top page  エッセイ集   寄稿集   脳について   障害年金受給の手引き  海外脳外傷事情



裁判 その(1)裁判の争点  その(2)裁判は始まったものの  その(3)もう居直った! 当たって砕けろだ!
その(4)点が線に、線が面になる
 その(5)六箇条の実践 その(6)地元医師に意見書作成を依頼 
その(7)裁判所業を煮やし公の医療機関に鑑定を依頼
 その(8)裁判所と鑑定医が対立、被告弁護士も逆襲開始 
その(9)保険会社独自の意見書で反論
 その(10)判決か和解か、戦術の見直し その(11)和解、事実上の勝訴!


Click here to visit our sponsor
裁判  その(1)裁判の争点

保険会社のテクニックに騙されるな!
最初の落とし穴、安易に症状固定して印鑑を押しては絶対にダメ!


 裁判が始まったのは平成9年12月。事故があったのが平成7年10月17日ですから、2年以上補償交渉は暗礁に乗り上げていたことになります。

 なぜそんなに長い間放ったらかしになってしまっていたのでしょうか?一つには家族の誰もが補償交渉について何の知識・経験の持ち合わせも無く、最初は親戚に任せるしかなかったからです。もっとも、裁判に慣れている人なんてそうそう居るわけがありませんが。その上、裁判の争点は脳外傷という医学的証明の難しい厄介な代物。何しろ、医者・弁護士・判事でさえ取り扱うのは初めてという現実。当然、頼みの親戚もお手上げ状態。わずかな治療費が相手側の保険会社から支払われるだけでした。

 保険会社の人が度々家に来て、「下手に弁護士を頼んだりすると弁護費用がすごく高くつきますよ、ここいらで手を打ちなさい」とか、「早く症状を固定(もうこれ以上治療の見込みは無いとして障害の程度を医者に決定してもらう)して書類にサインしてください」と言ってきました。また、時々母の様子をうかがったりしているようでした。一見正常に見えるし、母自身自覚していないので疑っていたのでしょう。親戚も早く症状固定してサインし早く保険金をもらうようにと言ってきましたが、今から考えると安易にサインしなくて良かったと思います。

保険会社の提示

 保険会社側の提示した損害賠償額の見積書は、自動車保険料率算定委員会(通称自算会)の後遺障害等級事前認定票を元にしています。自算会ではいろいろな障害を併合した結果、等級を第8級としていましたが、一番重症と思われる脳挫傷による精神・神経障害は第9級10号でしかありません。この等級ですと、母は就労可能ということになります。

 それを認めてしまったら大変です。働けなくなった母のケアーが家族に重くのしかかってきます。加害者側保険会社は第8級で妥協するよう再三言ってきましたが、母のただならぬ様子からすると、とても就労などできるはずもなく、日常生活でさえままならぬ状態でしたから、それには絶対応じられる筈がありません。ちなみに、保険会社の提示額は約1000万円でした。余りに現実とかけ離れています。

頼みの綱、専門医の現状は?

 そこで頼みは脳外科の専門医ということになるのですが、これがまた、お医者さんの悪口を言う訳ではありませんが、最初にかかった脳外科医は、残念ながら脳外傷について理解のある人ではありませんでした。「お母さんは正常です」と言われると、白衣の紳士の診断だからそうなのかなあ、と一瞬思いもしましたが、やはり釈然としません。しかも、「そろそろ症状固定をしたらどうですか?」と保険会社と同じ事を言い出す始末です。

 頼みの医者からは母の症状を正しく認めてもらえないし、かといってどうしたら良いものか自分では判断できかねていました。後で考えるとラッキーだったのですが、そのころ整形外科の医師から、「症状固定はもう少し待った方が良い」、とアドバイスをもらいました。整形の立場から、「今固定してしまうと足の骨折治療のため体内に残っている金具を除去する手術代が出ないから」、ということです。平成9年3月のことでした。

