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2007年1月中旬
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古本屋さんに注文してあった日劇ミュージック・ホールのパンフレットが届きました。昭和33年の11月と12月に公演された「夜ごと日ごとの唇」のもので、「トリックのあるヌード・ショウ」という乱歩の文章もたしかに収録されているのですが、詳細については先送りといたします。 そういえば「幻影城の時代」という同人誌もご恵投をたまわっており、じつは私も稿を寄せるようご慫慂をいただいていたのですけれど「幻影城」という雑誌にはこれといって思い入れがなく、むろん手許には一冊も所蔵しておりませんので僭越ながらお断りを申しあげましたところ、1月3日にお会いしたミステリファンの方から寄稿すれば一冊ただで送ってもらえるのだと教えていただきましたので、ああそれならば無理にでも原稿を書いておけばよかった、リアルタイムでの思い入れはなけれども私は『乱歩文献データブック』をつくるとき名張市立図書館所蔵の「幻影城」全冊に眼を通しているのだし、それにそうそう、これは昨年12月12日付伝言にも記したことなれど島崎博さんの「江戸川乱歩参考文献目録」は『乱歩文献データブック』のいわば源泉のひとつなのであるからして、これはもうこちらからお願いしてでも原稿を書かせてもらうべきだったんじゃね? とか思い返していたところへ「幻影城の時代」をお年玉みたいにお送りくださった方がありましたのでめでたしめでたし(なにがめでたいんだかよくわかりませんけど)。とにかくこの一冊は当サイトでもご紹介をと考えているのですが(内容などはこのサイトでごらんください)、これもまた先送りなり。 さて、そんな話題こんな話題はあとまわしにして本日もうわっつら自治体のおはなしなのですが、乱歩記念館なんて名張市にとってはほんとにお飾りかアクセサリーでしかない。このことをさらに強調しておきたいと思います。これが少し前のことなのであれば、名張市の乱歩記念館構想には乱歩の遺産の散逸を防ぐという大義名分を掲げることができたのですが、乱歩の遺産を立教大学が継承してくれたいまとなってはそんなお題目は成立いたしません。すなわちお飾りアクセサリーでしかありえない。そこらのお姉さんが欲しがるいわゆるブランド品のようなものでしかない。 去年のいつであったか、私は教え子の女子高生に、 ──ブランド品とはなんぞや? と訊いてみたことがあります。返ってきたのはこんな答えでした。 ──ジコマンなり。 ジコマンというのは自己満足のことなのだそうで、つまりブランド品なんて自分の虚栄心や物欲なんかを満足させるためのものでしかないということはそこらの女子高生ですら先刻ご承知。女子高生のジコマンならまだ可愛げというものがありますが、自治体が大金はたいてジコマンに走るのはどうにもいただけません。名張市にはただジコマンのためだけに私立大学を誘致したという暗い過去があり(むろん私は誘致されてきた皇學館大学を批難しているわけではありません。大学が地方都市のステータスシンボルであるなんていうような旧態依然とした価値観にもとづいて、いくらだったか正確なところは忘れたけれど何十億もの税金つかってんじゃねーぞこら、ということをいっておる)、そのせいもあっていまや職員の退職金にも四苦八苦している状態であると伝えられる名張市が、まーだこれ以上ハコモノという名のジコマンに税金つぎこむのはいかがなものかと私は思う。 乱歩にかんしてあれもやりましたこれもやりましたみんな滑ってしまいましたということを赤っ恥かきながら経験してきた名張市にとって、いまや残されているのは名張市立図書館が乱歩関連資料にもとづいて質の高いサービスを提供するということしかないのではないか。名張市が手がけるべき乱歩関連事業の核となるのは市立図書館の地道なサービスでしかありえないであろう。少なくとも過去十年なら十年を振り返ってみた場合、名張市は乱歩の生誕地としてなかなかいいことをやっておるではないかと多少なりとも外部からお認めいただいたのは、いうまでもなく名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブックだけなのである。むろん私とて旭堂南湖さんの探偵講談をバックアップして東京公演にまでもちこんでしまうみたいなこともいたしましたけれども、あれはまあいってみればサイドビジネス、いやビジネスといってしまっては変ですけれども、とにかくお仕事の軸足は図書館本来のサービスに置いているわけなのであって、名張市が乱歩にかんしてなにかするのであればそうしたあたりを基本にするしかないはずなのである。 