大正14・1925年

1月
1月10日 土曜日
「新青年」新春増刊号(第六巻第二号)の発行日。発売は前年十二月二十日。「D坂の殺人事件」が掲載された。
1月中旬
大阪から上京の途次、名古屋で小酒井不木を初めて訪問。五、六時間ほど話し、夜の汽車で東京に向かった。探偵小説四十年「名古屋と東京への旅」][小酒井不木「江戸川氏と私」Fragment
東京に到着し、関東大震災のあと小石川の社長邸に移っていた博文館を訪問。森下雨村に初めて会い、雨村邸で夕食をふるまわれた。翌晩か翌々晩、江戸川アパートの川向こうにあった鰻料理屋で、乱歩の歓迎会が催された。探偵小説四十年「名古屋と東京への旅」]
参加者のうち甲賀三郎(春田能為)は大正十年に組織された日本工人倶楽部の委員の一人で、倶楽部の書記長を勤めていた乱歩と面識があった。探偵小説四十年「甲賀三郎」]
1月16日 金曜日
森下雨村が「新青年」の寄稿家を集め、江戸川の橋本で乱歩の歓迎会を開いた。新青年「編輯局より」Fragment
1月
本郷の菊富士ホテルに宇野浩二を訪問。玄関払いも覚悟していたが、部屋に通された。探偵小説四十年「宇野浩二」]
宇野浩二によれば、菊富士ホテルを訪ねた乱歩は「心理試験」が掲載された「新青年」二月号を手渡してゆき、帰阪してからも自作の載った「新青年」を宇野に郵送した。宇野浩二「日本のポオ──江戸川乱歩君万歳」Fragment
1月19日 月曜日
牧逸馬が乱歩に手紙、乱歩作品の翻訳に着手したことを伝えた。探偵小説四十年「牧逸馬(林不忘)」]
牧逸馬は「心理試験」の翻訳を手がけていた。十六日の歓迎会で森下雨村から要請されたものか。乱歩は『探偵小説四十年』で、「D坂の殺人事件」の執筆直後、つまり大正十三年の秋ごろ上京し、探偵作家の会合で「D坂の殺人事件」英訳の話が出たと誤認している。[新青年「編輯局より」Fragment
1月24日 土曜日
東京から帰阪。子不語の夢「〇一〇 乱歩書簡 一月二十四日」]
1月26日 月曜日
宇野浩二が乱歩に手紙、「心理試験」を面白く読んだと述べ、報知新聞に乱歩のことを書くと伝えた。探偵小説四十年「宇野浩二」]
1月
宇野浩二が「報知新聞」文芸欄に随筆「江戸川乱歩」を二回にわたって発表。探偵小説四十年「宇野浩二」]

2月
2月1日 日曜日
「新青年」二月号(第六巻第三号)の発行日。「心理試験」が掲載された。「連続短篇探偵小説(一)」と銘打たれ、挿画は水島爾保布。新青年「編輯局より」Fragment
2月5日 木曜日
牧逸馬から手紙、雑誌連載に追われ、英訳が遅れていると報告。結局、訳稿は完成しなかった。探偵小説四十年「牧逸馬(林不忘)」]
2月
「恋二題」脱稿。初刊末尾]
「赤い部屋」脱稿。初刊末尾]

3月
3月1日 日曜日
「新青年」三月号(第六巻第四号)の発行日。「黒手組」が掲載された。「連続短篇探偵小説(二)」と銘打たれ、作品の末尾に「次号予告 赤い部屋……江戸川乱歩」。[新青年「編輯局より」Fragment
「新潮」三月号(第四十二巻第三号)の発行日。前田河広一郎「白眼録」が掲載され、「探偵物究明」の項で乱歩に言及。
3月5日 木曜日
「写真報知」第三巻第七号の発行日。「恋二題」第一回が掲載された。
3月6日 金曜日
「前田河広一郎氏に」を脱稿。初出末尾]
3月15日 日曜日
「写真報知」第三巻第八号の発行日。「恋二題」第二回が掲載され、完結。
3月末
繁男が療養先から帰宅。容態が悪化し、養生の甲斐はなかった。用事が重なり、心労もあって、「新青年」六月号の原稿を断った。子不語の夢「〇二二 乱歩書簡 四月九日」]
3月
「幽霊」を脱稿。初刊末尾]

