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2007年4月下旬
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無益なことをしてしもうたのかもしれん。『乱歩文献データブック』が十周年を迎えたうれしさに(うれしくなんかねーやばーか)、朝っぱらから時間を浪費してしもうたのかもしれん。まったく何をやっておるのであろうか。 しかしまあしかたありません。ほんの思いつきではじめたらやめられなくなってとにかく一ページだけつくってしまいました。何をつくったのかというとウェブ版「乱歩文献データブック」の進化系。「乱歩文献データブックβ版」とでもいいますか(「β版」は「バッタ版」とお読みください)、たとえば十年後にはウェブ版「乱歩文献データブック」がここまで進化してたらうれしいな、という見本みたいなページです。 ただしいっときますけど、進化させるのは私ではありません。そんなことまでとても手がまわりません。だいたい私はあと十年もこんなことやってられるかどうかはなはだ疑問だ。十年たったらたぶん死んでるぞ。だから私にはとても無理である。進化するとしたら名張市立図書館のサイトにウェブ版「乱歩文献データブック」が掲載されて、高度な検索が可能になり持続的なメンテナンスが進められるようになった暁になら、たぶんいま私が考えている程度の進化をとげることは容易にできるでしょう。ただしその可能性はまったくありません。 それはもう私には肌身にしみてわかっておる。金がないだの人手が足りないだのいろいろと理由は並べ立てても、結局のところ怖いのであろう。乱歩に関してこの先ずっと、ずーっとずーっと名張市立図書館がインターネットを活用してひろくサービスを提供する、そんなことになるのが恐ろしいのであろう。新たな責任が生じることを恐怖しているのであろう。そうではないのか関係各位のみなさんや。いやまあ、そんなことにすら考えがおよばないということもあるかもしれんが。 だからもういい。ウェブ版「乱歩文献データブック」が進化することはありえない。進化どころか私がメンテナンスできるのもせいぜいあと五年くらいなものではないか。十年たったらたぶん死んでるぞ。そんなことはまあいいとして、現実にはありえないけどかりに進化したと仮定した場合の仮想のページをごらんいただきましょう。といったってたいしたことでは全然なくて、乱歩文献のタイトルのみならずテキストも読めるようにしたら重宝だなと考えただけの話である。 ではどうぞ。「乱歩文献データブックβ版」の大正12年のページはこちらです。文献それぞれに附された「読む」をクリックしてみてくださいな。 ごらんいただけましたか。ここでひとことお断りしておきますと、この仮想ページでは著作権の問題は無視しております。とはいえ掲載してある五点の文献のうち、執筆者が判明しているのは小酒井不木の一点のみ。不木の著作権はすでに消滅していますから法的な問題はないのですけれど、もしも仮想ではなくほんとに進化をとげる場合には不木のご遺族にご挨拶を申しあげなければなりません。そんなことになる可能性はゼロですけど。 残る四点はすべて森下雨村の手になる文章だと思われるのですが、無署名ですから執筆者を特定することができません。それにいずれも引用という行為の範囲内のものですから著作権を気にする必要もないのかもしれませんが、もしも正式に掲載するとなれば当然ながら雨村のご遺族にご挨拶を申しあげてから掲載するつもりでおります。つもりでおりますったってあなた、そんなことにはならんのですけど、しかし不木と雨村の双方のご遺族に私はこれまでにもお世話になっておりますから、何かのおりにはこちらからご挨拶を申しあげたうえでご協力をかたじけなくしなければなりません。 ご町内感覚だかご庁内感覚だかできれいにまとまっていらっしゃる方には関係のない話になりますが、町内や庁内から外に出ていって何かしら乱歩に関係があるとか乱歩のことが好きだとか、そういったみなさんからご高誼をたまわるのはそれはもう重要なことなのであって、そうしたネットワークはややおおげさにいえば名張市にとっての財産なのである。むろん江戸川乱歩リファレンスブックだって市民生活にはまったくかかわりがないけれどやはり名張市民の財産に数えうるものなのですが、それをつくってきたプロセスにおいていろいろな方からご教示ご協力を数えきれぬほどたまわり、そうすることによって築かれてきた関係性というやつもまた名張市の財産と称してしかるべきものでしょう。 嘘だと思ったら『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』に頂戴した三重県知事の序文を読んでごらんなさい。
