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2007年1月上旬
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あけましておめでとうございます。どのような新年をお迎えでしょうか、などと大きなお世話はやめにしてさっそくまいりましょう。 といったってきょうはきのうの翌日ですから降って湧いたみたいに新しい話題が出てくるわけでもなく、年があけてもまずこのスレッド。 最新のレス五件を引いてみますと──
揣摩憶測もネタが尽き、スレの流れとしては名張毒ぶどう酒事件における死刑判決の不当性が共通認識になりつつあるといったところでしょうか。当然のことだと思われますが、そんな当然のことにほっかむりしてしまう関係者よりはたしかに 2 ちゃんねらーのみなさんのほうが全然まともだというしかありません。 といったところで 12 月 24 日付伝言からひきつづく話題に移ります。 ──名張にとって乱歩とは何か、ですとか、名張市は乱歩にかんして何をしてきたのか、ですとか、そういったことを確認考察してきた次第なのですが、名張まちなか再生プランに関連して私が見つけたわずかな光明もすでに消えてしまった 2006 年の末つ方、それでもなおしつこくももう少し、おなじテーマでつづりたいと考えております。ただしこのあとは消えてしまった光明に主眼を置くことになるでしょう。 と記したそのつづきです。 考えてみればこの名張まちなか再生プランというやつもその不当性がすっかり明らかになっているにもかかわらず関係者がそれをいっさい認めようとしないという点で名張毒ぶどう酒事件に似たようなところがあるのですが、つまりプラン策定のプロセスにもプランの内容にも、それからプランを具体化してゆくうえでのルールや手続きにもとても見すごしにはできない大きな問題があり、なによりプランの目玉であった細川邸の利用策がこの期におよんでまーだ明確に示されていない点こそがプランの不当性を雄弁に物語っているわけなのですが、関係者のみなさんはそんなことにはほっかむりして 2007 年も猪突猛進をつづけてくれるのかな。 好きにしやがれというしかないわけではありますが、私が 12 月 24 日に記した「光明」ってのはいったいなんだったのかといいますと、ほかでもありません名張市新町の細川邸のことでした。 2003 年の時点では、昨年の 12 月 17 日付伝言にも引きましたとおり、私は細川邸の活用策としてこんなことを考えておりました。
考えておりましたというか、たいしたことは考えておりませんでしたというか。細川邸だけをどうこうしたからといって名張のまちににぎわいが戻るなんてことはありゃせんぞというのが私の考えなのですが、もしも細川邸を活用するのであれば乱歩記念館とか歴史資料館とかいった自縄自縛でしかない限定はなにももうけず、もっと自由につかいまわしたほうが賢明であろうということです。町家の再生なんて事例はそこらにいくらでも転がってますからそれを参考にしながら名張の独自性を追求してゆけばいいのだし、人を集めるというのならとりあえず食がポイントじゃん、といったごくありふれた提言しかできなかったのだとお思いください。 それが 2005 年のきさらぎ 2 月、名張まちなか再生プランの素案を読むにいたって私は翻意しました。プランには細川邸を歴史資料館として整備するなどというインチキが記されており、そんなのは当時流行のリフォーム詐欺と呼ぶしかないものであることは明々白々でありましたものの、ならば代替案は? と思案した私はたちまち答えに到達しました。いつかも記したことですけれど、細川邸の活用策なんてせいぜい五分もあれば考えつけることでしょう。ただし考えるために必要な知識や見識がなく、それ以前にものごとを深く考える習慣のない人間(これはいうまでもなく名張地区既成市街地再生計画策定委員会や名張まちなか再生委員会のみなさんのことをさしております。ていうかそこらの関係者全員のことである)には、そんなことははなから無理な相談であったにちがいありません。げんに無理であったからこそ細川邸の活用策がいまだ明確にされていないという異常事態に立ちいたっておるわけである。 私の代替案はいうまでもなく、細川邸を名張市立図書館ミステリ分室として整備するという構想です。2003 年の時点でも、つまり細川邸を「名張の町家」として活用するというアイディアにも、市立図書館の乱歩コーナーにある乱歩の遺品や著書は細川邸に展示し、乱歩コーナーは閉鎖、市立図書館は乱歩から手を引くという構想がこっそり秘められていたわけなのですが、私はそれをひるがえし、最初から考え直してもう一度だけ、名張市立図書館が乱歩にかんして質の高いサービスを提供するための方途を提案してみることにしたわけでした。 しっかし年があけてもおんなじことばかりいってる私はいったいなに? という疑問にさいなまれつつあすにつづきます。
本年もよろしくお願いいたします。 |
