2007年2月下旬
21日 もったいないけど諦めたでござるの巻 ミステリ珍品館へようこそ
22日 被告人は「魔人ゴング」を読んだか 魔人ゴング
23日 鉄の棺桶の内部の窒息 魔人ゴング
24日 妖人ゴングの正体は 怪談・恐怖談座談会
25日 二十面相であり四十面相でもある 1 ほほえむ小五郎
27日 2月は逃げるでござるの巻 『江戸川乱歩』──乱歩の本と共に
28日 2月でも逃げられぬでござるの巻 乱調文学大辞典
 ■2月21日(水)
もったいないけど諦めたでござるの巻 

 三日間にわたって「桝田医院第2病棟跡地活用に関するこれまでの協議経過」からの引用をつづけてきましたが、本日が最後となります。どうぞでござる。

これまでの経緯(平成18年度総会以降)
第12回:平成18年7月26日
歴史拠点整備プロジェクト
1、
平成18年度活動
→桝田医院第2病棟については、本年度内に周辺住民や自治会との調整も含め跡地の活用方針を定め、解体除却することを確認した。
2、
課題
→桝田医院第2病棟実施検討にむけては、昨年の本プロジェクト会議以降、具体的な話がとぎれた状態になっており、計画の前提条件が未整理な状態であるため、名張市としての参画方針も含め、事務局で再度基本的な枠組みを整理することとした。

 おととしの6月2日に歴史拠点整備プロジェクトの会合が開かれたあと、桝田医院第二病棟に関して「具体的な話がとぎれた状態になって」いたため、「事務局で再度基本的な枠組みを整理することとした」との由。これが昨年7月26日のことでござった。

 しかも驚くべし、そのあとまたずーっとなんにもなかったわけでござる。つまり一昨年6月から今年1月まで、一年と八か月もの空白期間がつづいたのでござった。阿呆でござる。間抜けでござる。それで2006年度もそろそろおしまいという2月1日になってようやく、名張市役所で名張まちなか再生委員会の第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会が開かれたのでござったが、拙者はその場で以前から主張してまいったとおり、桝田医院第二病棟に関するおのおの方の検討はいっさい無効でござる、拙者おのおの方には協力いたさぬ所存でござると明言してまいった。したがって乱歩関連施設整備事業検討委員会の第二回が開かれたとしても、拙者そのようなものにはかかわりあいがないのでござる。

 それに2月6日付伝言から引くならば──

 2月1日、名張市役所で開催された第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会。午後の部は1時からだった予定を1時30分からに変更して3時までということになったのですが、私は欠席いたしました。それでも用事を片づけて市役所に舞い戻り会議室まで足を運んでみましたところ、時間は3時30分ごろになっていたと記憶するのですが、話し合いを終えてぞろぞろと出てくるメンバーに遭遇しました。

 「あ。中さんくしゃみしませんでした?」

 とか尋ねられ、そこらでお茶でもということになったのですが、公務員というのはまったく融通が利かないもので、勤務中ですからとみんなとっとと職場に帰ってしまいます。それで乱歩関連施設整備事業検討委員会の委員長と委員おふたり(いずれも乱歩蔵びらきの会のメンバー)のお三方といっしょに市役所前の喫茶店に入りました。

 午後の部でどういう話し合いが行われたのか、くわしいところは教えていただけなかったのですが、次の委員会はいつ開かれるのかとお訊きしてみましたところ、未定であるとのお答えが返ってきました。ああこれは、と私は思いました。もうおしまいということかもしれないな。名張市が寄贈を受けた桝田医院第二病棟をどう活用するのか、それを考える作業を乱歩関連施設整備事業検討委員会は投げ出してしまったということなのかもしれないな。結構結構。それでいいのだ。桝田医院第二病棟にはこんな碑でも建てておけばいいのだ。

 こんな感じでござったゆえ、もしかしたら第二回委員会は永遠に開かれぬかもしれぬ。そういえばこの日の午後、上の引用に記したように乱歩関連施設整備事業検討委員会の委員長と委員おふたり(いずれも乱歩蔵びらきの会のメンバー)とともに名張市役所前の喫茶店に入ってあれこれ話しておったところ、委員側からは「もったいない」という声がしきりに出ておった。何がもったいないのか。案ずるに乱歩という絶好の素材を名張まちなかの再生に活かすことができないのはもったいない話だ、みたいなことだったのではござるまいか。

 それはたしかにもったいのうござる。しかし詮方はござらぬ。そもそも無理な話でござる。乱歩という素材を活用しようにも、活用法を考える人間が阿呆や間抜けばかりだからどうしようもないでござる。だから拙者も諦めたでござる。名張市がこれから先、乱歩のことをちゃんとやってゆくのであれば、自治体の自己宣伝に乱歩という作家をうまく利用してゆくというのであれば、ご町内感覚のハコモノつくってはいおしまい、というのではだめでござる。誰からも相手にしてもらえぬでござる。何が必要か。拠点でござる。細川邸を名張市立図書館ミステリ分室にすることでござる。乱歩の拠点をつくることでござる。そうした拠点さえあれば、あとは好きなようにつかいまわせばよろしいのでござる。可能性を見つけてゆけばよろしいのでござる。

 名張市立図書館ミステリ分室構想の主眼のひとつは、インターネットを活用して質の高いサービスを全国に提供することでござった。名張市立図書館は江戸川乱歩リファレンスブックの内容をネット上で公開することさえしておらぬ。阿呆だからでござる。おまえたちは阿呆なのだから阿呆でないおれが教えてやるけどおまえたちはこういうことをすればいいのだ、と教えてやったことができないのだから阿呆なのでござる。できないのならばやらなければいいのでござる。中途半端はよろしくござらぬ。ちまちました乱歩コーナーなど閉鎖して、乱歩のことなど何も知りませんと正直に打ち明ければいいのでござる。それができぬというのであれば、乱歩に関して質の高いサービスを提供するべきでござる。そのためには名張市という自治体を追い込んでやらなければならぬ。ミステリ分室という拠点を設け、名張市が乱歩に関してちゃんとしたことをやってゆかざるを得ないところまで追い込んでやることが必要なのでござる。そうでもしてやらなければお役所は動こうとしないのでござる。

