2006年7月下旬
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 ■ 7月21日(金)
水木しげる記念館の喧々囂々

 さてその松本清張記念館ですが、きのうの記述にまちがいがありましたので訂正しておきたいと思います。私は昨日、この記念館にかんして、

 ──1998年の8月に開館し、これはうろおぼえの数字ですからあまり信を置かないようにしていただきたいのですが、総工費はたしか四十億円といわれていたのではなかったか。

 とお知らせしたのですが、四十億円もかかってはおりません。二十五億円でした。よく考えてみたら私は1998年秋の北九州出張、市民に報告する意味もこめて漫才にしており、それを読み返してみたらちゃんと二十五億円と明記されているではありませんか。うっかり忘れておりました。どうもあいすみません。それにしても四十億という数字はどこから出てきたものでしょう。

松本清張記念館見学記
「ところでその松本清張記念館ゆうのは北九州の小倉にありまして」
「清張さんは小倉出身ですか」
「そう。小倉生まれで玄海育ち」
「そら無法松やがな」
「四十四歳で芥川賞受賞して東京に出るわけですけど、それまではずっと小倉に住んでたそうです」
「それやったら小倉の人には身近な存在やったんでしょうね」
「そうみたいですね。小倉の人にしたら郷土出身の大作家ですからね。清張の業績ゆうか活躍ぶりも生前からよう知られてたでしょうし」
「清張さんと関わりのあった人も大勢いてはるやろしね」
「せやから気前ようぽんとお金を出して記念館もできたわけです」
「二十五億ほどかかったて新聞に出てましたけど、えらい豪毅な話ですな」
「九州の人間は肝っ玉がふとかですばってんね」
「いきなり九州弁にならんでもええねん」

その人は学芸員
「記念館は東京の清張の家にあった蔵書とか資料を一括寄贈されてるわけですけど、これは生前から話ができてたわけではないらしいですね」
「清張さんが亡くなってからですか」
「平成四年八月になくなった直後、北九州の市長さんが上京してご遺族に交渉されたゆうことでした」
「とんとん拍子に進んだわけですか」
「そうです。ただし記念館建設にはふたつだけ条件があると」
「どんな条件ですか」
「ひとつは記念館を北九州市が直接運営すること」
「もうひとつは」
「松本清張から全面的に信頼されていた女性編集者が文藝春秋にいてはったんですけど、その人に記念館の館長をやってもらうこと」

 この漫才に記したこと以外にも清張記念館スタッフの方からいろいろとお聞きしてまいりましたので、記憶に頼ってそれをお知らせしておきますならば、まず二十五億円もの予算の問題。計画決定したのはバブルがはじけてのちのことではあったものの、その後の不況がここまで(というのは1998年の時点のことですが)深刻になるとは予測できなかった時期のこととて、二十五億円かけて記念館を建設することにはどこからも異論は出なかった。

 北九州市には清張が小倉に住んでいた当時に関係のあった方がたくさんお住まいで、年齢が年齢ですからいわゆる各界各層のトップとかそれに近いポジションについていらっしゃる。そうした人たちがまず諸手をあげて賛成し、ほかに地元の青年会議所あたりからも清張記念館をぜひ、という声が高まってきて、最終的には北九州市議会におきましても、清張はレフトウィングの熱烈な支持を集めた作家でありましたゆえ(すぐに破談になったとはいえ日本共産党と創価学会との手打ちをとりもった作家でもありましたし)、共産党議員も含めた全会一致で清張記念館の建設が認められたとのことでした。

 そんなこんなで館内も見学し、さすがにすごい施設ではあったのですが、しかしこんなものをつくってしまったら管理運営がたいへんであろうな、入館者数の増減に神経質になり、展示などの企画に頭をひねり、そのいっぽうで清張の人と作品への持続的なアプローチをつづけ、なんていうのはじつにたいへんなことではないか、と私は思いました。考えてみれば前年の1月には当時の名張市長が乱歩記念館をつくるぞと公言し、しかし何の進展もありませんでしたからことなきを得てはいたのですけれど、やっぱ記念館の建設なんていうのは文字どおりの一大事業であるなということが実感された次第でした。

 ひるがえって当節の名張市における乱歩記念館だか乱歩文学館だかのおはなしはといいますと、これはもう清張記念館とはくらべものにもなりません。まず内発的のものがどこにもありません。みごとなほどにありません。名張市に乱歩記念館が必要だという市民の声がどこかにあるのか。どこにもありません。そんなものは名張まちなか再生委員会の内部でこそこそと、それもルールや手続きや原理原則というものをことごとく無視した不当なやり方でこそこそとささやかれているだけなのである。そんな構想がかりに実現に移されたとしても、きのうも書いたことではあれど、

 「清張記念館があんなに立派なのに乱歩記念館はどうしてこんなにしょぼいんですか。名張市は乱歩をばかにしてるんですか」

 という外部からの声が聞こえてくるのは眼に見えていると私は思う。

 ここで眼を転じることにして、近年話題の記念館といえば鳥取県境港市の水木しげる記念館が想起されます。これは新たに建設した施設ではなく、長く営業していた料亭をリフォームして記念館に再利用したものなのですが、それでも四億八千万円の事業費がかけられています。この数字はたしかなものです。今年4月に実業之日本社から出た五十嵐佳子さんの『妖怪の町』(監修は水木しげるさん)にそのように記されているのですからまちがいありません。

 この本によると水木しげるさんの生まれ故郷である境港市で1992年、住民の提唱によって妖怪のブロンズ像がつくられました。翌年にも像の設置がつづけられ、ブロンズ像のならぶ通りは「水木しげるロード」と名づけられました。1996年にはブロンズ像が八十体となり、翌97年には水木しげるロードが年間四十六万八千人の観光客を集めるにいたったそうです。

 水木しげる記念館は1998年の完成をめざし、六億六千万円をかけて鉄筋コンクリート三階建ての施設をつくることが構想されたのですが、市議会で反対されて計画は中断。しかし水木しげるロードはコンスタントに年間四十六万人を集めつづけ、2000年には地元民間企業が水木しげるロードの中心に妖怪神社を建立。おかげでその年の観光客は六十一万人に達しました。さあどうする。

 境港市は市の単独事業による水木しげる記念館の建設を断念し、国の地域総合整備事業の助成を受けることに決定。新築ではなく料亭を改築することで予算規模を縮小し、乾坤一擲の計画を市議会に提案したのでしたが、しかし賛否両論が噴出して喧々囂々侃々諤々。それでもなんとか議会の承認を得て、記念館がオープンしたのは2003年3月のことであったといいます。

 それで昨年一年間、角川映画「妖怪大戦争」の影響もあったのか、水木しげる記念館や水木しげるロードを訪れた人の数は過去最高の八十五万五千人を記録したそうな。

 水木しげる記念館のオフィシャルサイトをどうぞ。

 松本清張記念館にしても水木しげる記念館にしても、名張市の乱歩記念館構想とは全然もう根本的にちがっておるではないかという気がします。大丈夫なのか名張まちなか再生委員会。ひとごとながらお案じ申す。

  本日のアップデート

 ▼2006年7月

 名探偵、トリック、そして本格ミステリー 西村京太郎、綾辻行人

 西村京太郎さんの『新版 名探偵なんか怖くない』が出ました。というか、気がついたら出ておりました。1977年刊行の講談社文庫をリニューアルした一冊。三億円事件を再現してクイーン、ポアロ、メグレ、そしてわれらが明智小五郎といった往年の名探偵が腕くらべを披露する、という小説です。

 巻末に収録された対談から引いておきます。

綾辻 日本のミステリーでは、どのあたりを愛読されていたんですか?

西村 (江戸川)乱歩さんのものをずいぶんと読みましたよ。一番好きだったのは『パノラマ島奇譚』かな。ある種、男の夢みたいなものが書いてあるからね。

綾辻 明智は出てこない作品ですね。

西村 あとは「押絵と旅する男」。あれっ、これも明智は出てこないか。乱歩さんがすごいと思うのは、今読んでも古臭くないということだね。だから、いつまでも読まれ続ける。横溝(正史)さんも文章はうまいけど、さすがに、今読むと、ちょっと古くなっちゃってる部分があるように思うね。

綾辻 乱歩さんのほうが現実から足が離れていた分、古びないところがあるのかもしれませんね。横溝作品も、僕は決して古びてはいないと思いますけれど。

 お名前が出てまいりましたのでひとことご案内。本年10月28日に名張市内で催される綾辻行人さんの講演会のお知らせが名張市のオフィシャルサイトで告知されております。よろしくどうぞ。


 ■ 7月22日(土)
乱歩記念館の息の根

 松本清張記念館が二十五億円、水木しげる記念館が四億八千万円、みたいなおはなしをしていると、問題はお金じゃないとおっしゃる方が出てくるかもしれません。よくぞ申した。その言やよし。しかしそんなせりふは、まちがっても名張まちなか再生委員会のみなさんには口にできないものでしょう。お金はあまりかけられないが、名張市民が胸を張って誇れるような乱歩記念館だか乱歩文学館だかをつくってみせます、などという啖呵はあの委員会のみなさんには死んだって切れないはずである。

 いやいや、こんなふうに断言してしまうのはまずいかもしれません。なにしろあの委員会ときたら初瀬ものがたり交流館にせよ乱歩記念館にせよ、自分たちの考えていることを何ひとつ明らかにしようとしないんですから、事態としてはいよいよ「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」状態。地域住民にはいっさい情報を開示せず、住民の税金を自分のお金だと勘違いしたままで、こっそりこそこそことを運んでしまう魂胆なのかな。

 しかしそうもまいらぬのではないか。たとえば私が名張まちなか再生プランの欺瞞性を指摘し、名張まちなか再生委員会にプランのことで申し入れを行い、しかし委員会はまったく聞き入れようとせず、みたいなことはこの名張人外境でずーっとずーっと一年以上も報告しつづけているわけですから、むろんごくごく少数にとどまるものではありますが、名張市民にも乱歩ファンにもプランがインチキであるという認識は着実にひろまりつつあるのではないか。ていうか、すっかりひろまってしまっているのではないかいな。

 インターネットというのはなかなかに恐ろしいもので、新聞であれば地方版に載るだけの記事でもひとたびネット上に掲載されれば読者の数は一挙にふくれあがる。たとえば私がほぼ毎朝チェックしている2ちゃんねるのニュース速報+板にはきのうの午後にこんなスレッドが立てられていて、この板でわれらが伊賀地域のことが話題になるのは昨年11月、名張市が住民投票条例案を明らかにしたとき以来のことではないかと思われるのですが、旧上野市選出の議員先生がいいように叩かれてます。

 旧上野市選出の三重県議会議員の先生が津市内の飲食店で暴力沙汰におよんだと訴えられ、ご本人は事実関係を否定したもののあっさり逮捕されてしまったという一件。このスレッドのソースは毎日新聞三重版で、つまり全国紙の紙面を通じてであればおおむね三重県民にしか知られることがなかったはずのニュースなのですが、インターネットとなればそうは行きません。げんにこの先生、2ちゃんねるにさらされてこんなことになってるわけですから。

 それで結局のところ私が何をいってるのかといいますと、もう無理だろうということです。乱歩記念館だか乱歩文学館だか、そんなものはできないであろうということです。伊賀地域を代表する知性であり名張市でもっとも乱歩のことをよく知っている人間がここまで構想を否定し、見解をおおっぴらにしているわけなんですから、名張まちなか再生委員会にも私のいってること、煎じつめていってしまえばこんな構想はうわっつらの思いつきにすぎないということはそろそろ自覚されてきているのではないか、しかし彼らには何をどうすることもできなくて、要するにもうお手あげの状態なのではないかということです。

 しかし名張まちなか再生委員会には、それを認めることも公表することもできないのであろうと推測されます。よろしい。それならば私が息の根をとめてさしあげましょうか。私は名張まちなか再生プランにも名張まちなか再生委員会にもいまやいっさい関わりがなく、こちらから何かを働きかけることもなければ委員会側からの依頼要請に応じることもないわけなのですが、こんな構想は早い段階で叩きつぶしてやるのが親心というものかもしれないなという気がしてきました。私は誰の親なのか。

 ですから名張まちなか再生委員会のみなさんはですね、何から何まで秘匿隠蔽していないで、税金を無駄づかいするなら無駄づかいするでおまえらがいったいどんな頭の悪いことを考えているのか、その構想をくわしく公開してみろというのだ。おまえら秘密結社か。

  本日のアップデート

 ▼2005年2月

 魔法博士 江戸川乱歩

 いつものものです。巻末解説をどうぞ。

解説 好敵手のふしぎな対決 石井直人

 好敵手ということばがあります。いまではあまり使われなくなったことばのひとつかもしれません。「試合や勝負事で、たがいに力量が同程度の、やりがいのある相手」のことだそうです。たぶん、いまでは、ライバルということばを使って同じような意味をあらわしているのでしょう。ただ、「こうてきしゅ」には、好という字のあたりにライバルという外来語とはちがった微妙な味わいがあるようです。

