2007年4月下旬
21日 仮想のβ版をつくってみました 江戸川乱歩と「新しい時代の公」
22日 また県立図書館に行ってまいりました 探偵小説を募集す
23日 初期乱歩大正13年バージョン 反猟奇趣味
24日 「中央公論 Adagio」いただきました 江戸川乱歩と浅草を歩く
25日 特攻隊異聞鶴田浩二篇 探偵小説は大衆文芸か
26日 特攻隊異聞三本指の男だぜ篇 のぞき学原論
27日 特攻隊異聞制度への疑問篇 とりとめのない話
28日 特攻隊異聞国立大学法人篇
29日 特攻隊異聞昭和の日篇
30日 大型連休のフラグメントばか
 ■4月21日(土)
仮想のβ版をつくってみました 

 無益なことをしてしもうたのかもしれん。『乱歩文献データブック』が十周年を迎えたうれしさに(うれしくなんかねーやばーか)、朝っぱらから時間を浪費してしもうたのかもしれん。まったく何をやっておるのであろうか。

 しかしまあしかたありません。ほんの思いつきではじめたらやめられなくなってとにかく一ページだけつくってしまいました。何をつくったのかというとウェブ版「乱歩文献データブック」の進化系。「乱歩文献データブックβ版」とでもいいますか(「β版」は「バッタ版」とお読みください)、たとえば十年後にはウェブ版「乱歩文献データブック」がここまで進化してたらうれしいな、という見本みたいなページです。

 ただしいっときますけど、進化させるのは私ではありません。そんなことまでとても手がまわりません。だいたい私はあと十年もこんなことやってられるかどうかはなはだ疑問だ。十年たったらたぶん死んでるぞ。だから私にはとても無理である。進化するとしたら名張市立図書館のサイトにウェブ版「乱歩文献データブック」が掲載されて、高度な検索が可能になり持続的なメンテナンスが進められるようになった暁になら、たぶんいま私が考えている程度の進化をとげることは容易にできるでしょう。ただしその可能性はまったくありません。

 それはもう私には肌身にしみてわかっておる。金がないだの人手が足りないだのいろいろと理由は並べ立てても、結局のところ怖いのであろう。乱歩に関してこの先ずっと、ずーっとずーっと名張市立図書館がインターネットを活用してひろくサービスを提供する、そんなことになるのが恐ろしいのであろう。新たな責任が生じることを恐怖しているのであろう。そうではないのか関係各位のみなさんや。いやまあ、そんなことにすら考えがおよばないということもあるかもしれんが。

 だからもういい。ウェブ版「乱歩文献データブック」が進化することはありえない。進化どころか私がメンテナンスできるのもせいぜいあと五年くらいなものではないか。十年たったらたぶん死んでるぞ。そんなことはまあいいとして、現実にはありえないけどかりに進化したと仮定した場合の仮想のページをごらんいただきましょう。といったってたいしたことでは全然なくて、乱歩文献のタイトルのみならずテキストも読めるようにしたら重宝だなと考えただけの話である。

 ではどうぞ。「乱歩文献データブックβ版」の大正12年のページはこちらです。文献それぞれに附された「読む」をクリックしてみてくださいな。

 ごらんいただけましたか。ここでひとことお断りしておきますと、この仮想ページでは著作権の問題は無視しております。とはいえ掲載してある五点の文献のうち、執筆者が判明しているのは小酒井不木の一点のみ。不木の著作権はすでに消滅していますから法的な問題はないのですけれど、もしも仮想ではなくほんとに進化をとげる場合には不木のご遺族にご挨拶を申しあげなければなりません。そんなことになる可能性はゼロですけど。

 残る四点はすべて森下雨村の手になる文章だと思われるのですが、無署名ですから執筆者を特定することができません。それにいずれも引用という行為の範囲内のものですから著作権を気にする必要もないのかもしれませんが、もしも正式に掲載するとなれば当然ながら雨村のご遺族にご挨拶を申しあげてから掲載するつもりでおります。つもりでおりますったってあなた、そんなことにはならんのですけど、しかし不木と雨村の双方のご遺族に私はこれまでにもお世話になっておりますから、何かのおりにはこちらからご挨拶を申しあげたうえでご協力をかたじけなくしなければなりません。

 ご町内感覚だかご庁内感覚だかできれいにまとまっていらっしゃる方には関係のない話になりますが、町内や庁内から外に出ていって何かしら乱歩に関係があるとか乱歩のことが好きだとか、そういったみなさんからご高誼をたまわるのはそれはもう重要なことなのであって、そうしたネットワークはややおおげさにいえば名張市にとっての財産なのである。むろん江戸川乱歩リファレンスブックだって市民生活にはまったくかかわりがないけれどやはり名張市民の財産に数えうるものなのですが、それをつくってきたプロセスにおいていろいろな方からご教示ご協力を数えきれぬほどたまわり、そうすることによって築かれてきた関係性というやつもまた名張市の財産と称してしかるべきものでしょう。

 嘘だと思ったら『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』に頂戴した三重県知事の序文を読んでごらんなさい。

  本日のフラグメント

 ▼2004年10月

 江戸川乱歩と「新しい時代の公」 野呂昭彦

 それでは乱歩蔵びらき委員会が「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の事業のひとつとして刊行した『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』巻頭の序文をどうぞ。

 近年、政治学や社会学の分野で「ソーシャル・キャピタル」という言葉を耳にします。直訳すれば社会資本という意味になりますが、これは従来のような経済的資本ではなく、人的なネットワークや信頼関係を指す言葉とされ、一般に社会関係資本と訳されています。共通の目的に向けて協働する人と人とのつながりがソーシャル・キャピタルであり、そうした社会関係資本が多く存在すればするほど、その地域はより豊かで魅力的なものになると考えられています。

 今回、「乱歩蔵びらき委員会」の依頼に応えて、第一線でご活躍の研究者の方々から惜しみないご協力をいただけたのは、名張市立図書館を拠点とした社会関係資本が有効に機能した結果であり、伊賀地域や三重県が実施する事業にそうしたソーシャル・キャピタルが実り多い成果をもたらしてくれたことは、今後の地域づくりを考える上でも貴重な事例になるものと期待しております。

 また、伊賀の蔵びらき事業は、三重県が本年四月にスタートさせた総合計画「県民しあわせプラン」のモデルケースとも位置づけられています。この計画では、県民、NPO、地域の団体、企業、行政など多様な主体が対等のパートナーとして協働し、「新しい時代の公」を担っていくことを目指していますが、本書はそうした新しい「公」、それも県境を越えて存在する新しい「公」によって世に送り出されるものといっても過言ではありません。

 これこのとおり、知事のおっしゃる「名張市立図書館を拠点とした社会関係資本」というものがたしかに存在しているわけです。いや、存在していたわけです、というべきか。せっかくのソーシャルキャピタルも『子不語の夢』が刊行された2004年あたりから官民双方のうすらばかがただの思いつきで乱歩乱歩と騒ぎ立て、名張市内にやたら怪人二十面相が出没したりなんかしたものの見事に滑りまくって私にはこれではソーシャルキャピタルもくそもないではないかと思われてきて、はたまた怪人二十面相に扮した名張市議会議員二十人が大阪で観光 PR に努めたりもしたもののありゃどう見ても市議会の程度の低さを宣伝しただけのものであったとしか思われぬのじゃが、ひとしきり大騒ぎしたそのあとは波が引くように誰ひとり乱歩のらの字も口にしなくなってしもうたのは笑止千万。ばかはいったい何を考えておるのか。

 とにかくそこらのうすらばかにいっとくけど、こちとらちゃーんと将来を見通して、名張市立図書館が乱歩に関して何をすればいいのかを熟慮して、しかもできるだけお金をかけないように考えて、それでもって地に足をしっかとつけながら必要だと判断される業務を陽のあたらないところで黙々淡々とこなしてきたわけなんだから、ろくに乱歩作品を読んだこともないおまえらうすらばかが乱歩乱歩とぎゃあぎゃあ騒ぎ立てやがるとほんっと癇にさわってしかたがない。ばかにゃ騒ぎ立てることしか能がないのであろうからずいぶん大目に見てやってきたのじゃが、いろいろな局面でおれの足をひっぱることだけはやめてくれんかね実際。

 ちょっと変則的なことになりますけどここでお知らせしておきますと、本日のアップデートは「都営地下鉄フリーマガジン「中央公論 Adagio」創刊」。東京都のオフィシャルサイトに掲載されたニュースリリースですが、「RAMPO Up-To-Date」には4月19日付の「ウェブニュース」として記載しておきました。東京都交通局が読売メディアセンターならびに中央公論新社と組んで「中央公論 Adagio」を創刊、都営地下鉄各駅で無料配付することになり、その創刊号の特集は、といった内容なのですが、都営地下鉄をご利用の諸兄姉はぜひこの「中央公論 Adagio」、心あらば当方の分も余分にもらっておいていただけませんか。


 ■4月22日(日)
また県立図書館に行ってまいりました 

 ひいひい。きのうもまーた三重県立図書館で「新青年」の復刻版と首っ引きにおじゃりました。このところ週に一回のペースで通っているのですが、とはいうものの名張市を出て津市の県立図書館に到着するのはお昼前後のことになってしまいますし、夕方ともなればそろそろお酒を飲まなくてはと気もそぞろになってまいりますので、あまり能率がいいともいえないのですが、この際だから「新青年」の復刻版、ぜーんぶきれいにつぶしておきたいなと考えているところにおじゃりまする。