4月
4月1日 水曜日
「新青年」四月号(第六巻第五号)の発行日。「赤い部屋」が掲載された。「連続短篇探偵小説 三」と銘打たれ、三色刷口絵に一木諄の「赤い部屋」挿画。
4月上旬
繁男が療養のため三重県関町の山奥に籠もった。子不語の夢「〇二二 乱歩書簡 四月九日」]
山中の渓谷の入口に宗教家が堂を建て、藁葺き屋根の小屋数軒を宿舎として、不治の病の信者を受け入れていた。繁男はきくに付き添われ、一軒の小屋で二人きりの暮らしを始めた。探偵小説四十年「父の死」]
4月
春日野緑(星野龍猪)から手紙で誘われ、大阪毎日新聞社を訪ねて面会。探偵趣味の会を結成する相談がまとまった。探偵小説四十年「探偵趣味の会」]
春日野緑が昭和二年に記したところでは、乱歩のほうから会いたいという手紙が届き、大正十四年の冬ごろ、春日野の家で初対面を果たした。[春日野緑「乱歩君の印象」Fragment
4月
森下雨村に手紙、探偵趣味の会のことを伝えた。京阪神に住む探偵小説同好者の名前と住所を問い合わせ、京都の山下利三郎、神戸の西田政治と横溝正史を教えられた。神戸で西田と横溝に会い、探偵趣味の会に入会することの承諾を得た。探偵小説四十年「探偵趣味の会」][西田政治「乱歩さんと私」Fragment横溝正史「初対面の乱歩さん」Fragment
4月9日 木曜日
川口松太郎が乱歩に手紙、「苦楽」への小説執筆を依頼した。探偵小説四十年「「苦楽」と川口松太郎」/貼雑年譜「探偵小説専業第一年」]
4月11日 土曜日
大阪毎日新聞社の探偵小説同好者が同社の一室で会合を開き、探偵趣味の会が発足した。西田政治、横溝正史、井上次郎と兄、春日野緑(星野龍猪)、大野木繁太郎、伊藤泰男、井上勝喜と乱歩の九人が参加。探偵趣味の会を始める言葉]
小酒井不木が乱歩に手紙、作品集の刊行を勧めた。子不語の夢「〇二三 不木書簡 四月十一日」]
4月12日 日曜日
横溝正史が乱歩に葉書、前日の礼を述べた。乱歩はこの葉書が正史と西田政治に初めて会った日の翌日に書かれたものと誤認し、『探偵小説四十年』に「私が神戸の両君を訪ねたのは大正十四年四月十一日であった」と記した。この誤認は横溝「初対面の乱歩さん」、西田「神戸時代の横溝君と私」にも引き継がれている。横溝正史「大正十四年四月十二日付葉書」Fragment横溝正史「初対面の乱歩さん」Fragment
4月
三重県関町の繁男を訪ね、数日滞在した。子不語の夢「〇二六 乱歩書簡 四月二十四日」]
4月
「盗難」を脱稿。初刊末尾]
「小品二篇」の「指環」を脱稿。初刊末尾]

5月
5月1日 金曜日
「新青年」五月号(第六巻第六号)の発行日。「幽霊」が掲載された。「連続短篇 四」と銘打たれ、作品の末尾に「次号予告 虎(創作)……江戸川乱歩」。ほかに「前田河広一郎氏に」も掲載。
5月10日 日曜日
「読売新聞」文芸欄の「一日一傑 大衆作家列伝」第八回で紹介された。読売新聞「一日一傑 大衆作家列伝 第八回」Fragment
小酒井不木が乱歩に手紙、「読売新聞」文芸欄の記事を読んだこと、乱歩の作品集の出版を春陽堂に交渉したことを伝えた。子不語の夢「〇二八 不木書簡 五月十日」]
5月15日 金曜日
「写真報知」第三巻第十四号の発行日。「盗難」が掲載された。
5月17日 日曜日
大阪毎日新聞社で開かれた探偵趣味の会の第二回会合に出席。映画「歎きのピエロ」を見物したあと、松竹座の地下室食堂で話した。参加は十一人。子不語の夢][横溝正史「探偵小説講座──序にかえて」Fragment
5月18日 月曜日
小酒井不木に手紙、探偵趣味の会の第二回のことを報告した。作品集の序文を長文にするよう依頼し、書名を「二銭銅貨」とする腹案を伝えた。子不語の夢]
5月
「夢遊病者彦太郎の死」を脱稿。初刊末尾]
「小品二篇」の「白昼夢」を脱稿。初刊末尾]

