2007年1月中旬
11日 ジコマン自治体を批判する 歴史はみんな嘘、明日来る鬼だけがほんと
12日 インチキ自治体を批判する 島崎幻影城と乱歩幻影城
13日 うそつき自治体を批判する “背徳の書”には毒が欠かせない
15日 片づかねーなーまったく 嘘の様な現代の事実談
16日 委員会からのコンタクト トリック・ゲーム
17日 委員会からのアプローチ トリックのあるヌード・ショウ
18日 まとめサイトみたいなページ 三つの好意──演出家の手記
19日 待てど暮らせどこぬか雨 夜ごと日ごとの唇
20日 検討会議は2月1日 パノラマ島奇談に寄せて
 ■1月11日(木)
ジコマン自治体を批判する 

 古本屋さんに注文してあった日劇ミュージック・ホールのパンフレットが届きました。昭和33年の11月と12月に公演された「夜ごと日ごとの唇」のもので、「トリックのあるヌード・ショウ」という乱歩の文章もたしかに収録されているのですが、詳細については先送りといたします。

 そういえば「幻影城の時代」という同人誌もご恵投をたまわっており、じつは私も稿を寄せるようご慫慂をいただいていたのですけれど「幻影城」という雑誌にはこれといって思い入れがなく、むろん手許には一冊も所蔵しておりませんので僭越ながらお断りを申しあげましたところ、1月3日にお会いしたミステリファンの方から寄稿すれば一冊ただで送ってもらえるのだと教えていただきましたので、ああそれならば無理にでも原稿を書いておけばよかった、リアルタイムでの思い入れはなけれども私は『乱歩文献データブック』をつくるとき名張市立図書館所蔵の「幻影城」全冊に眼を通しているのだし、それにそうそう、これは昨年12月12日付伝言にも記したことなれど島崎博さんの「江戸川乱歩参考文献目録」は『乱歩文献データブック』のいわば源泉のひとつなのであるからして、これはもうこちらからお願いしてでも原稿を書かせてもらうべきだったんじゃね? とか思い返していたところへ「幻影城の時代」をお年玉みたいにお送りくださった方がありましたのでめでたしめでたし(なにがめでたいんだかよくわかりませんけど)。とにかくこの一冊は当サイトでもご紹介をと考えているのですが(内容などはこのサイトでごらんください)、これもまた先送りなり。

 さて、そんな話題こんな話題はあとまわしにして本日もうわっつら自治体のおはなしなのですが、乱歩記念館なんて名張市にとってはほんとにお飾りかアクセサリーでしかない。このことをさらに強調しておきたいと思います。これが少し前のことなのであれば、名張市の乱歩記念館構想には乱歩の遺産の散逸を防ぐという大義名分を掲げることができたのですが、乱歩の遺産を立教大学が継承してくれたいまとなってはそんなお題目は成立いたしません。すなわちお飾りアクセサリーでしかありえない。そこらのお姉さんが欲しがるいわゆるブランド品のようなものでしかない。

 去年のいつであったか、私は教え子の女子高生に、

 ──ブランド品とはなんぞや?

 と訊いてみたことがあります。返ってきたのはこんな答えでした。

 ──ジコマンなり。

 ジコマンというのは自己満足のことなのだそうで、つまりブランド品なんて自分の虚栄心や物欲なんかを満足させるためのものでしかないということはそこらの女子高生ですら先刻ご承知。女子高生のジコマンならまだ可愛げというものがありますが、自治体が大金はたいてジコマンに走るのはどうにもいただけません。名張市にはただジコマンのためだけに私立大学を誘致したという暗い過去があり(むろん私は誘致されてきた皇學館大学を批難しているわけではありません。大学が地方都市のステータスシンボルであるなんていうような旧態依然とした価値観にもとづいて、いくらだったか正確なところは忘れたけれど何十億もの税金つかってんじゃねーぞこら、ということをいっておる)、そのせいもあっていまや職員の退職金にも四苦八苦している状態であると伝えられる名張市が、まーだこれ以上ハコモノという名のジコマンに税金つぎこむのはいかがなものかと私は思う。

 乱歩にかんしてあれもやりましたこれもやりましたみんな滑ってしまいましたということを赤っ恥かきながら経験してきた名張市にとって、いまや残されているのは名張市立図書館が乱歩関連資料にもとづいて質の高いサービスを提供するということしかないのではないか。名張市が手がけるべき乱歩関連事業の核となるのは市立図書館の地道なサービスでしかありえないであろう。少なくとも過去十年なら十年を振り返ってみた場合、名張市は乱歩の生誕地としてなかなかいいことをやっておるではないかと多少なりとも外部からお認めいただいたのは、いうまでもなく名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブックだけなのである。むろん私とて旭堂南湖さんの探偵講談をバックアップして東京公演にまでもちこんでしまうみたいなこともいたしましたけれども、あれはまあいってみればサイドビジネス、いやビジネスといってしまっては変ですけれども、とにかくお仕事の軸足は図書館本来のサービスに置いているわけなのであって、名張市が乱歩にかんしてなにかするのであればそうしたあたりを基本にするしかないはずなのである。

 ところがそんなことすらわからんのが名張市役所の人たちであり名張まちなか再生委員会のみなさんであるのだということはこれまでにもさんざん指摘しつづけてきたわけなのですが、しつこくもまあもう少しつづけることにして、細川邸を名張市立図書館ミステリ分室として整備すれば名張市は少なくともハコモノ行政という批判からは無縁でいられることでしょう。ミステリ分室だってハコモノではないかとおっしゃる方もおありかもしれませんが、私はハコモノという言葉を運営面などにはまったく意を用いずにただつくりましたはいおしまいですと建設それ自体を目的としてつくられた公共施設という意味で使用しており、ミステリ分室はむしろその逆。名張市が乱歩のことを今後とも手がけてゆきたいというのであればどうしても必要なのがそのための拠点であり、ミステリ分室こそはその拠点にほかならないということです。展示資料もないのに歴史資料館を整備するなどという人を食ったような構想とは正反対に、そこにおいてしなければならないことがあるからその施設が必要なのだという話なのである。

 現在の名張市立図書館がその拠点にならぬのかとおっしゃる方もおありかもしれませんが、拠点になりえないからこそ私はこんなことをいっておるのである。あるいは桝田医院第二病棟にプランニングされているらしい乱歩文学館ないしはミステリー文庫がその拠点にならぬのかとおっしゃる方もおありかもしれませんが、拠点になりえないと推測されるからこそ以下同文。それにだいたいルールや手続きをいっさい無視したあんな話は可能であればただちにぶっ壊さなければならんのである。そっちのほうが先決なのである。

 名張市はいったいいつまで平気な顔してインチキをかましつづける気なのかしら。

 さ、あしたもまたインターネットでぎゃあぎゃあ大騒ぎしてやろうっと。

  本日のアップデート

 ▼1993年10月

 歴史はみんな嘘、明日来る鬼だけがほんと 美輪明宏

 寺山修司と交流のあった面々がそれぞれの思い出を語った講演録『寺山修司の世界』に収録されました。

 これもまた三十ページになんなんとする美輪明宏さんのパートや目次奥付など、例によってどーんとコピーをお送りいただいたのははるかな昔のことであったのですが、いまごろになってようやく記載することを得た次第です。まあ長い目でごらんください。

 毎度おなじみ銀巴里の回想では美輪さんと三島や乱歩との出会いが語られており、自分は偉い人が嫌いだから三島から最初にお座敷がかかったときには五分で帰ってきてやったとか、乱歩にかんしては「あの方は作品を見てお分かりのように、げてもの好きですから(笑)」ずいぶんひいきにしてくれたものでしたとか、そんなようなことがあっけらかんのさーばさばと回顧されております。

 ここにはそのあとのくだり、二日前には防衛庁が省に昇格したことでもありますからそれを記念する意味あいもこめまして、こんなような引用箇所を見つくろってみました。「一九二〇年代の文化の香り」と題された章です。

 戦前のエログロ・ナンセンス、モガ、モボの時代。一九二〇年代の狂乱の時代といわれてた頃。その頃の流行歌というのは面白いものがたくさんあります。今よりよっぽど飛んでます。江戸川先生はそういう時代に花開いた作家です。江戸川乱歩さんは最近またブームになって、乱歩展が開かれたり、復刻版が出たりしてますが、それはやはり当然で、贅沢とか叙情とかリリシズム、ロマンティシズムといった、一見必要のないものが、人間の内面を見るときには必要であることがはっきりしてきているということですね。終戦直後は、食べるものだってお腹が一杯になれば何だっていい、着るものだって暑さ寒さがしのげれば、じゃがいもの袋だっていい、それで夜露がしのげる寝るところがあれば、という時代でした。金丸さんだとか中曽根さんだとか、あの人たちは全部軍国主義の一番悪い教育を受けてきた人たちですね。それで敗残者になってしまったそういう人々が規定する時代が戦後からずっと続いてきた。二〇年代はそうした軍国主義が台頭する前の時代ですね。

 その頃はつまり、竹久夢二であり、蕗谷虹児であり、高畠華宵であり、伊藤晴雨であり、といった頽廃的な、非常に叙情的な文化があった。人間は単なる人糞製造器ではなくて、その余剰な部分があるということが、人間の暮らし方なんです。ほんとうは探偵小説なんていうものはなくたっていいわけだけど、それが非常に持て囃されたっていうことは、非常に文化的な時代だったんですね。余剰な部分、リリシズムとかロマンティシズム、そういうものが最近また復活してきている。