新年も二日目となりました。ぼーっとしてますけどきのうのつづきです。 名張まちなか再生ブランに対して提出したパブリックコメントを引きながらおはなしを進めます。 その前に確認しておきましょうか。名張市は乱歩にかんしてずっとずーっと無策無能でありつづけた。これは疑いようのない事実です。それをあらためて浮き彫りにしたのが 2004 年に実施された「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」でした。ろくに乱歩作品も読んだことのない官民双方のあれなみなさんが乱歩を素材にどんなことをやらかしてくれたのか。あらためて指摘する必要もないでしょう。結局これといったことはなーんにもできませんでした。その事実から推測いたしますに、名張市は乱歩にかんしてこれから先もずっとずーっと無策無能でありつづけることでしょう。 だがしかし、もしもそれが可能なのであれば、名張市立図書館には乱歩にかんする質の高いサービスを提供しつづけてもらいたいというのが私の願いです。希望であり願望です。方向性はすでに明確で、江戸川乱歩リファレンスブックが指し示している方向にまっすぐ前進すればどんぴしゃりでまちがいはないはずです。だからとりあえずはインターネットを利用してその内容を公開することからはじるべきだと思われる次第なのですが、それができないと名張市はいいます。そんなことすらできんのならとっとと乱歩から手を引いてしまえこのとんちき。 みたいなことを考えていたところへ出てきたのが名張まちなか再生プランであり、細川邸を歴史資料館にするというリフォーム詐欺みたいなインチキでした。いくらなんでもこんなばかなプランがよくもまとめられたものだ、とうっかり感心してしまいながら私はパブリックコメントを提出しました。内容はこのページでもお読みいただけます。 それで私の名張市立図書館ミステリ分室構想とはいったいどういうものであったのか。パブリックコメントから引きましょう。
細川邸を名張市立図書館の分室とし、乱歩にかんして質の高いサービスを提供する拠点にしてしまうのが私のもくろみでした。コメントには──
こんな一節もあったのですが、これぞまさしく深謀遠慮。蔵書をインターネットで公開することはそのまま江戸川乱歩リファレンスブックの内容や乱歩にかんするさまざまなデータを公開することにつながり、さらには高度な検索機能を附与することにも結びつきます。それがいちばんのねらいでした。 私としてはなんといいますか、まあ要するに名張市立図書館から依頼を受けたわけです。乱歩にかんしてなにをすればいいのかわからないから教えてくれと頼まれたわけです。だから所蔵資料をこんなぐあいに活用してサービスを提供すればいいでしょうと具体的に示したのが江戸川乱歩リファレンスブックなのであって、これだけインターネットが普及したのですからネットを利用したサービスのことにも私は道筋をつけておきたかった。むろんやる気になればやるべきことはまだまだあって、たとえば乱歩の著作権が切れるのを待って全作品のテキストをネット上で公開するなんてことも考えてはいたのですが、それにはまず突破口を開かなければならない。その突破口が細川邸を活用した名張市立図書館ミステリ分室構想だったというわけです。 むろん乱歩はあくまでも核であり、その周囲にはいろんなプランが考えられます。
ここにも記してありますとおり、名張市立図書館は慶應義塾大学推理小説同好会 OB 会をはじめとしたミステリファンのみなさんから蔵書を頂戴しているのですが、現在はいわゆる死蔵の状態です。図書館の地下書庫に保管しているだけの話で、私はこのことも長く気にかかっておりました。寄贈図書のみならず乱歩関係の書籍や雑誌の保管場所にも困っていると打ち明けておきましょうか。とにかく細川邸を活用すれば、寄贈図書の問題にも突破口が開かれるのではないか。
とにかく歴史資料館などという月並みな、ていうかそれ以前にインチキな施設よりは図書館の分室のほうがはるかに有意義で市民に親しまれるものになるのではないか。私はそのように考えて現在にいたっております。 本日はここまでとしておきましょう。
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新春三日目。毎晩ずるずるお酒を飲んで次の日の朝には飽きもせずへろへろになってふうふういってるのはばかの証拠に相違ないという気がしてきました。 ふうふういいながらあっちこっち閲覧しておりましたところ、2 ちゃんねるにおける名張毒ぶどう酒事件の話題、ニュース速報+板からニュース議論板に舞台を移して新しいスレッドが立てられているのを発見いたしました。 自慢ではありませんが当サイトの 12 月下旬の伝言録も参考リンクのひとつにあげられております。社会の不公正が 2 ちゃんねらーのみなさんによって告発されつづけることを期待しております。 インターネットを利用して告発されつづける社会の不公正といえば名張まちなか再生ブランが連想される次第なのですが、プランに対して提出したパブリックコメントが採用されるかどうかという点についていえば、そんなことはありえないだろうと私は踏んでおりました。細川邸を歴史資料館として整備するなんてのは愚の骨頂であると指摘してみたところで(その指摘が当を得ていたことは名張まちなか再生委員会の手によって歴史資料館構想がいつのまにかもみ消されていたという事実が証明してくれているわけなのですが)、プランを策定した名張地区既成市街地再生計画策定委員会のめんつをまるつぶれにしてプランに変更を加えることなど名張市にできる道理がありません。 あまりにもへろへろなので本日はここまでといたします。
本日は大阪で開かれる大宴会に出席いたしますので、あしたの朝もまたへろへろか? |
