先人と関係者のご努力が重ねられ進められて参りましたが、結果はご指摘の通り幻に終わってしまいました。この間の経緯について今は知る人がほとんどなく、教育長、図書館長とて何代にも亘ることであり、十分に引き継ぎを受け、全体を理解をしているとは思われませんので、僭越ですがその間のことに多少なりとも関わって参りました私から説明をさせていただきます。諸般の説明不足、掘り下げ足らずの点などお許し願い、今後ともの乱歩顕彰・研究にお力をお寄せ頂きたくお願い申しあげる次第です。

 まずここまで。

 名張市で乱歩記念館がどうのこうのというのであれば過去の経緯を頭に入れておく必要があるのは当然のことでしょうけれど、しかし実際にはそういったことはまったくない。「十分に引き継ぎを受け、全体を理解をしている」人間なんてどこにもおりません。名張まちなか再生委員会の手で進められているはずの桝田医院第二病棟をめぐる協議検討もおそらくは、乱歩記念館にかんする過去の経緯などまったく無視した無責任でいいかげんなものなのであろうなと推測されます。

 ではつづきをば。

 江戸川乱歩記念館構想

 江戸川乱歩記念館の建設構想は、昭和30年の生誕地記念碑の建設から十数年を経て、昭和44年に旧電話局跡の市立図書館の開館を機に、その一角に「郷土が生んだ推理小説界の大先達江戸川乱歩の業績を顕彰するため“江戸川乱歩文庫”をつくろうとの提唱が一部の有識者から出され」「どうせつくるなら百尺竿頭一歩を進めて独立の乱歩記念館を建設しよう」と云うことになり記念館建設の会が発足されました。(新名張昭和44年5月30日号・同建設趣意書ほか)このことは、講談社の『江戸川乱歩全集』第一巻月報に載せられた衆議院議員故川崎秀二氏の「茶目っ気もあった乱歩氏」の一文も大きく関わったようです。

 以後、秀二先生を通じていろいろな話し合いがあったと聞いており、当時の北田市長が直接乱歩先生に蔵書の寄贈を懇請したとも聞いております。乱歩先生も北田市長の剽軽さについ乗せられて寄贈に同意されたとも聞き及んでいます。

 しかし、こうした計画は一朝一夕にしてなし得るものではなく、まして、市民グループの活動であり、或いは老いられ、或いは鬼籍に入られるものもあり、計画は進まないままに置き去られてきました。

 乱歩記念館というのは結局のところ当時もいまも、名張市という田舎の自治体にとって単なるお飾りにすぎないのではないかと私には思われます。そこからなにかをはじめるための拠点ではなく、それを建設することだけが目的のただのアクセサリー。だから私には、名張市における乱歩記念館の話はどうしてそれが必要なのかという議論を抜きにしていきなりスタートしてしまい、いつのまにかうやむやになってしまっているという印象が強い。

 つづきはまたあした。

  本日のアップデート

 ▼1954年

 乱歩と探偵文壇 香住春吾

 年末に開始して年始はきのうごそごそと再開いたしました資料整理におきましては、乱歩作品のコピーのたぐいは小説も随筆評論もおかげさまでほぼ片づけることを得たのですが、いわゆる乱歩文献のほうはまだまだたらたらと継続中です。

 どっかで入手してきたり頂戴したりしたコピーは手許のクリアファイルに入れてゆくことにしているのですが、これがどうもよろしくないようです。入手した順番に保存してゆくとどこになにがあるのかがわからなくなってしまう。そこでいったんすべて裸にしてしまい、筆者名の五十音順で再整理することにいたしました。

 それでまあぼちぼち、「最新情報」をごらんいただくとよくおわかりだろうと思われますが、きのうきょうあたりはあ行とか行ではじまる筆者のまわりをごそごそしております。その一篇がこの随筆。

 これは以前、ある方からスクラップブックを一枚切り取って台紙ごとお送りいただいたものなのですが、残念ながら掲載紙も掲載年月日も不明です。ただし、この随筆の横にある「文芸手帳」というコラムもあわせて切り抜かれておりまして、そこには乱歩の還暦祝賀会の準備が着々と進んでいることが報じられていますから、昭和29年のものであることはまちがいありません。

 戦争中、探偵小説が軍の弾圧を受けてから、創作の筆を断ち、もっぱら探偵小説学に肩入れを始めた。戦後、乱歩果して書くかとのジャーナリズムの注視をよそに、ゆうゆうと研究に没頭した。そのため「幻影城」「続幻影城」などの立派な探偵小説学書を発表した。これらは世界的な価値があるとさえいわれている。おかげで探偵小説の地位は向上した。もはや私たちは本にカバーをつけずとも歩ける。やはり乱歩は偉大だなと、前にけなしたことを忘れて感激している。

 日本の探偵文壇は乱歩をシャフトにした歯車のようなものだ。乱歩の息のかからぬ作家は一人もないといってよい。後進を愛すること、実によくこれだけ、と思うほどの世話好きである。私たちは乱歩をオヤジと思って、いつまでも甘えている。


