人外境主人残日録 2009
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2009 平成21年
11月
11月1日(日)
乱歩歌舞伎も楽日を過ぎてもう霜月かよ
11月2日(月)
秋も深まりいよいよ佳境のウェブ版講座
11月3日(火)
探偵趣味は絵探しであると乱歩はいった
11月4日(水)
大乱歩のお導きで上田屋と魚民へどうぞ
11月5日(木)
往年のてんぷくトリオ版「一枚の切符」
11月6日(金)
探偵よりも空想のほうが優位にある世界
11月7日(土)
ポプラ文庫版少年探偵シリーズ堂々完結
11月8日(日)
歌舞伎のあとは常磐津まである乱歩の秋
11月9日(月)
曖昧な日本の私とフランス映画「陰獣」
11月10日(火)
それは本当に探偵小説なのかという疑問
11月11日(水)
英国人女性死体遺棄容疑者逮捕記念特番
11月12日(木)
クヴィレット号不明児童大発見記念特番
11月13日(金)
われもし「新青年」の森下雨村なりせば
11月14日(土)
絵探しの探偵趣味を探偵小説に接続する
11月15日(日)
横溝正史生誕地碑建立五周年記念講演会
11月16日(月)
講座「涙香、『新青年』、乱歩」第四講
11月17日(火)
この世に「難解な秘密」が存在するのか
11月18日(水)
シネモザイクが正史原作映画を特集上映
11月19日(木)
おりんの登場シーンはほんとに怖かった
11月21日(土)
私も(半分の方の私ですよ)という恐怖
11月23日(月)
本格探偵小説ブームは生理現象であった
11月24日(火)
探偵小説はかりそめの器ではなかったか
11月25日(水)
憂国忌の夕刻に十周年を思い名張を憂う
11月26日(木)
憂国忌翌日の夕刻におらおらおらという
11月27日(金)
憂国忌の翌々日夕刻のおらおらおらおら
11月28日(土)
畏れ多いけど乱歩最大のトリックに迫る
11月29日(日)
乱歩最大のトリックに一気には迫れない
11月30日(月)
謎と論理の興味こそが探偵趣味じゃね?
▼10月6日(火)
「大乱歩展」記念講演会に思いを馳せる
▼10月7日(水)
乱歩歌舞伎第二弾「京乱噂鉤爪」が開幕
▼10月8日(木)
とくに被害もなく当地はすでに台風一過
▼10月9日(金)
トーク&ディスカッション早くも二回目
▼10月12日(月)
「大乱歩展」は台風にも負けず好評嘖々
▼10月13日(火)
小林信彦さんの講演はこんな内容だった
▼10月16日(金)
港が見える丘への道における疑問と逡巡
▼10月19日(月)
今年は何のアニバーサリーなのかと思う
▼10月20日(火)
講座「涙香、『新青年』、乱歩」予告篇
▼10月21日(水)
グーグル先生ありがとうございましたッ
▼10月22日(木)
講座「涙香、『新青年』、乱歩」第一講
▼10月24日(土)
乱歩の秋を席捲する『明智小五郎読本』
▼10月25日(日)
講座「涙香、『新青年』、乱歩」第二講
▼10月26日(月)
沖積舎の桃源社版乱歩全集復刻版が完結
▼10月27日(火)
正史とおりん婆さんとそこらのギャルと
▼10月28日(水)
講座「涙香、『新青年』、乱歩」第三講
▼10月29日(木)
「日本暗殺秘録」に感銘した過去がある
▼10月30日(金)
これやこの乱歩を掲げて東海を売ってる
▼10月31日(土)
ちはやぶる乱歩の蔵を幻影城と呼ぶなよ
▼9月1日(火)
横浜もいいけど池袋もなかなかだと思う
▼9月2日(水)
情けなくなるほど宣伝モード全開である
▼9月3日(木)
もう開き直ったような宣伝モードである
▼9月4日(金)
映画「陰獣」はシネ・ヌーヴォでも上映
▼9月5日(土)
記念講演をも記念する大宴会の開催予告
▼9月7日(月)
雑誌「アベック」に掲載されたパロディ
▼9月8日(火)
映画版「芋虫」と歌舞伎「京乱噂鉤爪」
▼9月9日(水)
こんなことでいちいち大騒ぎしなくても
▼9月10日(木)
ほんとに何が嬉しくて大騒ぎしてるのか
▼9月11日(金)
秋の二大イベント開幕記念大宴会ご案内
▼9月12日(土)
目白押しの「大乱歩展」関連行事ご案内
▼9月13日(日)
トーク&ディスカッションあしたが締切
▼9月14日(月)
誰が美絵子先生の乳房を揉みしだこうが
▼9月15日(火)
きょうもサークルKへ雑誌の買い出しに
▼9月18日(金)
第四十五回衆議院議員選挙を振り返って
▼9月19日(土)
『明智小五郎読本』限定千部は来月発売
▼9月21日(月)
「大乱歩展」の目録千円は「買い!」だ
▼9月22日(火)
立教大学では「江戸川乱歩フォーラム」
▼9月23日(水)
ポプラ社の「コミックブンブン」休刊す
▼9月24日(木)
「青銅の魔人」を原作に「仮面舞盗会」
▼9月25日(金)
遠縁のサオリン兄貴が世界選手権七連覇
▼9月27日(日)
大宴会の申し込みは受付を終了しました
▼9月28日(月)
『明智小五郎読本』が発売になりました
▼9月29日(火)
「ラジオ深夜便」に紀田順一郎さん登場
▼9月30日(水)
たそがれの国で乱歩の秋が開幕を迎える
▼8月28日(金)
またずいぶんご無沙汰してしまいました
▼8月29日(土)
拙者は分身の術がつかえぬでござるの巻
▼7月12日(日)
遅ればせながら「盲獣」再演のお知らせ
▼6月14日(日)
カバー青仮面版『吸血鬼』があったとさ
▼6月19日(金)
コレクターの血が見事なまでに騒がない
▼6月21日(日)
学習誌の付録に掲載された乱歩作品の謎
▼5月23日(土)
人外境番犬の二回忌も過ぎた春の夕刻に
▼5月25日(月)
人間豹は幕末の京で最期を遂げるらしい
▼4月3日(金)
野村恒彦講演会「親友二人」のお知らせ
▼4月4日(土)
乱歩スレに謝意を表しつつラジオの話題
▼4月15日(水)
チューリップの町で僭越ながら後援です
▼4月20日(月)
江戸川乱歩賞はどうなったのでしょうか
▼3月1日(日)
誰だってデビューのときは新人であった
▼3月2日(月)
お勢の形相と格太郎の死相どっちが怖い
▼3月3日(火)
乱歩生誕地碑広場をご覧いただきますか
▼3月4日(水)
乱歩はミッドライフの危機に直面したか
▼3月6日(金)
少年読者の反応はどう熱狂的だったのか
▼3月7日(土)
都会の少年の懐かしい故郷における熱中
▼3月8日(日)
少年タイガーから少年探偵団シリーズへ
▼3月9日(月)
たぶんいやなやつだとお思いでしょうが
▼3月13日(金)
海野十三忌講演会と講師先生出版祝賀会
▼3月22日(日)
野村恒彦さん処女出版お祝いの会ご案内
▼3月23日(月)
神奈川近代文学館「大乱歩展」のご案内
▼2月1日(日)
松居竜五さんの講演会が徳島県で開かれます
▼2月3日(火)
節分の日に昨年末の落ち穂拾いをいたしました
▼2月8日(日)
八日えびすなので早々に失礼いたします
▼2月11日(水)
墓参はしませんでしたが散歩はしました
▼2月12日(木)
三島由紀夫の書斎における乱歩全集の謎
▼2月20日(金)
江戸川乱歩年譜集成おぼえがきアゲイン
▼2月23日(月)
フラグメントで再チャレンジしましたが
▼2月24日(火)
依頼されたのか希望したのかという問題
▼2月25日(水)
「少年倶楽部」は何度ベルを鳴らしたか
▼2月26日(木)
新機軸を求めた新編集長による白羽の矢
▼2月27日(金)
あれから十年かよ「二十面相は突然に」
▼2月28日(土)
二十面相ばかりか「妄想姉妹」も突然に
▼1月1日(木)
あけましておめでとうございます
▼1月4日(日)
もうへろへろでございます
▼1月5日(月)
いよいよわからなくなってきました
▼1月6日(火)
いったいどうなるのでしょうか
▼1月7日(水)
深い森のなかであてどなく
▼1月8日(木)
深い森のなかでついふらふらと
▼1月10日(土)
残日録にいたしました
▼1月21日(水)
エントリ中心主義はよかったのですが
▼1月22日(木)
「嗚呼、私の探偵は!」は嗚呼とっくの昔に
乱歩歌舞伎も楽日を過ぎてもう霜月かよ
2009年11月1日(日)

 いやー、もう11月かよ。気がつけば乱歩歌舞伎もとうに千秋楽を過ぎていて、あわててエントリを記し始めましたところえらい目に遭ってしまいました。

 RAMPO Entry File:京乱噂鉤爪(きょうをみだすうわさのかぎづめ)−人間豹の最期−

 霜月一日目はこれでおしまいといたします。



秋も深まりいよいよ佳境のウェブ版講座
2009年11月2日(月)

 少しお休みを挟んでしまいましたが、ウェブ版講座「涙香、『新青年』、乱歩」の第三講をつづけることにいたします。と記しながらいきなり横道にそれてしまいますが、トーク&ディスカッション「『新青年』の作家たち」はなかなか快調に回を重ねていると聞き及びます。10月31日の小松史生子さんによる第五回「渡辺啓助・温」のことは権田萬治さんの同日の日記にも記されているのですが、「フリートーキングでは非常にマニアックな細かい点が話題になった」とのことで、いったい何が話題になったのかとても気になってしまいます。

 Mystery & Media:日記

 では本日の本題、「新青年」の誌上で「探偵小説三十年」として連載が始められた『探偵小説四十年』の話題ですが、そういえば先月発行された「神奈川近代文学館」第百六号に佐野洋さんが「江戸川乱歩さんと神奈川県」というエッセイを寄せていらっしゃって、なかにこんなことが記されています。

 乱歩さんには、『探偵小説四十年』という著書がある。乱歩さん自身の私的記録ではあるが、それがそのまま、日本の推理小説(かつての探偵小説)史になっており、極めて貴重な記録である。

 まさにそのとおりでしょう。昭和36年に上梓されてから今日まで、『探偵小説四十年』は「乱歩さん自身の私的記録」でありながらそのまま「日本の推理小説(かつての探偵小説)史」でもある大著として読み継がれてきました。刊行から四十八年が経過したいまでは神聖視されたり不可侵の聖典と見做されたりしている傾きさえないではないのですが、あの長大な自伝に事実の誤認や記憶の錯誤が紛れ込んでいることは否定のできない事実であり、とくに「日本の推理小説(かつての探偵小説)史」として繙読する場合にはそのことをよくわきまえておく必要があるように思われます。

 むろん誰にだって誤認や錯誤は避けがたく訪れてくるもので、げんにかく申す私とて10月3日のトーク&ディスカッションにおきまして、えー乱歩が名古屋駅で置き引きにあった年や横溝正史と初対面を果たした日を間違えていたということは光文社文庫版全集の『探偵小説四十年』の註釈で平山雄一さんもお書きになっているところでして、みたいなことを滔々と述べ立てましたところ、会場に来てくださっていた当の平山さんから即座に、いえ、あれは新保さんです、と事実誤認のご指摘を頂戴してしまいました。あ、そうか、どうもすいません、とお詫びを申しあげておいたのですが、それにつづけて、

 「かくのごとく人は誤謬を犯すものであり、ひとり乱歩のみが無謬であったはずはありません」

 とでもいっておけば結構受けたのではないかしら。しかし残念ながらそこまでの機転はとても利かず、まだまだ修業が足りないなと反省している次第です。

 「探偵小説三十年」草稿と『探偵小説四十年』の決定稿

 さて、まさにその光文社文庫版乱歩全集第二十八巻『探偵小説四十年(上)』なのですが、新保博久さんによるこの巻の「解題」を読んで私はすっかり驚いてしまいました。新保さんによればなんと四百字詰め原稿用紙五十五枚にも及ぶ「探偵小説三十年」の草稿が残されていて、そこには「この草稿にしか見られない貴重な情報も含まれている」。そしてそのなかに幼年期の「探偵趣味」を回想した驚くべき文章が、といったってあくまでも私にとってはおおいに驚くべきものであったということなのですが、とにかく誰にも知られていない文章が存在していたとのことです。草稿として書かれながら実際には発表されず、筐底深く秘められたままだった文章が半世紀以上のときを隔てて陽の目を見たというわけで、その文章は「解題」から引用して配付資料に載せておいたのですが、ここにも転載しておくことにいたします。

 私が探偵小説に心酔するに至つた経路[抹消して「涙香心酔」]
 私の探偵趣味は「絵探し」からはじまる。五六才の頃、名古屋の私の家に、母の弟の二十にもならぬ若い小父さんが同居してゐて、その人が毎晩、私の爲に石磐に絵を描いて見せてくれるのだが、小父さんは好んで「絵探し」の絵を描き、私にその謎をとかせたものである。枯枝などが交錯してゐるのを、じつと眺めてゐると、そこに大きな人の顔が隠れてゐたりする。この秘密の発見が、私をギヨツとさせ、同時に狂喜せしめた。その感じは、後年ドイルや、殊にチエスタトンを讀んだ時の驚きと喜びに、どこか似たところがあつた。少年の頃「絵探し」を愛した人は多いであらうが、私は恐らく人一倍それに夢中になつたのだと思ふ。問答による謎々や、組み合せ絵(ジッグソウ)や、迷路の図を鉛筆で辿る遊びや、後年のクロスワードなどよりも、私にはこの「絵探し」が、何気なき風景画の中から、ボーツと浮かび上つて耒る巨人の顔の魅力が、最も恐ろしく、面白かつた。

 草稿は「五六才」当時のエピソードから始められています。いっぽう私たちがよく知っている『探偵小説四十年』は「はしがき」につづく「涙香心酔」で幕を開け、乱歩はみずからの人生を「六、七歳」から語り始めています。これも配付資料に引いたところをそのまま転載しておきましょう。

 涙香心酔
 明治三十二、三年のころ(私は六、七歳であった。生れたのは明治二十七年十月、三重県名張町。本籍は同県津市にある)。父は名古屋商業会議所の法律の方の嘱託として毎日通勤していたが、やはり宴会などが多かったのであろう、父の留守の秋の夜長を、祖母と母とが、針仕事にも飽きて、茶の間の石油ランプの下で、てんでに小説本を読んでいるようなことがよくあった。そのころは貸本屋の全盛時代で、祖母はそこから借り出してきた講談本のお家騒動か何かを、母は涙香の探偵ものを好んで読んだ(私は母の十八歳のときに生れたので、そのころ母はまだ二十三、四歳であった)。私は二人が読書しているそばに寝ころがって、涙香本の、あの怖いような挿絵をのぞいたり、その絵の簡単な説明を聞かせてもらったりしたものである。しかし、そのころの私には、まだ探偵小説の面白味などはわからなかった。母も幼い私に探偵ものの筋を聞かせてくれたわけではない。
 私が探偵小説の面白味を初めて味わったのは小学三年生のときであったと思う。算えて見ると、日露戦争の直前、明治三十六年に当る。巖谷小波山人の世界お伽噺の大きな活字に夢中になっているころで、私はまだ新聞を読む力もなかったが、生来小説好きの母は新聞小説を欠かさず読んでいて、私は毎日その話を聞かせてもらうのが一つの楽しみであった。
 そのころ、大阪毎日新聞に菊池幽芳訳の「秘中の秘」が連載され、これが非常にサスペンスのあるミステリ小説で、母の好みにも叶い、私は毎日その挿絵を見ながら、母の話を聞くのを、こよなき喜びとしていた。