ところがそんなことすらわからんのが名張市役所の人たちであり名張まちなか再生委員会のみなさんであるのだということはこれまでにもさんざん指摘しつづけてきたわけなのですが、しつこくもまあもう少しつづけることにして、細川邸を名張市立図書館ミステリ分室として整備すれば名張市は少なくともハコモノ行政という批判からは無縁でいられることでしょう。ミステリ分室だってハコモノではないかとおっしゃる方もおありかもしれませんが、私はハコモノという言葉を運営面などにはまったく意を用いずにただつくりましたはいおしまいですと建設それ自体を目的としてつくられた公共施設という意味で使用しており、ミステリ分室はむしろその逆。名張市が乱歩のことを今後とも手がけてゆきたいというのであればどうしても必要なのがそのための拠点であり、ミステリ分室こそはその拠点にほかならないということです。展示資料もないのに歴史資料館を整備するなどという人を食ったような構想とは正反対に、そこにおいてしなければならないことがあるからその施設が必要なのだという話なのである。 現在の名張市立図書館がその拠点にならぬのかとおっしゃる方もおありかもしれませんが、拠点になりえないからこそ私はこんなことをいっておるのである。あるいは桝田医院第二病棟にプランニングされているらしい乱歩文学館ないしはミステリー文庫がその拠点にならぬのかとおっしゃる方もおありかもしれませんが、拠点になりえないと推測されるからこそ以下同文。それにだいたいルールや手続きをいっさい無視したあんな話は可能であればただちにぶっ壊さなければならんのである。そっちのほうが先決なのである。 名張市はいったいいつまで平気な顔してインチキをかましつづける気なのかしら。 さ、あしたもまたインターネットでぎゃあぎゃあ大騒ぎしてやろうっと。
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さあきょうもまたインターネットでぎゃあぎゃあ大騒ぎしてやるぞ。 おい、ネットでなにいわれたって痛くも痒くもねーやとかいって知らんぷりのほっかむり決め込んでるやつら、おおみそかにすっごい滑った秋山成勲選手はきのうとうとうあんなことになってしまったではないか。インターネットなかりせばあんな疑惑は闇から闇へと葬り去られてそれっきりであったはずなれど、インターネットの大騒ぎのおかげですっごい滑ったのは反則行為であったとの公式見解が発表されるにいたったのである。実際に行われたインチキはもっと根の深いものなのであろうと推測される次第ではあれど、とにかくいまやインターネットはなかなかに侮りがたいメディアであると知るがよかろう。おまえらみたいにご町内感覚だけで凝りかたまってる人間にはその程度の想像力すらないのであろうがな。ばーか。 さて昨日、掲示板「人外境だより」にこんなご投稿を頂戴いたしました。
いよいよ建設されますか。そこで名張市のオフィシャルサイトを閲覧してみますと── 「入札・契約」のページにこんな情報が掲載されていました。
発注情報の PDF ファイルはこんな感じ。クリックすると名張市オフィシャルサイトに掲載された大きな画像が開きます。 細川邸がいったいどんな施設になるのかさえ正式には公表されていないにもかかわらず、その「改修他工事」のための設計が着々と実施されようとしているという寸法です。なーにやってんだか。 名張市はいったいなにを焦っておるのかというと、要するに期限の問題でしょう。名張まちなか再生プランは「まちづくり交付金」という国の交付金による助成を受けて事業化されることになっているのですが、その期限が2008年度。だから締切から逆算するとそろそろお尻に火がついてきたということなのか、あるいはもっと具体的にいえば実施設計に2006年度の予算がついているからということなのか、とにかく市民のコンセンサスを無視し情報はいっさい秘匿したままで大汗かいて実施設計を発注しようしているところなのであろうと見受けられます。 しかしいまごろ焦ってるってのはどう考えてもおかしい。名張まちなか再生プランが策定されてから二年、名張まちなか再生委員会が結成されてから一年半もの時間が経過しているというのに、委員会のみなさんはいままでなにをやっておったのか。役立たずのそしりは免れぬところであろう。だからもうほんとにね、あんなインチキ委員会に税金の具体的なつかいみちを決められては市民は困ってしまうのであるし、そもそも名張地区既成市街地再生計画策定委員会とか名張まちなか再生委員会とか、そこらのうすらばか集めてことを進めようとした名張市は決定的にまちがっておったわけなのである。