![]() |
|
2006年7月中旬
|
|
名張まちなか再生委員会において乱歩文学館建設の野望に燃えていらっしゃるみなさん。ちゃんとお勉強してくださいましたか。それぞれの結論にたどりついていただけましたか。「孤島の鬼」に見られるこの文章、 ──私は以前、ある皮屋さんと話をした経験を持っているが、この不具老人の物の言い方が、なんとなくその皮屋に似ていた。 これを削除する必要がはたしてあるのかないのか。みなさんのお考えはいかがなものでしょうか。くり返して記すならば私の結論は削除の必要まったくなし、全然大丈夫っすよというものです。 しかしそういう時代はたしかにあった。いわゆる部落産業である皮屋さんのことを活字にしたり電波に乗せたりはできない時代があったというのはたしかなことで、「孤島の鬼」のテキストでいえば1973年9月の角川文庫『陰獣』と2000年12月の角川ホラー文庫『孤島の鬼』とにはさまれた期間にそうした時代が訪れていたということです。 それはまあひどいというしかない時代であって、たとえばテレビの時代劇でお白州に引きすえられた悪党が遠山の金さんだか大岡越前様だかに、 「そのようなお裁きは片手落ちでございましょう」 などと居直ろうものならさあ大変、再放送では問答無用で「片手落ち」がサイレントになっておりました。みたいな例なら星の数ほどあるけれど、それもいまでは昔の話、いまやそんな時代もあったねと笑って話せる日が来ておるのであると私は認識しております。げんにくだんの文章をそのまま生かした角川ホラー文庫の『孤島の鬼』が糾弾されたなんて話はちっとも耳にしませんし。 そもそも「孤島の鬼」の問題の箇所は小説のなかで偏見をもった人間がみずからの偏見を語っているというシーンなのであって、そこには何の問題もありますまい。それに偏見というならばそれ以前、 ──不具者というものは、肉体ばかりでなく、精神的にも、どこかかたわなところがあるとみえて、言葉や仕草や、親子の情というようなものまで、まるで普通の人間とは違っているように見えた。 という文章にこそ問題があると判断される次第なのですが、そうした問題を無視して「皮屋さん」だけを削除するというのでは「哀しみは歌に託して」にも記しましたとおり「差別表現の階層化とでも称するべき由々しい事態」にほかならず、そうした措置は差別問題の解消とはむしろ逆の方向を向いたものではないかと思われます。 しかも「皮屋さん」を削除してしまうということは、ややおおげさにいってしまえばその歴史を抹殺してしまうということではないのか。皮屋さんの歴史は山下力さんが『被差別部落のわが半生』にお書きになっていた「カワタ(皮多)」の歴史にさかのぼるものであり、また当節でいえばいわゆる食肉利権の問題にも通底してくるものでもあるのでしょうけれど、一時期の部落解放同盟によるいわゆる言葉狩りとそれに呼応したメディア側の自己規制はそうした皮屋さんにかかわる歴史を隠蔽抹殺する方向に進んでいたというしかありません。 それにだいいち、小説に書かれた、 ──私は以前、ある皮屋さんと話をした経験を持っているが、この不具老人の物の言い方が、なんとなくその皮屋に似ていた。 といった文章がいったい誰の感情を逆撫でするというのか。誰を怒らせるというのか。この文章を読んでいったんは遠ざかりながらくっそーおれのこと差別しやがってとくるりとUターンして相手に歩み寄り、歩み寄りながらその胸にいきなり頭突きをぶちかました仏国代表ジダン選手のごとき感情の暴発をいったい誰が見せるというのか。 こんなものが差別として成立しているといえるのかと私には思われる次第であり、いやそれ以前に、ところで皮屋さんっていったい誰よ? と首をかしげる世代が増えているであろうことにかんがみるならば、まっとうな歴史認識にいたるためのささやかな呼び水としてもこの文章は削除されるべきではないでしょう。 以上、僭越ながら名張市の乱歩文学館関係各位によるお勉強のお手伝いをあいつとめました次第です。はたしてお役に立てたかな。
|