 草稿に記された絵探しのエピソードを読んで、私は乱歩にまつわる疑問のひとつに解明の手がかりを与えられたような気になりました。どんな疑問か。乱歩が書いたのは本当に探偵小説であったのか、という疑問です。そしてそのエピソードが自伝から抹消されたという事実もまた、ひとつの疑問に光明をもたらしてくれるものだと思われました。どんな疑問か。乱歩はなぜ『探偵小説四十年』を書いたのか、という疑問です。といったあたりであすにつづきますが、ウェブ版講座「涙香、『新青年』、乱歩」、自分でいうのもあれですけど、いよいよ佳境を迎えております。



探偵趣味は絵探しであると乱歩はいった
2009年11月3日(火)

 乱歩が書いたのは本当に探偵小説であったのか。口にするのも憚られるようなこの疑問は長きにわたって私を苦しめたりはしませんでしたけれど、頭の片隅に黒ずんだ黴のようにこびりついて離れることがありませんでした。むろんこれは、乱歩が書いたいわゆる通俗長篇は探偵小説とは呼べないのではないか、といったような意味ではまったくありません。一般に探偵小説の名作佳品と見做されている初期短篇を念頭に置いた疑問だったのですが、「探偵小説三十年」の草稿に記されていた絵探しのエピソードはその疑問に解明の手がかりを与えてくれるものでした。

 発表されることがなかった「探偵小説三十年」の草稿「私が探偵小説に心酔するに至つた経路」の冒頭に、

 ──私の探偵趣味は「絵探し」からはじまる。

 と乱歩は明記しています。絵探しとは、

 ──枯枝などが交錯してゐるのを、じつと眺めてゐると、そこに大きな人の顔が隠れてゐたりする。

 といったものであって、

 ──この秘密の発見が、私をギヨツとさせ、同時に狂喜せしめた。

 そして、

 ──その感じは、後年ドイルや、殊にチエスタトンを讀んだ時の驚きと喜びに、どこか似たところがあつた。

 と乱歩は述懐しています。つまり乱歩にとって探偵趣味とは、隠されていた秘密を発見することによってもたらされる驚愕や愉悦、あるいは恐怖のことにほかならなかったというわけです。真実や真相といった野暮なものが顔を覗かせてくる気配は、そこにはまるでありません。ならば腑に落ちる、と私は思いました。たとえば乱歩のデビュー作である「二銭銅貨」、あの小説は本当に探偵小説なのかというのが長きにわたる私の疑問であったのですが、探偵趣味は絵探しであるという乱歩の断定を考慮に入れると、その疑問は真夏の陽射しにいきなり晒されでもしたかのように氷解してしまいました。

 乱歩が「二銭銅貨」で提示したのは、まさに絵探しの面白さでした。絵は最初、どこかに欠落のある南無阿弥陀仏という六字名号を連ねたものとして登場してくるのですが、それがある瞬間、点字に姿を変えてしまいます。隠されていた秘密が発見されたわけです。黒い丸だけで構成された点字は、それを判読することによって「ゴケンチヨーシヨージキドー」に始まる日本文になります。新しい絵の発見です。そしてその日本文は、八文字ずつ飛ばして読むことによって「ゴジヤウダン」という秘められていた意味を明らかにします。絵はまたしても、一見するだけでは窺い知れなかった秘密を露呈したことになります。とはいえ、ここには何の確定性もありません。八文字ずつ飛ばして読むというのは、単に作中の「私」が、つまりは作者である乱歩がそのように書いているからそのように読んでしまうというだけの話です。確定的で揺るぎのないものなど、「ゴジヤウダン」という一枚の絵のどこにも存在していないわけです。それはたまたま発見されたかりそめの絵に過ぎず、かりに十二文字ずつ飛ばして読んでみることによって、その絵にはさらに新しい意味が提示されることになるのかもしれません。

 このような確定性のなさ、すなわち不確定性、あるいは解釈次第でどうにでもなってしまう割り切れなさといったものは、探偵小説としての乱歩作品に影のようにつきまとっている傾向だといっていいでしょう。それはたとえば光文社文庫版乱歩全集第一巻『屋根裏の散歩者』の解説「まさしく珠玉の初期短編群」のなかで、山前譲さんが明智小五郎にこと寄せて、

 「名探偵であるという明智が述べているから信じてしまうのだが、必ずしも決定的な証拠があるわけではない」

 と述べていらっしゃるのと同根の問題で、八文字ずつ飛ばして読まなければならないという「決定的な証拠」はどこにもありません。読者は乱歩が「述べているから信じてしまう」しかないわけなのですが、じつは「二銭銅貨」のどこを探しても決定的な証拠によって保証される揺るぎのない確定性といったものは見つかりません。それは当然そうでしょう。「二銭銅貨」に描かれているのは絵探しの面白さにほかならず、絵探しには真実や真相といった野暮なものが顔を覗かせることはありません。「枯枝」と「人の顔」がまったく等価のものとして扱われる、それが絵探しの世界なのであって、その世界ではどちらが真実なのかという確定性は問題にされることがありません。



大乱歩のお導きで上田屋と魚民へどうぞ
2009年11月4日(水)

 まさしく佳境のウェブ版講座「涙香、『新青年』、乱歩」ではありますが、本日は時間がなくなってしまいました。代わりにといっては叱られてしまいますが、10月の2日と3日に横浜と東京でお会いしたばかりの石塚公昭さんが近くにご所用あってわざわざ当地にもお立ち寄りくださいましたので、そのあたりのゆくたてを石塚さんのブログでどうぞ。

 明日できること今日はせず:『今、夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下で。』

 滝の下で会うというのはむろん松枝清顕の臨終の言葉で、当地の観光スポット赤目四十八滝がもしかしたらその再会の場になるのでしょうか。胸騒ぎがするほど楽しみです。ちなみに「中さんの顔でお茶と団子がサービスで出てくる」店というのはこちらになっております。

 名張市観光協会:赤目四十八滝 赤目草餅本舗 上田屋

 どちらさまも赤目四十八滝においでの際はぜひこの上田屋にお立ち寄りください。最寄りの駅は近鉄大阪線赤目口駅となっております。近鉄大阪線名張駅の西口には魚民もあります。

 明日できること今日はせず:長谷寺からまた名張へ

 大乱歩のお導き、あなたもぜひ一度ご体験ください。



往年のてんぷくトリオ版「一枚の切符」
2009年11月5日(木)

 確定性なんてのはひとえに風の前の塵のようなものでしかなく、探偵趣味とはじつは絵探しなりといったん了解してしまえば、乱歩作品の割り切れなさはすんなり腑に落ちてくるように思われます。本日のウェブ版講座「涙香、『新青年』、乱歩」では「二銭銅貨」につづいて発表された「一枚の切符」をとりあげ、そこに絵探しの妙を探してみることにいたします。

 鉄道事故でひとりの人間が死亡した。その死は、当初は自殺とされ、ついで自殺に見せかけた他殺とされ、最後には自殺に見せかけた他殺に見せかけた自殺であったとされる。これが「一枚の切符」の梗概です。梗概というにはあまりにも大雑把ですが、絵探しの妙はこれに尽きています。「二銭銅貨」の場合は、六字名号が点字に、点字が日本文に、その日本文が別の日本文に、といった具合に絵は直線的に意味を変えてゆきましたが、「一枚の切符」の絵は相反する意味のあいだを行ったり来たりします。こんな感じでしょうか。

 岩波小辞典『心理学 第3版』の「図がらと地づら[figure and ground]」の項に添えられた「ルービンの図形」という絵ですが、一枚の絵が兎にも鳥にも、あるいは果物皿にも横顔にも見えるのと同様に、「一枚の切符」における一枚の絵ともいうべき鉄道事故は、残された手がかりや状況証拠をどう解釈するかによって頼りなく意味を変化させます。自殺か他殺か、白か黒か。自殺から他殺へ一転し、他殺から自殺へもう一転して、ひとまず解釈は打ち切られますが、これを継続させることはいくらだって可能でしょう。あれは自殺だった、と思っていたらじつは自殺に見せかけた他殺だった、というのは間違いで本当は自殺に見せかけた他殺に見せかけた自殺だった、ところが実際には自殺に見せかけた他殺に見せかけた自殺に見せかけた他殺なのであって、しかしそれは自殺に見せかけた他殺に見せかけた自殺に見せかけた他殺に見えるけれども最終的には自殺に見せかけた他殺に見せかけた自殺に見せかけた他殺に見せかけた自殺ということになるのだろうと安心していたらまだつづきがあり、その真実の姿は自殺に見せかけた他殺に見せかけた自殺に見せかけた他殺に見せかけた自殺に見せかけた他殺であったと思ったら……

 とどまるところを知りません。ここまでやるともうほとんどコントで、実際にたとえば往年のてんぷくトリオが演じたら爆笑ものの舞台になっただろうとも思われます。やたらドスを利かせたがる刑事が三波伸介、バカ殿様みたいな鑑識課員が戸塚睦夫、眼に偏執狂めいた光を湛えた探偵が伊東四朗、とでもいった配役で、刑事は自殺説を、探偵はそれに異を唱えて自殺説を主張しているのですが、鑑識課員が持ち出してくる証拠が自殺説に有利だと思ったら次は他殺説に有利、また自殺説を補強する証拠が出てきたと思ったら今度は他殺説を補強する証拠、と状況が猫の眼のように変化して、そのたんびに刑事が尊大になったり卑屈になったり、探偵が身を竦めたり肩を聳やかしたり、みたいなコントが見てみたいなとはほんとに思いますけれど、私がなーにばかなことを延々と述べているのかといいますと、「一枚の切符」における真実とか真相といったものはまるでコントにおけるそれのように軽いものであるということです。げんに刑事の他殺説を覆した左右田五郎という探偵役の青年は、「然し、君がこれ程優れた探偵であろうとは思わなかったよ」という友人の言葉に対し、こんなせりふを返しています。

 「その探偵という言葉を、空想家と訂正して呉れ給え。実際僕の空想はどこまでとっ馳るか分らないんだ。例えば、若しあの嫌疑者が、僕の崇拝する大学者でなかったとしたら、富田博士その人が夫人を殺した罪人であるということですらも、空想したかも知れないんだ。そして、僕自身がもっとも有力な証拠として提供した所のものを、片ッ端から否定してしまったかも知れないんだ。君、これが分るかい、僕が誠しやかに並べ立てた証拠というのは、よく考えて見ると、悉くそうでない、他の場合をも想像することが出来る様な、曖昧なものばかりだぜ。唯だ一つ確実性を持っているのは、例のPL商会の切符だが、あれだってだ、例えば、問題の石塊の下から拾ったのではなく、その石のそばから拾ったとしたらどうだ」

 つまり、「自殺に見せかけた他殺」がじつは「自殺に見せかけた他殺に見せかけた自殺」であったことを証明してみせた左右田は、その証拠がじつは「曖昧なものばかり」であることを打ち明け、「唯だ一つ確実性を持っている」証拠は捏造によるものだったかもしれないと仄めかしているわけです。確定性や確実性、あるいは真実や真相などといったものはひとえに風の前の塵のようなものでしかなく、兎であろうが鳥であろうが、果物皿であろうが横顔であろうが、「枯枝」と「人の顔」が同時に存在している絵探しの絵のように、一枚の絵にふたつの図柄を見ることができれば乱歩の探偵趣味はおおきに満足させられたというわけでしょう。いやー、びっくりしたなあもう。



探偵よりも空想のほうが優位にある世界
2009年11月6日(金)

 「一枚の切符」の終幕において、素人探偵の左右田五郎は鉄道事故が他殺であったかもしれないと仄めかします。自殺であるという結論は曖昧な証拠によってしか支えられておらず、そればかりか唯一確実な証拠がじつは捏造されたものであるという可能性さえある。左右田はそう指摘し、いったんは確定したはずの一枚の絵の意味をふたたび不確定性の靄で包み込んでしまいます。左右田の仄めかしを受けた読者のほうは、その仄めかしこそが真実であると了解することになるはずです。

 左右田はなぜそんなことを、真実をあえて曲解してしまうようなことをしたのか。犯人とされていた「僕の崇拝する大学者」を救うために、というのが左右田の仄めかすところなのですが、実際にはどうだったのでしょう。左右田が求めていたのはおそらく、相反するふたつの意味を示す一枚の絵にみずからの意志でいずれかひとつの意味を確定させる面白さ、とでもいったものではなかったかと思われます。左右田は「その探偵という言葉を、空想家と訂正して呉れ給え」と述べているのですが、この言葉が意味しているのはどういうことなのか。探偵としてたったひとつの真実を究明することよりも、真実の絶対性などは度外視してしまい、眼前にある一枚の絵にもとづいて自由な空想に耽ることのほうがはるかに面白い。それが左右田の真意であり、「一枚の切符」における絵探しの妙であったのではないかと考えられます。

 探偵することと空想すること。左右田はこのふたつの言葉を対比的に使用していますが、もしかしたらこれは驚くべきことであるのかもしれません。そもそもデビュー第二作であるこの「一枚の切符」は、原稿末尾の日付によればデビュー作である「二銭銅貨」より先に執筆されたことになっています。習作を除けばこれこそが処女作と呼ばれるべき作品なのですが、乱歩はその実質的な処女作である「一枚の切符」において、探偵することと空想することとは別のものであり、探偵よりも空想のほうが優位にあると高らかに宣言してしまっているわけです。それはそのまま、絶対的な真実など存在しない絵探しの世界の世界観ではないかと私には思われます。



ポプラ文庫版少年探偵シリーズ堂々完結
2009年11月7日(土)

 これはしたり。私としたことがきのうの残日録の第一段落、自殺とあるべきところを他殺、他殺とあるべきところを自殺と記してしまっておりました。気がついた時点で訂正しておいたのですが、ことほどさように自殺だろうが他殺だろうがどっちにしたってたいしたことではなく、そんなものは解釈次第でどちらにも転ぶのであるというのが「一枚の切符」に示されていた絵探しの妙であって、といったようなことをひきつづき述べるべきところではありますが、ちょいとした都合によりましてあすにつづくといたします。

 話はまったく変わりますが、ポプラ文庫の少年探偵シリーズが堂々完結いたしました。本屋さんで確認したわけではありませんが、というか当地の新刊書店では見かけないのですが、全二十六巻をセット販売するための収納ケースがあるようです。ちょっと見はそこらのドーナッツ屋さんのパッケージみたいですけど。

 少年探偵シリーズの完結を記念した特製記念グッズプレゼントというのも堂々展開されているらしく、その賞品はと見てみればA賞が小林少年フィギュアストラップ、B賞がオリジナルポストカード、そしてC賞がこの収納ケースということになっております。ではまたあした。



歌舞伎のあとは常磐津まである乱歩の秋
2009年11月8日(日)

 どうも雑用が多くていけません。きのう7日はじつは亡母の一周忌だったものですから、雑用といってしまってはあれですけれどお寺に行ったり昼間からお酒を飲んだりいろいろあって、きょうはとくにこれといって予定のない日ではあったのですが、それでもなんやかんやとやっぱりいろいろ。ウェブ版講座「涙香、『新青年』、乱歩」も飛び飛びになりがちで興が殺がれるとおっしゃる向きもおありでしょうが、まあ気長におつきあいいただきたいと思います。10月3日のトーク&ディスカッションは頂戴した持ち時間がいささか不足気味となり、やむなく駈け足で済ませたところもありましたので、このウェブ版講座ではそのあたりをじっくり語ろうかとも考えていたのですが、そうするとまた話がどんどん膨らんでしまうことにもなりそうで、それはそれで問題だろうなとも思われます。まあたいした問題ではありませんが。

 ここでひとつお知らせです。乱歩が歌舞伎になったとびっくりしたのが去年の秋、今年の秋には乱歩がふたたび歌舞伎になったというわけだったのですが、乱歩はこの秋なんと常磐津にもなっています。ところで常磐津って何? とおっしゃる諸兄姉はまずこちらをどうぞ。