なんとかもちなおしました。年末からのへろへろ状態がいよいよピークを迎え、きのうはほぼ一日ぶっ倒れているしかないていたらくだったのですが、へろへろはへろへろながらおかげさまでけさは相当すっきりしているみたいです。 新年早々の当地のニュースとしては、名張毒ぶどう酒事件の再審開始決定取り消しで弁護団が最高裁に特別抗告、というのがまずいちばんに来るでしょう。共同通信の記事がこれです。 世の中どうも変である、どんどんどんどん変である、という認識が私をへろへろにさせてしまうのかもしれませんが、たしかに変な名張まちなか再生プランの話題にまいりましょう。おなじ話題がえんえんとつづいて私自身うんざりしているのですけれど、口舌の徒としていうべきことはいっておかなければなりません。 さてそれでおとといの伝言のつづきなのですが、いくらパブリックコメントを提出してみたところでそれが採用される見込みなどないであろうことは知れておりました。細川邸を名張市立図書館ミステリ分室として整備するという提案を受けて、名張まちなか再生プランの担当セクションが関係セクションを集めて協議検討を進めることさえないであろうとは容易に想像されました。パブリックコメント制度など形骸にすぎず、あのインチキと呼ぶしかないプランがそのまま正式決定されるであろうことはこちとら先刻ご承知ではあったのですが、そこは口舌の徒、あまりといえばあまりなインチキには釘を刺し、釘を刺したということを自分のサイトで公開しておけば、なにかしらインチキの歯止めになるのではないかと期待を抱かないでもありませんでした。 しかし、しかしなあ、やっぱだめだろうなあ、とも私は思わざるをえなかった。名張市立図書館ミステリ分室構想、などというものが採用されるかどうか以前にはたして関係者に理解されるのかどうか。相手はなにしろ名張市役所の人たちです。図書館というのがどういうものなのか、それを正しく理解しているかどうかさえ心許ない人たちです。端的にいってしまえば、本を読まない人たちにむかってさあ本を読む場をつくりましょうと呼びかけてみたところで、理解されることなどまったく望めないのではないかしら。私にはそうした懸念もありました。ていうか、理解されないだろうなという諦念があったような気さえいまはする。 私には本を読むことが特権的な行為であるといいつのるつもりはまったくありませんけれど、とはいえなにかを知ったりものを考えたりするためには本を読むことがどうしても必要であろうとは考えます。 といったところでいったんこちらへどうぞ。
まあそういったことなのであって、お子供衆のために「本を読んで知識を増し、思考力を鍛える」環境を整えてやるのはおとなの義務であると私は考えます。そして自身の経験に照らしても読書入門にはミステリ小説がふさわしく、すなわち名張市立図書館ミステリ分室はお子供衆が本に親しむ場としても構想されていたわけです。こんなことは以前にも記したような記憶があるのですが、当サイトにおいては少し以前から Google を利用したサイト内検索がばかになってしまっており(これは相当に不便なことなのですが、まあ個人のサイトなどはしょせんこんな程度のものでしょう。だから名張市立図書館ミステリ分室が乱歩関連のデータをインターネット上に公開することを私は強く望むのですが)、適当な単語を列挙して過去の伝言をしぼりこむことができなくなっておりますので、以前の伝言を引用することができません。まあそういったことなのであると(どんなことなんだか)お思いください。 それで早い話が名張まちなか再生プランの関係者、あのみなさんは私には「本を読んで知識を増し、思考力を鍛える」といったことに無縁であった人たちばかりであると見受けられます。だから「他人に言われるまま」になるしかなく、「自分自身の頭で考え」ることができない。まさしく考えることができない。彼らにとって考えるとは、他人の真似をすること、他人の考えたことをうわっつらだけなぞってみることを思いつく、ということにほかならない。すなわち彼らの考えというのは単なる思いつきにすぎない。ほんとうに考えなければならないことはすべて先送りしてしまう。いやもう名張市役所というのがそもそもそんなところなのであって、そんなところで責任回避と思考停止に明け暮れている人たちに名張市立図書館ミステリ分室構想なんてものを吹き込んでもとても理解ができぬのではないかと、それはもう私は思わざるをえませんでした。とはいえ、もしかしたら私のパブリックコメントにかんして訊きたいことがあると担当セクションから問い合わせがあるかもしれないな、とそこはかとなく思わないでもなかったような気もいまはする。 しかしいったいなんなんだこの堂々めぐりは。私は新年早々なーにへろへろになって堂々めぐりばかりしておるのか。しっかりしなければなりませぬ。 それで結局どうにもならなかったのではありますけれど、それにしてもひどいものである。見事なまでにひどい話である。まともにものを考えられないような連中ばかりが大きな顔をしているのだからなあ。名張市はこの先どうなってしまうのかなあ。 |
1月も六日目を迎え、体調はほぼ本復いたしました。よかったよかった。 本年もまたあちらこちらのみなさんから年頭のご挨拶を頂戴しておりまして(年賀状のことですけど)、まことにありがたく厚くお礼を申しあげます。私はもうすぐ2005年のお正月を迎えようというころであったでしょうか、てへへッ、これから自己破産する人間が年賀状なんか出したら先様の縁起が悪くなるのではないかしら、とか律儀にも思いあたって欠礼し(なにかと忙しくて年賀状をつくってる時間があまりなかったようにも記憶いたします)、去年も今年も欠礼しっぱなしではあるのですが、またいずれそのうちあらためて。 さて、どうするのか。 乱歩をどうするのか。 堂々めぐりと呼ぶしかない話題をつづけましょう。とにかくまあいくらなんでもそろそろ結論を出さねばならぬころではあろう。思考停止の先送りのとお役所の十八番はもう結構。結構結構こけこっこー。あ、まだ酔ってる。 