脱線しまくりの毎日ですが、脱線ついでにお知らせをひとつ。SRの会が会報を復刻した CD-ROM 『SR Archives Vol.2』を製作しました。詳細は「番犬情報」でどうぞ。 その昔、私が漫才作家を志す前途有望な青年であったころ、大阪にSRの会という組織がありました。落語が好きな人たちの集まりで、Sは Short のS、Rは Rakugo のR、つまりごく短い新作落語を創作したり演じたりして興じるのを眼目とした会でしたが、その会が CD-ROM をつくったというわけではありません。 収録は「SRマンスリー」の五十一号から百号までの全誌面。さーっと眺めてみますと昭和37年9月の54号には乱歩がアンケート「創元社に望む」に回答しており、これは「江戸川乱歩執筆年譜」から洩れておりました。その一か月前の53号では前年刊行の『探偵小説四十年』にふれながら乱歩不木往復書簡集刊行の要を説き、四十二年後の『子不語の夢』を予見していたといっていいような会員の随筆もあるのですが、これは「乱歩文献データブック」から洩れておりました。 身を削るような思いでじっくり閲読したいと思います。
|
まずお詫びと訂正です。昨日付「本日のフラグメント」でご紹介しました座談会「乱歩の後継者は誰か」、出席者のお名前に「山内修」とありましたのは「山内悠」の誤りでした。メールでご指摘を頂戴して気がつきました。どうも申しわけありません。お詫びを申しあげます。当該箇所は訂しておきましたが、しかしこれは痛い。 何が痛いか。昨日掲載した出席者名は当サイト「乱歩文献データブック」のデータをそのままコピー&ペーストしたものであり、するってえと刊本『乱歩文献データブック』もまたおなじ誤りを犯しているということになります。あ痛ッ。あ痛たッ。 ここでどうしてこんな単純なミスが生じたのか、今後のために襟を正して分析しておきたいと思います。まず考えられるのは、『乱歩文献データブック』を編纂していた当時の私はいまだ漢字の読み書きに慣れていなかった。いやそんなことはないか。当節の高校生にくらべれば結構漢字には強かったと思えます。ならば、SRの会関係者の方から頂戴した「SRマンスリー」当該号のコピーが読みにくかった。しかし判読不能な文字があればその関係者の方にお訊きしていたはずですから、この線もおそらくないでしょう。うーん。なんだかよくはわかりませんけど、重々自壊して、ではなかった自戒して次に進むことにいたします。 とはいうものの、あちらこちら脱線してどれが本筋であったのかを見失い、それどころか暑さのせいで完全に自分を見失ってすらいる状態でもあるのですが、きょうのところは現代日本文学大系の話題にひとまずけりをつけることにいたします。 何度も申しておりますがこの全集は全九十七巻です。しかし別冊が一巻あって、正確には現代日本文学大系全九十七巻別冊一巻ということになります。私が金一万九千円也で購入したのは全九十七巻だけですから別冊一巻は手許にないはずなのですが、なんとこれがありました。出てきました。うそではない証拠にほれこのとおり。 やや薄汚れてはおりますが、まぎれもない本物。いやー、われを忘れて購入してしまったけれど全九十七巻の収納スペースを確保しなければならんではないか、とがさごそ悪戦苦闘している最中に何だこりゃという感じで出てきました。これで全九十七巻プラス別冊一巻イコール九十八巻が知らぬまに揃ったことになります。 自分でも何が起きたのかよくわからなかったのですけれど、つらつらふり返りますとあれはいつであったか、つい最近もこんな話を蒸しかえしたような気がするのですが、海野十三関係のイベントで日下三蔵さんの講演会を拝聴するため徳島県まで足を運び、日が暮れてからJR徳島駅近くにあった居酒屋でお酒を飲みながらお店のお姉さんを口説いてみたところ、 「私まだ高校生なんです」 と打ち明けられつつ振られたあの日、地元の小西昌幸さんにご案内いただいた古本屋さんで購入したものでした。私にはその店で古書を購入する気などなかったのですが、あのときはたしか悪の結社とその名も高い畸人郷の先達おふたりをはじめとしたその道のそれこそ先達のみなさんがごいっしょ。そういえば末永昭二さんなどは見る見るうちにひと抱え以上もの古本の山を積みあげていらっしゃいましたっけ。 他人の影響を受けやすい私はついふらふらとその気になり、しかも驚いたことに乱歩の随筆を収録した未見の『文芸年鑑』がありましたので『江戸川乱歩著書目録』編纂中の身としてはあわてて購入せざるをえず、ところがよく見てみたらどこのばかの仕業か奥付のページに新聞の切り抜きがべったりと貼りつけてあって発行日がわかりません。家に帰って試行錯誤はしてみたのですが、その切り抜きはどうにもうまくはがせませんでした。 