 拠点を確保したうえでどんな可能性が見つかるか。たとえばの話でござるが、とにかくインターネット上に膨大なデータベースを構築するのでござるから、そのための人手が必要でござる。労力を調達せねばならぬ。そこで展開の可能性としては、いわゆる在宅障害者の雇用創出みたいな話にはならぬものか。データの入力作業などを担当してくれる在宅障害者のネットワークを組織できぬものか。あるいはまた、ミステリ分室が飲み食いできる場であってもいいのでござる。地元食材をつかったトリックうどんとか密室カレーとかを販売してもいいのでござる。乱歩にちなんだ商品の販売も OK でござる。新商品開発の相談も受け付けるでござる。小学生や中学生や高校生の校外学習の場にもするでござる。名張のまちを歩いてミステリ分室まで来てもらって、名張のまちと乱歩の話を聞いてもらうでござる。とにかく教育でも観光でも商業でも福祉でもなんでもよろしいでござる。名張市立図書館ミステリ分室を拠点としてありとあらゆる可能性を考えるべきなのでござる。

 ありとあらゆる可能性を考えるべきなのではござるが、2月1日に名張まちなか再生委員会の委員長からお聞かせいただいたところでは、ミステリー文庫構想なるものは細川邸にそこらの小学校にある学級文庫のようなものをつくってはいおしまいというだけの話のようでござった。だから拙者はもう諦めたでござる。名張市が乱歩に関してちゃんとしたことができる可能性は完全についえたでござる。だからこうなったらもう名張市立図書館は乱歩から手を引くべきでござる。そのための手がかりとして、

 ──いいかこら教育次長だかなんだか知らんがろくに経緯や事情もわきまえぬ人間が横からしゃしゃり出てきて人に偉そうな説教かましてんじゃねーぞたこ。

 という問題にそろそろ着手するべきところでござるが、もう少しじらしてやるでござるか。

 さるにても、名張まちなか再生プランというのは返す返すも無茶苦茶なプランでござった。まさしくもったいないの一語に尽きるでござるぞ。名張まちなかに残された可能性を検証し吟味すべき立場の人間がそれをせず、逆に名張まちなかの可能性をことごとく踏みにじってしまったのでござる。ああもったいなやもったいなや。ニンニン。

  本日のアップデート

 ▼1990年12月

 ミステリ珍品館へようこそ──あるいは、ミステリ周辺渉猟記 小山正 小山正

 『鮎川哲也と13の謎'90』に収録されたエッセイ。

 大学時代に8ミリ映画をつくっていたという筆者がこの年5月、仕事の関係で旧乱歩邸を訪問、平井隆太郎先生に「乱歩さんには映画の趣味があったのですか?」と質問し、「まだ現物が残っているとのこと。わがままを言って、見せて戴くことにした」というゆくたてが綴られる。

 乱歩が8ミリ、9.5ミリ、16ミリと言った映画を自ら撮り始めたのは昭和7〜8年ころからだったと言う。

 「よくフィルムを買いに行かされましたよ」と隆太郎氏。

 16ミリは、カラーだということもあってフィルムの値段、そして現像の料金も高かったので、時々しか使わなかったらしい。しかしこの乱歩自身による映像記録は昭和32年頃まで続いたというのだから、趣味としては、生半可のものではなさそうだ。

 今回僕は、保存されているフィルムのうち約1/3にあたる1時間分を見せて戴いたので、その中からいくつかご紹介しよう。ちなみに、乱歩が撮影した映像内容(すべてサイレントなので音はない)は次の5点に分類できる。

 (1)家族の記録
 (2)近所の記録
 (3)個人的な旅行の記録
 (4)探偵作家仲間の記録
 (5)その他

 やはり(1)が圧倒的に多い。昭和7年のころから32年に至るまで、克明に乱歩は家族の記録を撮り続けている。どの時代も、乱歩一家が幸せそうなのが印象的で、しかも子供を被写体にした映像が多いのも特徴。


 ■2月22日(木)
被告人は「魔人ゴング」を読んだか 

 不思議なくらい話題にならない。自殺サイト連続殺人事件の公判のニュースだ。20日、死刑が求刑された。

前上被告に死刑求刑 自殺サイト殺人、大阪地裁公判
 自殺サイトを悪用し一昨年2〜6月に大阪府内で男女3人を相次いで窒息死させたとして、殺人などの罪に問われた無職、前上博被告(38)に対する論告求刑公判が20日、大阪地裁(水島和男裁判長)で開かれた。検察側は「かつて例をみない凶悪な連続殺人で、被告のために酌むべき点は皆無。極刑がやむをないことは火を見るより明らか」として、死刑を求刑した。23日の次回公判で弁護側が最終弁論を行い、結審する。
産経新聞 Sankei Web 2007/02/20/13:44

 2ちゃんねるのニュース速報+板にも「【裁判】 「苦しむ姿に性的興奮」 男女3人をなぶるように殺し写真撮影の鬼畜男に、死刑判決…自殺サイト連続殺人」というスレが立っているが、こんなありさまだ。

527 :番組の途中ですが名無しです :2007/02/21(水) 10:58:19 ID:RoyLLFfp0

この事件はじめて知った。2ちゃんでは盛り上がったの?


534 :名無しさん@七周年:2007/02/21(水) 11:13:40 ID:loDgr9Cj0
>>527

逮捕直後は、5、6個スレが立った。
テレビも新聞もこぞって取り上げたのだが、解散・選挙で、小泉劇場に負けた。

今回(死刑求刑)も、夕刊には乗って、夕方のニュースには流れたが、
夜のニュースでは流れず、朝刊には載って無さそう…。

「犯罪史上まれに見る…」と言われる割に、イマイチ盛り上がらない。
犯人のビジュアル面の問題だろうか…?

 # 一説には、犯人の父親が元警察官だからと言う噂も…。

 おととしの夏のことだ。自殺サイト連続殺人事件が耳目を集めた。伝言録の2005年8月中旬に引いた新聞記事を再掲する。

倒錯した性欲、ネット社会で膨らむ…自殺サイト殺人
 インターネットの自殺サイトを利用した連続殺人事件で、大阪府警に逮捕された人材派遣会社契約社員・前上博容疑者(36)は「人が苦しむ姿を見るのがたまらなかった。相手は誰でも良かった」と供述し、殺害の過程で性欲を満たす快楽殺人との見方が強まっている。
読売新聞 YOMIURI ONLINE 2005/08/10/14:41

「乱歩に影響受けた」自殺サイト殺人の前上容疑者
 インターネットの自殺サイトを利用した連続殺人事件で、逮捕された人材派遣会社契約社員・前上博容疑者(36)が大阪府警の調べに対し、「快楽殺人をテーマにした(推理作家の)江戸川乱歩の小説を中学生のころに何冊も読み、影響を受けた」と供述していることが10日、わかった。
読売新聞 YOMIURI ONLINE 2005/08/11/03:03

