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2006年2月中旬
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さてしかし、おまえはそうやって『江戸川乱歩年譜集成』をつくるのだとひとり勝手におだをあげておるけれど、はたして予算の裏づけはとれておるのかと疑問にお思いの方もいらっしゃることでしょう。その点はご安心いただいていいように思います。江戸川乱歩リファレンスブックの第四巻を出すくらいのお金なら、名張市にだってあるはずです。なくてどうする。リフォーム詐欺と呼ぶしかない歴史資料館の整備にはお金を出す。名張のまちを書き割り一枚で覆い隠してエジプトやニューヨークに偽装しようという団体にもお金を出す。にもかかわらず…… いやいや、いつまでこんなこといってても益はありません。とにかくお役所というのは封建時代さながらの前例墨守社会なんですから、過去三巻の前例あるいは実績のうえに江戸川乱歩リファレンスブックの四巻目をつくるということになれば、たかが三百万円程度の予算、捻出することは容易なはずです。出ないとなればえらいことになります。名張市は嗤われてしまいます。いまでも結構嗤われているようではあるのですが。 それに私は、何も2006年度の予算で『江戸川乱歩年譜集成』をたったかたったか刊行しようと考えているわけではありません。山前譲さんによれば四十年かかっても不可能かもしれない事業に挑戦しようというのですから、とりあえず一年ほどは下調べにあてるつもりでおります。刊行予定はいまだ定かならず。 そんな悠長なことをいっておって、おまえのクビのほうは大丈夫なのか、とお思いの方もいらっしゃるのかもしれませんが、こればっかりは私にもわかりません。ただし名張市役所に私のことを目障りだとか邪魔だとか煙たいとかウザイとか早くやめさせろとか、いやもうこれは市役所にかぎらず名張市内の官民双方にそんなふうに思っていやがる方が少なからずいらっしゃるであろうことはほぼ確実で、私の身分には例によって何の保証もありません。 私は昨年の7月2日、この伝言板で名張まちなか再生委員会の批判を開始するにあたって、お役所ハードボイルド「アンパーソンの掟」にこう記しました。
これはまったくこのとおりの意味で、しかも当時の私はかなり投げやりな気分になっていて、名張まちなか再生プランというインチキプランを正面から叩くのであるからもしかしたらクビかもしんないな、いーもんね、もういいんだもんね、インチキプランみちづれにして自爆してやるもんね、と本気で考えないでもありませんでした。むろん現在ではそれが短慮であったと自省している次第で、どうしてこのおれがあんなたわけたプランと心中しなければならんのか。 しかし実際、こんな茶番はもううんざりだと私は思いました。名張まちなか再生委員会が組織されたときのことです。これは「アンパーソンの掟」にも縷々記したところですけれど、まーた「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」と同じ茶番を眼にしなければならんのか。私は暗然としてそう思いました。あの事業といいこのプランといい、その本質は何かといえば、無定見きわまりない行政が主体性を放棄し、不見識このうえない地域住民がそれにつけこんで…… いや、いやいや、こんなこといってたってほんとに益はありません。明るく前向きな話題に移りたいと思います。 明るく前向きな『江戸川乱歩年譜集成』の構想は、もとよりほとんど白紙の状態です。レイアウトのプランも浮かんでいないのですが、たぶん三段組みになるのではないかと思います。小学館の日本古典文学全集みたいな感じでしょう。 いったい何年からスタートするのかというと、もしかしたら文化7年、西暦でいえば1810年ということになるかもしれません。乱歩のおじいさんが生まれた年です。去年であったかおととしであったか、私は池内紀さんの手になるカフカの評伝をひもといたのですが、カフカのおじいさんに関する記述から書き起こされていたのをすこぶる面白く思いましたので、乱歩の年譜もやっぱ二代さかのぼったあたりからはじめることで興趣が深まるのではないかしら。それに乱歩だって三人称の自伝「彼」には祖父母のことまで記しているのですから、こちらの年譜にも当然それを反映させる必要があります。負けてなんかはいられません。 いやべつに勝ち負けの問題ではないのですけれど、とにかく私は『探偵小説四十年』には負けたくないなと思っており、分量的にもこれを圧することが念願である。敵は本文五百二十九ページ、索引三十三ページ、総五百六十二ページの大冊ですから、『江戸川乱歩年譜集成』は一ページでもいいからそれを上回る本にしたい。そんなことは無理か。だいたいが江戸川乱歩リファレンスブックは一巻ほぼ三百ページであるから、五百六十ページ以上となるとざっと二巻分。うーん。うーん。 明るく前向きな話題がどこかしら悪夢めいてきましたので、本日はここまでといたします。
