2006年8月上旬
1日 名張まちなか再生委員会への長いお別れ 十大ニュース銓衡座談会
2日 どうだ、ギムレットは? 日本ミステリイ
3日 これが落書の手本じゃよ サーカスの怪人
4日 落書の判定が案じられてならぬぞ 人外境への旅券
5日 落書もどきは便所の落書きじゃがしかし 十、数学者の推理力はゼロだ──ポオ
6日 まともに批判を受けてみる 押繪と旅する男
7日 ほら終わったぞ、ばーか DVD化で揺れる人気映画の2次利用
8日 先生とチャンプと私 谷崎潤一郎伝
9日 三重のインチキ、名張のインチキ 江戸川乱歩の資料一堂に
10日 幻影城の最後のチャンス 立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター
 ■ 8月1日(火)
名張まちなか再生委員会への長いお別れ

 葉月8月を迎えました。

 もう8月かよ。光陰矢のごとし。『江戸川乱歩年譜集成』の編纂作業が遅々として進んでいないことに茫然としてしまいます。遅々としている理由のひとつは、『探偵小説四十年』と首っ引きでメモをとる作業にすぐに嫌気がさしてくることです。メモをほっぽり出し、お勉強と称して本を読んでしまう。お勉強ですから『江戸川乱歩年譜集成』に無縁な本は手にすることがないのですが、もともと不勉強だったものですから何を読んでも勉強になってしまう。本を読みながらふとわれに返り、本ばかり読んでてはだめではないかと反省して『探偵小説四十年』に立ち戻る。そのくり返しです。

 安岡章太郎さんの小説に、宿題をしているときは遊びのことばかり考え、遊んでいるときには宿題のことが頭から離れないという劣等生の夏休みを描いた作品がありましたが、なんだかそんな感じの毎日。むろん私には夏休みなんかないのですからできるだけ時間をつくって『探偵小説四十年』に向き合う必要があり、ほんとに本ばかり読んでもいられないわけなんですが。

 去年の7月に出た保坂正康さんの『あの戦争は何だったのか』という本を読みました。新潮新書。小林信彦さんの『昭和のまぼろし』で紹介されておりましたので、それならばと購入してきました。乱歩にとってあの戦争は何だったのか、というのがこのところ気になっていることのひとつで、ですからこれもお勉強の一環ではあるのですが、乱歩にとっての太平洋戦争、みたいなことはもちろんこの本には書かれておりませんでした。

 しかし読みながら、これまで漠然としていたことに明確な輪郭が与えられるといったことはたびたび経験しました。たとえば昭和18年。太平洋戦争史であまり語られることのなかったこの曖昧な年に焦点がしぼられて、当時の状況が浮き彫りにされます。

 ──いったい誰が、どこの機関が戦争方針を決めているのかも、もうわからなくなってきていた。軸がなく、無責任にフラフラ動いているだけのような状態だった。

 そもそも日独伊の三国を比較してみるに、ドイツにはヒトラーのいう「第三帝国の建設」、イタリアにはムッソリーニの「古代ローマへの回帰」といった国家目標があり、そのために戦争という手段が選ばれた。戦争の準備にもそれなりの時間が費やされた。政略もあれば戦略もあった。しかし日本にはそんなものはなかった。イデオロギーも国家目標もなかった。日中戦争しかり、太平洋戦争しかり。軍部が一方的に戦争を始めてしまい、そのあとはただの思いつきによる後追いに終始した。

 どの国とも異なって、まずは軍部が先陣を切って戦争という既成事実をつくりあげ、さてそれから戦争目的があたふたと考えられ、国民にはとにかく戦争に協力しろ、勝たなければこの国は滅ぼされると強権的に押さえつけることのみで戦われたのだ。昭和十八年はこうして始まった戦争を“とりつくろおう”とした年というべきだった。聖戦遂行という語がよく用いられたが、聖戦の意味もわからずにやみくもに戦争が続けられている状態でもあった。

 戦争だけではないだろう、という気がします。こんなことはいまでも普通に行われているように思えます。まず既成事実があり、それから目的が考えられ、あとはそれへの協力がさすがに強権的にではないけれど求められる。身近なところで例をあげれば、たとえば三重県の官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」がまさにそんな感じでした。そもそも理念も目的も何もなく、伊賀地域に税金をばらまくという既定の方針だけがあって、あとはもう無茶苦茶。まさに泥沼のような状態で血税三億円がどぶに捨てられてしまうのを私は眼にしました。そしていまからふり返りますに、あれは一種のファッショででもあったのか。

 さらに近い例となれば、やはり名張まちなか再生プランでしょうか。さきほど引いた文章の字句を差し替えて、

 ──いったい誰が、どこの機関が名張まちなか再生プランを決めているのかも、もうわからなくなってきていた。軸がなく、無責任にフラフラ動いているだけのような状態だった。

 といったところが現況ではないのか。ふらふらと無責任なことばっかやってんじゃねーぞばか。昭和18年が太平洋戦争をとりつくろう年であったとすれば、2006年は名張まちなか再生プランをとりつくろう年であるのかもしれず、そういえば「広報なばり」のこのページは、はっきりいって単なるとりつくろいであるとしか私には見えない。

 だいたい何をとりつくろえばいいのか、関係者にはそれさえわからなくなっているのではないかと私には思われる次第なのですが、さて名張まちなか再生委員会のみなさん。いやいや、そんなに身がまえていただかなくても結構です。本日は軽く別れのご挨拶。

 私は7月23日付伝言に、

 ──ばーか。そんな魂胆しかない連中に何ができるか。記念館だか文学館だか知らんけれど、そんな構想はとっととシュレッダーにかけてしまえと私は思っているのであり、おまえらとはもう縁もゆかりもないおれではあるが、これが武士の情けというやつさ、おまえらの手ではどうにも収拾がつかなくなったインチキプラン、おれが悪者とか嫌われ者とか憎まれ者とかになってきれいに水に流してやろうといっておるのだ。おまえらがプランを公開すればおれがいいように引導を渡してやろうといっておるのだ。こんなありがたい話はないではないか。

 と記しましたが、奇しくも同じ日に発行された「広報なばり」の「名張のまちなか再生は進んでいるのか?」を見るかぎり、公開できるだけのプランはいまだまとまっていないようです。私のいうプランとはもちろん、名張まちなか再生委員会がつくろうとしている乱歩なんとか館がどの程度の規模で誰によって運営されどんなものを展示していかなる企画を展開してゆくのか、みたいなもろもろを指しているわけなのですが、今年度にようよう基本計画を策定するというのですから、とてもそんな細部が決定されているとは思えません。プランに応じていいように引導を渡してやりたくても、残念ながら現時点では不可能であるみたいです。ま、好きになさい。

 いっぽうの初瀬ものがたりかんとか館だって妙な話で、名張市オフィシャルサイトのこのページには──

 こんなことが書かれてるわけです。

 ──旧細川邸を改修して「(仮称)初瀬ものがたり交流館」を整備します。旧家の風情を生かした魅力的な交流拠点として、企画展示・イベントなどを催し、多くの人に来館いただけるような施設づくりを目指します。

 いまごろになってまだこんなことをいってるということは、こっちのほうもディテールはほとんど白紙の状態といっていいのかもしれません。それにしては今年度中に改修工事が進められるとのことですから、一般市民としてはどうしてそんなに焦っているのかなとの疑念を抱かざるをえないのですが、市民の眼の届かないところで私利私欲がからんだあれこれがいろいろとあるのかもしれません。それにしても閉鎖性と排他性を全開にしたみなさんがよりにもよって交流のための施設をおつくりになるというのですから、これは痛烈な自虐ギャグ。ざぶとん一枚さしあげたいくらいなところなのですが、結局のところはご町内感覚となあなあ体質をぐつぐつと煮詰めたような交流の場になってしまうことでしょう。ま、私の知ったことではない。

 とにかくそういった次第で、

 ──好きになさい。

 ──私の知ったことではない。

 これを名張まちなか再生委員会のみなさんへのお別れの言葉にしたいと思います。それではみなさんさようなら。乱歩なんとか館とか初瀬ものがたりかんとか館とか、いったいどんな施設が完成するのか楽しみにしておきましょう。

 いやいけない。ひとつ忘れておった。あの落書もどきにも決着をつけなければならない。私はいまそれを思い出した。女が帰っていったあと、枕のうえに真っ黒な長い髪が一本残っているのを見つけたときのような気分だ。腹の底に鉛のかたまりをのみこんだような。

 こんなとき、フランス語にはいい言葉がある。フランス人はどんなことにもうまい言葉を持っていて、その言葉はいつも正しかった。

 さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ。

 渋ッ。やっぱかっけーですねチャンドラーは。よく考えてみるとおかしな日本語だという気はいたしますけれど、わずかのあいだ死ぬことだ。やっぱかっけー。むろんのこと名張まちなか再生委員会のみなさんにおかれましては、そんなわずかのあいだなんてしみったれたこといってないで当分ころっと死んでてもらったほうが名張市のためになるのではないかと思われるのですが、そんなわけには行かんのでしょうなあ。

  本日のアップデート

 ▼1965年12月

 十大ニュース詮衡座談会 東京支部委員会

 昭和40年7月28日、乱歩逝去。それを受けて「SRマンスリー」8月号に掲載された座談会は7月13日付伝言で引きましたから、本日は12月号の座談会をどうぞ。

 まず12月号巻頭に掲げられた十大ニュースを見ておきます。

一九六五年十大ニュース発表
江戸川乱歩 死去
ブーム 去る
旧作の リバイバル多し
宝石遂に復刊ならず 呆石あるのみ
007号ボンド 水陸空に大活躍
スパイ小説大盛況 諜報部員の暗躍しきり
EQMM 表紙を替えてHMMとなる
乱歩賞─「天使の傷痕」 協会賞─「華麗な〔る〕醜聞」
EQコンテストに二人目の入選者出る
SF 知名度高まる

番外
捕物帳復活の気配 親分衆勢揃い
異色短篇シリーズやつと完結

 そういえば、乱歩の死はスパイ小説のブームと重なり合うものでもありました。映画「007は殺しの番号」に端を発したブームはやがてテレビにも飛び火し、都筑道夫原作であったとあとで知った「スパイキャッチャーJ3」なんてのは、いとけない少年であった私も毎週かかさず見てました。J3の愛車であったコルベットスティングレイは格納式のヘッドライトが印象深く、それに空まで飛んだのですからたいしたものでした。

 いやいや、そんなことはともかく、ニュースを選んだ委員会による座談会から引きましょう。

─ 一九六五年も終りになりましたが今年一年のミステリー界をふり返つて十大ニユースをあげるとどうかな。

─ まず「江戸川乱歩の死去」を筆頭にあげなければならないね。説明不要だけどひとつだけ紹介しておきたい話がある。ある人が──乱歩に心酔してガツクリ来ていた人だが──友達に会つた時に乱歩はうまくやつたなあ !! といわれたそうだ。その時自分も潜在意識ではそう思つていたの〔に〕気づいたというんだが。

─ いわれてみればそんな気もするね。

─ フレミングというのはその点うまくゆきすぎてるね。人気絶頂でいかれて早川や創元はくやし涙だろうが。

─ 大下宇陀児だつたかが文芸春秋に死の前後を書いていたけど悲壮というしかなかつたな。結局は鼻の手術がもとだつたらしい。

─ 全集が一冊八十円で神田のゾツキに出てるけどこれは買い物かしら。

─ 出来たならSRの弔意を代表して全部買い占めてあげなさいよ、これ以上値の出ることはないけれど。

─ 森下雨村も四国で死んだね。

─ 東京支部の長老杉浦さんのなくなつたのも今年だ。床柱の前が似合う人だつたが。

─ どうも初めからなくなつた人の話ばかりだな、誰れか生まれた人はいないの(笑)

 ──乱歩はうまくやつたなあ !!