 さて、江戸川乱歩の愛読者ならば、いわずもがなでしょうが、「少年探偵」シリーズは名探偵明智小五郎と怪人二十面相の二人の対決をぬきにして語ることはできません。第一作『怪人二十面相』いらい、ずっとそうです。明智小五郎は、犯人逮捕の瞬間に決まって名せりふといっていいような啖呵を切りますが、ここにも、相手にたいする並々ならぬ思いがこめられています。


 ■ 7月23日(日)
恐怖のツートップに見る思惑と魂胆

 いやおそろしい。インターネットは恐ろしい。

 2ちゃんねるにおきましてはきのうお知らせした上掲のスレッド以外にも、旧上野市選出の三重県議会議員の先生が津市内の飲食店で暴力沙汰におよんだとして逮捕されてしまった一件のスレッド、こんなふうな感じで増えております。





 うーん。面白い。いや面白がってちゃいけませんけど、地域社会の一員としては伊賀地域に関係のあることが大々的にとりあげられるのはなんとなく嬉しいことのような気がします。議員先生の関係者は嬉しくなんか全然ないでしょうけれど、議員先生のいわゆるアンチは大喜びしていらっしゃることでしょう。たとえば2ちゃんねるにおける三重県職員の憩いのオアシスにおきましては──

 案の定「祝・逮捕!」みたいなことのようです。しかし議員先生に何の関係もない地域住民だって、三重県ってのはまったく、ですとか、これだから伊賀の人間は、ですとか、困惑したり憤慨したりしながらもなんとなく嬉しい気がしないでもないのではないか。それが一般的な感情ってやつではないかと私には思われるのですが、伊賀地域にお住まいの読者諸兄姉におかれましてはいかがなものでしょうか。

 ひるがえって名張市における乱歩というやつも、たぶん似たようなものなのではないかしら。つまりみんな乱歩には無関係、ろくに作品を読んだこともないのではあるけれど、しかし乱歩という著名な作家がらみで名張市のことがとりあげられれぱ嬉しい気がするから、それなら乱歩記念館とか乱歩文学館とか、そんなものをつくれば名張市を売り出すこともできるのではないか、そしたらみんなで喜べるのではないか、みたいなことでしかないのではないかと私の眼には映るわけです。むろんくだんの先生は逮捕というマイナス要因によって人の耳目を集めているのですけれど、プラスかマイナスかを無視してしまって単に地域社会が注目を集めるための素材であると考えるならば、地域住民にとっては乱歩も議員先生もどちらだっておなじであるといえるのではないかと思います。

 しかしこれがインターネットの怖ろしさか、ネット上では名張市のそんな思惑なんかとうに見透かされてしまっているような気も私にはいたします。はっきりいって最近までそんなことはなかった。名張市立図書館が江戸川乱歩リファレンスブック全三巻(のちに一巻追加。現在鋭意編纂中)を刊行し、本来であれば名張市のオフィシャルサイトでその三巻のデータを公開すべきところ、名張市にはお金がありませんでしたから私が個人的にサイトを開設してそれを公開し、みたいなことをやっていたあいだは、お、名張ってなかなかやるじゃん、みたいに思ってくださる人がなくはなかった。手前味噌のようなれど、私にはそのように感じられた。

 しかしもういけません。名張市の化けの皮は完全にはがれてしまいました。決定的だったのはやっぱこれでしょう。

 なかんずく怪人19面相という名のばかによるこのひとこと。

 ──そもそも江戸川乱歩みたいなものどうでもええねん。20面相のキャラで又スフインクスのナンチャッテ写真で公益活動を実践しているのだから貴様につべこべ言われる筋合いとちがうねん!

 これが決定的でした。なんという決定力。サッカーW杯日本代表チームにわけてあげたかったほどの圧倒的な決定力なのですが、これだけで驚いていてはいけません。名張市自慢のツートップ攻撃をごらんあれ。

 ──現段階では乱歩に関して外部の人間の話を聴く考えはない。

 名張まちなか再生委員会によるこのひとこともまた決定的でした。これで終わりました。名張市は終わりました。うすらばかどもは何の考えもなく、何の考えもないがゆえの正直さでもって自分たちの内面をあきらかにしてしまいました。自分たちにとって乱歩なんてじつはどうだっていいんだということを吐露してしまいました。

 ですから私には、

 ──名張市に乱歩記念館をつくろう。

 という名張まちなか再生委員会の言葉は、

 ──そもそも江戸川乱歩みたいなものどうでもええねん。20面相のキャラで又スフインクスのナンチャッテ写真で公益活動を実践しているのだから貴様につべこべ言われる筋合いとちがうねん!

 ──現段階では乱歩に関して外部の人間の話を聴く考えはない。

 という言葉によって裏打ちされているように聞こえてしまう。のみならず、名張市という自治体の本音がこれなのであるとさえ私には思われる。いやいや、げんにそうなのであった。私が直接知るかぎりでもここ十年あまり、名張市は乱歩にかんしてずーっとそうであったのである。そうではないと否定することは、名張市にも名張まちなか再生委員会にもとてものことにできぬと思う。

 ばーか。そんな魂胆しかない連中に何ができるか。記念館だか文学館だか知らんけれど、そんな構想はとっととシュレッダーにかけてしまえと私は思っているのであり、おまえらとはもう縁もゆかりもないおれではあるが、これが武士の情けというやつさ、おまえらの手ではどうにも収拾がつかなくなったインチキプラン、おれが悪者とか嫌われ者とか憎まれ者とかになってきれいに水に流してやろうといっておるのだ。おまえらがプランを公開すればおれがいいように引導を渡してやろうといっておるのだ。こんなありがたい話はないではないか。

 なんてこといってみても蛙のつらに小便か。いつまでもげろげろいってろ蛙ども。

  本日のアップデート

 ▼1958年9月

 権威あるリーダーたれ 宝石編集部への公開状

 SRの会から頂戴した『SR Archives Vol.1』にもとづいて「SRマンスリー」をしらみ潰しにしてゆきたいと思います。

 昭和33年9月号、すなわち乱歩が「宝石」の編集に乗りだしてほぼ一年が経過したころ、「宝石」編集部を叱咤する文章が掲載されました。ひらたくいえば編集者乱歩に注文をつけた文章です。

 当時、「宝石」をはじめとした探偵雑誌は六誌を数え、「数の上では未曾有の盛況」であったとのことですが、「大御所江戸川乱歩氏の編集する宝石が当然、探偵雑誌のリーダーとなるべき責任があるにも抱らず(拘らず、の誤植でしょう──引用者註)、本号の座談会にもあるように、愛好者から見放されつつある。見放される理由はいろいろあるが、一言でいえば“魅力がない”ということになろう」と手厳しい。

 で、「SRマンスリー」による「宝石」編集部への提言として次の十項目が掲げられています。

一、評論、研究にもつとスペースをさくこと。

二、毎号百枚以上の読切を載せること。

三、小間切れ連載をやめること。

四、ヒチコック・ミステリイ・マガジン以外の飜訳を本誌に載せること。

五、執筆者を固定化せず、広く人材を求めること。

六、いわゆる“知名人”を必要以上に優遇せぬこと。

七、一流作家の名前を並べることにこだわらず、新人の育成に力を注ぐこと。

八、サシエ、カットにも金をかけること。

九、新青年への郷愁を捨て、現代のセンスをとりいれる。

十、読者の声を尊重すること。

 ほんとに手厳しい。乱歩がこれを読んだのかどうかはわかりませんが、読んだとしたら苦虫を噛みつぶしたような顔になったのではないかと想像されます。


 ■ 7月24日(月)
某先生のあれにかんする名張市民の弁明

 例の先生におかれましてはあいかわらずたいへんみたいです。2ちゃんねるにおきましては新しく7月23日付朝日新聞名古屋本社版30面というソースが紹介され、それによりますと津市内の飲食店(しゃぶしゃぶの木曽路という店であると2ちゃんねる的には確定されております)で暴行を働いたとして逮捕された旧上野市選出の三重県議会議員の先生は、まず二十代の女性店員を怒鳴りつけて泣かせたあと六十歳の女性店長に暴行を加え、そのあとたらふく飲み食いしたあげく、

 「請求書を後で事務所に送れ。払うか払わんか、わからんがな」

 と名刺を渡して店を出たそうです。逮捕された21日の時点では、飲食代はまだ支払われておらなんだそうな。なんじゃこいつは。

 しかもご丁寧なことにその議員先生様ご一行は先生の「友人の男性1人と外国人女性2人の計4人」であったとのことで、こんな事実を知らされると大衆的想像力というやつにはとめどがなくなります。

 そうかそうか先生は店の女の子を泣かせ女性店長に怪我を負わせたあと店内にどっかと陣取ってしゃぶしゃぶを注文しほらどんどん食えおまえも食えほら遠慮するなおれのおごりだとかいいながら同席したふたりの外国人女性にもたっぷりしゃぶしゃぶを食わせたあげく店には名刺一枚渡しただけで天下堂々無銭飲食そのあとはたぶんどこかのラブホテルにしけこんだのだろうなそう考えるのがいちばん自然だろうなそれで外国人女性とぱほぱほやりまくったのかあっもしかしたら3Pかくっそーこの先生はしゃぶしゃぶたらふく食って外国人女性にもしゃぶしゃぶ食わせてそのあと別のものをしゃぶらせてやりまくりかよしかし大丈夫であったのかこの外国人女性はもしかしたらおまえは締まりが悪かったから金なんか払ってやらん金がほしかったらあとで事務所に請求書を送れただし払うか払わんかわからんがながははははははははとかいいながら外国人女性のまたぐらに名刺一枚ぺたんと貼りつけて帰ってきたのではないのかこの先生。

 この一件をめぐる大衆的想像力は嫉妬を基本的駆動力のひとつとしてだいたいそんなような方向に流れてゆくのではないでしょうか。私はそんなことまったく考えてはいないのですけれど、大衆的想像力の意識の流れを推測してみるにどうもそんなようなことではないのかという気がします。それともうひとつ、この先生はまったくひどい男だがこんな県議会議員を選挙で当選させた三重県民もばかなら議長に選んだ三重県議会もばかであろう、三重県って最低、みたいなあたりにも2ちゃんねるにおける大衆的想像力は当然およんでしまうことでしょう。

 ここで私は声を大にして申しあげたい。この先生は伊賀地域から選出された三重県議会議員ではいらっしゃいますが、名張市は全然関係ありません。選挙区がちがっております。名張市はこの先生が選出された選挙区には含まれておりません。その点ご承知おきいただければ幸甚に存じます。

  本日のアップデート

 ▼2006年4月

 編集者としての江戸川乱歩 小林信彦

 昨日『SR Archives Vol.1』にもとづいて「SRマンスリー」をしらみ潰しにしてゆくことをお約束いたしましたが、きょうはもう脱線です。

 きのうご紹介したのは「宝石」編集者であった乱歩に対するSRの会の注文、というかはっきりいって批判の文章であったわけなのですが、こうした批判はときとともに見失われてしまいがちで、いまやわれわれは「宝石」の編集に乗りだした晩年の乱歩が探偵文壇の外にも声をかけてばんばん原稿を集めてまわり、なんというのか殿様編集者として君臨してそれなりの成果を残したみたいな印象を抱いてしまいそうになるのですが、そんなことはなかったと証言するのがこの一篇。

 今年4月に出た小林信彦さんの『昭和のまぼろし』に収められたもので、もとをただせば昨年2月、「週刊文春」の連載「本音を申せば」の一篇として発表されました。

 小林さんが宝石社に雇われたのは昭和34年のことで、「宝石」には名前だけの編集長がおり、そのうえに乱歩がいた。文中ではAとされているこの編集長はアルコール依存症で、

 「(雑誌が)売れないのは、大先生(と乱歩を呼んだ)のセンスが古いからで、ぼくも苦労するよ」

 と公然と口にするような人物であったといいます。

 乱歩の原稿依頼は、電話、電報、葉書、手紙などでおこなわれ、Aが代行することも多かった。

 乱歩としては、Aが積極的に働くのを期待して編集長にしたのだが、そうはいかなかった。それまで軍記雑誌(太平洋戦争のことなどをとりあげる)の編集長をしていたAは推理小説を知らなかったのだ。

