![]() |
|
2006年2月上旬
|
|
おとといのつづきです。 つまり1月20日、名張市役所生活環境部の部長さんから名張エジプト化事件についてお聞きしてきたところの報告です。部長さんには写したくなる町名張をつくる会の代表の方に四点にわたって質問していただいたのですが、最後の質問がこれでした。 四)怪人二十面相を事業のシンボルキャラクターとして使用しつづければよかったのに、最初のエジプトの絵だけでひっこめてしまったのはなぜ? 昨年7月、新町の細川邸裏に突如出現したエジプトの絵には、キャラクターとして怪人二十面相が使用されていました。二十面相は、 「明智君、ここがどこだかわかるかな?」 などといっておったわけです。 しかるに昨年10月、第二弾として近鉄名張駅東口にニューヨークの写真が掲げられたときには、怪人二十面相はふっつりと姿を消していました。そのかわりといっては彼女たちに失礼なのかもしれませんが、なぜか女子高生がフィーチャーされて、 「ニューヨークに行ってきたヨ!」 などといっておったわけです。 怪人二十面相は写したくなる町名張をつくる会における永遠のシンボルキャラクターなのであろうと思っていた私には、ひどく意外な気がしました。思いあたることといえばただひとつ、めまいがするほどのばかである怪人19面相による掲示板「人外境だより」への投稿です。
しかし、しかしばかだなこいつは。眼にしみるほどのばかだな。いま読んでもきりきり頭が痛くなるほどですが、それはそれとしてこのばかはここにこうしてはっきりと、 「20面相のキャラで又スフインクスのナンチャッテ写真で公益活動を実践しているのだから貴様につべこべ言われる筋合いとちがうねん!」 と自分たちの主体性を主張しているわけであり、つまりばかというのはちょっと怒らせればすぐにぼろを出し本音を吐き事実を打ち明けてしまうものであるからして、この怪人19面相を名乗る間抜けが写したくなる町名張をつくる会のメンバーであることは明々白々であると私には思われるのですが、同会の主張するところによれば全然まったくそんなことはないそうですから、そういうことであるのならそれはそういうことにしておいて、しかしだとすれば怪人二十面相のキャラクターをひっこめてしまったのはいったいどうしてなのか。 ──そもそも江戸川乱歩みたいなものどうでもええねん。 という怪人19面相の痛切きわまりない心情吐露が、やっぱり原因なのではないかしら。メンバーのひとりが写したくなる町名張をつくる会の本音をあっさりばらしてしまったから、いくら厚顔無恥でももう二十面相をつかうことはできなくなったということなのではないのかな。そうではないといいはるのであれば、いまや名張市を代表するシンボルキャラクターであるといっても過言ではない天下の怪人二十面相、そのまま堂々とつかいつづければいいではないか。え。どうなのどうなの。 あすにつづきます。 |
きのうのつづきです。 どうして怪人二十面相のキャラクターをひっこめてしまったのか。この四点目の質問に関しましては、名張市役所生活環境部の部長さんからうけたまわったところでは、写したくなる町名張をつくる会の代表の方にご確認いただくのをつい失念されたとのことでした。あ、そうですか、わかりました、と私はお答えしておきました。 読者諸兄姉のなかにはさらに厳しく追及すべきだとお考えの方もおいででしょうが、私はあっさり矛を収めることにいたしました。ここは部長さんの意を汲むべきだろうと判断した結果です。武士の情けといいますか惻隠の情といいますか、とにかく部長さんはこれ以上相手を追及することにためらいをお覚えになり、自分が質問するのを忘れたことにして代表の方との話し合いを終えられたのであろうと、そのように推断した次第です。部長さんがそこまでの気働きを示されたのであれば、いくら冷厳なること鬼のごとき私であってもその心情を汲まずにいられようか。 ここでいささかの説明を加えますと、私がいま使用したのは「反語」と呼ばれる表現です。反語や逆説が通用しないインターネット世界のみなさんにお知らせしておくべく、手近なところで Yahoo! 辞書を利用して「反語」を検索してみると、 ──1 断定を強調するために、言いたいことと反対の内容を疑問の形で述べる表現。「そんなことがあり得ようか(あるはずがない)」などの類。 という大辞泉の語釈を知ることができます。