 というのはじつに興味深い言葉です。いうまでもなく手放しの賞讃ではありません。うまく立ちまわって成功を収めた人間に対する遠慮がちな揶揄、みたいなものも含まれているように見えます。タクティシャン乱歩に対する同時代の眼、といったものが感じられる言葉ではないでしょうか。


 ■ 8月2日(水)
どうだ、ギムレットは?

 まず先生関連の続報から。本日付読売新聞の記事です。

釈放の田中県議「不徳の致すところ」
神妙にコメント読み上げる

 「私の不徳の致すところです」。傷害罪で略式起訴された前県議会議長の田中覚県議(48)は1日正午過ぎに釈放され、報道陣に対し、神妙な面持ちで用意したコメントを読み上げた。田中県議は周囲に辞職の意向を漏らしているものの、この日、進退問題については明言を避けた。今後、支持者らと協議し、最終的に決断するとみられている。

 津区検から黒色のスーツ姿で出てきた田中県議はやや緊張した表情で、「人生を見つめ直し、熟慮を重ねたい。もう少し落ち着いたら改めて伝えたい」とメモを読み上げた。

 この後、弁護士が「昨日、被害者や店側と示談が成立した」と説明し、1分ほどで会見を一方的に打ち切った。報道陣からは「辞職するのか」などの質問が飛び交ったが、田中県議は何も答えなかった。

 ようわかりません。わずか一分ほどだったというきのうの会見では、逮捕前の緊急会見でどうしてあんなばればれの大嘘をついたのか、そのあたりのことはいっさい説明されなかったみたいです。

 お次は本日付中日新聞。

11日ぶり釈放、殊勝に反省 田中県議、進退は「熟慮重ね」
◇11日に臨時議会

 田中覚県議の傷害事件を受け、県議会が野呂昭彦知事に招集を請求していた臨時議会が十一日に開かれることが決まった。

 第二会派「自民・無所属・公明議員団」は田中県議が辞職願を提出しなかった場合、辞職勧告決議案を提出する見込み。これに対し「新政みえ」の三谷哲央代表は「本人の話を聞いた上で対応を決めたい」と話している。

 臨時議会では、政治倫理を確立するための条例制定を検討する特別委員会の設置と委員選出も議題になる。

 こちらは相変わらず笑わせてくれます。今回の一件には政治倫理なんて何の関係もありません。これはあくまでも人としての常識や良識の問題なのであって、こんなところに政治倫理なんて言葉をもちだしてかっこつけようとする三重県議会って、ばか? ははは。ばーか。

 さてこの一件、これにてつつがなく落着となるのかどうか。2ちゃんねるに眼を転じましょう。

 このスレッドではメディアによる報道が額面どおり受け容れられているようです。たとえばこんな感じ。

91 :オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!:2006/08/01(火) 14:43:33 0

なんでこう、どうせバレるのに嘘つくのかねぇ・・・。


93 :オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!:2006/08/01(火) 15:07:51 0

>>91
前議長としての威厳を利用して名声を守ろうとした。
そしたら結局は糞議員というレッテルが貼られることになった。

 ならばこちらのスレッドは──

 案の定、いわゆる別件のこともちらっと取り沙汰されているようです。経緯の不自然さからすれば何かしら裏があるのではないかと勘ぐりたくなるのが普通でしょうが、実際のところはどうであるのか。三重県政の闇が(むろんそんな闇があると仮定しての話ですけれど)白日のもとにさらされる日は来るのでしょうか。三重県議会が県政の闇(そんなものがあるとしての話ですが)を念頭において政治倫理を確立しようとしているのであれば、それはそれで首肯できない話ではないのですが。

 なんてこといってる場合か。同じスレッドになぜか登場してしまった私の話題に移りましょう。名張まちなか再生委員会のみなさんへの長いお別れの前に、ひとことご挨拶申しあげておかなければなりません。じつはこのご挨拶、ひさびさにハードボイルドタッチでかまそうかと考えないでもなかったのですが、なんだかあほらしさが先に立つゆえ、ていうか私にはもうハードボイルドだどみたいな元気はないようで、普通に流すことにいたします。

 それは元気もなくなるじゃろう。昨年の1月、名張市が名張まちなか再生プランの素案を発表したころには、わしもまだ元気じゃった。プランに眼を通してそのインチキぶりにわが眼を疑い、「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」歴史資料館を整備するなどと記されておったものじゃから、それに乱歩に関連して活用してくれと所有者の方から名張市にご寄贈をいただいた桝田医院第二病棟のことがどこにも書かれておらなんだものじゃから、これはわしの出番じゃと考えて名張市にパブリックコメントを提出したのが3月のことじゃった。

 6月に名張まちなか再生委員会が結成されて、ぷッ、この人たちではだめじゃろうとわしは思うた。いやいや、だめというのであれぱプランをまとめた名張地区既成市街地再生計画策定委員会がそもそもだめであったのじゃが、そっちのほうはすでに解散しておった。お役所というところは責任の所在を曖昧にするのが仕事なのでな、そのあたりには抜かりはない。そこでわしは名張まちなか再生委員会にいろいろと働きかけたのじゃが、連中はいっさい応えようとはせなんだのじゃ。そのいっぽうで、どんどんどんどんインチキをかましてきよった。プランにあった歴史資料館構想はリフォーム詐欺と呼ぶしかないようなものであったのじゃが、それがいつのまにか初瀬ものがたり交流館とやらになってしまい、プランにはなかった乱歩文学館とやらも勝手に俎上に載せられる始末じゃった。

 インチキには勝てぬ。わしはそう思い知った。いや、思い知らされたというべきじゃろう。わしはインチキなどしておらん。あくまでもルールを遵守し、踏むべき手続きもすべて踏んだつもりじゃ。パブリックコメントでみずからの考えを明らかにし、名張まちなか再生委員会の事務局へも足を運んだ。しかし、いくらプランの不備を指摘し委員会の非道を批判しても、結局は何がどうなるというものでもなかったのじゃ。どだい、連中には原理原則などなかったのじゃからな。それでは勝てぬ。逆立ちしても勝てぬ。税金の具体的なつかいみちを決める手順に原理も原則もない。そんなばかな話があるかとわしは思うのじゃが、それが現実というやつなのじゃよ。とにかくわしはもうあほらしくなった。ハードボイルドタッチなどは夢のまた夢。ギムレットには遅すぎるのじゃ。

 そんなこんなでハードボイルドなんかより、ここはむしろ年寄りの昔語りのほうが語り口として向いているのかもしれません。なーんか「果しなき流れの果に」の終幕を思い出したりしてしまいますけど。あすにつづきます。

  本日のアップデート

 ▼1966年10月

 日本ミステリイ

 SRの会の CD-ROM『SR Archives Vol.2』にもとづいて発掘してきたぼくのわたしの乱歩文献、いよいよ本日で最後となります。

 乱歩逝去の翌年、めでたく百号を迎えることになった「SRマンスリー」はそれを記念して「内外ミステリイ百選」を企画しました。11月号に「上」、12月号に「下」が掲載されたのですが、『SR Archives Vol.2』で読むことができるのは11月の百号までですから、二号にわたるアニバーサリー企画はばっさり泣き別れの状態です。

 9・10月号に掲載された候補作リストから引きましょう。戦前の国内作品は次のとおり。

大正年代
闇に蠢く 江戸川乱歩

昭和初年代
疑問の黒枠 小酒井不木
支倉事件 甲賀三郎
パノラマ島奇譚 江戸川乱歩
蛭川博士 大下宇陀児
幽霊犯人 甲賀三郎
孤島の鬼 江戸川乱歩
殺人鬼 浜尾四郎
黄金仮面 江戸川乱歩
鉄鎖殺人事件 浜尾四郎
姿なき怪盗 甲賀三郎
黒死館殺人事件 小栗虫太郎

昭和十年代
ドグラ・マグラ 夢野久作
死頭蛾の恐怖 甲賀三郎
人生の阿呆 木々高太郎
船富家の惨劇 蒼井雄
小笛事件 山本禾太郎
深夜の市長 海野十三
金狼 久生十蘭
真珠郎 横溝正史
鉄の舌 大下宇陀児
折戸 木々高太郎
瀬戸内海の惨劇 蒼井雄
亜細亜の鬼 大下宇陀児
地球の屋根 大下宇陀児
偉大なる夢 江戸川乱歩

 お、「闇に蠢く」が候補作。さすがSRは眼が高いではないか、とは思いますものの、いくらなんでも「偉大なる夢」はなあ、とかも思いつつ、11月号に発表された「国内長編ミステリイ百選」から戦前作品のリストもついでに。

昭和初年代
支倉事件
パノラマ島奇譚
蛭川博士
孤島の鬼
殺人鬼
黄金仮面
姿なき怪盗
黒死館殺人事件

昭和十年代
ドグラ・マグラ
人生の阿呆
船富家の惨劇
深夜の市長
折戸

 つづく12月号に「全作品解題と史的展望」を含む「内外ミステリイ百選(下)」が掲載されており、時期は不明ながらできるだけ早く発行するべく編集が進められているという『SR Archives Vol.3』で読むことができるようになります。刮目してお待ちください。

 ミステリファンなら必読必携の『SR Archives Vol.1』と『SR Archives Vol.2』、あなたも座右にぜひ二枚。くわしくは「番犬情報」でどうぞ。


 ■ 8月3日(木)
これが落書の手本じゃよ

 わしもこの年になるまで、インチキならばいやというほど眼にしてきた。それはそうであろう。世の中はインチキでできておる。いまさらインチキなどに驚きはせぬが、しかしインチキもずいぶんと様変わりしたようじゃな。昔はインチキというものは恥ずかしいものであった。隠れてこそこそとやるものじゃった。それがどうやらそうではなくなったらしい。きのうの夜、ボクシングのWBAライトフライ級王座決定戦をテレビで観戦して、わしにはそれがようわかった。これが風潮というやつじゃろう。どんな卑劣なインチキをかましても勝てばよい。そんな風潮がひろまってしもうたのじゃ。それが当たり前の世の中になってしもうた。名張市まちなか再生プランとておんなじことじゃが……

 と話を進める前に、われながらしつこいなとは思うのですが、きのうの朝にはまだアップロードされてなくてネット上で読むことができなかった新聞記事をひろっておきます。むろん先生関連。

 まずは伊勢新聞オフィシャルサイトから、8月1日付もおまけにつけて2日付三連発。

田中県議を略式起訴へ 津地検、きょう処分
 津市内の飲食店で女性店長にけがを負わせたとして、傷害と暴行の疑いで逮捕、送検された前県議会議長の県議田中覚容疑者(48)=伊賀市ゆめが丘二丁目=について、津地検は三十一日、略式起訴する方針を固めたもようだ。田中容疑者の拘置期限を迎える八月一日、津区検が津簡裁に略式命令を求める。

田中県議に罰金50万円 傷害で略式命令 津簡裁
 同二十一日の逮捕直前、県庁で記者会見を開き「つまようじ一本にも触れていない。全くのうそだと思う」と、店長が出した被害届の内容を完全否定。逮捕されると、容疑を否認しながらも「思い出してみる」とあいまいな供述へと変わり、送検後の本格的な調べで容疑を認めていた。

「ごう慢さ、かま首もたげた」釈放の田中県議 反省と謝罪の弁
 「ごう慢さがかま首をもたげていたように思います」−。津市内の料理店で女性店長にけがを負わせ、傷害罪で津簡裁から罰金五十万円の略式命令を受けた前県議会議長の田中覚県議。釈放後、津地検前で記者団の取材に応じ、用意した反省の弁を読み上げた。

進退が焦点に 表立ってかばう声なし 田中覚県議罰金刑
 田中覚県議が一日、津区検に略式起訴され、津簡裁で罰金五十万円の略式命令が出されたのを受け、推移を注視していた県議会は、同県議の進退に焦点が移った。同県議は「熟慮したい」と態度は保留。一方で、自民・無所属・公明議員団は十一日の臨時会までに辞職しなかった場合、議員辞職勧告決議を出す構え。これに対し同県議が逮捕前まで代表を務めていた新政みえは、自民が決議を出す前に、本人自ら辞職してほしい意向。いずれも来年四月の県議選を控え、厳しい姿勢を示さないと、県民から反発を受けるとの恐れを懸念する議会として、「議員辞職」の包囲網が広がっている。