 ■1月7日(日)
強風に負けるなカリスマここにあり 

 途方もないほど発達するという低気圧の影響なのか、戸外には強い風が吹きすさんでいるようです。拙宅の近所にある一戸建住宅の建築現場では、風にあおられたビニールシートがいまにも飛ばされてしまいそうにばたばたと大きな音を立てている。きょう7日には名張市の成人式が開催されることになっているのですが、強風に祝福された二十歳の旅立ちなんていうのは印象深くて結構おつりきなものかもしれないな、とか思いながら小谷野敦さんのブログ「猫を償うに猫をもってせよ」を閲覧していた私は、おッ、これはッ、と思わず眼を見張ってしまうような情報にぶちあたりました。

 私が眺めていたのは小谷野さんの手でまとめられた谷崎潤一郎の詳細な年譜のページだったのですが(つまりこのページ。やや重)、年譜といえば自分的には江戸川乱歩年譜集成なのであるけれど、このところ編纂作業からすっかり遠ざかっておるなあ……、去年の10月なかばくらいからであったか、編纂のための時間があまりとれなくなってしまって……、ああいう作業というのはちょっと離れてしまうとすんなりとは復帰できないものだなあ……、しかもこのところ空いた時間を資料整理にあてることにしておる状態だから、江戸川乱歩年譜集成の編纂作業からはもうずーっと……、ずーっとずーっと……、みたいな感じでリーダーを多用して内的独白を重ねながら記載事項をぽんやり追っていた私は、昭和33年11月のこんな記述を眼にしてにわかに閃くものをおぼえました。

    20日、福田家に登代子・喜美子・千代子訪ねて来、皆で日劇。演目は乱歩のヌード連続殺人「夜ごと日ごとの唇」。

 おッ、これはッ。私は膝を叩きました。そして資料整理で出てきた一冊の古書目録を手にとりました。いつの年のものかはわかりませんが、第四十五回「高円寺新宿古書展」の目録です。こんなこというと叱られてしまいますけど、かなり以前にどなたかからお送りいただいたもので(どなたであったのか、どうしても思い出せません。平身低頭)、附箋のついたページを開くと黄色の蛍光ペンでマーキングされた一冊の古書があります。古書っていうかパンフレットなんですけど。

日劇ミュージック・ホールパンフ 58の6 江戸川乱歩原案 小浜奈々子他 昭和33年=乱歩短文「トリックのあるヌードショー」収録 一万二千

 たぶんこれだろう、と私は目星をつけました。このパンフレットは昭和33年11月20日、谷崎が足を運んだ日劇ミュージックホールで上演されていた乱歩原案の舞台「夜ごと日ごとの唇」のものであろう。目録を送っていただいたときには、へー、とか思っただけだったのですが(せっかくのご教示に対してこんなレスポンスではほんとに叱られてしまうわけですが)、これはやっぱり押さえておかねばとまなじりを決した私は、しっかし一万二千円もするのかよ、たまんねーなー、とかぼやきながらも例によって「日本の古本屋」で検索を試みてみました。と、なんと三千円のものが見つかりましたので超ラッキーとかえらい得したとかすっかり上機嫌、吹き荒れる強風をものともせずについさっきはっしとばかり注文を入れた次第であったのですが(古書発注の新春第一弾でした)、よく考えてみるとヌードショー(という定義は妥当でないかもしれません)のバンフレットが三千円というのは、やっぱ高いのではないかしら。

 いやいや、高かろうが安かろうが、こういう細かい資料もまなじりを決して押さえるのが名張市立図書館の任務でしょう。開館準備の段階から乱歩の資料を収集してきた図書館なんですから、それはみずから選びとった任務なのであるというしかあるまい。だが単なる資料収集だけが任務だというわけではけっしてない。収集した資料にもとづいてどれだけ質の高いサービスを提供できるのか。それが問題なのである。そうしたサービスに手をつける気が微塵もないというのであれば、名張市立図書館は乱歩からさっさと手を引いてしまったほうがいいであろう。さあどうよ名張市。どうよったらどうよ。

 といったところできのうのつづきです。きのうはまあ、名張市という田舎の自治体にとって乱歩記念館は要するにお飾りかアクセサリーなのである、ただ建設すればそれだけで満足、乱歩記念館をつくっていったい何をするのかということなんて関係者の頭にはまるで存在していない、ほんとにそんなものが必要なのかどうかを考えようともしないのがうわっつらを飾るだけでこと足りる田舎者の実態なのである、みたいなことを考察した次第であったのですが、てめーらこらあれか、乱歩ってのはなにか、そこらの農家でかつての牛小屋を改造した応接間のキャビネットにうやうやしく飾られている絶対に飲んではならぬ高級ブランデーだとでもいうのかこら。

 みたいなところで辻敬治さんの文書からの引用、きのうのつづきです。

 新図書館の建設と乱歩コーナー

 こうした中で、乱歩記念館に対する思いは市図書館の中に流れていました。その頃、市図書館郷土資料室の嘱託をしておられた故中貞夫先生も計画の初期段階から関わっておられ、新しく出来るであろう図書館には、是非とも乱歩顕彰の場をと、力説しておられたのを忘れることは出来ません。

