大正15・1926年

1月
1月1日 金曜日
「新青年」新年増大号(第七巻第一号)の発行日。「踊る一寸法師」が掲載された。
「探偵文芸」一月号(第二巻第一号)の発行日。「毒草」が掲載された。
「婦人の国」新年特大号(第二巻第一号)の発行日。「覆面の舞踏者」第一回が掲載された。連載は二月号まで。
「苦楽」新年特別号(第五巻第一号)の発行日。「闇に蠢く」第一回が掲載された。挿画は山名文夫。連載は十一月号まで。
春陽堂から出版された創作探偵小説集第二巻『心理試験』の発行日。
1月3日 日曜日
「サンデー毎日」第五年第二号の発行日。「湖畔亭事件」第一回が掲載された。挿画は名越国三郎。連載は五月まで。
1月5日 火曜日
「写真報知」第四巻第一号の発行日。「二人の探偵小説家」第一回が掲載された。連載は二月まで。
1月
守口町から東京市牛込区筑土八幡町三二に転居した。家賃四十八円。きく、玉子、隆、隆太郎との五人暮らし。雑誌社からの原稿依頼で千客万来となったが、創作力の枯渇を覚え、注文の大部分は断らなければならなかった。昭和二年三月までこの家に住んだ。探偵小説四十年「東京に転宅」]
家族を先に移転させ、守口町の家に一人残って急な原稿を書き終えてから、一月中旬に上京した。貼雑年譜「東京ヘ移転ス」]
一月中旬、上京の途次、名古屋の小酒井不木を訪問。名古屋駅の待合室で置き引きに遭った。袴を締め直しているすきに、ベンチに置いた懐中のものをすべて盗まれた。交番にも届けず、タクシーで小酒井邸に行き、タクシー代を立て替えてもらったうえ、上京の費用も借用した。乱歩は『探偵小説四十年』で前年一月のことと誤認している。探偵小説四十年「名古屋と東京への旅」]
1月24日 日曜日
小酒井不木が乱歩に手紙、借用した金を添えて乱歩が出した書簡への返信。子不語の夢「〇九〇 不木書簡 一月二十四日」]

2月
2月1日 月曜日
「婦人の国」二月号(第二巻第二号)の発行日。「覆面の舞踏者」第二回が掲載され、完結。
2月7日 日曜日
「サンデー毎日」第五年第七号の発行日。「湖畔亭事件」を休載。二月二十一日発行号も休載した。
2月8日 月曜日
春陽堂から出版された探偵趣味の会編『創作探偵小説選集』の発行日。「心理試験」と「選集縁起」が抄録された。
2月15日 月曜日
「写真報知」第四巻第五号の発行日。「二人の探偵小説家」第四回が掲載され、中絶。
2月25日 木曜日
博文館社長の長谷川天渓から招待され、「新青年」に連載する合作小説について相談。ほかに森下雨村、甲賀三郎、平林初之輔、神部正次が参加。子不語の夢「〇九二 乱歩書簡 二月二十五日」]
2月
「火星の運河」を脱稿。探偵小説十年「大正十五年(昭和元年)度」]

3月
3月1日 月曜日
「大衆文芸」三月号(第一巻第三号)の発行日。「灰神楽」が掲載された。
3月14日 月曜日
「サンデー毎日」第五年第十二号の発行日。「湖畔亭事件」を休載。三月二十一日発行号から四月十一日発行号までつづけて休載した。
休載がつづき、電報では埒が明かないと判断した「サンデー毎日」編集長の渡辺均が、大阪から原稿催促のため上京してきた。探偵小説四十年「三つの連載長篇」「上京後の惨状」]
3月
「五階の窓」第一回を脱稿。探偵小説十年「大正十五年(昭和元年)度」]

4月
4月1日 木曜日
「新青年」四月特別増大号(第七巻第五号)の発行日。「火星の運河」が掲載された。新青年「編輯後記」Fragment
「苦楽」四月号(第五巻第四号)の発行日。「闇に蠢く」を休載。苦楽「休載二篇お断り」Fragment
「闇に蠢く」は七月号も休載。「苦楽」編集部の指方龍二が大阪から原稿催促のため上京してきたが、それより早く伊豆の温泉に逃げ出し、旅館を転々として行方をくらました。探偵小説四十年「宇野浩二」「上京後の惨状」]
4月
モスクワの対外文化連絡局が「日本文学の夕」を開催、東洋語学院のニコライ・キン教授が「現代の日本文学」という題で講演し、大衆文学の興隆と乱歩作品の面白さを紹介した。探偵小説四十年「ソ連作家キム」]

