2006年2月上旬
1日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 8日 9日 10日

● 2月1日(水)

 おとといのつづきです。

 つまり1月20日、名張市役所生活環境部の部長さんから名張エジプト化事件についてお聞きしてきたところの報告です。部長さんには写したくなる町名張をつくる会の代表の方に四点にわたって質問していただいたのですが、最後の質問がこれでした。

 四)怪人二十面相を事業のシンボルキャラクターとして使用しつづければよかったのに、最初のエジプトの絵だけでひっこめてしまったのはなぜ?

 昨年7月、新町の細川邸裏に突如出現したエジプトの絵には、キャラクターとして怪人二十面相が使用されていました。二十面相は、

 「明智君、ここがどこだかわかるかな?」

 などといっておったわけです。

 しかるに昨年10月、第二弾として近鉄名張駅東口にニューヨークの写真が掲げられたときには、怪人二十面相はふっつりと姿を消していました。そのかわりといっては彼女たちに失礼なのかもしれませんが、なぜか女子高生がフィーチャーされて、

 「ニューヨークに行ってきたヨ!」

 などといっておったわけです。

 怪人二十面相は写したくなる町名張をつくる会における永遠のシンボルキャラクターなのであろうと思っていた私には、ひどく意外な気がしました。思いあたることといえばただひとつ、めまいがするほどのばかである怪人19面相による掲示板「人外境だより」への投稿です。

怪人19面相   2005年 8月 4日(木) 20時 6分  [220.215.61.171]

勘違い馬鹿のお方、いずれ近いうちに会うたるで。
連絡したるからまっとれ。
県民の血税を搾取なさったごとき事業をなさったオマエ、図書館嘱託のいんちきおっさん。
いろいろ返事を書いて頂いて有難う。
そもそも江戸川乱歩みたいなものどうでもええねん。20面相のキャラで又スフインクスのナンチャッテ写真で公益活動を実践しているのだから貴様につべこべ言われる筋合いとちがうねん!
回りくどい難しい言い回しでわかりにくいことくどくどゆうな、ボケ!

以上。

尚私は♂です。
商工会議所で会う理由もありません。
割と回りくどいのが嫌いな性格の人間です。
だいぶ我慢をしてメールを書いています。

推理作家の大家よくお考えあれ!!

 しかし、しかしばかだなこいつは。眼にしみるほどのばかだな。いま読んでもきりきり頭が痛くなるほどですが、それはそれとしてこのばかはここにこうしてはっきりと、

 「20面相のキャラで又スフインクスのナンチャッテ写真で公益活動を実践しているのだから貴様につべこべ言われる筋合いとちがうねん!」

 と自分たちの主体性を主張しているわけであり、つまりばかというのはちょっと怒らせればすぐにぼろを出し本音を吐き事実を打ち明けてしまうものであるからして、この怪人19面相を名乗る間抜けが写したくなる町名張をつくる会のメンバーであることは明々白々であると私には思われるのですが、同会の主張するところによれば全然まったくそんなことはないそうですから、そういうことであるのならそれはそういうことにしておいて、しかしだとすれば怪人二十面相のキャラクターをひっこめてしまったのはいったいどうしてなのか。

 ──そもそも江戸川乱歩みたいなものどうでもええねん。

 という怪人19面相の痛切きわまりない心情吐露が、やっぱり原因なのではないかしら。メンバーのひとりが写したくなる町名張をつくる会の本音をあっさりばらしてしまったから、いくら厚顔無恥でももう二十面相をつかうことはできなくなったということなのではないのかな。そうではないといいはるのであれば、いまや名張市を代表するシンボルキャラクターであるといっても過言ではない天下の怪人二十面相、そのまま堂々とつかいつづければいいではないか。え。どうなのどうなの。

 あすにつづきます。

  本日のアップデート

 ▼2005年8月

 二十面相の娘 小原愼司

 「コミックフラッパー」連載中の漫画です。乱歩作品を漫画化したというわけではなく、目次の横に、

 ──二十面相の名称は江戸川乱歩の著作に拠っています

 とあるとおり、二十面相のキャラクターにもとづきながら自由にストーリーをふくらませた作品です。

 最新の第五巻は昨年8月に刊行。第二十三話「白髪の魔人 5」の冒頭をどうぞ。

その頃人々は顔を 合わせるとこの国の 繁栄を喜び あいました

あの大きな戦争など 無かったように

たまにその爪跡に 出くわした時は はっと息をのみ

何もなかったかの ように 通りすぎました

そして人々は過去の 忌まわしい出来事を 忘れると同時に

二十面相のことも 忘れていったのです

 長篇漫画からごく一部の文章だけ引用してみても、何もおわかりにならないだろうと思います。私も引用していてむなしい気がしてきました。興味がおありの方はぜひ実物にあたられたし。


● 2月2日(木)

 きのうのつづきです。

 どうして怪人二十面相のキャラクターをひっこめてしまったのか。この四点目の質問に関しましては、名張市役所生活環境部の部長さんからうけたまわったところでは、写したくなる町名張をつくる会の代表の方にご確認いただくのをつい失念されたとのことでした。あ、そうですか、わかりました、と私はお答えしておきました。

 読者諸兄姉のなかにはさらに厳しく追及すべきだとお考えの方もおいででしょうが、私はあっさり矛を収めることにいたしました。ここは部長さんの意を汲むべきだろうと判断した結果です。武士の情けといいますか惻隠の情といいますか、とにかく部長さんはこれ以上相手を追及することにためらいをお覚えになり、自分が質問するのを忘れたことにして代表の方との話し合いを終えられたのであろうと、そのように推断した次第です。部長さんがそこまでの気働きを示されたのであれば、いくら冷厳なること鬼のごとき私であってもその心情を汲まずにいられようか。

 ここでいささかの説明を加えますと、私がいま使用したのは「反語」と呼ばれる表現です。反語や逆説が通用しないインターネット世界のみなさんにお知らせしておくべく、手近なところで Yahoo! 辞書を利用して「反語」を検索してみると、

 ──1 断定を強調するために、言いたいことと反対の内容を疑問の形で述べる表現。「そんなことがあり得ようか(あるはずがない)」などの類。

 という大辞泉の語釈を知ることができます。ですから私がいま「その心情を汲まずにいられようか」と記した文章の本意はどういうことになるのか、よくわからない人は落ち着いて考えてみましょう。

 閑話休題。とにかくそういう次第ですから、「エジプトの怪人たち」の投稿から判断するかぎり、怪人19面相はやはり写したくなる町名張をつくる会のメンバーであり、あのばかの昨年8月4日付投稿にあった、

 ── そもそも江戸川乱歩みたいなものどうでもええねん。20面相のキャラで又スフインクスのナンチャッテ写真で公益活動を実践しているのだから貴様につべこべ言われる筋合いとちがうねん!