それで私の考えなのですが、細川邸をたとえば観光施設みたいなものにして集客を図ってみたところでたいした効果は望めないことでしょう。それは断言できると思う。名張まちなかの再生なんて一朝一夕に実現できるものでは全然なく、だいたいがほぼ不可能にちかいことだといってしまってもいいのではないか。そのあたりの現実から眼をそむけてうわっつらのことばっかやってみたってしかたあるまいと私は思う。だからもう市立図書館のミステリ分室にしてしまうのがいちばんいいのではありゃせんか。考えとして足が地に着いてるし、地域住民の生活に直結しているし、それでいながら全国に開かれて名張市の独自性を主張できる施設になるはずである。 乱歩にかんしてあらためて確認しておくと、もうとても無理なわけである。「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」が催された2004年と、名張市観光協会の要請を容れて名張市議会議員のみなさんが大阪におもむき怪人二十面相のいでたちで観光 PR につとめてくださった2005年。あの両年度における名張市の乱歩へのアプローチを見るかぎり、はいだめー、全然だめー、と私はいわざるをえない。名張市だめー。見事にだめー。とにかく官民双方が大騒ぎしてあの程度なのであるから、 ──名張市は乱歩から手を引け。 などと迫らなくてもいまや名張市はすっかり手をこまねいているように見受けられる。だからもうほっといてもいいか。このままずるずるとむこうが自滅するのを待ってればいいか。いえいえそれはなりません。結論を出さなければならない喫緊の課題がふたつあります。いずれも市民から名張市につきつけられた課題です。 市民のひとりはかくいう私なわけですが、ちゃんとしたことをやる気がないのなら名張市立図書館は乱歩コーナーを閉鎖して乱歩と無縁な図書館になってしまえ。私はそのように考えているわけです。しかしできればちゃんとしたことをやってもらいたいとも願っている。そのためには細川邸を図書館のミステリ分室にするくらいのことを提案しなければお役所は動いてくれんだろう。とはいえきのうも記したとおり、たぶん名張市役所の人たちには私の提案を理解することすらできぬのであろうなと推測される次第ではあるのですが、それはそれとしてさあどうするの名張市。名張市立図書館はもう乱歩から手を引いたらどうなの。これが私のつきつけている課題である。 もうひとつの課題は乱歩生誕地碑の建つ桝田医院第二病棟の旧所有者の方からもたらされたものです。病棟の土地建物を名張市に寄贈しますから乱歩に関連して活用してください。これが市民からつきつけられた課題である。寄贈を受けたのはすでに二年以上も前、2004年11月のことであったのですが、名張市はいまだに結論を出せない情けなさである。むろん名張市がずっとずーっと無策無能であることは私もよろしく了解しておりますが、官民双方の知恵を結集すればなんとかなるとばかり不勉強無教養不見識無責任なみなさんを糾合して委員会をつくってみたところで話は進まんぞ。そんなところに丸投げしたりなんかすると話がよけいややこしくなるばかりだ。ろくに乱歩のことも知らないような連中を何十人あつめたってどうにもならぬというごく単純なことがなぜわからぬのか。そんなばかなことがどうしてまかり通るのか。 ではここで、きのうごそごそと再開した資料整理の際に見つかったプリント二枚から引きましょう。2002年2月のものです。私はこのときも怒っておりました。激怒しておりました。名張市長(当時の市長ですが)というのはまあなんという大嘘つきか、こら教育長おまえならば市長が大嘘つきであるということを証明できるはずだ、こら教育長とっとと真実を吐けこら、吐かぬかこら教育長こら、こらこら、みたいなこといって怒っておりましたところへ教育委員長の辻敬治さんが出てきてとりなしてくださったときの文書です。当サイトでは「名張市立乱歩記念館の幻」というページに掲載してあるのですが、そこからコピー&ペーストして引用いたします。
まずここまで。 名張市で乱歩記念館がどうのこうのというのであれば過去の経緯を頭に入れておく必要があるのは当然のことでしょうけれど、しかし実際にはそういったことはまったくない。「十分に引き継ぎを受け、全体を理解をしている」人間なんてどこにもおりません。名張まちなか再生委員会の手で進められているはずの桝田医院第二病棟をめぐる協議検討もおそらくは、乱歩記念館にかんする過去の経緯などまったく無視した無責任でいいかげんなものなのであろうなと推測されます。 ではつづきをば。
乱歩記念館というのは結局のところ当時もいまも、名張市という田舎の自治体にとって単なるお飾りにすぎないのではないかと私には思われます。そこからなにかをはじめるための拠点ではなく、それを建設することだけが目的のただのアクセサリー。だから私には、名張市における乱歩記念館の話はどうしてそれが必要なのかという議論を抜きにしていきなりスタートしてしまい、いつのまにかうやむやになってしまっているという印象が強い。 つづきはまたあした。
