新青年 |
しんせいねん。大正9・1920年1月から昭和25・1950年7月まで発刊された月刊娯楽雑誌。博文館発行。森下雨村を編集長とする青少年向け教養総合雑誌だったが、海外探偵小説の翻訳が人気を呼び、日本の新進探偵作家の作品も掲載するようになった。多くの探偵作家を生み、コントや囲み記事、漫画なども大正、昭和初期のモダニズムやウイットにあふれたものであった。時局が逼迫するにつれて、戦時色を濃くし、探偵小説の色は希薄になった。第二次世界大戦後も、出版社を何度かかえて続刊されたが、全盛期の特色は失われた。通計四百余冊。 ■典拠:JapanKnowledge ■掲載:2009/02/10 |
大正12・1923年 |
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探偵小説を募集す──隠れたる作家の創作を慫慂す | |||
日本にも探偵小説家が出なければならないとは、久しい前から云はれてゐることである。[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 大正12・1923年2月号(4巻3号) |
春季増大号予告 | |||
特別附録 創作探偵小説 「日本にも外国の作品に劣らぬ探偵小説が出なくてはならぬ」[引用全文] |
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■初出・底本:新青年 大正12・1923年3月号(4巻4号) |
編輯局から | |||
■創作号に載する江戸川氏の「二銭銅貨」は予告にも述べたる如く、海外作家の作品と伍して何等の遜色なき傑作である。[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 大正12・1923年3月号(4巻4号) |
編輯局から 一記者 | |||
■本号所載の創作探偵小説は、外国の作品に全然暗示を仰がざる純然たる創作であつて、その孰れも編輯局同人の推称措かざる作品、[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 大正12・1923年4月号(4巻5号) |
大正14・1925年 |
編輯局より 雨村生 | |||
◆本邦に於ける唯一の探偵作家である江戸川乱歩氏が本号から、連続短篇を発表せられることゝなつた。[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 大正14・1925年2月号(6巻3号) |
編輯局より 雨村生 | |||
◆江戸川乱歩君の上京を機とし、一月十六日の晩に、江戸川の橋本に探偵小説同好者の集りを催した。[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 大正14・1925年3月号(6巻4号) |
編輯局より 雨村生 | |||
◆創作と云へば、江戸川君の連続短篇は果然異常なる好評を博し、読者諸君は素より文壇諸家の間にも非常なる興味と期待を以て、迎へられてゐる。[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 大正14・1925年3月号(6巻4号) |
大正15・1926年 |
編輯後記 一記者 | |||
◆本号は予告のとほり、本誌と縁故の深い五氏の創作と飜訳を中心として編輯した。[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 大正15・1926年4月号(7巻5号) |
編輯局より 横溝生 | |||
◆此の度森下雨村氏の斡旋によつて、新青年の編輯部に入る事になりました。[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 大正15・1926年10月号(7巻12号) |
編輯局より 神部 | |||
◆十月増大号の評判はすばらしいものだつた。[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 大正15・1926年11月号(7巻13号) |
編輯局より 横溝 | |||
◆「パノラマ島奇譚」は最初百五十枚三回分載の予定だつたけれど、[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 大正15・1926年11月号(7巻13号) |
編輯日誌 一記者 | |||
◇二十七日 報知新聞夕刊に江戸川乱歩、平林初之輔、甲賀三郎、森下雨村など探偵趣味の会同人で、鬼熊探検に出掛ける由の記事が出る。[引用全文]
◇十日 江戸川乱歩氏、親戚の法事や病気のためパノラマ島奇譚思ふやうに執筆捗らずとのこと。[引用全文] |
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■初出・底本:新青年 大正15・1926年12月号(7巻14号) |
昭和2・1927年 |
編輯局から 横溝生 | |||
◆森下雨村氏が文芸倶楽部をやられるやうになつて、まあお前やつて見ろと、新青年を一任されてからこれが第二冊目である[引用全文] ◆「パノラマ島奇譚」はかなり長い間、多大な好評で迎へられてゐたが、本号で目出度く解決を告げた。[引用全文] |
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■初出・底本:新青年 昭和2・1927年4月号(8巻5号) |
御挨拶 森下雨村 | |||
前号で横溝君が御披露下さつたとほり、今度文芸倶楽部の方に転じ、五月号から同誌を編輯することゝなりました。[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 昭和2・1927年5月号(8巻6号) |
近事一束 | |||
小酒井不木氏作、「龍門党異聞」が帝国劇場に上演さるゝを期として、去る五月二十四日、「新青年」「探偵趣味」関係者を以て観劇会を催した。[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 昭和2・1927年8月号(8巻9号) |
昭和3・1928年 |
陰獣 江戸川乱歩 (横溝正史) | |||
懐しの乱歩! 懐しの『心理試験』![引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 昭和3・1928年8月号(9巻9号) |
編輯局より 横溝生 | |||