 中先生が逝かれて後、どうしたはずみか郷土資料室の嘱託を命じられた私も、こうした先人達の思いを如何にして実現するかを考えてきましたし、市長(故永岡市長)にも進言してきました。永岡市長もこのことにはご理解をもたれ、市長自ら乱歩先生に会われたのか、或いは乱歩邸を訪れられたことがあったのか、乱歩先生の電話帳に市長の名が記されていたのを後日拝見したことがあります。

 さて、昭和62年、桜ヶ丘の現在地に、市民待望の新しい図書館が誕生することになり、新しい図書館のこの時の課題は、一つは郷土資料室の扱いと、今一つは以前から計画してきた乱歩記念館を併設できるかどうかでした。

 当時の館長であった高野香洋氏と、郷土資料室の嘱託をしていた私は、急遽東京に平井隆太郎先生を訪ねました。以前、故川崎秀二氏を頼って乱歩邸と交渉してきているという経緯を踏まえ、衆議院議員になっておられた秀二氏のご子息の二郎氏にお願いしてご紹介を頂き、二郎氏とご一緒に平井邸に参上しました。

 私は、自らの身柄を証するため、私宅の乱歩先生の直筆の生誕碑建設の礼状、伊勢湾台風の見舞い状、祖母せき死亡時の悔状、乱歩先生のご母堂きくさんの手紙などを持参しました。この頃はまだ奥さんのご存命の時でご夫妻ともども私達の上京を大変喜んで頂き、初対面の私どもを土蔵の中や仏間にまでお招きいただきました。

 しかし、さまざまのお願いやお話の中で、前々から伝えられてきた、乱歩先生が北田市長に約したと伝えられる所蔵資料の名張市への寄贈や、土蔵丸ごと名張市へなどと云うことはあり得ない話であることが判じとられました。それならと(かねがねこのようなことが想像されていましたので)、次善の計画として、当時進めていた図書館の乱歩コーナーについて、これらの事情や計画の詳細を説明してご協力を懇請しました。現在展示している乱歩遺品はこの時にお願いしたものであり、資料については二部あるものは一部を寄贈する旨のご同意を得ることができ、館長と喜びを分かったものでした。

 この後も、上京の度ごとに平井邸を訪れさせていただき、さまざまなお願いをして参りましたが、資料の名張市への寄贈については、上記の事情から、この後申し入れは致しておりません。なお、富永現市長とも平井邸に、同道させていただいたことを付記しておきます。

 いま必要なことだけを指摘しておきますと、辻さんがお書きになっている一連の動きにおいては、名張市にどうして乱歩記念館が必要なのか、乱歩記念館をつくってなにをするのか、そういった議論が欠落したまま話が進んでいたと見るのが妥当でしょう。真に必要だった議論は「乱歩顕彰」という言葉のかげにあいまいに隠されていた、といってもいいでしょう。もうひとつ、乱歩のご遺族にとって名張市に乱歩記念館をつくるなんてのははなっからありえない話であったということも、この文章からは読みとれます。じつにあたりまえのことである。かりに私が遺族であったとしても(なんとおこがましい)、そんな話は笑ってとりあわない。ただ生まれたというだけで乱歩とはほぼ無縁な名張という土地にどうして乱歩記念館なんかつくらなくちゃならないの、自治体が見栄をはるのは勝手だけれど、そんなものにおつきあいするのはお断り、と私はきっと思うであろう。

 つづきはあしたとなります。

  本日のアップデート

 ▼1976年10月

 陰獣の静子 長瀬宝

 斎藤夜居が出していた「愛書家手帳」の三号に掲載されました。これまたコピーを頂戴したもので、おなじ号には斎藤夜居が1968年に発表した「もう一人の江戸川乱歩」も加筆のうえ再録されています。

 筆者の肩書は朝日新聞社客員。「さし絵の中の女」という連載の第三回に「陰獣」の静子が登場しており、主眼は乱歩よりもむろん竹中英太郎。英太郎の画風に魅せられ、その消息を尋ねてまわった戦後まもないころの経験がつづられています。とはいえ、英太郎にかんする伝記的事実もふくめ、目新しいことはとくに記されていません。

 ただし一点だけ、筆者が乱歩に会って英太郎のことを訊いてみたときの経緯がつづられていて、これがなかなかに興味深い。

 戦後の社会も次第に落付きをみせてきたころ、いろいろの人に竹中英太郎について尋ねてみたが、誰も知らなかった。

 ある日築地の料亭で、江戸川乱歩氏に会う機会を得て、この人こそと尋ねたところ「満州へ行って死んでしまったよ」という話であった。

 わずかこれだけのことですが、乱歩の返答の素っ気なさが印象的です。むろん乱歩は英太郎が満州で死んでしまったと思い込んでいたのでしょうけれど、この返答のあとはろくに英太郎の思い出話も出なかったらしいことが興味深い。社交的になったという戦後の乱歩が、しかも料亭というのですからおそらくは宴席で、英太郎のファンから英太郎のことを質問されたというのに、満州へ行って死んでしまったよ、というだけでは愛想というものがなさすぎるのではないか。べつに愛想の問題ではないけれど、そんなものがあったのかどうか確たることは知りようがありませんものの、乱歩と英太郎の確執を連想させないでもないエビソードではありませんか。