 江戸川さんの作品は、ただ人を殺すためのトリックだけではなくて、その中に覗きがあったり、同性愛があったり、サド、マゾがあったり、いろんな〈不具者〉が出てきますね。そういったものが全部すべて固まってどかっと含まれてるんですね。そういうものが、つまり見世物とされるものですが、そこにロマンティシズム、頽廃美というものを江戸川さんは見てたわけです。


 ■1月12日(金)
インチキ自治体を批判する 

 さあきょうもまたインターネットでぎゃあぎゃあ大騒ぎしてやるぞ。

 おい、ネットでなにいわれたって痛くも痒くもねーやとかいって知らんぷりのほっかむり決め込んでるやつら、おおみそかにすっごい滑った秋山成勲選手はきのうとうとうあんなことになってしまったではないか。インターネットなかりせばあんな疑惑は闇から闇へと葬り去られてそれっきりであったはずなれど、インターネットの大騒ぎのおかげですっごい滑ったのは反則行為であったとの公式見解が発表されるにいたったのである。実際に行われたインチキはもっと根の深いものなのであろうと推測される次第ではあれど、とにかくいまやインターネットはなかなかに侮りがたいメディアであると知るがよかろう。おまえらみたいにご町内感覚だけで凝りかたまってる人間にはその程度の想像力すらないのであろうがな。ばーか。

 さて昨日、掲示板「人外境だより」にこんなご投稿を頂戴いたしました。

匿名希望   2007年 1月11日(木) 13時 9分  [219.112.44.15]

ときどき拝見させてもらっています。ご存知と思いますがサンデー先生がよく話題にされる細川邸の建設設計の入札を市のホームページでみました。いよいよ建設されるのですね。

 いよいよ建設されますか。そこで名張市のオフィシャルサイトを閲覧してみますと──

 「入札・契約」のページにこんな情報が掲載されていました。

測量・設計業務委託
公告日  平成19年1月10日(水)
発注番号  18−市測20
□□業種  建築コンサルタント(建築一般)
□□件名  細川邸改修他工事実施設計業務委託

 発注情報の PDF ファイルはこんな感じ。クリックすると名張市オフィシャルサイトに掲載された大きな画像が開きます。

 細川邸がいったいどんな施設になるのかさえ正式には公表されていないにもかかわらず、その「改修他工事」のための設計が着々と実施されようとしているという寸法です。なーにやってんだか。

 名張市はいったいなにを焦っておるのかというと、要するに期限の問題でしょう。名張まちなか再生プランは「まちづくり交付金」という国の交付金による助成を受けて事業化されることになっているのですが、その期限が2008年度。だから締切から逆算するとそろそろお尻に火がついてきたということなのか、あるいはもっと具体的にいえば実施設計に2006年度の予算がついているからということなのか、とにかく市民のコンセンサスを無視し情報はいっさい秘匿したままで大汗かいて実施設計を発注しようしているところなのであろうと見受けられます。

 しかしいまごろ焦ってるってのはどう考えてもおかしい。名張まちなか再生プランが策定されてから二年、名張まちなか再生委員会が結成されてから一年半もの時間が経過しているというのに、委員会のみなさんはいままでなにをやっておったのか。役立たずのそしりは免れぬところであろう。だからもうほんとにね、あんなインチキ委員会に税金の具体的なつかいみちを決められては市民は困ってしまうのであるし、そもそも名張地区既成市街地再生計画策定委員会とか名張まちなか再生委員会とか、そこらのうすらばか集めてことを進めようとした名張市は決定的にまちがっておったわけなのである。官民双方のすっとこどっこいを寄せ集めた結果がどうなるのか、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」でいやというほど思い知らされたのではなかったのか。

 こんなのは普通にはありえないことでしょう。名張市は名張まちなか再生プランを正式に決定し、細川邸を歴史資料館として整備しますと市民に約束したわけです。ところが名張まちなか再生委員会の協議の過程でその約束が反故にされ、去年7月の名張市の広報紙では細川邸は「(仮称)初瀬ものがたり交流館」になるなんてことにされていた。たしかに変更はしかたないかもしれない。資料もないのに歴史資料館をつくろうなどというプランはそもそも実現不可能である。しかし正式に決定されたプランに変更を加えるのであればそれなりの手続きが必要であろうし、どうして変更したのかを市民に説明する義務も生じよう。あのときはああいって約束しましたけど、これこれこういう理由がありましたのでこれこれこういう手続きによってこういうぐあいに変更しましたと説明しなければならんはずである。

 ところがなーんの説明もなしにいきなり設計の発注と来たもんだ。やれこのさ。市民をこけにするのもいいかげんにしていただきたいと私は思う。失態に失態を重ねてなんの説明もせず、このままローションでぬるぬる滑るみたいに先へ先へと話が進んで工事がはじまってしまったとしたら、これはもう名張市の明らかな失政ということにならざるをえないのではないかいな。しょんがいな。名張市はインチキ自治体の名をほしいままにしたいものと見えます。

 ところで私の手許には一通の書類があって、これは昨年12月14日に名張市役所で開かれた名張まちなか再生プラン関係者の会議で配付されたものなのですが、その一枚目はこんなあんばい。クリックすると大きな画像が開きますのでじっくりごらんくださいな。

 ね、ばかでしょ。ばかというしかないでしょこいつら。細川邸にかんしては「(仮称)初瀬街道交流館の名称決定」なんてことをいまだにいってるそのいっぽうで、「実施設計」は1月からときっちりスケジュールに組み込まれておる。桝田医院第二病棟と来ては目もあてられぬありさまで、「官民の対応方針の調整」だの「必要な協議研究体制づくり」だのなーにわけのわからんことをごちゃごちゃゆうておるのか。1月から3月までのあいだに四回もの「検討会議」が開かれるとのことなれど、そんな会議など必要あるまい。桝田医院第二病棟にはこんな碑を建てとけとゆうとるだろうが。

 な。これでいいだろ。ばーか。

  本日のアップデート

 ▼2006年12月

 島崎幻影城と乱歩幻影城 垂野創一郎

 同人誌「幻影城の時代」に掲載されました。タイトルどおり幻影城の本家城主すなわち乱歩と新城主すなわち島崎博さんとを比較対照し、それぞれの本質を浮き彫りにした一篇です。

 出たばかりのものですから引用は一段落だけといたします。購入ご希望の方は野地嘉文さんの「探偵小説専門誌「幻影城」と日本の探偵作家たち」をごらんください(いま閲覧してみたら「幻影城の時代」は「版元完売」となっておりますけど)。

 しかし話の順序として、まずは同じ雑誌同士ということで、旧城主の手がけた Edogawa Rampo's Mystery Magazine ──旧城主責任編集時代の「宝石」を一瞥しよう。その掲載作品は確かに名作佳作揃いなのだが、手本にしたクイーンの雑誌にならってそのいちいちにルーブリックと称する短文がついている。これが何といおうか、標本箱につけられたラベルみたいなもので、この分類癖あるがために、各作品はピンで留められた蝶のように動きを封じられ、互いが互いと交じり合い響きあって大いなるコレスポンデンスを形成するまでには、つまりすぐれた雑誌がみなそうであるところの独自の小宇宙を形成するところまではいかなかった。

 旧城主はその筆名の由来となったアメリカ作家と同じタイプの分析家であったが故に、批評の筆を取るときになると、全体より部分と言って悪ければ探偵小説を探偵小説たらしめている核心部に心を奪われる癖があった。

 正続二冊の旧城をとっても、そこで扱われているものは、一見探偵小説とみえて、実はその構成要素や周辺事情、つまりトリックでありプロットであり作家の分類系譜学なのである。

 一段落だけといっておきながら三段落も引用してしまいましたが、本家城主批判としてじつに面白く、乱歩が後世に(といってしまってはおおげさに過ぎますか。後世の探偵小説シーンに)もたらした功罪といったものまで連想させられる次第です。


 ■1月13日(土)
うそつき自治体を批判する 

 さーて元気かインチキ自治体の皆の衆。きょうもかるーく揉んでやっからね。ローションプレイはお好きかな。しかしきょうは土曜でお休みか。

 みたいなこといいながらふと気がついたことなのですが、完全にばかになっていた Google 利用のサイト内検索、ちょこっとつかえるようになっておりました。おかげで引用しようと思いながら探し出せなかったページを見つけることができました。2003年11月付伝言録でした。どういう内容であったかということを2003年10月付伝言録の23日付伝言からまず引きます。

 ちなみに当時の私は翌年に控えた「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」をテーマに「じゃーん。しょうもないことに税金つかうのはやめましょうキャンペーン」を展開しており、引用冒頭に出てくる「このキャンペーン」というのはそれを指しております。

 そしてこのキャンペーンが終わったら(いつ終わるのでしょうか。12月末に開催される事業推進委員会にお邪魔し、委員会の会長でいらっしゃる野呂昭彦知事を思いきり難詰面罵して終わりということになるのでしょうか。私にもさっぱりわからんわけですが)いよいよ、「じゃーん。名張市は乱歩から手を引けキャンペーン」が華々しくスタートすることになるのですが、じつはこのキャンペーン、当初は名張市教育委員会の教育長に文書を提出することから始めるつもりでおりました。

 ちなみに教育長というのは、「教育委員会事務局の長。都道府県および政令指定都市については文部大臣の、市町村については都道府県教育委員会の承認を得て各教育委員会が任命する」(goo 辞書/大辞林第二版)てなもんであって、かく申す私は名張市教育委員会の雇われカリスマですから、まず教育長に狙いを定めてキャンペーンの幕を開けようと考えていた次第です。