 ある日、乱歩はAをつれて、Cの家を訪れた。もちろん、原稿依頼のためだが、こまかいことは、その場にいなかったぼくにはわからない。

 Cは決して〈畏れ入〉ることなく、依頼を断った。これは仕方がないことだと思う。

 乱歩は複雑な心境だったにちがいない。戦前の彼は依頼を断ったり、姿を消す方も大家であった。流行作家が断る気持を乱歩ほどわかる人もいまい。

 Cの家を出て、少し歩いたところで、Aは「先生、ことわられましたね」とニヤッとしたという。その時だけは乱歩もかっとなり、Aを突き飛ばした。

 乱歩は巨漢である。Aは吹っ飛んで、脇の溝に落ちた。

 「Aって奴は意地悪なんだよ。C君に断られて、ぼくが困惑してる姿が面白かったんだ。そういう奴だからなあ」

 のちに、ぼくにそう言った。

 『江戸川乱歩年譜集成』編纂中の身としては、こういう証言はほんとにありがたく思われます。

 ところでここに登場してきたアル中で推理小説を知らなくて意地悪で乱歩に突き飛ばされてどぶに落っこちた編集長Aというのは、いったい誰ならん。普通に考えればOさんでしょう。【2006年7月26日追記】Oさんと考えたのはたぶんまちがいで、編集長AはイニシャルでいえばTであったらしいなと、「SRマンスリー」昭和35年7月号の「編集者は語る」第四回を読んで結論するにいたりました。適当なことを書き散らしました段まことにお恥ずかしく、お詫びを申しあげる次第です。

 ──蓄膿症その他を患いながら、自分が世に出した作家に断られる六十代の乱歩は決して〈愉快〉ではなかったろう。必要とあらば、乱歩は〈平身低頭〉もした。新聞記者を料亭に招待し、PR記事をたのんだ時がそうで、ぼくはその場にいた。新聞記者に酒を注ぐ役で、赤坂の高級料亭であった。

 とも小林さんはお書きなのですが、とにかく貴重な証言です。

 『昭和のまぼろし』は文藝春秋発行、本体千六百十九円となっております。私がきのう大阪で購入したのは(当地の書店にはならばなかったわけなのですが)6月20日発行の第二刷でした。


 ■ 7月25日(火)
雨は降り、最後のチャンスは棒に振る

 しつこい。それにしてもしつこい。いつまでも降りつづく雨のようにしつこい。当節はニュースの賞味期間というものがおっそろしく短くなっていて、人の噂も七十五日なんてのはとっくに過去の話、この話題もじきに忘れられてしまうだろうとは思うのですけれど、旧上野市選出の三重県議会議員の先生が逮捕されたという一件で2ちゃんねるにはきのうになってまた新しいスレッドが。

 この議員先生はたしか一貫して容疑を否定していらっしゃるはずなのですが、だというのに県議会からも県民からもすでに見切った見限ったみたいな扱いを受けていらっしゃるように見受けられるのはどうしたことか。やはり日ごろの行い心がけがよろしくない先生の場合には、一朝ことあらばここを先途と水に落ちた犬のごとく打たれ叩かれぼこぼこにされるということなのでしょうか。茶から出たわび、身から出たさび、いかんともしがたいところなのかもしれません。

 いっぽう私も結構しつこかったわけですが、ご町内感覚となあなあ体質まるだしで進んでいるんだかそれとも座礁してしまったのか、一般市民には何も知らされていない名張まちなか再生プランの件、とにかくこのプランは何から何までインチキなのであるということを、とくに名張市民のみなさんにはよくご認識いただきたいと思います。ご認識いただいたところで歯止めをかける手だてはないようなのですが。

 プランがインチキであるゆえんはさんざっぱら説いてまいりましたからここにはくり返しませんけれど、どうしてこんなインチキがまかり通ったのかというならば話は簡単、もともと相当にできのおよろしくない関係各位のみなさんがご町内感覚となあなあ体質で凝りかたまっているからなのであるというしかありません。ほんとにもう何いったってだめなの。蛙のつらに小便なの。

 それでは蛙のみなさんにひとこと。名張まちなか再生プランに対する批判と対案は、わが渾身のパブリックコメント「僕のパブリックコメント」に記してありますから、読めったって読みもしないのだろうし、読んだところでそこに盛りこまれた理念やビジョンなんて理解できないのであろうけれど、ていうか蛙さんたちには理念やビジョンは邪魔なのであろうけれど、まあ読んでごらんと申しあげておきましょう。読み書きくらいはできるのであろうが。

 ここでつらつらふり返ってみますに、このパブリックコメントこそは名張市にとって最後のチャンスでした。名張市が乱歩にかんしてまともなことをやるための最後のチャンスであった。しかしもう手遅れである。残念な話である。ご町内感覚となあなあ体質で乱歩記念館だか乱歩文学館だか、そんなものつくったって地域社会のお荷物になるしかないのだということを深く深く思い知るべきところなのであるが、蛙さんたちにはそんなことすらわからんのであろう。不愍な話である。

 いや、最後のチャンスはそのあとにもう一度あったか。私が名張まちなか再生委員会の事務局を最後に訪れたときのことであった。ろくに乱歩作品を読んだこともないうすらばかに文学館だか記念館だかそんな愚劣なことを考えさせる以前に、名張市はいったい乱歩をどうしたいのか、それを明らかにすべきなのである、そのためには庁舎内に乱歩にかんする部局横断的なネットワークをつくることが必要である、乱歩にかんする知識と知恵ならおれがいくらでもつけてやるから、乱歩にかんしてまともなことをしたいと思うのであれば早急にそうしたネットワークをつくってみなさい、と進言したのが最後のチャンスであった。むろん何の音沙汰もないから、名張市役所のみなさんは、

 ──現段階では乱歩に関して外部の人間の話を聴く考えはない。

 みたいなことでいらっしゃるのか。とにかくもう終わった。最後のチャンスもあたら棒に振ってしまって、可能性の芽はことごとくつまれてしまった。関係者の無能力と怠慢のせいで完全に終わってしまったわけである。

 しかしそれにしても、名張市というところは、あるいは、伊賀地域というところは、ていうか、三重県というところは、どうしてここまでひどいのかしら。名張まちなか再生プランなどという愚かしいプランのことはもうどうだっていいとしても、このあたりはほんとにどうしてこんなにひどいのか。

  本日のアップデート

 ▼1959年9月

 TVスリラー案内 伴陀韻

 それでは CD-ROM『SR Archives Vol.1』にもとづいて、本日は昭和34年発行の「SRマンスリー」をしらみ潰しにしてみます。

 この年、乱歩は松本清張との共編による『推理小説作法』(去年の8月に光文社文庫に入ったやつです)、それから書き下ろしの『ぺてん師と空気男』などの著作を世に問いましたが、「SRマンスリー」での評価は高くありませんでした。タイトルだけからもそれが知られますのであげてみますと、前者は「期待はずれの評論集」(5月号に掲載)、後者は「読者はおどろかない」(12月号に掲載)といった感じです。

 昭和34年といえば4月に皇太子の成婚パレードが行われ、皇居から東宮御所までの記念パレードをテレビ各局が総力取材、それを視聴するためにテレビ受像器が飛躍的に普及した年として記憶されているのですが、そうした趨勢は「SRマンスリー」にも如実に反映されていて、9月号には「TVスリラー案内」というコラムの第一回を見ることができます。

 当時はスリラー番組なるものがくつわをならべていたようで、コラムにとりあげられたところを列記してみますと、月曜日が「東京零時刻」(KRT)、水曜日が「夜のプリズム」(NTV)と「恐怖物語」(フジ)、木曜日が「この謎は私が解く」(KRT)、金曜日が「影」(NET)、土曜日が「日真名氏飛び出す」(KRT)と「雨傘プロスリラー劇場」(NTV)、日曜日が「私だけが知っている」(NHK)といったあんばい。

 私には「日真名氏飛び出す」と「私だけが知っている」のかすかな記憶があるような気がするのですが、乱歩が出演していたという「この謎は私が解く」のことはまったくおぼえがありません。

 (木)この謎は私が解く(KRT)乱歩を引きずり込んでのマヤカシ番組。俳優、セット、演出等すべてが安手でその場限りのくせに、やたらと映画的な手法を乱用するから、いつもガタガタ。乱歩も乱歩で牛のヨダレ然としたブザマな解説。タイトルだけはいつも勇ましいハッタリ・プロ。見るべからず。

 (三センチ評)スイッチは私が切る。

 文中の「プロ」は「プロフェッショナル」ではなく「プログラム」の略でしょう。番組名は「この継は私が解く」と記されているのですが、「継」は誤植であろうと推測して「謎」に改めました。「継」の謎を私が解いた次第です。

 それにしても手厳しい。乱歩が毎号読んでいたのだとしたら、乱歩は「SRマンスリー」のことが大嫌いだったのではないかと推測されます。

 手厳しいといえば酷使官こと紀田順一郎さん。7月号の連載時評「To Buy or Not To Buy」には「特集 松本清張」という一項が立てられ、週刊誌をホームグラウンドとした清張の濫作ぶりが痛烈に批判されているのですが、漢詩もどきのしめくくりには大笑いさせられました。乱歩の名は出てくるもののあまりにも断片的であるゆえ「乱歩文献データブック」にはひろわなかった一篇ですが、座布団一枚進呈する意味をこめてここに引用しておく次第です。

昔、清張は黙々創作三昧
啾々孤独を吟ず
乱歩呼び来れども、宝石に書かず

今、清張は続々推理百篇
銭は急げと週刊雑誌を優先
乱歩呼び来ればパラパラと数枚


 ■ 7月26日(水)
三重県のスキャンダルで関西は死ぬのか

 いつまでもこんなことを面白がっておってはいかんではないか、とか、おれも何かあったときには官民双方四方八方からこんな感じでぼこぼこにされるのであろうな、とか、複雑な思いで見守っております旧上野市選出の三重県議会議員の先生が暴行の容疑で逮捕されたという一件、2ちゃんねるのスレッドはまだ生きております。

 そしてきのうはこんな投稿が。

232 :名無しさん@6周年:2006/07/25(火) 12:28:42 ID:Xnv+CcWS0

来店前に別の県議らと酒を飲んでいた=新生みえの集まり、相当泥酔していたらしい。
酒に酔うと粗暴になる(酒癖が悪い)。県職員に圧力を掛けたり敵は多いと思う。
警察にもマークされていたという噂や警察が被害者に被害届けを出すように求めたと言う噂もある。

 事情を知っている関係者が投稿したもののようですが、信を置くかどうかは閲覧者それぞれのメディアリテラシーにゆだねることにして、「相当泥酔していたらしい」というのが気にかかります。つまりこの先生、くだんのお店の店長に暴行を加えたことを一貫して否定していらっしゃったのですが、要するにべろんべろんの状態だったから自分が何をやったのか記憶していないということだったのでしょうか。そんな状態で外国人女性としゃぶしゃぶを食い、そのあとなおあんなことにも及んだというのか。

 泥酔していたかどうかはともかくとして、先生がくだんのお店に入った時点でしらふではなかったことは事実であるらしく、伊勢新聞のオフィシャルサイトにはこんな記事が。

事件前に知事らと懇親 田中県議
 田中覚県議が二日に津市内の飲食店で女性店長にけがを負わせたとする傷害・暴行事件で、同県議は同店に来店する前に、野呂昭彦知事ら三役との懇親会に出席していたことが分かった。

 懇親会は正副議長の新旧交代時に毎年、行われる恒例の会合で、知事ら三役と現正副議長、前正副議長、各派代表者が出席。社会経済情勢の変化などで、現在は出席者は私費で参加しているという。

 二日の懇親会は午後五時から同七時ごろまで津市内の飲食店で行われた。同県議は前議長として参加していた。

 2ちゃんねるにおける三重県職員の憩いのオアシスはと見てみれば──

 先生擁護派の姿はまったく見えません。あるのはたとえばこんな投稿。

597 :非公開@個人情報保護のため :2006/07/25(火) 20:30:22

なんや、知事も議長も当日の夕方から、一緒に飲み食いしとったんや(BYガセ新聞)
せやのに、みんな知らんプリやんな、同罪やな、みんなクソ以下や。

会食した後に、しゃぶしゃぶ食べに行くのは、コンパの外人姉ちゃんに食べさした後
XXXするんやろな。

 「XXX」と伏せ字にされているのは「SEX」でしょうか「エッチ」でしょうか。それとも東京あたりでは四文字になってしまう例の言葉なのでしょうかまあいやらしい。大衆的想像力はもうぎんぎんです。

 いっぽうこのスレッドはどうなのかと眼をやれば──

 当然のことながらこんな声が。

162 :オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!:2006/07/25(火) 00:08:38 0

最低の議員だね。
こんな奴当選させる県民ってどうよ?


166 :オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!:2006/07/25(火) 22:54:04 0

>>162
ジャスコ岡田の出身県なんだよ。民主つえーんだよ。
文句なら組織的にこんな基地害担ぎ上げた民主党に言え。


167 :オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!:2006/07/26(水) 00:02:03 0

>>166
他責にしてるようではレベル低いよ
見え賢人さん


168 :オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!:2006/07/26(水) 00:02:50 0

166は出身地丸出しだね。


172 :オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!:2006/07/26(水) 00:10:16 0

どうでもいいよ、ヴォケ!
三重県、程度低すぎるんだよ!