6月
6月1日 月曜日
「新青年」六月号(第六巻第七号)の発行日。「『探偵趣味の会』」が掲載された。前田河広一郎「探偵物の思想系統──江戸川乱歩君に答う」も掲載。
6月4日 木曜日
繁男が乱歩に手紙、背もたれの角度が調節できる坐椅子の入手を依頼した。貼雑年譜]
6月6日 土曜日
大阪毎日新聞社で開かれた探偵趣味の会の第三回会合に出席。子不語の夢「〇三七 乱歩書簡 六月十五日」]
6月
三重県関町の繁男を訪ねた。三分の二ほど書けていた「屋根裏の散歩者」の原稿を持参し、繁男の病室の隣の部屋で畳に腹這いになって最後まで執筆、山の下の町から郵送した。探偵小説四十年「父の死」]
6月13日 土曜日
繁男、きくとともに守口町の家に帰った。子不語の夢「〇三七 乱歩書簡 六月十五日」]
繁男が帰ってからは、繁男の家と同じ棟の隣にある空き家の二階だけを借り、そこで小説を書いた。貼雑年譜「大阪毎日新聞営業部員」]
6月
「百面相役者」を脱稿。初出末尾]

7月
7月1日 水曜日
「新青年」七月号(第六巻第八号)の発行日。「小品二篇」が掲載された。「編輯だより」に記者宛書簡の抜粋。《暫く三重県の方へ旅行してゐたゝめ御無沙汰しました。それに父の病気や何かで長いものに筆を取る閑もなく、お約束した『虎』は半分程でそのまゝになつてゐますので、代りに『小品二篇』を差出します。『白昼夢』の方はかなり苦心をしたものです。御批評下さい。(江戸川乱歩)》
「苦楽」七月号(第四巻第一号)の発行日。「夢遊病者彦太郎の死」が掲載された。
7月4日 土曜日
大阪毎日新聞社で開かれた探偵趣味の会の第四回例会に出席。プラトン社の社員も加わり、休暇で乱歩の家に遊びに来ていた水谷準も参加した。子不語の夢「〇四一 乱歩書簡 七月七日」]
7月6日 月曜日
探偵趣味の会の座談会に出席。会場は不明。子不語の夢「〇四一 乱歩書簡 七月七日」]
7月10日 金曜日
「読売新聞」文芸欄のコラム「ゴシップ」で探偵趣味の会の動向が紹介された。読売新聞「ゴシップ」Fragment
7月15日 水曜日
「写真報知」第三巻第二十号の発行日。「百面相役者」第一回が掲載された。
7月16日 木曜日
春陽堂から出版された『心理試験』を小酒井不木に送った。子不語の夢「〇四三 乱歩書簡 七月十六日」]
7月18日 土曜日
『心理試験』の発行日。
7月24日 金曜日
川口松太郎とともに名古屋を訪れ、小酒井不木に会った。国枝史郎、本田緒生(松原鉄次郎)も訪れた。子不語の夢「〇四七 乱歩書簡 七月二十五日」][川口松太郎「江戸川乱歩と美少女」Fragment
乱歩は『探偵小説四十年』で、八月のことだったと誤認している。
7月25日 土曜日
「写真報知」第三巻第二十一号の発行日。「百面相役者」第二回が掲載され、完結。
7月27日 月曜日
大野木繁太郎の送別会に出席。大野木は大阪毎日新聞社から東京日日新聞社に転勤した。子不語の夢「〇四七 乱歩書簡 七月二十五日」]
7月
「一人二役」を脱稿。初刊末尾]