ちょっと変則的なことになりますけどここでお知らせしておきますと、本日のアップデートは「都営地下鉄フリーマガジン「中央公論 Adagio」創刊」。東京都のオフィシャルサイトに掲載されたニュースリリースですが、「RAMPO Up-To-Date」には4月19日付の「ウェブニュース」として記載しておきました。東京都交通局が読売メディアセンターならびに中央公論新社と組んで「中央公論 Adagio」を創刊、都営地下鉄各駅で無料配付することになり、その創刊号の特集は、といった内容なのですが、都営地下鉄をご利用の諸兄姉はぜひこの「中央公論 Adagio」、心あらば当方の分も余分にもらっておいていただけませんか。 |
ひいひい。きのうもまーた三重県立図書館で「新青年」の復刻版と首っ引きにおじゃりました。このところ週に一回のペースで通っているのですが、とはいうものの名張市を出て津市の県立図書館に到着するのはお昼前後のことになってしまいますし、夕方ともなればそろそろお酒を飲まなくてはと気もそぞろになってまいりますので、あまり能率がいいともいえないのですが、この際だから「新青年」の復刻版、ぜーんぶきれいにつぶしておきたいなと考えているところにおじゃりまする。
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気がふれたようになって「乱歩文献データブック」のメンテナンスに興じておりますと、名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブック1『乱歩文献データブック』が刊行十周年を迎えたことにともなう得もいえぬ感懐とともに思い返されるのは、いろいろと不備や遺漏は多かったけれども『乱歩文献データブック』の書誌としての方向性はこれでよかった、どまんなかのストライクであったなということでしょうか。 江戸川乱歩という作家の関連文献目録をつくろうとする場合、その作成者に重くのしかかってくるのは作家自身が自作に関する関連文献目録の作成者でもあったという事実でしょう。となるとその作業を引き継ぐ人間には何が要求されるのか。乱歩になることです。書誌作成者乱歩と化して関連文献の収集と体系化を進めることです。ひとことでいえば乱歩化か。そんなのやだ、とかいってらんないわけ。だから私も『乱歩文献データブック』つくったときにゃずいぶん乱歩化しておったわけです。 しかし乱歩が書誌作成者でもあったというのはじつはめっぽうラッキーなことで、なにしろ乱歩自身が見本を示してくれている。手書きの「自著目録」や『貼雑年譜』には自身が受けた批評を列記してくれてもいるわけですから、白紙の状態からのスタートということではまったくなかった。しかも中島河太郎先生をはじめとした先達によって乱歩の関連文献目録は増補もされておりましたから、『乱歩文献データブック』をつくるのはまあきわめて楽っちゃ楽だった。 それで先日来、半狂乱になって東京創元社版の『貼雑年譜』と首っ引きになっていたわけなのですが、ということは講談社版の『貼雑年譜』では見ることあたわなかった片々たる切り抜きにも眼を通すことを得たわけなのですが、私はその結果いささか認識をあらためねばならぬ仕儀となりました。むろん私は乱歩と化したつもりであった。あわよくば乱歩を凌駕してやろうという思いあがった気構えさえあった。あたかもミュータントのごとく乱歩化して『乱歩文献データブック』を編んだつもりであった。 しかし、乱歩ってほんとはそんなもんじゃなかったのかもしれない。私は自身の思いあがりを思い知り、深く恥じるべきなのかもしれない。なにしろ東京創元社版『貼雑年譜』を仔細に見てゆきますと、たとえば4月13日付伝言に記しましたとおり名柄みどりという名もなき読者の寸評まできっちりとスクラップされてます。そんな例はほかにもむろんいろいろあって、しかしそれはいい。まあいい。そんなことは想定の範囲内なのである。しかしこーりゃ決定的に打ちのめされてしまったなと思わされる書き込みが『貼雑年譜』には存在していて、それは講談社版でも読むことができるものなのですが、結構うかつな人間である私はその意味の重大さに最近ようやく気がついたというわけです。 