176 :オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!:2006/07/26(水) 04:00:44 O

関西死ね

 7月24日付伝言で私は、

 ──この先生はまったくひどい男だがこんな県議会議員を選挙で当選させた三重県民もばかなら議長に選んだ三重県議会もばかであろう、三重県って最低、みたいなあたりにも2ちゃんねるにおける大衆的想像力は当然およんでしまうことでしょう。

 と案じたものでしたが、予想したとおりの展開になり、しかも「関西死ね」という罵詈雑言までが飛びかうにいたっております。三重県が関西地方に属するのか東海あるいは中部地方に属するのか、これはいささか難しい問題でありますから軽々に断ずるわけにはゆかないのですが、それにしてもこのあたりはどうしてこんなにひどいのか、とは私も思います。

  本日のアップデート

 ▼1960年1月

 一九六〇年推理小説界予想(上) 愛飢男、河田陸村、酷使官、日野景一、八名八郎

 本日は昭和35年発行の「SRマンスリー」です。

 まず最初にお詫びを申しあげておきます。私は7月24日付伝言のなかで、小林信彦さんの「編集者としての江戸川乱歩」に登場したAという人物について、

 ──普通に考えればOさんでしょう。

 との推測を記したのですが、「SRマンスリー」の昭和35年7月号を読んでその考えを改めるにいたりました。詳細は(あまりくわしくもないのですが。というのも、小林さんが伏せていらっしゃる実名を私が明かしてしまうのはいかがなものかと思いますゆえ)7月24日付伝言の本日付追記でどうぞ。

 さて昭和35年、西暦1960年といえばいわずと知れた60年安保の年。なにやら殺気だったような時代の空気が誌面にも影を落としたのか、この年の「SRマンスリー」では安保闘争に比肩できるほどに激烈な法廷闘争がくりひろげられました。

 私も聞き及んではおりました。鮎川哲也を被告人とした「SR法廷」なるものが誌上で開かれたとは聞き及んでおった。しかしここまでのものとは思うておりませんでした。

 顛末をご紹介いたしますと、第一回公判が開かれたのは4月号のことで、河田陸村検事が「憎悪の化石」にもとづいて論告を行いました。5月号ではそれを受けて杉谷たかし弁護士が弁論し、つづいて河田検事は「黒いトランク」における被告人の罪状を追及。河田検事の論告は6月号でもつづけられ、1960年6月といえば日米安全保障条約改定阻止を叫んで二次にわたるデモがくりひろげられた月なのであって、樺美智子が殺されたのは6月15日のことであったのですが、「SRマンスリー」においても6月号では天城一さんが裁判の中止を求める「見当違いの検事側論告」という意見書を叩きつけるなど法廷闘争はいよいよ山場。つづく7月号で杉谷弁護士による弁論が終了し、8月号ではいよいよ河田検事の最終論告と天城特別弁護人の裁判無効宣言、そして陪審員による評決を経て裁決が行われるというゆくたてでした。

 私も聞き及んではおりました。この法定闘争における河田検事の追及が苛烈をきわめ、まさしく秋霜烈日、探偵小説批評のひとつの極北を示すものであったという話は聞き及んでおりましたのですが、いやはやメイントリックの矛盾から単なる誤植まで、何もここまでと思ってしまうほどに峻烈なものであったことは CD-ROM『SR Archives Vol.1』で実際の誌面に接するまで知りませんでした。

 見るに見かねた天城一さんが二度にわたって闘争に参戦したのも無理からぬ話と見えますし(天城さんだって烈々たる諧謔精神のもちぬしではいらっしゃるのですが)、何よりあの酷使官、仮借なき毒舌で鳴らした酷使官こと紀田順一郎さんが陪審員を担当し、

 ──無罪とするに苦しみ
   有罪とするに亦苦しむ
   無罪有罪両つながら如何せん

 ですとか、

 ──君見ずや、昔時、クロフツが樽とポンスン
   又見ずや、今日、テイが時の娘

 ですとか、

 ──一人本格派あれば読者これを愛し
   この時、過誤ありといえども此を罰せず

 ですとか、切れ味にあんまり冴えの見られない漢詩もどきをならべて「お情けの無罪」という評決をくだしていらっしゃる点にも、河田検事による論告の凄まじさは如実にうかがえると思います。鬼神も落涙するとはこのことか。

 陪審員八人の評決はどうであったかといいますと、無罪六票、有罪一票、無効一票。これにもとづいて山内悠判事と竹下敏幸代理判事は無罪との判決をくだし、被告人に次のような言葉を送りました。

 ──被告は青天白日の身となられたうえは、尚一層、本格探偵小説愛好者の期待に応えられるべく御精進を希うものであります。

 いやお見事。安保闘争とは比較にもならぬほどお見事な幕切れですが、ほんとにお見事なのは閉廷後、つまり判決が記されたそのあとに罫線で囲まれて掲載されたわずか五行の文章です。いわく、

 ──杉谷弁護士も仲々有能の法律家と思われ、他日殺人を犯した場合は是非お願したく存じますが隆村(陸村の誤植です──引用者註)のするどい追求(追及の誤記です──引用者註)にはおどろきました。それを参考に原稿に手を入れたく思つています。(鮎川哲也)

 いやまいった。私は鮎川哲也のファンでもなんでもないけれど、この人はたいしたものだと思った。それともうひとつ、探偵小説を探偵小説をたらしめるのは徹底した稚気なのであるとも思いいたった。

 そんなことはともかく、伝説の裁判の一部始終をつぶさに通読することができる CD-ROM『SR Archives Vol.1』、いまなら誰でも入手可能です。くわしくは「番犬情報」でどうぞ。

 そんなこんなだった昭和35年の1月号に掲載されたのがこれ。1960年の推理小説界を競馬に見立てて予想するというどこか罰当たりな感じがしないでもない一篇です。

△第一レース(戦前派レース)

  宇陀児
 △喜久雄
  啓 助
 ◎正 史
 ○高太郎
 ×昌 幸
  乱 歩

 A「老馬だけが走る淋しいレース。全コース完走するだけ息の続く馬が果して何頭出るだろう。だからレースの興味なんてないし、馬券も売れない。つまり予想の意味もない」

 B「でも一応予想すれば本命は横溝。アナが昌幸、対抗高太郎」

 E「アナが高太郎、対抗ナシ」

 D「対抗喜久雄、アナは宇陀児かな」

 全員「乱歩はおそらく完走するまい」

 私はいまや確信する。乱歩は「SRマンスリー」のことが大嫌いであったにちがいない。

 お名前が出てまいりましたのでついでにお知らせしておきますと、7月19日付伝言において今月末に刊行されるとお知らせいたしました天城一さんの新刊、昨日頂戴したおたよりによりますと発刊が来月中旬にずれ込んだそうです。「相変らずの大冊」とのことですから、ファンのみなさんはどうぞお楽しみに。


 ■ 7月27日(木)
三重県議会はとりつくろいがお好き

 どうも気になるあの先生。暴力行為を働いたかどでお縄になった旧上野市選出の三重県議会議員の先生は、とうとうこんなあんばいになってしまっていらっしゃるそうです。伊勢新聞の記事をどうぞ。

田中覚県議、犯行認め始める
 津市内の飲食店で二日、女性店長にけがを負わせたとして傷害と暴行の疑いで逮捕、送検された前県議会議長の県議田中覚容疑者(48)=伊賀市ゆめが丘二丁目=が二十五日までに、津署の調べに容疑を認める供述を始めた。否認から一転、容疑を認め始めた田中容疑者に対し、津署や津地検は今後、具体的な供述を促して全容解明を図る。

 田中容疑者は逮捕直前、県庁で記者会見を開き「つまようじ一本にも触れていない」と完全否定。二時間余り後に逮捕されると、容疑を否認しながらも「思い出してみる」とあいまいな供述に。さらに身柄送検後に始まった本格的な調べに対し、二十四日になって容疑を認め始めたという。

 調べでは、田中容疑者は二日午後八時三十五分ごろ、津市島崎町の飲食店で、女性店長(60)=津市=に、木製布張りのいすをぶつけたり、メニューのプラスチック製トレーを投げつけたりして、左足のすねなどに二週間のけがを負わせた疑いで、二十一日に津署に逮捕された。

 なんだか曖昧な書き方なれど、先生は「二十五日までに、津署の調べに容疑を認める供述を始めた」「二十四日になって容疑を認め始めた」とあります。いっぽう三重県議会はといいますと、朝日新聞によればこんなあんばい。

辞職勧告決議案 自無公が提出へ
 県議会の会派「自民・無所属・公明議員団」(自無公、18人)は24日、暴行・傷害容疑で逮捕、送検された田中覚県議(48)に対する議員辞職勧告決議案を、臨時議会に提出することを決めた。知事に対し、会派全員の署名を添えた臨時議会の招集請求書を25日に渡す。

 同決議案は可決されても強制力がないが、橋川犂也・自無公団長は「『逮捕』という事実自体が議会の名誉を傷つけた。県議会全体の毅然(きぜん)とした意思表示が必要だ」と意図を説明した。

 またずいぶんと早手回し。野呂昭彦知事と料亭で飲み食いされたあと別の店で外国人女性としゃぶしゃぶを賞味されたらしい先生がいまだ完全に罪をお認めになったわけでもない段階で、三重県議会の自民・無所属・公明議員団たらいう会派が先生の議員辞職勧告決議案を臨時議会に提出することを決定いたしました。ではその臨時議会たらいうのはどうなるのか。毎日新聞の記事をどうぞ。

田中県議の暴行傷害:臨時会招集、野呂知事に請求──県議会 /三重
 ◇「政治倫理確立特別委を」

 県議の田中覚容疑者(48)=旧上野市選出、4期=が、暴行と傷害容疑で逮捕された事件を受け、県議会は25日、政治倫理確立特別委員会の設置を目的に臨時会を招集するよう野呂昭彦知事に請求した。

 田中容疑者に対する議員辞職勧告決議案の提出を視野に入れる第2会派「自民・無所属・公明議員団」(自無公)が、同日開かれた各派代表者会議で呼び掛け、田中容疑者が所属していた最大会派「新政みえ」など他会派も賛成した。自無公の橋川犂也団長は「県議会として早くこの問題を取り上げ、県民に説明責任を果たさないといけない」と説明した。

 なんか必死じゃん。外国人女性としゃぶしゃぶを賞味されたあとその外国人女性まで賞味してしまわれたのではないかと大衆的想像力の名のもとに邪推されまくっている先生を自分たちから切り離してしまうことに、いまや三重県議会の先生たちは一丸となって必死じゃん。それにしても橋川犂也さんたらおっしゃるこの県議先生はいったい何を考えておいでなのでしょう。「県民に説明責任を果たさないといけない」とはなにごとか。寝言は寝てからいうがよい。

 などと書いても理解できぬばかもおろうから説明を加えておく。いくら必死になって臨時議会を開会してみたところで、いったい何が説明できるというのか。何もできまい。かの先生による暴行沙汰の現場にいあわせたというのであればともかく、知事だの県議だの何も知らない連中が雁首ならべて何が説明責任か。ただしただおひとり、野呂昭彦知事には説明できることがおありであろう。2ちゃんねる的にはしゃぶしゃぶの木曽路であったと確定されている店に足を運ぶまで、かの先生は別席で野呂知事と酒食をともにしていらっしゃった。すなわち7月25日付伊勢新聞の記事に「正副議長の新旧交代時に毎年、行われる恒例の会合」と記されていた懇親会にかんして、知事には何かしら県民に説明しなければならぬこともおありであろう。しかしそんなものはこの次の知事の定例会見で述べておけばいいことなのである。

 だからわざわざ臨時議会を開いて説明しなければならぬことなど何もないのである。「政治倫理確立特別委員会の設置を目的に」などというのはその場のがれのおためごかしにしか聞こえぬ。手前どもは無関係ですと訴えたいのが三重県議会の本音であろう。しかしここまで本音を明らかにしてしまったら、三重県議会における「説明責任」なるものは保身のためのとりつくろいでしかないこともまた明らかになってしまう。だから寝言は寝てからいえというのだ。

 それにしても情けない先生たちである。情けないうえに薄情である。上掲の毎日の記事には、

 ──自無公側は「逮捕されたという事実は重い」として、田中容疑者が臨時会までに辞職の意向を示さない限り、起訴、不起訴にかかわらず、辞職勧告決議案を提出する構えで、他会派の対応が注目される。

 とも記されているのであるが、かりにもついこのあいだまで一応のたてまえとしては三重県のためにともに尽力してきた同志ではないか。「臨時会までに辞職の意向を示さない限り、起訴、不起訴にかかわらず」などと罪を指摘された犯罪者みたいに焦りまくったこといってないで、当人が全面的に罪を認めてそのうえで職を辞することができる道だけは残しておいてやれ。先生たちは保身のために眼がくらんでいるのであろうけれど、それが武士の情けというものである。てめーらのうわっつらばっかとりつくろってんじゃねーぞばか。ばーか。

 しかしこうなりますと百八十万三重県民のみなさん。われわれはなんともひどい先生たちを県議会議員として選んでしまったものだと思わざるをえません。きのうご紹介した2ちゃんねるの投稿のうち──

162 :オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!:2006/07/25(火) 00:08:38 0

最低の議員だね。
こんな奴当選させる県民ってどうよ?