 先月二十一日の同県議逮捕当初、急転直下の事態に、「交通違反でも略式起訴。議員辞職は厳し過ぎる」との声は議会の中でも少なからずあった。しかし、表立って同県議をかばう声は、もうない。

 かばう声なし、というのだからひどい話だと私などは思います。とくに最後の記事には、

 ──「県議選への影響が一番大きい」と自民県議。同県議の不祥事を、議会運営だけでなく、県議選での反転攻勢に使いたい自民・無所属・公明議員団は、単独でも議員辞職勧告決議案を出すことで、会派のアピールをしたい考え。

 ともあり、自民・無所属・公明議員団のなかには議員辞職勧告決議について「むしろ新政みえは応じてくれなかった方がいい。単独で出した方が選挙に有利だ。ばんばんあっちを攻撃できる」と話す先生もいらっしゃるそうですから、これはもう政治にはまったく関係のない同僚議員のトラブルを政治利用、いやこの場合は選挙利用か、とにかく嬉々として利用しにかかるというじつにあさましくも見苦しい話なのであって、そこまでして選挙に勝ちたいのかという気になってしまいますけど、そこまでしてでも勝たねばならぬのが選挙というものなのでしょう。好きなだけインチキかまして勝ち組とやらになってろばか。ははは。ばーか。

 つづきまして毎日新聞と朝日新聞です。

田中・三重県議の暴行傷害:罰金50万円 議会に落胆と怒り /三重
 ◇「辞めるべきだ」の声も 進退明言せず「熟慮を」

 前県議会議長の傷害事件で罰金刑が決まり、県や県議会、地元支持者らの間に落胆と怒りが広がった。前県議会議長、田中覚容疑者(48)=伊賀市ゆめが丘=が1日、傷害罪で津簡裁に略式起訴された。同簡裁から罰金50万円の略式命令を受け、同県議は罰金を納付。同県議は釈放後、進退について明言せず、一部の県議から「辞めるべきだ」との声が上がっている。【田中功一、小槌大介、山口知】

 起訴状によると、同県議は7月2日夜、市内の飲食店で女性店長(60)に椅子を投げつけ、全治2週間のけがを負わせた。起訴事実を認めて反省し、被害者との間で示談が成立したため、略式起訴になった。同県議は逮捕直前の記者会見で暴行を否定したが、調べに対し「店で最初に応対した20代の女性店員には暴行していないという意味だった」と釈明したという。

 「店で最初に応対した20代の女性店員には暴行していないという意味だった」ってのは、釈明としていかにも苦しい感じがいたします。

田中覚県議 略式命令
 田中県議に投票してきたという同市の男性会社員(45)は「一日も早く本人が市民の前で真相を明らかにしてほしい。来年の県議選に出るかどうかは、それからの話だ」と話した。

 地元の正直な声はこのあたりでしょう。つまり真相はいまだ藪の中、不自然な点が少なくないからぜひ先生の口からほんとのところを聞かせてほしい。それがごく一般的な反応ではないかと思われます。私といたしましては、選挙区住民のみなさんにおかれましては先生の話も聞かず頭から叱り飛ばすようなことだけはしない襟度を持していただきたいものだと思いますが、ま、よそもののいうことです。

 それでは本題に移りましょう。

 このスレッドに投稿されていたレス番号192──

192 :オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!:2006/07/27(木) 16:51:42 0

名無しのオプ:2006/07/19(水) 17:19:44 ID:tg2SNjtM
此比名張に流行るもの、高卒嘱託、自己破産。
飯の種だよ虚騒動、生頸切られて自由契約。
俄かカリスマ、虚け者。
安堵恩賞欲しさ故、本領離れて識者面。
追従讒人繰り返し、下克上する成出者。
昇給辞令の沙汰もなく、集う人なきHP。
キモいジャケット、色眼鏡、
持ても慣らわぬ教鞭持って
代理講師とは珍しや、賢者の顔する授業とは
我も我もと自己宣伝、巧なりける詐は。
愚かなるかな、劣るかなと、田舎政治を吊るし上げ
口髭グラサン歪めつつ、気色めきたる田舎者。
黄昏時になりぬれば、浮かれて歩く色好み。
目糞、鼻糞を笑う如く、役所を莫迦と名指しする。
(中略)
小西大熊こき混せて、一座揃えど似非識者。
在々所々の乱歩通、疎遠にならぬ人そなき
常識礼儀の分別なく、自由狼藉の人外なり。
(後略)

 そろそろこの話題にまいろうかの。落書の本義真髄、一手指南して進ぜよう。年寄りは暇じゃから、ぼちぼち一行ずつまいるとするか。

此比名張に流行るもの、高卒嘱託、自己破産。

 二条河原落書をもどいた苦労は買うてやろう。しかしいかんせん、パロディというものがどういうものか、ようわかってはおらぬようじゃな。まだまだ青いわ。ただ語呂を合わせればいいというものではないのじゃ。リアリティが必要なのじゃ。いまの名張市で高卒嘱託や自己破産が流行しておるのかな。そんなわけはあるまい。誇張はいいが、虚偽はいかん。読んだ人間はうそとわかればすーっと引いてしまう。そんなことでは人の心に届く落書は書けぬわ。

 落書の書き出しとしては、やはり名張市の現況に即したことを記さねばならぬ。たとえばこんなぐあいじゃよ。

 ──このごろ名張にはやるもの、インチキ、まちなか、へぼプラン。

 どうじゃ。面白くなったじゃろう。むろん即時性や時事性も大きなポイントじゃから、これが去年のいまごろであれば、さしずめこんな感じじゃろうて。

 ──このごろ名張にはやるもの、からくり、エジプト、細川邸。

 いまの名張市、諷刺する対象ならいくらでも転がっておるのじゃ。

 といったようなところで、つづきはあしたとしようかの。

  本日のアップデート

 ▼2005年2月

 サーカスの怪人 江戸川乱歩

 ポプラ社の「文庫版少年探偵・江戸川乱歩」も数えて第十五巻。このあたりになるといったいどんなおはなしであったのか、記憶していらっしゃる乱歩ファンも少ないのではないかと思われます。

 ただしこの作品は、北村想さんの小説「怪人二十面相・伝」が世に出たことによって、作中のある一点が乱歩ファンに強い印象を残すことになりました。そのあたりのことを巻末解説から。

解説 人間消失の不思議 戸川安宣
 そして読者にとっていちばんのおどろきは、この作品の後半で二十面相の正体が明らかにされることでしょう。

 これまで、ほんとうはどういう顔をしているのかさえはっきりしない二十面相に、遠藤平吉という本名があり、しかもサーカスの曲芸師だった、という前歴があったのですから、びっくりせずにはいられません。


 ■ 8月4日(金)
落書の判定が案じられてならぬぞ

 凄まじいものじゃ。WBAライトフライ級王座決定戦から一夜あけたきのうは、マスメディアにおいてもインターネットにおいても判定への疑問批判が爆発状態を呈しておった。旧上野市選出の三重県議会議員のトラブルとおなじで、ふだんの行い心がけがよろしくない人間は何かことが起きると四方八方からぼこぼこにされてしまうということじゃろう。わしも気をつけねばなるまいて。

 インチキが堂々とまかり通る世の中になってしもうたとはいえ、いや、そういう世の中になってしもうたからこそいっそう、人はジャスティスとフェアネスが厳然として存在する世界がどこかにあるのだということを信じたいのであろうの。正当な手続きを踏まずに世界チャンピオンの座に挑戦した人間が、結果としてベルトを手にしたとはいえ、それにいたるプロセスのインチキぶりをかくも手厳しく批判されておるということは、世の中がまだ多少なりともまともであることの証左なのかもしれぬ。

 プロスポーツの世界においてすらこうなのであるから、税金の具体的なつかいみちを決めてゆく手順にインチキがあってはならぬというのは、どんな時代であっても当たり前のことじゃ。手続きやルールを無視することのないジャスティスとフェアネスが求められるということじゃよ。

 おっと、とんだ余談になったようじゃの。老いのくりごと、気にされるな。

 さて、きのうのつづきにまいろうか。

飯の種だよ虚騒動、生頸切られて自由契約。

 さっそく躓いておるようじゃな。素人にはありがちな失敗じゃ。元ネタにひっぱられておるのよ。二条河原落書の原文は「召人 早馬 虚騒動 生頸 還俗 自由出家」というものじゃが、うわっつらをとりつくろうことでいっぱいいっぱい(それも「召人」の「めし」が「飯の種」の「めし」と来てはのう)、中味の平仄が合わなくなって何も伝わらぬ内容となっておる。うわっつらだけが飾られて中味がまったくともなわぬあたり、なにやら名張まちなか再生プランを思わせぬでもない。

 つづく行も同断であろう。元ネタは「俄大名 迷者」とあるところ──

俄かカリスマ、虚け者。

 つづいて「安堵 恩賞 虚軍 本領ハナルヽ訴訟人」とあるところ──

安堵恩賞欲しさ故、本領離れて識者面。

 早くも息が切れてきたようじゃが、よくもちこたえたというべきか。普通の人間であれば面白くもなんともないということに気がついてこのあたりで投げ出しているところじゃろうが、愛でるべきことに努力家である。まだつづくのじゃ。元ネタの「文書入タル細葛」はもどきようがなかったのであろ、軽く飛ばしてそのあとの「追従 讒人 禅律僧 下克上スル成出者」は──

追従讒人繰り返し、下克上する成出者。

 とんと面白くないうえに意味も不明であるということをのぞけば、努力賞くらいには値する内容かもしれぬ。しかし元ネタから逸脱してしまうのはパロディにおいて致命的なことなのじゃ。元ネタを終始踏襲してこそのパロディなのじゃ。パロディにおける努力賞などには何の意味もない。パロディがめざすべきはやはり象印賞なのじゃよ。象印賞がいったいどんな賞なのか、ご存じない向きも多いかもしれぬが、すまぬのう、老いのくりごとじゃ。

 そういえばよほど腹が立ったものか、社説にとりあげた新聞もあったな。なに、WBAライトフライ級王座決定戦の話じゃよ。年寄りの話は予告もなしに前後するものじゃから、その点はご了解願いたい。きょうの中日新聞の社説にはこうあったな。

競技の命を忘れるな
 何より心配なのは、この試合だけでなく、競技全体への信頼や人気に影響が出ることだ。多くのファンが疑問を抱いてしまったとすれば、せっかく盛り上がったボクシング全体の人気が陰りかねない。それどころか、スポーツ全体のイメージが失墜する心配すらあるのではないか。

 わしには案じられてならぬぞ。この社説の一文が、

 ──何より心配なのは、この名張まちなか再生プランだけでなく、名張市全体への信頼や人気に影響が出ることだ。

 とわしには読めてしまうからじゃ。関係各位はこのあたりのことをよく肝に銘じてもらいたいものじゃ。もっとも、もう手遅れであるのかもしれぬ。卑劣陰湿な落書もどきに興じる市民の存在がネット上で明らかになってしもうた以上、それを眼にした人間は名張市そのものに対してもいい判定はくだしてくれぬことじゃろう。さても困ったものよ。

  本日のアップデート

 ▼2006年7月

 人外境への旅券 朝宮運河

 本日はある方からメールでお知らせをいただいた一篇。当地の書店にはとてもならばない「トーキングヘッズ叢書」の第二十七号に掲載されました。特集は「奴隷の詩学 マゾヒズムからメイド喫茶まで」。沼正三さんのインタビューをはじめとしてなかなかの充実ぶりを見せております。

 なかで「江戸川乱歩における猿轡とロープの幻想」とのサブタイトルを附されたこの一篇は、特集に即した「猿轡とロープ」というモチーフから語りはじめてみるみる乱歩文学の本質に迫ってゆく力作。乱歩と「家畜人ヤプー」の作者との差異を検証する結びも気が利いております。