 Yahoo!百科事典:常磐津節

 11月13日、その名も「乱歩『怪かし』の夜」というステージがあって、常磐津と日本舞踊による「火星の運河」、常磐津とパントマイムによる「お勢登場」が披露されるようです。

 荒川区ムーブ町屋:第4回たのしい常磐津の時間

 いくら生誕百年だからといって太宰が歌舞伎になったとか清張が常磐津になったとか、そんな話はまったく耳にしませんから、乱歩作品はいわゆる二次利用の素材としても抜きん出た魅力を有しているということだと思います。そういえば、乱歩の「人間豹」にインスパイアされて「山月記」を書いたなどという事実はもちろん確認されておりませんけれど、やはり生誕百年を迎えた中島敦はどうなのかと思い返してみますと、二次利用がどうこうというよりも神奈川近代文学館で企画展が催された以外にはろくに話題にさえなっていないありさまで、乱歩の圧倒的なポピュラリティというやつをあらためて思い知らされるような気がいたします。

 さて本題に戻って絵探しの話ですが、ここで整理をしておきますと、乱歩は絵探しの魅力について「何気なき風景画の中から、ボーツと浮かび上つて耒る巨人の顔の魅力が、最も恐ろしく、面白かつた」と述べていました。一枚の絵に隠されている別の絵を発見する面白さが、幼い乱歩をどんな遊びよりも夢中にさせたというわけです。たしかにそれは探偵趣味に通じるもので、犯罪という一枚の絵に隠されている真実という別の絵を探す面白さは探偵小説の醍醐味でもあるといえないでもありません。しかし絵探しの世界には、揺るぎのない真実というものは存在しません。風景画はやはり風景画であり、いくらそのなかに巨人の顔を発見したからといって、それが風景画でなくなってしまうことはあり得ません。幼い乱歩がそこに探偵趣味を感じ取った絵探しの面白さを、そのまま探偵小説の面白さであると断言してしまうことにはやや無理があるように思われます。

 デビュー作の「二銭銅貨」と実質的な処女作である「一枚の切符」をとりあげ、絵探しめいた妙味をいささか強引に探してみましたところ、「二銭銅貨」には一枚の絵がとてもわかりやすい形で示されていました。六字名号を書き連ねた一枚の紙がその絵と呼ぶべきもので、絵のなかに描かれていたもうひとつの絵は最後に至って「ゴジヤウダン」という隠されていた意味を顕わにします。「一枚の切符」はどうかといいますと、鉄道事故が一枚の絵であると考えてみた場合、自殺と他殺というふたつの意味のあいだを往復したあとでひとつの結論が提示され、つまりは絵に隠されていた別の絵が明らかにされて絵の意味が確定されることにはなるわけです。

 しかしどちらの作品における結論も、絶対的な証拠によって揺るぎなく保証された真実ではありませんでした。とくに「一枚の切符」では、確定された結論がふたたび不確定性のなかに押し戻されてしまいます。たとえば「陰獣」がそうであるごとく、読者を曖昧さのなかに置き去りにしてしまうのは乱歩が好んだ、いや好んだかどうかはわかりませんが、乱歩がしばしば見せた手法であったことはたしかでしょう。もしも嘘だとお思いなら、「二銭銅貨」と「一枚の切符」につづくデビュー三作目の「恐ろしき錯誤」を読み返してごらんになるといいでしょう。読み終えた読者は曖昧な寄る辺なさのただなかに迷子のように放り出され、確定的な真実などはどこにも存在しないのだと思い知らされることになるはずです。



曖昧な日本の私とフランス映画「陰獣」
2009年11月9日(月)

 たとえば「陰獣」がそうであるごとく、ときのうの残日録に記したからというわけでもないのですが、東京で8月に封切られたフランス映画「陰獣」が大阪ではシネヌーヴォXなる小屋で10月31日から公開されておりますので、雑用の合間を縫って本日、大急ぎで観てまいりました。

 シネヌーヴォ:『陰獣』

 なにしろ雑用の合間ですから上映開始直後に滑り込み、上映が終わったらそのままとっとと帰って来る慌ただしさ。大阪へ出かけてしらふで帰ってくるなんてのはまずめったにないことです。

 日本語版のパンフレットはつくられていないとのことでしたので、フランス語版の公式サイトにあったパンフレットのPDFファイルを無断転載しておきます。二十四ページもあります。フランス語に堪能な方ならお楽しみいただけることでしょう。いうまでもなく私は全然。

 たとえば「陰獣」がそうであるごとく、読者を曖昧さのなかに置き去りにしてしまうのは乱歩が好んだ、いや好んだかどうかはわかりませんが、乱歩がしばしば見せた手法であったことはたしかですから、そのあたりがこのフランス映画「陰獣」ではどんな具合に処理されているのか。遠く古代ギリシアに源を発する合理主義という精神風土において曖昧な日本の私(お忘れの方もおいでかもしれませんけれど、大江春泥ならぬ大江健三郎さんのノーベル文学賞受賞記念講演のタイトルが「あいまいな日本の私」でした)たる大江春泥はどんな結末にその姿を溶暗させてしまうのか。そういった点が結構気になっていたのですが、実際にはもう、当然といえば当然というしかないことなのですが、曖昧さなどどこにも見出せずきれいに割り切れてしまう結末となっておりました。大江春泥を担当したせいで精神を病んでしまった博文館ならぬ白文館の元編集者、という原作にはない登場人物の口から大江春泥の秘密は残りなく明らかにされ、曖昧さの霧や割り切れなさの靄なんてものをきれいに吹き払って映画は幕を閉じます。ネタを割ることは差し控えることにいたしますので、乱歩ファンのみなさんには可能であれば映画をご覧いただきたいと思います。

 大阪での上映のことしか気にかけていなかったのですが、このフランス映画「陰獣」は金沢ではシネモンドで10月10日から16日まで、京都では京都駅ビルシネマで10月16日から24日まで(なぜか21・22両日を除く)公開されていたそうで、現在ただいまは11月7日から12日まで那波の桜坂劇場で上映中。

 桜坂劇場:陰獣 INJU

 つづいて名古屋ではシネマスコーレで12月上旬から、松山ではシネマルナティック湊町で12月中旬から観ることができるようです。



それは本当に探偵小説なのかという疑問
2009年11月10日(火)

 話題が酔っ払いみたいにふらふらして恐縮至極なのですが、ウェブ版講座「涙香、『新青年』、乱歩」第三講のつづきです。ついでですから乱歩のデビュー三作目「恐ろしき錯誤」にも触れておきますと、ここまで来るとこれはほんとに探偵小説なのかと首を傾げざるを得ません。描かれているのが妄想と呼ぶしかないものだからです。「一枚の切符」の左右田はみずからを「空想家」と規定し、「僕の空想はどこまでとっ馳るか分らないんだ」と打ち明けていましたが、「恐ろしき錯誤」の北川は空想家どころか妄想家と呼ぶしかない人物で、妄想を際限もなく肥大させたあげく破滅を招いてしまいます。なにしろ作者本人が作中に、

 ──彼は一つ間違うと気違いになり兼ねぬ様な素質を多分に持っていた。いや、現に、妙子の死因についてのある突飛な想像、野本氏に対するあの奇怪なる復讐、それらは北川氏の正気を信ずるには余りに気違いじみた思想ではなかったか。

 と記しているほどで、読者はいってみれば作者公認の気違いがくりひろげる野放図な妄想につきあわされることになります。妄想の出発点は火事でした。隣家から出火して北川の自宅も丸焼けになり、のみならずその炎のなかで北川の愛妻は焼け死んでしまいました。つまり北川は妻の無意味な死を容認することができず、妻の生の尊厳を回復するべく火事の背後に意味を、あるいは物語を探し始めたというわけでしょう。それは絵探しのようなものである、といえないでもないかもしれません。妄想を肥大させた北川は眼の前にある一枚の絵からひとつの意味を、あるいは物語を、というよりは真実を探し出したと確信するに至るのですが、結局は本当に発狂してしまい、確定的な真実はついにどこにも示されないまま、読者は曖昧な寄る辺なさのなかに迷子のように放り出されてしまいます。これは探偵小説の範疇に含まれる小説ではないと感じる読者は、おそらく少なからず存在しているのではないかと思われます。

 興味深いのは乱歩がこの「恐ろしき錯誤」におおいに自信を抱いていたという事実です。「一枚の切符」も同様に自信作だったようです。桃源社版全集の「あとがき」から引いておきましょう。まず「一枚の切符」について。

やはり「二銭銅貨」の方がいろいろな意味で面白いので、この「一枚の切符」はその蔭に隠れてしまったが、書いたときには、私はこの二作に甲乙をつけていなかった。謎解きとしては「一枚の切符」の方が複雑で読みごたえがあるとさえ思っていた。

 つづいて「恐ろしき錯誤」。

「二銭銅貨」と「一枚の切符」を「新青年」編集長森下雨村さんに送って好評だったので、気をよくして、大いに気負って書いた三番目の作品なのだが、私が小説家として未熟であることを暴露したような結果となり、森下さんに長いあいだ握りつぶされていて、大震災のあとの復活号にやっとのせられたものである。

 「二銭銅貨」における絵探しは曲がりなりにもひとつの結論にたどりついていましたが、「一枚の切符」と「恐ろしき錯誤」における絵探しはいってみれば確定性を拒絶するもので、乱歩はたったひとつの揺るぎない真実といったものにはまったく拘泥していません。にもかかわらず「一枚の切符」は「二銭銅貨」よりも謎解きとしては複雑で読みごたえがあり、「恐ろしき錯誤」は前二作の好評を受けて「大いに気負って書いた」作品であったと述べているのですから、乱歩にとって謎解きや探偵小説というのはどんなものであったのか、もしかしたらわれわれが考えている謎解きや探偵小説に比較すると微妙なずれが存在しているのではないか、といった疑問が生じてくるのを禁じることができません。

 といったところでいよいよ第四講です、と申しあげたいところなのですが、ちょっと思いつきましたので「一枚の切符」と「恐ろしき錯誤」のいわゆる後世の評価というやつを知っておくために、乱歩作品のアンゴールデンサーティーンなるものを確認しておきたいと思います。これは昨年8月、乱歩が岩波文庫入りを果たしたことを祝福するためにちょっと調べてみたものなのですが、そういえば岩波文庫の『江戸川乱歩短篇集』は、とまたしても酔っ払いみたいに話題がふらふらしてしまうわけですが、当地の書店でふと手に取ってみたところこんな帯が巻かれていましたのでご紹介申しあげておきます。

 帯をゲットするために同じ本を二冊も買ってしまったのはわれながらばかみたいだと思いますが、奥付を開くと「2009年5月7日 第2刷発行」とありますから、岩波文庫の『江戸川乱歩短篇集』は人知れず、いや人知れずというのも変ですけど、とにかく増刷されていたというわけです。信頼できる消息筋からの情報によれば第一刷はわずか六千部の発行だったとのことですから、岩波もまあ手堅いというか弱気というか、そんなようなことですから増刷がかかったのは当たり前のことではあるでしょうけれど。



英国人女性死体遺棄容疑者逮捕記念特番
2009年11月11日(水)

 最初に近刊の予告をひとつ。

 勉誠出版:江戸川乱歩 徹底追跡

 「徹底追跡」という言葉がおおきに期待を抱かせてくれますが、追跡といえば逃亡、逃亡といえば整形。一昨年3月、英会話教室の講師だったどこかブルック・シールズ似の英国人女性が遺体になって発見された事件で逃亡生活をつづけていた三十歳の男性がきのう死体遺棄容疑で逮捕されるに至りましたが、この容疑者が整形手術で顔を変えていたという報道に接して乱歩を連想した乱歩ファンはごくわずかだったものと思われます。

 人体改造術こそは乱歩にとって見果てぬ夢のひとつであったわけなのですが、美容整形など当節では珍しいものでも何でもなく、たとえば公訴時効直前に逮捕されて話題になった松山ホステス殺害事件の犯人も十五年近い潜伏生活中に整形手術をくり返していたと伝えられますから、逃亡のために整形するのはいまではごく当たり前の発想だといっていいでしょう。しかしこれが戦前となると、話はまったく違ってきます。昭和9年といいますからいまから七十五年前、乱歩は「石榴」に人体改造術という見果てぬ夢を託し、整形手術で容貌を一変させて逃亡をつづける犯罪者を描きました。みたいなことをここにしっかり書き綴ることができるのはつい先日、乱歩が「石榴」について語っているところを読んだばかりだからです。だからこそきのう逮捕された容疑者の逃亡劇から、もう迷うことなく一直線で乱歩を連想してしまったわけなのですが。

 いまも発行されている「歯界展望」の昭和25年7月号に「犯罪と歯科──推理作家から見た──」という鼎談が掲載されていて、そのコピーを送ってくださった方がありました。当該箇所のスキャン画像をお読みいただくことにいたしましょう。

 古畑種基の「今後は日本でもそういうものが出て来ないとは限りませんね」という言葉に乱歩は「そうですね」と答えているのですが、まさにそういうものが普通に出てくる世の中とはなりました。天国の乱歩は地上における人体改造術の進化をどんな思いで見守っているのやら、みたいなことはみたいなこととして、地上においては今回の逮捕劇から乱歩の見果てぬ夢に思いを馳せた人間はほとんどいなかったとおぼしく、新聞のコラムでもせいぜい安部公房が連想されている程度でした。

 中日新聞 CHUNICHI Web:中日春秋 2009年11月11日

 以上、特番でした。以下はきのうのつづき、乱歩作品のアンゴールデンサーティーンの話題となります。早い話がこれなわけですが。

 人外境主人伝言:乱歩アンソロジー評判 1990年代篇(2008年9月6日)

 乱歩歿後の個人アンソロジーに収録されることの多かった短篇を調べてみました。個人アンソロジーというのは要するに乱歩の作品集という意味で、岩波文庫『江戸川乱歩短篇集』とか新潮文庫『江戸川乱歩傑作選』とか、ああいった本のことです。

 アンソロジーといえば、きのう発売された文春文庫の『我等、同じ船に乗り』は桐野夏生さんの編による日本文学のアンソロジーで、谷崎や太宰や安吾に並んで乱歩作品も採られております。

 やっぱ「芋虫」です。岩波の教養主義が敬して遠ざけた「芋虫」が収録されているわけで、桐野さんの気っ風には心からの敬意を表しておきたいと思う次第ですが、それはそれとして乱歩の個人アンソロジーに採られることの多かった十二作品はこれでした。

 乱歩短篇ゴールデンダズン(得票順)
  押絵と旅する男 14票
  人間椅子 13票
  心理試験 12票
  屋根裏の散歩者 10票
  鏡地獄 10票
  二銭銅貨 9票
  芋虫 9票
  D坂の殺人事件 8票
  防空壕 7票
  目羅博士 7票
  赤い部屋 6票
  二癈人 5票

 人気がない作品も調べてみました。

 人外境主人伝言:不遇をかこつアンゴールデンサーティーン(2008年9月11日)

 乱歩歿後の個人アンソロジーにただの一度も収録されなかった短篇が十三作品ありました。

  乱歩短篇アンゴールデンサーティーン(発表順)
  一枚の切符 大正12年
  恐ろしき錯誤 大正12年
  日記帳 大正14年
  算盤が恋を語る話 大正14年
  盗難 大正14年
  夢遊病者の死 大正14年
  指環 大正14年
  疑惑 大正14年
  接吻 大正14年
  覆面の舞踏者 大正15年
  モノグラム 大正15年
  地獄風景 昭和6年
  火縄銃 昭和7年

 つまりまあ、乱歩によれば「二銭銅貨」よりも謎解きとしては複雑で読みごたえがあった「一枚の切符」も、前二作の好評を受けて「大いに気負って書いた」作品であった「恐ろしき錯誤」も、後世の評価は決して芳しいものではないのであるということになるでしょう。