◇七月二十日は吉例の増刊を出すことになつてゐる。[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 昭和3・1928年8月号(9巻9号) |
陰獣(第二回) (横溝正史) | |||
江戸川乱歩氏のこの大作は正に大衆文壇の絶大なる驚異と云ふの他ない。[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 昭和3・1928年夏期増刊号(9巻10号) |
編輯局より 横溝生 | |||
◇さて──と、例によつてそろそろ手前味噌を並べることにする。[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 昭和3・1928年夏期増刊号(9巻10号) |
陰獣 完結篇 (横溝正史) | |||
本誌八月増刊より連載した江戸川乱歩氏の力作「陰獣」は、探偵作家界に一大センセーションを捲き起した。[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 昭和3・1928年9月号(9巻11号) |
編輯局より 横溝生 | |||
◇僕と渡辺温君と二人で編輯する、これが最後の「新青年」である。[引用全文] ◇増刊は発売後直ちに売切れた。[引用全文] ◇「陰獣」は果して素晴らしい評判である。[引用全文] |
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■初出・底本:新青年 昭和3・1928年9月号(9巻11号) |
編輯局より 延原生 | |||
◇さて、本号は初めての編輯ではあり、時日が切迫してから引受けたので、成績の程を気にしてゐたが、[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 昭和3・1928年10月号(9巻12号) |
編輯局より 水谷生 | |||
○「陰獣」の完結篇を読んで、誰か呀ツと叫ばぬものがあらう。[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 昭和3・1928年10月号(9巻12号) |
編輯局より 延原生 | |||
◇十月増大号は圧倒的のすばらしい売行だつた。[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 昭和3・1928年11月号(9巻13号) |
昭和4・1929年 |
戸崎町だより 延原生 | |||
◇江戸川乱歩氏の「悪夢」、甲賀三郎氏の「女を探せ」二篇は本誌には欠けてならぬ要素で、[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 昭和4・1929年1月号(10巻1号) |
戸崎町だより 延原生 | |||
◇予告に江戸川乱歩氏の「空気男」を出して置きながら、掲載できなかつたのは、[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 昭和4・1929年新春増刊号(10巻3号) |
戸崎町だより 一記者 | |||
◇三月号に江戸川乱歩氏の「空気男」を予告した。[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 昭和4・1929年4月号(10巻5号) |
昭和5・1930年 |
戸崎町風土記 J・M・ | |||
◇上山草人、藤原義江、江戸川乱歩のトリオは近来の快事として編者自慢のものである。[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 昭和5・1930年3月号(11巻4号) |
戸崎町風土記 J・M・ | |||
◇連作第一回は江戸川乱歩氏の大努力によつて、俄然圧倒的なスタートを切つた。[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 昭和5・1930年9月号(11巻12号) |
昭和6・1931年 |
戸崎町風土記 J・M・ | |||
◇九月十七日故平林初之輔氏告別式を伝通院にて挙行。[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 昭和6・1931年11月号(12巻14号) |
昭和7・1932年 |
編輯だより J・M | |||
◇随筆中の「我が読者へ」五篇は、短文でありながら、各々の作家がその創作態度を明らかにして諸君に訴へてゐるのは嬉しい。[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 昭和7・1932年新春増刊号(13巻3号) |
編輯だより J・M・ | |||
◇心臓が震へると云へば、増刊でも予告したやうに、いよいよ六月号あたりから江戸川乱歩氏が畢生の大作を寄せる筈であるし、[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 昭和7・1932年3月号(13巻4号) |
編輯だより | |||
森下雨村氏と新青年──と云へば、切つても切れぬ間柄にあること、本誌の愛読者諸君にしてよも知らぬ方はあるまいが、[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 昭和7・1932年4月号(13巻5号) |
編輯だより J・M | |||
◇さきに本欄で江戸川、森下両氏の大長篇執筆を予告したが、両氏とも目下懸命で構想の準備中である。[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 昭和7・1932年6月号(13巻7号) |
編輯だより J・M | |||
◇続いて新年号だ。目下編輯部では、この意義ある一九三三年第一号を迎へるために、まるでオリンピツクにでも出掛けるやうな大はしやぎである。[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 昭和7・1932年11月号(13巻13号) |
編輯だより S・U | |||
◇森下雨村氏より本誌を引継いで、断然「新青年趣味」を以て天下を風靡し、雑誌の型を破つた横溝正史氏は、[引用全文] | |||
■初出・底本:新青年 昭和7・1932年12月号(13巻14号) |
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