8月
8月1日 土曜日
「新青年」夏季増刊号(第六巻第十号)の発行日。「屋根裏の散歩者」が掲載された。十三人が執筆した「私の好きな作家と作品」には「日本の誇り得る探偵小説」を寄せた。
8月3日 月曜日
川口松太郎に会い、潰れるかどうかの瀬戸際にあるというプラトン社の内情を知らされた。子不語の夢「〇五二 乱歩書簡 八月五日]
8月8日 土曜日
大阪毎日新聞社で開かれた探偵趣味の会の第五回例会に出席。川口松太郎の世話で探偵映画「Through the Dark」を映写。来会者は七十人。例会のあと、プラトン社の社長だった中山豊三から乞われ、春日野緑とともに面談。探偵趣味の会の機関誌的な探偵雑誌として企画されていた「ストーリイ」の発行はしばらく延期し、そのかわり「苦楽」の一部を探偵小説や会の報告などに提供するとの提案があった。子不語の夢「〇五四 乱歩書簡 八月九日」]
8月25日 火曜日
苦楽園ホテルで開かれた探偵趣味の会の会合に出席。機関誌「探偵趣味」の発刊が決まった。子不語の夢「〇五九 乱歩書簡 八月二十六日」]
8月31日 月曜日
国枝史郎が「読売新聞」に「日本探偵小説界寸評」を発表。
8月
「人間椅子」を脱稿。肘掛け椅子に人間が入るという着想を得たあと、神戸で洋家具の競り市があると知り、横溝正史を訪ねた。競り市のことはわからなかったが、二人で神戸の街を散歩し、家具屋の店先に大きな肘掛け椅子が展示されていたので、店に入ってこの椅子に人間が隠れられるかと質問した。探偵小説四十年「「屋根裏」と「人間椅子」」]
8月
「『探偵趣味』発行につき御依頼」を印刷、関係方面に配布した。「探偵趣味」は春日野緑の知人が経営するサンデーニュース社が実費で印刷することになった。探偵小説四十年「「探偵趣味」の創刊」]

9月
9月1日 火曜日
「新小説」九月号(第三十年第九号)の発行日。「一人二役」が掲載された。
9月4日 金曜日
大阪に来ていた馬場孤蝶の歓迎会に出席。子不語の夢「〇六二 乱歩書簡 九月五日」]
9月10日 木曜日
午後八時、繁男が守口町の家で死去した。五十八歳だった。貼雑年譜]
9月12日 土曜日
守口町の家で繁男の葬儀を営んだ。貼雑年譜]
9月15日 火曜日
「写真報知」第三巻第二十六号の発行日。「疑惑」第一回が掲載された。
9月20日 日曜日
「探偵趣味」第一輯の発行日。菊判、三十四ページ。編輯当番を担当し、探偵小説は芸術たりうるかというアンケートを掲載した。探偵小説四十年「「探偵趣味」の創刊」]
9月21日 月曜日
大衆作家の団体、二十一日会が発足した。新鷹会「雑誌「大衆文芸」と作家たち」Web
9月25日 金曜日
「写真報知」第三巻第二十七号の発行日。「疑惑」第二回が掲載され、完結。
小酒井不木が乱歩に手紙、池内祥三から乱歩の二十一日会入会を希望する旨の申し出があったことを伝えた。子不語の夢「〇六八 不木書簡 九月二十五日」]
やや遅れて池内祥三からも手紙、二十一日会の同人になるよう勧誘された。探偵小説が大衆小説の一分野として扱われることに疑問があったため、二、三日考えたあと、結局は勧めに応じた。探偵小説四十年「二十一日会と「大衆文芸」」]
9月
「疑惑」を脱稿。初出末尾]