自殺サイト殺人:過去にも「窒息」事件 当時は反省したが
 調べでは、前上容疑者は中学生のころ、快楽殺人をテーマにした江戸川乱歩の小説の挿絵をみて興奮を覚え、他人と違う性癖に気付いたという。

中学時代から首絞め50件 自殺サイト殺人の前上容疑者
 調べでは、前上容疑者は「中学生のころ、人が口を押さえられ苦しむ小説の挿絵を見て自分の性癖に気づいた」と供述。
産経新聞 Sankei Web 2005/08/13/17:48

自殺サイト殺人、「自作小説」の再現 犯行手順に共通点
 前上容疑者が異常な性癖を自覚したのは中学生のときだった。江戸川乱歩の推理小説で、女性が口をふさがれて苦しむ挿絵に興奮したと供述している。
朝日新聞 asahi.com 2005/08/13/17:50

 事件における「乱歩の影響」がメディアによって喧伝された。いちばん早く動いたのは読売新聞で、大阪府警記者クラブ詰めの記者から名張市立図書館に電話が入ったのは8月10日のことだった。人が口を押さえられた挿絵の出てくる乱歩作品は何か、という問い合わせだ。わかるわけがない。しかし容疑者が子供のころに読んだというのだからポプラ社の少年探偵江戸川乱歩全集だろうと当たりをつけ、名張市立図書館で四十六巻すべてに眼を通して、それらしい挿絵をピックアップした。コピーをとり、スキャンして記者のアドレスにメールで送信した。

 このときの画像は夏休みが明けてから、高校のマスコミ論の授業で使用した。自殺サイト連続殺人事件を教材にした授業で、もしかしたらその授業はいささか過激な内容であったかもしれない。ともあれ、その画像を紹介しておこう。転載ではなく挿絵の一部の引用であるとお思いいただきたい。

 男女を問わず、また大人であれ子供であれ、人が口を押さえられている挿絵はこれだけだ。いずれも麻酔薬をしみこませた布で口が覆われているが、窒息とは関係がない。賊の目的は相手を窒息死させることではない。

 私の見解はどのようなものであったか。伝言録の2005年8月中旬から引いておく。

 ここで私の推測を記しておきましょう。この連続殺人事件の容疑者とされている人物は、中学生時代にポプラ社版の乱歩全集を読んだ。作中の少年が遭遇する恐怖を自身のものとして体験し、忘れがたい印象を覚えた。その後、乱歩作品のストーリーやディテールは徐々に忘却していったが、印象そのものは色濃く残りつづけ、乱歩とは無縁な小説などからもたらされた恐怖の感情も乱歩の名に結びついて記憶されるに至った。

 つまりは思い込みや勘違い、あるいは記憶の歪曲作用によるものだろうということだ。事件における「乱歩の影響」はすぐに報道されなくなった。

 「刑部」というサイトに「傍聴記」というページがある。裁判を傍聴してレポートを投稿するページだ。死刑求刑のニュースを知り、ネットを検索して見つけた。この事件の関係では、2005年12月2日の初公判、 2006年1月26日と2月7日の被告人質問が、insectという投稿者によって報告されている。

 「2005.12.02 刑事公判請求事件{前上博}・初公判」から引く。検察官の冒頭陳述だ。

 被告人にはかねてより、推理小説の窒息場面を見て自慰行為にふけるなどの性癖があり、自宅付近を通る小中学生らを襲って、何度も窒息させる行為を繰り返していた。また被告人は、中学生のときある教育実習生が履いていた「白色のスクールソックス」にも強い興奮を抱いていた。

 「2006.01.26 刑事公判請求事件{前上博}・被告人質問」にはより具体的な供述があった。

弁護人「人が窒息して苦しむ姿に性的快感を覚えるというのはその通りなのですか」

被告人「その通りです。小4か小5のとき、初めて読んだ推理小説のなかの誘拐シーンに性的興奮を覚えました」

 具体的には犯人が麻酔薬を染み込ませたタオルを口に当てて連れ去るシーンだという。前上はそれを見て勃起し、独自の性癖に気づいたが、みんなそうだろうと思っていた。その推理小説での相手は女性だったが、前上のなかでは男女の違いというのはなかった。

 私は驚いた。「犯人が麻酔薬を染み込ませたタオルを口に当てて連れ去るシーン」で「相手は女性」というのなら、上に引用した画像三点のうち「魔人ゴング」のそれがぴったり該当する。そしてさらに驚くべき供述が。

弁護人「江戸川乱歩の少年探偵団で、女の人に麻酔薬を嗅がせて失神させるシーンを見て、それを真似たくなったのですか」

被告人「はい、そういうことをすると性的興奮を感じました」

 「2006.02.07 刑事公判請求事件{前上博}・被告人質問」にも私は驚きを禁じ得なかった。

検察官「小学校や中学校からの性癖についてだけど、小5のときから人を窒息させてみたいと思うようになったのですか」

被告人「そういうことを考え始めたのはその頃ですが、最初は口を押さえて薬品を嗅がせるだけでした」


左陪席「あなたの性癖のことなんですが、当初は薬品を嗅がせることだったのが、窒息させて息を止めることに変わったきっかけは何だったのですか」

被告人「ある被害者を襲ったとき、偶然に鼻と口を同時に塞ぐことになって、それからです」

左陪席「そして窒息させる→殺害するというように変化していったのも、一番興奮する行為だったからですか」

被告人「はい」

左陪席「最後にマスターベーションして射精して完了すると、そういうことですか」

被告人「はい」

 私はとんでもない勘違いをしていたのではあるまいか。私のみならずメディアの記者も、そして記者から伝えられたところによれば大阪府警も、最初から「窒息」のシーンを探していたのだ。犯人が被害者を窒息させ、被害者が苦悶の表情を浮かべているシーン。これがかりに「江戸川乱歩の少年探偵団で、女の人に麻酔薬を嗅がせて失神させるシーン」があるかという質問であったなら、私にはポプラ社版少年探偵江戸川乱歩全集全四十六巻のなかからただ一点、「魔人ゴング」の挿絵を指摘することができたのだ。

  本日のフラグメント

 ▼2005年2月

 魔人ゴング 江戸川乱歩

 問題の挿絵を再度引用する。あくまでも引用だとお思いいただきたい。

 たしかに「口を押さえて薬品を嗅がせ」るシーンだ。描かれた女性は胸や腰の線がなまめかしくて色っぽい。ただし賊の目的は女性を窒息死させることではなく、女性の表情も苦悶に歪んでいるというわけではない。