ですから私がいま「その心情を汲まずにいられようか」と記した文章の本意はどういうことになるのか、よくわからない人は落ち着いて考えてみましょう。 閑話休題。とにかくそういう次第ですから、「エジプトの怪人たち」の投稿から判断するかぎり、怪人19面相はやはり写したくなる町名張をつくる会のメンバーであり、あのばかの昨年8月4日付投稿にあった、 ── そもそも江戸川乱歩みたいなものどうでもええねん。20面相のキャラで又スフインクスのナンチャッテ写真で公益活動を実践しているのだから貴様につべこべ言われる筋合いとちがうねん! という文言のせいで二十面相のキャラクター使用が中止されたと見るのがもっとも合理的であろうと考えられる次第なのですが、裏づけのとれぬ推測を並べ立てるのはここいらまでとしておきましょう。 お手数をおかけした名張市生活環境部長と写したくなる町名張をつくる会代表のお二方にお礼を申しあげ、名張エジプト化事件の報告はこれにてひとまず打ちどめといたします。 しかし打ちどめといったって、名張エジプト化事件と名張まちなか再生事件の問題の根はひとつなんですし、1月30日付伝言にも記しましたとおり、名張エジプト化事件は上っ面を適当に飾り立てるだけでよしとする官民双方の程度の悪さを象徴する事件でもあるわけなんですから、これからも何かといえば名張エジプト化事件をひきあいに出すことにはなるでしょうけれど。
|
本日は都合により、いきなり「本日のアップデート」にまいります。手抜きの観が否めません。
ですから手抜きの観が否めませんと申しております。 |
本日は新刊のお知らせから。 稲生平太郎さんの新作長篇『アムネジア』が出ました。角川書店発行、定価1680円。帯の惹句に、 ──思い出すんだ。失くしてしまった、「本当の物語」を。 ──消された名前、チョコレート・ケーキ、闇金融、かみのけ座、殺人、奇妙な機械……優しく残酷に侵食されてゆく現実の果てに、僕は何を見る? 『アクアリウムの夜』の鬼才が15年ぶりに放つ、究極の幻想ミステリ! と謳われては、とても読まずにいられません。私はきょうあたりからひもとくつもりでいるのですが、さて物語のはじまりはと見てみると、 ──「扉がきしみながら開く音がするの、ぎーってね。それから影が映る──開いた本の上に」 頭のなかにひらめくものがありました。 ──ぎーっ これは『アクアリウムの夜』の基調低音とも呼ぶべき音ではなかったかと思いあたり、白馬書房という地味な出版社から出た十五年前の本を取り出してみました。 おかげさまで、まだまだ完全ではないのですけれど書棚の整理もそこそこ進み、四六判日本人作家コーナー「い」の部に眼をやれば、井波律子さんの『中国ミステリー探訪』と井上ひさしさんの『表裏源内蛙合戦』のあいだに稲生平太郎さんの著作をすみやかに発見できるようにはなりました。で、手に取った『アクアリウムの夜』のおしまいを見てみると、 ──絶え間なく噴出し微妙にパターンを変えつづけるホワイト・ノイズの彼方に、ぼくは数日前からひとつの声を聞きとっていた。それは低くかすれた声、ぼくの耳に今も響く声で囁くんだ。ギー、ギーって…… といったあたりでお知らせを終え、すっかり錯綜してしまった話題に戻りましょう。1月20日にはじまった名張エジプト化事件の続報と1月28日にはじまった名張まちなか再生事件の報告とをひとまず終え、1月25日にはじまった名張市立図書館蔵書検索疑惑の説明に復帰したいと思います。思いますのですが、つづきはまたあした。
|
きのうのつづきです。というより、1月27日付伝言の、 ──私の心のなかで、名張市は乱歩から手を引くべきだという考えが獰猛な獣のように身を起こしました。 というところからのつづきです。この文章の少し前には「名張市は乱歩から手を引くべきだという考えは依然として私の心のなかにうずくまってはいたのですが」という吉行淳之介風な表現があるのですが、単にうずくまっているだけであったその「考え」がいまや「身を起こし」ている、しかも「獰猛な獣のように」、といったあたりのレトリックの妙も味わいながら先にお進みください。 それにしても、と読者諸兄姉はお思いかもしれません。名張市というのは妙なところだな、と。 リフォーム詐欺と呼ぶしかない歴史資料館の整備にはお金を出す。名張のまちを書き割り一枚で覆い隠してエジプトやニューヨークに偽装しようという団体にもお金を出す。