  本日のアップデート

 ▼1923年2月

 探偵小説を募集す──隠れたる作家の創作を慫慂す

 きのうの朝、見果てぬ夢とも呼ぶべき「乱歩文献データブックβ版」をつくっていたときのことです。「新青年」大正12年3月号の予告ページに掲載されている「特別附録 創作探偵小説」(β版のこのページ)を読んでいて、私は次の文章が気になりました。

 ──尚ほ近来探偵小説の創作に志しつゝある文壇知名の士二三、及び二月号の本誌の募集に応じ、続々到着しつゝある作品中よりも、優秀なる作品を選んで掲載するであらう。

 「二月号の本誌の募集」というところです。それできのう県立図書館で大正12年2月号の復刻版をひっくり返し、その募集記事のコピーを取ってきました。

 「新青年」は創刊まもないころから小説の募集を行っており(探偵小説だけではなくて青年小説や学生小説も)、横溝正史のデビュー作「恐ろしき四月馬鹿」がそれに応じた作品だったことは探偵小説ファンにとってはいわば常識のひとつでしょう。ちなみに入選作品の作者名とタイトルを一覧したいとおっしゃる方は『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』の102ページから104ページにかけての脚註をどうぞ。

 しかしこの「二月号の本誌の募集」は従来の募集とは一線を画し、森下雨村が編集者として乾坤一擲の、というほどのものでもありませんけどとにかくひとつの勝負に打って出た試みであったと推測されます。乱歩から「二銭銅貨」の原稿を送りつけられ、読み、驚嘆し、小酒井不木にその原稿を送り、不木また絶讃、まさに機は熟しつつあると実感した雨村は得たり賢しとばかりに創作探偵小説の募集に踏み切った、みたいな雨村の昂揚が、無署名ではあるものの雨村が書いたにちがいないこの募集記事から読みとれます。

 では引用。

 日本にも探偵小説家が出なければならないとは、久しい前から云はれてゐることである。尤も文壇知名の士の間に探偵小説的傾向をもつた作品を発表された人々もないではないが、しかしそれらの作品は純然たる探偵小説と見做すべきものでなく、それらの人々も亦探偵作家を以て目すべき人々ではない。純然たる探偵小説は、これらの作家とは全然異つた領域から生れなければならないし、また今にも生れて来るやうな気がせらるゝ。言葉を換へて云へば、海外の高級なる作品に接し、これに刺戟されて、自ら筆をとつて立派な作品を提供してみたいと云ふ隠れたる作家があるやうな、またなければならないやうな気がせらるゝのである。いや、現に本誌に向て、海外作家に劣らざる傑作を寄せられた人もある位である。

 以下略。まだ文章がつづいて、そのあとの「規定」は次のとおり。

 ──(一)毎月募集の懸賞探偵小説と異り、一切細則を設けず。(二)紙数制限なし。(三)締切、第一回二月十日。四月号発表。(四)匿名自由。但し原稿返送希望者は住所氏名を明記し、郵券封入のこと。(五)誌上発表の分には稿料を呈す。

 わざわざ「匿名自由」としてあるのは雨村の頭のなかに江戸川乱歩という奇妙な変名のことがあったからなのかなと考えるとなんだか微笑ましい感じですけど、ここに「本誌に向て、海外作家に劣らざる傑作を寄せられた人」とあるのはもちろん乱歩のことです。乱歩の大阪、雨村の東京、不木の名古屋という三大モダン都市を舞台に、本邦探偵小説の歴史がこのとき大きく動いていたわけです。

 歴史が動いたといえば思い出されるのは NHK 総合テレビの「その時歴史が動いた」なのですが(なーんかわざとらしいですけど)、あの番組に来月16日、われらの乱歩が登場いたします。詳細は、といったってまだ放送日とタイトルが案内されているだけなのですが、NHK オフィシャルサイトのこのページでどうぞ。

 おかげさまで名張もちょこっと取材していただいて、近所の猫や里山の狸の公衆トイレも兼ねた公園として整備されることになるかもしれない桝田医院第二病棟と江戸川乱歩生誕地碑、さらにはインチキにインチキを重ねたあげく何になるのかいまだに決まっていない細川邸の前の死に絶えたような新町通りなんかもちらっとごらんいただけるはずです。どうぞお見逃しなく。

 閑話休題。それで「新青年」大正12年2月号の探偵小説募集は締切が2月10日で発表は4月号、つまり「二銭銅貨」との同時掲載ということになるのですが、4月号に載った「創作探偵小説」は「乱歩文献データブックβ版」のこのページにありますとおり、「二銭銅貨」のほかには山下利三郎「頭の悪い男」、松本泰「詐欺師」、保篠龍緒「山又山」の三篇。なかで山下利三郎作品が2月号の募集に応じたものであることが、4月号に掲載された森下雨村の「特別募集  探偵小説を読んで」から知られます。つまり松本泰と保篠龍緒とが3月号掲載の予告にある「近来探偵小説の創作に志しつゝある文壇知名の士二三」なのであったと。

 そんなことが知られたからってどうよ、とは思わないでいただきたい。乱歩デビュー前夜の動きとしてこの募集記事は非常に興味深く、「二銭銅貨」一篇が雨村に与えた衝撃の大きさがあらためて理解されますとともに、それを受けて抜く手も見せず「一切細則を設けず」「紙数制限なし」の探偵小説募集に打って出た雨村はまさしく機を見るに敏、編集者としてきわめて有能であったこともうかがえます。

 それで結論としてはこの「探偵小説を募集す──隠れたる作家の創作を慫慂す」、乱歩文献の一篇として認定し、「乱歩文献データブック」に新たに記載した次第です。「乱歩文献データブックβ版」には記載しておりません。


 ■4月23日(月)
初期乱歩大正13年バージョン 

 気がふれたようになって「乱歩文献データブック」のメンテナンスに興じておりますと、名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブック1『乱歩文献データブック』が刊行十周年を迎えたことにともなう得もいえぬ感懐とともに思い返されるのは、いろいろと不備や遺漏は多かったけれども『乱歩文献データブック』の書誌としての方向性はこれでよかった、どまんなかのストライクであったなということでしょうか。

 江戸川乱歩という作家の関連文献目録をつくろうとする場合、その作成者に重くのしかかってくるのは作家自身が自作に関する関連文献目録の作成者でもあったという事実でしょう。となるとその作業を引き継ぐ人間には何が要求されるのか。乱歩になることです。書誌作成者乱歩と化して関連文献の収集と体系化を進めることです。ひとことでいえば乱歩化か。そんなのやだ、とかいってらんないわけ。だから私も『乱歩文献データブック』つくったときにゃずいぶん乱歩化しておったわけです。

 しかし乱歩が書誌作成者でもあったというのはじつはめっぽうラッキーなことで、なにしろ乱歩自身が見本を示してくれている。手書きの「自著目録」や『貼雑年譜』には自身が受けた批評を列記してくれてもいるわけですから、白紙の状態からのスタートということではまったくなかった。しかも中島河太郎先生をはじめとした先達によって乱歩の関連文献目録は増補もされておりましたから、『乱歩文献データブック』をつくるのはまあきわめて楽っちゃ楽だった。

 それで先日来、半狂乱になって東京創元社版の『貼雑年譜』と首っ引きになっていたわけなのですが、ということは講談社版の『貼雑年譜』では見ることあたわなかった片々たる切り抜きにも眼を通すことを得たわけなのですが、私はその結果いささか認識をあらためねばならぬ仕儀となりました。むろん私は乱歩と化したつもりであった。あわよくば乱歩を凌駕してやろうという思いあがった気構えさえあった。あたかもミュータントのごとく乱歩化して『乱歩文献データブック』を編んだつもりであった。

 しかし、乱歩ってほんとはそんなもんじゃなかったのかもしれない。私は自身の思いあがりを思い知り、深く恥じるべきなのかもしれない。なにしろ東京創元社版『貼雑年譜』を仔細に見てゆきますと、たとえば4月13日付伝言に記しましたとおり名柄みどりという名もなき読者の寸評まできっちりとスクラップされてます。そんな例はほかにもむろんいろいろあって、しかしそれはいい。まあいい。そんなことは想定の範囲内なのである。しかしこーりゃ決定的に打ちのめされてしまったなと思わされる書き込みが『貼雑年譜』には存在していて、それは講談社版でも読むことができるものなのですが、結構うかつな人間である私はその意味の重大さに最近ようやく気がついたというわけです。

 『貼雑年譜』の大正13年度、一年の終わりにわずか七行の新聞記事がスクラップされていて、その下に乱歩はこう書き込んでいます。

 ──読売新聞ノ雑誌寸評デアル。私ノ作ガ活字デ批評サレタ最初ノモノ。「D坂」ハ十四年ノ正月号デアルガ、雑誌ハ十二月初ニ出ルノデ、本年度ノ新聞ニ批評サレタワケ。初期ニハコンナ小サナモノモ決シテ見逃ガサナイノデアル。