 そんなことはともかくとして、名張市立図書館長の肝煎りで昨夜、名張市鍛冶町の清風亭において「江戸川乱歩著書目録発刊慰労会」を開催していただきました。出席者は名張市長、教育委員長、教育長、教育次長、教育政策室長、図書館協議会長、図書館長の予定でしたが、図書館協議会長のみご欠席でした。熱烈な阪神ファンでいらっしゃるのかもしれません。

 さてその席上、名張市立図書館江戸川乱歩コーナーの閉鎖を提案し、まあその場では、つまり酒の席での話なわけですが、一応みなさんの同意をいただけたように思います。と申しますか、一度みんなで検討してみましょうとのお答えをいただいた次第なのですが、私としてはこれで了解をいただけたなという感触です。

 それにしても八年かかりました。ろくに乱歩作品を読んだこともない名張市職員が乱歩にかこつけて市民の血税つかうのはとんでもないことだ、ということはきのうの席でも申しあげたのですが、その言葉にそれはそのとおりだと普通にうなずいていただくのに八年、名張市立図書館の嘱託を拝命して以来の八年という日月を要してしまった次第です。

 名張市が乱歩のことに税金を一円もつかわない日の到来が、徐々に近づいてきたように思われます。仔細はまたあした、ということで。

 つまり私は2003年10月の時点で、乱歩コーナーを閉鎖して名張市立図書館は乱歩から手を引くべきであると市および市教育委員会に提言し、

 「一度みんなで検討してみましょう」

 とのお答えを、上に引用した伝言では発言者名を記してありませんけれど当時の教育長から頂戴したわけです。むろん検討なんてその後ただの一度も行われず、べつにお役所の人たちのその場しのぎや思考停止や先送りにいちいち驚きはしませんけど、うそつき、とかは思っちゃう私。

 さてそれで上に引いた10月23日付伝言には「仔細はまたあした」と記してあるのですが、当時の伝言板は「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」のことで忙しく、「じゃーん。名張市は乱歩から手を引けキャンペーン」の話題に復帰できたのは11月5日のことでした。以下、翌6日から8日までの伝言を全文ぶっつづけで引いておきます。

●11月6日(木)

 したがいましてこの「じゃーん。名張市は乱歩から手を引けキャンペーン」、当初予定していた教育長への文書の提出という手順が必要なくなりまして、清風亭で催していただいた慰労会の席上、直接口頭で愚見を具申することができました。私が申しあげたのは10月15日から16日にかけての伝言に記したようなことでしたが、とくに強調したのは「いまならすんなり手が引けます」という点でした。

 えー本日はお忙しいなか、また日本シリーズ第三戦が非常に気にかかりますなか、わざわざお集まりいただきまして、慰労会を開いていただきまして、大変ありがたいことだと思っております。しかし私なんかまあ毎晩慰労会やってるようなもんでして、いやほんまもう毎晩べろべろでして、ですからきょうは私の慰労というよりもせっかくの機会ですから、名張市がこれから乱歩のことをどうしていけばいいのかみたいなことを話題にしていただきたいなということで、それであの少し私のほうからお話しいたしますと、あそこに三冊並んでる江戸川乱歩リファレンスブックですけど、あれは何かと申しますと、私まあ図書館が乱歩に関して何をしたらええのかようわかりませんゆうようなことで、それやったらこういうことをしなさいゆうことで、あの本、目録なんですけど、書誌を三冊つくりまして、ほかにもまだまだ手つかずのとこはあるんですけど、まあ最低限あの三冊、あの本の方向で乱歩のことやっていったら、名張市立図書館はええんです。全国の乱歩の読者とか研究者に喜んでもらえますし、喜んでもらえるゆうか重宝してもらえますし、市民にも誇りをもってもらえる図書館になるんです。これはもう間違いのないとこなんです。ですから私も一応のお役目はなんとか果たせまして、一応これでお役ご免みたいなことでして、あとは図書館が自分でちゃんとやっていくと、これで絶対間違いないゆう方向がですね、あの三冊で示されてるわけですから、図書館が何をしたらええのかわかってもらえたわけですから、あとはこの線で十年二十年三十年、ずーっとやっていってもろたらええわけです。あ。お姉さんすまんな。

 このお姉さんというのは清風亭の仲居さんで、お酌をしてくれましたので軽くお礼を申しあげました。

 それからついでにゆうときますとですね、きょうびのことですからやっぱりこの名張の図書館が乱歩に関するデータをですね、インターネットで広く提供するゆうようなこともしていかなあかんわけです。それでまあちょっと前のことですけど、図書館がホームページ開いて乱歩のデータを載せていくべきやと、その予算を要求したんですけどそのときはあっさり蹴られまして、それやったら自分でやらなしゃあないなゆうことで、私ホームページつくりまして、まあやってるんですけど、やっぱりあれだけの書誌をつくった図書館がインターネット全然ですねんゆうのはですね、つまり名張の図書館がホームページ開設しましたゆうたら、やっぱり乱歩のデータベースがあるのやろなと、いろいろ乱歩のことが検索できるのやろなと、そう思う人もいるわけですから、やっぱりやっていかなあきませんねん。きょうなんか国立国会図書館から連絡ありまして、いま国立国会図書館がいろいろなデータベースのリンク集みたいなんつくってるんですけど、そこに私のホームページのデータを登録してくれたゆうことなんですけど、こんなんやっぱり個人やのうて名張の図書館のホームページに乱歩のデータベースがあると、そやないとちょっとおかしいわけです。

 このまま言文一致でたらたら進めていいものかどうか、いささか心配になってきた次第ですが、とりあえずつづきはあしたということで。


●11月7日(金)

 それで図書館が乱歩のことやっていくために何が必要かゆうたら、これは誰が考えても答えは一緒や思いますけど、まず専門職員を養成することなんです。乱歩のことをちゃんとわかってる人間がおらんことには話になりません。けどそんなことできますか。できませんやろ。日本のお役所ゆうのはとにかく職員の専門性を抑圧してしまうとこですから、図書館が乱歩の専門職員養成するゆうたかてそんなん最初から無理やと、できない相談やと、それはもう明らかなことなんです。けどそれをせなあかんわけです。していかなあかんわけです。なんでかゆうたらあの本三冊つくりましたからね。あれはきょうびの言葉でゆうたらマニフェストみたいなもんでして、あの本出したことで名張市立図書館はこれから十年二十年三十年、こないな感じで乱歩のデータベースつくって広く提供するサービスをつづけてまいりますゆうて公約したことになりますからね。

 手法としては久生十蘭の「姦」あたりを狙っているのですが、仕上がりとしては松竹新喜劇でしょうか。まあもう少しつづけましょう。

 せやからつまり、図書館がやっていかなあかんことははっきりしてるわけですけど、それが無理やゆうこともはっきりしてまして、これはちょっと困ったことなんですけど、ただ、いまやったら図書館は乱歩のことから普通に手を引けるんです。これはもうチャンスです。手前どもには能力がございませんのでみたいなこといちいち公表することもいりません。普通に手ェ引けますねんいまやったら。つまり立教大学が乱歩の遺産を継承したわけですから、名張の図書館がやってきたことはこれからは立教大学がやるべきことなんです。たとえばあの乱歩の著書目録にしたかてですね、立教大学は乱歩の著書もすべて遺族から譲渡を受けてるわけですから、それを目録にして公開する、乱歩の遺産をデータ化して社会還元するゆうよなことは当然考えていかなあかんわけです。それが遺産継承者の責務なんです。

 お酒の席の話です。このあたりになると厳密な言文一致になり得ているのかどうか、じつは少々怪しくなっているようだということを告白しておかなければなりませんが、主旨は間違いなくこのとおりであったと附記しておく次第です。

 せやから名張市立図書館としてはですね、乱歩に関してこれまで微力を尽くしてまいりましたが、今後はそちらにお任せいたしますゆうて、なにとぞよろしくお願いいたしますゆうて、立教大学へ行って挨拶してくるだけでよろしねん。どーんと丸投げしたらよろしねん。一般の乱歩ファンにしたかてですよ、これはやっぱり地方図書館よりは大学のほうを信用しますからね。図書館は貸本屋さんですけど大学ゆうたら研究機関なんですから、図書館から大学に丸投げするのはむしろ当たり前のことです。恥ずかしいことも何もありません。ただ立教側にしても、名張の図書館がやってきたことといいますか、これは私がホームページでやってるようなことも含めてですけども、乱歩に関する業務、いや業務ゆうたらおかしいですけど、けどまあ業務ですね、たとえば乱歩の関連文献を集めて閲覧できるようにするとか、それをホームページで公開するとか、そうゆうことを実際にどうしていくのか、具体的な線はまだ出てないんやないかと思います。それやったらそれで、ゆうてもこっちは乱歩に関しては立教の先輩にあたるわけですから、これこれこんなことしたらどうですかゆうていろいろアドバイスをしていったらええんです。

 なかなか終わりになりません。なにしろ酔っ払いの繰り言です。あしたもおつきあいいただきましょうか。


●11月8日(土)

 これは地の文です。

 結局のところ、私としてはまあどっちでもいいんです。

 名張市立図書館であろうと立教大学であろうと、乱歩の著作や関連文献を集め、それをデータベースとして公開してゆく機関が日本にひとつあってくれればそれでいいと。

 ただしそれならば、ろくに人材も見当たらぬ名張あたりの公立図書館が手がけるよりは、乱歩の遺産を継承したという正統性から考えても、これはやはり立教大学にやっていただかなければならぬことであろうなと愚考しております。

 そうなれば、少なくとも名張市立図書館は完全に乱歩から手を引くことが可能です。乱歩に関して一円の税金もつかわなくて済むようになります。

 名張市はほんとにお金がないらしく、先日など来年度から水道料金を平均一九・三七%も値上げするという方針が公表されておりました。水道料値上げは二十一年ぶりとのことで、よほど台所事情が苦しいのだろうと推測されます。

