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裁判 その(1)裁判の争点  その(2)裁判は始まったものの その(3)もう居直った! 当たって砕けろだ!
その(4)点が線に、線が面になる
 その(5)六箇条の実践 その(6)地元医師に意見書作成を依頼 
その(7)裁判所業を煮やし公の医療機関に鑑定を依頼
 その(8)裁判所と鑑定医が対立、被告弁護士も逆襲開始 
その(9)保険会社独自の意見書で反論
 その(10)判決か和解か、戦術の見直し その(11)和解、事実上の勝訴!

裁判  その(2)裁判は始まったものの

精神・神経科受診−−期待を裏切る診断結果


 平成10年3月、精神・神経科を受診します。知能テストの結果は驚きでした。なんと健常者と殆ど変わりませんでした。後でわかったのですが、脳外傷患者のための最も適当な知能検査は当時まだ完成していなかったのです。その上、その神経科医は母の異常に理解を示しませんでした。こちらとしては母の精神異常をひたすら訴えるしかありませんでした。

脳外傷友の会との出会い−−転機が訪れる!

 事態は好転せず、平成10年の5月、ゴールデンウィークを迎えました。日本国中がバカンスで浮かれ大移動するとき、私はというと、とてもそんな気にはなれず、家でテレビを見ていました。すると偶々、脳外傷についての番組を放送しているではありませんか!身を乗り出して視入りました。

 その番組に出ていた被害者の方たちもやはり何らかの事故が原因で脳に障害を受けていました。一見正常に見えても、一人で日常生活を送ることができない、突然感情的になり興奮して暴れたりする、5分前のことが思い出せない。それは母の症状と非常によく似ています。そして、その障害を認知してもらえず、ほとんど何の補償もない、という苦しい状況も同じでした。

脳外傷に理解のある病院を知る

 その番組で知った、脳外傷の家族を持つ人達のために結成された脳外傷友の会と早速連絡を取り、入会しました。そして脳外傷に非常に理解のある病院の存在を知ります。そこでは独自に脳の血流を調べて検査する方法を開発し、リハビリについても相当進んでいるということでした。

 弁護士はその検査には懐疑的で、あくまで最初かかった病院の脳外科医に診断書をもらうことに固執していました。必要ないというのです。常識的に考えれば確かに、母を事故以来ずっと診ている病院に診断を依頼すべきですし、なんといっても事故から3年近く経過しようとしていましたから。私はどうして良いかわからず悩んでしまいました。弁護士の先生には確かにお世話になりましたが、どうもテレビで事件ものを見過ぎたせいか、弁護士は皆かっこいい正義の味方というイメージが強く、現実は違うと気付くのに時間がかかりました。医者のイメージもテレビに出てくる白衣の紳士のイメージとは程遠く、母の症状に対する理解はありませんでした。

 脳外傷友の会の人から二度にわたって説得され、ようやく母を紹介された病院に連れていきました。平成10年7月のことです。一週間入院しPET(脳血流)と MRI の検査をうけました。その病院では、脳外傷患者のための心理テストも独自に開発していました。

 母をそこの医師に見せて驚きました。
「お母さんは非常に無気力ですね。テストでも短時記憶障害がよく出ています。脳外傷患者の特徴がよく現れています。」
的確に母の症状を見抜いたのです。また、患者の家族にも大変理解を示してくれました。患者本人・家族・医師の三者が協力しあってこそ良い治療が生まれるのだということを教えてもらいました。

 外科系統の医師は、患者の命を救うことを優先するせいか、どうしても治療を受ける側からすると人間味に欠け、取っつきにくい印象を受ける傾向があるようです。その点、リハビリ関係の医師は患者とその家族の話に耳を傾けてくれるので、本当に救われる思いです。脳外傷に理解のある人達に出会えて本当に感激でした。

 これで、事故の際運び込まれた総合病院では分からなかった脳の異常が立証されたわけですが、喜ぶのはちょっと早すぎます。最初に危惧した通り、何しろ事故から3年近く経っているのです。脳卒中でも同じことが起こり得ます。第三者には、その間に起こったことではないか、と疑われても仕方がありません。

 また、病院どうし、最初の病院とその病院間の暗黙の了解と言いますか、「メインは最初の病院」というのがあります。つまり、いくらその脳外傷に理解のある病院である検査結果が出たとしても、最終的な診断は、ずっと最初から患者の治療をしている病院が下すということです。ところがメインの病院では脳血流の異常は認めないという判断でした。

その(3)へ続く