10月
10月1日 木曜日
「苦楽」十月号(第四巻第四号)の発行日。「人間椅子」が掲載された。
10月15日 木曜日
「写真報知」第三巻第二十九号の発行日。「疑惑」第二回が掲載され、完結。
10月25日 日曜日
探偵趣味の会が阪神沿線の六甲苦楽園で催した渡瀬淳子演劇研究所による探偵ページェントに参加。越木岩神社付近で春日野緑脚本の探偵劇「幽霊探偵」が上演され、観客は約五百人。大阪朝日新聞社の下村海南専務ら阪神沿線の名士が家族づれで見物した。記念撮影のあと、ラジウム温泉に入り、晩餐会。春日野緑、横溝正史、平野零児らのほか、名古屋から潮山長三、川口松太郎につれられて東京から額田六福も訪れた。探偵小説四十年「探偵ページェント」]
10月31日 土曜日
懸賞小説で得た賞金で上京したいという横溝正史とともに、朝の汽車で名古屋に行き、小酒井不木を訪問。本田緒生、潮山長三も顔を見せた。名古屋ホテルでの夕食には国枝史郎も加わった。夜の汽車で上京。探偵小説四十年「大正十四年末の上京」]
10月
「接吻」を脱稿。初刊末尾]
「踊る一寸法師」を脱稿。初出末尾]
「毒草」を脱稿。初出末尾]
「闇に蠢く」の第一回を脱稿。第三回までは大阪在住時代に書いた。第一回の原稿を渡し、掲載誌が出るまでに川口松太郎と六甲苦楽園の温泉に入ったところ、谷崎潤一郎ばりだと賞められた。探偵小説四十年「三つの連載長篇」]

11月
11月1日 日曜日
東京に到着。先に上京していた川口松太郎に誘われ、丸ノ内ホテルに投宿。横溝正史は友人のもとへ行った。本位田準一ら旧友が二、三人来訪。この日か二、三日後、城昌幸が来て初対面を果たした。探偵小説四十年「大正十四年末の上京」]
11月2日 月曜日
春陽堂の今村が来訪、「文章往来」の話をした。横溝正史と三越に出かけ、別れて赤坂見附の清水谷公園にある皆香園で開かれた会合へ。参会は、春日野緑、森下雨村、甲賀三郎、田中早苗、妹尾韶夫、巨勢洵一郎、水谷準、保篠龍緒、松野一夫、馬場孤蝶、平林初之輔、横溝正史。全員の寄せ書きを小酒井不木に送った。探偵小説四十年「大正十四年末の上京」]
11月3日 火曜日
池内祥三が来訪、「大衆文芸」の話をした。同伴して報知新聞へ行き、野村胡堂と本山荻舟に会う。大衆文芸同人の集まりを六日と決定。東京日日新聞に大野木繁太郎を訪ねるが、不在。夜、森下雨村宅へ横溝正史とブリッジを教わりにいった。ほかに田中早苗、甲賀三郎、延原謙、巨勢洵一郎、松野一夫ら。横溝と二人、森下邸に宿泊。探偵小説四十年「大正十四年末の上京」]
11月4日 水曜日
横溝とホテルに帰った。水谷準、本位田準一が来て、四人で鮨を食べ、平林初之輔を訪問する予定だったが、雨のため寄席へ。夜は歌舞伎座前の洋食屋でトンカツを食べた。横溝は丸ノ内ホテルへ宿替え。探偵小説四十年「大正十四年末の上京」]
11月5日 木曜日
春陽堂を訪問、作品集のことを相談した。読売新聞を訪れて文芸部長の清水弥太郎と会い、雑文の注文を受けた。夕方から横溝正史と帝国劇場へ。清元延寿太夫、市村羽左衛門、尾上梅幸の「権八小紫」に陶酔し、探偵小説が馬鹿馬鹿しいと感じた。ホテルに帰ると「苦楽」に連載する「闇に蠢く」の校正が届いており、横溝に読んで聞かせた。この夜にか、「踊る一寸法師」の後半を書き、やはり横溝に読んで聞かせたところ、前半は面白いが後半は劣ると評された。探偵小説四十年「大正十四年末の上京」]
11月6日 金曜日
春陽堂の島源四郎が来訪、長田幹彦からの伝言でラジオ出演を依頼され、探偵小説宣伝のために引き受けた。「キング」の森田が来訪、原稿の注文があったが、断った。旧友が来訪、横溝正史と三人で竹葉へ。夕方、池内祥三が誘いに訪れ、花の茶屋で開かれた二十一日会の会合へ。白井喬二、木山荻舟、長谷川伸、平山蘆江、正木不如丘、久保田朝興、矢田挿雲らと「大衆文芸」編集の打ち合わせなど。探偵小説四十年「大正十四年末の上京」]
11月7日 土曜日
午後七時半からラジオ放送。扁桃腺炎で熱を出し、出演を辞退したが、長田幹彦に自動車で迎えられ、厚い毛布にくるまって乗り込んだ。「探偵趣味の話」と題して話し、新しい探偵小説の見本として水谷準の掌篇「好敵手」を朗読。「御菓子料」として二十円か三十円を受け取った。探偵小説四十年「大正十四年末の上京」]
11月13日 金曜日
丸ノ内ホテルから本郷赤門前の伊勢栄旅館に移り、病臥。探偵小説四十年「大正十四年末の上京」]
岩田準一が来訪。ラジオで乱歩の放送を聴き、この日の新聞で伊勢栄旅館に宿泊していることを知ったという。午後二時ごろ訪ねると不在で、夜ふたたび足を運んだところ、乱歩は近所の梅本という寄席にいた。二人で寄席から旅館に帰り、十時過ぎまで歓談した。岩田鏡之助(岩田貞雄)「東京本郷「伊勢栄旅館」の夜」Fragment
11月21日 土曜日
長野県山田温泉の山田旅館で静養。二山久が同道した。旅の途中で「覆面の舞踏者」第一回を脱稿、「婦人の国」に郵送。山田温泉以外にも歩き廻り、無一文で大阪に帰った。探偵小説四十年「大正十四年末の上京」]
11月28日 土曜日
小酒井不木が乱歩に手紙、乱歩が帰阪を伝えた書簡への返信。子不語の夢「〇八〇 不木書簡 十一月二十八日」]
横溝正史が乱歩に葉書、乱歩が帰阪を伝えた書簡への返信。横溝正史「大正十四年十一月二十八日付葉書」]