 「批評サレタワケ」とか乱歩はいったい誰にむかってこんな説明を行っているのかという疑問はさておき、私が打ちのめされたのは「初期ニハコンナ小サナモノモ決シテ見逃ガサナイノデアル」と、書誌作成者乱歩が自身の「初期」を妙に冷静に客体化して記した一文です。昭和16年、『貼雑年譜』を作成した乱歩はかつての自分を遠い目で思い返していたわけです。昔はよくやったものであった。こんな記事まで切り抜いて保存していたのである。いまの自分はあのころの情熱をもはやもちあわせてはいないのか……。

 私は打ちのめされました。乱歩の作業を引き継いで関連文献の目録づくりを進める人間は、昭和16年の乱歩が遠い目で思い返していた初期の乱歩、「コンナ小サナモノモ決シテ見逃ガサナイノデアル」と冷ややかな揶揄もにじませつつ本人によって想起されていた大正13年当時の乱歩、そのレベルというかテンションというか、それを保持して作業を進めなければならんのではないか。昭和16年の乱歩はすでにして劣化しておった。だから乱歩化ってのは昭和16年ではなく大正13年の乱歩になることなのではないか。私がめざすべきは大正13年の乱歩なのではないか。それが真の乱歩化なのではないか。

 そんなのやだ。

 死んでもやだ。

 ほんっとやだもん、とか思いながらも「新青年」の復刻版をひっくり返しておりますとたとえば昭和3年、のちに『空中紳士』として刊行されることになる耽綺社の合作「飛機睥睨」が連載されております。巻末の編集後記にはいよいよ次号から連載開始とか本号から掲載がはじまったとか目下一大センセーションを呼んでいるとか、横溝正史が張り扇ぱんぱん叩きながら提灯記事を書いてるわけなのですが、刊本『乱歩文献データブック』を編んだときにはこんなものはすべて無視しておりました。しかしいま初期乱歩というか乱歩大正13年バージョンというか、その存在を念頭において眺めてみるとこういった編集後記もひろっておくべきではないかと思われてくる。そのほうが天国の乱歩も喜んでくれるのではないかと殊勝な気持ちになってくる。だから今回のメンテナンスでは「飛機睥睨」に言及している編集後記はごそっとひろってやりました。

 おとといの三重県立図書館における作業は昭和5年と6年あたりのチェックがメインだったのですが、やはり編集後記を例にあげますと、たとえば昭和6年3月号の、

 ──新青年とは切つても切れぬ間柄の探偵小説界も、やがて近き将来に谷崎潤一郎氏の大作が頂けることになつてゐるし、久しく本誌には御無沙汰してゐる江戸川乱歩氏も、他の仕事が一段落つき次第、本当の意味での力作を寄せることになつてゐる。

 というのは乱歩の動静を示す資料として(どうせ水谷準が適当なこと書いてただけの話なのでしょうけど)ひろってありましたが、同年7月号の、

 ──次に、江戸川乱歩氏の全集。日本最大の探偵作家と自他共に許す氏の全集を是非とも諸君の書架に飾られよ。金色燦然たるは云はずもがな、これによつて諸君の一日一日は生き甲斐あるものとなるに相違ない。

 というのは無視しておりました。しかし初期乱歩、乱歩大正13年バージョンの存在を念頭において以下略しますが、これもやはり記載しておくことにいたしました。

 しっかしやだ。ほんっとやだ。

  本日のアップデート

 ▼1931年2月

 反猟奇趣味 大下宇陀児

 「新青年」の昭和6年春季増刊号に掲載されました。探偵作家六人が稿を寄せた「私は何故探偵小説家になったか」の一篇で、乱歩は「旧探偵小説時代は過去った」を執筆しています。

 大下宇陀児は、

 ──今の探偵小説が持つ最大の欠点は「奇」それだけで読者を惹きつけて行かうとすること、そのことにあるのではないだらうか。

 と真面目な疑問を呈していて、つまりは「反猟奇趣味」という寸法なのですが、そのひきあいに出しているのが乱歩です。

 乱歩氏が、今日何故あれだけの名声に於てあるか。それは氏の有する、万人に絶した猟奇とグロとエロとが与へつ力あるのは勿論であるが、他に一つ「美」といふ大きな要素を有つてゐるためである。乱歩氏にいはせれば「美」が、恐らくは「夢」といふ言葉でもつて現されるだらう。氏のいとも珍らかな着想に対して、私は至大の尊敬を払つてはゐるが、同時に、氏の「夢」を、私はこよなく尊いものだと思ふのである。

 文中「与へつ」とあるのは「与つて」の誤植でしょうか。ともあれこの文章も刊本の時点では黙殺していたのですが、今回のメンテナンスで新たに記載いたしました。ほんっとやだ。


 ■4月24日(火)
「中央公論 Adagio」いただきました 

 週が明けましたので名張市役所に赴いて住民監査請求のアドバイスを仰いでこようかなと思いつつ、きのうは時間が取れなくて断念いたしました。

 きのう23日というと東京都交通局の都営地下鉄フリーマガジン「中央公論 Adagio」の配付が都営地下鉄各駅でスタートした日だったのですが、おかげさまで当方にも一部ご寄贈をたまわりました。

 それでは石塚公昭さんの「月と乱歩と凌雲閣」をフィーチャーした表紙をどうぞ。

 A4サイズ中綴じ二十二ページを無料で配付するってんですから、むろん広告収入でペイできるということなのでしょうが、東京はやっぱり景気がいいみたい。名張あたりでこんなのつくって名張駅で無料配付なんかしてごらんなさい。創刊しただけで廃刊です。ていうかそもそも創刊できねーか。

  本日のアップデート

 ▼2007年4月

 江戸川乱歩と浅草を歩く よるの夢の足跡をたどって

 「中央公論 Adagio」創刊号の特集がこれです。

 なんかもう乱歩しか思い浮かびません。こうした雑誌を創刊するにあたって東京ゆかりの作家をフィーチャーするとなると、東京ゆかりの作家なんて掃いて捨てるほどいるもののぴたりとさまになって読者にすんなり受け容れられる作家となると、私にはもう乱歩しか思い浮かびません。

 乱歩ってのはいまやなんだかものすごいことになってると思います。比類のないポピュラリティでもって時代に受容されてると思います。

 では特集の冒頭を。

 「僕にとって、東京の魅力は銀座よりも浅草にある。浅草ゆえの東京住まいといってもいいかも知れない」(一九二六年、随筆「浅草趣味」)

 日本で本格ミステリー小説の扉を開いた作家・江戸川乱歩(本名・平井太郎)は、昭和三〇年代初頭に子どもたちを熱狂させたラジオドラマ『少年探偵団』の原作者として今も多くの人に親しまれている。乱歩は、一九二三(大正一二)年の関東大震災直前に『二銭銅貨』で文壇デビューし、東京の復興とほぼ同時進行で次々に面妖怪異な作品を世に出し、異形の小説世界を築き上げていく。

 一九二〇年代、東京は急激な近代都市化の途上にあった。日本で初めての都市計画が策定され、学生下宿も激増した。巷ではダンスが流行し、学生たちはドストエフスキーの『罪と罰』で苦悩するラスコーリニコフのような「高等遊民」となって街をさまよった。

 オフィシャルサイトにはさすがフリーマガジン、特集の全文が写真全点とともに気前よく掲載されておりますので、つづきはそちらでお読みください。

 都営地下鉄に縁なき衆生のみなさんは、入手方法その他のお問い合わせをこのサイトへどうぞ。


 ■4月25日(水)
特攻隊異聞鶴田浩二篇 

 行ってまいりました。名張市役所の四階にある、と思っていたらじつは三階だった監査委員・公平委員会事務局にきのうふたたびお邪魔して、住民監査請求についてのアドバイスを仰いでまいりました。

 今後の日程をお知らせしておきますと、私が住民監査請求を提出するのは連休明けのことになるでしょう。請求の前に今度こそ正式に公文書公開請求を行う必要がありますし、地方自治法には監査は請求があった日から六十日以内に行わなければならないと定められていますから、この六十日のなかに大型連休が含まれてしまうのは期間が実質的に短縮されてしまうという意味で望ましいことではないのではないか。別にそんなことに気をつかう必要もないのであろうけれど、しかし私はとにかくフェアに請求を行いたい。

 たとえ相手がフェアネスもジャスティスもどこ吹く風、ルールも手続きも思いきり無視して具体化が進められている名張まちなか再生プランであるにせよ、私自身はルールや手続きを重んじたい。あくまでもフェアでありジャストでありたい。だいたいが名張まちなか再生プランが公表されてからこの方、たとえばパブリックコメントの提出がその一例であるのだけれど、あるいは名張まちなか再生委員会に対する意見具申はすべて事務局を通じて行ったのも結局はそういうことなのであるけれど、私は名張市が設けている制度や機構にあたうかぎり即してことを進めてきたつもりである。私はアウトローではないのである。それはまあテキサスアウトローズと名乗ってリングに立っていた昔もあるけれど、いや嘘うそ、そんな昔はありません。誰が狂犬ディック・マードックか。ともあれ私はこれまでそうであったとおりこれからも、人間風車ビル・ロビンソンのごときクリーンさをキープしてことに当たりたい所存である。