あれには苦労したなあ国立国会図書館へ行って調べたもののあそこの蔵書にはたぶん納本のさい出版社側がどういう理由からか発行日を粉飾したものがあってその『文芸年鑑』もたまたまその手の本でしたから奥付の発行日には信が置けずそれでどうした結局は版元である新潮社の資料室にご厄介をおかけしたのであったかとにかく手許に本がありながらその発行日を確定するのにえらく苦労した記憶があってもうあんなことは二度とごめんだ。 そんなことはどうでもいいのですが、その徳島の古本屋さんで購入したのが現代日本文学大系別冊の『現代文學風土記』であったという寸法です。してみるとわざわざ徳島まで出かけて女子高生に振られたあの日から、私はいずれ現代日本文学大系全九十七巻を購入しなければならぬさだめであったと見るべきなのか。奇しきえにしの糸車、阿波の鳴門で眼がまわる。 さて筑摩書房の現代日本文学大系全九十七巻プラス別冊一巻イコール九十八巻をずらりと揃え、昭和40年代にまとめられた主流文学の体系をつらつら俯瞰してみましたところ、まず懐かしい名前が結構あることに気がつきました。たとえば島崎藤村などというのはまさしく懐かしい。私はたぶん藤村の本など一冊ももっていないのですが(「夜明け前」だけは読んでおかねばなと思いつつ)、昔読んだなあまだあげ初めし前髪のだとか「破戒」だとか。舟木一夫さんが「初恋」に曲をつけて歌っていらっしゃったことまで想起されてきました。 それからまた武者小路実篤。仲良きことは見苦しき哉。そういえば私は少し以前にインフルエンザが大流行したとき、たしかテレビのニュース番組であったか、このインフルエンザは昔風に表現すればスペイン風邪なのであるという解説を聞いてたちどころに武者小路実篤の名前を思い出してしまいました。「友情」であったか「愛と死」であったか、ヒロインがスペイン風邪であわれはかなくなりにけり、といった小説のことが頭によみがえってきたわけなのですが、高校生時代の読書というのはなかなかに侮りがたきものなりけり。 けりがつきましたのでまたあした。
|
筑摩書房の現代日本文学大系全九十七巻プラス別冊一巻イコール九十八巻をずらりと揃えて感じましたことは、懐かしさのほかにはある種これにて終了みたいな感覚、近代の終焉とでも申しますか、函入りハードカバーでかっちりまとめられた主流文学の体系などというものは、たぶんこの全集を最後にばたばたと絶滅してしまったのであろうな、自分はいま恐竜の骨格標本を眺めわたしているようなものなのであろうな、ということでした。主流文学ったって全然たいしたことねーじゃん、みたいな尊大高慢傲岸不遜なこともちらっと思ってしまいましたし。 げんに筑摩書房からはその後、より正確に記せば現代日本文学大系の刊行開始から二十三年後の1991年(だと思うのですが)、ちくま日本文学全集という文庫判全集の配本がはじまり、私はぱらぱらとしか所蔵していないのですが、第五十二巻『深沢七郎』巻末のラインアップにはさすがに隔世の感を抱かされます。 一作家一巻で編成されたその顔ぶれを見るならば、明治から大正にかけての作家はとても目の粗いふるいにかけられていて、森鴎外、正岡子規、夏目漱石、幸田露伴、樋口一葉、意外な感じで岡本綺堂、島崎藤村、泉鏡花、とつづきます。露伴はあっても紅葉はなく、藤村はあっても花袋はない。あるいは、永井荷風はあっても正宗白鳥はない。やや時代がくだりましても、佐藤春夫はあっても室生犀星はなく、川端康成はあっても横光利一はない。むろん宇野浩二なんて全然ない。 そうかと思うと柳田國男、折口信夫、宮本常一といった民俗学関係、それから夢野久作、白井喬二、江戸川乱歩、海音寺潮五郎といった大衆文学関係(収録作品が不明なので断定はできないのですが、菊池寛や大佛次郎も大衆文学関係と見るべきでしょうか)、はたまた従来の全集では十把ひとからげの扱いだった(この全集はハンディなサイズゆえに少ない作品で一巻が編めるわけなのですが)寺田寅彦、中勘助、内田百 全巻を列挙してしまいそうですからこのへんまでとしておきますが、このラインアップから見るかぎり、いわゆる主流文学なるものはどうやら完全に命脈が尽きてしまい、自然主義だのプロレタリア文学だのといった文芸潮流も意味のあるものではなくなっていると判断されます。 むろんあくまでも当代の一般的な読者にとってという限定つきの話ではあるのですが、主流文学や文芸潮流なんてほんとにもうどうだっていいものなのであって、たとえば横光利一が端的にそうなのですれど、主流文学の中心に位置し文芸潮流の最先端に立って同時代との死闘を展開した作家が忘れられ、そうした格闘のさいには田舎に行ってのんびり温泉につかっていたような川端康成が結局は脚光を浴びている(現代日本文学大系の月報のどこかで、おれは最初から横光より川端のほうが才能があるとにらんでいた、みたいなことを稲垣足穂が書いておりましたが)。