 出たばかりの出版物からながながと引用するのは慎むべきことでしょうから、あちらこちらご免をこうむりまして一段落だけどうぞ。

 乱歩が好んで描き続けたこれら「人外」たちは、おしなべて乱歩自身による人間界からの脱出願望、絶望的な逃亡の試みに他ならなかった。戦前戦後の探偵小説を俯瞰してみるなら、なるほど小栗虫太郎を筆頭に、橘外男、海野十三、香山滋とそれこそ奇々怪々なる夢想を紡いだ作家は他にもあった。だが、人間として生まれてしまったことへの身を灼かれるような後悔の念を終生抱き続けた作家は、間違いなく江戸川乱歩ただ一人であったと断言できる。

 かくなるうえは本格的な谷崎論も欲しかったな、と思ってしまうのは望蜀の嘆か。ともあれ全文は「トーキングヘッズ叢書」をお買い求めのうえご精読ください。詳細はアトリエサードオフィシャルサイトのこのページでどうぞ。


 ■ 8月5日(土)
落書もどきは便所の落書きじゃがしかし

 暑い。暑いのう。年寄りにはまことこたえるきのうの暑さであった。CNNの伝えるところによれば、アメリカは熱波、南アフリカは寒波、中国は台風に見舞われておるそうな。北朝鮮は韓国の援助を受け容れることに決めたそうじゃが、これも先月の豪雨と洪水の被害がいかに甚大であったかを示すものじゃろう。どうやら地球全体の気象が音を立てておかしくなりはじめておるようじゃが、いたしかたあるまい。諸行無常、適者生存。地球がいつまでも人類の生存に適した環境を維持しつづけるという保証などどこにもないのじゃ。地球環境を守ろうなどと思いあがったことを口走るばかが増えてきたゆえ、地球のやつがわしはおまえらのために存在しておるのではないと少しばかりへそを曲げておるのかもしれん。

 さて、きのうのつづきじゃ。暑さのせいもあっていささか倦んではおるのじゃが、努力家の汗には報いてやらねばなるまい。さっそくまいろう。

 元ネタの「器用ノ堪否沙汰モナク モルル人ナキ決断所」はこのように書き替えられておる。

昇給辞令の沙汰もなく、集う人なきHP。

 パロディとしての巧拙にはきのう結論を出しておいたによって、きょうは多少ちがった観点から、すなわちこの落書によって非難された人間であるわしがいかばかりのダメージをこうむったのかという観点から、簡単に指南しておくとしようかの。

 まず「昇給辞令の沙汰もなく」じゃが、これはわしには痛くも痒くもない。わしにかかわる昇給辞令の沙汰で恥をかくのは、どう考えても名張市じゃろう。わしのように有能な人材がきわめて不安定なポジションに据え置かれ、はたして『江戸川乱歩年譜集成』をちゃんと刊行できるのかどうかすら危ぶまれる状態であるというのが現状じゃ。そしてそのいっぽうで、どれほどできの悪い職員でも正職員であれば一人前に手厚く面倒を見てやらねばならぬのがお役所というところなのじゃ。これぞ知のバリアフリー、いやむしろ痴のバリアフリーと称するべきか。

 臨時職員やわしのような立場の人間を一貫して非人間的に扱うのは、現在の自治体行政においてむしろ常態であるといってよかろう。日本全国どこの自治体でも事情は似たようなものじゃろう。しかしこれは行政サービスの質にかかわる問題なのじゃ。「将来の保障のない労働をしている人に、使命感ややる気を求めることは最初から無理である」(前川恒雄・石井敦『新版 図書館の発見』NHKブックス)というしかない事態なのじゃ。行政が民間業者に業務を丸投げし、その業者がまた下請けに丸投げする。それがときとしてどういった結果を招くのかということは、先月31日に埼玉県ふじみ野市の市営プールで起きたいたましい事故を見れば一目瞭然じゃろう。 

 余談に走ってしもうた。「集う人なきHP」にまいろうか。残念ながらこれも効き目はゼロじゃ。つどわなければ何もできぬ人間、衆を恃み群れをなさなければ何ごともなしえない人間には、人の寄らぬことはさぞや一大事であろう。それを指摘されることは弁慶の泣きどころを蹴られるようなことであろう。しかしわしには馬耳東風じゃ。わしのこのサイトは名張市立図書館が発行した江戸川乱歩リファレンスブックの内容を公開するために開設したものでな。本来であれば名張市の手で提供されるべきデータなのじゃが、予算がないから無理であるなどと名張市がほざきおったから余儀はなかった。人がつどうことを考えてつくったサイトではないのじゃよ。

 それにこれは身びいきでいうのじゃが、乱歩にかんするデータを必要としておる人たちには、このサイトはそれなりに重宝してもろうておるとわし自身は思うておる。たとえばつい最近も、インターネットに無縁な生活を送っておる人から「RAMPO Up-To-Date」の今年の分を教えてくれとの要請があり、わしはさっそく当該ページをプリントして郵送したものであったし、むろんインターネット環境にある人からはいろいろな教示も届けられる。つまり「集う人なき」という指摘はわしにいわせれば事実誤認なのじゃ。あいにくなことにかすりもしておらんのじゃ。わしはまたしても痛くも痒くもないのじゃよ。

 それにな、最近では乱歩に関心のない人もこのサイトにつどうてくれておるようじゃ。掲示板「人外境だより」には先日も「名無し」や「愛読者」を名乗る名張市民からの投稿が寄せられたほどでな。ということは、乱歩ファンのみならず一部の名張市民にも、おなじ市民のなかに卑劣陰湿な落書もどきに興じる人間がいるということは認識されておると見てまちがいあるまい。しかもな、インターネットの情報など便所の落書きであると脳天気なことをゆうておられるような時代ではすでにないのじゃ。

 2ちゃんねるにきのう午後4時台に立てられ、あっというまにレスが千を超えてしまった「【亀田新王者】 "TBSに抗議など6万件" ネット掲示板が火付け…「テレビ局、もうネット黙殺はできない」というスレッドをさっき見てみたのじゃが、ソースは次のような記事であった。

亀田疑惑判定大反発…TBSもKO、ネット火付け
 また、亀田の試合を「つまらんものをみせられた」などと批判しているマンガ家のやくみつる氏は、「私自身は情緒的なことに過剰に反応するネットというのは好きではないが」と前置きしたうえで、こう語る。

 「テレビに対して視聴者は受動的な立場だけれど、ネットでは能動的な動きもできる。そうした反応に過敏に反応し過ぎても良くないとは思うが、これからは、まったく黙殺することもできないのだろう」

ZAKZAK 2006/08/04

 インターネットはもう黙殺できぬということじゃ。便所の落書きと切って捨てることはもはやできぬのじゃ。むろん便所の落書きと呼ぶしかない二条河原落書のもどきもあるにはあるが、たとえばわしがネット上で展開した名張まちなか再生プラン批判を見てみるがよい。あれがはたして便所の落書きか。無責任きわまりない便所の落書きはむしろプランそのものではなかったかの。「集う人なきHP」などと侮っておると、いまに痛い目に遭うことになるかもしれぬぞ。

  本日のアップデート

 ▼2006年5月

 十、数学者の推理力はゼロだ──ポオ 片野善一郎

 昨日同様本日もメールでお知らせいただいた一冊、新潮新書の『数学を愛した作家たち』です。漱石、子規、鏡花、スウィフト、スタンダールら東西十一人の作家がとりあげられ、数学にまつわるエピソードが紹介されています。

 ポオを扱った第十章は最後に「乱歩と幾何」と題されたパートがあって、いかにもついでだから書いておきました感がたっぷりではあるのですが、乱歩作品に登場した数学の問題がこんなぐあいに。

 エドガー・アラン・ポオといえば、その名をもじった筆名を持つ日本の代表的推理小説家、江戸川乱歩を思い出す。乱歩の明智小五郎シリーズは有名であるが、作品の一つ『兇器』の中に珍しく幾何の問題が出てくるので紹介しておくことにする。

 以下、光文社文庫版全集第十七巻『化人幻戯』182ページ所収の図とともに問題が紹介されるのですが、同書巻末の平山雄一さんによる解説にあるとおり、これはクレイトン・ロースン「帽子から飛び出した死」からの借用で、同全集第三十巻『わが夢と真実』785ページ、「海外探偵小説作家と作品」のロースンの項にわれわれは同様の図を見いだすことができます。

 ま、ぶっちゃけパクリっちゃパクリなんですけど、目くじら立てるようなことでは全然ないと思います。


 ■ 8月6日(日)
まともに批判を受けてみる

 暑い。あんまり暑くて死ぬかとぞ思うが、体力を温存する意味においても四の五の申さずさっそくまいろう。

 二条河原落書の「キツケヌ冠上ノキヌ 持モナラハヌ杓持テ 内裏マシワリ珍シヤ 賢者カホナル伝奏ハ 我モ我モトミユレトモ 巧ナリケル詐ハ」は、さてどのようになったかの。

キモいジャケット、色眼鏡、
持ても慣らわぬ教鞭持って
代理講師とは珍しや、賢者の顔する授業とは
我も我もと自己宣伝、巧なりける詐は。

 ふむ。たしかに努力賞はくれてやってもよいのう。しかし、しっかしもう飽きた。おれは飽きたぞ。あほらしくなったぞ。毎日くそ暑いのになんでこんなあほらしいことをやらねばならんのか。あとはいいように流すことにする。

 問題点は二点だ。一点目は以前にも指摘した。元ネタにしばられて批判が機能していない。ぼやけている。死んでいる。これじゃかすり傷ひとつつけられんぞ。もう一点は「キモいジャケット」。みずからの見聞にもとづいた一次情報をつかってると身元を特定されることがある。インターネットで入手できる情報とか名張市役所内部での伝聞情報とか、使用するのはその程度の二次情報三次情報にとどめておけ。匿名で発言するならそれくらいのことはわきまえてろ。

 とやったのでは愛想もこそもないか。ならばたまにはまともに受けてやろう。

愚かなるかな、劣るかなと、田舎政治を吊るし上げ
口髭グラサン歪めつつ、気色めきたる田舎者。
黄昏時になりぬれば、浮かれて歩く色好み。
目糞、鼻糞を笑う如く、役所を莫迦と名指しする。
(中略)

 まず「田舎政治」にかんする批判を受けてみよう。おれは政治になんか興味はない。興味があったらとっくの昔に最低でも名張市議会議員にはなってるだろう。そうすりゃ名張市議会に初の知性派議員が誕生していたところだったが、そうならなかったのは名張市にとっていささか残念なことかもしれんな。とにかく田舎政治なんぞに興味はないのだから、田舎政治を吊しあげることにも興味はおぼえない。ただし田舎政治家をおちょくることはないでもない。たとえばこんなぐあいだ。