『貼雑年譜』の大正13年度、一年の終わりにわずか七行の新聞記事がスクラップされていて、その下に乱歩はこう書き込んでいます。 ──読売新聞ノ雑誌寸評デアル。私ノ作ガ活字デ批評サレタ最初ノモノ。「D坂」ハ十四年ノ正月号デアルガ、雑誌ハ十二月初ニ出ルノデ、本年度ノ新聞ニ批評サレタワケ。初期ニハコンナ小サナモノモ決シテ見逃ガサナイノデアル。 「批評サレタワケ」とか乱歩はいったい誰にむかってこんな説明を行っているのかという疑問はさておき、私が打ちのめされたのは「初期ニハコンナ小サナモノモ決シテ見逃ガサナイノデアル」と、書誌作成者乱歩が自身の「初期」を妙に冷静に客体化して記した一文です。昭和16年、『貼雑年譜』を作成した乱歩はかつての自分を遠い目で思い返していたわけです。昔はよくやったものであった。こんな記事まで切り抜いて保存していたのである。いまの自分はあのころの情熱をもはやもちあわせてはいないのか……。 私は打ちのめされました。乱歩の作業を引き継いで関連文献の目録づくりを進める人間は、昭和16年の乱歩が遠い目で思い返していた初期の乱歩、「コンナ小サナモノモ決シテ見逃ガサナイノデアル」と冷ややかな揶揄もにじませつつ本人によって想起されていた大正13年当時の乱歩、そのレベルというかテンションというか、それを保持して作業を進めなければならんのではないか。昭和16年の乱歩はすでにして劣化しておった。だから乱歩化ってのは昭和16年ではなく大正13年の乱歩になることなのではないか。私がめざすべきは大正13年の乱歩なのではないか。それが真の乱歩化なのではないか。 そんなのやだ。 死んでもやだ。 ほんっとやだもん、とか思いながらも「新青年」の復刻版をひっくり返しておりますとたとえば昭和3年、のちに『空中紳士』として刊行されることになる耽綺社の合作「飛機睥睨」が連載されております。巻末の編集後記にはいよいよ次号から連載開始とか本号から掲載がはじまったとか目下一大センセーションを呼んでいるとか、横溝正史が張り扇ぱんぱん叩きながら提灯記事を書いてるわけなのですが、刊本『乱歩文献データブック』を編んだときにはこんなものはすべて無視しておりました。しかしいま初期乱歩というか乱歩大正13年バージョンというか、その存在を念頭において眺めてみるとこういった編集後記もひろっておくべきではないかと思われてくる。そのほうが天国の乱歩も喜んでくれるのではないかと殊勝な気持ちになってくる。だから今回のメンテナンスでは「飛機睥睨」に言及している編集後記はごそっとひろってやりました。 おとといの三重県立図書館における作業は昭和5年と6年あたりのチェックがメインだったのですが、やはり編集後記を例にあげますと、たとえば昭和6年3月号の、 ──新青年とは切つても切れぬ間柄の探偵小説界も、やがて近き将来に谷崎潤一郎氏の大作が頂けることになつてゐるし、久しく本誌には御無沙汰してゐる江戸川乱歩氏も、他の仕事が一段落つき次第、本当の意味での力作を寄せることになつてゐる。 というのは乱歩の動静を示す資料として(どうせ水谷準が適当なこと書いてただけの話なのでしょうけど)ひろってありましたが、同年7月号の、 ──次に、江戸川乱歩氏の全集。日本最大の探偵作家と自他共に許す氏の全集を是非とも諸君の書架に飾られよ。金色燦然たるは云はずもがな、これによつて諸君の一日一日は生き甲斐あるものとなるに相違ない。 というのは無視しておりました。しかし初期乱歩、乱歩大正13年バージョンの存在を念頭において以下略しますが、これもやはり記載しておくことにいたしました。 しっかしやだ。ほんっとやだ。
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週が明けましたので名張市役所に赴いて住民監査請求のアドバイスを仰いでこようかなと思いつつ、きのうは時間が取れなくて断念いたしました。 きのう23日というと東京都交通局の都営地下鉄フリーマガジン「中央公論 Adagio」の配付が都営地下鉄各駅でスタートした日だったのですが、おかげさまで当方にも一部ご寄贈をたまわりました。 それでは石塚公昭さんの「月と乱歩と凌雲閣」をフィーチャーした表紙をどうぞ。 A4サイズ中綴じ二十二ページを無料で配付するってんですから、むろん広告収入でペイできるということなのでしょうが、東京はやっぱり景気がいいみたい。名張あたりでこんなのつくって名張駅で無料配付なんかしてごらんなさい。創刊しただけで廃刊です。ていうかそもそも創刊できねーか。