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途方もないほど発達するという低気圧の影響なのか、戸外には強い風が吹きすさんでいるようです。拙宅の近所にある一戸建住宅の建築現場では、風にあおられたビニールシートがいまにも飛ばされてしまいそうにばたばたと大きな音を立てている。きょう7日には名張市の成人式が開催されることになっているのですが、強風に祝福された二十歳の旅立ちなんていうのは印象深くて結構おつりきなものかもしれないな、とか思いながら小谷野敦さんのブログ「猫を償うに猫をもってせよ」を閲覧していた私は、おッ、これはッ、と思わず眼を見張ってしまうような情報にぶちあたりました。 私が眺めていたのは小谷野さんの手でまとめられた谷崎潤一郎の詳細な年譜のページだったのですが(つまりこのページ。やや重)、年譜といえば自分的には江戸川乱歩年譜集成なのであるけれど、このところ編纂作業からすっかり遠ざかっておるなあ……、去年の10月なかばくらいからであったか、編纂のための時間があまりとれなくなってしまって……、ああいう作業というのはちょっと離れてしまうとすんなりとは復帰できないものだなあ……、しかもこのところ空いた時間を資料整理にあてることにしておる状態だから、江戸川乱歩年譜集成の編纂作業からはもうずーっと……、ずーっとずーっと……、みたいな感じでリーダーを多用して内的独白を重ねながら記載事項をぽんやり追っていた私は、昭和33年11月のこんな記述を眼にしてにわかに閃くものをおぼえました。
おッ、これはッ。私は膝を叩きました。そして資料整理で出てきた一冊の古書目録を手にとりました。いつの年のものかはわかりませんが、第四十五回「高円寺新宿古書展」の目録です。こんなこというと叱られてしまいますけど、かなり以前にどなたかからお送りいただいたもので(どなたであったのか、どうしても思い出せません。平身低頭)、附箋のついたページを開くと黄色の蛍光ペンでマーキングされた一冊の古書があります。古書っていうかパンフレットなんですけど。
たぶんこれだろう、と私は目星をつけました。このパンフレットは昭和33年11月20日、谷崎が足を運んだ日劇ミュージックホールで上演されていた乱歩原案の舞台「夜ごと日ごとの唇」のものであろう。目録を送っていただいたときには、へー、とか思っただけだったのですが(せっかくのご教示に対してこんなレスポンスではほんとに叱られてしまうわけですが)、これはやっぱり押さえておかねばとまなじりを決した私は、しっかし一万二千円もするのかよ、たまんねーなー、とかぼやきながらも例によって「日本の古本屋」で検索を試みてみました。と、なんと三千円のものが見つかりましたので超ラッキーとかえらい得したとかすっかり上機嫌、吹き荒れる強風をものともせずについさっきはっしとばかり注文を入れた次第であったのですが(古書発注の新春第一弾でした)、よく考えてみるとヌードショー(という定義は妥当でないかもしれません)のバンフレットが三千円というのは、やっぱ高いのではないかしら。 いやいや、高かろうが安かろうが、こういう細かい資料もまなじりを決して押さえるのが名張市立図書館の任務でしょう。開館準備の段階から乱歩の資料を収集してきた図書館なんですから、それはみずから選びとった任務なのであるというしかあるまい。だが単なる資料収集だけが任務だというわけではけっしてない。収集した資料にもとづいてどれだけ質の高いサービスを提供できるのか。それが問題なのである。そうしたサービスに手をつける気が微塵もないというのであれば、名張市立図書館は乱歩からさっさと手を引いてしまったほうがいいであろう。さあどうよ名張市。どうよったらどうよ。 といったところできのうのつづきです。きのうはまあ、名張市という田舎の自治体にとって乱歩記念館は要するにお飾りかアクセサリーなのである、ただ建設すればそれだけで満足、乱歩記念館をつくっていったい何をするのかということなんて関係者の頭にはまるで存在していない、ほんとにそんなものが必要なのかどうかを考えようともしないのがうわっつらを飾るだけでこと足りる田舎者の実態なのである、みたいなことを考察した次第であったのですが、てめーらこらあれか、乱歩ってのはなにか、そこらの農家でかつての牛小屋を改造した応接間のキャビネットにうやうやしく飾られている絶対に飲んではならぬ高級ブランデーだとでもいうのかこら。 みたいなところで辻敬治さんの文書からの引用、きのうのつづきです。
いま必要なことだけを指摘しておきますと、辻さんがお書きになっている一連の動きにおいては、名張市にどうして乱歩記念館が必要なのか、乱歩記念館をつくってなにをするのか、そういった議論が欠落したまま話が進んでいたと見るのが妥当でしょう。真に必要だった議論は「乱歩顕彰」という言葉のかげにあいまいに隠されていた、といってもいいでしょう。もうひとつ、乱歩のご遺族にとって名張市に乱歩記念館をつくるなんてのははなっからありえない話であったということも、この文章からは読みとれます。じつにあたりまえのことである。かりに私が遺族であったとしても(なんとおこがましい)、そんな話は笑ってとりあわない。ただ生まれたというだけで乱歩とはほぼ無縁な名張という土地にどうして乱歩記念館なんかつくらなくちゃならないの、自治体が見栄をはるのは勝手だけれど、そんなものにおつきあいするのはお断り、と私はきっと思うであろう。 つづきはあしたとなります。
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名張市立図書館の開館は1969年のことでした。そのおり乱歩記念館の建設構想も浮上いたしましたものの、結局「計画は進まないままに置き去られてきました」。1987年には図書館が丸之内から桜ヶ丘の現在地に移転することになり、またしても乱歩記念館の併設が検討されたのですけれど、ご遺族にお目にかかってみたところ「土蔵丸ごと名張市へなどと云うことはあり得ない話であることが判じとられました」。そこで乱歩記念館の建設は断念され、「次善の計画として」図書館内に乱歩コーナーが開設されることになりました。 というのがおとといから引用している辻敬治さんの文章の概要なのですが、さらにそのつづき。