にもかかわらず、図書館界の奇蹟と評され乱歩研究界の金字塔と賞される名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブック全三巻をインターネット上に公開して検索の便を図る、わずかそれだけのことにはお金を出そうとしない。びた一文も出そうとはしない。これはいったいどうなっておるのか、と。 しかし、私はべつに名張市の肩をもつわけではありませんけれど、これはもう致し方のないところでしょう。お役所というのはそんなようなところです。過大な期待をしても裏切られるばかりです。写したくなる町名張をつくる会のみならず、お役所そのものだって偽装が大好き、上っ面のことだけやってればそれで満足できるわけです。ていうか、上っ面のことしかできません。なぜかというとばかだから。 いやいや、ばかだからなどと決めつけてはいけませんけれど、たとえば乱歩のことにしてみても、名張市立図書館は乱歩に関する目録をつくるべきである、みたいなことは誰も考えません。市民を相手にした乱歩作品の読書会でお茶を濁していればお役所の人たちはそれで満足なのであった。しかし私は、詳細は「乱歩文献打明け話」の第一回「セクハラ始末」、第二回「哀しみは歌に託して」あたりでお読みいただきたいと思うのですが、もう少しまともなことをやったらどうだと市立図書館を叱り飛ばし、何をしていいのかわからないという返事が返ってきたからそれじゃお手本を見せてあげようと見せて進ぜました。 私のお手本を指針としたサービスをつづけてゆくならば、名張市立図書館は少なくとも乱歩に関しては天下無双の図書館になることができるでしょう。インターネットの活用という点におきましても、江戸川乱歩リファレンスブックを手はじめとして各種データを惜しみなく掲載し、著作権の消滅と同時に乱歩作品の全テキストをアップロードしてしまえば、これぞまことの幻影城。旧乱歩邸の土蔵がどうして幻影城なんかであるものか。真の幻影の城ということになれば、ネット上に構築された乱歩のデータベースこそがそのように称されてしかるべきであろうと私は信じます。 しかもその幻影城は、まぼろしどころかいくらだって実現することが可能なのである。名張市が覚悟を決め、ひとりよがりな乱歩関連事業なんかにうつつを抜かさず、乱歩を愛するすべての人のために税金をつかおうという気になりさえすれば、歴史資料館の整備なんぞよりはるかに簡単に実現可能なことなのである。しかし現実には、 ──名張市にはお金がありませんので乱歩の著作や関連文献などのデータをネット上で公開することができません。 ということなのであって、お役所は上っ面のことしかやりたがらないものなのですが、いやしかし、しかしこんなのは1月25日と26日の伝言にも書いたことではないか。何をくどくどと同じことばかりぼやいているのか私は。 それで結局のところ、獰猛な獣のように身を起こした私の考えはどうなったのかというと、名張市がどのようにして乱歩から手を引けばいいのかを思案しているあいだに、名張市がどんどんどんどん乱歩に手を出してゆくという事態に立ちいたってしまいました。私のなかの獣が身を起こしたのは『江戸川乱歩著書目録』が刊行された2003年のことだったのですが、そのころからこちらというもの、名張市では乱歩乱歩と騒ぎ立てる声がかまびすしい。 2003年の秋には名張商工会議所が細川邸を乱歩記念館になどというばかな構想を打ちあげて乱歩乱歩、翌2004年には三重県が三億円をどぶに捨てた「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業で乱歩乱歩、それが終わったあとも事業で味を占めた芭蕉チルドレンが各種企画で乱歩乱歩、名張市議会議員の先生方が怪人二十面相に扮して乱歩乱歩、名張はじつはエジプトなんです乱歩乱歩。 いや驚いた。気がついたら名張市は乱歩地獄になっておったというわけなんじゃ。さあて困った。 あすにつづきます。
|