 という文言のせいで二十面相のキャラクター使用が中止されたと見るのがもっとも合理的であろうと考えられる次第なのですが、裏づけのとれぬ推測を並べ立てるのはここいらまでとしておきましょう。

 お手数をおかけした名張市生活環境部長と写したくなる町名張をつくる会代表のお二方にお礼を申しあげ、名張エジプト化事件の報告はこれにてひとまず打ちどめといたします。

 しかし打ちどめといったって、名張エジプト化事件と名張まちなか再生事件の問題の根はひとつなんですし、1月30日付伝言にも記しましたとおり、名張エジプト化事件は上っ面を適当に飾り立てるだけでよしとする官民双方の程度の悪さを象徴する事件でもあるわけなんですから、これからも何かといえば名張エジプト化事件をひきあいに出すことにはなるでしょうけれど。

  本日のアップデート

 ▼2004年10月

 黒い鶴 鏑木蓮

 立教学院創立百三十周年を記念した第一回立教・池袋ふくろう文芸賞の小説部門受賞作。「小説宝石」10月号に発表されました。それにしても古い話題だ。

 都市を舞台にした短篇推理小説の公募に七十二篇が寄せられ、「黒い鶴」は審査員から「トリックも凝っていて、なるほど推理小説だ、と思わせる」(千石英世さん)、「暗号トリックといい、主人公の名といい、大乱歩へのオマージュに彩られ、本賞第一回受賞作に相応しい」(松山巌さん)との評価を集めて受賞を果たしました。もうお一方、審査を担当された戸川安宣さんの選評は、

 ──受賞に決まった鏑木蓮氏「黒い鶴」は、現代版「二銭銅貨」を意図した作品といえる。昼休みに山手線一周で過ごすサラリーマンという設定が、まず「二銭銅貨」や「押絵と旅する男」を髣髴とさせて微笑ましい。折り鶴を使った暗号と復讐の黒い鶴という対比の妙など、応募作中、群を抜いた出来であった。

 鏑木蓮(かぶらぎ・れん)さんは昭和36年、京都市生まれ。佛教大学文学部国文学科を卒業し(ちなみに卒論は「江戸川乱歩論」だそうです)、広告代理店、教材出版会社などを経て、平成4年にフリーのコピーライターとして独立。

 それでは冒頭の段落をどうぞ。

 平井歩は今日も山手線に乗って頭を冷やしていた。毎週金曜日の企画会議は、まるで彼を吊るし上げるためにあるようなものだった。平井の勤める旅の情報社は、旅行代理店とのタイアップによる企画旅行とその記事を掲載した月刊誌『旅悠々』を目玉商品とした出版社だ。世界情勢の悪化と耳慣れぬ伝染病などで、海外渡航よりも国内の、それもワンランク上の旅行プランに人気が出だした。それに伴い元々熟年層にターゲットを絞って上品な誌面作りと贅沢な旅行企画を心がけていた『旅悠々』の売上げも伸びてきたのである。このチャンスを逃すな、として毎週金曜日は、平井ら企画部四名が新しいプランを重役連中の前に披露する日なのだ。中でも一番若い平井には、斬新なアイデアへの期待が集まる。とかく陥りがちな熟年の固定イメージを打破し、飽きられることを避けねばならなかった。入社当初は、二人合わせて丁度百歳になる両親を読者と想定することで、比較的新しいプランが思い浮かんだ。彼の両親は、ビートルズを聴き、休日は腕を組んで外出していた。熟年だからカラオケで演歌という思い込みなど平井には端からなかった。

● 2月3日(金)

 本日は都合により、いきなり「本日のアップデート」にまいります。手抜きの観が否めません。

  本日のアップデート

 ▼2000年4月

 コズミック 流 清涼院流水

 1996年9月刊の講談社ノベルス『コズミック 世紀末探偵神話』が二分冊で講談社文庫に入りました。

 1996年というとちょうど十年前のことになりますが、私は名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブック1『乱歩文献データブック』の調査編纂に忙しく、乱歩その人やその作品をモチーフにした小説を「乱歩小説」として洗い出してみるのも面白かろうと考えたまではよかったものの、ミステリ小説の愛読者ではまったくありませんでしたからさあたいへん、知己知人から見知らぬ人まで藁にもすがる思いで「乱歩小説ありませんか」「乱歩小説知りませんか」と母をたずねる少年のごとくに問い合わせてまわったものでしたが、神戸に住む知人から、

 「こんなのが出ている。かなりのゲテだけど」

 と教えられたのが『コズミック 世紀末探偵神話』でした。

 幸か不幸か『乱歩文献データブック』がカバーする範囲は1995年まででしたから、『コズミック 世紀末探偵神話』は対象の範囲外。いずれ読んでみようとほっぽらかしてあったのですが、文庫になったのを機にひもといてみました。

 では開巻劈頭にある予告状のページをどうぞ。

1994年1月1日午前0時1分、
マスコミ各社、警視庁、
日本探偵倶楽部に、
次のような FAX が送られた。

『犯罪予告状』

今年、1200個の密室で、
1200人が殺される。
誰にも止めることは
できない。

  


この FAX を送信したのは、
東京都内某所のレンタルビデオショップ。
バイトの店員は、
FAX を利用した人物を
記憶していない。

 2000年というともう六年も前のことになりますが、どうして読んですぐ「RAMPO Up-To-Date」に記載しなかったのか、いやそもそもどんなストーリーの小説であったのか、東京都内某所にあるというレンタルビデオショップのバイト店員ではないけれど、私も見事に記憶していない。

 ですから手抜きの観が否めませんと申しております。


● 2月4日(土)

 本日は新刊のお知らせから。

 稲生平太郎さんの新作長篇『アムネジア』が出ました。角川書店発行、定価1680円。帯の惹句に、

 ──思い出すんだ。失くしてしまった、「本当の物語」を。

 ──消された名前、チョコレート・ケーキ、闇金融、かみのけ座、殺人、奇妙な機械……優しく残酷に侵食されてゆく現実の果てに、僕は何を見る? 『アクアリウムの夜』の鬼才が15年ぶりに放つ、究極の幻想ミステリ!

 と謳われては、とても読まずにいられません。私はきょうあたりからひもとくつもりでいるのですが、さて物語のはじまりはと見てみると、

 ──「扉がきしみながら開く音がするの、ぎーってね。それから影が映る──開いた本の上に」

 頭のなかにひらめくものがありました。

 ──ぎーっ

 これは『アクアリウムの夜』の基調低音とも呼ぶべき音ではなかったかと思いあたり、白馬書房という地味な出版社から出た十五年前の本を取り出してみました。

 おかげさまで、まだまだ完全ではないのですけれど書棚の整理もそこそこ進み、四六判日本人作家コーナー「い」の部に眼をやれば、井波律子さんの『中国ミステリー探訪』と井上ひさしさんの『表裏源内蛙合戦』のあいだに稲生平太郎さんの著作をすみやかに発見できるようにはなりました。で、手に取った『アクアリウムの夜』のおしまいを見てみると、

 ──絶え間なく噴出し微妙にパターンを変えつづけるホワイト・ノイズの彼方に、ぼくは数日前からひとつの声を聞きとっていた。それは低くかすれた声、ぼくの耳に今も響く声で囁くんだ。ギー、ギーって……