名張市議会議員賛江
 市議会議員選挙を熱く語る

「名張市ではいよいよ市議会議員選挙が始まりまして」
「なかなかの激戦やそうですけど」
「この『四季どんぶらこ』が出るころには当選者も決まってますけどね」
「八月二十五日が投票日ですから」
「今度の選挙ではどの程度の手合いが議員先生になってくれるんでしょうね」
「手合いてなことゆうたらあかんがな」
「現状は僕もよう知りませんけど」
「なんですねん」
「昔は手合いと呼ぶしかない市議会議員がたしかにいてましたからね」
「そうなんですか」
「じつはうちの親父が名張市議会議員をやってたことがありまして」
「それは知りませんでした」
「わずか一期だけでしたけど」
「それでもえらいもんですがな」
「せやから名張市議会議員なんかえらいことないゆう話なんですけど」
「どうゆうことですねん」
「親父が市議会議員の視察旅行から帰ってきてえらいびっくりしてました」
「なんぞあったんですか」
「議員の視察旅行ゆうのはみなさんもご存じのとおり視察は名目で実態は慰安旅行ゆうか物見遊山ゆうか」
「そんなことないがな。いろんなとこで見聞を広めたり専門知識や最新情報を身につけたりするための旅行ですがな」
「まあ建前はそうですけど」
「建前やないゆうねん」
「ですから僕も現状はよう知らんのですけどうちの親父が名張の市議会議員やってたころはそうやったんです」
「慰安旅行か物見遊山でしたか」
「それで帰ってきた親父が感に堪えないゆう感じでゆうてたんですけど」
「どんなもん視察してきたんですか」
「旅館に一泊して次の朝その旅館をあとにするときのことです」
「どないしました」
「親父と同室やった議員の一人が着てた浴衣くるくる丸めて自分のボストンバッグに突っ込んでしもたゆうんです」
「完全な浴衣泥棒やないですか」
「旅の恥はかき捨てゆうぐらいですからこんなんようある話なんですけど」
「けどいくらなんでも議員さんがそんなことしたらあきませんがな」
「その旅館の人たちはちょっと唖然としたでしょうね」
「名張市議会の名前で泊まってる人間がそんなことしたら名張の恥をよその土地に広めて回ってるようなもんですがな」
「せやからそうゆうのは手合いとしか呼びようのない議員なんです」
「いったい誰ですねん」
「もう亡くならはった方ですからいまさら実名は暴露しませんけど」
「誰のことか気になりますけどね」
「そしたら過去十年のあいだにお亡くなりになった名張市議会議員経験者のお顔を頭に思い浮かべてみてください」
「何人かいてはりますわね」
「そのうちのいったい誰が浴衣泥棒かと思案してみますと」
「どないなります」
「誰が浴衣泥棒であっても不思議ではないゆう気がしてくるから妙なもんです」
「妙なもんですやないがな」
「でも市議会議員ゆうたら市民からは白い目で見られるのが常でして」
「誰も白い目では見てないがな」
「市議会議員ゆうたら市民から一段低い存在やとも思われがちなんですけど」
「思われてないゆうのに」
「市民が議員さんを見くだしたような態度とるのは感心しませんね」
「それは君のことやないか」
「しかし市議会議員ゆうのもあれでなかなか大変なんです」
「君のお父さんがそんなことゆうてはりましたか」
「いやうちの親父から聞いた市議会の話はその視察旅行の件だけでしたから」
「浴衣泥棒がよっぽど印象に残ってたんでしょうね」
「てゆうかうちの親父の議員活動は視察旅行だけやったんとちがいますか」
「そんなことあるかいな」
「けど議場は禁酒禁煙ですから出席するのはとても無理やったでしょうしね」
「議場で酒煙草やってどないするねん」
「飲酒OKの議会やったらうちの親父なんか休会日でも行ってましたやろけど」
「あほなことゆうとったらあかんがな」
「それで市議会議員の何がいったい大変なんかといいますと」
「なんですか」
「やっぱり選挙ですね」
「選挙に通らないと議員先生にはなれませんからね」
「せやから議員先生はいろいろな得意技を開発するわけでして」
「得意技といいますと」
「選挙民を買収するためのあの手この手のことです」
「買収したらあきませんがな」
「けどあの先生は商品券この先生はビール券ゆうて先生によって得意なブツも決まってますしね」
「そんなことしたらあかんゆうのに」
「ちょっと前の選挙の話ですけど」
「何がありました」
「牛肉をブツにしてる先生がいてはりまして」
「選挙民に牛肉を配って買収するわけですか」
「それでまあ単車の荷台にかごをくくりつけましてね」
「単車で買収に回りますか」
「かごに肉の包み積んで飛び回るわけですわホンダのスーパーカブで」
「車名まで出さいでもよろしやないか」
「それである家を訪問してよろしゅう頼むでゆうて外に出てみますと」
「どないしました」
「どこぞの犬が後ろ脚で爪先立ちして単車のかごに頭つっこんでますねん」
「あちゃー」
「先生その犬を怒鳴りつけました」
「そらそうですやろ」
「そしたらその犬が立ったままこわい顔してこっちを振り向きましてね」
「犬も本気ですわね」
「その振り向いた口には肉の包みがしっかりと」
「えらいこっちゃがな」
「こら待たんかーッ」
「先生も必死です」
「走って追いかけたんですけど犬の逃げ足の早いこと早いこと」
「えらい災難やったわけですな」
「でも不幸中の幸いゆうやつですか」
「なんですねん」
「そのときの選挙ではその先生が上位で当選を果たされました」
「落選してたら目もあてられません」
「犬まで買収したんやさけ票も多いわさゆうて近郷近在で大評判でしたけど」
「いったいどこの先生ですねん」
「この先生もお亡くなりになりましたからこれ以上のことは差し控えますけど」
「それやったら最初から差し控えといたらええやないですか」
「それから議員先生が苦労するのは日常の議員活動が選挙民の目にあまり見えてこないという点ですね」
「人目につかんところで地道に努力してくれてる議員さんも多いですからね」
「かと思たら特権意識だけ肥大させたぼんくらもいるさかいに困ったもんです」
「いちいち喧嘩腰になりなゆうねん」
「議員活動が日刊紙の地方版で報道されるのは議会の一般質問くらいですし」
「CATVでもやりますけどね」
「しかし一般質問も気ィつけなあきませんよ」
「何に気ィつけますねん」
「これもちょっと前の話ですけどある先生の一般質問を拝聴してましたら」
「なんてゆうてはりました」
「めされていた」
「なんやて」
「めされていたゆうておっしゃるわけですその先生が」
「質問原稿を読んでですか」
「なんのこっちゃ思て前後の文脈から考えたらもくされていたなんです」
「どうゆうことですねんそれ」
「目ェですがな目ェ。目されていたゆうのをもくされていたとよう読まんとめされていたと読んでたわけなんです」
「なるほど」
「つまり誰かに書かした質問原稿を読んではったゆうことなんですけど」
「でも上は国会から下は市町村議会まで質問原稿を他人に書かせるケースはどこでもようあるみたいですけどね」
「せやから誰が原稿書いたかてええんですけど振りがなぐらい振っといたれゆう話やないですか相手あほなんやから」
「あほゆうことはないがな」
「しかしもう昔の話ですから」
「ほなその先生もお亡くなりに」
「いまでもぴんぴんしてはります。いずれは天にめされますやろけど」
「知らんがなそんなこと」

 四年前の市議会議員選挙当時に発表した漫才なわけですが、ばかがなーに偉そうにしてやがる、みたいなことを私はつねづね感じておるのでしょうな。で、腹を立てておる。だから世間が市議会議員選挙で騒がしくなると、ついついこんな漫才も発表してしまう。やんややんやの大受けではあったが。

 ここでひとこと説明を加えておこう。おれはどうしてこんな漫才をながながしく引用したのか。それはあの落書もどきが決定的に欠いており、しかし本来は不可欠であるところのリアリティというかアクチュアリティというか、この手の戯文を読者の心に届けるための核のようなものがこの漫才にはたしかに存在しておるからだ。誇張はあってもうそはない。あっちこっち命がけ。そのあたりの骨法をよく心得ておくことが必要じゃ。まだまだ勉強が足りぬようじゃな。

 ところで、この漫才がはたして田舎政治を吊しあげているであろうか。田舎政治家をおちょくっていることはたしかであるが、吊しあげてなどいないであろう。吊しあげというのは通常もっと直接的な行為で、さらに厳密なことをいえば大勢の人間がひとりまたは少数の人間を責めたてることなのである。おれはいつだってひとりなんだから吊しあげなどという行為は初手から不可能だ。しかしあえて探してみるならば、むしろこっちのほうが吊しあげという行為に近いのではないか。

名張市議会議員の先生方のための乱歩講座ご出欠一覧
  氏名 期数 会派 党派 出欠
議長 柳生大輔 4期 ききょう会 民主党
副議長 中川敬三 2期 清風クラブ 無所属  
  田合豪 1期 無所属 無所属
吉住美智子 1期 公明党 公明党  
石井政 1期 公明党 公明党
小田俊朗 1期 日本共産党 日本共産党
宮下健 1期 清風クラブ 無所属
永岡禎 2期 ききょう会 無所属
福田博行 2期 清風クラブ 無所属
上村博美 2期 ききょう会 無所属  
藤島幸子 2期 公明党 公明党
松崎勉 2期 ききょう会 無所属  
梶田淑子 2期 ききょう会 無所属  
田郷誠之助 2期 無所属 無所属
樫本勝久 3期 清風クラブ 無所属
橋本隆雄 3期 清風クラブ 無所属
橋本マサ子 4期 日本共産党 日本共産党
和田真由美 4期 日本共産党 日本共産党
山下松一 5期 清風クラブ 無所属
山村博亮 6期 ききょう会 無所属  
敬称は略させていただきましたッ。

 去年の7月、名張市議会議員の先生方が大挙して大阪に赴かれ、怪人二十面相のいでたちで名張の観光PRに努めてくださったという報道に接して唖然とした私は、それならば乱歩にかんする最低限の知識は身につけていただきたいものだ、そのために尽力するのが名張市立図書館乱歩資料担当嘱託である自分の責務だと考えました。そこで市議会事務局にお願いして「名張市議会議員の先生方のための乱歩講座」を開いていただき、それは8月8日のことでしたが、僭越ながら講師を務めて先生方に乱歩のことをおはなしいたしました。

 昨年8月12日付伝言に掲載したこの表はそのときの出欠を記録したものなのですが、さあ名張市民のみなさん、来たる8月27日に執行される市議会議員選挙に際してはぜひこの表をご参考に、などと呼びかければ吊しあげになるのではないか。いや、ならんな。どちらかといえば晒しあげであろう。ていうか単なるいやがらせだ。

 次に行こう。「口髭グラサン歪めつつ、気色めきたる田舎者」にかんしては、もう面倒だからそれがどうしたとだけいっておく。次は「黄昏時になりぬれば、浮かれて歩く色好み」か。よくもこんないい加減なことがいえたものだ、といいたいところだが、結構あたっておるかもしれんな。

 というのもあれはいつであったか、この伝言板にも記したことだが、おれは三重県立名張高等学校の教え子と名張市役所に足を運んだことがある。校外学習というやつである。関係セクションにお願いしていわゆる名張まちなかのことをレクチャーしていただいたのだが、それが終わって市役所の玄関から外に出、少し時間をつぶす必要があったゆえ喫煙コーナーで煙草を吸いながら教え子と話をしていたときのことであった。談たまたまキャバクラの話におよんだとき、女生徒のひとりがおれの顔をまじまじと見つめてから、

 「あッ」

 と叫ぶわけね。

 「あッ。先生って絶対キャバクラとか行ってそう。ものすご行ってそう」

 といってくれるわけね。先生がキャバクラ行ってどこが悪いの。いやいやそれ以前に、名張にキャバクラなんてないではないか。あったら行ってるかもしれんけど。いやいやそういう問題でもないのであって、そんな君たち先生のことを色眼鏡で見ないでください。しかし色眼鏡かけてる人間がこんなこといっても説得力というやつがなあ。とにかく「黄昏時になりぬれば、浮かれて歩く色好み」なんてことは控えたほうがいいのかしら。

 思わずうろたえてしまいましたが、「目糞、鼻糞を笑う如く、役所を莫迦と名指しする」に行きましょう。「名指し」という言葉の用法がややおかしいのはまあいいとして、ばかを名指しするのはきょうびのお役所においてひとつの流行となっております。7月20日付毎日新聞の記事をごらんいただきましょうか。

県:能力不足職員に研修 改善されない場合、自主退職や分限免職 /三重
 ◇来月中旬から4カ月

 ◇同じ間違い繰り返す/命令従わず

 県は、職務の遂行能力が不足している職員を対象にした特別研修を8月中旬から始める。期間は約4カ月間で、研修後も改善が見られない場合、自主退職を勧めたり、分限免職処分などの厳しい措置をとる方針だ。同様の研修制度は、既に岐阜県など11道県で導入されており、野呂昭彦知事は「この研修で職員の資質向上を図り、県民の信頼に応えたい」としている。

 研修の対象となるのは▽職務で同じ間違いを繰り返す▽職務命令に従わない▽遅刻や無断欠勤が頻繁−−など、事務能力が低かったり、問題行動が目立つ職員。

 各部局の所属長が、対象となる職員を総務部に報告。部内の「職務遂行能力等調査委員会」で、研修が必要かどうかを判定する。研修が必要とされた場合、津市の職員研修センターで1カ月間の集合研修を行い、県職員として必要な基礎的知識や能力の再習得を図る。その後、各職場で3カ月の職場研修を行う。職場研修は1カ月単位で、「定例的事務の遂行」「対人折衝能力」「自主性の養成」などのテーマを設定し、研修担当職員の指導で能力の改善を図る。

 システムとしての問題点はいろいろと指摘できよう。たとえば「各部局の所属長が、対象となる職員を総務部に報告」といったあたり、所属長自身に問題があった場合はどうなるのかとお思いの読者諸兄姉もいらっしゃることであろうし、げんに名張市役所にだって問題なしとせぬ管理職が皆無であるというわけでもない。しかしこの場合の「能力不足職員」なんてのは、そんな生やさしいものではありません。それはもうひどいの。それが証拠に2ちゃんねるにおける三重県職員の憩いのオアシス「三重県庁職員集まれ!10」には、この記事が報じられた日の朝にさっそくこんな投稿が。

509 :非公開@個人情報保護のため :2006/07/20(木) 07:30:07

特別研修導入age

これでやっとあのカス共が駆逐されるのか!?