 名張市がいま乱歩から手を引くということは、黙っていても全国に通用する名張市最強のカードを手放してしまうということであり、じつはそこまで徹底して税金の使途を見直さなければならぬ時期にさしかかっているのだということを、平然と税金の無駄づかいに勤しんでいらっしゃる名張市役所のみなさんに一度実感していただいたほうがいいのではないかと私は思っている次第です。

 いや無理か。

 甘いか。

 私にはどうも阿呆を見切るに際してやや甘いところがあるようで、こいつらこっちが思っていた以上にあほではないか、みたいな驚きを少なからず経験してきているのですが、その経験に立って判断いたしますならば、乱歩に関する名張市の予算をいったん全部切ってみたところで、ひらひらと糠に釘、ふらふらと豆腐にかすがい、へらへらと暖簾に腕押し、要するに馬の耳に念仏換言すれば蛙の面に小便ってことに落ち着くしかないのかもしれません。

 以上、地の文でした。

 せやからとにかくいっぺん立教大学にお邪魔せなあきませんねん。こっちから足を運んで向こうの意向ゆうもんをお聞きしてみんことには、名張でいくらああでもないこうでもないゆうてゆうてたかて話はいっこも進みません。あ。お姉さんお銚子からっぽ。

 しかしほんとに私はおなじことしかいってない。ちゃんとしたことができないのならとっとと手を引きなさい。それしかいってないわけね。名張市立図書館が乱歩にかんしてなにをするべきかを示すことはできたのですが、それを実際に手がけてゆく人間がいない。あれだけ程度の悪いお役人衆を掃いて捨てるほど雇っているのだから乱歩の専門職員を養成することくらい簡単ではないかと思われるのであるが、それができない。それに2003年当時に比して名張市の財政難はいよいよ深刻の度を深め、きのうあたりの日刊各紙の地方版ネット記事を見てみると、毎日新聞が「名張市:市長報酬、5.9%引き下げ──審議会で自ら提案 /三重」、中日新聞が「【伊賀】 特別職給料さらに減額 名張市長が報酬審に諮問」と、特別職給料のさらなる減額を検討しなければならぬほどの財政難なのであって、専門職員の養成などは夢のまた夢であろう。

 だがしかし、名張まちなか再生プランで細川邸を歴史資料館として整備するなんてことになるのであれば話は全然ちがってくる。発表されたプランの素案を見て私はそう思いました。歴史資料館整備なんてリフォーム詐欺みたいなことにつかう税金があるのなら細川邸を市立図書館ミステリ分室にしてしまい、最低限必要なスタッフを配置する。そして名張市立図書館が収集資料にもとづいて質の高いサービスを提供する環境を整える。こっちのほうがよほど理にかなった話ではないか。むろん年に一度くらいは全国のミステリファンが名張を訪れてくれるような催事を主催したっていいのだし、市民対象の日常的な催しを開催するのもいいのだけれど、いちばんの基本は乱歩にかんする質の高いサービスの提供である。とにかく細川邸を名張市における乱歩の拠点にしてしまえば可能性はいくらでもひろがるであろうと私には考えられました。

 ならば細川邸を名張市立図書館ミステリ分室として整備した場合にどんな可能性が見えてくるのか、みたいな夢を記そうかと考えていたのですが──

 こんなようなあんばいで2月5日には「細川邸改修他工事実施設計業務委託」の入札が行われるってんですからさすがにあほらしくなってきました。夢を語るのはやめておきます。「夢がないね」となじらないでね。

  本日のアップデート

 ▼1988年12月

 “背徳の書”には毒が欠かせない 中井英夫

 昨年12月15日付伝言に記した「『新青年』趣味」第十一号、つまりこれのことなのですが──

 私はどうやらこれまでに眼を通したことがなかったみたいです。年末の資料整理で何冊か出てきたのを最近ふと手に取ってみたところ、読んだおぼえがまるでないわけ。自分の文章が掲載されてるから恥ずかしくってページを開く気になれなかったのかもしれません。こんなこといってると『新青年』研究会のみなさんからお叱りを受けてしまいますけど。

 それで中井英夫特集の一篇として村上裕徳さんの「月蝕領・羽根木時代の思い出」が収められていて、これがひたすら胸に迫り、嫋々たる余韻を残して久方ぶりに村上節を堪能したという満足を感じさせてくれました。

 そんなこんなでやはり年末に出てきた中井英夫のごく短い文章のコピーから(これもまたお送りいただいたなりどっかに紛れこんでしまっていたものですが)、一段落だけを引きましょう。「鳩よ!」に掲載された「背徳にこそ華がある 26人の文化人が挙げた魔の一冊」の一篇です。

 江戸川乱歩の『孤島の鬼』など、異形の人間を製造する話がありますが、これは素晴らしい作品です。これは森鴎外からヒントを得たといわれていますが、森鴎外にははっきりと背徳的なものがあり、夏目漱石ほど常識円満ではありません。もっとも、いまは夢譚小説のような作品も書きにくくなっています。なにしろ、爆発を起こさせるような起爆装置がありません。戦後では、ジャン・ジュネが日本に紹介されたときなど、そうした雰囲気がありました。

 ■1月15日(月)
片づかねーなーまったく 

 きのうはごくありがちな事情でぶっ倒れていて伝言をお休みしてしまいました。きょうはもう大丈夫。

 しっかし片づかねーなー。ほんとになかなか片づきません。どれほど片づかないかというとこれほど片づかない。

 べつに写真でごらんいただくほどのことでもないのですが、年末にはじめた資料整理はコピーのたぐいはほぼ(といっていいのかどうか)終了し、コピーではない新聞や雑誌やバンフレットやチラシの整理に移行しているのですが、これがまたずいぶんな手間であるからやんなっちゃう。

 やんなっちゃうからきょうはこれだけ。

  本日のアップデート

 ▼1928年11月

 嘘の様な現代の事実談 高田義一郎

 これまた以前にコピーをお送りいただいたもので、昭和3年に出た「現代ユウモア全集」の高田義一郎の巻に収録されています。ただし初出がわからない。それでうろうろしているあいだにどこかへ紛れこんでしまっておりました。

 しかたありませんから初出不明の昭和3年の文献として扱いましたが、「乱歩肉筆の魔力」と題された冒頭の章には乱歩の肉筆で探偵趣味の会からの原稿依頼があったと記されており、ついさっき光文社文庫『『探偵趣味』傑作選』の巻末目録を調べてみたところ、「探偵趣味」大正15年12月号に高田義一郎の「一寸考へると嘘の様な現代の事実談」というのが掲載されております。たぶんこれであろうなと目星はついたのですが、「探偵趣味」が手許にありませんから本文を照合できず、しかたありませんからやっぱり初出不明の昭和3年の文献として扱っておくことにした次第です。

 それでは「乱歩肉筆の魔力」全文をどうぞ。

 夕方に、探偵趣味の会から何か書いて送れといふ手紙を受取つた。江戸川乱歩氏肉筆の祟りが、早寝した訳でも無いのに夜半に眼が冴えてどうしても寝られない、時計を見ると二時をやつと十五分ほど過ぎたばかり。いくら何でもあんまり早いと、又蒲団へ入つて無理に眼をふさいでも中々寝つかれない。漸くうとうとしたかと思ふと、何を書かう? 之にしようか、あれがいゝだらうと考へてる夢や、机に向つて執筆して居る夢を見る。すると又夢の中でそれは夢だと気がついて、折角いゝ思ひつきだ。忘れない中に書きつけて置かうと、紙に箇条書にして居る夢を見て、それが半途で醒めてしまつた。

 時計は見ないが夜は未だ深い。又々無理に寝ようと努力してうとうとすると、又重ねて夢の中で夢だと知つて、忘れない中に書留めて置かうといふ前と同じ夢を見ては眼が醒めてしまう。えー仕方がない。乱歩氏の麗筆に魅入られたのだ。まゝよ輾転反側して苦しむより起き上つて、本統に今の考を書いてしまはうと、意を決してはね起きた。

 天は全く暗い。万籟声無く、唯々昨夜来の強風がゴウゴウと凄い音を立てゝ居るばかり。

 どうしても大東京の真ん中に居るとは思へない。時計を見ると四時少し前! 仲秋の冷い夜気はセルの着物を通して、ヒシヒシと肉に食入つて来る。自分では随分寒がらないと云ふ自信の強い方なのだが!

 寝ただの起きただのどうでもいいことをぐだぐだ書きつけてなにが面白いのかとは思いますが(かなづかいが変なところもありますし)、ここで重要なのはおそらく大正15年の秋ごろに乱歩が「探偵趣味」への寄稿を依頼する手紙を出していたという事実でしょう。

 「探偵趣味」は創刊以来「編輯当番」を設けていたのですが、同年9月号を最後にそのシステムを廃止し、翌10月号には乱歩が「当番制廃止について」を発表しています。当番はひとり一号、しかも乱歩は大正14年9月に出た創刊号の当番を担当しておりますから、どのようなゆくたてから高田義一郎に原稿依頼の書状を出したものか、どうもよくわからないだけに気にかかります。

 大正15年の秋といえば「パノラマ島奇談」の連載がはじまったり「闇に蠢く」が中絶したりで乱歩は結構たいへんな時期ではなかったかと推測されるのですが、そんなときにわざわざどうして?