 ただしここでお断りしておきますと、私の住民監査請求は却下されてしまう公算がきわめて大きい。門前払いってやつですか。このあいだから縷々記してきたことですが、住民監査請求という制度で名張まちなか再生事業をフォールすることは至難である。名張まちなか再生委員会の迷走と跛行はすでにして明らかであり、名張まちなか再生プランを具体化するためのこれまでのプロセスは、いやそれ以前にプランそのものを策定するプロセスも含めてなんだかもう信じられぬくらい無茶苦茶なのであるけれど、しかし住民監査請求というシステムでそうしたプロセスの問題点をがっちり押さえ込み、きれいにスリーカウントを奪うことなどとても不可能な話であろう。そんなことは人間発電所ブルーノ・サンマルチノにだってできっこないことであろう。

 だから私の住民監査請求は、いってみりゃ特攻隊みたいなものなのね。片道分だけ燃料つめこんで、ぶーんと飛んでった先で敵艦にぶつかって華と散る。あんな感じの行為であるとお考えいただきたい。なんてことを記しますと世間には、

 ──いやッ。たとえ比喩にしても戦争の話が出てくるのはいやッ。特攻隊だなんていわないでッ。いやいやッ。

 とか身をよじるようにしてお思いになるお嬢さんもいらっしゃるのかもしれぬけど、人の芸風にまでいちいちいちゃもんをつけてくださるな娘さん。それにこう見えてもおれはあれだぞ。名匠加藤泰の傑作「明治侠客伝 三代目襲名」で、岡山にいる父親の死に目に逢いたいと揚屋のおかみに懇願する曾根崎新地の娼妓の姿を見るに見かね、

 「なんぼ売りもん買いもんの女郎やかて、親の死に目に逢いたんは人情やないか。間に合わんゆうのは一生親不孝やで。おかみ、この子、帰してやり」

 とおかみを説得してやる菊地浅次郎のせりふをそのまま諳んじているほどの鶴田浩二ファンなんだぞ。「同期の桜」でも歌いながら派手に突っ込んできてやるさ。しかしそれにしても、きょうびの右翼の街宣車から鶴田浩二の歌を大音量で流すという美しい伝統が消えつつあるのはいかがなものであろうか。右翼が伝統を破壊して、そんなことで美しい国とやらが築けるものなのであろうか。しっかりしてくれ右翼の諸兄。

  本日のアップデート

 ▼2007年4月

 探偵小説は大衆文芸か 戸田巽

 西尾正のあとには戸田巽がつづきます。論創社の論創ミステリ叢書のおはなしですが、今月の配本は『戸田巽探偵小説選1』。巻末の刊行予定によれば戸田巽のあとに控えるのは山下利三郎。ほんっとにどこまで行く気なのかしら。

 さて先日来、私は住民監査請求の鬼と化す合間を縫うように「新青年」復刻版の鬼と化してもいるわけなのですが、そんな鬼の眼が誌上に見つけた戸田巽のかそけき消息をここに録しておきたいと思います。

 「新青年」昭和5年2月号の編集後記「戸崎町風土記」は J・M・こと水谷準の執筆ですが、そこに戸田巽の名を見ることができます。前年の夏季増刊号で千円の懸賞を掲げて創作探偵小説を募集したところ、約五百篇が寄せられたものの入選は一篇もなかったという報告です。以下、引きますと──

◇予選を通過した作品左の通り〔。〕

1、ヴオルガの強者 田中亮

2、遊園地附近 西川友孝

3、妄想舞踏曲 東栄一郎

4、合歓の花 久転寺享

5、争議秘話 村岡利英

6、混成酒土産 杉六三郎

7、ニタの職業 戸田巽

 予選通過七作のうちに戸田巽作品が入っています。水谷準はこの「ニタの職業」について、

 ──7は江戸川乱歩氏も推奨れさた〔された〕佳作で、文章筋共に他作品を圧してゐたが、今一息で頂けなかつた。総じて構想の難である。

 と記しています。最後の「総じて構想の難である」は予選通過作全体について述べられたものかもしれません。

 戸田巽の「新青年」デビュー作は『戸田巽探偵小説選1』にも収録されている「第三の証拠」で、横井司さんの「解題」によれば「一年にわたって連続して新人の作品を紹介する『新人十二ヶ月』という企画の第五番手だった」とのことですが、デビューへのいわば足がかりとなったのがこの「ニタの職業」という予選通過作品であったと思われます。

 それでは「探偵小説は大衆文芸か」からどうぞ。

 江戸川乱歩の「孤島の鬼」にせよ、「白髪鬼」にしろこれは通俗小説であると誰もが言う。興味こそあれ、芸術味のある作品でないことはたしかである。作者自身にしろ、読者のため、そしてジャナリストのために書いた小説であって、さして会心の作と言うべきものでないことはもちろんであり、それほど執筆的に苦心も払っていないことは間違いない。さるが故に、作者はこれを娯楽雑誌に発表して、専門雑誌「新青年」には回さなかった。これは何故であるか? 作者自身、その作が通俗味のあることを意識していたからである。だから、探偵小説は大衆文芸であると言えるかどうか?

 全文は『戸田巽探偵小説選1』でお読みください。気になるお値段は本体二千六百円。


 ■4月26日(木)
特攻隊異聞三本指の男だぜ篇 

 昭和20年3月21日、陽光うららかな日。美しく立派に散るぞ。そういって一番機にむかう戦友の胸に、おれはまだつぼみだった桜の一枝を飾って送った。あすはおれの番だ。死ぬときが別々になってしまったが、靖国神社で逢える。そのときはきっと桜の花も満開だかどうだかは知らんけど、きのうは「同期の桜」ではなくて「赤と黒のブルース」を歌いながら名張市役所に行ってきた特攻隊員です。敬礼。

 靖国神社から北西に直線距離で約五キロといったところでしょうか。池袋では五回目を迎えた「池袋西口公園古本まつり」があす27日まで開かれています。テーマは「乱歩通りから、ミステリーの迷宮へ! 特集・推理小説」。詳細は豊島区オフィシャルサイトのこのあたりでどうぞ。

 新聞記事もひろっときます。

30万点ずらり 池袋で古本市
 首都圏の38古書店が出店する「池袋西口公園古本まつり」が27日まで、豊島区立池袋西口公園(西池袋1)で開催されている。

 会場では、豊島区在住時代に「怪人二十面相」を書いた江戸川乱歩にちなみ、「乱歩通りからミステリーの迷路へ」と題して推理小説を特集したコーナーを設置。乱歩のほか、横溝正史、アガサ・クリスティーなど和洋の巨匠作品が並ぶ。

 そして池袋といえば立教大学なのですが、先日もお知らせしました NHK 総合テレビの「その時歴史が動いた」。オフィシャルサイトの放送予定が更新されました。ゆうべ放映された「大奥 華にも意地あり〜江戸城無血開城・天璋院篤姫〜」の予告にはアダルト女優の麻美ゆまちゃんの写真が掲載されていて、ゆまちゃんとおなじ3月24日生まれの私としては、ゆまちゃんとうとう NHK 進出か、と深い感慨にふけらざるを得なかったものでありましたが、よく見てみたらそれは天璋院に扮した女優の岩崎ひろみさんの写真なのであったというサプライズがあったことを頬を染めながら思い出したりしてしまいます。それで新しくなった放送予定がこれ。

 5月16日のタイトルは「日本ミステリー誕生〜江戸川乱歩・知られざる実像〜」と予告されていたのですが、けさ見てみると「日本ミステリー誕生〜江戸川乱歩・大衆文化との格闘〜(仮)」にあらためられています。立教大学カラーが一気に濃厚になった感じでしょうか。放送日がいよいよ心待ちにされる次第です。どうぞお楽しみに。

 さて特攻隊員です。きのう名張市役所一階の市民情報相談センターを訪れ、「公文書公開請求書」を提出してきました。請求書は一件につき一枚かとスタッフにお訊きしましたところ、そうしていただいたほうがありがたいとのことでしたので、ならばと私は三本の指を立て、三本指の男だぜ、一柳さんのお屋敷への道を尋ねたりはしませんでしたが、請求書三枚を要求しました。

 その一枚目。「公文書の名称その他公文書を特定するために必要な事項」の欄にはこんなふうに記入しました。

名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの平成17・18両年度議事録のうち、細川邸の整備にかかわりのあるすべての文書

 ゆめをなーくーしーたー、ならーくーのそこーにー、か。敬礼。

  本日のアップデート

 ▼2007年2月

 のぞき学原論 三浦俊彦

 今年2月に三五館から出た本です。こんな本があるぞとある方からメールで教えていただき、さっそく購入はしたもののずいぶんぶっ飛んだ内容だったので読み終えるのにやや時間がかかってしまいました。

 タイトルどおり覗きという行為を縦横に考察する一冊なのですが、第一章「覗きの法則」はなんと宇宙論と進化論にはじまり、つづく第二章「覗きの情緒」は「日本文学における、その十五の型」とサブタイトルにあるとおり、覗きという視点から日本文学を俯瞰したたいへん面白いパートです。