 といったあたりには返す言葉もありゃしません。私はそのように思います。なれど──

172 :オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!:2006/07/26(水) 00:10:16 0

どうでもいいよ、ヴォケ!
三重県、程度低すぎるんだよ!

 などといわれねばならぬ筋合いはどこにもない。てやんでえべらぼうめ。三重県議会はたしかにクソであるけれど、それならぱ三重県以外の都道府県議会はクソではないと申すのか。そんなことはあるまい。目くそ鼻くそのたぐいではないか。

 では最後に、お口直しということでもないのですが、フジテレビのウェブマガジンに掲載された新規ページをどうぞ。世田谷文学館で6月2日に催された「乱歩 夜の夢こそまこと」の紹介記事です。

 しっかし面白いなあ三重県ってとこは。

  本日のアップデート

 ▼1961年3月

 「やぶにらみの時計」その他 東総彦

 本日は昭和36年です。

 乱歩ファンにとって昭和36年は7月に『探偵小説四十年』が発行された年として記憶されているはずなのですが、「SRマンスリー」的にはどこ吹く風。7月号の時評「To Buy or Not To Buy」で河田陸村さんがちょこっととりあげていらっしゃるだけです。ほんとにちょこっと、わずか五行ばかり。

 いいのかこんなことで、と当節の乱歩ファンはお思いのことでしょうけれど、昭和36年のミステリ愛好者にとって乱歩の自伝などべつだん大騒ぎするほどのものではなかったということでしょう。『江戸川乱歩年譜集成』編纂中の身といたしましては、これもまた貴重な証言なのであると申しあげておきたいと思います。

 さてこの年、「SRマンスリー」に掲載された乱歩文献のなかでもっとも眼を惹いたのはこの一篇でした。タイトルからも知れるとおり都筑道夫作品のレビューなのですが、最後の段落をごらんください。

 江戸川さんのトリツク集が世界にも類がないとはよく謂われることですが、何故このようなものが日本に生れたか? 一つの小説の中からトリツクをとりだすことが、そして、ならべることが、果して、ほんとうに日本の推理小説にプラスするところがあつたろうか〔。〕私には疑問に思えてならないのですが。

 天城一さんが『密室犯罪学教程』の「献詞」に、

 ──「トリックというものは、探偵小説にとってそれほど尊いものか?」

 とお書きになった一九九一年からさかのぼること三十年、乱歩のトリック偏重主義が早くもここで批判されております。以来四十五年、乱歩のトリック偏重が当節のミステリにどのような影響をもたらしているのか、いまできのミステリ作品にほとんど興味のない私にはとんと見当がつきません。『江戸川乱歩年譜集成』編纂中の身としては、こんなことではいかんがな、とは思うのですが。


 ■ 7月28日(金)
漢詩のあとの落書の不運

 暑い、とはやはり思いますものの、今年の暑さは過去数年のそれにくらべればましなほうなのかもしれません。去年まで何年かは暑さのせいで完全に失念していた乱歩の命日、今年はちゃんとおぼえておりました。すなわち本日なり。

 合掌。

 乱歩が死去して四十一年目の夏なり。

 きょうくらいは地上の俗事を忘れて静かな一日を過ごそうと思い、しかしあの先生のことが気にはなりますので2ちゃんねるのこのスレッドをちらっと閲覧してみたところ──

 あちゃー。きのうの午後になってこんな投稿が。

193 :オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!:2006/07/27(木) 18:02:20 0

>>183
一緒に食いに行ったという人曰く、暴行など、全くしてないらしい。
2週間もの怪我をしたら、即タイホになるにきまっとるとのこと。

だから、ちゃんと、食って帰ることができた。

名刺をおいたというのは、レジで支払の段、金が足りなかったから、
後で払いに来るという証拠で、置いていったのが真実らしい。

議長満期退任直後の事件といい、
なんか、裏がありそうな、不思議な事件である。

 ふーむ。たしかにこの一件、衆人環視の状況で起きたとされる暴力沙汰を本人がわざわざ記者会見まで開いて全面否定したのがまず面妖、つまりいくらなんでもすぐばれることが明白なのであるからそこまでの大嘘がつけるものかどうか、しかし泥酔して記憶が飛んでいたのであればそれもありかとは考えられますものの、待ってましたといわんばかりの三重県議会の対応も含め、本人の日常的な行い心がけに問題があったらしいことは認めるとしても、いやいやそれだからこそというべきか、これは「裏がありそうな、不思議な事件である」とは私も思う。

 しかし伊勢新聞のオフィシャルサイトにはきのうになってこんな記事が掲載されたのだし。

「いす、店長に当たった」田中覚容疑者、全面自供 傷害事件
 供述などによると、田中容疑者は今月二日、津市島崎町の飲食店を男女四人で訪れた。六人掛けのテーブルに座った田中容疑者はしばらく席に案内されなかったことに腹を立て、若い女性店員を怒鳴った上、駆けつけた女性店長(60)に「これ、じゃまや」と言いながら、余った木製布張りのいす二脚(各七キロ)を下手から放り投げた。

 田中容疑者は、最初に投げたいすを女性店長がよけたため、すぐに反対側に座席に回って再びいすを投げたところ、左足のすねに当たった。田中容疑者はまた、メニューのプラスチック製トレーを投げつけたことも認めているという。

 こうした供述は、田中容疑者と一緒に店を訪れた後援会関係者の男性や、別の飲食店に勤めている外国人女性二人、当時店にいたほかの客の話とほぼ一致するという。津署などは田中容疑者の供述の信ぴょう性は高いとみている。

 2ちゃんねるの投稿193番では「一緒に食いに行ったという人曰く、暴行など、全くしてないらしい」、ところが伊勢新聞では「田中容疑者と一緒に店を訪れた後援会関係者の男性」は先生の暴行を認めているという。はてさて奇妙奇天烈なり。

 いやちがう。ちがうちがう。私があちゃーと思ったのはそんなことではないのである。問題は193番のひとつ前、192番のこれですがな。

192 :オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!:2006/07/27(木) 16:51:42 0

名無しのオプ:2006/07/19(水) 17:19:44 ID:tg2SNjtM
此比名張に流行るもの、高卒嘱託、自己破産。
飯の種だよ虚騒動、生頸切られて自由契約。
俄かカリスマ、虚け者。
安堵恩賞欲しさ故、本領離れて識者面。
追従讒人繰り返し、下克上する成出者。
昇給辞令の沙汰もなく、集う人なきHP。
キモいジャケット、色眼鏡、
持ても慣らわぬ教鞭持って
代理講師とは珍しや、賢者の顔する授業とは
我も我もと自己宣伝、巧なりける詐は。
愚かなるかな、劣るかなと、田舎政治を吊るし上げ
口髭グラサン歪めつつ、気色めきたる田舎者。
黄昏時になりぬれば、浮かれて歩く色好み。
目糞、鼻糞を笑う如く、役所を莫迦と名指しする。
(中略)
小西大熊こき混せて、一座揃えど似非識者。
在々所々の乱歩通、疎遠にならぬ人そなき
常識礼儀の分別なく、自由狼藉の人外なり。
(後略)

 あちゃー。これは要するに「名無しのオプ」名義で7月19日午後5時19分44秒に2ちゃんねる内のどこかの掲示板に投下された投稿が「オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!」名義できのうの午後4時51分42秒、私が必ず閲覧するであろうとの想定のもとこの先生関係のスレッドに転載されたということなのでしょうけれど、あちゃー、まーだこんなことやってんのか。名張まちなか再生プランをぼこぼこに批判されたことがそれほど悔しいのか。それとももしかしたらプランが座礁してしまい、それでおれのことを逆恨みしてるのか。一度や二度ならいいけれど、ここまでしつこいとおれもなんだか不愍になるぞ。

 いやまあ、二条河原落書をもどいてくれた努力は買ってやってもいいでしょう。怪人19面相にはとても真似のできない芸当です。しかし時期が悪かったかもしれない。なにしろ私はSRの会から頂戴したCD-ROM『SR Archives Vol.1』(詳細は「番犬情報」でどうぞ)で酷使官こと紀田順一郎さんの漢詩もどきに大笑いした直後なのであって、「乱歩呼び来ればパラパラと数枚」なんてのを読んだあとではいかな落書もどきもインパクトが弱くなってしまうのはいたしかたあるまい。残念であったな。だいたいがこの……

 いやいや、乱歩の命日くらい、やはりおとなしくしていることにいたしましょう。つづきはあしたなり。合掌。

  本日のアップデート

 ▼1962年1月

 ヴェルヌ賛

 本日は昭和37年の途中まで。なぜ途中までかというと『SR Archives Vol.1』がこの年の5月号(50号)で終わっているからです。つづきはあした以降、『SR Archives Vol.2』を頭からつぶしてゆきつつご紹介することになります。

 「SRマンスリー」的には、昭和37年はSF小説が脚光を浴びた年であったということになりましょうか。前年か前々年あたりから星新一という名前が誌上に散見されていたのですが、この年1月号の特集はずばり「SF文学研究・上」。巻頭の見開きには眉村卓さんの「SF・新しき文学への期待」とタイトルも初々しいSF論が掲載され、新興ジャンルの客気と情熱が伝わってきます。ちなみに眉村さん、「SFマガジン」のコンテストに「下級アイデアマン」で入選したのは前年のこと、長篇第一作『燃える傾斜』の出版はこの翌年、昭和38年のことになります。

 この年の1月号から5月号までに、乱歩は二度にわたって「SRマンスリー」のアンケートに答えています。1月号の「SFへの道 読書案内」と、4月号の「私の好きな怪奇小説」。後者はかなり以前にSRの会の鬼検事、河田陸村さんから教えていただいて「江戸川乱歩執筆年譜」にもひろってあったのですが(ただし誌名が英文表記でありましたゆえ、これを機会に「SRマンスリー」と改めました)、前者は初見です。

 さっそく引用いたしましょう。とはいえわずか一段落のごく短い回答ですから省略のしようがなく、乱歩の命日でもあることですから(だからどうだということもなけれども)、著作権の問題はどちらさまにも大目に見ていただいて全文を引きたいと思います。

○着想の新しさ、大衆小説の技巧の上手さ、面白さからみてヴエルヌは古今随一のSF作家だとおもいます。「月世界旅行」は古いといわれるが、大砲もロケツトも原理は同じことでしよう。ヴエルヌこそ本当の大衆小説家だとおもいます。(評論家・江戸川乱歩)

 ありゃりゃ。またこれです。肩書が「評論家」になっております。まさか乱歩が回答の署名にこんな肩書を添えてあったとは思えず、となると「SRマンスリー」がお得意というかおはこというかお手のものというか、皮肉の小技をぴりりと効かせたということなのでしょう。私はまたしても確信する。昭和37年1月号を見て、乱歩はいよいよ「SRマンスリー」のことが嫌いになったにちがいない。

 しかし乱歩はたいしたもので、4月号の「怪奇文学研究号」でまたも律儀にアンケート回答を寄せております。ついでですから4月号の巻頭に掲載された密室同人による「古今東西怪奇本見立番付」の国内作家篇をご紹介しておきましょう。

古今東西怪奇本見立番付 東
横綱 東海道四谷怪談 南北
張出横綱 雨月物語 秋成
大関 牡丹灯籠 円朝
関脇 青蛙堂鬼談 綺堂
小結 怪談全書 林羅山
前頭 対髑髏 露伴
高野聖 鏡花
人面疽 谷崎
黒衣聖母 芥川
押絵と旅する男 乱歩
都会の幽鬼 豊島
鬼火 横溝正史
あやかしの鼓 夢野
月見草 吉村冬彦
白蛾 香山滋
抒情歌 川端康成
黒髪変化 円地文子
怪談宋江館 葦平
灯台鬼 田中貢太郎

 人名がフルネームだったりそうでなかったりするのは誌面のまま。「怪談宋江館」も同様ですが、これはほんとは「怪談宋公館」なり。

 それにしても四十何年か昔のミステリマニアは結構教養というやつをもちあわせていたみたいです。近世作品はともかくとしても、露伴の「対髑髏」なんてのが普通にならんでるあたりがただものではない。この作品は『探偵小説四十年』の最初のほうに出てきて、しかも自慢ではないけれど現代日本文学大系全九十七巻別冊一巻合計九十八巻の第四巻『幸田露伴集』に収録されておりますからさーっと眼を通してみたところ、とてもさーっと眼を通すことなんてできない小説であると私は思い知らされました。