官民双方のすっとこどっこいを寄せ集めた結果がどうなるのか、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」でいやというほど思い知らされたのではなかったのか。 こんなのは普通にはありえないことでしょう。名張市は名張まちなか再生プランを正式に決定し、細川邸を歴史資料館として整備しますと市民に約束したわけです。ところが名張まちなか再生委員会の協議の過程でその約束が反故にされ、去年7月の名張市の広報紙では細川邸は「(仮称)初瀬ものがたり交流館」になるなんてことにされていた。たしかに変更はしかたないかもしれない。資料もないのに歴史資料館をつくろうなどというプランはそもそも実現不可能である。しかし正式に決定されたプランに変更を加えるのであればそれなりの手続きが必要であろうし、どうして変更したのかを市民に説明する義務も生じよう。あのときはああいって約束しましたけど、これこれこういう理由がありましたのでこれこれこういう手続きによってこういうぐあいに変更しましたと説明しなければならんはずである。 ところがなーんの説明もなしにいきなり設計の発注と来たもんだ。やれこのさ。市民をこけにするのもいいかげんにしていただきたいと私は思う。失態に失態を重ねてなんの説明もせず、このままローションでぬるぬる滑るみたいに先へ先へと話が進んで工事がはじまってしまったとしたら、これはもう名張市の明らかな失政ということにならざるをえないのではないかいな。しょんがいな。名張市はインチキ自治体の名をほしいままにしたいものと見えます。 ところで私の手許には一通の書類があって、これは昨年12月14日に名張市役所で開かれた名張まちなか再生プラン関係者の会議で配付されたものなのですが、その一枚目はこんなあんばい。クリックすると大きな画像が開きますのでじっくりごらんくださいな。 ね、ばかでしょ。ばかというしかないでしょこいつら。細川邸にかんしては「(仮称)初瀬街道交流館の名称決定」なんてことをいまだにいってるそのいっぽうで、「実施設計」は1月からときっちりスケジュールに組み込まれておる。桝田医院第二病棟と来ては目もあてられぬありさまで、「官民の対応方針の調整」だの「必要な協議研究体制づくり」だのなーにわけのわからんことをごちゃごちゃゆうておるのか。1月から3月までのあいだに四回もの「検討会議」が開かれるとのことなれど、そんな会議など必要あるまい。桝田医院第二病棟にはこんな碑を建てとけとゆうとるだろうが。 な。これでいいだろ。ばーか。
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さーて元気かインチキ自治体の皆の衆。きょうもかるーく揉んでやっからね。ローションプレイはお好きかな。しかしきょうは土曜でお休みか。 みたいなこといいながらふと気がついたことなのですが、完全にばかになっていた Google 利用のサイト内検索、ちょこっとつかえるようになっておりました。おかげで引用しようと思いながら探し出せなかったページを見つけることができました。2003年11月付伝言録でした。どういう内容であったかということを2003年10月付伝言録の23日付伝言からまず引きます。 ちなみに当時の私は翌年に控えた「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」をテーマに「じゃーん。しょうもないことに税金つかうのはやめましょうキャンペーン」を展開しており、引用冒頭に出てくる「このキャンペーン」というのはそれを指しております。
つまり私は2003年10月の時点で、乱歩コーナーを閉鎖して名張市立図書館は乱歩から手を引くべきであると市および市教育委員会に提言し、 「一度みんなで検討してみましょう」 とのお答えを、上に引用した伝言では発言者名を記してありませんけれど当時の教育長から頂戴したわけです。むろん検討なんてその後ただの一度も行われず、べつにお役所の人たちのその場しのぎや思考停止や先送りにいちいち驚きはしませんけど、うそつき、とかは思っちゃう私。 さてそれで上に引いた10月23日付伝言には「仔細はまたあした」と記してあるのですが、当時の伝言板は「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」のことで忙しく、「じゃーん。名張市は乱歩から手を引けキャンペーン」の話題に復帰できたのは11月5日のことでした。以下、翌6日から8日までの伝言を全文ぶっつづけで引いておきます。