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不吉じゃ。なんとも不吉じゃ。 私はつい昨日、『江戸川乱歩年譜集成』の予算のことは心配いりませんから、みたいなことを記した次第であったのですが、昨日付毎日新聞伊賀版にはじつに不吉な記事が掲載されておりました。熊谷豪記者の記事をどうぞ。
いやどうもお恥ずかしい。以前からお伝えしておりますとおり名張市には全然お金がなく、 ──名張市にはお金がありませんので乱歩の著作や関連文献などのデータをネット上で公開することができません。 といったなさけないありさまなのですが、市史の刊行が先送りになっていたとは知りませんでした。財政難のせいで職員も満足に配置できず、発刊する予算も捻出できない。こんな状態ですからネット上の幻影城たる「江戸川乱歩アーカイブ」の実現など夢のまた夢というしかありません。しかし、それはいい。それはいいんです。市史のことにしても、 ──名張市にはお金がありませんので全十一巻の市史を刊行することができません。 というのであれば、それじたいは致し方のないところでしょう。 しかし、 しかーし、 しかーしそうであるならば、 リフォーム詐欺にすぎぬ歴史資料館の整備にだってびた一文も出せる道理はないであろう。 むろん名張市役所の内部には名物のいいわけがいくらでも転がっていることでしょうけれど、はたしてそんなものが市民に通用するのかな。市民の眼にいまや明らかに映じているのは、1997年以来準備を重ねてきた市史全十一巻が刊行されるにいたらず、いっぽうではただの思いつきでプランニングされた歴史資料館が整備されるというにわかには信じがたい事実である。同じく歴史を扱いながら、必要な事業には金を出さず、不必要な事業に予算をつけようとする。予算の出どころがどうの担当セクションがこうのというのはお役所の内部でしか通用しないいいわけであって、市民の眼には名張市の歴史関連事業におけるバランス感覚の決定的な欠如がくっきりと映じているはずです。 市史も出せない自治体がインチキ歴史資料館を整備する。こんな世迷い言を飽きもせずに並べ立てておっては、名張市はほんとに嗤われてしまうことでしょう。悪いこたいわない。整備構想を白紙に戻してしまいましょう。それがいちばん。
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不吉なことばかり書き散らしてるってえと読者諸兄姉まで不安な気分におなりかもしれません。名張市の財政状況はいかようにもあれ、ちゃんと原稿がまとまりさえすれば『江戸川乱歩年譜集成』はまちがいなく公刊されます。そのことをここに明記しておきましょう。 これまでの三巻は純然たる目録でしたが、四巻目は同じリファレンスブックといいながら内容がかなり異なり、読んで面白いものになりますから、商品としても充分に通用しましょう。名張市にお金がないとなれば、組版まで終えたデータを用意したうえで、うちから出してやろうという出版社を見つければいいだけの話です。信のおける出版社しか相手にしませんけど。 とにかく心配はご無用。勝手に心配させておいて心配無用もないものですが、乱歩ファンのみなさんには大船に乗った気でいていただきたいと思います。 さるにても、名張まちなか再生プランの歴史資料館整備構想は、いよいよもってけしからんという事態に立ちいたりました。徹底した批判の論陣を張ってやろうかとも考えますものの、とりあえず模様ながめとまいりましょう。 『江戸川乱歩年譜集成』が完成するまでは名張市立図書館の嘱託でいたいものだと発起し、そのためにはいっそう身を慎まねばならんなと決意したその矢先、 ──名張市にはお金がありませんので全十一巻の市史を刊行することができませんが、名張まちなか再生プランのインチキ歴史資料館整備構想にはお金を出すことができます。 などというべらぼうな状況が明らかになり、えーい何をやっておるのかといったんは殺気立ってしまったこの私。 思い出されるのはちょうど四年前、当時の名張市長が乱歩のことで大嘘をかましてくださったものですから私はすっかり殺気立ち、あの市長だけは堪忍がならぬ、ぼこぼこにしてやると息巻きましたところ、当時の教育委員長であったいまはなき辻敬治さんから、 ──おまえはこれからも図書館嘱託として仕事をつづけていかなければならんのだから、市長を叩いて自分の身を危うくするような真似は控えるように。こちらがはらはらするではないか。 とありがたいお叱りを頂戴したものでしたっけ。