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行ってまいりました。名張市役所の四階にある、と思っていたらじつは三階だった監査委員・公平委員会事務局にきのうふたたびお邪魔して、住民監査請求についてのアドバイスを仰いでまいりました。 今後の日程をお知らせしておきますと、私が住民監査請求を提出するのは連休明けのことになるでしょう。請求の前に今度こそ正式に公文書公開請求を行う必要がありますし、地方自治法には監査は請求があった日から六十日以内に行わなければならないと定められていますから、この六十日のなかに大型連休が含まれてしまうのは期間が実質的に短縮されてしまうという意味で望ましいことではないのではないか。別にそんなことに気をつかう必要もないのであろうけれど、しかし私はとにかくフェアに請求を行いたい。 たとえ相手がフェアネスもジャスティスもどこ吹く風、ルールも手続きも思いきり無視して具体化が進められている名張まちなか再生プランであるにせよ、私自身はルールや手続きを重んじたい。あくまでもフェアでありジャストでありたい。だいたいが名張まちなか再生プランが公表されてからこの方、たとえばパブリックコメントの提出がその一例であるのだけれど、あるいは名張まちなか再生委員会に対する意見具申はすべて事務局を通じて行ったのも結局はそういうことなのであるけれど、私は名張市が設けている制度や機構にあたうかぎり即してことを進めてきたつもりである。私はアウトローではないのである。それはまあテキサスアウトローズと名乗ってリングに立っていた昔もあるけれど、いや嘘うそ、そんな昔はありません。誰が狂犬ディック・マードックか。ともあれ私はこれまでそうであったとおりこれからも、人間風車ビル・ロビンソンのごときクリーンさをキープしてことに当たりたい所存である。 ただしここでお断りしておきますと、私の住民監査請求は却下されてしまう公算がきわめて大きい。門前払いってやつですか。このあいだから縷々記してきたことですが、住民監査請求という制度で名張まちなか再生事業をフォールすることは至難である。名張まちなか再生委員会の迷走と跛行はすでにして明らかであり、名張まちなか再生プランを具体化するためのこれまでのプロセスは、いやそれ以前にプランそのものを策定するプロセスも含めてなんだかもう信じられぬくらい無茶苦茶なのであるけれど、しかし住民監査請求というシステムでそうしたプロセスの問題点をがっちり押さえ込み、きれいにスリーカウントを奪うことなどとても不可能な話であろう。そんなことは人間発電所ブルーノ・サンマルチノにだってできっこないことであろう。 だから私の住民監査請求は、いってみりゃ特攻隊みたいなものなのね。片道分だけ燃料つめこんで、ぶーんと飛んでった先で敵艦にぶつかって華と散る。あんな感じの行為であるとお考えいただきたい。なんてことを記しますと世間には、 ──いやッ。たとえ比喩にしても戦争の話が出てくるのはいやッ。特攻隊だなんていわないでッ。いやいやッ。 とか身をよじるようにしてお思いになるお嬢さんもいらっしゃるのかもしれぬけど、人の芸風にまでいちいちいちゃもんをつけてくださるな娘さん。それにこう見えてもおれはあれだぞ。名匠加藤泰の傑作「明治侠客伝 三代目襲名」で、岡山にいる父親の死に目に逢いたいと揚屋のおかみに懇願する曾根崎新地の娼妓の姿を見るに見かね、 「なんぼ売りもん買いもんの女郎やかて、親の死に目に逢いたんは人情やないか。間に合わんゆうのは一生親不孝やで。おかみ、この子、帰してやり」 とおかみを説得してやる菊地浅次郎のせりふをそのまま諳んじているほどの鶴田浩二ファンなんだぞ。「同期の桜」でも歌いながら派手に突っ込んできてやるさ。しかしそれにしても、きょうびの右翼の街宣車から鶴田浩二の歌を大音量で流すという美しい伝統が消えつつあるのはいかがなものであろうか。右翼が伝統を破壊して、そんなことで美しい国とやらが築けるものなのであろうか。しっかりしてくれ右翼の諸兄。
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昭和20年3月21日、陽光うららかな日。美しく立派に散るぞ。そういって一番機にむかう戦友の胸に、おれはまだつぼみだった桜の一枝を飾って送った。あすはおれの番だ。死ぬときが別々になってしまったが、靖国神社で逢える。そのときはきっと桜の花も満開だかどうだかは知らんけど、きのうは「同期の桜」ではなくて「赤と黒のブルース」を歌いながら名張市役所に行ってきた特攻隊員です。敬礼。 靖国神社から北西に直線距離で約五キロといったところでしょうか。池袋では五回目を迎えた「池袋西口公園古本まつり」があす27日まで開かれています。テーマは「乱歩通りから、ミステリーの迷宮へ! 特集・推理小説」。詳細は豊島区オフィシャルサイトのこのあたりでどうぞ。 新聞記事もひろっときます。