 といったあたりでお知らせを終え、すっかり錯綜してしまった話題に戻りましょう。1月20日にはじまった名張エジプト化事件の続報と1月28日にはじまった名張まちなか再生事件の報告とをひとまず終え、1月25日にはじまった名張市立図書館蔵書検索疑惑の説明に復帰したいと思います。思いますのですが、つづきはまたあした。

  本日のアップデート

 ▼1983年4月

 推理小説を科学する 畔上道雄

 講談社ブルーバックスの一冊。刊本『乱歩文献データブック』からは漏れていたのですが、もう何年も前、「先端猟奇大パノラマ 江戸川乱歩をしのんで」の大江十二階さんから教えていただき、コピーを頂戴いたしました。ずいぶん長いあいだほったらかしにしておりまして、大江十二階さんにお詫びを申しあげる次第です。

 書名どおりの内容で、乱歩作品では「化人幻戯」「蜘蛛男」「陰獣」が俎上に載せられております。「3 入れかわりの早業」の「一人三役は可能か」と題された章から、やや長くなるのですが「陰獣」の吟味を引きましょう。

 この身代わりのハイライトともいうべきは、大江春泥は、じつは小山田静子であったというトリックである。この作品の発表されたのが、雑誌「新青年」の昭和三年八月から十月までである。今とは流行作家の位置というのが格段にちがう。

 今では金持の夫人が流行作家とその妻の一人三役をかねるなどというのは、まず不可能だ。テレビ、ラジオ、週刊誌などがとうていそれをゆるすまい。では昭和三年にこれができたか。

 わたしは大江春泥の恒久的な代役が一人必要だとおもう。小山田六郎の妻と大江春泥の妻、この二役はむりをすればできないことはなかろう。しかしこれとて、ふつうではうまくいくまい。

 小山田家では主人は外国に行っている。子どものことはいっさい書いてないから、わからない。しかし、奉公人はいる、と明記されている。この物語に登場するのは運転手とお手伝いさん各一人だが大きな家のことであるから、この他にもいるであろう。

 この奥さんがたとえ近くとはいえ、べつの家の奥さんをすごい変装をしてつとめるというのは、とてもかんたんにはいくまい。すごい手腕を発揮して、なんとかこれをやりとげたとしよう。しかし、その上に大江春泥の役までやるというのは、とうていむりだ。

 もちろん、原稿を書くのはどこででもできる。能力さえあれば、問題はない。しかし、来客に会うときは問題だ。浅草公園の浮浪人をやとったというのは、この物語のふんい気に合った奇抜な着想である。

 しかし、こんな最重要の秘密を、その辺をうろついている浮浪人にたのむというのも、じつに奇妙である。もしこの男にゆすられでもしたら、どうなるか。

 乱歩のつもりでは、たぶんこの男はうすばかか何かで、金をもらえば、いわれたとおりのことをするのであろう。自分のやっていること、つまり流行作家大江春泥の代役をしているということを理解できないのだ。

 しかし、都合よくこんな男が見つかったとしても、この男をあやつるのは、かえって健全な理性をもった男をあやつるよりむずかしいのではないか。そして、この程度のバカとすると、記者と応待など、とてもできないだろう。

 こうなると、この一人三役の構想は推理小説のアイディアとしては卓抜であるが、科学的吟味にはたえるものではない。


● 2月5日(日)

 きのうのつづきです。というより、1月27日付伝言の、

 ──私の心のなかで、名張市は乱歩から手を引くべきだという考えが獰猛な獣のように身を起こしました。

 というところからのつづきです。この文章の少し前には「名張市は乱歩から手を引くべきだという考えは依然として私の心のなかにうずくまってはいたのですが」という吉行淳之介風な表現があるのですが、単にうずくまっているだけであったその「考え」がいまや「身を起こし」ている、しかも「獰猛な獣のように」、といったあたりのレトリックの妙も味わいながら先にお進みください。

 それにしても、と読者諸兄姉はお思いかもしれません。名張市というのは妙なところだな、と。

 リフォーム詐欺と呼ぶしかない歴史資料館の整備にはお金を出す。名張のまちを書き割り一枚で覆い隠してエジプトやニューヨークに偽装しようという団体にもお金を出す。にもかかわらず、図書館界の奇蹟と評され乱歩研究界の金字塔と賞される名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブック全三巻をインターネット上に公開して検索の便を図る、わずかそれだけのことにはお金を出そうとしない。びた一文も出そうとはしない。これはいったいどうなっておるのか、と。

 しかし、私はべつに名張市の肩をもつわけではありませんけれど、これはもう致し方のないところでしょう。お役所というのはそんなようなところです。過大な期待をしても裏切られるばかりです。写したくなる町名張をつくる会のみならず、お役所そのものだって偽装が大好き、上っ面のことだけやってればそれで満足できるわけです。ていうか、上っ面のことしかできません。なぜかというとばかだから。

 いやいや、ばかだからなどと決めつけてはいけませんけれど、たとえば乱歩のことにしてみても、名張市立図書館は乱歩に関する目録をつくるべきである、みたいなことは誰も考えません。市民を相手にした乱歩作品の読書会でお茶を濁していればお役所の人たちはそれで満足なのであった。しかし私は、詳細は「乱歩文献打明け話」の第一回「セクハラ始末」、第二回「哀しみは歌に託して」あたりでお読みいただきたいと思うのですが、もう少しまともなことをやったらどうだと市立図書館を叱り飛ばし、何をしていいのかわからないという返事が返ってきたからそれじゃお手本を見せてあげようと見せて進ぜました。

 私のお手本を指針としたサービスをつづけてゆくならば、名張市立図書館は少なくとも乱歩に関しては天下無双の図書館になることができるでしょう。インターネットの活用という点におきましても、江戸川乱歩リファレンスブックを手はじめとして各種データを惜しみなく掲載し、著作権の消滅と同時に乱歩作品の全テキストをアップロードしてしまえば、これぞまことの幻影城。旧乱歩邸の土蔵がどうして幻影城なんかであるものか。真の幻影の城ということになれば、ネット上に構築された乱歩のデータベースこそがそのように称されてしかるべきであろうと私は信じます。

 しかもその幻影城は、まぼろしどころかいくらだって実現することが可能なのである。名張市が覚悟を決め、ひとりよがりな乱歩関連事業なんかにうつつを抜かさず、乱歩を愛するすべての人のために税金をつかおうという気になりさえすれば、歴史資料館の整備なんぞよりはるかに簡単に実現可能なことなのである。しかし現実には、

 ──名張市にはお金がありませんので乱歩の著作や関連文献などのデータをネット上で公開することができません。

 ということなのであって、お役所は上っ面のことしかやりたがらないものなのですが、いやしかし、しかしこんなのは1月25日と26日の伝言にも書いたことではないか。何をくどくどと同じことばかりぼやいているのか私は。