 ■1月8日(月)
図書館の本分ってなによ 

 名張市立図書館の開館は1969年のことでした。そのおり乱歩記念館の建設構想も浮上いたしましたものの、結局「計画は進まないままに置き去られてきました」。1987年には図書館が丸之内から桜ヶ丘の現在地に移転することになり、またしても乱歩記念館の併設が検討されたのですけれど、ご遺族にお目にかかってみたところ「土蔵丸ごと名張市へなどと云うことはあり得ない話であることが判じとられました」。そこで乱歩記念館の建設は断念され、「次善の計画として」図書館内に乱歩コーナーが開設されることになりました。

 というのがおとといから引用している辻敬治さんの文章の概要なのですが、さらにそのつづき。

 図書館の業務としての乱歩顕彰

 こうして市図書館内の乱歩コーナーは、乱歩先生の幾つかの遺品と、少しばかりの資料の展示で格好だけはつけたものの、こんなことで乱歩顕彰などと大きな事が云えるだろうか。資料の収集となると莫大な資金が必要となる。市内に乱歩の資料が残されているだろうか。などなど館の内部で色々議論をしたのを覚えています。

 ・予算の許す限り資料の収集を続ける。

 ・乱歩のみに限らずミステリーに関するものを収集する。

 ・江戸川乱歩賞受賞者に接近し著書サインなどの寄贈を願う。

 ・推理作家協会にルートを求め各種の情報を得る。

など、館として出来うる努力を払おうと、話し合ったものでした。ちょうどこの頃から、ご主人様に乱歩資料の仕事をお願いしたのではなかったでしょうか。また、市長部局の地域振興課の企画で、ミステリー界の大御所を次々と招いての各種の企画が進められたのでした。

 其頃私は、柄になく教育委員長という大役を仰せ付けられ、図書館嘱託から引かせていただきましたので、以後の経過はご主人様ご承知の通りであります。最大の顕彰事業である(私はそう思っています)『乱歩文献データブック』『江戸川乱歩執筆年譜』も出していただき、一躍「名張市立図書館に乱歩顕彰事業あり」と報じられました。ご主人様のご努力に深甚の敬意を表します。

 乱歩コーナーの開設にあたっては、

 「こんなことで乱歩顕彰などと大きな事が云えるだろうか」

 「資料の収集となると莫大な資金が必要となる」

 「市内に乱歩の資料が残されているだろうか」

 といった議論が図書館内部でかわされたとのことです。

 「乱歩顕彰」にかんしていえば、そんなごたいそうな言葉をつかうから話がややこしくなってしまうわけです。そのうえ問題の本質が見えなくなってしまう。顕彰なんておおげさなこといわないで、開館準備の段階から収集してきた乱歩関連資料にもとづいて図書館としてどんなサービスが可能なのか、それを追求してゆけばいいだけの話である。

 「莫大な資金」について述べますと、「資料」という言葉が単なる書籍雑誌や原稿書簡のたぐいを指しているのか、それ以外のものも含んでいるのかが不明ですし、そもそも「莫大」というのがどの程度の金額なのかもわかりませんからなんともいいようがないのですが、図書館の守備範囲内で話を進めればそれでよろしく、莫大なお金が必要なものには手を出さないのが正解でしょう。

 市内に乱歩の資料が残されているのかどうか、などというご町内感覚には、けっ、一顧だに与える必要がないであろう。ただしあえていっとくとするならば、乱歩が愛でた名張のまちの風情もまた貴重な資料なのであるみたいな発想が、これは図書館とは関係なく名張のまちの再生を考えるうえで必要になるであろうとは愚考される次第です。

 といったような感じで、もしも乱歩コーナーをめぐる協議の場にいあわせたとしたら、私はおそらくそんな意見を述べていたのではないかしら。

 そして乱歩コーナーの開設にあたり、図書館の業務としてこういった点が確認されたといいます。

 ──予算の許す限り資料の収集を続ける。

 ──乱歩のみに限らずミステリーに関するものを収集する。

 ──江戸川乱歩賞受賞者に接近し著書サインなどの寄贈を願う。

 ──推理作家協会にルートを求め各種の情報を得る。

 ここにも欠落が見られます。乱歩記念館構想とおなじ欠落です。資料の収集をつづけるのはいいけれど、それでいったいなにをするのか。そのあたりの見通しがきれいに欠落しておるではないか。図書館はただのコレクターなのか。資料を集めればそれでおしまいなのか。

 あとになって私が怒ったのもまさにその点にかんしてなのであって、というか私はしょっちゅう怒ってるわけなのですが、これは嘱託を拝命する以前、1995年のおはなしです。おまえらは乱歩コーナーに遺品をちまちま展示して市民相手の読書会やってれば満足なのか、と私は怒った。図書館なんだからほかにもっとやるべきことがあるだろーが、と1995年の私は怒ったわけなのですが、施設をつくること自体が目的であるハコモノ行政とまったく同様に、資料を収集すること自体が目的であってその先がまったく考えられていないというのであれば、そんなのは図書館の本分を忘れたずいぶんとすっとこどっこいな話であるなと私は思う。