 この女性は誰なのか。成熟した大人にしか見えないが、じつは魔人ゴングの事件が起きた年の春、高校を卒業して明智小五郎の助手になった花崎マユミさんである。明智の姪という設定だ。

 問題のシーンを見てみよう。底本はポプラ社の文庫版少年探偵・江戸川乱歩第十六巻『魔人ゴング』。

 マユミさんを誘拐するという予告があった。指定されたその日、マユミさんはアパートの二階にある自分の寝室に閉じこもっていた。窓の外で爆発音がしたので窓を見ると、色とりどりのゴム風船がいくつもいくつも空へ昇ってゆく。マユミさんは窓を開いて下を覗いてみた。

 そのときです。じつに、恐ろしいことがおこりました。窓のほうから、一ぴきの巨大なクモが、黒い糸をつたって、スーッとさがってきたのです。

 ほんとうのクモではありません。クモのような人間です。ピッタリと身についた黒いシャツとズボン下をはき、顔には黒い覆面をした、クモそっくりの人間です。そいつが、じょうぶな絹糸でつくった縄ばしごをつたって、真上の三階の窓から、おりてきたのです。

 あっというまにクモは、えものにとびつきました。えものというのはマユミさんです。うっかり窓をひらいて、外をのぞいたのが運のつきでした。それを待ちかまえていた巨大なクモは、パッとマユミさんにとびついて、クモの毒ではなくて、麻酔薬をしませた白布を彼女の口におしつけ、ぐったりとなるのを待って、そのからだを横だきにすると、窓をしめておいて、片手で縄ばしごをのぼりはじめました。

 くり返しておくが、被告人の一連の供述が事実であるとすれば、彼が性的興奮をおぼえたという「江戸川乱歩の少年探偵団で、女の人に麻酔薬を嗅がせて失神させるシーン」の挿絵は、この「魔人ゴング」のものでしかありえない。

 そしてこの「魔人ゴング」を走り読みしてみて、私はまたしても一驚を喫したのだった。

 「番犬情報」に「池田憲章講演会」の予告を掲載した。お読みいただきたい。


 ■2月23日(金)
鉄の棺桶の内部の窒息 

 きのう述べたところをくり返しておく。自殺サイト連続殺人事件の公判における被告人の供述にもとづいて考えれば、女性に麻酔薬をかがせて誘拐する挿絵が出てくる乱歩作品は、ポプラ社版の少年探偵江戸川乱歩全集第二十巻『魔人ゴング』だということになる。刊行は1970年。ちなみに被告人はその二年前に生まれている。

 そして私には、供述はおそらく事実なのだろうという気がする。事件が喧伝された一昨年8月の、たとえば「前上容疑者が異常な性癖を自覚したのは中学生のときだった。江戸川乱歩の推理小説で、女性が口をふさがれて苦しむ挿絵に興奮したと供述している」といった新聞報道からは、容疑者のいう「乱歩の影響」は思い込みか勘違い、記憶の歪曲によるものと見るのが妥当だと思われた。だが、ネット上で読むことのできる裁判のレポートによれば、被告人は小学四年生か五年生のとき、はじめて読んだ推理小説の誘拐シーンに性的興奮をおぼえたという。そして人を襲うようになった。

 きのうも引いた「2006.01.26 刑事公判請求事件{前上博}・被告人質問」にはこうある。

弁護人「初めて他人に対して窒息行為を行ったのはいつですか」

被告人「小5のとき、よその校区の女の子を襲いました」

 前上の手口は公園で、女の子に走りよって口を塞ぐというもの。ドキドキして非常に興奮したのを今でも覚えているらしい。その後も次々と同じ手口で犯行を重ね、中学校を卒業するまで50件弱の犯行に及んだ。手口も少し変化して、背後からエチルアルコールのガーゼで鼻や口を塞いだという。

弁護人「被害者は口を塞がれてどうなったのですか」

被告人「うめき声を上げて、暴れます」

弁護人「対象となる相手はどんな年代ですか」

被告人「小学生から成人の方までです」

弁護人「すると必ずしもあなたよりも幼いというわけではないと」

被告人「はい。男女問いません」

弁護人「あなたは襲うときどんな状態なのですか」

被告人「人を襲いたいということしか頭になく、他のことが見えなくなります」

 供述はきわめて具体的だ。当時の記憶がそのまま持続されていると考えるべきだろう。だとすれば、一連の「窒息行為」のきっかけとなったこの挿絵も、強烈な印象とともに記憶されていたと見るべきではないか。

 そして「魔人ゴング」を走り読みして、私は一驚を喫した。そこに凄絶な窒息が描かれていたからだ。

  本日のフラグメント

 ▼2005年2月

 魔人ゴング 江戸川乱歩

 花崎マユミさんに変装した小林少年が、魔人ゴングによって窓のない部屋に監禁されているとお思いいただきたい。変装がばれてしまった。魔人ゴングは不気味に笑いながら、

 「ようし、このお礼には、いいことがある。おれは人を殺すのがきらいだから、殺しはしないが、きさまを、おもしろいものの中へいれてやる。運がわるければ、そのまま死んでしまうのだ。だが、そんなことは、おれの知ったことじゃない。おれが手をかけて殺すのじゃないのだからな。ウフフフ……、こいつは、うまい思いつきだぞ。ウフフフ……」

 ゴングは小林少年の腕に注射を打つ。小林少年は意識不明になる。意識を取り戻したときには、鉄でできた棺桶のようなものに閉じこめられていた。棺桶はゆらゆらと揺れている。川を流れているらしい。

 ゴングは、「きさまが生きるか死ぬかは、運にまかせるのだ」といいました。そうです。運が悪ければ、死んでしまうのです。だれかがこの鉄のかんおけを見つけて、助けてくれなければ、小林君は死んでしまうのです。うえ死にする前に、空気の中の酸素がなくなって、死んでしまうのです。

 小林君は、そこまで考えると、あわてて鉄のかんおけの内側を、さぐりまわりました。どこかにふたがあって、ひらくようになっているだろうと思ったからです。

 しかし、どこにも、ひらくようなところはありません。みんな鉄のびょうで、しっかりとめてあって、小林君の力では、どうすることもできないのです。

 そのうちに、だんだん息ぐるしくなってきました。胸がドキドキして、耳がジーンと鳴りだし、頭がいたくなってきました。空気中の酸素が、すくなくなったからです。

 一度息をするたびに酸素がへって、炭酸ガスがふえてくるのです。それを思うと小林君は、気が気ではありません。いまに、鉄のかんおけの中は、炭酸ガスばかりになって、死んでしまうのです。ああ、どうすればいいのでしょう。助けをもとめようにも、あつい鉄の板でかこまれているのですから、声が外までとどくはずはないのです。