そしてかわって浮上してきたのが、たとえば乱歩が端的にそうであるごとく、それがうつし世のものであるとそうでないとを問わず、小さな片隅の確乎たる別世界の消息を伝えつづけていた作家なのであるということなのかもしれません。 私の場合は『江戸川乱歩年譜集成』を編纂するうえで主流文学や文芸潮流のアウトラインを頭に入れておく必要が感じられた次第であったのですが、そうでもなければ文学全集などというもの、何の意味もないものであるということが現代日本文学大系全九十七巻プラス別冊一巻イコール九十八巻によって再確認されたような気がします。いまや体系性なんて妄想のようなものかもしれません。 とはいえすれっからしのミステリファンのみなさんからは、せいぜいがここ二十年ほどといったところか、いまできの国産ミステリだけを読んでミステリがわかった気になっているお若い衆には困ったものだという嘆きを聞かぬでもありませんから、探偵小説という小さな片隅の確乎たる別世界には体系性もまた厳然として存在しつづけているのでしょう。それともうひとつ、すれっからしのみなさんからはミステリ以外のジャンルにまったく興味を示さないミステリファンにも困ったものだという慨嘆もお聞きいたしますものですから、世の中やはりなかなかに難しいもののようです。 したがいまして結局のところは、面白い小説が読みたかったらとりあえず手当たり次第に読んでみて、これはという作家が見つかったら徹底的に読みつぶしてゆけばいいのである、といったあたりが夏休みを迎えようとしている高校生諸君へのアドバイスか。
|
全集にもいろいろあります。現代日本文学大系を購入したものかどうかと悩んでいたころの私は、そういえば自分には大衆文学の体系的な知識も全然ないのだから講談社の大衆文学大系を古書で購入して勉強したほうがいいのかも、いやそれよりも東都書房の日本推理小説大系が先かしら、などという悩みをも抱えこんでいたものでしたが、収納スペースのことをまったく考えておらず、またその道の先達の方にお訊きしてみましたところ、日本推理小説大系は書誌や年譜といった資料性の面ではまったくといっていいほどだめである、いちばん頼りになるのはかつて「宝石」に連載された「ある作家の周囲」の島崎博さん作成の書誌ではないか、とのお教えをいただきましたので、日本推理小説大系はむろんのことあの極度に分厚い大衆文学大系もとりあえずスルーしておくことにいたしました。 大系といえば岩波書店の日本古典文学大系。乱歩がらみでいうと第九十一巻『浮世草子集』に収録された「新色五巻書」は乱歩の蔵書を底本としており、そのことはたしかほりごたつさんにお調べいただいたと記憶するのですが、そのときはいまさら購入するのは不可能だし、とか思って長くそのままにしておりましたところ、最近になって古書なら入手できるではないかと遅ればせながら気がつきました。あるいは「押絵と旅する男」関連の「八百屋お七」は第五十一巻『浄瑠璃集 上』に収められており、これもへー、そーなんやーてなものであったのですけれど、やはり古書なら購入可能ではないかとはたと思いいたったある日の午後、いやもう眼からきれいに鱗が落ちたような気がいたしました。そんなこんなで日本古典文学大系、ほかにも適当に見つくろい、いずれも一巻千円くらいのものなのですが(それを考えると現代日本文学大系全九十七巻一万九千円也というのは異常なほどの安値だったわけですが)、押さえておくことにいたしました。 しかしどうもいかんのではないか、と思わぬでもありません。私は新刊で購入できる本は新刊で購入するべきではないかという考えをもっているのですが、眼をしょぼしょぼさせながらウェブサイト「日本の古本屋」で「浄瑠璃集 岩波書店」を検索しておりましたときのこと、新日本文学大系第九十一巻『近松浄瑠璃集 下』がひっかかってきました。そういえば自分は上しかもっていなかったのではないかと書棚を見てみると、案の定『近松浄瑠璃集 上』はあっても下はありません。新しいほうの古典文学大系ですから新刊で購入できる本ではあるのですが、ついでだからいっちまえとばかりに古書の下を注文してしまい、なんだか人として道を踏みはずしてしまったような暗い気分になってしまいました。こんなことではいかんのではないか。 それにまた暇さえあれば古本屋さんのサイトをのぞいたり、あるいは現代日本文学大系を購入したらおまけで送られてきた分厚い古書目録を隅から隅までじっくりながめたり、こんなことではほんとにいかんのではないか。私はこんなことをする人間ではなかったはずなのであるが。どうもいかん。人生が好ましくない方向へどんどんどんどん押し流されていってるような気がします。