 それをまあ図書館としての本分を忘れてなにが乱歩賞作家か。図書館がプロ作家や商業ジャーナリズムにすり寄らねばならぬ必要がどこにある。それからまたなーにが推理作家協会か。単なる職能団体からどんな情報が得られるというのか。図書館の本分を忘れてうわっつら飾ることだけに走ってんじゃねーぞこら、ともしも乱歩コーナーをめぐる協議の場にいあわせたとしたら私は必ず発言していたことであろうけれど、いあわせませんでしたから発言はできなんだ。

 しかし1995年になって図書館を叱り飛ばす機会が訪れましたので、上述のごとく、

 ──おまえらは乱歩コーナーに遺品をちまちま展示して市民相手の読書会やってれば満足なのか。図書館なんだからほかにもっとやるべきことがあるだろーが。

 とここを先途と怒りまくってみましたその結果、思いがけず図書館の嘱託を拝命することになってしまってさあ大変、とはいうもののさはさりながら自分でいうのもあれなのですが、名張市立図書館は乱歩にかんしていささかなりとも図書館の本分を尽くすことができるようになった、少なくともその方向性を明確にすることはできたであろうと私は思っているのですけれど、さあこのあとはどうなるのかな。

  本日のアップデート

 ▼1979年11月

 作者を走らす名探偵──明智小五郎と金田一耕助 千代有三

 『名探偵読本8 金田一耕助』に収録されました。

 しかし、『蜘蛛男』いらいの通俗ものや、少年ものの明智小五郎は、実は同姓同名の別人であると考えてもあながち創造者江戸川乱歩の意にそむくことにはならないであろう。初期短編の素人探偵明智小五郎は初代で、のちの通俗長編のダンディー明智小五郎は、初代の名声をついだ二代目というところである。そしてあの初代明智小五郎を追憶することから、自作の探偵に転生させたのが、横溝正史の金田一耕助の出現であった。事実、横溝正史は小林信彦との対談で、小林から「あの人物(金田一耕助)は明智小五郎にちょっと似ていますね」といわれて、「初めは、そうね。明智小五郎が変身してしまったでしょう。だから安心して書けたんですよ。あの明智小五郎がそのままだったら、ああいう探偵はつくらなかったでしょうね」と語っている。

 ■1月9日(火)
どの口で乱歩顕彰なんてほざいてやがる 

 さあどうなるのかな。

 きのうのつづきを引用いたします。

 今後の乱歩顕彰事業

 この間にも、「乱歩記念館を名張市に」と云う思いは市民の間に流れてきたことはご承知のとおりであり、何年か前の市長の所信表明にも触れられておりました。

 そして、ご指摘のありました豊島区の記念館構想の表明・断念の後、最終的に立教大学がすべてのお世話をされることで終結いたしました。私と致しましては残念ではありますが、これで良かったのではないかと思っています。

 豊島区の構想が持ち上がったときも、一つにはほっとしたのは事実です。それは、乱歩先生が残された膨大な、そして貴重な資料の散逸が防ぎ得ると考えたからでした。また、行政間での連携を持つことで生誕地名張と豊島区とが連携していけると考えたからでした。早速、豊島区へ走り教育長・生涯学習課長とも面談しこれらの依頼をし、快諾を得ました。立教大学の場合も同じと思います。誠意を持って各種の協力をお願いせねばならないと思います。お互いの立場を理解しながら協力いただける点を探したいと思います。

 さきの富永市長の年頭のインタビュー記事には、お気に召さない点があったことと存じます。しかしそれらはすべて、私どもが市長に対し的確な情報を伝え切れていなかったが為ではと、反省いたします。どうか、私に免じてご海容のほどお願いいたします。

 なお、重要なことは今後の名張市の乱歩顕彰の方向付けだと思います。いろいろな方法が考えられます。ブレーンが必要でしょう、予算が必要でしょう、市民の協力・理解が必要でしょう。さまざまの力を合わせつつより高度な顕彰を継続していきたいと念じます。

 最後に、乱歩顕彰・乱歩研究に一層のお力を期待いたします。

 この文章は2002年の1月、ローカル紙に発表された新春インタビューで名張市長(当時の市長です)がびっくりするような大嘘ぶっこいていらっしゃいましたので、私はいくらなんでもそれはないだろうと唖然とし、市長のついた大嘘は教育長(当時の教育長です)が虚偽だと証明できるていのものでしたから教育長におらおらあいつ大嘘ぶっこいてるよなと確認してみたところ明快なお答えがいただけず、なんなんだてめーこら教育長の任務ってのは市長にしっぽ振ることかこらてめーなんなんだこの校長くずれがたまにゃからだ張って仕事してみろこらこら、くらぁーッ、とかなんとか酔っ払いみたいにいちゃもんをつけておりましたところを当時教育委員長をお務めだった辻敬治さんがとりなしてくださったときにお書きいただいたもので、「私どもが市長に対し的確な情報を伝え切れていなかったが為」とのお言葉はむろん事態を収拾するための方便であって決定的に悪いのは当時の市長にほかならなかったのではありますけれど、いまはそんなこと関係ありません。

