──要するに、僕は地上でただの一人きりになってしまった。もはや、兄弟もなければ隣人もなく、友人もなければ社会もなく、ただ自分一個があるのみだ。
というのはジャン・ジャック・ルソー『孤独な散歩者の夢想』の冒頭。青柳瑞穂訳の新潮文庫から引いたものですが、ルソーがこの最後の著作に着手したのは六十四歳のとき、すなわち死の二年前のことでした。
いかんいかん。ほとんど関係のない話題で始まってしまいました。いったい人はいくつで自伝を書き始めるのであろうかみたいなことが気になり、思いついて手に取った『孤独な散歩者の夢想』をぱらぱら読み返していた次第です。しかし実際のところ私は自伝のたぐいにはたいして興味がなく、それは要するに自伝なんてしょせん嘘で固めたしろものに決まっておるではないかという思い込みがあるせいだと思われます。したがって自伝という言葉からまず思い浮かべた『福翁自伝』すら、私は読んだことがありません。私の父親はマルクス主義者でしたから書棚には河上肇の『自叙伝』なんかも並んでいた記憶があるのですが、私はそれを手に取ることはしませんでした。荒畑寒村の『寒村自伝』があったかどうかまでは憶えておりませんが、いずれにせよ私はそれも読んだことがなく、しかしさすがに大杉栄の自伝なら眼を通したことがあって、あれはたしか神近市子に刺し殺されそうになった大杉が病院に担ぎ込まれたところで幕を閉じる異色の自伝だったと記憶しております。
それで岩波文庫の『自叙伝・日本脱出記』を引っ張り出してきたのですが、飛鳥井雅道の「解説」によれば大杉栄が神近市子との事件を自叙伝の一部として「改造」に発表したとき、当の神近が「豚に投げた真珠」という文章を同じく「改造」に寄稿してそれに反論したそうです。ちなみに飛鳥井はこの解説で「大杉はこうしただらしなさを〔つまり女性関係のだらしなさのことですが──引用者註〕『自叙伝』の「お化けを見た話」で弁解しているが、わたしがいかに男といえども、神近市子がこの事態を、大杉を刺し殺そうとした、いわゆる「日蔭茶屋事件」で解決しようとしたのを、うべなうものである」としています。神近市子の反論を孫引きしておきましょう。
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「大杉氏の記事ではここがやや新派の芝居がかりで、『待て──』と叫んだことになつてゐるが、事実は反対に彼は大声に泣いてゐた。そしてこの瞬間に私はもうこれでよいと考へた。この男は今こそ自分でやつたことが、なにを価ひしてゐたかを知つたのだ。私は彼の全心が私に加へた欺瞞にたいして詫びてゐることを知つた。」 |
おーこわ。ひとごとながらなんともおっそろしい話です。くれぐれも気をつけたいと思います。しかしたしかに大杉の「自叙伝」とこの「豚に投げた真珠」では書かれているところに大きな齟齬があり、どちらが事実なのか、あるいはどちらも事実ではないのか、そんなことは当事者でない限り知ることができないわけですが、自伝の記述がいかに危ういものであるか、うかうか鵜呑みにはできないものであるかということはまさにその一事によって了解されるものと思われます。それでこの「自叙伝」、巻末の年譜で確認したところ大杉栄が三十六歳のときに書き始めたものでした。とはいえなにしろアナーキスト、双六の上がりなんか眼中にない人生だったことでしょうし、双六そのものが上がりのはるか手前でいつ不意に終わってしまうかもわからない、というか現実に大杉栄は三十八歳で虐殺されているわけですから、人はいくつで自伝を書き始めるのであろうかという設問のサンプルとするにはこれは不向きな例であるというべきでしょう。
ついでに書棚を眺めてみたところマキノ雅弘だの棟方志功だのの自伝もあったのですが、なんかいちいちチェックするのが面倒だなと思って手を出さず、菊池寛の『半自叙伝・無名作家の日記』と自伝とは呼べませんけれど谷崎潤一郎の『幼少時代』、いずれも岩波文庫なのですがこの二冊をちょっとひっくり返してみて、私にはいまさらながら気づかされたところがありました。ちなみに菊池寛の「半自叙伝」は三十九歳、谷崎潤一郎の「幼少時代」は六十八歳で書き始められたものですが、人はいくつで自伝を書き始めるのであろうかという疑問には人それぞれであるという答えしかないわけで、そんなことはもうどうだってかまいません。私が気づかされたことというのは何かといいますと、一般の自伝や回想記に濃厚に漂っているはずの懐旧や追慕の気配が、乱歩の長大な自伝である『探偵小説四十年』にはまったくといっていいほど感じられないということです。過ぎた時代への愛惜の念も存在しておらず、ましてや晩年のルソーにはそれしか残されていなかった孤独な追想などどこを探したって見つかりません。
なんかもう思いっきりハードボイルドなわけです。遅ればせながら気がつきましたけど、『探偵小説四十年』というのは異様なまでのハードボイルドタッチで綴られた自伝なわけです。人間的な感情は極力抑えられていて、つまりは驚くなかれハードボイルドだど(古いですけど)。えーっとまあ、あすにつづきます。
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