|
何よこの暑さ。マジ暑い。女子高生がうちわばたばたやりながら唇をとんがらかして天候気象にぶうぶういってる姿がまざまざと眼に浮かんでまいりますが、それでなくても脱線ばかりの毎日、かてて加えてこう暑くっては自分が何をやっているのかいよいよわからなくなってしまいます。そこで整理をしてみますと、問題はもちろん名張まちなか再生プランなのですが、私はこのプランにはいまやいっさい関係がありません。しかしこのような愚劣なプランが二度と策定されることのないように、つまりは名張市の将来のためにいささかを書きつけておきたい。 たしかそんなことをやっておりましたのですが、そこへもってきて掲示板「人外境だより」にプラン関連のご投稿を頂戴したわけでした。そうでしたそうでした。それでそれに対する回答はこの伝言板に記してもよかったのですけれど、あいにくと乱歩文学館関係各位のために乱歩作品における差別表現についてのレクチャーを展開している最中でしたゆえ、とりいそぎ掲示板に投稿して責をばふさぎました次第。ですからここはひとまず関連投稿の保存をば。 7月10日のことでした。
少し前にも名無しさんとおっしゃる名張市民の方からご投稿をいただき、そこにも名張市政への疑問不満不審批判が吐露されておった次第なのですが、これはいったいどういうことか。日本全国どこの自治体にだって行政に対する住民の疑問不満不審批判はかならずや存在していることでしょうから、名張市民のあいだにそれが存在していることじたいは驚くにあたりません。行政当局は聞くべき批判に耳を傾け、不当なそれには反論すればいいだけの話です。問題はどうして私のサイトの掲示板に名張市民のそれが投稿されるのかということです。 いくらご投稿いただいたところで私は行政の所信所見を代弁できる立場にはなく、それどころかもう色男、金と力はなかりけり、恋にくちなん名こそ惜しけれ、わが身ひとつの秋にはあらねど、とにかく何の力もありませんから私が開設している掲示板にご投稿いただいてもそれによって名張市政にかんして何かが明らかになったり問題が解決されたり、そんなことはいっさいないわけなのですが、これは要するにインターネット上には名張市民が市政にかんする疑問不満不審批判を表明できる場がない、しいて探すならば「人外境だより」くらいしか見あたらない、だからしかたなく私の掲示板をご利用いただいているのであると、そういったことなのかもしれません。 たとえばこういう電子掲示板があるにはあります。 しかしこの幼稚さはどうよ。
「バリ高」というのは私が週に一度先生を務めている三重県立名張高等学校の略称なのですが、そうか、わが校の女子生徒のかわいさはインターネットでも大評判か。じつに祝着至極である。とはいえこんなところに名張市政がどうのこうのと書きこもうものなら空気嫁、とかいわれてたちどころに話が終わってしまうにちがいありません。 むろん名張市のオフィシャルサイトにメールを送信して疑問不満不審批判を伝えることも可能なわけなのですが、はたしていったいどの程度のレスポンスがあるものやら。それもどこどこの道路の整備はいつはじまるのでしょうか、みたいなことならばともかくとして、たとえば愛読者さんの「もともとまちなか再生とか市民公益活動うんぬんは誰が言い始めたのですか」みたいな質問に対しては絶対にといっていいほど明確な回答は返ってこないことでしょう。 となると頼りになるのは名張市議会議員の先生方か。名張市オフィシャルサイトに掲載された議員名簿を掲げておきましょう。 このうちウェブサイトを開設して市民の声を受け付けておいでなのは、まずこちらの名張市議会公明党議員団の先生方。 つづきましては日本共産党名張市会議員団の先生方。 それから個人でウェブサイトを開設していらっしゃる先生方。 以上のようなところですので、名張市政にかんするご質問やご相談はこれらのサイトにお寄せになられてもよろしいでしょう。しかしこれらのウェブサイトもレスポンスの早さ的確さがどのようなものか、私にはまったくわかりません。 