 辻さんの文章をながながと引用いたしましたのは名張市における乱歩記念館構想の挫折の歴史を振り返っておくのが目的であり、それはむろんこんなことさえ知らずに桝田医院第二病棟をどうしようこうしようとない知恵をしぼっていらっしゃるみなさん(名張まちなか再生委員会のあほのみなさんや、あんたらのことどっせ)を陰ながら支援する(あざ笑う、でもいいのですが)ことにもつながるわけですが、もうひとつのねらいとしてはこの文章が執筆された2002年2月から現在までのほぼ五年のあいだにすでに結論が出てしまっているのだという事実をあらためて確認しておくこともあげられます。

 ──重要なことは今後の名張市の乱歩顕彰の方向付けだと思います。いろいろな方法が考えられます。ブレーンが必要でしょう、予算が必要でしょう、市民の協力・理解が必要でしょう。さまざまの力を合わせつつより高度な顕彰を継続していきたいと念じます。

 という辻さんのお言葉に即して述べるならば、まず「乱歩顕彰の方向付け」を協議することは、名張市において過去五年のあいだに一度も行われませんでした。そのいっぽうでコミュニティイベントに怪人二十面相が出没するといったことは試みられたのですから、名張市というところは本質的な問題にはまったく眼を向けようとせず単なるうわっつらの思いつきで受けねらいに走っていればそれで満足なのだなということが証明されたように思います。

 市議会議員が怪人二十面相に扮して観光 PR にあいつとめるという試みも同様であって、たった一度ではかなく終わってしまいました。どうせやるのなら名張市議会議員は怪人二十面相の衣装に身を包んで物見遊山ではなかった行政視察に出かけるべし、みたいなとこまで徹底してやっていただければまだ面白いのですけれど、そうもゆかぬか。それにこの手のことでは名張市は残念ながら旧上野市の後塵を拝しており、あれはいつであったか関係者全員が忍者装束に身を包むという驚天動地の状況で旧上野市議会が開かれたことがありまして、あれはいつであったかというと名張市が旧上野市など六市町村との合併に参加しないと決定した直後であったでしょうか、とにかく私はこんな気のふれたようなことをする自治体と合併しなくてよかったよかったと胸をなでおろした記憶があるのですが、そういえばある年の物見遊山ではなかった海外視察では旧上野市議会の先生方が忍者装束でイギリスかどこかの展示施設に入場しようとしたところ、施設のスタッフから、

 「ノーノー、そんなスパイのかっこうをして入ってきてはいけません。ジャパニーズ、ばかですかあ?」

 とたしなめられたとも聞き及ぶのですが、日本人がばかなのではない。旧上野市の市議会議員がばかだったのである。

 閑話休題。とにかく旧上野市には一歩およばぬとしても名張市だって結構なものであり、しかしそうしたうわっつらの受けねらいも2004年と2005年をピークとして退潮の傾向にあるように見受けられます。退潮のきっかけはおそらく2005年7月に出現したこれであり──

 こうした事業を手がけた団体の、というよりは名張市という自治体の乱歩にかんする本音を白日のもとにさらしたのが同年8月のこの投稿でした。

怪人19面相   2005年 8月 4日(木) 20時 6分  [220.215.61.171]

勘違い馬鹿のお方、いずれ近いうちに会うたるで。
連絡したるからまっとれ。
県民の血税を搾取なさったごとき事業をなさったオマエ、図書館嘱託のいんちきおっさん。
いろいろ返事を書いて頂いて有難う。
そもそも江戸川乱歩みたいなものどうでもええねん。20面相のキャラで又スフインクスのナンチャッテ写真で公益活動を実践しているのだから貴様につべこべ言われる筋合いとちがうねん!
回りくどい難しい言い回しでわかりにくいことくどくどゆうな、ボケ!

以上。

尚私は♂です。
商工会議所で会う理由もありません。
割と回りくどいのが嫌いな性格の人間です。
だいぶ我慢をしてメールを書いています。

推理作家の大家よくお考えあれ!!

 いやまったく面目次第もございませんが、結局はこういうところがファイナルアンサー。てめーらどの口で乱歩顕彰なんてほざいてやがんだ、という乱歩ファンのみなさんの罵声怒声がまぢかに聞こえる気さえいたしますが、乱歩顕彰の方向づけどころかそもそも顕彰する気なんてまったくございませんというのが正直なところなのでありますと、これはもう日々この名張市で生活している人間がはっきり断言しておきたいと思います。

 ですから辻さんの文章にあります、

 ──いろいろな方法が考えられます。ブレーンが必要でしょう、予算が必要でしょう、市民の協力・理解が必要でしょう。さまざまの力を合わせつつより高度な顕彰を継続していきたいと念じます。

 といったあたりにかんしましては、そもそも名張市に乱歩顕彰は無理であるという結論が出てしまっているわけなのですが、ついでですからもう少しつづけますと、「ブレーン」が必要だというのはそりゃまあたしかなことなれど、乱歩にかんする喫緊の課題である桝田医院第二病棟の活用策を検討していらっしゃるみなさんは、