しかしほんとに私はおなじことしかいってない。ちゃんとしたことができないのならとっとと手を引きなさい。それしかいってないわけね。名張市立図書館が乱歩にかんしてなにをするべきかを示すことはできたのですが、それを実際に手がけてゆく人間がいない。あれだけ程度の悪いお役人衆を掃いて捨てるほど雇っているのだから乱歩の専門職員を養成することくらい簡単ではないかと思われるのであるが、それができない。それに2003年当時に比して名張市の財政難はいよいよ深刻の度を深め、きのうあたりの日刊各紙の地方版ネット記事を見てみると、毎日新聞が「名張市:市長報酬、5.9%引き下げ──審議会で自ら提案 /三重」、中日新聞が「【伊賀】 特別職給料さらに減額 名張市長が報酬審に諮問」と、特別職給料のさらなる減額を検討しなければならぬほどの財政難なのであって、専門職員の養成などは夢のまた夢であろう。 だがしかし、名張まちなか再生プランで細川邸を歴史資料館として整備するなんてことになるのであれば話は全然ちがってくる。発表されたプランの素案を見て私はそう思いました。歴史資料館整備なんてリフォーム詐欺みたいなことにつかう税金があるのなら細川邸を市立図書館ミステリ分室にしてしまい、最低限必要なスタッフを配置する。そして名張市立図書館が収集資料にもとづいて質の高いサービスを提供する環境を整える。こっちのほうがよほど理にかなった話ではないか。むろん年に一度くらいは全国のミステリファンが名張を訪れてくれるような催事を主催したっていいのだし、市民対象の日常的な催しを開催するのもいいのだけれど、いちばんの基本は乱歩にかんする質の高いサービスの提供である。とにかく細川邸を名張市における乱歩の拠点にしてしまえば可能性はいくらでもひろがるであろうと私には考えられました。 ならば細川邸を名張市立図書館ミステリ分室として整備した場合にどんな可能性が見えてくるのか、みたいな夢を記そうかと考えていたのですが── こんなようなあんばいで2月5日には「細川邸改修他工事実施設計業務委託」の入札が行われるってんですからさすがにあほらしくなってきました。夢を語るのはやめておきます。「夢がないね」となじらないでね。
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きのうはごくありがちな事情でぶっ倒れていて伝言をお休みしてしまいました。きょうはもう大丈夫。 しっかし片づかねーなー。ほんとになかなか片づきません。どれほど片づかないかというとこれほど片づかない。 べつに写真でごらんいただくほどのことでもないのですが、年末にはじめた資料整理はコピーのたぐいはほぼ(といっていいのかどうか)終了し、コピーではない新聞や雑誌やバンフレットやチラシの整理に移行しているのですが、これがまたずいぶんな手間であるからやんなっちゃう。 やんなっちゃうからきょうはこれだけ。
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名張まちなか再生プラン関連の話題をしつこくつづけてまいりましたが、以前からいってるとおり私にはいまや名張まちなか再生委員会を相手にする気は毛頭ありません。そしてこれも先日来主張しているそのとおり、そろそろ行政の責任を追及するべきときだと考えておる。誰も追及しなくたって私が追及する。結構厳しく追及する。 だいたいがあんな話は普通にアウトだ。もしもこれまでの経緯をくわしく説明したうえで(むろん私のみならず名張まちなか再生委員会サイドの主張も公平に説明するわけですが)名張市民に賛否を質してみたとしたら、おそらく細川邸と桝田医院第二病棟の整備に税金をつかうことに反対する人のほうが、もしかしたらもう圧倒的に多いのではないか。 なにしろ名張市の財政難はきわめて深刻で、たとえば1月13日付中日新聞には「【伊賀】 事業費を大幅抑制へ 名張市が検討、消防・防災の複合施設」との記事が掲載されている。新たに建設される消防防災複合施設の事業費を財政難のせいで大幅に見直さなければならず、事業費の調整に時間を要するため2006年度内に予定していた基本設計も2007年度に持ち越しになったと報じられているのであるけれど、市民の生命や安全に直接関係する施設の整備ですら事業費の縮小を迫られているといういってみりゃ崖っぷちのこうした時期に、こんちこれまた細川邸がどうのこうのと不要不急のハコモノ整備で市民の共感や納得を得るのはなかなかに難しいことであろうと私は思う。こそこそと「細川邸改修他工事実施設計」の入札なんかやっとる場合か。 だいたいが名張まちなかをちょっと歩いて、そこらの商店主や一般住民のみなさんから名張まちなか再生プランにかんするおはなしをお聞きしてみなさい。少なくとも私の知るかぎりでは、プランを支持したりプランに期待したりしている人間なんてひとりもおらんぞ。