そういえばあの前市長、四年前の市長選挙で新人に敗れて野にくだられたのですけれど、四年間の雌伏をへて今年4月の市長選挙に勇躍出馬されると聞き及びます。聞き及ぶというか、当地のメディアでいっせいに報じられております。 へー、 そーなんやー。 上等ではないか。面白いではないか。 いや、 いやいや。 そんなことはどうだっていいのである。紅旗征戎わがことにあらず。市長選挙のことなんて、一介の市立図書館嘱託には何の関係もありません。 とにもかくにも、インチキ歴史資料館の整備構想は名張地区既成市街地再生計画策定委員会を再招集して再審議してもらうよう名張まちなか再生委員会の事務局にお願いしてあるのですし、委員長さんのお口添えもいただいているのですから、あとはいわゆる前向きな善処を期待しつつ、こちらは『江戸川乱歩年譜集成』の構想をじっくり練りあげることにいたしましょう。
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紅旗征戎わがことにあらず、ではあるのですが、ネット上の新聞記事を検索していたら2月11日付毎日新聞に、 ──歴史を大事にしない街に、未来はない。 と書かれておりましたので、ちょこっと尻馬にのってみます。詳細は「なんくるないさ:「大阪を舞台に、歴史を掘り起こして… /大阪」でお読みください。記事のなかで芦辺拓さんが、 「いくら大阪の歴史を発掘しても、市民が歴史に関心がない」 と嘆いていらっしゃいますが、大阪のみならず名張市もまた、いずこもおなじあほのきまぐれ、なんとも致し方ありません。 自分が住んでる地域の歴史に関心をもとうがもつまいが本人の勝手だ、とばかはいうでしょう。それはそうだと認めてやってもよろしい。ばかが考えるのはその程度のことであろう。しかし、歴史のれの字もわきまえず、それを知ろうとつとめることもないようなとんちきが、えらっそーに名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクトに所属して歴史資料館構想に携わっているというのはどう考えてもおかしい。歴史を大事にするまちは、まちがったってそんなことはしないしさせない。しないさせない飲酒運転。 いやまったく冗談ではありません。これはまさしく飲酒運転のようなものでしょう。そもそものスタートであった名張地区既成市街地再生計画策定委員会でさえ、ぶっちゃけていえば歴史のれの字もご存じない方のあつまりでしかなかったのであり、それがまた地域史の宝庫である名張市立図書館に足を運ぶことすらなぜかせず、つまりは歴史のれの字もご存じないまま歴史資料館でもつくりましょうかと名張まちなか再生プランを策定してくださった。こんなのは明らかに酔っ払いの所業でしょう。 それを受けて発足したのが名張まちなか再生委員会なのですが、この委員会はいまさら喋々するまでもなくご存じのとおりのていたらく。もっと具体的なことを記してしまえば、これは先日名張市役所で生活環境部の部長さんから教えていただいたところにもとづいて結論いたすことなのですが、名張市が誇る天下御免の偽装団体、写したくなる町名張をつくる会のメンバーには名張まちなか再生委員会のメンバーもしっかり含まれているようで、名張のまちをエジプトにしよう、みたいなノリでインチキ歴史資料館の整備構想をこねくりまわされては困るのよな実際。困るけれどもそんなことしかできないのよな。歴史を知らず、知ろうともしない連中には。 ここまで歴史を大事にしないまちには、当然のことながら未来はないでしょう。歴史を大事にできないというのなら、せめて乱歩が愛したミステリ小説を大事にするまちになってはどうなのか。私は例のパブリックコメント「僕のパブリックコメント」でそんなふうにアドバイスしてやりもした次第なのですが、それも当事者のみなさんにはどこまで理解されておるのやら。まーったくまあどいつもこいつも、いずこもおなじあほのきまぐれかよ。 いや、いやいや、そんなことはどうだっていいんです。紅旗征戎わがことにあらず。いつまでも同じことばっかりぼやいてないで、私はひたすら『江戸川乱歩年譜集成』の構想を練ることにいたましょう。名張地区既成市街地再生計画策定委員会再招集の件がどうなったのか、その連絡を待ちながら。 |
本日は都合によりあっというまにお別れいたします。