 それで結局のところ、獰猛な獣のように身を起こした私の考えはどうなったのかというと、名張市がどのようにして乱歩から手を引けばいいのかを思案しているあいだに、名張市がどんどんどんどん乱歩に手を出してゆくという事態に立ちいたってしまいました。私のなかの獣が身を起こしたのは『江戸川乱歩著書目録』が刊行された2003年のことだったのですが、そのころからこちらというもの、名張市では乱歩乱歩と騒ぎ立てる声がかまびすしい。

 2003年の秋には名張商工会議所が細川邸を乱歩記念館になどというばかな構想を打ちあげて乱歩乱歩、翌2004年には三重県が三億円をどぶに捨てた「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業で乱歩乱歩、それが終わったあとも事業で味を占めた芭蕉チルドレンが各種企画で乱歩乱歩、名張市議会議員の先生方が怪人二十面相に扮して乱歩乱歩、名張はじつはエジプトなんです乱歩乱歩。

 いや驚いた。気がついたら名張市は乱歩地獄になっておったというわけなんじゃ。さあて困った。

 あすにつづきます。

  本日のアップデート

 ▼2006年2月

 守口市 江戸川乱歩の家/下 松井宏員

 毎日新聞大阪本社版の「わが町にも歴史あり・知られざる大阪」という連載の第十七回。2月3日に掲載されました。もっとも私はオフィシャルサイトの記事を読んだだけで、紙面を確認したわけではないのですが。

 大阪府守口市八島町に残る乱歩寓居の跡の話題です。この建物は大野正さんという産婦人科のお医者さんが所有し、大野さんが先年死去されたあとは奥さんが管理していらっしゃるようなのですが、これが将来どうなってしまうのか、確たる方向性は見えていないみたいです。

 ちなみに池袋の旧乱歩邸を除きますと、乱歩の住んだ家屋が改修を施されながらも姿をとどめている例はこの守口の寓居跡のみです。

わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/17 守口市 江戸川乱歩の家/下 /大阪
 この家を訪ねた乱歩ファンの中には、涙を流した人もおり、「ぜひ残してくれ」と手紙も届く。しかし、老朽化が進んでいる。

 この家を所有し、ファンを案内していた大野正さんが亡くなり、いま乱歩の家は開放されていない。国道1号や地下鉄守口駅に近いという立地の良さから、不動産屋が買いに来るというが、正さんの妻智子さん(65)は「私の代はこのまま置いとこうと思ってます」と語る。

 芦辺さんによると、柱や天井など、構造は乱歩がいた当時の様子を伝えているという。「心理試験」「人間椅子」などの初期の名作を含む21作がこの家で執筆されている。そのほとんどが大正14(1925)年に生み出されたことから、芦辺さんは「黄金の1925年」と呼ぶ。

 「乱歩と大阪の結びつきを論じる人は誰もいなかった。実際には、傑作のほとんどが大阪で生まれているのに、全く認識されていなかった。こういう伝説の場所があるのが都市の魅力です」

 ほっておけば、いつまでもつか、わからない。「乱歩が住んでいた隣の家も、守口市や府が手を打って、取り壊しを防げなかったか」と嘆く芦辺さんは、行政がかかわって保存すべきだと強調する。「大野さん個人の熱意でかろうじて支えられてきたが、今まで誰も支えようとしなかった。当時のままの骨組みを基に、書斎を再現するなど、保存すべきです」

 記事の途中からの引用ですからフルネームではなくなっていますが、「芦辺さん」とあるのはもちろん芦辺拓さんのことです。その芦辺さんが嘆いていらっしゃるとおり、乱歩寓居の跡の保存に関する行政の怠慢は覆うべくもないでしょうけれど、この毎日の記事を読んだ守口市役所のしかるべきセクションが保存のための動きを見せるかというと、やはり過大な期待はできないだろうなと思います。お役所というのはそんなようなところです。


● 2月6日(月)

 きのうのつづきです。

 名張市が乱歩地獄になってしまいました。乱歩から手を引くのなんのかんのと、そんなこといってる場合ではなく、いってられる状況でもありません。もっとも、いずれ愚劣なことばかりですから癇にはおおいにさわりますものの、ほうっておいてもさしたる問題はないであろう。私はそう考えておりました。

 いっぽう私は、2003年に『江戸川乱歩著書目録』が出る時点で、もう滅私奉公はこれまでにしておこうとも考えておりました。江戸川乱歩リファレンスブック三巻を編む作業は、まずそのために相当の時間を捻出しなければならず、なけなしの能力をフル回転させる必要もあり、むろんお金も出てゆきますから、実感としては滅私奉公以外の何者でもありませんでした。しかし私は、まずもって乱歩のため、さらには名張市のためにあえて一身を挺し、この身を粉にしてきたのでありましたが、立教大学が乱歩の遺産を継承してくれたこともあって、ちょうど潮時でもあるようだからここらでもう充分だろうと考えるにいたりました。そして『江戸川乱歩著書目録』の最終校正に際して、奥付のページにこう書き加えました。

[江戸川乱歩リファレンスブック全三巻]
1 乱歩文献データブック(一九九七年)
2 江戸川乱歩執筆年譜(一九九八年)
3 江戸川乱歩著書目録(二〇〇三年)

 これはそのまま、名張市立図書館が乱歩の書誌を出すことはもうありませんという宣言なわけです。こう書きつけることで、私は長い桎梏から解放されたような気になりました。

 さて、私が何をながながくどくど記しているのかというと、名張市立図書館オフィシャルサイトの蔵書検索で乱歩関連資料の検索ができるようになるのかどうか、その見通しについてなわけなのですけれど、滅私奉公はやめるにしても、その成果である江戸川乱歩リファレンスブック全三巻はげんに存在しており、そのデータはネット上で検索できるようにするべきでしょうから(データそのものは私のサイトにも掲載されているのですが、名張市立図書館が自前のサイトにもっと高度な検索を可能ならしめて掲載するべきであると私は考えております)、『江戸川乱歩著書目録』が出たあと名張市教育委員会にそれを提案し、財政難を理由に却下されたことはすでに記したとおりです。時期を明記するならば2004年のはじめごろということになりましょうか。

 いっぽう名張市の乱歩地獄化はと見てみると、いよいよ本格化しておりました。2004年には半年にわたって「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」という愚かな事業がくりひろげられ、伊賀地域の官民双方が自分たちの手に一円でも多く税金をかき集めようと乞食のごとく血税三億に群がり寄り、あろうことかその詳細をいっさい明示することなく予算を費消するという言語道断ななあなあ体質を露呈してしまう見苦しさ、伊賀の魅力を全国発信などという旗印のもとにご町内の親睦行事の寄せ集めがこれでもかこれでもかと展開されたわけであったのですが、この事業にも乱歩地獄の傾向は顕著に見られ、いやむしろこの事業によって一気に拍車がかかったとも見受けられました。しかし私は前述のとおり、ほうっておいてもさしたる問題はあるまいと考え、堅苦しいことをいうのは差し控えておりました。