これは三重県議会の話ですが、三重県が天下に恥をさらした官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」のおり、ご所見をお聞かせいただきたいことがありましたので私は県議会議長をお務めだった先生のオフィシャルサイトにメールを送信いたしました。このサイトです。 しかしずいぶんとひどい先生であったぞ。一連の事業批判を寄稿した地域雑誌「伊賀百筆」第十三号をひもといて確認するならば、私がメールを送ったのは2003年9月24日で、議長先生の返信が届いたのは10月23日。しかもそのメールは県議会事務局から発信されたものであって、文面も明らかに事務局の手になるものでした。さらに始末の悪いことにはこちらの質問にまともに答えてくれてはありませんでしたから、私はばかかこいつらとか思いながら10月24日に再質問のメールを送信したのでしたが、回答はいまだに頂戴できておりません。ばかかあいつら。 名張市議会議員の先生方は三重県議会議員の先生方のようなことはないとは思いますけれど、市政にかんする疑問不満不審批判を名張市議会の先生方のオフィシャルサイトに投じても、もしかしたら無視されてしまうのではあるまいか、たとえば「もともとまちなか再生とか市民公益活動うんぬんは誰が言い始めたのですか」なんて質問にはお答えがいただけないのではないかしら、との懸念を抱いていらっしゃる市民の方も少なくないかもしれません。 その点ブログならレスポンスは確実でしょう。コメントを寄せれば即座に表示されますから、一方的に無視黙殺されることだけはないでしょう。しかしブログを開設していらっしゃる先生はただのひとりも、と考えてみたらいらっしゃいました。6月29日付伝言でもご紹介した元先生ですが、名張市議会議員を辞職して今春の市長選挙にチャレンジされ、残念ながら武運つたなく一敗地にまみれられた元先生のブログがありました。 あのブログならば名張市政をめぐる応酬がびしばし展開されているのではないか。そんな期待を抱きながらコメントを閲覧してみたのですが、そんなことは全然ないようです。やりとりされているのはたとえばこんなコメントであった次第なのですが、まあざっとごらんいただきましょうか。 元先生、大丈夫なのでいらっしゃいましょうか。つまりこのブログに匿名の名張市民がコメントをお寄せになったわけです。いわく、元先生は市長選挙に出馬するため市議会議員をおやめになられたとき、議員の席にはもう一生すわることがないとブログで明言されたではないか、にもかかわらずこの8月に実施される市議会議員選挙に出馬されるのはどういうことか。元先生はそれに対して、今後のことは自分ひとりで決めたのではない、後援会や支持者の意見を集約して出馬を決めたのである、私に意見があるのなら会議に出席して述べてほしかった、会議の日程はブログで公表しているのだし、とお答えになった。匿名の市民は、あなたの一生は後援会や支持者によって決定されているのか、と質問。元先生は、最終的に決めたのは私自身であるが、選挙はひとりでは戦えない、たくさんの人に協力してもらっている、ブログは日記であり、そこには私のそのときどきの気持ちが書いてあるのであるが、あなたには過去の日記を読み返して、あのとき自分はこんなことを考えていたのかと思ったことはないのか、と逆質問。市民は「武士の一言金鉄の如し」との言葉を捧げ、しばらくあなたの言動を注視すると宣言。これにてやりとりはうちどめになったようです。 元先生はちょっとばかり下手を売りすぎていらっしゃるのではないか。これではほんとにまずいのではないか。ひとごとながらお案じ申す。いやまずくてもまずくなくても私にはまったく関係がありませんし、元先生がどんな選挙に出馬されても当方には容喙する気などさらさらなく、また方針を転換するのも全然OK、何の問題もないのであると申しあげたうえでひとこと所見を述べますならば、方針を転換変更したのであればそのよってきたるゆえんを説明するのが筋というものでしょう。かつては市議会議員の席に二度とすわることはないと考え、その旨をこのブログで明言もいたしましたが、これこれこういう考えにいたりましたので前言をひるがえしてふたたび市議会議員をめざすことになりましたと、何よりも先にブログを通じて表明するのが本来ではないか。それをすることなく会議に出て意見を述べよだのたくさんの人に支えられていまの自分があるだのとはぐらかすようなことしかいえないとおっしゃるのであれば、ブログなどさっさとおやめになられてはいかがなものかしら。そんなブログ意味ねーじゃん。 いやいや、どうぞご心配なく。私は何もその元先生のブログに頭突きをかまそうと考えているわけではありません。どうぞほんとにご心配なく。 しかしあれですね名張まちなか再生委員会のみなさん。ここにもみなさんのための生きた教材があります。これこそはご町内感覚となあなあ体質の生きた見本であると私は思います。人のふり見てわがふり直せ。もって他山の石とせよ。 ああ、まーた脱線してしまいました。反省しなければ。