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私はどちらかといえば完全主義者気味の人間ですから、そういう人間のつねとして、何かしら新しくものごとを始めるにあたってはツールのたぐいを吟味することから手をつけます。『江戸川乱歩年譜集成』を編むとなれば、その一次資料となる『探偵小説四十年』の光文社文庫版上下巻、酷使に耐えるようしっかり補強しましたことは先日お知らせしたとおりなのですが、それもむろんその一例。 そのあと書棚を見廻して、ずーっと買いそびれていた岩波書店の『日本近代総合年表』をこの際だから買っとこうかと思いつき、ネットで検索してみたら2000年まで増補された第四版が出ていて、しかし一万円以上もするのかと思案投げ首。そういえば『精選版日本国語大辞典』の第二巻が出たのにまだ買いに行ってないんだし。あれは一万五千円ほどするんだし。 いろいろと悩ましいことではありますが、当節の書斎における最高のツールとなると、もしかしたらパソコンということになってしまうのかもしれません。私のパソコンはアップル社のいわゆるマックという製品なのですが、このアップル社というのが最近ひどい仕打ちに出て、CPUをインテル社製のものにすっかり入れ替えることになりました。インテルインサイドの新製品も先日発売されました。インテルマックになってしまうと困ったことに、私が現在常用しているアプリケーションソフトはいっさい使用できません。日本語入力ソフトから買い揃えなければなりません。 それならば、いま使用しているパソコンがあまりご機嫌のいい日ばかりではないことにも鑑みて、インテルインサイドでない最新の(最後の、というべきですが)機種を購入しておくのがよかろうと意を決し、しかし私は自己破産しておりますからすっからかんのからっけつ。パソコン買い換えるだけでおろおろとパニック状態を呈してしまうありさまで、オンラインショッピングに際して注文のボタンをクリックするときなどほとんど意識が飛んでいたのですが、とにかく新しいパソコンがおととい届きました。 新パソコンで名張人外境の更新を手がけるのは本日が最初なのですが、新しいパソコンというのはなるほど快適なものであって、旧いのに較べればほとんどストレスがない感じで作業が進みます。きれいで大きな20インチワイドスクリーン液晶モニタだし。 これを機会にソフトもいくつかバージョンアップしたのですが、以前からつかってみたいと考えていたアウトラインプロセッサもついでに導入しようかしら、などとツールの準備も結構たいへん。こうまでしていわゆるモチベーションを高めなければ、『江戸川乱歩年譜集成』の調査編纂にはなかなかとっかかることができないということなのかもしれません。なんとも物入りなことでっせ。
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本日は順序を逆にいたします。
いつの日にか世に出るであろう『江戸川乱歩年譜集成』の昭和20年の項には、12月26日の午前10時ごろ、乱歩が第一回新興古書展に姿を現したという歴史的事実が記されているはずです。むろん反町茂雄の『一古書肆の思い出』という典拠も明示され、それが平凡社ライブラリーに入っていることも情報として提供されます。そうでなくてはリファレンスブックを名乗ることができません。 と記すだけでも有用さや面白さがおわかりいただけるのではないかと自負する名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブック4『江戸川乱歩年譜集成』は、むろんいつか、いつの日にか上梓の運びとなるはずなのですが、本としてまとめるためには時空を超えて乱歩を追跡し、目撃情報をかき集める作業を重ねなければなりません。これは大仕事です。 そのわりにはなんかモチベーションがなあ、と思った私は昨日、やはりこの際だからとアウトラインプロセッサを導入することにして、オムニアウトライナーというソフトを購入しました。いわゆるインターネットショッピング、悠揚迫らぬどころか注文のクリックに際してはてのひらに汗までかきながら、それでも手続きが終わればすぐにダウンロードして使用できます。 私はさっそく、わりと嬉々として「江戸川乱歩年譜集成」とタイトルをつけたファイルをつくり、『貼雑年譜』をひもときながら文化7年に祖父平井杢右衛門陳就が誕生、天保11年に祖母和佐が誕生、慶応3年に父繁男が誕生、そうか、繁男は漱石と同じ年の生まれか、しかしおれはまたなんだってよそんちの家系をこそこそ調べたりしてるんだろう、みたいな感じで年表づくりを開始したのですが、こういった作業がこれから果てしないほどつづくのかと思うと、なにやら暗澹たるものをおぼえないでもありません。 話は変わりますが、『一古書肆の思い出』には第一回新興古書展の目録が出てきました。表紙の写真も収録されていて、「復興/第一回」と角書きされた下に「新興古書展出品略目」と手書きの太い明朝体で記されています。戦後初の古書展の目録ですから、これがすなわち戦後初の古書目録であるのかというと、どうもそうではないようです。 谷沢永一さんの『紙つぶて』から、1969年9月12日の読売新聞に掲載された「埋もれた名著発掘」の一節をどうぞ。