乱歩コーナーの開設にあたっては、 「こんなことで乱歩顕彰などと大きな事が云えるだろうか」 「資料の収集となると莫大な資金が必要となる」 「市内に乱歩の資料が残されているだろうか」 といった議論が図書館内部でかわされたとのことです。 「乱歩顕彰」にかんしていえば、そんなごたいそうな言葉をつかうから話がややこしくなってしまうわけです。そのうえ問題の本質が見えなくなってしまう。顕彰なんておおげさなこといわないで、開館準備の段階から収集してきた乱歩関連資料にもとづいて図書館としてどんなサービスが可能なのか、それを追求してゆけばいいだけの話である。 「莫大な資金」について述べますと、「資料」という言葉が単なる書籍雑誌や原稿書簡のたぐいを指しているのか、それ以外のものも含んでいるのかが不明ですし、そもそも「莫大」というのがどの程度の金額なのかもわかりませんからなんともいいようがないのですが、図書館の守備範囲内で話を進めればそれでよろしく、莫大なお金が必要なものには手を出さないのが正解でしょう。 市内に乱歩の資料が残されているのかどうか、などというご町内感覚には、けっ、一顧だに与える必要がないであろう。ただしあえていっとくとするならば、乱歩が愛でた名張のまちの風情もまた貴重な資料なのであるみたいな発想が、これは図書館とは関係なく名張のまちの再生を考えるうえで必要になるであろうとは愚考される次第です。 といったような感じで、もしも乱歩コーナーをめぐる協議の場にいあわせたとしたら、私はおそらくそんな意見を述べていたのではないかしら。 そして乱歩コーナーの開設にあたり、図書館の業務としてこういった点が確認されたといいます。 ──予算の許す限り資料の収集を続ける。 ──乱歩のみに限らずミステリーに関するものを収集する。 ──江戸川乱歩賞受賞者に接近し著書サインなどの寄贈を願う。 ──推理作家協会にルートを求め各種の情報を得る。 ここにも欠落が見られます。乱歩記念館構想とおなじ欠落です。資料の収集をつづけるのはいいけれど、それでいったいなにをするのか。そのあたりの見通しがきれいに欠落しておるではないか。図書館はただのコレクターなのか。資料を集めればそれでおしまいなのか。 あとになって私が怒ったのもまさにその点にかんしてなのであって、というか私はしょっちゅう怒ってるわけなのですが、これは嘱託を拝命する以前、1995年のおはなしです。おまえらは乱歩コーナーに遺品をちまちま展示して市民相手の読書会やってれば満足なのか、と私は怒った。図書館なんだからほかにもっとやるべきことがあるだろーが、と1995年の私は怒ったわけなのですが、施設をつくること自体が目的であるハコモノ行政とまったく同様に、資料を収集すること自体が目的であってその先がまったく考えられていないというのであれば、そんなのは図書館の本分を忘れたずいぶんとすっとこどっこいな話であるなと私は思う。 それをまあ図書館としての本分を忘れてなにが乱歩賞作家か。図書館がプロ作家や商業ジャーナリズムにすり寄らねばならぬ必要がどこにある。それからまたなーにが推理作家協会か。単なる職能団体からどんな情報が得られるというのか。図書館の本分を忘れてうわっつら飾ることだけに走ってんじゃねーぞこら、ともしも乱歩コーナーをめぐる協議の場にいあわせたとしたら私は必ず発言していたことであろうけれど、いあわせませんでしたから発言はできなんだ。 しかし1995年になって図書館を叱り飛ばす機会が訪れましたので、上述のごとく、 ──おまえらは乱歩コーナーに遺品をちまちま展示して市民相手の読書会やってれば満足なのか。図書館なんだからほかにもっとやるべきことがあるだろーが。 とここを先途と怒りまくってみましたその結果、思いがけず図書館の嘱託を拝命することになってしまってさあ大変、とはいうもののさはさりながら自分でいうのもあれなのですが、名張市立図書館は乱歩にかんしていささかなりとも図書館の本分を尽くすことができるようになった、少なくともその方向性を明確にすることはできたであろうと私は思っているのですけれど、さあこのあとはどうなるのかな。
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さあどうなるのかな。 きのうのつづきを引用いたします。
この文章は2002年の1月、ローカル紙に発表された新春インタビューで名張市長(当時の市長です)がびっくりするような大嘘ぶっこいていらっしゃいましたので、私はいくらなんでもそれはないだろうと唖然とし、市長のついた大嘘は教育長(当時の教育長です)が虚偽だと証明できるていのものでしたから教育長におらおらあいつ大嘘ぶっこいてるよなと確認してみたところ明快なお答えがいただけず、なんなんだてめーこら教育長の任務ってのは市長にしっぽ振ることかこらてめーなんなんだこの校長くずれがたまにゃからだ張って仕事してみろこらこら、くらぁーッ、とかなんとか酔っ払いみたいにいちゃもんをつけておりましたところを当時教育委員長をお務めだった辻敬治さんがとりなしてくださったときにお書きいただいたもので、「私どもが市長に対し的確な情報を伝え切れていなかったが為」とのお言葉はむろん事態を収拾するための方便であって決定的に悪いのは当時の市長にほかならなかったのではありますけれど、いまはそんなこと関係ありません。 