そうした人たちからまず口をついて出るのは情報がまったく開示されていないという不審の念であり、ごく一部の人間によって密室のなかでなにごとかが進められているらしいというのがプランにかんする地域住民の一般的な印象なのである。これが多少なりとも事情を知っている住民になるとまた話がちがってきて、名張まちなか再生委員会はすっかりてんでんばらばら、委員それぞれが思い思いに好き勝手なことをいってるだけだから話が前に進まないといった具体的な批判を展開してくれる。 まったくひどい話である。歴史資料もないのに歴史資料館をつくれなどととんでもないプランを策定した名張地区既成市街地再生計画策定委員会もアウトなら、発足から一年半以上の時間をかけていまだに細川邸の活用策すら提示できていない名張まちなか再生委員会もアウトである。そしてこれはまさしく「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の再現なのである。よみがえった悪夢なのである。こういった驚くべき相似性について私は最初っから指摘してきたのでありますが、理念やビジョンをいっさい共有することなく官民双方の関係者がそれこそてんでんばらばら思い思いに好き勝手なことやって税金をどぶに捨ててしまったあの悪夢がいまここに再現されつつあるのである。 ばかかこら。ばかにばかかと尋ねるのもばかな話ではあるけれど、ばかってのはまったくどうしようもない。そんなばかに頼ってる名張市もまあばかなのであるが、とにかくわしゃもう知らん。なにも知らん。以前からいってるとおりばかどももう好きにするがよい。ばかにまともなことができるというならちゃんとやってみろばか。 とか思っていたところへ昨日、名張まちなか再生委員会関係者から電話でコンタクトがありました。その内容はといいますと、ここで1月12日付伝言に掲載した文書を再掲いたしましょう。 この表によれば桝田医院第二病棟の整備にかんして1月から3月までのあいだに四回の「検討会議」が開かれることになっているのですが、むろん私の知ったことではありません。私は桝田医院第二病棟にはこんな碑を建てておけとゆうておるのじゃ。 えー、あすにつづきます。
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きのうのつづきです。おとといの話です。名張まちなか再生委員会の関係者から電話でコンタクトがあり、桝田医院第二病棟の整備にかんする検討会議に出席してくれないかとの要請がありました。むろん断りました。断ったけれど結局は OK いたしました。ただし検討会議の日程はいまだ決定しておりません。決まったらまた連絡が入ることになっております。 桝田医院第二病棟にはこんな碑を建てておけという私の考えには変わりがありません。名張まちなか再生委員会なんてかすみたいな連中のことなんかもうどうだってよろしく、そろそろ行政の責任を厳しく追及してやらねばなるまいてという方針にも変更はないのですが、まあかすの相手もしてみてやるか。相手にする気はなけれども、思案にあまったのであれば話くらいは聴いてやらぬでもないというのは以前からいってきたことでもありますから、検討会議に顔を出すことにした次第です。 ただし、そんな検討はそもそも無効であるとは電話で指摘しておきました。名張まちなか再生プランには片言隻句もふれられていなかった桝田医院第二病棟の整備計画を名張まちなか再生委員会が検討できるのか。できるわけねーじゃん。なあなあ体質全開にして調子こいてんじゃねーぞこらというのが私の主張なわけであって、検討会議ではまずそのあたりのことを明確にする必要があるのかもしれません。過去に名張まちなか再生委員会事務局へ足を運んで確認したところでは、そのあたりのことにかんするまともな説明はついに聴くことができませんでした。むろん検討会議でも聴くことなんかできないでしょうが、問題点をあらためて指摘しておくのは大切なことでしょう。 それでもう名張まちなか再生委員会なんて解散してしまえばいいのである。この委員会にはものごとを考えたり決めたりすることができない。それはいまや明々白々な事実である。私ひとりがそう認識しているのではなく、少しでも事情を知っている名張旧町地域の住民にとってもすでにして周知の事実であるといっていい。だから委員会を解散してプランを白紙に戻せばいいのである。それをやらないと話が前に進まない。仕切り直して出直したとしても、まともな人間が集まって集中してやればプランなんて一か月もあれば余裕でまとまることであろう。 とにかく名張まちなか再生プランは失敗に終わった。それはもういの一番から、名張地区既成市街地再生計画策定委員会などというものを組織した時点で失敗は方向づけられておったのである。