クヴィレット号不明児童大発見記念特番
2009年11月12日(木)

 いやー、いい。これはいい。ほんとにいいと思います。2ちゃんねるニュー速+板の本日のベストニュースはこれで決まりでしょう。スレタイもなかなか秀逸ですし。

 ニュース速報+@2ch掲示板(対馬):【社会】 "子供が行方不明"で捜査犬クヴィレット出動→3分で子供発見→クヴィレット、感謝状にかしこまる…福島(画像あり)★2

 元ネタはこれ。

 福島民報:犬が不明児童を発見 出動から3分で(11月12日)

 いまの日本人はこういうニュースに、というかこういうニュース写真に飢えているということなのでしょうか。きのう話題にした事件のほかにもあっちこっちで猟奇的な事件が踵を接するように発生しているみたいですし、おととい逮捕された例の容疑者に殺到したカメラマンによるいわゆるメディアスクラムには度が過ぎるという言葉では表現できないほどのものがあったとも伝えられますから、こちらもなんだか殺伐とした気分になっているところを狙い澄ましたかのようにこのニュースです。すでに二スレ目に突入している2ちゃんねるではかわええ、かわゆす、たまらん、和んだ、癒された、お茶噴いた、なんか泣けてくるなどと圧倒的な人気を博しているクヴィレット・フォン・ワカミシンドー号。福島民報のウェブニュースにあった写真を思わず無断転載しておきます。

 しかしいい。ほんとにいい。何度見ても笑える。この子にだけはうちの犬っころも鎧袖一触で完敗です。コーギーなのに断尾しなかった長いしっぽに白旗をくくりつけてちぎれるほどに打ち振るしかありません。こうなったら福島県民は一致団結して浄財を持ち寄り、このポーズのまんま渡部七郎さんとクヴィレット号の銅像をつくってやれよほんとに、とさえ思ってしまう次第なのですが、このあとにつづけてやれ殺人がどうの犯罪がこうのといった話題を書き綴るのはさすがに気が引けてしまいますので、勝手ながらつづきはあしたということにいたします。しっかしいいなあほんとに。



われもし「新青年」の森下雨村なりせば
2009年11月13日(金)

 一夜明けてもクヴィレット・フォン・ワカミシンドー号の人気は衰えることを知りません。2ちゃんねるではなんと三スレまで行ってます。

 ニュース速報+@2ch掲示板(対馬):【社会】 "子供が行方不明"で捜査犬クヴィレット出動→3分で子供発見→クヴィレット、感謝状にかしこまる…福島(画像あり)★3

 朝のワイドショーにも登場したようです。

 動画も来てました。

 ほんとにクヴィレット嬢はいい子だと思いますけど、いつまでもよそんちの犬で和んでばかりもいられません。犯罪や殺人の世界に舞い戻ることにいたしまして、ウェブ版講座「涙香、『新青年』、乱歩」はいまだ第三講をうろついている最中なのですが、ものはついでと先月3日のトーク&ディスカッションではいっさい触れなかった領域にまで踏み迷ってしまいましょう。後世の評価が決して芳しくはない「一枚の切符」と「恐ろしき錯誤」を書いたあと、乱歩は結構ふてくされていたみたいです。桃源社版全集の「あとがき」から「恐ろしき錯誤」について述べられたところを再度引きます。

「二銭銅貨」と「一枚の切符」を「新青年」編集長森下雨村さんに送って好評だったので、気をよくして、大いに気負って書いた三番目の作品なのだが、私が小説家として未熟であることを暴露したような結果となり、森下さんに長いあいだ握りつぶされていて、大震災のあとの復活号にやっとのせられたものである。私はこの三番目の作で自分の力にあいそをつかし、一時は、もう小説を書くまいと思っていたのだが、その後、また強く督促を受けたので、つい「二癈人」「双生児」と書きつづけたわけである。

 「もう小説を書くまいと思っていた」というのですからただごとではありませんが、これは自作を客観的に評価した上でのことではなく、「森下さんに長いあいだ握りつぶされてい」たことによる判断でしょう。とはいえ実際には「二銭銅貨」が4月号、「一枚の切符」が7月号、「恐ろしき錯誤」が11月号に掲載されていて、しかも10月号は「大震災記念号」だったわけですから、むしろ新人としては破格の待遇で「新青年」の誌面を飾っていたというべきだと思われます。昭和4年に発表された「あの作この作」で、乱歩はこんなことも述べているわけですが。

 「二癈人」はそれから三度目か四度目に書いたものだが、二度目に書いた「恐ろしき錯誤」というのが余り好き勝手なことを長々と書いたものだから、編輯者の気に入らず、半年程も握りつぶされていたのに気を腐らし、もう小説はやめたと極めていると、大地震で外の原稿がなくなったせいか、地震後最初の号に、数篇の創作物と一緒にのった。それで又書き始める気になったのだから、「二銭銅貨」から「二癈人」までの間には、一年以上の月日がたっている訳です。もうその頃は、私は大毎の広告取りになっていて、仲々収入もあったから、一円の稿料なんか欲しいとも思わず、どうでもいいという調子で書いていた。すると不思議なもので、一円五十銭、二円と編輯者の方で稿料を上げて下さるのだ。その頃は、可愛いことには、せめて一枚四五円になったらなあと、稿料の為替を睨んで歎息したものです。

 やはり「編輯者の気に入らず、半年程も握りつぶされていた」ことが乱歩をふてくされさせていたようなのですが、「強く督促」したり「稿料を上げて下さ」ったり、森下雨村は稀有な資質を持った新人作家を一人前に育てるべく、乱歩を粘り強く督励していたと見るべきでしょう。かりに私が雨村の立場にあったとしても「恐ろしき錯誤」の出来にはいささか首を傾げ、にもかかわらず乱歩に見切りをつけることなどは絶対にしていなかったはずです。雨村もやはり作品を督促し、それを受けて書かれたのが「二癈人」でした。これは乱歩短篇ゴールデンダズンにも顔を見せている佳品なのですが、乱歩はここでも霧のような曖昧さで作品を包んでいます。青島の戦役で「見るも無慚に傷いた顔面」を持つ男の正体が誰であるのか、他人の顔になってしまう前の本当の顔はどんな顔であったのか、むろん仄めかしはあるものの、決定的な明確さを最後まで示さないまま「二癈人」は終わりを告げてしまいます。



絵探しの探偵趣味を探偵小説に接続する
2009年11月14日(土)

 「二癈人」につづいて発表されたのが「双生児」でした。副題は「ある死刑囚が教誨師にうちあけた話」。死刑囚が誰にも知られていなかった犯罪を一人称で告白するという内容ですから、ここには曖昧さや割り切れなさの気配はありません。隠されていた犯罪が残りなく打ち明けられ、秘められていた真実はその相貌を顕わにします。

 「二銭銅貨」からひいふうみいと数えて「双生児」は五番目の作品になるわけですが、この五作品だけに限っていうならば、作品のなかで真実が揺らぎなく確定されているのは珍しいことです。ついでに記しておけば、五作のうち「私」という一人称で語られた作品は「二銭銅貨」と「双生児」だけで、むろん「二銭銅貨」における暗号の解読は以前にも記しましたとおり「じつは『二銭銅貨』のどこを探しても決定的な証拠によって保証される揺るぎのない確定性といったものは見つかりません」といったあんばいのものなのですが、少なくとも作中の「私」が「ゴジヤウダン」を真実であると主張しているその主張自体には揺らぎがないということになります。

 デビュー以来のこれら五作品にはいったい何が示されているのか。真実というものの不安定さではないかと私には思われます。真実なんてしょせん「私」にとっての真実でしかなく、それゆえ一人称でしか語ることができないものである。乱歩はそんなふうに感じていたのかもしれません。そして作中で確定された真実そのものも、決して絶対的な重さを持っているわけではありませんでした。たとえば「一寸法師」の終幕、明智小五郎はこんなことを述べ、「一枚の切符」の左右田と同じ論理で真実を捏造したことを仄めかしています。

 「例えばだね、小松の絞め殺されていることが、キューピー人形を毀すまでもなく、前もって僕に分っていたのかも知れない。そして、悔悟した三千子さんを救う為に、死にかかっている一寸法師をくどき落して、うその告白をさせる……巧に仕組まれた一場のお芝居。という様なことはまったく考えられないだろうか。分るかい。……罪の転嫁。……場合によっちゃ悪いことではない。殊に三千子さんの様な美しい存在をこの世からなくしない為にはね。あの人は君、全く悔悟しているのだよ」

 「二銭銅貨」から「双生児」に至る五作品に示されているのは、真実や確定性に対する根源的な疑問の念、あるいは真実が確定されてしまうことへの曖昧な嫌悪感ではないかと思われます。それは単なる小説技法の問題ではなく、乱歩個人の作家的本質に関わる問題、つまりは世界観の問題ということになるでしょう。デビュー当時の乱歩が拠って立っていたのが絵探しの世界の世界観であったとすれば、探偵作家としての乱歩にまず要請されたのは、真実とは無縁な絵探しに発した探偵趣味を探偵小説の世界に接続することであったはずです。



横溝正史生誕地碑建立五周年記念講演会
2009年11月15日(日)

 本日は横溝正史関連のお知らせから。11月22日というともう一週間後のことなのですが、神戸にある正史生誕地碑の建立五周年記念イベントが催されます。もう五周年か。早いものです。建立直後に撮影した生誕地碑はこんなでした。

 五年間の風雪というか港神戸の潮風に耐えて、この碑もいまでは当初よりずっと落ち着いたたたずまいを見せているはずなのですが、毎年欠かさずに催されている記念イベント、今年はこんな感じです。

横溝正史先生生誕地碑建立5周年
記念イベントのお知らせ

日時 平成21年11月22日(日) 午後2時から

場所 東川崎地域福祉センター
   〒650-0044
   神戸市中央区東川崎町5-1-1
   TEL 078-652-3866

内容 講演「私にとっての横溝正史」(仮題)
   推理小説作家 有栖川有栖さん

主催 東川崎ふれあいのまちづくり協議会
   神戸探偵小説愛好會

会場(東川崎地域福祉センター)への地図

 どちらさまもお誘い合わせてご参加いただければと思います。Yahoo!天気情報によれば11月22日の神戸のお天気は曇時々晴、降水確率は30%となっております。

 神戸につづいては同じ港町、鳥羽の話題もどうぞ。11月30日まで「鳥羽街歩きと伊勢海老お料理大学 鳥羽の古い町並み×鳥羽の食材!」が楽しめるプログラムもあるみたいです。

 旅の発見:「江戸川乱歩ゆかりの地&城下町・鳥羽」街歩き

 鳥羽につづいては同じ三重県、当地名張はといいますと、乱歩関連の話題は何もありません。10月21日の乱歩のお誕生日にも何もありませんでした。乱歩の秋なんてどこの話よ、みたいな感じではあったのですが、そういえば神奈川近代文学館の「大乱歩展」もきょうが最終日ですから、乱歩の秋もそろそろおしまいといったところでしょうか。時が流れるお城が見える、無疵な心がどこにある、となぜか感慨にふけってしまいます。

 とはいうもののなかなか終わらないのがウェブ版講座「涙香、『新青年』、乱歩」。なんだか世の中の動きから取り残されてるような感じもいたしますが、いまだ第三講の途中です。ここまでのところを振り返ってみますと、「新青年」で連載が始められた「探偵小説三十年」には発表されなかった草稿が存在していて、「私が探偵小説に心酔するに至つた経路」という小見出しが立てられたそれは、

 ──私の探偵趣味は「絵探し」からはじまる。

 という文章で始まっていました。えッ、探偵趣味は絵探しだって? と驚いたあとでつらつら考えてみましたところ、なるほどそうかもといたく腑に落ちるところがありました、みたいな話が延々とつづいております。「二銭銅貨」の勘どころは六字名号がある瞬間に点字に変貌したという点なのですが、それはまさしく絵探しだったのではないか。幼い乱歩を夢中にさせた絵探しとは、

 ──何気なき風景画の中から、ボーツと浮かび上つて耒る巨人の顔の魅力が、最も恐ろしく、面白かつた。

 といったようなものであって、これを要するに眼前の光景が一転瞬の間にそれまでとはまったく違った意味をもって迫ってくるのが絵探しの世界だということでしょう。眼の前の世界が須臾の間にいまひとつの世界に変貌してしまう面白さ、それが絵探しの醍醐味であって、そういえば大正15年発表の「今一つの世界」というエッセイに、乱歩はこんなような嘆きと夢を記していました。

 またしても同じ女房の顔、同じちゃぶ台、珍らしくもない米の飯、この部屋の次にはあの部屋があって、あの部屋の次には応接間、そこのシャンデリヤも、テーブルかけも、絨氈も、花生けも、それから又、会社に出勤すれば、見なれたデスク、見なれた同僚、十年一日の如く金儲け、金儲け、この世は、まあ何と退屈な、極りきった、感激のない世界でしょう。
 ここにもし、それらのものとは全く違った、全く目新しい、「今一つの世界」があって、魔法使いの呪文か何かで、パッと、それが我々の目の前に現れたなら、そして、例えば龍宮へ行った浦島太郎のように、その世界で生活することが出来たなら、我々はまあどんなに楽しく生甲斐のあることでしょう。

 乱歩が何よりも欲しかったのは、眼前の光景をあっというまに「今一つの世界」に変貌させる「魔法使いの呪文」ではなかったのか、換言すれば現実を絵探しの世界にしてしまう呪文ではなかったのかと思われる次第なのですが、ウェブ版講座「涙香、『新青年』、乱歩」、本日はここまでといたします。



講座「涙香、『新青年』、乱歩」第四講
2009年11月16日(月)

 きのうのつづきです。いま眼の前にあるこの変わり映えのしない、くすんだような、十年一日の、どこにも心躍るところのない、退屈きわまりない世界、これがほんとに自分が生きている世界であっていいのだろうかというのが乱歩の嘆きであり、しかしこの見慣れた見飽きた世界にはじつは「今一つの世界」が隠されていて、「魔法使いの呪文」さえあれば「パッと、それが我々の目の前に現れ」てくるのではないかというのが乱歩の夢であったのだとすれば、なんかもうえらいことになってくるのではないでしょうか。探偵小説こそが乱歩にとって「魔法使いの呪文」であったのだとすれば。

 ちなみに記しておきますと、乱歩の嘆きは乱歩作品の登場人物にも色濃く投影されておりました。たとえば「屋根裏の散歩者」の郷田三郎。

 ──多分それは一種の精神病ででもあったのでしょう。郷田三郎は、どんな遊びも、どんな職業も、何をやって見ても、一向この世が面白くないのでした。

 三郎はたまたま発見した屋根裏の散歩という「魔法使いの呪文」によって退屈な「この世」に「今一つの世界」を発見することができたわけですが、ならば乱歩にとって「この世」を「今一つの世界」に変えてしまう「魔法使いの呪文」は何であったのかということになりますと、それこそが探偵小説であったのだというしかありません。探偵小説こそは現実の向こうにあるはずの「今一つの世界」への扉を開ける鍵、眼前の世界にまったく新しい意味を見出すための絵探しの秘鍵であったはずです。しかしそうなると、乱歩が書いたのは本当に探偵小説であったのだろうか。そんな疑問が沸々と生じてくるのを、私にはどうしてもとどめることができません。

 いよいよ第四講です。

 探偵小説の定義

 いまさら確認するまでもないことですが、「探偵小説の定義と類別」に記された乱歩による探偵小説の定義を確認してみて、私は思いっきりのけぞってしまいました。『幻影城』でもゴシック体になっていますからここにも太字で引用することにして──

探偵小説とは、主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれて行く経路の面白さを主眼とする文学である。

 なんか変じゃね? どっかおかしくね? そんな疑問が沸々と抑えがたく生じてくるのを、私にはどうしてもとどめることができませんでした。



この世に「難解な秘密」が存在するのか
2009年11月17日(火)