 しかし読み進みますと、たとえば「自転車のお姉さんのお尻」という名作らしいビデオがやはり縦横に考察され、なにごとならんと思っているうち本の後半にいたって盗撮ビデオが怒濤のごとくくり出される。これでもかこれでもかとくり出される。便所での盗撮ビデオを撮影するために総工費八百万円をかけて海岸の駐車場などに隠しカメラつき簡易トイレを設置してしまう盗撮ビデオ業者を取材した週刊誌記事が紹介されているあたりには思わず身を乗り出してしまうのですが、私はそもそも盗撮ビデオなど見たことがなく(それどころかおなじ3月24日生まれの麻美ゆまちゃんが出演しているアダルトビデオさえ見たことがありません)、まったくまあこれはいったいなにごとならんやという印象でした。覗きという「不当に無視されてきた文化的要素」を対象とした意想外の学問的態度に、ただただ驚いてしまったというのが正直なところです。

 ただし乱歩ファンのみなさんには、せめて第二章だけはぜひともお読みいただきたい。著者の見るところでは(覗き見るところでは、というべきか)日本文学における覗きの王者は谷崎潤一郎であるらしいのですが、われらが乱歩はその次につけているようです。

 タイトルをあげてゆくなら「一人二役」「陰獣」「人間椅子」「影男」「目羅博士の不思議な犯罪」「湖畔亭事件」「押絵と旅する男」「屋根裏の散歩者」といった作品が、言及の濃淡はあれども覗き学の俎上にてんこ盛りで載せられております。

 たとえば「人間椅子」においては「触覚的な覗き」や「ときには殺人妄想にまで通ずる猟奇的な世界」が指摘され、

 ──このマニアックな爛れた覗きを描かせては、乱歩の右に出る者はない。

 との断言が記されます。なんかうれしい。

 「人間椅子」では空想にとどまっていた「覗き殺人」が実行されるにいたる「屋根裏の散歩者」に関しては、

 ──「動機は、相手の人物にあるのではなくて、ただ殺人行為そのものの興味にあったのです」──外的関係に依らない、いわば内的な所行だ。探偵小説、犯罪ごっこ、覗き……外の世界にさまざまな刺激を求めつづけた猟奇者の、結局真の嗜好の対象となりうるのは、まさしく、不気味な自己の心そのものに他ならなかったのである。(「……不意に、チラリとある恐ろしい考えが、かれの頭にひらめきました。かれは思わず、屋根裏の暗やみの中で、まっさおになって、ブルブルと震えました。……」)

 と「内的な覗き」なる概念が示されます。

 しかしながら私が本当に興味深く思ったのは、『探偵小説四十年』と『貼雑年譜』にともに覗き学の照明を当てることが可能であるとの示唆が読み取れる箇所でした。いずれも本文ではなく脚註にある文章なのですが、以下に二点を引用いたします。

 まず『探偵小説四十年』について。といっても『探偵小説四十年』への言及があるわけではなく、著者によって覗かれているのは兼好法師の徒然草なのですが。

[14]「つれづれなるまゝに」……退屈しのぎに書きとめただけです的な徒然草スタイルは、本音の自意識や世界観や主義主張を覗かれまいとする、防衛的執筆スタンスとも言える。これは兼好自身が覗き屋タイプだったからこその防衛姿勢だ。第6章で触れる「いちおうバリア」のような形で、徒然草スタイルは現代の青年層にも受け継がれている。

 この「防衛的執筆スタンス」は、思い出すままあけっぴろげに書きとめました的でありながら、しかしたとえば小林信彦さんによって指摘されているようなここまではあけっぴろげにしとくけどこっから先は入っちゃだめよ的なところもある『探偵小説四十年』の「防衛姿勢」を髣髴とさせるものではないでしょうか。ちなみに「いちおうバリア」ってのは、巻末の「覗き学のキーワード」から引きますと、

 ──自己紹介に「いちおう」と付けて、肩書き通りの実力を期待されても困ります、と防御する話術。相手を透視者に見立てて、慢心を覗き見られることへの警戒を含んでいる。

 といったことになります。

 そして『貼雑年譜』。これは本文に乱歩が初登場するに際して「江戸川乱歩」に附された脚註です。

[28]乱歩は、批評、言及から新聞雑誌広告にいたるまで、自分に関する資料を偏執的に集めまくっていたらしい。覗き屋特有の気質で、自分の知らぬところで自分の情報が人に見られているという想像に耐えられなかったのだろう。覗き志向の他者投影性。人気作家の自己顕示欲と妥協させるためには、己れを衆目に晒す代わりに、すべて自覚(自己把握)していたかったのだろう、その結果の記事収集だった。注18参照。注14の徒然草スタイル、第6章の「いちおうバリア」も参照。

 覗き学の観点からは『貼雑年譜』の本質がこのようにあぶり出されるという寸法です。これはまことに興味深い指摘で、ていうか『江戸川乱歩年譜集成』にいただきましょう。昭和16年、乱歩が『貼雑年譜』を編んだという事実に関連する諸家の言のひとつとしてこのフラグメント、ぜひともいただきたいと思います。

 「注18参照」とありますからついでに引いときましょう。

[18]泉鏡花、徳田秋聲、室生犀星を「金沢の三文豪」と呼ぶのだそうで、金沢城公園の白鳥路に三文豪像というのもある。本人たちの作風的自意識とは別のところでセットにすることに、評価視点の定型化(標準化)という、対象の関知しない一種覗き的アングル設定が仄見える。

 ついでに記しておきますと、乱歩の収集癖(蒐集癖、と書くべきか)が相当なレベルのものであったことはひろく知られているところですが、ていうか本人も認めていたところですが、この『のぞき学原論』によれば「コレクション自体が覗きの本質である」ということになります。

 さらについでに記しておきますと、こんなことはこの本のどこにも書かれてはいないのですけれど、著者の説を敷衍いたしますならば『江戸川乱歩年譜集成』を編纂するという行為もまたまぎれもない覗きにほかなりません。盗撮ビデオも「自転車のお姉さんのお尻」も麻美ゆまちゃんのアダルトビデオすら見たことのない人間ではあるけれど、大先達として大谷崎や大乱歩を仰ぎ見ながら覗きの道を究めたい。いっそ覗き屋と呼ばれたい。私は『のぞき学原論』を読んでそのように意を決しました。

 興味を惹かれた方はぜひご購読を。気になるお値段は本体千九百円。


 ■4月27日(金)
特攻隊異聞制度への疑問篇 

 ろーいどめーがーねーにえんびーふーくー、か。敬礼。

 さて特攻の話です。おととい名張市役所の市民情報相談センターで提出した「公文書公開請求書」は三枚。請求一件目はきのうもお知らせしたこれでした。

名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの平成17・18両年度議事録のうち、細川邸の整備にかかわりのあるすべての文書

 細川邸をどうするこうするという協議検討の内容を知りたい。2005年の6月に名張まちなか再生委員会が発足してから2006年度が終わる2007年3月まで、名張まちなか再生プランでは歴史資料館として整備されることになっていた細川邸の活用に関してちんたらちんたらした協議検討が重ねられ、しかし結果としてはいまだに何も決まっていない。それってどうよ、ということをまず問題にしたい。ちゃんとした議事録なんてものが存在しているのかどうかという疑問もあるのですが、とにかく片道分の燃料は確保しなければなりませんから、これまでの協議検討のぐだぐだぶりを白日のもとにさらしてそれを住民監査請求にいたるための燃料としたい考えである。

 なにしろこちとら特攻隊なんですから、敵艦を確実に視界に捉えるまでの片道分の燃料さえあれば、すなわち住民監査請求という行為のかたちを整えることができさえすればそれでいい。却下されるのは覚悟の前、ぶーんと突っ込んで華と散ることができればそれでいいわけです。4月2日、春雨のけむる日。幸か不幸か、おれはまだきょうも生きのびている。だが、雨があがり、虹が橋をかけ、あかね色の夕焼け空がひろがるときに、おれはかならず行く。あとにつづくことを信じてるわけでは全然ないけれど、たとえ門前払いをくらったって住民監査請求を規定にしたがって提出したという事実が残ればそれでいい。提出にいたるプロセスをこのサイトで公開できればとりあえずはそれでいい。

 むろん提出した請求が却下されることなく監査が行われるのであればそれに越したことはありません。望むところである。名張市オフィシャルサイトのこのページによれば「監査委員の定数は、名張市では2名で人格が高潔で、地方公共団体の財務管理、事業の経営管理その他行政運営に関しすぐれた識見を有するものから選出される委員と、議会から選出される委員とで構成されています」とのことで、委員おふたりのお名前も紹介されているのですけれど、なんか変だなと思わないでもありません。

 これはたとえばの話なのですが、ですから名張市議会の話であるということではまったくないのですが、ここにひとりの市民がいて市議会議員の視察旅行に疑問を抱いたとしましょうか。あんなもんただの物見遊山とちゃうんか、という疑問です。こういう疑問はおそらく全国各地の自治体に潜在していると判断される次第で、ですから名張市に限定した話ではちっともないのですが、しかし名張市においても少なくとも昔はそうであったみたいです。2002年9月に発表した「乱歩文献打明け話」第二十二回「名張市議会議員賛江」から引きますと──