辻さんの文章をながながと引用いたしましたのは名張市における乱歩記念館構想の挫折の歴史を振り返っておくのが目的であり、それはむろんこんなことさえ知らずに桝田医院第二病棟をどうしようこうしようとない知恵をしぼっていらっしゃるみなさん(名張まちなか再生委員会のあほのみなさんや、あんたらのことどっせ)を陰ながら支援する(あざ笑う、でもいいのですが)ことにもつながるわけですが、もうひとつのねらいとしてはこの文章が執筆された2002年2月から現在までのほぼ五年のあいだにすでに結論が出てしまっているのだという事実をあらためて確認しておくこともあげられます。 ──重要なことは今後の名張市の乱歩顕彰の方向付けだと思います。いろいろな方法が考えられます。ブレーンが必要でしょう、予算が必要でしょう、市民の協力・理解が必要でしょう。さまざまの力を合わせつつより高度な顕彰を継続していきたいと念じます。 という辻さんのお言葉に即して述べるならば、まず「乱歩顕彰の方向付け」を協議することは、名張市において過去五年のあいだに一度も行われませんでした。そのいっぽうでコミュニティイベントに怪人二十面相が出没するといったことは試みられたのですから、名張市というところは本質的な問題にはまったく眼を向けようとせず単なるうわっつらの思いつきで受けねらいに走っていればそれで満足なのだなということが証明されたように思います。 市議会議員が怪人二十面相に扮して観光 PR にあいつとめるという試みも同様であって、たった一度ではかなく終わってしまいました。どうせやるのなら名張市議会議員は怪人二十面相の衣装に身を包んで物見遊山ではなかった行政視察に出かけるべし、みたいなとこまで徹底してやっていただければまだ面白いのですけれど、そうもゆかぬか。それにこの手のことでは名張市は残念ながら旧上野市の後塵を拝しており、あれはいつであったか関係者全員が忍者装束に身を包むという驚天動地の状況で旧上野市議会が開かれたことがありまして、あれはいつであったかというと名張市が旧上野市など六市町村との合併に参加しないと決定した直後であったでしょうか、とにかく私はこんな気のふれたようなことをする自治体と合併しなくてよかったよかったと胸をなでおろした記憶があるのですが、そういえばある年の物見遊山ではなかった海外視察では旧上野市議会の先生方が忍者装束でイギリスかどこかの展示施設に入場しようとしたところ、施設のスタッフから、 「ノーノー、そんなスパイのかっこうをして入ってきてはいけません。ジャパニーズ、ばかですかあ?」 とたしなめられたとも聞き及ぶのですが、日本人がばかなのではない。旧上野市の市議会議員がばかだったのである。 閑話休題。とにかく旧上野市には一歩およばぬとしても名張市だって結構なものであり、しかしそうしたうわっつらの受けねらいも2004年と2005年をピークとして退潮の傾向にあるように見受けられます。退潮のきっかけはおそらく2005年7月に出現したこれであり── こうした事業を手がけた団体の、というよりは名張市という自治体の乱歩にかんする本音を白日のもとにさらしたのが同年8月のこの投稿でした。
いやまったく面目次第もございませんが、結局はこういうところがファイナルアンサー。てめーらどの口で乱歩顕彰なんてほざいてやがんだ、という乱歩ファンのみなさんの罵声怒声がまぢかに聞こえる気さえいたしますが、乱歩顕彰の方向づけどころかそもそも顕彰する気なんてまったくございませんというのが正直なところなのでありますと、これはもう日々この名張市で生活している人間がはっきり断言しておきたいと思います。 ですから辻さんの文章にあります、 ──いろいろな方法が考えられます。ブレーンが必要でしょう、予算が必要でしょう、市民の協力・理解が必要でしょう。さまざまの力を合わせつつより高度な顕彰を継続していきたいと念じます。 といったあたりにかんしましては、そもそも名張市に乱歩顕彰は無理であるという結論が出てしまっているわけなのですが、ついでですからもう少しつづけますと、「ブレーン」が必要だというのはそりゃまあたしかなことなれど、乱歩にかんする喫緊の課題である桝田医院第二病棟の活用策を検討していらっしゃるみなさんは、 ──現段階では乱歩に関して外部の人間の話を聴く考えはない。 などと平気でおっしゃるみなさんなんですからブレーンがいたって意味ありません。「予算」についていうならば、名張市はいまや赤字再建団体まっしぐらみたいな状況なんですから予算のひねり出しようがありません。そんな状況だというのに細川邸ならびに桝田医院第二病棟の整備に税金をつぎ込んでくれるというのですから、名張まちなか再生プラン関係者には死ぬほど知恵をしぼって腹をくくり、誰にも文句をつけられないような具体的構想を一日も早く提示することが望まれる次第です。 いやまあなんといえばいいのか、文句なら死ぬほどつけてさしあげるつもりなのですが。
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だからもう名張市は乱歩の顕彰なんて考えなくてもいいんじゃね? というのが私の結論です。ていうか、顕彰なんてそもそも無理であるというのが結論。顕彰という言葉を使用すると本質が見えなくなりますから自己宣伝といいかえましょう。乱歩を顕彰する、ではなくて、乱歩を自己宣伝に利用する、なんてあさはかなことはもう考えなくてもいいんじゃね? これが私の結論なの。 むろん私とて、きょうびの言葉でいえばシティセールスってやつですか、地方自治体が自己宣伝することの必要性を認識しておらぬわけではない。以前から名張市の自己宣伝に乱歩を利用するのは全然 OK であるともいっておる(ただしそのためには乱歩をよく知ることが大切じゃ、ともいってるわけですが)。