12月
12月6日 日曜日
小酒井不木が乱歩に葉書、乱歩が作家専業になる意志を書簡で伝えたのか、その決心を喜んだ。子不語の夢「〇八二 不木書簡 十二月六日」]
12月16日 水曜日
岩田準一への手紙が着信、翌年早々、東京に転居する旨を伝えた。岩田鏡之助(岩田貞雄)「東京本郷「伊勢栄旅館」の夜」Fragment
12月17日 木曜日
小酒井不木に手紙、周囲から行き詰まりを指摘され、自分でもそんな気がするのが癪に障ったので、駄作を連発するべく連載を多く引き受けたと伝えた。月刊誌では「苦楽」「婦人の国」、旬刊誌では「写真報知」、週刊誌では「サンデー毎日」、ほかに「大衆文芸」でも連載する心づもりがあった。子不語の夢「〇八五 乱歩書簡 十二月十七日」]
12月19日 土曜日
小酒井不木が乱歩に手紙、「読売新聞」で乱歩が東京に転居する旨の記事を読み、事実かどうかを確認した。子不語の夢「〇八六 不木書簡 十二月十九日」]
12月28日 月曜日
探偵趣味の会の例会に出席し、チャップリンの映画「ゴールドラッシュ」を見たあと、牛肉屋で忘年会を開いた。子不語の夢「〇八七 乱歩書簡 十二月二十九日」]
12月29日 火曜日
小酒井不木に手紙、東京に転居するため家を探しており、見つかり次第上京するつもりであることを伝えた。子不語の夢「〇八七 乱歩書簡 十二月二十九日」]
12月
きくが大阪から上京、きくの妹が嫁いだ日本画家、岩田豊麿の家で世話になりながら、姉妹で貸家を探し、筑土八幡町の高台の家に決めた。探偵小説四十年「東京に転宅」]
「湖畔亭事件」と「二人の探偵小説家」の第一回と第二回を脱稿。探偵小説四十年「三つの連載長篇」]
「毒草」を脱稿。初出末尾]
「覆面の舞踏者」第二回を脱稿。探偵小説十年「大正十四年度」]
「灰神楽」を脱稿。初出末尾]

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