そして池袋といえば立教大学なのですが、先日もお知らせしました NHK 総合テレビの「その時歴史が動いた」。オフィシャルサイトの放送予定が更新されました。ゆうべ放映された「大奥 華にも意地あり〜江戸城無血開城・天璋院篤姫〜」の予告にはアダルト女優の麻美ゆまちゃんの写真が掲載されていて、ゆまちゃんとおなじ3月24日生まれの私としては、ゆまちゃんとうとう NHK 進出か、と深い感慨にふけらざるを得なかったものでありましたが、よく見てみたらそれは天璋院に扮した女優の岩崎ひろみさんの写真なのであったというサプライズがあったことを頬を染めながら思い出したりしてしまいます。それで新しくなった放送予定がこれ。 5月16日のタイトルは「日本ミステリー誕生〜江戸川乱歩・知られざる実像〜」と予告されていたのですが、けさ見てみると「日本ミステリー誕生〜江戸川乱歩・大衆文化との格闘〜(仮)」にあらためられています。立教大学カラーが一気に濃厚になった感じでしょうか。放送日がいよいよ心待ちにされる次第です。どうぞお楽しみに。 さて特攻隊員です。きのう名張市役所一階の市民情報相談センターを訪れ、「公文書公開請求書」を提出してきました。請求書は一件につき一枚かとスタッフにお訊きしましたところ、そうしていただいたほうがありがたいとのことでしたので、ならばと私は三本の指を立て、三本指の男だぜ、一柳さんのお屋敷への道を尋ねたりはしませんでしたが、請求書三枚を要求しました。 その一枚目。「公文書の名称その他公文書を特定するために必要な事項」の欄にはこんなふうに記入しました。
ゆめをなーくーしーたー、ならーくーのそこーにー、か。敬礼。
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ろーいどめーがーねーにえんびーふーくー、か。敬礼。 さて特攻の話です。おととい名張市役所の市民情報相談センターで提出した「公文書公開請求書」は三枚。請求一件目はきのうもお知らせしたこれでした。
細川邸をどうするこうするという協議検討の内容を知りたい。2005年の6月に名張まちなか再生委員会が発足してから2006年度が終わる2007年3月まで、名張まちなか再生プランでは歴史資料館として整備されることになっていた細川邸の活用に関してちんたらちんたらした協議検討が重ねられ、しかし結果としてはいまだに何も決まっていない。それってどうよ、ということをまず問題にしたい。ちゃんとした議事録なんてものが存在しているのかどうかという疑問もあるのですが、とにかく片道分の燃料は確保しなければなりませんから、これまでの協議検討のぐだぐだぶりを白日のもとにさらしてそれを住民監査請求にいたるための燃料としたい考えである。 なにしろこちとら特攻隊なんですから、敵艦を確実に視界に捉えるまでの片道分の燃料さえあれば、すなわち住民監査請求という行為のかたちを整えることができさえすればそれでいい。却下されるのは覚悟の前、ぶーんと突っ込んで華と散ることができればそれでいいわけです。4月2日、春雨のけむる日。幸か不幸か、おれはまだきょうも生きのびている。だが、雨があがり、虹が橋をかけ、あかね色の夕焼け空がひろがるときに、おれはかならず行く。あとにつづくことを信じてるわけでは全然ないけれど、たとえ門前払いをくらったって住民監査請求を規定にしたがって提出したという事実が残ればそれでいい。提出にいたるプロセスをこのサイトで公開できればとりあえずはそれでいい。 むろん提出した請求が却下されることなく監査が行われるのであればそれに越したことはありません。望むところである。名張市オフィシャルサイトのこのページによれば「監査委員の定数は、名張市では2名で人格が高潔で、地方公共団体の財務管理、事業の経営管理その他行政運営に関しすぐれた識見を有するものから選出される委員と、議会から選出される委員とで構成されています」とのことで、委員おふたりのお名前も紹介されているのですけれど、なんか変だなと思わないでもありません。 これはたとえばの話なのですが、ですから名張市議会の話であるということではまったくないのですが、ここにひとりの市民がいて市議会議員の視察旅行に疑問を抱いたとしましょうか。あんなもんただの物見遊山とちゃうんか、という疑問です。こういう疑問はおそらく全国各地の自治体に潜在していると判断される次第で、ですから名張市に限定した話ではちっともないのですが、しかし名張市においても少なくとも昔はそうであったみたいです。2002年9月に発表した「乱歩文献打明け話」第二十二回「名張市議会議員賛江」から引きますと──