 名指しこそしてないけれど、県職員が自分たちの同僚には「カス共」がいるとはっきり認めてるわけなのね。鳥取県や北海道の後追いであるとはいえ、三重県がそうした職員の一掃に手をつけたのは、まあよしとしていいことでしょう。

 何の話をしておったのかというと、名指しで批判する件であったか。市政に正当な批判を加えるのは市民の責務であると私は考える。たとえば名張まちなか再生プランを見てごらんなさい。私の批判は終始正当であったし、名張まちなか再生委員会や名張市は一貫してぐたぐだであった。批判されて当然であった。私としてはもっと突っこんで、歴史資料館だの初瀬ものがたり交流館だの乱歩文学館だの、そういった愚劣な構想を最初に口にしたのは誰であったか、ちゃんと個人名を特定して批判してやりたいところなのだが、関係者のいうことはいつもいっしょだ。

 「みんなで協議して決めました」

 聞いて呆れる。みんなで協議して決めましたということは、

 「誰も責任は取りません」

 ということと同義ではないか。やってらんねーなまったく。このくそ暑いのにいつまでもご町内感覚となあなあ体質でぐつぐつ煮詰まってんじゃねーぞこら。

  本日のアップデート

 ▼2005年3月

 押繪と旅する男 佐藤弓生

 本日もお知らせいただかなければ知りようがなかった一篇。「かばん」という月刊の歌誌に掲載されました。乱歩作品を原作とした川島透監督作品(1994年)の紹介です。

 まず実相寺昭雄作品、増村保造作品、石井輝男作品、塚本晋也作品など乱歩作品を映画化した作品が概観されたあと、映画「押繪と旅する男」と原作とをつぶさに比較してその差異を浮き彫りにし、ついには乱歩の特異性に思いを馳せる。

 連載タイトルは「罵詈雑言映画館」なのですが、それにしては短いながら目配りの利いたレビューではあり、しかし金井美恵子さんの例を引くまでもなく「罵詈雑言」はやはり女性におまかせしておいたほうがいいのかなと、私はつねひごろ考えておらぬわけでもありません。

 閑話休題。結びの一段落をどうぞ。

 蜃気楼は映像、映画の喩とも考えられる。乱歩は蜃気楼に異郷を見いだし、川島監督は故郷を見いだす(大人の美しい女はここで故郷の化身でもあろう)。原作と映画の魂がこんなにちぐはぐなケースも珍しそうだ。駄作と失敗作は区別したい。奥山和由監督の『RAMPO』(一九九四年)などキャスティングの妙を除けば前者に近くコメントするのも億劫だが、『押繪と旅する男』は映像美をはじめ名場面に恵まれた失敗作である。まあ、いちどご覧ください。

 尻馬に乗って男だてらに罵詈雑言をつらねておきますと、乱歩生誕百年を記念して製作された「RAMPO」はたしかに愚作でした。私が観たのは奥山作品のベースとなった黛りんたろう監督作品でしたが、私の記憶では一番公開より早く名張市内の会場で先行上映が行われ、主演女優の羽田美智子さんが舞台挨拶をなさってました。

 私もむろん足を運び、上映が終わって外に出ると朝日新聞の記者の方とばったり。感想を求められましたので、

 「乱歩の人と作品を素材にしてここまで美的至福を感じさせない映画がよくできたものだ」

 とコメントしておいたのですが、翌日の記事にはなっておりませんでした。私の主張は当時から新聞記事にはなじまぬものであったようです。

 「かばん」の詳細はオフィシャルサイトでどうぞ。


 ■ 8月7日(月)
ほら終わったぞ、ばーか

 暑い。ただ暑い。さっそく行く。ただ行く。

小西大熊こき混せて、一座揃えど似非識者。
在々所々の乱歩通、疎遠にならぬ人そなき
常識礼儀の分別なく、自由狼藉の人外なり。
(後略)

 はい終了。終わりだばか。終わったなおまえは。おれは匿名であることを頭から否定したりはせん。人それぞれに立場や事情があるのだから、名前を伏せなければ訴えることができない主張もあれば身分を隠さなければ流せない情報もあるだろう。しかしこらばか。匿名の発言であればこそ、そこにはなおさら発言者の品性そのものがにじみ出るのだということはよくおぼえておけ。

 「小西大熊こき混せて」とはおそれいった。品性の卑しさ浅ましさをここまで暴露せんでもよかろうが。手前は自分の正体を徹底的に隠蔽して安全な場に位置を占めつづけておりますが、人をおとしめるためとあらばそれはもう他人の実名も平気でひっぱり出してくることのできる卑怯者でございますとみずから証明してどうするの。手前はどうしようもない名張市民でございますとわざわざ公言してどうするの。こらばか。ちっとは恥というものを知ったらどうだ。

 「一座揃えど似非識者」とはよくぞ申した。大丈夫か。えせ識者なんてのは名張地区既成市街地再生計画策定委員会だの名張まちなか再生委員会だののメンバーのことを指す言葉だ。うすらばかが識者面してなーに程度の悪いことをほざいてやがる。どんな歴史資料があるかも知らずに歴史資料館をつくりましょうなどとぶちあげるばかのことをえせ識者というのだ。そんな権限が認められてもいないのに歴史資料館では都合が悪いから初瀬ものがたり交流館に変更してしまいましょうなどとインチキをかますばかのことをえせ識者というのだ。乱歩作品を読んだこともないのに乱歩文学館をつくりましょうなどと認知症の寝言みたいなことを口走るばかのことをえせ識者というのだ。こらうすらばか。いつまでも天に向かってつばを吐いてろ。

 「在々所々の乱歩通」なんてことはいわないほうがいいだろう。かりにも乱歩文学館を建設しようという名張市の市民ができの悪い落書でおれを非難するためにわざわざ乱歩ファンのことをもちだしたとなれば、それでなくても名張市からどんどん遠ざかってる乱歩ファンがますます離れていってしまうではないか。だいたいが名張市は──

 この一件で一部の乱歩ファンにはすでにドン引きされておる。そりゃ引かれてもしかたない。ドン引きされてもしかたがない。

怪人19面相   2005年 8月 4日(木) 20時 6分  [220.215.61.171]

勘違い馬鹿のお方、いずれ近いうちに会うたるで。
連絡したるからまっとれ。
県民の血税を搾取なさったごとき事業をなさったオマエ、図書館嘱託のいんちきおっさん。
いろいろ返事を書いて頂いて有難う。
そもそも江戸川乱歩みたいなものどうでもええねん。20面相のキャラで又スフインクスのナンチャッテ写真で公益活動を実践しているのだから貴様につべこべ言われる筋合いとちがうねん!
回りくどい難しい言い回しでわかりにくいことくどくどゆうな、ボケ!

以上。

尚私は♂です。
商工会議所で会う理由もありません。
割と回りくどいのが嫌いな性格の人間です。
だいぶ我慢をしてメールを書いています。

推理作家の大家よくお考えあれ!!

 どこのばかかは知らんがこんなことを堂々とほざける名張市民がいるのだから、この一事だけで名張市はドン引きされてもしかたがあるまい。あまつさえおれの見るところ、このばかは名張まちなか再生プランにも確実に一枚噛んでいる。こんなばかのいる委員会がインチキでひねり出した乱歩文学館構想なんて、乱歩ファンからは見向きもされぬのではないかとおれは思う。

 「疎遠にならぬ人そなき」というのは、だからいったいどこの話か。名張まちなか再生委員会の話ではないか。こんな卑劣陰湿な落書もどきでしか他者に異議申し立てをすることができない人間のことではないか。疎遠になるだけならまだいいかもしれん。しかしおまえみたいなぼんくらに「小西大熊こき混せて」などと揶揄された人間は、ただ疎遠になるだけでは気がすまんのではないか。きょうびのことだ。おまえのせいでインターネット上に名張市への悪口雑言罵詈讒謗が飛びかうようになったってしかたはあるまい。名張市民であることだけが確実で正体はいっさい不明な人間に意趣返しをしようと思ったら、とりあえず名張市を叩くしか手はあるまい。こらばか。うすらばか。その血のめぐりの悪い頭でちっとはものの道理というものを考えてみろ。

 「常識礼儀の分別なく」ってのもいったい誰の話だろうな。いったいどこの話だろうな。ルールや手続きはいっさい無視し、原理原則を踏みにじってインチキを押し通したのはいったいどこのどいつだ。分別がないのはいったいどっちのほうかというのだばか。掲示板「人外境だより」への投稿を見るだけでも、名張市の閉鎖性や排他性にうんざりしているニューカマーが少なからず存在していることは想像にかたくない。仲間うちでしか通用しない常識や礼儀にしがみつき、ご町内感覚となあなあ体質を全開にしていつまでもうたってろばーか。

 「自由狼藉の人外なり」とは痛みいる。うらやましいか。くやしいか。くやしかったらおまえも自由になってみろ。自由に堂々と発言してみろ。自由なんてのはそこらにごろごろ転がっているものではないのだ。人が自由を獲得するためにはいったい何が必要か。一匹の蚊を殺すようにして言論を封殺することが可能な風土で、ちょいと叩けば因循姑息の音がする頭ばっかりがスイカ畑みたいにならんだ土地で、ルールや手続きを遵守し原理原則を重んじることがむしろ狼藉であるような場所で、みずからの信念にもとづいて自由な発言を持続するというのがどんなことなのかちっとは真面目になって考えてみろ。自由上等。狼藉上等。おほめにあずかって恐縮である。

  本日のアップデート

 ▼2006年7月

 DVD化で揺れる人気映画の2次利用

 読売新聞オフィシャルサイトの記事です。検索で乱歩の名前がひっかかってきました。

DVD化で揺れる人気映画の2次利用
 保護期間の延長を求める声は、現行では「著作者の死後50年」の文学や音楽、美術、写真などの分野でも、高まっている。

 2004年に国内の版権が切れたサン=テグジュペリ「星の王子さま」など、死後70年まで保護されている欧米作家の作品は、50年が過ぎた日本で、次々と新訳が出版され、話題にもなった。日本文芸家協会の三田誠広副理事長は、「先進国として50年のままでは恥ずかしい。国内でもあと10年で谷崎潤一郎、高見順、江戸川乱歩ら偉大な作家たちの著作権が切れ、出版も翻訳もいきなり自由になる。粗悪な出版物が出回る事態も起こりかねない」と懸念する。

 この記事にかんしていささか弁じたいなと思っていたのですが、時間がなくなりましたので機会を改めることにいたします。


 ■ 8月8日(火)
先生とチャンプと私

 落書もどきのお相手もきのうでおしまいとなりました。あの投稿者の方には掲示板「人外境だより」に「中田三男」という名義でご投稿いただいたとき、あえて誤読曲解することにより投稿内容なんていかようにも利用できるのだということを僭越ながら教えてさしあげたつもりであったのですが、ご理解はいただけなかったか。いやそれ以前に──

 匿名性という隠れ蓑に安心してつい本音をむきだしにしてしまった投稿が投稿者のおもわくとはかかわりなく徹底的に利用される場合があるのだということは、去年の夏のこの一件からよく認識されるところではないか。「怪人19面相」という名義による昨年8月4日付投稿にあった、

 ──そもそも江戸川乱歩みたいなものどうでもええねん。20面相のキャラで又スフインクスのナンチャッテ写真で公益活動を実践しているのだから貴様につべこべ言われる筋合いとちがうねん!