 乱歩による探偵小説の定義は乱歩ファンのみならず本邦の探偵小説ファンに広く親しまれているはずのもので、むろん私とていくらでも暗誦できるほど頭に刻みつけているつもりではいたのですが、あらためて読み返してみておおきに首を傾げてしまった箇所がありました。

探偵小説とは、主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれて行く経路の面白さを主眼とする文学である。

 天をも畏れぬことを書き連ねますと、日本語がおかしい。どこがおかしいのか。「難解な秘密」という文言がおかしい。読み返せば読み返すほど、ますますおかしいと思えてきます。そもそも秘密というのはひとつの状態のことであって、手近な辞書を開いてみても「他人に知られないようにすること」「隠して人に見せたり教えたりしないこと」「隠して人に知らせないこと」「公開しないこと」といった語釈が記されています。つまり秘密そのものには難易の差など存在しておらず、乱歩のいう「難解な秘密」とは厳密には「難解な謎によって隠された秘密」と表現すべきものなのではないか。「難解な秘密」というフレーズは、日本語として間違ってるとまではいいませんけど、日本語としていささか据わりの悪いものであることはたしかでしょう。

 論より証拠。ググってみましょう。

 Google:難解な秘密

 「難解な秘密」という用例は、乱歩の定義からの引用を除けば、ただのひとつもひっかかってこないみたいです。ならばこちらは。

 Google:難解な謎

 ご覧のとおり「難解な謎」ならどこにでも普通にごろっちゃらしているわけで、「難解な秘密」という文言が日本語としてあまり一般的でないことはこれでよく確認できたと思われます。

 念のためさらにググってみました。

 Google:難解な秘密 乱歩

 やはり「難解な秘密」という文言は乱歩の定義が唯一の使用例らしいなとか思いながらあちこち眺めていたところ、こんなページがあったではありませんか。

 ミステリー文学資料館:ニュース

 いつ掲載されたのか「開館10周年記念行事トーク&ディスカッション始まる」という記事があって、こういうのはじつにもうしみじみとこっ恥ずかしくてたまらんわけなのですが、せっかくですから引用しておきましょう。

 中氏は、乱歩が『幻影城』の「探偵小説の定義と類別」の中で、「探偵小説とは、主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれて行く径路の面白さを主眼とする文学である」としている点について、「難解な謎でなく、秘密となっているが、説明のところでは謎とも書いている。これはどうしたことか。最初から謎でも良かったのではないか」と問題を提起するとともに、「乱歩の処女短編『二銭銅貨』などを読んでも、これが探偵小説なのかどうか、と思うような側面がある。乱歩の『探偵小説四十年』は、ファンにとっては、いわば聖典のようなものだが、記憶違いなどもあって、けっこう誤りもある」と指摘、、会場からは、「二銭銅貨」の当時の受け取られ方などさまざまな質問や意見が出され、小研究会らしい雰囲気に包まれました。

 なんだかほんとに天をも畏れぬことを口走っていたのだなと思い返される次第ですが、「説明のところでは謎とも書いている」とあるのは「探偵小説の定義と類別」のこの文章を指しています。

 (1)先ず、そこには小説の全体を貫くような秘密がなければならない。犯人が誰かという秘密でもよい。犯罪手段の秘密でもよい。或は又犯罪動機の秘密でもよい。英米では近年「動機」を探す探偵小説というものが色々書かれている。更らに一歩進んで「被害者」を探す小説さえも案出された。これらは犯罪に関する秘密であるが、その秘密は犯罪などには少しも関係ないものであっても無論差支ない。原則としては何らかの謎さえあればよいのである。

 定義につづく解説のパートですが、「秘密」という言葉が六回連続して使用され(最初の「秘密」にはわざわざ傍点まで添えられています)、最後になって「謎」が登場しています。乱歩がどういう基準で「秘密」と「謎」とをつかいわけていたのかがよく理解できませんし、どうせなら「謎」を七回連続してつかっておいたほうが文章の通りがいいようにも思われるのですが、乱歩はなぜか「秘密」を重視しています。秘密にこだわり、秘密にひきずられている。そんな印象があります。

 乱歩はこの定義を熟慮吟味し練りに練って書きあげたはずなのですが、そこになぜ「難解な秘密」という据わりの悪い日本語を用いてしまったのか。まさしくミステリーである謎という言葉を横に置いてしまい、たかだかシークレットでしかない秘密という言葉をあたかも拳々服膺するがごとくに重んじたのか。そこにはもしかしたら、探偵小説は絵探しであるというなかば無意識的な認識、認識というよりはある種のオブセッションなのかもしれませんが、とにかくそういったものが存在していたのではないかと私には思われます。乱歩の言を思い出してみましょう。

小父さんは好んで「絵探し」の絵を描き、私にその謎をとかせたものである。枯枝などが交錯してゐるのを、じつと眺めてゐると、そこに大きな人の顔が隠れてゐたりする。この秘密の発見が、私をギヨツとさせ、同時に狂喜せしめた。その感じは、後年ドイルや、殊にチエスタトンを讀んだ時の驚きと喜びに、どこか似たところがあつた。

 ここでも「謎」と「秘密」が用いられていますが、乱歩を驚かせ狂喜させたのは仕掛けられた「謎」ではなく、ある瞬間に訪れる「秘密の発見」そのものであったことが知られます。乱歩は長じてのちにそれを探偵趣味と称し、その探偵趣味を探偵小説に接続することを試みたと見受けられるのですが、だとすれば乱歩にとって探偵小説は、「秘密の発見」という夜の夢を盛るのにもっとも適していたうつし世の器だったということになるのかもしれません。天をも畏れぬことをまたしても書き連ねますけれど、乱歩が書いたのは本当に探偵小説と呼ぶべき小説であったのかどうか、私には疑問に思われてならぬ次第です。



シネモザイクが正史原作映画を特集上映
2009年11月18日(水)

 それはむろん乱歩だって探偵小説を書こうとしていたはずですし、げんに書いたはずですし、書いたものは微塵の疑いもなく探偵小説だと見做されていたはずではあるのですが、にもかかわらずどうしても、乱歩が書いたのは本当に探偵小説と呼ぶべき小説であったのかという疑問を打ち消すことが私にはできません。じゃあ本当の探偵小説を書いたのはいったい誰よ、というお尋ねに先回りしてお答えしておくならば、代表的な例はお察しのとおり横溝正史だということになります。

 名前が出たところで横溝正史関連のお知らせをひとつ。右の告知板でもお知らせしているのですが、横溝正史生誕地碑建立五周年記念イベントのひとつ、といったって11月22日の記念講演会とこれとのふたつだけだと思われるのですが、神戸ハーバーランドにあるシネモザイクという映画館で正史原作映画の特集上映がくりひろげられます。

 Cine MOSAIC−シネモザイク−:上映案内&シネモザイクお得情報

 さてその横溝正史の件ですが、ほぼ三十年ぶりに再刊された上野昂志さんの『紙上で夢みる 現代大衆小説論』をぱらぱらと読み返していたところ、「ディスカバー『怪奇幻想』」なる正史論で乱歩と正史が比較されておりました。正史こそは本当の探偵小説の書き手であったとあらためて確認された次第ですのでここに一部を引用したいところではあるのですが、本日はあいにくと時間がなくなってしまいました。またあしたあらためてということにいたします。



おりんの登場シーンはほんとに怖かった
2009年11月19日(木)

 寒い日がつづきます。そろそろ年賀欠礼の葉書が舞い込み始め、今年も残り少なくなったなと実感させられてしまいます。まーたなんにもしないうちに一年が過ぎてしまったなあ、とか思っているときに三十年ほど前の本をぱらぱらと読み返しましたので、昔のことが懐かしく思い返されてひたぶるにうら悲し。

 きのうも触れた上野昂志さんの『紙上で夢みる 現代大衆小説論』が刊行されたのは1980年のことで、ウィキペディアでざっと調べてみましたところ、「1980年の日本」に列記されていた事件は「イエスの方舟事件」「一億円拾得事件」「神奈川金属バット両親殺害事件」「新宿西口バス放火事件」といったあたり、「1980年の小説」には「コインロッカー・ベイビーズ」「猿丸幻視行」「1973年のピンボール」「薔薇の名前」あたりが記されていましたが、「薔薇の名前」はイタリアでの刊行がこの年ということで、東京創元社から河島英昭さんによる邦訳が出版されたのは十年後の1990年のことでした。あの本は貪るようにして読みましたし、ショーン・コネリー主演の同題映画もビデオではありましたが楽しんだものでした。あれからでもかれこれ二十年か。いやー、意味もなく馬齢ばかり重ねてしまったなあ。

 さてその『紙上で夢みる 現代大衆小説論』に収録された「ディスカバー『怪奇幻想』」という横溝正史論なのですが、「ディスカバー」というのは当時の国鉄がくりひろげていた「ディスカバー・ジャパン」なるキャンペーンを踏まえたフレーズだと思われます。いやー、なんだか何もかもがひたぶるに懐かしくなってきたぞ。もうこのままいーいひー、たびーだちーとか歌いながら酒でも飲み始めるか。いーえいえそーれはなーりませぬー。なんかすでにして酔っ払ってんのかという気がしないでもないのですが、とりあえず「ディスカバー『怪奇幻想』」の引用をどうぞ。

 対象が「美」であれ「猟奇」であれ、それに耽るというのがどういうことか、実例を挙げてみよう。

 以下、乱歩作品からの引用があるのですが、めんどくさいので、というよりはどんなシーンが引用されたのかと想像を愉しんでいただくために省略。

 いずれも江戸川乱歩で、前のほうが『パノラマ島奇談』で、あとのほうが『盲獣』である。どちらも、あえて作中のもっとも刺激的な個所を避けて引いてみたが、それでも、江戸川乱歩の耽溺=フェティシズムが文章として結実しているかを知るには十分であろう。ここでは、海藻が海底で揺らめく光景に、あるいは肉体の各部分をかたどった壁面に、見入るということが同時に魅入られることにほかならぬ経緯が示されている。むろんいずれも作者の頭蓋のなかから紡ぎ出されたイメージではあるが、しかし、ときには差別的なコトバまで動員しながらもひとたび描き始めるや否や、対象化された世界のほうが作者を拉致し去ったかの観がある。ここに拓かれた世界が「美」であるか「怪」であるかは、命名の問題にしかすぎぬが、いずれにせよ、江戸川乱歩がその世界を具現化することは、みずからこの世界に没入することと同義であったのだ。耽溺ということの、もっとも過激な姿がここにある。それはもともと、『押絵と旅する男』に明かされているように、望遠鏡を逆から覗くようにして、こちらからあちらへと渉ってしまうことを不可避とする行為なのである。
 そして、このような文章を前にしたとき、横溝正史がいかに「耽美」からも「悪魔主義的傾向」からも無縁であるかは、一目瞭然であろう。彼はただ、「おどろおどろしい」と思われるような表象を出したり引っこめたりしながら、いかにも常識人らしく驚いてみせるだけで、一度たりともその世界に没入することはないのである。横溝の作品におなじみの次のようないいまわしは、そのことを露骨に語っている。

 以下、今度は正史作品からの引用が四つも連ねられているのですが、前述の理由で省略。

 いうまでもなく、これらは、読者を「世にも恐ろしい」物語に引きこむ効果を狙って書かれた文である。その点では、惹句のようなものだから、表現価値を云々しても始まらないわけだが、しかしそれだけに、作者の、物語の世界に対する姿勢を明確に示している。作者は、このような口上を語って読者を誘いこむほどに、肝腎の「恐ろしい」世界からは隔たった位置にいるのだ。もしも「恐ろしい」世界の住人ならば、決してこんなことをいいはしないはずだ。狂人にとっては、狂人の世界とその論理こそが唯一の現実であると同じように、「怪奇浪漫」の世界に生きるものにとっては、どのような「怪奇」も自然にすぎないからである。むろん、現在のような時代にあっては、「恐ろしい」というコトバを百遍も繰りかえしていれば、恐ろしくないことも恐ろし気なものとして通用してしまうが、そんなものは所詮ただのムード、雰囲気だけの枯れ尾花でしかないのだ。

 なんやえらいいわれようやがな、と天国の正史がぼやいているかもしれませんが、探偵小説作家の「物語の世界に対する姿勢」としては乱歩よりも正史のほうがまっとうでしょう。恐怖は探偵小説を肉づけするためのきわめて重要な、しかし単なる素材にしかすぎません。正史はまたその素材の調理がじつに巧みでした。ぞくりとするような恐怖を感じさせるシーンということでいえば、乱歩作品には少なく正史作品にこそ多いというのが私の印象です。ぱっと思いつくだけでも「悪魔の手毬唄」におけるおりん婆さんの登場シーンが浮かんできますし、晩年に執筆された「病院坂の首縊りの家」でも冒頭に出てくる写真館のエピソードなんてのはかなり怖かったという記憶があります。それに比べると乱歩作品は、というところであすにつづいてしまいます。さ、いーいひー、たびーだちー、っと。



私も(半分の方の私ですよ)という恐怖
2009年11月21日(土)

 きのうは参りました。NTT西日本から矢のような電話攻勢でフレッツなんとかを勧められ、このうっとうしい勧誘電話から解放されるのならばとフレッツなんとかにすることにして、きのうが工事の日だったのですが、工事のあとインターネットを接続しようとするとこれがどうしてもできない。接続というか設定なわけですが、できないというよりは何をどうしていいのかがさっぱりわかりません。だいたいが設定だか接続だかのために何かをインストールするCD-ROMをパソコンが読み込めない。早々に投げ出し、この方面に明るい知人に助けてもらうことにして、日が暮れてから知人が到着。なにしろ日が暮れてますからこっちはお酒を飲み始めていて、知人は私の書斎にこもってかなり悪戦苦闘しているふうでしたが、どこかに電話を入れて指示を仰ぎながら一時間あまりでようやく接続に成功してくれました。バグがどうのOSの相性がこうのといろいろ説明してくれたのですが、こっちはもう酔っ払ってますからお見合いでもないのに何が相性だみたいなことを思い浮かべるばかりなり。

 一夜明けて、あちらこちらのサイトにアクセスしてみるとなるほど多少は速くなったかなという印象なのですが、あれこれ試しているうち午前6時にスタートするユニクロ名張店の大感謝祭には行きそびれてしまいました。犬と散歩してる途中で出会った近所の人によりますと、ユニクロ名張店はえらい人出だったようです。ま、いわゆるデフレってやつでしょうか。

 ここでお知らせ。『乱歩・正史・風太郎』という本が出るようです。

 出版芸術社:近刊案内

 さておとといのつづきですが、乱歩作品でもっとも怖いシーンはとなると、これはもう乱歩ファン十人が十人とも「孤島の鬼」の「人外境便り」に指を屈するのではないでしょうか。あれはほんとに怖かった。もっとも、子供時代を振り返れば乱歩の少年ものはやはりしみじみと恐ろしく、あー来るかな来るかな、そろそろ怖いシーンが来るんだろうなと察しがついてそれ以上ページをめくるのがためらわれはするものの、どうしても読み進まずにはいられなかった幼い日々が思い出されます。大人になってから読んだ「人外境便り」におきましても、女の子のたどたどしい文章に、

 ──私も(半分の方の私ですよ)

 などとわけのわかんないところがちらっと出てきて、それが、

 ──私は(秀ちゃんも吉ちゃんも)