5月
5月1日 土曜日
「新青年」五月号(第七巻第六号)の発行日。合作「五階の窓」の第一回が掲載された。
「新小説」五月号(第三十一巻第五号)の発行日。橋爪健「現代作家素描」の第四回「江戸川乱歩論」が掲載された。
春まだ寒いころ、橋爪健から手紙が届いた。江戸川乱歩論を執筆することになったので一度会いたいと乞われ、光栄に思って快諾すると、橋爪は家まで訪ねてきた。探偵小説四十年「橋爪健の乱歩論」]
「新小説」に掲載された橋爪健「現代作家素描」は、一月号「谷崎潤一郎論」、二月号「菊池寛論」、三月号「今東光論」、四月号休載、五月号まで。Googleブック検索「新小説総目次・執筆者索引」Web
5月2日 日曜日
「サンデー毎日」第五年第二十号の発行日。「湖畔亭事件」第二十回が掲載され、完結。
5月31日 月曜日
大阪放送局一周年記念放送の第四日目に「探偵趣味の話」を講演。貼雑年譜「第二回ノラヂオ放送」]
5月
「モノグラム」を脱稿。探偵小説十年「大正十五年(昭和元年)度」]
「お勢登場」を脱稿。探偵小説十年「大正十五年(昭和元年)度」]

6月
6月1日 火曜日
「新小説」六月号(第三十一年第六号)の発行日。「モノグラム」が掲載された。
6月15日 火曜日
至玄社から出版された二十一日会編『大衆文芸傑作選集』の発行日。「人間椅子」が収録された。
6月
ラジオ出演のため大阪を訪れたついでに、神戸の横溝正史を訪ねた。探偵小説四十年「大正十五(昭和元)年度の主な出来事」]

7月
7月1日 木曜日
「大衆文芸」七月号(第一巻第七号)の発行日。「お勢登場」が掲載された。
「苦楽」七月号(第五巻第七号)の発行日。「闇に蠢く」を休載。
7月
神戸の横溝正史を映画制作にかこつけ、「トモカクスグコイ」と電報を打って東京へ呼び出した。正史はそのまま東京に住み、博文館に勤務、「新青年」の編集に携わった。[横溝正史「散歩の事から」Fragment溝正史「ノンキな話」Fragment
「パノラマ島奇譚」の執筆を開始。探偵小説十年「大正十五年(昭和元年)度」]

8月
8月1日 日曜日
「科学画報」八月銷夏号(第七巻第二号)の発行日。読者の投稿に専門家が答える「研究室大会(質問回答)」に「問(鏡張りの大きな球形の室)」が掲載され、福岡県立鞍手中学校、安河内五郎の質問に東京女子高等師範学校教授、藤村信次が回答した。科学画報「研究室大会(質問回答)」Fragment
8月
「人でなしの恋」を脱稿。探偵小説十年「大正十五年(昭和元年)度」]
「科学画報」に掲載された質疑応答欄から着想を得て、「鏡地獄」を脱稿。一夜で書きあげ、翌朝訪ねてきた水谷準に朗読して聞かせたが、水谷の感想が思わしいものではなかったため落胆した。探偵小説四十年「この年の短篇作」]
夏の終わりか秋の初め
原稿の催促を逃れる旅から帰り、まだ旅行中ということにして自宅の二階で寝ていたところ、宇野浩二が訪ねてきた。隆が取り次いだが、合わせる顔がなく、居留守をつかわせた。探偵小説四十年「宇野浩二」]