 という発言はひとりこのばかのみならず、名張市のいってみれば総意のごときものを問わず語りに表明するものであろうと私には判断される次第であり、以前から感じていたことを見事に裏づけてくれた得がたい証言としてしつこいくらいに利用してやった次第なのですが、ぱーか、調子ぶっこいて好きなことほざいてんじゃねーぞ。

 いやそんなことはどうでもいいとして、ひさびさに『江戸川乱歩年譜集成』の話題でもと考えておりましたところ、例の三重県議会議員の先生がついに辞職されたというニュースが飛びこんできました。まずは本日付中日新聞の記事をどうぞ。

離党届、民主は扱い二分 田中県議辞職
 飲食店で女性店長にけがを負わせた傷害事件で略式命令を受けた前県議会議長の田中覚県議(48)=民主、四期目=が七日、ついに自ら議員の座を降りた。史上三番目の若さで議長まで上り詰めた県議会の実力者は、釈放後に自ら表現した「ごう慢さ」で、十五年余の県議生活で築き上げた地位と名誉を失った。議会事務局によると、不祥事による議員辞職は三人目。

 田中氏は七月二十一日の逮捕後、議員辞職の意向を示していた。だが、今月一日の釈放後は一部の支持者が辞職に反対、態度を明確にしていなかった。膠着(こうちゃく)していた事態が動いたのは七日朝。かつて秘書を務めた中井洽衆院議員と伊賀市内で会談したうえで最終決断を下した。

 だが、釈放から、この決断まで一週間もの“空白”は大きく、議員辞職願の提出は、自ら代表を務めていた県議会最大会派「新政みえ」がこの日午前、議員辞職勧告決議案を出した直後。同決議案の提出意向を示していた第二会派「自民・無所属・公明議員団」(自無公)に主導権を握られるのを嫌った古巣から三くだり半を突きつけられ、身を引く形になった。

 しかしこの記事、ふしぎなことにあの記者会見のことにはいっさいふれられておりません。ならば読売新聞は──

辞職の田中県議 「心から悔やんでいる」 来春の県議選出馬、今は白紙
 また、逮捕前の記者会見で、「店員にけがをさせた覚えはない」と全面否認したことについては、「告訴したのは女性店長ではなく、別の店員と思いこんでいた。別の店員にはけがをさせていなかったので、あのような説明になった」と釈明した。

 このとおりちゃんと記されてはいるものの、この釈明は鵜呑みにできるものではないでしょう。7月21日付中日新聞で報じられていた逮捕前の会見における先生の言を7月30日付伝言から引きましょう。

 「つまようじ一本当たってないのに、けがするわけがない」

 「いすやメニューは投げつけていない。まったくのうそと思う」

 「どうけがをさせられたのか(被害者に)聞いてみたい」

 「はめられたと思わないこともない」

 「けんかを売られた気分」

 この激越な調子の発言がじつは単なる勘違いにもとづくものであったと、そんな話がはてさてそのまま信じられるものかどうか。読売新聞にあるような「告訴したのは女性店長ではなく、別の店員と思いこんでいた。別の店員にはけがをさせていなかったので、あのような説明になった」という釈明がきれいに腑に落ちるものかどうか。私は落ちない。釈然としない。

 「いすやメニューは投げつけていない」という発言は暴行対象を限定した話ではないだろう。現場における自身の行動をそのまま語ったものだろう。店員には投げつけてないけど店長には投げました、でも告訴したのは店員だと思ってましたから椅子やメニューは投げつけてないと申しました、なんて話が信じられるわけがない。実際に椅子を投げつけて全治二週間のけがを負わせていたのであれば、その相手が自分を告訴したものと考えるのが当たり前ではないか。どうして店員が告訴したなどと勘違いしてしまえるのか。しかしまあ、これで真相は藪の中ということになってしまうのであろうな。

 そうかと思うとおなじくぼこぼこ状態だったボクシング世界チャンプは、いまも相変わらずのぼこぼこ状態みたいです。かわいそうな話である。2ちゃんねるの例のスレッドはごらんのとおり十六スレ目も終了間近。

 ぼこぼこにされている人間を見ると身もだえするほどのシンパシーを感じてしまうというのも困った話なのですが、先生にもチャンプにもへこたれることなく自分に正直に生きていただきたいものだとぼこぼこ予備軍の私は思います。私もできるだけぼこぼにされないよう気をつけて生きてゆきたい。

  本日のアップデート

 ▼2006年6月

 谷崎潤一郎伝 小谷野敦

 これもまたメールでお知らせいただいた一冊。中央公論新社というメジャーな出版社から出た本なのに、なさけないことに当地の書店には見あたりませんでしたので取り寄せてもらいました。すでに再版。

 一気読みしたあといろいろ語りたいことが浮かんでくる力のこもった評伝なのですが、とりあえず乱歩との関連を見てみましょう。第六章「関東大震災前後──横浜から関西へ」のおしまいのほうに谷崎の影響関係に言及した箇所があり、

 ──谷崎の作品は、後進の作家に影響を与え、時にその後進が谷崎を凌駕してしまうということがある。

 として、日本古典であれ支那趣味やインド趣味であれ、谷崎が題材にしたものを芥川龍之介はより巧緻に仕上げてしまったし、おなじく舟橋聖一は日本古典を素材に谷崎以上のエロティシズムを醸成することに成功した、との指摘があります。

 そして乱歩は──

 谷崎は、乱歩に対して不安を覚えていたと思う。「影響の不安」である。ただし、この語を用いたハロルド・ブルームが言うような、後続者が先行者に対して感じる不安ではなく、僅かに年長の先行者が、後続者が自分のモティーフを完成させてしまったことに対する不安である。大正期の谷崎の作品のうち、性欲と恋愛と犯罪をからめたものを読むと、まるで乱歩の下手な模倣のように見える。つまり乱歩は、谷崎が提示したモティーフを、より完成された形にしたのである。大正十二年の「二銭銅貨」、十四年の「心理試験」「赤い部屋」「屋根裏の散歩者」「人間椅子」等々、今なお大正期の谷崎作品より遥かにコンスタントに読まれつづけている乱歩作品は、まったく、そのような作品群で、おそらく当時谷崎は、恐怖を覚えつつ乱歩の作品に接したに違いない。

 うーむ。天国の乱歩が読んだら躍りあがって大喜びしそうな推測ではあるのですが、これはどうなんでしょうか。うーむ。あすにつづきます。


 ■ 8月9日(水)
三重のインチキ、名張のインチキ

 きのうの朝にはアップデートされていなかった昨日付の新聞記事をひろっておきましょう。むろん先生関連。まず朝日新聞です。

辞職、表情さばさば 田中覚氏
 暴行事件については「力の強い者に果敢に挑戦するのが自分の信条だったが、言っていることとやっていることが乖離(かいり)していた」と自嘲(じちょう)気味に振り返り、「4期連続当選し、会派の代表になり、若くして議長も経験したことで、人の意見を聞かないようになってしまっていた」。

 先生の反省の弁は見られますものの、中日新聞の記事と同様に逮捕前の記者会見にかんする言及は見つかりません。

 毎日新聞は一問一答を載せているのですが──

田中県議の暴行傷害:県議辞職、「復活にらむ」の見方も 県議選「白紙」強調 /三重
 −−議員辞職はいつごろ考えたのか。

 逮捕された瞬間から辞職することを考えていた。(辞職願いが7日になったのは)16年間支えてきてくれた人たちにおわびしてからと考えたからだ。後援会長の中井(洽衆議院議員)先生には7日の朝に辞職を伝えた。

 −−なぜ逮捕されるような行動をしたのか。

 長く待たされ、怒り心頭に発していた。店長にけがをさせ、大変申し訳なく思う。悔やんでも悔やみきれない。

 なぜ逮捕前の会見で暴力沙汰を全面否定したのか、という質問は見あたりません。「逮捕された瞬間から辞職することを考えていた」というのもにわかには信じられぬ話で、新聞報道によれば逮捕されたのは7月21日金曜日の午後5時50分、先生は当初全面否認を貫き、容疑を認めはじめたのは7月24日月曜日のことであったといいます。辞意の表明が遅れたのは「支えてきてくれた人たちにおわびしてからと考えたから」といういいわけはいいとしても、逮捕された瞬間から辞職を考えていたような人間が、ということは要するに自身の罪を認めてすでに観念していたような人間がわざわざ全面否認なんて面倒なことをするかよ普通。

 伊勢新聞は二本立てです。

田中県議が辞職 議会の信用落とし引責/傷害事件
 辞職願には「一身上の都合」としていたが、田中氏は取材に対し「力のない女性店長にけがを負わせた上、議会の信用を失墜させた。刑事責任は取ったが、社会的責任を取るには辞職しかない」と語った。

「今後のことは白紙」田中覚県議 無念さにじませる面も
 事件については、自身の非を認めつつ、「(女性店長が)けがをしたのは事実だが、けがをさせる気はなかった」と語り、故意の行為ではなかったと主張。さらに逮捕前に県庁で自ら記者会見を開き、「つまようじ一本当たっていない」と強弁したことは「店長でなく、若い店員のことだと勘違いした」と釈明。無念さをにじませる面もあった。

 きついなあ。これは相当にきついぞ。額面どおりに受け取るならば、逮捕前の記者会見の時点で先生には自分が店長にけがをさせたという認識が当然あったはずである。にもかかわらず、店長ではなく店員が告訴したのだと勘違いして「つまようじ一本当たっていない」と強弁した。そんなばかな勘違いがあるとはとても思えませんし、店長と店員のちがいこそあれ、衆人環視の状況で非力な女性に暴行を加えたという負い目のある人間にはたしてかくのごとき強弁が可能なのかどうか。先生はあのときの会見で、

 ──はめられたと思わないこともない。

 とまでおっしゃっているのである。すぐにばれる大嘘ぶっこくときにここまでのことをいうかよ普通。「無念さをにじませる面もあった」ってのは、いったいどんなことについての無念さであったのかな。インチキのにおい芬々たるものがあり、なんかおかしいことだらけだなとは思いますけれど、きのうも記しましたとおりこれ以上は藪の中、というか三重県政の闇の中ってやつですか。どうもよくわかりませんけど、とにかくこれにて一件落着ということのようです。教訓、気をつけよう暗い夜道と三重県政。

 つづきまして「本日のアップデート」とまいりますが、きのう「あすにつづきます」とお約束した小谷野敦さんの新刊『谷崎潤一郎伝』の話題は勝手ながらあすに延期して、おめでたい話題をお届けいたします。

  本日のアップデート

 ▼2006年8月

 江戸川乱歩の資料一堂に/鳥羽に「文学館・幻影城」オープン 林

 8月8日付伊勢新聞の記事です。岩田準一の旧居を改装した「鳥羽みなとまち文学館」に「幻影城」がオープンしました。三重県鳥羽市のおはなしです。

江戸川乱歩の資料一堂に 鳥羽に「文学館・幻影城」オープン
【鳥羽】鳥羽とかかわりの深い作家江戸川乱歩(一八九四−一九六五年)の作品などを集めた土蔵「幻影城」が七日、鳥羽市鳥羽二丁目の鳥羽みなとまち文学館内にオープンした。開設者の鳥羽商工会議所は「乱歩がこよなく愛した土蔵で、乱歩についての理解を深めてもらえれば」と話す。