「名張市ではいよいよ市議会議員選挙が始まりまして」
「なかなかの激戦やそうですけど」
「この『四季どんぶらこ』が出るころには当選者も決まってますけどね」
「八月二十五日が投票日ですから」
「今度の選挙ではどの程度の手合いが議員先生になってくれるんでしょうね」
「手合いてなことゆうたらあかんがな」
「現状は僕もよう知りませんけど」
「なんですねん」
「昔は手合いと呼ぶしかない市議会議員がたしかにいてましたからね」
「そうなんですか」
「じつはうちの親父が名張市議会議員をやってたことがありまして」
「それは知りませんでした」
「わずか一期だけでしたけど」
「それでもえらいもんですがな」
「せやから名張市議会議員なんかえらいことないゆう話なんですけど」
「どうゆうことですねん」
「親父が市議会議員の視察旅行から帰ってきてえらいびっくりしてました」
「なんぞあったんですか」
「議員の視察旅行ゆうのはみなさんもご存じのとおり視察は名目で実態は慰安旅行ゆうか物見遊山ゆうか」
「そんなことないがな。いろんなとこで見聞を広めたり専門知識や最新情報を身につけたりするための旅行ですがな」
「まあ建前はそうですけど」
「建前やないゆうねん」
「ですから僕も現状はよう知らんのですけどうちの親父が名張の市議会議員やってたころはそうやったんです」
「慰安旅行か物見遊山でしたか」
「それで帰ってきた親父が感に堪えないゆう感じでゆうてたんですけど」
「どんなもん視察してきたんですか」
「旅館に一泊して次の朝その旅館をあとにするときのことです」
「どないしました」
「親父と同室やった議員の一人が着てた浴衣くるくる丸めて自分のボストンバッグに突っ込んでしもたゆうんです」
「完全な浴衣泥棒やないですか」
「旅の恥はかき捨てゆうぐらいですからこんなんようある話なんですけど」
「けどいくらなんでも議員さんがそんなことしたらあきませんがな」
「その旅館の人たちはちょっと唖然としたでしょうね」
「名張市議会の名前で泊まってる人間がそんなことしたら名張の恥をよその土地に広めて回ってるようなもんですがな」
「せやからそうゆうのは手合いとしか呼びようのない議員なんです」
「いったい誰ですねん」
「もう亡くならはった方ですからいまさら実名は暴露しませんけど」
「誰のことか気になりますけどね」
「そしたら過去十年のあいだにお亡くなりになった名張市議会議員経験者のお顔を頭に思い浮かべてみてください」
「何人かいてはりますわね」
「そのうちのいったい誰が浴衣泥棒かと思案してみますと」
「どないなります」
「誰が浴衣泥棒であっても不思議ではないゆう気がしてくるから妙なもんです」
「妙なもんですやないがな」
「でも市議会議員ゆうたら市民からは白い目で見られるのが常でして」
「誰も白い目では見てないがな」
「市議会議員ゆうたら市民から一段低い存在やとも思われがちなんですけど」
「思われてないゆうのに」
「市民が議員さんを見くだしたような態度とるのは感心しませんね」
「それは君のことやないか」
「しかし市議会議員ゆうのもあれでなかなか大変なんです」
「君のお父さんがそんなことゆうてはりましたか」
「いやうちの親父から聞いた市議会の話はその視察旅行の件だけでしたから」
「浴衣泥棒がよっぽど印象に残ってたんでしょうね」
「てゆうかうちの親父の議員活動は視察旅行だけやったんとちがいますか」
「そんなことあるかいな」
「けど議場は禁酒禁煙ですから出席するのはとても無理やったでしょうしね」
「議場で酒煙草やってどないするねん」
「飲酒OKの議会やったらうちの親父なんか休会日でも行ってましたやろけど」
「あほなことゆうとったらあかんがな」
「それで市議会議員の何がいったい大変なんかといいますと」
「なんですか」
「やっぱり選挙ですね」
「選挙に通らないと議員先生にはなれませんからね」
「せやから議員先生はいろいろな得意技を開発するわけでして」
「得意技といいますと」
「選挙民を買収するためのあの手この手のことです」
「買収したらあきませんがな」
「けどあの先生は商品券この先生はビール券ゆうて先生によって得意なブツも決まってますしね」
「そんなことしたらあかんゆうのに」
「ちょっと前の選挙の話ですけど」
「何がありました」
「牛肉をブツにしてる先生がいてはりまして」
「選挙民に牛肉を配って買収するわけですか」
「それでまあ単車の荷台にかごをくくりつけましてね」
「単車で買収に回りますか」
「かごに肉の包み積んで飛び回るわけですわホンダのスーパーカブで」
「車名まで出さいでもよろしやないか」
「それである家を訪問してよろしゅう頼むでゆうて外に出てみますと」
「どないしました」
「どこぞの犬が後ろ脚で爪先立ちして単車のかごに頭つっこんでますねん」
「あちゃー」
「先生その犬を怒鳴りつけました」
「そらそうですやろ」
「そしたらその犬が立ったままこわい顔してこっちを振り向きましてね」
「犬も本気ですわね」
「その振り向いた口には肉の包みがしっかりと」
「えらいこっちゃがな」
「こら待たんかーッ」
「先生も必死です」
「走って追いかけたんですけど犬の逃げ足の早いこと早いこと」
「えらい災難やったわけですな」
「でも不幸中の幸いゆうやつですか」
「なんですねん」
「そのときの選挙ではその先生が上位で当選を果たされました」
「落選してたら目もあてられません」
「犬まで買収したんやさけ票も多いわさゆうて近郷近在で大評判でしたけど」
「いったいどこの先生ですねん」
「この先生もお亡くなりになりましたからこれ以上のことは差し控えますけど」
「それやったら最初から差し控えといたらええやないですか」
「それから議員先生が苦労するのは日常の議員活動が選挙民の目にあまり見えてこないという点ですね」
「人目につかんところで地道に努力してくれてる議員さんも多いですからね」
「かと思たら特権意識だけ肥大させたぼんくらもいるさかいに困ったもんです」
「いちいち喧嘩腰になりなゆうねん」
「議員活動が日刊紙の地方版で報道されるのは議会の一般質問くらいですし」
「CATVでもやりますけどね」
「しかし一般質問も気ィつけなあきませんよ」
「何に気ィつけますねん」
「これもちょっと前の話ですけどある先生の一般質問を拝聴してましたら」
「なんてゆうてはりました」
「めされていた」
「なんやて」
「めされていたゆうておっしゃるわけですその先生が」
「質問原稿を読んでですか」
「なんのこっちゃ思て前後の文脈から考えたらもくされていたなんです」
「どうゆうことですねんそれ」
「目ェですがな目ェ。目されていたゆうのをもくされていたとよう読まんとめされていたと読んでたわけなんです」
「なるほど」
「つまり誰かに書かした質問原稿を読んではったゆうことなんですけど」
「でも上は国会から下は市町村議会まで質問原稿を他人に書かせるケースはどこでもようあるみたいですけどね」
「せやから誰が原稿書いたかてええんですけど振りがなぐらい振っといたれゆう話やないですか相手あほなんやから」
「あほゆうことはないがな」
「しかしもう昔の話ですから」
「ほなその先生もお亡くなりに」
「いまでもぴんぴんしてはります。いずれは天にめされますやろけど」
「知らんがなそんなこと」

 亡父が名張市議会議員を務めていたのはもうずいぶん昔のことなのですが、その当時の市議会議員による視察旅行は物見遊山や慰安旅行の傾きが大きかったと伝えられます。しかしいまではそんなこともないでしょう。ていうか私は名張市議会に限定した話をしているわけではないのですからこんな予防線を張る必要はないのですが、とにかくあるところの市民が議員の視察旅行に疑問を抱き、旅行費用の情報開示を求めたとお思いください。たぶん「赤と黒のブルース」かなんか歌いながら市役所へ行って「公文書公開請求書」かなんかを書いたわけでしょう。

 で、旅行費用の明細が公開されたとしましょう。するってえと議員さんたちは無駄に高級なホテルに宿泊している、あるいは宴会にずいぶんと金をつかっている、へたすりゃコンパニオンのお姉さんまで公費でお出ましいただいているかもしれません。市民はなんなんだこいつらと憤りをおぼえた。どいつもこいつも能なしのくせしやがって税金で物見遊山かましてんじゃねーぞすっとこどっこい、てなもんでしょうか。念のために申し添えておきますと、これは名張市の話ではありません。あくまでも架空の話です。

 それで市民はその市の監査委員に住民監査請求を行いました。しかしその監査委員のなかには市議会議員が含まれていた。制度として明文化されたものなのかそれとも申し送りや慣習のようなものなのか、それはわからないもののたしかに市議会議員が監査委員を務めている。だとすれば、その議員が参加していた視察旅行を対象とした監査においてその議員兼委員は中立性や公平性を保てるものであろうか。保てるわけがないではないか。へたすりゃ公費でお出ましいただいたコンパニオンのお姉さんのおっぱいわしづかみにしてたかもしれない議員兼委員にどんな監査が可能だというのか。

 あるいはまた、その市の監査委員の定数が二で、市議会議員のほかのもうひとりの監査委員が市役所で長く職員として勤めあげた人間であったというケースもあるでしょう。そうした場合、そんな現役議員や市職員 OB といった人たちにそもそも公正な監査が可能なのかどうか。住民監査請求とはいうものの本当に住民の立場に立った監査が期待できるものなのかどうか。そのあたり私にはおおいに疑問であり、だからなんか変だなと思わないでもないのですが、そんなことは全然 OK なのである。そこにある制度にこちらから身を添わせることで制度の限界や矛盾はおのずから明らかになってくることでしょう。そのときはそのときの話である。