 ■1月16日(火)
委員会からのコンタクト 

 名張まちなか再生プラン関連の話題をしつこくつづけてまいりましたが、以前からいってるとおり私にはいまや名張まちなか再生委員会を相手にする気は毛頭ありません。そしてこれも先日来主張しているそのとおり、そろそろ行政の責任を追及するべきときだと考えておる。誰も追及しなくたって私が追及する。結構厳しく追及する。

 だいたいがあんな話は普通にアウトだ。もしもこれまでの経緯をくわしく説明したうえで(むろん私のみならず名張まちなか再生委員会サイドの主張も公平に説明するわけですが)名張市民に賛否を質してみたとしたら、おそらく細川邸と桝田医院第二病棟の整備に税金をつかうことに反対する人のほうが、もしかしたらもう圧倒的に多いのではないか。

 なにしろ名張市の財政難はきわめて深刻で、たとえば1月13日付中日新聞には「【伊賀】 事業費を大幅抑制へ 名張市が検討、消防・防災の複合施設」との記事が掲載されている。新たに建設される消防防災複合施設の事業費を財政難のせいで大幅に見直さなければならず、事業費の調整に時間を要するため2006年度内に予定していた基本設計も2007年度に持ち越しになったと報じられているのであるけれど、市民の生命や安全に直接関係する施設の整備ですら事業費の縮小を迫られているといういってみりゃ崖っぷちのこうした時期に、こんちこれまた細川邸がどうのこうのと不要不急のハコモノ整備で市民の共感や納得を得るのはなかなかに難しいことであろうと私は思う。こそこそと「細川邸改修他工事実施設計」の入札なんかやっとる場合か。

 だいたいが名張まちなかをちょっと歩いて、そこらの商店主や一般住民のみなさんから名張まちなか再生プランにかんするおはなしをお聞きしてみなさい。少なくとも私の知るかぎりでは、プランを支持したりプランに期待したりしている人間なんてひとりもおらんぞ。そうした人たちからまず口をついて出るのは情報がまったく開示されていないという不審の念であり、ごく一部の人間によって密室のなかでなにごとかが進められているらしいというのがプランにかんする地域住民の一般的な印象なのである。これが多少なりとも事情を知っている住民になるとまた話がちがってきて、名張まちなか再生委員会はすっかりてんでんばらばら、委員それぞれが思い思いに好き勝手なことをいってるだけだから話が前に進まないといった具体的な批判を展開してくれる。

 まったくひどい話である。歴史資料もないのに歴史資料館をつくれなどととんでもないプランを策定した名張地区既成市街地再生計画策定委員会もアウトなら、発足から一年半以上の時間をかけていまだに細川邸の活用策すら提示できていない名張まちなか再生委員会もアウトである。そしてこれはまさしく「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の再現なのである。よみがえった悪夢なのである。こういった驚くべき相似性について私は最初っから指摘してきたのでありますが、理念やビジョンをいっさい共有することなく官民双方の関係者がそれこそてんでんばらばら思い思いに好き勝手なことやって税金をどぶに捨ててしまったあの悪夢がいまここに再現されつつあるのである。

 ばかかこら。ばかにばかかと尋ねるのもばかな話ではあるけれど、ばかってのはまったくどうしようもない。そんなばかに頼ってる名張市もまあばかなのであるが、とにかくわしゃもう知らん。なにも知らん。以前からいってるとおりばかどももう好きにするがよい。ばかにまともなことができるというならちゃんとやってみろばか。

 とか思っていたところへ昨日、名張まちなか再生委員会関係者から電話でコンタクトがありました。その内容はといいますと、ここで1月12日付伝言に掲載した文書を再掲いたしましょう。

 この表によれば桝田医院第二病棟の整備にかんして1月から3月までのあいだに四回の「検討会議」が開かれることになっているのですが、むろん私の知ったことではありません。私は桝田医院第二病棟にはこんな碑を建てておけとゆうておるのじゃ。

 えー、あすにつづきます。

  本日のアップデート

 ▼1977年3月

 トリック・ゲーム 山村正夫

 あとからあとからいくらでも出てくる。世に資料整理の種は尽きまじ。

 本日は「江戸川乱歩著書目録」の増補です。山村正夫の著書なのですが、エピグラフみたいな感じで乱歩の文章の抜粋が収められております。『江戸川乱歩著書目録』はこういった断簡零墨も(つまりいかに短い引用であってもそれがたとえばエビグラフのようなかたちで独立して扱われている場合は)ひろうことにしていたのですが、残念ながら見落としてしまっておりました。

 乱歩のサインも添えられておりますので、スキャン画像をご覧いただきましょう。

 「探偵小説の定義と類別」から引いたもののようですが、引き方がちょっと変。光文社文庫版全集『幻影城』から当該箇所を引用してみましょう。

     第一、ゲーム探偵小説

 ポーの「モルグ街の殺人」「盗まれた手紙」にはじまり、ドイル、フリーマン、クリスティー、ヴァン・ダイン、クイーン、カーと伝承された探偵小説の主流であって、この派の作風は予め謎を解くべき多くのデータが明示され、それに基いて探偵の推理が進められるので、読者は作中の探偵と謎解きを競う楽しみを味うことが出来る(少くとも出来るが如く感じさせるように書かれている)という点に大きな特徴がある。

 もしかしたらこの文章からの引用ではないかもしれないのですが、だったらどこから引いたのよ、という心当たりがまったくありません。もしも「探偵小説の定義と類別」から引いたものなのであれば、勝手に改変を加えるようなこんな引用はだめじゃろうがと私は思う。しかし乱歩だって引用の際には原文に平気で手を加える癖がありましたから、まあおあいこか。おあいこってのも変ですけど。


 ■1月17日(水)
委員会からのアプローチ 

 きのうのつづきです。おとといの話です。名張まちなか再生委員会の関係者から電話でコンタクトがあり、桝田医院第二病棟の整備にかんする検討会議に出席してくれないかとの要請がありました。むろん断りました。断ったけれど結局は OK いたしました。ただし検討会議の日程はいまだ決定しておりません。決まったらまた連絡が入ることになっております。

 桝田医院第二病棟にはこんな碑を建てておけという私の考えには変わりがありません。名張まちなか再生委員会なんてかすみたいな連中のことなんかもうどうだってよろしく、そろそろ行政の責任を厳しく追及してやらねばなるまいてという方針にも変更はないのですが、まあかすの相手もしてみてやるか。相手にする気はなけれども、思案にあまったのであれば話くらいは聴いてやらぬでもないというのは以前からいってきたことでもありますから、検討会議に顔を出すことにした次第です。

 ただし、そんな検討はそもそも無効であるとは電話で指摘しておきました。名張まちなか再生プランには片言隻句もふれられていなかった桝田医院第二病棟の整備計画を名張まちなか再生委員会が検討できるのか。できるわけねーじゃん。なあなあ体質全開にして調子こいてんじゃねーぞこらというのが私の主張なわけであって、検討会議ではまずそのあたりのことを明確にする必要があるのかもしれません。過去に名張まちなか再生委員会事務局へ足を運んで確認したところでは、そのあたりのことにかんするまともな説明はついに聴くことができませんでした。むろん検討会議でも聴くことなんかできないでしょうが、問題点をあらためて指摘しておくのは大切なことでしょう。

 それでもう名張まちなか再生委員会なんて解散してしまえばいいのである。この委員会にはものごとを考えたり決めたりすることができない。それはいまや明々白々な事実である。私ひとりがそう認識しているのではなく、少しでも事情を知っている名張旧町地域の住民にとってもすでにして周知の事実であるといっていい。だから委員会を解散してプランを白紙に戻せばいいのである。それをやらないと話が前に進まない。仕切り直して出直したとしても、まともな人間が集まって集中してやればプランなんて一か月もあれば余裕でまとまることであろう。

 とにかく名張まちなか再生プランは失敗に終わった。それはもういの一番から、名張地区既成市街地再生計画策定委員会などというものを組織した時点で失敗は方向づけられておったのである。そこらの各種団体あたりから名張旧町地区にかんする知識も愛着もとてももちあわせているようには見えない委員を寄せ集め、そこらの大学のそれも工学部かなんかの御用学者をトップに据えた委員会なんかつくった時点で名張市がばかだったっつーの。そんな旧態依然とした手法が通用するのか。まったく通用せんかったではないか。そんなことは策定されたプランを見れば一目瞭然であろう。展示すべき資料もないのに細川邸を歴史資料館にしろといい、寄贈を受けた桝田医院第二病棟のことにはいっさいふれていない。そんなインチキなプランを突き返せなかった時点で名張市はまたしてもばかだったっつーの。

 みたいなことをいまからいってもしかたはないが、現時点におけるていたらくを見るだけでも名張まちなか再生委員会が徹底して無能力であることは火を見るよりも明らかであり、ならばこんな委員会は切ってしまうのがあたりまえではないか。いつまでもちんたらちんたら協議の検討のなんてことをさせておくべきではないであろう。行政の責任においてとっとと解散させるべきである。月並みなせりふを並べておくならば、こんなこと民間じゃ絶対にありえねー、ってとこですか。

 それでおとといのことですが、名張まちなか再生委員会の関係者から電話でコンタクトがあったあと、ちょっと用事があって名張まちなかをぶらぶらしていたときに(誰に訊いてみても名張まちなか再生委員会の評判は最悪である、という事実がまちなかを歩いてみてあらためて確認された次第でしたが)、名張まちなか再生委員会の関係者のそのまた関係者の方にお会いしました。で、名張まちなか再生委員会の関係者から私への伝言を伝えていただきました。桝田医院第二病棟の件でおまえの話を聴かせてほしい、というのが伝言の内容でした。それで私は、その関係者とはべつの関係者からコンタクトがあって検討会議に出ることにしたし、その場には私に伝言をことづけた関係者の出席も要請しておいたから、人づてに伝えられたその関係者からのアプローチにも応えることになると思うとお返事をしておいた次第です。なんだかひどくややこしい話のようですけど、要するに桝田医院第二病棟の整備にかんする検討会議が近く開かれ、私はそこに出席するということです。