|
脱線しているというのか暴走しているというのかどうでも好きにしろというのかどこからでもかかってこいというのか、何がなんだかよくはわかりませんがとりあえずきのうのつづきです。掲示板「人外境だより」に投稿された愛読者さんのご質問への回答を身柄確保。
掲示板のご投稿には有能な司政官のごとく可及的速やかにお答えするよう努めてはいるのですが、この日は時間がありませんでした。焦っていた証拠に文末の句点が抜けております。
このあたりがじつは落としどころか。落としどころといってしまうのもおかしな話ですけど、「うわっつらのことだけで満足する地域住民が住んでいる地域にうわっつらだけを考えた施設を整備する」というのが現在ただいま名張まちなか再生プランの名のもとに進められている歴史資料館構想、ではなかった初瀬ものがたり交流館とかいう構想の実態なのであり、そんなものは地域社会のアイデンティティの拠りどころにも何もなりゃせんだろうと私には思われるのですが、あえて意味を見いだすとすればまさしく「うわっつらのことだけで満足する地域住民が住んでいる地域にうわっつらだけを考えた施設を整備する」という一点しかないでしょう。
私にはみずからを甘やかす気など全然ないのですけれど、それでもあほらしさをおぼえたり意気阻喪したり投げやりになったり殺伐としてきたりする自分に対して、なにかしら慰藉の言葉でもかけてやりたいような気がしないでもありません。
|
本日はこちらからとなっております。天城一さんから昨日頂戴したおたよりでご教示いただきました。
天城さんのおたよりには今月末に第三集、つまり『天城一の密室犯罪学教程』『島崎警部のアリバイ事件簿』につづく第三集ということですが、それが刊行されるとも記されておりましたので、ファンのみなさんはどうぞお楽しみに。 さるにても、脱線だらけの毎日なれど天城一さんのお名前が出てまいりましたところで一念発起、やはり乱歩文学館のおはなしに突入してみたいと思います。天城さんのことはじつはたいして関係がないのですが、十日ほど前に頂戴したおたよりで天城さんがお住まいの芦屋市もご多分にもれぬ財政難、市立美術館や谷崎記念館も民営化となりにけり、みたいなことをお知らせいただきましたので、これは名張市にも関係のない話ではないであろうと考えました次第。 ちょっと調べてみましたところ、1991年開館の芦屋市立美術博物館は芦屋ミュージアム・マネジメントというNPOに運営の一部が業務委託されており、1988年にオープンした芦屋市谷崎潤一郎記念館は三有という有限会社が運営を手がけているとのことです。 谷崎潤一郎記念館のオフィシャルサイトがこれ。 運営している会社の企業紹介ページがこれなわけですが── どうよこれ。 ──当館お運営している有限会社 三有 についてご紹介致します。 ってのはいったいどうよ。「お運営」とはなにごとよ。まさか「御運営」のことではあるまい。些細なミスにつけこんでいいだけネタをかましておくならば、この「お運営」こそは文字どおりてにをはもまともにあやつれぬような会社が谷崎記念館を運営しておりますと天下に告げるオウンゴールだと知るがよい。たいしたネタでもなかったことを遺憾といたしますが、それにしても大丈夫か。谷崎が天国で泣いとるぞ。ひとごとながらお案じ申す。 つまりバブル景気に浮かれまくって美術館だの文学館だののハコモノをつくってはみたけれど、自治体の財政難がいいだけ深刻化したせいでそれをどんどん民間に丸投げすることしか打つ手がなくなっているこのご時世に、地域社会のお荷物になるしかないであろう乱歩文学館をわざわざ建設しようなんてのはいったいどうよというわけよ。 あすにつづきます。 |
まずお知らせを一件。 昨年11月、名張市で江戸川乱歩生誕地碑の建立五十周年を記念してオリジナル劇「真理試験──江戸川乱歩に捧げる」を上演してくださった東京のミステリ専門劇団フーダニットがこの夏、英作家J・B・プリーストリーの「危険な曲がり角」に挑みます。プリーストリーって誰よ? というしかない私がご紹介申しあげるのも僭越至極な話ではあるのですが、公演の案内状にある作品紹介をお読みいただきましょう。