 さてそれでおととい提出した公文書公開請求の二件目はこれでした。

名張まちなか再生委員会の平成17年度予算執行実績のうち「(測試)細川邸実施設計委託料」にかんするすべての文書

 なにかーらーなにーまーでまっくーらーやみよー、すーじーのーとおらーぬことばーかーりー、か。敬礼。

  本日のアップデート

 ▼2007年3月

 とりとめのない話 秋田稔

 個人誌「探偵随想」の九十四号に掲載されました。記念すべき百号まではあとわずか。

 「夢声」と題された章からどうぞ。

 夢声がホストをつとめた「週刊朝日」の連載対談「問答有用」が始まったのは昭和二十六年一月で、以後三十三年まで四百回つづいたというから恐れ入る。

 ぼくは二十九年の春に大阪へ出て就職してからの読者だったが、それも小説家だけ立ち読みしたくちに過ぎず、吉屋信子や井上靖、それに子母沢寛、吉川英治、石川達三などわずかに名前を思い出す程度だ。でも、買ったこともある。定価三十円。江戸川乱歩と松本清張の二人なのだが、なくしてしまった。先年、気になって捜してみたが出てこなかった。

 乱歩に夢声は、「パノラマ島奇談」の人間花火はいただけないなとか、「人間椅子」なんだが、あんなにうまい具合に椅子の中へ人が隠れられるのかねえ、などと無遠慮に話していた記憶がある。この客と主人、明治二十七年生まれの同い年だった。僕はのち夢声に、幻想小説なのです、ラストのあの花火がいいのです、と手紙で小さな抗議をしている。

 この章のおしまいには「探偵随想」を郵送したところ夢声から「冊子拝受」という四文字だけを書いたはがきが届き、秋田さんはいまもそれを大事にしていると記されています。このエッセイのキモともいうべきエピソードですから附記しておきます次第です。

 さて世間はあすから大型連休。それに連動してこの「本日のアップデート」ないしは「本日のフラグメント」のコーナーもあすからしばらくお休みをいただくことにいたします。お休みして何をするのかというと、『江戸川乱歩年譜集成』の刊行へむけてそろそろ当サイト「江戸川乱歩年譜集成」を充実させてゆく必要があるのじゃが、はてさてその方途は、みたいなことをちょこっと試行錯誤してみたい。

 先日来記してきましたとおり以前から気になっていたあれこれのこと、つまり東京創元社版『貼雑年譜』と本の友社の「新青年」復刻版にもとづいた「乱歩文献データブック」のメンテナンスは山こそ越えたもののまだ途中、それから手許の資料の整理もいまだ完全には終わっていないのですがまあいいさ。それはそれとして『江戸川乱歩年譜集成』のためにこのサイトをどんなぐあいに利用してゆけばいいのか、それを思案してみることにいたします。


 ■4月28日(土)
特攻隊異聞国立大学法人篇 

 すーきだーったー、すーきだーったー、うそじゃなかったすーきだーったー。敬礼。

 名張市役所の市民情報相談センターに提出いたしました「公文書公開請求書」の三枚目。特攻ポイントはこれだ。

名張まちなか再生委員会の平成18年度予算執行実績のうち「(測試)名張まちづくり塾」にかんするすべての文書

 この名張まちづくり塾とやら、契約者は国立大学法人三重大学で契約額は百四十九万九千円ということになっているのですが、これはいったい何であるのか。ろくなものではあるまいけれど、ことと次第によってはちょいといたぶってやろうかなと思わないでもありません。別に深い意味などなく、ていうか私はこの手のたぐいの名称からして愚劣そうでインチキまるだしの事業にそもそも興味がないのだけれど、こらばかおまえら大学ってそんなにありがたいものなのかよ、みたいな感じでしょうか。

 それではまたあした。ゆうべはカラオケで鶴田浩二大全集をぶちかましましてまだへろへろの二日酔いにござんす。ご無礼。

 さーらーばらっばうるよー、まったくーるまーでーはー、か。敬礼。


 ■4月29日(日)
特攻隊異聞昭和の日篇 

 きっさまとおーれーとーはー、どーきのさっくーらー、か。敬礼。

 しっかしつい二十年ほど前まで天皇誕生日と呼ばれ今年から昭和の日ということになったらしい4月29日に「同期の桜」歌ってるってのはどうよ。どうよっつか、ばか?

 さて特攻報告。私が名張市に対して行った公文書公開請求は次の三件であった。

名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの平成17・18両年度議事録のうち、細川邸の整備にかかわりのあるすべての文書

名張まちなか再生委員会の平成17年度予算執行実績のうち「(測試)細川邸実施設計委託料」にかんするすべての文書

名張まちなか再生委員会の平成18年度予算執行実績のうち「(測試)名張まちづくり塾」にかんするすべての文書

 これらの素材から首尾よく片道分の燃料を抽出できれば晴れて一番機の発進となるわけなのですが、おかあさん、泣くなというのは無理かもしれません。でもどうか、よく死んでくれた、そういってください。私たちは祖国を護るために死んでいったりはせんのじゃが、つづく動きは連休明けとなります。敬礼。

 世間は連休でも乱歩をめぐる動きにはお休みがありません。読売新聞のオフィシャルサイトにはきのうこんな記事が。

乱歩「薔薇夫人」第一稿を発見…後に別の2作品に分解
 江戸川乱歩(1894〜1965)がミステリー雑誌「宝石」のために書きながら未発表だった小説「薔薇(ばら)夫人」の生原稿が、東京都豊島区の旧乱歩邸(現・立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター)から見つかった。

 乱歩は同作品をもとに、いくつかの別の小説に発展させており、巨匠の創作過程が分かる貴重な資料だ。

 「薔薇夫人」は、乱歩邸の蔵書や資料を整理していた評論家の新保博久さんが遺稿の中から発見した。200字詰め原稿用紙60枚で、29〜35枚目が欠落。1枚目にタイトル、日付と共に「宝石連作の第一稿」と記されている。1953年(昭和28年)8月の作と見られる。

読売新聞 YOMIURI ONLINE 2007/04/28/14:50

 発見された「薔薇夫人」なる作品は今月10日に光文社から刊行される『江戸川乱歩と13の宝石』に収録されるそうですから、乱歩ファンはためらうことなくお買い求めください。それにしてもこのタイトル、私は「そうびふじん」と読ませたいような気がするのですが。

 そうかと思うと当地ではきのうこんなニュースが。

名張市:乱歩の生家復元断念、記念公園に方針変更へ /三重
 名張市は推理作家・江戸川乱歩(1894〜1965)の生誕地である同市本町の旧桝田医院第2病棟の活用策について、財政難を理由に当初検討していた「乱歩文学館」構想を断念し、記念公園に変更する方針を固めた。活用策を検討していた官民共同組織「名張まちなか再生委員会」のメンバーらは「公園案では乱歩顕彰という当初の目的が達成できない」と反発している。【金森崇之】

 旧桝田医院第2病棟の敷地内には乱歩生誕碑があり、所有者が04年、「乱歩顕彰のために有効活用してほしい」と旧病棟の土地と建物を市に寄贈したことから活用策の検討が始まった。市職員を含む「名張まちなか再生委員会」(田畑純也委員長)の下部組織「歴史拠点整備プロジェクト」で議論が重ねられ、木造長屋の乱歩生家を復元した乱歩文学館を整備する構想がまとまった。

 しかし、市は今年度からの3年間で21億円の財源不足が見込まれるとして、大幅な歳出の見直しを実施。建設費に数千万円かかり、完成後も人件費などの維持管理費が必要なため、計画の規模を縮小する方針を固めた。このため、文学館構想を具体的に話し合うために組織された「乱歩関連施設整備事業検討委員会」は2月1日に1度開かれただけで、協議がストップしている。

 やーいばーか。乱歩と聞けばすーぐ文学館だの記念館だのと脊髄反射的に口走ってしまうばかのみなさんご苦労さん。ろくに乱歩作品を読んだこともない低能がちゃらいことほざいてんじゃねーぞたーこ。文学館だの記念館だのといったって煎じつめればただのお飾り、そんなものつくっていったい何をするのかなんてことはまったく考えずに乱歩乱歩と騒いだところで結局はこのざまか。

 てなところで昨年12月3日付伝言「名張にとって乱歩とは何か(続々)」から引いておきましょうか。

 続々、となりました。

 名張にとって乱歩とは何か。

 やや本質的な話をさらにつづけることにいたしますが、名張にとって乱歩とは何かという設問に対していま、まさしくいま、明快な回答が求められているわけです。これまでずーっとほったらかしだったこの設問に、名張市はとうとう答えを出さなければならなくなった。

 もちろん、名張にとって乱歩とは自己宣伝の素材なのである、みたいな程度のことは名張市もやってこなかったわけではない。しかしそんなのはろくに乱歩作品も読んでない連中が例によって例のごとく、