そこらの各種団体あたりから名張旧町地区にかんする知識も愛着もとてももちあわせているようには見えない委員を寄せ集め、そこらの大学のそれも工学部かなんかの御用学者をトップに据えた委員会なんかつくった時点で名張市がばかだったっつーの。そんな旧態依然とした手法が通用するのか。まったく通用せんかったではないか。そんなことは策定されたプランを見れば一目瞭然であろう。展示すべき資料もないのに細川邸を歴史資料館にしろといい、寄贈を受けた桝田医院第二病棟のことにはいっさいふれていない。そんなインチキなプランを突き返せなかった時点で名張市はまたしてもばかだったっつーの。 みたいなことをいまからいってもしかたはないが、現時点におけるていたらくを見るだけでも名張まちなか再生委員会が徹底して無能力であることは火を見るよりも明らかであり、ならばこんな委員会は切ってしまうのがあたりまえではないか。いつまでもちんたらちんたら協議の検討のなんてことをさせておくべきではないであろう。行政の責任においてとっとと解散させるべきである。月並みなせりふを並べておくならば、こんなこと民間じゃ絶対にありえねー、ってとこですか。 それでおとといのことですが、名張まちなか再生委員会の関係者から電話でコンタクトがあったあと、ちょっと用事があって名張まちなかをぶらぶらしていたときに(誰に訊いてみても名張まちなか再生委員会の評判は最悪である、という事実がまちなかを歩いてみてあらためて確認された次第でしたが)、名張まちなか再生委員会の関係者のそのまた関係者の方にお会いしました。で、名張まちなか再生委員会の関係者から私への伝言を伝えていただきました。桝田医院第二病棟の件でおまえの話を聴かせてほしい、というのが伝言の内容でした。それで私は、その関係者とはべつの関係者からコンタクトがあって検討会議に出ることにしたし、その場には私に伝言をことづけた関係者の出席も要請しておいたから、人づてに伝えられたその関係者からのアプローチにも応えることになると思うとお返事をしておいた次第です。なんだかひどくややこしい話のようですけど、要するに桝田医院第二病棟の整備にかんする検討会議が近く開かれ、私はそこに出席するということです。 結論としてはこんな碑をつくって桝田医院第二病棟に建てておくのがいいであろうということになると思うのですけれど、こうした結論にいたる以前に名張まちなか再生委員会を解散してまちなか再生の出直しを図れればそれが世のため人のため、さらには税金の正しいつかいみちのためでもあることは論をまたないはずである。いったいどうなるのかは知らねども。さのよいよい。
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名張まちなか再生委員会からその後の連絡はまだありません。桝田医院第二病棟の整備にかんする検討会議の日程はいまだ決まっていないようです。 それはそれとして名張まちなか再生プランの、なんていうのかいわゆるまとめサイトみたいなページが必要だろうと思いつきましたので、善は急げ、さっそく着手してみました。このページです。数日もあればひととおり完成するであろうと思われます。 それでは本日はこのへんで。
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まだです。名張まちなか再生委員会からはまだ連絡がありません。それならとっとと行政の責任を追及する作業に入ろうかなとも思うのですが、委員会側の日程調整には意外に時間がかかるのかもしれません。一か月もあれば余裕で決められることを一年半がかりでまーだ決定できていない組織なんですから、そのあたりを勘案してもう少しお待ちしてみることにしましょうか。 しかし行政の責任を追及するといったって、私にとっては目新しいことでもなんでもありません。たとえば2003年の6月、私はこんな漫才で三重県をおちょくっておりました。「乱歩文献打明け話」の第二十五回「芭蕉さんは行くのか」から引きましょう。
これは三重県に対して「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」とかいって税金どぶに捨ててんじゃねーぞこらと心からなる忠言を呈したときの漫才なのですが、名張市に対する追及も内容はまったくおなじものになるでしょう。具体的な事業名などが変更されるだけの話で、漫才形式で表現するならばまずはこんなあんばい。 「けどほんまに名張市も何を考えてるのかようわかりませんですね」 「せやから名張まちなか再生のために税金を有効活用しようということですがな」 「たとえ百歩譲って名張市による名張まちなか再生プランの実施を認めるとしても最初から税金の有効活用には絶対ならんやろなと予測がつくような施設を地域に押しつけられては困るんです」 まんま名張まちなか再生プランにあてはまってしまうという寸法です。問題はここに出つくしている観さえあって、すなわちお役所には企画力や発想力というものが全然なく、そのくせ見栄を張りたがるものだからくだらないハコモノやイベントで税金をどぶに捨ててしまうことにならざるをえない。三重県も名張市もおなじ穴のむじなみたいなものでしょう。 ついでですからもう少し引きましょう。