 教養は遠くなりにけり。

 合掌。


 ■ 7月29日(土)
三重県議先生飲食店暴行事件徹底検証

 気になる。どうも気になる。努力賞ものの落書もどきのお相手をつとめなければならぬところではありますけれど、気になってしかたないのは三重県議先生飲食店暴行事件のことです。どうしてこんなに気になるのかというと、私はたぶんあの先生に自分の似姿を見ているのでしょう。7月26日付伝言にも記しましたとおり、

 ──おれも何かあったときには官民双方四方八方からこんな感じでぼこぼこにされるのであろうな、

 という暗い予感が私にはある。私にはうしろ暗いところは何ひとつなく、自分が指摘するべきことを指摘し批判するべきものを批判しているだけの話なのであるが、ご町内感覚となあなあ体質に凝りかたまったみなさんには私などめざわり以外のなにものでもあるまい。ぼこぼこにされるならぼこぼこにされるでいいのだけれど、なすすべなくぼこぼこにされるというのも芸のない話である。

 したがいましてここはひとつ、あの先生がぼこぼこにされてしまった一件を先行事例として精緻に分析しておけば、いざというとき何かの役に立ってくれるのではないかと私は考えました。ここいらあたりがやはり『江戸川乱歩年譜集成』を鋭意編纂中の身の職業柄といいますか、インターネット上で確認できるソースに基づいて一件を年譜ふうにまとめてみました。

5月19日(金)
三重県議会第一回臨時会の最終日。役員改選が行われた。先生は一年間におよぶ議長の任を終え、新しい議長が就任した。[三重県オフィシャルサイト

7月2日(日)
午後5時から7時ごろまで、先生は津市内の飲食店で開かれた懇親会に出席した。県議会の正副議長が交代するときの恒例の会合で、顔ぶれは知事ら県の三役、県議会の現正副議長と前正副議長、県議会各派代表者。[7月25日付伊勢新聞
午後8時30分ごろ、先生は津市内の飲食店へ男女四人で入った。空席があったのに入口で二十分ほど待たされ、店員の態度が悪かったこともあって先生は腹を立てた。声を荒げ、女性店員に軽いけがを負わせた。[7月21日付伊勢新聞
夜、先生は津市内の飲食店を男女四人で訪れた。席に案内されなかったことに腹を立ててトラブルになり、女性店員に軽いけがを負わせた。[7月21日付毎日新聞
夜、先生は津市内の飲食店を男女四人で訪れ、数十分待たされたことに腹を立てて女性店員に軽傷を負わせた。[7月21日付毎日新聞
午後8時30分ごろ、先生は知人らと四人で津市内の飲食店を訪れた。約二十分待たされたことに腹を立て、女性従業員に椅子やメニューを投げつけて全治二週間のけがを負わせた。ほかの客には「何を見ているんだ」などと怒鳴った。[7月21日付 ZAKZAK
午後8時30分ごろ、先生は津市内の肉料理店を友人三人と訪れた。店が混んでいて約二十分待たされたことに腹を立て、六十歳の女性店長に椅子やトレーを投げつけて左脚のすねに全治二週間のけがを負わせた。[7月22日付毎日新聞
午後8時30分ごろ、先生は知人ら3人と津市島崎町の飲食店を訪れた。約二十分間、席に案内されなかったことに腹を立て、席に案内されたあと、注文を取ろうとした六十歳の女性店長に「これ邪魔や」と重さ約七キロの椅子をぶつけ、左脚に全治二週間のけがを負わせた。メニュー立ても投げつけた。[7月22日付読売新聞
先生は友人の男性一人と外国人女性二人の四人で津市内の飲食店を訪れた。しばらく席に案内されなかったことに腹を立て、二十代の女性店員を怒鳴りつけて泣かせ、六十歳の女性店長に暴行したあと、「請求書を後で事務所に送れ。払うか払わんか、わからんがな」と名刺を渡して店を去った。逮捕された21日の時点で、飲食代はまだ払われていない。[7月23日付朝日新聞名古屋本社版記事=2ちゃんねる「【事件】三重県議 飲食店の20分待ち我慢できず爆発 店員にイスなど投げつけ 客に「何見てんだ」と怒声」に転載]
午後8時35分ごろ、先生は津市島崎町の飲食店でしばらく席に案内されなかったことに腹を立て、六十歳の女性店長に木製布張りの椅子をぶつけたり、メニューのプラスチック製トレーを投げつけたりして左脚のすねに全治二週間のけがを負わせた。[7月24日付伊勢新聞
午後8時35分ごろ、先生は津市島崎町の飲食店を後援会関係者の男性一人と外国人女性二人との四人で訪れた。客で混みあうなどしていてしばらく席に案内されなかったことに腹を立て、先生は若い女性店員を怒鳴った。駆けつけた女性店長には、六人がけのテーブルのあまった椅子を「これ、じゃまや」といってぶつけた。[7月26日付伊勢新聞
先生は津市島崎町の飲食店を男女四人で訪れた。六人がけのテーブルにすわったが、しばらく席に案内されなかったことに腹を立て、若い女性店員を怒鳴ったうえ、駆けつけた六十歳の女性店長に「これ、じゃまや」とあまった木製布張りの重さ七キロの椅子を投げた。女性店長がこの椅子をよけたため、先生はすぐに反対側の座席にまわり、そこにあった椅子をふたたび投げつけた。この椅子が女性店長の左脚のすねに当たった。先生はメニューのプラスチック製トレーも投げつけた。[7月27日付伊勢新聞

7月某日
三重県警津警察署に女性店員が被害届を提出した。[7月21日付伊勢新聞
先生がに女性店員にけがを負わせたとして三重県警津警察署に被害届が出された。[7月21日付毎日新聞
三重県警津警察署に女性店長が被害届を提出した。[7月22日付読売新聞

7月20日(木)
女性店員が被害届を提出したことが明らかになった。先生は取材に対し、「当時、店にいてもめ事があったのは事実だが、(一部報道のような)メニューを投げつけるなどしていないし、女性店員にけがを負わせてはいない」と答えた。[7月21日付伊勢新聞
先生が被害届を出されていたことが明らかになり、先生は県議会の会派「新政みえ」の代表を辞任する意向を会派に伝えた。「接客を巡り店員をしっせきしただけで、手は一切出していない」としたが、「白黒がはっきりするまでは会派に迷惑がかかる」と辞任を申し出た理由を説明した。[7月21日付毎日新聞
朝、新政みえの代表代行から先生のもとに電話が入った。先生は「大変迷惑を掛け、申し訳なく思っている」と謝罪し、メニューを投げつけたなど被害届の内容は否定したが、結果的に迷惑をかけたとして新政みえ代表を辞任する意向を伝えた。[7月21日付伊勢新聞
朝、新政みえの代表代行から先生のもとに電話が入った。先生は暴行は否定したが、「騒がせて迷惑をかけたので代表を辞任したい」と申し出た。新政みえは会派総会を開き、辞任の申し出は保留、本人から事情を聴くなど事実関係を確認したうえで対応する方針を決めた。[7月21日付朝日新聞

7月21日(金)
午後3時、先生は三重県庁で身の潔白を主張するための緊急会見を開いた。「大変お騒がせして心からおわび申し上げます」と謝罪したが、暴行については「つまようじ一本当たってないのに、けがするわけがない」「いすやメニューは投げつけていない。まったくのうそと思う」「どうけがをさせられたのか(被害者に)聞いてみたい」「はめられたと思わないこともない」「けんかを売られた気分」と全面否定。店員を怒鳴ったことについても「言い過ぎたと思わない。自分に非はない」と主張した。会見後、県警の立件方針にふれられると、やや間をおいて「おかしいと思うよ」と答えた。午後4時ごろ、県庁をあとにした。[7月22日付中日新聞
先生は会見で、「椅子やメニューを投げつけてはいない。けがを負わせた事実はないのに被害届を出したのは、虚偽告訴の罪に当たる」などと主張した。[7月22日付朝日新聞
午後4時45分、先生は津署に出頭した。取り調べは約一時間。先生は否認を貫いたが、5時50分、津署は「関係者に圧力をかけるなど証拠隠滅の恐れがある」として暴行と傷害の疑いで先生を逮捕した。出頭を要請した段階で、先生の逮捕状が用意されていた。[7月22日付中日新聞
先生は店側を虚偽告訴と名誉毀損の疑いで津署に告訴したが、容疑と起訴事実が対応しないなどの理由で不受理になった。[7月22日付朝日新聞
深夜、県庁議会議事堂の会派控え室に新政みえの役員や議員ら六人が駆けつけ、今後の対応を協議。代表代行は「こんなに急に進展するとは思っていなかった。驚いている」と述べ、「傷害を負わせたとする報道の内容は否定していたが、逮捕というのは非常に重く受け止めている。代表の辞任だけでなく、厳しい対応が必要だ」と語った。[7月22日付伊勢新聞
先生が以前公設秘書を務めた民主党の衆議院議員は取材に対し、「事実とすれば恥ずかしい。昨日、本人から電話があり『身に覚えがない』と話していた。示談を勧めたが、大人の話だから、それ以上は言わなかった…」と絶句した。「人に手を上げるような性格ではないと思う」とも話した。[7月22日付中日新聞

7月22日(土)
新政みえが会派総会を開き、先生の代表解任と会派除名を全会一致で決定。後任の代表を選んだ。先生は20日の段階で辞任を申し出ていたが、新代表は「申し出を了承したのではなく、会派の意思として解任した」と厳しく対処したことを強調した。[7月23日付毎日新聞
午後3時30分、民主党県連が緊急幹事会を開き、先生の処分は倫理委員会を設置して協議することを決定した。[7月23日付伊勢新聞
民主党県連が幹事会を開き、先生の幹事職の解任と、来春の県議会議員選挙での公認内定取り消しを決定した。[7月23日付毎日新聞
民主党県連が緊急幹事会を開いて先生の県議選での公認内定を取り消し、県連役員の常任幹事を解任した。「党の名誉を傷つけた」として倫理委員会を設置し、早ければ23日にも処分を決めることにした。[7月23日付中日新聞
新政みえが緊急総会を開き、先生の代表解任と会派除名を全会一致で決定。議員辞職にかんしては「本人が早急に決断すべきだ」との意見で一致した。[7月23日付中日新聞
朝、三重県議会の正副議長が対応を協議し、その後の会見で県民に謝罪した。[7月23日付中日新聞
三重県オフィシャルサイトに「三重県議会議長からのお詫び」が掲載された。[三重県オフィシャルサイト

 先週の動きをまとめるだけでえらい手間でしたが、とにかく先生がいまだ罪を認めてもいない段階で急転直下の電光石火、事態の進展がじつにあわただしかったことがあらためて知られます。とくに先生の所属していた新政みえは、20日の時点で「本人から事情を聴くなど事実関係を確認したうえで対応する」としていたにもかかわらず、翌21日には先生の逮捕を受けて「こんなに急に進展するとは思っていなかった」としながらも「事実関係の確認」をすっ飛ばして「厳しい対応」を示唆している点、関係者にも想定外の進展ぶりであったことがうかがえます。どうしちゃったんだろ。

 そんなこんなでひと息ついて、2ちゃんねるの例のスレッドには落書もどきの第二弾が投稿されているのかなと覗いてみましたところ──

 きのうの夜にこんな投稿が。

198 :オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!:2006/07/28(金) 10:46:04 0

192は、多分名張のあの人のことだろうけど、これを書き込んだやつよりは
はるかに能力あるだろうて。全国の乱○ファンには欠かせない存在、192は
おそらく誰にも必要とされていない。無能者のひがみで、こんなところで書き込んでじゃないよ、
低脳め。

 どこのどなたか存じませんが、あたたかいお言葉をいただいて不覚にも落涙しそうになりました。どうもありがとうございます。今後とも精一杯つとめたいと思います。

 そうかと思うと──

201 :オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!:2006/07/28(金) 12:21:43 0

>>198
相作乙

 自演じゃねーやばーか。

 そうこうしておりますうちにこのあいだの日曜、7月23日に発行された名張市の広報紙「広報なばり」が名張まちなか再生プランの記事を掲載していることに気がつきました。タイトルは「名張のまちなか再生は進んでいるのか?」。このページです。

 テキストだけなら名張市オフィシャルサイトのこのページでもお読みいただけます。

 しかしこれではなんだかなあ。

  本日のアップデート

 ▼1962年8月

 乱歩先生と不木 神島不動

 CD-ROM『SR Archives Vol.2』に突入しました。

 「SRマンスリー」昭和37年8月号に掲載された一篇から結び二段落を引きましょう。

 それにしても乱歩氏の自家本「不木と乱歩」の書簡というものを是非読み度いものだ。

 探偵小説史の史料とするためにもこの二人の巨星の文通の次第を是非拝見したいものである。

 たいへん長らくお待たせいたしました。このエッセイから四十二年のときをへだてた2004年、三重県が天下に恥をさらした官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」が催され、ぱーっとどぶに捨てられた血税三億円のうち五百五十万円をばかすめ取って刊行いたしましたのが『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』。「二人の巨星の文通の次第」がついに明らかになりました。