 乱歩作品で挿し絵を手掛け、親友でもあった風俗研究家の岩田準一氏の生家にある土蔵を改修した。国土交通省の観光ルネサンス事業に採択され、助成を受けた。幅三十五メートル、奥行き七十二メートル、高さ五二・五メートルの大きさ。

 土蔵をこよなく愛した乱歩が自らを「幻影の城主」と名乗り、東京・池袋の乱歩邸の土蔵が「幻影城」と呼ばれていたことにちなみ、同商議所がその名称を付けた。同会議所によると、詳細は不明だが江戸時代末期から明治初期ごろの建設された土蔵という。

 あーこれこれ鳥羽商工会議所のみなさんや、そんな「東京・池袋の乱歩邸の土蔵が『幻影城』と呼ばれていた」なんて大嘘ぶっこいてどうするの、などとめでたい話題に野暮な半畳は書きつらねますまい。素直に祝意を表しましょう。乱歩ファンのみなさんはどうぞにぎにぎしくお運びください。オフィシャルサイトはこちらとなっております。

 しかしこうなりますと、気になるのはやはり名張まちなか再生プランに加えられた乱歩文学館のことなり。ほんとにどうする気なのかしら。名張まちなか再生委員会のみなさんとしては何でもいいから乱歩の名がつく施設をつくればいいのだ、うわっつらだけを考えたどこにでもあるような月並みきわまりない施設をつくればそれで満足だとお思いなのであろうか。プランとも委員会とも何の関係もない私ではあれど、やはり気にはなるなり。名張市がインチキを重ねたあげくどんな恥をかくことになるのか、それを考えると胸ふさがれる思いなり。


 ■ 8月10日(木)
幻影城の最後のチャンス

 はっきりいってこう暑いと毎日なーにやってんだかよくわからなくなってしまいます。先生の話題にも落書の話題にもけりをつけたつもりではいるのですが、ふと思いついて例の落書が投稿された2ちゃんねるのスレッドを覗いてみますと──

 8月4日にこんな投稿が。

237 :オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!:2006/08/04(金) 09:54:42 0

名張のS・Nさん、いつまでも無能者のくだらない書き込みに構ってないでください。あなたの、功績や知性が
理解できない品性の卑しい知能の低いやつに、いつまでも構っているとそいつと同レベルに
成り下がってしまいますよ。いい加減、目覚めてください。あなたの価値をこれ以上
下げるのはやめてください。

 つい見逃しておりました。というか、先生の話題から落書の話題に移行して以降、あのスレッドにアクセスすることをしていなかったように思います。どこのどなたか存じませんが、気づくのが遅くなって失礼いたしました。ご心配いただいて感謝申しあげます。

 しかしまあ、私の功績や知性といったってたいしたものでは全然ありません。功績となるとせいぜい名張市の名誉市民に選ばれるのが関の山、知性といってもたかだか伊賀地域を代表する程度のものでしかありませんから、さほどご心配いただく必要もないであろうと思われます。それにだいたいがあんな落書もどきのお相手をしたくらいで低下してしまうレベルや価値ならば、そんなのはしょせんなじょうことなきものでしかなかったということでしょう。

 つづいて「本日のアップデート」とまいりたいところですが、小谷野敦さんの新刊『谷崎潤一郎伝』の話題は勝手ながらまたしてもあすに延期して、きのうが鳥羽ならきょうは立教、この手の情報は手を携えてもたらされるものなのか、ある方からお送りいただいた日本近代文学館の館報にもとづき、二日つづけて乱歩関連施設の話題をお届けすることにいたします。

  本日のアップデート

 ▼2006年7月

 立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター 落合教幸

 館報「日本近代文学館」に掲載されました。各地の文庫や記念館を紹介するコーナーに、タイトルのとおり立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センターが登場しました。筆者は同センター事務局スタッフ。

 センターの現況が記されたあたりをどうぞ。

 平成十八年六月には、立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センターが設置されました。大衆文化研究活動の学術的拠点として、乱歩関連資料の収集・整理とその公開等をおこないます。建物は池袋キャンパス六号館の北にある旧乱歩邸を改修して使用し、資料の閲覧などもセンター内で可能になりました。公開日に閲覧可能な資料は主に乱歩の蔵書ですが、応接間や愛用品等も適宜公開していきたいと考えています。また、寄託されている原稿や書簡といったものについても、資料として活用できるようにするための整理・調査が進められています。センターの活動報告や資料紹介の場として、館報の発行なども予定しています。

 現在、乱歩蔵書は立教大学図書館の OPAC で検索できます。公開日には閲覧も可能です(要予約、くわしくは立教大学のサイトでご確認ください)。

 開室日 月・水・金曜(公開は金曜のみ)
 十時半〜十六時
 〒171-8501
 東京都豊島区西池袋3-34-1
 電話・FAX 03-3985-4641
 rampo@grp.rikkyo.ne.jp

 というわけで、乱歩の蔵書が検索できる立教大学図書館の OPAC がこれ。配置場所に「乱歩邸○○○○」と表示されるのがすなわち乱歩の蔵書だそうです。

 さっそく検索を試みましたところ、『虚無への供物』は五冊のうち一冊が「乱歩邸土蔵235」、『Phantom Lady』は四冊のうち一冊が「乱歩邸土蔵232」。

 ならば名張市立図書館の『乱歩文献データブック』はどうなのか。二冊のうち一冊は「本館書庫」、もう一冊は「乱歩邸母屋」とのことで、ああ、あの母屋に置いてもらってあるのか。ありがたいことである。

 【2006年8月11日追記】落合教幸さんから掲示板「人外境だより」に「補足」をご投稿いただきました(8月11日午前1時53分)。以下に転載しておきます。

・8月11日から21日までは大学の一斉休暇期間なので、次回の公開日は25日です。

・いまのところ展示品はありません。公開日でも母屋や土蔵には入れません。庭は歩けます(土蔵付近まで)。

・本を離れで閲覧できるようになりました(五点×三回まで)。けれども開架式ではないので、事前に検索して予約をしてください。

・センターのパンフレットとサイトは現在作成中です(秋にはなんとか…)。

 さてこうなりますと、気になるのはやはり名張まちなか再生プランに加えられた乱歩文学館のことです。気にしたところでいたしかたなきことなれど、鳥羽みなとまち文学館に幻影城がオープンし、立教大学に江戸川乱歩記念大衆文化研究センターが開設されて、このあと名張市はいったい何をするというのか。乱歩にかんして何をすればいいのか。

 私の答えを記しておくならば、べつに特段のことはしなくていい。名張まちなか再生プランについてもまったく同様で、やはり特段のことは必要ない。そもそも再生である。古いまちをどう再生するかという話である。歴史資料もないのに歴史資料館をつくるなどというばかげたことは考えないほうがいい。細川邸を利用するというのなら、そこに名張市立図書館ミステリ分室を開設するだけでいいのである。すでにあるものをどう利用して名張のまちを生活の場として再生させるのか、それに知恵をしぼるべきなのである。そう考えて私は「僕のパブリックコメント」を提出したわけであった。

 死児のよわいを数えるようなことにはなるのですが、どうしてあのパブリックコメントが採用されるにいたらなかったのか、私にはいまでも謎である。歴史資料館だの初瀬ものがたり交流館だの、そんな無理やりひねり出したようなインチキプランとは雲泥の差。かりにいまの時点で彼我のプランを公開して市民の投票を募ったら、なんとか交流館なんかより私の構想のほうが抜きん出た支持を集めるのではないかと私は思う。

 ご参考までに私のパブリックコメントから引いておきましょう。

「なんちゅうたかて名張は乱歩が生まれたまちなんですから」
「それは紛れもない事実ですね」
「乱歩が生涯をかけて愛した探偵小説を大事にするまちであっても少しもおかしいことはないんです」
「そんなまちは日本中探してもほかにないでしょうし」
「乱歩の生家もミステリ分室も名張だけのユニークな施設になります」
「名張という古いまちでは古いものをここまで大切にして活用してますということをわかりやすく示すと同時に名張のまちを象徴する施設にもなりますね」
「ですから分室のスタッフも男女を問わず仕事や子育ての第一線からリタイアした地域住民のみなさんに役に立っていただけるようにするべきですし」
「地域住民が施設を支えるわけですね」
「名張という古いまちでは古い人にしっかり仕事していただいておりますと」
「古い人ゆうたら怒られますがな」
「土地の古い人から小学生が話を聞くような催しをやってもええわけです」
「市民の側からミステリ分室をいろいろつかい回すゆうわけですね」
「このプランに書いてある細川邸の『市民が関われる利用方法』はそのままミステリ分室にも通用しますからね」
「市民にとっても歴史資料館は敷居が高い印象ですけどミステリ分室やったら全然親しみやすい感じになりますし」
「歴史資料館みたいな堅苦しい施設やないんですからバッタモンのからくりコンテスト展示作品でもOKです」
「けどミステリ分室を運営するのは結構難しいことと違うんですか」
「ミステリに詳しい人間がたぶん一人もいませんからね」
「それではあきませんがな」
「いやご心配なく。日本全国のミステリファンから指導協力を仰ぎながら運営をスタートさせたらええんです」
「そんなことできるんですか」
「つまり名張市立図書館はここ十年ほどのあいだに乱歩を媒介としたミステリファンのネットワークをささやかながら形成しておりますので」
「そのネットワークがミステリ分室に生かされるわけですか」
「ミステリ分室の蔵書はインターネット上ですべて公開しましてね」
「どんな本があるのかが全国のどこにいても即座にわかると」
「さてこの分室をどないして運営したらええのかゆうことで全国のミステリファンから知恵を拝借したらええんです」
「やっぱりファンならではのアイディアゆうのもあるでしょうからね」
「市民がつかい回すいっぽうでミステリファンにもつかい回してもらうことでユニークな図書室になるであろうなと」
「実現したら面白そうですけど」
「無理したり背伸びしたりする必要はないんです。名張のまちの身の丈や身の程に応じたことをしといたらええんです。あほがおのれの分際もわきまえんとええだけ恰好つけたらどないなことになるかゆうのは『生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき』事業で実証されてますからね。ピーッ。ピーッ」
「もう笛はよろしがな」

 コメントに記した以外にもプランにはいろいろと細部があり、人から質問されたらそのつどお答えはしておるのですが(たとえばミステリ分室の記念室長にかんすることとか、名張駅など主要な地点からミステリ分室までの誘導にBDバッジを利用することとか)、コメントに「ミステリ分室の蔵書はインターネット上ですべて公開しましてね」とうたってあるあたりにはミステリ分室のサイトに江戸川乱歩リファレンスブックの全データを掲載し、増補を加えてゆきたいというもくろみがあったことはいうまでもありません。

 つまり幻影城なわけです。乱歩の幻影城は地上のどこにも存在していませんでした。そりゃそうだろう幻影だもの。ただしきょうびの感覚では、インターネット上のお城こそが幻影の城であるのかもしれない。名張市立図書館ミステリ分室のサイトに乱歩をメインとしたさまざまなミステリのデータが構築されたならば(私の構想では乱歩の著作権が切れると同時に乱歩作品のすべての初出テキストをネット上で公開することも含まれていたのですが)、それこそが幻影城と呼ばれるにふさわしいものになるのかもしれない。私は江戸川乱歩リファレンスブックのデータをネット上で公開することを二度提案して二時とも却下され、けっ、ばーか、とは思っていたのですけれど最後の最後、このパブリックコメントに幻影城構築の最後の望みを託したのである。

 しかしその望みもとうに絶たれた。幻影城の最後のチャンスも、ここにはかなくなりにけり。名張市は乱歩にかんして特段のことをする必要がない。しかしこれまでやってきたことは責任をもってまっとうすべきであろうし、その延長上に有意義な事業を展開することは望まれよう。しかしその望みも、いまや完全に絶たれてしまったのである。余は降参じゃ。ばかには勝てぬ。