 明けて2005年、つまり去年のことですけど、大利根無情の平手造酒か侍ニッポンの新納鶴千代みたいな気分で毎日を過ごしていた私はある日、さすがにこれは見過ごしにできんなという職業倫理のうずきを感じました。名張まちなか再生プランの素案が発表され、そこに「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」という歴史資料館の整備構想が記されていたからです。一過性のイベントなら見過ごしにもできようが、ハコモノをつくるとなると話は別である。

 そのハコモノの構想に乱歩の名前を眼にした以上、ほったらかしにしておくわけにはまいりません。まさしく職業倫理の問題です。お役所の縦割り構造に身をすり寄せて考えれば、市立図書館の嘱託である私は建設部が担当している名張まちなか再生プランにはまったく無関係な存在なのですが、そんなこといってるからお役所の人間はばかだといわれるのである、名張市民から月々八万円のお手当てを頂戴して乱歩のお仕事を担当している人間が乱歩の関連資料をどうこうするというプランにまったくノータッチであっては市民からお叱りを受けてしまうではないか。そう考えた私は、一計を案じてプランに対するパブリックコメントを提出することにいたしました。

 これもおかしな話であって、私がパブリックコメントを提出するということは結局、名張まちなか再生プランを策定する過程で策定者側が市立図書館にいっさい相談や照会を行わなかったということを意味し、さらには名張市役所の内部には歴史資料や乱歩資料の専門部署とも呼ぶべき市立図書館から建設部に対して意見や提案を伝えるためのルートが何も存在しないということをも意味しています。お役所というのはなんとも難儀なところではないか。市立図書館の嘱託であるという一点において市役所の内部に位置しているはずの私は、プランを批判するためにわざわざパブリックコメントという市民のためのシステムを利用しなければならないわけです。

 そして私はパブリックコメントにおいて、ろくな歴史資料もないのに細川邸を歴史資料館にするなどという構想は中止して、名張市立図書館のミステリ分室を開設すればいいのであると提言しました。これはいうならば敗者復活戦でした。「僕のパブリックコメント」から引きましょう。

「けどミステリ分室を運営するのは結構難しいことと違うんですか」
「ミステリに詳しい人間がたぶん一人もいませんからね」
「それではあきませんがな」
「いやご心配なく。日本全国のミステリファンから指導協力を仰ぎながら運営をスタートさせたらええんです」
「そんなことできるんですか」
「つまり名張市立図書館はここ十年ほどのあいだに乱歩を媒介としたミステリファンのネットワークをささやかながら形成しておりますので」
「そのネットワークがミステリ分室に生かされるわけですか」
「ミステリ分室の蔵書はインターネット上ですべて公開しましてね」
「どんな本があるのかが全国のどこにいても即座にわかると」
「さてこの分室をどないして運営したらええのかゆうことで全国のミステリファンから知恵を拝借したらええんです」
「やっぱりファンならではのアイディアゆうのもあるでしょうからね」
「市民がつかい回すいっぽうでミステリファンにもつかい回してもらうことでユニークな図書室になるであろうなと」
「実現したら面白そうですけど」
「無理したり背伸びしたりする必要はないんです。名張のまちの身の丈や身の程に応じたことをしといたらええんです。あほがおのれの分際もわきまえんとええだけ恰好つけたらどないなことになるかゆうのは『生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき』事業で実証されてますからね。ピーッ。ピーッ」
「もう笛はよろしがな」

 「ミステリ分室の蔵書はインターネット上ですべて公開しましてね」という箇所に見える「蔵書」には、むろん乱歩の著作や関連文献も含まれます。名張市立図書館が有している乱歩に関するデータをインターネットで公開するという年来の悲願に(悲願というのもおおげさですが)、敗者たる私はもういちど別の角度から挑戦し、あわよくば復活をとげてやろうと考えたわけです。

 やれやれ、ようやくここまで来ました。私のもとに寄せられた名張市立図書館の蔵書検索に関する質問には、昨年末に朝日新聞のコラムに登場した「ミステリー文庫」への言及も見られ、名張市立図書館が所有している乱歩関連の蔵書に関して、

 ──今後「ミステリー文庫」構想等々の中で情報整理公開されていくといった可能性はあるのでしょうか?

 といったお尋ねもありましたので、それに対する回答をながながくどくどと順序立てて記しているわけなのですが、私自身は名張市立図書館が有している乱歩やミステリに関する情報はインターネットで公開されるべきであると考え、げんにそのための発言提言を行ってまいりました。しかしながら、その実現の可能性はどうなのかと尋ねられたら、現時点では正直こんなふうに返答するしかありません。

 ──きわめて低いのではないかいな。

 あすにつづきます。

  本日のアップデート

 ▼1976年12月

 物理質問箱 都筑卓司、宮本正太郎、飯田睦治郎

 おとといにつづいて「先端猟奇大パノラマ 江戸川乱歩をしのんで」の大江十二階さんから教えていただいた一冊。やはり講談社のブルーバックスです。大江さんは理科系の方なのかもしれません。

 内容はQ&A形式。「8 光と色のふしぎ」にこんな質問があります。

 ──質問65 球体の内部を全部鏡にして、その中心に入るとどんな像が見えるのでしょうか

 回答

 すでに故人になった江戸川乱歩の小説の中に、ふう変わりな人間が登場して、球形の物体をつくって内部を全部鏡にして、その中に入り込んでしまう、という短編があった。乱歩は、常識では想像もできないような人物をしばしば登場させたが、この人物も「非常識」の極限として書かれている。ただ、内部に入ったらどんな姿にうつるかは、小説中には述べられてなかった。「とんでもない」姿がうつるだろう……と読者の想像にまかせているわけである。

 球体の内部を鏡にすることは必ずしも難しい相談ではないそうですが、たとえば光源をどこに置くかなどさまざまな問題が出てきます。そこで複雑な問題は気にしないことにして、球内は一様に明るいと考えます。

 で、球の中心に目が位置し、その目が数学的な意味において完全な点であれば、球形の鏡は全部目になります。ただしこれは、目そのものが光源である場合の話。そうでなければ中心の一点を通る光は存在しないことになり、永久に反射光は来ない。つまり中心から見たときには真っ暗になってしまうのだといいます。なんか難しい話ですが、数学的な厳密さに立って考えればそういう結論になるそうです。

 もう少し現実的に考えるとどうなるのか。

 光の反射の法則は「入射角と反射角とは等しい」であるが、球面で反射するときには、入射角とは半径と入射光線のなす角が入射角で、半径と反射光線のなす角が反射角になる。だから、球内のどこかに目があるとき、目に入る光のみちを逆にたどっていくと、結局は人間の身体のどこかからやってくることになろう。目に届くまでには、光は二回も三回も反射しているかもしれない。目の位置が球の中心に近ければ近いほど、おそらく目の付近の顔の一部が拡大されて見えることになろう(このときには入射角も反射角も非常に小さい)。

 球の中で、あちらこちらと移動したら、足が上にうつったり、鼻が下の方に見えたりで、それらがどんな形か、とてもひと口では言えまい。おそらく本人にも、鏡にうつっている妙なものが、からだのどの部分なのかは、すぐには見当がつかないだろう。そうして球内で少しでも目の位置を動かせば、鏡に見える肌の部分や衣服の部分は、激しく動くであろうと想像される。