結局、脳外傷については皆素人の集団

 そんなこんなで、母の治療とリハビリに明け暮れる半年が経った平成9年9月、脳外傷に余り理解の無い脳外科医は転勤し、替わりに新しい人が来ました。その方も特に脳外傷に理解があるとも思えなかったのですが、前の医師とは全然違う点が一つありました。それは、その新しい医師が過去に何回か法廷で証言したことがあるという点です。その医師は「精神・神経科で受診したらどうか?」とアドバイスをくれました。

 法廷での証言は、医師にとっても大変ストレスを感じるそうです。まして問題の焦点は「脳外傷」。被害者も素人なら原告・被告双方の弁護士も素人、おまけに裁判官もやはり素人。その中で、世間一般にまだ市民権を得ていないこの厄介な問題について、一人一人に納得の行く説明をするのはかなりの困難が予想されるだろうということです。

 そういったことで、脳外科も良いが現時点では精神・神経科の方がリハビリと裁判の両方に良いのではないか、ということでした。しかし、何故か精神・神経科というのは、母が精神異常者であると認めてしまうようで私自身抵抗感があり、実際に診療にかかるのは翌平成10年3月のことになります。
 
軍資金は整った−祖父の資金援助でいよいよ戦闘開始!

 ためらいはあったものの、思い切って告訴に踏み切りました。ためらいというのは、やはり裁判にはお金がかかるし、一ヶ月やそこらで終わるようなものではないからです。弁護士は、姉の知っている保険会社を通じて正義感と交通事故裁判で経験のある方を紹介してもらいました。裁判費用は祖父が年金を貯めていた中から何とか工面してくれました。祖父の助けがなかったら裁判はしたくてもできなかったでしょう。母が働けなくなったこと、母の面倒を家族が仕事を辞めてまでみなければならなくなったことで我が家の財政は火の車になっていたのです。事実上、働き手を二人失ってしまった訳ですから。

 訴状の中の請求原因には、外科的な損傷と外傷性クモ膜下出血から発生する後遺障害が書かれていました。足の関節痛、可動範囲の減少、目の障害、そして記憶障害。相手の保険会社が主張していた母の自賠責障害等級は8級、こちらの主張は5級。争点は母にどれだけの就労能力が残っているかということでした。9級ですと労働能力の喪失は35%、5級で79%。

弁護士の戦術−−まずは通常兵器で

 しかし、常にオムツが必要で、直ぐ前の事を忘れてしまい、意味不明な事を口走る現状を目の当たりにしている家族の実感としてはとても就労能力があるとは思えません。できれば2級か3級を請求したかったのですが、平成9年暮れのあの時点では、まだ医者でさえ脳外傷に対する理解が無く、弁護士は過去の法廷での経験から、戦術としてその辺が最も現実的と考えていたのではないかと思います。弁護士自身にとっても、脳外傷という事故との因果関係の立証が難しい裁判は初の体験なので、最初は裁判官にも容易に理解できるようなことを争点としていました。脳外傷の後遺症は敬遠されていたのです。

前途に暗雲の第一回裁判

 心に不安を抱きながら始まった裁判でしたが(平成10年2月)、案の定、形勢は圧倒的にこちらに不利でした。母の被った障害の中で、最も重いものは脳障害ですが、第三者に納得させるに足る医学的証拠がありません。私が法廷でいくら母の症状を訴えても、所詮は当事者の言うこと、証拠にはなりません。しかも、事故から既に2年も経っています。事故の際担ぎ込まれた病院には母を担当した脳外科医は転勤してしまっていて既にいません。母を診た脳外科医も CT やMRIでも母の精神障害を証明することはできないと言います。余りしつこく、「そこを何とか」と食い下がり、怒鳴られて追い返されたこともありました。相手側弁護士の余裕シャクシャクの態度が印象的でした。「どうせこの裁判、直ぐに終わるさ」とでも言いたげでした。

 脳外傷を除いた障害等級では軽度のものしか認めてもらえません。しかし、母は実際職場復帰は不可能です。働けなくなってしまった以上、事故にあった47歳から定年の65歳まで働いた場合の賠償を何としても勝ち取らねばなりません。裁判の争点、母がどれだけの障害を被ったか、就労能力はあるのか、あるとすればどの位か、といった点について、脳外傷が原因であることを何としても証明する必要がありました。

 その(2)へ続く