いかにもイギリスの戯曲らしくシニカルで技巧的、繊細でサスペンスフルなお芝居だそうです。訳と演出は劇団代表の松坂晴恵さん。上演は8月11日から13日まで東京は江戸川区のタワーホール船堀で。料金は三千円。詳細はフーダニットのオフィシャルサイトでどうぞ。 おはなしかわってこちら名張市。乱歩記念館だか乱歩文学館だかの話題に進みます。 名張まちなか再生委員会の手で進められている初瀬ものがたり交流館とかいう施設の構想は、まあいいとしておきましょう。むろん決定過程がいいだけインチキであり、そもそも内容がいっさい秘匿隠蔽されたままなんですからたしかなことは何もいえないのですけれど、構想そのものがいい加減な思いつきにもとづいたものでしかないことは容易に想像がつきます。ひとことでいえばこんなものは税金の無駄づかいであると私には見えるのですが、先日来指摘しておりますとおりうわっつらのことだけで満足する地域住民が住んでいる地域にうわっつらだけを考えた施設を整備することは、うわっつらのことしかわからない人間にとって税金の無駄づかいには映らないかもしれません。 難儀な話ではありますが、それが名張市の現実というものでしょう。しかし初瀬ものがたり交流館とやらはまだいい。むろんよくはないのですけれど、乱歩記念館だか乱歩文学館だかにくらべればまだ罪が軽い。なぜかというと、初瀬ものがたり交流館は名張市民以外からは見向きもされない施設ですから(名張市民のなかにだって見向きもしない人が少なからずいることでしょうが)、ご町内感覚となあなあ体質で凝りかたまっていてもなんとか大丈夫ではあるでしょう。しかし乱歩文学館だか乱歩記念館だかとなればそうはまいらぬ。ご町内感覚となあなあ体質だけで運営してゆくのはまず不可能で、 ──現段階では乱歩に関して外部の人間の話を聴く考えはない。 なんて言葉は通用しなくなります。 たとえば十年近く前、北九州市が松本清張記念館を建設しました。それからしばらくして名張市を訪れてくださった乱歩ファンの方が、 「清張記念館があるのに乱歩記念館がないのは不思議な話ですね。それじゃ本末転倒でしょう。清張よりも乱歩のほうがはるかに偉大な作家なのに」 とおっしゃっていたのを私はよく記憶しているのですが、もしも名張市に乱歩記念館だか乱歩文学館だかが完成したとして、それをごらんになったこの方はいったい何とおっしゃることでしょう。 「清張記念館があんなに立派なのに乱歩記念館はどうしてこんなにしょぼいんですか。名張市は乱歩をばかにしてるんですか」 こんなふうに名張市が叱られてしまうことだって考えられないでもありません。これが外部というものなわけです。名張まちなか再生委員会のみなさんがいくらご町内感覚となあなあ体質に凝りかたまり、価値観の同質性に依拠してありもしない知恵をしぼってみたところで、名張市の外部に確実に乱歩ファンは存在しているわけですから、ろくに乱歩作品を読んだこともない人間がうわっつらだけの乱歩関連施設をつくってみたところで、へたすりゃ名張市という自治体そのものが軽蔑されてしまうことになるのがオチなのではないかしら。 名前が出てきましたので松本清張記念館の話題をいささか。ここ十年ほどのあいだにオープンした文学者の関連施設でもっとも話題を集めたのは、私の知るかぎりではこの松本清張記念館でした。1998年の8月に開館し、これはうろおぼえの数字ですからあまり信を置かないようにしていただきたいのですが、総工費はたしか四十億円といわれていたのではなかったか。とりあえずオフィシャルサイトをごらんください。 私はオープンした年の10月、この松本清張記念館に足を運びました。一度は行っとかないととは思っておりましたし、ちょっとのぞいてきたけどあれは見といたほうがいいよと勧めてくれる人もありましたので、名張市立図書館に北九州市まで出張費が出るかどうかを尋ねてみましたところ、さすが名張市は財政難、そんな予算はありませんとのことでしたからなんだかなあ、何の役にも立ってなさそうな名張市議会の先生だって一人前に視察に行ったり政務調査費をつかったりしてるというのに、天下に冠たるカリスマ嘱託が自腹で出張かよ、とか思いながら身銭を切って行ってまいりました。じつに豪勢壮大な施設でした。 つづきはあしたとなります。
|