きのうのつづきです。 名張市が乱歩地獄になってしまいました。乱歩から手を引くのなんのかんのと、そんなこといってる場合ではなく、いってられる状況でもありません。もっとも、いずれ愚劣なことばかりですから癇にはおおいにさわりますものの、ほうっておいてもさしたる問題はないであろう。私はそう考えておりました。 いっぽう私は、2003年に『江戸川乱歩著書目録』が出る時点で、もう滅私奉公はこれまでにしておこうとも考えておりました。江戸川乱歩リファレンスブック三巻を編む作業は、まずそのために相当の時間を捻出しなければならず、なけなしの能力をフル回転させる必要もあり、むろんお金も出てゆきますから、実感としては滅私奉公以外の何者でもありませんでした。しかし私は、まずもって乱歩のため、さらには名張市のためにあえて一身を挺し、この身を粉にしてきたのでありましたが、立教大学が乱歩の遺産を継承してくれたこともあって、ちょうど潮時でもあるようだからここらでもう充分だろうと考えるにいたりました。そして『江戸川乱歩著書目録』の最終校正に際して、奥付のページにこう書き加えました。
これはそのまま、名張市立図書館が乱歩の書誌を出すことはもうありませんという宣言なわけです。こう書きつけることで、私は長い桎梏から解放されたような気になりました。 さて、私が何をながながくどくど記しているのかというと、名張市立図書館オフィシャルサイトの蔵書検索で乱歩関連資料の検索ができるようになるのかどうか、その見通しについてなわけなのですけれど、滅私奉公はやめるにしても、その成果である江戸川乱歩リファレンスブック全三巻はげんに存在しており、そのデータはネット上で検索できるようにするべきでしょうから(データそのものは私のサイトにも掲載されているのですが、名張市立図書館が自前のサイトにもっと高度な検索を可能ならしめて掲載するべきであると私は考えております)、『江戸川乱歩著書目録』が出たあと名張市教育委員会にそれを提案し、財政難を理由に却下されたことはすでに記したとおりです。時期を明記するならば2004年のはじめごろということになりましょうか。 いっぽう名張市の乱歩地獄化はと見てみると、いよいよ本格化しておりました。2004年には半年にわたって「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」という愚かな事業がくりひろげられ、伊賀地域の官民双方が自分たちの手に一円でも多く税金をかき集めようと乞食のごとく血税三億に群がり寄り、あろうことかその詳細をいっさい明示することなく予算を費消するという言語道断ななあなあ体質を露呈してしまう見苦しさ、伊賀の魅力を全国発信などという旗印のもとにご町内の親睦行事の寄せ集めがこれでもかこれでもかと展開されたわけであったのですが、この事業にも乱歩地獄の傾向は顕著に見られ、いやむしろこの事業によって一気に拍車がかかったとも見受けられました。しかし私は前述のとおり、ほうっておいてもさしたる問題はあるまいと考え、堅苦しいことをいうのは差し控えておりました。 明けて2005年、つまり去年のことですけど、大利根無情の平手造酒か侍ニッポンの新納鶴千代みたいな気分で毎日を過ごしていた私はある日、さすがにこれは見過ごしにできんなという職業倫理のうずきを感じました。名張まちなか再生プランの素案が発表され、そこに「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」という歴史資料館の整備構想が記されていたからです。一過性のイベントなら見過ごしにもできようが、ハコモノをつくるとなると話は別である。 そのハコモノの構想に乱歩の名前を眼にした以上、ほったらかしにしておくわけにはまいりません。まさしく職業倫理の問題です。お役所の縦割り構造に身をすり寄せて考えれば、市立図書館の嘱託である私は建設部が担当している名張まちなか再生プランにはまったく無関係な存在なのですが、そんなこといってるからお役所の人間はばかだといわれるのである、名張市民から月々八万円のお手当てを頂戴して乱歩のお仕事を担当している人間が乱歩の関連資料をどうこうするというプランにまったくノータッチであっては市民からお叱りを受けてしまうではないか。そう考えた私は、一計を案じてプランに対するパブリックコメントを提出することにいたしました。 これもおかしな話であって、私がパブリックコメントを提出するということは結局、名張まちなか再生プランを策定する過程で策定者側が市立図書館にいっさい相談や照会を行わなかったということを意味し、さらには名張市役所の内部には歴史資料や乱歩資料の専門部署とも呼ぶべき市立図書館から建設部に対して意見や提案を伝えるためのルートが何も存在しないということをも意味しています。お役所というのはなんとも難儀なところではないか。市立図書館の嘱託であるという一点において市役所の内部に位置しているはずの私は、プランを批判するためにわざわざパブリックコメントという市民のためのシステムを利用しなければならないわけです。 そして私はパブリックコメントにおいて、ろくな歴史資料もないのに細川邸を歴史資料館にするなどという構想は中止して、名張市立図書館のミステリ分室を開設すればいいのであると提言しました。これはいうならば敗者復活戦でした。「僕のパブリックコメント」から引きましょう。