亡父が名張市議会議員を務めていたのはもうずいぶん昔のことなのですが、その当時の市議会議員による視察旅行は物見遊山や慰安旅行の傾きが大きかったと伝えられます。しかしいまではそんなこともないでしょう。ていうか私は名張市議会に限定した話をしているわけではないのですからこんな予防線を張る必要はないのですが、とにかくあるところの市民が議員の視察旅行に疑問を抱き、旅行費用の情報開示を求めたとお思いください。たぶん「赤と黒のブルース」かなんか歌いながら市役所へ行って「公文書公開請求書」かなんかを書いたわけでしょう。 で、旅行費用の明細が公開されたとしましょう。するってえと議員さんたちは無駄に高級なホテルに宿泊している、あるいは宴会にずいぶんと金をつかっている、へたすりゃコンパニオンのお姉さんまで公費でお出ましいただいているかもしれません。市民はなんなんだこいつらと憤りをおぼえた。どいつもこいつも能なしのくせしやがって税金で物見遊山かましてんじゃねーぞすっとこどっこい、てなもんでしょうか。念のために申し添えておきますと、これは名張市の話ではありません。あくまでも架空の話です。 それで市民はその市の監査委員に住民監査請求を行いました。しかしその監査委員のなかには市議会議員が含まれていた。制度として明文化されたものなのかそれとも申し送りや慣習のようなものなのか、それはわからないもののたしかに市議会議員が監査委員を務めている。だとすれば、その議員が参加していた視察旅行を対象とした監査においてその議員兼委員は中立性や公平性を保てるものであろうか。保てるわけがないではないか。へたすりゃ公費でお出ましいただいたコンパニオンのお姉さんのおっぱいわしづかみにしてたかもしれない議員兼委員にどんな監査が可能だというのか。 あるいはまた、その市の監査委員の定数が二で、市議会議員のほかのもうひとりの監査委員が市役所で長く職員として勤めあげた人間であったというケースもあるでしょう。そうした場合、そんな現役議員や市職員 OB といった人たちにそもそも公正な監査が可能なのかどうか。住民監査請求とはいうものの本当に住民の立場に立った監査が期待できるものなのかどうか。そのあたり私にはおおいに疑問であり、だからなんか変だなと思わないでもないのですが、そんなことは全然 OK なのである。そこにある制度にこちらから身を添わせることで制度の限界や矛盾はおのずから明らかになってくることでしょう。そのときはそのときの話である。 さてそれでおととい提出した公文書公開請求の二件目はこれでした。
なにかーらーなにーまーでまっくーらーやみよー、すーじーのーとおらーぬことばーかーりー、か。敬礼。
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すーきだーったー、すーきだーったー、うそじゃなかったすーきだーったー。敬礼。 名張市役所の市民情報相談センターに提出いたしました「公文書公開請求書」の三枚目。特攻ポイントはこれだ。
この名張まちづくり塾とやら、契約者は国立大学法人三重大学で契約額は百四十九万九千円ということになっているのですが、これはいったい何であるのか。ろくなものではあるまいけれど、ことと次第によってはちょいといたぶってやろうかなと思わないでもありません。別に深い意味などなく、ていうか私はこの手のたぐいの名称からして愚劣そうでインチキまるだしの事業にそもそも興味がないのだけれど、こらばかおまえら大学ってそんなにありがたいものなのかよ、みたいな感じでしょうか。 それではまたあした。ゆうべはカラオケで鶴田浩二大全集をぶちかましましてまだへろへろの二日酔いにござんす。ご無礼。 さーらーばらっばうるよー、まったくーるまーでーはー、か。敬礼。 |
きっさまとおーれーとーはー、どーきのさっくーらー、か。敬礼。 しっかしつい二十年ほど前まで天皇誕生日と呼ばれ今年から昭和の日ということになったらしい4月29日に「同期の桜」歌ってるってのはどうよ。どうよっつか、ばか? さて特攻報告。私が名張市に対して行った公文書公開請求は次の三件であった。