 からだじゅうに、つめたい汗がにじみだしてきました。心臓はいよいよドキドキとおどりだし、息がくるしくなってきました。酸素が、少ししか残っていないのです。

 もう、だまっているわけにはいきません。声が、外まで聞こえないとわかっていても、助けをもとめないではいられません。

 「助けてくれえええ……」

 小林君は、せいいっぱいの声で叫びました。声だけではたりないので、手と足をめちゃくちゃに動かして、鉄の板をけったり、たたいたりしました。

 小林少年の閉じこめられた赤いブイは川岸の近くに流れつく。いあわせたふたりの労働者によって小林少年は救出されるのだが、乱歩はたっぷり筆を費やして読者をはらはらさせる。腕によりをかけて読者を怖がらせる。労働者の会話がもどかしくやりとりされる。そしてブイのなかでは──

 ブイの中では、小林少年が、声をかぎりに叫んでいました。鉄のかんおけと思ったのは鉄のブイだったのです。

 「助けてくれええ……、息がつまりそうだ。はやく、ここからだしてくれええ……」

 もう声が出ません。目がくらんで、気をうしないそうになってきました。大きな声をだし、手足を動かしたので、いっそう、息ぐるしくなったのです。心臓は、おそろしいはやさで、おどっています。

 たらたらと、口の中へ汗が流れこみました。なんだか、ぬるぬるした汗です。いや、へんなにおいがします。血のにおいです。手でふいてみると、べっとりと、ねばっこいものがつきました。汗がこんなに流れるはずはありません。鼻血が出たのです。いつまでもとまりません。気味のわるいほど流れだしてくるのです。

 耳の中で、セミでも鳴いているようなやかましい音がして、頭のしんが、ジーンとしびれてきました。

 ふたりの労働者はブイのなかに人がいるらしいことに気がつくが、ブイを開けることはできない。近くの工場に人を呼びにゆくくらいしかできない。そしてブイのなかでは──

 ブイの中では、小林君はもう息もたえだえに、ぐったりとなっていました。

 外からコンコンと、たたいているようです。こちらもコンコンと、たたきかえしました。

 かすかに、人の声がしたようです。とうとうだれかが、ブイを見つけてくれたのでしょうか。

 「助けてくれえええ……、ブイをこわして、だしてくれえええ……」

 さいごの力をふりしぼって、どなりました。

 すると、また、鼻からおびただしい血が、たらたらと流れだすのです。

 もうだめだと思いました。このがんじょうなブイが、急にこわせるものではありません。それまで生きていられそうもないのです。もう、頭がボーッとかすんで、なにがなんだかわからなくなってきました。

 恐ろしい夢を見ているような気持ちです。魔人ゴングの、牙をむきだした、恐ろしい顔が、闇の中から、グーッと近づいてきて、目の前いっぱいにひろがり、ゲラゲラと笑うのです。

 そうかとおもうと、なつかしい明智先生が、にこにこしながら、助けにきてくれる姿が見えます。

 「先生!」と叫んで、とびつこうとすると、明智探偵の姿は、スーッとむこうへ、とおざかっていくのです。

 執拗な描写だ。乱歩は小林少年の窒息を、ブイの内部と外の世界とのカットバックという念の入った構成で描き、少年の苦痛と恐怖と絶望とを畳みかける。最後に明智小五郎の姿が現れて遠ざかるシーンなど、お決まりの幻覚だといえばいえようが、私にはビアスの「アウル・クリーク橋の一事件」が連想されさえした。

 小説作法の話はともかく、ゆっくりとだが確実に窒息にいたるこのシーンを読んで、泣き出した子供がいたとしても不思議ではない。あるいはまた、窒息がもたらす苦痛と恐怖と絶望に異様な興奮をおぼえた子供がいたとしても。

 「2006.02.07 刑事公判請求事件{前上博}・被告人質問」によれば、被告人の犯行は「当初は薬品を嗅がせることだったのが、窒息させて息を止めることに変わった」とされている。「ある被害者を襲ったとき、偶然に鼻と口を同時に塞ぐことになっ」たからだという。だが、発現のプロセスはたとえそうであったとしても、窒息に対する尋常ならざる欲望は被告人の内部に最初から潜在していたにちがいない。

 他人の窒息を見て性的興奮をおぼえる性癖というものが、私にはまるで理解できない。しかしそういった性癖がげんに存在しているのであれば、「魔人ゴング」という一篇の小説がひとりの少年の心に潜在していたそれを顕現させるきっかけになったということは、ありえない話ではないように思われる。


 ■2月24日(土)
妖人ゴングの正体は 

 記事を探し出すのに苦労する。全国紙のサイトにはまったく見あたらず、わずかに時事通信でとりあげられているのが見つかった。大阪地裁できのう、自殺サイト連続殺人事件の最終弁論が行われたというニュースだ。

弁護側、死刑回避求める=自殺サイト連続殺人−大阪地裁
 インターネットの「自殺サイト」を利用し3人を殺害したとして、殺人などの罪に問われた無職前上博被告(38)の公判が23日、大阪地裁(水島和男裁判長)で開かれた。弁護側は最終弁論で「被告は自分がなぜ性的衝動を制御できず、殺人に快感を覚えるようになったか理解できていない。責任能力が疑われる」と主張。検察側が求めた死刑の回避を求めた。
時事通信 jijicom 2007/02/23/13:28

 責任能力を問題にすることには無理があるだろう。被告人が「自分がなぜ性的衝動を制御できず、殺人に快感を覚えるようになったか理解できていない」のは事実だとしても、彼には自分のやったこととその意味はよく理解できている。判決は3月28日。

 さるにても、理解しがたい事件であり、性癖ではある。しかし実際に事件は起きた。そして犯人として逮捕された人間の供述を仔細に読んでみると、これまで述べてきたとおり、彼が少年時代に読んで性的興奮をおぼえたのはポプラ社版の少年探偵江戸川乱歩全集第二十巻『魔人ゴング』なのであろうと結論せざるを得ない。花崎マユミさんが口を押さえられて誘拐されるシーンの挿絵と、それからおそらくは小林少年がブイのなかに閉じこめられて窒息死しそうになるときの描写とが、彼の尋常ではない性癖に強く訴えかけたと見ることができる。もとより推測の域を出るものではないが、伝言録の2005年8月中旬あたりに記した見解は撤回しておくことにする。

