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裁判 その(1)裁判の争点  その(2)裁判は始まったものの  その(3)もう居直った! 当たって砕けろだ!
その(4)点が線に、線が面になる
 その(5)六箇条の実践 その(6)地元医師に意見書作成を依頼 
その(7)裁判所業を煮やし公の医療機関に鑑定を依頼
 その(8)裁判所と鑑定医が対立、被告弁護士も逆襲開始 
その(9)保険会社独自の意見書で反論
 その(10)判決か和解か、戦術の見直し その(11)和解、事実上の勝訴!

裁判  その(5)六箇条の実践

文章の力を実感

 六箇条その四は、

4)医師・弁護士・法廷の三者を円滑に結ぶのに文書を活用する。最新の知識を得たとしても、付け刃は付け刃、生兵法は怪我の元、文書で意思を伝えるようにする。

・・・というものですが、これがまた意外と難しい。思うに、日本の国語教育って一体何だったんだろう、とため息をつく。別に一億二千万人全て小説家になるわけでもあるまいに、学校時代やたら難しい文章やら文法は習ったのに、実際に役に立つ国語力が全く身についていない。必要なことを簡潔な文章で表現する・・・これが全然できないジレンマに苦しみました。

 私は自分で書くことをあきらめ、人に依頼することにしました。母の症状を難しい医学用語を使わず、誰にでも分かるように書く。医師に提出するものはその医師が読んでいると思われる文献を意識して書く。弁護士・判事には、事実を裏付ける症例、新聞記事のコピー、放映された番組のビデオテープ等を渡しました。

 このやり方は確かに功を奏し始めました。今までギクシャクしていた四者間、双方の弁護士、判事、医師、そして原告の間の意思の疎通がうまく行くようになってきました。

 あらかじめ医師にFAXなどで文書を送って母の症状を説明しておくと、受診する際には既にちゃんと理解してくれています。文献、医学書などをあらかじめ調べる時間がありますから、ヤブ医者も名医と同じになります。弁護士もキチンと現状が把握でき裁判の際自信を持って述べることができます。判事も、裁判が始まるまでにちゃんと理解してくれていますから、法廷でクドクドと説明する必要がなくなります。

 文章は使い方によっては相当な力を持つものです。良い文章は誰が読んでも分かりやすく、コミニュケーションを円滑にします。悪文は誰が読んでも意味不明で頭痛を起こさせます。現在インターネットが急速に普及しつつありますが、いくらハードの性能が上がり、良いソフトが開発されたとしても、良い文章を書ける力はますます必要になっているのではないでしょうか。


その6へ続く