 やはりなんだか難しい感じですが、こうして理詰めに考えていても、「鏡地獄」の主人公を発狂にいたらしめた地獄には永遠にたどりつけないのではないかと私は思います。作者は「読者の想像にまかせている」わけですから、地獄が見えるかどうかは読者の問題。私にはじつによく見えておりますが。

 以上、乱歩地獄の名張市から鏡地獄の話題をお届けいたしました。


● 2月7日(火)

 あいかわらずきのうのつづきなのですが、まあそういった次第であって、名張まちなか再生プランの一環として検討されているらしい(昨年末に事務局でお聞きしたところでは、検討なんてまだ全然、とのことでしたが)「ミステリー文庫」の整備事業によって、名張市立図書館が有している乱歩の著作や関連文献、さらにはミステリ関連書のデータがインターネット上で公開され、だれもが自由に検索できるようになるのかどうか、それはもう一にかかって名張まちなか再生委員会の英断次第というわけです。

 むろん以前から指摘しておりますとおり、くどいようですけどこのプランはおかしい。名張地区既成市街地再生計画策定委員会がまとめたプランの素案に対して私はパブリックコメントを提出し、そこには名張市立図書館ミステリ分室の構想も盛り込んであったのですから、委員会はその時点でテーブルについて私の提案を真摯に検討すべきであったのですが、それをしていなかったものですからいまごろになってぎゃあぎゃあと、再招集がどうのこうのああのこうのぎゃあのぎゃあのぎゃあぎゃあといわれねばならぬ羽目になってしまってとっぴんしゃん。もしも再招集が実現できなかった場合には、じつに道理に反したことではありますけれど、名張地区既成市街地再生計画策定委員会が担当すべきであった案件を名張まちなか再生委員会が検討するという不合理な事態に突入せざるをえません。

 すなわち私が粒々辛苦営々孜々、乱歩ファンの支援協力をいただきながら滅私奉公を重ねてようようなんとか完成させたところの、そしてそのデータがインターネットでひろく公開されるべきであることはいうまでもないところの、しかし名張市にはそんなお金はありませんと名張市教育委員会からつれない扱いを受けつづけているところの江戸川乱歩リファレンスブック全三巻を手はじめとして、最終的には乱歩作品の全テキストを掲載することまで視野に入れていたわが名張市立図書館インターネット活用構想は、私自身いったんはその実現を諦めておりましたものの、名張まちなか再生プランに呼応して敗者復活戦に臨むことになりました次第。そして構想はすでに私の手を離れ、その端緒が開かれるかどうかはいまや名張まちなか再生委員会の双肩にかかっているということになってしまうのかな。

 うーむ。名張まちなか再生委員会はもしかしたら救世主なのかもしれんぞ。まあがんばってみてくれたまえ。

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 ▼1975年4月

 江戸川亂歩──抑圧から解放された怪奇、幻想の世界 春原千明、梶谷哲男

 「パトグラフィ叢書」と銘打たれたシリーズの別巻『昭和の作家 芸術と病理』に収録。金剛出版刊。パトグラフィすなわち病跡学の手法で乱歩の人と作品に照明をあてる一篇です。十ページに満たぬ短いものですが。

 彼は戦時中には筆を断ち、町会の世話役として活躍し、戦後になるとまるで人が変ったように極端な社交好きとなった。戦後に現れた推理作家たちが、彼の死後その追悼文のなかで、口をそろえて彼の天衣無縫さと、温味のある人間性を懐しんでいるが、そのような姿こそ彼本来の性格だったのだと思われる。

 晩年の亂歩は、功成り名を遂げ、情緒的にも安定した。昭和三六年夏六六歳のとき、片口安史がロール・シャッハテストを行なっているが、それによれば、精神的にきわめて安定しており、ほとんど不安、葛藤を認めず、全体的に年齢を思わせない若々しい精神活動がみられたという。しかしそのなかに、気楽な、抑制を欠いた反応傾向が存在し、大脳の器質的障害の現われを思わせるという。さらにいくらか同性愛的傾向が認められているが、抑圧され、潜在的なものになっていると報告されている。

 結びも引いておきましょう。

 亂歩の業績は、先にのべたように推理文学という限られた枠を越えて、耽美派の系譜で評価しなおすべきであろう。しかしそのような文学史上の問題はともかく、われわれは彼の作品を通じて、われわれの誰もが抱きながら抑圧されてきた少年の日の夢を、見事に大人の世界に再現させてくれたことに価値を認めるのである。その意味において彼の作品は、単なるエロ・グロ・ナンセンスではなく、精神医学的にみても、また心理学的にみても、きわめて貴重なものであるといえるであろう。

 はなはだ申しわけないことながら、この文献のことをどなたからご教示いただいたのか、すっかりわからなくなっております。なんとも不手際なことであいすみません。お心当たりの方はご一報ください。


● 2月8日(水)

 本日はいきなりこちらをどうぞ。

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 ▼1994年10月

 江戸川乱歩 明智クン、ホモだってねぇ

 台東区性風俗考証研究会の『変態好辞苑』に収録。発行は徳間オリオン。書名から知れるとおり「変態」を扱った辞書です。

 ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団……と、おなじみの江戸川乱歩先生の登場です。

 「エドガー・アラン・ポーに憧れてこの名前をつけた」ということはヒジョーに有名ですね。また、学校の図書室では『怪人二十面相』シリーズが大人気でした。いつも人気ある作品は貸し出し中で、タイミングを計っていた思い出があります。少女マンガ(『なかよし』に掲載されていた)でも乱歩先生の原作をマンガ化したものが、キョーフ物として人気を博し、こわい思いを味わっていました。

 そのころは乱歩先生の作品が変だと疑わずに、ただ明智さんや小林少年の勇気ある行動にハラハラドキドキ、どきがムネムネしたものです。しかし今、乱歩先生の作品群を読み返してみると、スゴイ、スゴすぎる! だっていたるところに変態が登場するのです。なぜあのときにおかしいぞなんて思わなかったのは、幼さゆえのピュアさからでしょうか、ねえ。

 一部日本語のおかしい箇所も見られますが、原文のままといたしました。

 で、「少年探偵団」「虫」「覆面の舞踏者」「踊る一寸法師」「芋虫」「湖畔亭事件」「陰獣」「怪人二十面相」といったあたりが「乱歩先生の気になる作品」としてあげられ、その変態性が紹介されています。

 そもそも「変態」という言葉がいくつかの意味を内包していることはいうまでもなく、また時代によってそれが変遷してもいるらしいのですが、『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』の村上裕徳さんによる脚註「一四」によれば、

 ──現在の「変態」の意味とは異なり、当初の意味は、趣味的生活者つまりディレッタントの肯定的価値観であった。奇想的、先端的、非日常的、非現実的、幻想的、非実用的などなどの、普通でない一切の趣味的傾向を「変態」と呼んでいた。この背景にあるのは、明智小五郎のような高等遊民を含む都市におけるディレッタントが、ひとつの文化享受者として成立し定着してきたことを条件とするものであった。