「ミステリ分室の蔵書はインターネット上ですべて公開しましてね」という箇所に見える「蔵書」には、むろん乱歩の著作や関連文献も含まれます。名張市立図書館が有している乱歩に関するデータをインターネットで公開するという年来の悲願に(悲願というのもおおげさですが)、敗者たる私はもういちど別の角度から挑戦し、あわよくば復活をとげてやろうと考えたわけです。 やれやれ、ようやくここまで来ました。私のもとに寄せられた名張市立図書館の蔵書検索に関する質問には、昨年末に朝日新聞のコラムに登場した「ミステリー文庫」への言及も見られ、名張市立図書館が所有している乱歩関連の蔵書に関して、 ──今後「ミステリー文庫」構想等々の中で情報整理公開されていくといった可能性はあるのでしょうか? といったお尋ねもありましたので、それに対する回答をながながくどくどと順序立てて記しているわけなのですが、私自身は名張市立図書館が有している乱歩やミステリに関する情報はインターネットで公開されるべきであると考え、げんにそのための発言提言を行ってまいりました。しかしながら、その実現の可能性はどうなのかと尋ねられたら、現時点では正直こんなふうに返答するしかありません。 ──きわめて低いのではないかいな。 あすにつづきます。
以上、乱歩地獄の名張市から鏡地獄の話題をお届けいたしました。 |
あいかわらずきのうのつづきなのですが、まあそういった次第であって、名張まちなか再生プランの一環として検討されているらしい(昨年末に事務局でお聞きしたところでは、検討なんてまだ全然、とのことでしたが)「ミステリー文庫」の整備事業によって、名張市立図書館が有している乱歩の著作や関連文献、さらにはミステリ関連書のデータがインターネット上で公開され、だれもが自由に検索できるようになるのかどうか、それはもう一にかかって名張まちなか再生委員会の英断次第というわけです。 むろん以前から指摘しておりますとおり、くどいようですけどこのプランはおかしい。名張地区既成市街地再生計画策定委員会がまとめたプランの素案に対して私はパブリックコメントを提出し、そこには名張市立図書館ミステリ分室の構想も盛り込んであったのですから、委員会はその時点でテーブルについて私の提案を真摯に検討すべきであったのですが、それをしていなかったものですからいまごろになってぎゃあぎゃあと、再招集がどうのこうのああのこうのぎゃあのぎゃあのぎゃあぎゃあといわれねばならぬ羽目になってしまってとっぴんしゃん。もしも再招集が実現できなかった場合には、じつに道理に反したことではありますけれど、名張地区既成市街地再生計画策定委員会が担当すべきであった案件を名張まちなか再生委員会が検討するという不合理な事態に突入せざるをえません。 すなわち私が粒々辛苦営々孜々、乱歩ファンの支援協力をいただきながら滅私奉公を重ねてようようなんとか完成させたところの、そしてそのデータがインターネットでひろく公開されるべきであることはいうまでもないところの、しかし名張市にはそんなお金はありませんと名張市教育委員会からつれない扱いを受けつづけているところの江戸川乱歩リファレンスブック全三巻を手はじめとして、最終的には乱歩作品の全テキストを掲載することまで視野に入れていたわが名張市立図書館インターネット活用構想は、私自身いったんはその実現を諦めておりましたものの、名張まちなか再生プランに呼応して敗者復活戦に臨むことになりました次第。そして構想はすでに私の手を離れ、その端緒が開かれるかどうかはいまや名張まちなか再生委員会の双肩にかかっているということになってしまうのかな。 うーむ。名張まちなか再生委員会はもしかしたら救世主なのかもしれんぞ。まあがんばってみてくれたまえ。
|
本日はいきなりこちらをどうぞ。
|