 といったぐあいに積み重ねられて恐怖がじわじわ煽られてくるあたり、あー来るかな来るかな、そろそろ来るかなという子供時代の読書体験を思い出させるものがあるような気もいたしますが、それはさておき読者に提供される乱歩の恐怖と正史の恐怖、両者には大きな違いがあるようです。どこが違うのか。上野昂志さんの「ディスカバー『怪奇幻想』」の文脈に即していうならば、まさしく「没入」や「耽溺」の有無だといえるでしょう。正史作品における恐怖はあくまでも探偵小説の素材であり、探偵小説の規矩を一歩たりとも踏み出すものではないのですが、乱歩における恐怖は「ひとたび描き始めるや否や、対象化された世界のほうが作者を拉致し去ったかの観がある」恐怖であり、「その世界を具現化することは、みずからこの世界に没入することと同義」である恐怖である。そんなふうにいえると思います。つまり恐怖それ自体が目的となって、探偵小説の規矩から否応なくはみ出してしまう。恐怖はそれ自体を目的とした何かしら過剰なもの、逸脱したものとして作品内に配され、そのせいで作品は探偵小説としての均衡を危うくしてしまうことになります。

 乱歩の探偵趣味は、じつは探偵小説という器にきれいに収まるものではなかったのではないか。無理やり収めようとしても、ずれ、ぶれ、ひずみ、ゆがみ、あるいは過剰や逸脱といったものがどうしても生じてしまい、しかもそれこそが乱歩作品のかけがえのない魅力になっているのではないか。ですから私はもう長いあいだ、乱歩が書いたのは本当に探偵小説であったのかという疑問を抑えることができずにいたわけであり、

 ──私の探偵趣味は「絵探し」からはじまる。

 という乱歩の何気ない回想を読んで腑に落ちるものを覚えたわけです。絵探しに発した探偵趣味は長じてのち探偵小説に接続されはしたものの、自分の前にひろがっている平板で退屈な世界には絶対に秘密が隠されていなければならない、眼前の世界には一見するだけでは窺い知ることのできない美や恐怖が秘められていなければならないとするオブセッションのようなものが乱歩にはつねにあり、それが探偵小説の規矩の内部に乱歩をとどめておかなかったのではないか。私にはそんなふうに思われる次第であり、乱歩が書いたのは本当に探偵小説だったのかという疑問は先日も再掲した乱歩の人気作品に照らしてもいよいよ際立ってくるばかりです。

 乱歩短篇ゴールデンダズン(得票順)
  押絵と旅する男 14票
  人間椅子 13票
  心理試験 12票
  屋根裏の散歩者 10票
  鏡地獄 10票
  二銭銅貨 9票
  芋虫 9票
  D坂の殺人事件 8票
  防空壕 7票
  目羅博士 7票
  赤い部屋 6票
  二癈人 5票

 この十二作品のうちいったい何篇が、一般的な意味で探偵小説と呼びうるものでしょうか。たとえば一番人気の「押絵と旅する男」など、探偵小説が拠って立つべき合理主義から逸脱しているというその一点においてだけでも探偵小説とは呼べないものです。ならば「人間椅子」は、「心理試験」はという吟味の愉しみはご閲覧の諸兄姉にお譲りすることといたしまして、いま思いつきましたからそのままを記しておきますと、二番人気の「人間椅子」こそは絵探しによって生み出された作品だと断言してしまうことが可能でしょう。この作品について「あの作この作」に、乱歩がこんなことを記しているからです。

 川口君から頼まれても、無論持合せの筋なんてないので、夏のことで、二階の部屋で、籐椅子に凭れて、目の前に置かれた、もう一つの籐椅子を睨んで、ボンヤリしていた。そして口の中で「椅子」「椅子」と繰り返している内に、ふと、椅子の形と人間のしゃがんだ格好が似ているなと思い、大きな肘掛椅子なら人間が這入れる。応接間の椅子の中に人間が潜んでいて、その上に男や女が腰をかけたら怖いだろうなという風に考えて行ったのです。

 乱歩はまさしく「何気なき風景画の中から、ボーツと浮かび上つて耒る巨人の顔」のように、何気なき肘掛椅子からぼーっと浮かびあがってくる人間の姿を発見したというわけです。



本格探偵小説ブームは生理現象であった
2009年11月23日(月)

 毎日こんなことばっか記してるような気がいたしますが、きのうも参りました。参ってしまいました。昨22日、神戸で横溝正史生誕地碑建立五周年記念イベントが催され、東川崎地域福祉センターなるところで有栖川有栖さんが「私にとっての横溝正史」と題した記念講演をなさいました。むろん足を運び、いまやすっかり顔なじみの地元自治会長さんとも「また来年お邪魔します」「なんや七夕みたいですなあ」とお別れの言葉を交わしていざ飲み会。一次会二次会と盛りあがったのはよけれども、近鉄大阪線で名張まで帰れる最後の電車に乗り遅れてしまってさあ大変。帰れる駅まで電車で帰り、そこから先はタクシーで帰宅するという愚かな仕儀となってしまいました。むろん初めての経験ではないのですが、こんなことなら大阪のカプセルホテルに泊まったほうが安あがりだったではないかとか、どうせならタクシー代よりは飲み代か本代にお金をつかいたかったなあとか、いくたび経験しても同じ後悔をくり返すばかりなり。酔っ払いってのはほんとに困ったものだと思います。

 有栖川有栖さんの講演は愉しくもまた教えられるところの多いもので、北村薫さんの物真似など笑えるところも多々あったのですが、思わず膝を打ったのは「生理現象」という言葉でした。戦後から現在までの日本探偵小説史を振り返ってみますに、本格探偵小説がブームと呼べるほどに隆盛を極めた時期がふたつありました。それぞれの端緒を開いたのは横溝正史の「本陣殺人事件」と綾辻行人さんの「十角館の殺人」で、ひとたび上梓されるや世の本格探偵小説ファンの長きにわたる渇を癒し、それに呼応して俊秀あたかも踵を接をするがごとくに、みたいな説明は省略いたしますが、いったいどうしてそんなムーブメントが起きたのか。有栖川さんによればごく簡単な話で、それまで本格探偵小説が抑圧されていたからにほかなりません。つまり戦時体制という抑圧が消滅し、あるいは社会派推理小説という抑圧が凋落して、それまで抑えつけられていた本格探偵小説への希求が一気に爆発したという寸法です。それはごく当たり前のことであり、すなわち生理現象にすぎないとするのが有栖川さんの見解なわけですが、なにしろ実作者の弁ですからもう圧倒的な説得力。そりゃそうだよなー、大量死なんてのはあれだよなー、と眼から鱗が落ちる思いがいたしました。

 ほかにも聴きどころ勘どころはたくさんあって、いつまでも終わらないウェブ版講座「涙香、『新青年』、乱歩」であらためて触れることになろうかとも思うのですが、有栖川さんの講演についてはこのあたりでおしまいといたします。講演のあとの質疑応答では「横溝ファンに読んでもらいたい有栖川作品は何か。有栖川ファンに読んでもらいたい横溝作品は何か」と意表を突くような質問も飛び出して、有栖川さんの回答は前者が「乱鴉の島」、後者は「夜歩く」でした。

 会場受付に置かれていたチラシで初めて知ったのですが、岡山県にある「金田一耕助が誕生した町」でこんな催しがくりひろげられています。

 倉敷観光WEBサイト:巡・金田一耕助の小径  ミステリーウォーク

 チラシがこちら。クリックするとAB両面のPDFファイルが開きます。

 きのうが最終日とはなりましたが「本陣殺人事件トリック再現」はなかなかのものであったらしく、誰か気の利いた人がYouTubeにビデオを投稿してくれぬものかとはかないことを考えております。きょう23日には浜田知明さんの講演「横溝正史と岡山」が催されたはずで、浜田さんは有栖川さんの講演会にもおいででしたのでてっきり飲み会もごいっしょできるのであろうと思っておりましたところ、いやまあ浜田さんとは10月3日の池袋での大宴会と二次会でまるで恋人同士みたいにずっと向き合っておりましたから神戸であらためてごいっしょしなくてもいいっちゃいいのですが、残念ながらごいっしょすることはかなわず、じつはこれから倉敷へ、と「百日紅の下にて」の金田一耕助みたいな感じで神戸の街をあとにされました。

 倉敷関連のウェブニュースはこんな感じです。

 asahi.com:なりきり金田一耕助、謎解きウオーク 「事件現場」の町
 山陽新聞:われこそ金田一耕助 全国からファン続々 横溝正史疎開先の倉敷・真備
 YOMIURI ONLINE:金田一耕助ファン、よれよれの帽子かぶって大集合…岡山

 正史ゆかりの神戸や倉敷がよくやってるのはわかったけど、乱歩ゆかりの名張はどうなの? とはお訊きにならないでくんなまし。きのうの講演会でお会いした方からも名張市恒例のミステリー講演会のことをご質問いただいたのですが、年度末の来年3月までにはやると思うんですけどいったいいつになるのやら、みたいなことをお答えしておくしかありませんでした。じつにどうもお恥ずかしいことでやんす。

 最後にひとつ、とても嬉しげに些細なことを書き連ねておきますと、きのうの飲み会ではその道の先達のみなさんから探偵小説についてあれこれと、たとえばまあ、バズラーって何? いまでもそんな言葉つかうの? みたいなことをご教示いただいたりもしたのですが、先達の話のなかに乱歩の定義が出てきました。

探偵小説とは、主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれて行く経路の面白さを主眼とする文学である。

 例のこれなわけですが、耳を澄ましておりますと先達は、決して「難解な秘密が」ではなくたしかに「難解な謎が」と、しかも二度か三度にわたって「難解な謎が」と口にしていらっしゃいましたので、やっぱ「難解な秘密」ではなく「難解な謎」のほうが日本語として自然なんだなと再確認できた次第です。もとより先達の記憶違いをとがめたりあげつらったりするつもりはさらさらないのですけれど、それでもなんか嬉しいな。



探偵小説はかりそめの器ではなかったか
2009年11月24日(火)

 きのうのつづきでおとといの話ですが、横溝正史生誕地碑建立五周年の記念講演会でお会いした先達にいろいろお訊きして確認いたしましたところ、正史作品における恐怖は作品を成立させる重要な要素として作中に抜かりなく配され、作者が狙ったとおりの効果を発揮して間然するところがないといったことで意見の一致を見ました。無駄もなければ過不足もない。つまり過剰や逸脱にはまったく無縁で、作品が恐怖を従えている。ところが乱歩作品の恐怖は逆に作品を従えているようなところがあって、それはむろん恐怖のみならず美や夢想といったものも含めての話なのですが、乱歩にとって探偵小説はそれらを盛るためのかりそめの器でしかなかったのではないかと思われぬでもありません。

 『澁澤龍彦 日本作家論集成』という上下二冊本の文庫本が出ました。乱歩論二篇が収録されております。

 RAMPO Entry File:澁澤龍彦 日本作家論集成 上

 エントリをお読みいただいた方はお気づきのことと思いますが、乱歩論二篇には双方にまったく同じ文章が存在していて、要するにつかいまわしなわけなのですが、どちらも一再ならず読んでいるはずなのにこれまでまるで気づかなかったみずからのうっかりぼんやりはさておき、さしもの乱歩もここまで堂々たるつかいまわしは一度たりともしたことがなかったのではないかと微笑ましくも愉快な気分になってしまいました。そんなこともさておいて、「江戸川乱歩『パノラマ島奇談』解説」にある「おそらく、乱歩がいちばん書きたかったのは、このような大小さまざまなユートピアの夢想であって、煩雑な探偵小説としての筋やトリックではなかったはずなのだ」という指摘はほんとにそのとおりだと思います。

 恐怖や美や夢想を描き出すためのかりそめの器が乱歩にとっての探偵小説であり、しかしそれらは探偵小説の規矩に照らせば過剰や逸脱として表現されざるを得ないものであった、探偵小説の単なる構成要素という以上に深くのめり込み耽溺惑溺しなければ表現できないものであったのだとすれば、探偵小説という様式というか形式というか、あるいはやっぱり器というか、とにかくそんな制約の多いジャンルにみずから閉じこもって自縄自縛に陥ることなく、もっと自由に奔放に想像力を羽ばたかせて小説を書けばよかったのではないかと私には疑問に思われてならぬのですが、しかしまたそのいっぽう、もしかしたら乱歩には探偵小説という確乎たる制約に身を添わせなければ小説なんてただの一行も書けなかったのではないかとも疑われる次第です。



憂国忌の夕刻に十周年を思い名張を憂う
2009年11月25日(水)

 ふと気がつけば憂国忌なり。そんなことはどうでもいいのですが、つらつら案じますに乱歩の作家的資質は必ずしも探偵小説に向いたものではなかったのではないかと愚考される次第で、ウェブ版講座「涙香、『新青年』、乱歩」の流れでいうならば幼い日に夢中になった絵探しの面白さを探偵小説に求めてしまったそのことが、幸不幸でいうと作家乱歩にとっては不幸の始まりであったのかもしれません。探偵小説という桎梏こそが乱歩にあれだけの作品を書かせたということではあるのでしょうが、探偵小説を書くために生まれてきたような横溝正史の作品に比較してみると、乱歩作品の非探偵小説性とでも呼ぶべきものは色濃く際立ってくるように思われます。もちろん乱歩には探偵小説を選んだことで手にした得がたい幸福も多くあり、その幸福をより確実なものにするべく執筆されたのが『探偵小説四十年』ではなかったのかというのが「涙香、『新青年』、乱歩」の主旨とか眼目とかいうやつなのですが、なんだか長々しくなってきてどうにも困ったものです。

 ふと気がつけば憂国忌なのですが、ふと気がつかなかったのが十周年でした。おかげさまでウェブサイト名張人外境、10月21日の乱歩のお誕生日に開設十周年を人知れず迎えておりました。開設者本人が知らなかったのですから他人が知っていようはずがありません。さるにても、開設したときには十年後を予想したりはとくにしませんでしたけど、まさかこんなことになってるとは夢にも思っておりませんでした。こんなことというのはつまり、当サイトのメインコンテンツである「乱歩文献データブック」「江戸川乱歩執筆年譜」「江戸川乱歩著書目録」はいずれかの時点で名張市立図書館のサイトにバトンタッチされるはずだと思い込んでいたのですが、いまだにこんな状態なんですからいまさらのように驚いてしまいます。目録にも著作権はありますから私は名張市立図書館の著作権をいつまでも侵害しつづけていることになり、その意味では犯罪者だというわけです。名張市がもうちょっとしっかりしててくれたら犯罪者の汚名を着ることもなかったのになあ。

 ところで当サイト、えへん、11月23日付朝日新聞伊賀版の「文学のみち伊賀」という連載でちょこっと紹介していただきました。はばかることなく無断転載しておきます。記事の最後の段落に当サイトと私の名前が出てきます。えへんえへん。

 RAMPO Entry File:朝日新聞

 名張市がもうちょっとしっかりしててくれたらというのは要するに、この記事にある「これからの資料館や作家顕彰のひとつの在り方といえるでしょう」という文章の意味をすんなり理解できるくらいのおつむをもっててくれたらなあということなのですが、とてもとても、無理無理。そんなばかなとお思いの諸兄姉もおありでしょうが、これは正真正銘ほんとの話であって、げんに名張市民の税金で市立図書館が発行した市民共有の財産であり全国の乱歩ファンにそこそこ重宝していただいているはずの『乱歩文献データブック』『江戸川乱歩執筆年譜』『江戸川乱歩著書目録』が市立図書館のサイトに掲載されていないのがその証拠です。

 「資料館や作家顕彰のひとつの在り方」ということでいうならば、何億何十億というお金をかけてハコモノをつくらなくてもインターネット上に資料館をつくることはいくらでも可能なわけなのですが、名張市役所のみなさんにはそうしたプロジェクトの有用性や波及効果といったものを考えることができません。思いもつかぬというやつです。ネット上に幻影城を構築するプロジェクトを始めまーす、なんて名張市が宣言したらそれはもう凄いことなのですが、そんなことは全然理解できません。いまだにハコモノ崇拝主義とイベント尊重思想から脱却することができず、乱歩といえば脊髄反射みたいに文学館だ記念館だと大騒ぎするしか能がなく、そうでなければちまちましたご町内イベントで身内だけ盛りあがる。その程度のことしかできないのが名張市というところなわけです。これはもうどうしようもないことだと思われます。