このパートには地域住民の問題が出つくしている観があります。官と民との協働とかいう旗のもとにつどった名張地区既成市街地再生計画策定委員会や名張まちなか再生委員会が結局はろくなものではなかった、ただの役立たず集団であったという事実を、私は2003年6月の時点で予見していたといってもいいでしょう。 こうした行政批判ならびに住民批判の延長線上で名張まちなか再生プランにおける行政の責任はどうよと名張市に確認する。端的にいってしまえば名張まちなか再生プランは失敗であったと認識しているのか認識していないのか、それを名張市に確認する。とりあえずそういったことをこれからやってこーかなーと私は考えているわけなのですが、「乱歩文献打明け話」の第二十五回「芭蕉さんは行くのか」には行政の無謬性にかんしてこんなくだりもありました。
それでまあ一般市民の支持も理解もない状態で強引に実施されようとしている名張まちなか再生プランとかいうやつは、ここでこれまでの流れをぜーんぶストップさせて白紙の状態で出直しを図るのが最善の策ではないのかなと、敢えてそうするのが行政の責任ってものではないのかなと、私の追及はそのあたりにまで突き進むことになるはずなのですが、追及したってプランが白紙に戻されることはまずないでしょう。しかしだからといって、いくらなんでもいまさら無理だもう手遅れだという時期ではあるとしても、あるいはネットでぎゃあぎゃあ騒いでいるだけとあっさり片づけられるような状況ではあるとしても、やっぱ黙っておるわけにはゆくまいて。 なぜか、みたいなことを「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」なんかやめてしまえと2004年3月の時点で大騒ぎした「伊賀の蔵びらき記念特別大漫才」から引いておきましょう。
三重県にしろ名張市にしろ、いくらこちらが大騒ぎしたところでお役所は飽きもせずおなじ失敗をくり返し、私もまた飽きもせずこらばかおまえらとそのお役所を批判しているわけなのですが、それにしたって2月5日には「細川邸改修他工事実施設計業務委託」の入札が行われるというのですから、あまりのんびりもしていられません。名張まちなか再生委員会からの連絡はまだか。
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ありました。きのうの伝言に、 ──名張まちなか再生委員会からの連絡はまだか。 と記しましたところ、さっそく連絡がありました。桝田医院第二病棟の整備に関する検討会議の第一回、2月1日木曜日に名張市役所で開かれることになったようです。 それにしてもなんかちんたらしておるではないか。2月5日には「細川邸改修他工事実施設計業務委託」の入札が行われるわけです。しかも委員会のこの内部資料によれば── 細川邸と桝田医院第二病棟にかんしては「有効な連携運営体制等の検討」が進められることになっているわけです。ところが現在ただいまは桝田医院第二病棟がどうなるのかがさっぱり不明な状態。にもかかわらずこんなぐあいに── 細川邸の工事実施設計の入札が行われるというのはおかしいのではないかしら。おかしくないかもしれないけれど、やっぱりおかしいと私は思う。 しかしまあこの名張まちなか再生プランというのは最初っからずーっとおかしかったわけなのであって、それを検証するための「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」、朝からふうふういいながら2004年度のできごとを記しました。できごとを記すのみならずおりにふれて私のコメントも記載した次第ですが、いまからなにをいったってせんかたなしや、涙のごときものは溢れ出でたりしませんけれど、いまごろ文句つけるのはあと出しじゃんけんみたいなものですからコメントは控えるべきかとも考えてみましたものの、しかしいうべきことはいっとかないとな、と思い直してたとえば2004年12月のコメントのひとつはこんなあんばい。
くわしくはの「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」でどうぞ。
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