そんなこんなで説明の筆をば長々しくも費やしてまいりましたが、結論としてはよくわからないということになります。名張市立図書館オフィシャルサイトにおける乱歩関連資料の検索、というよりは乱歩関連データベースの構築に関する話です。私には何がどうなるのかさっぱりわかりません。 私個人はそうしたデータベースがぜひとも必要であると認識しており、乱歩の生誕地である名張市が市民の税金でそれを手がけるべきであるとも考えていて、だからこそしつこく提言しているわけなのですが、名張市教育委員会の意向は、 ──名張市にはお金がありませんので乱歩の著作や関連文献などのデータをネット上で公開することができません。 というものです。 けっ、そんなら別の角度からつっついてやるぜと、名張まちなか再生プランに対するパブリックコメントにおいて名張市立図書館ミステリ分室の開設を提案し、そのミステリ分室がインターネットを活用した情報提供を進めるよう方向づけることによってネット上の幻影城たる「江戸川乱歩アーカイブ」への道を開こうと試みた次第ではあったのですが、実際にその協議検討にあたるのが、 「現段階では乱歩に関して外部の人間の話を聴く考えはない」 などと平気でほざいてくださる名張まちなか再生委員会のみなさんなのですから、実現の可能性は先日も記しましたとおり、 ──きわめて低いのではないかいな。 ということになります。やってらんねーなまったく。 しかしまあ、これがお役所の実態であり、名張市の実状なわけです。もしも名張市が乱歩に関して私の考えているインターネット活用プランを実現するとなれば、そのための専門職員を配置することがどうしたって必要だということになってくるのですが、そんなことは逆立ちしたって不可能でしょう。 したがいまして、名張市に期待を抱いてくださっている乱歩ファンのみなさんにこんなことを申しあげるのはまことに心苦しいのですが、それからまたみずからの非力を棚にあげてこんなことを申しあげるのはお恥ずかしいかぎりではあるのですが、名張市には乱歩に関してもはやろくなことはできません。上っ面のことしかできません。あまり期待していただかないようにお願いいたします。 といったようなことを、私は2004年から2005年にかけてずっと考えておったわけです。 とりあえず江戸川乱歩リファレンスブック全三巻は完成したのだから、自分の役目はちゃんと果たしたということになるであろう。あとはもう知ったことではない。名張市内ではこのところろくに乱歩作品を読んだこともないばかが乱歩乱歩と騒ぎ立ててうるさいこったが、上っ面のことだけやっていればそれで満足だというあんなばか連中がここまで幅を利かせるのならおれの出番はもうないだろう。乱歩シーンからはいい加減で身を引いて、あとは郷土資料の体系化でもやってみるか。 郷土資料とは何か。名張市立図書館にはふたつのコーナーが開設されていて、ひとつは江戸川乱歩コーナー、もうひとつが郷土資料コーナーです。郷土資料の充実ぶりは乱歩資料のそれをはるかに凌駕しているのですが、はたしてそれを十全に活用したサービスが展開できているかというと、残念ながらそうではありません。 とくに名張市の場合、大阪のベッドタウンとして関西圏からの流入人口を受け容れつづけて今日にいたったという事情がありますから、名張のことを何も知らない新しい市民が地域の歴史にたやすく触れ親しむための行政サービスが望まれるところであり、さしあたりそれを担当するのが名張市教育委員会、そのための具体的な場は名張市立図書館にほかならないのですが、教育委員会のみなさんがそんなことを考えてくれるかというとそんなことは全然ない。なんたってあのみなさんはこぞってあれなんですから。 だとすればおれの出番か。乱歩シーンからは身を引いて、郷土資料の海にこの身を沈めるか。しかしなあ、相手が名張市民だからなあ。名張市民ってのは、全部が全部そうなのではあるまいけれど、なんだかあれなのが多いからなあ。そんなの相手に滅私奉公するのはなんかいやだなあ。やだやだ。やなこった。 そんなこんなで心が千々に乱れつづけた2004年から2005年、私は内外ともに面白くなく、おかげでこのサイトの更新すらおろそかになってしまったのはご存じのとおりなのですが、それでもまあ、何がどうなるかはまったくわからないのではあるけれど、せめてサイトの更新くらいちゃんとつづけなければなと考えを改めたのが昨年も暮れ方。以来、日々これ更新につとめて本日を迎えた次第です。 そして2006年、私は新たな目標を掲げ、やっぱあれをつくろうと心に誓うにいたりました。封印を破ることにいたしました。2003年のとある日、『江戸川乱歩著書目録』の最終校正で奥付に──