 みたいなことをいってるところへ、驚くべし、まさにそのちまちましたご町内イベントのニュースが飛び込んできました。なんかもう大笑いしてしまいます。飛んで火に入る夏の虫ってやつですか。ご町内イベント関係各位の労を多とするにやぶさかではないのですが、しかしまたなんという絶好のタイミングなのよ。運命のいたずらか天の配剤か、はたまた天国の乱歩の思し召しか。とにかく打ってくださいといわんばかりの絶好球、あまりにもいい球なので思わず打ち損じてしまうほどのど真ん中のストレートが投じられてきましたので、急にボールが来たのでとかなんとかいってないでさっそくフルスイングいたします。これも朝日新聞の記事なのですが。

 asahi.com:黒幕内に乱歩の世界

 笑っちゃいかんが笑ってしまう。笑っちゃいかん笑っちゃいかん。しかし笑えるなあほんとに。何が笑えるのかといいますと、おとといの朝日の伊賀版にはこんなことが書かれていたわけです。

 名張での乱歩顕彰は、55年に生家跡地に「幻影城」と刻まれた記念碑が有志の呼びかけにより建てられ、市立図書館には乱歩のコーナーが常設されています。また、“インターネット上の資料館”ともいえる「名張人外境」には年譜、資料集成など乱歩関連の実に詳細な情報が日々更新されています。これはサイト管理人、中相作氏の労作で、これからの資料館や作家顕彰のひとつの在り方といえるでしょう。

 生誕地碑が建立されてからこの方、名張市における「乱歩顕彰」の歩みをごく大雑把にたどるならばざっとこんな具合になるわけです。「市立図書館には乱歩のコーナーが常設されています。また、“インターネット上の資料館”とも」うんぬんとあるところは、「市立図書館には乱歩のコーナーが常設され、同館の公式サイトには年譜、資料集成など乱歩関連の実に詳細な情報が日々更新されています」となっているのが本来なのですが、残念ながらそうなってはおりません。だからかつては名張市立図書館のカリスマと呼ばれた私がひいひいいいながら、それはもうほんとにひいひいいってるわけですけど、名張人外境という個人サイトを開設して「資料館や作家顕彰のひとつの在り方」を示しているわけなのですが、このレベルの話になるともう名張市役所のみなさんには理解が届かなくなってしまいます。なんかもうわけわかんね、ということになってしまうわけです。

 そんなことはともかく、名張市における顕彰の歩みを簡単にたどってみた場合、乱歩関連のちまちましたご町内イベントなんてたいしたものではないということになってしまいます。この記事ではたとえば毎年恒例のミステリー講演会のことなんかまったく触れられず、「資料館や作家顕彰のひとつの在り方」として私のサイトが紹介されているわけなのですが、これはもうごくごく当たり前のことというしかなく、まともな判断力をもった人がご覧になればそういう判断が下されるのは当然のことです。でもって、そんなような記事が掲載されたのがおとといのこと。ところがきょうの朝日新聞伊賀版には思いきり、名張市でちまちました乱歩ご町内イベントを開催しまーす、という記事が登場したわけですからもう笑った笑った。大笑いしてしまいました。いやいや、笑っちゃいかん笑っちゃいかん。なかなかいいと思います。黒テントなんてアイデアはなかなか秀逸だと思います。とはいうものの、しょせんこの程度なわけです。ハコモノとかイベントとか、名張市というところではその程度のことしか理解されないというわけで、「資料館や作家顕彰のひとつの在り方」なんて話はとてもとても、無理無理。

 いやいや、そんな程度のことすら理解できない人間が存在するなんてこと自体が理解できないぞとおっしゃる諸兄姉のために、私のブログから戯文を少々引用しておきます。戯文ですけれど嘘もなければ誇張もありません。

平成10・1998年のことである。名張市立図書館にお客さんがあった。だいじなお客さんなので、名張市教育委員会の教育次長が挨拶した。ちょうど『江戸川乱歩執筆年譜』が出たばかりだったから、お客さん全員に一冊ずつ手渡し、ご覧いただいていた。

テーブルには、『乱歩文献データブック』も置いてあった。と、横から、『江戸川乱歩執筆年譜』と『乱歩文献データブック』を手にした教育次長が、こんなことを訊いてくる。

「これ二冊ありますけどさなあ、こっちとこっち、表紙は違いますわてなあ。せやけど、中身はほれ、どっちも字ィ書いてあって、二色刷で、ふたつともおんなじですねさ。これ、こっちとこっち、どこが違いますの」

ばかなのである。もう野放図なまでの、眼もくらまんばかりのばかなのである。そもそも本というものは、たんに字を印刷してあるだけのものなのである。その字を読まなければ、中身の違いはわからぬのである。

名張市の職員がすべて、全員が全員、どうしようもないばかであるというつもりはない。だいたい、職員個々のことなどよく知らない。だが、総体としてみれば、アベレージを求めるならば、これはもうばかだとしかいいようがないだろう。そして、なかには相当なばかがいて、ただ市職員として甲羅を経ているというそれだけの理由で、その手ひどいばかが教育次長を務めていたのである。

大丈夫か名張市。

 くり返しますが、これはほんとの話です。なんかもう、やっとれんわという気がいたします。とはいえこんなのは名張市役所のみなさんとおつきあいしている分には日常茶飯事と呼ぶべきことなのであって、私とていちいち激怒したり絶叫したりはしていなかったのですが、いくら予算を要求しても「資料館や作家顕彰のひとつの在り方」ってやつが名張市役所のみなさんには理解できないようでしたから、それならもうしかたないなと昨年3月末をもって名張市立図書館とはおさらばいたしました。いくらカリスマとはいえ、市立図書館の嘱託としてお役所のヒエラルキーのなかで何いったって無駄だよなと思い知ったわけです。ですから今度はひとりの市民としてお役所の外部からいろいろ提言してはどうかと、換言すれば図書館嘱託としていくら有意義な提言をしても教育委員会の教育長や教育次長あたりにあっさりひねり潰されてしまうのがオチでしたから、ならばひとりの市民として市長に提言したほうがいいのではないかと考えた次第でした。それでどうなったのかというとこれがまた驚くべきことで。

 名張市長と書いて思い出したのですが、ということで以下、このところすっかり更新をサボっている私のブログをご愛読いただいていた方がもしもこのサイトをご閲覧であるならば、そうしたみなさんに名張市長がらみでお知らせを一件。ちなみにブログの最新エントリはこんな感じです。

 名張まちなかブログ:そろそろテロにすっかの巻(10月23日)

 ではお知らせですが、名張まちなか再生委員会の副委員長が10月8日に提出し、10月18日の説明会で名張市長が回答することを確約した質問状は、回答を二度催促しても何の音沙汰もなく、現在三度目の催促が副委員長から市長に対してなされているところだとのことです。ほんと、そろそろテロにすっか? 選挙も近いことだしな。



憂国忌翌日の夕刻におらおらおらという
2009年11月26日(木)

 さてそれで名張市立図書館嘱託として何を提言しても甲斐はないみたいだなと悟った私は、図書館とおさらばしたうえで名張市長にお伺いを立ててみました。名張市の公式サイトには「市長への手紙」というのがあって、市長への質問を送信すれば市長からじきじきにご返事がいただけるというありがたいことになっております。で、名張市は市立図書館の乱歩関連資料をどんなふうに活用する気? とお訊きしてみました。

 むろん私はカリスマと呼ばれた市立図書館嘱託時代、収集資料の活用についてはこれ以上ない王道を開いたつもりでいたのですが、たまたま名張市教育委員会の教育次長、といってもこれはきのうの残日録におきまして、

 「これ二冊ありますけどさなあ、こっちとこっち、表紙は違いますわてなあ。せやけど、中身はほれ、どっちも字ィ書いてあって、二色刷で、ふたつともおんなじですねさ。これ、こっちとこっち、どこが違いますの」

 と腰も砕けそうになるほどのおまぬけぶりでお楽しみいただいた教育次長ではなく、つまり名張市教育委員会は歴代いろいろな教育次長を取り揃えてお楽しみいただいているわけなのですが、とにかくたまたま同席することになったある会合でその当時の教育次長が、市立図書館における乱歩関連資料の活用は私が身を挺して開いた王道に必ずしも従うものではない、などと口走ってくれましたので、あーあ、どーしよーもねーなー、とか思い、しかしそれならそれでこっちだって嘱託としてどういった活用を進めればいいのかを考えなくちゃならんわけですから、教育委員会としては収集資料をどんなふうに活用する気なの? と教育次長にいくたびもメールを送信してお訊きしたのではありますが、ひどいことに梨のつぶてのままで終わってしまいました。要するに嘱託を辞めろっていわれてるわけなんだな、とそのとき悟ったのも私が名張市立図書館とおさらばした理由のひとつです。

 サイト開設十周年とあっていささかレトロスペクティブな気分になり、同時に愚痴っぽくなってきたのがお恥ずかしいかぎりですが、とにかくひとりの市民として、名張市は市立図書館の乱歩関連資料をどんなふうに活用する気? と「市長への手紙」でお訊きしてみましたところ、なんとこんなお答えが帰ってきたわけなのね。

このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。

名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。

今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。

平成20年10月 9日

 名張市長 亀井利克

 ほらね。「これからの資料館や作家顕彰のひとつの在り方といえるでしょう」という文章の意味なんて、名張市役所のみなさんには逆立ちしたって理解していただけないということなわけね。名張市立図書館の開設は1969年のことで、ということは今年が四十周年か。名張市ってとこはなぜかメモリアルイベントが大好きで、今年は市制施行五十五周年という中途半端なメモリアルイヤーを記念して、名張市政には何の関係もない平井隆太郎先生に市政功労者におなりいただくという破廉恥な真似までしでかしてくれたものでしたが、その件に関しましてはブログにこんなようなことを記したものでしたっけ。

よかったなあ低能自治体。市政功労者表彰にかこつけて、トップブランドを手にすることができたではないか。しかしなあ、きょうび女子高生だって、ブランド品なんてただのジコマン、とかいってるぞ。ジコマンというのは自己満足のことなのであって、マンという響きからいやらしい意味を想像されても困るのであるが、ブランド品ゲットして喜ぶのはただの自己満足にすぎんのである、そんなことでしか自己顕示できんようなやつはあほなのである、みたいなことは女子高生だって認識しているのであり、しかしながら、自己満足とは知りながらもブランド品に惹かれてしまう悲しい女のさが、女心のせつなさつらさ、みたいなものも女子高生は自覚しているのであるから、女子高生ってのもあれでなかなかあなどれんものなのだぞ。

いやまあそんなことはどうでもいいけれど、なあ、低能自治体。市政功労者表彰ってのは、ほんとにいったいなんなんだ。市政への功労ってのは、いったいどういうことなんだ。故田中徳三さん、伊藤たかみさん、茂山七五三さん、平井隆太郎さん、いやいや、最後だけは平井隆太郎先生とお呼びしたいところなのであるが、とにかくこの四人のかたが文化振興に寄与してくださいましたので、名張市として表彰させていただきたいと思わさせていただいております、ということなのであろうが、それはほんとのことか。茂山さんは名張市内で子供狂言の指導を担当してくださっているはずだから、たしかに名張市の文化とやらとの接点はおありであろうが、ほかの三人のかたはいったい、名張市における文化振興のどんな局面に寄与してくださったというのかな。みたいなこといっても、低能だから理解できんか。

それならそれでしかたないけど、こら教育委員会、おまえらはいったいなにをしておったのだ。文化振興といえば、おまえらの守備範囲ではないか。名張市における文化振興というのは、いったいなんなんだ。著名人有名人と仲よくなって、ひたすらちゃらちゃらちゃらちゃらすることが、おまえらにとって文化の振興ということなのか。そんなもん、おれのケツもちはほんまもんのやくざだもんね、とかいって喜んでるそこらのチンピラと、構造的にはまったくおんなじではないか。いやいや、市政功労者表彰をお受けになるかたを、よりにもよってそこらのやくざといっしょにしてはいけない。ご無礼つかまつった。

 ほんと、市民のひとりとしては顔から火が出るほど恥ずかしい思いをしたものでしたが、名張市は市立図書館の開館四十周年にはこれといって何もしなかったのではないか。ま、ろくに本も読まず、図書館を利用したこともなく、図書館がただの無料貸本屋だと思い込んでいるような連中のことはほっとくことにいたしまして、とにかく開館以来四十年、厳密にいえば開館準備の段階から名張市立図書館は乱歩関連資料の収集にこれ努めてきたわけなのですが、だというのに「江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが」なんてこといってんだから卒倒してしまうしかありません。もちろん日本図書館協会は「図書館の自由に関する宣言」のなかで「図書館は資料収集の自由を有する」と謳っており、好きなように資料収集に努めればいいわけですけど、それは当然活用を前提としたものでなければなりません。「江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています」なんてことではそこらのコレクターと選ぶところがないではないか。

 しかもこのご時世です。開館以来四十年も経ってるのに「現在のところ」活用のことは考えておりませんなどと気の触れたようなこといっててどうする。そこらのど素人がちらっとうわっつら眺めただけで何がわかるというのだこの低能、と日に日に評判が悪くなっている例の事業仕分け、あれが名張市で実施され、市立図書館の乱歩資料収集事業が仕分け対象になったとしたら、活用する気がないんなら資料収集なんかに税金つかってんじゃねーよばーか、という判断が下されるのは火を見るよりも明らかでしょう。え? 事業の仕分けより人間の仕分けが先だって? いやいや、そんなことをおっしゃってはいけないと思います。

 といった次第で憂国忌翌日の本日は乱歩とは直接関係のない話題に終始してしまいましたが、そろそろあすあたり、おらおらおらおらとかいいながら名張市公式サイトで「市長への手紙」をお出ししてみようかなっと。おらおらおらおら。



憂国忌の翌々日夕刻のおらおらおらおら
2009年11月27日(金)

 名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して質問を送信しました。件名は「乱歩都市交流会議について」。

 お世話になっております。また過日、東京で行われましたミステリー文学資料館のトーク&ディスカッションでは来場者の方へのおみやげをご手配いただき、あらためてお礼を申しあげます。

 さて、トーク&ディスカッション当日にお会いした方々から名張市の乱歩関連事業についていろいろご質問をいただいたのですが、当方にはよくわからないことばかりでした。乱歩ファンのみなさんが名張市のことを気にかけてくださっているのはまことにありがたく、お尋ねに的確にお答えできなかったのは返す返すも遺憾なことであったと思っております。

 頂戴した質問のひとつは、昨年10月に発足した乱歩都市交流会議はどうなったのか、というものでした。同会議には乱歩ファンのみなさんから期待が寄せられているものと判断されますので、当方のウェブサイトで全国の乱歩ファンに同会議のこれまでの歩みとこれからの展望などをお知らせいたしたく、つきましては同会議についての詳細をお教えいただければ幸甚です。

 また、先日来ご検討をいただいております件のほうも、そろそろお答えを頂戴できるころかと思っております。よろしくお願い申しあげます。

 それから、乱歩には無関係なことになりますが、名張まちなか再生委員会副委員長の福廣が文書で提出し、10月18日に市役所で開かれた説明会でご回答の確約をいただきました質問につきましても、ご多用中恐縮ではありますが、お答えをたまわりますようあわせてお願いを申しあげる次第です。

 よろしくお願いいたします。

2009/11/27

 乱歩都市交流会議に関する質問のゆくたてはこちらでどうぞ。

 名張まちなかブログ:横浜東京甲府旅日記(二)(10月11日)

 本日はこれだけです。おらおらおらおら。



畏れ多いけど乱歩最大のトリックに迫る
2009年11月28日(土)

 だらだらとつづいてて書いてる本人もどんなことを書き散らしてきたんだかよくわかんなくなってる感じなのですが、ウェブ版講座「涙香、『新青年』、乱歩」です。

 ちなみにミステリー文学資料館のトーク&ディスカッション「『新青年』の作家たち」はきょう28日が千秋楽、特別ゲストの北村薫さんが九回にわたる連続講座の掉尾を飾り、たぶんものすごく面白いお話をなさったものと思われます。先日神戸で目のあたりにした有栖川有栖さんによる北村薫さんの物真似もすごく面白かったですけど。

 連続講座のうち第一回、第四回、第八回の概要は小酒井不木研究サイト「奈落の井戸」の「奈落雑記(blog式)」でお読みいただけます。ぜひどうぞ。

 奈落雑記(blog式):トーク&ディスカッション「『新青年』の作家たち」 第4回 小酒井不木と「新青年」(10月25日)
 奈落雑記(blog式):トーク&ディスカッション「『新青年』の作家たち」 第1回 江戸川乱歩
(10月26日)
 奈落雑記(blog式):トーク&ディスカッション「『新青年』の作家たち」 第8回 森下雨村(11月24日)

 それではいよいよ講座の山場、ひそかに副題といたしましたところの、

 ──江戸川乱歩最大のトリック

 というテーマに、あるいは、

 ──石磐に絵を描く二十にもならぬ若い小父さんはどこに消えたのか?