どちらも昭和20年の12月、ほとんど同時期に発行されたもののようですが、新興古書展の目録は謄写版刷り十二ページ、沖森書店の目録は活版印刷三十二ページ。沖森書店の完勝のようです。 さるにても、旧上野市にも昔はこの沖森直三郎のような気骨のある人間がいたらしいのですが、現代の惨状はいったいどういうことなのでしょう。いやまあ名張市だってひどいものですが、私が住んでいるおかげで名張市はまだ救われているといっていいでしょう。 |
本日もこちらからまいります。
あッ、と私は叫びました。「自遊人」3月号の記事に「廿七日会」という言葉を発見したときのことです。 ──そうか。廿七日会というのは東京作家クラブの定例親睦会か。 乱歩の随筆「生誕碑除幕式」にこんな一節があります。
この「生誕碑除幕式」はいつの日にか刊行されるはずの『乱歩と名張』に脚註つきで収録されるのですが、「廿七日会」の脚註だけが「不詳」という状態でした。その道の専門家の方にもお訊きしたのですが、どんな会なんだかなかなか明らかになりません。それが思いがけないところで判明いたしましたので、私はお礼の意味をこめていつかこの天麩羅屋さんに足を運び、一番人気だという天麩羅定食特上二千五百円也のひとつも注文してやろうかという気分になりました。 ところで、『乱歩と名張』はいったいいつ出るのか。これは私にもわかりかねます。問題はむろん名張まちなか再生プラン。名張まちなか再生委員会という歴史のれの字にも乱歩のらの字にも縁なき衆生によって計画がまとめられたあげく、たとえば乱歩記念館などという施設ができてしまうのか、あるいはそうではないのか。要するに名張市が乱歩をこれからどのように扱うのか、それが明確にならなければ乱歩と名張のガイドブックはいつまでたっても体をなしません。 それに私はもう、名張市民のためのガイドブックをつくることにあまり興味がもてなくなっているのかもしれません。本を読まない連中相手に本を出したって意味などないではないか、名張のまちの人間なんてもしかしたらあの怪人19面相みたいに手ひどく無教養な手合いばかりなのであって、どうしておれがわざわざそんなのを相手にしなければならんのかと、とくに去年あたりからそんなことを考えるようになってしまった私は、なんだかとっても絶望的。 いやいかんいかん。こんな不景気なことばかり書いておっては、せっかく『江戸川乱歩年譜集成』の刊行を決意したというのにモチベーションがさがるばかりではないか。しかし不景気なといえば、けさの中日新聞にはこんな記事が。
まーったく不景気な話だ。名張市職員などというあんな連中の退職金のために市の財政が逼迫するというのは本末転倒した話ではないか。いやまあお役所というのは何よりお役人のためのものであるというのが実情であるからして、これも致し方のないことなのかもしれませんけど。 いやいかんいかん。こんなことばかり書いておってはほんとにいかん。モチベーションを高めるべく、新しいパソコンのためにフォントを新規購入してツールの充実を図ることにするか。しかしこれではほとんど買いもの依存症ではないか。 |
きのうは「しかしこれではほとんど買いもの依存症ではないか」と記した次第だったのですが、より正確にはツール依存症と呼ぶべきなのかもしれません。ついふらふらとフォントセットを注文してしまいました。『江戸川乱歩年譜集成』の組版に備えて、という大義名分はしっかり自分にいいきかせたのですが、そんな作業はいったいいつのことになるのやら。ツール依存症かと自身を疑うゆえんです。 人がなぜ依存するのかというと、人間というのはもともと依存するようにできていて、他人に依存することで人間関係をつくったりひろげたりするものなのですが、人間相手の依存がうまくいかないと物質や行為に依存する、依存すればするほどその対象なしにはいられなくなる、まるはだかの自分にまったく自信がもてなくなる、ああ地獄じゃ地獄じゃと思いながらどんどん深みにはまってゆく、みたいなことであるらしく、私のようにアルコールやニコチンに依存してしまいがちな人間は他人への依存が充分に満たされなかったなれの果てなのじゃとも説かれるようなのですが、そんなことは大きなお世話だ。 とはいえこれで、必要不可欠であるかどうかは別にして、思いついたツールはほぼそろったということになるようですから、あとはいよいよ、 ──乱歩にどっぷり依存する明け暮れか。 みたいなことになりましょうか。
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さていよいよ、 ──乱歩にどっぷり依存する明け暮れか。 とは思うのですが、このところ雑用が多くてなかなかどっぷりできません。本日もそそくさと。
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