 ところで「魔人ゴング」という作品は、乱歩の少年もののなかでもあまり出来のよくない一篇だ。ゴングというのは空に巨大な顔を浮かびあがらせ、あとはただ「ウワン、ウワン、ウワン」と大音響を発しつづけるだけの怪人で、私は子供のころに『妖人ゴング』というタイトルだった光文社版を読んでいたはずなのだが、子供心にもなんだか間抜けな怪人だと思ったような気がしないでもない。もう二十年ちかく前のことになるのかと茫然としてしまうが、1988年に講談社の江戸川乱歩推理文庫『黄金豹/妖人ゴング』で再読したときには、出来のよろしくなさがはっきりと認識できた。犯行の目的が花崎マユミさんの父親である鬼検事への復讐だったというのでは、なんともスケールの小さい所帯やつれしたような怪人ではないか。

 ところで先日、2月19日付伝言で「探偵実話」の特別増刊「探偵怪奇恐怖小説名作二十五人集」をとりあげた。乱歩が序文を寄せた号だ。この号には乱歩が出席した鼎談も掲載されていて、それを読んだ私は妖人ゴングの正体がわかったような気になった。自殺サイト連続殺人事件の公判で死刑が求刑される直前のことで、私はまだポプラ社版の『魔人ゴング』を読み返してはいなかったのだが、ゴングの発する「ウワン、ウワン、ウワン」という大音響のことはおぼえていた。とはいうものの、マユミさんの誘拐や小林少年の危難のことはさっぱり忘れ果てていたのだから、われながらじつに情けない。

  本日のフラグメント

 ▼1952年9月

 怪談・恐怖談座談会 徳川夢声、江戸川乱歩、水谷準

 昭和27年9月発行の「探偵実話」特別増刊「探偵怪奇恐怖小説名作二十五人集」に掲載された鼎談。

 牧逸馬の絶筆「七時〇三分」にまつわる因縁話めいたものがマクラとして話題にされ、そのあと、

 「江戸川先生、お化の話を一つお願いします」

 と記者。乱歩は応じて、「怪談入門」に示されている怪談の分類をまず語り、離魂病や人面疽の話がつづいたあと、

 「日本なんか随分怪談が多い方じやないでしようか」

 と記者。乱歩は、

 「多いね。妖怪変化の名前が、よく八百よろずの神というが、全く八百よろずの妖怪がある。地方の伝説など合せると大変な数だろうね」

 と答え、「僕は今日こゝへ来る前に調べてみたんだが、一寸挙げてみると」と妖怪の名前をあげはじめる。私にはこれがやや意外で、西洋近代に拝跪した合理の人であり、みずからの裡なる前近代を徹底的に抑圧しようとし、ついでのことに横溝正史が「犬神家の一族」の連載をはじめたときには犬神はいかん犬神はと他人まで非難していたあの乱歩が、

 「猫化け、犬神、狐狸の妖怪、河童、獺、鷺、蛇、蟇等の生きもの、鬼、天狗、邪魅(これは小さい動物の一種だが)これも小さい可愛いゝ天窓の……」

 と妖怪づくしをくりひろげる。その蘊蓄はとても「今日こゝへ来る前に調べてみた」というような付け焼き刃とは思えない。山彦、山童、海坊主、舟幽霊とつづいて──

 徳川 雪女郎なんかもあるね。

 江戸川 七不思議のおいてけ堀、赤エイの島、隠れ里、逃げ水、うわん──これは大きな空家に棲んでいるというんだが、一種の反響だろうね、変てこな人間と動物の合の子みたいなものが柳のある塀のところに出ている絵がかいてある。(笑声)

 水谷 名前が面白いね。

 ここまで読んで、私にはゴングの正体がわかったような気がした。「妖人ゴング」が「少年」に連載されたのはこの鼎談から五年後の昭和32年のことだから、「一種の反響」である妖怪うわんが「ウワン、ウワン、ウワン」という大音響を響かせる妖人ゴングに生まれ変わったのだとしても不思議ではないのではあるまいか。


 ■2月25日(日)
二十面相であり四十面相でもある 

 光文社版では「妖人ゴング」、ポプラ社版では「魔人ゴング」と名乗る怪人もまた、終幕にいたって窒息を経験する。

 窒息の話はもういいとか、あまりネタを割るなとか、いろいろご批判もおありだろうが、もう少しつづけることにして、しかしあまりあからさまに紹介するのは控えておこう。とにかく引く。きょうの底本は光文社文庫版全集第二十巻『堀越捜査一課長殿』の「妖人ゴング」。

 「助けてくれぇぇ……。おれは、息がつまりそうだぁぁ……。だれか、きてくれぇぇ……」

 死にものぐるいの声を、ふりしぼって叫びました。

 ゴングはもう魔法つかいではないのです。こうなっては、どんな魔法も、つかえないのです。ただ、まっ暗な中で、水におぼれて死ぬのを待つばかりです。

 いくら悪人だといっても、あんまりかわいそうではありませんか。明智探偵は、こうして、ゴングを殺してしまうつもりなのでしょうか。

 この作品では二度も窒息が描かれる。そのうえ窒息を仕掛ける側のゴングも明智も、相手が窒息死することを想定しているように見える。未必の故意どころではない、明らかな殺意がうかがえるといってしまっては穿ちすぎだろうか。相手を死に至らしめる可能性がきわめて高い窒息合戦がくりひろげられるという点で、これは異様な一篇である。

 しかし結局は誰ひとり死にはしない。ゴングは捕らえられ、明智探偵はこう宣言する。

 「きみは怪人二十面相だッ! べつの名は怪人四十面相だッ!」

 律儀というか丁寧というか。あるいは脳天気というべきか。登場人物がふたりも死の間際まで行った暗い裂け目のようなシーンは忘れたかのように、明智小五郎は怪人の呼称に拘泥する。そしてその周囲ではみんなが驚いている。

 ああ、妖人ゴングが、あの怪人二十面相だったとは、その場にいあわせた中村警部も、アッとおどろいたほどですから、だれひとり、そこまで気づいているものはありません。それをすっかり見ぬいた明智は、さすがに名探偵といわなければなりません。

 おいおい、とツッコミを入れた少年読者が多かったのではあるまいか。「妖人ゴング」を第一回から読んでいた「少年」の読者には、ゴングが二十面相であり四十面相であることなど、はなっからお見通しだったのではあるまいか。「妖人ゴング」を執筆した昭和32年から「少年」「少年クラブ」「少女クラブ」と月刊誌三本の連載をこなすことになった乱歩は、頭のなかが結構やばい状態になっていたのかもしれない。