 というテーマに歩を進めたいところなのですが、本日は夕刻から急に用事が入ってしまいました。用事ったってお酒を飲むだけの話ですけど、勝手ながらつづきはあしたということにいたしまして、末筆ながらトーク&ディスカッションの内容をご紹介くださいました「奈落の井戸」のもぐらもちさんに深甚なる謝意を表する次第です。どうもありがとうございました。



乱歩最大のトリックに一気には迫れない
2009年11月29日(日)

 さてそもそも乱歩最大のトリックとは何かと申しますと、という話題に入る前にこれだけはお伝えしておきたい。あのクヴィレット号ふたたびというニュースです。もちろん例のポーズ写真つき。

 asahi.com:可愛すぎる警察犬? お手柄表彰、主人に寄り添いポーズ(11月29日)

 2ちゃんねるニュー速+板にはいうまでもなくスレが立ちました。

 ニュース速報+@2ch掲示板(対馬):【社会】可愛すぎる警察犬? お手柄表彰、主人に寄り添いポーズ

 試みにニュー速+板で「犬」を検索してみますと、クヴィレット号のニュース以外は、

 ──【裁判】「私は無罪。私が殺したのは、犬を殺処分する邪悪な心を持つ悪魔」…元厚生次官ら連続殺傷で、小泉被告★2

 ──【社会】飼い犬の敵討ちで元厚生次官が殺傷された事件、初公判へ…無職小泉毅被告(47)の刑の重さ判断

 ──【d’te】「鬼みたいな犬を売りつけやがって!」 犬を15万で買った37歳無職女、ペットショップ店長に土下座させ頭踏む…京都

 ──【広島】「犬殺しちゃろうかあ」 犬同士のけんかで相手を散弾銃で脅す 会社員男(57)を逮捕 「犬を銃で殴っただけ」と容疑否認

 こんなのばっかりなんですから人間ってのはしみじみばかだと思います。それにしても「鬼みたいな犬を売りつけやがって!」とか「犬殺しちゃろうかあ」とか、もうね、心底あほとしかいいようがない感じなのですが、その点クヴィレット号はほんとにいいなあとばかりに朝日の写真を無断転載。

 クヴィレット号が飼い主である渡部七郎さんの左手を両の前肢でしっかり挟んでいた11月12日付福島民報の写真に比較しますとこの写真はややヤラセっぽい感じが否めませんが、にしても朝日の記者さんがよく福島民報の後追いをしたものだなと感心してしまいます。記者の足立朋子さんに座布団一枚。

 さて本題ですが、これまでのウェブ版講座「涙香、『新青年』、乱歩」を整理しておきますと何よりのポイントは、

 ──私の探偵趣味は「絵探し」からはじまる。

 という乱歩の回想です。お忘れの諸兄姉もいらっしゃるかもしれませんから、というよりは私自身がうっかり忘れかけてますから再掲しておきます。活字にされることなく筐底に秘められた「探偵小説三十年」の冒頭です。

 私が探偵小説に心酔するに至つた経路[抹消して「涙香心酔」]
 私の探偵趣味は「絵探し」からはじまる。五六才の頃、名古屋の私の家に、母の弟の二十にもならぬ若い小父さんが同居してゐて、その人が毎晩、私の爲に石磐に絵を描いて見せてくれるのだが、小父さんは好んで「絵探し」の絵を描き、私にその謎をとかせたものである。枯枝などが交錯してゐるのを、じつと眺めてゐると、そこに大きな人の顔が隠れてゐたりする。この秘密の発見が、私をギヨツとさせ、同時に狂喜せしめた。その感じは、後年ドイルや、殊にチエスタトンを讀んだ時の驚きと喜びに、どこか似たところがあつた。少年の頃「絵探し」を愛した人は多いであらうが、私は恐らく人一倍それに夢中になつたのだと思ふ。問答による謎々や、組み合せ絵(ジッグソウ)や、迷路の図を鉛筆で辿る遊びや、後年のクロスワードなどよりも、私にはこの「絵探し」が、何気なき風景画の中から、ボーツと浮かび上つて耒る巨人の顔の魅力が、最も恐ろしく、面白かつた。

 探偵趣味は絵探しだと告白されてみると、ああなるほどなと腑に落ちるところがありました。つまり私は長きにわたり、乱歩が書いたのは本当に探偵小説であったのであろうか、どっか違うんじゃね? という疑問を抱きつづけていたのですが、探偵小説ではなくていってみれば絵探し小説なのであるといわれてああそうかなるほどなあ、ちげーねーやと納得できたというわけです。

 10月3日のトーク&ディスカッションでは「二銭銅貨」のみを例にあげ、六字名号がある瞬間に点字に姿を変えてしまうあたりがまさしく絵探しですと述べておいたのですが、たとえば世評高い「人間椅子」は先日も記しましたとおり肘掛け椅子がしゃがんだ人間に見えるという発想そのものが絵探しでした。絵探しとは要するに眼前の世界が隠している秘密を発見することなのですが、「人間椅子」と並んで人気の高い「屋根裏の散歩者」もまた、見慣れ見飽きた部屋のなかだって天井の節穴から眺めればまったくの別世界であったのだみたいな話であり、つまりは退屈で退屈でしかたのない人間が絵探しに鋭意努力してみましたみたいな話であるわけですし、それから乱歩短篇の最高傑作であると衆目がほぼ一致しているであろう「押絵と旅する男」、これなんかまんまお兄ちゃんは必死になって探していた絵をとうとうめでたく発見いたしましたというストーリーで、そういった意味の絵探しは別にしても作中に絵探しのモチーフを求めることはきわめて容易であると思われます。

 ですからトーク&ディスカッションにおきましては「二銭銅貨」以外にも絵探しモチーフと呼ぶべきものは乱歩作品の随所に発見できるはずですからどうぞ探してみてください、といったようなことを述べておいた次第であったのですが、ひきつづき開催されました蔵之助の大宴会で私はさらに図に乗ってしまい、要するにいま見えてる世界に見えてるだけの意味しかないってのはなんかつまんなくね? 秘密が隠されてなきゃおかしくね? っつーのが絵探しの世界観、絵探しをこよなく面白いと感じてしまう人間の世界観であり、それを人間にあてはめるとやっぱ変装趣味とか変身願望になってしまうわけなのねと力強く述べましたあげく、ひとりの人間がとどまることなく絵探しの絵になることを可能にしたキャラクターが怪人二十面相だったわっけー、とか酔っ払いながら滔々と述べたりもしてしまいましたっけ。

 それで思い出しましたけど、これは大宴会参加者の方から教えていたただいたことなのですが、乱歩が子供だったころの少年雑誌には絵探しのページがあったそうです。さあ、君にこの絵探しの謎が解けるかな? この絵にはどんな秘密が隠されているのかな? と少年読者に問いかけるページなわけですが、乱歩が子供だったころの少年雑誌には絵探しの懸賞なんてのもあって、絵探しの謎が解けた君にはこんな賞品をプレゼントしよう、みたいな企画があったそうです。したがってその絵探しの懸賞ページでは前号の入賞者みたいなものも掲載されているわけですが、じつにまことに驚くべきことに、その入賞者のなかに平井太郎という名前を見かけたことがあるような気がするとの話をお聞きしたときにはさすがに、えーッ、と驚いてしまいました。大宴会も二次会もずーっと向かい合わせだった浜田知明さんといっしょに、えーッ、とのけぞってしまったものでしたが、いまから思い返すとなにしろ酔っ払っていたときのこととて、記憶の不確かさには折り紙をつけてしまうことが可能です。

 申し訳のないことに乱歩最大のトリックになかなか一気には迫れない感じなのですが、ここらであすにつづきます。



謎と論理の興味こそが探偵趣味じゃね?
2009年11月30日(月)

 ウェブニュース検索してたらこんなのがひっかかってきました。

 アメーバニュース:142年分の書籍ベストセラーがまとまったすごいブログ(11月29日)

 とりあえず「谷崎も川端も乱歩もベストセラー。1948年がかっこよすぎる」ってのが意味不明。とにかくアクセスしてみました。

 読書猿Classic: between / beyond readers: 慶応2年から平成20年までのベストセラーをリストにしてみた(追記あり)(11月21日)

 ほんとに凄いリストではありますが、首をひねりたくなる点がなくもなく、少なくとも乱歩に関してはちょっとおかしい。乱歩は大正14年と昭和11年に都合三点がベストセラーになったとされております。両年のリストを転載しておきましょう。

1925年  (大正14年)
『女工哀史』細井和書蔵(改造社)
『痴人の愛』谷崎潤一郎(改造社)
『政治の倫理化』後藤新平(講談社)
『望郷』池谷信三郎(新潮社)
『第二の接吻』菊池寛(改造社)
『生活の芸術化』本間久雄(東京堂)
『家族的看護の秘訣』筑田多吉(廣文館)
『心理試験』江戸川乱歩(春陽堂)
『赤光』斉藤茂吉(春陽堂)
『万葉集の鑑賞及び其批判』島木赤彦(岩波書店)
『屋根裏の散歩者』江戸川乱歩(春陽堂)
『南蛮広記』新村出(岩波書店)
『標立つ道』倉田百三(岩波書店)
『鞍馬天狗』大彿次郎(博文館)
『感傷と反省』谷川徹三(岩波書店)

1936年  (昭和11年)
『宮本武蔵』吉川英治(講談社)
『いのちの初夜』北条民雄(創元社)
『怪人二十面相』江戸川乱歩(講談社)
『真実一路』山本有三(新潮社)
『戦争』武藤貞一(宇佐美出版事務所)

 大正14年に『心理試験』がいわゆるベストセラーになったなんて事実はなかったと思います。あの本は初版が二千部だったはずですが、それが増刷に次ぐ増刷で、みたいな話は聞いたことがありません。『屋根裏の散歩者』は大正14年ではなく翌15年の発行で、これまたおおきに売れまくったという話は寡聞にして耳にしたことがありません。発行部数でいえば昭和3年の『陰獣』のほうが上だったはずですし、単行本の最大のベストセラーは昭和5年の『蜘蛛男』であったと乱歩はどこかに書いておりました。『怪人二十面相』はベストセラーになったと称してもいいように思いますが、あれはむしろロングセラーという括りのほうがふさわしいかもしれません。しかしこのリストはそもそもベストセラーの定義そのものが曖昧で、「ベストセラーの悪口をいうにしても、ファクトを整理しといた方がいいと思って作った私物くさいリスト」とのことですから、あまり細かいツッコミは入れずにこのあたりまでとしておきます。

 ひきつづきましては毎度おなじみウェブ版講座ですが、絵探しとは要するに「秘密の発見」でした。絵のなかに隠されていた別の絵を見つけるという「この秘密の発見が、私をギヨツとさせ、同時に狂喜せしめた」と乱歩は述べています。それが探偵趣味の出発点であったというわけです。しかし「秘密の発見」は果たして探偵趣味なのか。探偵趣味ってのは煎じ詰めれば「秘密の発見」であるよりは「謎の解明」なのではないか。たったひとつの揺るぎない真実が謎によって覆い隠されている。その謎を論理的に解明して揺るぎない真実の姿を明らかにする。探偵趣味とはそうした妙味や醍醐味のことなのではないか、と思って乱歩の例の定義を確認してみると──

探偵小説とは、主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれて行く経路の面白さを主眼とする文学である。

 こんなことが書いてあったわけです。びっくりしました。「難解な謎」のほうが自然だろうと思われるのですが、なぜか「難解な秘密」という据わりの悪い日本語が使用されています。謎ではなくて秘密。乱歩の探偵趣味が絵探しから出発し、あくまでも秘密の発見を主眼としたものであったというのであれば、この定義に謎ではなく秘密という言葉が使用されているのも不思議なことではないのかもしれません。げんに乱歩作品には、真実の確定性にさほどの重きを置かず、むしろ不確定性を盛り込もうとするような傾きが認められます。乱歩が惹かれていたのはやはり秘密の発見であり、確定性を拒絶し曖昧さを残したまま作品を終えてしまう独特の小説作法にはもしかしたら終幕に至って秘密が消滅してしまうこと、世界から秘密が失われてしまうことへの怯えが潜んでいたのではないかとさえ思えてくるほどです。

 むろん乱歩も、思いついたところを拾っておきますと、たとえば昭和22年に発表された「一人の芭蕉の問題」ではこんなことを記しています。

探偵小説に求むる所のものは普通文学には求め得ない所のものである。これを仮りに謎と論理の興味と名づける。探偵小説に求むるところは謎と論理の興味であって、人生の諸相そのものではない。探偵小説にも人生がなくてはならない。しかしそれは謎と論理の興味を妨げない範囲に於てである。

 まことにわかりやすい文章です。不自然なところや理解できにくいところはどこにもありません。ですから例の定義も、

 ──難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれて行く

 というのではなくて、

 ──難解な謎が、論理的に、徐々に解かれて行く

 と書かれているほうがいい、というよりは書かれているべきなのですが、乱歩はなぜか、あたかも絵探しという出発点に引き寄せられるみたいにして、秘密という言葉にこだわってしまっているわけです。しかし探偵趣味というのであれば、ここで乱歩が述べている「謎と論理の興味」こそが本来の探偵趣味なのではないかと思われます。乱歩は絵探しにおける「秘密の発見」こそが探偵趣味であると規定し、その探偵趣味を探偵小説という器に盛ろうと努めたように見受けられるのですが、本来の探偵趣味とは「謎と論理の興味」なのであると仮定してみると、乱歩の探偵趣味が探偵小説という器からずれたりぶれたりし、ひずみやゆがみ、過剰や逸脱といったものを生じさせざるを得なかったのは当然であったということになります。乱歩の探偵小説が謎と論理の興味を追求したものではなく、いうならば秘密と官能の興味をもっばら追い求めているように見えるのがその証左だといえばいえるのではないかしら。

 さて、乱歩という作家の難解な謎を、論理的に、徐々に解いていってるつもりの「涙香、『新青年』、乱歩」ではありますが、これまでに書き記したところはもとより私の推測です。妄想とお呼びいただいても結構です。「探偵小説三十年」の草稿に記されていたところの、

 ──私の探偵趣味は「絵探し」からはじまる。

 という文章を手がかりに思いっきり妄想をくりひろげてみた次第ではあったのですが、推測や妄想ではない厳然たる事実としてわれわれの前に示されているのは、乱歩が絵探しについて記したあの草稿を筐底深く秘めてしまったという一事です。いったん記しながら公表はしなかったという事実です。この事実が意味するものは何か。これすなわち『探偵小説四十年』とはついに何であったのかということなわけでもあるのですが、それを知るためには、というかその疑問を手がかりに推測や妄想をとめどもなく展開するためには、乱歩の戦後を確認し戦後の探偵小説を概観しておくことが要請されます。