9月
9月10日 金曜日
喜多村緑郎が訪問、しばらく話した。喜多村緑郎「喜多村緑郎日記」Fragment
9月24日 金曜日
探偵趣味の会が午後二時からレーンボー・グリルで出版記念会を開催。乱歩、甲賀三郎、横溝正史、延原謙が祝福された。午後四時からは読売新聞社講堂で同会主催の「講演・映画・演劇の夕べ」が開かれ、平林初之輔と甲賀三郎が講演、映画「極楽突進」「罪と罰」を上映、探偵劇「ユリエ殺し」(一幕二場)を上演した。乱歩は警官の姿で出演し、閉会の辞を述べた。探偵小説四十年「最初の出版記念会と探偵寸劇」][横溝正史「『ユリエ殺し』の記」Fragment
9月26日 日曜日
春陽堂から出版された創作探偵小説集第四巻『湖畔亭事件』の発行日。
9月27日 月曜日
夕方、外出のため玄関に出ると、「報知新聞」の夕刊が配達されていた。八月二十日に発生し、犯人が逃走をつづけていた鬼熊事件の記事が掲載されていた。探偵趣味の会が千葉県の現場に乗り込み、解決を目指すと報じられていたが、森下雨村が冗談半分に話したことが大きく取り扱われたものだった。これ以降、大きな犯罪が起きると新聞が探偵作家の意見を掲載するようになった。探偵小説十年「鬼熊事件」]
夜、銀座のやまとで開かれた探偵趣味の会の慰労会に出席。新青年「編輯局より」Fragment
9月30日 木曜日
赤坂の紅葉で開かれた座談会に出席。甲賀三郎、横溝正史、延原謙、高田義一郎、森下雨村、大下宇陀児、川田功、平林初之輔、新居格、金子準二(警視庁鑑識課技師)と鬼熊事件について話した。「東京毎夕新聞」文芸部が主催し、十月三日付文芸欄に掲載された。探偵小説十年「鬼熊事件」]
9月
「木馬は廻る」を脱稿。探偵小説十年「大正十五年(昭和元年)度」]

10月
10月1日 金曜日
「新青年」十月特別増大号(第七巻第十二号)の発行日。「パノラマ島奇譚」第一回が掲載された。連載は昭和二年四月まで。
森下雨村の斡旋で博文館に入社した横溝正史が、この号から「新青年」の編集に携わった。新青年「編輯局より」Fragment
「サンデー毎日」秋季特別号「小説と講談」(第五年第四十三号)の発行日。「人でなしの恋」が掲載された。
「大衆文芸」十月号(第一巻第十号)の発行日。「鏡地獄」が掲載された。
「探偵趣味」十月号(第二年第九号)の発行日。「木馬は廻る」が掲載された。
10月10日 日曜日
「パノラマ島奇譚」の執筆が捗らず、十二月号の休載を「新青年」編集部に伝えた。新青年「編輯日誌」Fragment
10月12日 火曜日
「パノラマ島奇譚」休載を謝罪する電報を熱海から「新青年」編集部に送った。新青年「編輯日誌」Fragment

11月
11月1日 月曜日
「新青年」十一月号(第七巻第十三号)の発行日。「パノラマ島奇譚」第二回が掲載された。新青年「編輯日誌」Fragment新青年「編輯日誌」Fragment
「苦楽」十一月号(第五巻第十一号)の発行日。「闇に蠢く」第九回が掲載され、中絶。
11月11日 木曜日
宇野浩二が乱歩に手紙、居留守をつかったことを詫びるため乱歩が上州の温泉から出した手紙への返信。探偵小説四十年「宇野浩二」]

12月
12月1日 水曜日
「新青年」十二月号(第七巻第十四号)の発行日。「パノラマ島奇譚」を休載。新青年「編輯日誌」Fragment
12月8日 水曜日
「東京朝日新聞」と「大阪朝日新聞」に「一寸法師」第一回が掲載された。挿画は東京が柴田春光、大阪が古家新。連載は翌年二月まで。
十一月の終わりか十二月の初め、東京朝日新聞社学芸部長が来訪、連載中だった山本有三「生きとし生けるもの」が作者の病気により中絶されることになったため、三か月程度の連載を引き受けてくれないかと依頼された。連載開始まで五日間ほどしか余裕のない話で、返事は翌日に引き延ばしたが、結局は承諾した。連載を始めて三、四日後、朝日新聞幹部の美土路昌一、緒方竹虎、鈴木文史朗から料亭に招かれ、「一寸法師」に出てきた衆道のことで談論風発した。探偵小説四十年「「一寸法師」」]

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