 といったところで、「妖人ゴング」の異様さに着目した本の話題に移ろう。

  本日のアップデート

 ▼2006年7月

 1 ほほえむ小五郎 橘マリノ

 新風舎文庫『笑う耕助、ほほえむ小五郎』に収録。著者は地方紙記者。新風舎の本だからあるいは自費出版かもしれない。書店の店頭ではあまり見かけないようだが、今年の年賀状でこの本のことを教えてくださった方があったので、書店に取り寄せを依頼した。

 タイトルどおり「ほほえむ小五郎」と「笑う耕助」の二部構成でふたりの名探偵が紹介される。すれっからしのマニアではなく、あくまでもファンという立場と視点からのアプローチが好ましい。

 単なる紹介にはとどまらず、ときには仮説も提示される。「妖人ゴング」もからんでくる。

 さて、ここで一つの大胆な仮説を打ち建てたい。

 「四十面相」とは、実は二十面相=遠藤平吉とその瓜二つの兄弟による二人一役のユニット名に他ならない。

 つまり、

   「二十面相は一卵性双生児である

 「二十面相は複数いた」という説は、光文社文庫の「江戸川乱歩全集」第二十巻、「堀越捜査一課長殿」の註釈で述べられている。

 この巻には、昭和三十二年の作である「妖人ゴング(ポプラ社では「魔人ゴング」)」「魔法人形(ポプラ社では「悪魔人形」)」「サーカスの怪人」と、三点の少年ものが収録されている。

 これが問題なのだ。

 この中の「妖人ゴング」では、二十面相が異例の行動に出る。人を傷つけたり殺したりするのが大嫌いなはずの二十面相が、小林少年をすんでのところで殺しかけるのだ。ファンには結構衝撃的である。

 これから読む人のために詳しくは書かないが、自分の手でその身に打撃を加えるわけではないとはいえ、そのまま放っておくと命にかかわるというやり方。一つ間違えば、二十面相の罪には殺人罪が加えられていたところだ。

 さらに「魔法人形」でも、証拠いん滅のため無関係な老人を殺害しようとする。

 平山雄一氏による註釈ではこれらの不審点が指摘され、「この二十面相はいままでの二十面相とは別人であるのかもしれない」と推測されている。

 新保博久氏の解説の方では、「乱歩は『サーカスの怪人』で二十面相の正体を暴露して二十面相最後の事件とし、以降は毎回使い捨ての悪人をつくり出すつもりだったのではあるまいか」とうがった説を述べておられる。

 が、ここではその観点とは別の次元で、従来の二十面相とはその発想や行動パターン、身体能力は同じでありながら若干性格の異なる、もう一人の二十面相が存在していたと仮定しよう。

 具体的な考察は『笑う耕助、ほほえむ小五郎』を購入してお読みいただきたい。本体六百五十円。書店の店頭では見つからないかもしれないが、取り寄せてもらうなりネット書店を利用するなり、どうぞお好きなように。


 ■2月27日(火)
2月は逃げるでござるの巻 

 あいかわらず身辺があわただしいでござるゆえ、きのうは伝言も休みにしてしまったでござる。2月は逃げる3月は去る。その2月もあしたでおしまいでござる。

 ──いいかこら教育次長だかなんだか知らんがろくに経緯や事情もわきまえぬ人間が横からしゃしゃり出てきて人に偉そうな説教かましてんじゃねーぞたこ。

 という問題にはまだ着手できておらぬでござる。今月中にはなんとかしたいでござる。しかし今月はあしたでおしまいでござる。伊賀流忍法分身の術でもつかいたいところでござるが、いまだ修行中の身、とても無理なのでござった。木の葉隠れもできませぬ。ニンニン。

  本日のアップデート

 ▼1994年9月

 『江戸川乱歩』──乱歩の本と共に

 横溝正史の話題はひきつづき先送りして、資料整理で出てきた文献を優先させる。

 乱歩生誕百年の年、福島県立図書館の館報「あづま」に掲載された。連載「ふるさと探訪」の一篇。

 昭和20年、福島県の保原町に疎開した乱歩の姿が、『探偵小説四十年』にもとづいて紹介されている。したがって乱歩ファンにとって目新しいことは記されていないのだが、乱歩ファンにはあまり馴染みがないであろう小説家の名前が最後に出てくる。

 最後に、乱歩と福島県人との関わりについて、一つご紹介したいと思います。

 福島県が生んだ芥川賞作家の一人に“東野辺薫”がいます。(明治三十五年二本松市生まれ。昭和十九年『和紙』により、第十八回芥川賞受賞。)

 東野辺は、早稲田大学を大正十二年に卒業すると、教職の道へと進みますが、安西宗司氏の『東野辺薫研究』(昭和五十四年刊。「盆地」第二十七集に収録)によりますと、東野辺の教職歴について、長男の黎一朗氏が述べている中で、交友関係のあった文人たちとして、“久米正雄”や“富沢有為男”とともに“江戸川乱歩”をあげています。

 確かに乱歩が保原町に疎開していた時期、東野辺は保原中学校(現:県立保原高等学校)において教鞭を執っています(昭和十八年〜二十三年)。乱歩は、当時既に名の売れた作家でありましたし、東野辺も芥川賞受賞直後でありますから、同時期、同所で過ごした二人が、交友を深めていったのも自然なことと考えられます。

 ただ詳しい記録もなく、出会いのきっかけや、どのような交友が成されていたのか知り得ないのは残念なことではありますが、最近、二人の交友を示すものとして、東野辺薫宛の乱歩からの書簡が古書市場に並び、話題となりました。

 東野辺薫のことは「財団法人郡山市文化・学び振興公社」のこのページ、「福島県二本松市」のこのページあたりで知ることができる。

 上の引用にもあるとおり、乱歩との交友がどのようなものであったのかはわからない。『探偵小説四十年』にも見えない名前だから、疎開当時だけの通り一遍のつきあいだったと考えるべきだろうか。ちなみに東野辺薫の名は、『江戸川乱歩年譜集成』には登場することになっている。

 この文献とともにきょう「乱歩文献データブック」に記載した1995年1月の「「名探偵・明智小五郎」/かの江戸川乱歩が、小林配協会長宅に居た!」は、「あづま」の記事の一部を転載して紹介するもので、「薬慈新報」という業界誌に掲載された。社団法人福島県医薬品配置協会の会長、小林一喜さんの家で乱歩が疎開生活を送っていたことがわかった、と報じられている。