 結論としてはこんな碑をつくって桝田医院第二病棟に建てておくのがいいであろうということになると思うのですけれど、こうした結論にいたる以前に名張まちなか再生委員会を解散してまちなか再生の出直しを図れればそれが世のため人のため、さらには税金の正しいつかいみちのためでもあることは論をまたないはずである。いったいどうなるのかは知らねども。さのよいよい。

  本日のアップデート

 ▼1958年11月

 トリックのあるヌード・ショウ 江戸川乱歩

 本日はこの話題。

 古本屋さんから購入した日劇ミュージック・ホールのパンフレットです。

 表紙の右下のあたりに「TÊTE-A-TÊTE」とあるタイトルは、手許の仏和辞典によれば「テタテット」とか読んで「対談」とか「差し向かい」とかの意。そのうえには「GRAND NU FOLLIES」と書かれているのですが、裏表紙を見てみると片仮名で「グランヌーフォーリーズ」と記されており、なんだかフランス語と英語がごっちゃになっているような気もするのですが、日本語に直せば「大裸体寸劇」といった意味にでもなるでしょうか。

 それでこの「TÊTE-A-TÊTE」というフォーリーズ(というのは要するに榎本健一のカジノフォーリー、あのフォーリーのことなのですが、現代ではむしろレビューといったほうが通りがいいかもしれません)、日本語タイトルが「夜ごと日ごとの唇」となっております。小浜奈々子嬢が主役を張る二部二十八景の大裸体寸劇これなり。しかし二部二十八景となれば寸劇とは呼べないか。つまりはフォーリーズであり、すなわちレビューであるということなのですが。

 とにかく乱歩の文章から引きましょう。乱歩がこんな文章を書いていたことは乱歩自身も記録しておらず、おおげさな表現になりますけれど私にとってこれは新発見。私は埋もれていた乱歩作品を発掘してしまいましたと、おおげさなれど吹聴してまわりたい気分である。

 ミュージック・ホールの丸尾長顕さんとは古い知合いである。今から二十五年も前に、大阪で「猟奇」という、なかなかハイブラウな探偵小説同人誌が出ていたことがあり、丸尾さんは現京都市長の高山義三さんなどと共に、同誌の同人であった。つまり探偵小説界の古顔というわけである。したがって私も同好者としての丸尾さんをよく知っていた。

 しかし気になるお値段が三千円であったこのパンフレット、さわってると急速に劣化してすぐぽろぽろになってしまうのではないかと危惧される次第なのですが、そんなことはさておいて短い文章ですから全文を引きたいところではあれど、著作権の問題がありますから引用は最初の一段落だけにとどめておきました。以下、要約。

 二か月ばかり前に日劇ミュージック・ホールを訪れたところ、丸尾長顕からヌードショーにスリラーの要素を取り入れたいという話を聞かされた。しばらくして、スリラーヌードショーをプランニングしたから最後のトリックを考えてくれと丸尾から依頼があった。ふたりで相談しているうちにトリックを思いついたので、それにもとづいてこのヌードショーが誕生することになった。

 そんなような次第ですから、パンフレットにはスタッフとしてこんなぐあいに記されています。

構成演出……丸尾長顕

原案(第一部)……江戸川乱歩

 あすにつづきます。


 ■1月18日(木)
まとめサイトみたいなページ 

 名張まちなか再生委員会からその後の連絡はまだありません。桝田医院第二病棟の整備にかんする検討会議の日程はいまだ決まっていないようです。

 それはそれとして名張まちなか再生プランの、なんていうのかいわゆるまとめサイトみたいなページが必要だろうと思いつきましたので、善は急げ、さっそく着手してみました。このページです。数日もあればひととおり完成するであろうと思われます。

 それでは本日はこのへんで。

  本日のアップデート

 ▼1958年11月

 三つの好意──演出家の手記 丸尾長顕

 ひきつづきこの話題です。

 乱歩の「トリックのあるヌード・ショウ」とともにこのパンフレットに収められた文章です。

 丸尾長顕は明治34年4月7日、大阪生まれ。昭和26年に日劇ミュージックホールのプロデューサーとなり、ヌードショーを演出、多くのダンサーやボードビリアンを育てました。ホールのギター奏者だった深沢七郎に小説の執筆を勧めたことでも知られています。昭和61年2月28日、八十四歳で死去。

 きのう引いた「トリックのあるヌード・ショウ」に記されていたとおり、昭和3年に創刊された「猟奇」のメンバーであったらしく、といってもいったん発行が中絶して発行所の猟奇社が京都から大阪へ移ってからの同人であったということが、『幻影城』巻末附録の「探偵小説雑誌目録」に記されています。

 それでは「夜ごと日ごとの唇」における乱歩とのかかわりを説いたくだりをどうぞ。

 前からショウにスリラーを取り入れてみたいと思っていた。

 踊りと歌とを主にして、スリラー的なフンイキが出たら面白い、新しい試みとして、ちょっと冒険がしてみたくなったのです。

 そこで江戸川乱歩先生に知恵を借りた。

 ストーリーは簡単にして、スマートな解決で──と、欲張った注文をつけたのに、さすがはヴェテランだけに、二時間で案がまとまったのには全く頭をさげました。

 背景はブロードウェイ、流行の殺人予告が新聞社に舞い込んで、次ぎ次ぎに美人が殺されてゆく、その場その場の面白さが狙いで、犯人はちょっとドンデン返しというワケです。

 あすにつづきます。


 ■1月19日(金)
待てど暮らせどこぬか雨 

 まだです。名張まちなか再生委員会からはまだ連絡がありません。それならとっとと行政の責任を追及する作業に入ろうかなとも思うのですが、委員会側の日程調整には意外に時間がかかるのかもしれません。一か月もあれば余裕で決められることを一年半がかりでまーだ決定できていない組織なんですから、そのあたりを勘案してもう少しお待ちしてみることにしましょうか。

 しかし行政の責任を追及するといったって、私にとっては目新しいことでもなんでもありません。たとえば2003年の6月、私はこんな漫才で三重県をおちょくっておりました。「乱歩文献打明け話」の第二十五回「芭蕉さんは行くのか」から引きましょう。

「けどほんまに三重県も何を考えてるのかようわかりませんですね」
「せやから伊賀地域振興のために税金を有効活用しようということですがな」
「たとえ百歩譲って三重県による予算のばらまきをありがたく頂戴するとしても最初から税金の有効活用には絶対ならんやろなと予測がつくような事業を地域に押しつけられては困るんです」
「そんなこと実際にやってみんことにはわからへんのとちがいますか」
「つまりわれわれは戦後の経済成長からバブル経済を経てそのあとの失われた十年までひととおり経験してますから」
「それがどないしました」
「その結果としてお役所のハコモノ崇拝主義とかイベント尊重思想は完膚なきまでに批判されてきてるわけなんです」
「それはそうですけどね」
「ただし蛙の面に小便ゆうやつですか。合併特例債でハコモノつくって喜ぶあほはなんぼでも出てきますやろけどね」
「あほゆうたらあかんがな」
「ここで振り返りますとバブルの時代に竹下内閣がふるさと創生という名のばらまき政策で地方に媚びを売りまして」
「媚びを売ったわけやないがな」
「あれで浮き彫りになったのは全国の市町村がいかに企画力や発想力を欠いているかという悲しい現実でしたからね」
「全国でいろいろなアイデアが出されて地方が活性化したのとちゃうんですか」
「単なる思いつきで温泉掘った自治体が三百もあったゆう情けなさでした」
「やっぱり急にお金もろたらつかい道に困るゆうこともあるでしょうけど」
「それからバブルの時代にもうひとつ浮き彫りになったのがしょうもない見栄を張りたがる地方自治体の体質ですね」
「見栄ゆうのはどうゆうことですねん」
「地方都市のグレードとかなんとかいいながら結局はよそより目立ちたいゆう見栄が全国の自治体に蔓延いたしました」
「どないしてよそより目立ちますねん」
「要するにハコモノ崇拝主義とイベント尊重思想の出番ですがな。あほが考えつくのはどうせその程度のことなんです」
「あほあほゆうたらあかんゆうのに」
「けど財政の面からゆうてもこれまでの経験からゆうても自治体の見栄に税金をつかう時代はとうに過ぎ去ってます」
「ハコモノやイベントで見栄を張るのは税金のつかい道として適切ではないと」
「自分らの身のたけ身のほどゆうものをようわきまえてほんまに必要なことは何であるかを考えなあかん時代なんです」
「われわれ個人の生活もじつはそうでしょうね。見栄は必要ないですからね」
「そう。君程度の人間でもわかってることがなぜお役所にはわからんのか」
「君程度ゆうのは余計やないですか」
「個人も自治体も背伸びする必要はないんです。程度なんか知れたもんですからね実際。目立つこととかよそより上に立つこととか小さくてもキラリと光ることとかを考える必要はないんです。素のままそこそこの人間であり地方都市であったらそれで十分なんとちがいますか」
「そらまあ十分といえば十分ですけど」
「君程度でもそれはわかるでしょ」
「君程度ゆうなゆうとるやろ」

 これは三重県に対して「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」とかいって税金どぶに捨ててんじゃねーぞこらと心からなる忠言を呈したときの漫才なのですが、名張市に対する追及も内容はまったくおなじものになるでしょう。具体的な事業名などが変更されるだけの話で、漫才形式で表現するならばまずはこんなあんばい。