 というのが(引き写していてどっか日本語が変かなという気もしてきたのですが、まあいいでしょう)、乱歩若かりしころの「変態」であったということになります。


● 2月9日(木)

 そんなこんなで説明の筆をば長々しくも費やしてまいりましたが、結論としてはよくわからないということになります。名張市立図書館オフィシャルサイトにおける乱歩関連資料の検索、というよりは乱歩関連データベースの構築に関する話です。私には何がどうなるのかさっぱりわかりません。

 私個人はそうしたデータベースがぜひとも必要であると認識しており、乱歩の生誕地である名張市が市民の税金でそれを手がけるべきであるとも考えていて、だからこそしつこく提言しているわけなのですが、名張市教育委員会の意向は、

 ──名張市にはお金がありませんので乱歩の著作や関連文献などのデータをネット上で公開することができません。

 というものです。

 けっ、そんなら別の角度からつっついてやるぜと、名張まちなか再生プランに対するパブリックコメントにおいて名張市立図書館ミステリ分室の開設を提案し、そのミステリ分室がインターネットを活用した情報提供を進めるよう方向づけることによってネット上の幻影城たる「江戸川乱歩アーカイブ」への道を開こうと試みた次第ではあったのですが、実際にその協議検討にあたるのが、

 「現段階では乱歩に関して外部の人間の話を聴く考えはない」

 などと平気でほざいてくださる名張まちなか再生委員会のみなさんなのですから、実現の可能性は先日も記しましたとおり、

 ──きわめて低いのではないかいな。

 ということになります。やってらんねーなまったく。

 しかしまあ、これがお役所の実態であり、名張市の実状なわけです。もしも名張市が乱歩に関して私の考えているインターネット活用プランを実現するとなれば、そのための専門職員を配置することがどうしたって必要だということになってくるのですが、そんなことは逆立ちしたって不可能でしょう。

 したがいまして、名張市に期待を抱いてくださっている乱歩ファンのみなさんにこんなことを申しあげるのはまことに心苦しいのですが、それからまたみずからの非力を棚にあげてこんなことを申しあげるのはお恥ずかしいかぎりではあるのですが、名張市には乱歩に関してもはやろくなことはできません。上っ面のことしかできません。あまり期待していただかないようにお願いいたします。

 といったようなことを、私は2004年から2005年にかけてずっと考えておったわけです。

 とりあえず江戸川乱歩リファレンスブック全三巻は完成したのだから、自分の役目はちゃんと果たしたということになるであろう。あとはもう知ったことではない。名張市内ではこのところろくに乱歩作品を読んだこともないばかが乱歩乱歩と騒ぎ立ててうるさいこったが、上っ面のことだけやっていればそれで満足だというあんなばか連中がここまで幅を利かせるのならおれの出番はもうないだろう。乱歩シーンからはいい加減で身を引いて、あとは郷土資料の体系化でもやってみるか。

 郷土資料とは何か。名張市立図書館にはふたつのコーナーが開設されていて、ひとつは江戸川乱歩コーナー、もうひとつが郷土資料コーナーです。郷土資料の充実ぶりは乱歩資料のそれをはるかに凌駕しているのですが、はたしてそれを十全に活用したサービスが展開できているかというと、残念ながらそうではありません。

 とくに名張市の場合、大阪のベッドタウンとして関西圏からの流入人口を受け容れつづけて今日にいたったという事情がありますから、名張のことを何も知らない新しい市民が地域の歴史にたやすく触れ親しむための行政サービスが望まれるところであり、さしあたりそれを担当するのが名張市教育委員会、そのための具体的な場は名張市立図書館にほかならないのですが、教育委員会のみなさんがそんなことを考えてくれるかというとそんなことは全然ない。なんたってあのみなさんはこぞってあれなんですから。

 だとすればおれの出番か。乱歩シーンからは身を引いて、郷土資料の海にこの身を沈めるか。しかしなあ、相手が名張市民だからなあ。名張市民ってのは、全部が全部そうなのではあるまいけれど、なんだかあれなのが多いからなあ。そんなの相手に滅私奉公するのはなんかいやだなあ。やだやだ。やなこった。

 そんなこんなで心が千々に乱れつづけた2004年から2005年、私は内外ともに面白くなく、おかげでこのサイトの更新すらおろそかになってしまったのはご存じのとおりなのですが、それでもまあ、何がどうなるかはまったくわからないのではあるけれど、せめてサイトの更新くらいちゃんとつづけなければなと考えを改めたのが昨年も暮れ方。以来、日々これ更新につとめて本日を迎えた次第です。

 そして2006年、私は新たな目標を掲げ、やっぱあれをつくろうと心に誓うにいたりました。封印を破ることにいたしました。2003年のとある日、『江戸川乱歩著書目録』の最終校正で奥付に──

[江戸川乱歩リファレンスブック全三巻]
1 乱歩文献データブック(一九九七年)
2 江戸川乱歩執筆年譜(一九九八年)
3 江戸川乱歩著書目録(二〇〇三年)

 と書き加えて完結させたはずの江戸川乱歩リファレンスブックではありますが、私はここにその封印をびりびりとひっちゃぶき、四巻目をつくってやることにしてやったのさ。

 乱歩ファンのみなさん。もうしばらくのあいだ、わが名張市に期待を抱いてくださってもいいかもしれません。

  本日のアップデート

 ▼1958年1月

 明智探偵と江戸川乱歩先生訪問記

 「少年」の昭和33年1月号、「夜光人間」の連載が開始された号に掲載されました。少年探偵団の井上君とノロちゃんが明智探偵事務所と乱歩邸を訪れてインタビューしています。「江戸川先生のはなし」から引きましょう。

 池袋駅をおりてしばらくいったところ、立教大学のしずかな森の近くに、「平井太郎」と表札のかかった門がたっています。ノロちゃんは、スタスタと、その門をはいっていきました。井上くんはびっくりぎょうてん。

 「ノロちゃん、ちがうよ。ここは平井さんちだよ。」

 (ノロちゃんいわく──江戸川乱歩とは、探偵小説の生みの親といわれるアメリカの小説家エドガー・アラン・ポーの名をとったものである。したがって、これはペン・ネーム。本名は平井さん。井上くんは、なにも知らないであるんである。エヘン!)