 医薬品の配置業というのは、要するに富山の薬売り、一般家庭を定期的にまわって置き薬を配置し、使用分の代金を回収する商いで、

 ──小林会長は“近江商人”の血を受け継いでおり、同家三代目の配置業者。そのころは、旧制の中学生だった。息子さんも、四代目の配置業者として繁栄を築いている。

 とある。小林さんの通っていたのが旧制保原中学だったとすれば、東野辺薫がその当時おなじ学校の教壇に立っていたことになる。

 ところで、「RAMPO Up-To-Date」で確認してみると、2004年3月6日付の福島民友新聞に「保原で住居兼店舗焼く/江戸川乱歩の書物焼失」という記事が掲載されている。乱歩が疎開していた保原の住居兼店舗で火災が発生し、乱歩から贈られた著書が焼けてしまったという記事であったと記憶するのだが、資料整理がいまだ完全ではないせいで、この新聞記事のコピーをたちまちのうちに引き出してくることができない。やんなっちゃう。


 ■2月28日(水)
2月でも逃げられぬでござるの巻 

 2月もきょうでおしまいでござる。時間がなくて乱歩関連書籍にろくに眼も通せぬとぼやいたのは2月10日付伝言でござったが、あのとき列挙した未読の書籍は敬称略、順不同で小鷹信光『私のハードボイルド』、睦月影郎『夢幻魔境の怪人』、三浦俊彦『のぞき学原論』、石上三登志『名探偵たちのユートピア』、橘マリノ『笑う耕助、ほほえむ小五郎』、山村修『書評家〈狐〉の読書遺産』、鈴木義昭『夢を吐く絵師・竹中英太郎』でござった。ほぼ半分は消化したでござるが、さらに追加がござる。西尾正『西尾正探偵小説選1』、中山昭彦・吉田司雄編『機械=身体のポリティーク』、平野嘉彦『ホフマンと乱歩 人形と光学器械のエロス』、それから2004年に出た本なれどこれまで手に取ったことがなかった北村薫『ミステリ十二か月』。こんなところでござろうか。

 しかし、

 ──いいかこら教育次長だかなんだか知らんがろくに経緯や事情もわきまえぬ人間が横からしゃしゃり出てきて人に偉そうな説教かましてんじゃねーぞたこ。

 という問題をほったらかしにしておくわけにはまいらぬでござる。それゆえ拙者ついさっき、名張市教育委員会に教育次長宛のメールを送信したでござる。こんな内容でござった。

 お世話になっております。単刀直入に申しあげます。以下に一点、質問を記します。ご多用中恐縮ですが、お答えをいただければ幸甚です。

 名張市教育委員会は市立図書館の運営における江戸川乱歩の扱いについて、構想や方向性のようなものをおもちなのでしょうか。おもちなのであれば、それを示していただきたく思います。また、これからお考えになるというのであればその時期はいつごろなのか、構想や方向性は存在しないというのであればその旨をお知らせいただきたく思います。

 私個人は、これまでに市立図書館が発行した江戸川乱歩リファレンスブックによって具体的に示しましたとおり、図書館が過去に収集した乱歩関連資料にもとづいて、全国を対象にしたサービスを提供することが望ましいと考えております。そのサービスはインターネットを活用して進めるべきであるとも愚考いたします。

 しかるに、2月1日に開かれた名張まちなか再生委員会の第一回乱歩関連施設整備事業検討委員会において、貴職は私の考えを必ずしもそのまま受け容れるとはかぎらないという旨のご発言をなさいました。正確なところは事務局による録音を聴いてみなければわかりませんが、とにかく貴職は、私が示した方向性を100%受け容れるかそうでないか、それはこれから考えることであるとおっしゃったように記憶しております。

 私にとってこれは驚くべきご発言で、名張まちなか再生プランには直接関係のないことですから委員会の席では何も申しあげませんでしたが、貴職にお訊きして確認したいことは少なからず存在いたします。しかし、いまはほかのことには触れません。ただひとつ、私の示したところをそのまま受け容れるにせよそうでないにせよ、名張市教育委員会が市立図書館の運営における乱歩の扱いをどのようにお考えなのか、あるいはお考えではないのか、その点に関して上記の一点をお訊きする次第です。

 お答えはメールでお願いできればと思います。また、お答えは当方のサイトで公開させていただきたく思っておりますが、もしも差し支えがある場合は非公開といたしますので、その旨お知らせくださいますようお願いいたします。

 年度末を迎えてお忙しいところ、勝手なお願いを申しあげて心苦しく思っております。よろしくお願い申しあげます。

2007/02/28

 ニンニン。

  本日のアップデート

 ▼1972年1月

 乱調文学大辞典 筒井康隆

 初出連載は「小説現代」の1970年10月号から翌71年9月号まで。その何月号なのか、ネット検索ではつきとめられないようなので、とりあえず単行本『乱調文学大辞典』のデータを記載した。

 この単行本、所蔵していたのだが手放してしまった。『乱歩文献データブック』を編纂したときにはすでに手許になく、思い出すこともなかった。のちに講談社文庫版のコピーを送ってくださった方があった。そのコピーにもとづいて引用する。

 タイトルからも知れるとおり文学辞典のパロディで、乱歩の項目だけ引けばいいようなものだが、著者の意を酌んで「エス・エフ」から「江戸川乱歩」まで四項目を引用する。

エス・エフ【SF】 (1)倒産した卸売デパートの店名。(2)ガソリンスタンドでよく見かける広告。(3)早川書房刊「SF入門」を読め。(広告代よこせといいたいところだが、どうせくれない)

エッチング 猥褻なことをすること。

えてんらく【越天楽】 ジャンボ・ジェット機に乗って天を飛ぶうち山に衝突し、即死する瞬間の涅槃楽。

えどがわ - らんぽ【江戸川乱歩】 講談社刊「江戸川乱歩全集」を読め。(広告代よこせ、といわない。編集部に好きな女の子がいるからである)

 著者は1970年2月、講談社から出ていた乱歩全集の第十一巻月報に「出版部K嬢へ」という文章を寄せている。引用文中の「好きな女の子」はそのKさんかと思われるが、

 ──さてKさん。あなたはすっかりいそがしくなってしまい、ぼくと遊んでくれなくなってしまいましたね。たまには、ゴーゴーを踊りに、また出かけませんか。全集のお仕事はたいへんでしょうが、どうぞぼくともつきあって下さい。

 という「出版部K嬢へ」の呼びかけが功を奏し、著者が首尾よく本懐をお遂げになったのかどうか、そのようなこと拙者は知り申さぬ。