 「けどほんまに名張市も何を考えてるのかようわかりませんですね」

 「せやから名張まちなか再生のために税金を有効活用しようということですがな」

 「たとえ百歩譲って名張市による名張まちなか再生プランの実施を認めるとしても最初から税金の有効活用には絶対ならんやろなと予測がつくような施設を地域に押しつけられては困るんです」

 まんま名張まちなか再生プランにあてはまってしまうという寸法です。問題はここに出つくしている観さえあって、すなわちお役所には企画力や発想力というものが全然なく、そのくせ見栄を張りたがるものだからくだらないハコモノやイベントで税金をどぶに捨ててしまうことにならざるをえない。三重県も名張市もおなじ穴のむじなみたいなものでしょう。

 ついでですからもう少し引きましょう。

「ですから『生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき』事業もきちんと一から見直さなあかんわけです」
「税金の使途として適正かどうかをもういっぺん見直してみましょうと」
「いまからでも遅くはないんですから武器を捨てて出てきなさい」
「いや別に誰も罪を犯して籠城してるわけやないんですから」
「でも見直しは必要やと思いますよ」
「そしたらその実施計画ゆうのはいったい誰が決めるんですか」
「官民合同の二〇〇四伊賀びと委員会が地域住民から寄せられた事業案も勘案して最終的に決定するわけですけどね」
「それやったら住民の知恵を結集した素晴らしい実施計画ができあがる可能性もあるわけやないですか」
「しかし住民の知恵ゆうのがどの程度のもんかゆう問題もありますしね」
「それはわかりませんがな」
「そしたらたとえばここに一人の地域住民がいて地域振興に寄与できる素晴らしいプランをもってたとしましょうか」
「ほなそれをこの事業でとりあげて実現したらええのとちがうんですか」
「とりあげへんかったらどうします」
「とりあげへんかったらとは」
「つまりほんまに素晴らしい地域振興プランを思いついた人間やったらそれを実現するために行政に働きかけたり事業化したりそれぞれの立場でみずから進んで動いてるはずなんです」
「それはそうかもわかりませんね」
「県が予算くれるのやったらやりますけどとりあげてもらえへんのやったらやりませんみたいな根性の人間はその根性自体がすでにアウトなんとちゃいますか」
「アウトゆうこともないでしょうけど」
「テレビの『マネーの虎』に出たかてそんな人間は美空ひばりのご養子さんにこんこんと説教されておしまいですよ」
「テレビのことはどうでもええがな」
「それにしてもあのご養子さんはどうしてあんなに品がないんですかね」
「人のことほっとけませんか」
「品のなさでゆうたら自民党の古賀前幹事長とええ勝負してますからね」
「いちいち実名を出すなゆうねん」
「やっぱり人間の品格はお金では買えないゆうことなんでしょうね」
「そんなこと知りませんがなもう」
「でも実際のところどんな実施計画が策定されるのかはわかりませんけど」
「計画を見てみないと具体的なことは何もいえませんからね」
「現在の地方自治体が置かれてる状況をよう理解したうえでほんまに必要な事業かどうかを考えていただきませんと」
「事業費は地域住民の血税ですから一円でも無駄にしてもろたら困りますね」
「そうです。三重県関係者各位もこの事業にいちゃもんつけるような人間が名張におるんやったら無理に予算もろてもらわんでもかまへんねでとかそんな思いあがったことばっかりゆうとらんとね」
「誰もそんなことゆうてませんがな」
「税金は地域住民のお金なんですから」
「それはそのとおりです」
「感情的になって血迷うことなく冷静的確なご判断をお願いする次第です」
「誰も血迷うてないっちゅうねん」

 このパートには地域住民の問題が出つくしている観があります。官と民との協働とかいう旗のもとにつどった名張地区既成市街地再生計画策定委員会や名張まちなか再生委員会が結局はろくなものではなかった、ただの役立たず集団であったという事実を、私は2003年6月の時点で予見していたといってもいいでしょう。

 こうした行政批判ならびに住民批判の延長線上で名張まちなか再生プランにおける行政の責任はどうよと名張市に確認する。端的にいってしまえば名張まちなか再生プランは失敗であったと認識しているのか認識していないのか、それを名張市に確認する。とりあえずそういったことをこれからやってこーかなーと私は考えているわけなのですが、「乱歩文献打明け話」の第二十五回「芭蕉さんは行くのか」には行政の無謬性にかんしてこんなくだりもありました。

「でも最近では行政の無謬性ゆう神話もすっかり崩壊してしまいまして」
「行政の無謬性といいますと」
「お役所は間違いを犯さないということです。つまりいったん計画が決定されたら親が死んでもそれを実施すると」
「親は関係ありませんがな」
「しかし現実にはとくに何十年もかかる大型事業なんか時間経過にともなう自己矛盾ゆうのが当然出てくるわけでして」
「計画決定したときとは社会情勢その他がいろいろ変わってきますからね」
「ですからいったん決まった計画でもあとで検討を加えた結果白紙に戻すべきだと判断される場合も出てきます」
「長野県の脱ダム宣言をきっかけに大型ダムの建設計画も見直されてますし」
「行政は決して無謬ではないわけです」
「時代に応じてさまざまな要素を検討していかなあかんゆうことですね」
「ところがお役所ではいまだに封建時代さながらの前例墨守体質が支配的で」
「前例をそのまま引き継いでたら時代に即応した検討はできないんですけどね」
「しかしいつまでも前例を墨守していられる状況ではなくなりました」
「どんな状況になったんですか」
「不況が長引いてどこの地方自治体もおおむね財政難にあえいでます」
「名張市も財政非常事態ですし」
「税収が減る一方ですからまず予算の面で前例を維持できなくなってるんです」
「その結果さまざまな事業が厳しい見直しを迫られてるゆうわけですな」
「つまりこの財政難は自治体にとって千載一遇のチャンスでもあるんです」
「税金のつかい道としてほんまに必要なことと必要でないことをきっちり見きわめるええ機会かもしれんですな」
「一方に無謬性神話の崩壊がありもう一方に財政難がある。そのはざまで地方自治体には柔軟で身軽な体質に生まれ変わることが要請されてるんです。現状からの脱皮を図らなあかんわけなんです」
「どないしたらよろしねん」
「じゃーん。しょうもないことに税金つかうのはやめましょうキャンペーン」
「せやからどんなキャンペーンやねん」
「ほんまに必要なことにしか税金はつかいませんと広くアピールするわけです」
「どないしてアピールしますねん」
「『生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき』事業を心ある地域住民の手で血祭りにあげましてですね」
「そんな乱暴なことしたらあかんがな」
「三重県が伊賀地域にこんな事業を提案してきたんですけど税金の使途として適正有効ではなく不必要だと判断されましたので叩きつぶしてやりましてんと」
「せやからもうちょっと穏便な表現はできないんですか君の場合」
「芭蕉さんがどこ行こうが勝手なんですけど端的にゆうてこの事業は三重県が伊賀地域に予算ばらまいて住民に媚びを売るためのものでしかないですからね」
「それはもう無茶苦茶な偏見ですがな」
「それでまたそんな事業に飛びついてしまう地域住民の心根もじつにさもしい」
「さもしさは関係ないと思いますけど」
「なんやったらさもしさのつれづれに手紙でもしたためましょかあなたに」
「そんな手紙絶対いらんっちゅうねん」

 それでまあ一般市民の支持も理解もない状態で強引に実施されようとしている名張まちなか再生プランとかいうやつは、ここでこれまでの流れをぜーんぶストップさせて白紙の状態で出直しを図るのが最善の策ではないのかなと、敢えてそうするのが行政の責任ってものではないのかなと、私の追及はそのあたりにまで突き進むことになるはずなのですが、追及したってプランが白紙に戻されることはまずないでしょう。しかしだからといって、いくらなんでもいまさら無理だもう手遅れだという時期ではあるとしても、あるいはネットでぎゃあぎゃあ騒いでいるだけとあっさり片づけられるような状況ではあるとしても、やっぱ黙っておるわけにはゆくまいて。

 なぜか、みたいなことを「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」なんかやめてしまえと2004年3月の時点で大騒ぎした「伊賀の蔵びらき記念特別大漫才」から引いておきましょう。