 気前よく血税をご提供いただいた三重県民のみなさんにあらためてお礼を申しあげますとともに、乱歩ファンのみなさんには、私がもう少し早く気がついて小酒井美智子さんにおはなしを通していれば小酒井家に保存されていた乱歩書簡が散逸するまでにその全容を書簡集としてまとめられたものをと、うっかりぼんやりしていたことを心苦しくまた恥ずかしく思っておりますと申しあげておきたい。ほんとにどうしてそこに気がつかなんだのか。かえすがえすも残念なり。


 ■ 7月30日(日)
全面否定全面自供徹底検証

 落書もどきも名張まちなか再生プランもあとまわしにして先生の話題をつづけます。これまでのところでよくわかったのは、ふだんの行い心がけがよろしくない人間は一朝ことが起こった場合に寄ってたかってぼこぼこにされてしまうということです。それはまったくひどいもので、いつもはへこへこしてろくに眼を合わそうともしなかったやつ(どっかの掲示板に人の悪口をいじいじ書きこむことしかできないようなやつ、といってもいいかな)までが鬼の首でも取ったように叩きはじめる。メディアの報道や電子掲示板の投稿でそのことがあらためてわかりました。

 メディア自身にもそうした傾向をあおろうとする性質があるようで、たとえば7月25日付朝日新聞のこの記事などはその典型でしょう。

 逮捕され送検されたというのに先生は7月分の議員報酬をまるごと受け取っている、という記事なわけなのですが、こんなあたりまえのことをわざわざ記事にしなければならぬ理由がどこにあったのか。おそらくは読者の庶民感情たらいう負け犬根性に媚びを売り、読者をして水に落ちた犬をさらに打たせるためでしかあるまい。もしかしたらこの記者の方、先生から何かいやな思いをさせられたことがあるのかもしれないなとも思いますけど。

 そんなことはともかく、問題は先生のことです。私も一件のニュースに接した最初はばかで破廉恥な先生だなと思っただけでした。しかし事態が推移するにつけ、なんだか変だなと首をひねる感じになってきました。いまふり返ってもっとも変だと思われるのは、やはり7月21日に開かれた先生の記者会見。中日新聞ではこのように報道されておりました。

 たとえばかではあるにしても、はたしてここまでばかなのか。そんな話がありなのか。かりにも県議会議員として四期目を迎え、最大会派の代表や議長まで経験した先生です。さすがにそれはないのではないかと、ちょっと疑わしい気がします。

 たとえば私がこの先生であったとしてみましょう。私は7月2日、津市内の飲食店で女性店員だか女性店長だかに全治二週間のけがを負わせた。そのうえで同行者三人としゃぶしゃぶをぱくつき、名刺一枚渡しただけで一円のお金も支払わずに店をあとにした。しかしパトカーを呼ばれることもなく、翌日になって被害届が出されることもなかった。

 店でのできごとなど忘れてしまっていた(全治二週間のけがもすっかり癒えたはずの、といってもいいのか)7月20日になって、私は驚いた。メディアの一部が私の暴力行為を報じている。津警察署から出頭要請も届いている。まずいことになったな、と私は思った。来年の春には改選が控えているのだ。ここで選挙民の心証を悪くしてしまうのはいかにもまずい。事件をもみ消すことができれば一番いいのだが、密室内でのことであればともかく、私は店員以外にいあわせたほかの客を怒鳴りつけてもいるのだから、すべてをもみ消してしまうのは無理な相談だろう。

 よし。ここはひとつ潔く詫びを入れ、警察にもおとなしく出頭しよう。なに、たいした罪ではない。酒に酔って腹立ちまぎれに椅子を投げたら、それがたまたま店の人間に当たってしまっただけの話だ。ただの酒のうえの失敗だ。へたに隠しだてするより素直に謝ったほうが選挙民の心証もいいはずだ。また酒を飲んで駄々っ子のようなやんちゃをしでかしてしまったのか。いつもの話だ。地元民はなんとかそんなふうに理解してくれるはずである。まずいことにはちがいないが、こんなトラブルはせいぜいが全治二か月。来年の選挙のころには傷もすっかり癒えているさ。

 私ならそう考えていたはずです。しかし先生はそうは考えなかった。わざわざ緊急会見を開き、上掲の中日新聞の記事によれば店員を怒鳴ったことは認めたものの、椅子を投げつけるなどの暴力沙汰にかんしては、

 「つまようじ一本当たってないのに、けがするわけがない」

 「いすやメニューは投げつけていない。まったくのうそと思う」

 「どうけがをさせられたのか(被害者に)聞いてみたい」

 「はめられたと思わないこともない」

 「けんかを売られた気分」

 などと全面否定した。

 ばかなのかこの先生は。こんな大嘘、いくらなんでもすぐばれてしまうに決まっているではないか。その大嘘がばれたときいったいどんな事態が招来されるのか、そんなことも想定できないほどのばかであったのか。罪をすんなり認めるのとその場しのぎの否認に走るのと、どっちが得か自分に有利かという計算すらまともにできないほどのばかであったのか。そんな先生が初当選以来十五年も、それ以前の代議士秘書時代も含めればもっと長い期間になるけれど、百鬼夜行の政治の世界で生きてきたというのか。私はどうもおかしいと思う。そして中日の記事にある「はめられたと思わないこともない」という言葉に、私はいまや妙になまなましいリアリティを感じてしまう。

 ──はめられたと思わないこともない。

 などというのはそんじょそこらの堅気や素人がうっかり口にしてしまう言葉ではありません。この先生の日常がはめたりはめられたりすることも普通に行われる百鬼夜行の世界に直結していることを、この言葉は問わず語りに証明してみせるものであるでしょう。なんだかこわい。

 そして案の定、津警察署に出頭した先生は否認を貫いたものの弁明や抗弁はいっさいむなしく、そのまま逮捕されてしまいました。中日新聞によれば出頭要請の段階で逮捕状が用意されていたそうで、逮捕理由は「関係者に圧力をかけるなど証拠隠滅の恐れがある」。

 しかしこれだっておかしな話ではないか。逮捕状が出たということは容疑が固まったということであり、容疑が固まったということは関係者の証言もきっちり押さえてあるということである。いまさら先生にどんな証拠隠滅が図れるというのか。いやそれはいったい何の証拠か。先生が犯行を犯したという証拠っていうのはいったい何よ。投げつけた椅子とかメニュー立てとかなわけかしら。そんなものどうやって隠蔽するというのかしら。どうもおかしい。

 といったところでとりあえず、『江戸川乱歩年譜集成』編纂者の腕の冴え、きのうにつづいて事態の推移を年譜ふうにまとめてみましょう。

7月23日(日)
先生は津警察署から津地方検察庁に身柄を送検された。[7月25日付伊勢新聞
午前、民主党県連が津市内で倫理委員会を開き、先生の党員身分について「除籍処分が適当」としたうえで幹事会に諮問した。[7月24日付毎日新聞
午後、民主党県連の幹事会が津市内で開かれ、倫理委員会の諮問を検討。津地検で起訴などの処分が決定されたあと、正式決定することを決めた。処分を先延ばししたことについて、代表は「本人が容疑を全面否認していることなどを考慮した」と語った。[7月24日付毎日新聞

7月24日(月)
午前、県議会各会派の代表者が会合を開き、先生について「捜査状況を見ながら的確に対応する」との合意がまとまった。[7月25日付中日新聞
午前10時、県議会各派代表者の会合が開かれ、非公開で協議。終了後、正副議長が会見し、「事件の詳細が不明で、捜査の状況が見えない中で、捜査の行方を見守りながら、適切な対応を取りたい」と述べた。津地検の判断などが出た段階で、あらためて議会としての対応を協議するとした。[7月25日付伊勢新聞
第二会派の自民・無所属・公明議員団が倫理特別委員会の設置を求めて臨時議会の招集を請求することを決定。団長は「県民の関心が深く、議会の態度をはっきりさせなければならない。議員辞職勧告決議案は、起訴、不起訴にかかわらず提出はあり得る」と述べた。[7月25日付中日新聞
自民・無所属・公明議員団が総会を開き、先生への辞職勧告決議案などを議論するため知事に臨時議会の招集を請求することを決めた。団長は「県民の関心も高く、県議会として態度を早く示さないと県民の理解が得られない」とし、「会派内では辞職勧告決議案を早く出すべきという意見が多く、臨時議会中に決議案を提案することになるだろう」と述べた。[7月25日付毎日新聞
先生は身柄送検後の本格的な調べに対し、容疑を認めはじめた。[7月26日付伊勢新聞

7月25日(火)
県議会各派の代表者会議が開かれ、自民・無所属・公明議員団の呼びかけに新政みえなどほかの会派も賛成して、政治倫理確立特別委員会の設置を目的に臨時会を招集するよう県議会が知事に請求した。団長は「県議会として早くこの問題を取り上げ、県民に説明責任を果たさないといけない」と説明した。[7月26日付毎日新聞
先生は調べに対し、「椅子を投げたら当たってしまった」と容疑を認めはじめた。先生の知人も先生の投げた椅子が当たったことを認めた。[7月27日付毎日新聞

7月26日(水)
先生が津署の調べに対して「いす二脚を投げ、うち一脚が女性店長に当たった」などと暴行を具体的に供述し、全面自供したことがわかった。先生といっしょに店を訪れた男性や外国人女性二人、当時店にいたほかの客の話ともほぼ一致するといい、津署などは先生の供述の信憑性は高いと見ている。[7月27日付伊勢新聞

7月27日(木)
とくになし。

7月28日(金)
先生が議員辞職の意向を示していることを関係者が明らかにした。先生はこれまで「考えさせてほしい」と話していたが、最近になって「議員を辞めるつもりだが、支持者と相談したい」と語った。[7月29日付中日新聞

 県議会の対応が素早かったのもどうもおかしい。三重県議会はこんなに早く動けるのかと私は驚いてしまいました。7月17日付伝言にも記したことですが、私が以前、当時の県議会議長でいらっしゃったこの先生に質問のメールをお出ししたときはひどいものであった。

 議会事務局経由でお答えを頂戴するまでにずいぶんと時間がかかったものであったが、当時にくらべると短いあいだにえらく立派になったものだなあ三重県議会も。などと感心する必要はありません。議員先生などというのは保身のためには弾よりも速く動いてうわっつらをとりつくろおうとするもので、しかもこの場合には会派間のかけひきもあったようです。

 24日午前に開かれた会派代表者の会合では「捜査状況を見ながら的確に対応する」との合意が見られたらしいのですが、午後になって第二会派の自民・無所属・公明議員団が第一会派の新政みえに揺さぶりをかけました。新政みえは先生が所属していた会派なのですが、それに対してわれわれは先生への辞職勧告決議案をとりまとめるために臨時議会を招集するよう知事に要請しまっせ、と一発かましたのが自民・無所属・公明議員団の揺さぶりです。7月26日付伊勢新聞の記事によればこの日になって先生が容疑を認めはじめたそうですから、そうした情報が何らかのルートで県議会に伝えられ、この揺さぶりの引き金になったということも考えられるでしょう。

 翌25日にはこの揺さぶりが功を奏し、県議会が知事に対して臨時会の招集を要請するにいたりました。しかし笑わせやがる。その臨時会は「政治倫理確立特別委員会の設置を目的」としたものだというではありませんか。何をゆうておるのか。政治倫理などはこのさい何の関係もありません。先生が飲食店で暴行におよんだことは政治倫理にはまったく無縁だ。そんなものはそれ以前の常識とか良識とかの問題なのであって、先生は単に人としてあほだったというだけの話なのである。何が政治倫理か。それとも何か。三重県議会では「いくら腹が立ったときでも人に椅子をぶつけないようにしましょー」などというのが政治倫理か。てめーら幼稚園児か。

 そんなこんなで大騒ぎが演じられ、しかしとどのつまり先生はとうとう全面自供して、辞職の意向も表明したと報じられるにいたりました。やっぱり嘘をついていたのではないか。わざわざ会見を開いてしらじらしく大嘘をつき、それがばれて辞職に追いこまれてしまったのではないか。読者諸兄姉はそんなふうにお思いかもしれません。しかし私には、なにしろ『江戸川乱歩年譜集成』を鋭意編纂中の身の職業柄、表面的事実の裏を読み伝記的記述の行間を読む作業をつづけなければならぬ人間としてこの一件を眺めた場合、どうもこの先生、やっぱはめられたんじゃないのという気がしないでもありません。

 実際に暴行におよんでいたのであれば、よほどのばかでないかぎり緊急会見で全面否定はしないのではないか。とはいえ見苦しい全面否定のあと先生はすっかり全面自供してしまったらしいのですから、ほんとにばかであったのだなということで話はまるく収まりそうなものなのですが、それでも勘ぐろうと思えば勘ぐれないわけでもありません。つまり警察からいわゆる別件をちらつかされ(それがどのような方向性をもった別件なのかはわかりませんが)、先生もしぶしぶというか泣き泣きというか、とにかく罪を認めるにいたったと考えられなくもないということです。少なくともそう考えてみたほうが、私にはずっと面白い。