しかし好きなようにやってみろと思って生温かく見守っていた一連の動き、つまり「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」からこちらの乱歩をめぐるすったもんだを振り返ってつらつら考察いたしますに、ぷッ、無理無理、ろくに乱歩作品も読んでないような不勉強無教養不見識無責任なみなさんがいくらシティセールスに乱歩を利用しようったって無理なのである。それが私にはよく認識されました。ていうか再認識されました。どれもこれも連戦連敗、滑ってばかりであったではないか。ほんとに滑った。すっごい滑った。おおみそかの秋山成勲選手の脚のごとくに滑った。 実際なーにやったって滑るばかりであるというのに、この期におよんでなにが乱歩文学館か。ミステリー文庫か。手を替え品を替えおなじ過ちをくり返そうとするこの愚かさはいったいどこからもたらされるのか。名張まちなか再生プランにおいて展示すべき歴史資料などどこにも存在しないのに歴史資料館をつくろうなどとインチキ吹きまくったのとまったく同様に、中味のことはなーんにも考えずハコモノのうわっつらだけを求めてことを進めようとするこの愚かしさはどうしたこっちゃ。乱歩文学館つくっていったいどうするの。ミステリー文庫つくっていったいなにをするの。こらばか。ばかども。うわっつらばかどものハコモノばかども。おまえらみたいなぼんくらが税金の具体的なつかいみち決めてんじゃねーぞこの地域社会の害虫ども。 うすらばかいくら叩いたって面白くもなんともありませんけれど、そこらのうすらばかがどうこういうよりこれは結局のところ行政の責任である。明らかな失態である。名張市が悪いのである。名張まちなか再生プランにかんしていうならば、よーいどんで踏み出したその第一歩目から明らかにまちがっておったのである。そのことを私はプランの素案が公開された時点から指摘しておったのであるが、聴く耳もたぬというのだから名張市は救われない。これ以上まーだ恥をかきたいと見える。かかせてやろうか。お望みとあらば恥なんていくらでもかかせてさしあげますけど、しかしこれは恥の問題なんかではないのである。こんなルールや手続きを無視したプロセスによって内容空疎なプランが具体化されていいのか、市民のコンセンサスもなければそもそも必要もないうわっつらだけのハコモノに税金が投じられていいのかという問題なのである。いいわけがない。いいわけねーじゃん。誰が考えたっていいわけはないのであるが、だからといって引き返すことはできないのである。お役所だもの。 さて、なんだか酔っ払いが来る日も来る日もくだを巻いているようだという印象がないでもないのですが、辻敬治さんがお書きになっていた「今後の名張市の乱歩顕彰の方向付け」にかんして述べるならば、結局そんなものは不可能であるのだというのが、辻さんがあの文章を執筆されてからほぼ五年の日月を閲した現時点での結論です。現時点での結論というか、これはもうファイナルアンサー。この先いくらあがいてみても名張市にはろくなことなどできまいて。 それではいよいよ最後の問題、名張市立図書館をどうすればいいのかという問題に入ります。辻さんのお書きになったところに即して見てまいりましたそのとおり、名張市立図書館の乱歩コーナーはまぼろしに終わった乱歩記念館のささやかな代替物であった。うわっつらのハコモノを求めた見果てぬ夢の残滓であった。だからそんなものはどうでもいいとして、名張市立図書館がほんとうに手がけるべきなのは、日本でただひとつ乱歩の関連資料を収集しつづけてきた図書館として、収集した資料にもとづいて質の高いサービスを提供することなのである。私はほんとにあたかも酔っ払いのごとくこんなことばっか記しておるわけであるが、これが図書館としてのきわめてまっとうな考えなのである。 だから陽はあたらない。乱歩を利用して脚光を浴びようとか注目を集めようとか、そういった思惑には名張市立図書館はなんの関係もないのである。どうして名張市立図書館が有名にならなければならぬのか。図書館としてやるべきことを地道に着実に陽のあたらぬままにやってゆけばそれでいいのである。とはいったって、江戸川乱歩リファレンスブックを刊行したおかげで乱歩ファンのあいだでは名張市立図書館の名前はある程度認知されてきているのであるし、名張市って結構やるじゃん、みたいな印象を抱いてくださった方だってまったく存在しないわけではあるまい。つまりこういうのがいちばん確実なわけ。 名を売ることが目的ではないけれど、この世で名張市立図書館にしかできないサービスを全国を対象として提供してゆけばおのずと名前も知られてこようさ。うわっつらだけの思いつきで名張はからくりのまちでございますと大騒ぎするよりはるかにましである。はるかにましであるというよりも、あんなうわっつらイベントと名張市立図書館をおなじレベルで語られては片腹痛いというしかないのであるけれど、かりにシティセールスという側面からのみ考察してみても、これまでに名張市が手がけてきたすべての乱歩関連事業のなかでもっとも宣伝効果があったのは、ダントツのぶっちぎりで江戸川乱歩リファレンスブックの刊行であったことは論をまつまい。 しかしどうやらそうした地道で着実で陽はあたらないけれどぜひとも必要なサービスをつづけるつもりが名張市立図書館にはないらしいから、私は最後に残された一縷の望みとして細川邸を名張市立図書館ミステリ分室にするという構想を提示したのであった。構想の意味すら理解できぬ名張市役所の人たちによってあっさり黙殺されてしまったのではあるけれど。 さ、あしたもうわっつら自治体をばんばん批判してやろうっと。
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