 ──現段階では乱歩に関して外部の人間の話を聴く考えはない。

 などと平気でおっしゃるみなさんなんですからブレーンがいたって意味ありません。「予算」についていうならば、名張市はいまや赤字再建団体まっしぐらみたいな状況なんですから予算のひねり出しようがありません。そんな状況だというのに細川邸ならびに桝田医院第二病棟の整備に税金をつぎ込んでくれるというのですから、名張まちなか再生プラン関係者には死ぬほど知恵をしぼって腹をくくり、誰にも文句をつけられないような具体的構想を一日も早く提示することが望まれる次第です。

 いやまあなんといえばいいのか、文句なら死ぬほどつけてさしあげるつもりなのですが。

  本日のアップデート

 ▼1950年6月

 探偵小説について 江戸川乱歩

 昭和25年度版『文芸年鑑』に収録されました。

 この本では前年における文壇の動向がジャンル別に概観されており(なかには「歌舞伎を観る」なんてのもあります)、「大衆小説展望」では土師清二が時代小説を、乱歩が探偵小説を展望しています。

 昭和24年の探偵文壇を回顧した冒頭二段落を引いておきます。

 一九四九年度探偵小説界の最も大きな特色は新人の活動であつた。戦後の新人作家、香山滋、山田風太郎、島田一男、岩田賛、高木彬光、大坪砂男、椿八郎、本間田麻誉などの活発な動きと、それに続いて本年度も、宮野叢子、岡田鯱彦、岡村雄輔など多くの有望な新人の登場を見たことである。戦前からの作家たち、大下宇陀児、木々高太郎、横溝正史、水谷準、城昌幸、渡辺啓助なども夫々活動を続け、中にも横溝は最も多量の仕事をしてゐるが、全体としての特色はやはり新人群の活動と、その新人群が愈々数を増しつゝあるといふことであらう。

 これは戦後探偵作家クラブが結成され新人の育成に力めたこと、雑誌「宝石」が毎年懸賞募集によつて新人の登場を促し、そこから輩出した人々を大成せしめるために多大の情熱を注いだことによるが、同誌は四九年度に入り百万円の賞を懸けて長、中、短篇三種の募集をなし、年末には短篇の候補作三十四篇の特別号を発行、更らに一九五〇年度には中、長篇の特別号を出すことになつてゐる。これらの作品を見るに、非常な傑作といふほどのものはないけれども、戦前に比し応募作家の質が格段に向上してゐることは確かで、五〇年度はこの百万円懸賞から多くの新人が輩出するのではないかと考へられる。

 乱歩がこういう文章を発表していることは『江戸川乱歩著書目録』の編纂中に知り、これは当サイトの「江戸川乱歩執筆年譜」にも追記しておかなければならんぞとは思ったのですが、それから確実に四年以上のときをへだてていまようやく増補することを得ました。なーにぐーたらやってんだ、とお思いの諸兄姉はたくさんいらっしゃるでしょうけれど、私自身はむしろ自分のねばり強さに驚嘆しているような次第です。

 それにしてもほったらかしにしてあった資料の整理というのはほんっとに大変です。それになんだか死を前にして身辺整理をしている人間になったような気もしてきますし。


 ■1月10日(水)
うわっつら自治体を批判する 

 だからもう名張市は乱歩の顕彰なんて考えなくてもいいんじゃね? というのが私の結論です。ていうか、顕彰なんてそもそも無理であるというのが結論。顕彰という言葉を使用すると本質が見えなくなりますから自己宣伝といいかえましょう。乱歩を顕彰する、ではなくて、乱歩を自己宣伝に利用する、なんてあさはかなことはもう考えなくてもいいんじゃね? これが私の結論なの。

 むろん私とて、きょうびの言葉でいえばシティセールスってやつですか、地方自治体が自己宣伝することの必要性を認識しておらぬわけではない。以前から名張市の自己宣伝に乱歩を利用するのは全然 OK であるともいっておる(ただしそのためには乱歩をよく知ることが大切じゃ、ともいってるわけですが)。しかし好きなようにやってみろと思って生温かく見守っていた一連の動き、つまり「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」からこちらの乱歩をめぐるすったもんだを振り返ってつらつら考察いたしますに、ぷッ、無理無理、ろくに乱歩作品も読んでないような不勉強無教養不見識無責任なみなさんがいくらシティセールスに乱歩を利用しようったって無理なのである。それが私にはよく認識されました。ていうか再認識されました。どれもこれも連戦連敗、滑ってばかりであったではないか。ほんとに滑った。すっごい滑った。おおみそかの秋山成勲選手の脚のごとくに滑った。

 実際なーにやったって滑るばかりであるというのに、この期におよんでなにが乱歩文学館か。ミステリー文庫か。手を替え品を替えおなじ過ちをくり返そうとするこの愚かさはいったいどこからもたらされるのか。名張まちなか再生プランにおいて展示すべき歴史資料などどこにも存在しないのに歴史資料館をつくろうなどとインチキ吹きまくったのとまったく同様に、中味のことはなーんにも考えずハコモノのうわっつらだけを求めてことを進めようとするこの愚かしさはどうしたこっちゃ。乱歩文学館つくっていったいどうするの。ミステリー文庫つくっていったいなにをするの。こらばか。ばかども。うわっつらばかどものハコモノばかども。おまえらみたいなぼんくらが税金の具体的なつかいみち決めてんじゃねーぞこの地域社会の害虫ども。