これらの素材から首尾よく片道分の燃料を抽出できれば晴れて一番機の発進となるわけなのですが、おかあさん、泣くなというのは無理かもしれません。でもどうか、よく死んでくれた、そういってください。私たちは祖国を護るために死んでいったりはせんのじゃが、つづく動きは連休明けとなります。敬礼。 世間は連休でも乱歩をめぐる動きにはお休みがありません。読売新聞のオフィシャルサイトにはきのうこんな記事が。
発見された「薔薇夫人」なる作品は今月10日に光文社から刊行される『江戸川乱歩と13の宝石』に収録されるそうですから、乱歩ファンはためらうことなくお買い求めください。それにしてもこのタイトル、私は「そうびふじん」と読ませたいような気がするのですが。 そうかと思うと当地ではきのうこんなニュースが。
やーいばーか。乱歩と聞けばすーぐ文学館だの記念館だのと脊髄反射的に口走ってしまうばかのみなさんご苦労さん。ろくに乱歩作品を読んだこともない低能がちゃらいことほざいてんじゃねーぞたーこ。文学館だの記念館だのといったって煎じつめればただのお飾り、そんなものつくっていったい何をするのかなんてことはまったく考えずに乱歩乱歩と騒いだところで結局はこのざまか。 てなところで昨年12月3日付伝言「名張にとって乱歩とは何か(続々)」から引いておきましょうか。
名張まちなか再生プランの枠を超えてお考えいただきたいとお願いしたのではあるけれど、名張市役所のあほたれのみなさんにはものを考えるなどということは何もできません。もともとおつむがあまりおよろしくない、つか相当にお悪いみなさんがろくに乱歩作品も読まずにいったい何を考えるっつーのよ。彼らにできるのはいいわけを見つけることだけなのである。おさだまりの責任回避の主体性放棄の思考停止なのである。お金がないから何もできません。ただそういってりゃいいのである。ばかかこら。 毎日の記事には、 ──市は今年度からの3年間で21億円の財源不足が見込まれるとして、大幅な歳出の見直しを実施。建設費に数千万円かかり、完成後も人件費などの維持管理費が必要なため、計画の規模を縮小する方針を固めた。 とありますけれど、こんなことはいいわけになんかならないぞ実際。建設費や維持管理費が必要なことなど最初からわかっておるではないか。うわっつらの乱歩関連施設つくるだけつくってあとは NPO だかなんだかに丸投げしようとか虫のいいこと考えていたのであろうからいまごろになってこんなこといってんだろうけど、やーい、ばーか、名張市のばーか。連休が明けたら特攻機が飛んでくかもしんないから気をつけろよなばーか。 さて、さてさて、おはなし変わっておとといあたりからいろいろ思案しております件、つまり『江戸川乱歩年譜集成』の件なのですが、当サイト「江戸川乱歩年譜集成」を実際に編纂しながら考えたほうがいいだろうと判断されましたので、これまではわずかに明治27年から大正13年までを掲載してあるだけでありましたところ、大正14年のページを本日アップロードいたしました。といったってまだ1月と2月だけのていたらく、とはいえ大正13年までとは記載スタイルを大きくさまがわりさせ、といったって試行錯誤の途中ですからこの先さらにさまがわりする可能性もおおいにあるのですが、とはいえひとまずこんな感じでといった程度には、いやいや、ごちゃごちゃいってないでとりあえずごらんいただきたいと思います。下の画像をクリックすると別ウインドウで大正14年のページが開かれます。 ごらんいただけましたでしょうか。要するにフラグメントを集成しようという寸法です。あの大冊『探偵小説四十年』一巻も情け容赦なくフラグメントに細分化してしまい、乱歩以外の人間の手になるフラグメントともろともに『江戸川乱歩年譜集成』一巻に再構成するという気の遠くなるようなたくらみはこのページを一瞥するだけでご理解いただけるでしょうけど、先生なーんか病気みたいなことになってますよー、とか高校生にいわれそう。 |
大型連休だというのに朝早くから「江戸川乱歩年譜集成」の大正14年のページに没頭して気がついたらもうお昼かよと茫然としているフラグメントばかでありんす。朝からいままで散歩と朝食のほかはフラグメントばか一直線でありんしたが、作業はなかなか進んでくれないでありんす。興味がおありの方は覗いてやってくんなまし。 積もる話はまたあすにでも。 |