  本日のアップデート

 ▼1963年10月

 異色落語考 島内三秀

 昭和38年に入りました。

 この年の乱歩はといいますとその前年、昭和37年の1月から12月まで「少年」に連載した「超人ニコラ」を最後として小説を書かなくなり、というか書けなくなり、「SRマンスリー」では以前から小説を書かない大作家としておちょくられてはいたのですが、はたしてそのとおりの事態になってしまいました。

 「SRマンスリー」での言及も極端に少なくなり、書かない大作家どころか忘れられた大作家みたいな観もなきにしもあらずなのですが、そんななかでただ一篇、いわゆる奇妙な味をマクラにミステリーと落語の関連を語ったこんな一篇が。

 冒頭の一段落をどうぞ。

 江戸川乱歩氏は、最近流行している“異色短篇”の原形である、奇妙な味をもつた推理小説の誕生の動機について、次のような説を述べている。結末の意外性の追求の手段を、漁りつくした推理作家が、“無作為の作為”というテクニツクによつて、読者に意外性を感じさせるという手段に到達した。作為の意外性をさらに深めようとすれば、残る手は無作為の意外性しかないであろう、云々。


 ■ 7月31日(月)
名張まちなか再生委員会の長いお昼寝

 いつまでも先生のことだけを話題にしているわけにはまいりませんが、この一件から教訓を導いておくとするならば、おれもはめられないように気をつけなくちゃな、ということでしょうか。むろんあの先生がほんとにはめられたのかどうか、そんなこと私にはわかりません。しかしメディアで報道された事実を年譜ふうに構成してさらっと検討を加えてみますと、そのように考えてみるのがもっとも自然だろうなというひとつのストーリーが見えてくるような気がする。そのストーリーが真実かどうか、なんてことはじつはどうだってかまわない。

 それが乱歩にとっての探偵趣味というものでしょう。幾重もの謎におおわれた唯一無二の揺るぎない真実を推理を重ねて発見する、なんてものは探偵趣味でも何でもない。揺るぎない真実のことなんかどうでもいいし、そもそもそんなものがこの世に存在するとも思えない。しかし世界がある瞬間にその様相を一変させ、隠されていた秘密がまざまざと開示されることはたしかにあって、そのとき世界はまったく新しい意味を帯びて眼前に立ち現れてくる。そうした瞬間に立ち会うことが乱歩のいう探偵趣味なのであって(このへんのことは1月15日付伝言のあたりに記してありますが)、たとえば「二銭銅貨」一篇を読むだけで乱歩は揺るぎない真実なんてものに端っから興味を示していなかったという事実が知れるでしょう。

 いやいや、そんなことはこの際どうでもよろしいのですが、とにかくあともうひとつだけ、表面的事実の裏を読み伝記的記述の行間を読む作業のはてに結果としてとんでもないストーリーを捏造してしまうことだけは厳しく戒めなければならんだろうな、安物のフロイトじゃないんだから、ということも教訓のひとつにつけ加えて次の話題に進みたいと思います。

 次はこれです。7月23日発行の名張市の広報紙「広報なばり」に記事が掲載された名張まちなか再生プランの話題です。

 あ。名張まちなか再生委員会のみなさん。そんなに身がまえていただかなくても結構です。私はもうプランとも委員会とも何の関係もありません。好きにしていただいていいんです。私がみなさんに何かしら働きかけを行うことはもうありません。なんとか交流館でも乱歩かんとか館でも好きなようにおつくりください。ただまあ「広報なばり」がせっかくこうやって「名張のまちなか再生は進んでいるのか?」という記事を掲載してくれたんですから、ちょこっと拝見してみたいと思います。

 名張市のオフィシャルサイトには「広報なばり」のテキストだけを掲載したページがあって、当該記事はこんなあんばいになっております。

 引用いたしましょう。

歴史拠点整備プロジェクト
 旧細川邸を改修して「(仮称)初瀬ものがたり交流館」を整備します。旧家の風情を生かした魅力的な交流拠点として、企画展示・イベントなどを催し、多くの人に来館いただけるような施設づくりを目指します。

 また、寄付いただいた、江戸川乱歩生誕地碑のある桝田医院第2病棟跡と、「(仮称)初瀬ものがたり交流館」とを有効活用することにより歴史文化の薫る空間づくりを行います。

〔17年度実施事業〕
・ 旧細川邸の老朽、危険部分の除去解体
・(仮称)初瀬ものがたり交流館基本計画の検討

〔18年度実施事業〕
・(仮称)初瀬ものがたり交流館改修工事
・(仮称)乱歩文学館基本計画策定

 あちゃー。

 ──名張のまちなか再生は進んでいるのか?

 という問いに対する正直な答えは、少なくともこの歴史拠点整備プロジェクトにかんしては、

 ──全然進んでおりません。

 といったことであるようです。いや、全然というわけでもないでしょうから、

 ──ごくわずかながらも悪い方向に進んでおります。

 ということにしておきましょうか。とにかくびっくりするほどのんびりした話のようです。名張まちなか再生委員会のみなさんはいったい何をしておったのか。赤いべべ着てお昼寝でもしておったのか。それにしては長いお昼寝だったこと。

 委員会が発足したのは昨年6月26日のことで、そのときまとめられた計画を昨年7月21日付伝言から再掲しておきますと──

事業名
事業内容
実施予定日
歴史資料館の整備事業 ・細川邸を活用するにあたっての基本計画を作成する。 平成17年6月〜平成17年10月
・細川邸の活用にむけた基本計画をふまえ、整備にあたって実施設計を行う。
・細川邸整備後の、施設管理運営体制や、施設運営方針の検討を行う。
・細川邸の一部除却解体。
平成17年10月〜平成18年3月
桝田医院別館第2病棟跡地活用事業 ・桝田医院別館第2病棟跡地を活用するにあたっての基本計画を作成する。 平成17年6月〜平成17年10月

 「歴史資料館の整備事業」では昨年10月に「細川邸を活用するにあたっての基本計画」が策定され、今年3月までに細川邸の「整備にあたって実施設計を行う」ことと「整備後の、施設管理運営体制や、施設運営方針の検討を行う」こと、それから「細川邸の一部除却解体」とが行われるはずでした。

 しかるに「広報なばり」によりますと、昨年度の実施事業は「旧細川邸の老朽、危険部分の除去解体」と「(仮称)初瀬ものがたり交流館基本計画の検討」のみ。発足当初の計画にあった「細川邸を活用するにあたっての基本計画」だけはなんとかまとまったらしいものの、それにひきつづく「整備にあたって実施設計を行う」だの「整備後の、施設管理運営体制や、施設運営方針の検討を行う」だのといったあたりがどうなったのか、この記事から知ることはできません。しかも今年度はいきなり「(仮称)初瀬ものがたり交流館改修工事」が実施されると来ております。

 「桝田医院別館第2病棟跡地活用事業」にいたっては笑止千万。当初計画では昨年10月までに「桝田医院別館第2病棟跡地を活用するにあたっての基本計画を作成する」とされていたのですが、今回発表された今年度の事業は「(仮称)乱歩文学館基本計画策定」です。基本計画策定がそのまま今年度にずれ込んだのだと見るしかありません。委員会のみなさんのお昼寝はなんと長いことか。

 ──寄付いただいた、江戸川乱歩生誕地碑のある桝田医院第2病棟跡と、「(仮称)初瀬ものがたり交流館」とを有効活用することにより歴史文化の薫る空間づくりを行います。

 とある能書きにいたってはもう笑う気にもなれない。私は名張まちなか再生プランの素案が検討された昨年2月18日の名張市議会重要施策調査特別委員会を傍聴したのですが、そのときの報告を昨年2月22日付伝言から引いておきましょう。

 それはそれとして今度は名張市というコミュニティの問題、とっとと先に進みましょう。18日開会された名張市議会重要施策調査特別委員会の報告です。この日午後1時、休憩が終わって委員会が再開される直前のことですが、私は田郷誠之助委員(無所属)から、

 「このプランにはあの病院のことが出てきてませんけど、どうしてなんでしょうなあ」

 とのお尋ねをいただきました。あの病院、というのは申すまでもなく乱歩生誕地碑の建つ桝田医院第二病棟のことです。私は、

 「寄贈されたのが11月下旬でしたからプランに反映させるのは時間的に無理やったんとちがいますか。もちろんあそこの活用もプランに連動させなあかんわけですけど。先生ちょっとゆうたってください」

 とお願いしておきました。やがて議題は「名張まちなか再生プラン」(案)に移り、名張市建設部によるプランの説明が終了、質疑応答が始まりました。最初に発言を求めたのは田郷議員で、質問は二点。一点目は、

 「桝田医院から生誕地碑がある病棟の寄贈を受けたが、その活用策がプランから抜けている。今後おおいに活用しなければならない施設であり、プランを緊急に修正するつもりで取り組むことが必要だ」

 といったものでした。西出勉建設部長の答弁はおおよそ次のとおり。

 「寄贈を受けたのが昨年11月であったことから、活用法を具体的にプランに表すことはできなかったが、土地建物の活用方法は今後、細川邸の利用法の詳細なプランとともに検討し、相互補完的な機能をもたせて、歴史的文化的施設として活用したい」

 この答弁から一歩も前に進んではおらんわけよ。去年の2月から一年半近くもたって、それでも名張まちなか再生委員会はこれとおんなじことしかいえないわけよ。

 ──寄付いただいた、江戸川乱歩生誕地碑のある桝田医院第2病棟跡と、「(仮称)初瀬ものがたり交流館」とを有効活用することにより歴史文化の薫る空間づくりを行います。

 というのは具体的にはいったいどういうことなのか。今年度、初瀬ものがたり交流館たらいうやつは改修工事が進められ、いっぽうの乱歩文学館たらいうやつは基本計画が策定されるとのことなのですが、後者の基本計画も決まっていない段階で前者の改修を進めてしまうようなことで、ほんとに両者を連動させた有効活用なんてことができるのでしょうか。できるわけねーじゃねーかこのインチキ委員会。いい加減にしろ。

 いやいや、私は名張まちなか委員会に対してはもう何の働きかけもしないつもりなのですから、いい加減にしろ、などという叱咤鞭撻もやめておくべきでしょう。

 ただし名張市民のみなさんには、ほら、名張市ではこんなインチキが堂々とまかり通っているのですよ、ということはお伝えしておきたいと思います。こんなこと民間じゃ絶対にありえねー、とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、お役所ではごく普通にあることのようです。

  本日のアップデート

 ▼1964年6月

 みすてりい風土記 大阪南部地区篇 大屋釜太郎

 いよいよ昭和39年。この年5月号を最後に「宝石」は休刊となり、かつてその編集を担当した乱歩もいまや病臥の身(であったと思います。ずーっと病床にあったのかどうかはわかりませんが)。

 それかあらぬか「SRマンスリー」の誌面からも一時の活気が失われたような印象があるのですが、正面を切った批評からはやや離れ、ミステリ小説の周辺に材を求めたエッセイが増えてきたうちのひとつがこの連載。

 タイトルどおりミステリに描かれた大阪をたどる内容で、乱歩作品では「黒蜥蜴」が登場しました。

 「天王寺公園といえば、その地域の広さ、日々呑吐する群衆のおびたゞしさでは、大阪随一の大遊楽境であつた。立ち並ぶ劇場〔、〕映画館、飲食店、織るがごとき雑沓、露店商人の叫び声、電蓄の騒音、子供の泣き声〔、〕幾万の靴と下駄とのかなでる交響楽、蹴たてる砂ぼこり、そのまん中に、パリのエツフエル塔を模した通天閣の鉄骨が、大大阪を見おろして、雲にそびえているのだ。

 ああ、なんという大胆不敵。なんという傍若無人。女賊『黒トカゲ』は、選りに選つて、この大歓楽境のまつたゞ中、衆人観視の塔上を身代金授受の場所と定めたのであった………」

 現在の新世界々隈は、この文章に見られるような“電蓄の騒音、靴と下駄との交響楽、蹴たてる砂ぼこり”などと形容されるものでは決してない。そう、お察しのとおり、これは戦前も戦前、昭和初期の新世界である。しかし、この大時代な乱歩の文章を「ああ、なんという厚顔無恥」と嗤うことはできない。往時の新世界のガサツさはまさに靴と下駄との交響楽だつたのである。

 乱歩作品からの引用はややいい加減で、「衆人観視」といった誤記も見られますが、読点を補っただけであとはそのままとしました。

 乱歩は冒頭に出てくる公園の名前を「T公園」と記しているのですが、ここではわかりやすさへの配慮からか「天王寺公園」という実際の名称に変更されています。とはいえこういういい加減な引用はあまり感心できません。乱歩の引用だって輪をかけていい加減なわけですけど。