少し以前、奥付上でいえばちょうど四か月前のことになりますが、こんな本が出ました。
▼Amazon.co.jp:「東海」を読む−近代空間(トポス)と文学
草深い当地の新刊書店には見当たりません。しかし「坪内逍遙、江戸川乱歩、新美南吉、尾崎士郎から小谷剛、小島信夫、堀田あけみまで」とか紹介されてんだから買わぬわけにもいかんだろうと考え、ネット通販を利用してもいいのですがお金はできるだけ地元に落とすことにしておりますゆえ、行きつけの本屋さんに取り寄せを依頼いたしました。届きました。巻末索引が附されていましたのでさっそく視線を走らせましたところ、え〜ッ、たった一箇所かよ〜、一箇所だけかよ〜、と私は泣きたくなりました。三百五十ページ以上もある本、ほぼ四千円もした本なのに、乱歩の名前はわずか一箇所に出てくるのみ、それも小酒井不木の添えものみたいな扱いではありませんか。
▼RAMPO Entry File:〈東海〉を読む 近代空間と文学 日本近代文学会東海支部
それはまあ出てきます。一箇所だけの添えものとはいえ、乱歩の名前はたしかに出てきます。しかしそれならそれで、この一冊を紹介するにあたって乱歩の名前はもう少し控えめに扱われるべきではないのか。帯だってこんななんだもん。
坪内逍遙につづいて二番目に名前が出てくるのだから、乱歩のことは当然それなりの比重で記されているのだと思ってしまうではないか、詐欺かよまったく、となかば憤然としながら裏表紙側の帯を打ち眺めてみましたところ──
「本書に登場する主な作家」が五十音順で列記されているのですが、乱歩の名前は見つかりません。それならば表紙側にわざわざ乱歩を持ち出すような真似は、とは思いましたものの、ああ、なるほどな、とも思われました。乱歩が「本書に登場する主な作家」ではないということが、たとえ裏表紙のほうであるとはいえこうして帯に謳われているわけですから、これは決して詐欺ではありません。いってみれば戦略でしょう。乱歩を掲げて東海を売る。なかなかの知能犯、いや犯罪ではありませんから知能犯といってしまうのは変ですけれど、乱歩の知名度をうまく利用したクレバーな帯だと感心いたしました、ということにしておきましょう。
それでは以下、ウェブ版講座「涙香、『新青年』、乱歩」第三講のつづきとなります。「牧逸馬(林不忘)」の「2」みたいなことを記しますが、もしもここにひとりの注意深い読者がいたならば、彼は牧逸馬が「D坂の殺人事件」の英訳を担当したという『探偵小説四十年』の記述に疑問を抱くことになるはずです。なぜか。「D坂の殺人事件」は日本家屋でも密室殺人が可能なのかというテーマに挑んだ作品だからです。わざわざ英訳して英米の読者に提供する、つまり日本の建築物に関する知識が皆無であろう読者に読ませる作品としては、あまりにも不向きなものだといわざるを得ません。しかしわれわれ不注意な読者は、というよりはごく普通の読者なわけなのですが、乱歩の記したところをいちいち疑ってかかるようなことはしませんから、ふーん、と思うだけで乱歩の誤認を読み過ごしてしまいます。『探偵小説四十年』に厳正な史料批判のひとつも加えてやろうかという人間には、乱歩の記述を頭から疑ってかかるほどの意地の悪さと注意深さが要求されるというわけです。
つづいて事実誤認の三点目。「探偵趣味の会」の項に乱歩は、「私が神戸の両君を訪ねたのは大正十四年四月十一日であった」と記しています。「両君」というのは西田政治と横溝正史。正史から届いた4月12日付の葉書に「昨日は失礼しました、云々」とあるのを根拠として、乱歩は両人に初めて会ったのがこの日であったと断定しています。しかし、これがまたしても事実誤認。4月11日は大阪毎日新聞社で探偵趣味の会の初会合が開かれた日でした。これは乱歩自身、この年の「新青年」6月号に寄せた「『探偵趣味の会』」で報告しているところでもあります。正史の葉書は探偵趣味の会の初会合について「昨日は失礼しました」と述べたものだったのですが、乱歩は「探偵小説三十年」の執筆時、保存してあった正史の古い葉書に記されている「昨日」が初対面の日だったと勘違いしてしまったというわけです。実際には初会合以前に初対面が済まされていたはずで、このあたりの事情はじつに無残な失敗に終わった三重県の官民協働事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」で刊行した不木と乱歩の書簡集『子不語の夢』の脚註において、天下無双の脚註王たる村上裕徳さんが仔細に考証していらっしゃるところです。
この事実誤認が面白いのは、面白いというよりは厄介なというべきなのかもしれませんが、関係者によって誤認が踏襲されている点でしょう。まず横溝正史。「初対面の乱歩さん」というエッセイにこう書いています。
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乱歩さんののこした名著「探偵小説四十年」によると、私が乱歩さんにはじめてお眼にかかったのは、大正十四年四月十一日ということになっている。 |
正史は「名著」である『探偵小説四十年』の記述を毛筋ほども疑っていませんし、西田政治も正史全集の月報に寄せた「神戸時代の横溝君と私」でご丁寧にこの誤認を踏襲し、「乱歩さんの書いたものによると『私が神戸の両君を訪ねたのは大正十四年四月十一日であった。予め手紙で」などと『探偵小説四十年』を引用して「四十数年前の私たちの会見が、なつかしい思い出となって浮んで来る」とまで述べている始末です。当事者三人が三人とも同じように間違った供述をしているのですから、これはある種の完全犯罪みたいなものなのかもしれませんが、村上裕徳さんのような注意深い読者が大正14年4月11日は探偵趣味の会の初会合の日であったということに気がつきさえすれば、事実誤認は捕縛された盗賊のように白日のもとに晒されることになります。
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