「いまごろになってストップさせるとか方向を変えるとかゆうたかて手遅れですがな」
「手遅れは手遅れですけど事業の問題点をこの際はっきりさせておくことは必要ですからね」
「たしかに問題点はいろいろあるみたいですけど」
「伊賀地域が二度と同じ轍を踏まないようにこの事業がなぜ失敗したのかを分析しておくべきなんです」
「いや事業はまだ始まってないわけですから」
「でも事業の準備段階において悪いほうへ悪いほうへ舵が切られてきたのは事実なんですから」
「悪いほうへ悪いほうへといいますと」
「知事ふうにゆうたら地域住民に顔を向けないほうへ顔を向けないほうへゆう感じですかね」
「しかし官民合同事業ですから地域住民に顔は向けてるのとちがいますか」
「そのはずなんですけど実際にはそうなってませんから事業準備は失敗やとゆうてるわけです」
「どないなってますねん」
「そもそもなんで官民合同事業の話が出てくるのかゆうたら官が民に顔を向けてないからなんですね」
「その点は知事も認めておられますけど」
「つまり情報公開の一環なんです」
「なんでそないなりますねん」
「情報公開ゆうのは首長の交際費を発表したらそれでおしまいゆうことではまったくありません」
「もっとやらないかんことがあると」
「要するにお役所という密室のなかでお役人衆がどんな基準や価値観や外的圧力その他に基づいて税金のつかい方を決めているのか。政策を決めているのか」
「それを明らかにするのが情報公開ですか」
「お役所が政策決定過程を公開する。それに対して地域住民が意見を述べる。その意見が政策に反映される。それが情報公開の流れなわけなんです」
「官と民が合同で政策を決定するわけですか。それがほんまの官民合同かもしれませんね」
「むろん政策決定過程を公開することには混乱も伴うでしょうけど公開しないことによってもたらされる混乱よりは公開による混乱のほうがまだましなんです」
「最近ではお役所もパブリックコメント制度とかいろいろやってるみたいですけど」
「官民合同事業は徹底した情報公開制度へ至るための試みのひとつだと考えると目安になるでしょう」
「いったいなんの目安ですねん」
「行政と住民が対等の立場で情報を共有するのはいわゆる住民自治への道を開くことでもありますしね」
「話がえらい大層になってきましたけど」
「いや簡単なことです。官民合同事業で第一義とされるべきは公開性であるというだけの話なんです」
「つまり官単独の事業には望めないような公開性を官民合同事業には期待できると」
「公開性を無視したら官民合同の意味がありません」
「それでは普通のお役所仕事と同じことになってしまうかもしれませんからね」
「まず公開性を確保したうえで民の手法や民の発想を盛り込むのが官民合同事業の本来の姿なんです」
「そうゆう意味では伊賀の蔵びらき事業ももっと公開性を高めたら有意義な試みになるわけですね」
「そうです。かりに実施される個々の事業は全国発信にほど遠いご町内の親睦行事であるとしても」
「そんな失礼なことゆうたらあきませんがな」
「官民合同で高度な公開性のもとに事業計画を決定していったらそれなりの成果はあったはずなんです」
「全国発信はたいしてできなくても伊賀の地に官民合同の画期的な事例を実現できたはずであると」
「その意味では知事がこの事業を『新しい公』のモデルケースだとおっしゃるのはまったく正しいんです」
「でも実際にはモデルケースにはなっていないと」
「そうなんです。二〇〇四伊賀びと委員会がお役所に完全に丸め込まれてしもたゆうことでしょうね」
「民が官に丸め込まれましたか」
「お役所が官民合同組織を発足させる場合には行政側が御しやすい人間を集めるのが一般的ですからある意味やむを得ないことではあるんですけど」
「たしかに君みたいな無茶苦茶な人間に委員になってもろたらえらいことになりますからね」

 三重県にしろ名張市にしろ、いくらこちらが大騒ぎしたところでお役所は飽きもせずおなじ失敗をくり返し、私もまた飽きもせずこらばかおまえらとそのお役所を批判しているわけなのですが、それにしたって2月5日には「細川邸改修他工事実施設計業務委託」の入札が行われるというのですから、あまりのんびりもしていられません。名張まちなか再生委員会からの連絡はまだか。

  本日のアップデート

 ▼1958年11月

 夜ごと日ごとの唇 丸尾長顕(構成演出)、江戸川乱歩(原案)

 それでその丸尾長顕が構成演出を担当し乱歩がトリツクを提供したという「夜ごと日ごとの唇」というのはいったいどんな舞台であったのか。

 きのう引いた丸尾長顕の文章から再度引用いたしますと、

 ──背景はブロードウェイ、流行の殺人予告が新聞社に舞い込んで、次ぎ次ぎに美人が殺されてゆく、その場その場の面白さが狙いで、犯人はちょっとドンデン返しというワケです。

 むろん筋立ては単純でしょう。パンフレットには「Songs - Laughter - Music - Dance - Drink」という日劇ミュージックホールのスローガン(なんていうと労働団体みたいですけど)めいたフレーズも印刷されているのですが、まさしく歌あり笑いあり音楽あり踊りありお酒ありのショータイム、複雑なプロットや驚天動地のトリックは必要なかったと推測される次第ではあるのですが、それでも乱歩が二時間ほどで考えついたというトリックがどんなものであったのか、ファンなら気にならないわけがありません。なにしろこれは、少年ものをべつにすれば乱歩が生み出した生涯最後のトリックだということになるはずですから(乱歩は昭和35年に「指」を書いていますけれど、あの作品にはトリックと呼ぶべきものは見あたりません。だいたいが昭和3年の作品の焼き直しでもありますし)。

 まことに気にはなるのですが、「夜ごと日ごとの唇」の台本でも出てこないかぎり、くわしいことは知りようがありません。

 ここにはとりあえずパンフレットをぱらりと開き、乱歩原案という第一部のプログラムを引いておきましょう。

第一部 金髪は真夜中にもつれる
第一景 プロローグ
第二章 ブロードウェイ
第三章 情熱の狂詩曲
第四景 ナイトクラブ「バレンシア」
第五景 予告
第六景 ムード・イン・オリエンタル
第七景 サラーエ(印度風の居酒屋)
第八景 剣を磨く男
第九景 恋多き女
第十景 楽屋の噂
第十一景 絢爛たる殺人
第十二景 金髪はもつれる

 いったいどんなステージであったのか。乱歩が提供したトリックもさることながら、そんなことはまったくべつにしてお姉さんたちの踊りをすっごく見てみたいという純粋な欲望も抑えきれません。


 ■1月20日(土)
検討会議は2月1日 

 ありました。きのうの伝言に、

 ──名張まちなか再生委員会からの連絡はまだか。

 と記しましたところ、さっそく連絡がありました。桝田医院第二病棟の整備に関する検討会議の第一回、2月1日木曜日に名張市役所で開かれることになったようです。

 それにしてもなんかちんたらしておるではないか。2月5日には「細川邸改修他工事実施設計業務委託」の入札が行われるわけです。しかも委員会のこの内部資料によれば──

 細川邸と桝田医院第二病棟にかんしては「有効な連携運営体制等の検討」が進められることになっているわけです。ところが現在ただいまは桝田医院第二病棟がどうなるのかがさっぱり不明な状態。にもかかわらずこんなぐあいに──

 細川邸の工事実施設計の入札が行われるというのはおかしいのではないかしら。おかしくないかもしれないけれど、やっぱりおかしいと私は思う。

 しかしまあこの名張まちなか再生プランというのは最初っからずーっとおかしかったわけなのであって、それを検証するための「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」、朝からふうふういいながら2004年度のできごとを記しました。できごとを記すのみならずおりにふれて私のコメントも記載した次第ですが、いまからなにをいったってせんかたなしや、涙のごときものは溢れ出でたりしませんけれど、いまごろ文句つけるのはあと出しじゃんけんみたいなものですからコメントは控えるべきかとも考えてみましたものの、しかしいうべきことはいっとかないとな、と思い直してたとえば2004年12月のコメントのひとつはこんなあんばい。

サンデーいわく どうしてプランの中間案を検討する場で桝田医院第二病棟のことがとりあげられなかったのか。首をひねらざるを得ない。8月のタウンウォッチングで「石碑だけではつまらない」とされていた乱歩生誕地碑周辺を活用できるチャンスが訪れたのである。生誕地碑のあるところをつまらなくない場にしましょう。そういってせっせと検討するのが筋ではないか。それをばかどもなにしてやがった。ていうかなにもしなかったのはどういうことだ。寄贈の時期が遅かったせいでプランに反映できなかったなどというのはいいわけにすぎぬ。寄贈の話があったのは9月初旬のことであったし、たとえ寄贈の話なんかなくたって、プラン策定にともなって委員会のほうから生誕地碑周辺にかんする桝田医院サイドの意向を確認するくらいのアプローチはなされてしかるべきであったであろう。それをまあばかがこらろくに検討もしないというのはどういうことだ。どういうことだと訊くまでもあるまい。委員会が無能力だったからである。役立たずぞろいだったからである。うわっつらのことしか考えられぬ不勉強無教養不見識無責任な連中ばかりだったからである。恥を知れ。

 くわしくはの「名張まちなか再生プランの真実、ていうかインチキ」でどうぞ。

  本日のアップデート

 ▼1999年7月

 パノラマ島奇談に寄せて 平井隆太郎

 日劇ミュージックホールのパンフレットにつづく第二弾です。なにが第二弾なのかというと、新春購入古書の第二弾。長田ノオトさんの漫画『江戸川乱歩のパノラマ島奇談』です。

 これも以前に平井隆太郎先生の巻末解説や奥付などのコピーを頂戴していたのですが、そのおり本屋さんに注文してみたところ品切れで(もしかしたら版元そのものがなくなっていた、みたいなことであったような気もしますが)入手できませんでした。資料整理でそのコピーが出てきましたので、今度は古書を購入することにしてめでたく手に入れることができた次第です。

 原作にはないサプライズが秘められていて、その点では原作よりも合理的なストーリーになっており、そうした改変のおかげで少女漫画らしさがより強調された仕上がりになっていると見受けられます。

 それでは巻末解説から。

 ところでパノラマというのは十八世紀にロンドンで始まった見世物で、我国では明治二十年代から流行した。始めは日清、日露戦争の戦闘場面を実感できるので流行したという。有名な浅草の十二階(凌雲閣)が完成したのも同二十三年(1890)であった。父は明治四十年頃、名古屋で旅順海戦館というパノラマを見て夢中になったという。それどころか、自宅にミニチュアの海戦パノラマを作って友人と楽しんだそうである。鉄道模型のレイアウトを楽しむ最近の趣味とも一脈通じるところがあるようだ。

 「それより舟をかり、松島へ渡る。島々のけしき、のぞきからくりにて御らんの通り」

 とあるのは、天明三年(1783)に当時の随筆家が書いた記録である。のぞきからくりはオランダ伝来の見世物だが、明治のパノラマの前身であろう。のぞきからくり(覗き機関)は、父の作品『押絵と旅する男』の主題でもあった。