 「わはははははは明智君。わはははははは明智君。わはははははは明智君。わはははははは明智君。わはははははは明智君」

 と白痴のごとく浮かれ騒ぐ以上のものではなかった。こーのお調子者がまたあー、とツッコミを入れる気さえ失せてしまうものでしかなかった。

 私はいつもいつももうばかみたいにおなじことをいってるわけなのですが、乱歩を名張市の自己宣伝に利用するのは全然OKである。好きなだけ利用活用すればよろしい。ただしそのためには乱歩というのがどんな作家であったのか、どんな作品を書いたのか、そのあたりをよく理解しなければ話はいっこうにはじまらない。げんに結果として何もはじまってはおりません。せっかくの素材なのにそれをうまく利用活用することができない。自己宣伝としてまったく有効ではないわけね。つねにうわっつらのことだけで終わってしまう。

 「わはははははは明智君。わはははははは明智君。わはははははは明智君。わはははははは明智君。わはははははは明智君」

 こんなことばっかいってるわけです。つまりは──

 こんなことばっかだったわけなのであり、その実態はというと──

 こんなことであるわけなのであって(しかしいまでもこの写真を見ると笑えてくるというのがなんとも凄い)、結局どういうことなのかというと──

怪人19面相   2005年 8月 4日(木) 20時 6分  [220.215.61.171]

勘違い馬鹿のお方、いずれ近いうちに会うたるで。
連絡したるからまっとれ。
県民の血税を搾取なさったごとき事業をなさったオマエ、図書館嘱託のいんちきおっさん。
いろいろ返事を書いて頂いて有難う。
そもそも江戸川乱歩みたいなものどうでもええねん。20面相のキャラで又スフインクスのナンチャッテ写真で公益活動を実践しているのだから貴様につべこべ言われる筋合いとちがうねん!
回りくどい難しい言い回しでわかりにくいことくどくどゆうな、ボケ!

以上。

尚私は♂です。
商工会議所で会う理由もありません。
割と回りくどいのが嫌いな性格の人間です。
だいぶ我慢をしてメールを書いています。

推理作家の大家よくお考えあれ!!

 こんなようなことなのであるというしかなく、端的な結論としてはこんな感じになってしまうわけです。

そもそも江戸川乱歩みたいなものどうでもええねん。

 ばかかこらうすらばかども。しまいにゃはったおすぞこのくるくるぱーども。そのうちバルサンで退治してやろうかというのだこの官民双方における地域社会の害虫どもめが。

 あーやだやだ、うすらばかだのくるくるぱーだの害虫だののお相手はほんともうやだ、とか思いながらもつづけますけど、言葉をかえていえばこれが最後のチャンスでしょう。名張にとって乱歩とは何か。英知を結集していまそれを考えなければ、二度と機会はないでしょう。これは天が与えたもうた千載一遇の好機であるに相違ない。この機を逸することなく今度こそ本気で真剣に乱歩のことを考えなければ、ほんっともうだめよ名張市。

 名張にとって乱歩とは何か。名張のまちのアイデンティティの拠りどころになる可能性を秘めた素材である。おとといきのうと見たとおり、そうした認識に立つ市民や商業者はげんに存在している。いくらからくりだ街道だといいつのってみたところで、大吟醸からくりのまちをつくってる酒屋さんもなければ初瀬街道ワッフルをつくってるお菓子屋さんもない。そんなものはアイデンティティの拠りどころとして機能しないというのが商業者のシビアな判断なのである。

 そしてまさしく千載一遇なわけなのね。名張市は乱歩生誕地碑のある桝田医院第二病棟を所有者の方から寄贈していただきました。乱歩に関連して活用してくれというたいへんありがたいおはなしだったわけです。うわっつらだけのイベントや絵を描いた看板一枚の話ならともかく、寄贈された土地と建物を利用して何かしら形のあるものをつくるわけなんですから、こうなったら四の五のいわず乱歩という作家に正面から向き合わなければならない。乱歩がどんな作家であり、どんな作品を書いたのか、それをよく知ったうえで名張にとって乱歩とは何か、それをじっくり考えなければならない。そのための千載一遇の好機が訪れたわけなのよ。

 それがどうなったか。

 名張地区既成市街地再生計画策定委員会のうすらばかどもは何もしなかった。名張まちなか再生プランを策定している最中に土地の寄贈を受けたにもかかわらず、連中はそれをいっさい無視してプランに盛り込もうとしなかった。ばかかこら名張地区既成市街地再生計画策定委員会のうすらばかども。

 つづいてどうなったか。

 名張まちなか再生委員会のうすらばかどもはプランに盛り込まれていない桝田医院第二病棟の活用策を勝手に検討し、乱歩文学館がどうのミステリー文庫がこうのとない知恵をしぼったあげくどちらの構想もどうやら暗礁に乗りあげたとおぼしい。ばかかこら名張まちなか再生委員会のうすらばかども。おまえら乱歩のらの字もミステリーのみの字も知らぬくせしてよくも検討などというごたいそうなことがはじめられたものだな。うっかり感心してしまいます。

 それにしてもどいつもこいつもいったい何をやっておるのか。情けなさのあまり涙が出そうになる私。

 だからいまさらいうのもあれなのですが、名張まちなか再生プランに対して提出したパブリックコメントでもう少し本質的なことにもふれておけばよかった。名張にとって乱歩とは何か。長くほったらかしにしてきたそのテーマに名張市は桝田医院第二病棟の寄贈を契機としてがっぷり四つに組まねばならない。名張まちなか再生プランの枠を超えて名張にとって乱歩とは何か、それをしっかり考えなければならない。いまを逃すとこんな好機は二度と訪れないのである。

 そういったことを明確に指摘しておくべきであったかなといまになって私は思っているわけなのですが、あるいは手遅れなのかしら。ならばどうなるのか。どうもなりはしない。何もできない。先日の伝言にも記したことなれど、桝田医院第二病棟の「幻影城」と刻まれた乱歩生誕地碑の横にもうひとつ碑を建てておくしかないであろう。碑文は先日の文面を無償でそのままつかわせてやるから心配するな。こんな感じである。

 名張にとって乱歩とは何か。

 まさしくいま、名張市はこの設問に対する明快な回答を求められている状態です。はっきりとした答えを出さなければなりません。もしかしたらそれを考える好機はすでに失われてしまっているのかもしれず、どうもそんなようなっぽい感じもいたしますけれど、実際のところはさてどうなんでしょうか。

 名張にとって乱歩とは何か。

 さあどうよ名張市。名張まちなか再生プランの枠を超えてどうよ。

 名張まちなか再生プランの枠を超えてお考えいただきたいとお願いしたのではあるけれど、名張市役所のあほたれのみなさんにはものを考えるなどということは何もできません。もともとおつむがあまりおよろしくない、つか相当にお悪いみなさんがろくに乱歩作品も読まずにいったい何を考えるっつーのよ。彼らにできるのはいいわけを見つけることだけなのである。おさだまりの責任回避の主体性放棄の思考停止なのである。お金がないから何もできません。ただそういってりゃいいのである。ばかかこら。

 毎日の記事には、

 ──市は今年度からの3年間で21億円の財源不足が見込まれるとして、大幅な歳出の見直しを実施。建設費に数千万円かかり、完成後も人件費などの維持管理費が必要なため、計画の規模を縮小する方針を固めた。

 とありますけれど、こんなことはいいわけになんかならないぞ実際。建設費や維持管理費が必要なことなど最初からわかっておるではないか。うわっつらの乱歩関連施設つくるだけつくってあとは NPO だかなんだかに丸投げしようとか虫のいいこと考えていたのであろうからいまごろになってこんなこといってんだろうけど、やーい、ばーか、名張市のばーか。連休が明けたら特攻機が飛んでくかもしんないから気をつけろよなばーか。

 さて、さてさて、おはなし変わっておとといあたりからいろいろ思案しております件、つまり『江戸川乱歩年譜集成』の件なのですが、当サイト「江戸川乱歩年譜集成」を実際に編纂しながら考えたほうがいいだろうと判断されましたので、これまではわずかに明治27年から大正13年までを掲載してあるだけでありましたところ、大正14年のページを本日アップロードいたしました。といったってまだ1月と2月だけのていたらく、とはいえ大正13年までとは記載スタイルを大きくさまがわりさせ、といったって試行錯誤の途中ですからこの先さらにさまがわりする可能性もおおいにあるのですが、とはいえひとまずこんな感じでといった程度には、いやいや、ごちゃごちゃいってないでとりあえずごらんいただきたいと思います。下の画像をクリックすると別ウインドウで大正14年のページが開かれます。

 ごらんいただけましたでしょうか。要するにフラグメントを集成しようという寸法です。あの大冊『探偵小説四十年』一巻も情け容赦なくフラグメントに細分化してしまい、乱歩以外の人間の手になるフラグメントともろともに『江戸川乱歩年譜集成』一巻に再構成するという気の遠くなるようなたくらみはこのページを一瞥するだけでご理解いただけるでしょうけど、先生なーんか病気みたいなことになってますよー、とか高校生にいわれそう。


 ■4月30日(月)
大型連休のフラグメントばか 

 大型連休だというのに朝早くから「江戸川乱歩年譜集成」の大正14年のページに没頭して気がついたらもうお昼かよと茫然としているフラグメントばかでありんす。朝からいままで散歩と朝食のほかはフラグメントばか一直線でありんしたが、作業はなかなか進んでくれないでありんす。興味がおありの方は覗いてやってくんなまし。

 積もる話はまたあすにでも。