 おくのうすぐらい土ぞう。江戸川先生はそこでお仕事のさいちゅうでした。かべは外国の探偵小説の本でギッシリ。またノロちゃんの手帳をかりましょう。

 戦後の少年雑誌でも、乱歩が土蔵で執筆しているという伝説がまことしやかに囁かれていたわけです。

 1月8日付の伝言に引用した荒俣宏さんの「東京探偵小説作家の蔵」に、

 ──「乱歩先生は陽光を遮つた土蔵に蝋燭を点し、こわいお話を書かれるのです」

 という少年向け雑誌に掲載されていた広告文が引かれておりましたけれど、昭和33年の「少年」にも荒俣さんのいう「土蔵伝説」が確認される次第。で、乱歩が事実とは異なる伝説の流布をなぜ放置していたのか。1月30日付伝言に引いた平井隆太郎先生の「父・江戸川乱歩の思い出」に見える、

 ──でも、父はもう観念したのか、黙っていました。もしかしたら、その評判に乗っかった方がミステリー作家として得だと思ったのかもしれません。

 といったご推測が当を得ているのかもしれません。

 「明智探偵と江戸川乱歩先生訪問記」のことは東京都の小林宏至さんからご教示いただきました。お礼を申しあげます。


● 2月10日(金)

 さてそれで、たった今、ドスの封印ぷっつり切った! とマキノ雅弘の日本侠客伝みたいな大騒ぎをして江戸川乱歩リファレンスブックの編纂再開を決意した私なのですが、いったい何をやらかすのかといえば知れたこと。『江戸川乱歩年譜集成』をつくってやろうというのが私の魂胆です。

 このメインページの左肩に──

 とワンセットでタイトルロゴを掲げてあることからもお察しいただけますとおり、少なくともこの名張人外境というサイトを開設した時点では、著書目録をつくったらあとは年譜だなと私は考えておりました。しかし時世時節がそぞろに移り、もういいであろうと考えて江戸川乱歩リファレンスブックを全三巻でうちどめにしたのが2003年のこと。ところがそのあとにうちつづいた名張市の乱歩地獄化をまのあたりにして、これではいかんのではないかと考え直すにいたりました。

 とはいえ、かりに名張市の乱歩地獄化を直接叱り飛ばしてみたところで、さしたる効果は望めぬであろうというのは2004年の「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」事業の経験から容易に予測されるところです。私はあの事業において上は三重県知事から下は名もなき県職員や地域住民にいたるまで、おまえらばかはいったい何をしておるのかこのばか、と当たるをさいわいあっちこっち叱り飛ばしつづけたものでありましたけれど、相手はじつにしれっとしておった。蛙の面に小便であった。ばかというのは丈夫なものだ。

 ですから名張市の乱歩地獄化に際会いたしましても、むろんどうしても見過ごしにできぬ場合は叱り飛ばしもしますけれども、いかんのではないかとは思いつつ手をこまねき、大利根無情の平手造酒か侍ニッポンの新納鶴千代みたいな気分で日を過ごして……

 と最近の私はこんなことばかり記しておるのですが、2004年から2005年にかけての煩悶がそれほど深かったのであるとご理解いただきましょう。そして私はいまやもう、そうした煩悶懊悩とは訣別して『江戸川乱歩年譜集成』をまとめることに決めております。名張市はほんとは乱歩から手を引けばいいのであるとは思うのですが、そんなことにはなりそうもありませんから、それならば乱歩地獄は乱歩地獄、私は私で名張市立図書館嘱託として本分を尽くし、乱歩を愛するすべての人のために名張市民の税金を正当有効に費消すべく、またふたたびの滅私奉公に邁進することを決意した次第です。

 しかし、しかしそれにしても、乱歩の年譜を編むというのはいったいどういうことであるのか。それは少なくとも私にとっては、あの長大浩瀚な『探偵小説四十年』を徹底的に、完膚なきまでに、一木一草も残さぬまでに相対化してしまうということにほかなりません。えらいことじゃ。とんでもないことじゃ。しかし臆しているいとまなどないでしょう。ためらう必要もまたありません。

 ならばと私はきのうのこと、本屋さんに駈けつけて刊行されたばかりの光文社文庫版乱歩全集の『探偵小説四十年(下)』を二冊、先月出た『探偵小説四十年(上)』を一冊買い求め、そのうち上下ワンセットを名張市立図書館にもちこんで、その道のプロである女性臨時職員のお姉さんにカバーぐるみラミネート加工で補強してもらいました。そしてきれいにコーティングされた上下二冊を手に取り、

 ──さーあ、この上下二冊がぼろぼろになるまでやってやるぞ。相手にとって不足はねーや。

 とまなじりを決して下巻巻末の山前譲さんの解説「資料不足の戦中、駆け足の戦後」に眼を通してみましたところ、おしまいのほうにこんな文章が。

 ──そのヴォリュームに圧倒されてか、そして乱歩が記録魔であることを信用してか、『探偵小説四十年』の記述は全面的に信頼されてきたかもしれないが、事実と異なっている箇所もかなりある。この大冊を隅々まで検証していくことは、それこそ四十年を費やしても不可能かもしれない。

 ありゃりゃッ。四十年かかっても不可能ってか。おれはそんなに長生きできんぞ。

 なんですか幸先というものがあまりよろしくないようです。

  本日のアップデート

 ▼2005年12月

 紙つぶて 自作自注最終版 谷沢永一

 コラム書評の金字塔、と文藝春秋オフィシャルサイトの書誌ファイルにあります。1978年に同社から出た『完本・紙つぶて』が、1986年の文春文庫『紙つぶて 全』と1999年のPHP文庫『紙つぶて(完全版)』を経て、収録の四百五十五篇すべてに自注を書きおろした最終版として姿を現しました。

 乱歩の「『本陣殺人事件』を評す」が、

 ──『随筆探偵小説』に収められた乱歩のこの一文は、推理小説を正面から文芸評論の対象に据えて初めて成功した記念碑でもある。

 と絶賛されている1976年発表の「三本指の男をめぐって評論の花咲く推理小説界」から、本文ではなく自注を引用。

 推理小説評論が盛況のあまり紹介しきれない。今回は正統派にとどめてまたの機会を待つ。待望久しき中島河太郎『日本推理小説史』戦前篇全三巻(平成8年)が完結した。著者は新潮社版および福武書店版の『正宗白鳥全集』を編集して実力を示した当代一流の書誌学者である。信ずべし。しかも読ませる文章力がニクイ。一足先に山村正夫の『推理文壇戦後史』(私は平成元年四巻まで所見)が戦後の花盛りを闊達に描いた。いよーご両人、と声をかけたい我が国の誇りである。

 本文のほうには乱歩が「本陣殺人事件」読んで「純粋の論理小説が出現したことを衷心から祝福した」とあるのですが、「衷心から祝福した」という指摘に異を唱えたいとおっしゃる向きもおありでしょう。そのあたり、『江戸川乱歩年譜集成』で明らかにできればいいのですが、いったいどうなることかしら。

 本文では全然ふれられていなかったけれど今回の自注で新たに乱歩の名前が登場した、というケースもあります。1969年の「短編小説重視に賛成」、1980年の「新しい工夫を積み重ねてこその書誌学」がそれ。後者から引いておきましょう。

 『江戸川乱歩 日本探偵小説事典』(平成8年)は日本の作家その他の文化人についての乱歩の小品文と、その人からの来翰とを個別に対照させた銘々録である。編者の新保博久と山前譲は、ひたすら読者を喜ばせるために努めたといえよう。

 いよーご両人、と私も声をかけたいと思います。光文社文庫版乱歩全集監修の労への感謝も捧げつつ。