と書き加えて完結させたはずの江戸川乱歩リファレンスブックではありますが、私はここにその封印をびりびりとひっちゃぶき、四巻目をつくってやることにしてやったのさ。 乱歩ファンのみなさん。もうしばらくのあいだ、わが名張市に期待を抱いてくださってもいいかもしれません。
|
さてそれで、たった今、ドスの封印ぷっつり切った! とマキノ雅弘の日本侠客伝みたいな大騒ぎをして江戸川乱歩リファレンスブックの編纂再開を決意した私なのですが、いったい何をやらかすのかといえば知れたこと。『江戸川乱歩年譜集成』をつくってやろうというのが私の魂胆です。 このメインページの左肩に──
とワンセットでタイトルロゴを掲げてあることからもお察しいただけますとおり、少なくともこの名張人外境というサイトを開設した時点では、著書目録をつくったらあとは年譜だなと私は考えておりました。しかし時世時節がそぞろに移り、もういいであろうと考えて江戸川乱歩リファレンスブックを全三巻でうちどめにしたのが2003年のこと。ところがそのあとにうちつづいた名張市の乱歩地獄化をまのあたりにして、これではいかんのではないかと考え直すにいたりました。 とはいえ、かりに名張市の乱歩地獄化を直接叱り飛ばしてみたところで、さしたる効果は望めぬであろうというのは2004年の「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の経験から容易に予測されるところです。私はあの事業において上は三重県知事から下は名もなき県職員や地域住民にいたるまで、おまえらばかはいったい何をしておるのかこのばか、と当たるをさいわいあっちこっち叱り飛ばしつづけたものでありましたけれど、相手はじつにしれっとしておった。蛙の面に小便であった。ばかというのは丈夫なものだ。 ですから名張市の乱歩地獄化に際会いたしましても、むろんどうしても見過ごしにできぬ場合は叱り飛ばしもしますけれども、いかんのではないかとは思いつつ手をこまねき、大利根無情の平手造酒か侍ニッポンの新納鶴千代みたいな気分で日を過ごして…… と最近の私はこんなことばかり記しておるのですが、2004年から2005年にかけての煩悶がそれほど深かったのであるとご理解いただきましょう。そして私はいまやもう、そうした煩悶懊悩とは訣別して『江戸川乱歩年譜集成』をまとめることに決めております。名張市はほんとは乱歩から手を引けばいいのであるとは思うのですが、そんなことにはなりそうもありませんから、それならば乱歩地獄は乱歩地獄、私は私で名張市立図書館嘱託として本分を尽くし、乱歩を愛するすべての人のために名張市民の税金を正当有効に費消すべく、またふたたびの滅私奉公に邁進することを決意した次第です。 しかし、しかしそれにしても、乱歩の年譜を編むというのはいったいどういうことであるのか。それは少なくとも私にとっては、あの長大浩瀚な『探偵小説四十年』を徹底的に、完膚なきまでに、一木一草も残さぬまでに相対化してしまうということにほかなりません。えらいことじゃ。とんでもないことじゃ。しかし臆しているいとまなどないでしょう。ためらう必要もまたありません。 ならばと私はきのうのこと、本屋さんに駈けつけて刊行されたばかりの光文社文庫版乱歩全集の『探偵小説四十年(下)』を二冊、先月出た『探偵小説四十年(上)』を一冊買い求め、そのうち上下ワンセットを名張市立図書館にもちこんで、その道のプロである女性臨時職員のお姉さんにカバーぐるみラミネート加工で補強してもらいました。そしてきれいにコーティングされた上下二冊を手に取り、 ──さーあ、この上下二冊がぼろぼろになるまでやってやるぞ。相手にとって不足はねーや。 とまなじりを決して下巻巻末の山前譲さんの解説「資料不足の戦中、駆け足の戦後」に眼を通してみましたところ、おしまいのほうにこんな文章が。 ──そのヴォリュームに圧倒されてか、そして乱歩が記録魔であることを信用してか、『探偵小説四十年』の記述は全面的に信頼されてきたかもしれないが、事実と異なっている箇所もかなりある。この大冊を隅々まで検証していくことは、それこそ四十年を費やしても不可能かもしれない。 ありゃりゃッ。四十年かかっても不可能ってか。おれはそんなに長生きできんぞ。 なんですか幸先というものがあまりよろしくないようです。
|