 うすらばかいくら叩いたって面白くもなんともありませんけれど、そこらのうすらばかがどうこういうよりこれは結局のところ行政の責任である。明らかな失態である。名張市が悪いのである。名張まちなか再生プランにかんしていうならば、よーいどんで踏み出したその第一歩目から明らかにまちがっておったのである。そのことを私はプランの素案が公開された時点から指摘しておったのであるが、聴く耳もたぬというのだから名張市は救われない。これ以上まーだ恥をかきたいと見える。かかせてやろうか。お望みとあらば恥なんていくらでもかかせてさしあげますけど、しかしこれは恥の問題なんかではないのである。こんなルールや手続きを無視したプロセスによって内容空疎なプランが具体化されていいのか、市民のコンセンサスもなければそもそも必要もないうわっつらだけのハコモノに税金が投じられていいのかという問題なのである。いいわけがない。いいわけねーじゃん。誰が考えたっていいわけはないのであるが、だからといって引き返すことはできないのである。お役所だもの。

 さて、なんだか酔っ払いが来る日も来る日もくだを巻いているようだという印象がないでもないのですが、辻敬治さんがお書きになっていた「今後の名張市の乱歩顕彰の方向付け」にかんして述べるならば、結局そんなものは不可能であるのだというのが、辻さんがあの文章を執筆されてからほぼ五年の日月を閲した現時点での結論です。現時点での結論というか、これはもうファイナルアンサー。この先いくらあがいてみても名張市にはろくなことなどできまいて。

 それではいよいよ最後の問題、名張市立図書館をどうすればいいのかという問題に入ります。辻さんのお書きになったところに即して見てまいりましたそのとおり、名張市立図書館の乱歩コーナーはまぼろしに終わった乱歩記念館のささやかな代替物であった。うわっつらのハコモノを求めた見果てぬ夢の残滓であった。だからそんなものはどうでもいいとして、名張市立図書館がほんとうに手がけるべきなのは、日本でただひとつ乱歩の関連資料を収集しつづけてきた図書館として、収集した資料にもとづいて質の高いサービスを提供することなのである。私はほんとにあたかも酔っ払いのごとくこんなことばっか記しておるわけであるが、これが図書館としてのきわめてまっとうな考えなのである。

 だから陽はあたらない。乱歩を利用して脚光を浴びようとか注目を集めようとか、そういった思惑には名張市立図書館はなんの関係もないのである。どうして名張市立図書館が有名にならなければならぬのか。図書館としてやるべきことを地道に着実に陽のあたらぬままにやってゆけばそれでいいのである。とはいったって、江戸川乱歩リファレンスブックを刊行したおかげで乱歩ファンのあいだでは名張市立図書館の名前はある程度認知されてきているのであるし、名張市って結構やるじゃん、みたいな印象を抱いてくださった方だってまったく存在しないわけではあるまい。つまりこういうのがいちばん確実なわけ。

 名を売ることが目的ではないけれど、この世で名張市立図書館にしかできないサービスを全国を対象として提供してゆけばおのずと名前も知られてこようさ。うわっつらだけの思いつきで名張はからくりのまちでございますと大騒ぎするよりはるかにましである。はるかにましであるというよりも、あんなうわっつらイベントと名張市立図書館をおなじレベルで語られては片腹痛いというしかないのであるけれど、かりにシティセールスという側面からのみ考察してみても、これまでに名張市が手がけてきたすべての乱歩関連事業のなかでもっとも宣伝効果があったのは、ダントツのぶっちぎりで江戸川乱歩リファレンスブックの刊行であったことは論をまつまい。

 しかしどうやらそうした地道で着実で陽はあたらないけれどぜひとも必要なサービスをつづけるつもりが名張市立図書館にはないらしいから、私は最後に残された一縷の望みとして細川邸を名張市立図書館ミステリ分室にするという構想を提示したのであった。構想の意味すら理解できぬ名張市役所の人たちによってあっさり黙殺されてしまったのではあるけれど。

 さ、あしたもうわっつら自治体をばんばん批判してやろうっと。

  本日のアップデート

 ▼1971年5月

 たたり 星新一

 角川文庫『きまぐれ星のメモ』に収録されました。恥ずかしながら初出は不明。

 文庫本一ページにも満たぬ短いエッセイですから全文をご紹介したいところなれど、著作権の問題がありますから結びの一段落だけを引きましょう。

 ある夏の夜。作家仲間が集まってお岩さんの悪口をさんざん並べたてた。「四谷怪談」のヒロインお岩さまを呼び捨てにするとたたりがあるという俗信への反抗であった。妙に刺激的な気分を味わったが、その場ではなにも起きなかった。

 しかし、その翌日、みななんらかの形でお世話になっていた江戸川乱歩先生の訃報に接したのである。もちろん偶然には違いないが、どうもいい気分ではない。それ以来、私はお岩さまの悪口を言わないことにしている。勇気のある方は、ためしてみたらいかが。

 このエピソードは乱歩逝去前夜のささやかなそれとして『江戸川乱歩年譜集成』に記載したいと思います。しかし実際に記載するのはいつのことになるのか。